地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
マニュエル・ボルハ・ビジェル(Manuel J. Borja-Villel)の都市戦略:国立ソフィア王妃芸術センター(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia)を通した21世紀の美術館の在り方
以前のエントリ、美術の商品化と公共空間: Manuel J. Borja-Villelで紹介したバルセロナ現代美術館(Museo de Arte Contemporaneo de Barcelona(MACBA))元館長で現在はマドリッドの国立ソフィア王妃芸術センター(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia)の館長に抜擢されたマニュエル・ボルハ・ビジェル(Manuel J. Borja-Villel)の大変に興味深いロングインタビューが先週日曜日の新聞(1/6/2008 El Pais semanal)に載っていたので紹介したいと思います。

前に書いたように彼の主張は都市の中に美術館を通した公共空間を創り出す事と、その空間とアートを用いて行われる教育の重要性です。前回引用した記事の中で彼はこんな風に発言しています。

「私は向こう3年間でレイナソフィア美術館の中に一つの都市を創りたい。」

" Me gustaría crear en tres anos una ciudad dentro del Reina Sofía", Manuel J. Borja-Villel, P26, 10 de febrero del 2008, La Vangurdia


この彼の戦略とオリンピックを契機としたバルセロナ都市戦略との間の同質性については前回のエントリで指摘した通りです。そして彼がこのようなプロジェクトを推進している裏には、彼が近年大変に憂いている美術の商品化と美術館の商業センター化・エンターテイメント化という我々の社会が不可避的に向かっている状況に対する危機感があるんですね。

「美術館は商業センターになってしまった。」
“ Los museo se han pasado a ser como centros comerciales”( Manuel Borja-Villel, p38, 1 de Junio de 2008,El pais semanal)


このような状況に対しての彼なりの戦略の一つが上述の「都市の中に都市を創る」だったわけですが、今日のインタビューには彼の戦略を形作っている深い所の思想というか、スペイン人である彼が不可避的に受けてしまう影響のようなものが垣間見えています。

僕が注目した彼のマニフェストがコレ:
「レイナソフィアを南のセンターにする」という発言です。

"... Borja-Villel llega al Reina Sofia para convertirlo en el referente del arte contemporaneo del sur", p38, 1 de Junio de 2008,El pais semanal)

一見見落としてしまいがちな発言なのですが、この短い一文の中には沢山の意図や歴史、社会文化から出て来た必然とも言える思考が見え隠れしているんですね。

先ず彼はヨーロッパを北と南に分けた上で彼の美術館戦略を構想しています。その時の基盤となっているのが北と南では人々の生活の特徴が違うという、結構当たり前の事実です。ではどう違うのか?彼は北に属する人々の特徴として「目」の優位性とそれに基つく視覚化・視覚性を挙げ、それに対して南に属する人々の特徴を「対話」に求めます。

「北はもっと図像的であり、鮮やかさが重要であり、体に対して目に特権性が与えられている。その一方で南、特に地中海においては口述の文化、そして体の動きの文化が存在する。」

"El norte es mas icónico, la visualidad es importante, se ha privilegiado el ojo sobre el cuerpo. En el sur, sobre todo en el Mediterráneo, hay una cultura de oralidad, del movimiento del cuerpo.", p42


20世紀が視覚の時代であるというのは誰しも納得する所だと思います。例えばコレとか:

オリジナリティと反復―ロザリンド・クラウス美術評論集: ロザリンド・E. クラウス, (Rosalind E. Krauss, The Originality of the Avant-Garde and Other Modernist Myths. Cambridge, Mass.: MIT Press, 1985)

その一方で南の都市、地中海に属する都市の特徴として「対話」が挙げられるというのはあまり聞かれない事だとは思います。この点についてイタリア都市のスペシャリスト、宗田さんはこう述べられています:

「・・・政治を理念の産物とせず、自己の生活の仕組みから考える現実的且つ合理的な国民でもある。したがって、みずからの経済的な成功と万人に暮らしやすい町という二つの方向を調整することに熱心である。そのための議論を市民同士が延々と続ける能力をもっている。この議論、すなわち延々と続ける対話が、イタリアのまちつくりの最大の特色である。・・・」
P14
にぎわいを呼ぶイタリアのまちつくり、歴史的景観の再生と商業政策、宗田好史


