地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
TBSの「セカイはいま、バルセロナ「観光客減らせ!」のワケ」について思うこと。

なんか先週、TBSで「セカイは今、バルセロナ「観光客減らせ!」のワケ」という番組が放送され、それが結構な反響を呼んでいるということで、僕のところにも各種メディアや自治体、研究者の方々などからの問い合わせが殺到しています。

バルセロナの観光政策とその行き過ぎた成功、そしてその結果引き起こされている市民生活への弊害については当ブログでは度々指摘してきたところです。下記に纏めておきましたので、興味のある方はこちらをご覧下さい:

観光MICEとオープンデータ:2020に向けて、バルセロナの失敗の学ぶ、データ活用による都市観光の未来

観光とチープエコノミー:ライアンエアー(Ryanair)などの格安航空機が都市にもたらす弊害

バルセロナの中心市街地で新たな現象が起こりつつある予感がするその1:ジェントリフィケーションとその向こう側

都市の闇:ヴェネチア(Venezia)の裏の顔とジェントリフィケーション(Gentrification)

エンターテイメント社会におけるチープ観光がもたらす弊害:観光のローコスト化による観光客の質の変化:Salouの場合

「観光が引き起こす弊害」という問題については、もう既に2008年の段階でその兆候が見えていました。今から10年も前のことです。更に言えば、2年前には横浜にて「バルセロナの失敗から学ぶ観光政策」というシンポジウムを開催したのですが、時期が早過ぎたらしく、「2020年の東京オリンピックに向けてインバウンドを目指してるのに、なに言ってるんだ、この人は?」みたいな感じで殆ど誰も理解してくれませんでした(苦笑)。そんな中、唯一興味を持ってくれたのが、国際大学GLOCOMの庄司さんで、翌年のバルセロナ・スマートシティエキスポにまで足を運んでくれたり、僕がコーディネートしたバルセロナ市役所副市長や幹部クラスとのスペシャル・セッションの最中も熱心にメモを取られたりと、「あー、さすがだなー」と思わされたりしたのは良い思い出です。

まあ、僕に言わせれば現在のバルセロナが観光に成功し過ぎてしまって、その弊害が出始めるだろうなんてことは、論理的に考えていけば普通に導き出せる答えだったので、そんなに驚きではないのですが、TBSもどうせだったら現在のバルセロナがその弊害に対してどういう対応策を考えているのか、「どの方向に舵を切ろうとしているのか?」など、そういうところまで踏み込んで取材してくれれば良かったのに、、、と個人的には思います。

ちょっと意地悪なことを言ってしまうと、今回のTBSの元ネタは上述した僕のブログだということは丸分かりで、放送された最後のコメント、「オリンピックを控えた日本では外国からの観光客の誘致を進めていますが、観光客を増やすことだけを優先してきたバルセロナの失敗から学ぶべきことは多いと感じました」っていうのは僕のブログ記事そのままですからね(笑)。っていうか、ネタは丸パクリって分かってるんだから、最後の表現くらい変えればいいのに、、、(苦笑)。

バルセロナの名誉の為に少しだけ補足しておくと、一応この分野では世界トップを走っている都市なので、「観光客にやられっぱなしで黙っている」なんてことはしていません。僕の目から見ると、むしろかなり積極的に革新的な政策を打ち出しています。バルセロナの背後で都市戦略を創っている人達も勿論知っていますし、彼らは来月ボストンに来て僕と色々と打ち合わせをすることになっていたりもするんですよねー。

我々の世界は常に動いていて、状況は刻一刻と変わっていっています。そこに見えている表面的な変化ではなく、もっと深いところにある構造的な変化を敏感に察知しながらも、そこから常に5年先、10年先の都市の姿を想像すること。その想像に基づいて、いまから打つべき最善の手を創造できる人達が少なからずいるということ。

そのような「想像力」と「創造力」が必要な時代に、我々は突入しているのです。

P.S.

最近は夏休みということもあって、MITには小中高校生がひっきりなしに観光に来てるんだけど、先日廊下を歩いてたら、やたらと「写真撮らせて下さい!」リクエストが多い日がありました。最初は何が起こったのかさっぱり分からなかったんだけど、写真を撮った後に何気なく聞いてみたら、「科学者(サイエンティスト)とピカチューのギャップが面白かったから」とか言われてしまい。。。

それでもなんの事か良く分からなくて、、、突っ込んで聞いてみたら、どうやらその日僕が着てたTシャツがピカチューだったらしい(驚)。「え、そ、そんな筈は無い!」とか思って、トイレに行って鏡を見てみたら、「ほ、ほんとだー。ピカチューだ!!」。

い、いや、このあいだ偶々ユニクロに行った時に適当に黒いTシャツを選んで買ったら、それが任天堂とのコラボTシャツで図柄がピカチューだったみたいです(笑)。 言われるまで全く気が付かなかった(汗)。

ちなみにMITの研究室の多くはこんな感じでガラス張りになってて、檻の中に閉じ込められている我々の姿を「まるで珍しい生き物が生息しているかの様に」観光客の皆さんが覗いていきますww

| 都市戦略 | 08:24 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
タイムアウト(TIMEOUT)誌がリスボンで面白いビジネスを展開している件
ポルトガルの某機関から「ビックデータ・オープンデータ系の講演会を企画してるんだけど、そこで基調講演してくれない?」ってお誘いを受けたので、復活祭(イースター)のバカンスも兼ねて、数日前からリスボンに来ています。



当ブログの読者の皆さんにはご存知の方も多いかと思うのですが、僕は以前、「アルヴァロ・シザの建築を根幹から理解したい!」という理由からオポルト(Porto)に1年弱住んだことがあります(地中海ブログ:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)のインタビュー記事:シザ建築の特徴は一体何処からきたのか?)。
←あの一年があったからこそ、モビリティとかビックデータとか、建築や都市とは一見関係が無さそうな分野を扱っている今でさえ、建築や都市から離れず、寧ろ「建築側から見た新たな視点を発見する」という立ち位置を保ち続けられているのかな、、、と、そう思います。



オポルトに住んでた時は結構頻繁にリスボンにも行ってたんだけど、あれから10年近く経ち、シザが改修したチアド地区の工事も終わり、その周辺一帯は歩行者空間化の影響からか、かなり賑わいを取り戻している様に見えます。



また市内には以前は無かった電気自動車のチャージング場所や、100%電力で走るチョイモビ(公共交通機関(バス)とタクシー(私的)の間)みたいな乗り物が、リスボンの象徴とも言える黄色い路面電車の合間を縦横無尽に走っていたりして、「あー、結構変わったなー」と思うところも多々。



かと思えば、目抜通りから一本裏通りに入っただけで近隣住民の生活が至るところに垣間見えたりと、以前と全く変わらない風景に少し安心感を感じてしまったりもするんですね。
←こういういつまで経っても変わらない街角の風景こそ、その人のアイデンティティを形成する非常に重要なファクターだったりするということは以前のエントリで書いた通りです(地中海ブログ:バルセロナ・オープンハウス2013:その地域に建つ建築(情報)をオープンにしていくということ)。

…変わっていくこと、変わらないこと…これら相反する2つの力学が共存している存在、それこそ我々が興味を惹かれて止まない「都市というものの本質」なのかもしれません。



さて、冒頭に書いたように今回はビックデータ・オープンデータ系のカンファレンスに登壇することがメインだったんだけど、その合間を縫って「久しぶりにリスボン周辺のシザ建築でも見て回るか」と思い付き、幾つかの建築を訪れてきました。それらについては次回以降のエントリで詳しく書き綴っていくこととして、今回のエントリでは「リスボンの食」について少し書いてみたいと思います。まずは今回連れて行ってもらったレストランの中から特に印象に残ったこちらから:



Name: Casa do Alentejo
Address: Rua Portas de Santo Antao 58
Tel: +351213405140
Email: geral@casadoalentajo.pt


今回招かれたカンファレンスの司会者や登壇者の人たちと事前打ち合わせを兼ねたランチで連れて行ってもらったレストランなんだけど、場所はリスボンのど真ん中、フィゲラス広場から歩いて5分くらいのところに位置しています。言われなければ絶対に通り過ぎてしまうほど小さい入り口なので、まさかこの中にレストランが入っているなんて想像もつきません。だって入り口、これですよ↓↓↓



で、この小さいドアを開けて階段を登っていくと現れてくるのがこの風景:



じゃーん、外からは全く想像が付かないかなり立派な中庭の登場〜。更に階段を登っていくと、こんなに広いパーティー会場まであったりします:



最初はワインで乾杯してから魚介のスープ(前菜)、そして今日のメインはこちらです:



タコの雑炊(Arroz de Pulpo)。魚介の出汁が良く効いていて絶品。文句なく美味しい!



他の登壇者達は、豚肉とアサリの組み合わせっぽいものやタラのオーブン焼きなんかを頼んでて、「味見してみる?」って聞いてくれたので、一口食べさせてもらったらんだけど、どれも素晴らしかった!



デザートには手作りプリンを注文。で、これだけ食べて、これだけ飲んで(赤・白ワイン5本)、一人当たりたったの10ユーロ!!これです!これこそポルトガルの醍醐味の一つなんですね。



ポルトガルでは非常に美味しい料理が、非常にお手頃価格で今でも満喫出来てしまうのです。いき過ぎた観光化の弊害で物価が急上昇しているバルセロナでは、これはもう夢のまた夢。というか、なにも考えずに「観光客来い、観光客来い!」と叫んだ結果、観光客が来過ぎてしまった弊害だということは、以前のエントリで書いた通りです(地中海ブログ:観光MICEとオープンデータ:2020に向けて、バルセロナの失敗の学ぶ、データ活用による都市観光の未来)。



初日からかなり良い感じのリスボン滞在だったんだけど、今回の滞在中に訪れたカフェでもう一軒、どうしても日本の皆さんに紹介したいカフェがあってですね、、、それがこちらです:



Name: Landeau Chocolate
Address: R. das Flores, 70 1200-195, Lisbo
email: chiado@landeau.pt
Tel: 911810801


シザが最近リフォームした集合住宅(Complejo Residencial y Comercial Terracos de Braganca)から道一本西側に行ったところにあるんだけど、ここのチョコレートケーキは絶品だった。こちらは自分で調べたわけではなく、登壇者の一人(ポルトガル人)に「リスボン市内で何処か美味しいお菓子屋さん(カフェ)知らない?」って聞いたらここを教えてくれました。

青いタイルが非常にオシャレな外観で、室内はこれまたレンガ素材がそのまま仕上げ材となっていて、建築としてもかなり良い感じに纏まっています。メニューは「コーヒーとガトーショコラしかない」っていうかなり強気な経営方針なんだけど(笑)、騙されたと思って頼んでみたら、これが素晴らしかった!



