地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
スペインのTwitterフォロワー数国内ランキングを見て思った事:スペインではサッカーが生活のリズムを作っているという事について
先週半ば辺りからスペインを含むキリスト教国は復活祭(イースター)の連休に入っています(って言っても今日で終わりなんですけどね)。復活祭というのはキリスト教国においては大変重要な年中行事となってて、と言うのもイエス・キリストが十字架にかけられて亡くなり、その3日後に復活した事を記念するという、数あるキリスト教の名場面の中でも最もドラマチックな瞬間を祝う期間となっているからです。



故にこれらの場面を題材にそれこそ数えきれないくらいの名画が今まで書かれてきたんだけど、ラファエッロが描いた「キリストの変容」はキリストが復活し、その後、天に昇っていく正にその瞬間を捉えた傑作だと言う事は以前のエントリで書いた通りです(地中海ブログ:幸福の画家、ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio):キリストの変容(Trasfigurazione))。ラファエロ、やっぱり良いな〜。

そんな中、先週金曜日はイエス・キリストが十字架に掛けられて亡くなってしまった「聖金曜日」だったので、「その受難と死を皆で分かち合おう」というコンセプトの下、街中のお店というお店が閉まり、街全体が悲しみに包まれる日‥‥という事になっていました。ちなみにフランコ独裁政権下のスペインでは、聖金曜日にはお店を開店する事を厳しく禁止し、ラジオではクラッシック音楽だけを流し、国民に「悲しむ事」を強制していたらしい。



もう一つちなみに、カタルーニャでは伝統的に「モナ・デ・パスクワ」と呼ばれる、ゆで卵が入ったパンケーキ(通称ゆで卵ケーキ(苦笑))を復活祭の翌日に家族みんなで食べるという習慣があります。



最近の流行では、バルサ模様のチョコレートケーキや、漫画のキャラクターに模したものなど様々なバリエーションが出てきているのですが、伝統的なモナ・デ・パスクワにはチョコレートで形作られた卵じゃなくて、本物のゆで卵が入ってて、ケーキと一緒に食べるのにはちょっと困る(苦笑)という状況になっちゃったりするんですね。



と言う訳で、店頭に並んだ色とりどりのケーキを見つつ、何時もの様にクロワッサンとコーヒーで朝食をとりながら新聞を読んでたら、ちょっと面白い記事が目に飛び込んで来ました。それがコレ:「世界におけるTwitter利用状況」という記事なんです。

その記事によると、世界で一番Twitterが使われているのはアメリカで、その数なんと、107,7万人!第二位はブラジルで33,3万人。日本は第三位(29,9万人)に付けてるんだそうです。スペインはというと、インド(13万人)とメキシコ(11万人)のちょっと下、カナダ(7,5万人)の上の世界第9位で、利用者は8,5万人らしい。スペインが世界第9位というのも驚きだったんだけど、それよりも何よりも、僕にとって圧倒的に面白かったのはスペインにおける「国内フォロワー数ランキング」でした。それがコチラ:

1. Alejandro Sanz: 5,325,922
2. Real Madrid: 4,091,809
3. David Bisbal: 3,004,734
4. Andres Iniesta: 2,851,302
5. Cesc Fabregas: 2,811,863
6. Gerard Pique: 2,488,351
7. Carles Puyol: 2,481,731
8. FC Barcelona: 2,103,131
9. Sergio Ramos: 2,070,276
10. Xabi Alonso: 1,990,031

何が面白いって、ランキングベスト10の内、実に8人もがサッカー関係者で占められているという驚きの事実がです。む、む、む‥‥これはスペインという国の一つの側面を現しているかの様で非常に興味深いなー。

バルセロナに住んでいると日常生活における「サッカーの影響力」というものの凄まじさを感じずにはいられません。試合が有る時は勿論、無い時にだって「3人寄ればサッカーの話」というくらいサッカー好きで知られている民族、カタラン人。伝統の一戦、バルセロナ対マドリッドの試合がある日なんかには、街全体が何だか朝からソワソワしてるみたいだし、勝ったら勝ったで街中に花火が上がりまくり、中心街は朝までお祭り騒ぎ。で、決まって次の日は11時くらいまでは仕事場には誰も来ない‥‥みたいな(笑)。

その様な状況が社会全体を包み込んだ文化にまで昇華している国、それがスペインという国なのです。もっと言っちゃうと、スペインにおける生活のリズムというのは正にサッカーと共にあると言っても過言ではないんですね。そう、この街では一年がサッカーと共に始まり、サッカーと共に終わっていくという状況が垣間見られるのです(バルサについてはコチラ:地中海ブログ:FC Barcelona(バルサ)のマーケティングがスゴイ:バルサ・ミュージアムに見る正に「ゴールは偶然の産物ではない」)。



かつて我々の生活にリズムを付けていたのは一年の節目節目に行われるお祭りや祝祭などでした。豊穣を祝うお祭りや、季節の変わり目に設定されていた祝祭というのは、農作物に感謝をしたり、願掛けをするというのは勿論の事、朝から晩まで同じ様な作業しかしない極めて平坦になりがちな我々の生活に「楽しみ」を提供する大変重要な役目をも担っていたんですね。



その様な、ローカルに根ざした祝祭というのは、その土地土地の影響を色濃く受け、独自に発展してきたものであるが故に、その土地の特徴を含んだ表象行為として現れる事となりました。そして我々はそれらの違いを「文化」と呼んだりしてきた訳です。



しかしですね、都市間競争が激しさを増し、「観光」が都市の主要モーターになるにつれ、かつては生活のリズムを刻んでいた祝祭などが、何時の間にか、観光客を惹き付ける一つの道具に変わってしまったという状況を我々は目の当たりにしています。先週から今週にかけてヨーロッパ全土で行われている復活祭のパレードが正にその良い例だと思うのですが、今ではその「一風変わったお祭り」を一目見ようと、世界中から観光客が押し寄せるという状況になっているんですね。



そんな「村民や住民達の為の祝祭」が、「観光客達の目を楽しませる為の見世物」に変わってしまった現代社会において、実は未だにローカルに我々の生活に楽しみを与え、そして我々の社会のリズムを作っているのは、もしかしたら、現在最もグローバルに展開している、それこそグローバリゼーションの申し子と言っても過言ではない「サッカーのリーグなのかもしれない」とさえ思えてきます。大体スペイン人って、6月とか7月頃にリーグの優勝が決まったら、「あー、今年も一年が終わったなー」とか思ってるぽいですからね(笑)。当然そこからは全く仕事にならず、8月の1ヶ月の夏休みに突入〜!みたいな(笑)。

そんな、日常生活の中で感じる事の出来る「感覚」をきちんとした数字で定量化するというのは結構難しい事で、今回のTwitterのフォロワー数というのは、正にその良い一例かなとか思っちゃいました。つまりはそのフォロワー数が社会の中におけるサッカーの影響力みたいなものを現しているという意味において。

さあ、春の長期連休も終わり、明日からは又忙しい日々が始まります。日も長くなってきた事だし、がんばっていこうかな。
| バルセロナ都市 | 03:38 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
シティ・リージョンという考え方その2:エレスンド・リージョンの要、交通インフラの重要性と利便性について:宇宙戦艦ヤマトのコックピットの様なフェリーにちょっと驚いた
前回のエントリの続きです。今回バルセロナからの直行便で到着したのが、スカンジナビア航空の拠点であり、ヨーロッパのハブ空港の一つとして知られるコペンハーゲン国際空港です。でも、まあ、ハブ空港とは言っても、デンマークの人口は400万人足らず、コペンハーゲンに限って見れば50万人強、つまりは国単位で見ても中京圏に及ばない程なので、ハブ空港という割には「結構こぢんまりしてるな」っていうのが僕の第一印象かな。



飛行機を降りた直ぐの待合ロビーは全面がガラスで覆われ且つ、要所要所に木材が使われている為、開放的であると共に、非常に暖かみのある空間となっています。


スペイン語でSolは太陽、Marは海。つまりこのバスは「太陽と青い海」行き

北欧の人達と聞いて真っ先に僕が思い浮かべるのは、太陽と青い空を求めて南欧に来ては、それこそ真っ赤に日焼けするまでビーチで寝転がってる姿なんだけど、そんなイメージが頭の片隅に媚びり付いてるものだから、一面ガラス張りのデザインとか見てしまうと、彼らにとっては「短い日照時間の間に降り注ぐお日様の光ほど大切なものはないんだろうなー」と、そう思ってしまいます。



さて、空港という機能は都市間競争が日に日に激しさを増す中において現代都市にとっては無くてはならない機能であり、空港の効率性こそが正に「都市の命運を握っている」と言っても過言ではない時代に我々は突入してきています。もっと言っちゃうと、都市が自身の空港との関係をどう戦略的に位置付けているのか?空港から市内まではどんな交通機関が利用可能で、どれくらいの頻度で運行され、何分で着くのか?等が非常に重要な問題として浮上してきているんですね。そしてこの様な都市へのアクセッシビリティは確実に我々の「生活の質」に影響を与え始めてすらいます。

この様な観点に立脚しつつ、当ブログでは事ある毎に各都市のアクセッシビリティ評価というものを試みてきました(地中海ブログ:都市化する空港と効率指標としてのアクセッシビリティ)。と言う訳で、今回はコペンハーゲンのアクセッシビリティ評価をしてみたいと思います。



先ずコペンハーゲン国際空港においては、空港に到着して税関を出た直ぐの所に電車乗り場があります。しかも地下鉄、バス、タクシーと、コペンハーゲン市内まで行く手段は全部整ってますね。今回は電車を選んだのですが、市内までの料金は36,00 DKK、つまり日本円で500円あまり(2012年1月現在)。これは安い!



とか思いつつ、電車を待っていると直ぐに来た。しかも時刻通り!どうやら空港とコペンハーゲン市内を結ぶ電車は15分おきくらいに出てるそうです。電車の外見は素晴らしく汚かったんだけど(笑)、車内は清潔そのものに保たれていました。こういう時、一つの指標となるのがトイレの清潔度だと思うんだけど、デンマークの車内トイレ、もうピカピカ!「さすが北欧」とか思ってたら、何かアナウンスが流れてきた:

ポンポンパンポーン、もう間もなくコペンハーゲン中央駅です」

「あ、あれ?未だ10分ちょいしか経ってないよ?」。そ、そーなんです!実はコペンハーゲン国際空港からコペンハーゲン中央駅までは何と所要時間10–15分程度で着いてしまうんですね。これは早い!今まで僕が見てきた中でも最高ランクに位置する程のアクセッシビリティの高さです。その近さに加え、頻度は10−15分おき、値段は500円程度‥‥ハッキリ言って今までナンバーワンの座を守ってきたフランクフルト国際空港と同等と言っても過言ではありません。 



さて、今回は特別編として、コペンハーゲンとスウェーデンを結んでいるスンド海峡を渡ってみる事にしました。何故なら公共交通機関のインフラ整備とその効率性こそ、エレスンド・リージョンの要だと思われるからです。


上の写真はコペンハーゲン中央駅

先ずはコペンハーゲン側からスウェーデン側の中心的な都市、マルメ(Malmö)へと電車で移動してみる事にします。僕が電車に乗ったのが午後17時過ぎ、と言う訳で外はもう真っ暗。本当なら見る事が出来る、両国間を繋いでいる欧州一長い橋も何も見えない‥‥(悲)。その代わりと言っては何だけど、車内を見渡すと、明らかに仕事帰りの人達でごった返しているのが分かりました。つまり皆、コペンハーゲンで働いて、住宅価格の安くて福祉が整っているマルメ(スウェーデン)に暮らしてるって事の現れだと捉える事も出来るんですね。

この問題については統計を取った訳ではなく、あくまでも僕が電車に乗り合わせた際の感想でしかないので詳しい事は言えないのですが、一つだけハッキリした事、それは2カ国間を渡る際にはパスポートチェックも何も無かったという事です。まるで普通の電車に乗ってるみたいに、すんなりとスウェーデン側へと入れてしまいました。つまりは2カ国間を移動する際の障壁や煩わしさはゼロだったという事です。

そして翌日、今度はエレスンド・リージョンを上の方で結んでいる公共交通機関を試してみる事に。こちらの方は、今回僕が滞在しているHelsingborgから対岸のHelsingorまでフェリーで渡る事となります。



Helsingborg側のフェリー乗り場は電車の駅と一緒になってるんだけど、この駅のデザインが結構目を惹いたかな。フェリーは片道35SEK、日本円で約400円くらい。このフェリーは約15分おきに出てるみたいです。



フェリー乗り場に到着して待つ事5分、「船が着いたよー」みたいなサインが出て、デッキを渡ってフェリーへと乗り込みます。



思えば船に乗るのも結構久しぶり。動いてない船の上で欧州委員会の人達と船上ディナーっていうのは2年くらい前にあった気がするけど(地中海ブログ:ロンドン出張その2:船上ディナー)、動くフェリーに乗るのは10年くらい前にジブラルタル海峡を見ながらモロッコへ渡った時以来かも。という訳で、船に乗るっていうだけで結構ドキドキしてきたりする。で、乗ってみてビックリ!



