地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
ルーヴル美術館、滞在記:ルーヴル美術館のもう1つの顔

ここ2週間あまり、パリのルーヴル美術館に滞在していました。

当ブログの読者の皆さんは既にご存知だとは思うのですが、実は僕、2010年以来ずーーーーっと、ルーヴル美術館と緊密なコラボレーションを展開しておりまして、その結果がこちらだったりします↓↓↓

地中海ブログ:ルーヴル美術館、来館者調査/分析:学術論文第一弾、出ました!

地中海ブログ:博士の学位を頂きました:建築家である僕が、コンピュータ・サイエンス学部でPh.Dを取った理由

っていうことを書くと、「えーーー、cruasanって毎日カフェでコーヒーとか飲んで、適当にコメントする人じゃなかったの?」とか、「えーーー、cruasanって、モナリザとか見て「あー、きれいな絵だなー」とかいい加減なこと言ってる人じゃなかったの?」とかいう人達がたくさん出てくるんだけど、いま正にそう思ったそこのあなた、地獄に堕ちてください(笑)。

まあ、でも、当ブログの適当なコメント加減を見ていれば、そう言いたくなるのも分からないでもない、、、かな(笑)。

さて、上に書いたように今回はルーヴル美術館に「滞在」してきた訳なんですが、これはどういうことかと言うと、実は2016年から「ルーヴル美術館リサーチ・パートナー」という役職を頂戴しておりまして、その立場でお仕事をしてきたという訳なんですね。

ということはどういうことか、、、???

そーなんです!なにを隠そうわたくしcruasan、実はルーヴル美術館の「中で働いてる人」っていう分類なんです!

「ええええー、そんなこと可能なの?」とか思ったそこのあなた、はい、人間に不可能はありません(笑)。出来るかどうか、先ずはやってみればいいんです。可能かどうか、聞いてみればいいんです。で、もしダメだったら、それはその時に考えればいいだけの話。

という訳で2010年くらいから何ヶ月かに一度の割合でルーヴル美術館を訪れては館内に滞在しつつ、センサーのセッティングをしたり、位置を変えてみたり、はたまたフィールドワークをしたりということを繰り返してきたのですが、今回の滞在でふと気が付いたことがありました:

「あ、あれ、、、そういえば、ルーヴルについてはブログ記事にしてないな、、、」と。

という訳で今回はズバリ、「ルーヴル美術館の舞台裏について、中の人しか知り得ない情報を書いてしまおう」と、そう考えています。題して、「ルーヴル美術館の舞台裏、潜入リポート」でーす!

パリが誇る世界一の美術館、ルーヴル美術館のシンボルと言えばガラスのピラミッド、その真下が美術館への入り口になっていることは多くの方々が知っている通りだと思うのですが、中で働いている我々スタッフの出入り口が何処にあるのかを知っている人はあまりいないのでは、、、と思います(っていうか、ルーヴルを訪れる日本人の99.9%は観光客なので、そんなこと知らなくても全く問題ないんですけどね)。

我々が美術館へのアクセスに使うのは主に2つ:

1つ目はRivoli通りに面したこの鉄格子を潜ったところ。

この柵を超えてスロープを下って行くと入口に辿り着きます(中に入るにはIDが必要)。

ちなみにこの鉄格子を挟んだ前の通りがフランス政府文化庁(みたいなの)になってて、ルーヴル美術館のアドミニストレーション関連部署は数年前までここの3階に入っていました。そしてもう一つの入り口がこちらです:

ガラスのピラミッドからナポレオン広場のアーチを潜ってSully翼へと抜けて行きます。

↑↑↑ちょうど僕が滞在している期間中はSully翼の中庭にルイヴィトンがパリコレの舞台を作っている最中でした。このガラスの箱の中をモデルさん達が歩く、、、みたいな感じになるらしい。

で、ここを抜けるとカルチェラタン方面へと通じる裏道になっているんだけど、セーヌ川へ出る直前、左手側にひっそりと佇んでいるこの扉こそ、いま僕が働いているオフィスへの通用口となっているんですね。もちろん中へ入る為にはID(フランス警察からの許可書などに基づいたもの)が必要で、入口は厳重な警備がされている&上階へはエレベータでしか上がれない仕組みになっている為、観光客や一般の人達が入るのはほぼ不可能となっています。

←この警備の厳重さ加減には正直ビックリしました。っていうか、かなりひいた(苦笑)。で、この入り口をはいって上階へ登ったところに展開しているのがこの風景:

じゃーん、本邦初公開のルーヴル美術館のオフィスでーす。とっても長—い廊下(笑)。丁度真ん中に位置しているエレベーターから見ても、行き止まりが霞んで見えそうな勢いです。

この長—い廊下の両側に天井の高—い部屋が幾つもくっ付いているのですが、ルーヴルってもともと王様の宮殿だったので、いまの時代の我々(平民)が慣れ親しんでいる部屋割りとはプロポーションが全く違ってですね、、、まあ、なんやかんやと不都合が出て来る訳ですよ。

例えば、ルーヴル美術館は建物自体がユネスコの世界遺産に登録されている為に、部屋の中をいじることがほぼ不可能という状況だったりします。そうすると、壁や天井裏をいじることが出来ない為に、夏は暑いからといってエアコンとかが設置出来ない訳なんですね(苦笑)。

←今年の夏は特に暑かったので、「夏場はどうだった?」って同僚に聞いたら、「仕事どころじゃなかった、、、」と、、、(笑)。そりゃ、そうだろうね!

さて、ルーヴル美術館で働いている我々スタッフには、専用のインフラが用意されていて、例えば、日々の食事なんかはどうしているかというと、ピラミッドの地下に社員食堂みたいなのがあったりするんですね。

ビュッフェ形式なんだけど、これが結構本格的で、こういうところを見ると、「さ、さすが美食の国、、、」とため息をあげざるをえません。で、最も驚くべきがその値段なんだけど、例えば今日のランチで僕が選んだのが、前菜(サラダ+生ハム)、メイン(魚のポワレ+ジャガイモのムース)+デザート(チーズの盛り合わせ)+カフェ+飲み物だったんだけど、そのお値段、なんと3ユーロ(350円)!えええええ、僕の朝食代(コーヒー+クロワッサン)より安い(笑)。

←同僚に聞いたところ、フランスでは会社に社員食堂が併設されている場合、社員の昼食代の何パーセントかを会社が負担しなければならない、、、みたいな法律があるらしい。

←さらに雇用形態(国家公務員、インターンなど)や役職(部長、平社員など)によって、各自が負担しなきゃならない割合が違ってくるらしい。もちろん下にいくほど安くなる仕組み。

←これ、全部同僚に聞いた話。毎日みんなでランチしてたから、フランスの社会保障制度などの大変込み入った話なんかを色々と聞いてしまった。

ランチの話が出たので、今度は朝食のお話を。地下鉄を乗り継ぐこと30分、オフィスに着いてから僕が毎朝一番にやっていること、それが仕事前の一杯のコーヒーです。で、僕のお気に入りのカフェがこちら:

じゃーん!デノン翼の2階に入っているMollienカフェ。このカフェ、一般には毎日9:45分から開いてるんだけど(ルーヴルの開館時間と同じ)、午前中はテラス席は開放されていません(テラス席は12時からです)。

そんな中、ルーヴル職員という特権を活かして9:15分頃に職員専用口から入って、9:30分頃から誰もいないこちらのカフェのテラス席でエスプレッソを楽しむのが何よりの楽しみ。

この風景を眺めながら美味しいコーヒーを飲んでいると、「さあ、今日も頑張るぞ!」という気になります(ボストンでいつも飲んでるアレは、コーヒーじゃないな、、、ということを再確認。なんだかよく分からないけど、「黒い水」、、、かなw)。

ちなみに午後の休憩に僕が良く使っているのが、リシュリュー翼の2階に入ってるこちらのカフェです。

先ほどのMollienカフェと丁度正反対に位置しているこちらのカフェは、ちょっと格式が高いっぽい(きちんとしたテーブルセットが並んでる室内のカフェ)なので、いつもは午後のコーヒー用に使ってたんだけど、先日たまたま日本からのお客さんと一緒にこちらでランチしてたら、その中の一人のかたが:

「あ、あれ、このカフェ、アンジェリーナじゃないですか!」

とか言われてて、、、もちろん僕は何も知らず、、、「え、アンジェリーナってなんですか?」って感じだったんだけど、どうやらモンブラン発祥のお店ということで日本ではかなり有名なんだとか。という訳で、良い機会だったので幾つか頼んでみることに:

で、食べてみた感じ、おおおおお、こ、これは、、、「大変美味しゅうございます!」ちなみに僕が試した中では、エクレアがとっても美味しかった。

で、ここからが今日の本題です(笑)。

今回の滞在ではセンサーをちょっといじくってセッティングを少し変え、その上で館内全域にてフィールドワークを実施したんだけど、パソコンを片手に歩き回る僕の姿はかなり異様だったことと想像します。

げんに何人かの来館者の方には、「あ、あなた、一体なにやってるの?」と声を掛けられ、見回りのスタッフには散々怪しまれました(もちろん、IDを見せれば納得してもらえる訳なんですが)。

こんなに怪しまれながらも、僕はこんなことを一体何の為にやっているのかというと、それはズバリ、「館内を訪れる来館者の方々の美術鑑賞の環境を少しでも良くしよう」と、博物館内の環境データを必死になって集めている訳なんですね。

逆にいうとこれは、ルーヴル美術館の来館者環境がそれほど悪化している、、、ということの裏返しでもあります。ルーヴル美術館に一度でも足を運んだことがあるかたはお解りだとは思うのですが、年間来場者数が800万人を超え、1日の来場者数が2万人を超える名実ともに世界No.1の博物館ですから、館内の混雑度といったら、我々の想像を遥かに超えている訳なんですよ。例えばこちら:

言わずと知れたモナリザなんだけど、この作品の前には朝から晩まで常に5重、6重の人垣が出来ていて、美術鑑賞なんてレベルのお話では全くない訳です。

ミロのビーナスの状況も酷いし、サモトラケのニケなんてもう「アイドルのコンサートか!」と思うくらいだったりします(苦笑)。この様な環境を少しでも改善する為、あらゆるところからビックデータを取得して解析してみたり、AIを使ってパターン抽出をしてみたりと、我々は日々模索している訳なんです。

で、実はここにはもう1つ大きな問題が潜んでいて、それが博物館や美術作品のメンテナンスをどうするか、、、という問題だったりするんですね。これだけ多くの来館者の方々が美術館に押し寄せてきてしまうと、個々の作品を修復するとか、少し劣化してきた壁の色を塗り替えるとか、その様な日々のメンテナンス作業さえ困難になってきてしまう訳です。

そこでルーヴルが去年あたりから導入したのが、各セクションを曜日ごとに閉鎖するっていうアイデアだったりするのですが、これはこれで厄介な問題を引き起こしつつあります。

例えば、現在ルーヴル美術館では水曜日がエジプト部門、木曜日はフランス部門の一部を閉鎖しているのですが、つい先日も僕が展示室の椅子に座っていたら、僕が付けているバッチ(ID)を見た来館者のかたが:

「あのー、ちょっとお伺いしたいんですが、せっかくナポレオンの部屋を見に来たのに、今日はお休みって、どういうことですか?」

とか聞かれる訳ですよ。

←うーん、難しい問題です、、、としか言いようがないかな。。。

さて、これら曜日ごとの閉鎖に加えて、ルーヴル美術館が館内全体でメンテナンスを行う日があります。それが毎週火曜日です。

その日ばかりは、いつもは混み合っているガラスのピラミッドの周りにも殆ど人がおらず、非常に穏やかな雰囲気に包まれているんですね。そんななか、館内はどうなっているかというと、実は館内スタッフの動きが一番慌ただしくなるのが火曜日だったりします。

なぜか?

なぜなら週に1日しかないこの日を使って1週間の汚れを落としたり、壊れた箇所を修繕したり、はたまた作品の修復をしたりと、普段はおっとりしているスタッフの皆さんも、この日ばかりは真剣そのものだったりするからです。

かくいう僕も、来館者の皆さんがいないこの日のうちにやらなければならないこと、この日じゃなきゃ出来ないことが山ほどあり、火曜日ばかりは朝からゆっくりとコーヒーを飲んでる場合じゃあなかったりします。

↑↑↑彫刻の間に置かれている植栽に水をあげています。

こんな天地がひっくり返るほど大忙しの火曜日なのですが、我々スタッフにとって一番幸せで、「ここで働いていて良かった」と、そう思える瞬間を迎えられるのも火曜日だったりします。その理由がこちらです:

そう、誰もいない博物館。美術作品を独り占め出来る時間、、、我々スタッフにとってこれほど嬉しいひと時はありません。普段は来館者で溢れ返ってるイタリア・ギャラリーも火曜日だけはこんな風景が広がっています:

この回廊はもともと、王様の息子たちが狩りの練習などをして遊んでいた回廊だったらしいのですが、いまではレオナルド・ダ・ヴィンチやラファエロなど、ルーヴル美術館の中でも超人気スポットとなっています。普段はお祭り騒ぎのサモトラケのニケも火曜日だけはこんな感じ:

誰もいません。ガラスのピラミッドのデザインと共に、この美術館の改修を担当したI.M.ペイ氏は、「サモトラケのニケという作品を空間的にどうドラマチックに持っていくか、フォーカスしていくかに最も心を注いだ」と、後にそう語っています。まさにその真意が垣間見える瞬間です。

普段は来館者の姿で視線が遮られてしまうダル・ギャラリーからサモトラケのニケを見通してみます。

荘厳な大階段の頂上に、あたかも天上界からの光が指すかのような、そんな演出が大成功しているように見受けられます。そして今度はこちらです:

ルーヴル美術館で1,2を争う人気作品、ミロのビーナスです。ピラミッドから入ってSully翼を抜けエジプト部門のスフィンクス、そしてそこから続くギリシャ彫刻部門は館内でも最も混雑する回廊として知られていて、そのクライマックスにあるのがこのミロのビーナスだったりするんですね(上の写真)。それが火曜日にはこうなります:

静寂が支配する空間です。「美術鑑賞ってこういう風にするべきなんだよなー」という当たり前のことを思い出させてくれます。そして来館者の姿がないからこそ、ミロのビーナスのベストショットを見つけることも出来ちゃったりします:

来館者がいては絶対に撮れない一枚、アテネ象を始めとする数々のギリシャ彫刻の隙間から、あちら側にミロのビーナスを見通すパースペクティブです。

そして、そして、ルーブル美術館と言えば勿論こちら:

モナリザです。ルーヴルの代名詞といっても過言ではないモナリザの部屋は、人垣が5重、6重に出来てしまっていて、絵画を鑑賞する、しないどころの話ではありません。

これはちょっと、、、ひどい(上の写真)。しかしこの状況が火曜日にはこうなります:

誰もいません。もうちょっと近づいてみます:

多分、この瞬間、僕は世界で一番幸せなひと時を過ごしている人間、、、とそう言うことが出来るかもしれません。モナリザを独り占めしているのですから。

昨日まではあんなに小さかった絵画が、いまはこんなに近くにあります。そして写真ではなく本物をこんなに間近で見られる幸運。筆使いの1つ1つまで、はっきりと見分けられるほど、近くに寄ってじっくりと鑑賞できる喜び。

この風景を一体何人の日本人が見ることが出来たのだろう。

芸術鑑賞とは、一人一人が作品と真に向かい合う時間のことを指すのだと、今回の滞在ではっきりと再確認することが出来ました。そして僕たちがやっていること、日々格闘していることは、一人でも多くの来館者の方々に、このような素晴らしい美術体験、博物館体験をしてもらい、一人でも多くの方に美術や芸術を通して心豊かになってもらうこと、幸せになってもらうことなのです。

追記:710

07/07/2019-07/09/2019、ルーヴル美術館で開催された「ビックデータと美術館」と題する国際ワークショップで基調講演をしてきました。「AI、ビックデータ、美術館」というキーワードで世界的な潮流を作り出していこうという意図のもと企画された今回の国際ワークショップ、ルーヴルを始め、地元からはソルボンヌやマルセイユ大学、英国からUCLなど、この分野で頭角を現し始めているリサーチャーが集まっていました。

パリ滞在は半年ぶりな上に、ノートルダムの大火災後初のパリ訪問だったので、とりあえず大聖堂がどんな感じになっているのか、真っ先に観に行きました。これが現在の姿です:

大屋根がごっそり抜け落ちて、足場などが組み上げられている様子が伺えます。

大型クレーンなんかも何台も動いていて、かなり大規模に修復工事が進められています。もうちょっと近づいてみます:

伝統的な石造りの様式と、繊細な線で構成されている足場などが相まって、これはこれで良い感じのデザインじゃないのかなー、、、とか思ったりして。

正面は全く変わらず。

ただ、今回の火災の為に、現在は内部は立ち入り禁止でした。ここの内部空間はパリ建築の中でも必見なので、それだけは非常に残念!

そこから歩いてカンファレンスが行われるルーヴル美術館へ。朝8時くらいに館内へ入って、終わって出てみたらもう20時だった(涙)。

だた、パリにおけるこの時期の20時ってまだまだ明るくて、日本の夕方っぽいので夜はまだまだこれから、、、っていう感じかな。ガラスのピラミッドも夕日に照らされて、幻想的ですらあります。

そこから歩いて15-20minくらいのところにあるポンピドゥー・センターへ。個人的には、ここからの眺めが一番好きかな:

旧市街からチラッと顔を出すハイテクテクノロジーのデザインの登場〜。

そしていつ来ても、この中庭空間が非常に気持ち良く使われているのが嬉しいですね。

そしてパリ市内が一望出来る上階からの眺めは最高の一言:

絶景かな、絶景かな。

今回ルーヴルが取ってくれたホテルが、パンテオンの近くで、「な、なんでかなー?」とか思ったら、2日目のミーティングがどうやらソルボンヌ大学(パンテオン・ソルボンヌ)であるからだということが判明。

歴史ある大学だけあって、構内のデザインも歴史を感じさせます。そして今回のパリ滞在で僕が一番驚いたのがこちらです:

じゃーん、言わずと知れたジャン・ヌーベルのカルティエ財団なのですが、なんとなんと、来週から始まる「樹木の展覧会」の為に、樹木が至るところに植えられて、それが街路の樹木と相まって、まるで建築が消えているかのような、そんな幻想的な風景がここには立ち現れています。

これは、、、ちょっと面白いぞー。もともとこの建築のエッセンスは、ガラスとガラスの間に建築を置くことによって、その存在を消す、、、みたいなところにあると思うのですが、内部に樹木を植えることによって、それがファサードに映り込み、さらにその映り込みが街路の樹木のものなのか、内部のものなのか、そのインタラクションによって建築が一段と消えている、、、と、そういうことが出来るかと思います。

テーマとしても面白いし、これは実際に訪れてみたかったなー。

来週からパリに行かれる人は必見です!

| 大学・研究 | 05:52 | comments(4) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
全米で最も美しい大学ランキング・ベスト10にランクインしているボストン郊外にある超名門女子大、ウェルズリー大学について
忙しい‥‥非常に忙しい!そして寒い!!



先週末ボストンには史上最強クラスのBlizzard(雪嵐)なるものがやってきて猛威を振るいまくってたんだけど、つい3ヶ月前にはコレ又史上最強クラスのハリケーンが来たばかりだったし、ある意味今年は当たり年なのでしょうか?(苦笑)。



今回の雪嵐到来(金曜日の深夜)の為に、MITでは金曜日の授業は全てキャンセル、大学は全面閉鎖という事態に追い込まれてしまいました。当然の如く公共交通機関も金曜日の午後4時でストップし、更にマサチューセッツ州知事の緊急事態宣言と共に、「16時以降、道路を自動車で走ったり駐車したりしたら罰金を科せます」みたいな宣言が出されるまでに。どうやらこれは、自家用車で走ってて事故を起こしたり渋滞とかしちゃうと雪かき機や救急車などの緊急車両の邪魔になるからと言う事らしい。「街自体はかなり脆弱でも、そういうノウハウだけは一応持ってるんだな‥‥」という事を発見(笑)。



ちなみに僕は、夜はカフェに行ってコーヒーを飲まないと落ち着かない性格なので、猛吹雪の中、近くのカフェに行こうと外に出たら10秒で真っ白になりました(笑)。それにもめげず、風速60メートルくらいの嵐の中、いつもなら歩いて5分も掛からないカフェに15分も掛けて行ったのに、行ってみたらその日は臨時休業でガッカリ。まあ、そりゃそうでしょうね(苦笑)。



さて、Twitterの方では結構流しているのですが、先週末ボストン郊外にあるウェルズリー大学(Wellesley College)で日本文化に焦点を当てたお祭り、「雪祭り」なるものが開催されていました。「ウェルズリー大学とは一体何か?」と言うとですね、ハーバード大学やコロンビア大学などと言ったアイビーリーグに対抗して創られた(?)セブンシスターズという7つの東部私立名門女子大の1つで、リベラルアーツカレッジランキングでは毎年上位5位以内に入る超名門校だそうです(Wikipediaより)。ヘェー。ヘェー、ヘェー。

セブンシスターズって、聖闘士星矢とかに絶対出てきそうな名前なんだけど(笑)、ちょっと調べてみたら卒業生にはヒラリー・クリントンや、ロザリンド・クラウス(美術批評家)がいるじゃないですかー!



「ロザリンド・クラウスと言えば、「オリジナリティと反復」、「視覚的無意識」そして「ピカソ論」なんか良く読んだなー‥‥」という事を思い出します。そうか!確か彼女はハーバード大学でPh.Dを取ってるから、学部時代はウェルズリー大学で過ごしたと言う訳ですね。って言うか、彼女がウェルズリー大学出身だって知ってる人ってあまりいないんじゃないかな?

そんなの聞いた事無いし、個人的には大発見なのですが‥‥。多分彼女は学部時代からハーバードに通ってて、そこで直接(彼女の師にあたる)クレメント・グリーンバーグに会ったって事だと思います。ロザリンド・クラウスがグリーンバーグに初めて会った時、「な、何?君がロザリンド・クラウスか?君の書いた文章から、私は少なくとも(今の君の年齢よりも)10歳は年上だと思ってた」みたいな事を言われたというのは良く知られている伝説ですけどね。



ちなみにオタク君達の集まりであるMITは、この超エリート女子大と50年も前から大変親密な関係にあるらしく、大学間の単位交換は勿論の事、両大学を結ぶシャトルバスが出ていたり、映画やミュージカルなど様々なイベントを共同開催したりしているんですね。冬休み期間中には、MITの学生センターでホラー系のミュージカルが行われてて、何故だか知らないけど、MITとウェルズリー大学の学生だけは入場料が割引になったりしていました(笑)。これは「MITのオタクの皆さん、がんばってウェルズリー大学の女の子達を誘ってくださいね」という大学側からの粋な計らいなのか?とか思ってちょっと笑ったww

さて、上述した様に、最近の僕のスケジュールは本当に一杯一杯で、やらなきゃいけない事が溜まりに溜まっている為、せっかく誘ってもらった雪祭りも泣く泣くキャンセルする事に(悲)。と言う訳で、今回はウェルズリー大学のキャンパスを訪れる事が出来なかったんだけど、実はですね、このキャンパスがちょっと凄いんです!何が凄いって、この大学、「全米で最も美しい大学キャンパス、ベスト10」なるものらしいんですよね(驚)。

そもそも僕がこの大学を訪れたのは全くの偶然でした。



1月2日にイェール大学へ行こうと思い、朝一番の列車に乗ろうとした所、エンジントラブルで電車が全く動かず‥‥。で、1時間待たされた後、やっと動いたかと思いきや、30分くらい走った所で今度はまさかの車輪の故障(悲)。その後館内アナウンスが流れ、「2時間後に緊急車両が来るので、それに乗り換えてください」とか何とか(怒)。この時点でもう既にお昼前だったので、片道2時間30分も掛かるイェール大学に行くのは泣く泣く断念。で、全く予定が開いてしまったその日の午後を埋め合わせる為に、「何処か近場で良い所無いかなー?」と探していた所、僕の頭をよぎったのがウェルズリー大学だったという訳なんです。理由は簡単で、この大学、スペイン建築界の巨匠ラファエロ・モネオ設計の美術館を所有しているからなんですね。



とは言ってもラファエロ・モネオのデザインはそんなに好きではないので、「まあ、一応見ておくか」くらいのかなり軽い気持ちで来たのですが、来てみてビックリ!モネオの美術館どころの話じゃなくって、そのキャンパスの圧倒的な美しさに魅了されちゃったと言う訳なんです。

と言う訳で先ずは行き方から。一番簡単なのは、MITの正門前から両大学を繋ぐシャトルバスが出ているので、それに乗っていけば45分程で到着しちゃいます。ちなみに料金は片道3ドルでMITかウェルズリーのIDを持っていれば無料で乗れます。



もしくはボストン市内のSouth Stationから電車に乗って30分という手もあります。その場合の最寄り駅はWellesley Square駅で、電車を降りたら真ん前にある大通りを、今乗ってきた電車と同じ方向に進みます。



歩く事5分、交差点の向こう側に「ウェルズリー大学」と書かれた看板が見えてくると思います。ここが正門。



で、取り合えず門を入って道なりに進んでいくと、くねくね道を抜けたその先に視界が「パッ」と開ける広場に出るんだけど、そこに展開しているのがこの風景:



じゃーん!1875年に開校されたというウェルズリー大学のど真ん中に聳え立つ、歴史の重みを感じさせるに十分な校舎の登場〜。重厚なレンガ造りの塔に、真っ白な雪化粧が本当に良く似合います。



この大学の基本的な建築スタイルは、橙色のレンガ造に緑色の屋根、もしくはグレーの尖塔の組み合わせとなっていますね。まあ、つまりはアメリカの典型的な大学で良く見掛けるデザインなんだけど、その中でもこのウェルズリー大学のキャンパスを特別なものにしている要素、それがここに広がる広大な自然なんですね。



緑溢れる自然の中にゆったりと配置された校舎の数々。



木々の間からチラチラ見えるレンガ造の建築。



自然が創り出した美と、人間が創り出した美が「これでもか!」と言うくらいのハーモニーを醸し出し、我々の心に直接訴えかけてくるかの様ですらあります。その中でも本当に素晴らしいと思ったのがコチラです:



そう、何とこの大学、敷地内に大きな大きな湖があるんです!これが結構大きくて、岸辺に沿って歩いてみたんだけど、一周するのに1時間半近くも掛かってしまいました。



反対側へ渡った所から見える、レンガ造の校舎を背景にした湖の醸し出す雰囲気は格別です。「この風景を見る為だけにここに来てもいい」、そう僕に思わせてくれる程の質がこの空間には存在します。



ちなみにこの大学は寮制になっているらしく、一度は住んでみたいと思わせてくれる様な素敵な建築があちらこちらに点在していました。



そして日が暮れてくるとこんな感じ:



夕暮れ時の風景に言葉はいりません‥‥。



今まで世界中で様々な絵画作品を見てきたんだけど、自然が創り出す夕焼けの美しさに対抗出来る様な創作物は一枚も無かった様に思います。



‥‥人間という生き物は、こんな圧倒的な自然の美、「掛替えの無い一瞬」を、何とか2次元のキャンパスに留めておこうとあらゆる手段(手法)を編み出し、そしてこれからも編み出して行く事でしょう。



それは例えば、光のエッセンスだけを取り出してみたり(ターナー)、現実そのままというよりは、寧ろ5感で感じたままの印象を大事にしたり(ルノアール、モネ)、はたまた人物や風景を一度分解して、その後にもう一度再構成してみたり(ピカソ)‥‥。



これら全ての試みは、「写真」とは全く違う形で美を捉えようという試み、云わば、「現実の美しさを一分の狂いも無く完璧に捉えてしまう事の出来る写真」を「人間の創造力で超えてみよう」という試みなんですね。



なんとかして自然の神秘の片鱗をキャンパスに再現しようとする、その努力、その工夫‥‥そんな人間の「果てしない創造力/想像力」にこそ僕は感動してしまいます(地中海ブログ:ガリシア旅行その8:アルヴァロ・シザの建築:セラルヴェス現代美術館(Museu de Arte Contemporanes, Fundacao de Serralves):人間の想像力/創造力とは)。



‥‥こんな美しい風景の前に佇んでいると、このウェルズリー大学に展開している風景は、アメリカという国、ひいてはニューイングランドというこの地方に古くから伝わる社会文化的なものを、正に一撃の下に視覚化してくれている‥‥そんな気がしてくるから不思議です。



そう、ここに広がっている風景は、この広大なアメリカという国が生んだ教育システムと、それが要求した建築、そしてニューイングランドという大変厳しい気候の中で育まれた社会文化、それら3つの軸が交わる上にしか存在し得ない大変希有な存在であり、この地方の表象となっているのです。

そういう意味において、ウェルズリー大学のキャンパスはボストンに来たら絶対に見るべきものの1つ、訪れるべき場所の1つに数えられると僕は思います。そして欲を言えば、それは雪が降った次の日、もしくは雪が積もっている風景を見に来るのがベストかな?とも思います。何故ならボストンという地方を特徴付けている要素の1つは、正にこの大変美しい雪化粧だと思うからです。ボストンに来たのにこの風景を見ないなんて勿体無い!

超おすすめです!
| 建築の歩き方 | 05:49 | comments(6) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
エドゥアルド・トロハの傑作、サルスエラ競馬場(Hipodromo de la Zarzuela)その2:軽い建築の究極形の1つがここにある
話が少し前後するのですが、「これだけは書いておかないと」と思うので、今日はその話題を。先週マドリッドへ行った際、どうしても訪れたかった第3の建築、それこそマドリッドが誇る近代建築の至宝、エドゥアルド・トロハが20世紀前半に完成させ、現在も使われ続けているサルスエラ競馬場なんですね。



人間の想像力/創造力の限界に挑んだエドゥアルド・トロハの傑作中の傑作、サルスエラ競馬場については、2年前に実際に訪れる機会があり、その時の体験を交えつつ以前のエントリで詳しく書きました(地中海ブログ:エドゥアルド・トロハ(Eduardo Torroja)の傑作、サルスエラ競馬場)。



その当時、この建築は修復中であり、一般公開は制限されていたという事もあって、ナカナカ訪れる事が困難だったんだけど、そんなトロハの建築が6月下旬から7月下旬の木曜日の真夜中に限って公開されているらしいという情報をキャッチしたのが先月の事。「この機会を逃す手は無い!」と言う事で、今回のマドリッド出張の合間を縫って訪れて来たという訳なんです。



サルスエラ競馬場への行き方については以前のエントリで書いた通りなんだけど、もう一度記しておくと、競馬が行われる毎週金曜日の午後と日曜日の午前に限り、地下鉄6号線Moncloa駅を出た所にあるバス停前(Intercambiador)から競馬場までの無料送迎バスが15分毎に出ている模様です(競馬場までは約10分)。ちなみに帰りも同じバスに乗って地下鉄駅まで送ってくれます。競馬が行われる日程については季節によって頻繁に変わる様なので、事前に競馬場のホームページで確認される事をお勧めします。



で、今回のイベントは一体何なのか?と言うと、どうやら気温が40度近くまで上がり灼熱地獄状態になってしまう真っ昼間に競馬をやるのは、観戦する方も、走る馬の方も大変だ!と言う事で、「それだったら、陽も落ちて涼しくなってくる夜中から始めようじゃないか」というアイデアの元、この1ヶ月に限り、夜22時から午前2時くらいまで真夜中にレースが行われると、そういう事らしいんですね。



とは言っても、「そんな夜中に競馬なんて、本当に来る人いるのか?」と半信半疑で競馬場に来てみると、これが凄い人!しかもスーツ姿や、ドレスアップした人などが大半で、Tシャツ姿に汚いビニール袋持って歩いてるのなんて僕ぐらい(苦笑)。「な、何―!この汚い東洋人!?」って眼でジロジロ見られちゃいました(笑)。



ちょっと面白かったのは、この「真夜中の競馬」というイベントを「ガストロノミー」と結び付け、家族ぐるみでディナーに来てる人が多かったという点かな。古き良きスペインの文化を受け継いでいるマドリッドでは、上流階級のお遊びの1つだった競馬が、今でも社交場になってるのかな?と、そんな感じを受けました。

で、今回、昼間のミーティングでクタクタになってる体に鞭打ってわざわざこんな所にまで来た理由がコチラです:



この世のものとは思えないシルエット!この風景を見る為に、はるばるこんな所にまで来たという訳なんですね。12,8メートルあるという、この大きく張り出した庇!俄には信じられません!まるで紙か何かで出来ているかの様な、そんな感覚さえ抱かせる程です。



ここに広がっている風景は、日本の構造体の大きさに慣れてしまっている我々日本人の眼には、より一層摩訶不思議に写るのでは無いでしょうか?