(基本的に)建築もそうなんだけど、料理というのはその地方の文化や気候、素材などに非常に影響を受けている「芸術」なので、「なにを美しいと思うか」、「なにを美味しいと思うか」はそこに展開している文化圏を考慮すること無しには判断出来ません。だから例えば、ポルトガル人には美しいと思える芸術品が、日本人にとってはゴミ同然に見えるものなんて山ほどあるし、その逆もまた然り。だからこそ文化というのは面白いのだと思うし、ぼくは建築を評価・批評する時は、その様な枠組みを超えた「もう少し普遍的な視点から批評したいなー」と強く思いつつも、その難しさを十分に実感しているつもりなんですね。



ちょっと長くなってしまいましたが、単純化して言ってしまうと、西洋文化圏での評価軸と日本文化圏での評価軸にはかなりの違いがあり、(料理に関して言うと)味付けの好み(文化)が違うことなどから、双方の口に合うものを見付けるのはなかなかに骨が折れると、そういうことを言いたいのです。というか、そういうお菓子に出会うことは極めて難しいというのが現実だと思います。



しかしですね、今回訪れたこのカフェで提供されているガトーショコラは地元ポルトガルでも非常に評価が高いそうなのですが、これは間違いなく日本人の口にも合います。最近日本で流行っている、テレビ番組の撮影の為に海外の有名レストランや有名パティシエの経営するカフェを訪れ、砂糖がたっぷり入った甘いだけのデザートを持ち出して、「な、なにコレー、超美味しい〜」なんて言ってるデザートとは格が違います。その様な砂糖三昧の甘ーいお菓子は、その土地では評価されているのかもしれませんし、その地方の人々にとっては最高のお菓子なのかもしれません。しかしそれが日本人の口に合うかどうかは全くの別問題なのです。なので、いくら海外で有名なお店の商品だからといって、それがそのまま日本人の味覚からして「超美味しい〜」なんてことになるのは寧ろ稀だと思うんですね。だからこそ、もしリスボンに来たらこのお店のガトーショコラは絶対に試す価値があると思います。

そしてデザート系ではもう一軒。日本でもエッグタルトという名前で数年前に大流行したポルトガル発のお菓子パステル・デ・ナタ(Pastel de Nata)の本家本元。



Name: Pasteis de Belem
Address: rua de Belem 84-92
Tel: +351213637423
Email: pasteisdebelem@pasteisdebelem.pt


リスボン市内から路面電車(15番)に揺られること約30分、世界遺産で有名なジェロニモス修道院(Mosteiro dos Jeronimos)の目の前にあるお菓子屋さんなのですが、1837年の創業以来、ジェロニモス修道院から伝えられた配合と作り方を頑なに守り通している「オリジナルが食べられる」とあって、世界中からここのお菓子を一口食べようと連日長蛇の列が出来ています。



しかしですね、このお店の注文方法には裏技があって、(それを知らない人は店頭に何十分も並んで買っているのですが)このお店は奥行きが非常に深く、奥には広々としたテーブルが並べられ、ゆったりと座れる空間が用意されているんですね。



で、勿論そっちはガラガラ。なので、ここを訪れる方は是非そちらへ移動して、コーヒーと一緒に食されるのが良いかと思われます。ちなみにそちらへ移動する途中にはお菓子を作っている工程を見ることも出来ちゃいます。



そんなこんなで、出てきたのがこちら:



じゃーん。これが正真正銘のPastel de Berenでーす。



お好みで粉砂糖とシナモンパウダーを自分で振りかけて食べます。その感想なのですが、、、



こ、これは、、、むちゃくちゃ美味しいぞー!パステル・デ・ナタはいままで様々な場所で食べてきましたが、こんなに美味しい一品は初めてです!焼きたてなので中のクリームがホカホカなのは当たり前なのですが、外の生地は本当にパリパリ。いや、これは本当、どうやったらこんな風に焼けるんだろう???世界中から歓呼客が押し寄せるのも納得です!

そしてですね、今回のリスボン滞在で一番驚いたのがこちらです:



な、なんと、タイムアウト(TimeOut)がコーディネートしたフードコートがリスボンには存在するんですね。



1968年にロンドンで創刊されたタイムアウト誌は「シティガイド」として、現在では世界40都市(35カ国)で11の言語に対応し発刊されています(wikipediaより)。日本語版も普及していることなどから、その存在を知っている人も多いかと思いますが、ヨーロッパではこのタイムアウト誌は書店というよりは路上のキオスコなどで新聞の横に並べられ売られていて、ヨーロッパでは、ロンリープラネットなどと共に、その都市に関する「主要な情報源の一つ」という地位にまで登り詰めています。



「では、なぜタイムアウト誌がこのような地位を築くことが出来たのか?」。それについては様々な要因が考えられると思うんだけど、その一つは、その都市についてかなり地域密着型でありながらも、グローバルな展開を強く意識していること(言語は勿論英語で発刊)、そして都市に関して様々なトピックを取り上げつつ、それをランキング形式で随時発表しているなどのゲーム感覚で楽しめる形式・企画があるのかな、、、と思ったりします。かく云う僕も、「バルセロナで最も美味しいクロワッサン特集」みたいなのが組まれていたりすると、ついついその特集号を買ってしまい、それを片手にクロワッサン巡りをしてしまうんですね。で、こういう人って意外と多いのです!



今回リスボンへ来てみて僕が驚いたのは、これら都市の情報を様々な角度から集めていたタイムアウト誌が、今度はなんと、現在は使われなくなった古い市場(1892に開店したリベイラ市場)を市役所から買い取り、そこを市内でも有数の観光スポットに改修することによって地区活性化の起爆剤にしようとしているという点なのです!
←タイムアウト誌が本当にそこまで考えているのかどうかは僕にとっては特に重要ではなく、僕の眼から見ると「そういう文脈で読める」ということが重要なのです。



体育館のようなだだっ広い空間の真ん中には、おしゃれなテーブルと椅子が並べられ、その間にはビールやワインなど飲み物を注文するスペースが備え付けられています。室内に500席、テラスには250席が設えられているそうです。営業時間は日曜から水曜までが朝10時から24時まで、木曜日から土曜日までは朝10時から深夜2時までやっているというから、観光客にとっては嬉しい限りです。



で、それを取り囲むように、独立店舗を基本としたお店がグルーっとお客さんを取り囲むという形式を取っているのですが、それら独立店舗にはハンバーガー屋さんや寿司屋さん、シーフードを目の前で調理してくるお店から伝統的なポルトガル料理を出すお店まで本当に多彩なお店が揃っているんですね。



また、アイスクリーム屋さんやカフェ、ご丁寧に観光客向けのお土産屋さんまで揃っているという徹底ぶり!これらお店のチョイスには(当然のことながら)タイムアウト誌が独自に選んだランキングがかなり影響していて、そこから最も成功しそうなお店をチョイスし、それらをこの空間に集めた、、、と想像してしまうのですが、逆に、この空間のことを再びタイムアウト誌で宣伝して、、、という逆循環も十分に考えられ、双方で多大なるシナジーが生まれるという結果になっていると思われます。

これは言ってみれば、いままでは出版やウェブ空間でその都市についての情報を握り、その都市を訪れる観光客に活字を通して多大なる影響を与え、更にはそれら観光客の動向をコントロールしていた「単なる一つの雑誌に過ぎなかった」タイムアウト誌が、彼らの持っている情報をリアル空間で最大限に活かすことの出来る「インターフェイスを手に入れた」ということを意味しています。



このインターフィイスという画期的なアイデアのおかげで、タイムアウト誌は単なる情報誌を超えた、もう一つ上の段階の媒体へと変化を遂げている、、、と僕は思います。更に更に、これは言うまでもないことなのですが、今回タイムアウト誌が打ち出したこの戦略は、何もリスボン市だけに限ったことではなく、世界中どこの都市でも展開することが出来ちゃうんですね。

言ってみれば、これは「都市の編集作業」のようなものかもしれません。
←「都市の編集作業」という言葉は、この間日本に帰った時に、学芸出版社の井口さんとお話させて頂いた時に彼女が使われていた言葉で、非常に印象に残っているフレーズです。

これはすごい、というか面白い!

ぼくはこれと非常に似たようなことを「都市に関するビックデータ解析を通した科学的な裏付け」の下、地区レベルでやろうと奮闘しているのですが、今回のタイムアウトの試みは地区レベルの活性化と非常に相性が良いと思います。もちろんそこにはいくつか気を付けなければならない案件も存在して、例えばその中の一つにジェントリフィケーションが挙げられると思うんだけど、今回ぼくが関わっている案件ではそちら負の面もどうにかして緩和していこうと奮闘しているので、もしかしたら、近い将来何かしたらの進展が見られるかもしれません(地中海ブログ:都市の闇:ヴェネチア(Venezia)の裏の顔とジェントリフィケーション(Gentrification))。

なにはともあれ、個人的にタイムアウト誌にはアプローチしてみよっかなー、とか思っています。

乞うご期待!
| 地球の食べ歩き方 | 21:43 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
在バルセロナ&観光客の皆さん注意です!:ランブラス通りで最近増えてきている詐欺行為について
一昨日の新聞(La Vanguardia, 28 de August 2011)に、バルセロナで最近増えてきている犯罪情報が載っていました。当ブログではこれまでにも、観光客の方々やバルセロナ在住の皆さんに向けた「泥棒ちゃん情報」を提供してきたのですが(地中海ブログ:在バルセロナ&観光客の皆さん注意です!:どうやら最近日本人による日本人を狙ったスリが頻発しているらしい、地中海ブログ:在バルセロナ&観光客の皆さん注意です!:バルセロナの地下鉄スリの典型例)、ココの所のメディアを見ていると、どうも今年は例年に比べてスリや空き巣などの軽犯罪が増えてきてるみたいなんですね。

かく云う僕も全く人事では無くって、と言うのも、今月初めの事だったのですが、バルセロナ中を震撼させる様な事件が僕の家の目の前で起こったばかりだったからです。



その日の朝11時頃の事だったと思うのですが、何か違和感を感じ、窓から外を見てみたら、バルセロナを斜めに走る大動脈、ディアゴナル大通りが前面封鎖され、見た事も無い数の警察官と機動隊が集まって来てるじゃないですか!「何だ、何だ?」とか思い、下に降りて行って「あのー、住人なんですけど、何かあったんですか?」って聞いても警察はダンマリを決め込むばかりで何も教えてはくれず・・・。ただただ、「ここは危険ですので安全な場所に避難してください」と、見る見る内に周辺は立ち入り禁止区域に。



そうこうしてたら、ライフルや防弾チョッキで身を固めた機動隊が続々と集まってきて、何やら目の前の建物に突入する様な勢いだったんだけど、「ここに居たらまずいかも」と言う直感が働き、その時はその場を即座に離れました。



で、結局その騒ぎはお昼前には収まったんだけど、関連情報をネットで探した所、どうやらその建物に住んでるルーマニア人が、「同僚に撃たれた!」とか言って、足から血を流しながら近くのカフェに駆け込んだというのが、全ての始まりだったらしいんですね。で、その男の、「犯人は未だ家の中に武装しながら立て篭もっている」と言う証言を基に、警察と機動隊が駆け付けたって事らしいんだけど、奇しくもその日は例のオスロでの大量殺人事件があった日から丁度一週間目に当たる日だったので、「もしかしたらそれ関連では?」と言う憶測が警察内で飛び交い、バルセロナ中の警察がこれ以上は無い武装をしながら駆け付けたって言う事らしいです。僕も初めて見ました、あんなに沢山の機動隊が物凄い武装している姿。

で、結局どうなったのかと言うとですね、気合を入れて部屋に踏み込んではみたものの、そこはモヌケの殻だったそうです。警察のその後の必死の捜索にも関わらず犯人は見つからず、結局警察が辿り着いたのが、「通報してきたルーマニア人の自作自演なのでは」って言う結論らしい(苦笑)。調べによると、どうやら彼は、銃の手入れをしている最中に誤って引き金を引いてしまい、その弾が足に当たちゃってどうしていいか分からず、その言い訳に「撃たれた!」とかいう演技をしながらカフェに駆け込んだのだとか・・・。まあ、大事に至らずに良かった事は良かったんだけど、何ともお騒がせな、バルセロナらしい事件でした(苦笑)。

一昨日の新聞には、これとは又違ったタイプの、って言うか、ある意味これよりも性質の悪いと思われる、最近バルセロナで増えてきている観光客を狙った手口が(警告と共に)紹介されていました。それが行われているのがバルセロナに来た人なら誰もが一度は訪れるランブラス大通りだって言うから驚きです。



歴史的に市民の憩いの場となってきたランブラス通りは、何時の間にかその主役の座を観光客達に奪われてしまい、「街路の真ん中を観光客が、その両脇をカタラン人達が歩いている」と皮肉られる程の状況にまで陥っているのですが、今回の事件は観光客が余りにも増え過ぎてしまったが故に引き起こされた事件と読む事も可能かもしれません。 その舞台がコチラです(写真に写ってる特定のレストランと言う事ではなく、ランブラス通りに面している全てのレストラン)。



一見普通のレストランに見えるのですが、どうやらそこでは、格安のランチ定食を提示しつつ、「あるトリック」を用いて観光客から大金を騙し取るという詐欺に近い行為が白日の下、堂々と行われているそうなんですね。



その手口なのですが、店の前に「今日のランチ定食:1皿目、2皿目&デザート付き(飲み物別)で12ユーロ」と書かれた大きな看板を出しておき、

「おー、ランブラス通りのど真ん中で12ユーロなら破格の値段じゃないですか!」

とか思わしておいて、席に着いた観光客に口頭で飲み物を注文させます。で、普通に「ビール」とか注文すると、馬鹿でかいジョッキが出てきて、それが12ユーロとかするそうなんですね。つまりランチ定食と飲み物が同じ値段に設定されていて、しかもレストランによってはその値段の中に税金が含まれていなかったりするので、最後の会計が30ユーロとかに跳ね上がったりするって訳ですよ!

