地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
イグアラーダ(Igualada)にあるエンリック・ミラージェスの建築:イグアラーダの墓地

バルセロナから電車で2時間ほどの所にある小さな町、イグアラーダ(Igualada)に行ってきました。この町はカタルーニャが「スペインのマンチェスター」と言われていた19世紀末頃に繊維工業で栄え、町の至るところには当時の面影を残す工場跡地が幾つも顔を覗かせています(地中海ブログ:パン屋さんのパン窯は何故残っているのか?という問題は、もしかしたらバルセロナの旧工場跡地再生計画を通した都市再活性化と通ずる所があるのかも、とか思ったりして)。

その割に、歴史的中心地区は意外に小さく、幾つかのミュージアムを除いては特に見るものも無し。。。しかしですね、そんなコレといった観光資源もない町に、毎年海外から数多くの建築家達が押し寄せて来るという摩訶不思議な現象が起きているんですね。

何故ならこの町にはカタルーニャが生んだ今世紀を代表する建築家、エンリック・ミラージェスの傑作の一つ、イグアラーダの墓地があるからです。

実は、、、バルセロナに来た当初、エンリック・ミラージャスの建築にはさっぱり興味がありませんでした。勿論、El Croquisなどを通して知ってはいたのですが、なんかクネクネしてるだけだし、「ほ、本当にこれが良い建築なのか?」とかなり疑心暗鬼だったんですね。

そんな僕の疑念を一気に吹き飛ばしてくれた建築こそ、今回訪れたイグアラーダのお墓だったのです。いま思えば当時の僕は、「建築とは何か、社会文化とは何か、建築家とはその社会にとってどういう存在なのか?」といったことが、これっぽっちも分かっていない若造でした。というか、そんなことを考える=「建築をその地域の社会文化の中で考える」というアイデアすら思い付かないほど、何も知らなかったのです。

←スペインの格言で「無知とは最大のアドバンテージだ(Ia ignorancia es una gran ventaja)」というのがありますが、正にそれにピッタリだったと思います。

そんな僕に、建築と社会の繋がりの大切さを教えてくれたのが、エンリック・ミラージェスの建築であり、Oportoを拠点とする建築家、アルヴァロ・シザだったんですね。

いまから15年前、当初はソウト・デ・モウラの建築に興味があって訪れたポルトガルだったのですが(地中海ブログ:エドゥアルド・ソウト・デ・モウラの建築:ポウザーダ・サンタ・マリア・ド・ボウロその2:必要なくなった建築を壊すのではなく、修復してもう一度蘇らせるという選択肢)、「時間が余ってしまった」という消極的な理由から偶々見に行った美術館が素晴らしすぎて、その3日後には「シザの建築をどうしても理解したい」と思うようになり、即決で1年弱Oportoに住み込むことにしちゃいました。

←若い時だからこそ出来たムチャです(笑)。

←その当時は時間は腐るほどあったし、何よりユーロ通貨が導入されたばかりの頃だったので生活費が尋常じゃ無いほど安かったのです(地中海ブログ:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)のインタビュー記事:シザ建築の特徴は一体何処からきたのか?)。

Oportoに住んでいる間、毎日の様にシザの建築を訪れたり、街のいたる所で行われる建築関連のイベントに参加したりと、「書籍からではなく体験から」、建築と社会文化、そしてその社会の中における建築家の役割ということを肌で学ぶ事が出来たのは本当に幸運だったという他ありません(地中海ブログ:アルヴァロ・シザの建築:セラルヴェス現代美術館:人間の想像力/創造力とは)。また日本では「詩的」と評されるデザインばかりが紹介されがちなのですが、ポルトガルというローカルな地域の中でグローバルな建築家がどう評価され、どう受け止められているのかという別の側面を垣間見ることが出来たのは、建築家としての僕のキャリアを形成する上で掛け替えのない財産となったと思います。

それ以来、書籍でしか見たことの無い建築や、自分が住んだことの無い地域の建築を深く語るのはやめることにしました。

建築は社会文化に深く入り込んだ存在であり、その社会文化の表象でもあるので、その建築がその社会の一体何を表しているのか、その文化にとってどんな意味があるのかを理解しないことには、その建築がそこに建っている意味が分からないと思うようになったからです。例えば僕は昔からジャン・ヌーベルの建築が良く分からなくて、結構色んなところで批判もしてきたのですが、「あの「ヌメーとした感覚」は、もしかしたらフランス文化のある側面を表しているのかもしれない、、、」といまはそう思うことが出来るようになりました(地中海ブログ:マドリッド旅行その2:ジャン・ヌーヴェルの建築:国立ソフィア王妃芸術センター)。

そんな僕の眼から見た時、エンリック・ミラージェスの建築は、バルセロナというこの地のもつパワー、ギラギラ照りつける太陽の下、陽気に溢れ返っているこの地の社会文化を的確に表象している、そう断言することが出来ます。彼が意図する・意図しないに関わらず、彼が創る建築はそんな側面を表象してしまう、そんな数少ない建築家の一人なんですね。そう、まさに:

「建築とは、その地域に住んでいる人達が心の中で思い描いていながらも、なかなか形に出来なかったもの、それを一撃のもとに表す行為である」(槇文彦)

注意

このお墓は工業地帯の一角(町の郊外)にあります。駅から歩いて45minくらい、タクシーなら10min程度ですが、人気(ひとけ)があまり無いところなので一人で行くのは絶対に避けましょう。

←スペイン在住16年で、危ない環境に足を踏み入れたら即座に危険センサーが鳴り響く僕ですら、正直ちょっと怖かったです。

←繰り返しますが、出来るだけ大人数で行くことをお勧めします。

さて、タクシーを降りてお墓に到着したら先ず我々を出迎えてくれるのがこの風景:

大自然の中にひっそりと佇むコンクリートの形態達、、、って感じかな。コールテン鋼で創られた軽快なオブジェが、青い空と緑にマッチしています。ダイナミックな形態をしたこのオブジェはミラージェスの十八番。

カタルーニャ内陸部にミラージェス事務所がデザインした小さな図書館があるのですが、その建築に流れる物語のクライマックスに変形可動テーブルを持ってきていることは以前のエントリで詳しく書いた通りです(地中海ブログ:エンリック・ミラージェスとベネデッタ・タリアブーエのパラフォイス図書館:空と大地の狭間にある図書館)。ちなみにスカルパもクエリーニ・スタンパリアで壺による大変特殊な空間体験を持ってきていましたし(地中海ブログ:カルロ・スカルパの建築その2:クエリーニ・スタンパリア:空間の建築家カルロ・スカルパ:ものすごいものを見てしまった)、カステル・ヴェッキオでは、各展示室に置かれた家具が、空間の質を左右する重要な要素として考えられていました(地中海ブログ:カルロ・スカルパの建築その3:カステルヴェッキオ:空間の建築家カルロ・スカルパ:ものすごいものを見てしまったパート2)。

そんなことを思いつつ、いよいよ中へと入っていきます。

これが典型的なヨーロッパのお墓です。我々日本人にとっては非常に印象的な風景だと思います。そう、ヨーロッパのお墓というのは、こんな感じで高層マンションの様になっているんですね。

どうしてこうなっているのかというと、日本では火葬が一般的なのですが、ヨーロッパでは土葬が主流だからです。つまりはそれだけスペースが必要になってくる為、高層化しないと土地が幾らあっても足りなくなってしまうからです。特にカトリック信仰が根強く残っているスペインにおいては、基本的にみんな土葬だったりするんですね。

←なんでかって、カトリックでは「死んだら復活して天国へ行ける」と信じているので、体を焼いちゃったら復活出来ないからです。

←火葬の日本では、死んだ直後に焼いちゃうから、死人はその時点で時間が止まる為、日本の幽霊(お化け)はいつも五体満足で出てきます。

←逆にヨーロッパのお化けは基本的にゾンビです。ヨーロッパでは土の中に体が残っている為、死んでからも時間が経過するので(つまりは腐敗が進む為)、五体満足の状態では出てこれないのです。

埋葬の仕方なのですが、基本的に上の写真の穴一つ分が1家族の埋葬スペースになります。で、この高層マンションタイプが一般庶民用なんだけど、お金持ちのお墓っていうのがコチラ:

ゆったりスペースタイプ(笑)。正に「地獄の沙汰も金次第、、、」と言った感じでしょうか。ちなみに下のお墓はバルセロナ市内にあるイルデフォンソ・セルダのお墓です:

バルセロナの新市街地を創った彼のお墓らしく、セルダブロックがデザインされたオシャレな創り(笑)。また律儀にも、現在の過密状態ではなく、彼が理想とした低密度バージョンになってるww

さて、この建築の最初の見所がコチラかなと思います:

エントランス向かって右手側が斜めに大きくせり出し、その力を受けて少し押されるかのように反対側の形状が凹んでいるんですね。これはコルビジェの影響だと思われますが、ミラージェスのもう一つの傑作、バラニャ市民会館がコルビジェの影響を強く受けていることは以前のエントリで書いた通りです(地中海ブログ:エンリック・ミラージェスの建築:バラニャ市民会館:内部空間編)。

ただ、形態的には確かにコルビジェなんだけど、この強いせり出しによる空間構成とここに流れる空気は、アルヴァロ・シザの教会の膨らみに似ている気がします(地中海ブログ:アルヴァロ・シザの建築:マルコ・デ・カナヴェーゼス教会の知られざる地下空間:真っ白な空間と真っ黒な空間)。

1つのユニットとしての箱(1人用のお墓)がこれだけ沢山並んでいると、それだけである種のリズムを創り出していて爽快です。つまりは同じものを反復することによる美、、、という手法ですね。、、、ここで思い出されるのがミース・パビリオンなのですが、実は僕、バルセロナに来たばかりの頃、バルセロナ・パビリオンの良さがさっぱり理解出来なくて、一ヶ月くらい毎日通い続けたことがありました。

←あまりにも毎日来るものだから、係員のお兄さんが不思議がって、「お前は一体誰だ?」みたいな話になり(笑)、それが縁でミース財団と知り合いになり、一年後にミース財団奨学生にしてもらうことが出来たっていう、嘘のような本当の話(笑)。

その当時は時間だけはあったものだから、本当に毎日通ってて、で、一ヶ月くらい経ったある日、ふと気が付いたのです。

「大判で同じサイズのトラバーチンがあれだけ丁寧に、しかも毅然と並んでいる風景は結構美しいかもしれない、、、」と。

ちなみに僕は奨学生という立場を利用して、バルセロナ・パビリオンの地下に入ったことがあります。

←バルセロナ・パビリオンの再建を請け負ったイグナシ・デ・ソラ・モラレスによると、オリジナルと複製で唯一違うのが「地下空間があるかどうか、、、」という点だそうです(地中海ブログ:バルセロナパビリオン:アントニ・ムンタダスのインスタレーションその1)。

←もう一つちなみに、今年(2016年)はミース・パビリオン再建30周年記念だった関係で様々なイベントが行われていたんだけど、再建当時、このパビリオンの大理石を探す為に世界中を駆けずり回っていた石職人のおじいちゃんのインタビュー記事が地元の新聞に載っていました。

こういう記事が新聞の見開きに大々的に載ること自体、市民全体に「建築」が浸透していることの証でもあると思います。

さて、この建築の構成なのですが、左手には先ほどみたお墓が一直線に並んでいるのに対して、その力を受ける反対側のお墓は、あたかもその静寂さを崩すかのような構成をしているのが分かるかと思います:

3つに区切られたブロック、その真ん中の部分だけを敢えて引っ込ませることによって、画一的になりがちな形態に動きを与えることに成功しているんですね。更にその引っ込んだ部分は、左手側の形態に対応している為、二つの形状の間に連続感すらも獲得しているというオマケ付き。この辺は非常に上手いと思います。

また、この引っ込みによって出来た空間(膨らみ)が、クライマック的空間に到達する一つ手前のクッションとして働き、人の流れに対する「溜まり」を請け負っていることも分かります。そこを抜けると広がっているのがこちら:

じゃーん!大変気持ちの良い、円形広場です。注目すべきはここかな:

空を切り取っていた直線がその端部においてどう終わっているか、、、という点です。そう、建築のデザインにおいて大事なことは、直線そのものではなく、その直線が他の直線とどう交わっているのか、はたまたその直線がその端部でどう終わり、どのように空を切り取っているのか、、、ということなんですね。

それらのことが非常に良く分かる基礎デザインのオンパレード!ミラージェスの建築が輝いているのは、なにもそのグニャグニャ感だからなのではなくて、そのグニャグニャ感を支えている「ちょっとしたデザイン」、その基本をキチンと押さえているからこそ、彼のグニャグニャが活きてくるんですね。そういうデザインの基礎も何も無しにやっているのは、単なる形態遊びでしかありません。

さて、この位置から今辿ってきた道を振り返ってみます:

