地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
(速報)カタルーニャ州議会選挙2012:カタルーニャ分離独立への国民投票は実施されず!
今日11月25日、バルセロナを中心とするカタルーニャ州では、スペイン、そして欧州全体に多大なる影響を与えかねないカタルーニャ州議会選挙が行われました。



今回の州議会選挙は実施前から、「カタルーニャ州にとって歴史に残るほど重要な選挙になる」と見られていたのですが、と言うのも昨今の経済危機の影響などから、未だかつて無い程にカタルーニャ分離独立への気運が社会全体で高まっており、スペイン中央政府を始め欧州委員会ですらその動向に注目するという状況にまでなっていたからなんですね(カタルーニャの独立志向についてはコチラ:地中海ブログ:もう一つの9月11日:カタルーニャの場合:グローバルの中に息づくローカリティ、地中海ブログ:メッシ(Messi)の赤ちゃん誕生報道に見るカタルーニャナショナリズムについて 、地中海ブログ:スペイン民主主義始まって以来の歴史的な:新カタルーニャ自治憲章案について



つまり今回の選挙は、「カタルーニャが今後もスペインと言う国の一部としてやっていくのか?」もしくは「スペインという沈没していく国を見放して、カタルーニャという新しい国としてやっていくのか?」という事を、「国民に審議してもらおう」という意味を伴った選挙となったという訳なんです。

‥‥と、ここまで読んできて、「なんか何処かで聞いた台詞だなー」と思ったそこの貴方!かなりのカタルーニャ通です(笑)!



そう、今から約100年前、現在我々が直面している問題と全く同じ状況に追い込まれ、「スペインと心中か?それとも独立か?」と言った事を真剣に考えた一人の詩人がいました。その人こそ、モデルニスモ期を代表する詩人であり、バルセロナオリンピックを成功に導いた伝説的なバルセロナ市長パスクアル・マラガル氏の祖父であるJoan Maragall氏だったのです(地中海ブログ:ガリシア旅行その1:田舎の風景の中にこそガリシア地方の本当の魅力は保持されている、地中海ブログ:国際オリンピック委員会(IOC)前会長のフアン・アントニオ・サマランチ(Juan Antonio Samaranch)氏死去)。



彼は、米西戦争(1898年)などで衰退の一途を辿っていたスペイン(マドリッド)に、果たして(経済的に勃興していた)カタルーニャが手を貸すべきなのか、どうなのか?を真剣に悩み抜き、最終的に「さらば、スペイン(Adios Espana!)」と言い放った人物だったのです。



そして今回、独立への気運が高まっている中、社会に後押しされるかの様に現カタルーニャ州政府大統領も:

「今回の選挙で過半数を獲得したら、独立か否かの国民投票を実施する!」

とまで言い出してしまう始末。それにいち早く反応したのが実はブリュッセルの欧州委員会で:

「もしもカタルーニャが独立した場合、EUからは出て行ってもらいます」

と、ちゃーんと釘を刺す事も忘れない所は流石(苦笑)。まあハッキリ言って、独立なんてスペイン政府が許す訳ないし、第一、独立に関する国民投票を行う事すらスペインの法律では禁止されてますからね。

勿論そんな事はカタルーニャ州政府大統領も分かってる訳で、彼ら(現与党)はそれが分かった上で「敢えて独立と言っている」と僕の眼には映ります。つまり「独立なんて出来っこ無い」と分かった上で、その様なポーズを取っていると僕には見えるという事です。となると、その裏にある真の目的は一体何なのか?

それは独立を盾とした税制改革です。

スペインの中でも大変生産力が高い事で知られるカタルーニャという地域(スペイン国内総生産の約2割を紡ぎ出している)は、中央政府(マドリッド)に過剰の税を搾取され、「カタルーニャ地方に再分配される富が少なく不公平である」と、ずっと主張し続けてきました。それでも経済が右肩上がりだった頃は、「まあ、いっか」で済んでいたのですが、平均失業率が25%を超え、若者に限ると50%を超えるという尋常じゃ無い状況に追い込まれた今、「何で我々がこんなにも余計な税を払わなきゃいけないんだ!どうして我々が稼いだ税金が他の地方の為に使われているんだ!」と言った不満が未だかつて無いほどに巻き起こり、世論が一気に独立へと傾いて行ったという背景があります。

‥‥と、そういうしている内に、今回の選挙結果がたった今出ました!

な、なんと、過半数(68議席)を取ると見られていた現与党(CiU)が50議席獲得で勝った事は勝ったのですが、前回の選挙から12議席も失うという劇的な結果に終わってしまいました。これは誰も予想していなかった事だと思います。僕もビックリしました!

この与党の惨敗が、果たしてカタラン人達の「カタルーニャ分離独立への否認なのかどうなのか?」という点についてはもう少し詳しい選挙結果を見るまでは何とも言えないかな。と言うのも、本当の意味での「独立」を純粋に押し出している左派政党ERCが劇的に獲得議席を伸ばしているからです(10議席から21議席へ)。

上述した様に、現与党(CiU)が掲げる「独立」は大変微妙な位置付けで、純粋な意味での独立とはニュアンスが違う、もしくは「カタラン人達が考えている独立とは違う意味で使っている」というのが僕の見る所であり、それ故に多くのカタラン人達の同意を得られなかったのだと思います。その一方で、過半数に至らなかったCiUが政権確立の為に何処と連立を組むのか?もしくは8年前と同じ様に、左派が連合を組む事になるのか?

その辺りも含めて、次回のエントリでゆっくりと分析していきたいと思います。
| スペイン政治 | 08:01 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ガリシア旅行その1:田舎の風景の中にこそガリシア地方の本当の魅力は保持されている
「ゴツ!」
・・・この音は一体何でしょう?



答えは長距離電車に乗ってたら急にカーブに差し掛かって、上のカゴから落ちてきたリンゴに頭を打った音でした(笑)。しかも結構痛かった(悲)。と言う訳で昨日から3週間程のバケーションの為にガリシア州はオウレンセ地方に来ています。

 
大きな地図で見る

何やかんやとスペインには10年程住んでいるのですが、実は今までガリシア地方に来た事は殆ど無くって、海産物が大変美味しい港湾都市ビーゴ(Vigo)と中世より巡礼者の聖地とされてきたサンティアゴ・デ・コンポステーラ(Santiago de Compostela)に少し立ち寄ったくらいだったんですね。



しかしですね、ガリシア地方の本当の魅力っていうのは、大都市周辺じゃなくって、そこから更に山奥に入った田舎地方に凝縮されていると言っても過言ではないと思います。そこには地中海地方を含めたスペインの他都市とは全く違った風景、一年を通じて比較的降水量が多い地方らしく、本当にうっとりとする様な豊かな大自然が広がっているんですね。そしてガリシア人というのは良い意味で「田舎者」であり、それこそこの地方の豊かな生活と伝統を保持している「本質でもある」という意味で、本当のガリシアの姿を知る為には、ア・コルーニャやサンティアゴ・デ・コンポステーラ、ビーゴといった大都市を訪れるだけでは全く見えてこないのでは?という思いが僕の心の中にずーっと巣くっていました。

と言う訳で今回はクソ暑いバルセロナの喧騒を離れて、思いっ切り、ガリシア地方、そしてそこから少し足をのばしてポルトガル北部の魅力を存分に味わってみたいと思います。

今回僕が滞在先に選んだのはガリシア州はオウレンセ地方にある小さな小さな村、Petin de Valdeorrasと言う人口500人程度の大変美しい村です。この村に行くにはビーゴまで飛行機で行ってそこから近郊電車に乗り換えて4−5時間っていうルートか、もしくはバルセロナから直通電車で10時間余りって言う、殆ど「究極の選択」と言っても過言ではない選択をしなきゃいけないんだけど、「まあ今回は電車に揺られながら風景を楽しみつつゆっくり行くか」と言う事で10時間コースを選びました。

バルセロナを朝9時に出て目的地に着いたのが夕方の20時近くだったんだけど、電車内で予期せぬ出来事が・・・。お昼ご飯を食べようと、ビジネスクラスと一般車両の間にある車内レストランに行った時の事、「何か、あっちの方に見た事のある人がいるなー」とか思って目を細めてたらビックリ!あ、あれは・・・



元カタルーニャ州政府大統領、パスクアル・マラガルさんじゃないですかー!!!何でも今回はお孫さんと一緒にプライベートな旅行に来たんだとかなんとか。服装も非常にラフな格好で、いつもと違って大変リラックスした雰囲気。でもさー、大統領、何で、一般車両で来てるんですか!!!って言うか、思いっ切り一般人の僕がビジネスクラスなんて乗っちゃって、何か申し訳無い様な気が・・・頼みますよー、大統領〜(悩)。

そんなこんなで20時前に目的地に到着〜。駅に降り立ってビックリしたのが、もう20時前だっていうのに、まだまだこんなに明るい!



バルセロナも最近は21時くらいまでは明るいんだけど、スペインの西の外れに位置するこの地方では日が落ちるのがカタルーニャ地方なんかに比べて1時間くらい遅くなるらしい。そんな長―い「夕方」を利用して夕食前の夕涼みに出てくる人が多いんだけど、みんなが散歩しに来るのがこの通りなんですね:



湖に面する、「これでもか!」というくらい空気が澄み渡っている宝石の様な風景です。いつまで見てても飽きる事が無い、そう、まるでここだけ時間が止まっているかの様な、そんな事を思わせてくれる風景・・・そして空を見上げれば、この地方に生息しつつも、絶滅種に指定されている、見た事もないような大きな大きな犬鷲が、優雅に羽を伸ばして飛んでいるのが見えます:



これから暫くの間、この静かな町を拠点に、疲れた心と体を休めつつ、あの鷲のように僕も思いっきり自由に羽を伸ばしたいと思っています。あー、楽しみだー!
| 旅行記:都市 | 22:41 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
速報:スペイン版アカデミー賞であるゴヤ賞(2011年)の発表:今年の大賞はPa Negre
スペイン版のアカデミー賞と言われるゴヤ賞の発表がたった今あったのですが、今年の最優秀映画賞はPa Negreに贈られました。カタラン語で撮られた映画、Pa Negreが最優秀映画賞に輝いた事は個人的にはかなり驚きでした。

実は今年の最優秀映画賞ノミネート作品は、その発表があった時から様々な噂が絶えなかったのですが、と言うのもノミネート作品の一つ、”Balada triste de trompeta
の監督でありスペイン映画芸術科学アカデミーの会長でもあるAlex de la Iglesiaは、最近スペイン社会全体で物議を醸し出している違法サイト取り締まりに関する新しい法案、Ley Sindeに唯一反対している監督であり、その事で文化大臣(Angeles Gonzales-Sindeと大喧嘩して、今季限りで会長職を退く事を発表したりしてたんですね(スペインの違法サイト取り締まりについてはコチラ:地中海ブログ:スペインの違法サイト取締り法規について)。

そしてもう一つ僕にとって印象的だったのは、最近、アルツハイマーである事を発表したパスクアル•マラガル前カタルーニャ州政府大統領の生活に密着した作品、
Bicicleta, Cuchara, Manzanaにドキュメンタリー部門の最優秀賞が贈られた事です(地中海ブログ:パスクアル・マラガイ(Pasqual Maragall)という政治家2)。

仕事や研究などを通して、「今日のバルセロナの発展があるのは彼のおかげ」と言う事が痛い程分かるが故に、そんな彼が病気だと知った時ははっきり言ってかなりショックでした。発表会見に居合わした記者の何人かは、涙を流していた人さえ居たくらい、当時のカタルーニャ社会に与えたインパクトと言うのは大きかったと思います。そんな彼が今でも病気に負けずと立ち向かっている姿、それは僕達に大変大きな勇気を与えてくれます。そしてそれは多分、彼の事を知っている人に限らず、カタルーニャに住む全ての人に取って限り無い喜びだと思います。


おめでとうー、マラガル元大統領!


さて、
Pa Negreの大賞受賞と言う結果に終わった今年のゴヤ賞なのですが、明日の新聞には、Alex de la IglesiaAngeles Gonzales-Sinde文化大臣のLey Sindeを巡る議論が大きく載る事だろうと思います。多分、今日のゴヤ賞授賞式が、スペインにおける著作権問題に大きく火をつけるのでは?とさえ思います。要注目です。
| 映画批評 | 09:11 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
バルセロナの古本市2010
今週辺りからバルセロナはぐっと気温が下がり、朝方毛布が必要な時期になってきました。人間って勝手なもので、無茶苦茶暑かった時には「早く涼しくなれ!」とか思ってるんだけど、イザ涼しくなって見ると、「やっぱ暖かい方が良いよな」とか言ってる自分がいる。何て身勝手な生き物なんだ!僕だけか?(苦笑)でも、こういう矛盾した感情を抱えてる生き物こそ人間と言う証なんだし、そういう時こそ、「あー、生きてる」って実感出来る瞬間でもあるんですよね(と、そういう事にしておこう(冷汗))。

さて、毎年この涼しくなる季節にバルセロナの中心街で行われる僕が非常に楽しみにしている年中行事があります。それが一年に一回開かれる、バルセロナ青空古本市なんですね。



カタルーニャ広場からカサ・バトリョがある辺りまで、グラシア通りの両脇に所狭しと並べられたテントの中には、沢山の古本や古地図がずらーっと並べられ、古本好きのカタラン人や観光客で例年大賑わいを見せています。かく言う僕も昔から古本が大好きでこのお祭りを大変楽しみにしている者の一人なんですが、何故に僕が古本市が好きかと言うとですね、それは「予定調和的では無い出会いが待っているから」なんですね。これは僕が旅行好きと言う事と関係しているのかも知れないんだけど、僕にとって、旅行の醍醐味と言うのは全く予期せぬものとの出会いにあると思うんですよ。「事前に調べ上げて現物を見に行く」って言う楽しみも勿論あるんだけど、個人的には全く予想もしなかったものと出会った時の方が感動が大きいんですよね。それが一昨年偶然にも発見したベルニーニであり、昨年不意に出会ってしまったカミーユ・クローデルだったりした訳です(地中海ブログ:ベルニーニ(Bernini)の彫刻その1:サン・フランチェスコ・ア・リーバ教会(San Francesco a Ripa)にあるルドヴィーカ・アルベルトーニ(Beata Ludovica Albertoni)、地中海ブログ:パリ旅行その5:カミーユ・クローデル(Camille Claudel)の芸術:内なる感情を全体で表している彫刻作品、もしくは彼女の人生そのも

古本市もこれと同じ事が起こり得て、4年程前に全く偶然出会ってしまった本がコチラでした:



プッチ・イ・ボアダ(Isidre Puig i Boada)さんと言うガウディ研究の方が書かれたコロニア・グエルに関する本なのですが、とある古本屋のテントの片隅でこの本の表紙のデザインを見た瞬間、目を離す事が出来なくなってしまい思わず衝動買いしてしまった一品だったんですね。良い本と言うのはその本自体が力を持ってると言うか、何かしらの魅力を放っていると思うのですが、その時は中身を確認せずに「きっと良い本だろう」と確信してルンルン気分で家に帰ったんだけど、夕食後本を捲っていてビックリ!裏表紙の所に著者のボアダさん自身が書かれたと見られるメッセージとサインがあるじゃないですか!!