豪華客船並みじゃないですかー!す、凄い!カフェやレストランは勿論の事、お土産コーナーの充実振りとか目を見張るばかり!勿論、船内は清潔そのもので、デザインも細部までゆき届いています。



って、その豪華さに目を奪われてたんだけど、あ、あれ、ここでもパスポートチェック無かった‥‥普通に乗船してしまいました。



面白かったのは、やっぱり船の上というのは、何処の国にも属していない様な、ある意味無国籍な曖昧な空間なので、カフェやレストランなどの料金表示はデンマークとスウェーデン両方の通貨表示がしてあった事ですね。



自由席だったので、勿論陣取った席はど真ん中の一番前!で、ちょっと見てください!



まるで宇宙戦艦ヤマトの操縦席並みじゃないですかー!ガラスと窓枠が「くの字」にカクカクって曲がったその全面ガラス張りの操縦席からは見事な地平線が見渡せます。



今日は空が冴え渡ってて、気持の良いくらい青い空が高い!!そして到着〜。



こちらでも普通に船を降りて、普通にデンマーク側の駅へと入って行けました。つまりパスポートチェックも何も無し!ちなみにココまでの所要時間は20分弱。

これは凄い!エレスンド・リージョンの要、両国間を結ぶインフラの利便性は噂以上でした。この様な非常に効率の良い利便性があるからこそ、人々が2カ国間を自由に行き来し、この地域を一体とする事に成功しているのでしょうね。そしてこの様なインフラの存在こそ、地域を一つに纏め上げる事によって「一つの都市だけでは決して創り出す事の出来ない競争力」を創出するシティ・リージョンという考え方を担保している「縁の下の力持ち」なのです。

これらの事は勿論書籍で読んで知ってはいたんだけど、知識というのは実体験してみて初めて自分の血となり肉となるのだと思います。そういう意味において、今回の体験は僕の人生にとって掛替えの無い出来事であり、この上ない財産となったと思います。
| 都市戦略 | 07:13 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
シティ・リージョンという考え方その1:スンド海峡のエレスンド・リージョンについて
前回のエントリで少しだけ書いたのですが、実は昨日からデンマークとスウェーデンに来ています。



目的は今日から開かれているe-Tourism(新しいテクノロジーを活用した観光リサーチ、観光体験そして観光が都市に与える影響などを探る為の新しい手法の提案など)に関する国際会議に出席する為なのですが、今回はゲストとしてお呼ばれしちゃいました。最近、都市計画や建築、もしくは交通に関する国際会議に招かれる事は(大変喜ばしい事ながら)多くなってきたのですが、観光分野からお声が掛かるのは今回が初めて!何でかって、まあ理由は分かってて、現在僕が仕事の方で進めている「ルーブル美術館の歩行者計画」の為なんですね。今まで表立って発表してはこなかったんだけど、実はルーブル美術館とはもうかれこれ2年くらい付き合ってて、パリとバルセロナを行ったり来たりしています。



この計画の詳細については次回以降のエントリに譲る事として、今日は僕が北欧に来るに当たって直面した非常に興味深い現象について少し書いてみようと思います。それは主催者から2ヶ月ほど前に受け取った一通のメールから既に始まっていました:

「クロワッサンさん、来月末に行われる国際会議、前回のメールでお知らせした様に、スウェーデンのHelsingborgという街で行われます。Helsingborgは国としてはスウェーデンに属しているのですが、スンド海峡を挟んだこの辺りはデンマークとの間で公共交通機関が非常に発達しているので、ストックホルム(スウェーデンの首都)に飛んでそこから電車で来るよりも、コペンハーゲン(デンマークの首都)に飛んでそこから電車で来た方が近いですよ。ご参考までに」



そうなんです!実は、今回の国際会議の舞台となっているHelsingborgという街は、国としてはスウェーデンに属しているのですが、この街が立地している辺りはコペンハーゲンを中心としたデンマーク側との社会経済的な結び付きが非常に強く、フィジカルにも欧州一長い橋(全長16キロ)やフェリー等によって結ばれている為、自国の首都に飛んで、そこから電車を使うよりも、隣国のコペンハーゲンに飛んで、そこから電車で行った方がよっぽど早いという一風変わった地域となっているんです。

‥‥っと、ここまで読んできて「あれっ?」って思った人はかなり勘がいい。

そう、実はHelsingbrogという小さな街は、シティ・リージョンで有名なエレスンド(Oresund)・リージョンに属している街なんですよ!

先ず「シティ・リージョンとは一体何か?」と言うとですね、グローバリゼーションが進行し、都市間競争が激化する最中において、パリやロンドンなどといったメガロポリス(=都市を際限無く拡大する事によって競争力を維持する)のではなく、都市の機能を分散させ、その間を発達したインフラ(高速鉄道など)で結ぶ事によって、地域(リージョン)として大都市(メガロポリス)に匹敵する様な競争力を創り出そうという考え方なんです。

では一体何故シティ・リージョンはそれ程までに注目されているのか?

それはシティ・リージョンという考え方が環境問題をも取り込んだ、正にサステイナブルシティの一つの可能性を指し示していると考えられているからです。つまりネットワークの力によって大都市に負けずとも劣らない競争力を創り出す一方で、各都市に注目してみれば、小都市(コンパクトな都市)の強みを生かして緑溢れる環境、メガロポリスでは絶対に実現する事が出来ない「環境的な質」で人々の「生活の質」を向上させ、正にその事によって「緑の競争力」を売りにしていこうという考え方なんですね。



具体的にはオランダのランドスタット、スペインのバスク地方を中心とする都市戦略、そして地中海を共有する様々な都市で創り出されつつある「地中海の弧」などが挙げられるかと思います。特に地中海の弧については当ブログでは散々書いてきたし(地中海ブログ:Euroregion(ユーロリージョン)とカタルーニャの都市戦略:バイオ医療を核としたクラスター形成、地中海ブログ:地中海の弧の連結問題:ペルピニャン−フィゲラス−バルセロナ間の高速鉄道連結計画の裏に見えるもの)、ビルバオのグッゲンハイムの大成功の裏にある都市戦略についても、事ある毎に言及してきました(地中海ブログ:バルセロナの新たなる都市戦略:ビルバオから学ぶバルセロナ都市圏再生の曙、地中海ブログ:ビルバオ・グッゲンハイム効果とジェントリフィケーション)。又、2年くらい前に行ったアムステルダムについての記事の中でも、ランドスタットの事を書いたと思います(地中海ブログ:アムステルダム出張:如何に訪問者にスキマの時間を使って街へ出るというインセンティブを働かせるか?:スキポール空港(Schiphol Airport)の場合、地中海ブログ:欧州工科大学院 (European Institute of Innovation and Technology)の鼓動その2:ネットワーク型システムに基づくシティ・リージョンのようなコンセプトを持つ大学院)。

つまり僕はヨーロッパにおけるシティ・リージョンという現象についてはかなり気を配っている方だと思うんだけど、そんな中でも絶対に訪れたかったのが、このデンマークとスウェーデンの間に広がっているエレスンドだったのです。



何故か?

それは此の地域が達成した地域間協力体制(シティ・リージョン)が、2カ国間の恊働であるにも関わらず、他エリアの追随を許さないほど成功しているという事(普通は一カ国の中の他地域間の交渉でも困難なのに、違う国同士の交渉を巧く纏め上げたという意味において)、架空のアイデアで終わるのではなく、実際に市民の日常生活に多大なる影響を与えているという事、そして何より此の地方が伝統的に育んできた空間計画が巧い事噛み合う事によって、見事な程の空間バランスを達成しているという事が挙げられるかと思います。我らが岡部明子さんもこんな風に書いてらっしゃいます:

「地域発展戦略を成功させるためには、競争力がなくてはならない。他地域からのアクセスや地域内アクセスのよさなど利便性が求められることはいうまでもない。グローバルに競争力のある経済基盤も欠かせない。これらの恵まれた競争条件に加えて広義の空間バランスを競争力に生かそうとしている点が、エレスンド・リージョンの興味深いところだ。」岡部明子、サステイナブルシティ、p207

という訳で今回この地を訪れるに当たって、「せっかく行くんだから、その辺の事も調べてみたいなー」と思ってた所、僕が何かしらのアクションを起こす前に、今回の国際会議の主催者から上述の様なメールを受け取ったという訳なんです。つまりこの出来事が指し示している事、それはそのエリアに住む人達にとっては、2カ国間を行ったり来たりする事が、日常茶飯事になっているという事の証だと思います。

その様なモビリティの高さ、効率の良さについて実際に驚くべき体験してきたので、次回のエントリで詳しく追っていきたいと思います。

シティ・リージョンという考え方その2:エレスンド・リージョンの要、交通インフラの重要性と効率性について:宇宙戦艦ヤマトのコックピットの様なフェリーにちょっと驚いたに続く。
| 都市戦略 | 06:09 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
パリ旅行その8:公共空間としての美術館
美術っていうのは権力や政治と切っても切り離せない関係にあるのですが、その事をものすごく痛感させてくれるのが美術館の存在です。美術館の歴史って調べて行くと大変面白くて、その根幹ではデモクラシーと密接に関わっているんですね。何故かと言うと、現在の多くの美術館の基礎となっているのは王侯貴族や富豪の私的コレクションなどであり、それら特権階級の独占権益だった美術品を「あらゆる階層の人達に解放しろ!」という叫びと、それに伴う行動・結果が、現在我々が見る事が出来る美術館の始まりになっているからです。つまり18世紀の人々が、革命などによって「美術品を見る権利」を勝ち取ってくれたが故に、僕たちは今こうして素晴らしい美術品を自由に鑑賞する事が出来ると言う訳なんですね。ありがたやー、ありがたやー。

だから欧米において、すばらしいコレクションを所蔵している様々な美術館が無料だったりするのは、何もその国に余裕があるからとか、その美術館が儲かっているからとか言った理由ではありません。それはその美術館の根本的な所に、「美術館=公共=万人に開かれた」という確固とした信念が横たわっているからです。だからこのような美術館はその経営がどんなに苦しくなろうとも、市民から必要以上のお金を取るような事は無いだろうし、そもそも美術館に併設されているミュージアムショップでさえ、利益を上げる事すら目的にはしていないと思います。

