地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
まちづくり・建築におけるAIの可能性:緑被率プロジェクト:神戸市編

今月号の「建築雑誌」に「まちづくりにおけるAIの可能性:建築家にとって科学とは何か?」と題した記事を書かせて頂きました。

AIブームの真っ只中、連日メディアを賑わせているAI(人工知能)なのですが、僕がいるMITは世界的に見てもAIの中心地であり、AIに関するテクノロジーが次々に生み出される聖地の一つと見做されています。

つい先月も、AIに関する新しい研究所を創設するという発表をしたばかりで、今後10年間でIBMが260億円相当の投資をするそうです(興味のあるかたはこちらのリンクをどうぞ)。でも、僕がもっと驚いたのは、IBM側からこの話を持って来てそれをまとめたのが、友達(MITで僕が初めて知り合ったアメリカ人で、それ以来最も親しい友人の一人)のお母さんだったことかな(笑)。創設記念講演会&パーティーに行ったら、「cruasan君—」みたいに声を掛けられて、「あー、A君のお母さんじゃないですかー。お久しぶりですー。」って立ち話をしてたら、どうやら彼女が今回のキーパーソンだったことが判明(驚)。「そ、そっかー、そういうこともあるかなー」っていう嘘のような本当の話ww

そんなこんなでうちのラボにもそれこそ毎日のようにAI目的の来客が絶えなくって、その度に「AIとまちづくり」というテーマでお話をさせて頂いているのですが、最近「ハッ」と気が付いたことがあります。それは、「世間一般のAIのイメージが二極化していること」なんですね。特に建築や都市計画に携わっている人に限って言うと、AI=(1) 自動運転、(2) 碁、(3) AIに職を奪われる悲観論、みたいな感じで綺麗に分かれると思います。で、もう少し勉強している人になってくると、ここにBIMみたいなのが入ってくる、、、という感じでしょうか。

別に僕はこの状況を批判しようとか、それが悪いと言ってる訳では全然なくて、逆にデータサイエンスからかなり遠いところにいる建築や都市計画、都市デザインの方々がAIやIoTに興味を示してくれるだけでも、それはそれでかなり嬉しい状況だとは思うんだけど、AIやIoTの可能性はずっと幅広くて、もっともっと色んなことが出来る、、、と、そうも思っています。

今回僕が書かせて頂いた記事は、その様な可能性を抽象的な議論ではなく、具体的に進んでいるプロジェクトとして出来るだけ分かりやすく日本の方々にお伝えしようと思い書いてみました。そしてその発刊と同時に、MITで僕が関わっている、AIを駆使した「まちづくり系のプロジェクト」の一つ、Treepediaのデモを神戸市を事例に作ってみたというオマケ付きですw

このプロジェクトの本質は、「都市の何処にどれだけの緑や植栽が存在しているかという情報をビックデータとして収集、分析すること」です。

今更言うまでもないことですが、都市におけるグリーンインフラというのは、生活の質を測る非常に重要な要素の一つとなっています。ゆえに何処の都市でも「緑被率」みたいなデータを持ってはいるのですが、伝統的にこのようなデータは市役所の方々や調査員の方々が紙と鉛筆を持って都市内を歩き回り、手作業で地道に一つづつ木の位置を確認していく、、、という手法が用いられてきたんですね。もしくは空から都市を捉えた航空写真を使って、「あ、この辺は緑が多いな」とか確認するのが典型的な手法だと思います。

しかしですね、人の手に頼っていると、手間暇が掛かり過ぎる上に、サンプル数が非常に限られてきてしまいます。反対に、航空写真は空から撮った写真なので、我々が都市を実際に歩いて感じる印象とは全く違った風景データとなってしまいがちなんですね。いま必要とされているのは、歩行者目線で見える風景を、ビックデータとして収集する技術であり、その為に我々が編み出したのが、AIを使ったデータ収集法なのです。

この技術がどうなっているかを簡略的に説明すると、まずはOpen Street MapからStreet Networkを土台に調査区域を区切ります。そのエリアからStreet Networkに沿って撮られた写真(Google Street Viewにアップされている写真)を収集します(テクニカルに言うと、だいたい何処の都市もGoogle Street Viewでカバーされているので、都市部だったら大抵のところからは写真を持ってこれる状況となっています)。また、Google Street Viewの良いところは、Google Carに搭載したカメラで写真を収集しているので、カメラの位置がほぼ歩行者目線だというところです。それらの写真を収集しつつ、今度はニューラルネットに「その写真に一体何が写っているのか?」を教え込みます。

最近のコンピュータというのは非常に面白くて、彼らは一度教えると、そのあとは勝に学習して賢くなっていくんですね。例えば、「この写真に写ってるのは車だよ」とか、「これは空だよ」とか教えてやる訳です。その上で、そういうサンプルを何千枚と見せてやる。そうすると、認識率がどんどんと上がっていって、最終的には写真に写っているものをきちんと判別出来る様になる訳です。

では、これらの技術をどう使うのか?

我々の場合は、「この写真に写っているのは「木だよ」」と教えてやる訳です。その上で、先ほどネットから入手した都市の写真を放り込んでやると、位置情報付きの都市の緑被率マップが自動的に出来上がると、そういう仕組みになっています。

もちろん実際はこんなに単純ではないし、現場ではもっと泥臭いことをやっていたり、色々と違うコードを試したりしているのですが、基本的な方向性はこんな感じかなー。で、出来上がった生データがこちら:

オレンジ色の線に見えるところが、今回のデータ解析に使った写真が撮影されたポイントです。街路に沿って何万という撮影ポイントが帯を成し、それが街路を形成しているのが見て取れます。

Google street viewは写真データを常にアップデートする為に、年間を通してカメラ搭載車両(Google Car)を走らせています。故に、都市によって写真が撮影された時期が違ったりするんですね。ということは、例えば1月に撮った写真を使った場合と、7月に撮った写真を使った場合とでは、緑被率にバイアスが掛かってきてしまいます。1月は7月に比べて葉っぱが少ないですからね。それを確認する為に、「何月に取られた写真をどれくらい使ったか?」という結果も自動的に出るようにしました:

神戸の場合は4月の写真が多いようです。

この手法の良いところは、世界各国の都市間での緑被率が科学的に比較出来る点にあります。また、AIにやらせているので、一度設定すれば、あとは勝手にやってくれたりします(とは言っても、まだまだ手間暇は掛かりますが、、、将来的には全自動洗濯機のように、全て自動化する方向で我々は動いています)。 これがこのプロジェクトの概略であり、建築雑誌の短い記事には書き切れなかった追加情報です。

さて、こんな感じでMITではAI全盛期を迎えているのですが、そんな環境にどっぷりと浸かっている僕が最近思うことが以下の2点;

1つ目は、今後の建築・都市計画界隈とAIやIoTをめぐる環境について。これはもう、きっぱりと二極化すると思うのですが、AI(人工知能)やデータサイエンスを使える研究室、企業、もしくは建築事務所と、それらが全く使えない・導入出来ないところとでは圧倒的な差が出てくるだろうということです。

何度でも書きますが、AIやIoT全盛期における我々建築家の一番の問題点は、建築家はデータを扱うことやコードを書くことが苦手な職種だということに尽きます(地中海ブログ:博士の学位を頂きました:建築家である僕が、コンピュータ・サイエンス学部でPh.Dを取った理由)。こう書くと、「じゃあ、外注すればいいじゃないか」という声が聞こえてきそうなのですが、データというのは自分の手で触って分析しているうちに、「あー、こうなっているのか」とか「あー、こういう可能性もあるんだな」と、段々と分かってくるものなので、その過程を外注したり、そこだけコンピュータサイエンス学部の人達とコラボしても、それは片手落ちにしかなりません。

その間に立てる人材が世界的に見ても圧倒的に不足していて、これから20年くらいは、そういう人材に世界の投資が圧倒的に集中する状況となって来るだろうし、もう既にその兆候は見え始めています(日本ではどうなっているのか知りません)。

2つ目は、リベラルアーツに代表される基礎教養が益々重要になってくるだろうという点です。僕は2011, 2014年とMITに滞在する機会を得たのですが、その時はIoT全盛期でした。どこもかしこもIoT、つまりはセンサーだったんですね。まあ、僕の目から見ればIoTというのは、全てのモノをデータ化する技術であり、そこから得られたビックデータを解析する技術がAIやディープラーニングだったりするのですが。。。

で、今回(2017年)来てビックリしたのは、あれから3年も経ってないのに、MITの学内の雰囲気がガラッと変わっていたことでした。いまでは右を見ても左を見てもAIだらけです。

このように技術というのはものすごいスピードで変わっていきます。MITの凄いところは、そんな目まぐるしく変わりゆく技術だけを教えるのではなく、その環境に対応する為の教育を何十年も前から行っている点なんですね。そしてその教育方針こそが、MITを世界最高峰の工学系大学にしているエッセンスだと僕は思うのですが、この話をし出すと長くなるのでまた今度。今回は問題を少し簡略化して、そんな環境の中において建築家である僕が「なぜ今日まで生き残ってこれたのか?」と問うてみることにします。

それはですね、うわべの技術を追い掛けるだけではなく、「その時々の技術革新に合わせた適切な設問を作り出すことが出来ているから」だと、僕は勝手に自己分析しています。そして「そういう設問を、案外みんな作れないんだなー」ということに最近気が付きました。

ではなぜ僕はそれが出来ているのか?

それは僕のプロフェッショナルキャリアの最初期に、大変質の高い論客たちと、それこそ夜が更けるまで散々議論出来たこと、バルセロナという公共空間の中で、都市問題を「体験として」自分の中に蓄積できたことが大きいかな、、、と、そう思います。

この辺りのことやMITのリベラルアーツ教育については、以前のインタビュー記事に掲載されているので、興味のある方はこちらをどうぞ(下記は抜粋です):

僕がバルセロナに行った2001年というのは、イグナシが立ち上げたプログラムや彼の影響力が非常に強く残っていて、バルセロナがヨーロッパの知のハブとして機能している時期でした。いまとなっては大御所になってしまった、サスキア・サッセン(Saskia Sassen)やデヴィット・ハーベイ(David Harvey)、ジョン・アーリ(John Urry)などは頻繁に来ていましたし、マニュエル・カステル(Manuel Castells)はバークレーからバルセロナに戻って来ている時期でした(地中海ブログ:サスキア・サッセン(Saskia Sassen)のインタビュー記事:グローバルシティというアイデアは何処から来たのか?)。マスタークラスの同級生には、のちに『俗都市化—ありふれた景観 グローバルな場所(昭和堂)』を出版することになるフランチェスク・ムニョス(Francesc Muñoz)がいましたし、「ジェントリフィケーション」という聞き慣れない現象を熱く語っていたニール・スミス(Neil Smith)とは、夏のあいだ頻繁に飲みに行っていました。

…中略…

MITの教育方針を見ていると、単に科学技術の知識を詰め込むというよりは、それらを使う人間や社会への問いの方に力を入れている感じがしてなりません。つまり、単に街角にセンサーを取り付けて終わりというのではなく、我々の社会の基盤となっている人間への根源的な問いを通して、我々の創造力・想像力の可能性と限界を模索しているかのようなのです。技術ありきではなく、先ずはそこを深く掘り下げているからこそ、科学技術の限界とその可能性への探求といったアプローチが出てくるのではないでしょうか。

とにもかくにも、MITの緑被率プロジェクト、最初の日本都市の事例でした。

←おめでとー。

←パチパチパチー。

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日本では報道されないバルセロナの同時多発テロの背景について

先週木曜日(08/17/2017)、観光客で溢れるバルセロナの中心街ランブラス通りにワゴン車が突っ込み、死者13人、負傷者100人以上を出す大惨事が起こってしまいました。その数時間後、今度はバルセロナから車で1時間ほど南下したところにあるリゾート地、カンブリス市(Cambrils)にて同様の事案が発生し、警察は5人の容疑者を射殺。また、バルセロナから内陸へ車で1時間ほど行ったところにあるビック市(Vic)にて関連すると思われるワゴン車が見付かっており、警察は今回の事件を周到に準備されたテロと断定し捜査を進めています。今回の事件は、2004年に191人が犠牲となってしまったマドリードの列車爆破テロ以降、スペインで最悪の犠牲者を出す結果となってしまいました(地中海ブログ:東さんの「SNS直接民主制」とかマニュエル・カステル(Manuel Castells)のMovilizacionとか)。

事件の詳細については日本でも各種メディアが取り上げているので、そちらを見て頂くこととして、当ブログではそこには出てこない情報や、僕の観点から見た今回の事件の背景などを少しメモ代わりに書き留めておこうと思います。

先ず僕がこの第一報を聞いたのは、ボストン現地時間の木曜日のお昼頃のこと、TwitterにLa Vanguardia紙の緊急ツイートが流れてきた時でした。その時はMITの研究室にいて、とあるプロジェクトのミーティング中だったのですが、この事件の異常性に直ぐに気が付き、そのミーティング中もずっとEl Pais紙とLa Vanguardia紙のホームページを眺めていたんですね。

その時点では(つまりは事件発生から30分後)、La Vanguardia紙は「テロリストによるもの」という報道をし、El Pais紙は「テロかどうかはいまだ不明」としていました。個人的に(そして多くのスペイン在住の知識人達もそうしていると思うのですが)、新聞記事の質としてはEl Pais紙の方が他のどの新聞よりも圧倒的に上な為、El Pais紙の報道状況を見た上で、その事件の詳細を判断する様にしています。

事件当初の報道では、犠牲者は2人であり負傷者も少数という感じだったのですが、時間が経つにつれ、その数がどんどんと増えていき、最終的に13人にまで膨れ上がりました。また事件の動画が次々とアップされるに従い、今回の事件がかなり大規模であることなどが分かってきたんですね(日本とは違い、スペインでは死者や負傷者などもモザイクを入れることなく新聞社のサイトにアップされます)。またこの時点では、「ボケリア市場で銃撃戦があった」だとか、「犯人は人質をとって近くのバルに立てこもり中」だとか、とくかく様々な憶測や情報が錯綜していた状況でした。

これらを一番最初に耳にした時、僕が思ったことは、「何かおかしいな」という違和感でした。というのも、「なぜこの時期にテロ?しかもランブラスで?」と思ったからです。

実はバルセロナでは先々週から空港のセキュリティ会社が断続的なストを敢行していて、先週の月曜日からはそのストが24時間体制で行われていたんですね。当然バルセロナ空港は大混乱に陥り、その緊急対策としてスペイン警察が多数補助に入っているという状況でした。つまりは「通常よりも多くの警察がバルセロナ近郊に待機している」という状況だった訳です。勿論、このことはテロリスト達も承知していた訳で、「そんな状況でテロなんてやるかな?」と思ったんですね。

空港がストをしている関係で、街中(特にランブラスなど)には通常よりも多くの観光客が集まりやすい、、、ということは確かに言えるかもしれなくて、そうするとテロリスト達にとっては好都合(より多くの人を殺傷することがテロの目的の一つだとするならば)だったかもしれないけれど、ランブラス大通りには通常モードでも十分過ぎるほどの観光客が集まっているので、そこに少しぐらい観光客が増えたとしても、そんなに影響力は変わらないんじゃないか、、、と思います。

それよりも、バルセロナ近郊に通常よりも多くの警察が配置されているということの危険性の方が、彼らにとってはより重要なのではないか、、、つまりはそんな状況の中で、「なぜ彼らは今この時期にテロをしなければならなかったのか?」、別の言葉で言うならば、「彼らには今テロを実行しなければならない、何か別の理由があったのではないか?」、というのが、僕が最初に感じた違和感でした。

そしてもう一点。なぜ犯人達はランブラスを狙ったのか?確かにランブラスはバルセロナの観光名所の一つであり、上述した通り、特別イベントの有無に関わらず、常時「歩行者でごった返している」ということを考えると、テロの標的としてはこの上ないとは思います。しかし、それだったらサグラダファミリアの方が効果的なのでは、、、とか思ったりする訳です。メディアの見出し的にも「バルセロナのランブラス大通りでテロ」よりも、「サグラダファミリアでテロ」の方がインパクトがありますからね。

更に不可解だったのは、その後犯人達が逃げたルートが、北ではなく南だったという点について。事件発生から数時間後には犯行グループの一人が使用した車が、バルセロナ郊外のSant Just Desvern(ボフィールのWalden7の前あたり)で見つかっています。ここから分かることは、犯人グループは南へ逃げようとしていたという事実です。普通、バルセロナでテロなどを起こしたら、逃げ道としては南ではなく北を選ぶのが妥当なんじゃないかなー。確かにアンダルシアからモロッコへという道もあるだろうけど、フランス国境を経てヨーロッパへという経路の方が逃げ延びる可能性があるのでは、、、とか思うんですね。

これら3点が僕がこの事件を聞いた時に瞬時に感じた違和感でした。そしてそれらの違和感は、今日(日曜日)のEl Pais紙とLa Vanguardia紙を通した報道を見るに付け、色々と腑に落ちる状況となってきています。

先ず今回の事件の主犯格は、な、なんと、Ripollのイマーム(イスラム教の指導者の意味)だという報道がされています。カタルーニャ、もしくはスペインの歴史を少しでもかじったことがある人なら、「Ripollのイマームかー」と言う感じでしょうか。。。

彼の表の顔は、近所にも評判が良いごくごく普通のイマーム。しかしその裏の顔は、イスラム過激派に属していた人物だったそうです。その彼が、地元の若者数名を洗脳し、テロリストへと仕立て上げていったのでは、、、、というのが現在の警察の見方です。今日の新聞にはそれら若者の家族のインタビュー記事などが掲載されていたのですが、家族は全く何も知らなかったこと、そんな仕草さえも全く見せなかったことなどが強調されています。

そしてそのイマームは度々南の方に旅行に行っていたらしく、カタルーニャとバレンシアの国境付近に位置する人口1万人弱の小さな村、アルカナー村の一角にあるアパートを1年ほど前から占拠していて、そこが今回のテロリスト達のアジトだったということが分かってきました(テロが起こるまで、そこを占拠しているのが一体誰なのかは誰も知らなかったし、そんなことは村の住民も気にもしていなかったそうです)。彼らはそこを爆弾などを作る実験室として使っていたそうなのですが、実は今週水曜日の夜にそのアパートが原因不明のガス爆発により吹っ飛んでいて、2人が死亡、1人が重傷を負っています。死亡した内の1人が、上述したリポイのイマームだと見られていて、警察がいまDNA鑑定などをしている真っ最中です。また、このイマームはブルッセルなどにも度々旅行に行ってることなどから、そこにも何らかの繋がりがあるのではと見られています。