しかもこのメッセージは見る人が見れば歴史的価値があるものだと一目で分かるものだし・・・(興味のある方はコチラ:地中海ブログ:アントニ・ガウディ(Antoni Gaudi)の建築:コロニア・グエル(Colonia Guell)その4:プッチ・ボアーダ(Puig i Boada)とジョアン・マラガル(Joan Maragall):ガウディ新資料発見か

こんな体験も手伝ってか、毎年このお祭りには何かある!と言う全く根拠の無い自信と期待を抱きつつ、毎年来るのを楽しみにしていると、まあ、こういう訳なんです。そんなこんなで天気の良かった昨日の午後はグラシア大通りを5時間掛けて4往復してきたのですが、とある古本屋に入った時に目に留まったのがコチラ:



じゃーん、皆さんお馴染みのGA JAPANです。そう、何と、結構な数のGA JAPANのバックナンバーが山積みで置かれてたんですね。懐かしさも手伝って、かなりの時間立ち読みしてしまったのですが、その中でも特に懐かしいこの号(No.18, 1996-1/2)を買っちゃいました(ちなみにお値段の方は一冊3ユーロ、2冊でも5ユーロと言う超お買い得!)



この号が発売された当初、僕は未だ高校生だったのですが、本屋でこの号を見つけた瞬間、表紙の写真が余りにも美しく衝撃的だったので即買いしてしまった事を今でも覚えています。勿論その当時は建築を取り巻く状況なんて殆ど無知でこの本を買ったのは全くの偶然だったんだけど、この号は本当に素晴らしくて、谷口吉生さんの豊田市美術館、安藤忠雄さんのユネスコ瞑想の庭、槙文彦さんの東京キリスト教の教会と風の丘の葬祭場の計画案なんかが収録されているんですよ。更に批評座談会も二川さん、磯崎さんそして鈴木博之さんを交えた豊田市美術館の○と×、更に石山修武さんや原広司さんを交えた建築の総括と展望なんかも収録されていると言う奇跡の一冊なんですね。学生の頃はそれこそ穴が明く程見てたんだけど、まさかバルセロナで再びお目にかかる事が出来るとは夢にも思いませんでした。

そんな中でも僕が昔からかなり感動して読んでいたのが、谷口吉生建築設計事務所の宣卓さんによる豊田市美術館の材料調達時のエピソードなどを綴った文章でした(P40-41,豊田市美術館材料と工法)。この文章の核心は、豊田市美術館の印象を決定付けている外皮に用いられている大量の緑色のスレートを何処から調達し、どう加工するかと言う苦労話なんだけど、そもそも屋根材などにしか使われていなかったスレートは小さいサイズでしか市場では扱われていなかったらしく、あれだけ大きなサイズを同じ様な質で大量に確保するのは相当難しかったそうなんですね。更に北米産のバーモントスレートは加工が非常に難しいらしく、結局、石の質を確保する為に、アメリカで石を一時加工しておいて、そのまま船で輸送、そして名古屋港でウォータージェットで2次加工して現地に運ぶみたいな事をやっていたそうです。更に更に、表面に風合いを出す為に丹念に削ったり、加工が上手くいかなかった石は、床材に転用したり、はたまた、あれだけサイズの大きな石を取り付ける際、職人が仕事をしやすいようにと、足場を通常よりも壁から離して設置したと言う様な事まで考案していたらしい。

では、谷口さんは何故にそれ程まで、あの緑の石の質や精度を確保する事に躍起になったのか?それは、あの表皮を覆う大きな大きな石のサイズと精度こそが、この美術館の質を左右するという確信があったからなんでしょうね。



個人的に思うのですが、バルセロナにあるミースパビリオンも同じ様な事が言えて、あの建築が醸し出している信じられない様な建築の質は、ある意味で、表面を覆っているあの大理石のサイズと、その精度にあると思います。特にあのサイズが重要。あれがもっと小さかったりしたら、あのパビリオンは全く違ったものになってたと思う(地中海ブログ:ミース・ファン・デル・ローエ・パビリオン(Mies van der Rohe Pavilion/ バルセロナパビリオンBarcelona Pavilion:アントニ・ムンタダス(Antoni Muntadas)のインスタレーションその)。

それが分かっているからこそ、谷口さんはあの緑の石の質の確保にあれ程までの執念を掲げたんだと思います。素晴らしい執念です。そして、あんな素晴らしいデザインの裏には、目に見えない途方も無い努力が隠されていると言う事も僕達は知っておいた方が良い。一見、ごく単純に見える一本の線、一枚の壁の裏側には、凄まじい程の努力や技術が隠されていると言う事、それも「どんな形にするか」と言う、形やデザインの努力だけではなくて、それらの材料を何処から調達し、どうやって運び込み、どうやって現場で組み立てるのか?などと言った、凄まじい程の努力の結晶が、それら単純な線や壁になっている訳なんですよね。

そんな単純な一本の線から、その裏に隠された深い物語が見えるかどうか?は自分次第。自分にどれだけ深い知識とそれを見通す目があるかどうかなんですね。一見、建築と言うはその建物を「鑑賞者」が評価している様に見えるんだけど、本当に良い建築と言うのは、実は見ている「こちら側」が、その建築によって試されていると言う事が多々あります。正にミースパビリオンや豊田市美術館のような建築は、それらを体現する数少ない建築の内の一つだと思います。

日々精進だという事ですね。
| 建築 | 04:08 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
バルセロナに出来た新しい建築学校その1:Barcelona Institute of Architecture:山本理顕さんとか、都市のマーケティングとか
今週の月曜日の事だったのですが、バルセロナに新しく出来た建築学校、Barcelona Institute of Architectureの開校を記念するオープニングセレモニーへ行って来ました。マスターコースを機軸とするこの建築学校は、デザイン教育や建築の歴史文化教育を通して、グローバリゼーションが席巻する現代社会の中においても通用する建築家を育てる事を目的としているそうなんですね。結構大々的に宣伝もされてたし、オープニングセレモニーには今や世界的規模でグローバルに活躍している日本人建築家、山本理顕さんが招待されている事だし、「ちょっと行ってみるか」と言うかなり軽い気持で行ってきました。



このオープニングレクチャーは世界中から観光客を集め続けるガウディ建築、カサ・ミラ(La Pedrera)で行われたのですが、会場は「超」が付く程の満員御礼状態。さすがに世界のRiken Yamamoto!スペインでも大人気です。先日スペインでも大々的に報じられたチューリッヒ空港複合施設コンペを勝ち取ったと言うタイミングとも重なり、今正に建築界では「時の人」と言っても過言では無いと思います。



そんな事情があるにせよ、凄い数の報道陣が詰め掛けていて、「時の人とは言え、ちょっと大袈裟じゃないの?」とか思っていたら、その理由は直ぐに判明。どうやら現バルセロナ市長と、前バルセロナ市長であり防衛大臣も勤めた経験がある大物政治家、ナルシス・セラ氏がこのオープニングに駆けつけていたからだったようです(地中海ブログ:スペイン、サパテロ新内閣(Jose Luis Rodriguez Zapatero))。むむむ・・・学校のオープニングと絡めたメディアへの露出を狙った都市の宣伝手法、そしてそれを実現するだけの政治的な根回しはナカナカ上手いなー。やるな、コーディネーターのJ君!(実は偶然にもこの学校の立ち上げ、そして運営をしているのは僕のメトロポリス時代の同級生だったJ君なんですね。ついこの間まで飲みながら馬鹿な事を言ってたかと思ったら、しっかりこんな仕事までしてるとは。時が経つのは早いなー)。

さて山本さんと言えば、最近では東浩紀さんなんかと、「地域社会圏モデル(だったっけ?)」なんかを出版したりして、個人的に大変興味のある、「Twitterなどの新しいテクノロジーが我々の社会にどう影響を与えるのか?」そして「そんな中で建築家はどういった社会像を提案していけるのか?」と言う問題の中心に居る人だと理解しています(地中海ブログ:東さんの「SNS直接民主制」とかマニュエル・カステル(Manuel Castells)Movilizacionとか)。今日はその辺の話が聞けるのかな?とか期待してたんだけど、さすがにその辺りの話には触れられてませんでしたね。

それとは別に、僕的には少し気になる事が。

どうやら山本さんは現在、横浜国立大学にある都市建築スクール(って言うのかな?)と言う所で教鞭を執られているらしいのですが、そこで試みられている方向性はBarcelona Institute of Architectureが目指している方向性と同じ様なものだと感じたとの事。僕は横浜の建築スクールは勿論、バルセロナのこの新しい学校が何を目指しているのかさえもあまり良く理解していないのですが、話のニュアンスからすると、ハードだけではなくソフトの部分である社会とかその中で営まれているルールとか、そういうものにまで建築の枠を広げていって、そこの所を行政、大学、企業など様々な枠を取り払って議論していきましょう、とそう言う事なのかな?と感じました。

そして山本さんが特に強調されていたのが、バルセロナ市役所とこの建築学校との近しい関係についてだったのですが、つまり学生が都市や建築について議論した事が、市役所と密な関係を持つ教授陣達によって都市に適応される可能性があると、まあ、こんなイメージだと思います。

確かにフランコ政権以降、オリンピックに向けてバルセロナが「行くぞー」と上り坂だった時などは、地元のカタルーニャ工科大学と市役所の密な関係がものすごいシナジーを生み出し、都市の活性化がずば抜けて上手くいったと言う時期があった事は確かです。バルセロナの大ファンであるリチャード・ロジャースなんかは、その密なコラボレーションがバルセロナの都市計画や都市戦略が次々に大成功している要因であり、当時のバルセロナ市長だったパスクアル・マラガルなどは、そのような状況を

「市当局と建築学校の幸せな結婚を通した公共空間のデザインの質
("the happy marriage between city hall and the school of architecture)("Foreward", in Towards an Urban Renaissance, p.5-6, London, E&FN Spon)

と表している程なんですね(地中海ブログ:
リチャード・ロジャース展覧会(Richard Rogers + Arquitectes: De la casa a la ciudad))。この古き良き時代の記憶が現代に生きる人々の中で勝手に美化され、後にバルセロナの都市計画を神話にまで押し上げる「バルセロナモデルとしてのイメージ」が出来上がったんだと思います。

今回の新しいバルセロナの建築学校と市役所の蜜なコラボと言うイメージも実はこの幻想の上に載っかってるだけじゃないのかな?まあ、そうする為にわざわざオープニングセレモニーにバルセロナ市長を呼んだり、講演会の場所をガウディの建築で行ったり、それを報道陣に公開して記事をバシバシ書いてもらったりと言う、「バルセロナ=建築の街と言うイメージ」を創り出す為に成された多大なる努力と、マーケティングの上手さには頭が下がりますけどね。

バルセロナに出来た新しい建築学校その2Barcelona Institutes of Architecture:バルセロナ建築スクールの諸問題についてに続く。
| 大学・研究 | 22:51 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
国際オリンピック委員会(IOC)前会長のフアン・アントニオ・サマランチ(Juan Antonio Samaranch)氏死去
昨日Twitterの速報でお伝えした様に、421日午後125分、国際オリンピック委員会前会長のサマランチ氏が心臓疾患の為死去されました。89歳でした。カタラン社会には衝撃と共に深い悲しみが都市を多い尽くしています。昨日まで雲ひとつ無かった地中海の空も、その悲しみを汲み取っているかの様に、今では泣き出しそうな曇り空に変わっています。



世界的に影響の大きかった人物の訃報だけに、昨日から各国の各種メディアは競ってこのニュースを伝えているのですが、それらの報道やネット上での議論などを見ていると、サマランチ氏に対するイメージが日本とスペインでは両極端に違う事に気が付かされます。一言で言うと、日本では「金や権力に汚れた政治家」というイメージが強いのに対して、カタルーニャもしくはスペインでは国民的英雄といった扱いを受けているんですね。

この点はちょっと驚くべき事で、特に独裁政権下でフランコ側の人間だったという点にカタラン人はもっと敏感に反応してもいいと思うんだけど、そうはなっていない。反対に「これでもか!」と強調されているのが、1992年のオリンピック誘致を通して彼が貢献したバルセロナの都市化についてです。

バルセロナが今の繁栄を誇っていられるのは明らかに1992年のバルセロナオリンピック誘致によるインフラ等の整備が大きなポイントとなっています。あの誘致無しではバルセロナはバルセロナ足り得なかったと言っても過言ではありません。

その事に関して、今日の新聞に民主化後初の市長となったナルシス・セラ(Narcis Serra)氏の大変興味深い記事が載っていたのですが、彼によるとサマランチ氏がバルセロナにオリンピック誘致を持ちかけたのは1979年、スペインが民主化して間も無い頃だという事なんですね。

“ …no hacia ni seis meses que se habian producido las primeras elecciones municipales cuando en verano de 1979 Juan Antonio Samaranch me llamo para proponerme una conversación discreta entre los dos. Acordamos vernos en la manana de un sabado, cuando la Casa Gran estaba mas tranquila. Era embajador en Moscu y, sin rodeos, me planteo su idea: en caso de ser elegido presidente del Comité Olimpico Internacional me proponia luchar para que Barcelona obtuviera los Juegos Olimpicos del ano 1992…” (La Vanguardia, 22 de Abril 2010, P61)

1979年の夏、民主化後初めての選挙が終わって未だ6ヶ月も経っていない頃、サマランチ氏が「二人だけで話したい事がある」と電話をかけてきました。そこで市役所が静まり返る土曜日の朝に会う事にしたのです。その時彼は未だスペインの駐ソ連大使だったのですが、次期選挙で彼がIOCの会長に選出された際には、私に1992年のオリンピック候補地として名乗りを上げろと提案してきたのです。」

むむむ・・・この告白はオリンピックの歴史と絡めて読むと結構面白くて、というのも、サマランチ氏が導入した新しいシステムによってオリンピックが商業的に大成功したのが1984年のロサンゼルスオリンピックだと言われています。彼はこの大会でスポンサーシップなどを利用して、それまで大赤字を出し続けていたオリンピックを見事黒字に転換する事に成功したんですね。しかしですね、サマランチ氏がバルセロナに誘致を持ちかけたのは、それよりも5年も早い1979年の時点であるという事が上のインタビューでは明らかになっている訳ですよ。

何が言いたいか?