さて、どうしてこのようなエントリを書こうと思ったか?というと、実はパリ旅行の最中に、とあるプロジェクトの為に某美術館関係の方とお話する機会があったのですが、その方曰く、グローバリゼーションが進行する最中、このような美術館の基本コンセプトを保持しつつ、美術館の運営をしていく事が大変困難になっているとの事でした。

その事で真剣に悩む彼女の顔を見ていて、美術館の入場者数とか、美術館ランキング、はたまた来館者の導線最適化など、美術館を「観光」の為に「最適化」する事だけに眼がいっていた自分が、何だかものすごく恥ずかしくなってきたんですね。

時代が変わり、都市間競争が激しくなっていく中において、各美術館は観光客を一人でも多く捕まえようと躍起になっています。そしてそれはある意味仕方が無い事なのかもしれません。しかしその一方で、美術館の本来の意義、目的などといった「グローバリゼーションに翻弄されてはいけないもっと大事な事」が存在する事も又事実だと思います。

「何故僕達は今、美術品を自由に楽しむ事が出来るのか?」、「公共とは一体どういう事か?」そういう事をたまには思い出してみる必要もあるのではないでしょうか?美術館という完成された「制度」をただ単に「輸入してしまっただけ」の我々日本人は特にね。

そんな事を考えさせられた一日でした。




追記:
今回の旅で発見した素晴らしい画家の一人、ドラクロア(Ferdinand Victor Eugene Delacroix)
の作品、"民衆を導く自由の女神"。ルーブル美術館にありました。
| 旅行記:美術 | 19:25 | comments(4) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
地中海連合(Union pour la Mediterranee): ペルピニャン(Perpinan)―モンペリエ(Montpellier)間の高速鉄道(AVE)
今月の頭からフランスはモンペリエ市にて、ペルピニャン―モンペリエ間を結ぶ高速鉄道建設に伴う会合が何回か持たれている様子です。今月6日にはフランス・スペインの国境付近の市長8人(ペルピニャン(Perpinan)、ナルボンヌ(Narbona)、ベジエ(Beziers)、トゥールーズ(Toulouse)、モンペリエ(Montpellier)、フィゲラス(Figueres)ジローナ(Girona)、バルセロナ(Barcelona))が集まって討論会が開かれたり、先週は別の席にカタルーニャ州政府(Generalitat de Catalunya)が招かれ意見を求められたりと、大変活発な動きが見られます。(関連記事はコチラ:都市アクセッシビリティ:ヨーロッパの高速鉄道網状況:地中海ブログ)



この高速鉄道はフランスの領地に建設される為、当然の事ながらフランスがイニチアティブを取っているのですが、鉄道と言うのは「何処に」建設するかと同時に、その鉄道が「その都市を通って何処へ行くのか?」というのが、大変に重要な問題なんですね。

良く「グローバリゼーションの中における都市間競争」と言うけれど、本当は隣の都市と競争するのではなくて、隣の都市が栄えていた方が自分の都市にとってはプラスになるんですよね。何故なら近隣に人やモノが多く集まっていると言う事は、そこに繋がっている都市には同じく多くの人やモノが流れ込んで来ると言う事を意味するのだから。つまり近郊都市がよりダイナミックであればある程、自身の都市もダイナミックになっていくという事です。

故に何時もは隣国の事なんかコレっぽっちも気にしないフランスも、今回ばかりはさすがにカタルーニャを無視出来ない状況となっています。

さて、議論の対象になっている点は主に2つ:

一つ目は鉄道の用途について。つまり、旅客専用にするのか?もしくは貨物列車にするのか?という問題です。この点については主に4つのシナリオが考えられています。

1.人の輸送だけに限り、最高速度を320キロまで上げる。
2.人とモノの両方を運ぶ鉄道にして、旅客車両の最高時速を220キロ、貨物列車のそれを120キロにする。
3.2と同じく人とモノの組み合わせだけど、旅客車両の最高時速を300キロに、貨物列車は変わらず120キロにする。
4.最後のシナリオは上の3つとは違って、在来線を拡張するというもの。

スペイン側の主張としては、現在バルセロナまで来ている高速鉄道(AVE)が旅客と貨物の混合になっているので、当然の事ながら混合タイプを主張しています。

そしてコレに関連して議論されているのが第二の点。それがパリまでのルートです。これにも幾つかのシナリオがあって、ペルピニャン・モンペリエを結ぶ軸線上にナルボンヌとベジエに新しい駅を作るという案。そしてナルボンヌからカルカッソン(Carcasona)を抜けてトゥールーズへ繋ぐという案などが出ています。



バルセロナとしてはナルボンヌ―トゥールーズ案に大賛成。何故かと言うと、現在フランス経由でバルセロナ港に入ってくる資材は、そのほとんどがトゥールーズで配分されているからです。バルセロナにとってトゥールーズというのは、都市戦略上外せない拠点なんですね。だからそのトゥールーズと高速鉄道で結ばれると言う事は、自ずから都市発展を助長する事になるわけです。

さて、ここが面白い所なんですけれども、以前のエントリでお伝えした様に、バルセロナは1995年以来、地中海連合の旗振り役(Barcelona Process)を務め、去年の11月には念願の地中海連合(Union Pour la Mediterraness)の常設事務局に選ばれました。(地中海連合(Union Pour la Mediterraness)の常設事務局はバルセロナに:地中海ブログ)この事により、名実共にバルセロナは地中海の首都となった訳です。

地中海の首都とは何か?
それは国と言う枠組みを超えて、地中海と言う文化圏を一つに纏め上げる中心、文化や経済発展の中心的役割をする都市と言う事だと思います。そしてその為に必要不可欠なのが道路や鉄道などのインフラな訳です。

だから、もし本当に地中海の首都を目指すのならば、論理的にはバルセロナはペルピニャンーモンペリエーマルセイユ(Marsella)ーニース(Niza)を抜けてイタリアへと触手を伸ばしていくのが必然的な考え方だと思います。しかし実際にはバルセロナはナルボンヌからトゥールーズを通って北へ抜けようとしている。つまり全く逆を目指している。



反対方向を向けば、論理的にはバレンシア(Valencia)ーアリカンテ(Alicante)ージブラルタルへと行くのが常識だと思うんですね。しかしですね、ココでも実際にバルセロナがやっているのは南を目指すのではなくて、マドリッドなど北を目指しているんですね。

もう一つ面白い例を挙げます。この地中海連合にはバレンシアも大変活発に動いていて、バルセロナや南仏との連携を強調していたりするのですが、彼らが最優先している連結はバルセロナではなくて、マドリッド。バルセロナとの連結計画は未定のくせに、マドリッドとの連結工事は2010年に完成するらしい。

まあこの場合は、港が無いマドリッドが地中海で最も重要な港の一つであるバレンシア港がどうしても欲しいと音頭を取っているのかも知れません。バレンシアにしてもそんなに悪い話では無くて、連結すればヨーロッパで最大級の空港とのコンタクトが手に入るのだから。

まだはっきりとした事は言えないけれど、何が言いたいのかというと、「地中海連合=地中海の弧連結」というのは、かなりイメージ先行の部分があるのではないのだろうか?と言う事。つまり実はバルセロナがやっている事と言うのは「イメージ創り」に過ぎないのではないのか?と言う事です。

まあ、とは言っても、各都市間では着々と結び付きを強める為の計画が進行している事も又事実。例えば、現在フランスとイタリア間ではリヨン(Lyon)とトリノ(Turin)を結ぶ計画が進行中です。もしコレが実現すれば、バルセロナから、ペルピニャン―モンペリエ―マルセイユ―リオン―トリノという道も十分可能ですね。

又、ペルピニャンとジローナは両都市の結び付きを強める為にEUから越境地域協力資金「インターレグ(Interreg)」、830万ユーロ(1ユーロ120円として約10億円)を取り付け、両都市を南ヨーロッパの舞台芸術の首都にしようと試みています。ペルピニャンで現在進んでいる新しい劇場(Theatre de lArchipel)はジャン・ヌーベル(Jean Nouvel)の設計で、400万ユーロ(1ユーロ120円として約4.8億円)がつぎ込まれているんだそうです。

このようなミクロとマクロの眼を持って、南ヨーロッパの戦略を見ていくのも又、面白いかもしれません。
| 都市戦略 | 21:22 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ヨーロッパの都市別カテゴリー:ブルーバナナ(Blue Banana)とかサルコジ(Nicolas Sarkozy)首相とか
少し前の事になりますが、ヨーロッパの都市別カテゴリーに関する記事(Innovacion y atracción de talento, 29 de Enero, 2009, p8)が載っていました。

都市別カテゴリーとは何かというと、ヨーロッパの各都市を「この都市は研究拠点型」だとか、「この都市は現代産業センター型」だとか、特徴別に分類して地図にしたものです。この分類と地図自体はUrban Auditが発行した” State of European cities Report, 2007”という報告書を下敷きにしているのですが、その中でバルセロナは「知識創出と有能な人材を惹き付ける拠点」として評価され、「知識ハブ」というカテゴリーに位置付けられているんですね。バイオ医療やテクノロジー、そしてR&Dで売り出しているバルセロナとしては、この評価はうれしいんじゃないかな。

確かにココ最近、この方向で都市を売っていこうという動きが一層活発になっている気はします。(例えばコレ:カタルーニャの打ち出した新しい都市戦略:バイオ医療( BioPol, BioRegio)、地中海ブログ)

元々この記事だって、バルセロナを研究と発展の拠点として国際的地位に押し上げる為に、新たに始めた「バルセロナ、研究と革新(el programa Barcelona, Recerca i Innovacion)」プログラムの発表の為だったんですね。更に今週木曜日にはバルセロナ市長がロンドン・スクール・オフ・エコノミクス(London School of Economies)で講演を行い、「バルセロナは知識型都市に生まれ変わりつつある」と言う事をコレでもか!と強調したりしていました。(Hereu vende en Londres la fuerza futura de Barcelona, La Vanguardia, 6 de Febrero 2009, p7)

まあ、バルセロナにはこの分野の世界的重鎮、マニュエル・カステル(Manuel Castells)がいたり、長年彼とパートナーを組んで現場から都市を動かしてきたジョルディ・ボージャ(Jordi Boja)がいたりするので、かなり早くから知識型社会への移行を見越して戦略的に動いてきた結果が、バルセロナを今の地位に押し上げたというのは、特に驚くべき事ではないんですけれども。

さて、こんな都市別カテゴリー化、ひいては都市間競争が視覚化されたのって、ブルーバナナ(Blue Banana)なんだろうなー、と言う事は以前のエントリで何度か書いた気がします。(地中海連合(Union pour la Mediterranee)の常設事務局はバルセロナに:地中海ブログ、関連書籍:(Brunet,Roger(1989): Les Villes Europeennes, Rapport pour la DATAR, Reclus, La Documentation Francaise.)