観光地のレストランって言うのは、どうにかこうにかして利益を上げようとするのは分り切ってる事で、ランチ定食の中に飲み物が含まれて無い事や、表示されてる値段の中に税金が含まれてないってのもバルセロナではそれ程珍しくはないんだけど、ランブラス通りで行われている事は、かなりあくどいと言わざるを得ません。誰もビールが一杯12ユーロもするなんて思いませんからね。しかも確信犯的に、飲み物の値段が書かれたメニューを見せないで、「口頭で」飲み物を注文させている所がポイント。こうする事で、「悪いのはあくまでも値段を見ずに注文した観光客の方だ!」という姿勢を見せている訳ですよ。

では、これを避ける為にはどうすれば良いのか?

解決法は簡単で、レストランで何かを注文する時は、必ず値段付きのメニューを見てからオーダーをする事だと思います。で、更に、会計の際には必ず自分が頼んだものと値段が合っているかをチェックする事。そして間違っていた場合には、必ずクレームを付ける事。

今回のこの一件は、21世紀最大の産業であり、都市が発展する為には絶対に避けては通れない「観光と言う現象」が引き起こした弊害と見る事も出来ます(地中海ブログ:都市の闇:ヴェネチア(Venezia)の裏の顔とジェントリフィケーション(Gentrification))。そしてそれは観光が激化していけば行くほど、つまり都市が発展すればする程、様々な新しい事例が出てくると考えられるんですね。そういう意味において、世界的な観光地と化してしまったバルセロナの中心街は、世界に先駆けてこの様な負の事例が出てくるショーケースと成り得るのかもしれません。とにもかくにも、観光客の皆さんは十分に注意してください。
| バルセロナ日常 | 07:28 | comments(4) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
グラシア地区祭り:バルセロナの歩行者空間プロジェクトの責任者だったけど、何か質問ある?

街路の飾り付けなどが結構凄いと評判の、バルセロナのグラシア地区祭りに行ってきました。って言っても先週の話なんですけどね。何で先週のネタを今頃になって書いてるかって、何か最近、ミーティングやら何やらでハチャメチャに忙しくって、なかなかこの話題を書く時間が無かったからです。最近余りにも暑いので、夏バテって噂もあるんですけど(苦笑)。

グラシア地区といえば、アーティストや映画関係者を中心としたクリエーター関係の人達が多く住んでいたり、エラスムスなんかで来ている学生にとっては、「市内で住みたい地区ナンバーワン」に選ばれる程お洒落な地区として知られてるんだけど(地中海ブログ:ちょっと気になる広告:エラスムス(ヨーロッパの大学間交換留学プログラム:The European Community Action Scheme for the Mobility of University Students : ERASMUS)の実態???)、この地区にこれ程の賑わいを齎しているのは、地区全体の街路レベルに入っている店舗の数とその多様性、そしてそこに広がる歩行者空間だと思うんですね。



グラシア地区って数年前までは細い街路にさえも沢山の車が入り込んでて、正に「公共空間が車に乗っ取られてる」って言う典型的な状態だったんだけど、その様な「街路=公共空間を人々の手に取り戻そう!(岡部明子さん)」と、地区内への車の出入りを禁止して、住民が安心して歩いて暮らせる街路空間に生まれ変わらせるという計画が数年前に持ち上がりました。その計画が実行されて以来、この地区には沢山の魅力的なお店がオープンしだし、それにつれてバルセロナ中から人々が集まる様になり、その相乗効果でバルセロナでも一、二を争う程のお洒落な地区に変貌を遂げたと言う訳なんです。



まあ、つまりはこの地区の公共空間政策は大成功で、その証拠に、この辺りの地価っていうのは軒並み上がってて、云わばジェントリフィケーションの傾向が見られる訳なんだけど、このグラシア地区の歩行者空間計画の責任者してたのって、実は僕なんですよね(地中海ブログ:バルセロナモデル:グラシア地区再開発)。嘘の様なホントの話(笑)。

多分、このブログの読者の皆さんなんて、「えー、cruasanって、日中はコーヒーばっかり飲んで、夜はパエリアを食べまくって、「美味しいー!」とか、かなり適当なコメントしてる人じゃないのー?」とか、「年がら年中休みで、その度に旅行ばっかり行ってて、何時働いてるか分からないー!」とか思ってる人、多いんじゃないでしょうか?・・・し、失礼な、冗談じゃない!当たってます(苦笑)。

最近、夕涼みにと思って「ダンテの神曲、地獄篇」を読み返してるんだけど、「cruasanがパエリアばっかり食べてノホホンとしてる」とか思ってるあなた、ダンテと一緒に地獄に落ちてください(笑)。ちなみにスペイン語版の「ダンテ神曲、地獄篇」の挿絵を書いているのは、今やヨーロッパを代表するカタラン人アーティスト、ミケル・バルセロ氏です(地中海ブログ:スペインを代表する現代アーティスト、ミケル・バルセロ(Miquel Barcelo)の展覧会:La Solitude Organisative)。このスペイン語版のダンテ神曲は、ミケル・バルセロ氏の絵を見るだけでも価値ある書籍となっていると思います。



こんな味のある挿絵の数々が差し込まれている事などから、スペイン語が読めなくても十分、ヴィジュアル的に楽しめる本となっているんですね。

さて、で、今日の本題なんだけど、上にも書いた様に最近は本当に忙しかったので、日中はゆっくりとお祭りを見に行く事が出来ず、結局行く事が出来たのは最終日の深夜0時を過ぎた頃でした。でも、そこはやっぱりラテン系!深夜になってもお祭りは収束の気配を全く見せず、逆に駅から地区内へと流れ込んで来る人の波が段々と多くなってくる程で、今正にお祭りは盛り上がりの絶頂を迎えようとしている所でした。



しかもその辺の広場では子供達がサッカーボールとか蹴って遊んでるし・・・夜の3時過ぎですよ!良い子は寝る時間でしょ?「こんな環境の中からメッシとか出てくるのかなー」とか思って、妙に納得してしまった。そんな永遠に続くかの様なお祭りの背景を演出しているのが街路中に所狭しと飾り付けられた出し物達なんだけど、これがちょっと凄いんです:



各街路毎に個性があって、こんな感じで大変手の込んだ作品に仕上がっているんですね。そしてそこではミニコンサートなんかが開かれていて、その音楽性によって、まるで各街路の特徴が醸し出されているかの様ですらありました。



キャラクター関連も沢山あったんだけど、ピーターパンとか宇宙人とか、聞く所によると、この飾り付けを用意する為に、近隣住民が街路毎に1年も前から着々と準備を進めてきたのだとか。これなんて、本当に綺麗だった:



暗闇の中に浮かび上がる灯篭みたいなものが、まるで我々を幻想の世界に運んでいってくれるかの様で、体感気温が5度は下がった様な気がします(笑)。



今回は本当に時間が無くてホンの一部しか見る事が出来なかったんだけど、久しぶりに良いものを見させてもらったなー。

グローバリゼーションが世界中を席巻し、隣に住んでいる人の顔さえ知らないという状況が当たり前になってきている今の世の中において、このようなローカルなお祭りが今でも残っているという事、そしてそれが近隣住民主導で行われているという事は、この地区には依然として近隣住民の確固としたネットワークが残っていて、それが非常に活発且つ、精力的に働いているという事を意味するんですね。そんな住民側からのソフトパワーがあるからこそ、この地区の歩行者空間計画と言うハードな計画は成功したんだと思います。そしてそれこそが、今世紀最大の課題であり、我々の都市が必然的に抱えてしまう都市の闇、ジェントリフィケーションに対抗する一つの手段なのかもしれません(地中海ブログ:都市の闇:ヴェネチア(Venezia)の裏の顔とジェントリフィケーション(Gentrification))。

「街路における活気が生まれてくる背景には近隣住民の固い絆があり、歩行者空間計画というハード面での改善は単に彼らの背中を押すに過ぎない」と言う僕の仮説は間違ってなかった。あの計画から早5年、今やっと、あの時の仮説が住民達の目に見え始めようとしています。

追記(2015年8月18日)
今年のverdid通りの飾り付けのテーマは「日本」だそうです。で、これが結構よく出来てる!




鳥居には「ベルデイ」の文字が!上手く書けてる。もし「イ」が「ィ」だったら完璧(笑)。いたる所に日本語が乱立してて、これはこれで結構面白い:



「地元愛」っていうところが、このエリアを愛する人達の心情がよく出てて良かったかな。



そして海外の人達に大人気の伏見稲荷大社の登場〜。



お相撲さんも居たりします。
Verdi通りは今年の大賞を受賞したそうです。おめでとー。

追記その2(2016年8月21日)

今年も夏の風物詩、グラシア地区祭がやってきました!
このお祭りがやってくると、「あー、夏もそろそろ終わりだなー」とか思います。

今年も非常に手の込んだ飾り付けをゆっくりと楽しませてもらいました。

その中でも特に印象に残ったのがこちら:

じゃーん、Rovira i Trias広場のラピュタのロボット(笑)。肩に草が生えてることから、このロボットは空中庭園を守るロボットですね。花とかあげてるしww

しかも結構良く出来る!

どうやらこの広場の飾り付けのコンセプトが「自然との共生」ということらしく、その自然を守る為のシンボルとしてラピュタのロボットを作ったのだとか(その辺に居た子供達談)。

 

| バルセロナ都市計画 | 03:52 | comments(5) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
スペインを代表する現代アーティスト、ミケル・バルセロ(Miquel Barcelo)の展覧会:La Solitude Organisative
今週金曜日からバルセロナではモンジュイックの丘にある銀行系の文化施設カイシャ・フォーラム(Caixa Forum)にて、スペインを代表する現代アーティスト、ミケル・バルセロ(Miquel Barcelo)氏の展覧会、Miquel Barcelo 1983-2009, La solitude organisativeが開催されています。



例のごとく、全く関係無い話から始めたいと思うのですが(笑)、バルセロナにはミケル・バルセロという名で知られている人物が少なくとも3人います。一人目は政治家で22@BCNの会長を勤め、La Ciutat Digitalなどの著作もあるミケル・バルセロさん。今は確かFundacio b_TECの会長だったかな。2人目はカタルーニャ工科大学の教授であり、工科大学サステイナビリティ顧問にしてヨーロッパSF賞の創設者でもあるミケル・バルセロさん。そして3人目が今回紹介するアーティストのミケル・バルセロさんなんですね。個人的にはカタルーニャ工科大学のミケル・バルセロさんとは昔から仲が良いのですが、最初の内はえらくとまどいました。「え、ミケルさんってSFにも詳しくて、情報学部の教授なのにアートもやってるんですかー!!!」みたいな(地中海ブログ:
カタルーニャとSF)。

そんなどうでも良い話は置いといて、今回の主役である現代アーティストのミケル・バルセロ氏の近年の活躍ぶりには目を見張るものがあります。最近話題となった所では、約22億円(1850万ユーロ)をかけて2008年に完成したジュネーブ(Geneve)の
国連欧州本部の人権理事会Human Rights and for the Alliance of Civilisations at the United Nations, Geneva本会議場「Room XX」の天井装飾なんかは非常に有名ですよね。



「海と洞窟、それは表面性と内面性を表しているが、その基本的な宇宙観をまずは表現したかった。垂れ下がった鍾乳石のような形は、赤、黄、紫など、色も
形も1つとして同じものはない。それはまるで、人権委員会に集まる異なる言語と異なる意見を持つ人々のようだ」 ミケル・バルセロ

ナルホドなー、上手い事言うなー。こんなコンセプトの下、様々に彩られた氷柱をどう表現するのか?など技術的な安全性の問題なども含めて約1年間アトリエで研究し、その後13ヶ月かけて創り上げられた傑作がこの天井装飾だったんですね。ちなみに下記の写真は当時何度となくスペインで報道されたものなんだけど、絵の具を天井に吹き付ける際に、ガスマスクをして作業に当たっている様子を撮影したものだそうです。



この傑作が世界中に発表された時のスペインメディアの騒ぎようと言ったらすごいものがあったんだけど、まあ、アートと言うのはその国の成熟度を測る指標であり自国のアイデンティティを確立する為の道具として政治的に利用されてきたという歴史的事実を考えれば特に驚くべき事でも無いかな(地中海ブログ:
パリ旅行その8:公共空間としての美術館。つまりアートって言うのはある意味、広告的な側面を持っていると言う事です。だからこの作品の制作費22億円の内、約半分をスペイン政府が負担していると言う事も、まあ、当然と言えば当然か。

さて、ミケル・バルセロ氏のアーティストとしての名声は今やヨーロッパ中に知れ渡り、世界のアートシーンの第一線で活躍するアーティストの仲間入りを果たしたと言っても過言では無いんじゃないかと思うのですが、その反面、実は日本では驚く程知られて無いんじゃないのでしょうか?ちなみに今、ウェブで関連情報を調べてみたんだけど、日本語では殆ど出てこない・・・。辛うじて
ピカピカさんがフォローしているくらいかな(さすがピカピカさん!)