正直言ってこの建築を初めて見た時は、これを成り立たせている構造がどうなっているのか?最初は良く分かりませんでした。それは何もこの大きく張り出した庇がどうなっているのか?と言うだけの話ではなく、下階に広がる大空間にさえも、「在るべき所にあるはずの柱が無い」という感覚を僕に抱かせたんですね。



この建築を成立させている構造の妙については、現在バルセロナに滞在されている左官職人の森田一弥さんと散々議論したんだけど、これは簡単に言うと、ヤジロベーの様に前方の庇を後方の鋼管が下方に引っ張りつつ、下階の天井を吊り上げてバランスを取っているという非常にアクロバティックな構造で成り立っているという事でした。



上の図を見てもらうと分かり易いと思うんだけど、K-Aというのが前方に張り出している庇の部分で、その出っ張りをA-Bという支柱が支えています。それがこの支柱です:



そしてここからが凄い所なんだけど、先ずはC-Dという鋼管が屋根を下方向へ引っ張る事によってバランスをとっています。その鋼管がコチラです:



で、このC-Dの鋼管が上の屋根を下方向へ引っ張る力を利用して、下階の屋根(D-E)を吊り上げている訳ですよ!この様にして、僕が下階に降りた時に感じた「在るべき所にあるはずの柱が無い」という、無柱空間を実現しているんですね。その空間がコチラです:



つまりこの建築は、Kから始まった非常にドラマチックな庇がA-Bという支柱で支えられ、更にその力がC-Dという鋼管で下方向に引っ張られつつ、その同じ鋼管が下階に展開する空間の屋根を吊り上げる事によって全体としてバランスを取っているという、大変合理的な構造によって成り立っているという事なんです!これは凄い!と言うか、こんな建築見た事ありません!



更に更に、この断面の切り取り方と言い、この端部の終わり方と言い、このシルエットを見るだけでもエドゥアルド・トロハという人のデザイン力の高さが伺えるかと思います。



同じ様な形態を繰り返す事によってリズム感を創り出し、最後の端部を少しだけ変える事で無限に続くデザインに特異性を与えつつ切断しています。



更にその最後の部分を四分の一ほど「敢えて」残す事で、あたかも「飛翔する」という軽やかさを強調しているんですね。この辺りのテクニックについては、以前のエントリで槙文彦さんの幕張メッセで展開されたデザインと比較しながら分析してみました(地中海ブログ:エドゥアルド・トロハ(Eduardo Torroja)の傑作、サルスエラ競馬場)。



この形態を中庭空間が広がる反対側から見てみると、それこそこの屋根が何処からともなく「ふわっ」と降りてきて、それが軽やかに不時着したかの様な、そんな感じを与えてくれます。



す、素晴らしいの一言です。これほど見事な建築には滅多にお目には掛かれません。‥‥とか思ってたら、22時を回った所で漸く辺りが暗くなってきました。暗闇に浮かぶ屋根のシルエットは昼間とは又違った感じを醸し出していて、これ又文句無くカッコイイ!



人間の眼って言うのは、太陽光による上方からの光に慣れているので、照明器具による下方からの光を見せられると、大変奇妙な感じを受ける様に出来ています。それが夜景などを見た時に我々が感動したりする仕組みなんだけど、この競馬場の場合は、元々のデザインの特異性が加わって、本当に「得も言われぬ風景になっている」と、そう言う事が出来ると思うんですね。



建築を語る時にあまり曖昧な言葉は使いたくないんだけど、これこそ「無重力の建築」と言っても良いのでは無いでしょうか?そう、現代建築の1つの潮流である「軽い建築」の究極形の1つが、ココには存在するのです。そしてもう1つ、いつもは入る事が出来ない半地下空間にも今回は入る事が出来ちゃいました:



軽やかでノビノビとしたアーチが重なり合い、コレ又見事な空間を出現させています。どうやらこの空間は競馬を見終わった人達が立食パーティーや食事を楽しむ場として利用されてるみたいです。



そして外へ出てみれば夜中の0時を回ったというのに、まだまだ続々と人が集まってきて、それこそ「宴会はこれからだ!」くらいの勢いで盛り上がりまくっていました。「今日は木曜日の夜であって、明日は平日。特別お休みじゃない」って事はまるで忘れているかの様に(笑)。

先日見たドミニク・ペローの歩道橋と言い、現在開催中のラファエロ展と言い、流石に文化大国スペインの首都に相応しい、そんな底力を見せ付けられたかの様な滞在でした。

この建築はマドリッドに来たら必ず見るべき建築の1つに数えられると思います。素敵な体験をありがとう、エドゥアルド・トロハ!
| 建築 | 01:59 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
マドリッドの環状線M30の真上に出現した公共空間:ドミニク・ペローのアルガンズエラ歩道橋(The Arganzuela Footbridge)
前回のエントリ、マドリッド・ミーティングの続きです。



実は今回のマドリッド滞在で絶対に見ておきたかったモノが3つあって、その内の1つが現在プラド美術館で開催中のラファエロ展だという事は前回のエントリで書いた通りです(地中海ブログ:プラド美術館のラファエロ展(El Ultimo Rafael):ラファエロの精神的遺書「キリストの変容」の制作過程が明らかに)。この展覧会、ラファエロ好きには堪らない内容となっていて、その興奮がまるで昨日の事の様に思い出されます。



そして僕が今回どうしても見たかった2つ目というのが今日のお題なんだけど、それこそフランス人建築家ドミニク・ペロー氏が約1年前に完成させたマンザラネス川に掛かるアルガンズエラ歩道橋(The Arganzuela Footbridge)なんですね。



僕が今までに見た事があるドミニク・ペロー氏の作品はフランス国立国会図書館くらい。



この建築を訪れる前は、「巷に溢れる一筆書き建築」って言う(どちらかと言うと悪いイメージ)を持ってたんだけど、実際訪れてみると、銀色のメタリック・メッシュが大変良い感じを醸し出し、緑豊かな中庭空間も迫力十分、更に高層部分を均一に覆っているガラスとそこから透かして見える日除けルーバーの開閉風景が大変豊かで、それらルーバーの「不均質さ」とガラス面が創り出す「均質さ」が相俟って、ナカナカ興味深い体験だったと思います。



そんなこんなで彼の建築にはかなり良い印象を持ったので、「今度はマドリッドにある屋内競技場(Caja Magica)を見てみたいなー」と思い、ここ3年間に何度か訪問してみたんだけど、どうやらこの施設は何かしらのイベントが行われてないと中へ入る事は不可能だと言う事が判明。で、事前調査の結果、今回の滞在中には何もイベントが行われず、中へは入れなさそうだという事が判っていたので泣く泣く断念する事に。しかしですね、マドリッドにはドミニク・ペロー氏が手掛けた建築がもう1つあって、と言うか最近出来て、前々から「実はそっちの方が面白そうかな?」と、そう思っていました。その建築こそ今回登場するアルガンズエラ歩道橋と言う訳なんです。



プラド美術館を後にして、お昼過ぎに国立ソフィア王妃芸術センター(地中海ブログ:マドリッド旅行その2:ジャン・ヌーヴェル(Jean Nouvel)の建築:国立ソフィア王妃芸術センター(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia))で打ち合わせが入ってたんだけど、今回はこの歩道橋がどうしても見たかったので、ランチの時間を削って見に行く事に。行き方としては、地下鉄5号線でMarques de Vadillo駅まで行き、そこから5分ほど歩くというのが一番近道かなと思います。ちなみにMarques de Vadillo駅を出た所にはこんな風景が広がっています:



交通量が結構多い一見普通の商店街なんですね。車の排気ガスや騒音で一杯の「こんな所に本当にあんな緑で一杯の公園があるのかな?」と思いきや、街路を一本中へ入るとこれがビックリ!



目を見張るほどの緑と静寂な世界が広がってるじゃないですかー!太陽が燦々と降り注ぎ、視界に入ってくるのは目映いばかりの芝生の緑色、聞こえてくるのは子供達のはしゃぎ声ばかり‥‥ハッキリ言って、先程通ってきた商店街からは全く想像もつかなかった風景が広がっていて、かなり意表を突かれました。そしてここから少し歩を進めると見えてきました、今回お目当ての歩道橋が:



じゃーん!銀色に輝く構造体が螺旋を描きながら円柱を形成し、独特な軽快感を醸し出しているアルガンズエラ歩道橋の登場です。



ともすればゴツくなりがちな構造体をスパイラル状に構成しつつ、重たい構築物というよりは、風景として軽やかに公園の中に軟着陸させています。



これはあれかな、伊東豊雄さんがスペイン南部のアリカンテで計画していた蝶の蛹みたいなの、あれを構造体だけにするとこんな感じになるのかな?‥‥と勝手な解釈をしてみる。そしてこの橋のデザインに決定的な影響を与えつつ、ここで必要とされている要求に見事に答えている特筆すべきデザインがコチラです:



で、出たー!ドミネク・ペローの十八番と言っても過言では無いメタリック・メッシュの登場だー!このメッシュがですね、スパイラル状に構成されている構造体の所々に絡み付く様に配置されていて、それが又絶妙な感覚を醸し出しているんですね。



つまりは螺旋の構造体全てにメッシュが絡み付いているんじゃなくて、「部分的に」という所がポイント。何でかって、全部に付いてたらそれはそれでかなり重たい表現になっちゃうと思うんだけど、適当に間引いてやる事によって、軽快感を醸し出しているという訳なんです。橋の内側から見るとこんな感じに見えます:



ほら、透きとおる様な空の青色が、構造体やメッシュの銀色と相俟って、非常に美しい風景を構成しているのが判るかと思います。



そしてですね、実はこのメッシュがこの建築物にとって大変重要な役割を担っているポイントがもう1つあるんだけど、それがこの土地特有の気候対策についてなんですね。



と言うのも、この時期のマドリッドに来た事がある人なら分かると思うのですが、夏場のマドリッドはハッキリ言って灼熱地獄!僕の滞在中なんて、気温が40度以上まで上がり、とてもじゃないけど日向になんて居られない状況でした。それくらい気温が上がってくると、風が吹いても熱風なので全然涼しくなく、必然的に日陰を探す事となります。つまりこのペローの歩道橋は、このメタリック・メッシュが直射日光を上手い事遮り、この橋の上を歩く事をかなり快適にしている訳ですよ!



訪問中、この歩道橋を何往復かしてみたんだけど、この影はそれこそオアシスと言っても過言ではありませんでした。正直、これがあるのと無いのとでは大違い!



だからここに来ると、昼間っからこの橋の上を乳母車を押しながら歩く人達や、ランニングをしている人達など、結構な数の人達がこの歩道橋を楽しんでいる光景を見る事が出来ます。このメッシュが無かったら日差しが強い真っ昼間からこれだけの人達に利用されていたのかどうなのかはかなり疑問です。

そしてもう一点忘れてはならない事、というかこの点こそ、この歩道橋とこの公園のメイン機能だと思うのですが、それがコチラです:



実はですね、ここに広がっている広大な公園の下には、マドリッド市にとって大変重要な環状道路であるM30が埋設されているんですね。つまりこの公園は環状道路の上に土を盛って、そこに公共空間を創り出したという訳なんです。

‥‥これを聞いて「あ、あれ、これって何処かで聞いた事あるなー」と思った人は結構するどい。

そうなんです!都市の境界を取り巻く環状道路を地下に埋設し、その上を公共空間に変えて市民に公開しようという発想は、バルセロナが1992年のオリンピック時に考案し、数多ある都市改造計画の中でも最も市民に喜ばれた提案の1つだったんですね(地中海ブログ:バルセロナの新たなる都市戦略:ビルバオから学ぶバルセロナ都市圏再生の曙)。



バルセロナの場合は山の手と海岸沿い2つのパターンがあるんだけど、ともすれば、環状道路が歴史的中心地区と海辺を分断し、ビーチへのアクセッシビリティを不可能にしてしまいがちな状況に、これ以上は無い解決策を与えた好例だと言う事が出来ると思います。当然の事ながら、それまでは慢性的な渋滞に陥っていた都市部の交通状況もかなり改善されました。



今回ドミニク・ペローが創ったこの橋のプロジェクトは、元々は2000年半ば頃に実施されたマンザラネス川岸の国際都市開発コンペの文脈に乗っていて、川に沿って走っていた環状道路を埋設し、その上に公園を創り出し市民に開放しようというプロジェクトが格となっていた模様です。



更にここに創り出された歩道橋は、川と環状道路の両方によって分断されていた両岸に展開する地区の結び付きを強めつつ、その広大な土地に生み出された公園へのアクセスを促進する役割をも担っているんですね。



僕がこの辺りを訪れたのはお昼時だったのですが、幼稚園児や小学生と見られる子供達の団体が水遊びをしていたり、お年寄り達が日向ぼっこを楽しみながら世間話に花を咲かせていたり、はたまた川岸では日光浴を楽しむ水着姿の若者達で大賑わいでした。



まだ完成してから1年足らずしか経っていないこの公園なのですが、この光景を見る限り、もう既にマドリッド市民達の日常生活には欠かせないほどに、彼らの生活の中に深―く溶け込んでいるのが垣間見られた気がします。そういう意味において、この計画は間違いなくマドリッド市民達の生活の質を向上させていると言っても過言ではありません。

都市計画と建築が一体となった、非常に見事な解決策、そしてデザインでした。
| 建築 | 05:35 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
プラド美術館のラファエロ展(El Ultimo Rafael):ラファエロの精神的遺書「キリストの変容」の制作過程が明らかに
昨日まで、とあるプロジェクトの打ち合わせの為にマドリッドに行っていました。って言っても何時もの様に駆け足の滞在。木曜日朝一番のスペイン版新幹線AVEに乗ってバルセロナから2時間30分ピッタリでマドリッドのアトーチャ駅に到着(AVEについてはコチラ:地中海ブログ:スペイン高速鉄道(Alta Velocidad Espanola:AVE)に見る社会変化の兆し、地中海ブログ:マドリッド出張:スペイン高速鉄道(AVE)、ファーストクラス初体験)。



荷物の配送が遅れたり、労働ビザの審査基準が偶々当たった審査官の気分次第だったり、はたまた銀行すらお釣りを間違える事が日常茶飯事なスペインにおいて、高速鉄道が何時如何なる時もピッタリの時間に着くというのはスペイン7不思議に数えても良い様な気がする(笑)。この国において物事が時間通りに進むというのは、それほど珍しい事なんです!



さて、実は今回のプロジェクトの打ち合わせは前回に引き続き美術館関係だったのですが、初日に打ち合わせをしていた美術館で丁度今、大規模なラファエロ展(El Ultimo Rafael)が開催されていて、「折角ならチョット寄っていくか」という事でチラッと見てきました。って言うか、その展覧会やってるって分かってたからこの時期に合わせてミーティング設定したんですけどね(笑)。


(ラファエロの自画像画)

今回登場するラファエロという人物は、イタリア・ルネサンス古典主義の完成者って言われてて、芸術史の中に占めるその重要性にも関わらず日本では驚くほど語られていない様な気がします。何故かと言うと、それは「日本人の性向に合わないから」としか言いようが無いと思うんだけど、例えばAMAZON.COMで検索するとレオナルド関連の書籍が997件も出てくるのに対して、ラファエロはほんの56件程度しか出て来ないんですね。

日本人って言うのは外から見ていると本当に面白い民族で、美術の好き嫌いにすら集団的な傾向が見受けられます。つまり皆が皆、右向け右的にフェルメールが 好きだったり、印象派と聞いただけで目の色を変えて美術館に長い行列を作ったり‥‥みたいな(笑)。ルネサンスだったら日本では圧倒的にレオナルド・ダ・ ヴィンチ、そしてミケランジェロ、ちょっと勉強した人ならティツィアーノくらいは名前を聞いた事があるかもしれません。ちなみにミケランジェロって言う名 前はイタリア語ではミカエル(Michael)と天使(Angelo)を併せたものとなっていて、スペインではMiquelとAngelがくっついて Miquel-Angelという一般的な男の子の名前になっています。つまりミケル天使君(どうでも良いスペインのマメ知識終わり)。



まあ、他の人がどう思おうとそれは大した問題じゃ無くって、ラファエロは個人的に昔から大好きな画家の一人、しかも大規模な展覧会をスペインでやると聞いたからには行かない訳にはいきません(ラファエロについてはコチラ:地中海ブログ:ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio):アテネの学堂(Scuola d'Atene)、地中海ブログ:ミラノ旅行その6:ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio):アテネの学童下書き(La Scuola di Atene- cartone preparatorio))。と言う訳でプラド美術館でのミーティングが終わってから次のミーティングまでの合間を縫って、駆け足で見て来ちゃいました。



今回の展覧会の基本コンセプトは、ラファエロが1520年に急死するまでの人生最後の7年間に焦点を当てつつ、彼の右腕だったジュリオ・ロマーノ(Giulio Romano)とジョヴァン・フランチェスコ・ペンニ(Gianfrancesco Penni)との関連性にも着目しながら、彼の工房では一体どの様に恊働制作が行われていたのか?など、ラファエロ晩年の今まではナカナカ光が当たらなかった部分を明らかにしようという大変意欲的な展覧会となっていると思います。

上述した様に、僕は個人的にラファエロの大ファンなので、彼の事については当ブログでは事ある毎に言及してきました。特に4年前の年末年始にローマに長期滞在した際に見たラファエロ関連の絵画、彫刻、タピストリー、そして彼の人生に纏わる様々な足跡などは大変素晴らしかったなー、と昨日の事の様に覚えているくらいです。



例えば上の写真はラファエロが晩年、秘密裏に交際していた恋人マルゲリータ・ルーティちゃん、通称フォルナリーナちゃんの肖像画(La Fornarina)です(地中海ブログ:バルベリーニ宮:国立古典絵画館(Palazzo Barberini: Galleria Nazionale d’Arte Antica in Palazzo Barberini):バルベリーニ家とミツバチの紋章とか、フォルナリーナ(La Fornarina)とか、その1)。ちなみにフォルナリーナとはイタリア語で「パン屋の娘」という意味で、ラファエロがフォルネジーナ荘(Villa Farnesina)を手掛けている時に偶々出会ったパン屋の娘なんだそうです(最近になってフォルナリーナちゃんの存在やその出自などを疑問視する論文が発表されてるけど、その辺の事については又後日)。当時彼女が住んでいたと云われている家がローマの下町トラステヴェレ地区(Trastevere)に残っていて、それがラファエロ・ファン達の巡礼地になっていたりするんですね。



3階の隅の部屋がフォルナリーナちゃんの部屋だったそうなんだけど、今から約500年前にあそこにラファエロが居たかと思うと、それはそれでワクワクしてきますね。そしてコチラ:



パンテオンに今も眠るラファエロのお墓です。生前「パンテオンに埋葬して欲しい」と遺言を残したラファエロの意向に即して1758年に彼のお墓はパンテオン内部に移されたんだそうです。

さて、そんなラファエロに関する今回の展覧会はテーマ別に6つに分けられていて、その各々に見所が目白押しとなってるんだけど、その中でも個人的に大変興味を惹かれたのがコチラです:



ラファエロが死の直前に完成させた彼の代表作であり精神的遺書、そして最高傑作と名高い「キリストの変容」。この作品が一体どの様に構想され、作品制作中にその構想がどの様に変わっていったのか?もしくは最初の構想と最後に出来上がった作品の間には一体どの様な違いがあるのか?などを明らかにしようと構成されたセクションです。



現在ヴァチカン博物館にある人類の至宝、ラファエロの「キリストの変容」についてはローマ滞在中に3日間も掛けてヴァチカン博物館へ通い、それこそ作品に穴が空くほど見まくりました(地中海ブログ:幸福の画家、ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio):キリストの変容(Trasfigurazione))。で、今回初めて知ったのですが、どうやらプラド美術館はラファエロの弟子、ジュリオ・ロマーノによる「キリストの変容」の複製を所蔵しているそうなんですね。し、知らなかったよー。

 

実はこの展覧会で「キリストの変容」が展示されている事は新聞などを通して知ってはいたのですが、それを見るに付け、「‥‥ヴァチカン博物館、お宝中のお宝を本当に貸し出したのか?」と、かなり半信半疑だったんですね。何でかって、これってつまりはルーブル美術館がモナリザを他国に貸し出したり、もっと身近な例で言うと、東京国立博物館で鯱展やるからって名古屋城が金の鯱を貸し出す様なものですからね。ヴァチカン博物館にとってラファエロの「キリストの変容」はそれくらい重要なものなのです。

で、今回の展覧会を見ていて個人的に大変興味深かったのが、この絵画が描かれた過程とその変容です。



先ずはこの絵画の主人公(内股でちょっとゲイっぽいキリスト(笑))なんだけど、初期の頃の構想ではキリストは裸だったという事がX線を用いた分析で明らかになったそうです。



ヘェー、ヘェー、ヘェー!これは知らなかった!つまりラファエロは先ずは裸のキリストを描いてから、製作期間中にそのキリストに服を着せると言う様に図柄を変更したという事なんですね。そしてその裸のキリストを描く為にラファエロはかなりの数のスケッチを残しているんだけど、その一部が今回の展覧会で展示されていました。

更に今回、弟子達が描いた「キリストの変容」のコピーとラファエロが描いたオリジナル作品の両方にX線分析を掛け、それら2つの絵画を比べてみた所、弟子達がどうやってオリジナルをコピーしていたのか?つまりはラファエロの工房では一体どの様に恊働作業が進んでいたのか?などを知る非常に重要な手掛かりが得られたんだとか。



それにしても、いつ見てもラファエロの描いた絵画には「幸せ」が満ち溢れている様に感じられてなりません。そしてそれだけに留まらず、彼の描いた絵画はそれを見る人の心までをも幸せで一杯にしてくれる、正にそんな気がしてくるから不思議です。

何故ラファエロにはこんな絵画を描く事が可能だったのか?何が彼にそうさせたのか?

それはやはりラファエロ自身が、短いながらもこの上無い幸せな人生を送り、正に「幸福の画家だった」という事なのだろうと想像します。と言うかそう思わざるを得ません。日本語で読める数少ないラファエロ関連書籍の内の一つ、フォシェン(Henri Focillon)の訳書のタイトルが「ラファエロ―幸福の絵画」となっているのは、彼の人生そのものを表しているかの様で、大変素晴らしい訳だなーと思います。

(何時も引用するんだけど)晩年のラファエロはこんな言葉を残しています:

我らの時代こそ、かつて最も偉大だった古代ギリシャの時代と肩を並べるほど素晴らしい時代なのだ」



自分の生きた時代をこんな風に誇る事の出来る人生、あー、何て素敵な人生なんだろう。ラファエロという人は自分が生きていた時代を心から誇る事が出来る、そんな仕事をし、毎日を精一杯生きていました。だからこそ彼はこの上なく幸せだったのでしょうね。

そしてこの言葉は数百年の時を経て、現代社会に生きる我々にも直接訴えかけてきます。

「貴方は自分が生きている時代を心から誇る事が出来ますか?毎日を精一杯生きていますか?今、幸せですか?」と。
| スペイン美術 | 01:27 | comments(3) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)の建築:バラニャ市民会館(Centro Civico de Hostalets de Balenya):内部空間編
昨日6月21日、バルセロナが生んだ20世紀を代表する建築家、エンリック・ミラージェス氏を記念するエンリック・ミラージェス財団(Fundacio Enric Miralles)の創設オープニングパーティーが行われました。



今回の財団創設そしてオープニングパーティーについては僕の所にも数日前から「お知らせ」みたいなものが届いてたんだけど、昨日は夕方から夜に掛けてどうしても外せない用事が入っていた為に泣く泣く断念する事に。夜20時から始まったセレモニーにはスペイン建築界の重鎮、ラファエロ・モネオ氏やオリオル・ボイーガス氏、はたまたハーバード大学建築学部からMohsen Mostafavi氏が駆け付けたりと、かなり盛大に行われた模様です。



建築家エンリック・ミラージェス氏については今更改めて紹介するまでもないとは思うんだけど、その圧倒的なデザイン力、空間力そして独特の造形性で一躍世界の建築シーンに躍り出たかと思いきや、45歳という若さで急死。奇しくも2000年という新しい世紀が幕を開けた、正にその年に突然他界してしまったんですね。



何度でも言いますが、今世紀初頭にバルセロナは偉大な建築家を2人、しかもほぼ同時に失ってしまいました。一人は実践面からグングンと頭角を現し、正に飛ぶ鳥をも落とす勢いだったエンリック・ミラージェス氏。そしてもう一人はヨーロッパを代表する建築史家であり理論家でもあったイグナシ・デ・ソラ・モラレス氏です。



「テラン・ヴァーグ」などのキーワードで知られているヨーロッパの知の巨人、イグナシ・デ・ソラ・モラレス氏については当ブログでは事ある毎に言及してきました(地中海ブログ:イグナシ・デ・ソラ・モラレス( Ignasi de Sola-Morales)とテラン・ヴァーグ(terrain vague))。日本においては、磯崎さんやピーター・アイゼンマンなどと一緒にコーディネートしていた「Any会議」という名前と共に知られているかなと思われます。何を隠そう彼こそ僕がヨーロッパに来る事になった直接のキッカケであり、僕は彼が創設したマスターコースに学んだ最後の世代だという事は繰り返し書いてきた通りです。(スペインのマスターコースの光と闇についてはコチラ:地中海ブログ:バルセロナに出来た新しい建築学校その2:Barcelona Institute of Architecture:バルセロナ建築スクールの諸問題)。

歴史に「もし」は無いけれど、もしも今、イグナシとミラージェスが生きていたならば、世界の建築潮流の中心地の一つは間違い無くバルセロナになっていた事でしょうね。



さて、前置きが長くなっちゃったんだけど、エンリック・ミラージェスという建築家は、アルヴァロ・シザと同様に、僕が現在において最大限評価する建築家の一人である事などから、昨日のオープニングには是非とも駆け付けたかったんだけど、上述した様にそれは無理な事が前々から分かっていたので、昨日は一人で勝手に彼の財団創設を祝う為、午前中の予定を全て開け、バルセロナから電車で1時間程の所にあるバラニャ市民会館(Centro Civico de Hostalets de Balenya)を訪れてきました。



ここに来るのは今回で3回目。一回目は2002年、未だ僕がバルセロナへ来て間もない頃の事。2回目は2008年、そして今回が3回目の訪問と言う訳です。実は昨日の帰り際、受付の人に「良かったら記帳ブックにコメント書いてってくれませんか?」って言われたのでそれをパラパラと見ていたら、何と2002年と2008年に訪れた時の僕のコメントが残っていてかなりビックリ!しかも久しぶりに自分の直筆を見たんだけど、これが酷いのなんのって(笑)。あ、あれ、一応僕、小学校くらいから毎週書道に通ってて、7−8段くらいの腕前だった様な気がするんだけど‥‥気のせいか?(苦笑)。

まあ、それは置いといて、それよりも何よりも、僕が圧倒的に驚いたのは、この建築の竣工(1992年)から現在に至るまでココを訪れてコメントを残していった日本人の数の少なさです。今まで約20年間にココを訪れた日本人は僕以外ではたったの1人!しかもその人は2002年に僕が一緒に連れて来た友人じゃないですかー!まあ、勿論この建築を訪れてコメントを残さず帰る人も多いとは思うので、今までにココに来た日本人が僕一人だけだとは決して言いませんが、確率的に見てもこの数字はちょっと少ないんじゃないのかな?



