地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
(速報)マニュエル・デ・ソラ・モラレス(Manuel de Sola-Morales)氏が亡くなりました
バルセロナオリンピックを成功に導き、地元カタルーニャ工科大学に都市計画研究所を設立した立役者でありセルトの弟子でもあったマニュエル・デ・ソラ・モラレス氏が昨日バルセロナの自宅で亡くなりました。73歳でした。死因は奇しくも弟のイグナシ・デ・ソラ・モラレス氏と同じ、心臓発作だったそうです。

マニュエル氏とは個人的な面識はあまりなくて、何処かのカンファレンスで2−3回見かけた程度だったんだけど、やっぱり、イグナシ・デ・ソラ・モラレスを目指してヨーロッパにやってきた身としては、「イグナシのお兄ちゃん」という事で、勝手に親近感を抱いたりしていたんですね(イグナシについてはコチラ:地中海ブログ:イグナシ・デ・ソラ・モラレス( Ignasi de Sola-Morales)とテラン・ヴァーグ(terrain vague))。



ヨーロッパ建築界の重鎮だったマニュエル氏の都市を扱う巧みさについては、ラファエロ・モネオ氏と共にバルセロナにデザインしたショッピングセンター、L'illa Diagonalを見るだけでも、その片鱗は垣間見える様な気がします(地中海ブログ:L'illa Diagonal: ラファエル・モネオ(Rafael moneo)とマニュエル・デ・ソラ・モラレス(Manuel de Sola Morales))。ともすれば圧迫的になりがちな都市的スケールの建築が、セットバックやボリューム分散などを巧みに組み合わせる事によって、非常に見事な解決案が提示されているんですね。

‥‥先々週は美術界の巨匠、アントニ・タピエス氏の悲しいお知らせが届き、スペイン社会全体が深い悲しみで包まれた矢先、先週は何と、スペイン建築界を背負っていくはずだったMansilla & TunonのLuis Moreno Mansilla氏が53歳という若さで急死したばかりだったんですね。この様な状況は、今から丁度10年くらい前、ミラージェス、イグナシと、連続して21世紀の建築界をリードする筈だった人材を失ったバルセロナの状況に酷似しています。

‥‥歴史に「もし」は無いけれど、もし彼らが生きていたとしたら、間違いなく現在の建築界の中心の一つはバルセロナになっていた事だろうと思います。

まあ、僕達の社会というのは、こうやって先人達が築いてきた基礎の上に次の世代が少しづつ石を積み上げていく事によって前進していくという事は分かってはいるんだけど、それでもやっぱり寂しくなるなーという思いはナカナカ消えません。
 
ご冥福をお祈り致します。
| 建築 | 19:48 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
グスタボ・ジリ社( La Editorial Gustavo Gili)とFrancesc Munoz: UrBANALizacion: paisajes comunes, lugares globales
昨日は朝から一昨日の続きでEU-practiceに参加。一昨日の夕食も夜中まで付き合わされた上に、今日も遅くまで続くんだろうなーとか思ってたら昼前に終わった。ラッキー。昼食を長々と取った後、6月のEU委員会へのプレゼンで会おうと誓い合って皆とお別れ。てっきり夜まで、下手したら明日もとか思ってた僕にとっては、久しぶりに出来た自由時間。天気も良いし散歩でもしようと思いセルダブロックがあるエンサンチェをぶらつく。

セルダブロックで知られるエンサンチェ(新市街地)の一番左側に位置するエリアをぶらぶらしていると、ふとこの辺りにグスタボ・ジリ社(La Editorial Gustavo Gili)があった事を思い出す。この辺りかなと思って行ってみたらやっぱりあった。約130メートルある辺を隅から隅まで住宅がびっしりと並ぶ中にぽっかりと開いた穴。





この秘密の洞窟っぽい通路がグスタボ・ジリ社屋へのアクセス路です。壁には矢印とシンボルマークのGGがかっこよくデザインされている。



グスタボ・ジリ出版社屋はカタルーニャに残る最良のモダニズム建築の内の一つとされています。前にも書いたように、僕が知っているグスタボ・ジリは創業者グスタボ・ジリの息子です。「親子で同じ名前付けるなよ、ややこしいな」とか思ってしまいますが、こちらではそういうものらしい。現グスタボ・ジリ社を取り仕切っているのはお姉さんであるモニカ・ジリさん。