この位置から見ると明らかなんだけど、エントランス(入り口部分)が狭く、そこから奥に行くに従って末広がりの空間構成になっていることが分かるかと思います。そしてその空間を抜けると広がっているのがこの風景:

一番奥の部分に、人々が溜まることが出来る空間、一番広い空間を持ってきています。この丸い空間を上から見てみます:

床に埋め込まれた木々が非常に良いリズム感を醸し出しています。ここはこのお墓に来た人たちがゆったりと談笑する空間、祖先と向き合う空間として設えられているんですね。ちなみにこのお墓には2000年に急死したミラージェス自身のお墓もあったりするのですが、ミラージェスのお墓の壁には海外から引っ切り無しに訪れる建築ファンのコメントで溢れ返っていました:

それだけこの建築がここを訪れる人達の心を捉えたということだと思います。

一直線に並ぶお墓ブロックの真ん中には上階へと向かう階段が設えられています。

更にもう一段。登りきった所に展開しているのがコチラの風景:

計画されながらも10年以上も放置されている教会堂です。「あー、そうか、、、ここがこの建築のクライマック的空間として計画されたんだな、、、」と、ここまで来て初めて、この建築に流れる物語(ストーリー)の全貌が明らかになりました。

この教会堂には、三つのトップライトから光が存分に降り注ぎ、まるでその光を受け止めるかのように、大きな掌のような形態をした受容器がデザインされています。そしてその表面は意図的にザラザラの装飾が施されているんですね。

これはバロック建築がよくやる手法、真上からの光を受け止め、その光がどのように空間に拡散されていくかを視覚化する装置と一緒です(地中海ブログ:ルイス・カーンのフィリップ・エクセター・アカデミー図書館:もの凄いものを見てしまったパート3:「本を読むとはどういう事か?」と言う根源を考えさせられた空間体験、地中海ブログ:プロヴァンス旅行その5:ル・トロネ修道院の回廊に見る光について)。

この建築を訪れることによって感じること、それは普通のお墓にありがちな辛気臭さだとか、悲壮感などではありません。そうではなく、この空間に溢れているのは喜びであり、楽しさであり、何より心弾む、そんな感覚なんですね。ミラージェスはこのお墓をデザインするにあたり、こんなことを言っています(10以上前に読んだ記事なので一言一句覚えている訳ではありませんが、こんな感じの趣旨だったと思う):

「お墓というのは、故人を悲しく想い偲ぶ場所なのではなく、故人と向き合い再会することによって、みんなで楽しむ場所なのだ」、、、と。

建築は表象文化です。そして建築とは、個人的な感情よりも集団的な価値観を、悲しみよりも喜びを表象するのに大変適した芸術形式です。

このお墓には、この地に生まれ育ちながらも死んでいった人達と再会する喜び、そんな感覚で満ち溢れています。そしてそれこそが、このカタルーニャ、ひいてはスペインという地の社会文化であり、そのことを一撃の元に表しているのがミラージェスという稀代の建築家がデザインした建築だったりするのです。

| 建築 | 01:22 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
磯崎新さん設計によるア・コルーニャ人間科学館(DOMUS)
暑い、非常に暑い!前回のエントリで書いた様に(スマートシティとオープンデータ:データ活用によるまちづくりのイノベーション(横浜))、現在ヨーロッパにはアフリカからの熱波が押し寄せて来ていて、スペイン内陸部では連日40度を越す猛暑が続いています(ニュースでは38度とか言ってるけど、あれは日陰で測った温度です)。



街路に掲げられている温度計(43度!)も暑すぎて壊れてるっぽい(苦笑)。「ヨーロッパは乾燥してるから、暑くてもジメジメしてないんだよねー」という、間違ったイメージを持ってバルセロナに来る観光客のかたが非常に多いのですが、バルセロナは海に面していることもあり、意外と「ジメッ」としています。以前京都から来た友人が「バルセロナって京都よりも湿度高いかも」と汗ダラダラになりながら苦笑いしていたのを思い出しますねー。



そんな酷暑の中、所用の為にア・コルーニャに行ってきました。スペイン北西部に位置するア・コルーニャ市は、真夏といえどもそれほど気温が上がらず、最高でも25度から27-8度程度と、非常に過ごし易い気候で知られているんですね。



また市内には、ユネスコ世界遺産に登録されているヘラクレスの塔(ローマ時代に作られた灯台)があることなどから、世界遺産大好きな日本人観光客のみなさんにも比較的馴染み深い都市となっているのでは?と思われます。



その一方、我々建築家にとって「ア・コルーニャ」といえば、やはりコチラかな:



そう、泣く子も黙る日本が生んだスーパースター、磯崎新さん(建築家)が設計されたア・コルーニャ人間科学館(ドムス:Domus)です。完成は1995年なので、ちょうど磯崎さんがパラウ・サン・ジョルディ(バルセロナオリンピックのメイン会場)を完成されて、「これからヨーロッパでガンガン建築を創っていくぞー」と息を巻いていた頃だと思われますね。



この建築が建っているのは、「大西洋のテラス」と形容出来そうな最高のロケーション!イメージとしては、僕が小学生くらいの時にテレビで放送していた「メイプルタウン物語」に出てきそうな街、、、というところでしょうか(笑)。
←ちなみにあのアニメ、第二弾が「パームタウン編」とかいって、「メイプルタウンとさっぱり関係ないじゃん!」と、子供心に思っていました(笑)。更に更に、なんでパームタウンに行く事になったかというと、主人公(うさぎ)の従兄弟がその街に住んでるからっていう設定だったんだけど、その従兄弟、犬なんですよね(笑)。しかも猫のギャングに虐められる‥‥っていう不思議な設定(笑)。

↑↑↑はい、どうでもいい豆知識終わりww

さて、海岸線沿いに降りてみると、カーブを描くビーチの何処からでもこの建築が目に入ってくることから、「この建築は、この街のシンボルになるように期待された」と、そう読み取る事が出来ます。



‥‥僕がこの街を初めて訪れたのは今から14年も前のこと、丁度オポルトに住み始め、シザの建築を見て回っていた頃だったと思います。「青春18切符ヨーロッッパ版」みたいなのを買って、ポルトガルやスペインを始め、フランス、ドイツ、オランダ、ベルギー、イタリアなどの建築や街を見て回っていた時に、乗り換えの都合でたまたま立ち寄ったのが、このア・コルーニャという都市でした。



ただ当時は(乗り換えの為に)あまり時間が無く、街を一回りするだけで精一杯。磯崎さんのドムスも海岸側からチラッと見て、写真を1−2枚撮るだけに留まっていました。

しかしですね、今回の滞在で改めてこの建築をジックリと観察してみてビックリ!そのデザインの質の高さに驚いてしまったという訳なのです!!

そんな素晴らしい建築、先ずは、海岸側から眺めてみます:



全身に風を受けて立つ帆のイメージでしょうか、、、。目の前に広がる海岸の緩いカーブに沿って建てられた、非常に素直な形態です。そして大変特徴的な緑色のファサード、これはこの辺りで取れるスレートだそうです。



海岸線を背にしつつ、大階段の右手奥にそっと設えられた階段を登ってみます:



この小階段は大階段に対して直角方向に付いていることから、先ずは「ファサードに向かって」ではなく、「ファサードと平行方向に」歩かされます。
←ここ、重要!
左手側には海岸線、そこから更に右手方向に半転(90度)させられ、ここで再びファサードとご対面〜:



そして大階段を登り切ったポイントから振り返るとこの風景:



うーん、絶景かな、絶景かな。ここでちょっと上の方を見上げてみます:



これがファサードを構成する緑色のスレートのディテール。石を長方形にカットしておいて、それを一枚一枚丁寧に貼り付けているのが見て取れます。スペインとは思えない非常に丁寧な仕事、そしてそれを実現する技術力、、、といったら言い過ぎでしょうか?(苦笑)



そんなことを思いつつ、更に階段を登っていくとエントランスホールに導かれます。



海岸線から大階段、そしてエントランスへと、「これがこの建築の基本的なアプローチ空間の構成かなー」とか思ってたら、ここで大どんでん返し!!!



エントランスホールを左手に見ながらそのまま真っ直ぐ進むと裏通りに出るのですが、この建築の裏側、そこのデザインが凄かったのです!



表側の「緩いカーブ」とは対照的な「ジグザグ」を基本としたファサード、ちょうど屏風の様な形になっているんですね。ちょっと左方向に歩いて行ってみます:



うーん、ジグザグです(笑)。次は右手方向に歩いて行ってみます:



やっぱりジグザグ(笑)。しかもなんだか、「ジグ」と「ザグ」を繋いでいる直線部分が間延びしてたりして、ちょっとカッコ悪い、、、。



一番端っこまで行くと、そこから表側に回れるようになっていて、そちら側にはレストランが設えられていました。



この視点から見る空の切り方は秀逸。更に更に、端の切り方はもっと秀逸:



真横にビヨーンと伸びた形態って、その端の切り方でその建築の質が変わってくると思うんだけど、この納め方は非常に美しいですね。そしてここからもう一度裏側へ戻ろうとした時、事件は起こりました!それがこちらです:



な、なんと、先ほど見た伸び伸びでカッコ悪すぎた一つ一つのジグザグ、それらが重なり合うことによって「襞」を創り出し、この上ない風景を出現させていたのです!



す、素晴らしいの一言!

この様なデザインは、(1)我々人間の眼が地上から150cmくらいのところに付いている、(2)人間とはその様な眼を持って空間内を歩き回る存在である、ということが十分に解ってないと出来るデザインではないと思います。



「な、何をそんな当たり前のことを、、、」と思われるかも知れませんが、これが意外と難しいんだなー。そしてこの様な襞を創り出しているということは、この建築の一番の見所、そのパースペクティブを常に意識してデザインしているということでもあるんですね。

この様な手法を用いて創られた非常に優れた建築としては、ラペーニャ&エリアス・トーレスがデザインしたトレドのエスカレーターがあるかと思われます(マドリッド旅行その4:ラペーニャ&エリアス・トーレス(Jose Antonio Martinez Lapena and Elias Torres)の建築その1)。



色んな方向を向いたエスカレーターが折り重なることによって襞を創り出し、更に適切な天井操作と相まって素晴らしくカッコイイ風景を創り出しています。が、しかし、それを反対側から見るとこんな感じに見えちゃいます:



ほらね、間延びしててカッコ悪いでしょ(笑)。しかしですね、こんな間延びすらデザインにしてしまったのが、何を隠そう我らがアルヴァロ・シザだったりするんですね:



シザのこの住宅、真正面から見ると襞が重なり合って非常にカッコイイ風景を創り出しているのですが、それを真横から見るとこんな感じ:



上の2作品と同様に確かに間延びしてるんだけど、このシザの建築の場合は、この間延びが、あたかもポルトガルの「ゆったりと流れる時間」のような社会文化を表象しているかのようですらあるのです!正にシザ・マジック!

‥‥僕は思うのですが、はやり建築というのは、「その地域に住んでいる人達が心の中で思い描いていながらも、なかなか形に出来なかったもの、それを一撃のもとに表す行為である(槇文彦)」‥‥と。そしてそういう能力を兼ね備えた人のこと、無意識の内にもデザインからその様な片鱗が見えてしまうものを創り出してしまう人のことをこそ、我々は建築家と呼ぶのだと‥‥。

あー、また脱線してしまった、、、。

さて、今回の磯崎さんの建築デザインなのですが、この様な「ジグザグ形態による襞」というかけがえのないアイデアを中心とした、「裏側のデザイン」を知った上で、「表側のデザイン」を見ると、また違った意味合いが出てくるから不思議です。



大西洋の風を全身で受け止めながら市内の一等地に建っているこの建築のファサードは様々なメディアに取り上げられ、「ア・コルーニャの顔」ともいうべきシンボルとなってはいるのですが、上述の形態操作などを見るにつけ、今まで「表」だと思っていたこちら側が、実は「裏側」なんじゃないか、、、という気すらしてくるんですね。

エントランスの扱い方を見るに付け、この思いはより一層強くなっていきます。

先ほどの襞が一番カッコよく見えるポイントから少し坂を登っていくとこの建築のエントランスにぶつかるのですが、進行方向に向かって門が少し「ハスに構えている」のが見て取れます:



そして言われるがままに歩いて行ってみます:



向こう側にはパッと開ける視界が少しだけ右側に曲がりながら開けているのを見ることが出来るんですね。



つまりこうすることによって、螺旋状の動きを作り出し、その流れに沿って自然にエントランスに導かれる‥‥という流れを作り出しているのです!入り口を入ったところがコチラ:



2層分吹き抜けの大変気持ちの良いエントランス空間の登場〜。ちなみに内部空間はこんな感じ:



‥‥どちらが表でどちらが裏なのか分からない、、、はたまた表はやはり表であって、でも裏側から見たときはそれが表になって、、、と考えれば考えるほど、なんか磯崎さんの術中にはまり、ひいては彼の掌の上でチョロチョロと遊ばされているだけだった、、、ということになるという、、、なんか、そんな色んなことを考えさせられる建築であることは間違いありません。



素晴らしい建築体験でした!