北の視覚性に対する南の対話性、目の優位に対する口と耳の優位。このようなそれぞれの地域によって人々の住まい方や生活の仕方が違う為に、自ずと美術館のモデルも違ってくるという話になるわけです。

ココで彼が非常に巧いのはどちらの文化が優れているとか劣っているとか言わずにそれぞれは補完関係にあるという話に持ち込む所なんですね。

それを具体的にする為に提案されているアイデアが「ネットワークとしての美術館」という概念です。要約するとテート(Tate Modern)やモーマ(MOMA)が世界モデルとして有名コレクションを集め、彼ら独自の道を歩んでいる時に、ワザワザ我々も同じ道を歩む必要は無い。そうではなくて、彼らが提供出来ていない分野に磨きをかけて別の道を歩もう。そうすればお互いに補完関係として尊重し合い、共存繁栄していく事が出来る、とこういうわけです。

彼がこのように主張する時、僕はそこに80年代から90年代にかけて展開されたバルセロナ都市戦略の影を見ずにはいられません。バルセロナ都市戦略の場合は1989年にDATARによって出版されたブルーバナナ(Blue Banana)の分析に基ついて、地中海の弧の中心になる事を目指しその後、バルセロナプロセス(Barcelona Process)などで地中海連携を主導しています。

Brunet,Roger(1989): Les Villes Europeennes, Rapport pour la DATAR, Reclus, La Documentation Francaise.

ジョルディ・ボージャ(Jordi Borja)は当時を回想してこんな風に述べています:

「・・・私たちが「バルセロナ第一次戦略計画」を立てた時、一連の文化施設は絶対に不可欠なものとして盛り込み、ヨーロッパ南部でいちばん魅力的な都市にしようと考えました。・・・われわれの望んでいた文化的なプログラムには、1500万人の人口が必要でした。どう考えてもバルセロナにも、その周辺にも、カタロニア全土を見渡しても、1500万という数字は出てこない。・・・そこで私達は、人口1500万という数字が見込めるところまで範囲を広げていき、最終的にはこの広域圏全体(地中海の弧(Arc Mediterranean))をターゲットにしました。」
p318
ジョルディ・ボージャ、都市はグローバリゼーションにいかに応答するか


余談ですが、ビルバオ(Bilbao)の場合はブルーバナナで示されたもう一つの弧である大西洋の弧(Arc Atlantic)の中心になる事を目指したんですね。

もう一つ注目すべき点が美術館は人々の体験や意見を交換する場所である公共空間になるべきだという提案です。地中海都市における公共空間の重要性というのは様々な論客によって様々に語られています。

例えば岡部さんはこんな風に述べられています:

「単純化して言えば、北が身近な緑を守るためなのに対して、南は高密度でこじんまりとした都市を守るために、既存の都市構造を尊重した都市連携を指向している。南の都市にとってにぎわいのある広場のような公共空間は、観光資源だけでなく、優先すべき公益なのだ。」P208-209

岡部明子「サステイナブルシティ、EUの地域・環境戦略」


公共空間の議論で僕にとって興味深いのは、では一体何故地中海都市において公共空間がこれほどまで重要視されているのか?という事なんですね。僕が考える理由は正に今日マニュエル・ボルハが語っている事の中に多大なるヒントが隠されています。それが目よりも対話を重視するという文化的特長であり、そこから生じた「延々と議論を続ける能力」です。これら人々の特徴と地中海都市の特徴である気候条件が交差するその交点に「公共空間の重要性」という地中海都市の特徴が浮かび上がってくるんだと思います。

延々と議論をする事が出来る能力を持つ人々が他の人々と出会い、激論を交わす場所こそが、毎日のように天気が続き、夜遅くまで日が沈まない気候を最大限に利用し発展してきた都市内の公共空間だからです。