ミケル・バルセロは1957年、スペインのマヨルカ島に生れました。マヨルカ島って、今はヨーロッパ屈指の観光リゾート地として有名なんだけど、実は昔からショパンやジョルジュ・サンド、もしくはミロなどと言ったアーティストを育んできた地でもあるんですね。そしてミケル・バルセロに関して言えば、このマヨルカ島という地が、実は彼のアーティストとしての才能や彼の作品に多大なる影響を与えているのでは?と思われる節がしばしば見受けられます。


今回の展覧会ではそんなミケル・バルセロの比較的初期の作品から昨年のヴェネツィアビエンナーレに出展され大きな話題となったゴリラの絵(La solitude Organisative)など180点が集められ、彼のアーティストとしての軌跡が辿れるようになっているのですが、この展覧会を訪れて先ず驚かされるのは、彼の作品のバリエーションの広さなんですね。




抽象画は勿論の事、水彩画やタピエスの伝家の宝刀である、様々な素材を画面に貼り付けていく事で立体的な3次元を構成していく様な作品、はたまた彫刻などまで、彼のアーティストとしての許容力の幅広さを見せ付けられる展覧会となっています。




展覧会場の入り口には、昨年パリのグラン・パレ国立美術館でも展示されていたゾウがひっくり返った彫刻が我々を出迎えてくれます。見た瞬間、「何でゾウなんだ?」って言う疑問が沸いてくるんだけど、現代アートの知識が恥ずかしいくらい無い僕にはそんな疑問に答えられる余地全く無し(悲)。まあ、現代アートって言うのは、その本質的な所は「コンテクスト読み」にある訳で、そういう意味においてこれだけ複雑になってしまった現代アートのコンテクストを読み切れる人間が世の中に一体何人いるんだろう?って事も思うんですけどね。そんな訳で、今回は僕のアンテナに引っかかった作品だけを、(何時ものように)僕の独断と偏見で(笑)紹介したいと思います。先ずはコチラ:




2003
年に出たスペイン版のダンテ神曲(Dantes Divine Comedy)の挿絵シリーズです。ダンテ神曲に関しては、その内容が様々な想像力を刺激する事から、今まで沢山の芸術家達によってイメージの解釈が出ています。ロダンの地獄の門とか、日本人にはお馴染みの作品もその内の一つですね(地中海ブログ:パリ旅行その5:カミーユ・クローデル(Camille Claudel)の芸術:内なる感情を全体で表している彫刻作品、もしくは彼女の人生そのもの)。ミケル・バルセロのダンテ神曲シリーズは合計24点で全てアクリルで描かれてるんだけど、人間の苦しみとか悩みとか、そんなものが本当に良く表現されてて、直に心に伝わってくるかのようです。アクリルと言う比較的単純な画法で、ココまで人間の内側に迫れると言うのはちょっと凄い。



これなんて、この光の玉(魂?)の中に人間のエネルギーが満ち溢れているようでいて、しかし同時にそこには何かしらの「儚さ」も感じさせられるんですね。そう、まるでそれら相反する2つの力が共存しているかのような・・・。




これなんて、アクリルでサッと描いただけなんだけど、人間の苦悩が本当によく表現されている。2年程前に見たスロベニア出身の画家、ゾラン・ムジチの作品群も人間の「恐ろしさ、おぞましさ」にかけては秀でたものがあったんだけど、このシリーズもナカナカ見ごたえがあります(地中海ブログ:
ゾラン・ムジチ展覧会:ダッハウからヴェネチアへ ( Zoran Music: De Dachau a Venecia))。ちなみにミケル・バルセロのこのシリーズは2004年にルーブル美術館で展覧会が行われ、大成功を収めたそうです。納得の質!そしてコレなんかも目を奪われました:



エイを題材にした作品なんだけど、海の底で静かーに獲物を待っているかのような、「気迫」みたいなものがマザマザと伝わってくるかの様な大変力強い作品です。ヒョロっと伸びたエイの尻尾と重く鎮座する体とのバランス、そしてそれによる視線の移動、空白が空白に見えない構図の素晴らしさ・・・見れば見るほど、良いなー。そして今展覧会の主役とも言うべき作品がコチラです:




2009
年のヴェネティアビエンナーレ、スペイン館に出展されたLa Solitude Organisativeと言う作品です。見ての通り、ゴリラが一匹コチラを向いて座っているだけの作品なんだけど、これまた不思議な作品ですね。



このゴリラ、確かな存在感があるかと思いきや、今にも消えて居なくなりそうな儚い存在感をも醸し出しています。そんな、存在と非存在の間にいる存在、それがこのゴリラかな。
今までミケル・バルセロと言えば、動きのあるダイナミックな作品の印象が強かったんだけど、このゴリラは全くその逆。いや、存在感がある事では今までの作品と同じ系譜に載っているんだけど、それだけじゃない「何か」がある気がする。そしてそれがあるが故に、僕達の想像力/創造力を刺激し、魅力的な解釈へと導いているのかも知れません。

この展覧会、2011年の19日までだそうなので、バルセロナに観光に来られた方々には是非お勧めです。入場無料ですし、ミースのバルセロナパビリオンの真ん前ですし、スペインの現代美術に浸る良い機会なのでは?とも思います。
| スペイン美術 | 08:21 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
バルセロナの中心市街地で新たな現象が起こりつつある予感がするその2:逆ジャントリフィケーション
前回のエントリ、バルセロナの中心市街地で新たな現象が起こりつつある予感がするその1:ジェントリフィケーションの続きです。

僕が「ちょっとオカシイかな?」と思い始めたのは、夏休みが明けた9月上旬、丁度日本から帰国したその日の新聞を見た時でした。その新聞には毎晩ボケリア市場(el Mercado de la Boqueria)の闇で繰り広げられる「売春」の酷さを嘆く記事が、大変ショッキングな写真と共に紹介されていたんですね。



それからというもの、世界一の歩行者空間と言われたランブラス通りの汚さやバルセロナ現代美術館前広場のゴミ溜と化した状況、バルセロナの至宝、旧市街地に散らばる公共空間で毎晩の様に繰り広げられる品の無い行為などが、連日の様に報道される様になりました。

何が原因でこのような状況に陥ったのか?という事は簡単には言えません。都市の観光化、ジェントリフィケーション、そして最近の新しい傾向であるチープ観光など、それらが複雑に絡み合った結果、今の様な状況が創り出されたと言えるのかもしれません(チープ観光についてはコチラ:地中海ブログ:観光とチープエコノミー:ライアンエアー(Ryanair)などの格安航空機が都市にもたらす弊害)。特に諸刃の剣である観光の力と、現在の魔物であるジェントリフィケーションについては、今の所、都市としては有効な対処手段を持っていません。だから僕は以前のエントリでこんな風に書きました:

「一匹の妖怪がヨーロッパを徘徊している。ジェントリフィケーションという妖怪が」 
地中海ブログ:都市の闇:ヴェネチア(Venezia)の裏の顔とジェントリフィケーション(Gentrification)

今僕達が目にしているのは、正にその妖怪が暴れ回り、辺りを食い散らかしている様子だと言えます。

元々バルセロナは、というより、都市再生を実行している全ての都市がそうだと思うのですが、ジェントリフィケーションを意図的に引き起こした感があります。何故なら一度見捨てた地区に、富裕層が再び集まって来るという事は、再生が成功した指標足り得るからです。この意味においてバルセロナは明らかに成功していました。しかし、今現在起こっている現象というのは、逆ジェントリフィケーション、つまり、再び富裕層が歴史的中心地区を見捨てていくという現象です。何故か?それは街路や広場が余りにも汚く、住みにくくなってきたからです。では、何故コレは起こったのか?上述した様に、その答えは簡単には見つからないのですが、僕がずーっと注目していたのは「風俗」、その中でも街路売春と言われる「立ちんぼ」がこの新しい事態に深く関わっているのではないのか?という事です。

バルセロナの中心市街地で新たな現象が起こりつつある予感がするその2:風俗についてに続く
| バルセロナ都市 | 00:52 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
フランクフルト旅行その2:未来都市としての広告都市
今回の旅行の目的の一つである展覧会に行く途中にフランクフルト応用芸術美術館( Frankfurt Museum of Applied Arts)があったのでちょっと寄ってみる。



一目見ただけでソレと分かるデザインは勿論リチャード・マイヤー(Richard Meier) 設計の美術館です。真っ白なカベと透明感溢れるガラスの組み合わせは濃い緑の中において鋭いコントラストを成し一層映えます。唯、建築として見た時に、それほど成功しているとは言い難いというのも事実。内部もスロープを中心に光溢れる空間を展開しているけど、コレといった見所も特に無く、無難にまとめたという感じかな。



それに比べたらバルセロナ現代美術館(Museo de Arte Contemporáneo de Barcelona)は彼の傑作の内の一つに数えられても良いくらいの質を持っていると思います。





外観・内観共に建築家のやりたかった事と、物語が良く見えて大変気持ちの良い建築に仕上がっていますね。

さて、長々と同じ作者の2つの美術館を引き合いに出し比較したのには訳があります。何故ならこの質の違いこそ我々の時代の建築と建築家、そして表象の問題を包括しているからです。

建築って言うのは基本的に「広告」なんですね。ある時は権力の大きさを表したり、ある時は宗教の繁栄振りを現したりしてきました。(ヴェネチアのサンマルコ寺院 (Basilica di San marco)の装飾はその当時の繁栄と権力を他国に見せ付ける為の最も効果的な広告でした。)



マンハッタンやフランクフルトに竹の子のように林立している超高層ビルの多くは各企業の資本力を表したりしているわけです。(その高さが企業力を表している。)



このように建築が何を表象するのか?もしくは建築に何を表象させるのか?という問題は時代とクライアントによって変遷してきた訳です。

では我々の時代の建築は一体何を表象しているのか?もっと言うと、クライアントである都市は建築家や建築に一体何を表象して欲しいと思っているのか?それこそ僕が当ブログで何度も問題にしている「観光」な訳です。

都市間競争が激化する中、今都市が必要としているのは「観光客を惹き付ける事が出来る建築」です。コレが現在スペイン出身のエンジニア(建築家ではありません)カラトラバ(Santiago Calatrava 通称バカトラバ)の建築が売れに売れている理由なんですね。質も高尚さも全く違うゲーリーの建築が、唯、概観の派手さが似ているというだけで同じ俎上に載せられて議論されているという事実こそ、都市にとって大切なのは派手な外観であり、建築的質では無い事を如実に物語っています。(驚くべきはカラトラバ建築の浸透力です。リポイ(Ripoll)なんていうカタルーニャのクソ田舎にさえも存在するくらいなんですね。)