欧州委員会としては都市の多様性を確保する為、もしくは市民に、ヨーロッパというのは様々な特徴を持った都市のモザイクなのだという事を認識させる為に、先の都市のカテゴリー化や地図などを作ったんだろうけど、これが都市間競争を助長しているのは明らかな事実だと思います。

ブルーバナナって分かり易い図式と絶妙なネーミングが相まって、かなり有名になりましたが、実はブルーバナナが発表された後、ドタドタっと同じ様な提案が幾つかされたんですね。(あまり知られていませんが)例えばその一つがコレ:



IAURIFが提案した「青い星(Blue star)」。ブルーバナナよりもよりダイナミック且つ現実的な表象だと主張しています。もしくはコレ:



Lutzkyが提案した「7つのアパートを伴ったヨーロッパという家(The European house with seven apartments)」。極めつけはコレ:



Klaus R. Kunzmann と Michael Wegnerが提案した「ヨーロッパの青ブドウ」“ The European green grape”。ブルーバナナよりももっと多極的にクラスター化する事で、より現実的な分析に近ついたと言われています。更にこの人達、こんな素晴らしい事まで言っちゃっています:

「希望としてはこの競争はゼロサムゲームではなく、全ての都市が勝つようなゲームになる事が望ましい。」

“ The hope is that this competition is not a zero- sum game where any gain is a loss elsewhere, but that at the end of the day every city will be better off”.(Kunzmann, K.R. and Wegener,M.: the pattern of urbanization in western Europe 1960- 1990. report for the directorate general XVI of the commission of the European communities as part of the study urbanization and the function of cities in the European community, Dortmund: IRPUD, 1991)


どっかで聞いたような言葉だなーとか思いつつ・・・とってもポリティカル・コレクトネスだよなーとかも思いつつ・・・。

最近の経済危機でヨーロッパの各都市は、それこそ死に物狂いでリソースを探しに出るのではないかと思われます。つまり欧州委員会が望むと望まざるとに関わらず、競争はますます激化するのではと思うんですね。

でもこんな時だからこそ出来る事もあるはず。小さい都市は小さい都市なりにその都市にしか出来ない事、差別化を図ったり、近隣諸都市と協力関係を築いて地域として大都市と対抗する、いわゆる、シティ・リージョンを実現したりする良い機会なんじゃないのかな?

そこへ来て、「さすがだな」と感心したのがフランスのサルコジ首相(Nicolas Sarkozy)。

「私は文化が経済危機に対する我々の答えだと言いたい。」

“ Quiero que la cultura sea nuestra respuesta a la crisis” (La Vanguardia, 3 de Febrero 2009,p28)


いわゆる文化を核とした都市再生、都市活性化というヤツですね。それが難しいのは誰もが分かっている。しかし、それを分かった上で言い切ってしまう彼の器量こそナカナカのものだなと思うわけです。

ちなみにカタラン人がよく言うのが、「サルコジのヤツ、あんなかわいい奥さん(カーラ・ブルーニ(Carla Bruni))もらってなんてうらやましいんだ」という妬み&嫉妬。うーん、確かにうらやましい。でも、あんなお世辞にもいい顔立ちだとは言えず、背も低くてあまりかっこいいとも言えない人が、あんな超美人と結ばれるなんて、世の中のオトコに希望を与えてくれましたよね。男は外見じゃない、中身で勝負だと。男の鏡です。ガンバレ、サルコジ。
| ヨーロッパ都市政策 | 23:59 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
それでも恋するバルセロナ:ヴィッキー・クリスティーナ・バルセロナ(Vicky Cristina Barcelona)その2:都市のイメージ
前回のエントリ、ヴィッキー・クリスティーナ・バルセロナ(Vicky Cristina Barcelona)その1:何故我々は真の愛に辿り着けないか?/何故人は人を愛する事が出来ないのか?の続きです。
前回はこの映画の主題を論じた訳なんですが、今回は「この映画にとってのバルセロナの意味」、「バルセロナにとってのこの映画の意味」について考えてみたいと思います。

僕が面白いなーと思ったのは以下の2点。1点目は映画の題名です。2人の女性主人公の名前と並列に「バルセロナ」が使われています。内容から言って、ビッキーとクリスティーナの次に重要なのは明らかに彼女達と三角関係になるアントニオであり、その後、四角関係になるペネロペ扮するマリア・エレーナのはず。それらを押し退けて「バルセロナ」が躍り出ている事にこそ注目すべきはずです。つまりココではビッキー、クリスティーナというパーソナリティと同格に「バルセロナ」という「都市」が扱われている。どのように?「地中海都市バルセロナ=ブランド」と言う人格を与えられた都市としてと言えると思います。

コレは結構面白くて、バルセロナという都市はしばしば一個の個人として扱われる事が多い都市なんですね。コレは世界的に見ても極めて稀です。例えば1999年、国立英国建築家協会(RIBA)はその年のゴールドメダルを、始めて個人以外の「バルセロナという都市」に授与しました。そんな事は1960年以来、ずーっと続いてきた長い歴史の中においても唯一の例外です。

さて、都市間競争時代における都市のイメージ創り=ブランド化に関しては当ブログでは散々論じてきた所なのですが、この映画では面白い程そのブランド創りの過程を見る事が出来ます。カサ・ミラ(Casa Mila)などのガウディ(Gaudi)関連、ピカソ(Picasso)やミロ(Miro)そして個人ギャラリーや展覧会と言ったアート関連、地中海都市=中世都市というイメージを喚起する旧市街石畳の細い路地などが「これでもか」というほど強調されています。

こういう都市のブランド化は、無理矢理何でもかんでもブランドにしようとする事から、何処かに必ず綻びが現れます。それを探すのがちょっとした楽しみだったりする。



例えば上の写真はバルセロナ旧市街ゴシック地区(Barri Gotic)に位置するカタルーニャ州政府(Generalitat de Catalunya)の2つの建物を結ぶ渡り廊下(El puente en el Palau de la Generalitat)で、観光客が必ずと言って良い程パシャパシャと写真を撮る、云わば中世のシンボルのような存在。地球の歩き方にはこんな風に紹介されています:

「ふたつの館を結ぶ渡り廊下の優雅な彫刻を眺めていると、ふと時間を忘れ、中世へと導かれる思いがする。」p62、地球の歩き方、バルセロナ05-06

だけど、この橋って中世に作られたんじゃなくて、実は1929年のバルセロナ世界博の為にココに付け加えられた紛れも無いフェイクなんですね。ちなみに設計者はイグナシ・デ・ソラ・モラレス(Ignasi de Sola Morales)のおじいさんにあたる、Joan Rubio i Bellverで1928年の事です。20世紀に付け加えられた装飾を見て、うっとりと中世へ導かれる人達って一体・・・。

同じ様な事で、映画の中でちょっと気になったのは、アントニオの設定です。彼はアーティストでバルセロナで個展とかも開いていて、話の流れから明らかにカタランアーティストかと思っていたら、彼の実家って実はオビエド(Oviedo)。アストゥリアス(Asturias)出身の芸術家です。カタランじゃないじゃん!!!

ダメ押しはクリスティーナの役柄設定。彼女はマスター論文をカタラン人のアイデンティティをテーマに書いていて、今回それを調べる為に1ヶ月バルセロナに滞在しているという設定です。それだけで、「なんだそりゃ!!」とか、思わず噴出してしまいそうな設定なのですが、そんな事が1ヶ月そこらの滞在で分かるなら苦労しない(笑)とひそかに思ってしまった。でもそこは問題じゃなくて、そんな事がまかり通ってしまうほどに、既にバルセロナやカタランがブランド化しているという事だと思うんですね。

今更言うまでも無い事ですが、映画は「想像の共同体」を創り出す為の強力な道具です(興味のある人はコチラ:想像の共同体、ベネディクト・アンダーソン(Benedict Anderson, Imagined Communities, 1983))。つまり映画というメディアは常にプロパガンダやイメージコントロールを含んでいるという事なんですね。それが分かっているからバルセロナのような、都市のイメージコントロールに大変敏感な都市は映画をどうにかして見方に付けようと必死なわけです。この辺りの事は以前のエントリ、スカーレット・ヨハンソン in バルセロナ with ウディ アレン(地中海ブログ)で書いた通りです。当時バルセロナ市はウディ・アレン監督(Woody Allen)にこの映画を撮ってもらう為に交通規制や建物開放など全面協力を申し出て、更に映画制作費の10%にあたる150万ユーロ(約2億円)を融資したとか。そこまでしても、それ以上に計り知れない影響がある事が分かっているからこそ、喜んで先行投資したんですね。

もう一点気になったのは、バルセロナという都市が醸し出しているもう一つのイメージ、バルセロナ=地中海都市=ビーチ=開放的、みたいな。しかも大抵の場合、その開放的にはセクシー系のイメージが纏わり付いています。例えば、以前紹介したまいっちんぐ・マチコ先生のオープニングに出てくるフラメンコ姿のマチコ先生とか。



今回の映画では、人生の岐路に立っている女性が一夏の恋をするのに夏の開放的な都市の雰囲気が手伝ったとでも言わんばかりの演出がされていました。映画中でヴィッキーがオビエドでアントニオとのゆきずりの一晩を過ごした後、彼女の婚約者がバルセロナを訪れてベットで寛いでいるシーンがあるのですが、婚約者はヴィキーにこう言います:
「今日の君、とっても良かったよ。まるで別人だ。この街の雰囲気がそうさせるのかな?」

これは前回論じたように、理性の塊だったヴィッキーがアントニオにその理性を乱され、少し感情側に針が触れた事による結果、彼女がベットで情熱的になったと考えられると思います。しかし注目すべきは何も知らない婚約者がその理由に「バルセロナという街の雰囲気が彼女にそうさせた」と言わせている所だと思うんですね。そしてそれがヨーロッパで一般に流通しているこの街のイメージです。

バルセロナ在住者としてはそれが真実かどうか?という所は大変微妙なのですが、外から見たバルセロナがそのように見られている事は明らかだと思います。ヨーロッパの大学にはエラスモス(Erasmos)という交換留学制度があって、沢山の学生が毎年バルセロナに留学しに来るのですが、彼らの求めているイメージは正に「終わり無きパーティー生活」。この間、バルセロナ大学(Universidad de Barcelona)に行ったらこんなポスターが貼ってありました。

「エラスモス学生歓迎フィエスタ:ダブリン神学校看護学科との国際コラボレーションパーティー。夜12時から朝7時まで」。

こういう事に関してはものすごくがんばるカタラン人達。仕事はさほど熱心じゃないのに、土曜日にどのレストランに行って、その後何処のバーに行くか、という計画に対しては異常な執念を燃やして火曜日辺りから予約や人集めの為に電話を掛けまくるカタラン人。誰とは言わないけど、僕の席の前のGちゃん、金曜、土曜、日曜とフィエスタに行って、風引いたとか言いながら、実は二日酔いだみたいな事、フェイスブック(Facebook)に書いちゃダメですよ、ばれるって、みんな見てるんだから。

望む、望まずに関わらず、このような都市のイメージが出来上がっている事は確かです。そしてそれがこの都市を他の都市と差別化している。グローバリゼーションが進み、どんどんジェネリックシティが出来てくる中、今、バルセロナが注目されている理由の一つは、このイメージ操作による所が大きいと思います。そんな中、今回のような映画が出てきた事は正に必然だったといえるかもしれませんね。
| 映画批評 | 20:25 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ウィーン旅行(Vienna / Wien)その3:スティーブン・ホール(Steven Holl)の建築:ロイジウム(LOISIUM Kellerwelt):ファサードに見る建築デザインの本質
前回のエントリ、ウィーン旅行(Vienna / Wien)その2:スティーブン・ホール(Steven Holl)の建築:ロイジウム(LOISIUM Kellerwelt):行き方の続きです。

先ずアプローチ。



葡萄畑と田園風景の真っ只中に舞い降りたUFOのごとき、銀色の塊とでも表現しましょうか。遠くからでもはっきり見える、変わった窓の形とブラックジャックの如き縫い目の跡のようなファサードが印象的。