ここまで分かってくると、冒頭で僕が感じた「違和感」にもかなりのヒントが示された気がします。

先ず、「警察がウヨウヨしているこの時期に、なぜテロリスト達はテロを実行しなければならかったのか?」

それは、水曜日の夜の時点で、主犯格の男(つまりはリポイのイマーム)が不意の事故により死んでしまったからです。この事故はテロで使うはずだった爆弾を作っていて誤って爆発したと見られています。この事故によりリーダーを失ってしまったこと、そして時間が経てば経つほど、その爆発の詳細を警察が調べることにより、一年前から着々と準備していたテロとの繋がりがバレてしまうのでは、、、という焦り。

上述した様に今回のテロは前々から周到に準備されたものだったことは間違い無いのですが、それが直前になって、「そうせざるを得なかった」という事情がどうもある様に思えるんですね。つまり彼らはいまこの時点でテロを起こさずにはいられず、それが計画性のない現場のドタバタ感に現れていると読むことが出来るのです。

そしてこのことが2点目の疑問にも答えを与えてくれます。「なぜ犯行グループはサグラダファミリアを狙わなかったのか?」。現時点で報道されている記事を読むと、犯行グループは「サグラダファミリアを当初からテロの標的にしていた」らしいのですが、水曜日に起きた事故によって彼らは仕掛けるはずだった爆弾を失っています。それが最終的にサグラダファミリアでの爆撃がなかった理由だということが分かってきました。

そして最後の疑問、「なぜ彼らは北ではなく南へ逃げたのか?」について。それには2つの可能性があって、1つ目は彼らの本拠地が南にあったからという点、もう1つは(上述した様に)「彼らの犯行はよく考えられたものではなく、行き当たりばったり感満載」だという点です。

先ずバルセロナから市内を通らずに逃げる為には山側の環状線か海岸沿いの環状線を通って高速に乗るしかありません。しかし今回の事件が起こってからの警察の動きは素晴らしく、既に両環状線は封鎖されていました。

ランブラスを迷走した犯人はその後ワゴン車を乗り捨て、近所をたまたま走っていた車を止めて運転手を殺害し車を奪い逃走。Diagonal大通りを北上したのですが、そこを検問していた地元警察に尋問され掛かったところを強引に突破。近郊の町(Sant Just Desvern)で車を乗り捨て逃走しています。つまり犯人はDiagonalから南へ、もしくは内陸部へ逃げようと計ったのですが、この逃走ルートは果たして最適だったのか?という疑問です。これも「事前にあまり計画されず、行き当たりばったりで行われた」と考えれば合点がいきます。

今回のテロでは、100名以上にも及ぶ被害者・負傷者が出てしまい、上述した様に2004年のマドリード以来の大惨事になってしまった訳なのですが、それでも様々な幸運が重なり、それは最小限に食い止められた、、、と言うことが出来るかと思います。当初の予定通り、サグラダファミリアが爆破されていれば、もっと多くの犠牲者が出ていたことは容易に想像出来ますし、今回の事件に爆弾が使われなかったことも不幸中の幸いだったと言えます。

それにも増して素晴らしかったのは、カタルーニャ警察とスペイン警察の迅速な対応です。また、日本では全く報道されていないし、その存在さえ知られていませんが、バスクの警察、Ertzaintzaが今回の事件に多大なる貢献をしてくれたことが大変大きかったと思われます。バスク警察のテロに対する知識と経験は確実にワールドクラスです(地中海ブログ:速報:バスク地方の独立を目指す民族組織ETAがテロ活動を永久に停止すると発表)。なんせ、長年ETAと戦ってきた実績がありますからね。そのバスク警察との連携により、今回の事件がかなり早い段階で解決できたことは強調してもし過ぎることはありません。

これが現時点で分かっていること、そして日本では報道されていない今回の事件の背景です。

昨日(土曜日)、スペイン国王夫妻がバルセロナを訪れ、テロ現場や負傷者を訪問している姿が映し出されていました。また、今日(日曜日)はサグラダファミリアでミサが行われ、来週土曜日には「我々はテロには屈しない」という意味合いの、「なにも恐れない(No tinc por)」を合言葉に、市内を練り歩く大行進が予定されています。

そう、これがバルセロナの強さであり、バルセロナの底力なのです。 バルセロナの1日も早い復興を心から願っています。

追記1:

今回の事件でランブラスで犠牲になってしまった観光客は世界35カ国から来ていて、それ自体がバルセロナという街が如何にコスモポリタンな都市に成長したかと言うことを表していると思うのですが、その一方で、地元ではカタルーニャ州政府がカタラン人の犠牲者をスペイン人の犠牲者と別枠でカウントしていることが問題となっています。これはつまり、「カタルーニャは独立国家だ」と言いたいんでしょうが、この様な緊急事態に政治を持ち出すのはどうかな、、、と個人的には思います。もう一つちなみに、上述の空港のストですが、セキュリティ会社は「今回のテロで、早く家に帰りたい被害者の方々もいるだろうことを考えると、我々はストなどしている場合ではなくなった」という理由から、空港は通常モードに戻っています。

追記2:
今日の新聞(08/21/2017)によると、犯人はボケリア市場付近でワゴン車を乗り捨て、そこからZona Universitatまで歩いて移動。そこで停車中だった車の運転手を殺害して車を奪い逃走、、、ということでした。

追記3:
月曜日(08/21/2017)の16:10時頃、バルセロナから内陸へ1時間ほど行った所にある村、Subiratsにて、爆弾らしきものを腰に巻き、銃を持った犯人らしき男を地域住民が発見、警察に通報。17:05時頃、警察に対して発砲を始めた為、犯人を射殺したそうです。

| - | 07:00 | comments(8) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
神戸市とバルセロナ市の連携プロジェクト
今年(2016年)6月、神戸市とバルセロナ市の連携プロジェクト:「まちづくりICTをテーマとするデータビジュアライズの国際ワークショップ」をバルセロナにて開催します。
←お申し込みはこちらからお願いします。
 

 
この企画の目的はズバリ以下の2点:
 
1. バルセロナ市のオープンデータ・ビックデータ分析とその政策手法を、参加型ワークショップを通して実際に体験してもらうこと。
 
2. バルセロナ市におけるオープンデータ・ビックデータ政策関連部署・機関を訪問することによって、バルセロナ市役所の政権交代に左右されない長期的な関係性を築くこと。
 
 
 
スマートシティの分野でトップを走るバルセロナは、オープンデータの分野でも世界的なリーダーと見做されています(バルセロナのスマートシティ政策についてはこちら:地中海ブログ:スマートシティとオープンデータ:データ活用によるまちづくりのイノベーション(横浜))。都市に関する様々なデータを非常に使いやすいフォーマットで提供し、それらを市民の皆さんに自由に使ってもらうことによって新たなる価値を生み出そうとしているんですね。

かくいう僕も、バルセロナ市に関する研究論文を執筆する際などは、バルセロナ市役所のオープンデータカタログから関連データを持ってきて、それを元に分析を進めることが多々あります。というか、それに慣れてしまっている状況下では、他都市の分析などを頼まれた際、「その都市に関するデータがオープンに使えるようになっていない」ということに違和感すら感じるようになってしまいました
←俗にいう職業病かもしれませんが、、、(苦笑)。
 
 
 
そんな雰囲気が漂うバルセロナにおいては、これら無償のデータを個人レベルで勝手に分析してみたり、それらを視覚化(ビジュアリゼーション)することによって、「自分たちが住んでいる都市への新しい見方を発見しよう」だとか、「自分たちが住んでいる地区の地域問題を浮き彫りにしよう」という動きが、それこそボトムアップ的に市民の間から現れるようになってきたんですね。
 
更に、それら市民側から上がってきた分析結果を踏まえ、バルセロナでは自治体側がそれらの提言を受け入れながら市の政策に反映させるという好循環が出来つつあります。
 
 
 
「このようなサイクルが何故生まれてきたのか?」、「それは具体的にどのように行われているのか?」、「バルセロナ市役所は何故そのような、「データをオープンにするといった政策」に踏み切ったのか?」、そして「市民はこれら自治体の動きに対して実際はどう思っているのか?」
 
それらの疑問に答える為、今回はワークショップという形を取って、実際にデータに触れてもらうことでより良く理解してもらおうと考えました。具体的には、バルセロナ市が提供しているオープンデータを使って、それらを視覚化してもらい、それを元に現地の人達の前で発表。その上で、自治体関係者とのグループワーキングなどを通して、オープンデータ活用先進都市、バルセロナのやり方を身を持って学んでもらおうというのが今回の趣旨となっています。
 
 
 
今回はバルセロナ市役所情報局(IMI)とバルセロナ自治大学(UAB)の全面的な協力のもと、在バルセロナの多くの公的機関・私企業などを巻き込みつつ、講演会を含む様々なプログラムを組んでいます。マニュエル・カステル率いるカタルーニャ・オープン大学(UOC)のICTと社会学研究グループもサポーターとして参加してくれたり(地中海ブログ:東さんの「SNS直接民主制」とかマニュエル・カステル(Manuel Castells)Movilizacionとか)、最近日本でも出版された「俗都市化ありふれた景観グローバルな場所」の著者であり僕の元同僚、フランチェスク・ムニョス氏が在籍するバルセロナ自治大学地理学部も参加してくれる予定です。
 


それらワークショップに加え、バルセロナ在住15年の僕が、「この機関こそ、はるばるバルセロナに来てくれた日本人の皆さんが見なければならない公的機関!」という部署を厳選し、それら各機関を回りつつ責任者などに話を聞くプロフェッショナル・ツアーを同時に開催します。そのツアーには、バルセロナのオープンデータ戦略やe-Government戦略を根本から創り上げたバルセロナ情報局、ビックデータという言葉が巷に現れるずっと以前から、まちづくりにビックデータを活用した政策提言を行ってきているバルセロナ都市生態学庁、バルセロナのスタートアップ政策を一手に引き受けているバルセロナ・アクティーバと22@エリアの街歩きなどを予定しています。
←若干の変更があるかもしれません。
 


このようなワークショップやプロフェッショナル・ツアーを通して、バルセロナの政権交代に左右されない長期的な関係性の構築を目指します。また、EU関連機関や欧州委員会などを巻き込むことによって、今後の欧州プロジェクト(Horizon 2020)の立ち上げも視野に入れています。
 


僕が知る限り、今までこのようなプログラムが行われたことは、バルセロナでは勿論、欧州レベルでも無かったのでは?と思います。
 
それはひとえに、現地のキーパーソンを見極め、それらの人達ときちんとコンタクトを取り、実のあるミーティングをセッティングすることの出来る人材不足にあります。世界広しと言えど、欧州の自治体レベルの都市計画やICT政策に深く入り込んだ日本人はそれほど多くはないのが現状なのです!
 


それ故に、日本の自治体の方々は、毎年3月、もしくは9月頃集中的にヨーロッパ都市へ視察にみえるのですが、往々にしてそれらの視察は表敬訪問に終わってしまったり、ある特定分野における覚書きなどに留まってしまっているんですね。
←まあ、それはそれで大変有意義なアクションであることは間違いないとは思うのですが、それら表敬訪問や覚書きの問題点は、政権交代でバルセロナ市側の担当者が変わる度に連絡が取れなくなり、いつの間にかその関係性が消えてしまう、、、という点に尽きます。
←そうすると、それらのプロセスをもう一度初めからやり直さなくてはならず、それが4年毎に永遠と続く事となり、その為だけに莫大な税金がつぎ込まれることになるのです。
 


しかしですね、在バルセロナ15年の僕の経験と知識、そしてバルセロナの公的機関で働いてきた間に構築してきた個人的な関係性を駆使すれば、バルセロナ市との長期的な関係性を築くことが可能です。それは大変難しいチャレンジだとは思うのですが、僕がコーディネートすれば不可能ではありません。
 
今回企画した神戸市役所とバルセロナ市役所連携プロジェクトは、そのような長期的な関係性を築くという観点に立ち、「両都市にとって有益なものにしたい!」という一心で立ち上げたものです。
 
参加者の方々を始め、両市にとって実りあるものとなることは間違いありません。皆さん、ふるってご参加下さい!

追記(517日):
2日間に渡る今回の神戸バルセロナ国際ワークショップを開催する場所が遂に決定しました!!!
その場所は、、、、な、なんと、、、サグラダファミリアに対峙するサン・パウ病院内にあるCasa Asia(カサ・アジア)でーす。
 


 
サンパウ病院(Hospital de la San Pau)は、ガウディのライバルであり当時のスペイン建築界の巨匠でもあったリュイス・ドメネク・イ・ムンタネール(Lluis Domenech I Montaner)がデザインした、カタルーニャ音楽堂と肩を並べるカタルーニャが誇るモデルニスモ建築の傑作中の傑作です(地中海ブログ:リュイス・ドメネク・イ・ムンタネール(Lluis Domenech i Montaner)によるモデルニスモ建築の傑作、サンパウ病院(Hospital de la San Pau):病院へ行こう!どんな病気も直ぐに治るような気にさせてくれるくらい雰囲気の良い病院、地中海ブログ:国際博物館の日(International Museum Day):世界屈指のロマネスク美術コレクションが凄いカタルーニャ州美術館(MNAC))。
 

 
 
ちなみにサン・パウ病院は世界遺産に登録されていたりします。
 

 
 
ということはどういうことかと言うとですね、、、そうなんです!!!今回のワークシップはなんと、「世界遺産の中で行われるワークショップ」ということなんですね!
↑↑↑
自分で言うのもなんだけど、これはちょっと凄いことだと思います。世界遺産の中でワークショップをする機会なんて、そう滅多にあるものではありません。




このような素晴らしい場所を提供してくださったカサ・アジアに感謝感謝です!!

| 仕事 | 17:08 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
京都の学芸出版社で刊行記念レクチャーを行います。
昨年10月に出版された「海外で建築を仕事にする2:都市・ランドスケープ編」の刊行記念レクチャーを、編著者の福岡孝則さん、そして龍谷大学の阿部大輔さんと共に、今月末(1月29日)京都の学芸出版社にて行います。
←おめでとー、パチパチパチー(祝)。



テーマは「モビリティ&テクノロジーで公共空間をつくる:バルセロナ市都市生態学庁元担当者と語る」ということなので、バルセロナの歩行者空間計画やモビリティ計画などを中心にご紹介させて頂こうかな、、、と考えているのですが(←詳細は未定)、福岡さんはアメリカ、阿部さんはスペインと3人とも海外経験者なので、今後海外への留学を考えている人、海外で働きたいと思っている方々などにとっても面白いお話が出来るのでは?と思われます。



僕に関しては、「どの様にスペインに渡ったのか?」、「どの様に仕事を探したのか?」などについては既に書籍の方に書かせて頂いたので、ここでは書き切れなかったテーマを少し記してみようかな……と思っていたのですが、、、今回の書籍を編集担当された学芸出版社の井口夏実さんのインタビュー記事を発見してしまい、それがあまりにも面白かったので、そのインタビューを紹介しつつ、当日の議論の下地を作れたらと思っています。

下記のインタビューは、“建てたがらない建築士”いしまるあきこさんによる「ウェブマガジン「フレーズクレーズ」の連鎖「素敵な本が生まれる時」vol.3、「ボーダレスな時代を生き抜く仕事の見つけ方。〜学芸出版社〜として発表されたもので、インタビューに答えられているのが我らが井口夏実さん(学芸出版社取締役、編集長)。全文はこちらで見れますので、ご興味のある方はどうぞ。

下記の青色の部分が井口さん、いしまるさん、黒字の部分が僕が思った事です。

井口:建築は自分のデザイン(ポートフォリオ)さえ認められれば、現地の言葉が多少しゃべれなくてもどこでも仕事ができる、それってすごく羨ましいなとずっと思っていて。自分の実力だけでやっていくのは大変だろうけれど、すごくスリリングだろうなと思っていたんですね。

基本的に僕は、「言語というのはコミュニケーションのツール」だと思っています。文法が多少間違っていようが、発音が少しばかりおかしかろうが、相手にこちらの言いたいことが伝わればそれで良いのです。ちなみに、現在ヨーロッパに住んでいる日本人の中には「なんちゃってトリリンガル」な人がチラホラと現れ始めています(地中海ブログ:内田樹の研究室の「リンガ・フランカのすすめ」を読んで:何故ヨーロッパでは、ゆるいコミュニケーションである「なんちゃってイングリッシュ」が成功するのか?、地中海ブログ:2010年、今年最初のブリュッセル出張その2:バイリンガルを通り越してトリリンガルになる日本人達:なんちゃってトリリンガルが変えるかもしれないヨーロッパの風景)。
←言語学者とかに言ったらすっごく怒られそうですが、僕は建築家なのでこんな感じで大丈夫(笑)。それに(井口さんも示唆されている様に)、我々建築家は哲学者や文学者と違って「言葉だけで勝負する職種」ではありません。相手に言いたい事が伝わらなかったらスケッチや図を使えばいいのです。



さて、ここからは僕の勝手な想像なのですが、ヨーロッパは陸続きなので、各国間における人的な移動(モビリティ)が非常に高いんですね。だから隣近所を見渡せば、自国語を話さない外人だらけという状況が多々あります。その様な社会・文化的バックグラウンドを共有しない人達と共存し、互いを認め合ってきたのがヨーロッパという社会なので、彼らにとって「言葉による完璧な意思疎通が出来ないこと」は、生まれた時からの日常茶飯事なんだと思います。だから南ヨーロッパでは、我々(移民)にも、「自国語を完璧に話せ、そうじゃないと聞かない!」などとは言わないのです。
←北ヨーロッパは状況が少し異なる様に思いますし、アメリカも全然違う様に感じます。このテーマ(海外に住むこと・働くことにおける言語の問題)は是非、福岡さん、阿部さんと共に当日の議論の中で深めたい所です。

井口:私自身、ロンドンに留学して建築史や美術史を学んでいたんですが、文章の仕事をしようと思ったので、そうなると日本語しかないなと日本に帰ってきました。チャンスさえあれば今でも海外で働いてみたいですが。

これは僕の勝手な考えですが、概して外国語が上手い人は日本語が上手いと思います。というか、日本語が上手い人じゃないと、外国語は上手くなり得ないと思うんですね。外国語を身に付けようと努力すると、ある程度までは上達するのですが、もう少し向こう側にいこうとすると誰しも必ず壁にぶち当たります。その壁を乗り越えられるかどうか、どこまで到達出来るかどうかは、その人の母国語の基礎言語能力、つまり日本語の能力に掛かっているのでは、、、と個人的には思っています。