追記:
ア・コルーニャを訪れる楽しみの一つは大西洋が育む豊富な海産物です。そんな中でもガリシア風タコ煮は絶品!市内でも1、2を争うと言われるレストランがスペイン広場にあるんだけど、その名もA Pulpeira de Melide(メリデ村から来たタコ煮職人の家(笑))!



ここのタコ煮は絶品です。柔らかすぎす、かと言って固すぎず、厚さも適切にカットされている極上の逸品に仕上っています。



マテ貝も頼んでみたのですが、コチラも素晴らしい逸品でした!こんなに身がプリプリのマテ貝は珍しい。

食後のデザートはコチラで:



ア・コルーニャを本店とするチューロスの名店、Bonilla a la vista! 程よい甘さのホットチョコレートを揚げたてのチューロスにつけて食べると、もう最高〜。



建築探訪と共に、食事も最高のア・コルーニャ訪問でした。
| 旅行記:建築 | 12:53 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
マドリッドの環状線M30の真上に出現した公共空間:ドミニク・ペローのアルガンズエラ歩道橋(The Arganzuela Footbridge)
前回のエントリ、マドリッド・ミーティングの続きです。



実は今回のマドリッド滞在で絶対に見ておきたかったモノが3つあって、その内の1つが現在プラド美術館で開催中のラファエロ展だという事は前回のエントリで書いた通りです(地中海ブログ:プラド美術館のラファエロ展(El Ultimo Rafael):ラファエロの精神的遺書「キリストの変容」の制作過程が明らかに)。この展覧会、ラファエロ好きには堪らない内容となっていて、その興奮がまるで昨日の事の様に思い出されます。



そして僕が今回どうしても見たかった2つ目というのが今日のお題なんだけど、それこそフランス人建築家ドミニク・ペロー氏が約1年前に完成させたマンザラネス川に掛かるアルガンズエラ歩道橋(The Arganzuela Footbridge)なんですね。



僕が今までに見た事があるドミニク・ペロー氏の作品はフランス国立国会図書館くらい。



この建築を訪れる前は、「巷に溢れる一筆書き建築」って言う(どちらかと言うと悪いイメージ)を持ってたんだけど、実際訪れてみると、銀色のメタリック・メッシュが大変良い感じを醸し出し、緑豊かな中庭空間も迫力十分、更に高層部分を均一に覆っているガラスとそこから透かして見える日除けルーバーの開閉風景が大変豊かで、それらルーバーの「不均質さ」とガラス面が創り出す「均質さ」が相俟って、ナカナカ興味深い体験だったと思います。



そんなこんなで彼の建築にはかなり良い印象を持ったので、「今度はマドリッドにある屋内競技場(Caja Magica)を見てみたいなー」と思い、ここ3年間に何度か訪問してみたんだけど、どうやらこの施設は何かしらのイベントが行われてないと中へ入る事は不可能だと言う事が判明。で、事前調査の結果、今回の滞在中には何もイベントが行われず、中へは入れなさそうだという事が判っていたので泣く泣く断念する事に。しかしですね、マドリッドにはドミニク・ペロー氏が手掛けた建築がもう1つあって、と言うか最近出来て、前々から「実はそっちの方が面白そうかな?」と、そう思っていました。その建築こそ今回登場するアルガンズエラ歩道橋と言う訳なんです。



プラド美術館を後にして、お昼過ぎに国立ソフィア王妃芸術センター(地中海ブログ:マドリッド旅行その2:ジャン・ヌーヴェル(Jean Nouvel)の建築:国立ソフィア王妃芸術センター(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia))で打ち合わせが入ってたんだけど、今回はこの歩道橋がどうしても見たかったので、ランチの時間を削って見に行く事に。行き方としては、地下鉄5号線でMarques de Vadillo駅まで行き、そこから5分ほど歩くというのが一番近道かなと思います。ちなみにMarques de Vadillo駅を出た所にはこんな風景が広がっています:



交通量が結構多い一見普通の商店街なんですね。車の排気ガスや騒音で一杯の「こんな所に本当にあんな緑で一杯の公園があるのかな?」と思いきや、街路を一本中へ入るとこれがビックリ!



目を見張るほどの緑と静寂な世界が広がってるじゃないですかー!太陽が燦々と降り注ぎ、視界に入ってくるのは目映いばかりの芝生の緑色、聞こえてくるのは子供達のはしゃぎ声ばかり‥‥ハッキリ言って、先程通ってきた商店街からは全く想像もつかなかった風景が広がっていて、かなり意表を突かれました。そしてここから少し歩を進めると見えてきました、今回お目当ての歩道橋が:



じゃーん!銀色に輝く構造体が螺旋を描きながら円柱を形成し、独特な軽快感を醸し出しているアルガンズエラ歩道橋の登場です。



ともすればゴツくなりがちな構造体をスパイラル状に構成しつつ、重たい構築物というよりは、風景として軽やかに公園の中に軟着陸させています。



これはあれかな、伊東豊雄さんがスペイン南部のアリカンテで計画していた蝶の蛹みたいなの、あれを構造体だけにするとこんな感じになるのかな?‥‥と勝手な解釈をしてみる。そしてこの橋のデザインに決定的な影響を与えつつ、ここで必要とされている要求に見事に答えている特筆すべきデザインがコチラです:



で、出たー!ドミネク・ペローの十八番と言っても過言では無いメタリック・メッシュの登場だー!このメッシュがですね、スパイラル状に構成されている構造体の所々に絡み付く様に配置されていて、それが又絶妙な感覚を醸し出しているんですね。



つまりは螺旋の構造体全てにメッシュが絡み付いているんじゃなくて、「部分的に」という所がポイント。何でかって、全部に付いてたらそれはそれでかなり重たい表現になっちゃうと思うんだけど、適当に間引いてやる事によって、軽快感を醸し出しているという訳なんです。橋の内側から見るとこんな感じに見えます:



ほら、透きとおる様な空の青色が、構造体やメッシュの銀色と相俟って、非常に美しい風景を構成しているのが判るかと思います。



そしてですね、実はこのメッシュがこの建築物にとって大変重要な役割を担っているポイントがもう1つあるんだけど、それがこの土地特有の気候対策についてなんですね。



と言うのも、この時期のマドリッドに来た事がある人なら分かると思うのですが、夏場のマドリッドはハッキリ言って灼熱地獄!僕の滞在中なんて、気温が40度以上まで上がり、とてもじゃないけど日向になんて居られない状況でした。それくらい気温が上がってくると、風が吹いても熱風なので全然涼しくなく、必然的に日陰を探す事となります。つまりこのペローの歩道橋は、このメタリック・メッシュが直射日光を上手い事遮り、この橋の上を歩く事をかなり快適にしている訳ですよ!



訪問中、この歩道橋を何往復かしてみたんだけど、この影はそれこそオアシスと言っても過言ではありませんでした。正直、これがあるのと無いのとでは大違い!



だからここに来ると、昼間っからこの橋の上を乳母車を押しながら歩く人達や、ランニングをしている人達など、結構な数の人達がこの歩道橋を楽しんでいる光景を見る事が出来ます。このメッシュが無かったら日差しが強い真っ昼間からこれだけの人達に利用されていたのかどうなのかはかなり疑問です。

そしてもう一点忘れてはならない事、というかこの点こそ、この歩道橋とこの公園のメイン機能だと思うのですが、それがコチラです:



実はですね、ここに広がっている広大な公園の下には、マドリッド市にとって大変重要な環状道路であるM30が埋設されているんですね。つまりこの公園は環状道路の上に土を盛って、そこに公共空間を創り出したという訳なんです。

‥‥これを聞いて「あ、あれ、これって何処かで聞いた事あるなー」と思った人は結構するどい。

そうなんです!都市の境界を取り巻く環状道路を地下に埋設し、その上を公共空間に変えて市民に公開しようという発想は、バルセロナが1992年のオリンピック時に考案し、数多ある都市改造計画の中でも最も市民に喜ばれた提案の1つだったんですね(地中海ブログ:バルセロナの新たなる都市戦略:ビルバオから学ぶバルセロナ都市圏再生の曙)。



バルセロナの場合は山の手と海岸沿い2つのパターンがあるんだけど、ともすれば、環状道路が歴史的中心地区と海辺を分断し、ビーチへのアクセッシビリティを不可能にしてしまいがちな状況に、これ以上は無い解決策を与えた好例だと言う事が出来ると思います。当然の事ながら、それまでは慢性的な渋滞に陥っていた都市部の交通状況もかなり改善されました。



今回ドミニク・ペローが創ったこの橋のプロジェクトは、元々は2000年半ば頃に実施されたマンザラネス川岸の国際都市開発コンペの文脈に乗っていて、川に沿って走っていた環状道路を埋設し、その上に公園を創り出し市民に開放しようというプロジェクトが格となっていた模様です。



更にここに創り出された歩道橋は、川と環状道路の両方によって分断されていた両岸に展開する地区の結び付きを強めつつ、その広大な土地に生み出された公園へのアクセスを促進する役割をも担っているんですね。



僕がこの辺りを訪れたのはお昼時だったのですが、幼稚園児や小学生と見られる子供達の団体が水遊びをしていたり、お年寄り達が日向ぼっこを楽しみながら世間話に花を咲かせていたり、はたまた川岸では日光浴を楽しむ水着姿の若者達で大賑わいでした。



まだ完成してから1年足らずしか経っていないこの公園なのですが、この光景を見る限り、もう既にマドリッド市民達の日常生活には欠かせないほどに、彼らの生活の中に深―く溶け込んでいるのが垣間見られた気がします。そういう意味において、この計画は間違いなくマドリッド市民達の生活の質を向上させていると言っても過言ではありません。

都市計画と建築が一体となった、非常に見事な解決策、そしてデザインでした。
| 建築 | 05:35 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
カイシャ・フォーラム(Caixa Forum)で開かれている印象派展 (Impresionistas):エドガー・ドガ(Edgar Degas)の画面構成は非常に建築的だなーとか思ったりして
日曜日の午後、以前から行きたかった「印象派;Clarkコレクションからのフランスの巨匠達展(Impresionistas, Maestros franceses de la coleccion Clark)」に行ってきました。



カイシャ・フォーラムというのはスペインの銀行、ラ・カイシャ(La Caixa)が運営している文化施設の事で、その豊富な資金をバックに年間を通して大変興味深い展覧会や講演会、はたまた音楽会などを企画している比較的新しい文化センターの事なんですね。しかもその殆どが無料ときてるものだから、財布の紐が固い(言い方を変えればケチ(笑))なカタラン人達には絶大な人気を誇っている文化施設でもあります。ちなみに現スペイン国王、フアン・カルロスとソフィア王妃の次女、クリスティーナ姫が以前勤めていた機関もこのラ・カイシャグループの一つでした(詳しく言うと、彼女が勤めていたのはラ・カイシャ財団)。



そんなカイシャ・フォーラムはカタルーニャ・モデルニスモ三銃士の一人、プッチ・イ・カダファルクによって20世紀初頭に建てられた工場の中に入っています。ちなみにこの建物が位置しているのは、近代建築の珠玉の作品、ミースによるバルセロナパビリオンの真ん前(地中海ブログ:ミース・ファン・デル・ローエ・パビリオン(Mies van der Rohe Pavilion)/ バルセロナパビリオンBarcelona Pavilion:アントニ・ムンタダス(Antoni Muntadas)のインスタレーションその1、地中海ブログ:ミース・ファン・デル・ローエ・パビリオン(Mies van der Rohe Pabillion)/ バルセロナパビリオンBarcelona Pavillion:アントニ・ムンタダス(Antoni Muntadas)のインスタレーションその2)。

元々この工場は1913年、当時絶好調だった企業家Casimir Casaramonaさんの為に建設され、その6年後(1919年)には早々と操業を停止してしまったのですが、1940年から1992年まで警察署として使用され、その後2002年に大規模な改修を経て文化施設として蘇るという経緯を辿っています。それ以来、リチャード・ロジャース展に始まり、現代スペインを代表するアーティスト、ミケル・バルセロ(Miquel Barcelo)氏の大規模な展覧会を開催するなど、非常に質の高い数々の文化的な活動を提案企画してきているんですね(地中海ブログ:リチャード・ロジャース展覧会(Richard Rogers + Arquitectes: De la casa a la ciudad、地中海ブログ:スペインを代表する現代アーティスト、ミケル・バルセロ(Miquel Barcelo)の展覧会:La Solitude Organisative)。