更に近付くとファサードが平坦では無く、ちょっとデコボコしている事に気が付きます。そしてその切り返しに金属と金属を縫い合わせたような処理が施されている。



この縫い目のようなデザインと壁の動きが、様々な形と大きさの溝(窓)を巧く補完しているように思えます。この辺のデザイン処理というのはやはり非常に巧いですね。







更に言っちゃうと、窓の「掘り」を大胆に深くする事によって、銀色の箱の抽象性を高めています。そしてその「掘り」と軽やかな銀色のファサードが醸し出す対比が鮮やかですね。デコボコ(ナミナミ)デザインもスペイン人がやるほど大胆ではなくて、どちらかというと主役(この場合は窓)を際立たせる「塩・コショウ」という感じでしょうか。

このような動きのあるデザイン(デコボコ、もしくはナミナミデザイン)って、エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)の影響かどうか知らないのですが、スペインでは非常に良く見かけます。建築学校へ行って学生の作った模型なんて見てると、デコボコしていないのを見つける方が難しいくらい。

しかしですね、このようなナミナミデザインを巧く使いこなせているスペイン人建築家を、僕は2人しか知りません。一人は勿論、ミラージェス。イカリア通り(Avinguda de Icaria)にあるグニャグニャ系のオブジェクトは、何故にそこにそのグニャグニャが必要なのか?とか何故グニャグニャなのか?とか、そういう疑問をすっ飛ばしてしまうくらいに、その表現に説得力がある。





つまり、あのグニャグニャが「何時までも沈む事の無い太陽や、終わる事の無いお祭り」と言った、バルセロナのエネルギー全体、社会全体を表象していると思わせるくらいの表現に達しているんですね。そのあたりの事について、僕は以前のエントリでこんな風に書きました:


”・・・先ず僕は建築とはその社会文化を表象する芸術行為だと考えています。コレが意味する所というのは、建築を理解する為にはその建築、もしくは建築家が育った地域の社会文化を理解する事から始めなければいけないという事です。僕はその事をポルトガルの文化に深く根ざしたアルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)の建築から学びました。彼の建築の最も優れた所というのは、デザインのセンスや形の面白さでは無く、彼の建築が否応無く表してしまうポルトガルの社会文化だと思うんですね。だからシザの建築を指して「詩的だ」という解釈にはあまり賛成出来ません。「詩的」だという説明は他の言葉で説明出来ない時の逃げに使われている気がするからです。

全く同じ事がミラージェスの建築にも言えて、彼の建築は地中海都市であるバルセロナの社会文化を良く表していると思います。その事に気が付いたのはこちらに住み始めて2年くらい経った時のことでした。

地中海特有の天気、毎日晴れ。明日も晴れ、明後日も晴れ、ずーっと晴れ。ニュースを見るとお天気マークが「これでもか」というくらい続いているし、キャスターは「今年の雨日数は2週間でした」とか言ってるし。こんな毎日天気の良い日が続くと自然と人が公共空間に出て来て、様々なアクティビティがそこで繰り広げられる事となります。更に昼間は暑いから自然と活動は朝方、もしくは夕方から夜にかけてという事になる。すると夕食時間がそれだけズレ込んで夜中1時を過ぎても屋外で夕食会が普通に開かれているという状況が生まれる訳です。

これが地中海都市でこれほど公共空間が重要視される理由だと思うんですね。そしてそれがこの都市の人々にバイタリティを与えている。燦燦と降り注ぐ太陽の下で育まれる生命力、何時まで経っても終わる事なく続くアクティビティ、絶え間ない笑顔、それに背中を押された社会の楽観主義。これら全てを正に「一撃の下に表している」のがミラージェスの建築であると思う訳です。・・・”

(詳しくはココ:エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)の建築その2:バラニャ市民会館(Centro Civico de Hostalets de Balenya)に見る建築の質:社会文化の表象としての建築:ミラージェスの場合






又、ナミナミデザインとは少し違うかも知れないけど、バラニャ市民会館(Centro Civico de Hostalets de Balenya)では螺旋状に回転しながら上昇する内部空間と、その内部空間がまるで内側から膨らんできてファサードになったかのような、内外一致の見事な建築を展開していました。(詳しくはココ:エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)の建築その3:バラニャ市民会館(Centro Civico de Hostalets de Balenya)に見る建築の質:実際に建築を訪れる事の大切さ

もう一人はラペーニャ&エリアス・トーレス(Jose Antonio Martinez Lapena and Elias Torres)。彼がトレドに完成させたエスカレータは僕が今までに見た建築の中でも指折りの傑作。



物語の展開方法といい、エレベータという普通のモノを、少しずつ角度を変える事によって差異化しつつ、見事なナミナミデザインを完成させています。(詳しくはココ:マドリッド旅行その4:ラペーニャ&エリアス・トーレス(Jose Antonio Martinez Lapena and Elias Torres)の建築その1

又、2004年にバルセロナに完成させた巨大ソーラーパネルでも、ほんの少しだけ角度を付ける事によって、見事なダイナミクスを達成している。



(詳しくはココ:マドリッド旅行その4:ラペーニャ&エリアス・トーレス(Jose Antonio Martinez Lapena and Elias Torres)の建築その2:ソーラーパネル

デザインってこういうモノだと思うんですね。パッと見、普通なんだけど、良く見るとちょっと違う。つまり普通のモノを差異化する事。ここから生まれる静かなデザイン。そもそもDesignって否定語の「DE」と「SIGN」がくっついて出来ています。つまりサインを消す行為だと見る事も出来るわけですよ。以前書いた「歌舞伎と能」の比較で言うと、「能」的なデザインという事です。

そう考えると、グローバリゼーションの中において都市間競争がますます激しくなり、それに伴って都市が派手な建築を「都市の広告」として必要としている現在は、デザインの本質とは全く反対方向へ向かっているなー、という気がします。

実はこの辺の事については僕は本当に悩んでいます。簡単な例で言うと、建築的に見て世界最高峰の質を持つ、正に「能」的デザインの極地、谷口さんのやられたニューヨーク近代美術館と、一見、歌舞伎的に見えるけど、全くそのレベルにすら到達していないバカトラバ、失敬、カラトラバ(Santiago Calatrava)のデザインした橋。建築的に見て賞賛されるべきは当然前者なんだけど、都市という観点から見た時、人を惹き付けているのは明らかに後者なんですね。後者の派手なデザインが大衆の心を捉えているとすれば、前者の良さが分かる人なんて全人口のホンの数パーセントしか居ません。

そうすると、公共のお金を使って都市を発展させる為には果たして谷口さんのような優れた建築で良いのか?言い方を変えれば、カラトラバのようなデザインが求められているのではないのか?というお話になってくるわけですよ。

コレは難しい。中村研一さんが言われていたように、最終的には評価軸の違いという事になるのだろうけれど、未だ僕は決定的な評価軸を自分の中に確立する事が出来ずにいます。

あー、又脱線してしまった。

まあ、とにかくナミナミデザインは見掛けほど簡単ではなくて、すさまじいデザイン力が無いとそのデザインが説得力を持つにはナカナカ至りません。そんな中、このスティーブン・ホールのナミナミファサードはナカナカに成功していると思います。

さて、ファサードについてもう一つだけどうしても書いておかねばならない事があります。それがホールが採用するに至ったあの特徴的な窓の事です。

僕は建築を訪れると先ずはその建築家が一体何をやりたかったのか?を模索する所から始めます。建築を設計する立場から言うと、一つの建築を計画・デザインするにあたり、必ず何かしらやりたい事があるはずなんですね。僕は基本的に一つの建築の中に建築家がやりたかった事が一つ達成されていれば良い建築だと評価します。逆に言うと、一つの建築の中に一つで良いんです。

建築家というのはやりたい事が沢山あります。しかしそれらをやり過ぎない勇気というのも必要だと思うんですね。何かしらカケガエノ無い一つのアイデアをサポートする為に全てのデザインが展開している時、僕はその建築にとても感動します。

そんな風に考えると、今回の建築でホールがやりたかった事は唯一つ。様々な形と大きさの窓から入ってくる光のハーモニーによる内部空間の構成です。彼はとにかく「光のハーモニー」を創り出したかった。それを実現する為には色んな形の窓が要る。そこで彼が引っ張り出してきたのが、この葡萄畑の地下に眠っているワイン貯蔵庫ラビリンスの古地図だったんですね。

そうなんです。この地には何百年も前からワインの地下貯蔵庫がラビリンスのように存在していて、今回ホールがデザインしたのはラビリンスを用いた観光用のワイン物語空間の始まりとクライマックス空間だったんですね。そして、これは後日知ったのですが、あの特殊な窓の形は地下のワイン貯蔵庫の地図を変形して抽象化した形だそうです。

”この場所での特別な体験の焦点である地下貯蔵庫のジオメトリーを取り出して変形し、抽象化して、キューブ(ワインセンター・パビリオン)の内部に陽射しを送り込む開口をかたちつくる・・・”(GA Document, p76)

このように、どんなものでも自分のデザインに利用してしまえる思考の強さ、そしてどんなものでもデザインしてしまえるデザイン力。コレがスティーブン・ホールという建築家の強さです。

ウィーン旅行(Vienna / Wien)その4:スティーブン・ホール(Steven Holl)の建築:ロイジウム(LOISIUM Kellerwelt):歴史的遺構という物語空間に接続された現代建築に続く。
| 旅行記:建築 | 20:15 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
サラゴサ(Zaragoza)の都市戦略
昨日の新聞にサラゴサの都市戦略に関するっぽい記事(Aragon, la apuesta logistica, La Vanguardia, 7 de Septiembre, 2008)が載っていました。「関するっぽい」と書いたのは、この記事が「サラゴサ都市戦略」を前面に謳っている訳ではなくて、サラゴサが今後都市としてロジスティック(logistic)の分野に力を入れていく事を説明した記事だったからです。それが僕から見ればサラゴサの都市戦略に見える、と、まあ、こんな程度の事です。

つい見過ごしてしまいそうな記事だったのですが、サラゴサの都市としてのポテンシャルの高さから少し取り上げる事にしました。

前にも書きましたが、サラゴサという都市は立地条件が非常に良く、巧く戦略を練れば今後急成長が期待出来る都市なんですね。国際的には未だ全く知名度が無い小都市ですが、やはりそのポテンシャルの高さに気が付いている人は既に行動を始めています。そしてそれに触発されるようにサラゴサ市(Ayuntamiento de Zaragoza)とアラゴン政府(Gobierno de Aragon)もその事には十分自覚的だと僕は思います。

先ずは何がそんなに地の利があるのか?というと、サラゴサはバルセロナ(Barcelona)とマドリッド(Madrid)の丁度真ん中に位置し、バレンシア(Valencia)とビルバオ(Bilbao)の間に居るんですね。つまりスペインで最も人とモノの往来が激しい東西軸(マドリッドーバルセロナ)と、太平洋・大西洋に最大級の港を持つ南北軸(バレンシアービルバオ)の中央に位置している訳です。

かつてスペインの近代歴史学を切り開いたビセンス・ビベス(Vicens Vives)は、ヨーロッパとアフリカの間に位置しているカタルーニャを指して「辺境の渡り廊下」と呼び、それがカタルーニャの混成文化という特長を創り、異常なまでの発展を促したと指摘しましたが、サラゴサも21世紀における「渡り廊下」に成り得る可能性を持った地だと思います。

さて、次に問題になるのは、では一体このような地の利を生かして何をするのか?という事です。そこでサラゴサが考え出したのがロジスティックなんですね。ロジスティックとは何か?というと、簡単に言えば、物的流通を効率化するシステムの事です。つまり製造した物をどうやって集めてどうやって分配するか?更にそれをどのように調達・配送したら最も効率が良くなるか?それを扱うのがロジスティックです。