つまりもう既にこの時点で彼はオリンピックが都市にもたらすであろう莫大な利益や恩恵のシナリオ、そのポテンシャルに気が付いていた、世界広しと言えども数少ない識者の内の一人だったと言う訳です。

その後、ロサンゼルスオリンピックの大成功を目の当たりにした世界中の都市が次々と次期候補地として競って名乗りを挙げるようになるのですが、その遥か前から手を打っていたバルセロナから見れば「時既に遅し」という感じでしょうか。

彼のこの先見の明は注目に値するものがあると思います。

そしてそんな彼が残した数ある格言の中でも伝説となっているのが、1986年、ローザンヌで開かれた次期オリンピック開催都市発表に関する次の言葉です:

 “ a la ville de….Barcelona!”

「次の開催都市は・・・・バルセロナです!」



バルセロナのカリスマ市長(19821997)だった若き日のパスクアル・マラガル(Pasqual Magagall)氏も満面の笑みを浮かべ、その瞬間の喜びを表しています(地中海ブログ:パスクアル・マラガイ(Pasqual Maragall)という政治家2)。若いなー、マラガルさん!そんな彼が、共にバルセロナを創ってきた戦友にこんな別れの文を書いています:

”…a mi me quedan dos imagines de Samaranch por encima de las otras: la del 17 de octubre de 1986 cuando abrio el sobre y con satisfaccion autocontenida, dijo: “a la ville de Barcelona”, y la del 9 de agosto de 1992 cuando, sin contenerse, clausuro los Juegos Olimpicos proclamandolos “ los mejores Juegos de la historia”. Gracias, Juan Antonio.”
Pasqual Maragall
(La Vanguardia, 23 de Abril 2010, P59)


「私には彼(サマランチ)に関する2つのイメージがそれまでのどの場面よりも印象深く心に残っている:一つ目は1986年の1017日、封筒を空け、溢れる様な逸る気持ちを抑えながら、「次の開催都市は・・・バルセロナです!」と言った時の場面。そしてもう一つは1992年の89日、目一杯の喜びと共に、「オリンピックの歴史の中で最高の幕開けです」とバルセロナオリンピックを宣言した時の場面。ありがとうフアン・アントニオ。

オリンピック無しでは今のバルセロナの繁栄は無かったと言っても過言ではありません。そしてそのオリンピック誘致はサマランチ氏の尽力無しでは到底不可能だったと思います。様々な批判はあったけど、間違いなく言える事は、彼は彼の故郷であるバルセロナが大好きだったという事です。そしてそんなバルセロナが大好きな彼の事が、同じくバルセロナが大好きなカタラン人も大好きだった。それは紛れも無い事実です。

ご冥福をお祈り致します。
| スペイン政治 | 23:05 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ディアゴナル通り(Avenida Diagonal)改造計画案に対する建築家達の面白い反応:コーディネーターという建築家の新たなる職能
先週木曜日の事だったのですが、現バルセロナ市長(Jordi Heleu)が長年温めていたディアゴナル大通り(Avenida Diagonal)の将来計画案が正式に発表されました。

多分、欧州都市の市長なら誰でもそうだと思うのですが、「自分の任期中に何か後世に残るような都市改造を手がけたい」という強い願望を持って日々の職務に当たっている事だと思うんですね。バルセロナに限って言うなら、1982年から1997年まで市長を務めたパスクアル・マラガル氏(Pascual Maragall)はバルセロナオリンピックを成功に導き、民主化後の新たなる都市の骨格を築き上げました(地中海ブログ:パスクアル・マラガイ(Pasqual Maragall)という政治家2)。1997年から2006年まで市長を務めたジョアン・クロス氏(Joan Clos)はUNESCO主導のForum2004をバルセロナに誘致し、22BCNエリアを含む一帯の大規模改革に着手し始めました(地中海ブログ:バルセロナ都市戦略:イベント発展型)。そして今回、ジョルディ・ヘレウ市長がやろうとしている事、それがバルセロナを斜めに貫くディアゴナル大通りの大改造と言う訳です。

彼がやろうとしている都市改造案の本質的なアイデアは至ってシンプルで、「街中から車を減らし、公共交通機関を充実させる事によって歩行者優先の街にしよう」と言う事なんですね。具体的にはディアゴナル大通りの端から端まで路面電車を走らせる事によって、今まで車に占拠されていた空間を緑溢れる歩行者空間に変える事が目論ろまれています。そんなアイデアに基ついて今回市長が提案したのは以下の3案:





1つ目の案は道路の真ん中に路面電車、その両脇に車道とバス専用路線を持ってきて、大通りの両隅を歩行者に開放するという案。





2つ目の案は道路の真ん中をランブラス通りのように歩行者空間にして、その両脇に路面電車と車道、バス専用路線を持ってくると言う案。この案は、現在の22BCN地区で既に採用されている車道構成に非常に近い案となっています。

そして3つ目の案は現状維持。そのまま何も変えないという案です。

この都市改造計画案は近年稀に見る大事業であり、市民の生活に多大なる影響を及ぼす事から、今週木曜日にこの案が発表されて以来、各種メディアは連日この話題を取り上げています。今日も例に漏れずEL Pais紙、La Vanguardia紙、共に多くの紙面を割いていたのですが、その中でちょっと見逃せない記事がありました。El Pais紙が様々な分野の識者(建築家3人、交通工学技師2人、近隣住民組合代表一人、商工会議所代表一人)にインタビューを行い、その結果を載せていたのですが、それがちょっと面白かった。

交通工学技師の2人は僕も良く知っている人達で、2人とも概ね賛成に回っています。その内の一人は「更なる現状調査と将来予測の研究が必要だ」という趣旨の事を訴えていますが、まあ、真っ当でしょうね。

3
人の建築家の内、バルセロナ市のご意見番であるOriol Bohigas氏は「どちらの案が優れているかを語る為には交通データが少なすぎる」と判断材料が少なすぎると言う理由から意見を保留。Carme Pinos氏(ミラージェスの元パートナー)も同じ理由から意見を保留にしています。さすがに2人共、都市計画の経験が豊富であり、公共の場で自分の良く知らないテーマを聞かれた時の逃げ方を知っています。非常に賢い選択です。そんな中、僕が注目したのはもう一人の建築家、先日スペイン建築大賞を(何故か)受賞したCarles Ferrater氏の意見です。彼は:

300万人が住んでいる地域に、路面電車は適当な策では無い。」

と言い切っています。ほー、面白い意見です。

この計画にはバルセロナが誇る交通シュミレーションの世界的権威Jさん、カタルーニャ先進交通センター所長のFさん、更に外部顧問として何人か専門家を招いて特殊チームを創出し万全の体制を取りつつ計画を進めているのですが、それは何故かと言うと、主要幹線を歩行者空間にするに当たっては今までそこを走っていた車が何処へ行くか?という問題を含めて様々な問題が溢れ出る事が目に見えているからです。そしてその基礎データとなるのが、交通OD表データだったりするんだけど、都市計画を扱った事のある建築家なら誰でもその重要性は認識しているはず。だからOriol BohigasCarme Pinosなどは保留と言う態度を通して「その土俵では戦わない」と言っている訳なんですね。その一方で・・・。

えっと、都市計画というのは様々な分野の人達がコラボレートする事を可能にするプラットフォームです。逆に言えば、都市というのは様々な職能の人達が集まって議論しないと上手く問題が解決出来ないような大変複雑な対象なんですね。そんな状況下では、自分がどの様な立ち位置に立つのか?そこから自分の専門性を生かしてどのような意見を表明するのか?が非常に重要な鍵になってきます。

建築家はエンジニアの様に、数式を用いてデータを整理したり、統計を武器に需要と供給の関係を導き出したりと言った事には不向きな職能です。それよりは大枠で問題を理解しながらも、異なる職能の人達の様々な意見を聞きつつ、最終的にはどんな空間に落ち着かせて行くのか?という方向性を「視覚的に示す事」に非常に長けた職能だと思います。つまり全体のビジョンを示す「コーディネーター的能力」こそ、建築家が貢献しうる(出来る)役割だと思う訳です。これは全体を見渡す広い見識と眼を持ち、それらをベースとして「創造力」を武器に闘っていく、建築家にしか出来ない役割です。

僕も今は交通工学の専門家や各種エンジニア達の間で「建築家」として働いているので、このような自分の立ち位置に関する問題や、「建築家の職能」というテーマに異常に敏感に反応してしまうのかも知れません。しかし、建築家という伝統ある職能が変容を迫られている今、そのようなテーマを掘り下げるのは必要であると思うし、何より僕自身、今は色んな事を見て知識を増やし、実際の体験として僕の中に蓄積したい時期なんですね。

良い意味でも悪い意味でも、「経験豊富な人達から学ぶ事は山程あるなー」と今日の記事を読んでいて思い知らされました。
| バルセロナ都市 | 07:34 | comments(4) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
阿部大輔さんと熊谷亮平さんにお会いしました
又々、とっても嬉しい出会いがありました。

バルセロナ都市計画の研究をされている阿部大輔さんと、建築保存の研究をされている熊谷亮平さんにお会いしました。阿部さんとは去年の12月以来(詳しくはコチラ:地中海ブログ:とっても嬉しい出会い:阿部大輔さんとバルセロナの居酒屋をハシゴする)、熊谷さんとは初のご対面です。

阿部さんはつい先日、初の単著である「バルセロナ旧市街の再生戦略ー公共空間の創出による界隈の回復」を出版され、今や押しも押されもせぬバルセロナ都市計画の第一人者。阿部さん本人からサイン入りで頂いてしまいました。嬉しいー!!!ありがとう―、阿部さん!

そして熊谷さんは何と、あの、スペイン建築保存界の重鎮、サルバドール・タラゴの下で研究(Master)を纏められたのだとか。へぇー、へぇー、へぇー。

サルバドール・タラゴと言えば、セルダ研究で知られているFrancesc Magriynaを弟子に抱えていたり、ヨーロッパ中に名が轟いている、歩行者空間の専門家、Ole Thorsonさんと同室で仲良しだったりと、間接的ながらも、僕も何かと繋がりがある人だったりします。タラゴ自身はそんなに前面に出てくる人でも無いんだけど、「知る人ぞ知る」っていう保存のスペシャリストです。

さて、そんな彼らと数軒のバルをハシゴした一昨日の夜は本当に楽しかった。3人共、同じ時期に同じ都市に住み、同じ空気を吸い、同じ様な興味を持っているので、すごく話が合うんですね。バルセロナという都市を仲介にしながらも、ちょっとずつ微妙にお互いの立ち位置が違う為、色んな角度からバルセロナを見る事が出来、自分の知らなかったバルセロナ像が浮かび上がったりする瞬間はすごくエキサイティング!こんな時、やっぱり仲間って良いなー、とか思ってしまいます。それに年が近いので、抱えている悩みも皆同じですしね(公私共にね(笑))。

目一杯バルセロナの事を語り、目一杯幸せな、こんな時間を過ごしていると、ふと、最近思う事があります。

「バルセロナって一体何なんだ?」と。

安部さんや熊谷さん、そして僕を魅了してやまない都市、バルセロナ。今まで数々の人達がこの都市に恋をし、その人の人生さえも変えてしまうバルセロナという都市。

昨日頂いた阿部さんの著作をパラパラと捲っていたら、バルセロナでの彼の指導教官だったフェラン・サガーラのこんな一言が目に留まりました:

「・・・なぜバルセロナの旧市街が彼(阿部さん)をここまで惹き付けるのか。・・・」

ここなんですよね。

何故我々はこんなにもこの都市に惹き付けられるのか?ひいては、何がこの都市をこれ程までに特別なものにしているのか?

今まで世に出た数々のガイドブックや専門書、研究書などはバルセロナの魅力を、ある一つの面を切り口として描き出そうとしてきた試みだと見る事が出来ます。ある人はガウディの生涯を追う事によって、又、ある人はカタランの伝統料理を調べ上げる事によって。それらはみんな、バルセロナという都市に対するラブレターなんじゃないのかな?と思うんですね。何故ならその根底にあるのは、「バルセロナが好きだ」という思いに他ならないからです。そしてココに、都市計画を切り口としたラブレターがもう一冊加わった・・・。

今でも重版を続けている、バルセロナの入門書としては異例の人気を誇るロバート・ヒューズ(Robert Hughes)の「バルセロナ―ある地中海都市の歴史」はこんな締めくくり方をしています:

(詩人であったジョアン・マラガルは)「バルセロナ!罪だらけだが、お前は我々の街だ!我々のバルセロナ、偉大な魔女よ!」と続けている。この詩句の中には、今でも真実が含まれている。(P510)

そう、我々を魅了して止まないバルセロナという街は一種の魔女のような存在で、我々は魔法にかけられているのかも知れません。しかし魔法にだってきっと種はある。「海があり山があり、海産物が美味しくて何時も晴れ」という自然の恵みの影に隠れて出てこないマジックの種。理解不能な事を全て「地中海の恵み」という分かり易いカテゴリーに入れてしまうのでは無くて、その裏にある「見えないシステム」に光を当てる事。それこそ阿部さんが一連の研究で試みられた事であり、最初の足がかりを作ってくれた成果であり、今後僕らに課せられた課題だと思うんですね。

そんな事も思いつつ、色んな話もしつつ、冗談も交えながら、又、飲み歩けたらなと思っています。お二方共、今回はどうも、楽しい時間をありがとうございました。
| バルセロナ日常 | 20:33 | comments(3) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
欧州議会選挙結果:スペインとカタルーニャの場合:Escucha Catalunya!
選挙から一夜明け、今朝の新聞は当然の事ながら各紙、昨日の選挙結果とその分析を伝えています。

昨日の速報でお伝えした様に、スペインでは保守政党の民衆党(PP)がスペイン社会労働党(PSOE)を巻き返し、勝利するという結果に終わりました。獲得投票数はPPが42.2%(2004年時には43.4%)、PSOEが38.5%(2004年時には41.2%)となり、獲得議席はそれぞれ23議席、21議席という結果になっています。