先ほどの岡部さんの文章はこう続きます:

「・・・気候風土と文化的背景の違いにより、北の市民が環境負荷や緑を住環境評価の基準とする傾向があるのに対して、南の市民は都市的な質を重要視する。住環境で自然をとるか、都市的魅力をとるのか―南北で異なるふたつの価値観が、欧州都市の多様性を担保している一面がある。」P208-209

このような地域による違いが我々の世界を多様にし生活を豊かなものにしているわけです。ヨーロッパに居るとこのような多様性の大切さ、それによる人生の楽しみを実感する事が出来ます。僕もこのような多様性に貢献出来る仕事をする立場に居る事をとても誇りに思っています。
| スペイン美術 | 23:46 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ミラノ旅行その7:ミラノの都市戦略その1:都市マーケティング政策
ミラノという都市についてどうしても書いておかなければならない事があります。それがミラノの都市戦略です。今までローマヴェネチアといったイタリアの諸都市を訪れてきたのですが、ミラノには明らかにそれらのどの都市とも違った「都市戦略」がその裏に存在しているのではないのか?という事を今回実際に訪れてみて感じました。

僕なりに整理してみた結果、それらの戦略は大きく2つに大別する事が出来るかと思います。一つ目はミラノのブランディング政策(都市商業政策)について。これは多分イタリアの諸都市で行われている事とかなり近い事が成されていると思いますが、ミラノの特徴はデザイン優先でそれがなされている点が他の都市とは違うかと思われます。もう一つはビッグイベントを利用した都市発展手法について。これはバルセロナが最も得意とする戦術であり、イタリアではミラノという都市コンテクストだけが許した特有のシナリオだと思います。(この事についてはミラノ都市戦略その2で詳しく論じます)

それらの戦略が展開された理由を考えて見た時に真っ先に思い付くのは、ミラノという都市は他のイタリア諸都市と比べると中心市街地といえども歴史的な街並みがあまり残っていないという事が一つ挙げられるのではないかと思うんですね。だから歴史的な遺産に頼らずに都市間競争を勝ち抜く戦略(意識的に観光客を惹き付ける戦略)が要求されたのではないのか?という事が推測されます。

先ずは一点目から。
ミラノと言えば「ファッションの街」というのが思い浮かびますが、これは戦略的に捏造された節があります。それに気が付いたのは世界的に有名なモンテナポレオーネ通り(Via Monte Napoleone)の高級ブティックの集積状況とそこの雰囲気を目の当たりにした時でした。





この通りはヨーロッパの目抜き通りによく見られるような歩行者空間ではなくて、一般車の進入を許しています。しかしこの通りが一般道路と少し違うのは、この街区が醸し出す独特な雰囲気がフェラーリなどの高級車ばかりを呼び寄せている事なんですね。



観光客もそんなモーターショーさながらの様子をカメラに収めようと押しかけて来ていて、ブティックと相乗効果を生んで街区のブランディング化に一層の拍車をかけています。

よく知られているようにイタリアでは伝統的に小さな職人企業が都市の商業を支えてきました。そんな中から世界的なブランドであるフェラガモ(Ferragamo)グッチ(Gucci)といった大変優れたブティックが出てきたのは事実なのですが、それだけでミラノという街がファッションの街としてこれだけ活気を帯びるまでになったとは到底思えない。何よりある特定の街路レベルでこれだけのブティックの集積が見られるのには、明らかにその裏に官の「都市を売っていこう」という都市戦略の影がちらほら見えるわけですよ。

とか思いつつ、以前にも紹介した宗田好史さんの記念碑的作品、「にぎわいを呼ぶイタリアのまちつくり:歴史的景観の再生と商業政策」を紐解いて見るとやはりありました、それらしい記述が。

「・・・この大規模店立地の規制よりも、戦略的な視点から商業集積を誘導する手法にこそイタリアの商業計画の特徴がある。」(p182)