サラゴサは今正にヨーロッパにおけるロジスティックの中心になろうとしています。
まあ、成ろうとしたからといってなれるモノでもないのですが、それはサラゴサの巧い所、というか見習うべき所なのですが、彼らは他都市で成功した都市モデル(バルセロナモデルみたいな)を自分の所のコンテクストに無理やり当てはめるというような事はしていません。彼らがロジスティックを目指した理由、それは自国を十分に分析した結果出て来た結論だったんですね。

それこそ上で述べた東西南北の軸線上に都市が乗っているという事実だった訳です。スペイン2大都市を結ぶ高速鉄道の中央に位置している事から人とモノは自ずと集まります。更に港を経由しなければいけない物流はバレンシアとビルバオがカバーしている。モノの流れには空輸出来るモノと出来ないモノが存在します。だから都市の発展の為には必然的に空港と港が重要なファクターになってくるという事は当ブログで何回か言及した通りです

昨日の新聞記事によるとサラゴサはもう既にヨーロッパ随一となるロジスティック・サラゴサプラザ(logistica de Zaragoza Plaza)なるものをアラゴン政府(51,52%)、サラゴサ市(12,12%)、Ibercaja(18,18%),CAI(18,18%)の出資で建設中だとか。その大きさは12,826,000m2で30億ユーロ(日本円で約2兆円)の投資を見込んでいるそうです。

更にサラゴサの戦略は箱物を作る事だけに集中しているわけでは決してありません。世界の知識と情報を集める為に地元サラゴサ大学(Universidad de Zaragoza)が米マサチューセッツ工科大学(MIT)と協同で日本の修士課程にあたるMaster of engineering in Logistics and Supply chain managementを創設したんですね。これによって世界最高峰の頭脳とコンタクト、そしてそれらが惹き付ける巨額の投資の可能性を確保しました。実はもう既にその効果の片鱗が出ていて、それが今年開かれているサラゴサ万博や都市計画の裏方に見る事が出来ます。

サラゴサ万博と関連して、現在サラゴサでは「サステイナブルでインテリジェントな都市:都市交通の新しいコンセプト(La ciudad inteligente y sostenible: un nuevo concepto de transporte urbano)」をキーワードにMilla Digitalという計画が進行中です。その音頭を取っているのがMITメディアラボ教授のウィリアム・ミッチェル(William J.Mitchell)。更に万博にはMITSENSEablecity Labで近年力を付けてきたカルロ・ラッティ(Carlo Ratti)も入っていますし。

私見ですけど、ウィリアム・ミッチェル率いるMITとの仲介役になったと思われるのはマニュエル・カステル(Manuel Castells)でしょうね。何故カタラン人のマニュエルがアラゴンに肩入れするのか?それはお隣が発展するとこちらにもポジティブな影響が出てくるからです。ジョルディ・ボージャ(Jordi Borja)が言っているように、シティ・リージョン(City Region)を前提とした都市間競争時代においては、どの都市が勝ってどの都市が負けるという勝ち負けゲームは意味を成さなくなるんですね。そうではなく、繋がっている隣の都市が発展する事が自身の都市が発展する事に繋がる、それがシティ・リージョン時代の都市間競争の法則です。

そう考えると、ウィリアム・ミッチェルを始め、サスキア・サッセン(Saskia Sassen)やピーター・ホール(Peter Hall)など市役所の助言役にスペインの一地方都市をグローバリズムの中で考察する面々が顔を揃えているのにも納得出来るかー。

更に更に万博開催に漕ぎ着けた政治的な手腕や、その万博を都市発展に用いた巧さ。そして市内を流れる川に関連付けつつ、21世紀のはずせないテーマであるサステイナビリティを主軸に添えた視点の良さなど、書き出すと切りが無いのですが、長くなってしまったので又今度。
| スペイン都市計画 | 22:36 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
フランクフルト旅行その2:未来都市としての広告都市
今回の旅行の目的の一つである展覧会に行く途中にフランクフルト応用芸術美術館( Frankfurt Museum of Applied Arts)があったのでちょっと寄ってみる。



一目見ただけでソレと分かるデザインは勿論リチャード・マイヤー(Richard Meier) 設計の美術館です。真っ白なカベと透明感溢れるガラスの組み合わせは濃い緑の中において鋭いコントラストを成し一層映えます。唯、建築として見た時に、それほど成功しているとは言い難いというのも事実。内部もスロープを中心に光溢れる空間を展開しているけど、コレといった見所も特に無く、無難にまとめたという感じかな。



それに比べたらバルセロナ現代美術館(Museo de Arte Contemporáneo de Barcelona)は彼の傑作の内の一つに数えられても良いくらいの質を持っていると思います。





外観・内観共に建築家のやりたかった事と、物語が良く見えて大変気持ちの良い建築に仕上がっていますね。

さて、長々と同じ作者の2つの美術館を引き合いに出し比較したのには訳があります。何故ならこの質の違いこそ我々の時代の建築と建築家、そして表象の問題を包括しているからです。

建築って言うのは基本的に「広告」なんですね。ある時は権力の大きさを表したり、ある時は宗教の繁栄振りを現したりしてきました。(ヴェネチアのサンマルコ寺院 (Basilica di San marco)の装飾はその当時の繁栄と権力を他国に見せ付ける為の最も効果的な広告でした。)



マンハッタンやフランクフルトに竹の子のように林立している超高層ビルの多くは各企業の資本力を表したりしているわけです。(その高さが企業力を表している。)



このように建築が何を表象するのか?もしくは建築に何を表象させるのか?という問題は時代とクライアントによって変遷してきた訳です。

では我々の時代の建築は一体何を表象しているのか?もっと言うと、クライアントである都市は建築家や建築に一体何を表象して欲しいと思っているのか?それこそ僕が当ブログで何度も問題にしている「観光」な訳です。

都市間競争が激化する中、今都市が必要としているのは「観光客を惹き付ける事が出来る建築」です。コレが現在スペイン出身のエンジニア(建築家ではありません)カラトラバ(Santiago Calatrava 通称バカトラバ)の建築が売れに売れている理由なんですね。質も高尚さも全く違うゲーリーの建築が、唯、概観の派手さが似ているというだけで同じ俎上に載せられて議論されているという事実こそ、都市にとって大切なのは派手な外観であり、建築的質では無い事を如実に物語っています。(驚くべきはカラトラバ建築の浸透力です。リポイ(Ripoll)なんていうカタルーニャのクソ田舎にさえも存在するくらいなんですね。)



そして今正に我々の周りを取り囲んでいる環境全てが「広告化」しようとしています。以前にも書いたのですが、その事を大変良く象徴するような状況がバルセロナにありました。下記の写真はバルセロナの中心部、丁度上記のリチャード・マイヤーによるバルセロナ現代美術館の前の壁に描かれたグラフィティを撮影したものです。



プロも顔負けの実力に驚かされます。と同時に、やはりバルセロナはアートの街であり市民の芸術センスの高さにも驚かされるんですね。実際ココへ行くと沢山の観光客が一生懸命記念撮影をしている場面に遭遇します。

しかしですね、ココにグラフィティを書いている人というのは、その辺に居る若者なんかではなくて、市役所に登録して、場合によってはお金を払って書いている人達なんですね。言わばプロ、もしくはセミプロと言っても良い人達です。中には企業に雇われて書いている人も居ます。





何故都市がこんな事をするのかというと勿論目的は一つ。観光客に「デザイン都市」というイメージを植え付ける為であり、観光客を惹き付ける為です。

対照的に道を挟んだ反対側ではリチャード・マイヤー設計の美術館がこれでもかというくらい白く輝いています。こちらのカベには落書き一つありません。何故なら毎朝、掃除のおじちゃん・おばちゃんが一生懸命消しているからです。





何故か?何故ならこの白い壁はバルセロナの純白さを現していて「清潔な都市」というイメージを観光客に持って欲しいからです。

道を挟んで両側では一見、全く逆の行為が行われているかのようです。一方ではカベに落書きが日夜され、もう一方では描かれた落書きが日夜消されている。しかしですね、この一見逆の行為の目的はとても明確に一致しているんですね。何の為か?観光の為です。両行為とも都市のイメージを高める為に仕組まれている事なんですね。

一番効果のある広告とは見えない広告です。あからさまな広告より広告だと分からず我々の潜在下に訴えかける広告ほど効果的なものは無い。今、我々を取り巻く全ての環境が広告と化そうとしています。
| 旅行記:建築 | 18:10 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ミラノ旅行その7:ミラノの都市戦略その1:都市マーケティング政策
ミラノという都市についてどうしても書いておかなければならない事があります。それがミラノの都市戦略です。今までローマヴェネチアといったイタリアの諸都市を訪れてきたのですが、ミラノには明らかにそれらのどの都市とも違った「都市戦略」がその裏に存在しているのではないのか?という事を今回実際に訪れてみて感じました。

僕なりに整理してみた結果、それらの戦略は大きく2つに大別する事が出来るかと思います。一つ目はミラノのブランディング政策(都市商業政策)について。これは多分イタリアの諸都市で行われている事とかなり近い事が成されていると思いますが、ミラノの特徴はデザイン優先でそれがなされている点が他の都市とは違うかと思われます。もう一つはビッグイベントを利用した都市発展手法について。これはバルセロナが最も得意とする戦術であり、イタリアではミラノという都市コンテクストだけが許した特有のシナリオだと思います。(この事についてはミラノ都市戦略その2で詳しく論じます)

それらの戦略が展開された理由を考えて見た時に真っ先に思い付くのは、ミラノという都市は他のイタリア諸都市と比べると中心市街地といえども歴史的な街並みがあまり残っていないという事が一つ挙げられるのではないかと思うんですね。だから歴史的な遺産に頼らずに都市間競争を勝ち抜く戦略(意識的に観光客を惹き付ける戦略)が要求されたのではないのか?という事が推測されます。

先ずは一点目から。
ミラノと言えば「ファッションの街」というのが思い浮かびますが、これは戦略的に捏造された節があります。それに気が付いたのは世界的に有名なモンテナポレオーネ通り(Via Monte Napoleone)の高級ブティックの集積状況とそこの雰囲気を目の当たりにした時でした。





この通りはヨーロッパの目抜き通りによく見られるような歩行者空間ではなくて、一般車の進入を許しています。しかしこの通りが一般道路と少し違うのは、この街区が醸し出す独特な雰囲気がフェラーリなどの高級車ばかりを呼び寄せている事なんですね。



観光客もそんなモーターショーさながらの様子をカメラに収めようと押しかけて来ていて、ブティックと相乗効果を生んで街区のブランディング化に一層の拍車をかけています。

よく知られているようにイタリアでは伝統的に小さな職人企業が都市の商業を支えてきました。そんな中から世界的なブランドであるフェラガモ(Ferragamo)グッチ(Gucci)といった大変優れたブティックが出てきたのは事実なのですが、それだけでミラノという街がファッションの街としてこれだけ活気を帯びるまでになったとは到底思えない。何よりある特定の街路レベルでこれだけのブティックの集積が見られるのには、明らかにその裏に官の「都市を売っていこう」という都市戦略の影がちらほら見えるわけですよ。

とか思いつつ、以前にも紹介した宗田好史さんの記念碑的作品、「にぎわいを呼ぶイタリアのまちつくり:歴史的景観の再生と商業政策」を紐解いて見るとやはりありました、それらしい記述が。

「・・・この大規模店立地の規制よりも、戦略的な視点から商業集積を誘導する手法にこそイタリアの商業計画の特徴がある。」(p182)