伝統的に左派が強いカタルーニャに限っていて見ると、カタルーニャ社会労働党(PSC)が35.95%(2004年時には42.8%)、カタルーニャ保守政党のCiUが22.4%(2004年時には17.4%)、スペイン保守政党のPPが18%(2004年時には17.8%)という結果になりました。

ヨーロッパの他諸国と同様に、スペインでも左派の票が減りましたね。まあ、総選挙を間近に控えたドイツなどと違い、この欧州議会選挙が総選挙の前哨戦という見方は出来ないにしろ、この結果(左派敗北)は現政権に対する最初の警告であるという見方は出来ると思います。

さて、それよりも僕が気になったのは今回の投票率です。スペインでは投票率が46.0%。2004年の投票率が45.1%という事を考慮すると、若干伸びました。しかしですね、カタルーニャに限って見てみると、愕然とする現実が浮かび上がってきます。今回の投票率なんと、37.5%。2004年時には39.8%。つまり2.5%近く下がっています。

あのね、カタラン人の皆さんねー、普段はマドリッドがカタランを搾取しているー!とか、マドリッドのせいでAVEの建設が遅れてるー!とか、マドリッドが予算配分を不均等にしてるー!とか、サグレラ駅が早く作りたいのにマドリッドのせいで一向に進まないー!とか、カタラン語の授業時間をもっと増やせー!とか、サルコジは何であんなに猿顔なのに、カルラ・ブルーニみたいなきれいな女性と結婚出来るんだー‥‥それは違うだろ!とかね、色々と文句を言うのは全然問題無いし、このグローバリゼーションの中において、自分のアイデンティティを守っていこうというその姿勢には、時々尊敬すら覚えるんだけど、今回ばかりはちょっとまずいですよ。

選挙で意思表示をしないというのは、民主主義社会において最低の行為です。もし、どの政党も気に入らないんだったら白紙票を入れれば良い。

もしかしたら、この低い投票率が表しているのは、欧州連合という存在がカタラン人一人一人にとっては、未だ遠い存在だという事を表しているのかも知れない。

しかし、それじゃあ、過去にマラガル元カタルーニャ州政府大統領やプジョール元カタルーニャ州政府大統領が、カタルーニャを如何にヨーロッパという大海において認識させよう、小さな地域がボトムアップでリーダーシップを発揮していこうと、がんばってきた努力が報われないじゃないですか。

みんな、あまり歴史には興味が無いかも知れないけど、かつてマラガル(Pasqual Maragall)がCEMR(Council of European Municipalities and Regions)のPresident(1992-1997)を、プジョール(Jordi Pujol)がARE(Assembly of European Regions)のPresident(1992-1996)を務め、本当にカタルーニャがEUのイニシアティブを取ろうと必死に努力していた事くらいは知っておいても良いと思います。

更にもっと以前には、マラガルの祖父であり詩人でもあったJoan Maragallが 米西戦争などで衰退の一途を辿るスペイン(マドリッド)に、経済的に勃興していたカタルーニャが果たして手を貸すべきかどうか?を悩み、最終的に「さらばスペイン(Adios Espana!)」と言い放ちましたよね。つまりカタルーニャが祖国を見捨ててまでも、ヨーロッパという大海において独自の道を探す覚悟が描き出されていたんですね。

今回の投票率は,それら先人達が積み重ねて来た努力を踏みにじる行為だと言ったら言い過ぎでしょうか。

ちょっとがっかりしちゃったなー。バナナ食べて寝よ。
| スペイン政治 | 23:01 | comments(4) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
リチャード・ロジャース展覧会(Richard Rogers + Arquitectes: De la casa a la ciudad)
先週からバルセロナ、スペイン広場(Plaza Espana)にあるカイシャ・フォーラム(Caixa Forum)にて「リチャード・ロジャース+建築家達:住宅から都市まで」と題した展覧会が開催されています。

先週木曜日の展覧会オープニングに合わせてリチャード・ロジャース氏が講演会を行ったのですが、あいにく仕事の関係で開演の18:00には間に合わず、ちょっと遅れて到着してしまいました。何時もなら問題無く会場に入る事が出来るのですが、なんとその日は立ち見が出る程の超満員。それでも入り切らなくて美術館の至る所で立ち話をする人などを多く見かける程だったんですね。遅れて到着した僕は当然入る事が出来ず・・・その後に予定されていた展覧会のオープニング・パーティーには2時間もあったので、仕方無く、泣く泣く帰るという結果になりました。(なんかさっき「バルセロナ建築漫遊記」みたら、マラガル前市長(Pasqual Maragall)もオープニングに駆けつけたようですね。やっぱり行きたかったなー。)

と言う訳で、日曜日は敗者復活戦をしてきました。



先ず、何故この時期にリチャード・ロジャースなのか?という所から始めた方が良いと思うのですが、実は彼は今、バルセロナが抱えている目玉プロジェクトの内の一つ、闘牛場改修計画を実行中だからというのが大きな理由かと思われます。





この計画の大枠としては、レンガとタイルで出来た闘牛場のファサードだけを残して、中はショッピングセンターや娯楽施設に変えるというもの。(詳しくは「バルセロナ漫遊記」さんがレポートされていますのでコチラ:バルセロナのアミーゴ R.ロジャーズの建築展





この計画には僕も早い時期から注目してて、ちょくちょく現場を見に行ったりしていたのですが、近年のR.ロジャース作品の中ではダントツに良くなる気配十分ですね。まあ、膨大な時間とお金をかけてファサードを残すくらいなので、気合の入れ方が違うのでしょうが。

さて、リチャード・ロジャースと言えば建築だけではなく、近年ではサステイナブルシティの支持者の急先鋒としても大変に知られる所となりましたよね。そのロジャースが深く関わっている都市が、実はバルセロナなんです。1999年に出版された「アーバン・ルネッサンスへ向けて(Towards an urban renaissance)」の序論で彼はこんな事を述べています:

「都市デザインと都市戦略の質という点において、我々(ロンドン)は多分、アムステルダムやバルセロナに20年は遅れている」。

" in the quality of our urban design and strategic planning, we are probably 20 years behind places like Amsterdam and Barcelona" ("Introduction", in Towards an urban renaissance, Great britain urban task force (ed.), London, E&FN Spon)


更に同じ序論に、当時のバルセロナ市長だったマラガルも招待されるという絶賛振り。ちなみにマラガルはこの小文の中で、バルセロナの成功の秘密を「ローカル・ガバメントの重要性 」、「コンセンサスの構築」、そして「市当局と建築学校の幸せな結婚を通した公共空間のデザインの質("the happy marriage between city hall and the school of architecture)」を挙げています。("Foreward", in Towards an Urban Renaissance, p.5-6, London, E&FN Spon)

それよりも僕にとって面白いのは、この序文の中でロジャースがバルセロナとマンチェスター(Manchester)の都市再生事例を比較している事です。勿論、前者〔バルセロナ)が成功の事例として、後者(マンチェスター)が失敗の事例として引用されているのですが。

マンチェスターというのは、良く知られているように19世紀の終わり頃にかけて産業革命を通して急激な発展を遂げた都市の代表格、いわゆる、その時代の都市モデルでした。スペインで唯一産業革命を成し遂げたバルセロナはスペインのマンチェスターと言われていた程です。

しかしそれから約一世紀後の今日、その立場は逆転したように思われます。つまり、産業革命時にはバルセロナにとっての都市モデルだったマンチェスターが、ポスト産業時代の今日では、バルセロナがマンチェスターの都市モデルになりつつあるという逆転現象が起こっている。

さて、話を戻したいと思うのですが、今回の展覧会ではロジャース初期の小さな住宅から、街を丸ごと1つデザインしてしまうスケールのものまでナカナカ見応えのある内容になっています。

まあ、色々と語りたい事はあるのですが、僕はやはり彼のデザイン力に注目したい。ロンドンのロイズ・オブ・ロンドン(Lloyd´s of London)やパリのポンピドゥー(Centre Pompidou)の例などを出して以前のエントリにも書いたのですが、ロジャースの、あの一見、超派手な建築パフォーマンスは、実はものすごく緻密な彼のデザイン力に支えられていると思うんですね。(ロンドン旅行その5:Richard Rogers(リチャード・ロジャース)の建築:Lloyd´s of London:地中海ブログ)

逆にそのデザインという部分において、誰にも負けないという自信があるからこそ、あのような派手な事が出来るのでしょうね。そういう基本的な所無しに、派手さだけで売っているのならば、それはもうピエロとなんら変わらないのですから。

多分、僕達はこういう所をこそ見ないといけない。表面を覆いつくしている派手な形態の下に潜んでいる途方も無いデザインセンス。

間違えちゃいけないんだけど、これは「ディテール」とは違う問題です。そうじゃなくて「デザインセンス」という問題なんですね。つまり何を良いと思うかという感性の問題。こればっかりはどんなに優秀な先生でも教える事は出来ません。長い年月をかけて自分の中で醸成させるしかない。その為には出来るだけ良いものを沢山見る事だと思います。そして自分で発見する事。

日々鍛錬ですね。
| 建築 | 19:38 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
アフガニスタンの自爆テロとカルメン・チャコン(Carme Chacon): The Wall Street Journal Women to watchの予想は案外当たってるかも知れない
11月8日、アフガニスタンで自爆テロがありスペイン軍兵士2人が死亡、4人が負傷しました。スペイン中が悲しみに包まれる中、2人の遺体は昨日故郷であるガリシアに到着し家族との対面を果たしました。その様子が夜のニュースで放送されていたんだけど、家族をいたわる現国防相(La ministra de Defensa)のカルメン・チャコン(Carme Chacon)の姿がとても印象的でした。

彼女については色々な批判(その大部分が的外れ)があるけど、息子を無くした母親を抱擁し包み込むようないたわり方は彼女にしか出来なかったのではないかと思います。特に彼女はこの春に母親になったばかりで、より一層当事者の気持ちが分かったんじゃないのかな。

そんな事を思っていたら今朝の新聞にやっぱり僕と同じ事を感じた新聞記者の書いた記事が載っていました。

Pilar Rahola, El abrazo de Carme(カルメンの抱擁), La Vanguardia 12 de Noviembre 2008, p 19

奇しくもこの日はカルメン・チャコンがウォール・ストリート・ジャーナル誌(The Wall Street Journal)のWomen to watchにてヨーロッパで最も影響力のある女性政治家ナンバー2に選ばれた日でもあったんですね。Pilar Raholaは記事の中でカルメン・チャコンの事を「政治家、女性そして人間の三拍子が揃った」、「現政権内では最高の大臣であり、スペイン民主主義の歴史の中で最高の大臣の内の一人になり得る」と言っていますが、僕も全く同感です。

カルメ・チャコンが始めて表舞台に出てきた時、僕は以前のエントリでこんな風に書きました。

「・・・そんな彼女は現在妊娠7ヶ月。そんな諸事情が重なって今回の選挙では何かと彼女に注目が集まっていました。今回の投票率は75,32%。という事は前回同様に多くの若者も投票をしに行ったという事を示しています。そんな彼らが歳も近いカルメンに同調したのではないのか?年寄りが既得権にしがみついていて、何も変わらない政治に飽き飽きしていた国民が久しぶりに見出した希望の光。なんだか分からないけれど、何かやってくれそうな予感がする女性。これが一般市民が抱いている感覚なのではないでしょうか?

諸政策は勿論の事、その上で政治家にとって大事なのはカリスマ性だと思います。地元の声を代弁してくれるヒーロー。カルメン・チャコンはパスクアル・マラガル(Pasqual Maragall)後、久々に現れたカリスマ政治家になる期待を抱かせるような政治家です。」

地中海ブログ:スペイン総選挙その2:カタルーニャのヒロイン、カルメ・チャコン(Carme Chacon)

毎回違った顔を見せてくれるカルメン・チャコン。昨日の大臣の姿を見ていたら、こんな人が大臣ならこの国の将来も明るいのでは、と思えてきました。不思議とそんな希望を抱かせる人なんです、カルメン・チャコンという人は。
| スペイン政治 | 17:47 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
地中海連合(Union pour la Mediterranee)の常設事務局はバルセロナに
昨日は世界的に歴史的な日であり新聞もテレビもオバマ(Barack Obama)一色だったのですが、その影に隠れるようにバルセロナではもう一つ重要な出来事が報道されていました。もしアメリカ大統領選挙と重ならなければ各種メディアの一面を大々的に飾っていたであろう程のニュース、それが地中海連合(Union pour la Mediterranee)の常設事務局にバルセロナが選出されたというニュースです。おめでとー、バルセロナ。

バルセロナにとっては喉から手が出る程欲しかった常設事務局であり、13年越しの夢だったんですね。今でこそ地中海連合の構想は現フランス大統領のサルコジ氏が選挙中に構想を発表し、2008年7月13日に晴れて第一回地中海連合首脳会議が43カ国参加の下行われたという事になっていますが、その元となったのは1995年にバルセロナで開かれた「バルセロナプロセス(Barcelona Process)」です。

バルセロナプロセスはカタルーニャが生んだ大政治家パスクァル・マラガル(Pasqual Maragall)が主導し呼びかけた会合であり、バルセロナ現代文化センター(CCCB)で行われた初回には27カ国からの参加があり、地中海という地理を共有した「国という枠」を超えた連合が夢見られたんですね。

元々バルセロナという地域はこのような「地中海の軸:地中海の弧」にかなり意識的な地域です。フランスの公的機関、DATARによって1989年に大西洋の弧(Atlantic Arch)、地中海の弧(Meditteranian Arch)そしてブルーバナナ(Blue Banana)が発表され(Brunet,Roger(1989): Les Villes Europeennes, Rapport pour la DATAR, Reclus, La Documentation Francaise.)、それ以来、ヨーロッパの各地域が地理的な連携を目指す様になったのですが、バルセロナはずっとそれ以前から地中海の弧を意識していました。オリンピックを活用したバルセロナ都市戦略のブレーンだったジョルディ・ボージャ(Jordi Borja)は当時を回想してこんな風に語っています:

「・・・数ヶ月前、元リヨン市長のレモン・バールが、バルセロナに滞在していました。・・・曰く「リヨンとバルセロナ間は、実際約600キロも離れているけれども、高速列車に乗れば3時間もかからない。つまり両都市は同じ都市連携軸上にある。しかもこのリヨンとバルセロナのような強い都市を結ぶ軸上には、少なくとも100キロごとに中規模都市がある。」

・・・都市戦略の観点からすると、このような「バナナ」や「弧」が、戦略的に提唱されることがグローバル化なのです。つまり、競争力のある結束した地域を目指して連携していくわけです。