井口:一冊目の建築編『海外で建築を仕事にする 世界はチャンスで満たされている』の企画のきっかけは、編著者の前田茂樹さんがフランスのドミニク・ペロー事務所から帰国された際、海外の有名建築家の事務所にはだいたい日本人スタッフが居て活躍しているという話を聞いたことでした。ヘルツォーク&ド・ムーロンとかジャン・ヌーベルの建築事務所で働いている日本人を前田さん自身がご存じでしたので、ぜひみなさんに書いてもらおうって話になりました。

「その建築事務所が一流かどうかは、日本人スタッフが働いているかどうかを見れば良い」と言う冗談が、世界中の建築事務所で80年代くらいから言われていたらしいのですが、これは逆に言うと、世界の有名建築事務所、もしくは新興建築事務所には日本人スタッフ(もしくは学生)が1人や2人は必ず居るということを指し示しています。だから、知り合いの知り合いを通して「あの事務所、実はさー」とか、「いま、xx事務所で所員募集しててさー」という様な声がチラホラと聞こえてきたりするので、「世界の有名建築事務所の内部事情」というのは、簡単ではないにしろ、それなりに心に思い描く事が出来るのでは、、、と思うんですね。



その一方、シリーズ2冊目が主題にしている「都市計画、ランドスケープ」を扱っている建築事務所、もしくは各都市の市役所がどんな仕事を請け負って、そこの部署にはどんなキーパーソンがいて、、、といった情報は、有名建築事務所ほど流通していません。この分野で10年以上仕事をしている僕ですら、世界の何処で誰が何をやっているかなんて、この本を見るまで全く知りませんでした。だからこそ、今回の2冊目は非常に価値があると、僕はそう思っています。
←詳しくはこちらに書きました(地中海ブログ:海外で建築を仕事にする2:都市・ランドスケープ編、発売!)。

いしまる:海外で働いている人は、独自の日本人ネットワークがあるんですか?
井口:ヨーロッパでは特にそのようですね。前田さんがパリに居る間に人脈を築かれていました。


まず、アメリカの状況なのですが、ボストン(アメリカ)には「ボストン日本人研究者交流会」なるものがあり、ボストンに在住している日本人の中から毎回2人くらいが30分程度のプレゼンを行い、その後近くのレストランに移動してインフォーマルな食事会、、、というイベントが一ヶ月に一回のペースで行われています(参加者は毎回200人くらい)。その会に出席すると、参加者の名前、ボストンでの所属、日本での所属、連絡先などが書いてあるリストがお茶とどら焼きと共に手渡され(←ここ重要w)、「この人と仲良くなりたい!」とか思ったら、気軽にメールして、後日コーヒー飲んで、、、ということが日常生活の中で行われていたりするんですね。

この様な会が組織的に行われている点は、バルセロナとは明らかに違う点だと強く感じました。ただこれはボストンなど日本人研究者が比較的多く集まる都市に固有のことなのかもしれません。フィラデルフィアではどうだったのか等、福岡さんに是非お聞きしてみたいところです。



また、ヨーロッパの日本人ネットワークについて、(敢えて)全く別の視点から一例を挙げると、欧州在住日本人によるTwitter組、、、みたいなものがあったりします(←僕が勝手にそう呼んでるだけですが(笑))。

これはですね、欧州全体を巻き込んだ大イベントなどがあると、それを見ながら各国からリアルタイムでツッコミを入れあって楽しむ、、、みたいな、正にニコニコ動画のリアルタイム版みたいな感じだったりします(地中海ブログ:東さんの「SNS直接民主制」とかマニュエル・カステル(Manuel Castells)のMovilizacionとか)。

例えば、ヨーロッパ各国の意地と意地のぶつかり合い、欧州の紅白歌合戦と名高い「ユーロビジョン」というイベントがあります。これは一年に一度、各国代表の歌手が生中継で歌を披露して、そこにヨーロッパ全土からリアルタイムで投票を行うという、(色んな意味で)物凄いイベントとなっているんですね(地中海ブログ:ヨーロッパの紅白歌合戦ユーロビジョン2012)。

 

ちなみにこのイベント、各国から選ばれた歌手が歌を披露し合う和気藹々としたイベントかと思いきや、非常に政治的なイベントだったりします。一般視聴者とは別に、各国には「国として」の投票権が与えられているのですが、その投票先を見るだけで、ヨーロッパ地政学の縮図になっていたりします。例えば、フランスはどんなことがあってもイギリスだけには投票しないとか、スカンジナビア諸国は互いに票を入れあうとか、、、(笑)。

いしまる:海外にいる方とメールだけで出版できるっていうのも、新しい仕事のやり方ですよね。
井口:そう思いますね。今はゲラのやりとりもpdfでできるし。2000年に入社した頃は郵送しないといけなかったし、往復に時間もかかるし、海外の方とのやりとりは大変でした。


SNSで仕事の形態が変わった、、、というのは僕も実感する機会が何度もありました。

数年前のことなのですが、とあるミーティングの為にフランクフルトにいたことがあったのですが、たまたま打ち合わせが早く終わったのでシュテーゲル美術館を訪れたんですね。そうしたら丁度その日は小学校の団体が課外授業を行っていて、2階奥にあるルノワールの絵の前では女の子3人組が一生懸命写生をしている真っ最中でした。



大変衝撃的な光景だったのでTwitterでとっさに呟いたら、それが瞬く間にReTweetされまくり、この投稿をキッカケに公共空間系の講演依頼が激増しました。

また、村上春樹氏のインタビュー記事の影響はもっと衝撃的でした。「イベリア半島の片隅を拠点とするスペインの新聞なんて(日本人は)誰も読まないだろう」と村上氏が思ったかどうかは分かりませんが、インタビューの中で「1Q84の続編出します!」と口を滑らせていたんですね。ちなみに彼、日本では「続編は出しません!」と言っていたので、「こ、これは面白い!」と思い、その記事を直ぐさま全訳しブログ上に公開。その数時間後から日本のメディアは大騒ぎとなりました(地中海ブログ:スペインの新聞、La Vanguardia紙に載った村上春樹氏のインタビュー全訳)。

その拡散度とスピード感。新聞という大手メディアの一次情報がSNSに取って代わられる現場を目撃したのと同時に、「Twitterでここまでこれるのか!」と思った瞬間でした。

井口:私も建築を勉強していたら、絶対、海外の事務所にアタックしていただろうなと思いますね。ただ英語ができれば働けるわけではなく、自分の実力、しぶとさみたいなものが厳しく問われそうなんだけど、きっとそこで認められる喜びも大きいだろうな、と思うんです。

海外で働けるかどうか、それはズバリ「運」です。この辺りの話も書籍の中で少し触れたのですが、スペインでいう運とは、その日担当してくれた担当官の気分が良いかどうか、彼/彼女が書類に眼を通した時がバケーション前なのか後なのか、はたまたその日は金曜日なのか月曜日か‥‥ということなのです。
←個人的には、イギリスとかドイツ、北欧など、割と社会システムがきっちりしてそうな都市でも、上に書いた様な南ヨーロッパと同じ様なことが起こっているのか?という所を、是非他の著者の方々に伺ってみたいところです。



さて、海外で働くのに最適なステップの一つはやはり、現地の大学や大学院へ進学して状況を見つつ、生の情報を集めながら職を探すというのが一番良いのでは、、、と思っています(地中海ブログ:スペインで働くという選択肢:長期滞在を見込んだ建築家の場合その1、地中海ブログ:スペインで働くという選択肢:長期滞在を見込んだ建築家の場合その2:タイトル読み替え過程(Homologacion)について、地中海ブログ:スペインで働くという選択肢:長期滞在を見込んだ建築家の場合その3:短期滞在と長期滞在に取るべき戦略の違い)。

ヨーロッパの大学、もしくは大学院事情についてはことある毎に書いてきました(地中海ブログ:スペインの大学ランキング:総合ランキングではなく、学部間で競い合うというシステム、地中海ブログ:ヨーロッパの公立大学の授業料について、地中海ブログ:ヨーロッパの公立大学の授業料について、その2:スペインの教育システムの裏にある考え方)。また、前回の書籍に登場されたRCR事務所出身の小塙さんと藤井さんが企画されている短期留学体験みたいなオプションもバルセロナにはあったりします。

加えて、スペインの建築系の大学院に関しては、TOEFLやGREのような試験もなければ、厳格な入学審査(面接)のようなものもほとんどありません。また、学費も北ヨーロッパやアメリカに比べると格段に安く、近年は生活費が高くなってきたとは言っても、ロンドンやパリほどではありません。そういう意味において、南ヨーロッパへの留学というのは、北ヨーロッパ、もしくはアメリカへの留学と比べると「格段にお手軽かな、、、」という気はします。

では良いことばかりかというと、南ヨーロッパには「南なりのデメリット」も当然あります。その辺については当日のディスカッションで福岡さん、阿部さんと共に深めていけたら、、、と思っています。

井口:触れていただきたい内容は事前にお伝えしていました。建築論ではなく体験談として、海外へ出かけた動機、仕事の見つけ方、担当した物件、仕事の仕方、人との接し方、暮らし方、心がけ、目標、日本へ戻るきっかけや理由等々、です。特に海外にお住まいの方にはお会いしないまま書いていただくわけですから、一か八かみたいなところも正直ありますしね(笑)。

もう一つは、書き出しを揃えてもらいました。場所は違うけれども、現代という時間を共有していることが感じられるかなと思い、その日一日を振り返る描写で揃えてもらいました。

最終的に送られてきた原稿の中には、かなりリライトさせていただいたものもあれば、殆ど手を入れないものもありましたが、どなたも素直に、率直に書いてくださっていました。


初稿が真っ赤になって返ってきたのは僕です(笑)。かなりの部分が書き直し(ホントに真っ赤っかだったのです!)だったので、心配になってシザ事務所の伊藤さんに「い、伊藤さん、、、僕の原稿真っ赤なんですが、伊藤さんはどんな感じでした?」ってメールしたら、「あ、あれはですねー、出来の悪い人は真っ赤になるらしいですよ」っていう大変素直な返信があり(笑)、「や、やっぱりそうか!」と金曜日の夜に一人落ち込んでいたことも、いまとなっては良い思い出ですww
←ちなみにシザ事務所の伊藤さんも、前回の書籍「海外で建築を仕事にする」に書かれています。
←シザとのやり取りなどが巧みに組み込まれていて、すっごく魅力的な文章となっています。



井口:海外に限らないけど、人に直接会うことで情報や知見だけでなく別の人との出会いが必ずあるので、進路を開拓しようと思ったら自然とそうなるんじゃないでしょうか。

いしまる:建築に限らず、新天地というか、まったくコネがない場所で活躍するための術が実はこの本に載っているというか。


今回の書籍には15人分の人生が凝縮されています。各人がどのように考え、どのように海外へ飛び立っていったのか、そして彼の地でどのように仕事を選び、どのようにプロジェクトに絡んでいったのか、、、

それがそのまま他の人の人生になる訳では無いのですが、「海外へ出て行くということを人生の中にどのように位置付けるのか」を参考にすることは出来ると思います。そしてそのような視点で作られた書籍は以前は無かった様に思うんですね。

これは裏覚えなのですが、1980年くらいの「建築雑誌」に「海外留学特集」みたいなのがあって、当時の僕はその記事を穴が開くほど読んだ記憶があります。
←いや、僕の先生(渡辺純さん、ハーバードに留学)が寄稿されていたのです。
←あの当時、「今回のような書籍があったらなー」と思わずにはいられません。



いしまる:海外に行く予定はない、日本で仕事をしている人にこの本で何を一番感じてほしいですか?

井口:海外に行くかどうかは本当はあまり大事ではなくて「どこに居ても決まり切った進路の選び方なんて無いんじゃないの?」っていうことを感じてもらえたら嬉しいです。自分次第というか。


ここがこのインタビューの一番核心的なところだと思います。

「海外で建築を仕事にする」っていう本を出しておきながら何なのですが(笑)、実は海外に行くかどうか、海外で暮らすかどうかなんてことはあまり重要ではないと、僕も強くそう思います。

勘違いしている人が非常に多いのですが、海外には甘い生活が待っているとか、「海外に行けば何か面白いことができる」だとか、それは幻想に過ぎません。

他国で暮らすということは楽しいことばかりでは無く、くじけそうになることも多々あるし、全て投げ出してしまおうと思うことだってしばしばです。

また、見過ごされがちな事実として、我々日本人が海外で暮らすということは、「その国において移民になる」ということなのです。移民であるからには、定期的に移民局に行って何時間も待たされながらもビザを更新しなければならないし、「移民だから」と言う理由で仕事もかなり制限されます。

そしてそれは多分、その地域の文化を知れば知るほど、生活をすればするほど、「我々は日本人であり、この地では移民である」という事を思い知ることなんだと思うんですね。それが異文化の中で生きていく/生き残っていくということなのです。

では何故、僕はそんな思いまでして海外で働き、そして暮らしているのか?
←←←この続きは当日のディスカッションで。



井口:いざ企画書を書くときは、「どうしよう、めちゃくちゃ売れたら……」とか妄想しながら書いたりしちゃいます(笑)。


僕は書籍作りに関わらせて頂いたのは今回が初めてだったので、一般的に書籍がどういう風に作られるのか、編集側とのやり取りはどんな感じなのか、といったことに関しては全くの無知でした。

だから学芸出版社さんが僕にしてくれたこと、編集に関して井口さんが僕にしてくださったことが業界のスタンダードなのかどうなのか、それは分かりません。

しかしですね、彼女は僕の読みにくい原稿を一言一句丁寧に読んで下さり、僕の言いたいことを僕以上に理解してくれた上で、「こうしてはどうですか?」という適切なアドバイスを何度も何度もして下さいました。また、文章にあわせて載せる写真や図、スケッチなどを親身になって選んで下さり、その方向性に従って手直ししていくと、自分の原稿がみるみる良くなっていくのが分かる、そんな楽しい数ヶ月だったんですね。

もしかしたらこの様に親身になって執筆者の相談にのってくれるのは学芸出版社さんの社風かもしれませんし、もしくは僕を担当してくださった井口さんのお人柄だったのかもしれません。

でも、初めて参加させて頂いた本の担当が井口さんで本当に良かったと、いまでは心からそう思っています。

書籍作りを好きにさせてくれて、どうもありがとうございました!
| 仕事 | 11:06 | comments(1) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
バルセロナ・オープンハウス2013:その地域に建つ建築(情報)をオープンにしていくということ
先週末(10月19日−20日)、バルセロナでは通常入る事が出来ない150以上にも及ぶ公共建築や私邸、はたまた一般企業の本社屋などを一般公開するイベント、オープンハウス(アーキテクチャー)が行われていました。



オープンハウスなるものを世界に先駆けて始めたのはロンドンだと思われるのですが(1992年)、建築/アーバニズム王国として知られるバルセロナ市がそのイベントに参加し始めたのは意外にもごく最近、3年前のことなんですね(その辺の経緯については以前のエントリで少し書きました(地中海ブログ:オープンハウス in バルセロナ(48 OPEN HOUSE BCN)その1:ジョセップ・リナス(Josep Llinas)のInstitut de Microcirurgia Ocularに見る視覚コントロールの巧みさ)。



バルセロナのオープンハウスで訪れる事が出来た建築の中で特に印象に残っているのは、ガウディ建築の傑作の1つ、サンタ・テレサ学院(地中海ブログ:オープンハウスその4:ガウディのパラボラ空間が堪能出来る、サンタ・テレサ学院(Collegi de les Teresianes))、ガウディの影武者だった男、ジュジョールによるプラネイス邸(地中海ブログ:オープンハウス in バルセロナ(48 OPEN HOUSE BCN):ジュゼップ・マリア・ジュジョール(Josep Maria Jujol)のプラネイス邸(Casa Planells))、そしてカタルーニャが生んだ近代建築の巨匠、セルトによるパリ万博スペイン共和国館(地中海ブログ:オープンハウス in バルセロナ(48 OPEN HOUSE BCN)その3:ホセ・ルイ・セルト(Josep Lluis Sert)のパリ万博スペイン共和国館)などなど。



僕にとって建築というのは表象文化であり、「その地域に住む人達が心の中に思い描いていながらもなかなか形にする事が出来なかったものを一撃の下に表す行為」、それが建築だと考えています。つまり建築とは、地域で共有されている情報の可視化(ビジュアライゼーション)であると捉える事が出来、それが根差している地域社会における記憶であり情報の集積であり、代々受け継がれてきた(もしくは受け継がれていくべき)資産でもあるのです。



この様な「建築=地域の情報」をオープンにしていくという行為は、その地域に住んでいる市民の皆さんに自分達の街についてより良く知ってもらうという行為を通して、「自分達の街の誇り」や「地域固有の問題」などについて深く考えてもらう良い機会になると共に、(この様な情報の共有は)成熟した社会、ひいては民主主義にとって必要不可欠なプロセスだとも思います。



‥‥僕は長い間、「街中のどの様な要素が、その街の人々のアイデンティティ、はたまた市民意識を育むのか?」という事に大変強い関心を払ってきました。何故ならそれこそ都市を創造する/再生する際の基本要素だと思うし、バルセロナの都市戦略/都市計画が成功した理由の1つだとも思うからです(地中海ブログ:何故バルセロナオリンピックは成功したのか?:まとめ)。



とは言っても、僕なんかがそんな大それた問題に答えられる訳もなく、今まで手探りでバルセロナの中心市街地活性化に関わりながら考え続けてきたんだけど、そんな僕の経験から言わせてもらうと、ヨーロッパ、特に集まって住む事を喜びとしてきた地中海都市の人々にとっては、「その町に変わらず存在する街角の風景こそ、そこに住む人々の心の拠り所、はたまたアイデンティティの原点になっているのかなー?」と、漠然と思う様になってきたんですね。

そんな事を思う様になったのは、3年程前から夏のバカンスで訪れているスペイン北部ガリシア地方にある村(人口400人程度)での滞在がキッカケでした(地中海ブログ:ガリシア地方で過ごすバカンス:田舎に滞在する事を通して学ぶ事)。



周りを山に囲まれた大自然の中にあるこの村には、ローマ時代に創られた小さな小さな橋が1つ残っているのですが、この村に暮らす人々にとってこの小さな橋はこの村の誇りでありシンボルであり、親もその親もそのまた親も、ずーっと見てきた変わらない風景なのです。



だからこそ、その村では誰しもがその橋に纏わる思い出の1つや2つ持っていて、「この橋のここの石、私が小さい頃にはね‥‥」みたいな世間話が近隣同士で自然と発生し、その様な記憶を地域全体で共有する事が出来ていたのです。そしてもっと重要な事に、その様な意識が次第に(というか自然に)この橋をこの町のシンボルにまで押し上げ、ひいては「その風景を地域として守っていこう」という共有意識が生まれるに至っているのです。

‥‥「あれ、これってバルセロナでも同じ様な事が行われているよなー」と、僕が気が付いたのはごく最近の事でした。



それにはバルセロナの都市形態が深く関わっているのですが、と言うのも、地中海都市というのは概してコンパクトであり、人々は「密集して住まなければならなかった」が故に、「どの様にしたら楽しく集まって住む事が出来るのか?」、「どうすれば高密度の生活に彩りを与えられるのか?」という事を数百年に渡って考えてきたからです。逆に言えば、地中海人とは「集まって楽しく住むこと」のエキスパートでもあるのです。



そんな歴史的熟考の上に考え出されたのが、公共空間を核とした生活様式だったんだけど、つまりは「自分の家のリビングは狭いけど、家の目の前にはリビングの延長としての日当りの良いパブリックスペースがある」という考え方です。だから、その様な「自分の庭」を何処の馬の骨とも分からない建築家に勝手にいじられようものなら(例えそれが有名建築家であろうがなかろうが)物凄い批判が飛んでくる訳ですよ!