この記述はヨーロッパが直面していた中心市街地の衰退という大問題に対して各都市が小売業の衰退を憂慮して大規模店を立地させる事を規制した政策に対して、イタリアは戦略的に街路レベルで、ある特定の商業を集積させる政策を展開してきたという文脈で語られています。そしてこの街路レベルにおける店舗の戦略的展開こそがイタリアまちつくりの特色であると言われているんですね。

更にこの後具体例としてローマ市の試みが語られていますが、そこではあたかも街全体が一つのスーパーマーケットのように見立てられて商業立地計画がより効果的になるように決められているそうです。
「新戦略を語るこの商業局長が、ローマという大デパートの店長のように、テナント各社に号令する姿」(p189)が見られたそうです。

日本の街並みでは想像しにくいかと思いますが、ヨーロッパの街構造と都市計画に慣れた人ならこの感覚はものすごくよく分かると思います。以前のエントリで書いたように、僕達はバルセロナの都市戦略の一環としてバルセロナ中心性創出プロジェクトやバルセロナの各街区レベルにおける歩行者空間プロジェクトなどを行っています。その時に都市分析の道具となるのがGISであり、GIS上にデータとしてインプットされる街路レベルの商業活動なんですね。このようなデータを日々見ていると、街区や街路を一つのデパートや食料品通路などに見立てるというアイデアはものすごく良く分かる。それに沿って歩行者の誘導や人の流れを呼び込むといった政策を展開したいんですが、そこまでやっている都市はヨーロッパには何処にもありません。何故なら今の段階ではそのレベルの都市分析は不可能だからです。詳しくはココ。

イタリアではこのような都市商業政策は「都市マーケティング」政策と呼ばれているそうです。更に「まちつくりからの取り組み以上に、中心市街地はまず人から活性化するものである。」(p178)というコンセプトの下、「・・・自治体は小売・サービス業を町の基幹産業として位置つけてきた。基幹産業をささえる人材を養成し、サービスの質を競争力にする。・・・」(p178)それこそイタリアのまちつくりの核にある戦略だと言われています。

街の再生を人の再生から考えている所が大変興味深いです。と同時にこれって南欧都市に共通の認識なのかな?ともふと思ってしまうんですね。何故ならバルセロナの場合は正にその「人の再生」を「公共空間の再生」に期待していた訳ですから。

もう一つの共通点としては両都市共にデザインを主なツールとして進めてきたという事が言えるかと思うんですね。1999年に英国で出版された「アーバンルネッサンスに向けて(Toward an Urban Renaissance)」の序文で当時のバルセロナのカリスマ市長だったパスクアル・マラガル(Pasqual Maragall)はこんな風に語っています:
「(パブリックスペースは)先に質、量はその後(Quality first, quantity later) 」

つまりデザインを通した公共空間の質を優先すべきで量が問題なのではない。そしてバルセロナの成功の秘訣は公共空間を量産した所には無くて、質の高い公共空間を提供した所にその秘密があると、こう言っているわけです。

もしくは同じ序文におけるリチャード・ロジャース(Richard Rogers)の言葉:
「我々の(ロンドンの)アーバンデザイン、もしくは都市戦略の質に関しては、多分アムステルダムそしてバルセロナに20年は遅れている(in the quality of our urban design and strategic planning, we are probably 20 years behind places like Amsterdam and Barcelona)」

このようなデザインを中心に据えたバルセロナの活性化手法に対して、ミラノという都市は他のイタリア諸都市が当たり前のように持っている歴史的中心街が無い事をバネとして、その欠点をあたかもデザインの力で埋めようとしているかのように思われます。その結果が良く統一された街路空間となり都市全体の魅力を高めている訳ですね。



かつてイグナシ・デ・ソラ・モラレス(Ignasi de Sola Morales)は「経済、社会、そして風景。これら3つの要素は同時に変わっていく」と語りました。これは1960年代にヨーロッパ各都市を悩ました中心市街地の衰退にも全く当てはまり、それこそがこの問題の根の深さを物語っているんですね。つまりその問題をどうにかしようと思ったら、その内のどれか一つを解決すれば状況が改善するという単純なものではなく、3つ同時に扱っていく必要があるという事です。