・・・私達が「バルセロナ第一次戦略計画」を立てた時、一連の文化施設は絶対に不可欠なものとして盛り込み、ヨーロッパ南部でいちばん魅力的な都市にしようと考えました。

・・・われわれの望んでいた文化的なプログラムには、1500万人の人口が必要でした。どう考えてもバルセロナにも、その周辺にも、カタロニア全土を見渡しても、1500万という数字は出てこない。カタロニアの全人口はせいぜい600万ですから。ならばどこを対象に地域戦略を立てたら良いのか、と自問自答を繰り返しました。そこで私たちは、人口1500万という数字が見込めるところまで範囲を広げていき、最終的にはこの広域圏全体をターゲットにしました。

・・・地域は単に自治体とか、県、郡といった公式の地域単位、すなわち行政上の区分だけではなく、地域とは戦略の産物でもあるのです。」

都市はグローバリゼーションにいかに応答するかージョルディ・ボージャ、p318−319、計画からマネジメントへ


ジョルディ・ボージャは長年のパートナーであるマニュエル・カステル(Manuel Castells)と共に都市戦略に関する書物, Local and Global (Borja,J and Castells, M, London, Earthscan, 1997)を1997年出版していますが、自身が長年に渡り経験した事が元になっているだけに、かなり説得力のある一冊となっています。(当ブログでは何度かマニュエル・カステルについて取り上げたのですが、彼ってカタラン人なんですよね、驚くべき事に)

更に1999年には上述のパスクァル・マラガルがニューヨークやローマで行った「バルセロナ・モデル」や「国という枠を取り払った都市間連携」に関する講演を元に編集した、Europa proxima, regiones y ciudades(Pasqual Maragall(ed.), Barcelona Edicions, 1999)を出版しているんですね。その中でマラガルは「国に代わり都市が地域を引っ張るモーターになるべきだ」と主張し、「EUという大宇宙の中に輝く都市という星星」をイメージしています。それを一撃の下に表しているのが、Josep Acebillo が出版したAtles ambiental de area de Barcelona(バルセロナエリアの環境地図)の最初のページに掲載された写真:



ヨーロッパの夜景を宇宙から撮った写真で、都市の周りに明かりが集中していて人がヨーロッパにどのように散らばって住んでいるかが一目で分かる大変きれいな写真です。

今、ヨーロッパは動いています。そしてその震源地は明らかに南です。その南の中心に果たしてバルセロナがなれるのかどうか?ここからが腕の見せ所ですね。
| バルセロナ都市 | 15:08 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
コロニア・グエル(Colonia Guell)100周年記念に見る市民意識の高さ
今日の新聞(El Pais, domingo 5 de octubre de 2008)にコロニア・グエルに関する記事(Elsiglo atormentado de la Cripta Guell)が出ていました。どうやら昨日(10月4日)はコロニア・グエル100周年記念に当たる日だったようです。新聞によると工事が始まったのが1908年の10月4日という事。コロニア・グエルについては過去エントリで幾つか書きました。

アントニ・ガウディ(Antoni Gaudi)の建築:コロニア・グエル(Colonia Guell)その3:教会堂の内部空間とステンドグラス

アントニ・ガウディ(Antoni Gaudi)の建築:コロニア・グエル(Colonia Guell)その2:コロニア・グエルの形態と逆さ吊り構造模型

アントニ・ガウディ(Antoni Gaudi)の建築:コロニア・グエル(Colonia Guell)その1:行き方

更にちょっと変わった所で、こんなのも:

アントニ・ガウディ(Antoni Gaudi)の建築:コロニア・グエル(Colonia Guell)その4:プッチ・ボアーダ(Puig i Boada)とジョアン・マラガル(Joan Maragall):ガウディ新資料発見か!

さて、そんなコロニア・グエルなのですが実は今、市民、行政そしてユネスコといった世界的機関まで巻き込んだ大論争が沸き起こっています。事の発端は1999年から2002年にかけて行われた大々的な改修に起因するんですね。

その改修では、ガウディの死後に増築された余計な部分を取り払って「ガウディのオリジナル」に戻す事が目的とされたんですが、この建築のシンボル的存在だった階段をオリジナルではないという理由で灰色の醜いアルミでカバーを掛けたり、ちょっと場違いな舗装を敷いてみたり、教会の上に白い鉄骨が乗っていたりと、ガウディ専門家ではない僕が見ても、ちょっとどうかな?と思うところ多々あるような状況です。

僕が見てもそんな感じなのだから、ガウディ専門家にしたらたまったものではないはず。バルセロナの公的機関であるFAD(Fomento de las Artes y el Diseno)が抗議文書(Gaudi en alerta roja:ガウディ作品、赤信号)を公式ウェブページに載せた所、今までに300もの署名が集まったそうです。

この町(コロニア・グエル町)の人達はガウディのこの小さな教会を自分達の町の宝のように大切にし誇りに思っています。もっと正確に言うと、教会だけではなくて、自分の家の前に広がる道路から街頭、公共空間まで町を構成する要素に対して自分達のものだという意識が大変に高いんですね。だから官の作ったプランに対しては鋭く目を光らせているし、ましてや今回のようにお宝に手を付けるような事があった日には大論争となるわけです。

このような市民意識の高さ。コレがバルセロナの都市空間の質が高く保たれている秘密であり、都市計画が成功している秘訣だと思います。オリンピックのような国際イベントを用いて海岸線を大改造したり、公共空間を点的に散りばめて、その効果で周りを活性化し街全体を蘇らせるとか、容積率緩和を用いて知識産業を集中的に集めるとか、色々な手法が取りざたされていますが、その根底にあるのはやはりそこに住んでいる人達の街に対する意識の高さです。

それを象徴するかのように新聞には毎日のように都市計画が槍玉に挙げられているんですね。そんな市民のパワーに日々接していると、「日本も早急に何らかの手を打たなければいけないな」と思わざるを得ない日々が続きますね。
| バルセロナ都市 | 20:40 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
国際博物館の日(International Museum Day)とピカソ美術館(Museo Pisacco)その2:
前回のエントリ、国際博物館の日(International Museum Day)とピカソ美術館(Museo Pisacco)その1:ピカソとバルセロナの都市戦略の続きです。

現在バルセロナのピカソ美術館では「ラス・メミーナス、ベラスケスを忘れながら(Olvidando a Velásquez. Las Meninas)」と題した企画展示を開催中です。各時代、各分野のアーティストによってどのようにこの傑作が再解釈されてきたかを様々な角度から検証するという好企画。展示作品の核には1968年にピカソによって当美術館に寄贈された58点の「ラス・メミーナス(Las Meninas)」の分析の連作中の15点も含まれています。逆に言うと未だにアーティスト達に分析対象とされるくらいベラスケスという画家の影響力は強いという事ですね。個人的に驚いたのはプラド美術館(Museo Nacional del Prado)からコレが来ていた事:



ベラスケス(Diego Velásquez)の「赤いドレスのマルガリータ王女(La infanta Margarita)」です。さすがにプラド美術館の宝である「ラス・メミーナス」の貸し出しは無かったようですね。

このピカソ美術館の企画に関連してバルセロナの中心街に位置する、ランブラ・デ・カタルーニャ通り(Rambla de Catalunya)では現在、バレンシア出身の彫刻家、マノロ・バルデス(Manolo Valdés)による巨大彫刻の屋外展示が行われています。





ヨーロッパで人気急上昇中?(ブログ情報)の彼の彫刻はベラスケスの「ラス・メミーナス」の主役、マルガリータ王女をモチーフにしたものです。

僕にはこの彫刻が良いのか悪いのかさっぱり分かりませんが、街中にアートがあるというのはそれだけで都市の魅力を高める事は間違い無いと思います。まあ、簡単に言うと「アートを用いた都市活性化」と言った所でしょうか。

この遊歩道屋外彫刻展示は昨年辺りから地元銀行の文化部門であるラ・カイシャ財団(Fundación la Caixa)が企画して「街路にある芸術」(Arte en la calle)と題されてシリーズ化されているんですね。去年はポーランド出身のアーティスト、イゴール・ミトライ(Igor Mitoraj)による人体の一部を巨大化したようなブロンズ像が街中に現れて市民を驚かせていました。


以前のエントリでも書いたのですが、1992年にバルセロナが都市再活性化を計画した時、バルセロナは非常に巧く屋外彫刻を使ったんですね。針でツボを押すように公共空間を展開したのと同様に、そこに巧く彫刻を組み合わせました。元バルセロナ市長であったパスクアル・マラガル(Pasqual Maragall)は英国のアーバン・タスクフォースが出版した「アーバン・ルネッサンスへ向けて(Toward an Urban Renaissance)」の序文においてバルセロナ都市再生の成功の秘密は「市役所と建築学校の幸せな結婚である(the happy marriage between city hall and the school of architecture)」と語りましたが、公共空間のデザインというミクロなレベルにおいては建築家と彫刻家の幸せな結婚が実現していたんですね。こうして「郊外をモニュメント化しよう(monumentalitzar la periferia)」という号令の下に、郊外の要所要所に現代彫刻が置かれ、その地域の活性化に一役買った訳です。その代表的な例がコレ:





クレウエータ・デル・コル公園(Parc de la creueta del coll)です。この公共空間はオリオル・ボイガス(Oriol Bohigas)を筆頭とする建築家集団、MBM(Martorell, Macka i Bohigas)とスペインを代表する彫刻家、エドゥアルド・チリダ(Eduard Chillida)による協同作品です。荒々しい山肌を背景として手前に公園、奥にプールを要するこの空間に強いアイデンティティを与えているのがチリダによる彫刻です。チリダの彫刻に関しては以前に何度か触れましたが、バルセロナ市内で見る事が出来る彼の他の作品には、王の広場(plaça del rei)に置かれたトポス(topos, 1986)と題された作品があります。14世紀に建造された建物と広場を背景にチリダによる斬新なデザインが好対照を成しています。





もう一つはジョセフ・ルイス・セルト(Josep Luís Sert)設計による1937年パリ万国博覧会スペイン館(Pabellón de la Republica Española, Exposición Internacional de Paris, 1937)の再建に組み合わされたオールデンバーグとバン・ブルッゲン(Claes Oldenburg and Coosje van Bruggen)による彫刻です。このスペイン館には当時、ピカソによるゲルニカ(Guernica)が展示されていました。その後取り壊されたのですが、オリンピックを契機に1991年にオリンピック競技上が置かれた地区の一つであるエブロン(el Valle de Hebron)に再建されました。さて、この彫刻なのですが見ての通りマッチです。つまりこの作品はアメリカのポップアートの一潮流であった、我々の意識下に浸透している日常品を巨大化する芸術作品というコンテクストの上に載っているという事です。



もしくはカラトラバ(Santiago Calatrava)の橋もある種の彫刻に含む事が出来るかもしれませんね。



カラトラバの建てたものが建築なのかどうか、もしくはコスト計算を含めたその質には、かなりの人が疑問を抱いていると思いますが、唯一つ言える事は彼の造形物はかなりの人気があるという事です。例えば中世において学問の中心地として栄え、今でも修道院の荘厳なる門にその面影を見る事が出来るリポイ市(Ripoll)といったカタルーニャのど田舎においてさえもカラトラバの橋が存在するといった有様。

僕がこちらに来てまだ右も左も分からなかった頃、バルセロナ現代美術館(Museu d'Art Contemporani de Barcelonaの初代館長であるミケル・モリン(Miquel Molin)に連れられて自転車で1日かけてバルセロナ中の現代彫刻を見回った事がありました。その時は未だバルセロナモデルなんて言葉も知らず、「ふうーん」としか思わなかったけど、今思えばかなり勿体無い事をしたなというのが本音。無知とは恐ろしいものだ。
| スペイン美術 | 21:50 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ミラノ旅行その7:ミラノの都市戦略その1:都市マーケティング政策
ミラノという都市についてどうしても書いておかなければならない事があります。それがミラノの都市戦略です。今までローマヴェネチアといったイタリアの諸都市を訪れてきたのですが、ミラノには明らかにそれらのどの都市とも違った「都市戦略」がその裏に存在しているのではないのか?という事を今回実際に訪れてみて感じました。

僕なりに整理してみた結果、それらの戦略は大きく2つに大別する事が出来るかと思います。一つ目はミラノのブランディング政策(都市商業政策)について。これは多分イタリアの諸都市で行われている事とかなり近い事が成されていると思いますが、ミラノの特徴はデザイン優先でそれがなされている点が他の都市とは違うかと思われます。もう一つはビッグイベントを利用した都市発展手法について。これはバルセロナが最も得意とする戦術であり、イタリアではミラノという都市コンテクストだけが許した特有のシナリオだと思います。(この事についてはミラノ都市戦略その2で詳しく論じます)

それらの戦略が展開された理由を考えて見た時に真っ先に思い付くのは、ミラノという都市は他のイタリア諸都市と比べると中心市街地といえども歴史的な街並みがあまり残っていないという事が一つ挙げられるのではないかと思うんですね。だから歴史的な遺産に頼らずに都市間競争を勝ち抜く戦略(意識的に観光客を惹き付ける戦略)が要求されたのではないのか?という事が推測されます。

先ずは一点目から。
ミラノと言えば「ファッションの街」というのが思い浮かびますが、これは戦略的に捏造された節があります。それに気が付いたのは世界的に有名なモンテナポレオーネ通り(Via Monte Napoleone)の高級ブティックの集積状況とそこの雰囲気を目の当たりにした時でした。





この通りはヨーロッパの目抜き通りによく見られるような歩行者空間ではなくて、一般車の進入を許しています。しかしこの通りが一般道路と少し違うのは、この街区が醸し出す独特な雰囲気がフェラーリなどの高級車ばかりを呼び寄せている事なんですね。



観光客もそんなモーターショーさながらの様子をカメラに収めようと押しかけて来ていて、ブティックと相乗効果を生んで街区のブランディング化に一層の拍車をかけています。

よく知られているようにイタリアでは伝統的に小さな職人企業が都市の商業を支えてきました。そんな中から世界的なブランドであるフェラガモ(Ferragamo)グッチ(Gucci)といった大変優れたブティックが出てきたのは事実なのですが、それだけでミラノという街がファッションの街としてこれだけ活気を帯びるまでになったとは到底思えない。何よりある特定の街路レベルでこれだけのブティックの集積が見られるのには、明らかにその裏に官の「都市を売っていこう」という都市戦略の影がちらほら見えるわけですよ。

とか思いつつ、以前にも紹介した宗田好史さんの記念碑的作品、「にぎわいを呼ぶイタリアのまちつくり:歴史的景観の再生と商業政策」を紐解いて見るとやはりありました、それらしい記述が。