かの二川幸雄さんが25年程前にバルセロナを訪れられた際、未だ世界的には無名だったミラージェスのこの建設現場を訪問され、鉄骨だけが組み上がった状態を見て、「これは凄い建築だ!」と歓喜されたという伝説付きの作品なんですけどね。

多分日本人の皆さんの足が遠のいているのは、バルセロナからはちょっと遠いと言う事、更に「どうやって行ったら良いのか良く分からない」という点だと思います。この建築へのアクセスの仕方については以前のエントリで詳しく書いた通りです(地中海ブログ:エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)の建築その1:バラニャ市民会館(Centro Civico de Hostalets de Balenya):行き方)。上のエントリに載せてある情報は4年前のものなので今回最新情報をアップしようと思い、逐一確認しながら電車に乗ったり歩いたりしてきたのですが、基本的に殆ど変わってませんでした。変わっていた事と言えば、電車の本数が少しだけ増えていた事、そしてこの建築を訪れる事が出来る開館時間が月曜から金曜の午前9時から14時まで、午後は月曜日の17時から19時までとなっていた事くらいでしょうか(2012年6月21日現在)。その辺の事については上述のエントリの追記に随時アップしていきたいと思っています。



さて、僕がミラージェスの建築を評価する理由は幾つかあります。空間的なデザイン力や造形力は勿論なんだけど、それ以上に僕が彼の建築を素晴らしいと思う理由、それは彼の建築がスペインという国の社会文化を表象していると思うからなんですね。



建築は表象文化です。その建築が建つ土地に住んでいる人々や社会、そこから生まれ出た文化や価値観を一撃の下に表象する行為、我々はそれを建築と呼んできたのです。もっと言っちゃうと、建築とは個人的な感情よりも集団的な価値観を、悲しみよりも喜びを表象するのに大変適した芸術形式だと思います。槙文彦さんはその事をこんな風に表現されています:

「建築というのはその時代に生きた人々が潜在下で感じていながらもナカナカ形に出来なかったものを一撃の下に表す行為である」

僕がアルヴァロ・シザの建築を評価する理由も全く同じで、彼の建築が素晴らしいのは、空間的な質、デザイン的な処理の上手さに加えて、彼の建築がポルトガルという国の社会文化を表象している所にあるんですね。



そう、あの真っ白でノビノビとした建築は、時間が非常にゆっくりと進み、大変のんびりとしたポルトガルという国を表象しているかの様なのです。僕はこの事を理解するまでに1年弱という歳月を要しました。



その間、実際にポルトガルに住み、ポルトガル人と同じ生活をし、彼らと同じ言葉をしゃべり、毎日の様にシザの建築を見に行く事で漸く(少しだけ)理解する事が出来た建築と社会文化の関係性です。ポルトという地の社会文化に親しみ、実際に生活したからこそ、その地における人々の生き方、その地では子供から大人まで誰でもアルヴァロ・シザという建築家の事を知っていて、「シザという人はポルトでは自分達の街のシンボルを創ってくれるヒーローなのだ」という人々の思いを発見し、正にその事を通して本来の建築家の姿というものを垣間みる事が出来たんですね(地中海ブログ:アルヴァロ・シザのインタビュー記事:シザ建築の特徴は一体何処から来たのか?)。



ミラージェスの建築にも全く同じ事が言えて、彼の建築はスペインという地に住む人々の底抜けない活力やエネルギー、失業率が50%を超えても決してへこたれない明るさ、ひいては「国が潰れるか潰れないか?」という瀬戸際でさえも「私はサッカーを見に行く」と、ポーランドへと旅立って行ったラホイ首相の楽観性なんかを、正に一撃の下に表していると思う訳ですよ!(地中海ブログ:ルーブル美術館の歩行者計画)。それはもしかしたら、毎朝のニュースでお天気お姉さんが、「今日は晴れです。明日も晴れ、明後日も晴れ、ずっと晴れです!」って言ってる、正にその事に見て取れるのかもしれません。フェルナンド・ブローデルなんかは地域の社会文化的特徴を決定している要因として天気の重要性を指摘してますしね。

 

ちなみに僕が毎朝見てるスペイン国営放送でお天気を伝えてくれるのがAna Belen Royちゃん。毎朝8時50分頃から始まるんだけど、この番組のメインキャスターはAna Ibanez Roldanちゃんで、9時から始まる「朝ご飯(Los Desayunos)」のメインキャスターはAna Pastorちゃん(地中海ブログ:スペインの美人すぎるニュースキャスターその2:アナ・パストール(Ana Pastor):現代スペイン最強の女子アナ)。つまりみんなAnaちゃん(笑)。だから毎朝どういう場面が展開されるかと言うと:

司会(Ana Ibanez)Ana(Belen)ちゃん、今日の天気はどうなっているのでしょうか?
お天気お姉さん(Ana Belen)よくぞ聞いてくれましたAna(Ibanez)ちゃん、日中は晴れ、気温は30度を超えると思います。さてAna(Pastor)ちゃん、この後9時からの番組の予告を伝えてください。
朝ご飯(Ana Pastor)おはようAna(Belen)ちゃん!今日の話題は緊縮財政についてです。

とか言うコントみたいな場面が毎朝繰り返される訳ですよ!(本当にどうでも良いスペインのマメ知識終わり)

さて、この建築に流れる造形的な物語と、そのデザインの方向性などについては以前のエントリで詳しく解説しました(地中海ブログ:エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)の建築その3:バラニャ市民会館(Centro Civico de Hostalets de Balenya)に見る建築の質:実際に建築を訪れる事の大切さ)。今回4年振りに訪れた感想は、以前のエントリで抱いた印象と大筋としては変わってないかな。外観のデザインについてのポイントだけ掻い摘んでおくと、先ずはコチラ:



ビシッと決まっているコチラからのパース。文句無くカッコイイ。ここにはロシアアヴァンギャルド、特にメルニコフからの影響が垣間見えるという事は以前のエントリで指摘した通りです(地中海ブログ:エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)の建築その2:バラニャ市民会館(Centro Civico de Hostalets de Balenya)に見る建築の質:社会文化の表象としての建築:ミラージェスの場合)。この部分を見ただけでもミラージェスの類希なる造形力が分かるというものなんだけど、どういう事かと言うと、下記の写真と比べて見るとその卓越振りが分かるかと思います:



大変印象的な鉄骨&屋根の線が3本平行に走っていますね。えっと、人間の目というのは地上から約150センチくらいの所に付いている為、ある一定方向から見るとパースが付いた様に見えて、本当は平行に走ってる線が傾いたり交わったりした結果、全く予想もしなかった造形が浮かび上がる事になります。その結果が上のパースな訳ですよ!こういう事がキチンと分かっていて、しかもキチンと形に出来ている建築家と言うのはそれ程多くは無いと思います。そしてもう一つのポイントがコチラ:



3つの線が重なり合い、それら各々の線が空を切り取ると同時に、螺旋を描く様に上昇感を創り出している場面です。この軒の終わり方の妙については、槙さんの東京体育館の重なり合う外郭線などを例に出して以前のエントリで解説した通りです。



そしてこの建築が神憑ってる点、それはこの様な大変トリッキーな外観が、非常にダイナミックに展開している内部空間からきているという点なんですね。つまり、内部に展開している空間が内側から膨らんできて、その膨らみが外観へと現れてきたかの様な、正にそんな内外部がピシッと一致した建築、それがこの建築を他の建築とは一味違うモノにしているという訳なんです。

実はですね、前々回来た時(2002年)は未だデジカメを持ってなくてマニュアルで写真を撮っていた為、そのデータが今は手元に無く、前回来た時(2008年)は運悪く展覧会の真っ最中でこの建築の一番の見所である天井のデザインが全く見えないという不運に見舞われてしまいました。と言う訳で今回は訪問前に電話で確認を入れた所、メインホールは特別何にも使ってないとの事。そんな訳でルンルン気分で体験してきた素晴らしい内部空間がコチラです:



大変ダイナミックに、恰も空間が上昇して行くかの様な、そんな「えも言われぬ空間」がココには存在しています。



す、素晴らしいの一言‥‥他に言葉が見当たりません‥‥。



どういう構造になっているかと言うと、一層分取られた直線が扇子を広げるかの様に段々とずれ込んでいく事によって上昇感を創り出しているという訳です。反対側から見てみます。先ずは一層部分から:



ほど良く押さえられた天井高。斜め方向に一直線に伸びた天井線が気持ち良い。そしてそこから歩を進めると2層目が姿を現してきます:



この線の交わり方!そして最後は3層目へ:





内側に倒れ込んできているガラスの壁がある事によって、この空間に「包み込む様な感じ」が醸し出されています。



もうお解りだと思いますが、3本の線に規定され生み出された螺旋の上昇空間は見事なまでに外側に膨れ上がり、それがそのまま外観となって現れている訳ですよ!



そして鋭い人なら、このミラージェスの空間にコルビジェとの類似性を見い出すかもしれません(地中海ブログ:パリ旅行その6:大小2つの螺旋状空間が展開する見事な住宅建築:サヴォワ邸(Villa Savoye, Le Corbusier)その1:全体の空間構成について)。コルビジェと空間シークエンスと言えばコロミーナであり、コロミーナはカタルーニャ工科大学でイグナシの下に学んでいた訳で、そこにはミラージェスも居て‥‥という話に展開していくんだけど、それは又今度。



それにしてもこの空間は本当に写真にとりずらい。と言うか、どれだけ写真に収めても、何枚ブロブに写真をアップしても、この空間の本質はナカナカ伝わらない気がする‥‥。そしてこの点こそがミラージェスの真意であり、この建築の本質なのかなー?と、そんな気がしてくるから不思議です。晩年ミラージェスはこんな事を言っていました:

「・・・これは、私の仕事の進め方のなかで、視覚は一番重要な事柄ではないという事実と関係があると思います。私のプロジェクトは単なる視覚以上のものに大きく依存しています。Studio Talk, 15人の建築家の物語、インタビュー二川由夫, P641

そう、これこそ我々が現地に行かねばならない理由であり、この建築が我々の五感を通してしか理解する事が出来ない類いのものになっている理由なのです。

この建築はバルセロナに来たら足を延ばしてでも絶対に見に行くべき作品の一つだと、僕にそう確信させる程の質を伴った傑作中の傑作だと思います。
| 建築 | 07:03 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
スペインのTwitterフォロワー数国内ランキングを見て思った事:スペインではサッカーが生活のリズムを作っているという事について
先週半ば辺りからスペインを含むキリスト教国は復活祭(イースター)の連休に入っています(って言っても今日で終わりなんですけどね)。復活祭というのはキリスト教国においては大変重要な年中行事となってて、と言うのもイエス・キリストが十字架にかけられて亡くなり、その3日後に復活した事を記念するという、数あるキリスト教の名場面の中でも最もドラマチックな瞬間を祝う期間となっているからです。



故にこれらの場面を題材にそれこそ数えきれないくらいの名画が今まで書かれてきたんだけど、ラファエッロが描いた「キリストの変容」はキリストが復活し、その後、天に昇っていく正にその瞬間を捉えた傑作だと言う事は以前のエントリで書いた通りです(地中海ブログ:幸福の画家、ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio):キリストの変容(Trasfigurazione))。ラファエロ、やっぱり良いな〜。

そんな中、先週金曜日はイエス・キリストが十字架に掛けられて亡くなってしまった「聖金曜日」だったので、「その受難と死を皆で分かち合おう」というコンセプトの下、街中のお店というお店が閉まり、街全体が悲しみに包まれる日‥‥という事になっていました。ちなみにフランコ独裁政権下のスペインでは、聖金曜日にはお店を開店する事を厳しく禁止し、ラジオではクラッシック音楽だけを流し、国民に「悲しむ事」を強制していたらしい。



もう一つちなみに、カタルーニャでは伝統的に「モナ・デ・パスクワ」と呼ばれる、ゆで卵が入ったパンケーキ(通称ゆで卵ケーキ(苦笑))を復活祭の翌日に家族みんなで食べるという習慣があります。



最近の流行では、バルサ模様のチョコレートケーキや、漫画のキャラクターに模したものなど様々なバリエーションが出てきているのですが、伝統的なモナ・デ・パスクワにはチョコレートで形作られた卵じゃなくて、本物のゆで卵が入ってて、ケーキと一緒に食べるのにはちょっと困る(苦笑)という状況になっちゃったりするんですね。



と言う訳で、店頭に並んだ色とりどりのケーキを見つつ、何時もの様にクロワッサンとコーヒーで朝食をとりながら新聞を読んでたら、ちょっと面白い記事が目に飛び込んで来ました。それがコレ:「世界におけるTwitter利用状況」という記事なんです。

その記事によると、世界で一番Twitterが使われているのはアメリカで、その数なんと、107,7万人!第二位はブラジルで33,3万人。日本は第三位(29,9万人)に付けてるんだそうです。スペインはというと、インド(13万人)とメキシコ(11万人)のちょっと下、カナダ(7,5万人)の上の世界第9位で、利用者は8,5万人らしい。スペインが世界第9位というのも驚きだったんだけど、それよりも何よりも、僕にとって圧倒的に面白かったのはスペインにおける「国内フォロワー数ランキング」でした。それがコチラ:

1. Alejandro Sanz: 5,325,922
2. Real Madrid: 4,091,809
3. David Bisbal: 3,004,734
4. Andres Iniesta: 2,851,302
5. Cesc Fabregas: 2,811,863
6. Gerard Pique: 2,488,351
7. Carles Puyol: 2,481,731
8. FC Barcelona: 2,103,131
9. Sergio Ramos: 2,070,276
10. Xabi Alonso: 1,990,031

何が面白いって、ランキングベスト10の内、実に8人もがサッカー関係者で占められているという驚きの事実がです。む、む、む‥‥これはスペインという国の一つの側面を現しているかの様で非常に興味深いなー。

バルセロナに住んでいると日常生活における「サッカーの影響力」というものの凄まじさを感じずにはいられません。試合が有る時は勿論、無い時にだって「3人寄ればサッカーの話」というくらいサッカー好きで知られている民族、カタラン人。伝統の一戦、バルセロナ対マドリッドの試合がある日なんかには、街全体が何だか朝からソワソワしてるみたいだし、勝ったら勝ったで街中に花火が上がりまくり、中心街は朝までお祭り騒ぎ。で、決まって次の日は11時くらいまでは仕事場には誰も来ない‥‥みたいな(笑)。

その様な状況が社会全体を包み込んだ文化にまで昇華している国、それがスペインという国なのです。もっと言っちゃうと、スペインにおける生活のリズムというのは正にサッカーと共にあると言っても過言ではないんですね。そう、この街では一年がサッカーと共に始まり、サッカーと共に終わっていくという状況が垣間見られるのです(バルサについてはコチラ:地中海ブログ:FC Barcelona(バルサ)のマーケティングがスゴイ:バルサ・ミュージアムに見る正に「ゴールは偶然の産物ではない」)。



かつて我々の生活にリズムを付けていたのは一年の節目節目に行われるお祭りや祝祭などでした。豊穣を祝うお祭りや、季節の変わり目に設定されていた祝祭というのは、農作物に感謝をしたり、願掛けをするというのは勿論の事、朝から晩まで同じ様な作業しかしない極めて平坦になりがちな我々の生活に「楽しみ」を提供する大変重要な役目をも担っていたんですね。



その様な、ローカルに根ざした祝祭というのは、その土地土地の影響を色濃く受け、独自に発展してきたものであるが故に、その土地の特徴を含んだ表象行為として現れる事となりました。そして我々はそれらの違いを「文化」と呼んだりしてきた訳です。



しかしですね、都市間競争が激しさを増し、「観光」が都市の主要モーターになるにつれ、かつては生活のリズムを刻んでいた祝祭などが、何時の間にか、観光客を惹き付ける一つの道具に変わってしまったという状況を我々は目の当たりにしています。先週から今週にかけてヨーロッパ全土で行われている復活祭のパレードが正にその良い例だと思うのですが、今ではその「一風変わったお祭り」を一目見ようと、世界中から観光客が押し寄せるという状況になっているんですね。



そんな「村民や住民達の為の祝祭」が、「観光客達の目を楽しませる為の見世物」に変わってしまった現代社会において、実は未だにローカルに我々の生活に楽しみを与え、そして我々の社会のリズムを作っているのは、もしかしたら、現在最もグローバルに展開している、それこそグローバリゼーションの申し子と言っても過言ではない「サッカーのリーグなのかもしれない」とさえ思えてきます。大体スペイン人って、6月とか7月頃にリーグの優勝が決まったら、「あー、今年も一年が終わったなー」とか思ってるぽいですからね(笑)。当然そこからは全く仕事にならず、8月の1ヶ月の夏休みに突入〜!みたいな(笑)。

そんな、日常生活の中で感じる事の出来る「感覚」をきちんとした数字で定量化するというのは結構難しい事で、今回のTwitterのフォロワー数というのは、正にその良い一例かなとか思っちゃいました。つまりはそのフォロワー数が社会の中におけるサッカーの影響力みたいなものを現しているという意味において。

さあ、春の長期連休も終わり、明日からは又忙しい日々が始まります。日も長くなってきた事だし、がんばっていこうかな。
| バルセロナ都市 | 03:38 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
(速報)マニュエル・デ・ソラ・モラレス(Manuel de Sola-Morales)氏が亡くなりました
バルセロナオリンピックを成功に導き、地元カタルーニャ工科大学に都市計画研究所を設立した立役者でありセルトの弟子でもあったマニュエル・デ・ソラ・モラレス氏が昨日バルセロナの自宅で亡くなりました。73歳でした。死因は奇しくも弟のイグナシ・デ・ソラ・モラレス氏と同じ、心臓発作だったそうです。

マニュエル氏とは個人的な面識はあまりなくて、何処かのカンファレンスで2−3回見かけた程度だったんだけど、やっぱり、イグナシ・デ・ソラ・モラレスを目指してヨーロッパにやってきた身としては、「イグナシのお兄ちゃん」という事で、勝手に親近感を抱いたりしていたんですね(イグナシについてはコチラ:地中海ブログ:イグナシ・デ・ソラ・モラレス( Ignasi de Sola-Morales)とテラン・ヴァーグ(terrain vague))。



ヨーロッパ建築界の重鎮だったマニュエル氏の都市を扱う巧みさについては、ラファエロ・モネオ氏と共にバルセロナにデザインしたショッピングセンター、L'illa Diagonalを見るだけでも、その片鱗は垣間見える様な気がします(地中海ブログ:L'illa Diagonal: ラファエル・モネオ(Rafael moneo)とマニュエル・デ・ソラ・モラレス(Manuel de Sola Morales))。ともすれば圧迫的になりがちな都市的スケールの建築が、セットバックやボリューム分散などを巧みに組み合わせる事によって、非常に見事な解決案が提示されているんですね。

‥‥先々週は美術界の巨匠、アントニ・タピエス氏の悲しいお知らせが届き、スペイン社会全体が深い悲しみで包まれた矢先、先週は何と、スペイン建築界を背負っていくはずだったMansilla & TunonのLuis Moreno Mansilla氏が53歳という若さで急死したばかりだったんですね。この様な状況は、今から丁度10年くらい前、ミラージェス、イグナシと、連続して21世紀の建築界をリードする筈だった人材を失ったバルセロナの状況に酷似しています。

‥‥歴史に「もし」は無いけれど、もし彼らが生きていたとしたら、間違いなく現在の建築界の中心の一つはバルセロナになっていた事だろうと思います。

まあ、僕達の社会というのは、こうやって先人達が築いてきた基礎の上に次の世代が少しづつ石を積み上げていく事によって前進していくという事は分かってはいるんだけど、それでもやっぱり寂しくなるなーという思いはナカナカ消えません。
 
ご冥福をお祈り致します。
| 建築 | 19:48 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
もう一つの9月11日:カタルーニャの場合:グローバルの中に息づくローカリティ
毎年夏休み明けに各種メディアを賑わす話題と言えば、今から丁度10年前に起こってしまったアメリカの同時多発テロ事件、通称9.11の話題だと思うんだけど、今年も例年に漏れずスペインの各種メディアはこぞってこの話題を書き立てています。個人的には「あー、もうあれから10年も経つのかー」と、時が経つ早さに只々驚くばかりなんだけど、一昨日の新聞には世界貿易センタービルが建っていた跡地に計画される事になっている超高層ビル群の詳細な計画図が載っていました:



現在ではグランドゼロとして知られるココの跡地計画って、最初はユダヤ系アメリカ人建築家リベスキンドが国際コンペで勝って結構魅力的な案を提出してた様な気がするんだけど、それが何時の間にか複数の建築家達が別々の高層を担当する案に摩り替わっちゃいましたよね。まあ、世界中が注目する計画、しかもニューヨークのど真ん中に高層ビルをデザインする事が出来る建築家なんてスター中のスターだけだと思うんだけど、そんなスターの中に日本人建築家が混ざっていると言う事は案外知られていません。それがこの人:



じゃーん、日本が世界に誇る大建築家、槙文彦さんです。槙さんと言えば幕張メッセやヒルサイドテラスなど、正に「記憶に残る場所」を数多く手掛けてきた誰もが尊敬する建築家だと思うんだけど、実は槙さんの先生ってバルセロナ出身のカタラン人建築家、ホセ・ルイ・セルト(Josep Lluis Sert)なんですよね(地中海ブログ:オープンハウス in バルセロナ(48 OPEN HOUSE BCN)その3:ホセ・ルイ・セルト(Josep Lluis Sert)のパリ万博スペイン共和国館)。と言う訳で、槙さんは密かにバルセロナと深い繋がりがあるんだけど、それを話し出すと終わりそうも無いので、それは又別の機会に。

さて、実は上の記事が載っていたLa Vanguardia紙を注意深く観察していると分かる事なのですが、この新聞、毎年9月11日のテロの話題を9月11日以前に特集して、当日や翌日の一面にはアメリカ同時多発テロの話題を持ってくるって事が(殆ど)無いという事に気が付くかと思います。

何故か?

何故ならカタルーニャには9月11日にどうしても特集しなければいけない事があるからなんですね。それが今日のお題でもある、1714年に終止符が打たれたスペイン継承戦争に纏わる話題です(スペイン継承戦争が詳しく知りたい人はコチラ(地中海ブログ:もう一つの9月11日:カタルーニャの場合)。

手短に言うと、スペイン継承戦争って言うのは、カタルーニャがマドリッドを中心とするブルボン軍を相手にこの地方の特権を守る為に激しく闘い、多くの血が流された末に負けてしまったという結構ドラマチックな歴史的事実です。それ以降、カタルーニャが中世以来謳歌してきた全ての特権は剥奪され、事実上政治的な舞台から引き摺り下ろされる事になるのですが、近年の研究ではこの時に負けた事が現在の繁栄を齎したと見る研究も存在します。つまりこの戦争と言うのは、カタルーニャに決定的な変化を生んだ戦争だったと言う事なんですね。

その日以来、この9月11日と言う日は、カタルーニャ人達にとって特別な日となりました。つまり2001年以降、9月11日が世界にとって特別な日となったその何百年も前から、この地ではこの日を大変神聖な日として特別視する動きがあったという事なんです。





そのシンボルとなる像がバルセロナの中心街近く、碁盤の目の様に行儀良く並んだ新市街地の一角に位置しています。今から300年前のこの日、その身を挺してブルボン軍と闘い、最後の一兵になるまで戦い抜いた軍団を率いていた総大将、ラファエロ・カサノバの像です。



この辺りは閑静な住宅街なのですが、9月11日の早朝だけは、その様相を一変します。偉大なご先祖様に敬意を表して、朝早くから大勢の政治家達や、それを中継するテレビカメラなどがこぞって押しかけ、カサノバの像の足元に大きな大きな花束をささげる事が恒例行事となっているからです。そしてそれを取り囲むようにして、市民がその行事を見守り、その後、舞台を近くのシウダデリャ公園に移し、様々な催しものが行われるというのがこの日の恒例行事となっています。



地元カタルーニャの右寄りの新聞、La Vanguardia紙の9月11日の話題と言えば、何十年も前から、この祭典を取材し、それをカタルーニャ国民に知らせる事と相場が決まっています。世界の主要紙がアメリカの動向などを一面に持ってくるのなんてお構い無しに、独自色をハッキリ出していると言う訳です。

グローバリゼーションが進行する最中において、我々を取り巻く環境は一様になりつつあります。どの都市に行っても同じ様な風景が展開し、同じ様な食べ物が提供され、そして同じ様な服装に身を包んだ人達で溢れ返っていると言う様に、我々の社会は確実に画一化の方向に進んで行っているんですね。そんな画一化が進めば進むほど、逆説的にローカリティが重要になってくるという事は、言うまでも無い事かも知れません。そしてここスペインのバルセロナと言う地域は、今でもそのローカルなアイデンティティに満ち溢れたパワーを「これでもか!」と見る事が出来る、世界でも数少ない稀有な地域となっています。

グローバルの中にローカルの息遣いがハッキリと見て取れる事、それは書籍などの活字からでは決して理解出来る事なのではなく、自分の五感を通してしか、その体験を記憶として自分の体の中に蓄積出来ない事なんですね。何故ならそれは、「今、ココ」でリアルに起こっている事だからです。そしてその様な体験こそ、どんな情報でも整理し引き出せてしまう天下のグーグルにも提供出来ない類の情報であり、情報化が進めば進むほど、「生身の体験」、「自分が今まで蓄積してきた経験」の重要性が大きくなっていくだろう事を示唆しているのだと思います。

それらの事が、僕が今、途方も無い時間とお金を注ぎ込んでバルセロナに居る事の理由なのかも知れません。
| バルセロナ歴史 | 04:48 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
来生たかお/岡村孝子の「はぐれそうな天使」に見る日本文化の特質
暑い、非常に暑い!って言うか、バルセロナ、先週辺りから急に暑くなってきたんですけど、どういう事ですか?7月、8月と、夜は毛布がいるくらい涼しかったので、「あー、今年は冷夏だ!」とか思ってた所に、大どんでん返し!暑くてやってられません。ってな訳で、夕涼みにYoutubeを見ていたら、こんな動画発見:



岡村孝子の「はぐれそうな天使」です。これが流れてたのって、確か僕が小学校低学年くらいだったので微かに記憶に残ってる程度なんだけど、Wikiとか見ると、「ホンダのイメージソングに使われて当時かなりの話題になった」とかある。そうなんだー。で、この曲を聴いていたらYoutubeのレコメンデーションに現れたのがコチラです:



そう、この曲を創った来生たかおさんが歌ってるヴァージョンです。良く知られている様に、来生たかおさんって楽曲を他のアーティストに提供するだけでなく、自分自身でも歌われてるんですよね。そしてその独特の歌声が創り出す世界観はアイドル達とは又違った雰囲気があって、「歌って、歌い手によってここまで変わるんだー!」って感動してしまう事、しばしばです。マーケティング的に言えば、正に「一粒で二度美味しい」的な、大変上手い売り方であるとさえ言えるかな。

前にも書いたんだけど、現代の歌謡界において、コンサートに行ってまで歌声を聴きたくなる様なアーティストって、そんなにいないと思うんですよね(地中海ブログ:久しぶりにドリカムの「悲しいKiss」とか「二人のDifference」とか聞いて、日本文化の特徴に浸る)。つまりCDを買って家で聴いてればそれで十分ってアーティストが大半って事なんですけど・・・。もっと言っちゃうと、CDの方が音程とか外れてなくて、逆に良い・・・みたいな(苦笑)。

この状況は現代建築界の抱えている問題と非常に似通ってて、現在作られている大半の建築っていうのは、書籍で見てれば良いレベルで、逆に写真の方がフォトショップで補正してあったり、醜い所が隠れる様に撮影されてたりして、現場に行ってみたら「ガッカリ」なんて事が非常に多いって言う、そんな状況な訳ですよ。でもやっぱりアートって言うのは、「そこ、ここにしかない感動を与えてくれるもの」であり、そんな感動を与える事が出来る人の事を「アーティスト」って呼ぶんだと思うんですね。来生たかおさんというアーティストは、正にそんな数少ないアーティストの一人だと思います。

で、今日の話題なんだけど、この「はぐれそうな天使」って歌、聴けば聴くほど「日本語の妙」と言うか、その余りにも巧い言葉の組み合わせの間から、我々日本人や日本文化の特質みたいなのがチラチラ見え隠れしていて面白いなーとか思っちゃったんですね。僕が思ったのは以下の2点。

先ずこの曲の題名なんだけど、「天使」に形容詞の「はぐれそうな」が付いてる。「はぐれる」っていう言葉は、「迷う」とか「方向を見失う」とか、そういう事を意味すると思うんだけど、それが「天使」という言葉と組み合わさる事でどういう感覚を我々に呼び起こすのか?

これは結構重要な問題で、と言うのも、これは単に言葉の問題だけではなく、その言葉が我々に喚起するイメージの問題、そして「その様なイメージが一体何処から来たのか?」と言う諸問題が複雑に絡み合っているからなんですね。

先ず「天使」から行きたいと思うんだけど、一般的な日本人の僕達が「天使」と聞いて思い浮かべるイメージと言うのは多分こんな感じだと思います:



かわいい羽の生えた金髪の赤ちゃん天使。これが典型的なイメージだと思うんだけど、先ずこの天使のイメージが何処から来たのかというとですね、実はこれって、ドレスデン(アルテ・マイスター絵画館(Gemäldegalerie Alte Meister))にあるラファエロの絵画(システィーナの聖母(Madonna Sistina))の一部なんですね(地中海ブログ:幸福の画家、ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio):キリストの変容(Trasfigurazione))。しかも驚愕の事実があるのですが、この絵画、多くの人が思い込んでいる様に、この2人の天使が中心に描かれている様な独立した絵画ではないんですよね。じゃあ、どんなかと言うとですね、その全体像がコチラです:



「あれ、天使居ないじゃん」って思った人多いんじゃないでしょうか?いえ、いえ、よーく見てください、足元あたり。そう、足元にちょこっと上を見上げてる2人の天使、この部分だけがクローズアップされて、あの有名な天使のイメージになっちゃったんですね。(どうでもいいマメ知識終わり)

で、ここからが重要なんだけど、問題は、僕たちが「天使」と言う言葉を聞いてイメージするのが、「この様な天使」だという事なんです(ラファエロの絵画の天使と言う意味ではなく、羽の生えた金髪の赤ちゃん天使と言う意味で)。そもそも天使って言うイメージってキリスト教に由来するものであって、多くの人が無宗教、少なくともキリスト教ではない日本人の多くが「天使」と聞いて、ちゃんと天使をイメージ出来ちゃうって所が凄いと思う訳ですよ!これは日本人の多くの人が「その様な世界観を共有している」という事に他なりません。では「どの様な世界観か?」と言うと、それはキリスト教の世界観なんですね。キリスト教国家じゃないのに(笑)。

この事と、「はぐれそうな天使」という歌と何か関係があるのか?っていうと、それが大有りで、「はぐれそうな天使」という歌は、それを聴いた瞬間に、このような天使のイメージと、その「個性」が即座に頭に浮かばなきゃ成り立たない様に出来ているんですね。つまりこの楽曲は、(キリスト教信者じゃないのに)一般的な日本人の頭の中に蔓延っている天使のイメージを利用していると言う点が先ずは注目すべき点だと思います。

そして2点目はですね、ではこの「はぐれそうな天使」と言う言葉は一体何を意味しているのか?と言う点です。

 「恋したら、騒がしい風が吹き、はぐれそうな天使が私の周りで慌ててる」

この美しい歌詞がその手掛かりを与えてくれると思うんだけど、つまり、今までは穏やかだった心の状態が、誰かに恋する事によって、その周りがガヤガヤし出した、「恋とはそういうものである」って事が言いたいんだと思います。そしてそれを表す為に、「天使」=普段はおとなしい天使が、というか、そんな穏やかな天使さえも慌て出し、そして「はぐれそうになっている」と、まあ、こういうことだと思うんですね。

ここには非常に高度なイメージを用いた操作みたいな事が行われてて、つまりは上でちょっと書いた「天使の個性」みたいなものが利用されている訳ですよ。何でかって、もし我々が「天使=何時も騒いでる」みたいなイメージを持っていたとしたら、上の歌詞は意味が通りませんからね。上の歌詞が生きてくるのは我々の頭の中に「天使=穏やかである」って言う「天使の個性」がインプットされている事が必要になってくるんですね。

では何故我々の頭の中にはその様なイメージがインプットされているのか?