そして今正に我々の周りを取り囲んでいる環境全てが「広告化」しようとしています。以前にも書いたのですが、その事を大変良く象徴するような状況がバルセロナにありました。下記の写真はバルセロナの中心部、丁度上記のリチャード・マイヤーによるバルセロナ現代美術館の前の壁に描かれたグラフィティを撮影したものです。



プロも顔負けの実力に驚かされます。と同時に、やはりバルセロナはアートの街であり市民の芸術センスの高さにも驚かされるんですね。実際ココへ行くと沢山の観光客が一生懸命記念撮影をしている場面に遭遇します。

しかしですね、ココにグラフィティを書いている人というのは、その辺に居る若者なんかではなくて、市役所に登録して、場合によってはお金を払って書いている人達なんですね。言わばプロ、もしくはセミプロと言っても良い人達です。中には企業に雇われて書いている人も居ます。





何故都市がこんな事をするのかというと勿論目的は一つ。観光客に「デザイン都市」というイメージを植え付ける為であり、観光客を惹き付ける為です。

対照的に道を挟んだ反対側ではリチャード・マイヤー設計の美術館がこれでもかというくらい白く輝いています。こちらのカベには落書き一つありません。何故なら毎朝、掃除のおじちゃん・おばちゃんが一生懸命消しているからです。





何故か?何故ならこの白い壁はバルセロナの純白さを現していて「清潔な都市」というイメージを観光客に持って欲しいからです。

道を挟んで両側では一見、全く逆の行為が行われているかのようです。一方ではカベに落書きが日夜され、もう一方では描かれた落書きが日夜消されている。しかしですね、この一見逆の行為の目的はとても明確に一致しているんですね。何の為か?観光の為です。両行為とも都市のイメージを高める為に仕組まれている事なんですね。

一番効果のある広告とは見えない広告です。あからさまな広告より広告だと分からず我々の潜在下に訴えかける広告ほど効果的なものは無い。今、我々を取り巻く全ての環境が広告と化そうとしています。
| 旅行記:建築 | 18:10 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
フランクフルト旅行その1:フランクフルト(Frankfurt)に見る都市の未来
木曜・金曜とロボットプロジェクト(URUS)のパートナーミーティングがバルセロナ某所で朝から晩まであり、週末は仕事関係の所用でフランクフルト(Frankfurt)へ行ってきました。



フランクフルトに関しては以前のエントリ(都市化する空港と効率指標としてのアクセッシビリティなど)で何度か取り上げたのですが、この都市ほどグローバリゼーションの影響をモロに受け、そのポジティブ・ネガティブ、両方の影響が見事なまでに可視化している都市も少ないと思います。効率性と娯楽性が極度に入り混じり、都市レベルにおいて、娯楽性の為に効率性が使用されようとしているこの都市は、ある意味、都市の未来なのかも知れないと思わされます。

何時もならココで都市アクセッシビリティ評価に入る所なのですが、フランクフルトのダントツのアクセッシビリティについては以前のエントリ、Super Functional City; Frankfurtで詳しく書いたので反復は避けたいと思います。ちなみに空港から中心街まではきっかり15分。帰りは搭乗手続きの1時間前まで街を堪能して、中央駅から15分で空港へ。チェックインカウンターでは無く、自動販売機で搭乗手続きを5分で終わらせて余裕の搭乗でした。

さて、フランクフルトは何故これほどの効率性を持つ事になったのでしょうか?先ず考えられる第一の要因としては勿論空港のハブ化が挙げられるかと思います。フランクフルト空港が開設されたのは1936年で当時は軍基地として使用されていたようです。それがヨーロッパの国際的ハブ空港(Frankfurt am Main International Airport)として使用されるようになったのが1972年。下の写真は1946年当時の焼け野原の写真です。



下の写真は1968年に撮影されたもの。終戦直後からするとかなり復興していますが、現代に繋がるような風景は未だ出てきていません。



下の写真は1979年の写真。



この頃になると既に高層風景が出現しているのが見て取れます。年代的にも空港の発達と期を逸にしていると言えると思います。まあそんな事は当然と言えば当然で、アクセッシビリティが良い所に最もお金が集まるというのは世の常。ちなみに道と道が交差する所に市が立ち上がって公共空間になったというのは良く知られた話ですね。それよりも注目すべきは国際ハブ空港を誘致する事を1960年代に既に思い付いていたフランクフルト市の戦略性ですね。その裏には勿論、ユルゲン・ハーバーマス(Jürgen Habermas)を中心とするフランクフルト学派(Frankfurt School)が噛んでいるだろう事は容易に想像が付く所です。

現代のアクセッシビリティについてもう少し言えば、空港と並んで重要な機能が港なのですが、フランクフルトの場合はそれをライン川(River Main)の機能で補充しているようですね。この2つの機能を持つ事が都市の発達においては必要不可欠なのですが、コレこそアムステルダム(Ámsterdam)が急成長を遂げた要因であり、現在バルセロナが急ピッチで進めている計画な訳です。これをされると困るのがマドリッド。だから中央政府はナカナカ「ウン」と首を立てに振らない訳ですね。

さて、まあココまでなら良くある話で、例えばロンドンなんかシティ・オブ・ロンドン(City of London)とか言うヨーロッパ随一を誇る金融街を持っています。それを表象しているのがリチャード・ロジャース(Richard Rogers)のロイズ オブ ロンドン(Lloyd's of London)であり、ノーマン・フォスター(Norman Foster) のスイス・リ本社ビル(Swiss Re Headquarters)な訳です。ちなみにフランクフルトの顔であるコメルツ銀行本社ビル(Commerzbank)を設計したのは同じくフォスターです。いち早く環境負荷を考慮に入れて高層をデザインしている辺りはさすが天才、サー、ノーマン・フォスター。

さて、フランクフルトが他の都市と一味も二味も違う点は、このような急激なグローバリゼーションの波に浸された結果、グローバリゼーションの負の面である都市の闇が如実に市内に可視化される事となってしまった点なんですね。グローバリゼーションの真っ只中に居るヨーロッパの現代都市は必ず2つの顔を持っています。そして表の顔が美しければ美しい程、裏の顔は何処か見えない所へと隠される事となります。(典型的な例がこちら:都市の闇:ヴェネチア(Venezia)の裏の顔とジェントリフィケーション(Gentrification))

しかしフランクフルトの場合はその見えない筈の負の面が隠される訳でも無く、堂々と表に出て来て、前述の金融街とまるで対を成しているかのように成り立っている。しかもその「負の面」が今正に「正の面」へと変化しようとしているかのようです。それがヨーロッパ随一とも言われるフランクフルトの風俗産業です。今やフランクフルトはアムステルダムと並ぶ風俗の聖地(性地)と化しました。

下の写真は駅前から金融街を見た所。



夜に同じ場所から同じ方向を見ると街は違う顔を現します。





ピンクや赤、青色のネオンの部分は全て風俗です。



アムステルダムの飾り窓は国際的に有名ですが、多分フランクフルトの風俗産業の発展振りはこの街を訪れた事のある人しか知らないと思います。ちなみにドイツでは売春は合法らしいです。

風俗産業と言うと僕等日本人は陰気、危険、悪というイメージを抱きがちですが、アムステルダムと同様、ココにはそんなイメージは一切無いように思われます。(少なくとも街中を歩いていて危険だと感じる事はありませんでした。)

反対に性をポジティブなモノと捕らえた陽気さすら漂っています。フランクフルト市はオフィシャルにこの地域を宣伝してはいませんが、実質既に観光名所化している事実を考えると近い将来、市役所が大々的に宣伝し始めるのも時間の問題かと思われます。何故なら観光客がココに落としていってくれる金額は無視出来ない程、都市の収入に占める割合が高いと思われるからです。

真夜中、ホテルの窓から金融街の表象である超高層を眺めながら、その足元にそれが惹き付けてしまう「もう一つの欲望」の風景を見ていると、この街が表象しているモノこそ、人間そのものなのではないのか?と思えてきてしまいます。同時に、人間の欲望とはなんて深いんだとも思わされます。ココには人間の欲望の内の2つもが表象されているのですから。
| ヨーロッパ都市政策 | 19:50 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ミラノ旅行その7:ミラノの都市戦略その1:都市マーケティング政策
ミラノという都市についてどうしても書いておかなければならない事があります。それがミラノの都市戦略です。今までローマヴェネチアといったイタリアの諸都市を訪れてきたのですが、ミラノには明らかにそれらのどの都市とも違った「都市戦略」がその裏に存在しているのではないのか?という事を今回実際に訪れてみて感じました。

僕なりに整理してみた結果、それらの戦略は大きく2つに大別する事が出来るかと思います。一つ目はミラノのブランディング政策(都市商業政策)について。これは多分イタリアの諸都市で行われている事とかなり近い事が成されていると思いますが、ミラノの特徴はデザイン優先でそれがなされている点が他の都市とは違うかと思われます。もう一つはビッグイベントを利用した都市発展手法について。これはバルセロナが最も得意とする戦術であり、イタリアではミラノという都市コンテクストだけが許した特有のシナリオだと思います。(この事についてはミラノ都市戦略その2で詳しく論じます)

それらの戦略が展開された理由を考えて見た時に真っ先に思い付くのは、ミラノという都市は他のイタリア諸都市と比べると中心市街地といえども歴史的な街並みがあまり残っていないという事が一つ挙げられるのではないかと思うんですね。だから歴史的な遺産に頼らずに都市間競争を勝ち抜く戦略(意識的に観光客を惹き付ける戦略)が要求されたのではないのか?という事が推測されます。

先ずは一点目から。
ミラノと言えば「ファッションの街」というのが思い浮かびますが、これは戦略的に捏造された節があります。それに気が付いたのは世界的に有名なモンテナポレオーネ通り(Via Monte Napoleone)の高級ブティックの集積状況とそこの雰囲気を目の当たりにした時でした。





この通りはヨーロッパの目抜き通りによく見られるような歩行者空間ではなくて、一般車の進入を許しています。しかしこの通りが一般道路と少し違うのは、この街区が醸し出す独特な雰囲気がフェラーリなどの高級車ばかりを呼び寄せている事なんですね。



観光客もそんなモーターショーさながらの様子をカメラに収めようと押しかけて来ていて、ブティックと相乗効果を生んで街区のブランディング化に一層の拍車をかけています。

よく知られているようにイタリアでは伝統的に小さな職人企業が都市の商業を支えてきました。そんな中から世界的なブランドであるフェラガモ(Ferragamo)グッチ(Gucci)といった大変優れたブティックが出てきたのは事実なのですが、それだけでミラノという街がファッションの街としてこれだけ活気を帯びるまでになったとは到底思えない。何よりある特定の街路レベルでこれだけのブティックの集積が見られるのには、明らかにその裏に官の「都市を売っていこう」という都市戦略の影がちらほら見えるわけですよ。

とか思いつつ、以前にも紹介した宗田好史さんの記念碑的作品、「にぎわいを呼ぶイタリアのまちつくり:歴史的景観の再生と商業政策」を紐解いて見るとやはりありました、それらしい記述が。

「・・・この大規模店立地の規制よりも、戦略的な視点から商業集積を誘導する手法にこそイタリアの商業計画の特徴がある。」(p182)

この記述はヨーロッパが直面していた中心市街地の衰退という大問題に対して各都市が小売業の衰退を憂慮して大規模店を立地させる事を規制した政策に対して、イタリアは戦略的に街路レベルで、ある特定の商業を集積させる政策を展開してきたという文脈で語られています。そしてこの街路レベルにおける店舗の戦略的展開こそがイタリアまちつくりの特色であると言われているんですね。