その事を実際に目にする機会を得たのは今から数年前、バルセロナのグラシア地区に新しく建った公共図書館とその為に整備されたパブリックスペースを巡って引き起こされてしまった大変衝撃的な事件を通してでした。



スペインでは巨匠の部類に入る建築家が公共空間をデザインしたのですが、そのデザインを見た市民からモーレツなダメ出しをくらってしまい、その事を全国紙が大々的に報じて社会問題にまで発展してしまったんですね(地中海ブログ:レセップス広場改修工事(Remodelacion de la Plaza Lesseps)に見るバルセロナモデル(Barcelona Model)の本質)。



どんなデザインだったのかというと、まあ、建築家が大好きな「記号」や「引用」を使いまくった大変奇抜なものだったんだけど、市民の間からは「何?あれ!意味分かんない」みたいな意見が続々と寄せられ大バッシングの嵐、嵐、嵐!!



この事件が僕にとって大変衝撃的だったのは、都市の変化に対して市民が大変鋭い目を光らせているということ、そしてその目からは幾ら巨匠建築家であろうと逃れられないという事実でした。



逆に言えば、その様な市民の目が機能しているからこそ、建築家も本気で風景を考えなければならないし、この様な正のフィードバックが働いているからこそ、地中海都市の風景は保持されてきた訳で、バルセロナでは公共空間が昔から重要視されてきた所以でもあるのだと思います。何故ならその様な議論というのは、いつ如何なる時も公共空間から沸き上がってくるものだからです(地中海ブログ:東さんの「SNS直接民主制」とかマニュエル・カステル(Manuel Castells)のMovilizacionとか)。



その一方で、「この様な事が何故可能になったのか?」を解明し説明するのは決して簡単な事ではありません。そこには幾つものレイヤーが入り込んでいて、それらが様々なフィードバックを起こしながら1つの現象を形作っているからです。



しかしですね、その様な市民意識、はたまた地域への愛着の様なものが生まれ、それが市民の間に共有される様になった1つのキッカケは、そこに変わらず存在する風景や建築が「情報として」、その地域に住む人々に共有されていたという事が挙げられるのでは?‥‥と思います。



そしてもっと重要な事に、「自分達が住んでいる街についてより良く知ってもらおう」という意欲を、市民側だけでなく行政側も良く理解し、市民と一体となりながら様々なイベントを通して、正に市民の為に、ひいては自分達の街の為に情報を公開する事に惜しみない努力を注ぎ込んでいる‥‥、そしてその様な1つ1つの小さな積み上げこそが「現在のバルセロナのかたち」を創り上げたと言っても過言ではないのです。

‥‥と、そんな事を思いつつ、今年もオープンアーキテクチャーにレッツゴー!

追記: 今年(2013年)のオープンハウスは例年とは違い、ちょっとビックリする様な試みが為されていました。それがコチラ:



50ユーロ払うと列に並ばなくても直ぐ建物に入れるという「ビジネスクラス」みたいなチケットを販売していたんですね。「む、む、む‥‥50ユーロか‥‥ちょっと高いけど、一度経験するのも悪く無いかも‥‥」とか思いつつも購入する事に。そしてこれが大成功!

と言うのも、このイベントで大変悩まされてきた事の1つに、「何処に行っても人、人、人」という混雑が挙げられるからです。そうすると、どういう事になるかと言うと、1つの建物に入るのに1時間待ち、他の建物に行ったら行ったで、人気の建物は予約が必要で結局入れず(悲)‥‥という様なストレス満載の状況が多々発生する訳ですよ!

今回の試みはこの様な混雑を少しでも解消しようと実験的に導入されたらしいんだけど、これが大当たり!何処に行っても直ぐに入れて、おかげで今年は見たいものを全て見る事が出来ちゃいました。大満足です!!!

JUGEMテーマ:アート・デザイン
| バルセロナ都市 | 05:10 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
何故バルセロナオリンピックは成功したのか?:まとめ
スペイン北部(ガリシア)に広がる大自然の中で、ど田舎生活を満喫しているcruasanです。



とりあえずバケーション初日の昨日は、家の真ん前にある昔ながらのパン釜を使っているパン屋さんにパンを買いに行ってきました。



毎朝8時と13時キッカリにパン釜から出されるこのパンは、外はカリッとしてるのに、中は信じられないほどホクホク。このアツアツのパンに、この地方でとれた濃厚なバターとハチミツ、そしてワインを並べると、もう3つ星レストランも顔負けの食卓に早変わり!しかもこんなに美味しいパンが一本1ユーロ(100円程度)。田舎サイコー!!



さて、僕が田舎生活を満喫している最中、世界中の人々の眼を釘付けにしていたのがブエノスアイレスで開かれたIOC(国際オリンピック委員会)総会であり、皆さんご存知の通り2020年のオリンピック開催都市は東京に決定したのですが、(その事を受け)早くも僕の所に幾つか質問らしきものが来ているので今日はその話題を取り上げようと思います。



まあ何の事はない、オリンピック史上最も成功した事例の1つとして語られている「バルセロナオリンピックについて」、更にはその際に行われた「都市計画と都市戦略について」なのですが、「オリンピックを契機としたバルセロナモデルについて」は、当ブログで散々書いてきた通りだし、逆に言えば当ブログで書いてきた以上の事があるとは思えないので、それを僕の視点から少し纏めておこうかなと思います。

(注意)僕の視点というのは、バルセロナ市役所そしてカタルーニャ州政府に勤めた経験を踏まえて、「バルセロナの外側から」というよりは、「バルセロナの内側から実際にバルセロナの都市計画を担当、実施した立場から見たらどう見えるか?」という文脈です。



バルセロナという都市がオリンピックを契機として大成功を収めた理由、それは先ず、この都市がおかれた歴史的背景を考慮する必要が多分にあると思います。というか、僕の眼から見たらそれが全てだと言っても過言ではありません(地中海ブログ:もう一つの9月11日:カタルーニャの場合:グローバルの中に息づくローカリティ、地中海ブログ:(速報)カタルーニャ州議会選挙2012:カタルーニャ分離独立への国民投票は実施されず!)。



70年代半ばまで続いたフランコによる独裁政権時代、バルセロナは中央政府に嫌われていた為に教育や医療を含む都市インフラへの投資が十分に行われず、生活インフラの多くの部分を近隣住民自らが組織化しなければなりませんでした(地中海ブログ:バルセロナモデルと市民意識、地中海ブログ:レセップス広場改修工事(Remodelacion de la Plaza Lesseps)に見るバルセロナモデル(Barcelona Model)の本質)。



この時の経験がバルセロナにおける近隣住民ネットワークを(世界的に見て)大変特別なものに押し上げ、ボトムアップ的に(教育や病院の)カリキュラム(=ソフト)を自らで構築する事を可能にしたんですね。重要なのは、それら適切なプログラムが作られた後で、「建物としての形」を与える為の資金が流れ込んできたという順序です(オリンピック誘致が決定したのは1986年)。つまり「ソフト(=プログラム)ありきのハード(=建築)」を計画する事が出来たということなのです。普通は反対で、「ソフト無きハード(=箱モノ)」になりがちなんだけど、バルセロナの場合は歴史的背景からその過程が逆になり、正にその事が功を奏したということです。



また、この地方特有の問題としてよく取り上げられる「アイデンティティ」という観点から、1975年まで続いたフランコ政権が崩壊し民主主義に移行するにあたって、カタルーニャに言語や文化を含む表現の自由が認められたということがバルセロナオリンピック開催にあたって非常に大きな意味を持っていたと思います。



中央政府により押さえつけられていたカタルーニャの社会文化的アイデンティティが解放された当時(1970年代後半)、カタルーニャ社会全体を包んでいた高揚感が凄まじかった事は想像に難くありません。昨日までは自分達の言語(カタラン語)をしゃべろうものなら投獄され、外国語(カステリャーノ語)を使用する事を強要されていたのに、今日からはパブリックスペースで誰とでも「自分の言語で自由に話す事が出来る」、「自分の言語で書かれた本を読む事が出来る」といった状況が生まれた訳ですから。



こういう所から「公共空間「と「政治」が結び付き、南欧都市におけるパブリックスペースの重要性というものが立ち現れ、更には市民の間に公共空間の重要性が経験として共有される事になるのだと思います(地中海ブログ:美術の商品化と公共空間: Manuel J. Borja-Villel、地中海ブログ:FC Barcelona(バルサ)のマーケティングがスゴイ:バルサ・ミュージアムに見る正に「ゴールは偶然の産物ではない」)。



言語を通した社会変化という事についてもう少しだけ触れておくと、民主主義への移行直後というのは、カタラン語をしゃべる事が単なるファッショナブルだったのではなく(今、カタルーニャでカタラン語を使っている多くの若者は、歴史的認識やアイデンティティ、もしくは1つの政治的主張というよりも、「それ(カタラン語をしゃべる事)がカッコイイから」という意識が強い)、人間的で根源的な喜びですらあったのだと思います(地中海ブログ:カタルーニャの夢、地中海の首都:地中海同盟セレモニーに見る言語選択という政治的問題、地中海ブログ:スペイン語の難しさに見るスペインの多様性:ガリシア語とカステリャーノ語)。



そんな社会的に盛り上がっていた雰囲気の中、オリンピック開催という大きな目標を与えられ、「カタルーニャを世界地図の中に位置づけるぞ!」という気概の下、市民が一丸となってそれに向かっていったという背景こそ、バルセロナオリンピックが成功した1つの大きな要因であると僕は思います。というか、先ずはここを押さえなければバルセロナオリンピックの全貌を語る事は出来ません(この様な視点の欠如こそ、下記に記す魅力的なキーワードをちりばめた都市計画手法にのみ着目した多くの論考に見られる特徴の1つでもあるのです)。



で、(ここからは神憑っているんだけど)それら市民の思いを1つに纏め上げる圧倒的なカリスマ性を持ったリーダーが出現したということは非常に大きかったと思います(地中海ブログ:パスクアル・マラガイ(Pasqual Maragall)という政治家2)。当時のカタルーニャの政治に関して非常に面白いと思うのは、カタルーニャ左派(PSC)、右派(CiU)に関わらず、彼らの目的は「カタルーニャという地域をヨーロッパで最も魅力的な地域にすること」と共通していたことかな(地中海ブログ:欧州議会選挙結果:スペインとカタルーニャの場合:Escucha Catalunya!)。



更に、今回のマドリードによる2020年オリンピック誘致活動とは根本的に異なる点を指摘しておくと、フランコ時代から民主化移行を見越して世界中にちりばめられた政治的/知的ネットワークを駆使してオリンピックを成功に導いたその政治力ですね(地中海ブログ:国際オリンピック委員会(IOC)前会長のフアン・アントニオ・サマランチ(Juan Antonio Samaranch)氏死去、地中海ブログ:東さんの「SNS直接民主制」とかマニュエル・カステル(Manuel Castells)のMovilizacionとか、地中海ブログ:欧州工科大学院(EIT)の鼓動その1:マニュエル・カステルとネットワーク型大学システムの試み、地中海ブログ:サスキア・サッセンと世間話で盛り上がったディナー)。



この様な歴史的背景に後押しされつつ、戦略的に都市計画を成功に導いていったのが、カタルーニャの建築家達が長い時間を掛けて練り上げていった都市戦略/都市計画です。例えばそれは、大規模イベントを利用して(長期的に目指すべき「都市のかたち」に基づきながらも)その都度局所的な都市計画を成功させてきたということが先ずは挙げられるかな(地中海ブログ:バルセロナのイベント発展型都市戦略とGSMA2010(Mobile World Congress 2010))。



1888年の国際博覧会ではそれまで中央政府(マドリード)による占領のシンボルだったシウダデリャ要塞を都市の公園に変換する事に成功し、1929年の国際博覧会では都市インフラとモンジュイックの丘の整備といったことなどですね(地中海ブログ:バルセロナ都市戦略:イベント発展型)。



また大規模な範囲を一度にスクラップ&ビルドするのではなく、「やれる事からやる、やれる所から手をつける」という現実的な計画からコツコツと始めたこと。つまりは小さな公共空間から車を排除しつつ木々を植え「公共空間を人々の手に取り戻す」という様に、市民に「我々の都市が日に日に良くなってきている!」と実感させた事は大きいと思います。



又、それら小さな公共空間を都市全体に挿入しつつ、それらをネットワークで結ぶ事によって、地区全体を活性化することに成功しました(地中海ブログ:グラシア地区祭り:バルセロナの歩行者空間プロジェクトの責任者だったけど、何か質問ある?)。これは言ってみれば、白黒(ネガ・ポジ)を反転させて都市における公共空間の重要性を視覚的に浮かび上がらせた「ノリーの図」を具体化したアイデアだと言う事が出来るかと思います(地中海ブログ:フランクフルト旅行その3:広告としての緑の都市計画)。



更に言えば、これら個々の都市計画の裏側には、色あせることの無い大変秀逸なバルセロナの都市戦略が横たわっています(地中海ブログ:大西洋の弧:スペインとポルトガルを連結するAVE(高速鉄道)について、地中海ブログ:ヨーロッパの都市別カテゴリー:ブルーバナナ(Blue Banana)とかサルコジ(Nicolas Sarkozy)首相とか、地中海ブログ:カタルーニャの打ち出した新しい都市戦略:バイオ医療( BioPol, BioRegio)、地中海ブログ:地中海連合(Union pour la Mediterranee)の常設事務局はバルセロナに)。



これは、バルセロナという「都市単体」ではなく、「地中海を共有する都市間」で恊働し、その地域一帯としての競争力を高めることによって、パリやロンドンといったメガロポリスに対抗するというアイデアです(地中海ブログ:Euroregion(ユーロリージョン)とカタルーニャの都市戦略:バイオ医療を核としたクラスター形成、地中海ブログ:シティ・リージョンという考え方その1:スンド海峡のエレスンド・リージョンについて、地中海ブログ:地中海の弧の連結問題:ペルピニャン−フィゲラス−バルセロナ間の高速鉄道連結計画の裏に見えるもの、地中海ブログ:バルセロナの新たなる都市戦略:ビルバオから学ぶバルセロナ都市圏再生の曙)。

これら上述した全てのことがらが複雑に絡み合いながらも絶妙なハーモニーを醸し出し、オリンピック開催という目標に向かっていった末に生み出されたのがバルセロナオリンピックの大成功だったのです。

では逆に、バルセロナオリンピックによって引き起こされた「負の面はないのか?」というと‥‥勿論あります。先ず挙げられるのはオリンピック村についての批判ですね。



ビーチと中心市街地に地下鉄一本でアクセス出来るエリア(Ciudadella Villa Olimpica)に選手村を大々的に建設し、オリンピックが終わった暁には低所得者向けのソーシャルハウジングとしての活用を謳っていたのに、蓋を空けてみれば中産階級向けの高級アパートに化けていたことが当時モーレツな批判を浴びていました(地中海ブログ:世界一美しい図書館:ポンペウ・ファブラ大学(Universitat Pompeu Fabra)図書館の一般立ち入り禁止エリアに入ってきた)。



また、「バルセロナ」というブランド=イメージを確立する為に、中心市街地から「汚いイメージ」=貧困層や移民、売春婦や麻薬関連などを駆逐し、市外や市内の一区画へ強制的に集めた結果、スラムが出来てしまったこと(地中海ブログ:バルセロナの中心市街地で新たな現象が起こりつつある予感がするその3:街頭売春が引き起こした公共空間の劣化、地中海ブログ:カタルーニャ州政府がスペイン初となる公共空間における売春を取り締まる規則を検討中らしい)。



更に悪い事に、極度の観光化の結果、歴史的中心地区はジェントリフィケーションに見舞われてしまいました(地中海ブログ:バルセロナの中心市街地で新たな現象が起こりつつある予感がするその1:ジェントリフィケーションとその向こう側、地中海ブログ:ビルバオ・グッゲンハイム効果とジェントリフィケーション、地中海ブログ:バルセロナの中心市街地で新たな現象が起こりつつある予感がするその2:逆ジャントリフィケーション)。



そしてこの様な「バルセロナの大成功」を真似ようとし、幾つかの都市が「バルセロナモデル」を輸入したんだけど、今まで述べてきた様な歴史的/文化的/社会的背景を全く考慮せず表面的に真似ただけだったので、元々そこに存在した既存の都市組織(Urban Tissue)が破壊されてしまったこと(地中海ブログ:パン屋さんのパン窯は何故残っているのか?という問題は、もしかしたらバルセロナの旧工場跡地再生計画を通した都市再活性化と通ずる所があるのかも、とか思ったりして)。

こんな所かなー。

これから先、オリンピック関係でバルセロナの都市計画、都市戦略、もしくはそれらに付随した「バルセロナモデル」について多くの論考が出てくるとは思うんだけど、それらは全て上記の何れかに分類出来ると思います。



あー、久しぶりに頭使ったらなんかすごく疲れちゃった。赤ワインと生ハム食べて寝よ。
| バルセロナ都市計画 | 00:59 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
バルセロナの食べ歩き方番外編:名古屋の食べ歩き方:滝カフェ、きらら
2年ぶりに日本に帰ってくるにつけ、原風景を含めた日本の社会文化の移り変わりの早さに只々圧倒されるばかりなのですが、そんな中でも「僕が特に変わったなー」と思う事の1つに、名古屋における近年の喫茶店の充実ぶりが挙げられます。