それこそ日本文化の特質であって、キリスト教国でもないのに結婚式は教会で挙げ、クリスマスと正月を同時に祝い、そして天使や十字架といったキリスト教の世界観を殆どの人が共有しているって言う驚くべき国民性な訳なんですね。

 「はぐれそうな天使」という曲は、現代日本最高のアーティスト兄弟が、微妙な感情の揺れを表現する事が出来る稀有な言語を使って書いた曲だからこそ、その行間に、我々日本人の特質、日本の内側に居てはナカナカ見えにくい日本文化の特質みたいなものが垣間見えるんだと思います。

暑い中、夕涼みに懐かしい曲を聴きながら、そんな事を思ってしまいました。
| サブカル | 05:41 | comments(3) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
エドゥアルド・ソウト・デ・モウラの建築:ポウザーダ・サンタ・マリア・ド・ボウロ(Pousada de Santa Maria do Bouro)その2:必要なくなった建築を壊すのではなく、修復してもう一度蘇らせるという選択肢
前回のエントリの続きです(地中海ブログ:エドゥアルド・ソウト・デ・モウラの建築:ポウザーダ・サンタ・マリア・ド・ボウロ(Pousada de Santa Maria do Bouro):行き方とレストラン情報)。



バスを降りた目の前に広がっているのは、12世紀に建てられたシトー派の教会と、その横にくっ付いている修道院を改装したという国営の5つ星ホテル、ポウザーダなんですね。石造りの外壁がこの建物を重厚なものにしていると同時に、大変拡張高いものにしているのが分かるかと思います。建築家が補修したというだけあって、保存状態は大変良く、と言うか、逆にこれが12世紀に建てられた建築だとは俄かには信じられない様な、そんな、艶々なお肌をしています(笑)。真ん中にポカンと開いた入り口からは、あちら側に燦燦と輝く中庭空間が:



オレンジ色の土に石壁の色、そして行儀良く並んでいる木々たちが非常に良い雰囲気を醸し出し、あたかもこの空間が、「ポウザーダへようこそ!」と、そう言っているかの様です。さっきまでの力強い石の壁が作り出す冷たい感じと、小さい入り口を通ってきた窮屈感がココで一気に解放され、大変気持ちの良い空間になっています。



左手側にはレセプションへと続く階段が設えてあるんだけど、これ又、石の彫刻なんかが大変丁寧に修復保存されているのが分かります。



ふと見上げると、全面に渡ってコールテン鋼で出来た天井が被せてあります。石のゴツゴツした感じ、塗り壁のクリーム色、天井のコールテン鋼、そして燦燦と降り注ぐ光と木々の緑などが相まって、5つ星ホテルのエントランスに相応しい、非常に質の高い空間を創り出していると思います。さてこの階段を上って行くとレセプションがある空間へと辿り着くんだけど、我々を出迎えてくれる空間がコチラです:



入った瞬間に背筋が「ゾクゾク」とするかの様な緊張感・・・ある種の建築だけが持つ事が出来る空間の質といったものがココにはあります。石で出来たアーチや床、クリーム色に仕上げられている塗り壁、選び抜かれた木の家具、そして青い絨毯と赤い絵画の組み合わせが一連のうねりとなって、この空間に独特な雰囲気を創り出している。言葉で表現するのは非常に難しいんだけど、正に全てが「ビシッ」と決まっている、そんな感じがするんですね。そして振り返るとそこには長い廊下に続く客室空間が見えます:



実は今回この建築を訪れる前に「泊まる予定じゃないんだけど、建築内部を見る事は可能ですか?」みたいな電話を入れておき、「OK」という返事を貰っておいたんだけど、その事をレセプションに伝えたら、普段は見せてもらえない客室を見せてもらえる事になりました。(ちなみにこの建築は、時々結婚式やら会議やらで関係者以外立ち入り禁止になる事があるらしいので、行かれる方は事前に必ずメールか電話で訪問可能かどうか?を確認される事をお勧めします):



一つ一つの部屋はさすが元修道院と言うだけあって、月明かりで読書をする為の石造りの椅子が窓際に備え付けられているって言う大変面白い構造をしています。こんな時、僕が何時も思い出す絵画がコチラです:



ロンドンに行った際に不意に遭遇して心底感動した、ラファエロ前派の代表的な画家、ジョン・エヴァレット・ミレイの描いた一枚です(地中海ブログ:ロンドン旅行その2:Sir John Everett Millais(ジョン・エヴァレット・ミレイ))。部屋の中はシンプルそのものなんだけど、僕が「面白いなー」と思ったのがコチラです:



何と、部屋の雰囲気を壊さないようにと、冷蔵庫が絵画の裏に収納してあったんですね。更にこんなものまでありました:



じゃーん、シザのスケッチ!さすが、この辺は建築家の国、ポルトガルだなー。ちなみに部屋を案内してくれた受付のお姉ちゃんは、この建築が誰によって創られたのか?その建築家がどういう人なのか?アルヴァロ・シザとは一体どういう人なのか?など、一通りの事はキチンと説明出来るくらいの知識は持っていました。彼女曰く、「ソウト・デ・モウラさんの様な素晴らしい建築家によって蘇った、こんな素晴らしいホテルで働く事が出来るなんて夢見たい。本当に幸せです」だって。いやー、自分の仕事に誇りを持って「働ける」、「働いている」って言うのは本当に素晴らしい事だと思います。



さて、この建築は元修道院って言うだけあって、空間的には天井が非常に高く、ゆったりとした空間が広がっているのですが、その一つ一つの空間には、吟味して選ばれたと見られる家具や絵画などが注意深く置かれ、それらがある事によって、空間全体の個性を最大限に引き出す様にデザインされているんですね。



もう一つの回廊型中庭は、一つ一つのアーチや柱に至るまで丁寧に修復・復元されていて、あたかもそれらの残像が、元々ここにあった空間を連想させてくれるかの様です。裏側に回ってみると、大自然に向かって開かれている、静寂だけが支配する中庭空間が展開しています:



石造りと言う特徴を最大限に生かした修復、そして現代的な材料を用いた最小限の付け加えが、この建築の魅力をより一層引き立てています。中に食堂が入っているコチラの部分には、小さな池が創られていて、そこに流れ込む水差の様なものがデザインされていました:



さりげない、本当にさりげない付け加えなんだけど、それが最大の効果を発揮する様に計算されているのが分かるかと思います。



この緑に覆われた建物の手前側に見える石造りの階段と、上の方に見える照明は後から付け加えられたものなんだけど、それがわざとらしくなく、まるで最初からそこに存在したかの様な、非常に自然な感じを醸し出していますね。そこを少し降りていくと、変わった形をしたプライベートなプールがあるんだけど、こちらの形態操作もなかなかニクイ:



形が正円じゃない所がキーですね。そして振り返るとこの風景:



建築が草に覆われ、その存在を消しているかの様なんですね。これはこれで「建築の一つの理想系を表しているのかなー?」とか思わない事もないかな。何より、古いものを使い続ける、壊すのではなく、悪い所を修復してそれを使い続けると言う姿勢には、大変共感を覚えます。前回のエントリで紹介したソウト・デ・モウラのインタビュー記事の中で彼はこんな事を言っていました(地中海ブログ:エドゥアルド・ソウト・デ・モウラ(Eduardo Souto de Moura)のインタビュー記事):

「どんな建物でも又違った使い方、違った生命を与える事が出来ると、私はそう確信しています。もし片足が壊疽に冒されていたとしても、それを取り除く為に足全部を切断する必要はないのです。切り取るのは足の指だけで十分です。 建物も全く同じで、全壊する前に悪い部分を修復する事が必要なのです。そういう意味において、現実主義者になる事は好きですね。建築家は何時も自分の建てた建物は完璧であると思っていて、その一部が機能しないとか、壊れかけてきていると文句を付けてくるクライアントに対して怒り狂っている姿を良く目にしま す。大概の建築家というのは、いつもその様な意見を侮辱だと受け取りますからね。しかし私は常に現実主義者たりえたいと思っています。そして自分の建築に悪い所、機能しない部分があったなら、それらを取り除き、機能する様に修理修繕を好みます。」

さて、これまで見て来た様に、この建築の最大の見所は、石で出来た「地」と言うキャンバスに、現代的な材料であるガラスや鉄、コールテン鋼などをチョコチョコッと用いて、そこに元々存在した空間の魅力を「これでもか!」と高めている所だと思うんですね。逆に言えば、建築の構成などは殆どいじる事が出来なかったと思われる為、空間構成やその裏に流れる「物語り」の様なものには全く見る所はありません。ちょっと意地悪な言い方をすると、「この建築は誰がやってもこうなる」とさえ言えるのかもしれない。何世紀も前に建てられた石造りの下地があって、そこに現代的な材料をミニマルに合わせていけば、それ相応の空間は出来るんじゃないか、と・・・。そんな事を思ってしまうのも、ヴェネチィアに行った際、カルロ・スカルパによる神業的な修復と、家具などを用いた人間の創造性に挑戦するかの様な、そんな仕事を見てしまったからなんですね:



スカルパの、家具を用いた導線操作と視線操作、そしてそれによる物語の創出などには驚きを隠せませんでした(地中海ブログ:カルロ・スカルパ(Carlo Scarpa)の建築その3:カステルヴェッキオ(Castelvecchio):空間の建築家カルロ・スカルパ:ものすごいものを見てしまったパート2)。もっと言っちゃうと、「何故スカルパのディテールが素晴らしいのか?」というとですね、それは、そのディテールを活かす様な物語が、その背後に存在するからなんですね。「スカルパはディテールの人」とか思ってる人がいるかもしれないけど、馬鹿を言っちゃいけない。それは彼の建築の一側面を捉えているに過ぎず、素晴らしい空間構成力があるからこそ、彼のディテールが輝いている訳ですよ。

僕の見る所によると、ソウト・デ・モウラという建築家には、その部分、空間の構成や空間の物語の創出という部分が欠けている様な気がします。確かに一つ一つのディテールや一つ一つの空間は素晴らしいんだけど、それが一つの流れを創り出す様になっていない為、何かしら心に訴えてくるものが浅い様な気がする。



確かに、石造りの基礎とクリーム色の壁に、いきなり緑色の扉を持ってくるって言うトリッキーな事もやってて、それが結構シックリきてたりするって言うデザインセンスの良さはあちらこちらから垣間見える事は見えるんだけど、「それがどうした」、と。



コールテン鋼を斜めに走らせて、そこに銀色のワイヤーを張って創った階段なんて趣味が良いとは思うんだけど、「それがどうした」、と・・・。

その一方で、10年という長い、本当に気が遠くなる様な時間と労力をかけて、よくもまあ、こんなに上手く改修したなと、そちらの方に感動してしまいます。「壊す事に依るのではなく、修復する事で建物を使い続ける」という道、「いらなくなった建物を直ぐに壊すのではなく、改修して蘇らせる事によって新たな命を吹き込む」という選択肢がある事を我々日本人はもっと知るべきだと思います。そういう意味において、この建築は、日本で建築に携わっている人達、そしてこれから建築家を目指そうと考えている日本人の建築家の卵の皆さんに是非見てもらいたい作品だと思いますね。
| 旅行記:建築 | 05:01 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
エドゥアルド・ソウト・デ・モウラ(Eduardo Souto de Moura)、プリツカー賞(The Pritzker Architecture Prize)受賞
今週の水曜日の事だったのですが、今年のプリツカー賞がポルトガルの建築家、エドゥアルド・ソート・デ・モウラに授与されると言うニュースが飛び込んで来ました。エドゥアルド・ソート・デ・モウラと言えば、ポルトガルにおいてはシザに並ぶ2大巨匠として知られている建築家で、彼の代表作、ブラガ(Braga)のサッカースタジアムは日本人のAさんが担当してましたよね。



僕も彼の建築はポルトガルに行く度に幾つか見て回った事があって、4年程前にも印象記なんかを書いたんだけど、その記事を今見てみても、彼の建築に関する今の僕の印象とそれ程かけ離れてないかなと言うのが正直な所かと思います(地中海ブログ:ソウト・デ・モウラ(Eduardo Souto de Moura) )。

今回のプリツカー受賞に関して、スペインの主要紙は文化面で結構大きく取り上げてたんだけど、印象的だったのは、ノーベル賞級の受賞なのに、受賞者自身がそれ程楽観的な事を言って無かった事ですね。キーワードとしては、「経済危機」、「仕事が無い」、「良くなる見込みも無い」みたいな。普通だったら、「今、デカイ美術館やってて、ノリノリ(笑)」みたいな感想になるはずなんだけど、そうじゃない所が、コレ又、ポルトガル的と言うか、何と言うか、個人的には、彼のインタビューの行間から滲み出て見えてくるポルトガルの社会文化的背景の方に大変興味を惹かれました。


下記に
La Vanguardia紙に載ってた受賞インタビューを訳してみましたので、興味のある方はどうぞ:

La Vanguardia 30 de Marzo 2011


「建築はもっと単純で、客観的で、そして実用的なものに戻るべき」

エドゥアルド・ソート・デ・モウラ
:プリツカー賞受賞者インタビュー
“La arquitectura debe volver a ser simple, objetiva y pragmática”
Eduardo Souto de Moura, ganador del premio Pritzker

現代性と伝統の残像を調和させた
30年間に及ぶ建築活動、そして権力と謙虚さ、大胆さと繊細さと言った、相反する2つのものを融合する比類無い能力。ポルトガルの建築家、エドゥアルド・ソート・デ・モウラのその様な能力が評価され、建築界のノーベル賞に値するプリツカー賞が授与された。ちなみに彼の師匠であるアルヴァロ・シザは1992年にこの賞を受賞している。
Treinta año de arquitectura en los que se combinan “contemporaneidad y ecos de la tradición”,y una “habilidad única para conciliar opuestos(en sus obras) como el poder y la modestia, el arrojo y la sutileza”, le han valido al portugués Eduardo Souto de Moura(Oporto, 1952) el Pritzker, considerado el principal galardón arquitectónico mundial. Su maestro, Alvaro Siza Viera, lo ganó en 1992.


記者:最初はシザ、そして次はあなた。既にポルトガルの建築家が
2人プリツカー賞を採っているのに対して、スペイン人建築家はラファエロ・モネオ只一人。このような事実は、スペインとポルトガルの建築界の関係にどのような影響を与えるとお考えですか?
Primero Siza y ahora usted: dos portugueses ya en la lista del Pritzker y sólo un español (Moneo)en ella. ¿Cómo va a afectar esto a las relaciones arquitectónicas hispano-lusas?


エドゥアルド:ハ、ハ、ハ、特に悪い影響は無いと思いますけどね。建築は賞を採ったとか採らなかったとか、そんな事には影響を受けませんので。スペイン人の建築家の友達ともこれまでと同様の関係を保ち続けるつもりです。そして彼らも又、同じ様に接してくれると思います。

Ja,ja. No creo que les pasa nada malo a esas relaciones. La arquitectura no depende de los premios. Intentaré seguir siendo amigo de mis amigos españoles. Y ellos actuarán igual.


記者:建築界最高の栄誉を受賞した後で、どの様にプロジェクトに向かい合うおつもりなのでしょうか?

¿Cómo afronta el trabajo tras ganar el mayor premio arquitectónico?


エドゥアルド:何時もと変わらない喜び、責任感、そして今以上に自分自身に厳しくしたいと思っています。多分、他の人達は私の事を違う目で見るかもしれないし、作品に対する評価は手厳しくなるかもしれない。より成長すると言う事は、より多くの批判を受け取ると言う事なのだから。

Con el mismo entusiasmo de siempre, con la misma responsabilidad y con más autoexigencia, si cabe. Ahora quizás me miren todos con otros ojos, quizás el escrutinio será más severo. Cuanto más creces, más críticas recibes.


記者:今回の審査員の議事録には、権力と謙虚さ、大胆さと繊細さ、パブリックとプライベートと言った、相反する
2つのものを融合させるあなたの能力を賞賛していました。あなた自身は自身の作品をどの様に定義されますか?
El acta de jurado alaba su habilidad para conciliar expresiones opuestas, como el poder y la modestia, el arrojo y la sutileza, lo público y lo privado…¿Definiría así su obra?


エドゥアルド:矛盾と言うのは、建築において常に付きまとうものであり、それらを最も的確な方法で解決する事が我々建築家にとっての重要な責任だと思っています。それは機能的な観点からと言う事なのですが‥‥。美学的な観点から言うと、私は何時も
Santo Tomas de Aquinoの言葉を思い起こします:“美とは2つの違うものの間に存在する関係である”。
Las contradicciones se dan mucho en arquitectura y es nuestra responsabilidad como arquitectos resolverlas del modo más apropiado. Esto, desde el punto de vista funcional. Desde el punto de vista de la estética, me permitiré recordar unas palabras de Santo Tomás de Aquino: la belleza es la relación entre dos cosas diferentes.


記者:かなり昔の事になるのですが、ファーストフードを食べ飽きた人達が美味しい食事を再発見した様に、アイコン建築は質の良い建築を破壊する事は無いと仰っていましたね。あなたの予言は当たっているのでしょうか?もしくは、我々は同じ道筋を歩んでいるのでしょうか?

Hace años me dijo que la arquitectura icónica, espectacular, no iba a acabar con la buena arquitectura; que tras la comida rápida llegó el redescubrimiento de la gastronomía. ¿Se han cumplido sus predicciones o seguimos bajo la misma estrella?


エドゥアルド:ここ数年で何かが変わったと思います。私は4年前よりも太りましたが、建築界では物事はそんなにも速くは動きません。未だ我々はスター建築家の影響下にいるのです。しかしですね、遅かれ早かれ、そのような事態は収束すると思います。建築はもっと単純で、客観的で、そして実用的なものに戻るべきなのです。何故ならそれが唯一良い建築だからです。そして又、現在我々が直面している経済危機もアイコン建築の様な道に進む事を許しません。最後の数年間は、物語性ばかりが目立った建築が林立してきましたが、これは明らかに間違っています。建築とは語る事ではなく、建てる事にこそ意味があるのです

Algo ha cambiado: ahora estoy más gordo que hace cuatro años. En el terreno de la arquitectura las cosas no han evolucionado tan deprisa, seguimos bajo el influjo de la arquitectura estelar. Pero, tarde o temprano, eso se acabará. La arquitectura debe volver a ser más simple, objetiva y pragmática. Porque sólo así será buena arquitectura. Y también porque los problemas derivados de la crisis económica no permiten otra cosa. En los últimos años se ha prodigado una arquitectura demasiado narrativa. Esto ha sido un error. La arquitectura no sire para decir cosas sino para hacerlas.


記者:現在の経済危機によって、アイコン建築にとっては以前よりも遥かに予算が限られてくると思うのですが。経済危機によるポジティブな面とネガティブな面は一体何だと思われますか?

Ahora, con la crisis, hay menos dinero para la arquitectura espectacular. ¿Cuáles son las consecuencias positivas y las negativas de la crisis?


エドゥアルド:勿論、ポジティブな面は存在します。経済危機、特に予算の削減は我々にある種の変化を強制します。そしてそれは良い事だと信じています。経済危機は、その変化が必要だと言う事を示し、そしてその道が間違っていたと言う事をも示してくれました。未来の建築はここ数年間の建築よりももっと正直であるべきでしょう。

Hay consecuencias positivas, claro que sí. La crisis económica, y en particular la crisis de ingresos, nos obliga a cambiar, espero que para bien. La crisis demuestra que era necesario eso cambio, que no se avanzaba en la dirección correcta. Creo que la arquitectura del futuro debe ser más verdadera que la de los últimos años.


記者:今回の経済危機を喜ばれているかの様に思うのですが、ご自身の仕事などに影響は無かったのでしょうか?

Casi parece que se alegre de la crisis. ¿Es que no le ha afectado?


エドゥアルド:勿論影響はありました。しかもかなりね。リスボンに事務所を開設したのですが、私の都市、オポルトでは今は何も仕事がありません。ポルトガル南部では、何らかの仕事がまだあるのですが、私の国では公共の仕事が殆ど無いのです。全てがストップしているのです。だから最近では例えばスイスなどに設計競技を応募する事に専念しています。

Me ha afectado. Y mucho. En Oporto, mi ciudad, no tengo trabajo. He abierto oficina en Lisboa. Tengo algo de trabajo en el sur de Portugal. Pero la verdad es que en mi país hay ahora muy poco encargo público. Está todo parado. Me dedico a concursar en el extranjero; en Suiza, por ejemplo.


記者:危機や繁栄に直面した時の、あなたの作品における揺るぎなさを教えてくださ
い。Dígame una constante de sus obras, en era de crisis o de bonanza.

エドゥアルド:建築の向こう側にある努力でしょうか。私の仕事の結果としての作品は、良くもなるし、悪くもなる。しかし努力無しでは何も生まれません。

Quizás la constante es el esfuerzo que hay tras ellas. El resultado de mi labor podrá ser mejor o peor. Pero nunca llegué a nada sin esfuerzo.


記者:もしあなたが今プリツカー賞を与えるとしたら、どなたに与えますか?

¿A quien le daría usted el Pritzker?


エドゥアルド:イギリスの建築家、デイヴィッド・チッパーフィールドですね。

Al británico David Chipperfield.


記者:バルセロナの郊外(サンタコロマ)に建設中の建築は今どんな状況なのでしょうか?

¿En qué fase está su edificio Cúbics, en Santa Coloma de Gramenet?


エドゥアルド:その計画とはもう何も関係ありません。一年前程、プロモーターが、私と私のスペインの恊働者との関係を断ち切ったのです。

Ya no tengo relación con ese proyecto. El promotor prescindió de mi y de mis socios españoles hace un año.


記者:スペインでは他に何かプロジェクトをお持ちなのでしょうか?

¿Tiene más proyectos en España?


エドゥアルド:ちょっと前にバルセロナの北の方(エンポルダ)で小さな家を完成させてから、他には何もありません。スペインも経済危機ですからね。

No. Hace poco acabé una casa en el Empordá. Pero ya no tengo nada entre manos. También en España hay crisis.


記者:現在はどんなプロジェクトをされているのでしょうか?

¿Cuál es ahora la principal ocupación del nuevo premio Pritzker?


エドゥアルド:中東のとある国に大きな計画が進行中ですが、それ以上は言えません。又、オポルトの地下鉄駅の仕事もありましたが、今は止まっています。経済危機なのです。

Tengo en marcha un gran proyecto para un país de Oriente Medio. Pero no me pregunte nada más porque no puedo contestarle. Estaba trabajando también en el metro de Oporto. Pero ahora el proyecto está detenido. De nuevo, la crisis.
| インタビュー集 | 18:53 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
モナリザの起源が遂に判明か?レオナルド・ダ・ヴィンチって実はカタラン人だったらしい
(最初に断っておきますが、これはトンデモ話です。)

一昨日の夜の事だったんだけど、Twitterの方でレオナルド・ダ・ヴィンチに関する驚きのつぶやきが流れてきました。それがコチラ:

"モナ・リザの目を顕微鏡で拡大すると文字が書かれていることが判明したと伊文化遺産調査委員会。右目には「LV」、左目にも「CEもしくはB」に見えると。"

「えー、そうなの!!」って、何気にダヴィンチコードとか大好きな僕は、この手の話にはかなり興奮してしまうのですが、そんな興奮も冷め遣らぬ昨日の新聞に、これまた驚きのダヴィンチ関連情報が載っていました。と言うのも実は最近、Jose Luis Espejoとか言う歴史家がレオナルド・ダ・ヴィンチに関する書籍、「レオナルド・ダ・ヴィンチの秘密の旅(El viaje secreto de Leonardo de Vinci)」とか言う本を出版したそうなんだけど、その本に関する著者のインタビューが載ってたんですね。

で、タイトルに惹かれて興味本位で読み始めたんだけど、そしたらそのインタビューにすごい事が書いてあった!な、なんと:

「レオナルド・ダ・ヴィンチは元々カタラン人だった!」

とか書いてあるじゃないですか!!!「えー、そうなのー!!うそー!!!」って、かなり興奮して続きをどんどん読んでいくと、これまた、ものすごい事が書いてある。



バルセロナ近郊には「モンセラット」って言う、変わった形をしたお山があるのですが、そこの修道院は結構由緒正しい修道院で、黒い色をしたマリア像がある事で大変有名なんですね。

勿論、「何故黒いのか?」って言う謎もあるんだけど、それよりも何よりも、実はこのマリア像、見る角度によって、その表情を変えるってんだから驚きです。つまり左右どちらから見るかによって、その表情が笑って見えたり、怒って見えたりする訳なのですが・・・。で、これって何処かで聞いた事のあるお話だとか思いませんか?(ガクガクブルブル)

この著者によると、元々カタルーニャに住み着いていたダ・ヴィンチ家は、何らかの理由で13世紀頃にイタリアに移り住んだらしいのですが、実はレオナルド・ダ・ヴィンチって1498年の8月から1459年の3月にかけて行方不明になってて、その間の記録が一切残って無いそうなんですね。で、この間何をしていたのか?と言う事が専門家達の間で一つの議論を巻き起こしているそうなんだけど、この作者が唱えた仮説によると、実はレオナルドはこの間、カタルーニャに里帰りをしていて、その時にモンセラットへ行き、この黒いマリア像を見たのではないか?と言ってる訳なんですよ!で、この時見たこの黒いマリア像の「微笑み」に多大なるインスピレーションを受け、後に彼はモナリザの微笑を描いたのではないか?と言う、云わば、「モナリザはMade in Catalunya!」みたいな事を言ってるんですね!

「おー、何だその全く新しい発想はー!面白いじゃないですかー!!いいぞ、カタラン人!」

で、更に更に、レオナルドがカタルーニャに来たのには隠された理由があって、それは、この地で当時非常に盛んだった錬金術を学ぶ為だったとか。そして錬金術における最も重要な物質は黒色、モンセラットの黒いマリア像、モナリザの衣服は黒、モナリザの背景の中に見えるモンセラット山・・・。そしてそれらの背後に蠢く影、それが薔薇十字軍とフリーメイソン、そしてダヴィンチ家はカタリ派の血筋で、実はレオナルドが描いてきた絵画にはある暗号が隠されていて・・・

おー、おー、面白い!これはカタラン版ダヴィンチコードです!!!こんな(色んな意味で)面白いものを独り占めするのは勿体無い!と言う訳で、下記にインタビューの全訳をしちゃいました。興味のある方はどうぞ!吹き出す事間違い無し、特にインタビュアーの最後の質問なんて爆笑もんだと思います。

Q
=インタビュアーの質問
R
=著者の返答

Q:
今日は何故この場所を指定されたのでしょうか?
Q: Por que estamos aqui?


R:
(二人とも、このレストランのガラス窓から見える古い灯台と、その奥にあるゴシック教会の塔を背景としたバルセロナ港を見つめながら)何故ならここから見える風景こそ、レオナルド・ダ・ヴィンチと最も関連あると思われる所だからです。ココこそ彼が、La Anunciacionを描いた場所なのではないか?と思われるんですね。このようにして彼は、バルセロナにおける彼の存在の証を残したと言う訳なんです。
R: (Ambos miramos por la ventana panoramica del restaurante la entrada del puerto, con el antiguo faro y las torres de las iglesias goticas de fondo). Porque este es el paisaje mas asociado a Leonardo da Vinci en Barcelona. Queda reflejado en su cuadro “La Anunciacion”. De esta manera dejo constancia de su presencia en la ciudad.

Q:
レオナルドはバルセロナに一体何をしに来たのでしょうか?
Q: Y que vino a hacer?


R:
彼のバルセロナへの訪問は彼の家族と関係があります。彼の祖先であるGiovanni da Vinci40年近くバルセロナに住み、そしてバルセロナで亡くなりました。彼は多分、親戚などとは離れて暮らしていたのだと思われます。だからレオナルドにはバルセロナに、遠い従兄弟がいたのでは?と思われるんですね。
R: Su visita puede tener relacion con su familia. Un antepasado suyo, Giovanni da Vinci, vivio 40 años en Barcelona y murio aqui. Posiblemente dejaria familia. Leonardo seguramente tenia primos lejanos en Barcelona.

Q:
と言う事は、レオナルド・ダ・ヴィンチはカタルーニャ出身と言う事なのでしょうか?
Q: Leonardo seria de origen catalan?


R:
そうだと思います。彼の苗字と家紋はどちらもカタラン人のものです。Vinciと言うのは(私にとっては)、昔のカタルーニャ領土だったConflent地方で用いられていた苗字、Vincianoの省略形です。Vincaと言う苗字は当時のカタルーニャではありふれたものでした。家紋の方はと言うと、これは3つの縦線を伴ったカタルーニャのものであり、マヨルカ王国の紋章の別ヴァージョンだと考えられます。私の推論では、彼らはカタルーニャから来たのでは?と思う訳なんですよ。
R: Creo que si. Su apellido y su escudo son catalanes. Vinci, para mi, es un apócope de Vinciano, que esta en el Conflent. El apellido Vinçà era comun en Catalunya. Su escudo es un escudo de Catalunya con tres barras, lo que es una brisura, una variedad, del escudo que representa el reino de Mallorca. Mi hipotesis es que venian de Catalunya.

Q:
何故レオナルド・ダ・ヴィンチはカタルーニャを離れたのでしょうか
Q: Y por que la dejaron?


R:
多分、宗教的な理由の為に、13世紀の初頭頃、彼の家族はイタリアへ移ったのだと考えられます。多分彼らは異端であり、当時の多くのカタラン人やオクシタニア人達と同様に、異端尋問を逃れる為にイタリアへと移って行ったのだと考えられるんですね。だから彼らは苗字にVincianoと言う、元々の彼らの出身地を匂わす苗字を付けたのだと思うのです。フィレンチェにおいてVinciと言う苗字は、外国人の苗字と考えられています。
R: Creo que su familia iria a Italia por motivos religiosos a principios del siglo XIII. Seguramente serian herejes y se instalaron en Italia como tantas familias catalanas y occitanas que huian de la Inquisicion. Entonces se pusieron el apellido de Vinciano, porque era su lugar de origen. En Florencia, los da Vinci aparecen como una familia foranea.

Q:
そうなんですか!ダ・ヴィンチ家がカタルーニャ出身だと言うのは、コロンブスがカタルーニャ出身だと言う説を彷彿とさせます。
Q: Vaya, da Vinci de origen catalan como otro personaje celebre de la epoca, Cristobal Colon, segun indican algunas teorias…


R:
興味深い事に、実は彼らは共通の友達を通じた友人関係にあったのではないかと考えられます。Americo Vespucioと言う、レオナルドが若い頃の友人なのですが、彼らは共に、Giorgio Antonio Vespucciの弟子だったとも考える事が出来ます。
R: Curiosamente podian haber tenido un vinculo de amistad a traves de un amigo comun, Americo Vespucio, amigo de juventud de Leonardo, ambos seguramente discipulos de un mismo maestro, Giorgio Antonio Vespucci.

Q:
レオナルド・ダ・ヴィンチはカタルーニャに彼の起源を探しに来たのでしょうか?
Q: Y Leonardo vino a Catalunya para conocer sus origenes?


R:
レオナルドは1481年の9月にフィレンチェで消息を絶ってから、1483年の423日にLa Virgen de las Rocasの契約書にサインをするまでの間、何処に行ってたのかは分かっていません。彼が1年半もの間、何処に行っていたのかを知る人が居ないのです。これは私の推論なのですが、彼は実はこの間、モンセラットに行っていたのでは?と思っています。
R: Sobre el mes de septiembre de 1481 desaparece de Florencia y no se sabe nada de el hasta el 23 de abril de 1483, cuando firma el contrato para pintar “La Virgen de las Rocas”. Nadie sabe donde estuvo durante ese año y medio. Creo que el habria ido a Montserrat.


Q:
どういう根拠からそのような結論に達したのでしょうか?
Q: En que se basa para llegar a esta conclusion?