この記述はヨーロッパが直面していた中心市街地の衰退という大問題に対して各都市が小売業の衰退を憂慮して大規模店を立地させる事を規制した政策に対して、イタリアは戦略的に街路レベルで、ある特定の商業を集積させる政策を展開してきたという文脈で語られています。そしてこの街路レベルにおける店舗の戦略的展開こそがイタリアまちつくりの特色であると言われているんですね。

更にこの後具体例としてローマ市の試みが語られていますが、そこではあたかも街全体が一つのスーパーマーケットのように見立てられて商業立地計画がより効果的になるように決められているそうです。
「新戦略を語るこの商業局長が、ローマという大デパートの店長のように、テナント各社に号令する姿」(p189)が見られたそうです。

日本の街並みでは想像しにくいかと思いますが、ヨーロッパの街構造と都市計画に慣れた人ならこの感覚はものすごくよく分かると思います。以前のエントリで書いたように、僕達はバルセロナの都市戦略の一環としてバルセロナ中心性創出プロジェクトやバルセロナの各街区レベルにおける歩行者空間プロジェクトなどを行っています。その時に都市分析の道具となるのがGISであり、GIS上にデータとしてインプットされる街路レベルの商業活動なんですね。このようなデータを日々見ていると、街区や街路を一つのデパートや食料品通路などに見立てるというアイデアはものすごく良く分かる。それに沿って歩行者の誘導や人の流れを呼び込むといった政策を展開したいんですが、そこまでやっている都市はヨーロッパには何処にもありません。何故なら今の段階ではそのレベルの都市分析は不可能だからです。詳しくはココ。

イタリアではこのような都市商業政策は「都市マーケティング」政策と呼ばれているそうです。更に「まちつくりからの取り組み以上に、中心市街地はまず人から活性化するものである。」(p178)というコンセプトの下、「・・・自治体は小売・サービス業を町の基幹産業として位置つけてきた。基幹産業をささえる人材を養成し、サービスの質を競争力にする。・・・」(p178)それこそイタリアのまちつくりの核にある戦略だと言われています。

街の再生を人の再生から考えている所が大変興味深いです。と同時にこれって南欧都市に共通の認識なのかな?ともふと思ってしまうんですね。何故ならバルセロナの場合は正にその「人の再生」を「公共空間の再生」に期待していた訳ですから。

もう一つの共通点としては両都市共にデザインを主なツールとして進めてきたという事が言えるかと思うんですね。1999年に英国で出版された「アーバンルネッサンスに向けて(Toward an Urban Renaissance)」の序文で当時のバルセロナのカリスマ市長だったパスクアル・マラガル(Pasqual Maragall)はこんな風に語っています:
「(パブリックスペースは)先に質、量はその後(Quality first, quantity later) 」

つまりデザインを通した公共空間の質を優先すべきで量が問題なのではない。そしてバルセロナの成功の秘訣は公共空間を量産した所には無くて、質の高い公共空間を提供した所にその秘密があると、こう言っているわけです。

もしくは同じ序文におけるリチャード・ロジャース(Richard Rogers)の言葉:
「我々の(ロンドンの)アーバンデザイン、もしくは都市戦略の質に関しては、多分アムステルダムそしてバルセロナに20年は遅れている(in the quality of our urban design and strategic planning, we are probably 20 years behind places like Amsterdam and Barcelona)」

このようなデザインを中心に据えたバルセロナの活性化手法に対して、ミラノという都市は他のイタリア諸都市が当たり前のように持っている歴史的中心街が無い事をバネとして、その欠点をあたかもデザインの力で埋めようとしているかのように思われます。その結果が良く統一された街路空間となり都市全体の魅力を高めている訳ですね。



かつてイグナシ・デ・ソラ・モラレス(Ignasi de Sola Morales)は「経済、社会、そして風景。これら3つの要素は同時に変わっていく」と語りました。これは1960年代にヨーロッパ各都市を悩ました中心市街地の衰退にも全く当てはまり、それこそがこの問題の根の深さを物語っているんですね。つまりその問題をどうにかしようと思ったら、その内のどれか一つを解決すれば状況が改善するという単純なものではなく、3つ同時に扱っていく必要があるという事です。

このような途方も無く深い問題にイタリア各都市は真摯に向き合い、伝統的な小売業や職人気質といった伝統の上に「都市マーケティング」を重ね合わせながら独自の方式で、スクラップアンドビルトとは全く違う都市活性化手法を提示しました。更にそれがフィジカルな環境だけではなくて、人をも含んでいる所こそ我々日本人が注目すべき点だと思います。
人を育てる事による都市の成熟化。正に「ルネッサンス、情熱ー」
| ヨーロッパ都市政策 | 16:00 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
都市の闇:ヴェネチア(Venezia)の裏の顔とジェントリフィケーション(Gentrification)
水の都ヴェネチアという都市は本当に美しい都市です。建物から都市構造に至るまで数百年の歴史が大変良く保存され、訪れた者を中世の世界にタイムトリップさせる魅惑ある都市です。





しかし、どんな都市にも表の顔と裏の顔があります。都市が美しければ美しい程、それは汚いもの・目障りなものが排除されているという結果なんですね。特に各都市が観光客を奪い合う都市間競争の時代においては、必然的に都市の必須課題は如何にして都市美を捏造するかに傾けられます。そしてその弊害が必ず都市の何処かに現れてくる。

例えば僕がよく利用する超効率都市フランクフルト。90年代初頭、フランクフルトは金融街として急成長を遂げました。



その頃、「グローバルシティ(Global City)」という分かり易い標語を掲げ、ニューヨーク、ロンドン、東京を中心にせっせと論文を生産していたサスキア・サッセン(Saskia Sassen)ジョルディ・ボージャ(Jordi Borja)が「フランクフルトもグローバルシティに加えたら」と助言したというのは有名な話。



市内を流れるライン川から金融街を見た風景はあまりにも有名ですが、その足元にアムステルダムと並ぶ、ヨーロッパ最大の風俗街が広がっているのは現地へ行った人しか知り得ないと思います。



「急発展するグローバル都市」というイメージを売りにしたいフランクフルトは、竹の子のように生える風景を前面に出す事はしても、グローバル化による負の面の象徴とも言える風俗街の写真を表に出す事は先ず無いからです。

さてヨーロッパ都市において排除されるものは、歴史的中心市街地を覆う城壁の外へと放り出されるのが定石なのですが、ここヴェネチアでは本島全てが歴史的地区に当たり、その外は海。という事は、本島の何処かに隔離部分があるか、もしくは本島を渡った所にヴェネチア市民の真の生活が広がっているか?のどちらかという事になると思います。

そもそも僕は街を歩いている時からヴェネチア本島に果たして市民が住んでいるのかどうか?は大変疑問でした。生活感がまるで無かったからです。職業柄、旅に出るとやはりその土地の公共空間に注目してしまいます。何故ならユルゲン・ハーバーマス(Jurgen Habermas)が言うように、「公共空間とは都市の表象であるから」なんですね。つまり公共空間を見れば、その都市がどんな都市かが大方分かるというわけです。

ヴェネチアの公共空間を観察していて思ったのは、先ず第一にボールを蹴っている子供達や日向ぼっこをしているおじいさんなどが見当たらないという事でした。つまり市民の姿をあまり見かけなかったのです。見かけるのは何処も観光客ばかり。

これはある意味すごい。最近ものすごい勢いでジェントリフィケーションが進んでいるバルセロナ中心街においてさえも、スケートボードをしている子供やボールを蹴っている子供達、犬の散歩をしている人々が観光客に混じっています。その姿が無い風景は正にディズニーランド。(ちなみに昨日の新聞( La Vanguardia)によると、不動産バブルがはじけ気味なスペインでは昨年の同じ時期と比べて新築物件価格が27%下落し、賃貸価格が5%上昇した模様。インフレ中の物価上昇指数は4.4%)

これは明らかに過度の観光化によるジェントリフィケーション(Gentrification)の弊害でしょうね。限りある土地において、全てが観光化されている本島では全てが高すぎる。市民の足であるヴァポレット(Vaporetto)と呼ばれる水上バスは初乗りが6.5ユーロで72時間券で31ユーロ。2005年度の料金がそれぞれ5ユーロ、25ユーロだった事を考えると3年で1,2−3倍になってる。(住居権を持っている市民には定期券とかあるのでしょうか?)コーヒー一杯3−5ユーロ。サンドイッチが4−6ユーロ。スーパーや日用雑貨を売っている店はあまり見かけなかったし・・・

これは一般市民が住む価格レベルじゃありません。市内総生産の6割以上を占め、雇用も4割を超えている観光関連産業を第一に考えるのは良く分かる。しかしながら、都市の活力は市民であって、市民こそがその都市にとっての最大の魅力なはずです。イタリア研究で著名な宗田好史さんは、彼の記念碑的名著、「にぎわいを呼ぶイタリアのまちつくり:歴史的景観の再生と商業政策」の中で、イタリアのジェントリフィケーションの特徴を、「都心の住民、とくに中商工業者が豊かになったこと」とされていますが、ヴェネチアの場合、豊かになった住民はそのまま島に残るのでしょうか?もしくは何処かへ非難するのでしょうか?どうなんでしょう、その辺?

住民って何処に住んでるんだろうなーとか思いながら探した所、居ました。(何かナメック星でナメック星人探しているフリーザみたいですが。そう言えばイタリアでよくピッコロという言葉を耳にしました。イタリア語で小さいという意味らしいです。)

先ずは本島の南側、ヴェネチア・ビエンナーレが行われる所辺り。



まるで隔離されたかのように、その辺り一帯の建物一階部分には何も諸活動(カフェなどの)が入っておらず、建物から建物へと所狭しと洗濯物が掛けられています。





人通りは全く無く、まるで死んでいるかのよう。観光客だとまる分かりな僕が一人で歩くのがちょっと怖いくらい。この辺りは明らかに市によって計画的に隔離された公共経営集合住宅地区だと思います。中心街のジェントリフィケーションによって以前のエリアには住めなくなった人達が移動させられたエリアだと推測します。

そしてもう一つ。こちらが本命だと思うのですが、ヴェネチア本島が大陸と唯一繋がっている鉄道路線を渡った直ぐの所。





歴史的建造物が保存されている本島とは対照的に、ここからは工場地帯が乱雑に広がっています。





更に行くと、何処にでも広がっているような独立住居風景が限りなく続いているという状況。これが中世の姿を今に残すヴェネチアの本当の顔ですね。

グローバル化の波にさらされている現代都市には必ず2つの顔があります。そして優雅で楽しげな表の顔の裏に隠されている裏の顔にこそ、その都市の本質を見る事が出来るのです。そしてそこにどの程度の資金が投入され、どの程度の計画がなされているかで、その都市の底力と実力が分かるんですね。

とは言っても、イタリアは本当によくやっていると思います。安易な大規模開発に走らずに、こつこつと建築的な改修や改造で都市再生を解決したのだから。そんな地道な努力を続け、アメリカ型ではないオルタナティブを示したイタリアの事例だからこそ、ジェントリフィケーションのコントロール不可能性と恐ろしさが分かるというものです。

バルセロナ現代文化センターのアルベルト(Albert Garcia Espuche)が大変に優れた展覧会とカタログ( La reconquiesta de EUROPA: Espacio publico urbano 1980-1999)で示したように、ヨーロッパの諸都市は80−90年代を通して疲弊した歴史的中心地区をパブリック・スペースの改善を通して再生してきました。そしてその試みは大変うまくいきました。しかし僕達が今直面している問題は単なる改善・再生ではなく、その後の問題なんですね。そしてその問題に対して我々は未だ有効な手立てを持っていません。