更にこの後具体例としてローマ市の試みが語られていますが、そこではあたかも街全体が一つのスーパーマーケットのように見立てられて商業立地計画がより効果的になるように決められているそうです。
「新戦略を語るこの商業局長が、ローマという大デパートの店長のように、テナント各社に号令する姿」(p189)が見られたそうです。

日本の街並みでは想像しにくいかと思いますが、ヨーロッパの街構造と都市計画に慣れた人ならこの感覚はものすごくよく分かると思います。以前のエントリで書いたように、僕達はバルセロナの都市戦略の一環としてバルセロナ中心性創出プロジェクトやバルセロナの各街区レベルにおける歩行者空間プロジェクトなどを行っています。その時に都市分析の道具となるのがGISであり、GIS上にデータとしてインプットされる街路レベルの商業活動なんですね。このようなデータを日々見ていると、街区や街路を一つのデパートや食料品通路などに見立てるというアイデアはものすごく良く分かる。それに沿って歩行者の誘導や人の流れを呼び込むといった政策を展開したいんですが、そこまでやっている都市はヨーロッパには何処にもありません。何故なら今の段階ではそのレベルの都市分析は不可能だからです。詳しくはココ。

イタリアではこのような都市商業政策は「都市マーケティング」政策と呼ばれているそうです。更に「まちつくりからの取り組み以上に、中心市街地はまず人から活性化するものである。」(p178)というコンセプトの下、「・・・自治体は小売・サービス業を町の基幹産業として位置つけてきた。基幹産業をささえる人材を養成し、サービスの質を競争力にする。・・・」(p178)それこそイタリアのまちつくりの核にある戦略だと言われています。

街の再生を人の再生から考えている所が大変興味深いです。と同時にこれって南欧都市に共通の認識なのかな?ともふと思ってしまうんですね。何故ならバルセロナの場合は正にその「人の再生」を「公共空間の再生」に期待していた訳ですから。

もう一つの共通点としては両都市共にデザインを主なツールとして進めてきたという事が言えるかと思うんですね。1999年に英国で出版された「アーバンルネッサンスに向けて(Toward an Urban Renaissance)」の序文で当時のバルセロナのカリスマ市長だったパスクアル・マラガル(Pasqual Maragall)はこんな風に語っています:
「(パブリックスペースは)先に質、量はその後(Quality first, quantity later) 」

つまりデザインを通した公共空間の質を優先すべきで量が問題なのではない。そしてバルセロナの成功の秘訣は公共空間を量産した所には無くて、質の高い公共空間を提供した所にその秘密があると、こう言っているわけです。

もしくは同じ序文におけるリチャード・ロジャース(Richard Rogers)の言葉:
「我々の(ロンドンの)アーバンデザイン、もしくは都市戦略の質に関しては、多分アムステルダムそしてバルセロナに20年は遅れている(in the quality of our urban design and strategic planning, we are probably 20 years behind places like Amsterdam and Barcelona)」

このようなデザインを中心に据えたバルセロナの活性化手法に対して、ミラノという都市は他のイタリア諸都市が当たり前のように持っている歴史的中心街が無い事をバネとして、その欠点をあたかもデザインの力で埋めようとしているかのように思われます。その結果が良く統一された街路空間となり都市全体の魅力を高めている訳ですね。



かつてイグナシ・デ・ソラ・モラレス(Ignasi de Sola Morales)は「経済、社会、そして風景。これら3つの要素は同時に変わっていく」と語りました。これは1960年代にヨーロッパ各都市を悩ました中心市街地の衰退にも全く当てはまり、それこそがこの問題の根の深さを物語っているんですね。つまりその問題をどうにかしようと思ったら、その内のどれか一つを解決すれば状況が改善するという単純なものではなく、3つ同時に扱っていく必要があるという事です。

このような途方も無く深い問題にイタリア各都市は真摯に向き合い、伝統的な小売業や職人気質といった伝統の上に「都市マーケティング」を重ね合わせながら独自の方式で、スクラップアンドビルトとは全く違う都市活性化手法を提示しました。更にそれがフィジカルな環境だけではなくて、人をも含んでいる所こそ我々日本人が注目すべき点だと思います。
人を育てる事による都市の成熟化。正に「ルネッサンス、情熱ー」
| ヨーロッパ都市政策 | 16:00 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ミラノ(Milano)旅行その1:都市アクセッシビリティ評価
木曜日から週末を利用してミラノに旅行に来ています。主な目的はゴシック建築の最高傑作と言われているドゥオーモ(Duomo)とラファエロ・サンティ(Raffaello Santi)のアテナイの学童の下書きを見る事です。特に去年のローマ旅行以来、ラファエロの大ファンになってしまった僕にとっては、彼の大傑作であるアテナイの学童関連を見られるのは本当にうれしい。

とりあえず、毎回恒例の都市アクセッシビリティ評価からいってみたいと思います。ミラノにはマルペンサ空港(Malpensa Airport)とリナーテ空港(Linate)という2つの国際空港が存在します。バルセロナからの今回のフライトではマルペンサ空港を利用しました。空港が2つに分かれている為か、国際都市の空港にしてはちょっと小さめかなという印象を受ける。

空港から市内へのアクセスはバス、鉄道があるようですが、今回はバスを選びました。空港を出た直ぐの所にバス停があり、20分おきに1本の割合で運行しています。ちなみに値段は7ユーロ。

20分に1本は国際都市にしては少ない方だと思いますね。値段が7ユーロというのもちょっと割高かな。しかも所要時間が50分。(バルセロナの場合は3.5ユーロで約5分おきにバスが出ています。所要時間は約20分)空港から市内までが50分というのは絶望的に遠い。その間、ヴェネチアのようにロマンチックな光景を見せてくれる訳でもなく、他都市と同様に郊外に広がるアーバニゼーションと高速道路という最悪のコンビネーションを永延と見せられる。しかもてっきり街の中心にあるドゥオーモ(Duomo)に着くのかと思いきや中心街とは程遠いミラノ中央駅(Staz Milano Centrale F.S.)に降ろされる。ドゥオーモよりもこっちの方が便利なのか???ちょっと訳が分からない。

唯一の救いはこのバスが約35分で見本市会場(Fiera Campionaria)を経由する事ですね。35分というのは優良とは言わないまでも、そんなに悪くない数字だと思います。

都市戦略という観点で見た場合、近年の見本市による来街者数と彼らが落としていってくれるお金は馬鹿にならないどころか、主な収入源の一つになりつつあります。その決め手となるのが見本市会場が何処に位置するかという問題と空港からのアクセッシビリティの問題です。この2つの問題が解決出来て初めて見本市という道具が都市の為に機能するようになるわけです。

上記の点を差し引いたとしてもミラノの都市アクセッシビリティはきわめて悪いと言わざるを得ません。僕の持っている2007年度版地球の歩き方によると、マルペンサ空港とミラノ北駅(Stazione Nordo Milano)を30分に一本の割合で約40分で結んでいるらしいけど、それにしたって普通以下の評価しか与えられませんね。

空港という機能が広大な敷地と騒音などの関係によって都市中心街からは遠く離れた所に建設されなければならず、その間を低所得者用の住宅や工場などが占めていくというのは逃れられない都市の宿命なのですが、それにしてもどうにかならないものですかね?せっかくウキウキ気分で旅行に来て飛行機を降りて、「さあ、これから楽しむぞ」という時に、いきなりこんな風景を見せられたらやる気が失せる。
今の所、この問題を解決出来ているのは僕が訪れた中ではフランクフルト空港だけですね。

ミラノ(Milano)旅行その2:ミラノのドゥオーモ(Duomo di Milano):文化の多様性をゴシック建築の多様性に見るに続く。

追記:
市内からの帰りはマルペンサ・エクスプレス(Malpensa Express)というマルペンサ空港への特急を利用しました。市内ドゥオーモ近くのCadorna駅から約30分おきに出ています。料金は11ユーロで所要時間約40分。
| 都市アクセッシビリティ | 06:08 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ゾラン・ムジチ展覧会:ダッハウからヴェネチアへ ( Zoran Music: De Dachau a Venecia)
先週末、バルセロナのカサ・ミラ( La Pedrera)で開催されているスロベニア出身の画家、ゾラン・ムジチの展覧会:「ゾラン・ムジチ:ダッハウからヴェネチアへ ( Zoran Music: De Dachau a Venecia)」へ行って来ました。

日本ではさっぱり知られていないこの画家は、20世紀のヨーロッパの歴史をしっかりとそのキャンパスに刻み、「Fragility(もろさ・儚さ)」、「Loneliness(孤独性)」、もしくは「helplessness(無力さ)」といった単語で表し得る、人間の持つ「ある深い一面」を、絵画を通して表象しているような気がします。

そんな彼の作品を特別なものにしているのは、彼が辿った数奇な体験なんですね。

ゾランは1909年に当時オーストリア・ハンガリー帝国(Austro-Hungarian Empire)の支配下にあったイタリア北東の国境に近い村、ゴリツィア(Gorizia)に生まれました。彼が最初に触れた芸術は文学とアートで、グスタフ・クルムト(Gustav Klimt)エゴン・シーレ(Egon Schiele)に大変な影響を受けたようです。その後、1930年にはザグレブの美術アカデミー(Academy of Fine Arts in Zagreb)に入学が許可され、1935年までそこで腕を磨いています。

アカデミー卒業後、グレコとゴヤに惹かれてマドリッドに来ていましたが、1936年のスペイン市民戦争勃発と同時にダルマチア(Dalmatia)に移り住み、そこで最初のグループ展覧会を開いています。その後再び故郷、ゴリツィアに戻った後、ヴェネチアに移り住んで彼のシリーズ作であるDalmatian Motifsやヴェネチアの風景に取り掛かっているんですね。

しかしながらここでレジデンス的活動をしていた為にナチに捕まり、ダッハウ強制収容所(Dachau Concentration Camp)に入れられてしまいました。ここでの苦悩に満ちた生活や恐怖の体験が、その後の彼の作品に決定的な影響を及ぼす事となります。

今回の展覧会はそんな彼の作風がどのように変わって行ったかを辿る事が出来る好企画。強制収容所から出て来たばかりの頃の、「この世の輝き」を描いた初期のものから、人間が生来持つ正にDionysos(ディオニューソス)的な「どろどろとした負の部分」を描いたものまで見通す事が出来ます。


Zoran Music
We are not the last


集団殺戮の恐ろしさを描いた彼の一連の作品からは、「歴史は繰り返される」というメッセージが鋭く伝わってくる。その名の通り「We are not the last(我々が最後ではない)」。

これを見た時、真っ先に僕が思い出したのがゴヤ(Francisco Jose de Goya y Lucientes)だったんですね。ゴヤもフランス戦争の悲劇を扱った「1808年5月3日、プリンシペ・ピオの丘での銃殺(El 3 de Mayo de 1808. Fusilamientos en la montana del Principe Pio)」を描いています。

人間と人間の対立、生と死と、その狭間を描いたこの画は、戦争の悲惨さを伝えると同時に、これは人間の歴史において飽きる事無く繰り返されてきた光景なのだという事を思い出させます。ゾランがまだ若かった頃、(強制収用所に入れられる前、そんな悲劇が起きるとは夢にも思っていなかった頃)彼がゴヤに惹かれてプラド美術館に入り浸ってたという事実には、何か運命的なものを感じずにはいられない。

そんな彼の代表作は間違い無くコレ、シリーズものの「我々が最後ではない(We are not the last)」です。(ちなみに上の絵も同シリーズです。)


Zoran Music
we are not the last, 1970:http://www.tate.org.uk


これらの絵画からは、人間の奥底に潜む誰もが持つ狂気の部分と死の匂いが伝わってきます。人間って本来的にそういう部分を持っていると思うんですね。それを押さえ込むのが理性っていうものだと思うんだけど、深い部分においてそれが存在する事は誰も否定出来ないと思います。

ゾランという画家は、その代表作に見られるように人間の負の部分を表現した事で評価されてきた画家であると言う事が出来ると思うのですが、人間のそういう影の部分を鋭く表象したゾランだからこそ、僕は逆に彼が描いた「生の喜び」の方に惹かれてしまいました。

生と死は勿論コインの表と裏。死に対して嗅覚が鋭いという事は、逆を言えば生に対する感覚も鋭い訳ですよ。特に、彼が死という暗い影を描き始める前、丁度、強制収容所から出て来てこの世の素晴らしさをヴェネチアにおいて堪能している頃の絵には、「喜び」が満ち溢れている。息苦しく、死んだも同然の強制収容所生活から戻ったばかりの頃の心境を、彼はこんな風に書いています。

Por fin una gran luz, por fin el sol, aquel cielo infinito hasta el bajo horizonte de la laguna, todo para mi, donde puedo respirar libremente.
「・・・」
¿Es cierto que nadie me vigila?
¿Es cierto que puedo pintar libremente estas acuarelas sobre las Zattere?
¿Es cierto que no necesito esconderlas doblarlas en cuatro, ni cortarlas en pedazos?