ルノワール:コンサートにて:1880年;クラーク美術館

そんなカイシャ・フォーラムで現在開催されているのが「印象派展」なんだけど、副題から明らかな様に、この展覧会はアメリカ、マサチューセッツ州にあるSterling and Francine Clark Art Instituteの所蔵するコレクションで構成されている展覧会となっています。Sterling and Francine Clark Art Instituteという美術館は、20世紀初頭にパリに住んでいたクラーク夫妻が集めた美術コレクションが元になってる私設美術館らしく、印象派を中心とした絵画が多く集められているんだそうです。特にクラークさん夫妻が熱心に収集していたのがルノアールの絵画らしくって、初期の重要な作品郡がコレクションに加えられているのだとか。ヘェー、ヘェー、ヘェー。今回の展覧会には、このSterling and Francine Clark Art Instituteから70点余りもの印象派の作品が来西していて、その中にはルノアールは勿論の事、モネ、シスレー、マネからドガまで大変見応えのある内容となっています。


ルノワール:団扇を持つ若い女:1879―80年;クラーク美術館

実はスペイン人って印象派が大好きで、その辺は日本人と通じる所が多分にあると思うんだけど、「印象派の絵画が纏まってやって来る!」って事で、開催前から各種メディアが大々的に宣伝をし、公開日から最初の数週間なんて「連日超満員」っていう映像が「これでもか!」とテレビを通じて報道されていたのが印象的でした。かくいう僕も、この展覧会が始まった直ぐの11月に行ってみたんだけど、これが物凄い人で、絵画を見る所じゃなかったんですね。個人的に美術鑑賞は静かな環境でゆっくりと心行くまで楽しむのを信条としているので(まあ、誰でもそうだとは思うのですが)、その時は泣く泣く諦めて帰る事に。で、年明け、ちょっと寒くなってきたので「カタラン人達はこんな寒い日には外なんかへは出歩かないだろう」と思っていたら、これが大当たり!結構空いてて、ゆっくりと絵画を鑑賞する事が出来たという訳なんです。


ルノワール:鷹を持つ少女:1880年;クラーク美術館

さて先ず最初に、と言うか僕なんかが言う事でも無いとは思うんだけど、元々「印象派」っていう言葉って、ルノワール、セザンヌ、ドガやピサロなんかが1874年の4月にパリのBoulevard des Capucines通りにあった、写真家のNadarさんのスタジオで開いた展覧会を見たジャーナリストが、その時受けた印象から「印象派」という名前を付けたというのが始まりだったと言われています。つまり、このエピソードが如実に示す様に、印象派と言われる画家達っていうのは、そもそも何か確固たる一つの美学や主義を共有していた訳では無かったという事なんですね。


Giovanni Boldini:穏やかな日々:1875年:クラーク美術館

まあ、その辺の話は掘り返していくと結構面白くて、話し出せばキリが無いとは思うんだけど、今回は印象派の歴史や背景なんかには立ち入らず、この展覧会で僕が大変感銘を受けた作品について述べていきたいと思います。それがこの作品です:


エドガー・ドガ(Edgar Degas):バレエ教室のダンサー達:1880:クラーク美術館

じゃーん、エドガー・ドガ(Edgar Degas)のバレエ教室のダンサー達(Dancers in the Classroom, 1880)。この作品が素晴らしかった!ルノアールの作品、特に「コンサートにて」も素晴らしかったんだけど、それ以上にドガの計算し尽くされた構図や大胆な画面構成、そして光と影による絶妙な表現とその効果に心を奪われてしまいました。

では何がそんなに素晴らしかったのか?何が僕をそれ程まで魅了したのか?

それは、この比較的小さな長方形の中に描かれている全ての要素(ダンサー達のポーズや立ち位置、彼女達の表情から背景に至るまで)が、キャンパスを右手方向手前から左手方向奥へと斜めに貫く流れ(物語)を創り出す為だけに捧げられているという事。様々な要素が複雑に絡み合いながらも、一つの目的に向かって「バシッ」と決まっている、そんな瞬間が立ち現れてくる事に心が震えるのです。

先ず、この絵画に流れる「物語」は、右手前方で椅子に腰掛けている少女から始まっています:



この片足を立て掛けながらキャンパスの外側を向いている少女と、その横に座り、片足を伸ばしている少女。



この2人のバランスが驚くほど良いですね。この2人目の少女は、最初のダンサー(座っている少女)から始まった流れを、正にその投げ出した足が示唆するかの様に、3人目のダンサーへと受け渡しています。



誰でも気が付く様に、3人目のダンサーは、最初の2人が座っているのに対して、少し距離を置きながら立っています。先ずは此の距離感が絶妙です。この距離がある事によって、この3人の少女達の中に「ある種のリズム」が生まれ出ている。つまりは最初の二人でついた助走が、3人目のダンサーとの間にある空間で一気に膨れ上がり、その勢いのままに後ろへと流れを押し出すかの様な‥‥という意味においてです。

そして注目すべきは、この画面の中には近景と遠景という様に、2つのグループが創り出されているという点です。つまりは、前方の3人と後方の4人という2つのグループが存在し、それらが右手手前から左手奥へと流れを創り出している事によって、実に見事なリズム感を醸し出しているんですね。



ドガについては良く言われる様に、日本芸術が与えた影響、つまり19世紀後半のジャポニスムという現象が指摘されているのですが、とは言っても、彼の作品に直接的に日本的なモチーフが書き込まれていたり、彼自身が日本美術への興味を明言したりという事ではなく、それは彼の作品に見られる構図の特徴、つまりは斬新な対角線構図だとか、近景におけるクローズアップや大胆な切断など、明らかに浮世絵と共通する特徴を有するという意味においてなんです。今回の「バレエ教室のダンサー達」における2つのグループ分けによる近景と遠景の強調は正にその好例だと言っても過言では無いと思います。



さて、ここでキーとなるのが、実はこの3人目のダンサーの子なんだけど、この子が右側から来た流れを受け止めつつ、後ろに居る次のグループのダンサー達に流れを受け渡すという役割を果たしています。その事が、この3番目のダンサーの娘が「立っている」という事に集約されていると思うんだけど、何故かというと、それは「立っている事」によって、後ろのダンサー達が「如何に小さいか」と言う事を測っているからなんですよ。ここは秀逸!



さて、受け渡された流れは、後方にいる4人組に受け継がれる事になるんだけど、実はここにも幾つかの仕掛けがしてあって、4人組はテンポよく右側のダンサー(3番目のダンサーの陰に隠れて殆ど見えない)から左側へと移って行く事になります。そしてそのリズムが、彼女達の間に設けられた「空間の均等性」によって表現されているんだけど、その中で注目すべき所がココです:



そう、一番最後のダンサーの姿。実は彼女の前の空間だけ、それまでに比べて幅がかなり大きくとられ、更に彼女が向いている方向が「物語の流れ」とは逆方向である事が分かるかと思います。つまり彼女の役割とは、今まで受け継がれてきた「流れ」を受け止めキックバックさせる、もしくは、手前でオープンエンドに終わっていく流れの「余韻を創り出す」という事にある訳なんですね!それは彼女が伸ばしている足の方向にも如実に表れています。正に今までの流れを「受け止める」かの如くにキックしています。



こういう表現は言うなれば、以前紹介したラペーニャ&エリアス・トーレスの傑作、トレドにあるエスカレーターの最後部分のデザインに見る事が出来ます(地中海ブログ:マドリッド旅行その4:ラペーニャ&エリアス・トーレス(Jose Antonio Martinez Lapena and Elias Torres)の建築その1)。



そして見落としがちだけど非常に巧いのが、これら7人のダンサーによって創り出された流れと直角に交わるかの様に描き出されている床の線です。この絵の中心的な構図である「7人のダンサー達が右手前方向から左手奥に進むに従って小さくなっていくというリズム感」を強調する為に、わざわざダンサー達の創り出すリズムとは逆行するかの様な方向に描かれているのが床の線なんですよ。



これら床の線が右手奥から左手前に流れている事によって、ダンサーの動きと大変絶妙なバランスを取っている訳です。更に更に、これらの流れや「対角線に動く構図」をより一層豊かなものにしているのが、この絵画の長方形という特異なサイズなのです。正方形ではなく横長である事によって、対角線の流れが強調され、物凄く生きている事が分かるかと思います。

今まで述べてきた、これら全ての事があたかも螺旋を描くかの様に絡み合い、互いの要素が互いを高め合う事によって「ハスに構える」という状態に昇華している‥‥素晴らしい!見事な空間構成です。



ちなみにこの様な「ハスに構える」という構成をとっている名建築としては、坂本一成さんによる住宅S、ジャン・ヌーベルによる国立ソフィア王妃芸術センター、もしくはチッパーフィールドによるバルセロナの裁判所なんかが挙げられるかと思います(地中海ブログ:マドリッド旅行その2:ジャン・ヌーヴェル(Jean Nouvel)の建築:国立ソフィア王妃芸術センター(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia)、地中海ブログ:デイヴィッド・チッパーフィールド(David Chipperfield)の建築:裁判都市(La Ciutat de la Justicia):建築間の対話による都市風景の創出)。

巧い、非常に巧い!平面的であると同時に、非常に動的であり、そして建築的だなー。ハッキリ言って全く予期していなかった展開だけに、感動もひと際です。バルセロナ在住者だけでなく、観光に来られる方にも是非お薦めしたい展覧会です。
| スペイン美術 | 04:33 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
スペインの松坂屋、エル・コルテ・イングレス(El Corte Ingles)とルクエ(Lekue)
今週スペインは、火曜日(12月6日)が憲法記念日、木曜日(12月8日)が聖母受胎告知で祝日の為、役所や企業などに勤める多くの人がそれら祝日の前後(月曜日、水曜日そして金曜日)をお休みにするという裏技を使って(笑)、「10連休」というちょっと長めの休暇を満喫しています。「えー、夏休みでもないのに10連休?!」とかいう声が聞こえてきそうなのですが、10連休なんです(笑)。しかも2週間後にはクリスマスを含むコレ又2週間近くの冬休みも控えてますしね。「何時働いてるか分からない」、そう、これこそスペインで働く醍醐味なんです(笑)。

そんな中、僕はというと先週まで余りにも忙しくて全く手が付けられなかった「スペイン以外の仕事を進めちゃおう」と休日にも拘らず働く羽目に(悲)。家では全くやる気がしないので「図書館に行こう」と思い立ち、ビーチでお昼を食べた後、近くの大学図書館へ行ったらビックリ:



図書館の隅から隅まで学生達で一杯じゃありませんかー!「な、何故だー!連休中なのにー!!スペインの学生ってこんなに勉強熱心だったか?」とか思ってたら、どうやら連休明けに試験が控えてるらしい。な、何だ、そういう事ね(なんかホッした)。で、折角来たのに席が無く、俄然やる気がなくなっちゃって、更にお天気も良いので「散歩しよう!」と街中を歩いてたら今日2度目のビックリ!休日にも拘らずスーパーが開いてるじゃないですか!!祝日にスーパーが開いてるなんて「何事だ?」とか思ったので、思わず定員さんに「何で?」って聞いたら:

「コルテ・イングレスが開いてるからよー」

とか言う答えが返ってきた。 コルテ・イングレスというのは、スペインに君臨する大型デパートの事で、多分日本で言う松坂屋とか、そんな感じの位置付けになると思うんだけど、スペインにおけるコルテ・イングレスの存在感というのは物凄くって、ある意味、スペイン商業界を牛耳ってると言っても過言ではないと思います。象徴的なのが、コルテ・イングレスが休日営業する日にはFNAC(フランス系の大型デパート)も営業するし、街中のスーパーも営業するみたいな。



そんな強大な権力を持ったコルテ・イングレスはバルセロナ市内に5店舗あるんだけど、その内の一つ、カタルーニャ広場に面しているコルテ・イングレスは、何を隠そうカタルーニャが誇る大建築家、ラペーニャ&エリアス・トーレスが改修を担当しました(地中海ブログ:マドリッド旅行その4:ラペーニャ&エリアス・トーレス(Jose Antonio Martinez Lapena and Elias Torres)の建築その1、地中海ブログ:あまり知られていないバルセロナ近郊にある名建築:ラペーニャ&エリアス・トーレスによるCastelldefels城へと続くアプローチ空間)。



更に、ディアゴナル大通りを山の手に上って行った所にあるフランセスク・マシア店はボイーガス率いるMBMのデザインなんですよね(地中海ブログ:オリオル・ボイーガス(Oriol Bohigas)による伊東豊雄批判について思う事:バルセロナ国際見本市会場(Fira Barcelona)とSuite Avenue)。

で、先日所用でカタルーニャ広場にあるコルテ・イングレスに行ったら、何か知らないけど調理器具売り場の辺りに日本人観光客がやたらと群がってるのを発見。「何だ、何だ?」とか思って覗いてみたらコレでした:



そう、言わずと知れた日本で大人気(らしい)ルクエです。ちょっと見てたら、日本人のおばちゃん達が、各自両手に抱えきれないくらい大量のルクエを買い込んでいました(苦笑)。



ルクエなんて僕の住んでるアパートの下にある普通の食器屋さんにも山積みで置いてあるくらいなんだけど、「まあ、そんなに話題ならこの機会に一つくらい買ってみるか」という事で、ニンニクの皮むき機を購入してみる事に。



説明によると、この中に皮付きのニンニクを入れて、ゴロゴロと転がすと、簡単にニンニクの皮が剥けるとか書いてある。



「本当かー?」とか思いつつ、説明通りにニンニクを入れてゴロゴロと転がしてみたんだけど、これ、結構力を入れてゴロゴロやらなきゃいけなくって、思ったよりも労力がいる事が判明。



確かに皮が剥ける事は向けるんだけど、こんなに押さえつけなきゃいけないんだったら、包丁で皮向いて手を洗った方が手っ取り早いかな。



連休中に何度か試したけど、うーん、やっぱり相当ゴロゴロやらないと無理みたい。という訳で、お蔵入り。

ちなみにコレを買った後、ちょっと疲れたので休憩がてら屋上にあるレストラン兼カフェに行ったら、そこでも又々ビックリ!