このような途方も無く深い問題にイタリア各都市は真摯に向き合い、伝統的な小売業や職人気質といった伝統の上に「都市マーケティング」を重ね合わせながら独自の方式で、スクラップアンドビルトとは全く違う都市活性化手法を提示しました。更にそれがフィジカルな環境だけではなくて、人をも含んでいる所こそ我々日本人が注目すべき点だと思います。
人を育てる事による都市の成熟化。正に「ルネッサンス、情熱ー」
| ヨーロッパ都市政策 | 16:00 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
都市の闇:ヴェネチア(Venezia)の裏の顔とジェントリフィケーション(Gentrification)
水の都ヴェネチアという都市は本当に美しい都市です。建物から都市構造に至るまで数百年の歴史が大変良く保存され、訪れた者を中世の世界にタイムトリップさせる魅惑ある都市です。





しかし、どんな都市にも表の顔と裏の顔があります。都市が美しければ美しい程、それは汚いもの・目障りなものが排除されているという結果なんですね。特に各都市が観光客を奪い合う都市間競争の時代においては、必然的に都市の必須課題は如何にして都市美を捏造するかに傾けられます。そしてその弊害が必ず都市の何処かに現れてくる。

例えば僕がよく利用する超効率都市フランクフルト。90年代初頭、フランクフルトは金融街として急成長を遂げました。



その頃、「グローバルシティ(Global City)」という分かり易い標語を掲げ、ニューヨーク、ロンドン、東京を中心にせっせと論文を生産していたサスキア・サッセン(Saskia Sassen)ジョルディ・ボージャ(Jordi Borja)が「フランクフルトもグローバルシティに加えたら」と助言したというのは有名な話。



市内を流れるライン川から金融街を見た風景はあまりにも有名ですが、その足元にアムステルダムと並ぶ、ヨーロッパ最大の風俗街が広がっているのは現地へ行った人しか知り得ないと思います。



「急発展するグローバル都市」というイメージを売りにしたいフランクフルトは、竹の子のように生える風景を前面に出す事はしても、グローバル化による負の面の象徴とも言える風俗街の写真を表に出す事は先ず無いからです。

さてヨーロッパ都市において排除されるものは、歴史的中心市街地を覆う城壁の外へと放り出されるのが定石なのですが、ここヴェネチアでは本島全てが歴史的地区に当たり、その外は海。という事は、本島の何処かに隔離部分があるか、もしくは本島を渡った所にヴェネチア市民の真の生活が広がっているか?のどちらかという事になると思います。

そもそも僕は街を歩いている時からヴェネチア本島に果たして市民が住んでいるのかどうか?は大変疑問でした。生活感がまるで無かったからです。職業柄、旅に出るとやはりその土地の公共空間に注目してしまいます。何故ならユルゲン・ハーバーマス(Jurgen Habermas)が言うように、「公共空間とは都市の表象であるから」なんですね。つまり公共空間を見れば、その都市がどんな都市かが大方分かるというわけです。

ヴェネチアの公共空間を観察していて思ったのは、先ず第一にボールを蹴っている子供達や日向ぼっこをしているおじいさんなどが見当たらないという事でした。つまり市民の姿をあまり見かけなかったのです。見かけるのは何処も観光客ばかり。

これはある意味すごい。最近ものすごい勢いでジェントリフィケーションが進んでいるバルセロナ中心街においてさえも、スケートボードをしている子供やボールを蹴っている子供達、犬の散歩をしている人々が観光客に混じっています。その姿が無い風景は正にディズニーランド。(ちなみに昨日の新聞( La Vanguardia)によると、不動産バブルがはじけ気味なスペインでは昨年の同じ時期と比べて新築物件価格が27%下落し、賃貸価格が5%上昇した模様。インフレ中の物価上昇指数は4.4%)