「・・・この大規模店立地の規制よりも、戦略的な視点から商業集積を誘導する手法にこそイタリアの商業計画の特徴がある。」(p182)

この記述はヨーロッパが直面していた中心市街地の衰退という大問題に対して各都市が小売業の衰退を憂慮して大規模店を立地させる事を規制した政策に対して、イタリアは戦略的に街路レベルで、ある特定の商業を集積させる政策を展開してきたという文脈で語られています。そしてこの街路レベルにおける店舗の戦略的展開こそがイタリアまちつくりの特色であると言われているんですね。

更にこの後具体例としてローマ市の試みが語られていますが、そこではあたかも街全体が一つのスーパーマーケットのように見立てられて商業立地計画がより効果的になるように決められているそうです。
「新戦略を語るこの商業局長が、ローマという大デパートの店長のように、テナント各社に号令する姿」(p189)が見られたそうです。

日本の街並みでは想像しにくいかと思いますが、ヨーロッパの街構造と都市計画に慣れた人ならこの感覚はものすごくよく分かると思います。以前のエントリで書いたように、僕達はバルセロナの都市戦略の一環としてバルセロナ中心性創出プロジェクトやバルセロナの各街区レベルにおける歩行者空間プロジェクトなどを行っています。その時に都市分析の道具となるのがGISであり、GIS上にデータとしてインプットされる街路レベルの商業活動なんですね。このようなデータを日々見ていると、街区や街路を一つのデパートや食料品通路などに見立てるというアイデアはものすごく良く分かる。それに沿って歩行者の誘導や人の流れを呼び込むといった政策を展開したいんですが、そこまでやっている都市はヨーロッパには何処にもありません。何故なら今の段階ではそのレベルの都市分析は不可能だからです。詳しくはココ。

イタリアではこのような都市商業政策は「都市マーケティング」政策と呼ばれているそうです。更に「まちつくりからの取り組み以上に、中心市街地はまず人から活性化するものである。」(p178)というコンセプトの下、「・・・自治体は小売・サービス業を町の基幹産業として位置つけてきた。基幹産業をささえる人材を養成し、サービスの質を競争力にする。・・・」(p178)それこそイタリアのまちつくりの核にある戦略だと言われています。

街の再生を人の再生から考えている所が大変興味深いです。と同時にこれって南欧都市に共通の認識なのかな?ともふと思ってしまうんですね。何故ならバルセロナの場合は正にその「人の再生」を「公共空間の再生」に期待していた訳ですから。

もう一つの共通点としては両都市共にデザインを主なツールとして進めてきたという事が言えるかと思うんですね。1999年に英国で出版された「アーバンルネッサンスに向けて(Toward an Urban Renaissance)」の序文で当時のバルセロナのカリスマ市長だったパスクアル・マラガル(Pasqual Maragall)はこんな風に語っています:
「(パブリックスペースは)先に質、量はその後(Quality first, quantity later) 」

つまりデザインを通した公共空間の質を優先すべきで量が問題なのではない。そしてバルセロナの成功の秘訣は公共空間を量産した所には無くて、質の高い公共空間を提供した所にその秘密があると、こう言っているわけです。

もしくは同じ序文におけるリチャード・ロジャース(Richard Rogers)の言葉:
「我々の(ロンドンの)アーバンデザイン、もしくは都市戦略の質に関しては、多分アムステルダムそしてバルセロナに20年は遅れている(in the quality of our urban design and strategic planning, we are probably 20 years behind places like Amsterdam and Barcelona)」

このようなデザインを中心に据えたバルセロナの活性化手法に対して、ミラノという都市は他のイタリア諸都市が当たり前のように持っている歴史的中心街が無い事をバネとして、その欠点をあたかもデザインの力で埋めようとしているかのように思われます。その結果が良く統一された街路空間となり都市全体の魅力を高めている訳ですね。



かつてイグナシ・デ・ソラ・モラレス(Ignasi de Sola Morales)は「経済、社会、そして風景。これら3つの要素は同時に変わっていく」と語りました。これは1960年代にヨーロッパ各都市を悩ました中心市街地の衰退にも全く当てはまり、それこそがこの問題の根の深さを物語っているんですね。つまりその問題をどうにかしようと思ったら、その内のどれか一つを解決すれば状況が改善するという単純なものではなく、3つ同時に扱っていく必要があるという事です。

このような途方も無く深い問題にイタリア各都市は真摯に向き合い、伝統的な小売業や職人気質といった伝統の上に「都市マーケティング」を重ね合わせながら独自の方式で、スクラップアンドビルトとは全く違う都市活性化手法を提示しました。更にそれがフィジカルな環境だけではなくて、人をも含んでいる所こそ我々日本人が注目すべき点だと思います。
人を育てる事による都市の成熟化。正に「ルネッサンス、情熱ー」
| ヨーロッパ都市政策 | 16:00 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
バルセロナの新たなる都市戦略:ビルバオから学ぶバルセロナ都市圏再生の曙
民主化後バルセロナは明確な都市戦略を持ち、様々なイベントを通して都市を戦略的に開発・発展させてきました。それは今日バルセロナ都市戦略、もしくはバルセロナモデルとして欧米で高い評価を得ています。しかしながら、勿論そこには成功の影に隠れた/隠された急速な発展に付随する負の面がある事も否めません。

その点をかなり手短且つ乱暴に要約すると、1992年(オリンピック時)に都市をグルッと取り囲む高速道路を建設して都市の境界線を定め、投資を集中的にその内側にすると同時に、邪魔なモノや見たくない諸問題をその外側に放り投げ、問題を先送りするという事をしてきたんですね。だから大変よく整備された旧市街や新市街を見て、「バルセロナは各都市が抱えているような問題が解決出来ている」という結論を出すのはあまりにも早急すぎると言わざるを得ません。

そんな事は既に1996年の段階でイグナシ・デ・ソラ・モラレス(Ignasi de Sola Morales)が指摘していました。

「・・・バルセロナの都市問題は境界線を越える傾向を強めている。交通・住宅問題、社会的差別問題や工場施設の問題などはみな、小バルセロナの外に吐き出されている。見かけ上バルセロナは、メトロポリスが例外なく抱える大問題のほとんどから解放されているかのようだ。しかし、この見解は全くの偽りである。小バルセロナを大都市圏の中でとらえた解決策がない。存在しているのは地図上の見せかけの線引きとこのフィクションを維持したほうが好都合だとするカタルーニャ自治政府の思惑のみだ。バルセロナが大規模事業を成し遂げ、美しく再生されたその影で、都市政策が十分でなく、適切な施設を備えていないところに、代償は回ってきている。大都市圏の中心バルセロナが解決せずにたらいまわしにしている問題はみな、弱体な都市基盤のところに飛び火しているだけなのである。・・・」

イグナシ・デ・ソラ・モラレス、キクカワプロフェショナルガイド、バルセロナ、Vol6.1996


その負の面のシンボルともいうべきエリアがバルセロナの北東を貫くベソス川(Rio Besos)周辺エリア(La Mina)に存在します。このエリアにはオリンピック時に旧市街地に住んでいた貧困層の人々やジェントリフィケーションで中心街に住めなくなった人々などが集められ、社会的問題の吹き溜まりのような様相を呈しています。更に川向こうにはゴミ焼却場や浄水プラントなど、都市にとっては無くてはならないんだけど、あまり見せたくない施設が集積している地区でもあるんですね。更に川岸の2軸、東西南北で異なる自治体がひしめき合っているので、川の向こうとこちら(東西軸)の接続性は無いに等しく、川岸の南北軸では自治体間を越えてプロジェクトを創出し、統一された景観を創り出すなんて事は夢の又夢でした。

正確に言うと、川を基軸に据えた自治体間の協力によるプロジェクトの可能性はかなり前から議論されてはいました。しかし異なる自治体間を越えた複雑極まりないそのようなプロジェクトを実現する事は、長い間、非常に困難だと思われていたんですね。何と言っても利害関係の調整がこの上なく難しいので。そのような事態が動いたのはごく最近の事です。

川岸を構成する5つの異なる都市(Barcelona, Sant Adria de Besos, Badalona, Santa coloma de Gramenet, Montcada i Reixac)がその周辺に跨る50を超えるプロジェクトを成功に導く為に共通プラットフォームであるコンソーシアム(Consorcio)を創り出したんですね。この裏にはこのエリアを15年近くかけて競争力のあるエリア(新たなる中心)に育てていこうというバルセロナの思惑が見え隠れしています。その時にこのエリアの核と考えられているのが、サグレラ駅(Estacion de la Sagrera)です。マドリッドやフランスからの高速鉄道(AVE)発着駅に位置付けられている未来の大型駅にはフランク・ゲーリー(Frank O Gehry)設計によるオフィス圏住宅が付与される事が既に決定されています。



ここで注目すべきはゲーリーのド派手な建築デザインではなくて、その裏に存在するであろう都市の戦略です。実はこの新駅は計画当初、現在の市内主要駅であるサンツ駅(Estacion Sants)近辺に建設される事が決まっていました。しかしですね、大型駅の周辺にもう一つ大型駅を持ってきたって、都市全体としてみた時の成長というのはあまり無いわけですよ。それよりは全く諸活動が無いような所へ、起爆剤として駅を建設して都市に対する新たなる中心性を創り出す方がよっぽど生産的である、とこういうわけですね。

何を隠そう、この新駅を用いた中心性創出案を提案、実現したのは現在の僕のボスです。今から約15年前、まだカリスマ市長マラガル(Pasqual Maragall)が現職だった時の事らしいです。その当時はまだ今ほどGIS(Geographical Information System)も発達していなくて、街路ごとのカフェなどの諸活動を調べるのに大変手間取ったそうです。

まあ、とりあえず、僕はこのバルセロナの打ち出した新しい都市戦略を高く評価します。何故ならこの計画はバルセロナが初めて打ち出した、環状線を越え異なる自治体間で協力関係を仰いだ計画であり、今までゴミ捨て場として問題を先送りしていたエリアへの初めてのメス入りだと思われるからです。先のイグナシの言葉で言えば、「大都市圏の中心バルセロナが解決せずにたらいまわしにし」、「弱体な都市基盤のところに飛び火」している問題に対して、バルセロナが初めて直視し始めたという事です。

この計画を聞いた時に、僕が非常に巧いなと思ったのは「川」をキーワードにして協力関係を築いたという点ですね。異なる自治体間で協力関係を築くには何かしら共通する要因が必要となります。考えられるものとして主に2つある気がします。一つは文化的な何かを共有している場合。もう一つは地理的要因を共有している場合です。有名な所では、1989年にフランスのDATARが行ったブルーバナナ分析に基ついて、バルセロナがバルセロナプロセス(Barcelona Process)として発達させた地中海の弧連携。この連携は地中海を共有しているという地理的要因を基盤にして実現しました。

もう一つはネルビオン川(Ria Nervion)というビルバオ大都市圏を貫く川を構成する30を超える自治体から成る、ビルバオ再生の原動力となったビルバオコンソーシウム(Bilbao Metropoli 30)。ビルバオの場合は、グッゲンハイムのインパクトが強くてナカナカ表には出てきませんが、グッゲンハイムという都市再生の主役に、舞台を整えた非常に重要なプロセスだったと思っています。このような、背景に流れるシナリオがしっかりしていたからこそ、ビルバオ都市圏再生が成ったんですね。決してグッゲンハイムが一人で都市を再生した訳では無い事を知るべきです。そして、そのグッゲンハイムが引き起こした大成功の裏に隠れるジェントリフィケーションという負の面の事も。

全く同じ事がバルセロナにも言えて、新エリアが出来た暁にはきっとゲーリーの建築がもてはやされ、あたかもそれだけで都市が活性化したかのような記事が雑誌を賑わす事でしょう。これは建築の元来の機能である、地域や社会の表象という役割を考えてみれば当然なのかもしれません。何故なら建築は正にそのエリアが活性化し、賑わっているぞという事を表象する事こそが仕事であり、それは建築にしか出来ない事なのだから。

しかしそれでも僕はあえて言いたい。その裏にある思考や、建築にそのような舞台を用意した都市の戦略にも目を向けるべきだと。
| バルセロナ都市計画 | 18:34 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
アントニ・ガウディ(Antoni Gaudi)の建築:コロニア・グエル(Colonia Guell)その4:プッチ・ボアーダ(Puig i Boada)とジョアン・マラガル(Joan Maragall):ガウディ新資料発見か!
さて、こんな魅力満載のコロニア・グエル教会堂なのですが、以前のエントリで書いたように、2年程前にどうしても欲しかったコロニア・グエルの本を古本屋で購入しました。表紙を一目見た時にその写真とデザインに惹き付けられてしまったんですね。それがコレ。



真っ黒の背景にモザイクがとても映えています。さて、この本を買って家に帰ってビックリ。表表紙の裏側に著者のサインとちょっとしたメッセージが載っているではありませんか!