カタルーニャ広場を見下ろす大パノラマが広がってるじゃないですか! 僕はバルセロナに11年住んでるんだけど、コルテ・イングレスのカフェに来たのは今回が始めて。まさかココにこんな絶景が広がっているとは思っても見ませんでした。場所も良いしコーヒーもそんなに高くないし、観光に疲れたらバルセロナの街並を見下ろしつつ、こちらで休憩するのも悪くないかもしれません。流石スペインの誇る松坂屋、コルテ・イングレス!恐るべしです。
| バルセロナ日常 | 06:14 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
スペインのコンペ事情と欧州文化都市決定の裏に見え隠れするもの
あー、今週も忙しかった。そして何より暑かった!!もう何時の間にか、本格的な夏到来って感じなんですけどー。

昨日のお昼は交通計画の世界的権威、Jさんと市内のレストランでランチしてたら、偶然にもカタルーニャ工科大学の学長とバッタリ!「よー、久しぶり、元気〜?一杯飲む〜」みたいな、何時会っても、全くもって学長とは思えない軽いノリなんだよな、この人!



夜は夜で、友達の日本人建築家の家でタイ風カレーを御馳走になったんだけど、最近バスク地方の美術館コンペに勝利した彼らの気になる話題と言えば、やはりスペインのコンペ事情らしい。特につい先日発表になった2016年の欧州文化都市開催決定の影響は大きいらしく、下馬評では当選が確実視されていたにも関わらず落選してしまったコルドバ市で、決定していた文化施設のプロジェクトなんかが次々にオジャンになっているんだとか何とか。

日本では全く報じられていないので、知らない人多しの事だとは思うのですが、「欧州文化都市と一体何か?」と言うとですね、欧州委員会が選定した都市で、一年間に渡り、集中的に各種の文化行事を展開するって言う、その名の通り、「欧州の文化の首都」になると言うイベントの事なんですね。このイベントが設立された当初、はっきり言って「そんなの面倒くさーい」みたいな感じで、どこの都市も敬遠しがちだったのですが、イザ行事が始まってみると、その集客効果と観光客が落としていってくれる経済効果の凄まじさ、そして何より都市のマーケティング効果に気が付いた欧州中の都市が、今では競ってその地位を奪い合うと言う激烈な競争へと変貌を遂げたと言う背景があります。

そんな状況の中、先週水曜日に5年後(2016年)の欧州文化都市開催都市の発表が欧州委員会の方からあったばかりだったんだけど、実は今回は最後の最後で大どんでん返しがあり、当選が確実視されていたコルドバ市が負けて、全く予想されていなかったサンセバスチャン市が当選すると言う結果に終っちゃった訳ですよ!

では何故、サンセバスチャンが勝ったのか?

うーん、ここからは僕の勝手な予想なんだけど、多分、現在のスペインの経済危機を考慮するならば、文化にお金を回す余裕が全く無い中で、果たして本当にコルドバと言う小さい街に、欧州文化都市を開催出来るだけの余力があるのだろうか?と言う懸念が欧州委員会の中にあったからじゃないのかな?



コルドバと言う都市は人口30万人程度の小さな町で、確かに世界的に有名なメスキータがある事はあるんだけど、言ってみればそれだけ。ホテルの数だってたかが知れています。何よりアンダルシア地方と言うのは、スペインの中でも最も経済的疲弊が激しい地域として、スペインは勿論、欧州中にその悪名が響き渡る所となっているんですね。



その一方で、サンセバスチャンと言う都市は、王族やブルジョア階級の避暑地として知られていて、云わ場スペインの高級リゾーチ地な訳ですよ。つまり資金的には最も豊富なエリアの一つであり、サンセバスチャンを開催都市にしておけば、直前になって「やっぱり出来ませんでした!」みたいな事は起こりにくい、と、まあ、こういう安全パイを欧州委員会が取ったと言う事なんじゃないのかな?

もう一つ気になる点が、ETAとの関連が指摘されているBilduと言う政党が先々月の選挙で史上初めてバスク地方の政権を握ると言う画期的な出来事が起きたばかりだったんだけど、この政治的な動きと今回の欧州委員会の決定には何かしらの関連があるのでは?と言うのが大勢の見方となっています。ちなみにこの決定に怒り心頭のZaragoza市の市長は「欧州委員会の判定には疑念を感じる。再検討を要請する為に法的手段に訴える覚悟だ」と裁判に持ち込む事をも示唆してたりもするんですね。

そんな大どんでん返しを食らって堪らないのがコルドバ市なんだけど、実はスペインではここ数年、経済危機の影響を受けて建築コンペの数が激減してたりして、文化施設のコンペなんか殆ど無いに等しいくらいだったのに、コルドバでは、それが結構開催されていたんですね。理由は勿論、2016年の欧州文化都市に通ると言う前提の下、市役所始め、政府なんかもバックアップ体制を敷いてたんだけど、それが崩されちゃって、今までのコンペはみんなオジャン!

もう一つ次いでだから言っちゃうと、実は先日、スペインのガリシア地方の都市、ア・コルーニャ市において、鉄道駅周辺の開発を含む大々的な国際コンペの結果が発表されました。伊東豊雄、MVRDV、ラフェエロ・モネオなど、なみいるスター建築家を押しのけて1等に輝いたのは地元出身の建築家で、それがちょっとしたニュースにもなったんだけど、そのコンペの経緯を見ていてちょっとした昔話を思い出しちゃいました。

あれは今から丁度5年くらい前の事、僕が未だバルセロナ市役所のとある機関に勤めていた時の事だったのですが、当時から既にかなりの有名人だったジョアン・ブスケッツと言う都市計画家が突然訪ねてきて、なんか急にミーティングをするからと言う事で僕もその席に呼ばると言う事がありました。ジョアン・ブスケッツと言うのはバルセロナの都市計画に深―く関わっている人で、今ではハーバード大学の教授に就任している程、世界的に名の通った都市計画家です。彼の手がけた作品として有名なのは、トレド市の保存と再開発計画なんかがあります(地中海ブログ:マドリッド旅行その4:ラペーニャ&エリアス・トーレス(Jose Antonio Martinez Lapena and Elias Torres)の建築その1、地中海ブログ:あまり知られていないバルセロナ近郊にある名建築:ラペーニャ&エリアス・トーレスによるCastelldefels城へと続くアプローチ空間)。

で、その時彼が持ってきたのが、何を隠そう、ア・コルーニャ市の都市戦略と再開発の基本構想だったんですよね。それから1年ちょっとの間、色々とやり取りをしながらも案を練っていったんだけど、今回のコンペはその時の基本構想が下地になっていると思われます(それ以来、僕は関わっていないので確定的ではないのですが)。

あれから5年・・・あの時、全く何の案も無い白紙の状態だった再開発地区に、今では世界中から沢山の応募が寄せられ、段々と形になっていってるのかと思うとちょっと感慨深いものがありますね。

昨日の夜は、暑い中、辛くて美味しいカレーを食べながらも、そんな昔話を思い出しちゃいました。
| 都市戦略 | 21:32 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
あまり知られていないバルセロナ近郊にある名建築:ラペーニャ&エリアス・トーレスによるCastelldefels城へと続くアプローチ空間
所用でバルセロナから電車で20分程の所にあるCastelldefelsと言う小さな町に行った次いでに、この町にある隠れた名建築を見てきました。



建築って言っても、この町のシンボルであるCastelldefels城へと続くアプローチ空間と公園だけなんだけど、手掛けたのはラペーニャ&エリアス・トーレス(José Antonio Martînez Lapeña and Elías Torres)。ラペーニャ&エリアス・トーレスと言えば、もはやスペイン建築界では大御所と言ってもよい存在だと思うのですが、そんな彼らがこの小さな町に名建築を残している事は案外知られていません。工事が始まったのが1987年で完成が1993年、つまり20年も前の作品なので、知られてなくても当然と言えば当然なんだけど、この建築にはその後彼らが次々と創り出していく数々の名建築の萌芽みたいなものが垣間見えてて大変興味深いと思うんですね。



バルセロナにある巨大ソーラーパネルや、トレドにあるエスカレーターなんかを見るだけでも、彼らの建築に関する「感性の鋭さ」みたいなのが伺えると思うんだけど、特にトレドのエスカレーターなんて、その独特の機能を最大限に活かした屋根の扱いによる「空の切り取り方」、「視界の展開の仕方」、そして何より、我々人間の目が地上から150センチ程度の所に付いている(当然個人差あり)と言うごく当たり前の事なんだけど、大概の建築家が忘れかけている事実に基づいた傑作中の傑作だと思います(地中海ブログ:マドリッド旅行その4:ラペーニャ&エリアス・トーレス(Jose Antonio Martinez Lapena and Elias Torres)の建築その1)。

次いでに言っちゃうと、トレドの街って物凄く良く保存されているんだけど、その陣頭指揮を執ったのは、バルセロナが誇る都市計画家、Joan Busquets。で、どうも小耳に挟んだ所によると、Joan Busquetsがエリアス・トーレス等の力量を見越して、彼らを直々に指名したと言う事を数年前にちらっと耳にした事がありました。で、ここからが面白い所なんだけど、実はこのトレドの傑作には、その前に「ある種の実験モデル」みたいなものが存在してて、実はそれが今回紹介するCastelldefelsのアプローチ空間だと思うんですよね。

駅からお城を目指して歩く事
5分、目的のアプローチ空間が見えてきます。



コールテン鋼をカクカクに曲げて、それを上に向かってジグザグに配置していくと言うのがこの建築の基本的な構造なのですが、完成から20年以上も経っているが故に、周りの風景と「これでもか!」と言うくらいに馴染んでいます。槙さんの風の丘の葬祭場、そしてRCRの一連の作品なんかからも分かる様に、コールテン鋼って緑と物凄く相性が良いですよね(地中海ブログ:RCRアランダ・ピジェム・ヴィラルタ・アーキテクツ 2(RCR Aranda Pigen Vilalta Arquitectes))。この建築に関して言えば、「このデザインが20年も前のものなのか!」と思う程、新しく見えると言う所が本当に素晴らしい。



まあ、そんな事を思いながらジグザグ街路を登って行ったんだけど、これが案外面白い。
真っ青な芝生や木々の間に絶妙な感じで配置されたコールテンが物凄く良いハーモニーを醸し出しています。



上方を見ると、こんな感じでコールテン鋼が交わっていて、風景を切り取っているのが大変印象的です。見事なまでにジグザグ(笑)。




大変気持ちの良い空間を抜けると、頂上にあるお城に到着します。で、振り返るとこの風景:




街を一望の下に見下ろす事が出来る展望台の様になっているんですね。つまりジグザグ空間を登らせつつ、同時にお城をチラチラと見せつつ、最後には振り返り様に地中海の海を見せると言う物語がこの空間には展開している訳ですよ!「なかなか上手い空間展開だなー」とか思ったんだけど、何か違和感が・・・。一見単純そうに見えるこのジグザグの中に、何かしらの仕掛けがある様な気がする・・・そう思ったら最後、見極められるまでとことんやるのが、僕の性格なのですが、この山を行ったり来たりと言うのを
15回くらい繰り返したした時の事、「あれ?」って気が付いた事がありました。それは、「この壁、その高さによって、視線操作してるんじゃないの?」って事だったんですね。と言う訳で、もう一度、最初のアプローチから壁の高さに注目して登っていく事にします:



先ずは右手側
(山側)に頭上を越える程高いコールテン鋼が聳え立っているのが分かるかと思います。ここでは、視線は前方に集中し、右手側の緑やお城がある頂上なんかは見える事は全くありません。そして折り返し:



ここでも山側に背の高いコールテン鋼がジグザグ配置され、且つ、緑の木々なども伴い、上方への視線は遮られているのが分かるかと思うんですね。そしてそこを抜けると次のターンへ:




この辺りからホンの少しづつだけど、コールテン鋼の背が低くなり始めて、上方への視界が開け始めてきます。そして決定的なのがこのターン:




3回目の切り返しで、コールテン鋼の背が明らかに低くなり、山側の木々の間から目的地であるお城の姿がチラチラ見える様になってきました。




つまり彼らはさりげなく、コールテン鋼の背の高さを微妙に調整する事によって、このアプローチ空間に展開するメイン空間、お城の姿を少しづつ見せると言う物語を演出している訳ですよ!上手い、これは上手い!って、こんな事、多分余程注意してない限り気が付かないだろうけど、「ここで実験された事が、後のトレドのエスカレーターの視線操作に繋がるのか!」と思うと、かなり納得です。隠れた名建築!大満足の数時間でした。

| 建築 | 20:11 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
スペイン高速鉄道(AVE)開通3周年記念:高速鉄道と言うインフラが日常化している国としてない国の違い
先週日曜日220日はマドリッド−バルセロナ間の高速鉄道(AVE)開通3周年記念日でした。



日常生活には欠かせないインフラの一つであり、我々の生活の質の豊かさを測る一つの指標とも成り得る高速鉄道網については、それらが引き起こす社会文化的なインパクトの強さや、僕自身の乗車体験など、当ブログでは事ある毎にその状況などレポートしてきました(地中海ブログ:高速鉄道敷設に見る都市戦略、地中海ブログ:マドリッド旅行その1:高速鉄道(Alta Velocidad Espanola:AVE)に乗ってきました、地中海ブログ:スペイン高速鉄道(Alta Velocidad Espanola:AVE)バルセロナマドリッド間開通一周年記念、地中海ブログ:マドリッド出張:スペイン高速鉄道(AVE)、ファーストクラス初体験)。

今では大成功を収めているマドリッド−バルセロナ間の高速鉄道なのですが、実はスペインで初めて高速鉄道が敷設されたのは1992年のマドリッド−セビリア間だったと言う事はあまり知られてはいません。って言うか、経済発展を促進する為に、普通なら首都と第二都市を最初に結ぶって言うのが定石だとは思うんだけど、マドリッドとバルセロナにとっては経済発展なんかよりも、意地と意地の張り合いの方がよっぽど大事らしく、その後16年もの間、両都市が結ばれる事は無かったんですね(苦笑)。バルサ対レアルマドリッドの試合が代理戦争と言われている所以です。そんな両都市にようやく高速鉄道が引かれた当時、それが引き起こす社会的変化を大変巧く纏めていたのが、何時もお世話になってはいるんだけど、あんまりパッとしない記事ばかりを載せているLa Vanguardia紙:

「高速鉄道の効用は、ある利用者層の心を捉えた。以前はピストン空輸路線が 最も相応しかったビジネスマンである。その一方で、激安旅客機はバックパッカー達を運んでいる。以前は普通電車に乗っていた者達である。つまり、会社役員 AVE、バックパッカーは飛行機(という逆転現象が起こっているのである。)

" El impacto de la alta velocidad ha captado a un perfil de usuario- hombre de negocios-que era mas propio del puente aereo, mientras que los vuelos baratos se llevan a los que antes iban en tren. Ejecutivos al AVE, mochileros al avion"(La Vanguardia, p5, 25 de noviembre 2008)(地中海ブログ:スペイン高速鉄道に見る社会変化の兆しより)

「やれば出来るんだから、普段からちゃんとした記事書いてよね(笑)」って、それは、まあ冗談なんだけど、3周年記念を迎えた先週日曜日の新聞(La Vanguardia 20 de febrero 2011)には、「何故AVEがこれ程までに成功しているのか?」と言う事を分析した大変面白い記事が載っていました。

そこにはスペインの高速鉄道網は全人口の70%をカバーしている事、敷設距離で言ったらヨーロッパでは第一位、世界的に見ても3番手にランキングされている事など、「スペインは高速鉄道先進国」だって事が、「これでもか!」って強調されていたんだけど、それよりも何よりも、僕にとって大変面白かったのは、「何故にAVEがこれ程までに成功したのか?」って言う「利用者の声」みたいな情報でした。

それによると、利用者の皆さんが最も評価しているのは、AVEの出発/到着時間の正確さなんだそうです。この事は僕自身の体験からも既に証明済みで、今まで何十回と乗った中では、出発/到着共に1分も遅れる事は無かったんですね。って言うか、予定時刻よりも早く着くって事の方が多くって、魂消たと言うのが本音です。ちなみにAVEが時間通りに到着する確率は98.54%らしい。そしてこの数字は世界第二位の座を占めているらしく、第一位は当然の事ながら日本!その確率は99.0%!!恐るべし日本の技術。

さて、ここまで書いてくると、「電車が定刻通りに来るなんて当たり前じゃないか!」って言う日本の皆さんの声が聞こえてきそうなのですが、友達との待ち合わせは勿論、仕事の待ち合わせにだって平気で遅れてくるスペイン社会からしたら、電車が定刻通りに来るって言うのは、殆ど奇跡みたいなもんなんですよね。と言うか、グローバルスタンダードでは、電車が定刻通りに来る日本の方が「普通じゃない」と言う事は知っておいても良いと思います。

もう一つ僕が面白いなと思ったデータが、「各国の高速鉄道の車内でどんなサービスが利用可能か?」って言う比較データだったんだけど、それによると、スペインやフランス、イギリスの高速鉄道なんかでは、社内サービスが大変充実していて、それらの国々では新聞や雑誌、ビデオや音楽のサービスは勿論の事、駅でのパーキングなんかまで利用可能になっていると言う事でした。

逆にこの様なサービスが殆ど無いのが日本の新幹線‥‥って書かれてた(本当かどうかは不明。長い事乗ってないからなー)。

この記事のコンテクストからして、「日本の新幹線は定刻通りに着くし、運行スピードも半端無い。でもサービスがなってないんだよねー」みたいな感じで、批判的な意味合いを込めてるっぽいんだけど、でもコレって、日本では新幹線を利用するのが日常化していて、それはあたかもヨーロッパで言う所の地下鉄の利用とそう変わらない所まで浸透していると言う事なんじゃ無いのかな?つまりは日本人にとっては新幹線って言うのは、地下鉄の延長線上にあるものであって、そんな日常生活の一部となっている地下鉄に、映画や定食なんて言う特別なサービスを期待する人はいないって事なんじゃ無いのだろうか?


反対にヨーロッパではまだまだ高速鉄道って言うのは、一昔前の日本の飛行機の様に、「飛行機に乗って何処かへお出かけする」って言うくらいの特別な意味合いを持っていて、未だにそれが日常生活へ十分に浸透していないと言う事なのでは?とか思ったりする訳ですよ。つまりは両者の間には目には見えないけど、「これくらいの違いがあるのでは?」と言う事の現れだと思うんですよね。

新しい技術と言うのは開発されてからそれが市民の間に浸透する期間、そしてそれが日常生活の一部になるまでにはかなりの時間がかかります。そう考えると、やっぱり日本って言うのは、欧州と比べて、まだまだ一歩も二歩も先に行っているんだなーと思わざるを得ませんね。国内では「日本はダメだダメだ」とか言われてるけど、外から見てると、そんな事全然無い気がする。今の日本に必要なのは自信ですね。ガンバレ日本!!
| 都市戦略 | 05:08 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
オープンハウス in バルセロナ(48 OPEN HOUSE BCN)その3:ホセ・ルイ・セルト(Josep Lluis Sert)のパリ万博スペイン共和国館
オープンハウス2日目の午後は1937年のパリ万博の為にホセ・ルイ・セルトがデザインしたスペイン共和国館に行ってきました。

この建物は、
1936年から1939年にかけて行われていたスペイン市民戦争中にパリに移り住んでいたセルトによってデザインされたのですが、この建築が建てられた経緯やコンセプト、そしてその実現過程を追っていくと、今までは全く知られていなかったホセ・ルイ・セルトと言う建築家の別の側面が見えてくる様で興味が尽き無いんですね。

セルトはこの建物のデザインや展示物を通して「あるメッセージ」を国際社会に投げかけたかったと言う事は良く知られているのですが、岡部明子さんは彼女が最近出版した著書、「バルセロナ:地中海都市の歴史と文化」の中で、その経緯をこんな風に説明されています:


「スペインは、市民戦争の只中にありながら、スペイン共和国館を出して万博に参加した。万博は、共和国政府がなぜ戦っているのか、その正当性を主張し、国際社会の支持と支援を集める絶好の機会であった。」岡部明子、バルセロナ:地中海都市の歴史と文化


本来万国博覧会って言うのは、その国の最高の技術や製品を自国のパビリオンに集めて競い合うと言う「広告」がその基本的な機能なんだけど、最新技術や夢が詰まっていたが故に、
1960年代くらいまでは、万博こそが未来都市の様相を示していました。

「‥‥博覧会がヨーロッパの帝国主義のプロパガンダ装置として誕生し、産業のディスプレイとして発達しつつも、
19世紀におけるその成立当初より消費社会と大衆娯楽とを推進するための広告機構としての性格を有していたことに大きく起因する。博覧会は、その時代の国家と産業と大衆との関係性を、巨大なスペクタルのかたちで空間化し続けてきたのである。」森川嘉一郎、日本万国博覧会:前衛の退却

しかしですね、パリ万博が開かれた当時、国内が戦争中だったスペインでは、他国に自慢出来る様な生産物は全く無く、逆にそんなものを展示してしまえば、自国の後進性を示す事になってしまうという危険性をも孕んでいたんですね。


そんな状況の中、悩みに悩んだ末、セルトが考え出したのが、「芸術を用いて自国の先進性と共和国政府への国際支援を募る」と言う戦略でした。その戦略を思い付いた裏には、当時パリに住み、既に世界的な名声を手にしていたピカソとミロの存在があったんですね。つまりセルトはスペイン出身のピカソやミロに、自国で行われている戦争の悲惨さを題材に絵画を描いてもらえば、それがそのままスペイン館の目玉になり且つ、国際的にも反フランコと言うメッセージを広める事が出来ると考えた訳です。更に、もしピカソやミロが、このようなコンセプトに納得してくれるならば、「絵画を描いて貰う事に対する支払い料も少なくて済むかもしれない」という計算があったのかも知れません。何故なら当時のスペイン国内の状況(戦争中)を考慮すれば、このスペイン館の為に、それ程潤沢な予算が下りていたとは思えないからです。


しかしですね、ここには一つ難問がありました。


実はピカソと言う画家は、自分の芸術と政治的な問題を混同する事を敬遠する芸術家として知られていたんですね。つまり、ピカソは反フランコ派だったのですが、彼が共和国政府支援の為に力を貸してくれるかどうか?は不透明だったと言う訳です。しかしながら、ここがセルトの凄い所だと思うんだけど、交渉を通じて、最終的にピカソに「うん」と言わせる訳ですよ!その結果、この時ピカソが描いた大作が、現在は世界的に知られる所となった彼の代表作の一つ、ゲルニカだと言う訳なんです。




セルトのこのようなプロジェクトを実現すると言う「トータル・コーディネーター」としての能力は注目に値すると思います。この点は彼がその生涯で成して来た様々な事をバラバラに見ていてはナカナカ見えてこないのですが、それらを一つのリストにしてみると、彼の別の側面が浮かび上がってくる様で大変興味深い。


先ず第一に、セルトはコルビュジエをバルセロナに呼び、当時のカタルーニャ州政府大統領と引き合わせ、マシア計画なる都市計画をコルビュジエと恊働提案する事に成功しています。




更に
1947年にはCIAMの会長にセルトが就任している。これが第二の点。そして第三の点は、アメリカ亡命後、ハーバード大学のデザイン学部長と建築学科長に就任している事が挙げられます。探せばもっとあるんだろうけど、セルトと言う人物は実は、このような政治的な動きや、それらを実現する能力に大変長けていた人物なんじゃないのか?と思う訳ですよ。

実はこのような今までは全く語られてこなかった新しい視点と新しいセルト像を世界で最初に提示したのは、バルセロナの大先輩であり、僕がとっても尊敬している岡部明子さんだと思います(地中海ブログ:
とっても素敵な出会いがありました:岡部明子さんとグラシア地区を歩く)。上にも引用した岡部さんが最近出版された著書、「バルセロナ:地中海都市の歴史と文化」にその辺の事が詳しく書かれているんだけど、岡部さん、さすがだなー。言う事が違うし、目を付ける所が鋭すぎる!