今でも忘れられないんですが、初めてモニカさんに会った時の事、最近の出版業界の低迷とグスタボ・ジリ社への影響などを話してくれました。その中でバルセロナにある出版業界の新興勢力であるA出版社の勢いと、その出版社に勤める日本人Tさんの事を「小さな巨人」と話されていました。1,2回しかお会いした事はありませんが、僕がスペインで唯一尊敬する日本人Tさん。何時か僕もああなりたいものです。



さて、息子のグスタボ・ジリはカタルーニャで注目の若手建築家としてがんばっています。GG社屋の前にあるアパートは彼の設計によるものだそうです。GG社屋の中は現在、本屋さんになっているので自由に入る事が出来ます。ただ撮影は禁止。というわけで中の写真はありません。(写真を撮ってはいけないという所では写真は撮らないというのが僕のポリシーなので)

中は優しい光が包み込む透明感溢れる空間に仕上がっています。本屋さんで何か無いかなと物色していたら旧友のFrancesc MuñozによるUrBANALizaciónが発売真近とあるじゃないですか!3年前から出版する、出版すると言っていた彼だったのですがとうとう出版にこぎつけたか!何故かというと、プロローグをサスキア・サッセンに頼んだのに全然返事をくれないとの事だったのですが、無事解決したのですね。おめでとー。

彼は何を隠そうあのイグナシ・デ・ソラ・モラレス(Ignasi de Sola Morales)の最後の弟子です。地理学者である彼は元々マニュエル・カステル( Manuel Castells)やサスキア・サッセン( Saskia Sassen)などのネットワーキングシティに関心を持っていました。アンダルシアから出てきた彼はその主題と論文を持って当時カタルーニャに帰郷したばかりのマニュエル・カステルに近付こうとしたんだろうと思います。その間に居たのがイグナシ。フランセスクの類まれな才能に気が付いたイグナシは彼の耳元でこうささやきました。

「これからはサステイナブルシティという名の下に、コンパクトシティのモデル都市としてバルセロナモデルが輸出される事になるだろう。一見正しく見えるこのモデルにも弱点がある。何故なら伝統的にコンパクトな集住を可能にしてきた地中海都市においてさえもアーバニゼーションの力に抵抗する事は出来ないからだ。現にバルセロナはこの10年間でコンパクトどころか、反対にどんどんと拡散が進んでいる。バルセロナがコンパクトに見えるのはエンサンチェの活気が与える幻想に過ぎない。もし将来バルセロナがコンパクトシティという地位を守りたいんだったら、逆にどれだけの都市化が進んだかという定量的なデータと共に批判的な立場からモデルを擁護する必要があるだろう。」

こんな事言ったかどうか知りませんが(多分言ってないかな(笑))、彼の主題はカタルーニャにおけるアーバニゼーションに決まりました。更に、そのような低密度居住が現代文化とどう関係しているかという視点を盛り込み、英語の「表層的な」という意味のBanalと合わせてUrBANALizacionとなったと言うわけです。この時彼の頭にあったのはSharon ZukinのLandscape of Powerだったと思いますね。彼はかなり早くからZukinに注目していたし。

ここには明らかにイグナシの影響が見られます。彼は「経済、社会、風景、この3つの要素は何時も一緒に変化していく」と言っています。逆に言えば、これら3要素を一緒に分析しなければどのような都市現象も正しく理解する事は出来ないと言っているんですね。

フォーディズムが到来した時、その核心にあったのは「労働者が自社の製品を買ってくれる消費者にも成り得る」という視点でした。だからフォードは当時としては法外な賃金を労働者に払ったわけです。こうして先ずは工場の周りに労働者の住居が出来ました。そこで豊かになった人達は自分達が生産した車を購入し、郊外へと引っ越していきました。こうして社会と共に経済、風景も変わっていったのです。