最近では様々なメディアがこぞってご当地グルメを紹介しているので知っている方も多いかとは思いますが、伝統的に名古屋には大変独特な喫茶店文化が存在します。と言うか、「名古屋のカフェ文化は変わってる!」と名古屋人が認識し始めたのは極々最近、それこそテレビ番組なんかが「地方の一風変わった食文化」を報道する様になってからの事なんですね。



例えば朝食の時間帯にはコーヒーを一杯頼むだけでトーストや卵といったものが付いてくる「モーニングサービス」があったり、そのモーニングに付いてくるパンに小倉を載せて食べてみたり(ちなみに小倉だけを頼む事も可)、とってもお得な9枚綴りのコーヒーの回数券が存在して、みんながそれを持っていたりと、名古屋の喫茶店文化とその特徴を語り出せばキリがありません。



「喫茶店(カフェ)、都市、文化‥‥」というキーワードを並べていけば必ず思い起こされるのが、公共空間の変容を謳ったハーバーマスなんだけど(地中海ブログ:東さんの「SNS直接民主制」とかマニュエル・カステル(Manuel Castells)のMovilizacionとか)、こんな独特なカフェ文化を目の当たりにすると、名古屋の喫茶店と言うのは正にヨーロッパにおけるカフェ=公共空間の様な機能を果たしているのかなー?‥‥と、そう思わない事もありません(そちらの話をし出すとまた脱線してしまうので、それは又別の機会にでも)。

と言う訳で、今日は僕が最近行った喫茶店の中でもナカナカ良かった、と言うか、ちょっと驚かされたカフェを紹介しようと思います。それがコチラ:



じゃーん、自然の滝を見ながら美味しい善哉が食べられる喫茶店、その名も「滝カフェ、きらら」です。

住所:(〒480−1201)愛知県瀬戸市定光寺町323−12
電話番号:0561−48−6669




ごくごく普通の住宅地が広がる高蔵寺駅から10分も車で走ると、俄には信じられないくらいの濃い緑が生い茂る風景が出現します。家々が立ち並ぶ人工的な街並みから、この圧倒的な自然への切り替わり方はちょっと凄い。今回お目当てのカフェは、この深―い緑の中、知らなければ絶対に通り過ぎてしまう様な場所に位置しているのですが、そんなカフェの駐車場兼入り口がこちらです:



「え、こんな所に本当に喫茶店なんてあるの?!」って感じなのですが、騙されたと思って標識に従って階段を降りていくと現れてくるのがこの風景:



緑の中に溶け込む様に設えられているテラス席と、そこからチラチラ見え隠れしている滝、そしてそこから大変心が癒される「滝の音」が聞こえてくるんですね。「あー、癒される〜!!」とか思いつつ、もうちょっと歩いていくと現れてくるのがこちら:



た、滝だー!生の滝なんて見たのは一体何年振りだろう‥‥って感じかな(笑)。正直、これだけでかなり興奮するwww。この滝沿いに屋外テラス席が並べられていて、それがそのままアプローチ空間となっています。



このアプローチ空間を言われるがままに歩いて行き、入り口を潜るとそこには我々を出迎えてくれるちょっとした売店兼エントランス空間が用意されていました。



この地方のお土産なんかを売っているこの空間を更に左手方向に折れます:



それほど大きくは無い空間の真ん中に2つのテーブル、そしてそこから更に左手方向に直角に折れると、そこに現れるのがこの風景です:



じゃーん、滝を真っ正面に見る事が出来るカウンター席の登場〜。これは気持ち良い!!



ほら、本当に手が届きそうな所に滝があるんですよー。水が岩に当たる音が非常に心地良く、更に青々とした森林の中に流れる滝はもう絶景としか言い様がありません!で、この滝を見ながらこのカフェで注文すべき一品がこちらです:



日本が世界に誇るべきお菓子、善哉セットです。



このぜんざいがコレ又美味しいんだな!1つ1つの粒がしっかりしていて、それほど甘過ぎず、しつこい感じは全く無し。ケーキセットも捨てがたかったんだけど、やっぱりこういう日本的な風景の中では、この国が育んできたモノを食すのが一番良いかと思います。

で、ここからが面白い所なんだけど、建築家の目から見て、お世辞にも「良い建物」とは言えないこの建築空間の中にさえも、我々日本人が長い年月を掛けて培ってきた「空間文化の様なもの」が垣間見えてくるんですね。



この土地における一番の特徴は明らかにココに存在している滝であり、逆に言えば、この滝の存在こそがこの土地を希有なものにしている要因である事は間違い無いのですが、そんな「掛替えのない滝」を、先ずはアプローチ空間でチラッと見せておきます:



その滝を横目に見せつつ、「敢えて」反対方向に進みながら入り口へと我々を導く仕掛けが施されています。



この時(入り口を入る時)、「我々には一切滝は見えていない」と言う所がポイントかな。先ずは耳だけで滝を楽しんで頂戴‥‥みたいな(笑)。そしてエントランスを入ったら、今度は進行方向とは90度直角方向(左手側)に強制的に進まされます。



更にそこから、もう一度左手方向に(直角に)方向転換させられてから、この空間のクライマックス的な要素である滝を「全面に見せる」という一連の空間的な物語が展開しているんですね。



‥‥と、ここまで書いてきて鋭い人は気が付いたかもしれませんが、そう、エントランスから最後のクライマックス的空間まで、この空間に展開しているのは正に「螺旋の運動」なのです。まるで渦を巻き、上方へと引っ張られる様な螺旋運動がこの空間を支配しているのです(地中海ブログ:パリ旅行その6:大小2つの螺旋状空間が展開する見事な住宅建築:サヴォワ邸(Villa Savoye, Le Corbusier)その1:全体の空間構成について)。



上述した様に、この喫茶店の建物自体には(そのディテールを含め)特筆すべき点はあまりありません。しかしですね、我々が驚くべきなのはこの空間に存在している「空間の流れ」という視点であり、一見平凡なこの建物に展開しているのは、それこそ日本の名建築に見られるのと同等の空間構成を伴った日本建築のDNAなのです。

こんな何気無い、どこにでも存在しそうな建物の中にすらも日本建築の特徴らしきものが垣間見えてしまうという事、意図せざる所にまでも日本的特徴が滲み出てしまうという点にこそ、逆説的に僕は「日本文化の特色」みたいなものを感じてしまいます。

この空間で頂く善哉も絶品だったし、大自然に癒されたい方は是非お立ち寄りください。
| レストラン:バルセロナ | 09:50 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
選挙に勝った直後に自分の給料を軒並み引き上げるって言う、スペイン政治家の何とも分かり易い政策
先月末に行われた統一地方選挙において、現政権についてる労働左派党(PSOE)が大敗し、野党第一党である保守系政党、民衆党(PP)が全国で勝ちまくった事は以前のエントリで書いた通りなのですが(地中海ブログ:スペイン統一地方選挙2011:バルセロナに革命起こる)、それから一ヶ月程経った先週中頃、ようやく全国各地の自治州や市役所の政権構成も固まり、各政党における政策の方向性なんかも見え始めてきました。

スペインでは政権が変わるとそれまで進んでいた政策やプロジェクトなんかが止まったり、酷い時にはオジャンになったりするのはよくある事なんだけど、そんな政治的混乱に乗じて、と言うか隠れて、「自分の給料を上げている市長がいる!」って言う俄には信じられない噂を聞きつけ、興味本位でちょっと調べてみたんだけど、出てくるわ、出てくるわ(笑)。

とある情報筋によると、今回の選挙で勝った90%以上の新市長が何らかの形で自分の給料を上げているとか何とか。しかもスペインでは現在、現政権に不満を募らせている若者なんかが全国各地でデモを引き起こし、たびたび暴動にまで発展するって言う非常事態に陥ってるにも拘らずですよ!(地中海ブログ: スペイン各都市で大規模デモ:「ジャスミン革命がスペインにも飛び火」って言われてるけど・・・)こういうのを、「思い切り空気読めてない」って言うんでしょうね。

ちなみにサパテロ首相は、スペインが経済危機に陥った当初、公務員の給料削減案を提案すると同時に、自分の給料を真っ先に減らすと言う、全く持って尊敬に値する行動を示しました(地中海ブログ:スペインの各自治州政府大統領の給料について)。もひとつちなみに、彼の給料は78.000ユーロ(日本円にして約850万円程度)で、この数字はカタルーニャ州政府大統領の約半分、カタルーニャ州政府高官よりも下となっています。

で、今回自分の給料を2倍にした人なんかをずばり発表しちゃうんだけど、先ずは、Valladorid州にあるPenafiel市の市長、Roberto Diezさん!彼は政権に就いた途端、市の財政支出を削減する事を発表したと同時に、自分の給料をいきなり2倍に跳ね上げたって言う強者!続いては、カタルーニャ州のCalonge de Segarra市の市長に就任したJordi Solerさん。彼の場合は倍とはいかないまでも、自分の給料を35%上げちゃいました。その一方で、彼の掲げる政策は勿論「経費削減」ですからね(苦笑)。で、ですね、今回もっとも非難されるべきなのがこの人:



元サパテロ政権ナンバー2だった、Maria Teresa Fernandez de la Vegaさん!!彼女なんて、今回の選挙で何処かの市長になった訳でもなく、ましてや選挙に勝ったんでもなく、強いて言えば負け投手のくせして自分の給料を上げてるって言うんだから驚きです。しかも今まで73.486ユーロだった自分の給料をなんと2倍の142.357ユーロに引き上げちゃいました!

この様な情報って、何も今になって公開され始めた訳じゃなくて、昔から「市民が知る権利」として情報公開されていたとは思うんだけど、そこに辿り着く為には色んな障壁があったりして、辿り着ける人って言うのは極々一部だったと思うんですね。更にその極々一部の人が得る事が出来た情報を一般市民に広めようと思っても、それは殆ど不可能だった訳ですよ。

しかしですね、「ジャスミン革命」を見るまでもなく、今やソーシャルネットワーク全盛の現代においては、そんな情報、何処からでも手に入るし、手に入った情報を世界中に広げる事なんてワンクリックで実現出来る時代に突入した訳ですよ(地中海ブログ:チュニジアやエジプトのデモでSNS革命と言うイメージが捏造されていったのは一体何故なのか?)。そしてその様なソーシャルメディアを駆使した一般市民による政権への圧力にかけては、スペインは間違い無く先進国だと言う事は以前のエントリで書いた通りです(地中海ブログ:東さんの「SNS直接民主制」とかマニュエル・カステル(Manuel Castells)のMovilizacionとか)。

先月の選挙以来、スペインでは現政権に不満を抱いている若者を中心としたデモが絶え間なく続いていて、殆ど暴動に発展しそうな緊張が走ることもしばしばになってきたんだけど、そんな彼らが出来る事、それは今回の様な政治家達の傍若無人な振る舞いをチャックすると言う、本来ならメディアが果たしてきた役割を担う事なんじゃないのかな?

少なくとも、その可能性はあると思いますけどね。

関連情報:今回の選挙後、自分の給料を上げた政治家リスト 名前:都市:所属政党:上昇率:給料

Roberto Diezさん:Penafiel市長(Valladolid): 民衆党(PP):100%:40.000ユーロ

Jordi Solerさん:Calonge de Segarra市 (Barcelona):CiU:35%:62.000ユーロ

Josep M. Puigbetさん:Bisbal del Penedes市 (Tarragona):ERC:33%:44.000ユーロ

Bernat Grauperaさん:San Andres de Llavaneras市 (Barcelona):CiU:31%:54.000ユーロ

Carlos Lavinさん:Penagos (Santander):Union Penagos:25%:25.500ユーロ

Tomas Foleさん:Villagarcia de Arosa(Pontevedra):PP:20%:60.000ユーロ

Angel Hurtadoさん:Almoradi (Alicante):PP:12%:52.500ユーロ Francisco

Toscanoさん:Dos Hermanas (Sevilla):PSOE:15%:61.100ユーロ

Josep Monrasさん:Mollet del Valles (Barcelona):PSOE:10%:65.000ユーロ

Fidel Prietoさん:Cajar (Granada):PP:12%:42.000ユーロ

Alberto Fabraさん:Castellon:PP:2%:77.500ユーロ
| スペイン政治 | 19:35 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
スペイン各都市で大規模デモ:「ジャスミン革命がスペインにも飛び火」って言われてるけど・・・
今、欧州関連で最もホッとな話題と言えば、IFMの専任理事、ドメニク・ストロス・カーン氏逮捕の問題だと思うんだけど、実は今、スペインが凄い事になってます。と言うのも、スペインの全国各地で数千人、数万人規模のデモが同時多発的に起こっていて、それを指して、「ジャスミン革命がスペインにも飛び火」と報道する新聞まで現れる程の事態に陥っているんですね。



個人的には今回のデモとジャスミン革命は全く関係が無くって、デモが暴動に発展する事は無いと思うんだけど、規模としては確かに凄くて、メディアで流れてくる映像なんかを見てると、各国の主要紙がアラブ諸国の革命と比べたくなるのも分からないでもないかな(ジャスミン革命についてはコチラ:地中海ブログ:エジプトの暴動とアラブ諸国への連鎖可能性に関するスペインの見方)。



このデモ、一体何に起因しているのか?と言うとですね、実は今週日曜日(5月22日)、スペインでは地方選挙が控えてて、現在のスペイン政治と市民の間に出来た深い溝、多くの市民が陥っている酷い生活状況を直視せず、それに真っ当な政策を打ち出そうとしない政治家や一部の利権保持者達などに、堪忍袋の緒が切れた人達が草の根的に集まってきたと言うのが、その始まりだったんですね。ついでに言うと、今回の選挙はスペイン史上、結構重要な転換点になる選挙だと見られていて、と言うのも、今まで全国の主要都市で政権を維持してきた労働左派(PSOE)が大敗すると言うデータが出ているからです。こちらの方は(本当に)ちょっとした革命で、スペイン民主化後、1979年から現在まで政権を維持してきたバルセロナやセビリアと言った労動左派にとっては居城とも言える様な大都市でさえ、大敗が予想されているくらいです。

では、今回のこのデモがこの「政権交代に関係があるか?」と言うと、その関連はあまり見られない様な気がします。と言うのも、全国の各都市で同時多発的に起こっているデモでは、「一つの政党を推す」とか、「現政権に反対だから、他の政党を応援する」と言った様な動きは全く見られないからなんですね。では一体彼らの目的は何なのか?それはこのデモのスローガンに良く現れていると思います:

“No hay pan para tanto chorizo”

このスローガン、直訳すると、

 「そんなに沢山のソーセージに合わせる為のパンは無い」

となるのですが、これは勿論比喩で、スペインでChorizoは泥棒を意味し、このコンテクストにおいて、Panはお金を意味します。つまり上述のスローガンは

 「そんなに沢山の泥棒達にやるお金は無い」

となるんですね。で、これが一体何を意味しているのか?って言うのが問題なんだけど、ここには、スペインが現在置かれている非常に根の深い問題、経済危機やそれに関連する高い失業率、そして沢山の国民達が抱えている、払いきれない程の住宅ローンなんかが関連していて、それらの利益をこうむっている極一部の人達、もっと言っちゃうと、政治家と銀行を指して、「泥棒」と言っているんですね。

日本ではあまり知られてないかもしれないけど、現在のスペインの状況は本当に酷くって、失業率は20%以上、25歳以下の若者に限ると、この数字が40%以上まで跳ね上がると言う状況が続いています。更に欧州委員会からのお達しで、政府は社会政策費の削減を余儀なくされてて、そのメスがとうとう教育や医療と言った、その社会における基礎の基礎となるインフラにまで入れられ、沢山の公務員達が職を失い、病人の為のベッドを確保出来ない病院まで出てきたり、ひいては、教室の暖房費や電気代が払えない学校まで出てくると言う事態にまで発展してきています。

そんな状況の中、先週日曜日(5月15日)に、マドリッドの中心街に数千人が座り込みをすると言うデモが行われ、その日以来、マドリッドのソル広場には日に日に人々が集まり出して、選挙の当日までテントなどを張って寝泊りすると言う現象が起こりました。この運動は瞬く間に全国に広がっていって、今ではバルセロナやセビリアを始め、全国の主要都市や欧州各国のスペイン大使館の前に人々が集まりデモを行うと言う現象まで見られる様になってきたと言う訳なんです。



冒頭に書いた様に、メディアから流れてくる映像なんかを見る限り、街路を埋め尽くした人々の姿はインパクト抜群で、「ジャスミン革命がスペインに飛び火」みたいな報道をしたくなるのも分からないでもないけど、僕が見る所によると、今回スペイン各地で起こっているデモとジャスミン革命は、一見似てる所もある事はあるんだけど、本質的には全く違うと思います。



先ず第一に、スペインは紛れも無い民主主義国家であり、アラブ諸国の様に独裁政権下で市民が民主主義を求める為に立ち上がったと言う状況とは全くコンテクストが違うと言う点が挙げられます。その反対に、似てる点としては、今回のデモがFacebookやTwitterと言ったソーシャルネットワーク(SNS)を通して草の根的に広がったって言う点が挙げられるんだけど、以前にも書いた様に、SNSなどを用いた草の根ネットワークによる選挙革命が世界で始めて行われたのは実はスペインなんですよね(詳しくはコチラ:地中海ブログ:東さんの「SNS直接民主制」とかマニュエル・カステル(Manuel Castells)のMovilizacionとか)。そういう意味で言うと、スペインにおいてデモなどがSNSを通して草の根的に組織されたと言う事はそれ程驚きではありません。

しかしですね、その一方で、市民の怒りは頂点に達していて、「ハッキリ言ってこれ以上我慢出来ない」、「変化が必要だ!」って言う空気が社会的に蔓延しているのも又確か。それはスペインに住んでいる人なら、誰しもが感じている事だと思います。

 数年前、日本の閉塞的な状況、そして未来が全く見えない状況の中、一人のフリーターが書いた文章が話題になった事がありました。

 「「丸山真男」をひっぱたきたい。31歳フリーター。希望は、戦争。」

スペイン人でこの文章の存在を知ってる人が居るとは思えないけど、多分、今スペインに住んでる人達にとっては非常に共感出来る内容じゃないのかな?(スペインのフリーターに関してはコチラ:地中海ブログ:スペインのニートはニニ(Ni Ni)と言うらしい:世界のニート事情

今回のデモが暴動に発展するとは僕には思えません。と言うか、思いたくありません。しかし、これ以上、政治家が市民の現状を省みず、現状を直視しない状況が続けば、今回のデモが暴動に発展しないと言う可能性が無いと言い切れない事も又確かです。それ程、現在のスペインの状況は切羽詰っていると言う事で、日に日に、スペインの空気はそちらの方に向かっている気がしない事も無いかな。とにかく、今週日曜日までは気を張った状況が続きそうです。