さて、前置きがちょっと長くなっちゃったんだけど、今回僕が訪れてきた建築は、セルトが
1937年にパリに設計し、その後、万国博の終了と共に取り壊されてしまったスペイン共和国館のレプリカです。レプリカとは言っても内部にエレベーターが付け加えられた事を除いては、内外共に当時と全く同じ姿が再現されているんですね。



ちなみにこのスペイン共和国館の前には、 クレス・オルデンバーグ(
Claes Oldenburg)による巨大なマッチ棒の彫刻が設置されてるんだけど、これは1980年代からバルセロナが取り組んでいる都市活性化モデルの一つ、「郊外をモニュメント化しよう」という号令の下に開発された郊外活性化の道具の一つです。つまり、海外の著名な彫刻家に独特な彫刻を創ってもらう事によって、見放された郊外に何とかアイデンティティを与えようとしたんですね。これはこれでナカナカ上手い戦略だと思います(地中海ブログ: イグナシ・デ・ソラ・モラレス( Ignasi de Sola-Morales)とテラン・ヴァーグ(terrain vague)。この作品は80年代にアメリカで流行った、日常品を巨大化するというアートシーンの潮流上に載ってる作品なんだけど、確かにこれだけ巨大なマッチ棒があると、ちょっとギョとするかな。

さて、イヨイヨお目当てのスペイン館に入って行く訳なんだけど、先ず最初に気が付くのは、建物本体に対する階段の扱い方の妙ですね。




2つの異なった階段が正面に付いてるんだけど、一つは建物本体に直角に付いてる階段で、もう一つは3段程度の低く幅の広い階段が、それとは少し角度を振って設置されています。




更にこの建物に対して直角に付いてる階段と、その後ろに聳え立ってる旗との関係性の良い事と言ったらありません。ロシアアバンギャルドのメルニコフにも言える事だと思うんだけど、この垂直方向の旗が無かったら、これらの建築の印象は全く違ったものになっていたでしょうね(地中海ブログ:
エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)の建築その3:バラニャ市民会館(Centro Civico de Hostalets de Balenya)に見る建築の質:実際に建築を訪れる事の大切さ)。こんな、垂直水平線のモダニズムの王道をいく様な正面ファサードなのですが、後方へと回ってみると、こちらにはコルビジェを彷彿させる様な不定形のスロープが建物本体にくっ付いていました。



「表と裏で扱いが違う点はなかなか面白い点だなー」と思っていたそんな時、案内役の女の子達がやってきて、内部訪問を心待ちにしている僕達に、衝撃の事実を伝えてきました
:

「セキュリティ上の関係から、今日の一般公開は外部空間のみに限られます」


「えー、そうなの!!」って、誰も声には出さなかったけど、その場に居た全員が心の中でそう思った事だと思います。何でもこの建物は、現在はバルセロナ大学に属する市民戦争関連の資料室になっているらしく、その中には貴重な資料もあるという理由から、今回の公開は見送りになったという事らしいです。ちょっとガッカリしたけど、外部空間も普段は公開されて無いし、スロープで
2階部分にもアプローチする事が出来るし、「そんなに悪く無いか」と言う事で、気を取り直して訪問GO!

個人的になかなか嬉しかったのは、当時の雰囲気を少しでも感じてもらおうという配慮からか、当時と全く同じ場所にピカソ作のゲルニカのレプリカが置かれていた事ですね。




今はマドリッドの国立ソフィア王妃芸術センターにあるんだけど、こうやって建物と一緒に見ると、全然感じが違うなー(地中海ブログ:
マドリッド旅行その2:ジャン・ヌーヴェル(Jean Nouvel)の建築:国立ソフィア王妃芸術センター(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia))。で、実はココにはちょっとした逸話が残ってて、この建物の構造からいくと、ゲルニカの目の前には柱が一本立ってるはずなんだけど、それを知ったピカソが、「絵の邪魔になる!」って事で、柱を取り払ったらしい。



確かに絵の前に柱があったら邪魔なんだけど、それを言えてしまうピカソ、そしてそれを受け止めたセルトの許容力はさすがだなと思います。




万国博覧会当時は、さっき見た大階段がこの建物の正面になっていたので、来館者は先ず始めにこのゲルニカを目にする事になるんだけど、それこそセルトが意図した事でもあったんですね。そしてそんなゲルニカに衝撃を受けた来館者は中庭へと導かれます。




天井にレールが吊ってあって、日差しが強い時や雨の時などは屋根代わりになるって言う仕掛けなんだけど、このような発想は明らかに地中海のものだと思われます。明日も晴れ、明後日も晴れ、ずーっと晴れ!って言う地中海性気候が支配するバルセロナでは、中庭空間で食事を楽しんだり、ワインを片手に談笑したりするのがこの上なく気持ちが良い為、このような空間を良く見かけるんですね。更にもう一つ面白かったのは、この先にしつらえてある舞台です。




この舞台、背後のカベが直角かと思ったら、内側に少し曲がっているじゃないですか!




これにはちょっと驚きました。こうする事で、建物本体とこの舞台に挟まれた空間に、より一層包み込まれた感じ、つまり抱擁感を演出したものだと思われます。この辺に、ヒューマニズムを追求したセルトのこだわりみたいなものを見る事が出来る気がするなー。




そして最後にスロープを昇って上からこの建築を見たのですが、ここで驚くべき事を発見してしまいました。それがコレ:




不整形を描きながら昇っていくスロープなんだけど、その形を上から見ると、こんな感じに見えるんですね。何処かで見た形だなー?と思った人はかなり勘が良い。




そう、これはコルビジェが良く使う形態で、マルセイユのユニテの屋上なんかに設置されている彫刻の形態なんですね。セルトはここで、師であるコルビジェを引用している訳です。この建築については、その端正な佇まいなんかを書籍などで結構見てるつもりだったんだけど、これは知らなかった。と言うか分からなかった。やっぱり、こういう、現場へ来ないと分からない事があり、ここでしか感じる事が出来ない空間が有る事、それが建築の魅力なんだと思います。この日も大満足な一日でした。
| 建築 | 06:56 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
パリ旅行2009その1:ポンピドゥー・センター(Centre Pompidou)の超前衛的なデザインを支える基礎デザイン力
パリ旅行初日の今日はポンピドゥー・センター(Centre Pompidou)に行ってきました。

5年前、初めてパリを訪れた際、「ポンピドゥー・センターなんてどうせ写真集で穴が開く程見て知ってるからなー」とか言う、大変生意気な事を考えていた僕に、「ガツーン」というショッキングな一発を叩き込んでくれたのが、このポンピドゥーセンターだったんですね。何故ならメディア受けを狙ったと思っていた外観や、挑戦的なマニフェストの言葉などとは全く対照的に、この建築の至る所は、地に足の着いた真摯なデザインで満たされていたからです。今思えばこの時の経験が、「どんなにつまらないと思われる建築でも、実際に見るまでは分からない」という、今に続く基本姿勢を僕に教えてくれたのかもしれません。そんな青春時代の「苦い思い出」などもあって、パリに着いたら真っ先に行こうと決めていました。

最寄の駅で降り、歩く事5分。見えてきました、その異様な外観が:


やはり中世から続く石造りの「地」としての風景があってこそ、「図」としての、このようデザインが冴えますね。そしてそのまま真っ直ぐ進むと現れるのがこの風景:


堂々たるポンピドゥーセンターの正面ファサードです。斜めに走るエスカレーターと言い、バツの字にデザインされたブレースと言い、文句無くカッコイイ!!!コレが30年も前にデザインされたものだとは、にわかには信じられない。そしてこの建築の素晴らしい点は、何も建物自体のデザインだけに留まりません。


この建築の前面に広がる広場、コレが又素晴らしいんだな!建物に向かって緩やかなカーブを描きながら下りになっているこの広場では、様々な人達が思い思いのアクティビティを行い、傾斜した広場が自然と観客席に早変わりします。


僕が行った時はどっかの国のおばさんが伝統楽器か何かを演奏し、その周りに人垣が出来ていました。

この広場の重要性は(建物と同様に)もっと大きな声で賞賛しても、し過ぎる事は無いと思います。ちなみにバルセロナで大成功しているバルセロナ現代美術館(MACBA)とその前の広場は、明らかにパリのこの広場を意識して創られていますね(この話は長くなるので又今度)。そしてこの広場を斜面にしたが故に出てきてしまった大問題、その大問題を天才、ピアノ&ロジャースがどのように解決したのか?という点こそ、僕らが注目すべき点なんですね。間違っても外部に露出しているダクトやパイプといった、目立ったデザインだけに目が行くべきではありません。その問題点というのがココ:


広場を傾斜にしたので、当然、右側の部分と広場との間に4メートル程の段差が出てきてしまう事となります。そうすると、ファサードを覆っているブレースの起点(交差点)をどちらにするか?という大問題が出て来てしまう訳ですよ。例えば、普通に考えると取るべき道は

1.起点を右側(上側)に持ってくる

2.起点を左側(下側)に持ってくる。

2つが考えられると思うのですが、この2つの道はどちらにしても散々な結果になる事は目に見えています。どちらに起点を取ろうが、段差の分だけブレースが中途半端な所で終わり、ものすごく間抜けなデザインになっちゃうんですね。では、この大問題を2人の建築家はどのように解決したかのかというと、それがコレ:


そう、起点を右側に取りつつ、段差分で中途半端になったブレース分は、交差部分で止めずにそのまま少し突き抜けさせるという驚くべき解決法を提示しているんですね。


一見何気無くさらっとやっているけど、コレはものすごいデザイン力ですよ!

ココです。コレこそデザインの力です。露出したダクトやパイプといった、超アバンギャルドなメディア受けする外観は、実はこのような凄まじいまでの真摯なデザイン力に裏打ちされている事が分かるかと思われます。もしくはコチラ:


大変印象的なエスカレーターのデザインなのですが、この透明チューブの始まり方などにも彼らのセンスがキラリと光っているのが伺えます。それがココ:


エスカレーターのチューブを左側端からいきなり始めずに、少し反対方向にキックバックさせているんです。

これは以前紹介したラペーニャ&エリアス・トーレスによるトレドのエスカレーターのデザインにも使われていたテクニックです(詳しくはコチラ:地中海ブログ:マドリッド旅行その4:ラペーニャ&エリアス・トーレス(Jose Antonio Martinez Lapena and Elias Torres)の建築その1)。こうする事で、デザインを引き締める事が出来るんですね。逆にこの部分が無かったら、このエスカレーターは、何かしら、物足りないデザインになっていたと思います。

多分、建築家にとって、このような「センス」、つまり何を美しいと思い、どんな形に対して醜いと思うかという美の基準を磨くと言う事は、ディテールを学ぶ事より、遥かに重要なのではと思われます。そしてそれはどんなに優れた大学教授やアーティストでも教える事は出来ません。それは内なる自分と向き合い、自分にしか無い感覚を引き出す事、つまり自分自身で見付け出して行くしか無いのです。人真似では無い自分にしか持ち得ないセンス、それを引き出すには多分、色んなものを見る事、そして自分の頭で考え、自分の五感で感じる事が重要だと思っています。このようにしてセンスを磨き、基礎デザイン力を向上させる事が、薄っぺらじゃないデザイン、雑誌写りの方が実物よりも遥かに魅力的だと思われるようなデザインを避ける事が出来るのでは無いのでしょうか?

つまり、日々精進だという事ですね。

| 旅行記:建築 | 22:25 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ファン・ネレ煙草工場(Van Nelle Tobacco Factory):近代建築の傑作はやっぱりすごかった!
オランダ滞在初日は、以前からどうしても行きたかった近代建築の傑作、ファン・ネレ煙草工場へ行ってきました。今回僕が滞在しているのがアムステルダムなので、ファン・ネレ工場があるロッテルダムまで1時間程の旅に出たのですが、電車などに乗ると「オランダというのは、本当に都市のシステムが良く出来ているなー」と感心します。ココで詳しくは書きませんが、オランダは都市機能の分散化(行政、商業・・・)と、それらが割り振られたノード(アムステルダム、ロッテルダム・・・)を公共交通機関で結び付ける事によって、20世紀の都市モデル(メトロポリス)に対する代替案(ネットワーキング型都市)の提示に成功したと思います。

さて、今回目指す建築はロッテルダムの少し郊外にある事から、駅前からバス(38番)に乗り、揺られる事15分、線路を挟んだ向こう右手側に目指すべき建築が姿を現してきます。



この建築は現在、多数の私企業オフィスとして使用されているので、原則的に一般公開はされていませんが、実は今回(マンモスラッキーな事に)とある方のご好意で少しの間だけ工場に入らせてもらう事が出来ました。

川に架かったブリッジを渡ると、そこから既にこの建築の物語が始まっている事に気が付きます。そして既にものすごくカッコイイ!