R:
先ず初めに、彼の絵画に現れるイコノグラフィーが挙げられます。それらの多くに、モンセラットを見る事が出来るんですね。更に2つの絵画を描く為に、当時、実際にモンセラットに来てもいます。その一つが、1842年に寄贈された聖ヒエロニムス(San Jeronimo)なんですね。
R: Primero, en la iconografia que aparece en sus cuadros. En varios se puede ver la montaña de Montserrat. Ademas, vino a pintar dos cuadros. Uno de ellos seria el “San Jeronimo”, datado en 1842.


Q:
彼はそれをモンセラットで描いたと言う事なのでしょうか?
Q: Lo habria pintado en Montserrat?


R:
その通りです。聖ヒエロニムスは19世紀にローマで発見されました。多分、ナポレオン軍が略奪しに入った時、修道院から持ち去ったのだと考えられます。フランス人達はモンセラットにあった絵画を持ち去り、そしてこの時、フランスのコレクションにそれらを加えたのです。当時はナポレオンの叔父がそれを持っていた可能性が高いのですが、後にそれをバチカンに売り払ったのだと考えられます。レオナルドがそれをモンセラットで描いたと言うもう一つの理由は、この聖ヒエロニムスに大変似ているPau Serraと言う、1776年に創られたレリーフが存在するからなんですね。こんな事が可能なのは、当時モンセラットに掲げられていたレオナルドの絵画からインスピレーションを受けたとしか考えられません。その上、それらにはモンセラットの風景やCavall Bernat、シエラネヴァダ山脈(Sierra)の特徴なども出現するのです。
R: Si. Este 'San Jeronimo' aparecio en Roma en el siglo XIX. Creo que las tropas napoleonicas se lo llevaron del monasterio cuando lo saquearon. Los franceses se llevaron cuadros de Montserrat, que fueron a parar a colecciones francesas. El tio de Napoleon pudo haberlo adquirido y luego lo vendio al Vaticano. Digo que lo pinto en Montserrat porque existe un relieve de Pau Serrra, hecho en 1776, muy parecido al 'San Jeronimo'. Solo pudo haberse inspirado en el cuadro de Leonardo, lo que lo situa en Montserrat. Ademas, aparecen paisajes montserratinos. Aparece el Cavall Bernat y unas rocas caracteristicas de la sierra.

Q:
もし聖ヒエロニムスがモンセラットに存在したのなら、何かしらの証拠が残っているはずです。モンセラットの修道士とはその事についてお話をしたのでしょうか?
Q: Si el “San Jeronimo” estuvo en Montserrat, deberia quedar constancia… Ha hablado con los monjes?


R:
彼らの意見を聞く為に今まで何枚もの手紙を出しましたが、返事はありませんでした。
R: Envie varios correos para pedirles su opinion y no he obtenido respuesta.

Q:
何が障害となっているのでしょうか?
Q: A que lo atribuye?


R:
彼らは秘密主義者なので何も話したくないのです。もし私の推論がバカバカしいものだと思っているならば、「そのような根拠は何も無い」とハッキリと示してくるものだと思うんですね。しかしながら何も言ってこない。つまり暗に私の推論を認めているのだと言う事です。反対に、「私の論に賛同する」と連絡をくれた方々が何人かいらっしゃいました。
R: A que son hermeticos. No les gusta airear sus cosas. Si considerasen que mis teorias son una tonteria, me lo dirian claramente, que no hay bases para sostenerla. Pero no me lo han dicho. Lo atribuyo al silencio administrativo. En cambio, hay gente que se ha puesto en contacto conmigo para ratificar extremos de mis teorias.

Q:
例えば
Q: Por ejemplo?


R: Andrea Hernandz
Retrato de Musicoに出てくる楽譜は、「モンセラートの朱い本Montserrat de Vermell Llibre)に出てくるものではないかと私に教えてくれました.
R: La musicologa Andrea Hernández me contacto para decirme que la partitura que aparece en el cuadro “Retrato de musico” es una de las piezas del Llibre Vermell de Montserrat.

Q:
皆さんどのようにあなたの論を捉えてらっしゃるのでしょうか?馬鹿らしいと思っているのか、もしくは扇情主義者だと考えているのでしょうか?
Q: Teme que consideren que sus teorias son una tonteria o sensacionalistas?


R:
私の仮説は別に扇情主義ではないと思います。何時も言うのですが、私は仮説作業を行っているのだと。今の所、誰も私の論に矛盾を唱える人は出てきていません。そんな事を指し示す文書もありません。唯一存在する文書と言えば、レオナルドが1504年にSalsesにある居城を訪れたと言う事を表す文書が存在するだけなのです。そしてそれは我々をモナリザへと誘う、彼の2回目の旅を確証する事が出来るだけなのですが‥‥。
R: No son sensacionalistas. Siempre digo que se trata de hipotesis de trabajo. Nadie me ha dado hasta ahora ningun argumento que contradijera los mios. No hay documentos. Los unicos que existen son sobre su visita al castillo de Salses en 1504. Como minimo, podria confirmar el segundo viaje, que nos llevaria a la “Gioconda”…

Q:
それについてお話をお聞きしたいのですが、その前に、何故レオナルドがモンセラットに行ったのか?について聞かせてください。
Q: Hablaremos de ella. Antes digame por que Leonardo iria a Montserrat?


R:
当時の修道士の長(Abad Comendatario)はその後、ローマ法王Julio IIになります。当時、カトリック両王はモンセラットをジェロニモス修道院にしたいと考えていました。そうする為に、工事もしていたのですが・・・。
R: El abad comendatario de esa epoca era el que se convertiria en el Papa Julio II. En esos tiempos los Reyes Catolicos querian convertir Montserrat en un monasterio de jeronimos.
Incluso se hicieron obras…

Q:
だから聖ヒエロニムスなのですか?
Q: Por eso el San Jeronimo?


R:
その通りです。モンセラットで一番高い所にある礼拝堂、一番高い壁、そして一番高い山の頂、それらは全て聖ヒエロニムス派に属するものであると言う事に我々は気が付くべきなのです。そしてモンセラットの美術館には3つの聖ヒエロニムスが展示されていますし、更にモンセラットの図書館には、4つの聖ヒエロニムスに関する揺籃印刷本(インキュナブラ)が所蔵されてもいます。つまり聖ヒエロニムスに対して、何かしら特別な視線が向けられているのです。そう考えると、レオナルド・ダ・ヴィンチに聖ヒエロニムスを描く様に依頼したと考えるのはごく普通で自然な事の様に思われるんですね。そして彼がモンセラットへと行った理由、それは研究の為でもありました。
R: Sí. Hay que tener en cuenta que la ermita mas alta, la pared mas alta, el pico mas alto de Montserrat son los de San Jeronimo. En el museo de Montserrat hay tres san jeronimos. En la biblioteca hay cuatro incunables de San Jeronimo. Habia un especial interes por San Jerónimo. Seria muy normal y logico que le encargasen el cuadro. Y tambien fue a Montserrat a aprender.

Q:
何の
Q: Que?


R:
錬金術です。モンセラットとサンクガットはその当時、大変重要な錬金術の中心地でもあったからです。錬金術はカタルーニャで生まれました。そこには、Ramon LlullArnau de Vilanovaと言う二人の錬金術師がいたからです。
R: Alquimia. Montserrat y Sant Cugat eran dos centros alquimicos muy importantes en esos tiempos.
La alquimia nacio en Catalunya, en la Europa occidental. Alli estan Ramon Llull y Arnau de Vilanova, que eran alquimistas.

Q:
他の絵画でモンセラットの風景が出てくるものはあるのでしょうか?
Q: En que otros cuadros aparecen paisajes montserratinos?


R:
例えばLa Virgen de las rocasでは、モンセラットのシンボルである3つの頂が出てきます。それらは男性のシンボルでもあり、洞窟が子宮を表してもいるCavall Bernat(モンセラットの近くの山)を表象しているのです。これらは皆、生命や肥沃さと言ったものを表すヘルメス主義者が用いるシンボルなんですね。レオナルドの絵画の中に、そのようなモノ達が散りばめられていると言うのは、余りにも偶然的すぎるとは思いませんか?彼の絵画はヘルメス主義のシンボルの宝庫でもあるのです。例えばモナリザ・・・
R: En 'La Virgen de las rocas', por ejemplo, aparecen tres cimas que son el emblema de Montserrat. También esta representado el Cavall Bernat, que es un simbolo falico, asi como la cueva representa el utero. Son simbolos hermeticos para representar la fecundidad, la vida. Son demasiadas casualidades. Sus obras son un compendio de simbolos hermeticos. Por ejemplo, la 'Gioconda'…

Q:
そう、ここ!ココこそ今日お話ししたかったポイントなのですが。
Q: Ahi queriamos llegar.

R:
「モナリザとは一体誰なのか?」と世界中の人が問うているのですが、それは適切な質問ではありません。「誰なのか?」では無く、「それは何なのか?」と問うべきなのです。そしてそれは一体何を表しているのか?と。
R: Todo el mundo se pregunta quien era la Gioconda, cuando la pregunta es que era, que representa.

Q:
それは何を表しているのでしょうか?
Q: Que representa?


R:
マリア、イシス、物質(ラテン語の物質を表す語、Materに由来する)、そしてこれらは全てイエスの母、マリアを表しています。と同時に、それらは錬金術における原材料、つまり「黒」をも表しているんですね。だからモナリザは黒い衣服を身に着け、そしてモンセラットにあるマリア像は黒色、黒い聖母、そしてそれは原材料‥‥。これらは全て関係しているのです。
R: Representa la Virgen, Isis, la materia, que viene de mater, la virgen madre. Al mismo tiempo representa la materia prima de la alquimia, que es negra, por eso va de negro y la Moreneta es negra, la virgen negra, que es la materia prima. Todo esta relacionado.

Q:
その不可解な微笑みは一体我々に何を語っているのでしょうか?
Q: Y que me dice de su enigmatica sonrisa?


R:
それはモンセラットの黒いマリア像(Moreneta)にインスピレーションを受けたのだと思います。レオナルドはモンセラットのマリア像の口の表現をそのままモナリザに重ね合わせたのです。両者の表現は酷似しているのですが、それは私が言い出した事ではありません。それを見極める為にはモンセラットの黒いマリア像を違う方向から眺めなければなりません。何故なら、方向によって全く違う表情が立ち現れてくるからです。ある方向から見た時は、その微笑みは軽く、もう一方の側から見た時は、その表情は険しいものへと変わるのです。つまり見る角度によって立ち現れる表情が全く違うのです。
R: Esta inspirada en la Moreneta. He cogido su boca y se la he superpuesto a la Gioconda. La expresion es muy parecida, y eso no lo he dicho yo. Para verlo, tienes que ver la Moreneta por uno de sus lados, porque cada lado es diferente. En uno, aparece una leve sonrisa, y el otro es serio. Depende de como la veas, es seria o sonrie.

Q:
モナリザの微笑と同じですね。
Q: Igual que la sonrisa de la Gioconda…


R:
そう、全く一緒なんですよ。又、モナリザが身に着けている衣服、それは神の神々しさを彷彿とさせ、このポイントもモンセラットの黒いマリア像と同じ特徴を持っていると言えるかと思います。では何故それらの事を、レオナルドは彼に絵画を依頼した人達に言わなかったのでしょうか?何故彼はモナリザを生涯死ぬまで手放さなかったのでしょうか?私はそれはレオナルドの大変重要な遺言だと考えているのですが。
R: Si, lo mismo. Podria venir de ahi. Tambien la ropa, sus velos, aludiria al caracter de deidad, de virgen negra, de gran madre. ¿Por que si era un retrato no se lo dio a quien se lo encargó? ¿Por qué lo tuvo hasta que murió? Lo veo como un testamento vital.

Q:
モナリザにはモンセラットも描かれているのでしょうか?
Q: Tambien aparece Montserrat?


R:
ハイ、何故ならレオナルドにとって、モンセラットは非常に重要な風景だったからです。モナリザには実際に存在する観測所から見た風景が描きこまれています。この絵画においては女性の肖像と同時に、風景が大変重要なものとして現れているのです。
R: Sí, es uno de sus paisajes vitales. En la Gioconda esta Montserrat visto desde un observatorio que realmente existe. En este cuadro es tan importante el fondo como la figura.

Q:
では、モンセラットの黒いマリア像(Moreneta)も又、謎めいたものなのでしょうか?
Q: La Moreneta tambien es misteriosa?


R:
ものすごく謎めいています。イタリア全土、そしてフィレンチェにはヨーロッパ中で信仰されていた「モンセラットのマリア」の為の教会が幾つもありました。それはベネディクト会や錬金術、そして異端と結び付いた黒いマリア像のシンボルでもあったのです。キリスト教会は異端だった彼らの教義を引き受けました。それらの一つが処女マリアだったと言う訳です。キリストの母は数世紀前までは実際には信仰の対象ではありませんでした。しかしテンプル騎士団がキリストに対する優位性を獲得したのです。その崇拝はカタリ派と関連付けなければなりません。そしてそれは又、イシス、そして肥沃さ、更には黒の信仰‥‥とても複雑な事象なのです。
R: Mucho. En toda Italia y Florencia habia capillas de la virgen de Montserrat, era venerada en toda Europa. Era el simbolo de la virgen negra, asociada a los benedictinos, a la alquimia y a lo que es heretico. La iglesia cristiana asumio como suyas doctrinas que eran hereticas, una de ellas es la de la Virgen. La madre de Cristo, siglos atras, practicamente no era venerada, pero con los templarios adquiere primacía sobre Cristo. Ese culto tiene que ver con el de los cataros. Representaria también a Isis, la tierra fecunda, negra… es complejo.

Q:
レオナルドはカタリ派と関連があったのでしょうか?
Q: Leonardo esta relacionado con los cataros?


R:
レオナルドの生まれた家は、薔薇十字団の様な秘密結社に関連するカタリ派を起源とした家系なのでは?と考えています。バラの花と言うのは知識と秘密のシンボルです。薔薇十字団とフリーメイソンはSanjuannismoに関連しており、それはカタリ派の教義でもありました。だから彼の絵画には、出現すべきでは無い所にSan Juanが描かれていたりするんですね。La Virgen de las rocasなんかがその良い例です。外典に書かれている一つのエピソードでもあるのですが、JesusSan Juanは子供の頃からの知り合いではなく、ヨルダン川で知り合ったのではないか?と私は思います。このSan Juanこそ、大天使によって選ばれたあのSan Juanなのです。レオナルドはSan Juanとマリアに、キリストよりも優位性を与えたのです。それはLa adoracion de los Magosと言う絵画においてハッキリと見る事が出来ます。その絵画において、キリストはとても傲慢な顔で現れ、その横にはそのキリストの行為に不満を抱いている老人の姿が描かれています。実はレオナルド自身もこの絵画に現れるのですが、キリストには背中を向けているんですね。これは、「カトリック教会の教義には賛成出来ない」と言う彼の態度表明に他なりません。
R: Creo que Leonardo deriva de una familia de origen catara, que estuvo en una orden secreta del tipo rosacruz. La rosa asociada a la sabiduría y al secreto. La rosacruz y la masoneria estan ligadas al sanjuanismo, y eso es la doctrina catara. En sus cuadros aparece San Juan cuando no tendria que aparecer. En 'La Virgen de las rocas', por ejemplo. Piensa que Jesus y San Juan no se conocieron de niños, sino en el Jordan. Es una lectura apocrifa. Este San Juan es elegido por el arcangel que lo señala. Ofrece la primacia a San Juan y a la Virgen antes que a Cristo, que es un simbolo de la iglesia oficial, romana. Eso se ve claramente en el cuadro '
La adoración de los Magos'. Jesus aparece con cara de caprichoso y al lado hay un viejo que lo desaprueba. Leonardo está en el cuadro dando la espalda a Cristo. Esta diciendo que el no esta con la doctrina catolica romana.

Q:
彼の絵画はシンボルで溢れていると言う事ですね。
Q: Sus pinturas estan llenas de simbolismo….


R:
彼はそれらの絵画を自分の仲間の為に描いたのではないのでしょうか?つまりそれらのシンボルを通して、分かってくれる人の為にだけある種のメッセージを伝える為に描いたと言う事です。そしてそれらはカタリ派の何者かによって画策された、隠された地図の様なものであり、誰かに依頼されて描いたものであるはずなんですね。
R: Creo que el hizo los cuadros para iniciados. Deberian ser de encargo, como hojas de ruta para los que se quisieran iniciar.

Q:
どのようにレオナルドと言う人間を見ますか?
Q: Como definiria a Leonardo?


R:
彼はとても賢く、頭の良い、しかし不節操で不安定な心の持ち主だったと思います。彼は沢山の事を中途半端で投げ出しているし、絵画を含め、何かしらのマエストロと言う訳でもありません。
R: Era una persona muy brillante, inteligente e inconstante. Dejo a medias muchas cosas y no era maestro de ninguna, ni siquiera como pintor.


Q:
しかし、彼は後世に絵画に関する偉大な指南書を残したし、多くの画家達は彼の事をマエストロだと捉えています。そして現在の多くの画家の中にもそう考える人達が沢山いますが‥‥。
Q: Pero dejo un gran tratado de la pintura y muchos artistas posteriores lo consideran su maestro, incluso muchos actuales…


R:
その指南書は読みましたけど、読むに耐えるものではありませんでした。間違いが多すぎるのです。彼の解剖学の研究も間違いだらけでした。レオナルドは偉大な解剖学者の弟子で、確かに解剖をしていたのですが、それは彼が弟子達の中で一番優秀だったからと言う理由なのでは無く、単に彼のマエストロがそうする事を許したからなのです。彼は他の多くの事と同様に、解剖学についてもアマチュアだったのです。レオナルドは画家としてはほんの少しの作品しか残してはいませんが、完成しなかったもの、途中で投げ出した作品の数はもっと多いのです。現代において彼のフレスコ画は崩壊しかけていますが、それは彼が適切な化学的調合を知らなかったからなんですね。
R: He leido el tratado y es infumable. Esta lleno de errores de todo tipo. Sus estudios de anatomia tambien estan llenos de errores. Era discipulo de un gran anatomista, hacia disecciones porque le dejaban, no porque fuese el primero. Era un aficionado, como en tantas cosas. Como pintor hizo pocas obras y acabo muchas menos. Sus pinturas al fresco se echaron a perder porque no hizo las mezclas quimicas pertinentes.

Q:
しかしレオナルドがもし錬金術を身に付けていたのなら‥‥
Q: Pero si era alquimista...


R:
錬金術に関しても彼はアマチュアだったのです。レオナルドは過大評価を受けている人物だと私は思います。そしてとても保護されている。彼は確かにシンボルに溢れる連作を描いてはいますが、人類の歴史の中でそれを成し遂げたのは何も彼一人ではないのです。ラファエロやミケランジェロの方が画家としては数段優秀だったと思います。彼らに比べると、レオナルドの絵画はインスピラーションに欠けると言わざるを得ません。もっと正確に言うと、彼の絵画はシンボルのカタログであり、重要な風景のカタログだと言う事が出来るでしょうね。何故なら彼は、ある特殊なグループの人達の為にだけ描いていたのですから。
R: Incluso en eso era un aficionado. Leonardo es una persona muy sobrevalorada. Lo veo como un protegido. Hizo una serie de cuadros llenos de simbolos, pero no es el unico. Rafael o Miguel Angel eran mas competentes como artistas. Sus pinturas estan carentes de inspiracion. Son mas bien un catalogo de simbolos y paisajes vitales. Pintaba para los suyos, para su orden.


Q: Racionero
(カタラン人)はあなたのこの著作のプロローグで、イグナチオ・デ・ロヨラ(有名な修道士)とモンセラットについての本を書く事を薦めていますが、これが次回の研究テーマになるのでしょうか?
Q: Racionero le alienta en el prologo de “el viaje secreto de Leonardo da Vinci” a escribir un ensayo sobre Ignacio de Loyola y su relacion con Montserrat.
Esta sera su proxima investigación?

R:
いえ、それはもうちょっと後にとっておこうと思っています。今やりたい事、それはヒットラーの伝記を書くと言う事です。
R: Aun no. Primero quiero hacer una biografía de Hitler.

Q:
まさか、ヒットラーがカタラン人だったなんて言うんじゃないでしょうね?
Q: No me diga que era origen catalan!


R:
残念ながらそれはありません。
R: Afortunadamente no.
| インタビュー集 | 08:17 | comments(9) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
マドリッド出張2010その1:AVEはやっぱり凄かった!
今日から出張でマドリッドに来ています。夏前にブリュッセルで20102011年度欧州プロジェクトの説明会と言うのが行われたのですが、そのスペイン版に参加する為です(そういうのがあるんです!地中海ブログ:EUプロジェクト交通分野説明会2010)。



ヨーロッパの9月と言う月は日本で言う4月と同じ様な意味合いを持っていて、新しい学期が始まる月である事などから「今年はこんな感じでいきたいと思います」的な重要ミーティングなどが多々入ってたりするんですね。で、そんな欧州委員会関連の説明会などに参加していて最近僕が思う事・・・スペイン人の参加者の多い事!あっちからも、こっちからも、聞こえてくるのはスペイン語ばっか。まあ、理由は簡単で、昨今の経済危機への対応などからスペイン中央政府があらゆる分野における予算を削っている為、みんなマドリッドを頼りにするのはやめてブリュッセルにお金を取りに来たと、まあ、そんな所だと思います。

スペインがどれくらい危機に瀕しているか?もしくはスペインの私企業や研究機関、はたまた行政機関までもがどれくらい危機感を感じているのか?は、このようなブリュッセルで開かれる予算振り分けの説明会の参加者数に如実に表れていて、毎回参加者リストなんかを見てみると、どの説明会でも
2年位前の倍近くのスペイン人が駆け付けている事に気が付きます。



まあ、そんな事を思いながら今日も朝一番のAVE(スペイン高速鉄道)に乗ってマドリッドにやってきました。AVEについては以前のエントリなんかで詳しく書いてきたのですが、やはりこの電車の良い所はスペインでは非常に珍しく時間通りに目的地に着く所ですね(地中海ブログ:スペイン高速鉄道(Alta Velocidad Espanola:AVE)バルセロナ−マドリッド間開通一周年記念)。何てったって、30分以上遅れたら全額返済してくれるんですから。最初は耳を疑いましたけどね、「え、RENFEさん(AVEを運営している会社)、あなた、そんな事言っちゃって大丈夫?僕達(何事にもとってもいい加減な)スペインに居るんですよ?」みたいな(笑)。

今日のマドリッド到着予定時刻は
908分。何時もなら本当に908分チョッキリ、もしくはどんなに早くても95分、それ以前には着かない様に(多分)プログラムされてると思うんだけど、今日は何だか知らないけど10分も前に着いてしまった。しかも、駅からはかなり離れた所で降ろされちゃったし・・・。「あ、あれ?!」みたいな。



どうやら現在マドリッドのアトーチャ駅は拡張工事をしているらしく、AVEが到着したのは、駅の入り口から1キロくらい離れた無茶苦茶遠い所。ちなみに上の写真の奥の方に新しく作ってる所が拡張部分。この写真は駅から撮ったんだけど、目が霞むくらい遠いでしょ?



で、もう一つちなみに、上の写真は現在の
AVEの到着駅なんだけど、デザインしたのはスペインを代表する建築家、ラファエロ・モネオ。コンクリの柱が天高く屋根を支え、その屋根のデザインにはコールテン鋼でデザインされたユニットが繰り返されると言う、ナカナカ秀逸なデザインになっています。



素晴らしく気持の良い空間に仕上がっていると思います。



で、問題の電車の到着位置なんですけど、こんな感じで列車の連なりが途方も無い長さになっているのがお分かりでしょうか?タダでさえAVEは新幹線みたいに何両も連なってて長いのに、それが何台も縦列駐車してるから遥か彼方から歩いてこないといけない事になる訳ですよ。で、その遥か彼方からエッコラ、エッコラと散々歩かされ、「ようやく着いた!」と思い、駅前にある時計の針を見たら、908分!AVEの到着時間にピッタリ!!恐れ入りました、歩く距離と時間も計算に入れて、10分前に着いたのね、やっぱりスゴイよ、AVE!
| 仕事 | 23:22 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
もう一つの9月11日その3:カタルーニャの場合
911日、それは世界のほとんどの人にとっては9年前ニューヨークで起きた世界同時多発テロ事件のメモリアルデーと言う記憶のされ方をしていると思うのですが、この日、僕の住んでいるバルセロナを中心とするカタルーニャ地方では全く別の世界が繰り広げられています。



カタルーニャでは世界の目が911日に向けられる遥か以前からこの日を「カタルーニャの記念日」として祝ってきたのですが、と言うのも、300年前のこの日は、この「地方の形」を決定付けた政治経済文化的な分岐点となった日だからなんですね。その直接的な原因となったのは、スペイン継承戦争においてハプスブルグ家側に加担したカタルーニャが惨敗した事がキッカケだったんだけど、「カタルーニャと言う地域の特権を守る為」に、負けると分かっていながらも憎っくきブルボン軍に立ち向かっていったカタラン戦士達の勇気に敬意を評す為、バルセロナが陥落した9月11日を記念日としたと言う訳なんです(詳しくはコチラ:地中海ブログ:もう一つの911日:カタルーニャの場合



バルセロナ市内のサン・ホアン大通りの近くには、この時戦った戦士達のリーダーであったラファエロ・カサノバ(Rafael Casanova)の彫像があるのですが、この日はこの彫像の前に多くの政治家達がカタルーニャの国旗に彩られた大きな花束を捧げにやって来ます。



それらお祝いに来る政治家達の表情を逃すまいと、固定カメラまで準備している周到さ。そして街頭を埋め尽くした人、人、人!現在のこの辺りは中国系のお店が集まりまくっているバルセロナのチャイナタウンの如き様相を呈しているのですが、この日ばかりは中国語の看板を覆い尽くす程の赤と黄色のカタルーニャ国旗で埋め尽くされた風景が展開しています。そしてパン屋さんの店頭にはこんなものが並んでる:



じゃーん、カタルーニャ模様のケーキ!ナカナカ奇麗だけど、それよりも何よりも美味しそう!!まあ、こんな感じでこの日は街を挙げてのお祭り気分なんだけど、その一方で、先日行われた新カタルーニャ自治憲章案のデモの件があったり(地中海ブログ:スペインの民主主義始まって以来の歴史的なデモ:新カタルーニャ自治憲章案に関して)、11月にはカタルーニャ州議会の選挙が控えていたりと、かなりの(政治的な)混乱が予想されていた為に、例年よりも配備されている警察官の数が多かった様な気がしないでも無かったかな。



お祭り好きの僕は毎年この行事には参加しているのですが、例年通りの道順だと、この後ここから歩いて15分程度の所にあるシウタデリャ公園(Parc de la Ciutadella)に移動し、そこで行われている数々のイベント(政治的な儀式やらコンサートやら)に参加しつつ近くにある中華料理屋さんでラーメンを食べて帰ると言うのが定番コースになっています。ちなみにこの中華料理屋さんと言うのは数年前に食通のMさんに教えてもらった、バルセロナでは珍しい手打ちラーメンを出しているお店。そう言えば、(驚くべき事に)今年度の「地球の歩き方、バルセロナ編」に紹介されていましたね(地中海ブログ:手打ちラーメンの店:斎心面館II)。バルセロナ在住者ならともかく、日本から来る日本人観光客の皆さんは特に行く必要は無いと思うんだけど・・・。

さて、実は余り知られてはいませんが、シウタデリャ公園で行われるコンサートを巡っては毎年ちょっとした衝突が繰り返されています。去年はイスラエル出身でヨーロッパでは超メジャー級の歌手であるNOAが招待されていたのですが、彼女の意図とは関係なく、カタルーニャ独立派によって彼女の存在が勝手にパレスチナとの関係に結びつけられてしまって、誹謗中傷の的になると言う事件が起こってしまいました(詳しくはココ:地中海ブログ:もう一つの911日:カタルーニャの場合その2

更にその前の年にはアンダルシア出身のフラメンコ歌手が招待されてたんだけど、「カタルーニャの神聖なお祝いなのに何故フラメンコなんだ!それに何故カタラン語で謳わないんだ!」と歌と踊りを披露している最中に、コレ又大規模なデモが行われてしまったんですね。まあ、僕から言わせればナショナリズム色が否が応にも強くなるこういうお祭り時には、全く関係の無い所から絶対に文句の付けようが無い人とかを呼ぶ事を提案したんですけどね。例えば松田聖子とか(笑)。さっぱり関係ないでしょ?全く関係無いからカタルーニャ独立派も文句の言いようが無いはず(笑)。カタラン人達の前で青い珊瑚礁とか結構良いと思うんだけどなー。この時期のバルセロナの空と海も真っ青だし。

まあ、冗談はコレくらいにしつつ、今回メディアの注目を最も集めていたのがこの人:



つい先日、労働移民大臣を辞職する事を明らかにしたセレスティーノ・コルバチョ氏(Celestino Corbacho)です(地中海ブログ:スペイン、サパテロ新内閣(Jose Luis Rodriguez Zapatero):セレスティーノ・コルバッチョ(Celestino Corbacho)労働・移民相(Ministro de Trabajo e Inmigracion)とスペインの移民問題)。今月末29日には大規模なゼネストも計画されているし、何故今の時期に内閣を辞職したのか?それは再来月行われるカタルーニャ州議会選挙と関係があるのか?元々の政治基盤であったホスピタレット市に戻る気はあるのか?など、メディアとしては聞きたい事が山程あるという、今正に旬な人と言った所でしょうか。そしてもう一つ気になったのがコチラ:



「カタルーニャ言語推進委員会」みたいな団体とか、カタルーニャ独立推進団体みたいなのが、ここぞとばかりに思いっきり自分達の活動を売り込んでいました。実際、僕がこのスタンドの近くを通った際、「カタラン語を大学の授業のメイン言語にする運動をしています。署名をお願いします」みたいな署名活動とかされちゃったし。うーん、気持ちは分からないでもないけど、やはり言語とか独立とか、今日のお祝いにはさっぱり関係ないので、その辺は自粛した方が良いんじゃないの?とか思っちゃいますけどね。気持は分かりますけどね、気持は・・・。そして今日見た中で最も(ある意味)スゴかったのがコチラ:



じゃーん、バルサ!!全く関係ないじゃん(笑)!まあ、お祭りだから何でも有りと言うノリなんだとは思うんですけどね。ま、いっか。
| バルセロナ歴史 | 18:23 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
僕的には大ニュース!幸福の画家、ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio)の新作発見:価値観の多様性とは
一昨日から各国メディアはどれもコレもギリシャ危機やそれに伴う金融不安の話題ばかりなんだけど、そんな「経済、経済、経済!!」の見出しの脇にチラッと、僕的にはかなり気になる記事が載っていました。

“Los expertos certifican un nuevo cuadro de Rafael”

「専門家達はラファエロの新たな作品を確認した」


そうなんです!何でもイタリアの小都市モデナ(Modena)でラファエロの手による絵画が新たに発見されたそうなんです!!