追記:
選挙が終わって1週間が経とうとしている今日(5月27日)、若者達を強制排除しようとした警察と若者との間に乱闘が起こり、事態はどんどん暴動に向かっている様に見えます。メディアでは警察に殴られて頭から血を流している人とかの映像がどんどん流れてくる。
| スペイン政治 | 06:29 | comments(3) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
チュニジアやエジプトのデモでSNS革命と言うイメージが捏造されていったのは一体何故なのか?
前回のエントリで書いた様に、先週バルセロナではレストランや映画館、美術館などが半額以下になるイベント、Barcelona Oportunity Weekを開催してたんだけど、各種メディアを独占していたのは先々週に引き続き、チュニジアを発端としたジャスミン革命、そしてエジプトのデモの動向でした。スペインのメディアでは連日連夜このニュースばかりで、時間が経つにつれ、周辺諸国を含めたかなり詳しいデータに加え、専門家達の分析なんかもそろそろ出揃いつつあります。新しいテクノロジーと市民運動なんかのエキスパートで、2004年に携帯メール(SMS)により組織された草の根的なネットワークが、当時のスペインの選挙に与えた影響(多分、SNSと直接民主主義関連の話としては世界初!)を分析したマニュエル・カステルは:

Wiki革命は、デジタルネットワークと象徴的な(フィジカルな)広場の交差上に出現した新しいタイプの公共空間で行われる」

“La wikirevolucion tiene lugar en el Nuevo espacio public resultante de la conexion entre redes digitales y plazas simboicas” (Manuel Castells, Comunicacion y revolucion, La Vanguardia 5 de Febrero 2011)


なんて言葉を使って、今回の出来事を分析しています(地中海ブログ:
東さんの「SNS直接民主制」とかマニュエル・カステル(Manuel Castells)Movilizacionとか)。もしくは、つい先日発売になった「フェイスブック:若き天才の野望:5億人をつなぐソーシャルネットワークはこう生まれた」の著者、David Kirkpatrickはスペインの新聞のインタビューに答えながら:

「ソーシャルネットワークは市民を活動家に変える」


“La red social convierte al ciudadano en activista” (David Kirkpatrick, La Vanguardia 3 de febrero 2011)


みたいな事言ってたりして、他の言論とか読んでても、どれもコレも今回の革命の根幹には、「近年広がりつつあるソーシャルネットワーク(
SNS)の影響が多大にある」って言う、目新しく、そして魅力的なアイデアがチラチラ見え隠れしている様な気がするんですね。

確かに今回の出来事に決定的な役割を果たしたのは
FacebookTwitterなんかのSNSって言う事は間違い無くて、そのポイントは見逃せないと思うんだけど、でも、あたかもそれらだけで、今回の革命が成し遂げられたと言うのには、ちょっと誇張がある様な気がしてなりません。

先ずアラブ諸国が置かれている状況って言うものの背景をキッチリ読まなきゃいけないと思うんだけど、そもそもチュニジアやエジプトではここ数年間、かなりの数のデモなんかが行われていて、例えばエジプトの場合では、過去
3年間で3000回以上のデモが行われ、去年の46日には、大規模なゼネストが決行されたりしてる訳ですよ。つまり今回の革命に至るまでにはそれなりの土壌があって、市民の怒りみたいなものが既に爆発寸前だった。その土壌自体がSNSで作られた訳では無いと言う、当たり前の事実を先ずは認識する必要があるかと思われるんですね。

更に「
SNS革命論」に拍車をかけていると思われるのが、これらの国々における人口構成の特異性だと思うんだけど、これらの国々では、国民の平均年齢が驚く程若いんですよね。超高齢化社会とか言ってる日本とは全く逆の状況にあるとさえ言えるんじゃないのかな?

国名:平均年齢(平均寿命):
29歳から14歳までの若者が全人口に占める割合

チュニジア:30(76): 27.2%
アルジェリア:27(74): 31.4%
モロッコ:27(76): 28.1%
エジプト:24(72): 28.6%
リビア:24(77): 27.9%
シリア:22(74): 30.7%
ヨルダン:22(80): 29.0%
イエメン:18(63): 29.8%


イエメンなんて、平均年齢
18歳ですからね。今回問題になってるエジプトも平均年齢は24歳と言う驚くべき状況!そしてこれら14歳から29歳までの若者が全人口に占める割合は、どの国でも30%近くに上る事も特筆しておいて良いのかもしれません。更に、これらの国々における識字率なんだけど、モロッコとイエメンを除く他の国々は比較的高いと言っても良いかな:

国名:識字率


スペイン:97.9%
ヨルダン:89.9%
リビア:82.6%
シリア:79.6%
チュニジア:74.3%
エジプト:71.4%
アルジェリア:69.9%
モロッコ:52.3%
イエメン:50.2%


つまりは、若者が多くを占めるって言う事実と、若者=ネットを使いこなす世代って言うイメージ、そして最近弾頭してきた新しいタイプのネットワーク=ソーシャルネットワークが世界を変える事が出来るって言う人々の願望なんかが相まって、今回の
SNS革命論が捏造されていったのでは無いのでしょうか?何故ならそういう説明が一番簡単で分かりやすいし、何よりこれこそ世界の人々が「見たかったもの」だからなんですね。丁度今、「Facebookがどの様に創られていったか?」って言う映画が世界的に流行ってる事も、このイメージの創出に一役買ったのかもしれません。

まあ、とは言っても、
SNSが決定的な役割を果たしたって言う側面がある事に変わりは無いとは思うんですけどね。

それよりも何よりも、個人的に大変気になったのは、今回の事件が浮き彫りにしてしまった、「地中海におけるバルセロナの影響力の弱さ」と言う点の方ですね。


当ブログでは数年前からバルセロナが地中海の首都になっていく動きをずっと追って来ました(地中海ブログ:
地中海連合(Union pour la Mediterranee)の常設事務局はバルセロナに)。元々スペインと言う国は、モロッコとの外交上、アフリカ周辺諸国の動きには敏感と言う事もあって、地中海諸国の情報と言うのは日頃から結構入ってくるんだけど、逆に言うと、そういう情報を得ていながら、地中海のリーダーとして、今回の混乱に対して何も発言出来ていないのはちょっと頂けないかな。

そんな点、誰も気が付いてはいないだろうけど、今回の一連の出来事の副産物と言っても良い様なこの点が、僕にとっては一番の収穫だったのかもしれません(苦笑)。
| 都市戦略 | 05:47 | comments(3) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
バルセロナに出来た新しい建築学校その1:Barcelona Institute of Architecture:山本理顕さんとか、都市のマーケティングとか
今週の月曜日の事だったのですが、バルセロナに新しく出来た建築学校、Barcelona Institute of Architectureの開校を記念するオープニングセレモニーへ行って来ました。マスターコースを機軸とするこの建築学校は、デザイン教育や建築の歴史文化教育を通して、グローバリゼーションが席巻する現代社会の中においても通用する建築家を育てる事を目的としているそうなんですね。結構大々的に宣伝もされてたし、オープニングセレモニーには今や世界的規模でグローバルに活躍している日本人建築家、山本理顕さんが招待されている事だし、「ちょっと行ってみるか」と言うかなり軽い気持で行ってきました。



このオープニングレクチャーは世界中から観光客を集め続けるガウディ建築、カサ・ミラ(La Pedrera)で行われたのですが、会場は「超」が付く程の満員御礼状態。さすがに世界のRiken Yamamoto!スペインでも大人気です。先日スペインでも大々的に報じられたチューリッヒ空港複合施設コンペを勝ち取ったと言うタイミングとも重なり、今正に建築界では「時の人」と言っても過言では無いと思います。



そんな事情があるにせよ、凄い数の報道陣が詰め掛けていて、「時の人とは言え、ちょっと大袈裟じゃないの?」とか思っていたら、その理由は直ぐに判明。どうやら現バルセロナ市長と、前バルセロナ市長であり防衛大臣も勤めた経験がある大物政治家、ナルシス・セラ氏がこのオープニングに駆けつけていたからだったようです(地中海ブログ:スペイン、サパテロ新内閣(Jose Luis Rodriguez Zapatero))。むむむ・・・学校のオープニングと絡めたメディアへの露出を狙った都市の宣伝手法、そしてそれを実現するだけの政治的な根回しはナカナカ上手いなー。やるな、コーディネーターのJ君!(実は偶然にもこの学校の立ち上げ、そして運営をしているのは僕のメトロポリス時代の同級生だったJ君なんですね。ついこの間まで飲みながら馬鹿な事を言ってたかと思ったら、しっかりこんな仕事までしてるとは。時が経つのは早いなー)。

さて山本さんと言えば、最近では東浩紀さんなんかと、「地域社会圏モデル(だったっけ?)」なんかを出版したりして、個人的に大変興味のある、「Twitterなどの新しいテクノロジーが我々の社会にどう影響を与えるのか?」そして「そんな中で建築家はどういった社会像を提案していけるのか?」と言う問題の中心に居る人だと理解しています(地中海ブログ:東さんの「SNS直接民主制」とかマニュエル・カステル(Manuel Castells)Movilizacionとか)。今日はその辺の話が聞けるのかな?とか期待してたんだけど、さすがにその辺りの話には触れられてませんでしたね。

それとは別に、僕的には少し気になる事が。

どうやら山本さんは現在、横浜国立大学にある都市建築スクール(って言うのかな?)と言う所で教鞭を執られているらしいのですが、そこで試みられている方向性はBarcelona Institute of Architectureが目指している方向性と同じ様なものだと感じたとの事。僕は横浜の建築スクールは勿論、バルセロナのこの新しい学校が何を目指しているのかさえもあまり良く理解していないのですが、話のニュアンスからすると、ハードだけではなくソフトの部分である社会とかその中で営まれているルールとか、そういうものにまで建築の枠を広げていって、そこの所を行政、大学、企業など様々な枠を取り払って議論していきましょう、とそう言う事なのかな?と感じました。

そして山本さんが特に強調されていたのが、バルセロナ市役所とこの建築学校との近しい関係についてだったのですが、つまり学生が都市や建築について議論した事が、市役所と密な関係を持つ教授陣達によって都市に適応される可能性があると、まあ、こんなイメージだと思います。

確かにフランコ政権以降、オリンピックに向けてバルセロナが「行くぞー」と上り坂だった時などは、地元のカタルーニャ工科大学と市役所の密な関係がものすごいシナジーを生み出し、都市の活性化がずば抜けて上手くいったと言う時期があった事は確かです。バルセロナの大ファンであるリチャード・ロジャースなんかは、その密なコラボレーションがバルセロナの都市計画や都市戦略が次々に大成功している要因であり、当時のバルセロナ市長だったパスクアル・マラガルなどは、そのような状況を

「市当局と建築学校の幸せな結婚を通した公共空間のデザインの質
("the happy marriage between city hall and the school of architecture)("Foreward", in Towards an Urban Renaissance, p.5-6, London, E&FN Spon)

と表している程なんですね(地中海ブログ:
リチャード・ロジャース展覧会(Richard Rogers + Arquitectes: De la casa a la ciudad))。この古き良き時代の記憶が現代に生きる人々の中で勝手に美化され、後にバルセロナの都市計画を神話にまで押し上げる「バルセロナモデルとしてのイメージ」が出来上がったんだと思います。

今回の新しいバルセロナの建築学校と市役所の蜜なコラボと言うイメージも実はこの幻想の上に載っかってるだけじゃないのかな?まあ、そうする為にわざわざオープニングセレモニーにバルセロナ市長を呼んだり、講演会の場所をガウディの建築で行ったり、それを報道陣に公開して記事をバシバシ書いてもらったりと言う、「バルセロナ=建築の街と言うイメージ」を創り出す為に成された多大なる努力と、マーケティングの上手さには頭が下がりますけどね。

バルセロナに出来た新しい建築学校その2Barcelona Institutes of Architecture:バルセロナ建築スクールの諸問題についてに続く。
| 大学・研究 | 22:51 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
欧州工科大学院(EIT)の鼓動その1:マニュエル・カステルとネットワーク型大学システムの試み
今週はバルセロナで行われている欧州工科大学のセレモニーに出席する為、その準備等でモーレツに忙しくてブログを書く暇もありませんでした()。欧州の強みである「多様性」をフルに生かしたネットワーク型の欧州工科大学システムについては次回のエントリに回す事として、今日はペドラルベス宮Palau de Pedralbesで行われたオープニングセレモニーについて少しメモ程度に書いておこうと思います(ペドラルベス宮についてはコチラ:地中海ブログ:カタルーニャの夢、地中海の首都:地中海同盟セレモニーに見る言語選択という政治的問題)

今回のセレモニーは官・民、各方面から合わせて300人余りが集まる結構大きなイベントだったのですが、そのイベントの開会式の壇上に上がったのは、ちょっと小柄な白髪のおじいちゃん。で、先ずはそこでビックリだったんだけど、よーく目を凝らしてみると、ん?あ、あれは・・・



マニュエル・カステルだー!!!(写真の先っぽの小さい人)

マニュエル・カステル・・・スペインが生んだ世界に名だたる社会学者です。生まれはカスティーリャ・ラ・マンチャ州(
Castilla-La Mancha)のHellinという小さな町なのですが、彼が主に育ったのはバルセロナ。故に彼はカタラン人!(この辺りの根拠は結構曖昧)

マニュエル・カステルについては個人的に(勝手に)親近感を抱いているので()、当ブログでは今までにも何度か取り上げてきています(地中海ブログ:東さんの「SNS直接民主制」とかマニュエル・カステル(Manuel Castells)Movilizacionとか、地中海ブログ:Manuel Castells との出会い)。で、過去に何度か書いたように、実は、彼が住み慣れたカリフォルニア州のバークレーを離れた理由と言うのは、病と闘う為だったんですね。と言うか公共の場で、「死ぬ時は育った街で死にたい」みたいな事を頻繁に漏らしていた事などから、もしかしたら、半ば諦めていたのかもしれません(推測)。そんなこんなでココ数年、滅多に姿を見せなかったのですが、そんな彼についての朗報が入ってきたのがホンの数ヶ月前、なんと病気を克服したと言う事を新聞上で発表していました。

そんな世にも珍しいマニュエル・カステルを真近で見るのは実はコレが3回目。3回もマニュエル・カステルを拝む事が出来るなんて、マンモス・ラッキーもいいとこ。

まあ、冗談はこのくらいにして、今回の欧州工科大学のコンセプトが「ネットワークに基ついた、今までの一極集中型の大学モデルとは違うモデルを提示する事」と言う所からも分かるように、明らかにこのコンセプトに彼が絡んでいる事は間違い無いと思われます。こう考えると、この欧州工科大学、ちょっと面白い試みなのかも・・・ちょっと真面目に調べてみようかな。次回に続く。
| 仕事 | 22:51 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
東さんの「SNS直接民主制」とかマニュエル・カステル(Manuel Castells)のMovilizacionとか
なんか数日前からネットでは東浩紀さんの“「ネットがあれば政治家いらない」東浩紀「SNS直接民主制」提案“が大変な議論を沸き起こしているみたいですね。



昨日は偶々、カイシャ・フォーラム(Caixs Forum)で行われたマニュエル・カステル(Manuel Castells)の講演会に行ってきた事もあって、これも何かの偶然か?(新しいテクノロジーが引き起こす社会変化というお題はカステルの十八番)とか思ったので、ちょっとメモ程度に書いておこうと思います(マニュエル・カステルについてはこちら:地中海ブログ:Manuel Castells との出会い、地中海ブログ:再びManuel Castells)。

ウェブ2.0的なテクノロジーと民主主義については、例えばジェームズ・スロウィッキー(James Surowiecki)の「みんなの意見」は案外正しい(The Wisdom of Crowds)なんかが既に古典みたいになってたり、吉田純さんが「インターネット空間の社会学」というハーバーマス(Jurgen Habermas)の公共圏を下敷きとした「電子民主主義」の可能性について論じた本や、もしくは最近では「ブログ論壇の誕生」なんてものまで出てたりします。佐々木俊尚さんの「ブログ論壇の誕生」では、「毎日新聞低俗記事事件」など、ブログが引き起こした言論の波がマスコミや政治を動かした実例などが挙げられていて、結構面白いです。僕自身、以前にはニコニコ動画みたいなのが、もしかしたら将来的に政治を動かすのかもしれないと思ったりした事もありました(地中海ブログ:案外、日本の政治を変えるのはニコニコ動画だったりするのかも知れないと思ったりして)。

しかしですね、このような新テクノロジーが実際の政治に与えた影響が顕著に見られる最初期の例は実はスペインなんですね。時は2004年の総選挙、民衆党圧勝だと思われていた戦況をひっくり返したのは、嘘で固められた政権に飽き飽きした若者達が引き起こした携帯メッセージの連鎖でした。詳しくは以前のエントリ、スペイン総選挙から引用します:

・・・当時、世論調査において圧倒的優位を誇っていたのは民衆党のアスナールでした。各種新聞は民衆党の圧倒的勝利を確信していました。そこへテロ勃発。

何故テロが起こったのか?当時のアスナール政権はイラク派兵を支持していました。その見返りでした。そうなると具合が悪いのがアフナール政権。結局、彼等 は選挙への影響を考慮してこのテロがアルカイダではなく、ETAによるものだと発表。選挙前にETAの残虐性を謳った映像をテレビで流すなど情報操作のや りたい放題。それに怒ったのが普段は選挙になど行かない若者層。

彼等は携帯電話のSMSを使い全国の若者に呼びかけ、イラク派兵反対を掲げてきた社会労働党に投票するように呼びかけたんですね。結果、投票率77%、 PSOEが164議席、国民党148議席でPSOEが8年ぶりに第一党となりました。マニュエル・カステルは当時の新聞に携帯電話を用いた選挙への影響力 として記事を書いています。今で言うWeb 2.0の走りみたいなもんでしょうか。

El sabado 13 el trafico de mensajeria movil aumento en un 20% y el domingo en un 40%. Es plausible que esa movilización influyera en los dos millones de nuevos votantes que generalmente se abstienen mas que sus mayores, y que esta vez participaron activamente en las elecciones con un objetivo claro: “ Manana votamos, manana os echamos”. …. “ Vuestra guerra, nuestros muertos”, le decian al PP. Pero tambien, y sobre todo, protestaban contra la manipulación informativa del Gobierno, que intento suprimir información y aseverar la autoria de ETA por lo menos hasta “ el dia después”, confiando en sacar renta electoral.

Movil-izacion politica, 20 de marzo de 2004, La Vanguardia, Manuel Castells.