「ついに手に入れた眩い光、太陽、そしてラグーナの水平線下まで広がる限りない空。自由に息をする事が出来る、それらは全て私のものだ。
「・・・」
本当に誰も私を監視していないのか?
本当にザッテレの水彩画を自由に書く事が出来るのか?
本当に絵を折り曲げたり、切り刻んだりして隠す必要は無いのか?」


その言葉の一つ一つに喜びが滲み出ています。そんな彼だからこそ、そんな喜びに満ちた心境だからこそ、描く事が出来た世界の輝き。


http://eddyburg.it


http://eddyburg.it

逆にそんな世界の輝きを知っているからこそ、人間が繰り返し犯している過ち、そしてそれを引き起こしている人間の負の部分を描く事が出来たんだと思いますね。こんなに世界は輝いているのに、人間は愚考を繰り返すと。

僕が興味を持ったのは、そんな彼が描いたのが美しい建造物で溢れている風景だという事です。深い死の影の淵から帰って来た彼が「喜びの象徴」として選んだのが、人間の建てた建造物だったんですね。


Zoran Music
Chiesa di San marco, 1948:http://www.museejenisch.ch


何故か?何故なら建築とは、悲しみよりは喜びを、死よりは生を表すのに適した芸術表象だからです。そしてその喜びは個人というよりは集団の喜びを表すのに適している。この展覧会が開かれているガウディ設計によるカサ・ミラは正にその好例。以前書いたように、カタルーニャ地方でモデルニズモが花開いた理由の裏には、その時期の「国を創っていこう」という社会全体で共有していた雰囲気が、建築という表象に結実した幸せな結婚だったという事情があると思うんですね。

ゾランは人間の奥底に潜む闇に怯えながらも、そんな人間でも、人の心を幸せにする事が出来る構築物を創り出せるんだという希望をそこに見たのではないのでしょうか。

アー、先週からのヴェネチア繋がりで今日も良いものを見せてもらったなー。
| スペイン美術 | 17:35 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
都市の闇:ヴェネチア(Venezia)の裏の顔とジェントリフィケーション(Gentrification)
水の都ヴェネチアという都市は本当に美しい都市です。建物から都市構造に至るまで数百年の歴史が大変良く保存され、訪れた者を中世の世界にタイムトリップさせる魅惑ある都市です。





しかし、どんな都市にも表の顔と裏の顔があります。都市が美しければ美しい程、それは汚いもの・目障りなものが排除されているという結果なんですね。特に各都市が観光客を奪い合う都市間競争の時代においては、必然的に都市の必須課題は如何にして都市美を捏造するかに傾けられます。そしてその弊害が必ず都市の何処かに現れてくる。

例えば僕がよく利用する超効率都市フランクフルト。90年代初頭、フランクフルトは金融街として急成長を遂げました。



その頃、「グローバルシティ(Global City)」という分かり易い標語を掲げ、ニューヨーク、ロンドン、東京を中心にせっせと論文を生産していたサスキア・サッセン(Saskia Sassen)ジョルディ・ボージャ(Jordi Borja)が「フランクフルトもグローバルシティに加えたら」と助言したというのは有名な話。



市内を流れるライン川から金融街を見た風景はあまりにも有名ですが、その足元にアムステルダムと並ぶ、ヨーロッパ最大の風俗街が広がっているのは現地へ行った人しか知り得ないと思います。



「急発展するグローバル都市」というイメージを売りにしたいフランクフルトは、竹の子のように生える風景を前面に出す事はしても、グローバル化による負の面の象徴とも言える風俗街の写真を表に出す事は先ず無いからです。

さてヨーロッパ都市において排除されるものは、歴史的中心市街地を覆う城壁の外へと放り出されるのが定石なのですが、ここヴェネチアでは本島全てが歴史的地区に当たり、その外は海。という事は、本島の何処かに隔離部分があるか、もしくは本島を渡った所にヴェネチア市民の真の生活が広がっているか?のどちらかという事になると思います。

そもそも僕は街を歩いている時からヴェネチア本島に果たして市民が住んでいるのかどうか?は大変疑問でした。生活感がまるで無かったからです。職業柄、旅に出るとやはりその土地の公共空間に注目してしまいます。何故ならユルゲン・ハーバーマス(Jurgen Habermas)が言うように、「公共空間とは都市の表象であるから」なんですね。つまり公共空間を見れば、その都市がどんな都市かが大方分かるというわけです。

ヴェネチアの公共空間を観察していて思ったのは、先ず第一にボールを蹴っている子供達や日向ぼっこをしているおじいさんなどが見当たらないという事でした。つまり市民の姿をあまり見かけなかったのです。見かけるのは何処も観光客ばかり。

これはある意味すごい。最近ものすごい勢いでジェントリフィケーションが進んでいるバルセロナ中心街においてさえも、スケートボードをしている子供やボールを蹴っている子供達、犬の散歩をしている人々が観光客に混じっています。その姿が無い風景は正にディズニーランド。(ちなみに昨日の新聞( La Vanguardia)によると、不動産バブルがはじけ気味なスペインでは昨年の同じ時期と比べて新築物件価格が27%下落し、賃貸価格が5%上昇した模様。インフレ中の物価上昇指数は4.4%)

これは明らかに過度の観光化によるジェントリフィケーション(Gentrification)の弊害でしょうね。限りある土地において、全てが観光化されている本島では全てが高すぎる。市民の足であるヴァポレット(Vaporetto)と呼ばれる水上バスは初乗りが6.5ユーロで72時間券で31ユーロ。2005年度の料金がそれぞれ5ユーロ、25ユーロだった事を考えると3年で1,2−3倍になってる。(住居権を持っている市民には定期券とかあるのでしょうか?)コーヒー一杯3−5ユーロ。サンドイッチが4−6ユーロ。スーパーや日用雑貨を売っている店はあまり見かけなかったし・・・

これは一般市民が住む価格レベルじゃありません。市内総生産の6割以上を占め、雇用も4割を超えている観光関連産業を第一に考えるのは良く分かる。しかしながら、都市の活力は市民であって、市民こそがその都市にとっての最大の魅力なはずです。イタリア研究で著名な宗田好史さんは、彼の記念碑的名著、「にぎわいを呼ぶイタリアのまちつくり:歴史的景観の再生と商業政策」の中で、イタリアのジェントリフィケーションの特徴を、「都心の住民、とくに中商工業者が豊かになったこと」とされていますが、ヴェネチアの場合、豊かになった住民はそのまま島に残るのでしょうか?もしくは何処かへ非難するのでしょうか?どうなんでしょう、その辺?

住民って何処に住んでるんだろうなーとか思いながら探した所、居ました。(何かナメック星でナメック星人探しているフリーザみたいですが。そう言えばイタリアでよくピッコロという言葉を耳にしました。イタリア語で小さいという意味らしいです。)

先ずは本島の南側、ヴェネチア・ビエンナーレが行われる所辺り。



まるで隔離されたかのように、その辺り一帯の建物一階部分には何も諸活動(カフェなどの)が入っておらず、建物から建物へと所狭しと洗濯物が掛けられています。





人通りは全く無く、まるで死んでいるかのよう。観光客だとまる分かりな僕が一人で歩くのがちょっと怖いくらい。この辺りは明らかに市によって計画的に隔離された公共経営集合住宅地区だと思います。中心街のジェントリフィケーションによって以前のエリアには住めなくなった人達が移動させられたエリアだと推測します。

そしてもう一つ。こちらが本命だと思うのですが、ヴェネチア本島が大陸と唯一繋がっている鉄道路線を渡った直ぐの所。





歴史的建造物が保存されている本島とは対照的に、ここからは工場地帯が乱雑に広がっています。





更に行くと、何処にでも広がっているような独立住居風景が限りなく続いているという状況。これが中世の姿を今に残すヴェネチアの本当の顔ですね。

グローバル化の波にさらされている現代都市には必ず2つの顔があります。そして優雅で楽しげな表の顔の裏に隠されている裏の顔にこそ、その都市の本質を見る事が出来るのです。そしてそこにどの程度の資金が投入され、どの程度の計画がなされているかで、その都市の底力と実力が分かるんですね。

とは言っても、イタリアは本当によくやっていると思います。安易な大規模開発に走らずに、こつこつと建築的な改修や改造で都市再生を解決したのだから。そんな地道な努力を続け、アメリカ型ではないオルタナティブを示したイタリアの事例だからこそ、ジェントリフィケーションのコントロール不可能性と恐ろしさが分かるというものです。

バルセロナ現代文化センターのアルベルト(Albert Garcia Espuche)が大変に優れた展覧会とカタログ( La reconquiesta de EUROPA: Espacio publico urbano 1980-1999)で示したように、ヨーロッパの諸都市は80−90年代を通して疲弊した歴史的中心地区をパブリック・スペースの改善を通して再生してきました。そしてその試みは大変うまくいきました。しかし僕達が今直面している問題は単なる改善・再生ではなく、その後の問題なんですね。そしてその問題に対して我々は未だ有効な手立てを持っていません。

都市間競争の欲望が「都市再生」を後押しし、都市美を創り出した所に必ずと言って良いほど現れる怪物。

マルクスとエンゲルスが言った言葉を現代ならこんな風に言い換える事が出来るのではないかと思います。

「一匹の妖怪がヨーロッパを徘徊している。ジェントリフィケーションという妖怪が」。
| ヨーロッパ都市政策 | 20:56 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
アンドレア・パラーディオ(Andrea Palladio)とヴィチェンツァ(Vicenza)
「ルネッサンス−、情熱―、」という訳でヴェネチアの西、約60キロに位置するヴィチェンツァに行ってきました。ヴェネチアから特急で約1時間の所にあるこの街は人口11万人のとてもこじんまりとした都市でありながら、毎年多くの観光客を惹き付けています。その理由はこの小さな街に点在する多くの建築がルネッサンスの建築家、アンドレア・パラーディオ(Andrea Palladio)によって設計され、1994年にはユネスコ世界遺産(UNESCO World Heritage)に登録されたからなんですね。

アンドレア・パラーディオの街として知られている中心街を歩いていると,まずは目に飛び込んでくるのが真っ白な石で2層構造にされたバジリカ(La Bassilica Palladiana)です。



見た瞬間にそのプロポーションの良さから「美しい」と思える建物ですね。上階にイオニア式、下階にドーリア式の柱を配して、アーチとアーチの間に太い柱、円形穴・・・など論理としては幾らでも説明出来るけど、そんなものふっ飛ばしてしまうくらいに、第一印象のプロポーションの良さが感覚に訴えかけてくる。



同じ間隔の柱の繰り返しで構成されているファサードは、やはり一番角の所の柱の間隔を微妙に変える事によって「角っこ」の特異性を出している。



やはりデザインはこれくらい静かな方が心地よいですね。

近寄ってみると、当たり前の事だけど、石を削り出してダルマ落としのダルマのように輪切りにして柱を構成しているのが見えて面白い。



500年もの月日が経つ内に継ぎ目と継ぎ目がひっついて、まるで一本の柱のようになっている所に年月の重さを感じる。

僕が行った時は改修中で中に入る事は出来ませんでした。(2008年3月現在)この真っ白な石の上に青銅で葺かれた舟底屋根が載った姿はさぞかし美しいんだろうなーとか思いつつ、こればっかりはしょうが無いと諦める。