今回新たに発見された作品: La Perla de Modena



プラド美術館所蔵のSagrada FamiliaLa perla

元々この絵画は現在スペインのプラド美術館に飾られているラファエロ作品、Sagrada Familiaの中のLa Perlaのコピーだと言われていて、長い間、モデナ・エステンセ美術館La galleria Estense de Modena)に収蔵されていたそうなのですが、「コピーにしては額縁が良すぎ」とか疑惑を持った学芸員がフィレンチェのArt Test研究所(Laboratorios de Florencia Art-Test)に絵画を持ち込み、詳しく調べた所、ラファエロの新作だと言う事が判明したそうなんですね。

実は僕はラファエロの大ファンで、ヨーロッパ中でラファエロ巡礼なるものを慣行しているくらいなのですが、と言うのも、5年程前にローマのヴァチカン博物館に行った時に見た、「アテネの学堂」があまりにも素晴らしく、大変な衝撃を受けてしまったからです(地中海ブログ:ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio):アテネの学堂(Scuola d'Atene)。



それ以来、事ある毎にラファエロの作品を探しては旅に出ると言う、結構幸せな日々を送っています(地中海ブログ:ミラノ旅行その6:ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio):アテネの学童下書き(La Scuola di Atene- cartone preparatorio))。

最近見た中ですごく良かったのは、同じくヴァチカン博物館の絵画館所蔵のお宝中のお宝、ラファエロの精神的遺書だと言われている「キリストの変容」ですね。



もう構図といい、色使いといい、その迫力といい、素晴らしいの一言!



彼の作品は本当に優雅で、優しさに満ち溢れていて、見ているだけでコチラの気持ちを幸せにしてくれるかの様です(地中海ブログ:
幸福の画家、ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio):キリストの変容(Trasfigurazione)。日本語で読める数少ないラファエロ関連書籍の内の一つ、フォシェン(Henri Focillon)の訳書のタイトルが、「ラファエッロ−幸福の絵画」って言うのも、彼の人生そのものを表しているかの様で、これ以上は無いと言う程ピッタリの訳だと思います。

さて、そんなラファエロ大好き人間の僕から見たら、今回の発表はものすごい事なんだけど、世間ではどうやらそれ程でも無いらしい。ちなみに今、GoogleYahooで検索したけど、日本語でこの情報を伝えているニュースやブログなどはゼロ。ラファエロってレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロと並ぶ、盛期ルネサンスの三大巨匠の一人で、イタリア・ルネサンスの古典主義様式の完成者って言われてる程なんだけど、どうも日本ではイマイチ知名度&人気が低い様です。


まあ、僕達の社会は多様で、この多様性こそが社会を豊かにしている源泉なんだから、僕みたいに「ラファエロ大好き」って言う人も居れば、「なんだソレ?」って全然気に留めない人が居るのも又然り。つまり、ラファエロの絵画を見るに付け、人生が豊かになる様な気がする人もいれば、ラファエロの絵なんか見たって、特に何も感じないし、そんな事に時間を費やすくらいなら、「ニコ動でも見て癒されるか−」という人もいると、まあ、唯それだけの事です。

そんなラファエロの絵に心底癒されてしまう価値観を持っている僕からしたら、最高に感動するのが何時も引用する彼が残したこの言葉です:

「我らの時代こそ、かつて最も偉大だった古代ギリシャの時代と肩を並べるほ ど素晴らしい時代なのだ」  ラファエロ

自分の生きた時代をこんな風に誇る事の出来る人生。あー、何て素敵な人生なんだろう。何度聞いても感激すると同時に、この言葉を聞く度に僕は何時も自問自答してしまいます:「果たして僕は、今自分が生きているこの時代、そして自分の人生を「最高だ」と言う事が出来るのだろうか?」と。

こんな気持ちを思い出させてくれるラファエロは、やっぱり僕にとっては最高の存在です!!
| スペイン美術 | 20:54 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
アレハンドロ・アメナーバル(Alejandro Amenábar)監督作品、AGORA(アゴラ)その2:リアルとフィクションについて
日曜日の新聞(La Vanguardia, 8 de Noviembre, 2009, P50)に現在スペインで公開中の映画、アレハンドロ・アメナーバル(Alejandro Amenábar)監督作品、AGORA(アゴラ)について興味深い記事が載っていました。

この映画はヨーロッパ映画史上最もお金をかけた映画というだけあって、公開初日からバルセロナの映画館には連日列を作る人が見られる程の大成功となっているのですが、今日の新聞によると、興行収入はスペインだけで2000万ユーロが見込まれ、スペイン映画久々の大ヒットになる見込みだとか(ちなみに制作費は5000万ユーロだそうです)。

この映画については以前のエントリで感想を書いておいたのですが、まあ、物語としては、ちょっとは面白いし、歴史の勉強にはなるかなー、と言った所ですね(アレハンドロ・アメナーバル(Alejandro Amenábar)監督作品、AGORA(アゴラ))。今日の新聞記事が面白かったのは、この映画の主人公ヒュパティア(Hipatia)についての、物語中のフィクション部分が指摘されていた所です。



何を隠そう僕はルネサンス絵画の完成者、ラファエロ・サンティ(Raffaello Sanzio)の大ファンなのですが、彼の大傑作の一つ、ヴァチカンの「アテネの学堂」の中に、このヒュパティアが登場します(ラファエロについてはコチラ:地中海ブログ:ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio):アテネの学堂(Scuola d'Atene)、地中海ブログ:幸福の画家、ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio):キリストの変容(Trasfigurazione)



黒板の様なものを片手に持ちながら、何かを必死に伝えようとしている少女がその人ヒュパティアです。

映画の中ではレイチェル・ワイズが演じているように、非常に聡明な美女として描かれているのですが、コレは全くその通りだったらしく、史実によると、彼女は相当美人であった事は間違い無いそうです。にも関わらず、生涯独身を通したのだとか。ただ、彼女が虐殺されたのは60歳だと言われていますから、映画の中にあるように、25歳とは少々違う様ですね。さらにその方法も投石ではなく、貝殻で皮を剥ぐという残忍なものだったらしい(マドリッド自治大学のElisa Garrido教授の話)。まあ、その辺は映画のストーリー構成上、ロマンチックにしたかったという事なのでしょうが。

あと、映画で描かれているようにアレクサンドリア図書館で教鞭をとっていたというのもフィクションで、実際には自分の家で塾の様なものを開き、様々な人達に教鞭を取っていたという事だそうです。

そして驚くべき事に、僕が絶対フィクションだろうなー、と思っていた場面が実は事実だという事が分かりました。その場面とは、ヒュパティアに恋をし求婚を迫る男性を断る為に、自分の生理の血を滲ませたハンカチを見せつけ、「ごらんなさい。私はあなたが思っているような清楚で完璧な人間ではありません!」と求婚を一蹴したというもの。コンスタンティンノープルのソクラテスが書いた、教会史7−15号(Historia ecclesiastrica, libro VII, 15, de Socrates de Constantinopla)の438ページに記述が残っているそうです。ス、スゲー。

日本公開は未だ未定という事なのですが、歴史好きには面白い映画かもしれませんね。
| 映画批評 | 21:34 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
プラド美術館展示作品拡張計画
最近、美術館関係の話題が多いなと思っていたら、どうやらプラド美術館が展示作品を大幅に入れ替える計画が発表されたのだそうです( El Pais, P44, 3 de Marzo 2009)。一昨年の暮れくらいにラファエロ・モネオ(Rafael Moneo)による増築が完成し、既存の建物よりも25%大きくなった展示スペースを最大限生かして、2012年までに現在の展示作品1000点から50%増しの1500点に大幅アップするらしいです。アート好きには嬉しいお知らせですね。

さて、関連記事でとっても面白い情報が載っていました(La Vanguardia, p32, 3 de Marzo 2009)。スペインの主要美術館の収蔵作品数と展示作品数です。美術館って言うのは僕達が余り知らないような色んな機能を結構持っているのですが、その内の一つが作品の収集と保管機能なんですね。僕達が美術館で目にする作品というのは、実は美術館が持っている作品数のホンの数パーセントでしかありません。ちなみに各美術館の作品所蔵数と展示数はこんな感じです:

プラド美術館(El Prado)
収蔵作品数:17.400
展示作品数:1.000

レイナ・ソフィア(Reina Sofia)
収蔵作品数:17.000
展示作品数:650

バルセロナ現代美術館(MACBA)
収蔵作品数:3.520
展示作品数:85

カタルーニャ美術館(MNAC)
収蔵作品数:256.226
展示作品数:4.984

考古学博物館(Museu Arqueologic)
収蔵作品数:40.000
展示作品数:3.900

ビルバオ・グッゲンハイム美術館(Guggenheim Bilbao)
収蔵作品数:102
展示作品数:16

カタルーニャ美術館(MNAC)なんて25万点も持ってるの?って感じなんですが、その内、展示しているのはたったの2%。MNACって行ってみると分かるんだけど、結構広くって展示品数もかなりあるんですよね。え、あれでたったの2%!って、どんだけ持ってるの???

さて、コレ関連の話で思い出すのがトーマス・クレンズ(Thomas Klens)が試みた大博打、それまでの常識を覆すグッゲンハイム美術館再生計画ですね。

実はグッゲンハイムっていうのは当時ものすごい経済危機に陥っていて、もう何とも回らなくなった所に出てきたのがトーマス・クレンズのトンデモナイ提案。彼は一体何をしたかというと、倉庫に眠っていて普段は展示されない作品を売っちゃったんですね。一般の人にとっては、「使わないんだったら別にいいじゃん」とか思う所なのですが、美術関係者にしてみたらコレはえらい事なんです。

というのも、美術館の重要な機能の一つに美術品の価値を安定させるというのがあります。そもそも美術作品と美術館って共犯関係にあって、特に近代美術っていうのはある意味、近代美術館によってその価値が決められてきた所がありますよね。つまり、美術館がコレは良い作品だといって、展示したらそれが価値ある作品と言う事なるという構図。この辺はちょっと複雑だけど面白い所で、近代国家が自らを確立する為に近代美術と近代美術館を利用したという共犯関係です。だから19世紀の終わり、フランス革命の後に美術館がボコボコでき始めたのは何も偶然じゃない訳です。

又コレと絡んでくるのが美術作品の商品化という話です。美術館のスポンサーが王様からブルジョアジーなどに変わった事などによって、美術館が「モノ」に「芸術」という価値を与え始めるという現象とマーケットが結びつき始めました。そして美術館というのはそのような商品をコレクションとして持っているから偉い、うちの美術館はこれだけのコレクションを持っているから偉いんだという構図が出来上がった。それが現在の美術館という制度です。

ちなみに「え、こんな価値基準や制度ってちょっとおかしいんじゃないの?」と疑問を投げ掛けたのがハンス・ハーケ(Hans Haake)であり、彼がキュレートした有名な展覧会、「見解の問題」展(ボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館(Boymons Van Beuningen Museum, Rotterdam))です。彼はこの展覧会で、美術館が持っていて、普段は表に出てこないような膨大な数の所蔵品を全て展示する試みをしました。これは何をしたのかというと、美術館が収蔵しストックしたコレクション=美術館がそれまで築き上げてきた美の価値体系=美の価値基準を内側から崩す試みだったんですね。

さて、話を戻すとトーマス・クレンズはこのような「倉庫に眠っているコレクションを売る」という禁じ手を使って、お金を作り出す事に成功しました。そしてそれを元手に、お金を前借りとかしてビルバオにグッゲンハイム美術館を建て、見事に美術館の運営を復活させたと、こういう訳です。

グッゲンハイムについては都市計画都市戦略などの文脈で色んな事が言われていますが、こういう視点で見ると又違った物語が見えて面白いですね。
| スペイン美術 | 17:06 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
バルベリーニ宮:国立古典絵画館(Palazzo Barberini: Galleria Nazionale d’Arte Antica in Palazzo Barberini):バルベリーニ家とミツバチの紋章とか、フォルナリーナ(La Fornarina)とか、その1
前回の続きでラファエロ繋がりです。ローマはラファエロが25歳から亡くなる37歳まで過ごした地であるだけに、彼の足跡がソコ、ココに点在していてラファエロファンにはたまらない聖地なんですね。その一つがバルベリーニ宮:国立古典絵画館(Palazzo Barberini: Galleria Nazionale d’Arte Antica in Palazzo Barberini)にある謎の肖像画、ラ・フォルナリーナ(La Fornarina)です。

ラファエロは若くして亡くなってしまい、伝記など残さなかったので、彼の性格などはほとんどベールに包まれています。残されている手紙なども外面的なものに限られている為、彼の人間性についての情報はほとんど残って無いんですね。そこに「優雅な天才画家」というイメージが重なって、後世の人々によってロマンチックな物語が展開されたりもした訳なんですけれども、そんな中で生まれたのが、ラ・フォルナリーナとの禁じられた恋物語です。

そう、ラ・フォルナリーナとはラファエロの恋人だったのではないか?と目されている人物なんです。ちなみに「ラ・フォルナリーナ」とはパン屋の娘という意味で、彼女の本名はマルゲリータ・ルーティというそうです。それがコノ人:



とても魅力的な絵です。特にこの眼、見るモノを惹きつけて離しません。ビーナスのように完全な裸ではなくて、透明のベールに包まれている事によって、「露出している」という印象を強めています。腕輪には意味深にウルビーノのラファエロと彫られているそうです。

さて、このフォルナリーナさんなんですけど、彼女をモデルにしたと思われる絵が数点存在します。その内の一つがコレ:



ヴェールを被る婦人の肖像 (Ritratto di donna (La Velata))

ラファエロは政治的な理由からフォルナリーナとの結婚が出来なかったようです。だから彼女とは秘密裏に交際し、生涯独身を通したそうなんですね。しかし、そんなラファエロがせめて自身の為にと描いたのがラ・フォルナリーナであり、このヴェールを被る婦人だと云われています。せめて絵の中だけでも、恋人にウェディングドレスを着させてあげたかったのでしょうね。更にフォルナリーナが頭に付けている真珠のブリーチが、秘密裏の結婚を暗喩しているとする研究も存在したりします。

このフォルナリーナさん、ラファエロがフォルネジーナ荘(Villa Farnesina)を手がけている時にタマタマ出会ったパン屋の娘らしいのですが、当時住んでいたと云われている家がトラステヴェレ地区(Trastevere)に残されています。勿論行って来ました。





住所:Via di Santa Dorotea 20


ラファエロは長い事ミケランジェロに会いたかったらしいけど、人嫌いのミケランジェロは彼との面会を避けていたとか。しかし、ある日、ふと気が変わってミケランジェロがラファエロの工房を訪れた時、彼はフォルナリーナとデート中だったという逸話が残っています。

飛ぶ鳥を落とす勢いの宮廷画家とパン屋の娘の隠された恋。とってもロマンチックに聞こえるけど、現実のそれは多分とても悲しい恋だったのだろうと思います。僕達の生きている今の社会からは想像もつかないような厳しい身分制度の為に、フォルナリーナはラファエロの葬儀にも参列させてもらえなかったそうです。



ラファエロの墓:パンテオン

全ては想像に過ぎませんが、幸福に満ち溢れたと思われていた画家にも、こんな一面があったかと思うと、とっても人間味に溢れていて、それはそれでより一層ラファエロを好きになりました。
| 旅行記:美術 | 21:57 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
幸福の画家、ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio):キリストの変容(Trasfigurazione)
2年前、初めてローマを訪れた際、僕の心に最も響いたものの一つがラファエロの作品でした。特にヴァチカン博物館で見た「アテネの学童」には目を奪われました(ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio):アテネの学堂(Scuola d'Atene):地中海ブログ)。それ以来、ミラノまでアテネの学童の下絵を見に行ったり、プラド美術館(Museo del Prado)に行ったりと、ラファエロにゾッコンだったのですが、今回、ラファエロはヴァチカン博物館の絵画館(Pinacoteca Vaticana)で再び僕の心に大きな感動を運んで来てくれました。それがコレ:



キリストの変容(Trasfigurazione)

「キリストの変容」はラファエロ最後の作品であり、精神的遺書だと言われています。何故ならこの作品には、それまで彼の絵画に登場した全てのタイプの人物像が描かれている上に、彼の初期からの画風である画面を上と下の2段にする画面2分割構成とそれらに伴う2重のストーリー展開やら、ドラマチックな対比など、それまでの彼の画家としての集大成と考えられているからなんですね。

この絵の主題は「救世主が預言者モーゼとエリアスに伴われて、使徒のヤコブ、ペテロおよびヨハネの前で光り輝いて出現する」であり、福音書にある「イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった」という場面だそうです。ヘェーヘェーヘェー。

とりあえず一目見て大変印象的なのが、キリストの姿です。



内股で、ちょっとゲイ入ってるぽいけど(笑)、両手を掲げ天を見つめるその姿は、一度見たら忘れられない印象を我々に残します。

多くの絵画を見ていて思うのですが、人物のポーズって非常に重要な要素ですよね。人間が採り得る無限のポーズの中から、「コレだ!」という一コマを選んで絵画に定着させる。システィーナ礼拝堂(Sistine Chapel)にある超有名なミケランジェロ(Michelangelo)の「最後の審判(Last Judgement)」のキリストは、こんなポーズをしています。



とても力強く劇的なポーズです。こちらも一度見たら忘れられない。ミケランジェロの絵画は、エネルギーに満ち溢れていて、とげとげしい感じを受けます。まるで石を彫るかのように描いている気がする。それはきっと彼が彫刻家出身であり、彼の能力を最大限に引き出すのは、あのゴツゴツとした大理石なのではないか、と言う事と関係しているのかもしれません。



(上記の写真はヴァチカン宮殿にあるミケランジェロ作、ピエタ(Pieta by Michelangelo))
その一方、ラファエロのキリストはとても優雅です。女性的と言ってもいいのかも知れない。

さて、この上方の優雅なキリストに対比するかのように描かれたのが、下方にうごめく人々の群れ。主題は福音書に出てくるエピソードの一つである、「悪魔にとりつかれた少年をキリストが山から降りてきて奇跡を起こす」というもの。



左下に座っているお爺さんが、先ずは画面にがっしりとした基盤を作っています。その上でキリストを指差す赤い服の人と、指の方向性や色などにおいて見事な対比を作っていますね。



その赤い服の人の右側から、少年を取り囲む人の群れが始まるのですが、この群れが真ん中の女の人によって2つに分割されています。





つまりこの3人によって、お爺さんー赤い服の人―膝を付く女の人の間で3角形が形成されています。そう、キリスト教の黄金の三角関係です。さすがにコノ辺りは巧い!

そしてこのうごめく群れと上方のキリストの間に強烈な対比が存在しています。神と人間、静けさと喧騒など、あらゆる部分で対比させられながらも、その両方が互いを高め合い、見事なシナジーを作り出している。見事な傑作です。



ちなみに「キリストの変容」はヴァチカン博物館内の絵画館の一番奥、照明を落とした薄暗がりの部屋に、ラファエロによる他の作品群(聖母の載冠、フォリーニョの聖母など)と一緒に大切に展示されています。

さて、この絵画を描いたのがコノ人:



ラファエロ・サンティオ(Raffaello Sanzio)。上の肖像はラファエロ自身が「アテネの学童」の中に紛れ込ませた自画像です。ラファエロは自分が生きた時代を大変誇りに思い、その新しい時代を創っている共演者の一人である事に大変誇りを持っていたそうです。だから古代の理想(イデア)を描いた「アテネの学童」に自分を登場させたと言われています。

毎回引用しますが、ラファエロはこんな言葉を残しています:

「我らの時代こそ、かつて最も偉大だった古代ギリシャの時代と肩を並べるほど素晴らしい時代なのだ」  ラファエロ


僕が最も好きなフレーズの一つです。この言葉を聞くとき、僕は何時も自問自答します。「果たして僕は、今生きている時代を誇る事が出来るか?」。僕自身の問題に引き寄せて、こう言い換えましょう:「果たして僕は、今生きている都市を誇る事が出来るか?」

フォシェン(Henri Focillon)が自著(ラファエッロー幸福の絵画(平凡社ライブラリー)原章二訳)の中でこれでもか!と述べている様に、ラファエロの人生はとても幸せに満ちたものだったようです。そしてそれを表すかの様に、彼の絵画は喜びに満ち溢れています。そう、ラファエロの作品を貫いている一つの主題は明らかに「幸福」、「喜び」というキーワードだと思うんですね。

その天才と芸術の、壮麗とさえいえる幸福ぶりにおいて、ラファエッロは抜きん出ている。同書p13

僕は自分の一生の職業として建築を選びました。何故なら建築という表象は、悲しみよりは喜びを、個人的な感情というよりは集団の感情(公共)を表す事に適した表象文化だからです。僕はどちらかというと、「影」よりは「光」を、「悲しい事」よりは「楽しい事」に惹かれる傾向にあります。そして僕自身も何らかの形で、都市に生きる人々の心を少しでも幸せに出来たらな、と常々思っています。それが僕が公共部門から「都市の生活の質を上げる事」という仕事に従事している一つの理由でもあるんですね。

メディアや手段は違えど、ラファエロも自身の作品を通して人々を幸せにしたかったのではないのでしょうか?彼の絵を見ているとそんな気になってきます。それが僕がこんなにもコノ画家に惹かれる理由なのかもしれません。
| 旅行記:美術 | 21:42 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
I.M.Pei (アイ・エム・ペイ)について
日本から持ってきたI.M.Pei −次世代におくるメッセージ (I.M.Pei- Words for the Future)を読みました。今の若い人達の人気路線(キレイ、軽い系)とは全く方向が異なるし、最近はあまり作品も発表していないので学生諸君には馴染みが無いかもしれないけど、I.M.ペイは個人的に大好きな建築家の一人です。何故か?何故なら彼の建築には空間があり感動があるからなんですね。僕はやはり建築とは、その空間が醸し出す雰囲気によって感動出来るモノであるべきだと思います。幾ら表層がキレイに創ってあっても、幾らプログラム操作が面白くても、その空間に感動出来なければ建築じゃ無いとすら思っています。

写真には写らない何かしらの質があるからこそ、人は時間とお金をかけて建築を見に行く訳ですよね。そうじゃなかったら写真で良い訳だし。I.M.ペイの建築というのはその建築空間に心底感動出来る、今となっては数少ない建築だと思います。

思えば2年前の冬にベルリン(Berlin)へ行ったのも、その大きな理由はペイによるドイツ歴史博物館(Extension of the German Historical Museum, Berlin, 2002)を見る為でした。



建築雑誌にはあまり取り上げられ無かったけど、一目写真を見た時から忘れられなかった建築の一つだったんですね。



2年前、ベルリンで現物を見た直後に書いたエントリ、Berlin その1:I.M. Pei について、にその魅力の描写があるので引用します。

・・・マッシブな大理石の塊である本体にガラスの螺旋階段がくっ付いているのですがこれが大変魅力的で異様な力を放っているように見えたからです。ペイの建築はワシントンD.C.に行った時にナショナルギャラリーを見ましたが今回の地になっているのはそれと同じくマッシブな大理石の塊。これが取り合えずは強烈に「力」を放っています。今回の美術館の特徴はコレに対比するかのようにくっ付いているガラスの螺旋階段。コレがやりたかったんでしょうね。で、この一つのアイデアを際立たせる為に全てがそこに収束するように設計されている。

それにしてもこの螺旋階段はホントに不思議な形をしています。円錐に螺旋階段をくっ付けただけなのですが三層構造の最下部が裾広がりになっている。滑らかに上層へと続く曲線とそれに対比する垂直な直線。黒いスチールとノペっとしたガラスの材質がとてもマッチしている。ガラスの上下部を黒のスチールで縁取りしていてその帯だけが上まで続いているデザインによって軽やかさがより強調されている。何よりこの軽やかな螺旋階段と重たい大理石の対比が鮮やか。


で、その後に続く文で僕はこんな風に問うています:

そもそも何故彼はこんな形を良いと思ってしまえるのか。普通こんな形、綺麗だとは思いませんよね。シザもそうなのですが、彼らの建築の魅力はダサイ形とキレイな形の不思議な均衡にあると思う。ちょっと間違えるとダサイ形になる一歩手前にとどまる事によって異様な魅力を獲得しているというような。こういうのって最近流行の一筆書きのミニマルな建築をデザインするのとは次元の違う造詣感覚が必要だと思うんですね。やはり彼は他の人とはちょっと違う造詣感覚を持ち、形に対する感覚がかなり鋭いのかも知れない。

この最後部に出てくる「形に対する感覚」=「センス」ってのが結構重要で、こればっかりはどんなに優秀な先生でも教えられないと思うんですね。例えばディテールだとか納め方なんかは比較的簡単に教授する事が出来ると思います。しかし、ある特定の空間にどんなディテールが合っていて、どんな組み合わせにするのか?などという、何がカッコ良くって何がカッコ悪いか、つまり、何を良いと思い何に対して心が触れるのか?という問題は長い時間を掛けて自分の中で積み上げていくしか無いわけです。

ここに至るには多分、2つの重要なステップがあります。一つは建築や芸術界におけるお約束的な美の基準を学ぶ事。多分世の中には、ある一定以上のセンスを持った人の大半が共感するような「キレイな形や線、もしくは法則」というようなモノが存在すると思います。そしてそれは人間の深い部分に属するものだと思うんですね。だからこそ、我々は遠い昔のラファエロ(Raffaello Sanzio)の絵を見た時に「構図が巧いな」とか共感する部分が出て来るんだと思うんですよね。例えばラファエロの構図と色使いについては以前のエントリ, ミラノ旅行その6:ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio):アテネの学童下書き(La Scuola di Atene- cartone preparatorio)でこう書きました:


羊を連れた聖家族(Sacra famiglia con l'agnello)。



先ずパッと見た瞬間に「構図が生み出すリズムが良いな」と言う事に気が付きますね。左手に居る赤ちゃんから「物語」が始まるわけだけれど、その赤ちゃんが一番低い所に位置している。そしてお母さん、お爺さんと順に立ち上がっていく構図。そのリズム感は各々の頭の位置を見るとよりはっきりします。円を描きながら上昇していますね。そして色使いも構図を巧く補完している。赤ちゃんが白基調なのに対して、中間のお母さんの左半分が青で右半分が赤。そこからお爺さんの黄色にバトンが渡されている。更にお母さんの足元にちょっとしたアクセントとして赤が置かれている。

このようなリズム感というのは建築を含めたデザイン分野では基本中の基本で、今でも良いデザインにおいてはそれらを見出す事が出来ます。こういう事を古典に発見する時、感覚という奥底においては「人間って変わらないんだなー」と言う事を感じますね。いや、変わって行こうとする力、変わらないとする力、その2つの力が鬩ぎ合っているのが人間という存在か。


こういうリズムみたいなのって、時代によって変わるというよりも、むしろある程度は普遍のような気がします。ちなみに以前ピカソについて書いたエントリ、国際博物館の日(International Museum Day)とピカソ美術館(Museo Pisacco)その1:ピカソとバルセロナの都市戦略にこんな事を書きました;

後年ピカソは「音楽家に神童はいるが、画家にはありえない」と語っています。つまり幾ら才能があってもアカデミックな修練、つまり絵画の世界に存在する「お約束」を身に付けない事には画家にはなれないと、こう言っている訳です。そして彼曰く、「自分はそれを克服するのが非常に早かったと」。

そしてその第一ステップを基盤とし、その上に個人個人の経験として蓄えられ形成されていく「感覚」。つまりある一定のセンスを持った人が、それを基準にして自己の研磨によって獲得していく世界観。この2つのステップによって建築家(芸術家)というのは独自の世界観を獲得していくのではないのかな?と思うわけです。

普遍的な美の基準の上に打ち立てられた個人的基準だからこそ、多くの人に共感されると同時に、それぞれ少しずつ違ったモノになる。それを我々は個性と呼び、だからこそ建築や芸術というのは多様なんですね。

さて、ペイはこのインタビュー集においてルーブル美術館(Louvre Museum)を設計した当時の事を回想し、僕にとって大変興味深い事を述べています。

「・・・フランス社会全体に、ルーブルは自分たちのもの、という意識があります。ルーブルは彼らに属し、彼らの宮殿であり、ルイ14世の宮殿ではない。コレクションは国民のものであり、ナポレオンのものではない。・・・」(I.M.Pei- Words for the Future, p37, 2008)

フランスのお宝にフランス人では無い東洋系米国人のペイが前衛的な介入をするに当たって、そこに立ちはだかる困難は容易に想像が付きます。コレは確かに困難だったのかもしれませんが、建築とは本来このような市民意識に支えられる所に存在すると思うんですね。そしてそのような彼らの意識を見事に可視化したモノだったからこそ、ルーブルはフランス市民に受け入れられたのではないのでしょうか?