13日土曜日には携帯電話のSMSトラフィックが通常より20%、翌日日曜日には40%増加した。この運動は普段は選挙になど行かない200万人に影響を 与え、今回の選挙にあるはっきりとした目的と共に積極的に参加させる契機となった。その目的とは“明日投票しよう、明日やつら(民衆党)を追い出そ う”。・・・”彼等の戦争、我々の犠牲“と民衆党に叫ぶように。しかしながら又、彼等は政府の情報操作にも怒っていたのである。その情報操作は選挙を有利 に運ぶ為に少なくとも選挙後1日まで続く事になったであろうETAに責任を全て押し付けたウソである。


うーん、何か、久しぶりに頭使って色々考えてたら、パンクしそうになってきたので、バナナ食べて寝よ。バイチャ!
| スペイン政治 | 23:47 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ヨーロッパの都市別カテゴリー:ブルーバナナ(Blue Banana)とかサルコジ(Nicolas Sarkozy)首相とか
少し前の事になりますが、ヨーロッパの都市別カテゴリーに関する記事(Innovacion y atracción de talento, 29 de Enero, 2009, p8)が載っていました。

都市別カテゴリーとは何かというと、ヨーロッパの各都市を「この都市は研究拠点型」だとか、「この都市は現代産業センター型」だとか、特徴別に分類して地図にしたものです。この分類と地図自体はUrban Auditが発行した” State of European cities Report, 2007”という報告書を下敷きにしているのですが、その中でバルセロナは「知識創出と有能な人材を惹き付ける拠点」として評価され、「知識ハブ」というカテゴリーに位置付けられているんですね。バイオ医療やテクノロジー、そしてR&Dで売り出しているバルセロナとしては、この評価はうれしいんじゃないかな。

確かにココ最近、この方向で都市を売っていこうという動きが一層活発になっている気はします。(例えばコレ:カタルーニャの打ち出した新しい都市戦略:バイオ医療( BioPol, BioRegio)、地中海ブログ)

元々この記事だって、バルセロナを研究と発展の拠点として国際的地位に押し上げる為に、新たに始めた「バルセロナ、研究と革新(el programa Barcelona, Recerca i Innovacion)」プログラムの発表の為だったんですね。更に今週木曜日にはバルセロナ市長がロンドン・スクール・オフ・エコノミクス(London School of Economies)で講演を行い、「バルセロナは知識型都市に生まれ変わりつつある」と言う事をコレでもか!と強調したりしていました。(Hereu vende en Londres la fuerza futura de Barcelona, La Vanguardia, 6 de Febrero 2009, p7)

まあ、バルセロナにはこの分野の世界的重鎮、マニュエル・カステル(Manuel Castells)がいたり、長年彼とパートナーを組んで現場から都市を動かしてきたジョルディ・ボージャ(Jordi Boja)がいたりするので、かなり早くから知識型社会への移行を見越して戦略的に動いてきた結果が、バルセロナを今の地位に押し上げたというのは、特に驚くべき事ではないんですけれども。

さて、こんな都市別カテゴリー化、ひいては都市間競争が視覚化されたのって、ブルーバナナ(Blue Banana)なんだろうなー、と言う事は以前のエントリで何度か書いた気がします。(地中海連合(Union pour la Mediterranee)の常設事務局はバルセロナに:地中海ブログ、関連書籍:(Brunet,Roger(1989): Les Villes Europeennes, Rapport pour la DATAR, Reclus, La Documentation Francaise.)



欧州委員会としては都市の多様性を確保する為、もしくは市民に、ヨーロッパというのは様々な特徴を持った都市のモザイクなのだという事を認識させる為に、先の都市のカテゴリー化や地図などを作ったんだろうけど、これが都市間競争を助長しているのは明らかな事実だと思います。

ブルーバナナって分かり易い図式と絶妙なネーミングが相まって、かなり有名になりましたが、実はブルーバナナが発表された後、ドタドタっと同じ様な提案が幾つかされたんですね。(あまり知られていませんが)例えばその一つがコレ:



IAURIFが提案した「青い星(Blue star)」。ブルーバナナよりもよりダイナミック且つ現実的な表象だと主張しています。もしくはコレ:



Lutzkyが提案した「7つのアパートを伴ったヨーロッパという家(The European house with seven apartments)」。極めつけはコレ:



Klaus R. Kunzmann と Michael Wegnerが提案した「ヨーロッパの青ブドウ」“ The European green grape”。ブルーバナナよりももっと多極的にクラスター化する事で、より現実的な分析に近ついたと言われています。更にこの人達、こんな素晴らしい事まで言っちゃっています:

「希望としてはこの競争はゼロサムゲームではなく、全ての都市が勝つようなゲームになる事が望ましい。」

“ The hope is that this competition is not a zero- sum game where any gain is a loss elsewhere, but that at the end of the day every city will be better off”.(Kunzmann, K.R. and Wegener,M.: the pattern of urbanization in western Europe 1960- 1990. report for the directorate general XVI of the commission of the European communities as part of the study urbanization and the function of cities in the European community, Dortmund: IRPUD, 1991)


どっかで聞いたような言葉だなーとか思いつつ・・・とってもポリティカル・コレクトネスだよなーとかも思いつつ・・・。

最近の経済危機でヨーロッパの各都市は、それこそ死に物狂いでリソースを探しに出るのではないかと思われます。つまり欧州委員会が望むと望まざるとに関わらず、競争はますます激化するのではと思うんですね。

でもこんな時だからこそ出来る事もあるはず。小さい都市は小さい都市なりにその都市にしか出来ない事、差別化を図ったり、近隣諸都市と協力関係を築いて地域として大都市と対抗する、いわゆる、シティ・リージョンを実現したりする良い機会なんじゃないのかな?

そこへ来て、「さすがだな」と感心したのがフランスのサルコジ首相(Nicolas Sarkozy)。

「私は文化が経済危機に対する我々の答えだと言いたい。」

“ Quiero que la cultura sea nuestra respuesta a la crisis” (La Vanguardia, 3 de Febrero 2009,p28)


いわゆる文化を核とした都市再生、都市活性化というヤツですね。それが難しいのは誰もが分かっている。しかし、それを分かった上で言い切ってしまう彼の器量こそナカナカのものだなと思うわけです。

ちなみにカタラン人がよく言うのが、「サルコジのヤツ、あんなかわいい奥さん(カーラ・ブルーニ(Carla Bruni))もらってなんてうらやましいんだ」という妬み&嫉妬。うーん、確かにうらやましい。でも、あんなお世辞にもいい顔立ちだとは言えず、背も低くてあまりかっこいいとも言えない人が、あんな超美人と結ばれるなんて、世の中のオトコに希望を与えてくれましたよね。男は外見じゃない、中身で勝負だと。男の鏡です。ガンバレ、サルコジ。
| ヨーロッパ都市政策 | 23:59 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
地中海連合(Union pour la Mediterranee)の常設事務局はバルセロナに
昨日は世界的に歴史的な日であり新聞もテレビもオバマ(Barack Obama)一色だったのですが、その影に隠れるようにバルセロナではもう一つ重要な出来事が報道されていました。もしアメリカ大統領選挙と重ならなければ各種メディアの一面を大々的に飾っていたであろう程のニュース、それが地中海連合(Union pour la Mediterranee)の常設事務局にバルセロナが選出されたというニュースです。おめでとー、バルセロナ。

バルセロナにとっては喉から手が出る程欲しかった常設事務局であり、13年越しの夢だったんですね。今でこそ地中海連合の構想は現フランス大統領のサルコジ氏が選挙中に構想を発表し、2008年7月13日に晴れて第一回地中海連合首脳会議が43カ国参加の下行われたという事になっていますが、その元となったのは1995年にバルセロナで開かれた「バルセロナプロセス(Barcelona Process)」です。

バルセロナプロセスはカタルーニャが生んだ大政治家パスクァル・マラガル(Pasqual Maragall)が主導し呼びかけた会合であり、バルセロナ現代文化センター(CCCB)で行われた初回には27カ国からの参加があり、地中海という地理を共有した「国という枠」を超えた連合が夢見られたんですね。

元々バルセロナという地域はこのような「地中海の軸:地中海の弧」にかなり意識的な地域です。フランスの公的機関、DATARによって1989年に大西洋の弧(Atlantic Arch)、地中海の弧(Meditteranian Arch)そしてブルーバナナ(Blue Banana)が発表され(Brunet,Roger(1989): Les Villes Europeennes, Rapport pour la DATAR, Reclus, La Documentation Francaise.)、それ以来、ヨーロッパの各地域が地理的な連携を目指す様になったのですが、バルセロナはずっとそれ以前から地中海の弧を意識していました。オリンピックを活用したバルセロナ都市戦略のブレーンだったジョルディ・ボージャ(Jordi Borja)は当時を回想してこんな風に語っています:

「・・・数ヶ月前、元リヨン市長のレモン・バールが、バルセロナに滞在していました。・・・曰く「リヨンとバルセロナ間は、実際約600キロも離れているけれども、高速列車に乗れば3時間もかからない。つまり両都市は同じ都市連携軸上にある。しかもこのリヨンとバルセロナのような強い都市を結ぶ軸上には、少なくとも100キロごとに中規模都市がある。」

・・・都市戦略の観点からすると、このような「バナナ」や「弧」が、戦略的に提唱されることがグローバル化なのです。つまり、競争力のある結束した地域を目指して連携していくわけです。

・・・私達が「バルセロナ第一次戦略計画」を立てた時、一連の文化施設は絶対に不可欠なものとして盛り込み、ヨーロッパ南部でいちばん魅力的な都市にしようと考えました。

・・・われわれの望んでいた文化的なプログラムには、1500万人の人口が必要でした。どう考えてもバルセロナにも、その周辺にも、カタロニア全土を見渡しても、1500万という数字は出てこない。カタロニアの全人口はせいぜい600万ですから。ならばどこを対象に地域戦略を立てたら良いのか、と自問自答を繰り返しました。そこで私たちは、人口1500万という数字が見込めるところまで範囲を広げていき、最終的にはこの広域圏全体をターゲットにしました。

・・・地域は単に自治体とか、県、郡といった公式の地域単位、すなわち行政上の区分だけではなく、地域とは戦略の産物でもあるのです。」

都市はグローバリゼーションにいかに応答するかージョルディ・ボージャ、p318−319、計画からマネジメントへ


ジョルディ・ボージャは長年のパートナーであるマニュエル・カステル(Manuel Castells)と共に都市戦略に関する書物, Local and Global (Borja,J and Castells, M, London, Earthscan, 1997)を1997年出版していますが、自身が長年に渡り経験した事が元になっているだけに、かなり説得力のある一冊となっています。(当ブログでは何度かマニュエル・カステルについて取り上げたのですが、彼ってカタラン人なんですよね、驚くべき事に)

更に1999年には上述のパスクァル・マラガルがニューヨークやローマで行った「バルセロナ・モデル」や「国という枠を取り払った都市間連携」に関する講演を元に編集した、Europa proxima, regiones y ciudades(Pasqual Maragall(ed.), Barcelona Edicions, 1999)を出版しているんですね。その中でマラガルは「国に代わり都市が地域を引っ張るモーターになるべきだ」と主張し、「EUという大宇宙の中に輝く都市という星星」をイメージしています。それを一撃の下に表しているのが、Josep Acebillo が出版したAtles ambiental de area de Barcelona(バルセロナエリアの環境地図)の最初のページに掲載された写真:



ヨーロッパの夜景を宇宙から撮った写真で、都市の周りに明かりが集中していて人がヨーロッパにどのように散らばって住んでいるかが一目で分かる大変きれいな写真です。

今、ヨーロッパは動いています。そしてその震源地は明らかに南です。その南の中心に果たしてバルセロナがなれるのかどうか?ここからが腕の見せ所ですね。
| バルセロナ都市 | 15:08 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
サラゴサ(Zaragoza)の都市戦略
昨日の新聞にサラゴサの都市戦略に関するっぽい記事(Aragon, la apuesta logistica, La Vanguardia, 7 de Septiembre, 2008)が載っていました。「関するっぽい」と書いたのは、この記事が「サラゴサ都市戦略」を前面に謳っている訳ではなくて、サラゴサが今後都市としてロジスティック(logistic)の分野に力を入れていく事を説明した記事だったからです。それが僕から見ればサラゴサの都市戦略に見える、と、まあ、こんな程度の事です。

つい見過ごしてしまいそうな記事だったのですが、サラゴサの都市としてのポテンシャルの高さから少し取り上げる事にしました。

前にも書きましたが、サラゴサという都市は立地条件が非常に良く、巧く戦略を練れば今後急成長が期待出来る都市なんですね。国際的には未だ全く知名度が無い小都市ですが、やはりそのポテンシャルの高さに気が付いている人は既に行動を始めています。そしてそれに触発されるようにサラゴサ市(Ayuntamiento de Zaragoza)とアラゴン政府(Gobierno de Aragon)もその事には十分自覚的だと僕は思います。

先ずは何がそんなに地の利があるのか?というと、サラゴサはバルセロナ(Barcelona)とマドリッド(Madrid)の丁度真ん中に位置し、バレンシア(Valencia)とビルバオ(Bilbao)の間に居るんですね。つまりスペインで最も人とモノの往来が激しい東西軸(マドリッドーバルセロナ)と、太平洋・大西洋に最大級の港を持つ南北軸(バレンシアービルバオ)の中央に位置している訳です。

かつてスペインの近代歴史学を切り開いたビセンス・ビベス(Vicens Vives)は、ヨーロッパとアフリカの間に位置しているカタルーニャを指して「辺境の渡り廊下」と呼び、それがカタルーニャの混成文化という特長を創り、異常なまでの発展を促したと指摘しましたが、サラゴサも21世紀における「渡り廊下」に成り得る可能性を持った地だと思います。

さて、次に問題になるのは、では一体このような地の利を生かして何をするのか?という事です。そこでサラゴサが考え出したのがロジスティックなんですね。ロジスティックとは何か?というと、簡単に言えば、物的流通を効率化するシステムの事です。つまり製造した物をどうやって集めてどうやって分配するか?更にそれをどのように調達・配送したら最も効率が良くなるか?それを扱うのがロジスティックです。

サラゴサは今正にヨーロッパにおけるロジスティックの中心になろうとしています。
まあ、成ろうとしたからといってなれるモノでもないのですが、それはサラゴサの巧い所、というか見習うべき所なのですが、彼らは他都市で成功した都市モデル(バルセロナモデルみたいな)を自分の所のコンテクストに無理やり当てはめるというような事はしていません。彼らがロジスティックを目指した理由、それは自国を十分に分析した結果出て来た結論だったんですね。

それこそ上で述べた東西南北の軸線上に都市が乗っているという事実だった訳です。スペイン2大都市を結ぶ高速鉄道の中央に位置している事から人とモノは自ずと集まります。更に港を経由しなければいけない物流はバレンシアとビルバオがカバーしている。モノの流れには空輸出来るモノと出来ないモノが存在します。だから都市の発展の為には必然的に空港と港が重要なファクターになってくるという事は当ブログで何回か言及した通りです

昨日の新聞記事によるとサラゴサはもう既にヨーロッパ随一となるロジスティック・サラゴサプラザ(logistica de Zaragoza Plaza)なるものをアラゴン政府(51,52%)、サラゴサ市(12,12%)、Ibercaja(18,18%),CAI(18,18%)の出資で建設中だとか。その大きさは12,826,000m2で30億ユーロ(日本円で約2兆円)の投資を見込んでいるそうです。

更にサラゴサの戦略は箱物を作る事だけに集中しているわけでは決してありません。世界の知識と情報を集める為に地元サラゴサ大学(Universidad de Zaragoza)が米マサチューセッツ工科大学(MIT)と協同で日本の修士課程にあたるMaster of engineering in Logistics and Supply chain managementを創設したんですね。これによって世界最高峰の頭脳とコンタクト、そしてそれらが惹き付ける巨額の投資の可能性を確保しました。実はもう既にその効果の片鱗が出ていて、それが今年開かれているサラゴサ万博や都市計画の裏方に見る事が出来ます。

サラゴサ万博と関連して、現在サラゴサでは「サステイナブルでインテリジェントな都市:都市交通の新しいコンセプト(La ciudad inteligente y sostenible: un nuevo concepto de transporte urbano)」をキーワードにMilla Digitalという計画が進行中です。その音頭を取っているのがMITメディアラボ教授のウィリアム・ミッチェル(William J.Mitchell)。更に万博にはMITSENSEablecity Labで近年力を付けてきたカルロ・ラッティ(Carlo Ratti)も入っていますし。

私見ですけど、ウィリアム・ミッチェル率いるMITとの仲介役になったと思われるのはマニュエル・カステル(Manuel Castells)でしょうね。何故カタラン人のマニュエルがアラゴンに肩入れするのか?それはお隣が発展するとこちらにもポジティブな影響が出てくるからです。ジョルディ・ボージャ(Jordi Borja)が言っているように、シティ・リージョン(City Region)を前提とした都市間競争時代においては、どの都市が勝ってどの都市が負けるという勝ち負けゲームは意味を成さなくなるんですね。そうではなく、繋がっている隣の都市が発展する事が自身の都市が発展する事に繋がる、それがシティ・リージョン時代の都市間競争の法則です。

そう考えると、ウィリアム・ミッチェルを始め、サスキア・サッセン(Saskia Sassen)やピーター・ホール(Peter Hall)など市役所の助言役にスペインの一地方都市をグローバリズムの中で考察する面々が顔を揃えているのにも納得出来るかー。

更に更に万博開催に漕ぎ着けた政治的な手腕や、その万博を都市発展に用いた巧さ。そして市内を流れる川に関連付けつつ、21世紀のはずせないテーマであるサステイナビリティを主軸に添えた視点の良さなど、書き出すと切りが無いのですが、長くなってしまったので又今度。
| スペイン都市計画 | 22:36 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
スペイン総選挙
明日、3月9日はスペイン総選挙の日です。前回選挙からもう4年も経つのかと月日の経つ早さに驚きます。今回の選挙は現政権である社会労働党サパテロ政権(PSOE)に国民の評価が下される選挙です。この2週間程は頻繁に世論調査を載せた記事が出ていましたが、それによると僅差ながら社会労働党が民衆党(PP)に対して有利を保っているというのが大方の見方でした。僕も社会労働党継続かなと思っていた矢先に、昨日ETAによるテロ事件勃発。むむむ。各政党、このテロによる選挙への影響は無いとしながらも、これはどう転ぶか分からないと思います。

思えば4年前にも選挙前にアルカイダによる列車同時爆破テロが引き起こされ、191人もの命が奪われたんですね。当時、世論調査において圧倒的優位を誇っていたのは民衆党のアスナールでした。各種新聞は民衆党の圧倒的勝利を確信していました。そこへテロ勃発。

何故テロが起こったのか?当時のアスナール政権はイラク派兵を支持していました。その見返りでした。そうなると具合が悪いのがアフナール政権。結局、彼等は選挙への影響を考慮してこのテロがアルカイダではなく、ETAによるものだと発表。選挙前にETAの残虐性を謳った映像をテレビで流すなど情報操作のやりたい放題。それに怒ったのが普段は選挙になど行かない若者層。

彼等は携帯電話のSMSを使い全国の若者に呼びかけ、イラク派兵反対を掲げてきた社会労働党に投票するように呼びかけたんですね。結果、投票率77%、PSOEが164議席、国民党148議席でPSOEが8年ぶりに第一党となりました。マニュエル・カステルは当時の新聞に携帯電話を用いた選挙への影響力として記事を書いています。今で言うWeb 2.0の走りみたいなもんでしょうか。

El sabado 13 el trafico de mensajeria movil aumento en un 20% y el domingo en un 40%. Es plausible que esa movilización influyera en los dos millones de nuevos votantes que generalmente se abstienen mas que sus mayores, y que esta vez participaron activamente en las elecciones con un objetivo claro: “ Manana votamos, manana os echamos”. …. “ Vuestra guerra, nuestros muertos”, le decian al PP. Pero tambien, y sobre todo, protestaban contra la manipulación informativa del Gobierno, que intento suprimir información y aseverar la autoria de ETA por lo menos hasta “ el dia después”, confiando en sacar renta electoral.