Al meu nebot Joan Anton Maragall, filll de poeta que tant estima a Gaudi i al Temple, amb el major afecte

Puig Boada

「私の甥であり、ガウディとサグラダ・ファミリアをこよなく愛した詩人の息子、ジョアン・アントン・マラガルへ。
愛を込めて

プッチ・ボアーダ。」




これは知る人が読めばビックリの内容なんですね。先ず本書の著者であるボアーダさんというのはガウディの元コラボレーターであり、ガウディ研究の第一人者だった人。本文中にあるTemploというのを僕はサグラダ・ファミリアと訳しましたが、その理由はモデルニズモ時代を生きたある詩人が重要な詩を残しているからです。

"---A la part de Llevant, mistic exemple,
com una flor gegant floreix un temple
meraverllat d´haver nascut aqui,
entremig dúna gent tan sorruda i dolenta,
que se´n riu i flastoma i es baralla i sesventa
contra tot lo huma i lo divi.
Mes, enmig la miseria i la rabia i fumera,
El temple(tant se va!) s´alca i prospera
esperant uns fidels que han de venir.---"

Joan Maragall, Oda Nova a Barcelona Joan Maragall, 1909

「東の方に、神秘の神殿がある。
神殿は、そこに生まれたことを驚くかのように、
巨大な花のごとく咲き誇っている。
すべての人間的なもの、神に属するものを
嘲笑い、罵り、破壊する
粗野でよこしまな人々の中で、
また、貧困と、怒りと、煙の中で、
その神殿は(なんと素晴らしい!)そびえ立ち、咲き誇っている。
来るべき、信心深き人を待ちながら。
・・・」

(訳:ロバート・ヒューズ、田澤耕訳、バルセロナ、ある地中海都市の歴史、p495)

「新バルセロナ項歌」として知られているこの詩を書いた人物こそ、カタルーニャモデルニズモを引っ張っていたジョアン・マラガイ(Joan Maragall)という人物です。ジョアン・マラガイはガウディをこよなく愛していた事で知られていて、この詩の中に出てくるTemploとはサグラダ・ファミリアの事を指しているんですね。

これらを踏まえた上で先のメッセージをもう一度読むと、送り主であるボアーダさんはジョアン・マラガルの弟であるという事になります。更にこの本の所有者であった、ジョアン・アントン・マラガルさんはカタルーニャが生んだ大政治家、パスクアル・マラガル(Pasqual Maragall)の父親である可能性が高い。パスクアル・マラガルのおじいさんがジョアン・マラガルである事はよく知られているのですが、ジョアン・マラガルには13人の子供がいて、パスクアルの父親が誰なのかは知られていないんですね。(まあ、そんな事はどうでもいいんですが・・・)

まあ、ともかくもそんな経緯を辿った歴史ある書が日本人である僕の手元にあるというのは何とも不思議な感じがします。
| 建築 | 05:46 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
アントニ・ガウディ(Antoni Gaudi)の建築:コロニア・グエル(Colonia Guell)その3:教会堂の内部空間とステンドグラス
前々回のエントリ、アントニ・ガウディ(Antoni Gaudi)の建築:コロニア・グエル(Colonia Guell)その1:行き方、そして前回のエントリ、アントニ・ガウディ(Antoni Gaudi)の建築:コロニア・グエル(Colonia Guell)その2:コロニア・グエルの形態と逆さ吊り構造模型、に続いて今回は内部空間の紹介です。

正面入り口前は2つのポーチで構成されています。一つは大きなポーチ、もう一つは階段を数段下がった所にある小ポーチです。







沢山の斜め柱とその間を繋ぐリブ、そして程よい高さに抑えられた天井とが相俟って、まるで包み込まれるよう。エドゥアルド・チリダ(Eduardo Chillida)が拳を丸めた、とても暖かいスケッチを残していますが、それを空間に表現すると正にこんな感じかな。



そしてこのリブのデザインなのですが、二つの面を多角的に組み合わせた絶妙なデザインになっています。



それを洗練させたのが、渡辺純さんが担当された幕張メッセ国際会議場2階の大ホール前のロビー空間の柱のデザイン。



形といい素材の選び方といい、「これでもか」というほど洗練されている。

教会堂前のこの空間でもう一つだけ言及したいのが、土色の柱や壁を背景として映えるモザイクです。





ガウディ建築には多彩色の紛糾タイルによるモザイクが使用されている事が一つの特徴となっていますが、コロニア・グエルにおける抑制されたモザイクの使用のされ方は、紛糾タイルとそれに伴う曲面が相乗効果をなして傑作を創り出しているグエル公園よりも個人的には好きですね。

そんな事を思いながらイザ中へ。と、その前に入り口に注意書きがあり、「教会内部写真撮影禁止」とある。ザンネーンと思っていた所へ、警備員のおじいさんがやってきて聞いてみた所、「写真撮影OK」との事。ありがとー。後日ネットでコロニア・グエル情報を探した所、こんな記事を発見。さすがスペインといわんばかりに、この辺は曖昧なんだなー。

という訳で、晴れて撮影許可も下りた事だしウキウキ気分で教会堂内部へ。

先ず第一に目に入るのが前回少し紹介した教会堂中央にある4本の内転び柱です。荒々しい自然石仕上げになっていて今見てもかなり新鮮。



上階へと続くはずだったと思われる作りかけの「未完の螺旋階段」はカタラン・ボールト(La bóveda catalana)独特の薄さと相俟って不思議な軽さを醸し出している。



祭壇にはジュジョール(Josep Maria Jujol)のデザインした天使が居ました。



背中の羽根がある事で大変躍動的な表現になっています。

空間的に巧いなと思ったのはこの部分:聖キリスト礼拝室です。



この部分は明らかに「他とは違う」という表現が散りばめられています。例えばこの柱。他の柱が教会の中心に向かって傾いているのに対して、ココの柱だけは反対側(外側)に向かって傾いている。柱を2本立てるだけという単純な操作によってこの部分が小さな空間として認識されるに至っている。その感覚をより促進するのが天井操作ですね。



この部分だけが、他の部分よりも天井高を低く抑えられる事によって、「特別感」を強調している。

思えばガウディという建築家も天井のデザインが非常に巧い建築家です。彼の天井デザインの一つの到達点がカサ・バトリョ(Casa Batllo)の階段室のデザイン。



建物全体としてはサン・ジョルディ(Sant Jordi)の伝説をモチーフにしているのですが、階段はドラゴンの尾びれが手すりとなって駆け上がっていくという物語を構成しています。注目すべきは手すりと天井の切り返しのデザインですね。

これを見た時に心に浮かんだのはシザです。当ブログで何度も言及しているように、シザの建築の特徴の一つを僕は天井のデザインに見出しています。興味深い事に、あるインタビューでシザは若い頃バルセロナに来てガウディに大変な影響を受けたと語っています。もしかしたら、若い頃のこのような体験が後の銀行の天井のデザインなどに昇華していったのかもしれませんね。

さて、このような様々な興味深い要素から構成されているコロニア・グエル教会堂内部なのですが、その中でも特に素晴らしいのがステンドグラスのデザインです。



大小様々なステンドグラスがデザインされ、数にして22個、その内20個がシンメトリーに配置されています。少し丸みを帯びたそのデザインは、マツボックリの断面のようでもあります。何処と無くロマネスクのような温かみを感じます。



こんなデザイン何処かで見たような気がするなー、と思っていたらエヴァンゲリオンの敵のデザインに似ている。宇宙に浮いてて爆弾を落としてくるヤツです。



よく知られているようにエヴァンゲリオンには様々なアート的要素が散りばめられている事から、コロニア・グエルのデザインを引用していたとしてもそれほど驚くべき事ではありませんけどね。

僕がこのステンドグラスをボーと見ていた時の事、例の親切な警備員のおじいさんがやってきて、「このステンドグラス、開くんだよ。見たい?」とか言われたので、即答「勿論」。という訳でこれが窓を開けた状態。



下側4分の1程がチェーンを引っ張る事によって開く仕組みになっているようです。

アントニ・ガウディ(Antoni Gaudi)の建築:コロニア・グエル(Colonia Guell)その3:プッチ・ボアーダ(Puig i Boada)とジョアン・マラガル(Joan Maragall):ガウディ新資料発見か!に続く。
| 建築 | 22:08 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
スペイン総選挙その2:カタルーニャのヒロイン、カルメ・チャコン(Carme Chacon)
3月9日に行われたスペイン総選挙は現社会労働党サパテロ政権(PSOE)が勝利しました。前のエントリで書いたように直前の世論調査や選挙前日に起こったテロなどの影響から政権維持はあやういかな?というのが僕の感じだったのですが、なんとか勝ったようです。

さて今回の社会労働党勝利に多大なる貢献をしたのがカタルーニャ地方です。カタルーニャ左派(PSC)は今回の選挙でいまだかつてない程の票を集め、議席数を大きく伸ばしました。(カタルーニャ総議席数47に対して絶対過半数以上の25議席獲得)

何故か?はっきりとした事は言えないけど、今回の選挙には明らかなヒロインがいました。37歳という若さで中央政府の住宅大臣に抜擢され、バルセロナ社会労働党第一候補として終始選挙を引っ張ってきたカルメン・チャコン(Carme Chacon)がその人です。余談ですが、彼女はもともと僕が住んでいるエスプルーガス市(Esplugues)の市長さんだったんですね。まだ彼女が市長時代に一度だけ街で見かけた事があります。

そんな彼女は現在妊娠7ヶ月。そんな諸事情が重なって今回の選挙では何かと彼女に注目が集まっていました。今回の投票率は75,32%。という事は前回同様に多くの若者も投票をしに行ったという事を示しています。そんな彼らが歳も近いカルメンに同調したのではないのか?年寄りが既得権にしがみついていて、何も変わらない政治に飽き飽きしていた国民が久しぶりに見出した希望の光。なんだか分からないけれど、何かやってくれそうな予感がする女性。これが一般市民が抱いている感覚なのではないでしょうか?

諸政策は勿論の事、その上で政治家にとって大事なのはカリスマ性だと思います。地元の声を代弁してくれるヒーロー。カルメン・チャコンはパスクアル・マラガル(Pasqual Maragall)後、久々に現れたカリスマ政治家になる期待を抱かせるような政治家です。
| スペイン政治 | 19:08 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
パスクアル・マラガイ(Pasqual Maragall)という政治家2
先日、カタルーニャの大物政治家パスクアル・マラガルが50年近く関わってきたスペイン社会労働党とカタルーニャ社会労働党から離脱する事を発表しました。彼が成立させた新カタルーニャ州基本法を現行のスペイン政府と彼が属している社会労働党が支持しないというのがその大きな理由。

彼は国主導というよりも地方が主導となってヨーロッパを引っ張って行くという構想をかなり早い時期から持っていて1995年にはバルセロナプロセスとして知られるユーロリージョン会議をバルセロナに導きました。(ちなみにこの会議は当時CCCBで開かれました。と言う事はラモネーダが一枚かんでいたと言う事か)その後、1999年にはこのブログで何度も言及したようにローマにおいて今後のヨーロッパのあるべき姿を議論するセミナーを開き地中海の弧の中において輝く数々の都市という概念を打ち出しています。

目先の事だけではなく、かなり先を見据えた彼だからこその決断だったのでしょう。

そんな矢先、今日マラガルは自身がアルツハイマーにかかっていると言う事を発表しました。「私はオリンピックを成功に導き、新カタルーニャ基本工を成立させた。今度はアルツハイマーを克服する」。

大変勇気のある決断だと思います。政治家と言う枠を超えて人間として深く尊敬するに値する人物だと思います。そんな人物と一時期とは言え同じ時空間で生活できる事を幸せに感じます。
| スペイン政治 | 18:25 | comments(0) | trackbacks(35) | このエントリーをはてなブックマークに追加
EUと地方としてのカタルーニャ
今日は1957年のローマ条約からちょうど50年目にあたるEU記念日です。ローマ条約とは欧州経済共同体を設立するという目的でフランス、西ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルグが結んだ条約なんですね。つまり現在27カ国が参加しているEUの基礎となった条約な訳です。そんなこんなで今週頭からヨーロッパとは何かとかEUの意味とかが新聞を賑わせていました。

そんな中で僕が注目していた議論はEUにおける地域と都市の役割です。EUで大変重要視されているのが多様性であり、それを引っ張って行く主役としての地域と都市です。ローカルな問題は「上の方の決定では解決出来ない」というごく自然な考え方から、国というよりもその問題に直結する地方や都市が大変重要視されています。欧州憲法にも「地方自治」の重要性(1.5条)が歌われており、「それは地方と都市のEUにおける参加の基礎である」と示されています。何故これほどまで地方と都市に重きがおかれているかというと、その根底にあるのが市民であるというはっきりとした認識があるからなんですね。国と言う単位では市民の顔がナカナカ見えないという訳です。

このような状況の中で大変元気に振舞う事が出来るのが我らがカタルーニャ地方です。有名なマドリッドとバルセロナの因縁の対決。これは言い換えればマドリッドに牛耳られているスペイン国家対カタルーニャ地方の対決と言えます。1714年のスペイン継承戦争に負けて以来カタルーニャ地方はそれまで許されてきた特権を剥ぎ取られてスペインという国家の一地方に成り下がりました。それから現在に至るまでマドリッドはカタルーニャの事は何も考えて無いというのが彼らの主張。そんな国という単位から脱出して地方にもっと裁量権を認めよという主張にはEUの議論と舞台はもってこいというわけです。

そんな政治的な思惑は一先ず置いといたとして1999年にマラガルが提出した「都市が輝きを増してEUという領土に都市という星が散りばめられる」というイメージはやはり秀逸だったと思います。




| 都市戦略 | 04:27 | comments(0) | trackbacks(35) | このエントリーをはてなブックマークに追加
建築家という職能について:その2
昨日はバルセロナのとある公共施設である大物建築家を祝う会のようなものがあった。彼はかの有名なバルセロナの公共空間政策である鍼療法・スポンジ政策を生み出した張本人で1975年の独裁政権後より今日までバルセロナの都市を背負ってきた存在だと言っても過言ではないと思います。故に参加者もカタルーニャ政府大統領マラガルから甥っ子や息子、嫁さんまで、ずらーっとお偉い所が揃いもそろって昔話を披露していました。

この会は何か賞を授与するとか講演会でパブリックに開かれているとかという事は全く無く参加者は招待客だけで彼のこれまでの軌跡を辿るとか言うコンセプトの会の様子。注目すべきはこのかなり家族的な会、いわゆるプライベートな会が公共的な施設で公共のお金を使って行われているという事。そしてそれを公共メディアが堂々と報道しているという事だと思うんですね。つまりこの建築家はバルセロナという街では既にヒーロー的な存在で誰でも知ってるし何をやったか・やってるかも知ってる。だからそんな彼に公共のお金が使われるというのはごく自然な発想と皆捉えているんだと思う。

もう一点は彼の家族や親類がバルセロナの街の重要な機関のポストに就いててあたかもバルセロナの建築・デザイン界は彼の家族経営のような様相を呈しているという事。例えば昨日の会が開かれた公共施設のディレクターは彼の奥さんだし息子は現在若手ナンバーワンの建築家。政治家・財界人は皆、親戚のような友人達という具合に。コレを取り仕切る建築家は勿論、各々と話をしなければならないので自ずと各方面の知識が深くなる。そして各分野の利益を総括してビジュアライズしてくれる職能こそ建築家でありこの意味において建築家とはある種のプラットフォームのような存在であると言えると思うんですね。

他の都市はどうなのか分かりませんがヨーロッパの都市にはこのようなヒーローとしての建築家が存在してその建築家がその都市の文化を背負っているという構図なのではないでしょうか?