やはりペイはこのような「市民が潜在下に意識していながらもナカナカ形に出来なかったモノを一撃の下に表す事」に大変長けた建築家だと思いますね。
| 建築 | 22:32 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
マドリッドの都市戦略その1:美術(美術館)を軸とした都市活性化
昨日の新聞(La Vanguardia, 27 de Julio, 2008, p42-53)にマドリッドの文化戦略に関する記事(El paseo del Arte)がデカデカと載っていました。

マドリッドはスペインの首都でありながら他都市に比べてアイデンティティが明確でない為、今までバルセロナなどの影に隠れてきたと言っても過言では無いと思います。例えば「スペイン」と聞いて日本人が普通に連想するのはフラメンコ、闘牛、ガウディ、ピカソ、パエリアなどですね。そしてこれらと関連する都市として想像されるのが先ずはバルセロナ、バレンシアそしてアンダルシア辺りでしょうか。

しかしバルセロナなんてフラメンコ(アンダルシア)や闘牛(アンダルシア)は勿論、パエリア(バレンシア)だってさっぱり関係無いのに地中海都市というだけで、パエリアと関連付けられ、なんでか知らないけどフラメンコと闘牛のメッカという事になってしまっているんですね。

有名なのは92年のバルセロナオリンピックに合わせて製作されたヤワラのオープニング。最後の場面にサグラダ・ファミリアをバックにフラメンコ衣装を身に纏ったヤワラが出てきます。



さて、マドリッドにとっての問題は上に挙げた単語のどれ一つとしてスペインの首都とは関連付けられ無いという事です。

その一方でマドリッドはスペイン帝国の首都であり続けた為に、蓄積された莫大な遺産を抱えています。それが例えばプラド美術館に眠る数々のお宝だったり、もしくは国立ソフィア王妃芸術センターが所有するピカソ(Pablo Picasso)の代表作ゲルニカ(Guernika)だったりするわけです。このような状況を指してマニュエル・ボルハ(Manuel Borja-Villel)はこんな風に言っています。

"Madrid es una ciudad de identidad media, pero culturalmente muy potente"(p47)

「マドリッドは都市のアイデンティティとしてはそれほどでもないが、文化的には潜在力抜群だ。」


そんな「宝の持ち腐れ」をしているマドリッドが打ち出した都市戦略が文化を軸に据えた美術館戦略です。上に書いたように元々マドリッドは数多くのお宝を所有していて、それらがプラド美術館(Museo del Prado)を中心とした「アートの黄金の三角地帯(Golden Triangle of Art)」と呼ばれるエリアに集中しています。三角形の他の2角は現代美術の宝庫である国立ソフィア王妃芸術センター(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia)と個人所有のコレクション数なら世界第二位を誇るティッセン・ボルネミッサ美術館(Museo Thyssen Bornemisza)です。(ちなみにデータによると、2007年度の来館者はプラドが2,650,000人、レイナ・ソフィアが1,500,000人、ティッセンが970,000人。)

今回のマドリッド都市戦略は元々あったこのような資産を軸に展開しています。更にこの黄金の三角形の丁度真ん中にスペイン最大の銀行であるラ・カイシャ(La Caixa)が運営する美術館、カイシャ・フォーラム(Caixa Forum)を新たに開設しました。結果、驚くべき事にこのエリアには15近くもの文化施設が集中する事となりました。

Museo Reina Sofia
Caiza Forum
Museo Thyssen Bornemisza
Funacion BBVA
Biblioteca Nacional
Museo Arqueologico Nacional
Casa de America
Museo Naval
Museo Nacional de Artes Decorativas
Angiguo Museo del Ejercito
Cason del Buen Retiro
Claustro de los Jeronimos
Museo del Prado
Obervatorio Astronomico Nacional
Museo Nacional de Antropologia

そしてこれらを結ぶ軸線(1.9km)を現在の交通量の多い車中心の道路から歩行者中心の街路に新しく生まれ変わらせる為に起用されたのがアルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)。更に更に、このエリアの始まりにはスペイン高速鉄道(AVE)発着駅であるアトーチャ駅(Estacion de Atocha)が位置しているという徹底振り。コレによりバルセロナから日帰りコースでアート堪能の旅というのも十分に可能な訳です。

さて、興味深いのはリノベーションや増設などに伴う建築工事に、各館共にスター建築家を起用している事です。歴史あるプラド美術館の増築にはスペインを代表する巨匠、ラファエロ・モネオ(Rafael Moneo)を起用し、現代美術の殿堂であるレイナ・ソフィアには今年プリツカー(premio Pritzker)を受賞し、今や乗りに乗っているジャン・ヌーベル(Jean Nouvel)を建築家として招いています。「革新」というイメージを打ち出しているカイシャ・フォーラムの新築デザインにはヘルツォーク&デ・ムーロン(Herzog & De Meuron)を採用するといった辺りの人選はそれほど間違っていないような気がします。

腑に落ちないのはティッセン・ボルネミッサ美術館の増築なんですね。ティッセン・ボルネミッサ美術館と言えばかつて、世界第二位の個人コレクション数を誇った名実共に世界に君臨する名美術館。そんな世界屈指の美術館増築ならかなりのニュースになっても良いはず。任されるだろう建築家はモネオやヌーベルに比肩するくらいの建築家であってもおかしくないと思うんですね。しかしですね、この美術館の増築は全くニュースにならず、今日の特集記事にもホンの一行触れられているだけ。

その理由が実際にティッセン・ボルネミッサ美術館を訪れて分かりました。というのも、この増築デザインはちょっとひどい。







故に「増築による新しい部分」が「広告」にならないんですね。はっきり言って素人級のデザインでかなりがっかりしました。

誰が担当したのかはココには書きません。カタルーニャの新進気鋭で名を売っている建築家集団とだけ言っておきます。このような大型美術館の新築・改築・増築は必ずしも巨匠が担当しなければならないという事は全くありません。むしろ、経験のあまり無い若い建築家にチャンスを与えるのには僕は大賛成です。しかしそれは実力が備わっていてこそだと思うんですね。じゃないと、「若い者に任せるとコレだから困る」と、後続が断たれる。少なくとも基本的なデザインレベルや仕事に対する誠意、プロの建築家としての誇りは見せて欲しい。
こんな低レベルの仕事をしているのなら、親父のコネしか無い低能建築家と言われても仕方が無いぞ!
| スペイン都市計画 | 23:38 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
バルセロナ賃貸住宅価格事情と新築価格事情
今日の新聞(La Vanguardia, 1 de Julio, 2008: Los Alquileres frenan)にバルセロナにおける賃貸住宅価格事情が載っていました。スペインにおいてテロ、移民そして住宅は3大問題だと言われています。「そんな大げさな」とか思われるかもしれませんが、バルセロナにおける住宅事情を真近で見ていると、様相は正に戦争そのものです。3ヶ月毎に発表される賃貸住宅価格は、ほとんど馬鹿げた数字のごとく上昇を続け、平均賃貸価格が1000ユーロを超え最低賃金の約2倍、スペイン平均賃金をも上回るまでに上昇し、市民の生活を圧迫していました。

そんな状況にもようやくブレーキが掛かり始めたのが今期です。年明けから続いていた明らかなスペイン経済の危機に対して、サパテロ首相(Jose Luis Rodriguez Zapatero)は「失速しているだけだ」を連発し、どうにもならない状況に対してようやく「経済危機」を認めたのは先週の事でした。そして今期、こんな大不況とインフラの中においてさえも上昇を続けていた賃貸価格にも「失速の波」はようやく影響を及ぼし始めました。(これは逆に言うと、それほどスペイン経済の危機は深刻だという事ですね。賃貸価格が下がり始めたからと言って、単純に手放しで喜んではいられません。)

今日の新聞によると今年最初の四半期(1,2,3月)の賃貸価格は2007年に比べて2%低下したそうです。「なんだー、たった2%かー」なんて思いがちですが、2007年最後期(10,11,12月)の上昇率は17,8%。つまり実質20%価格落ちした事になります。2007年通年比較では少し落ちて上昇率は13,6%。それでも15,6%価格落ちしています。

何故価格減少が起こったのか?一つには勿論だけどバルセロナ大都市圏の諸都市の住宅価格が市内よりも安く、バルセロナ市内との連結が非常に良いという事情が挙げられるんですね。例えば以前のエントリで書いた移民都市、ホスピタレット市(L'Hospitalet de Llobregat)の平均賃貸価格は月961ユーロ。バルセロナから電車で30−40分程の所にある比較的裕福な層が多く住むサバデル(Sabadell)が924ユーロ、テラサ(Terrassa)が939ユーロとなっています。

タラッサには僕が以前行ってたCatedra UNESCOがあるので、よく知っているのですが、非常に美しい町です。一応大学(カタルーニャ工科大学(Universidad Politecnica de Catalunya))があり、小さいながらも文化施設は充実していて賑わいのある街です。

さてバルセロナ市内に目を移し、より詳細に価格変動を見てみます。市内平均賃貸価格は2%減少で月1020,39ユーロ。(ちなみに賃貸物件の平均平方メートルは71m2です。)市内で一番価格が落ちているのが歴史的中心地区であるCiutat Vellaで2007年最後4半期(10,11,12月)に比べて7,3%落ち、月876,23ユーロとなっています。

続いて減少幅が大きいのがSant Martiで6.2%減少で月883,84ユーロ。Graciaは4,8%減の984ユーロ。Sarria-Sant Gervasiは3,2%減の1260,95ユーロとなっています。

反対に価格が上昇しているのはEixampleで3%増加の1160,17ユーロ。Nou Barrisが5,5%増加の902,51ユーロ。Horta-Guinardoが3,3%増加の907,49ユーロとなっています。

2007年最後期(10,11,12月)には全10街区の内、1000ユーロを越えた地区が実に5つだったのに対して、今期は3つになりました。

バルセロナ市内街区別賃貸価格リスト
街区名   賃貸価格  上昇(減少)率  平方メートル辺り賃貸価格

平均賃貸価格1020,39Euro -2% 15,56Euro
Sarria-Sant Gervasi 1260,95Euro -3,2%, 15,87 Euro
Les corts 1184,29 Euro -1,1%, 15,71Euro
Eixample 1160,17Euro +3%, 15,68Euro
Gracia 984,59Euro -4,8%, 15,87Euro
Sant Marti 979,99Euro -6,2% 15,06Euro
Sants-Montjuic 935,62Euro -2,1% 16,06Euro
Horta-Guinardo 907,49Euro +3,3% 15,65Euro
Nou Barris 902,51Euro +5,5% 15,65Euro
Sant Andreu 883,84Euro -0,3% 13,64Euro
Ciutat Vella 876,23Euro -7,3% 15,99Euro

このような賃貸価格状況の変化に対して新築住宅価格の状況も変化を起こしています。

先ず1998年から続いてきた新築住宅価格上昇に今年初めてストップが掛かりました。2008年1月から6月までの統計によると、その減少率1,2%。住宅価格があまりにも高くなり過ぎた為に、もう誰も買おうとしなくなってしまったんですね。

新築住宅価格をスペイン都市別に見ると一番高額なのはバルセロナ(Barcelona)で4,527€/m2。一番高額な都市が首都じゃないところがこの国の面白い所。しかも2番手でも無いし・・・。2番手に付けているのはバスク地方の都市、サン・セバスチャン(San Sebastian)で4,035€/m2。ラファエロ・モネオ(Rafael Moneo)が手がけた海沿いのあるオーディトリアムがある事で有名ですね。あと海岸沿いにあるチリダ(Eduardo Chillida)の彫刻も。3番手にやっと首都登場。マドリッド(Madrid)3,916€/m2。

逆にスペインで最も新築住宅が安い地域はポンテベドラ(Pontevedra)で1,484€/m2。その次がバダホス(Badajoz)で1,525€/m2。続いてルーゴ(Lugo)1,547€/m2。ルーゴと言えば友達のマルティン君(Martin)の出身地だったっけ。

バルセロナ市内での新築住宅変動を見るとこんな感じ。

Sarria-St.Gervasi 6,3%
Ciutat Vella 3,8%
Nou Barris 3,3%
St.Marti 2,1%
St.Andreu 1,2%
Gracia 0,4%
Eixample 0,3%
Sants-Montjuic -3,4%
Les Corts -4,1%
Horta-Guinardo -4,5%

Sarria-St.Gervasi 地区の価格上昇は何時もの事として、Nou BarrisやSt.Martiの新築価格が上がっている所が面白い。このエリアは市内において移民が集中している地域なんですね。反対にGraciaやEixample、Les Cortsで住宅価格が下がっている。これらの地域は学生に特に人気がある事から価格は市内でもトップクラス。それでも若者がこぞって住みたがる事から、落ち着いて住みたい層には敬遠されているという事か。それが価格に反映していると見なす事も出来ますね。

今期のデータ(1,2,3月)で住宅(賃貸)価格にスペイン経済の危機の影響が出始めました。次期(4,5,6月)辺りから影響はもっと顕著になるものと思われます。大注目です。
| バルセロナ住宅事情 | 21:39 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ミラノ旅行その6:ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio):アテネの学童下書き(La Scuola di Atene- cartone preparatorio)
2年前のローマ旅行の時見た「アテネの学童(Scuola d'Atene)」以来すっかり大ファンになってしまったのがイタリア・ルネサンスの古典主義の完成者、ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio)です。当ブログでも彼の絵画にはしばしば言及してきました。

ロンドン旅行その2:Sir John Everett Millais(ジョン・エヴァレット・ミレイ)ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio):アテネの学童(Scuola d'Atene)など。

先月行ったマドリッド旅行の際訪れたプラド美術館(Museo Nacional del Prado)にも何点かラファエロの作品が展示されていました。(何時か書こうと思っていたのですが忙しくてナカナカまとまった時間が取れなくて結局書かずじまいになってしまった・・・)プラド美術館収蔵のラファエロ作品で僕が興味を魅かれたのが先ずはコレ:



カーディナルの肖像画(Raffaello, Ritratto di cardinale)。真っ黒のバックにものすごく映える赤色が印象的。一度見たら眼に焼きついて忘れられない。多分他の人が同じ色、同じ構図で書いてもきっとこれほど人の心を掴む絵にはならないと思う。これがラファエロの絵力か。もう一枚僕が興味を惹かれたのがコレ:



羊を連れた聖家族(Sacra famiglia con l'agnello)。先ずパッと見た瞬間に「構図が生み出すリズムが良いな」と言う事に気が付きますね。左手に居る赤ちゃんから「物語」が始まるわけだけれど、その赤ちゃんが一番低い所に位置している。そしてお母さん、お爺さんと順に立ち上がっていく構図。そのリズム感は各々の頭の位置を見るとよりはっきりします。円を描きながら上昇していますね。そして色使いも構図を巧く補完している。赤ちゃんが白基調なのに対して、中間のお母さんの左半分が青で右半分が赤。そこからお爺さんの黄色にバトンが渡されている。更にお母さんの足元にちょっとしたアクセントとして赤が置かれている。

このようなリズム感というのは建築を含めたデザイン分野では基本中の基本で、今でも良いデザインにおいてはそれらを見出す事が出来ます。こういう事を古典に発見する時、感覚という奥底においては「人間って変わらないんだなー」と言う事を感じますね。いや、変わって行こうとする力、変わらないとする力、その2つの力が鬩ぎ合っているのが人間という存在か。

前置きはコレくらいにして、今日の主題は先日僕がミラノに行った理由の一つ、「アテネの学童の下書き(La Scuola di Atene- cartone preparatorio)」です。



ヴァチカン市国のヴァチカン宮殿に4部屋ある「ラファエロの間」のうちの一つ、「署名の間」を飾る壁画「アテネの学童(La Scuola di Atene)を描く為の下書きがミラノはアンブロジアーナ絵画館(La Pinacoteca Ambrosiana)に残されています。縦2メートル85センチ、横8メートル4センチという大変に大きなデッサンはこの美術館のお宝とでも言うべく大変丁寧に照明まで暗くして絵を傷めないようにして保存されています。

先ずはその大きさにビックリ。これだけ大きいとそれだけで人を「ギョ」っとさせるものがある。そしてその大きなキャンパスに書き込まれたデッサンの質の高い事。近くによると鉛筆を走らせて影を作ったりといったミクロな作業部分が見えるんですが、そのミクロな部分が寄り集まって一つの大きな絵を構成しているというのは、当たり前の事だけれども不思議な感じがしますね。まるで一つ一つの小さなパブリックスペースの質が寄り集まって街全体の質を決定しているバルセロナのよう。

僕が面白いなと思ったのは絵の左側に描きかけの部分があって、人の頭だけとか、胴体までとかしか書かれていない所です。



そこを見るとまるで人がキャンパスから今正に生まれてきているようなんですね。ラファエロの鉛筆によって生を与えられているその瞬間がそこに垣間見えるわけですよ。こういうのって良く彫刻なんかで、下の台座部分が石を削りだした時のままにしてあったりして、人の上半身が生まれ出てくるみたいな表現をしているのは幾つか見た事がありますが、絵画では初めてなんじゃないかな。

さて、この下絵とヴァチカンにある完成図を比べて見て面白いのは前回も書いたように、ヘラクレイトスに見るラファエロのミケランジェロに対する尊敬の念ですね。前回のエントリで僕はこんな風に書いています:

・・・ミラノはアンブロジアーナ絵画館にある「アテナの学堂」の下絵には当初ヘラクレイトスは描かれていませんでした。つまりこのヘラクレイトスは予定に組み込まれていたのではなく、急遽描きこまれる事になったんですね。更にこのヘラクレイトスだけ他の絵に用いられているタッチとは全く違うタッチで描かれているそうです。どんなタッチかというと明らかにミケランジェロを意識したタッチだとか・・・

このような事からラファエロはミケランジェロによる完成前のシスティーナ礼拝堂を見て大変な感銘を受け、ミケランジェロに対する尊敬の念を現す為に急遽描きこんだという説があるそうです。・・・


そんな事を思いながら下絵を見てみると確かにヘラクレイトスは居ない。更に下絵を見ると分かるのがラファエロは明らかにヘラクレイトス無しの構図で決めていたという事です。つまり下絵の構図は「バチッ」と決まっている。ヴァチカンの絵を見た時は何も感じなかったけど、下絵の構図を見てしまうと、こちらの方が良い構図である事に気が付きます。つまりヘラクレイトスが邪魔なんですね。プラトンとアリストテレスの前の階段が大きく開いている方が気持ちが良い。彼らの手前右側に足を伸ばして座っている青い服を着た哲学者ディオゲネス(Diogenes)が開きすぎたスペースを巧い事埋めているのでそれだけで十分な気がするんですね。



ここからも明らかなようにヘラクレイトスは明らかに後付けですね。この後付けによって構図の質が落ちる事はラファエロだって十分に承知だったはず。逆に言えばそれを承知の上でヘラクレイトス=ミケランジェロを書き加えなければならないほどに、ラファエロはミケランジェロの才能に惚れたという事です。しかもこの人ど真ん中のどまん前に居るし・・・。

ラファエロが言った言葉:

我らの時代こそ、かつて最も偉大だった古代ギリシャの時代と肩を並べるほど素晴らしい時代なのだ」  
           ラファエロ

その素晴らしい時代を共に創っている天才に対する最高の敬意なんでしょうね。それにしても自分の生きた時代を誇れる人生って素敵だなー。僕もコウありたいものです。
| 旅行記:美術 | 19:32 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ミラノ(Milano)旅行その1:都市アクセッシビリティ評価
木曜日から週末を利用してミラノに旅行に来ています。主な目的はゴシック建築の最高傑作と言われているドゥオーモ(Duomo)とラファエロ・サンティ(Raffaello Santi)のアテナイの学童の下書きを見る事です。特に去年のローマ旅行以来、ラファエロの大ファンになってしまった僕にとっては、彼の大傑作であるアテナイの学童関連を見られるのは本当にうれしい。

とりあえず、毎回恒例の都市アクセッシビリティ評価からいってみたいと思います。ミラノにはマルペンサ空港(Malpensa Airport)とリナーテ空港(Linate)という2つの国際空港が存在します。バルセロナからの今回のフライトではマルペンサ空港を利用しました。空港が2つに分かれている為か、国際都市の空港にしてはちょっと小さめかなという印象を受ける。

空港から市内へのアクセスはバス、鉄道があるようですが、今回はバスを選びました。空港を出た直ぐの所にバス停があり、20分おきに1本の割合で運行しています。ちなみに値段は7ユーロ。

20分に1本は国際都市にしては少ない方だと思いますね。値段が7ユーロというのもちょっと割高かな。しかも所要時間が50分。(バルセロナの場合は3.5ユーロで約5分おきにバスが出ています。所要時間は約20分)空港から市内までが50分というのは絶望的に遠い。その間、ヴェネチアのようにロマンチックな光景を見せてくれる訳でもなく、他都市と同様に郊外に広がるアーバニゼーションと高速道路という最悪のコンビネーションを永延と見せられる。しかもてっきり街の中心にあるドゥオーモ(Duomo)に着くのかと思いきや中心街とは程遠いミラノ中央駅(Staz Milano Centrale F.S.)に降ろされる。ドゥオーモよりもこっちの方が便利なのか???ちょっと訳が分からない。

唯一の救いはこのバスが約35分で見本市会場(Fiera Campionaria)を経由する事ですね。35分というのは優良とは言わないまでも、そんなに悪くない数字だと思います。

都市戦略という観点で見た場合、近年の見本市による来街者数と彼らが落としていってくれるお金は馬鹿にならないどころか、主な収入源の一つになりつつあります。その決め手となるのが見本市会場が何処に位置するかという問題と空港からのアクセッシビリティの問題です。この2つの問題が解決出来て初めて見本市という道具が都市の為に機能するようになるわけです。

上記の点を差し引いたとしてもミラノの都市アクセッシビリティはきわめて悪いと言わざるを得ません。僕の持っている2007年度版地球の歩き方によると、マルペンサ空港とミラノ北駅(Stazione Nordo Milano)を30分に一本の割合で約40分で結んでいるらしいけど、それにしたって普通以下の評価しか与えられませんね。

空港という機能が広大な敷地と騒音などの関係によって都市中心街からは遠く離れた所に建設されなければならず、その間を低所得者用の住宅や工場などが占めていくというのは逃れられない都市の宿命なのですが、それにしてもどうにかならないものですかね?せっかくウキウキ気分で旅行に来て飛行機を降りて、「さあ、これから楽しむぞ」という時に、いきなりこんな風景を見せられたらやる気が失せる。
今の所、この問題を解決出来ているのは僕が訪れた中ではフランクフルト空港だけですね。

ミラノ(Milano)旅行その2:ミラノのドゥオーモ(Duomo di Milano):文化の多様性をゴシック建築の多様性に見るに続く。

追記:
市内からの帰りはマルペンサ・エクスプレス(Malpensa Express)というマルペンサ空港への特急を利用しました。市内ドゥオーモ近くのCadorna駅から約30分おきに出ています。料金は11ユーロで所要時間約40分。
| 都市アクセッシビリティ | 06:08 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
サン・ジョルディ(Sant Jordi)とカタルーニャ(Catalunya)
4月23日はカタルーニャの守護聖人サン・ジョルディ(Sant Jordi)の祭日です。この日は愛し合う二人がバラと本を互いに贈り合うという、何ともロマンチックなイベントが行われる為、バルセロナ中の街路や公共空間が本とバラを売る屋台で埋め尽くされます。その光景は圧巻。バルセロナの目抜き通り、ランブラス通りなんて観光客と買い物客で元旦の熱田神宮なみ。しかも今年は同じ日にバルサ(Barça)対マンチェスター(Manchester)というサッカーの好カードが組まれている事から警察官を総動員しての非常警戒態勢を敷く模様です。

さて、このサン・ジョルディの日に「本とバラを送る」という習慣はカタルーニャから始まりました。このカタルーニャから始まったという印象があまりに強かった為、サン・ジョルディって、てっきりカタルーニャに固有の聖人かと思っていたら実は違うらしいんですね。その事に気が付いたのが先月のベネチア旅行でした。その際訪れたスクオーラ・ダルマータ・サン・ジョルジョ・デッリ・スキアヴォーニ(Scuola Dálmata San Giorgio degli Schiavoni)教会にVittore Carpaccioによる、その名も「San Giorgio che uccide il drago」という絵画があったからです。



更に、アッカデミア美術館(Galleria dell’Accademia)で行われていたティツィアーノ・ヴェチュッリオ(Tiziano Vecellio)の好企画展、L’ultimo Tiziano e la sensualità della pitturaの展示品の中にもドラゴンに関するもの(Tiziano Vecellio, Santa Margherita e il drago)があったりして、記憶に残っていたんですね。



そこでちょっと調べてみたら、どうやらサン・ジョルディとは4世紀にパレスチナで殉教したとされているオリエントの聖人、ゲオルギウス(Georguis)の事であり、英国、ギリシャやポルトガルなどが守護聖人としているらしいという事が分かってきました。

で、この人、何をしたかというとその昔、村を襲っていた人食いドラゴンからお姫様を救ったらしい。人食いドラゴンって言ってもヨーロッパのドラゴンとアジアのドラゴンって少し違っていて、ドランボールの神龍みたいな長いのはアジア型。それに対して、ドラクエに出てきそうなのやピッコロ大魔王が生みそうな太っちょタイプがヨーロッパ型。

アジア型はどうがんばっても人間じゃ勝てそうにないけど、ヨーロッパ型なら何とかなりそうな気がする。しかもかわいいお姫様の為だったら何とかするでしょ、という事で納得。

そんなサン・ジョルディが竜をやっつけた伝説、「竜の奇跡」として知られる物語はこんな感じ:

カッパドキアのセルビオス(Selbios)王の首府ラシア(Lasia)付近に、毒気は振りまく、人には咬み付く、という巨大な悪竜がいた。人々は、毎日2匹ずつの羊を生け贄にすることで、何とかその災厄から逃れることとなったのだが、それが通用するのはそんなに長い時間のことではなかった。羊を全て捧げてしまった人々は、とうとう、人間を生け贄として差し出すこととなった。そのくじに当たったのは、偶然にも王様の娘であった。王は城中の宝石を差し出すことで逃れようとしたが、もちろんそんなもので誤魔化せるはずはなかった、かわりに8日間の猶予を得た。
そこにゲオルギウスが通りかかった。彼は毒竜の話を聞き「よし、私が助けてあげましょう」と出掛けていった。
ゲオルギウスは生贄の行列の先にたち、竜に対峙した。竜は毒の息を吐いてゲオルギウスを殺そうとしたが開いた口に槍を刺されて倒れた。ゲオルギウスは姫の帯を借り、それを竜の首に付けて犬か馬のように村まで連れてきてしまった。大騒ぎになったところで、ゲオルギウスは言い放った。
「キリスト教徒になると約束しなさい。そうしたら、この竜を殺してあげましょう」
こうして、異教の村はキリスト教の教えを受け入れた。(Wikipedia より)


この物語は国を超え様々に伝えられ、又様々な人達がその場面を描いています。上述したVittore Carpaccioを初め、僕の大好きなラファエロ・サンティ(Raffaello Sanzio)も。

僕にとって大変に興味深いのは、このような一つの物語が地方の文化を吸収しながら形を変え伝承されていった事です。その一つが我らがカタルーニャ地方に伝わる伝説です。そしてカタルーニャ地方においては、この伝説が生み出された当初から政治的な意味を含んでいたと見なす事が出来ます。

時は国土回復運動の最中、南へと退却していくイスラム教徒が、逃げ去る際にカタルーニャ地方に放った竜がキリスト教徒の乙女を食い尽くすという伝説。どんな腕自慢が戦っても勝ち目すらなかった状況下に現れたのが、白馬に乗った超美形のサン・ジョルディ。見事槍で一突きして乙女を救ったそうです。この時流した竜の赤い血が赤いバラに変わったという逸話まであるからすごい。

これが何故政治的な意味を含んでいるかというと、当時イスラム教徒の侵攻を受けていたカタルーニャにとって、イスラムを追い払ってくれた騎士は正に独立のシンボルと見なされていたからなんですね。

こんな風に、各国・地域で同じ伝説がディテールを変えて何百年も伝わっている。それこそ現在のヨーロッパを支える「多様性」の面白い所!!!

(ちょっと話が違うかもしれませんが、日本の歴史において登場する悪者の代表といえば鬼。鬼伝説は各地で残っているんですが、その伝説が生まれたのは当時の重要機密だった「鉄」を製造していた所だったという事を読んだ記憶があります。つまりそこに寄せ付けない為にそのような都市伝説を創造したんですね。ヨーロッパにおいてドラゴンという悪者が創り出された背景には何かあるのでしょうか?興味深い所です。)

さて、こんなサン・ジョルディ伝説はカタルーニャにおいては大変特別な意味を持っていると言いましたが、それが確立されたのがフランコ政権下のカタルーニャにおいてでした。フランコの独裁政権がドラゴンでカタルーニャがお姫様。つまり中央政府に言語や文化の抑圧を通して痛い目に遭わされているお姫様を助け出してくれる守護神と見なされているから、皆この伝説が大好き。

更に2つの偶然がこの祭日をカタルーニャにとって特別なものとしました。一つ目は、この日がユネスコ(UNESCO)により「世界本の日(World Book Days)」に制定されたという偶然です。それはこの日が偶然にもセルバンテス(Miquel de Cervantes)シェイクスピア(William Shakespeare)という歴史的巨人の命日だからなんですね。そんな偶然がサン・ジョルディの伝説と重なってバラと本を贈り合うという習慣へと姿を変えました。

もう一つの偶然は第一回目の「本の日記念日宣言」が出されたのが1931年だったという事です。この年はカタルーニャにとっては大変特別な年で、カタルーニャ共和国宣言が出された年でした(4月14日でした)。

この「独立のシンボルとしてのサン・ジョルディ」、「本の日(言語)」そして「カタルーニャ共和国宣言」という3つの偶然が重なった結果、当初は「スペイン語の本の日」として始まった記念日が何時の間にかナショナリズムと共に盛り上がって、「カタルーニャ語の本」とすり替えられたんですね。勿論そこには、「想像の共同体」を可能にする飛び道具の一つ、言語の促進という意味合いが多分に含まれています。

異国に暮らしていると、言語の選択というのは政治的選択だという事を思い知らされます。それは何も州議会とかそういう大きな話ではなくて、日常生活の中でもそうなんですね。逆に日常生活の中に根付いているからこそ、すごいと思う訳です。何故ならそれは人々の意識下にまで影響が及んでいる事を示しているからです。

これは日本のように日本語しか話さない、正に「パラダイス鎖国」化された環境に居ては気が付かない・身に付かない感覚だと思います。小さい頃から多言語が当たり前な環境で育ったヨーロッパ人は、言語が政治だという事をごく自然に受け入れています。そしてそれが彼らの強さなのかもしれないと思う事もあります。何故ならそんな環境が彼らの多様性の感覚を養い、そんな幅広い選択肢の中から己の進む道を選ばせるからです。これは一つの世界しか知らず、受動的に選択させられるのとは大違いです。

海外に暮らし始めて早5年。最近ようやく学生の頃読んだ、ベネディクト・アンダーソン(Benedict Anderson)の言う「想像の共同体(Imagined Communities)」という意味が少し分かってきたような気がします。
| バルセロナ歴史 | 04:14 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ロマネスク美術と地中海:カタルーニャ、トゥールーズ、ピサ、1120−1180(Romanesque art and the mediterranean, catalonia, Toulouse and Pisa, 1120-1180)
今日は午後からカタルーニャ美術館(Museu Nacional d'Art de Catalunya(MNAC))で開かれている「ロマネスク美術と地中海:カタルーニャ、トゥールーズ、ピサ、1120−1180(Romanesque art and the mediterranean, catalonia, Toulouse and Pisa, 1120-1180)」という展覧会に行ってきました。ロマネスク美術に関してカタルーニャ美術館が誇るコレクションは量・質共に世界一である事は間違いありません。その基礎を築いたのはプッチ・イ・カダファルク( Puig i Cadafalch)でありドメネク・イ・モンタネール( Lluis Domenech i Montaner)である事は以前のエントリで書いたとおりです。

さて、この展覧会はカタルーニャがロマネスク美術を発見して100周年記念という事で当時のロマネスク美術の中心地であったカタルーニャ、トゥールーズ(Toulouse)とピサ(Pisa)の全面的協力を得て開催されました。ロマネスク美術が花開いた12世紀前後のバルセロナの状況というのは、Ramon Berenguer IV(1131-1162)の活躍により地中海を中心とした南フランスへと領土を拡大している最中だったんですね。

この時期(12世紀)、地中海各地でロマネスク彫刻を手掛けたカベスタニーの職人(Maitre de Cabestany)と言われる彫刻職人がいました。この職人が一人だったのか、もしくはグループだったのか、もしくはある一連のスクールがあったのか?など数々の議論が巻き起こっているようですが、一つだけ言える事は、その時代には珍しく、この職人が手掛けた彫刻にはしっかりとした特徴が刻まれていて、その彫刻としての質は見事なモノに仕上がっているという事ですね。





今回の展覧会にはカベスタニーの職人が手掛けた幾つかの彫刻が来ていて、中でもSanta Maria de Cabestany(カベスタニー聖母教会)の”Timpa de Cabestany”は必見。服の襞の滑らかさと力強さの対比が素晴らしい。



カベスタニー職人作からもう一つ:”Relleu de labadia de La Grassa”, Abadia de Santa Maria dOrbieu, La Grass(Aude), 1157-1167

これはドラゴンでしょうか?何かの生き物の頭ですね。恐ろしいというよりは優しい感じを受けます。これはロマネスクの一つの特徴だと思います。ロマネスク絵画にはノコギリで斬られている当時の処刑の様子や恐ろしい怪物などの絵が数多く出て来ますが、デフォルメされているので穏やかな感じを受ける場合が大半です。

その良い例がコレ:Felip, Judas, bartolomé, Vic 1140-1160
カタルーニャ北部の小さな町、ビックのカテドラルにある彫刻三部作。







見事なまでにデフォルメが完成されている。やはり眼が特徴的ですね。ロマネスクに特有のアーモンド形の眼。

一方、コレは南フランスのトゥールーズにあるToulouse claustro de la catedral de Saint-Etienneの柱頭:La muerte de San Juan Bautista(1120)と同じくToulouse claustro de la catedral de Saint-Etienneの柱頭:Las virgenes prodentes y las virgenes necias(1120)





同じロマネスクに属していながらも表現が微妙に違う所が大変興味深い。カタルーニャの方がより丸みを帯びていて暖かい感じを与えるのに対して、トゥールーズの方はちょっと表現がシャープになっている。あえて言うなら田舎と都会と言う感じなのかな?もしくは既にゴシックの萌芽を含んでいるとか?この辺りどうなんでしょうかね、結婚式教会の村瀬君???