次に向かったのはオリンピコ劇場(Teatro Olimpico)。



建物の中にルネサンスの十八番である遠近法を用いて、内部に外部を創り出してしまったこの空間は圧巻。





さて、今日の本題は通称ラ・ロトンダ(La Rotonda)として知られるヴィラ・カプラ( Villa Capra Valmarana)です。この建築の特徴は平面が完全な対称形をしていて、四方向の正面全てに同じ神殿風の階段とポルティコが取り付けられている事です。よって、何処から見ても同じ様に見えるんですね。

行き方は鉄道駅横にあるバス停から8番に乗って、何時ものように運転手に「ヴィラ・カプラが見たい」と言えば近くで降ろしてくれます。



そこから案内板に従って5分くらい坂を上っていけばヴィラ・カプラ正門に着きます。

さて、正門を入ると並木道の奥にラ・ロトンダが佇んでいます。



先のバジリカ同様、そのプロポーションの良さには驚かされる。それ以外言葉が見つからないし、説明も出来ない。見た瞬間に感覚に「ビビビ」とくる感じ。僕の建築の師匠である渡辺純さんが、「松田聖子を初めて見た時、ビビビときた」とか言ってたけど、正にそんな感じかな。ちなみに渡辺さんは松田聖子と言わずに「聖子ちゃん」とか言ってたし・・・そんな人が、こんな見事なデザインをするんだから人間分からない。多分彼はデザインの巧さという事で言えば日本で数本の指に入るのではないか。

さて、このラ・ロトンダを先ずは一周回ってみて思った事:どうしてパラーディオって4面同じファサードにしたのかなという疑問が沸いたんですね。幾何学を用いてルネッサンスの理想的な建築を実現したという事は色々な所で言われているけど、直感的にそれだけかな?と思ってしまったんですね。

そう思ったら最期、納得するまで徹底的にやってみないと気が済まないのが僕の性格です。「何で同じファサードなのかなー?」とか思いながら結局、周りを30回くらい回った所で、「そうか」と分かった事がありました。確かに建築のファサードは4面とも一緒なんだけど、立ち位置によって見え方が違うんですよ。

先ずは正面から入ってアプローチから見た所。



並木道があるためにパースの利いた空間を体験する事が出来ます。

次に左側に回りこんでファサードを見た所。





階段前に取られている前庭がアプローチに比べて短い為、先程よりも近寄ってファサードを見る事になります。

更に左に回りこむと前庭空間はぐんと縮まり、かなり間近かでファサードを見る事になります。





この段階になると、ファサードを見るというよりもファサードを見上げるという幹事になります。



そして最終面に至っては、ほとんどファサードの中に入っているという感じになってしまいます。







このようにファサードとの距離によって同じファサードにも関らず、見え方が全く違ったものになるわけですよ。

パラーディオは実はそれを狙っていたのではないのか?つまりわざと4面同じファサードを創っておいて、「同じ世界でも見方によって、その世界は姿を変えて現れる」という事を言いたかったんではないのでしょうか?そうじゃないと、何故ここまでこだわって平面を同じにしたのに、前庭空間は同じにしなかったのか?という疑問に対するうまい答えが見つからない気がするんですね。

まあ、パラーディオの本意がどうであれ、僕は彼の建築からそれを読み取り、学びました。それが大事だと思います。ある事象に対して何を感じ、何を思い、どう自分の中に吸収していくか。人間十人十色なのだから、一つの芸術作品に対して同じ感想を持つ必要は無いと思うんですね。そんな感じ方や吸収の仕方の違いと自己の中での醸成の違いが、その人のデザインに現れるので、建築とは千差万別で面白い訳ですよね。ちなみにシザはこれがホントに上手い建築家です。出発点として人のデザインを拝借してはいるけど、ある瞬間に「ふっ」と彼の建築になっている。表面的にはハンス・シャロウン(Hans Scharoun)アルヴァ・アールト(Alvar Aalto)なんだけど、彼の建築が醸し出している空間の質はやはりシザのもの。

そんな事を考えながら、後日、僕が大変信頼し、且つ大親友である結婚式教会の村瀬君にあれやこれやと質問メールを送った所、大変に興味深い答えが返ってきました。ちなみに村瀬君は日本建築史の小寺武久先生の最後の弟子であり、ゴシックの神様こと飯田喜四郎先生の家に毎週お邪魔してお茶を飲みながら生話を聞いているという名古屋の宝。

彼曰く、

「・・・スカルパはパラディオが凄く好きだった見たい。以前読んだ本のなかで、スカルパのお弟子さんの挿話があってスカルパは仕事に詰まると、弟子を連れてパラディオをよく見にいっていたんだって。んで「みろ、だからパラディオは素晴らしいんだよ!」とか
いって満足そうにしてたらしい。

私がルネサンスの建築家に対して単なる歴史的な解釈や造形思考への探求以上に興味を持つのが、これら近代建築家の優れた感覚を持つ人々が、たえずルネサンスの建築家へ憧憬する姿勢に惹かれていることにとても惹かれるからなのです。おそらく、私にはいまだ得られていない造形の深い世界がそこには切り開かれているんじゃないか、そう思っています。」


僕が、ラ・ロトンダを見ながら考えていたのは実はスカルパの事だったんですね。前回のエントリで僕はこんな事を書いています。

「そしてココでさっき後ろを向いていた彫刻を見ようと後ろを振り返ると、さっき通ってきた風景がココでもう一度姿を現す訳です。そしてこの風景は当然の事ながら同じ空間でありながら違った風景として現れます。

もう明白だと思うんですが、スカルパがココで行なっている事は彫刻を用いた人の動きと視線のコントロールな訳ですよ!!!
・・・・・
これらの手法も前回までと同様、この展示空間で、ほとんど何もいじる事が出来なかった故に出てきた彼なりの熟考の賜物だと思うんですね。知らず知らずの内に動かされ、空間を体験させられる。建築エレメントを付加出来ず、それでは差異化出来ないが故に出て来たアイデア。同じ空間を違う角度から見せる事による、世界の再発見とでもいうか・・・」


数十年前、スカルパはここへ来てきっと僕と同じ事を思い感じたのではないでしょうか?そしてそれが後のカルテルヴェッキオ(Castelvecchio)クエリーニ・スタンパリア(Fondazione Querini Stampalia)に見られる「奥」のある風景に結実していった・・・そう考えたくなってしまうほどのロマンです、正に「ルネッサンス、情熱」。
| 旅行記:建築 | 18:09 | comments(3) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
カルロ・スカルパ(Carlo Scarpa)の建築その3:カステルヴェッキオ(Castelvecchio):空間の建築家カルロ・スカルパ:ものすごいものを見てしまったパート2
ヴェネチア近郊の街、ヴェローナ(Verona)に行ってきました。ヴェネチアからは特急に乗れば約1時間15分程で着きます。この街は「ロミオとジュリエット」の発祥の地らしく、ヒロインのジュリエッタの家(Casa di Giulietta)がある事で有名なんですね。ロミオとジュリエットと言えば、「ロミオ、何故あなたはロミオなの?」という台詞が有名ですが、バルセロナでは週末に放送している「気まぐれオレンジロード」が今大人気で、その中に出てくるUmaoとUshioの言う台詞、「Umao porque tenias que llamarte Umao」(ウマオさん、あなたはどうしてウマオなの?)の方が良く知られている・・・・

さて、建築家にとってはヴェローナと言えばスカルパの2つの改修建築がある事で知られています。一つはヴェローナ銀行(Banca Popolare Di Verona)、もう一つはカステル・ヴェッキオ(Castelvecchio)ですね。ヴェローナ銀行は後で書くとして、ここではカステル・ヴェッキオについて書きたいと思います。何故なら前回のクエリーニ・スタンパリア(Fondazione Querini Stampalia)に続いて今回も実にすごいものを見てしまったからです。

ヴェローナの中心であるブラ広場(Pl.Bra)から歩いて5分の川沿いに立つ城は、かつてのヴェローナ領主であったスカラ家の権威を象徴する大変立派な佇まいをしています。14世紀に建てられたこのお城を我らがカルロ・スカルパが改修しました。スカルパの改修作品としては最も規模の大きいものになります。

これが正門を入った所から見える風景です。



正面に見えるのが現在は市立美術館(Civico Museo dArte)が入っている建物でほぼ当時のままの姿をしています。スカルパが大きく手を加えたのはこの建物の左端、緑色の屋根とその下の橋や馬の彫刻などですね。



先ず背景として、歴史的重要文化財であるこの建物にはほとんど手を加えられなかったという事があるかとは思いますが、結果的に「地」としての歴史的建造物があって、「図」として彼が加えた新しい部分があるというのは、それだけで大変に見栄えが良い。当然の事ながら、加えられた新しい部分は古い部分を際立たせるように注意深くデザインされ、両者で相乗効果を発揮している。

僕にとって興味深いのは、ココから何を学び、現代建築にどう生かすか?という事なんですね。そのような観点で見た時、実はもう既にシザが大変に見事な解の一つを提示してくれています。それがセトゥーバル教員養成学校(The Setubal College of Education)です。



中庭を囲んでコの字型をした建物は内側に列柱が並ぶ極めてシンプルなデザイン。この建築の勝負所は中庭向かって左端の屋根が少し落ち、柱がV字になっている所ですね。



つまり柱の繰り返しで「地」を創っておいて、左端のホンの僅かな所を差異化する事で「図」としているわけです。

建築デザインって「これだ、これだ」と自己主張するよりも、一見普通なんだけど、他とはちょっと違うという「差異化」する静かなデザインの方が品が良いと思うんですね。シザのセトゥーバルは正にその見本となるような建築だし、歴史文化的背景から出てきたスカルパのローカルなデザイン手法もその道を行くものだと思います。

さて、ここからが今日のメインポイントの内部空間です。カステルヴェッキオ市立美術館エントランスを入って直ぐの所から展示空間が始まります。



デザイン的にはこの展示空間の一番奥にある、曲線と直線を組み合わせ、石と木の対比も素晴らしいこのデザインで知られている展示空間なのですが、僕は違う所で大変衝撃を受けました。
先ず、展示空間に入った時に大変奇妙な感じを受けたんですね。それがコレ。



何が奇妙かというと、左手前の彫刻が入り口に対して背中を向けています。普通だったら、入った時によく見えるようにこっち側を向けて配置するのが普通だと思います。だって良く見えないし。なんでこんな不自由な展示にしたのかな?と思いつつ、後ろを向いているこの彫刻の顔を覗き込んだ時に気が付いてしまったんですね、スカルパの深遠な思考に。

コレがさっき見た展示室入り口からの風景です。



少し進んで右手側にある彫刻を先ずは見ます。



これは同時にその後ろにある小窓からあちらの風景をも見通す事にもなります。



次に一番奥にある彫刻を見ると出口を通してあちらの風景を伺う事が出来ます。


そしてココでさっき後ろを向いていた彫刻を見ようと後ろを振り返ると、さっき通ってきた風景がココでもう一度姿を現す訳です。



そしてこの風景は当然の事ながら同じ空間でありながら違った風景として現れます。



もう明白だと思うんですが、スカルパがココで行なっている事は彫刻を用いた人の動きと視線のコントロールな訳ですよ!!!


次の部屋でもこの手法は変わらず、先ず入って右手。









そして振り返りと続きます。





これらの手法も前回までと同様、この展示空間で、ほとんど何もいじる事が出来なかった故に出てきた彼なりの熟考の賜物だと思うんですね。知らず知らずの内に動かされ、空間を体験させられる。建築エレメントを付加出来ず、それでは差異化出来ないが故に出て来たアイデア。同じ空間を違う角度から見せる事による、世界の再発見とでもいうか・・・

それにしても彫刻をこんな風に用いて人を動かし、空間の風景を一変させるとは。この人は我々とは根本的に何か全く違う事を考えている気がする。
| 旅行記:建築 | 15:22 | comments(3) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加