これはある程度市民社会みたいなのが機能している所ではそんなに悪い事じゃ無い気がします。とりあえずトップの顔が見えるというのは分かり易くて良い。何かやりたいプロジェクトがあった時に「とりあえずこの人に話を通しておくか」というのが明確なので。故に全体像が見渡し易く都市に一貫性が出てくるのかもしれない。つまり各々の小さな計画だけではなくて街を全体として見た時にこの辺りに緑が少ないから公園を持ってくるかとか中心性を持ってくるかとか言う、正に都市分析が機能する大枠が整っているのかもしれない。建築はそれらの浮き彫りになった問題を具体的に解決する道具なんですね。

昔話を語った一人にイグナシのお兄さんで建築家のManuel de Sola Moralesが居ました。彼曰く、「80年代に比べて最近の建築というのは社会的な問題を解決する機能を失って久しくそして悲しい」と言っていました。

このような建築の使い方とその背後にある分析手法こそ僕たちが学ぶべきなのではないでしょうか。



| 建築家という職能 | 11:06 | comments(0) | trackbacks(35) | このエントリーをはてなブックマークに追加
11月1日の選挙
今朝、何時ものように新聞を買ったらDVDが付いてきた。何のDVDかと言うと選挙のプロモーションDVDだった。カタルーニャでは11月1日に選挙があります。焦点は勿論どの政党が政権を取るかなのですが最有力はMas率いるCiUとMontillaが出馬するPSC。PSCはスペイン社会労働党の流れを汲むカタルーニャ社会党で勿論、左。CiUは保守派の地方政党で右寄り。で、今朝のDVDはCiUのプロモーションだったので現政権をコテンパに批判。昨日の新聞にこのDVDの内容についてコメントが幾つか載ってました。それによるとむちゃくちゃ言ってるらしいという情報を得ていたのですが、改めて見てみるとこれがすごかった。とりあえず、前の選挙ではCiUのMasがPSCのマラガルを抑えて勝ってたんですね。でも議席数が足りなくて他の政権と連立を組まなければならなかった。で、考えたのがERCとの連立。しかしマラガルがですね、さすがと言うか、政治力を発揮してPSC、ERC、ICVとの3政党連立といかいう離れ業をやってしまって選挙では負けたものの政権を奪っちゃったんですね。で、最初はうまくいってたんですが元々違う政策を持った政党だけに最終的に破局。その責任を取ってマラガルは今回の選挙には出馬しないという事に至った訳です。僕の見る限り問題はERCのCarod。この人が何時も問題を起こす。なんか水面下でETAと交渉したり、直前になって憲章改正案に反対したり。今回のDVDを見ててほとんど90パーセントは全く見当違いな批判をしてたり、ぜんぜん関係の無い事を持ってきて連立政権のせいにしてたりしてるんだけど、幾つかの批判は当たってる。例えば、連立政権には共同政策目標みたいなのが無いとか、イデオロギーが無いとか。勿論そうです。何故ならマラガルが連立を組んだのは絶対数を確保するためでありそれ以上でもそれ以下でもないかです。痛いところをつかれましたねー。で、今回マラガルの代わりに出馬するMontillaというのが、これがまたひどい。彼は元々中央政府の大臣をやってたのですが何故抜擢されたかというと、マドリッド中央政府がカタルーニャ州政府をコントロールするために送り込んだ監視係りみたいなものなんですね。中央政府は彼を通してマラガルを操りたかった。それを逆に今度はマラガルが利用するという構図になった訳です。何故ならそうする事でザパテロはいやがおうにもPSCを強力に加担するしか無くなった。中央も負けじと前バルセロナ市長を大臣に任命することにより抜けた穴を埋めようという魂胆。CiUはそれを持ってPSCは結局マドリッドの中央に操られているという何時もの議論に落ち着くわけですね。それにしてもMontillaという政治家、何の威厳もカリスマ性も感じられない。今朝の新聞ではCiUが圧倒的に有利と書いてあったけどどうなることやら。



| スペイン政治 | 03:48 | comments(0) | trackbacks(35) | このエントリーをはてなブックマークに追加
コロニアルグエルとジョアンマラガル
毎年この時期になると1週間ほどの間バルセロナの目抜き通りであるグラシア通りの両脇にたくさんの古本屋さんがテントを張って店を出します。今日は時間があったのでぐるぐる見て回る。去年の今頃この古本屋祭りでコロニアルグエルの本を買った事を思い出す。ずっと欲しかったけど絶版で探してた本を偶然見つけたんですね。何年か前に表紙の写真を見た時にものすごく惹きつけられた本なんです。なんかこう、写真に力があるというかものすごくネチーとした写真なんだけど黒いバックにガウディのモザイク柄のデザインを切り取った構成が素晴らしい。で、見つけたと同時に即購入。家に帰って開いてみたらなんと表紙の裏に直執のサインを発見。これがすごい。内容は「私の甥でありサグラダ・ファミリアをこよなく愛した偉大な詩人ジョアン・マラガルの息子へ。」
ジョアン・マラガルは僕のこのブログでもすでに何回か登場しているモデルニズモの旗手であり現カタルーニャ州政府の祖父にあたる人物。確かにマラガルはサグラダファミリアに関する有名な詩を残しているですね。「おお、バルセロナ、お前は魔女だ」で終わる詩です。確かロバート・ヒューズの著書バルセロナの最後はこの詩で締めくくられてた気がする。彼が活躍したのは20世紀の初期、この著者も同時期に活躍した有名なガウディ研究者で大変有名。時期としても合う。で、よくよく調べてみると、あれも、これも・・・。こういう発見は古本の醍醐味ですよね。バルセロナ現代文化センターに勤めていた当時、ドキュメンテーションセンターで当時開かれたAnyバルセロナ会議の磯崎さんと浅田さんの生原稿を発見した時もかなり興奮したものです。
| バルセロナ歴史 | 18:47 | comments(0) | trackbacks(35) | このエントリーをはてなブックマークに追加
都市間競争
今日の新聞に企業が誘致したい都市(ヨーロッパ)のランキングが載ってました。
1位ロンドン
2位パリ
3位フランクフルト
4位バルセロナ
5位ブルッセル
ヨーロッパにおいてやはりロンドンとパリはまだまだ特別な存在です。という訳でその2都市が1位と2位を占めるのは分かる。3位のフランクフルトは近年のヨーロッパにおける金融を語る上でははずせない。その成長振りは現地にいけば直ぐに分かる。ジョルディ・ボージャがサッセンにその重要性を教えたら直ぐにグローバルシティに加えたというのは有名な話。という訳でコレも妥当。ブルッセルはヨーロッパ連合本部が置かれているのでコレも分かる。
注目すべきなのは4位のバルセロナでありここに近年の都市評価軸の構造転換を垣間見る事が出来る。バルセロナが評価された理由は生活の質が高いからというのとオフィスの賃貸料に比する都市交通網を含めた都市サービス料が安いからというのが理由らしい。つまり他の4都市が大きな枠組みにおける効率的という軸で評価されているのに対してバルセロナは生活の質という点で評価されている。同じような理由で7位にアムステルダムがランクインしています。このバルセロナとアムステルダムという組は1999年にイギリスのリチャードロジャースを頭とするアーバンタスクフォースが出版したアーバンルネッサンスに向けての冒頭でロジャース自身がヨーロッパにおける最も活気がある都市として挙げた組です。ちなみにこの本の前書きにはロジャースの他にバルセロナオリンピックを成功に導いたマラガル市長も序文を寄せています。コレ以降コンパクトシティ=バルセロナという図式が出来たっぽい。
今バルセロナが必死で新しい飛行場と新しいビジネス街創ってますよね。何故これほど必死になってるかっていうのは都市間競争に直結するからなんですね。ヨーロッパで大きな飛行場と言うのは4つないし5つ。ロンドン、パリ、アムスそしてフランクフルト。これにマドリッドが加わります。この中でアムスは少し趣向が変わってて何故かと言うとアムスには大きな港があるんですね。で、その港と空港、都市が高速鉄道で結ばれていて比較的短時間で移動可能圏内にある。港というのは空港とは又別に都市の発展のためにはなくてはならない機能です。故にマドリッドはバレンシアとのコネクションが欲しくてたまらないわけですよ。この点、バルセロナはもともと港を持っている。その港と新しい空港を高速鉄道でつないでその中間にビジネス街を作り出すというのがバルセロナの都市戦略。こうする事によってバルセロナはアムスと競争しようとしているんですね、実は。その際新たな求心力兼シンボルとして期待されているのが伊東さんの2本のシンボルタワー。これにも実は意味があって2本と言うところがミソ。それは又今度。これが出来てしまうと困るのがマドリッド。だから長い間ウンと言わなかったわけです。それが2004年にマラガルがカタルーニャ州政府の大統領になった事により事態が一変。初めてカタルーニャ州政府の政党と中央政府の政党が一致し計画に現実味が帯びてきたと言うわけです。ヨーロッパの都市を競争と言う視点で見てみると又違った見方だ出来ますね。
| 都市戦略 | 18:45 | comments(0) | trackbacks(36) | このエントリーをはてなブックマークに追加
カテドラUNESCO
今日はカテドラUNESCOのディレクターとちょっとした打ち合わせ。
このカテドラUNESCOと言うのは1996年にカタルーニャ工科大学に創設され今年で10周年を迎えました。実はこのカテドラUNESCO、世界中にたくさんあって工科大学だけでも確か3つぐらいあるんじゃなかったかな。その内で僕が関係しているカテドラUNESCOはカタルーニャが21世紀を見据えて総力を挙げて創ったサステイナブルUNESCOです。これはその名の通りUNESCOに関係しているのだけどサステイナブルUNESCOの場合は少し内情が込み合っています。今のUNESCOの会長って実は日本人なんですね。で、その前の会長ってフェデリコさんっていうんだけど実はカタラン人なんですよ。で、彼が任期が終わるまでにと言ってやった事業が幾つかあって例えばHerzog&De Mouronのバルセロナの建物でも有名な文化フォーラムだったFouram2004.これ、バックにUNESCOが付いてるんですね。世界的に中立な立場を表明しているUNESCOは普通はこういう一都市のワガママで始まったお祭りには手を貸しません。しかし上に書いたような事情がありこの時はスポンサーになりました。工科大学のはもう少しましな理由があるんだけどバックにフェデリコさんが居るという点では一緒。
カタラン人ってそういうコネマワシみたいなのには非常に長けてるような気がする。1992年のオリンピックだってそうでしょ?サマランチ会長ってカタラン人。まあ、僕にとって非常に印象的な場面は1986年にスイスで1992年のオリンピック開催都市が発表された時にピースポーズをしてるマラガル前市長の若き姿と前前市長のナルシスセラの姿かな。
| 大学・研究 | 05:07 | comments(0) | trackbacks(35) | このエントリーをはてなブックマークに追加
政治家パスクアル・マラガル
昨日書いたカタルーニャの9月11日の記念祭典での現カタルーニャ州政府マラガル大領領のインタビューがEl Paisに載っていました。実は昨日はマラガルにとって特別な日だったんですね。何故かというと大統領として最後の記念祭典だったのです。彼が大統領になってから一貫してやってきた事にカタルーニャを一つの国家Nacionとしてマドリッドに認めさせようという事があり自治体法制を成立させる事に全てをかけてきたと言っても過言ではなかったと思います。しかしその過程で連立政権を解消せざるを得ずその責任を自ら取って時期選挙には出ないと明言しました。
というわけで今年催される歌には彼のおじいさんが書いた詩が適応されたりと、とにかく彼の行動や発言に注目が集まりました。今年最後だと言う事に加えて、少なくない人達が記念祭典で彼が「カタルーニャの独立」に言及するんじゃないかと期待していたからです。この日は歴史的な状況を利用して色々なグループがカタルーニャの独立を主張するんですね。しかしですね、マラガルはそのような安っぽいナショナリズムからは一線を画す態度を貫きました。彼曰く「現在のヨーロッパ統合などの動きの中でカタルーニャ独立というのは意味が無い。カタルーニャはスペインの中の国家(Nacion)のひとつであり、スペインはたくさんの国家Nacionesから成り立っている一つの国家Nacionである。」という趣旨のものでした。僕はこの言葉を聴いて一つの昔話を思い出しました。彼のおじいさんの話です。
このマラガルさんの家というのはカタルーニャでは知らない人はいないぐらい有名な一家なんですね。特に彼のおじいさんはモデルニズモの旗手としてその運動を引っ張った詩人でジョアン・マラガイと言います。モデルニズモというと建築運動と思われがちなのですがモデルニズモという言葉は本来、19世紀後半から20世紀前半にかけてカタルーニャで起こった当時のカタルーニャ文化・思想の潮流を広く表す言葉として生まれたんですね。特にですねこの運動はその当時の政治的な変動、カタルーニャの勃興とマドリッドの衰退という動きと切っても切り離せない。よくアールヌーボーと比べられますが前者が悲観的な表現を採っているのに対してモデルニズモの表現は概して明るいと言う事が挙げられます。これは明らかに先の政治的な運動、カタルーニャ主義政党の確立などカタルーニャという地域が上り調子だったという事と関連し、その観点で見ると建築を含めた芸術表現がその当時の社会状況を表象しているという表象文化論として読むと大変面白い。
このマラガイがですね1898年、すなわちスペインが最後の植民地であるキューバなどを失った年、「聴けスペインよ」という詩を残しています。これはどういう詩かというと過去の栄光に固執してどんどん衰退の一途をたどっているスペイン(マドリッド)、逆に経済的にも繁栄を謳歌しているカタルーニャ。その経済力を背景に果たしてカタルーニャはスペインを助けに行くべきか、もしくは見捨てるべきかという詩なんですね。で、最後にさらばスペインと叫ぶ。この時カタルーニャが見ていたのは明らかにパリでありヨーロッパなんですね。そういう政治経済構造が明らかに変わっているのにそれに気が付かないスペインに対してサラバと言う。
そしてその100年後、彼の孫はスペイン(マドリッド)にはサラバと言えない状況の中で迷っている。カタルーニャをヨーロッパというコンテクストの中で見極めると言う優れた眼を持ちながら。ちなみに彼、もともと経済を勉強しててデビット・ハーベイの研究室に居たらしい。
彼に会うまで政治家という職業の人のすごさ、本物の政治家の威厳というか言葉の重みに触れる事がありませんでした。ポルトガルに居た時にも感じた事だけどヨーロッパにはその街のヒーローみたいなのが未だに居る地域があります。勿論日本みたいな国がそれに憧れを持ったって絶対に戻ってこない社会なのですが、その街の人がみんな知ってる、みんな支持しているという人には現代の我々が失ってしまって久しく見る事の無かったようなオーラみたいなものがある気がします。オポルトではそれがシザでありバルセロナではマラガルだと言う事です。日本人である僕がそのような人達に少しでも触れられ時間を共有できる事を大変幸運だと思っています。僕は昨日の彼のスピーチを一生忘れる事は無いでしょう。
| スペイン政治 | 20:49 | comments(1) | trackbacks(0) | このエントリーをはてなブックマークに追加