これは明らかに過度の観光化によるジェントリフィケーション(Gentrification)の弊害でしょうね。限りある土地において、全てが観光化されている本島では全てが高すぎる。市民の足であるヴァポレット(Vaporetto)と呼ばれる水上バスは初乗りが6.5ユーロで72時間券で31ユーロ。2005年度の料金がそれぞれ5ユーロ、25ユーロだった事を考えると3年で1,2−3倍になってる。(住居権を持っている市民には定期券とかあるのでしょうか?)コーヒー一杯3−5ユーロ。サンドイッチが4−6ユーロ。スーパーや日用雑貨を売っている店はあまり見かけなかったし・・・

これは一般市民が住む価格レベルじゃありません。市内総生産の6割以上を占め、雇用も4割を超えている観光関連産業を第一に考えるのは良く分かる。しかしながら、都市の活力は市民であって、市民こそがその都市にとっての最大の魅力なはずです。イタリア研究で著名な宗田好史さんは、彼の記念碑的名著、「にぎわいを呼ぶイタリアのまちつくり:歴史的景観の再生と商業政策」の中で、イタリアのジェントリフィケーションの特徴を、「都心の住民、とくに中商工業者が豊かになったこと」とされていますが、ヴェネチアの場合、豊かになった住民はそのまま島に残るのでしょうか?もしくは何処かへ非難するのでしょうか?どうなんでしょう、その辺?

住民って何処に住んでるんだろうなーとか思いながら探した所、居ました。(何かナメック星でナメック星人探しているフリーザみたいですが。そう言えばイタリアでよくピッコロという言葉を耳にしました。イタリア語で小さいという意味らしいです。)

先ずは本島の南側、ヴェネチア・ビエンナーレが行われる所辺り。



まるで隔離されたかのように、その辺り一帯の建物一階部分には何も諸活動(カフェなどの)が入っておらず、建物から建物へと所狭しと洗濯物が掛けられています。





人通りは全く無く、まるで死んでいるかのよう。観光客だとまる分かりな僕が一人で歩くのがちょっと怖いくらい。この辺りは明らかに市によって計画的に隔離された公共経営集合住宅地区だと思います。中心街のジェントリフィケーションによって以前のエリアには住めなくなった人達が移動させられたエリアだと推測します。

そしてもう一つ。こちらが本命だと思うのですが、ヴェネチア本島が大陸と唯一繋がっている鉄道路線を渡った直ぐの所。





歴史的建造物が保存されている本島とは対照的に、ここからは工場地帯が乱雑に広がっています。





更に行くと、何処にでも広がっているような独立住居風景が限りなく続いているという状況。これが中世の姿を今に残すヴェネチアの本当の顔ですね。

グローバル化の波にさらされている現代都市には必ず2つの顔があります。そして優雅で楽しげな表の顔の裏に隠されている裏の顔にこそ、その都市の本質を見る事が出来るのです。そしてそこにどの程度の資金が投入され、どの程度の計画がなされているかで、その都市の底力と実力が分かるんですね。

とは言っても、イタリアは本当によくやっていると思います。安易な大規模開発に走らずに、こつこつと建築的な改修や改造で都市再生を解決したのだから。そんな地道な努力を続け、アメリカ型ではないオルタナティブを示したイタリアの事例だからこそ、ジェントリフィケーションのコントロール不可能性と恐ろしさが分かるというものです。

バルセロナ現代文化センターのアルベルト(Albert Garcia Espuche)が大変に優れた展覧会とカタログ( La reconquiesta de EUROPA: Espacio publico urbano 1980-1999)で示したように、ヨーロッパの諸都市は80−90年代を通して疲弊した歴史的中心地区をパブリック・スペースの改善を通して再生してきました。そしてその試みは大変うまくいきました。しかし僕達が今直面している問題は単なる改善・再生ではなく、その後の問題なんですね。そしてその問題に対して我々は未だ有効な手立てを持っていません。

都市間競争の欲望が「都市再生」を後押しし、都市美を創り出した所に必ずと言って良いほど現れる怪物。

マルクスとエンゲルスが言った言葉を現代ならこんな風に言い換える事が出来るのではないかと思います。

「一匹の妖怪がヨーロッパを徘徊している。ジェントリフィケーションという妖怪が」。
| ヨーロッパ都市政策 | 20:56 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加