都市間競争の欲望が「都市再生」を後押しし、都市美を創り出した所に必ずと言って良いほど現れる怪物。

マルクスとエンゲルスが言った言葉を現代ならこんな風に言い換える事が出来るのではないかと思います。

「一匹の妖怪がヨーロッパを徘徊している。ジェントリフィケーションという妖怪が」。
| ヨーロッパ都市政策 | 20:56 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
広告都市:都市間競争時代における広告としての映画
前回のエントリーで書いたように現在バルセロナではウディ・アレンが映画を撮影しています。ここの所、毎日のように新聞に大きく取り上げられ報道も加熱気味。
さて、僕にとって大変興味深い点はアレンの撮影を官が主導しているという事です。事の始まりは一年ほど前に遡ります。アレンが次の映画候補地にバルセロナを挙げた時点で既に市長が彼をバルセロナに招き、その後ポンペウ大学の名誉教授に就任させました。更に今回の撮影に当たっては約2億ユーロを援助金として彼に支払うという条件でバルセロナ市内の撮影が始まり撮影中の警備や段取りは全て官主導。

何故にそこまでしてアレンにバルセロナで撮影をしてほしいのかというと答えは唯一つ。映画が僕らの時代における最大の広告の一つだからです。名のある監督と女優に美しいストーリーとバックミュージック。そこへ背景として数ある街角の風景から選び抜かれた海辺や街中の映像が加わるとほとんど誰でも憧れを持ってその街を見てしまう。つまりかなり良いイメージが心の中に形成されてしまう訳です。
これは丁度ベネディクト アンダーソン(Benedict Anderson)が「想像の共同体」で国民をコントロールする道具として言語や文学と同様に挙げていたのが映画という事に通じます。映画と言うのは国民の意識を統一する道具としては大変に優れている訳ですよね。その映画の目的が「国民意識を創り出す」から「都市のイメージを創り出す広告」へと変わっていったわけです。この背景には勿論、当ブログで散々指摘している都市間競争があります。何故ならこの映画が出来た暁には世界中に配信され連日のごとく大スクリーンで放映される。さらに各種メディアも取り上げる事間違いなしと来ているから計算としてはアレンに支払った2億ユーロなんてチンケなもんだという事になる。

この辺の都市戦略はホントに巧い。地中海都市として真っ青な海があるとか山があるとか天気が良いとかという事に加えて、都市をどう発展させていくかという思考能力が大変長けている気がします。そんな事を1000年前から続けている民族だからそこから学ぶ事は大きいと思います。


| 都市戦略 | 19:46 | comments(0) | trackbacks(35) | このエントリーをはてなブックマークに追加
ウィリアム・カーティス(William Curtis) インタビュー
William Curtis が近代建築の系譜の改訂版を出したのを記念してバルセロナに来ていました。インタビューが新聞に載っていたのですが要約するとずばり「建築は広告だ」と言っています。

僕の感想は「まあ、そうでしょうね」ですね。それしかあり得ない。都市間競争がどんどん激しくなっていくにつれて全てが都市の為の広告になっていく。地方文化や食文化は勿論、競争に勝つために伝統さえ捏造される時代です。そんな中で建築というのは観光客を引き付ける為にはこれ以上ない財産ですから有名建築家にド派手な建築を作ってもらうのが一番という話になる。

問題はですね、オルタナティブな方法があるのか?という事になると思います。単純に言います。NYのMOMAは谷口さんによる大変な傑作だと思いますし、あの完成度は世界的に見ても郡を抜いていると見ても良いと思います。しかしNYという都市から見たら果たしてあの建築が「良い建築かどうか」は言えない。それよりはカラトラバにモノスゴイのをデザインしてもらった方がよっぽど観光客の写真の背景としては冴えるという話になる訳ですし、お金も沢山落としてもらえる事になる。

谷口さんのMOMAが幾ら素晴らしいデザインだからと言ってあの空間の質が理解できる人が果たして世界中に何人居るというのでしょうか?こういう思考から導かれるのが建築の広告化と言う現象なんですね。このような状況の中で広告的デザインに拠らないオルタナティブを示す事が出来るかどうか?が次世代の建築のブレークスルーになる気がします。
| 建築 | 06:27 | comments(0) | trackbacks(34) | このエントリーをはてなブックマークに追加
広告都市:バルセロナと広告としての建築
ちょっと遅れてしまいましたが先々週木曜日から週末にかけてArt Futuraが行われました。これは未来の美術、特にメディアアートついて語る・展覧するというスペイン9都市で同時進行的に行われる企画です。今年のテーマは情報の美学。僕のテーマに合いそうだったので3人の建築家・アーティストによる初日のカンファレンスに行って来ました。

一人目はオーストラリアから来た建築家で講演のテーマはその名もずばり情報をどう視覚化するかと言うモノ。はっきり言ってありきたりでつまらなかった。2人目はドイツの建築家チームRealities: united。彼らは最近脚光を浴びて来つつある建築家で、知られている作品としてはグラーツにあるピータークックによるエイリアンの表層のコンピュータによるデザインを行っています。彼らの作品には大変考えさせられる所が多かった。というのも、先ず彼らの行っている事は広告か建築かという切り口において僕の問題意識と共通する所が大きいからです。

僕がずっと言い続けている事の一つに建築の広告化という事があります。広告というとベンチューリが先ずは思いつきますが僕が言う広告とは彼の言っているような明らかな広告ではなくてパッと見、広告じゃないんだけど実は広告であるという北田暁広さんが言われているような広告をイメージしています。何故なら広告が最大に機能するのはそれが広告だと分からないように隠れている状況下においてなんだと思うんですね。だから彼もその著「広告都市東京」でトゥルーマンショーの描写から始めたんですよね。あれってバルセロナにぴったりの言葉だと思います。バルセロナの街は正にバルセロナ自身の為の広告を創っている。一番分かりやすいのがグラフィティ。グラフィティって元々反権力と若者のパワーなどの象徴でちょっとクールなイメージがあると思います。バルセロナは正にそのイメージを利用している。

CCCBの前の壁にはむちゃくちゃレベルの高いグラフィティが描かれています。パッと見、通りかかった人はそのレベルの高さに驚くはず。そしてこう思う、「さすがデザイン都市バルセロナ。一般市民さえもデザインのレベルは高い」。誰も知りませんがココに書かれているグラフィティは市役所がコントロールしているモノなんです。つまりなんでもない通りかかりの人が気ままにかける場所では無いと言う事です。この壁に書くためには許可証がいるし場合によってはお金を払わなければ書かせてもらえない。そこまでして何をしたいかというとバルセロナのクールなイメージを売りにして観光客を引き付けたい訳ですよ。これこそ広告。この最大のモノが建築物なんですね。建築というのは街にとって最大の広告です。だからバルセロナ現代美術館は白い色をしている。何故かというとバルセロナのピュアなイメージを表象しなければいけないからです。

さて、こう考えてくると大変秀逸な理論である森川嘉一郎さんの建築の終わり論が実は日本の視線を多分に含んでいるという事が見えてくるのではないでしょうか?建築という表象は短期的価値よりも長期的価値を表象するのに大変適した表象行為である。しかし近年のグローバリゼーションや冷戦崩壊などによって建築は表象するための主題を失なってしまった。その結果建築家は自分の趣味みたいなモノを持ち出さざるを得ず、その結果流線型やデコンの建築が生まれた。その代表がゲーリーのグッゲンハイムであるという訳です。

彼の理論は大変精密で優れているという事を認めた上で言わせてもらえば、以前書いたように都市間競争が盛んになりつつあるヨーロッパのコンテクストに即して言えば現在の都市が一番必要としているのは観光客を惹きつける為の広告としての建築のはずなんですね。それはヨーロッパに住んでみればもう明らかです。つまりそれが都市の欲望な訳です。ゲーリーのグッゲンハイムというのはその要望にうまく答えたと捕らえた方が良いのではないのか?槙さんが「建築家とはその時代に生まれた人々が意識化で感じていながらなかなか形に出来なかった行為を一撃の下に表す行為だ」と言われています。つまり建築家とはそのような空気をビジュアライズすると言う事だと思うんですよね。ゲーリーは一流だった故にその空気を敏感に感じ取り見事それを形にしたのでは無いでしょうか?つまり「建築は終わった」というよりもむしろ「建築が新しい主題を見出した」と捕らえる方が正確なのではないでしょうか?と思うわけです。

ちょっと長くなってしまいましたね。続きは又次回。



| 都市戦略 | 09:59 | comments(0) | trackbacks(35) | このエントリーをはてなブックマークに追加
都市間競争
今日の新聞に企業が誘致したい都市(ヨーロッパ)のランキングが載ってました。
1位ロンドン
2位パリ
3位フランクフルト
4位バルセロナ
5位ブルッセル
ヨーロッパにおいてやはりロンドンとパリはまだまだ特別な存在です。という訳でその2都市が1位と2位を占めるのは分かる。3位のフランクフルトは近年のヨーロッパにおける金融を語る上でははずせない。その成長振りは現地にいけば直ぐに分かる。ジョルディ・ボージャがサッセンにその重要性を教えたら直ぐにグローバルシティに加えたというのは有名な話。という訳でコレも妥当。ブルッセルはヨーロッパ連合本部が置かれているのでコレも分かる。
注目すべきなのは4位のバルセロナでありここに近年の都市評価軸の構造転換を垣間見る事が出来る。バルセロナが評価された理由は生活の質が高いからというのとオフィスの賃貸料に比する都市交通網を含めた都市サービス料が安いからというのが理由らしい。つまり他の4都市が大きな枠組みにおける効率的という軸で評価されているのに対してバルセロナは生活の質という点で評価されている。同じような理由で7位にアムステルダムがランクインしています。このバルセロナとアムステルダムという組は1999年にイギリスのリチャードロジャースを頭とするアーバンタスクフォースが出版したアーバンルネッサンスに向けての冒頭でロジャース自身がヨーロッパにおける最も活気がある都市として挙げた組です。ちなみにこの本の前書きにはロジャースの他にバルセロナオリンピックを成功に導いたマラガル市長も序文を寄せています。コレ以降コンパクトシティ=バルセロナという図式が出来たっぽい。
今バルセロナが必死で新しい飛行場と新しいビジネス街創ってますよね。何故これほど必死になってるかっていうのは都市間競争に直結するからなんですね。ヨーロッパで大きな飛行場と言うのは4つないし5つ。ロンドン、パリ、アムスそしてフランクフルト。これにマドリッドが加わります。この中でアムスは少し趣向が変わってて何故かと言うとアムスには大きな港があるんですね。で、その港と空港、都市が高速鉄道で結ばれていて比較的短時間で移動可能圏内にある。港というのは空港とは又別に都市の発展のためにはなくてはならない機能です。故にマドリッドはバレンシアとのコネクションが欲しくてたまらないわけですよ。この点、バルセロナはもともと港を持っている。その港と新しい空港を高速鉄道でつないでその中間にビジネス街を作り出すというのがバルセロナの都市戦略。こうする事によってバルセロナはアムスと競争しようとしているんですね、実は。その際新たな求心力兼シンボルとして期待されているのが伊東さんの2本のシンボルタワー。これにも実は意味があって2本と言うところがミソ。それは又今度。これが出来てしまうと困るのがマドリッド。だから長い間ウンと言わなかったわけです。それが2004年にマラガルがカタルーニャ州政府の大統領になった事により事態が一変。初めてカタルーニャ州政府の政党と中央政府の政党が一致し計画に現実味が帯びてきたと言うわけです。ヨーロッパの都市を競争と言う視点で見てみると又違った見方だ出来ますね。
| 都市戦略 | 18:45 | comments(0) | trackbacks(36) | このエントリーをはてなブックマークに追加