このような基本的な考えをベースにSharon Zukinの理論などを巧みに利用しながらカタルーニャにおける低密度地域の再生産のプロセスを解き明かしたのがUrBANALizacionです。3年前に行われた彼の博士論文公開審査にイグナシは来る事が出来ませんでしたが、彼のお兄さんであるマニュエル・デ・ソラ・モラレス(Manuel de Sola Morales)がジュリーとして出席し、最大の賛辞を送っていた事が、昨日の事のように思い出されます。
| バルセロナ歴史 | 15:19 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
L'illa Diagonal: ラファエル・モネオ(Rafael moneo) とマニュエル・デ・ソラ・モラレス(Manuel de Sola Morales)
バルセロナ市内を斜めに貫く大通りディアゴナル通りの山の手側にイーリャ(L'illa Diagonal)という複合ショッピングセンターがあります。1994年にラファエロ・モネオとマニュエル・デ・ソラ・モラレスにより計画・デザインされました。



もともとこの計画は1987年にバルセロナ市役所(Ajuntament de Barcelona)が発表した「新しい中心街計画:Arees de nova centralitat」の上に乗った計画だったんですね。もっと言えば1976年のPGMで既に方向性が示されていたのですが。更に言えばそのPGMにはモデルがあってミラノを模倣したものだったんですね。

当時バルセロナは市内に12の新たなる中心街を創り出そうとしていました。単に住宅開発をするのではなく人々がそこに集まってくるような求心性と地域のアイデンティティを持たせようとしていたのです。当時の合言葉だった「都市の中に都市を創る(La ciudad de ciudades)」、もしくは「郊外をモニュメント化しよう(Monumentalitzar la periferia)」という例のあれです。その一つがディアゴナル・サリア地区であり、核となったのが上述の複合ショッピングセンターです。

この計画で注目すべき点は幾つかあるのですが、そのうちの一つが計画プロセスです。この計画は民間主導の計画でした。故に課題はどうやって民間をうまくコントロールしていくかにあったんですね。建築家モネオが選ばれたのはうまく民をコントロール出来そうだったからだと言われています。実際彼はうまくやりました。施主は既に全敷地をショッピングセンターにする承認を受けていたにもかかわらず、建築家が敷地の半分にだけ建物を創り残りは公園にして市民に開放したらどうかと提案したそうです。そんな事、出来るのか?とか思っちゃいますが、それはさすがモネオとマニュエル。やっちゃいました。ショッピングセンターの裏手側にあるこの公共空間は今や、市民の憩いの場となっています。



この建築はデザイン的に見ても大変に興味深いと思います。かなり横長で巨大な敷地に建っているので普通にデザインしたら低層にするとはいえ周りにかなりの威圧感を与えてしまう。よって水平低層を基調としながらも、塊を幾つかの部分に分けてそれらのブロックを組み合わせる事でその威圧感を和らげています。



シルエットとしては両側を高層、中を低層とする事で形に強弱を付け画一なフォームにならないように工夫しているのが見えますね。それにも関わらず街並みを構成する要素として周りの風景をかき乱すのではなく、逆に調和させているのは均一に並ぶ窓のデザインのおかげでしょうね。

足元から一階部分にかけては黒の石を用いて地面からの連続間を出しつつ、上部でトラバーチンに切り替えるというデザインはシザの常套手段ですね。趣味が良い。トラバーチン部分に規則正しく並ぶ窓は大変にリズミカルで、これだけの数があるとそれはそれでデザインとしてある一定の領域に達していると思います。



ここが裏手側に通じる入り口。少し引っ込んだ所にガラスを通して人の動きが見えます。向かって右手側に折り返し階段が付いている。ちょっとした塩コショウといったところでしょうか。







このゲートをくぐると表側の喧騒とは一変して大変に穏やかな中庭が広がっています。ちょっと大きい秘密の隠れがっぽい。カフェがたくさん並び優雅なひと時を過ごす事が出来ます。僕のお気に入りです。
| 大学・研究 | 20:04 | comments(0) | trackbacks(35) | このエントリーをはてなブックマークに追加