Movil-izacion politica, 20 de marzo de 2004, La Vanguardia, Manuel Castells.

13日土曜日には携帯電話のSMSトラフィックが通常より20%、翌日日曜日には40%増加した。この運動は普段は選挙になど行かない200万人に影響を与え、今回の選挙にあるはっきりとした目的と共に積極的に参加させる契機となった。その目的とは“明日投票しよう、明日やつら(民衆党)を追い出そう”。・・・”彼等の戦争、我々の犠牲“と民衆党に叫ぶように。しかしながら又、彼等は政府の情報操作にも怒っていたのである。その情報操作は選挙を有利に運ぶ為に少なくとも選挙後1日まで続く事になったであろうETAに責任を全て押し付けたウソである。


さて、今回起きたテロ事件は現サパテロ政権に対する報復である事と見て間違いないと思います。サパテロ政権はETAとの和平交渉を進めていたものの、破綻し、「完全な武装解除が無い限り交渉は再開しない」として対決姿勢に転じていました。このはっきりとした態度表明と取り組み強化が支持率を押し上げた要因でもあったのですが、その反対にテロへの懸念も既に存在していたんですね。アルフレド・ルバルカバ(Alfredo Rubalcaba)内相は前月、ETAが総選挙前に「殺人を試みる」のではないかとの懸念を示していたんですね。

そして実際そうなった。ココへきて人が死んだとなると、国民はどう動くか?最近の選挙は論理ではなく、感情ベースなので「人が死んだ」という事実に多くの国民が反発するのではないか?

昨日までは社会労働党勝利だと思っていた僕の予想は今は民衆党寄りに傾きつつあります。
| スペイン政治 | 00:49 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
グスタボ・ジリ社( La Editorial Gustavo Gili)とFrancesc Munoz: UrBANALizacion: paisajes comunes, lugares globales
昨日は朝から一昨日の続きでEU-practiceに参加。一昨日の夕食も夜中まで付き合わされた上に、今日も遅くまで続くんだろうなーとか思ってたら昼前に終わった。ラッキー。昼食を長々と取った後、6月のEU委員会へのプレゼンで会おうと誓い合って皆とお別れ。てっきり夜まで、下手したら明日もとか思ってた僕にとっては、久しぶりに出来た自由時間。天気も良いし散歩でもしようと思いセルダブロックがあるエンサンチェをぶらつく。

セルダブロックで知られるエンサンチェ(新市街地)の一番左側に位置するエリアをぶらぶらしていると、ふとこの辺りにグスタボ・ジリ社(La Editorial Gustavo Gili)があった事を思い出す。この辺りかなと思って行ってみたらやっぱりあった。約130メートルある辺を隅から隅まで住宅がびっしりと並ぶ中にぽっかりと開いた穴。





この秘密の洞窟っぽい通路がグスタボ・ジリ社屋へのアクセス路です。壁には矢印とシンボルマークのGGがかっこよくデザインされている。



グスタボ・ジリ出版社屋はカタルーニャに残る最良のモダニズム建築の内の一つとされています。前にも書いたように、僕が知っているグスタボ・ジリは創業者グスタボ・ジリの息子です。「親子で同じ名前付けるなよ、ややこしいな」とか思ってしまいますが、こちらではそういうものらしい。現グスタボ・ジリ社を取り仕切っているのはお姉さんであるモニカ・ジリさん。

今でも忘れられないんですが、初めてモニカさんに会った時の事、最近の出版業界の低迷とグスタボ・ジリ社への影響などを話してくれました。その中でバルセロナにある出版業界の新興勢力であるA出版社の勢いと、その出版社に勤める日本人Tさんの事を「小さな巨人」と話されていました。1,2回しかお会いした事はありませんが、僕がスペインで唯一尊敬する日本人Tさん。何時か僕もああなりたいものです。



さて、息子のグスタボ・ジリはカタルーニャで注目の若手建築家としてがんばっています。GG社屋の前にあるアパートは彼の設計によるものだそうです。GG社屋の中は現在、本屋さんになっているので自由に入る事が出来ます。ただ撮影は禁止。というわけで中の写真はありません。(写真を撮ってはいけないという所では写真は撮らないというのが僕のポリシーなので)

中は優しい光が包み込む透明感溢れる空間に仕上がっています。本屋さんで何か無いかなと物色していたら旧友のFrancesc MuñozによるUrBANALizaciónが発売真近とあるじゃないですか!3年前から出版する、出版すると言っていた彼だったのですがとうとう出版にこぎつけたか!何故かというと、プロローグをサスキア・サッセンに頼んだのに全然返事をくれないとの事だったのですが、無事解決したのですね。おめでとー。

彼は何を隠そうあのイグナシ・デ・ソラ・モラレス(Ignasi de Sola Morales)の最後の弟子です。地理学者である彼は元々マニュエル・カステル( Manuel Castells)やサスキア・サッセン( Saskia Sassen)などのネットワーキングシティに関心を持っていました。アンダルシアから出てきた彼はその主題と論文を持って当時カタルーニャに帰郷したばかりのマニュエル・カステルに近付こうとしたんだろうと思います。その間に居たのがイグナシ。フランセスクの類まれな才能に気が付いたイグナシは彼の耳元でこうささやきました。

「これからはサステイナブルシティという名の下に、コンパクトシティのモデル都市としてバルセロナモデルが輸出される事になるだろう。一見正しく見えるこのモデルにも弱点がある。何故なら伝統的にコンパクトな集住を可能にしてきた地中海都市においてさえもアーバニゼーションの力に抵抗する事は出来ないからだ。現にバルセロナはこの10年間でコンパクトどころか、反対にどんどんと拡散が進んでいる。バルセロナがコンパクトに見えるのはエンサンチェの活気が与える幻想に過ぎない。もし将来バルセロナがコンパクトシティという地位を守りたいんだったら、逆にどれだけの都市化が進んだかという定量的なデータと共に批判的な立場からモデルを擁護する必要があるだろう。」

こんな事言ったかどうか知りませんが(多分言ってないかな(笑))、彼の主題はカタルーニャにおけるアーバニゼーションに決まりました。更に、そのような低密度居住が現代文化とどう関係しているかという視点を盛り込み、英語の「表層的な」という意味のBanalと合わせてUrBANALizacionとなったと言うわけです。この時彼の頭にあったのはSharon ZukinのLandscape of Powerだったと思いますね。彼はかなり早くからZukinに注目していたし。

ここには明らかにイグナシの影響が見られます。彼は「経済、社会、風景、この3つの要素は何時も一緒に変化していく」と言っています。逆に言えば、これら3要素を一緒に分析しなければどのような都市現象も正しく理解する事は出来ないと言っているんですね。

フォーディズムが到来した時、その核心にあったのは「労働者が自社の製品を買ってくれる消費者にも成り得る」という視点でした。だからフォードは当時としては法外な賃金を労働者に払ったわけです。こうして先ずは工場の周りに労働者の住居が出来ました。そこで豊かになった人達は自分達が生産した車を購入し、郊外へと引っ越していきました。こうして社会と共に経済、風景も変わっていったのです。

このような基本的な考えをベースにSharon Zukinの理論などを巧みに利用しながらカタルーニャにおける低密度地域の再生産のプロセスを解き明かしたのがUrBANALizacionです。3年前に行われた彼の博士論文公開審査にイグナシは来る事が出来ませんでしたが、彼のお兄さんであるマニュエル・デ・ソラ・モラレス(Manuel de Sola Morales)がジュリーとして出席し、最大の賛辞を送っていた事が、昨日の事のように思い出されます。
| バルセロナ歴史 | 15:19 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
eGovernment Mobile Services Workshop
今日は朝からeGovernment Mobile Services Workshopに参加してきました。このワークショップは、現在バルセロナで進行しているEU2大プロジェクト、ICINGとP2Pプロジェクトの紹介と両プロジェクトに参加しているパートナー同士の情報交換を目的として開催されました。

バルセロナ、ダブリン、ヘルシンキ、ブルッセル、スロベニアなど政府関係者から新進企業まで多彩な顔ぶれで行われた今回のワークショップからは得るものが多かったです。特にこのようなミーティングの一番の魅力は世界中に同じような興味を持った人達とコネクションが出来る事ですね。ネットを通して世界中の人と繋がる事は出来るけれど、同じ時間と空間を共有した体験は互いの信頼関係をより深める事は間違いありません。

80年代後半から90年代前半にかけてマニュエル・カステル(Manuel Castells)サスキア・サッセン(Saskia Sassen)といった社会学者が、情報通信技術が進めば進むほどフィジカルな空間の重要性の低下というロジックに対する矛盾:都市のフィジカルな空間のより一層の重要性の増大を示したように、やはり顔を合わせた議論にはインターネットでは得られない体験が潜んでいると思います。

さっぱり関係の無い話ですが、サッセンが以前に書いていた文章で忘れられないフレーズがあるので紹介しておきます。



「(写真はイメージです。超高層ビルに入っている銀行のオフィス側から見ていると仮定して)この空間には2つのクラスが存在している。一つは暖房の効いたオフィス内で働くホワイトカラー。もう一つは空間の外で危険を冒しながらガラスを拭いているブルーカラーの労働者。同じ空間に属しながらもこの2つのクラスの間には見えない深い溝が存在している。この仕切り(ガラス)はとても薄く透明であるにも関わらず、決して乗り越える事の出来ない壁である。」

ワークショップは明日も続きます。
| EUプロジェクト | 22:21 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
Transport Simulation Systems (TSS):ジャウマ・バルセロ (Jaume Barcelo)とAIMSUN
昨日は交通シュミレーションの専門家、ジャウマ・バルセロと某プロジェクトについてミーティング。彼とはもうかれこれ3年の付き合いになります。

ジャウマさんは都市交通分野では、かの有名な交通シュミレーター、AIMSUNを開発した事で世界的に知られています。勿論、僕等も使っています。というか僕等ほどAIMSUNを使いこなし都市交通から公共空間デザインといったアーバンデザインまで視野に入れて仕事をしている機関は他に無いと言っても過言ではありません。以前、マニュエル・カステル(Manuel Castells)が来た時にも同じような事を言ってたし。第一、開発者のジャウマさんがそれを一番良く知っているからこそ、僕等をパートナーとして一緒に仕事をしてくれているものだと理解しています。

今日の話題は僕が担当したEUプロジェクトICING ( Innovative Cities for the Next Generation) についてでした。このプロジェクトについては当ブログで何度か触れていますが、簡単に言うと、携帯電話などの新しい通信機器を使った新たな都市サービスをどう構築し、市民生活に役立てていくかというプロジェクトです。参加都市はバルセロナ、ヘルシンキ、ダブリンという現在EUで最も活発で元気の良い3都市。この大変にアンビシャスなプロジェクトの核となるパート、携帯などの移動可能機器を使ったOD表作成パートのコーディネーターを僕が努めました。

OD表というのは、あるゾーンからあるゾーンまで、どれだけの人が何時、どんな目的で移動したかをインタビューによって集計した表の事を言います。このOD表の質をどのように上げていくかというのは世界中の都市が直面している頭の痛い問題だと思います。質を上げる為には膨大な金と時間が必要とされるからなんですね。ちなみにバルセロナの場合は5年に一度の割合で大規模なインタビューが約3億円かけて行われます。逆に言うと5年に一度しか出来ないと言った方が正しいと思います。すると、必然的にその情報は直ぐに古くなってしまって現実とは一致しないという問題が生じてくる訳です。

更に、このOD表はゾーン間の移動結果なので、どの経路を通ったかなどのミクロレベルの情報は含んでいません。このOD表をインプットデータとして、あるゾーンから目的ゾーンまで移動する人は最短経路を通るという仮定の下で交通シュミレーションを創ったのがジャウマさんです。

彼が開発した交通シュミレーション、AIMSUNは実に良く出来ている。シュミレーション実現過程は大きく分けて2段階に分ける事が出来ます。OD表をインプットデータとしてシュミレーションを走らせる段階。その後、現実の道路に備え付けてある車を数える機械、トラフィックカウンターの数えた台数と、シュミレーション上の同じ道路においてシュミレーションが示した車の台数を比較する事により少しずつアルゴリズムを変えて行く過程。この2つの段階を経る事によって90%前後の大変に高い確率の交通シュミレーションを実現しています。

僕が2005年頃に担当したバルセロナのグラシア地区交通計画において用いた結果によると、95%まで現実を表象する事が出来ました。

そんな彼のシュミレーションが効力を最大限に発揮するのが、何と言っても政治家の人達や市民を前にプレゼンをする時。一つ一つの車が個々に動く様と、この現実表象が90%という高い現実表象率を示しているというアカデミックなデータを見せられると誰でも「へぇー」と思ってしまう。僕も何度かヘルシンキやダブリンの政治家の人達を前にAIMSUNを使って都市交通の説明をした事がありますが、その効果はホントに絶大です。

さて今日のミーティング後、何時ものように立ち話をしていた時にジャウマさんが面白い事を言っていました。世界中で仕事をしている彼は勿論、日本とも幾つかのプロジェクトを持っています。その関係で今年の4月から少しの間、某大学を通して日本人がバルセロナに来るとの事。「その時はヨロシク頼む」とか言われて、僕も調子良く「いいよ」とか言っちゃったけどメールアドレスとか何時ごろ着くのかとか聞くの忘れた。まあ、多分同じ日本人だからという事で、軽い気持ちで言ったんだと思うんだけど・・・心当たりのある人居ますか?もし居たら連絡ください。
| 仕事 | 21:06 | comments(0) | trackbacks(35) | このエントリーをはてなブックマークに追加
再びManuel Castells
今日は朝からバス亭の打ち合わせ。一応僕たちがホストなので用意やその他色々な事で一日が終わってしまった。

夕方からManuel Castellsのカンファレンスへ行く。コレは彼自身が言ってる事なので別にココに書いても良いと思うのですが、彼がカリフォルニアからカタルーニャに帰ってきた理由は「病気」らしいんですね。体調がかなり悪いらしい。色々な所で「私はもうすぐ居なくなるから」と言ってるぐらい。と言う訳でカンファレンスなど人前に現れる事は殆どありません。それが又彼の伝説を作っていると言う側面が無くもない。以前書いたように話す事が出来た僕はウルトラスーパーラッキー。今日のカンファレンスでは彼の姿を人目見ようと言う人や彼の言葉を熱心に聴きに来た人など様々な様子。Caixa Forumという磯崎さんが改修した建物の会場で行われたのですがコンサートホール並みの会場に人がぎっしり。

カンファレンスの中身は技術と発展という彼のお決まりの題目。最初は最近のITがどのように我々の社会に入ってきて影響を与えたかという話から入り、南北問題や国連の話に飛んだり、政治の話が入ってきたりと今日も彼の底の深さを見せ付けられました。
僕的には一番興味深かった話はカタルーニャの発展モデルについて。カタルーニャにははっきりと3つのモーターがあります。観光、移民とコンストラクション。この3つが現在のカタルーニャの繁栄を保持しています。しかし州政府が展開している政策は移民を排除しようという路線を取っています。これは何を意味するかというと観光サービス業の衰退とブルーカラー層の減少を意味するのでコンストラクションも衰退と言う結果を招きかねない。

全く同意しますね。カタラン人はこの矛盾に気が付いていない。もしくは気が付いていてもプライドが邪魔して認める事が出来ないのか。どちらにしても地の利から得た財産を食い尽くすのは時間の問題なのかもしれませんね。


| 大学・研究 | 06:40 | comments(0) | trackbacks(37) | このエントリーをはてなブックマークに追加
Manuel Castells との出会い
偶然去年の手帳が机の中から出てきたので1年前の今日の出来事を見ていたら一年前の今日の17時、マニュエル・カステルが訪問とあった。

そうなんです。忘れもしないあの瞬間。何気なくドアから小さいお爺さんが「こんにちは」とか言いながら入ってきたなと思い、ふと顔を見たら何処かで見た顔。しかし思い出せない。1時間ほどディレクターと話した後、一人ずつディレクターが各自何をしているかを彼に説明。うちの部署には結構訪問者が来てそのたびに彼らに僕らが何をやっているかを説明するのですが、席順から言って僕の番は2番目なんですね。

で、隣の女の子から始まるわけですがその時ディレクターが「彼はマニュエル・カステルです」とか紹介したわけです。その瞬間、「そうだあの顔はカステルだ」とホントに衝撃的だったのを覚えてます。その瞬間、「えっ」って日本語が出てしまいカステルがこっち見て笑ってたのも覚えてます。

その後、かなり気合を入れて僕の仕事の説明をしました。感激的にも幾つかの質問と「大変興味深い」という長めのコメントを頂きました。

帰り際に彼はこう語っていました。「私は長年、色々な国や研究機関、大学で教えたり様々な研究を見てきたが、あなた方がやっているような仕事や研究機関は未だ見た事が無い」

勿論、誇張やお世辞が入っていると思うのでこの言葉をそのまま受け取る事は出来ませんが、それでもこの時の感動は今でも僕の心の支えになっています。
| 大学・研究 | 06:55 | comments(0) | trackbacks(35) | このエントリーをはてなブックマークに追加