そして今回の展覧会に来ていた彫刻の中でも最も感銘を受けたのがコレ:Cristo y San Pedro(1140-1160)(ビック教会)

そのデフォルメの完成度といい、服の襞の滑らかさといい、第一級品です。今にも動き出しそうです。ふと思ったのですが、石の材質も関係しているのかも知れません。この石は少し粗めの黄色っぽい石でした。地中海地方では一年を通して陽の光が非常に強いんですね。カタルーニャも例外ではなく、このような光にはゴシックでよく使われる灰色をした冷たい感じの石よりも暖色の方が良く合うと思います。上述したようにロマネスクの主題も冷たいというよりは暖かい感じを与える表現が主なので、教会の中庭などに午後の光が差し込んだ時に黄金に輝き出すのを想像するとどんなにすばらしい事だろうかと想像してしまいます。

今回の展覧会にはロマネスク絵画も結構来ていました。と言っても、カタルーニャ美術館が誇る世界一の常設展示から移動してきただけですけどね。しかし今回の展覧会で写真が撮れた事はブロガーとしてはラッキーでしたね。

これは良く知られたValle de RibesにあるBaldaqui de Ribesです。





デフォルメされたキリストと彼を取り巻く天使達といった構図。ロマネスク絵画って絵と一緒に文字が入っていますよね。そんなに前面に押し出ると言うでもなく、アクセントとして結構利いている気がしますね。あと、周りを取り囲む天使達。天使と言うとドレスデンにあるラファエロによる金髪の赤ちゃんに羽が生えたのが典型的なモデルだと思うのですが、ロマネスクの天使はおじさんかおばさんが多い。天使と言えば勿論、松田聖子の伝説の歌、天使のウインクですが、どうもロマネスクの天使にはウインクは似合いそうに無いなー。
| 旅行記:美術 | 04:58 | comments(1) | trackbacks(4) | このエントリーをはてなブックマークに追加
イグナシ・デ・ソラ・モラレス(Ignasi de Sola Morales)とマスター・メトロポリス・プログラム(Master Metropolis)
毎年この時期になるとマスター・メトロポリスから今年のプログラムのお知らせが届きます。マスター・メトロポリスとは何かというと、建築と都市文化を横断する事によって現代都市現象を捉えようとする目的で1992年にイグナシ・デ・ソラ・モラレスにより創設されたマスタープログラムです。

何を隠そう何故僕がバルセロナに来たのかというと、当初このプログラムに参加するのが目的だったんですね。あまり大々的に宣伝していないこのプログラムの存在は知人の紹介を経て知りました。とは言っても、イグナシの影響力からヨーロッパでは、ロッテルダムのベルラーヘ、バルセロナのメトロポリスとかなり知られていたのですが。

僕はこのプログラムに2001年から数年間関わってきました。2001年というのがミソで実はこの年の冬にイグナシは亡くなっています。僕が始めてバルセロナに来た2001年春には既に彼の姿は見えませんでした。それでも幸運だったのは、彼が組み立てたプログラムがその春学期に実行されていたという事です。言うなれば僕は彼の創設した真のメトロポリスプログラムの最後の受講者という事になります。

当時の様子は昨日の事のようにはっきりと覚えています。何故ならそのホンの数ヶ月間が僕のバルセロナ滞在の最もエキサイティングな瞬間の連続だったからです。突然のイグナシの死去により内部はかなり混乱していましたが、彼の知性に惹かれて集まって来た世界各国からの学生や研究者などの情熱は生きていました。

プログラム開始初日、最初に壇上に立ったのはバルセロナ現代文化センター所長(Centre de Cultura Contemporània de Barcelona)でありヨーロッパの頭脳、ジョセプ・ラモネーダ( Joseph Ramoneda)でした。元々、このプログラムが現代文化センターで開かれているのはイグナシとジョセプの大変高い志である、現代都市の解明という共通の目標があったからだと思うんですね。だから1993年にAnywayがバルセロナで開かれた時には会場はCCCBだった訳です。(少し脱線しますが、僕は後に現代文化センターに勤める事になったのですが、その時、書庫を漁っていたら当時Any会議の為に用意された磯崎さんと浅田さんの生原稿が出てきて、なんかお宝を見つけた気分になったのを覚えています。)メトロポリスプログラムでジョセプを見かけたのはコレが最初で最後。イグナシの死と共に彼はメトロポリスからは一切手を引きました。

その後の懇親会で英語があまり話せなかった僕の前を興味深深で行ったり来たりを繰り返すお爺さんがいました。ホントに行ったり来たりを10分くらい繰り返した後、やっと一言、「何処から来たの」。「日本から」。「そう」。その後、又行ったり来たりを10分ほど繰り返した後、「名前なんていうの」「Yです」。「そう」。・・・・・。なんか変わったお爺さんだなと思っていたんですが、彼こそがバルセロナ現代美術館初代館長(Museu d'Art Contemporani de Barcelona)だったミケル・モリン(Miquel Molin)さん。典型的なカタラン人にありがちなものすごい人見知りタイプです。ただ、このタイプは一度仲良くなってしまうと、ものすごく仲良くしてくれるという面も持っているのですが。

彼との思い出は尽きないのですが、何と言っても印象に残っているのは彼の授業の一環で行ったバルセロナサイクリングツアー。バルセロナは都市活性化の為に屋外彫刻を大変に巧く使いました。それを核にして回りにアクティビティを発生させるという事を行っていたのですね。そのアイデアの中心人物が実はミケルだったわけです。バルセロナサイクリングツアーでは一日かけてバルセロナ市内中の彫刻を見て回りました。その時は未だ「バルセロナモデル」なんて言葉知らなかったけど、都市活性化にアートを利用するその斬新さに心を打たれたのを覚えています。

その年、最もスキャンダラスだったのが何と言ってもバーバラ・クルーガー(Barbara Kruger)の講義でした。彼女は授業の冒頭で「私は自分の作品や自身については何も話さない」と宣言し、各生徒からの体験談を求めたのです。彼女の作品についての解説や思想を求めてやってきた生徒は猛抗議。しかし彼女はその姿勢を崩そうとはしませんでした。結局、生徒の3分の2が授業を放棄するという事態になりました。ヨーロッパに来て間も無い事もあり、生徒がこのような行動をするのには大変なショックを覚えました。

このような事件は更にありました。ブラジルから来た一人の生徒が論文のプレゼンをビデオプレゼンですると言い出したのです。それに大反発したのが、ラファエロ・モネオの元秘書で建築理論家だったエリゼンダ教授。「論文は遊びじゃないのよ!!!」みたいな感じで大激怒。しかし、結局彼は最終プレゼンをビデオで大成功させ、会場はスタンディング・オーベーションの嵐。そんな中、教授陣のコメント合戦が始まり、マイクは自然とエリゼンダ教授の下へ。彼女は「あなたのプレゼンは素晴らしかったけれど、認める事は出来ない」というような趣旨の事を述べ会場を後にしました。

授業が行われた3ヶ月の間、ここでは書ききれない程のドラマが起こり、その一つ一つが僕の胸の中に鮮明に生き続けています。一つだけ確かな事は「その年のメトロポリスプログラムは活気に溢れていた」という事です。

そんな最高のプログラムはイグナシの死を堺に激変していく事になります。年々、招待教授の数と質が落ち、集まる生徒の質さえも変化していきました。それに反比例するように授業費はうなぎのぼりに。当時の授業料は1年間で日本円にして15万円しなかったと思います。今では80万を超えます。

はっきり言って今のメトロポリスプログラムはイグナシの創ったメトロポリスとは全く別物。質は最低だと思います。このプログラムに参加した者として非常に悲しい事ですが事実だから仕方がありません。

更にコレだけは日本人の皆さんに声を大にして言いたいのですが、スペインで言う「マスター」というのは日本でいう「修士」ではありません。スペインのマスターは学位を取った後に少し勉強する「専門」みたいな感じで扱われます。だから幾らスペインでマスター学位を取ったからといってそれが日本で「修士」学位になるかというとそうはなりません。日本の修士に値するのはドクターコースの中に組み込まれているDEA(Diploma De Estudios Avanzados)という学位です。僕は去年の9月に取りましたが、かなり苦労しました。

今、スペインでは教育課程が見直されていて、基準を全てヨーロッパ規準に合わせようという動きがありますが、そこで認定されたマスターコースには「マスター・オフィシャル」という名前が付く事になっています。それがあると、何処の国に言っても通用する「修士」になるわけですが、そのコースはまだ数が少ないのが実情です。

僕がこの事実を知ったのはスペインに来てマスターを始めて数年たった後でした。僕の場合は別にタイトルに拘るという事は無かったのですが、日本人の中には大変に悔しい思いをした人も居ると聞きます。

もし修士獲得を目指してスペインでマスターコースをしたいという人が居れば、くれぐれも上記の違いに気を付けてください。
| 大学・研究 | 20:01 | comments(0) | trackbacks(37) | このエントリーをはてなブックマークに追加
L'illa Diagonal: ラファエル・モネオ(Rafael moneo) とマニュエル・デ・ソラ・モラレス(Manuel de Sola Morales)
バルセロナ市内を斜めに貫く大通りディアゴナル通りの山の手側にイーリャ(L'illa Diagonal)という複合ショッピングセンターがあります。1994年にラファエロ・モネオとマニュエル・デ・ソラ・モラレスにより計画・デザインされました。



もともとこの計画は1987年にバルセロナ市役所(Ajuntament de Barcelona)が発表した「新しい中心街計画:Arees de nova centralitat」の上に乗った計画だったんですね。もっと言えば1976年のPGMで既に方向性が示されていたのですが。更に言えばそのPGMにはモデルがあってミラノを模倣したものだったんですね。

当時バルセロナは市内に12の新たなる中心街を創り出そうとしていました。単に住宅開発をするのではなく人々がそこに集まってくるような求心性と地域のアイデンティティを持たせようとしていたのです。当時の合言葉だった「都市の中に都市を創る(La ciudad de ciudades)」、もしくは「郊外をモニュメント化しよう(Monumentalitzar la periferia)」という例のあれです。その一つがディアゴナル・サリア地区であり、核となったのが上述の複合ショッピングセンターです。

この計画で注目すべき点は幾つかあるのですが、そのうちの一つが計画プロセスです。この計画は民間主導の計画でした。故に課題はどうやって民間をうまくコントロールしていくかにあったんですね。建築家モネオが選ばれたのはうまく民をコントロール出来そうだったからだと言われています。実際彼はうまくやりました。施主は既に全敷地をショッピングセンターにする承認を受けていたにもかかわらず、建築家が敷地の半分にだけ建物を創り残りは公園にして市民に開放したらどうかと提案したそうです。そんな事、出来るのか?とか思っちゃいますが、それはさすがモネオとマニュエル。やっちゃいました。ショッピングセンターの裏手側にあるこの公共空間は今や、市民の憩いの場となっています。



この建築はデザイン的に見ても大変に興味深いと思います。かなり横長で巨大な敷地に建っているので普通にデザインしたら低層にするとはいえ周りにかなりの威圧感を与えてしまう。よって水平低層を基調としながらも、塊を幾つかの部分に分けてそれらのブロックを組み合わせる事でその威圧感を和らげています。



シルエットとしては両側を高層、中を低層とする事で形に強弱を付け画一なフォームにならないように工夫しているのが見えますね。それにも関わらず街並みを構成する要素として周りの風景をかき乱すのではなく、逆に調和させているのは均一に並ぶ窓のデザインのおかげでしょうね。

足元から一階部分にかけては黒の石を用いて地面からの連続間を出しつつ、上部でトラバーチンに切り替えるというデザインはシザの常套手段ですね。趣味が良い。トラバーチン部分に規則正しく並ぶ窓は大変にリズミカルで、これだけの数があるとそれはそれでデザインとしてある一定の領域に達していると思います。



ここが裏手側に通じる入り口。少し引っ込んだ所にガラスを通して人の動きが見えます。向かって右手側に折り返し階段が付いている。ちょっとした塩コショウといったところでしょうか。







このゲートをくぐると表側の喧騒とは一変して大変に穏やかな中庭が広がっています。ちょっと大きい秘密の隠れがっぽい。カフェがたくさん並び優雅なひと時を過ごす事が出来ます。僕のお気に入りです。
| 大学・研究 | 20:04 | comments(0) | trackbacks(35) | このエントリーをはてなブックマークに追加
ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio):アテネの学堂(Scuola d'Atene)
前のエントリ、ジョン・エヴァレット・ミレイ(Sir John Everett Millais)の項でラファエロ前派について触れたので今日はラファエロについて少し書きたいと思います。

ラファエロはレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロと並ぶ盛期ルネサンスを代表する画家・建築家であり、イタリア・ルネサンス古典主義の完成者であると言われています。何故か?何故ならラファエロはダヴィンチやミケランジェロに始まるそれまでの芸術手法を統合・洗練して大変に柔和でバランス感覚に優れた様式を確立したからなんですね。それ故に19世紀までの長きに渡り西欧絵画の美の基準とされ強い影響を与え続けてきました。ミレイが関わっていたラファエロ前派(Pre-Raphaelite Brotherhood)は正にこのラファエロ以前に戻ろうとした運動であった事は以前に書いた通りです。

個人的な感想なんですが、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロが描いた絵画って何処か計算しつくされた正に科学に則った様な感じを受けます。よく知られているようにダ・ヴィンチなどは飛行機の設計図なども残していて科学にも精通していた正に万能人。Wikipediaによるとレオナルド・ダ・ヴィンチの項には:

レオナルド・ダ・ヴィンチ (Leonardo da Vinci, 1452年4月15日 - 1519年5月2日) は今日、イタリアのルネサンス期を代表する万能の天才として知られ、「万能人(uomo universale)(ウォモ・ウニヴェルサーレ)」とも呼ばれている。絵画、彫刻、建築、土木および種々の技術に通じ、極めて広い分野に足跡を残している。『最後の晩餐』や『モナ・リザ』などの精巧な絵画は盛期ルネサンスを代表する作品になっている。膨大な手稿(ノート)を残しており、その中には飛行機についてのアイデアも含まれていた。

ミケランジェロの項には:

ミケランジェロ・ブオナローティ(Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni, 1475年3月6日 - 1564年2月18日)は、イタリアルネサンス期の彫刻家、画家、建築家、詩人。名前はミカエル(Michael)と天使(angelo)を併せたもの。
西洋で最も巨大な絵画の一つとも言われるバチカンのシスティーナ礼拝堂の天井フレスコ画や『最後の審判』、パオリーナ礼拝堂にある『聖ペテロの磔刑』、『パウロの改宗』を描いたことでよく知られている。もともとは彫刻家であり、『ピエタ』や『ダビデ像』等の傑作のほかにも『バッカス』、『モーセ』、『ラケル』、『レア』などが有名である。バチカンの『サン・ピエトロ大聖堂』の設計者でもある。


とあります。こんな経歴の持ち主なので画風も自然と精確さを目指すようになったのかもしれませんね。反対に見ていて大変に「ほっ」とする印象を与えるのがラファエロの絵画。僕はどちらかというとラファエロのような絵画の方が好きです。どちらが良いとかどちらが優れているとかいう問題ではなくて単に趣味の問題だと思いますけどね。

2年前の秋にローマへ旅行した際、大変に感銘を受けたのがコレ:



言わずと知れたラファエロ作、「アテネの学堂」(Scuola d'Atene)。泣く子もだまるカトリックの総本山、ヴァチカン市国のヴァチカン宮殿に4部屋ある「ラファエロの間」のうちの一つ、「署名の間」を飾る壁画です。この壁画は1508年、教皇ユリウス2世の命を受けて制作したもので、当時ラファエロは20歳代半ばの若さだったそうです。この部屋はユリウス2世が署名や捺印をする為に使用していた部屋であった事から「署名の間」と呼ばれたそうです。ラファエロはこの部屋を囲む4つの壁面に「神学」、「法学」、「詩学」、「哲学」を現すフレスコ画を描きました。「アテネの学堂」はこのうち、「哲学」に対応するものとして制作されました。この「アテネの学堂」は同時期に制作されたミケランジェロの「システィーナ礼拝堂天井画」と共に、盛期ルネサンス古典様式の最高傑作の一つに数えられています。



主題は「人類の英知」っぽいですね。プラトン、アリストテレス、ソクラテスなど古代ギリシャ哲学者・科学者などの偉人を描いています。



「空間恐怖症」じゃないけれど「これでもか」と言わんばかりに余白を許さない膨大な数の芸術品に囲まれたヴァチカン宮の永遠に続く回廊の一角にこの間はありました。宮殿入り口から想像を絶する数の大変に重々しい芸術作品群を見続けてきたせいか、最初にこの絵を見た時、大変に軽くポップな印象を受けたのを覚えています。そしてそれが大変にショックでした。これが500年も前に描かれた絵画なのかと・・・。



中央に描かれているのはプラトンとアリストテレスです。向かって左がプラトンで右側がアリストテレス。ルネサンス芸術が古代ギリシャ時代と比肩するものである事を表現する為に用いたプラトンのモデルは、彼が最も尊敬していたレオナルド・ダ・ヴィンチであると言われています。何故ならプラトンは新しい哲学の先駆者であり、ダヴィンチも美術の歴史を変えた人物だからだそうです。故にこの絵の中心的存在であるプラトンのモデルはダヴィンチ以外には考えられなかったというわけです。



長い間、アリストテレスのモデルはミケランジェロだと考えられていました。しかし最近では画面中央下の方で頬杖をついているヘラクレイトスがミケランジェロとされているようです。

ココには大変に面白い物語が横たわっています。ミラノはアンブロジアーナ絵画館にある「アテナの学堂」の下絵には当初ヘラクレイトスは描かれていませんでした。つまりこのヘラクレイトスは予定に組み込まれていたのではなく、急遽描きこまれる事になったんですね。更にこのヘラクレイトスだけ他の絵に用いられているタッチとは全く違うタッチで描かれているそうです。どんなタッチかというと明らかにミケランジェロを意識したタッチだとか・・・

このような事からラファエロはミケランジェロによる完成前のシスティーナ礼拝堂を見て大変な感銘を受け、ミケランジェロに対する尊敬の念を現す為に急遽描きこんだという説があるそうです。天才と天才の競演。なんてロマンチックなんだろう。

ラファエロは後にこのような言葉を残しています。

「我らの時代こそ、かつて最も偉大だった古代ギリシャの時代と肩を並べるほど素晴らしい時代なのだ」  ラファエロ

自分が生きていた時代をこのように誇る事の出来る人生。そしてそれを表現する事を仕事として生きたラファエロからは人生の教訓のようなものを学んだような気がします。僕も常にこうありたいものです。
| 旅行記:美術 | 19:59 | comments(4) | trackbacks(35) | このエントリーをはてなブックマークに追加
ロンドン旅行その2:Sir John Everett Millais(ジョン・エヴァレット・ミレイ)
2日目は朝からテート・ブリテンへ行く。運よくラファエル前派の中心人物の一人Sir John Everett Millais(ジョン・エヴァレット・ミレイ)の回顧展Millaisが開催中でした。ターナーの作品群を見るのが主目的だったんだけど壁に掲げられたMillais展の広告を見てそちらを先に見る事にしました。



はっきり言ってノーマークだった作家ですが大変な衝撃を受けました。誰でもピンとくる作家や芸術家が心の中に一人はいるものだと思いますが、ミレイの作品はカタルーニャの作家であるMariano Fortuny(マリアノ・フォルトゥーニ)に受けた時以来の大きな感動を僕にもたらしてくれました。これこそ旅行の醍醐味。予定調和的ではない出会いほど感動的なものは無い。という訳で少し調べてみました。

とりあえず彼が結成し属したとされるラファエル前派から。ラファエル前派(Pre-Raphaelite Brotherhood)というのは19世紀の中ごろにイギリスで活動した美術家・批評家から成るグループで、その頃にメインストリームだった古典偏重教育に異を唱えるべく結成されたそうです。「ラファエル」とは勿論、イタリア・ルネサンスの古典主義の完成者であるあのラファエロです。去年ローマに旅行した時にバチカンで見まくりました。古典にも関わらず重々しくなく逆にものすごくポップな感じを受けたのを良く覚えています。特にその色使いは現代に通じるものがあると思います。つまり今見ても新しいし、ある意味今よりも新しい。これが永遠と言う事か・・・・



当時の美術教育がラファエロの完全な影響下にあった事は想像に難く無いですね。つまり当時の指導的立場にあったアカデミーがルネサンス期のラファエロの絵画を模範としていたという事です。そんな状況下において何時の時代も同じように、保守的でアカデミックな状況を覆そうとする若い運動が出てくるのも又自然な事のように思われます。それがラファエル前派という運動だったというわけです。

彼等が目指したのはラファエロ以前の芸術で「率直にものを見る態度」とアカデミック様式からの開放による素朴な絵画表現でした。見たものをありのままに描くという彼等の態度は自然の細密描写と神秘的な芸術表現による美に至らしめます。これは「自然をありのままに再現すべき」というジョン・ラスキンの影響であり、又ラスキンも彼等を後押ししていたようです。ラスキンといえば建築家なら誰しも読んでいる「建築の七燈」、「近代画家論」などの著者でありウイリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフトにも多大なる影響を与えた一人。彼の影響は色んな意味で大変大きかったらしいです。



さて作品ですが彼の最も有名な作品といえば22歳の時に描かれた「オフィーリア(ophelia)」でしょうね。この絵はシェイクスピアの「ハムレット」の一場面から主題を借りてきています。



小川のふちに柳の木が、白い葉裏を流にうつして、斜めにひっそりと立っている。オフィーリアはその細枝に、きんぽうげ、いらくさ、ひな菊などを巻きつけ、それに、口さがない羊飼いたちがいやらしい名で呼んでいる紫蘭を、無垢な娘たちのあいだでは死人の指と呼びならわしているあの紫蘭もそえて。そうして、オフィーリアはきれいな花環をつくり、その花の冠を、しだれた枝にかけようとして、よじのぼった折も折、意地悪く枝はぽきりと折れ、花環もろとも流のうえに。すそがひろがり、まるで人魚のように川面をただよいながら、祈りの歌を口ずさんでいたという、死の迫るのも知らぬげに、水に生い水になづんだ生物さながら。
                                    (シェイクスピアの『ハムレット』)


この絵は強烈に僕の心を捉えました。一度見たら忘れる事が出来ない風景。大変細密な自然描写の中に少女が浮かんでいる。生きているのか死んでいるのか分からないその表情。その独特のポーズ。とても言葉では表す事が出来ないそこに漂っている空気。圧倒的です。宮崎駿が大きなショックを受けて自らの方向性を変えざるを得ないと決断させたというのにも納得。当時イギリスに留学していた夏目漱石もこの絵に影響を受けていたようです。後に「草枕」の中で以下のように述べています。

なるほどこの調子で考えると、土左衛門(どざえもん)は風流である。スウィンバーンの何とか云う詩に、女が水の底で往生して嬉しがっている感じを書いてあったと思う。余が平生から苦にしていた、ミレーのオフェリヤも、こう観察するとだいぶ美しくなる。何であんな不愉快な所を択んだものかと今まで不審に思っていたが、あれはやはり画(え)になるのだ。水に浮んだまま、あるいは水に沈んだまま、あるいは沈んだり浮んだりしたまま、ただそのままの姿で苦なしに流れる有様は美的に相違ない。それで両岸にいろいろな草花をあしらって、水の色と流れて行く人の顔の色と、衣服の色に、落ちついた調和をとったなら、きっと画になるに相違ない。しかし流れて行く人の表情が、まるで平和ではほとんど神話か比喩になってしまう。痙攣的な苦悶はもとより、全幅の精神をうち壊わすが、全然色気のない平気な顔では人情が写らない。どんな顔をかいたら成功するだろう。ミレーのオフェリヤは成功かも知れないが、彼の精神は余と同じところに存するか疑わしい。ミレーはミレー、余は余であるから、余は余の興味を以て、一つ風流な土左衛門をかいて見たい。しかし思うような顔はそうたやすく心に浮んで来そうもない。
                                   (夏目漱石『草枕』)


さて次の作品「マリアナ(Mariana)」にも目を奪われました。



その独特の色使い。深いブルーのドレスとそれと対になるように輝くオレンジ色の椅子の調和。少し苦悩を表すようなその表情。状況設定としてはフィアンセに振られながらも未だに忘れる事が出来ず、何することも無く暇を持て余している婦人が昼下がり織物をしているという設定。何時間か織物に集中し、休憩がてら腰を上げたその時、忘れかけていた心配事が頭をよぎったのだろうか。その苦悩がその表情によく表れている。



この作品も良かった。大変に小さい作品で水彩画なのですが題名は「失恋(A lost love)」。月夜の晩に恋人のことを思いながら遥か彼方を見つめる少女。彼女の顔とドレスに反射した月夜の明かりが何処となく切なさを醸し出しています。まるで「夜がため息」をしているかのようです。



ミレイは沢山の肖像画を描いています。その中において特に「Fancy Pictures」と呼ばれているジャンルがあります。その中の一つ「Bright Eyes」という作品に目が留まりました。
真っ直ぐ前を見据えた綺麗な瞳に赤いコート服という大変にシンプルな構成。少し微笑みを含んだ表情からは気品が漂っています。



このジャンルからもう一つ。「Cherry Ripe」。この作品なんとなく日本的じゃないですか?

ミレイの代表作品をほぼ網羅しているこの展覧会には大満足でした。
| 旅行記:美術 | 07:50 | comments(4) | trackbacks(35) | このエントリーをはてなブックマークに追加
ローマ旅行とベルニーニ
ローマへ行ってきました。初めてのイタリアです。今回の旅でローマがローマ時代の中心地であったと言う事を再確認。街の至る所に遺跡が残っている。予想以上でした。ローマ帝国ってもちろんカタルーニャにも影響を及ぼしていてその時代の中心地はバルセロナではなくて現在のタラゴナ。タラコと言ったらしくここも遺跡がたくさんあります。特に水道橋はほぼ完全な形で残ってる。まあ、カタルーニャにおけるローマの影響については又今度の機会に。今日はローマ旅行について。特に印象的だったのがバチカン。ここはすごい。さすがカトリックの総本山。むちゃくちゃ金持ってるっぽい。最初にサンピエトロ大聖堂へ行ったのですがここで思わぬ大収穫。ベルニーニに感動しました。僕が行った時は丁度法皇様が何か読んでてそれを信者の人たちが熱心に聞いているという場面。その法王様が居る一番奥の壁面一杯にベルニーニ作の巨大椅子があります。それがすごかった。先ず長方形のような窓枠が地としてありその中に雲か天使か分からないもやもやした黄金の塊が上から積もっていくという構図。この塊が上の方だと窓枠の中に納まっているんだけど、それが徐々に下に行くに従ってはみ出てくる。とても良く力動感というものを表していると思います。昔、渡辺先生と一緒に「ルネサンスとバロック」と言う本を読んだのですがその時に「ベルフリンはあたかもルネサンスが生き物のように意識を持ってバロックに移り変わっていく様子を生き生きと描いている」とかなんとか言われてたけど、その時は正直言って何?みたいな感じだった。サンカルロアレクワットロ・フォンターネとか例に挙げられてたけどあまり心には響かなかった。しかし今回のこの法王の椅子を見てベルニーニに対する意識が激変しました。これ見たの2日目の朝だったのですがそれからはほとんどベルニーニめぐりをしました。ナボーナ広場の彫刻も良かった。石という硬い材を用いて人の筋肉、服そしてそれらと対比させるかのような台座。この台座にはわざとあまり手を加えないで石の硬さをそのまま表現してる。で、今回最大最高の収穫がバロックの傑作と言われてるコレ(写真)。コレすごい。マリア様っぽい人が横たわってて天使が上から迎えに来てるっていうストーリーなんだけど、そのマリア様の服と寝てるベット、その下の台座の材質を変えつつ見事にその間のヒエラルキーを表現。ベットは磨きがかかってる大理石でちょっと硬そう。台座はオレンジ色の大理石で布を表現してる。マリア様の服は抜け落ちるようなまろやかさ。これはすごく小さい教会にあって、最初、隣にあった大きくて立派な教会と間違えたほどこじんまりとしたところにありました。飛行機の時間が押してて急ぎ足だったけど来て良かった。ベルニーニ最高。
あとちょっと思った事を幾つか。バチカンの中にあった廊下。この廊下、すごく長いんだけどその間全ての天井と壁に絵画が掛かってる。これには圧巻。よく日本の空間っていうのは空間恐怖症みたいなところがあって隙間があったら埋めなきゃ気がすまないというのを聴くけどヨーロッパだって一緒じゃん。ラファエッロの間にあったこの絵はすごく色使いがうまいと思った。他の絵が暗い色を基調にしてるせいもあり重たく感じるのに対してこの絵はすごく軽い感じ。それが印象的だったので、写真を撮って置きました。パラパラ見をしていたので。で、後でガイドブックでラファエロだと気が付いたんですね。ミケランジェロの最後の審判は有名だったので知ってたけど何も感じずスタスタと去る。
ローマの街自体ははっきり言ってあまり巧い造り方はしてないなと思いました。つまり効率的ではないし無駄が一杯。効率的ってコルビジェチックな意味じゃなくてですよ。一つの原因は車だと思う。交通事情最悪。街分散しすぎ。住民何処にすんでるの?って感じ。そこがBCNとは決定的に違う点かな。一つ巧いなと思ったのは広告の使いかたですね。確か宗田さんが書いてらしたと思うけど、イタリアって広告規制がむちゃくちゃ厳しいんですね。ほとんどやらしてもらえないとか何とか。でそんな中、古代遺跡を地に現代広告がチラッとあったりするとすごく映える。これは本質的にはソート・デ・ムーラと同じ戦略ですね。あと空港からのアクセスはナカナカ良い。電車で20−30分程度。これはフランクフルト、バルセロナ並み。ただ料金が高い。フランクフルトが3.5ユーロ。バルセロナ3.5ユーロに対してローマ12ユーロ。ちょっとやりすぎ。それにしても今回の旅の収穫は大きかった。

| 旅行記:建築 | 04:57 | comments(0) | trackbacks(35) | このエントリーをはてなブックマークに追加