注目すべきはこの左手側でカーブを描いている部分です。この部分がまるで「おいで、おいで」と我々に手招きをしているかの様です。そしてこの空の切り取り方:



このような建築に出会うと、我々の身体感覚にとって「空がどのように切り取られているか?」がこの上なく重要だと言う事を再確認しますね。



そしてその緩やかなカーブが序章となって、前面ガラス張りのファサードへと違和感無く続いていくというデザイン。その見事な繋ぎ方の鍵は、こちら側から見ると良く分かります:



最後部分を直線にする事で、向こう側に無理なく繋げているんですね。そして、やはりココでも人の導線をコントロールする事によって、「建築の見え方」を最もカッコイイ位置から見せようという意思が見られます。(上の位置からの見え方はあまりカッコよくない。この辺の事についてはコチラ:地中海ブログ:マドリッド旅行その4:ラペーニャ&エリアス・トーレス(Jose Antonio Martinez Lapena and Elias Torres)の建築その1)そしてこの建築の外観のクライマックス的表現が何と言ってもココ:



斜めに取り付けられた廊下です。コレは行ってみると分かるけど、思った以上にダイナミック。言うまでも無い事だけど、この建築にとって、この斜め廊下があるのと無いのとでは大違い。でも、この斜め廊下がコレほどまで生きてくるのは、それ以外のデザインが驚くほど真面目にデザインされているからなのでは無いでしょうか?



つまり、この斜め廊下が取り付けられている本体ファサードが大変静かにデザインされているからこそ、この斜め廊下のアクロバッティブ性が際立つと思うんですよね。
建築って、こういうもんだと思います。つまり、ある一つの建築において、何か一つ、やりたい事があって、それが明確に達成出来ていれば良いんじゃないか?最近はそう思うようになりました。

さて、イヨイヨ中へと入って行きます。今回入る事が出来たのは2階にあるカフェ&レストラン部分:



2層吹き抜けの、白をベースとした透明感溢れる空間となっています。そしてこのガラス:



床から天井まで一面ガラス。「これでもか!」というくらい光が燦燦と注ぎ込んできます。正に光のシャワーです。更に、このガラスを通して見える風景が圧巻:



先程見た斜め廊下がこんなに真近に見えちゃいます。



この近代建築の傑作は近年、大幅な改修を経て、今では沢山のデザイナーや建築家といった、クリエイティブな人達の事務所などが入っているそうです。



このカフェ&レストランコーナーも、フレキシブルな区切りを設けて、会議やちょっとしたミーティングなどに使用している様子でした。

うーん、やっぱり近代建築は面白い!初日から良い建築を見させて頂けて、大満足なスタートです。
| 旅行記:建築 | 20:31 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
デイヴィッド・チッパーフィールド(David Chipperfield)の建築:裁判都市(La Ciutat de la Justicia):建築間の対話による都市風景の創出
先週末1日だけ一般公開されたデイヴィッド・チッパーフィールド(David Chipperfield)のデザインによる裁判都市に行ってきました。「裁判都市とは何か?」というと、現在はバルセロナ市内にバラバラに点在している司法、裁判機能を一箇所に集め、コミュニケーションを円滑にする事によって、少しでも効率的に司法行政を行おうという試みの下に建設された都市(建築群)エリアの事です。



この裁判都市が位置するのはバルセロナ郊外のホスピタレット市(Hospitalet de Llobregat.)、丁度、伊東豊雄さんが計画されている2本の棟の目と鼻の先です。3億2,000万ユーロをかけて建設された8つの建物には、3,000人の労働者と1日13,000人の訪問者が想定されています。

先ず初めにとても巧いなー、と思った事はそのネーミングですね。ココでは「建物群」や「エリア」を創り出す事ではなくて、ある種の「都市」を創り出す事が意図されている。つまり、何にも無い郊外に求心力のある「核」を創り出すという、バルセロナのお得意の手法ですね。その証拠に、8つの建物群の一階には既にカフェやレストランなどの店舗がぎっしりと入る事が決まっています。





様々な機能が混在し、正に都市の街路、都市における街角を創出しようと試みていると言う所は、先ず第一に注目すべき点だと思いますね。

さて、そういうバルセロナ市の都市戦略、バルセロナ市にとっての「裁判都市の位置付け」というマクロな話に加えて、僕の関心はやはり「彼(デイヴィッド・チッパーフィールド)がこの建築で一体何をやりたかったのか?」という点に収束します。ずばり彼がやりたかった事、それは「異なる建物間での対話、そしてそれらが生み出す誰も見た事の無い風景」だと思います。

先ずこの建築の「物語」はココから始まります。



4つの独立した建築が重なり合い、少しずつズレる事によって、単体の建築では出現し得ない風景を演出している。これはバルセロナのスペイン広場方面から空港方面へと行く道路側から見た風景なのですが、彼は明らかにコチラからのアプローチを意識している事が分かります。



上の写真は反対側(つまり空港からスペイン広場方面)から建築群を見た風景なのですが、まとまりがあまり無い事に気が付くと思います。リズムが悪いんですね。(このようなアプローチの重要性についてはラペーニャ&エリアス・トーレスの傑作、トレドの大階段についてのエントリで書いた事と一致します:地中海ブログ:マドリッド旅行その4:ラペーニャ&エリアス・トーレス(Jose Antonio Martinez Lapena and Elias Torres)の建築その1

リズムの話をする時に僕がよく例に出すのが「キン肉マン」のオープニングの話です。僕はキン肉マンどんぴしゃ世代で、小学生の頃は毎週欠かさず見ていました。はっきり言って、「友情」とか「信頼」とか、そういう人生にとって大切な事は結構キン肉マンから学んだ気がする。

さて、オープニングにはこんな歌詞が出てきます。

私は、ドジで、強い、つもり、キン肉マーン。走る、すべる、見事に転ぶ。アー心に・・・

ココで、最初の塊は、4つのフレーズ(私は、ドジで、強い、つもり)+キン肉マーンで構成されている事が分かると思います。しかし、次のフレーズでは、「走る、すべる、見事に転ぶ」と3つのフレーズで構成されているんですね。前の規則に従うならば、「見事」と「転ぶ」が分かれ、4フレーズを構成するのが普通なのに、最後のフレーズが2つ重なり、3つのフレーズに収まる事によって、大変良いリズム感を出している事が分かると思います。

チッパーフィールドが作り出したリズムも基本的にはコレと一緒なんですね。



最初の建物(はじまり)を一番高くしておいて、段々に下げて行く。その規則に従うならば、最後が一番低くなるはず。しかしそうはせずに、3番目を一番低くしておいて、最後の締めを少し高くする事によって、アクセントを付けている訳です。一見バラバラに見える建物群でも、ナカナカ良く考えられている事が分かると思います。



更に周りを歩いてみると、如何に彼が建物の重なりによる「空の切り取り方」に気を払っているか?が分かると思います。



渡辺純さんが良く言われていた事を思い出します。「cruasan君ねー、都市スケールの建築において、何が大事かって、それは一本の線が大事なんじゃなくて、その線が端部でどう終わっているか?そしてその線が他の線とどう交わっているか?そしてそれらがどう「空」を切り取っているか?が重要なんだよ」と良く言われていました。





そしてココでは「見え隠れ」による、ある種の「奥行き」が演出されていると言ったら、あまりにも褒めすぎでしょうか(笑)。

そんな事を思いながら、先程の「物語のスタート地点」から少しずつ歩いてみます。



左手には我々の歩行を促進するかのように、緑の壁が進行方向に立ち、橙色の建物(壁)がまるでその運動を受け止めるかのように、優しく(斜め方向に)位置しているのが分かると思います。これらの二つの建物が切り取る「空」もナカナカかっこ良いですね。



そしてココでふと前をみると、エントランスが我々に向かって真正面ではなく、ハスに構えて出迎えてくれるのが分かると思います。この演出もナカナカ巧い。



緑色の建物が進行方向を向き、それを受け止める橙色の建物と一対となる事によって、自然と生まれた三角形地帯なのですが、それを上手く、斜め方向からのアプローチとして使っている事が分かると思います。



このような「斜に構える」デザインの好例は坂本一成さんがやられた住宅S、槙さんのヒルサイド、そしてジャン・ヌーベルのレイナ・ソフィアなどがあると思いますが、そういう観点から見るならば、この建築も明らかに「斜に構えるデザイン」において成功している好例だと言う事が出来ると思います(地中海ブログ:マドリッド旅行その2:ジャン・ヌーヴェル(Jean Nouvel)の建築:国立ソフィア王妃芸術センター(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia))。

デイヴィッド・チッパーフィールド(David Chipperfield)の建築その2:裁判都市(La Ciutat de la Justicia):内部空間に続く。
| 建築 | 19:09 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
スペイン高速鉄道(Alta Velocidad Espanola:AVE)バルセロナ−マドリッド間開通一周年記念
2月20日はバルセロナーマドリッド間のスペイン高速鉄道開通一周年記念日でした。当ブログでは僕の実体験を含めて、何度かAVEについてはレポートしています。(スペイン高速鉄道(Alta Velocidad Espanola:AVE)に見る社会変化の兆し:地中海ブログ、マドリッド旅行その1:高速鉄道(Alta Velocidad Espanola:AVE)に乗ってきました:地中海ブログ)

と言うのも、鉄道インフラって僕達の生活に無くてはならない生活の基礎だと思のですが、バルセロナーマドリッド間の高速鉄道は、その革新性から両都市に住む人々の生活スタイルを変えたと言っても過言ではないと思うからなんですね。更に別の視点から見ると、各都市間を結ぶ交通手段というのは、そのネットワークとスピード、許容量がそのまま経済活動に直結するので、都市にとっては鉄道インフラは権力そのものという側面もあります。

例えば、欧州最大の取扱量を誇るロッテルダムの港(Haven van Rotterdam)とヨーロッパ北方のハブ空港であるスキポール空港(Schiphol Airport)を要するアムステルダムが高速鉄道で結ばれたランドスタット(Randstad)があんなに発展したのは何も偶然ではありません。又、地中海で最大規模の港を持つバルセロナにハブ空港建設計画が持ち上がった時、誰よりも声高に反対したのはマドリッドでした。更にそれらが高速鉄道で結ばれるなんて、マドリッドにとっては悪夢もいいところ。と言う事で、バルセロナのAVE開通にナカナカ首を縦に振らなかった訳です。(詳しくはコチラ:高速鉄道敷設に見る都市戦略:地中海ブログ)

その結果どうなったかというと、マドリッドーセビリア(Sevilla)間という訳の分からない路線が15年も前に開通しちゃったり、マドリッドーサラゴサ(Zaragoza)ーリェイダ(Lleida)間(2004年)とか、マドリッドーセビリア(Sevilla)ーマラガ(Malaga)間、マドリッドーセゴビア(Segovia)ーバリャドリッド(Valladolid)間がとっくの昔に開通するという、とても不思議な現象が起こる訳です。

ちなみにマドリッドーバルセロナ間が開通した去年の2月20日は、バルセロナでは誰もがそのニュースを知ってるお祭り状態だったんだけど、マドリッドでは「あ、そうなの、ヘェー」みたいな、まるで無関心だったらしい。一年前の新聞にはこんな見出しの記事が掲載されていました:

「無関心のマドリッド」
” Madrid, indiferente”, La Vanguardia, 20 de Febrero 2008


普段、カタラン人に何か言われるとすごく悔しくなる毎日だけど、マドリッドに馬鹿にされるともっと腹が立ってしまう僕は、実は何時の間にかカタラン人に洗脳されてしまっているのでしょうか・・・(苦笑)。

さて、昨日の記事(La Vanguardia, 21 de Febrero 2009)によると、AVEは開通1年で、それまでバルセロナーマドリッド間を独占していた飛行機のマーケットを約半分(48.2%)ももぎ取ってしまったという事です。

もうちょっと詳しく見ると、去年の3月の時点では飛行機が348.482人を運んだのに対して、AVEは163.821人となっています。これを飛行機対AVE比で見ると、68%対32%となります。6月にはコノ数字が59%対41%(316.199人対217.194人)となり、8月には57%対43%(168.491人対125.980人)、10月には53.5%対46.5%(290.657人対253.451人)となっています。そして開通一年後の現在では、51.8%対48.2%(202.942人対188.839人)とほぼ飛行機を飲み込みそうな勢いです。

又、2007-2008年の年間利用者が762.981人だったのに対して、2008-2009年の年間利用者は2.337.913人。なんと一年で206,4%増という驚くべき数字を叩き出しています。これに対して飛行機の方は4.852.272人(2007-2008年)から3.465.524人(2008-2009年)に激減(マイナス28.6%)。

この異常なAVE人気の秘密は、何と言っても時間の正確さだと言われています。この一年で定刻通りに着かなかったのは159ケースのみ。これは全体の0.82%を占めるに過ぎないのだそうです。ちなみに鉄道会社は15分遅れた場合は半額を、30分以上遅れた場合は全額返金を一つの売りにしてAVEの運行を始めました。これを最初に聞いた時、「おー、とにかくすごい自信だな。後で泣くなよ」とか思ったんですが、きっちり結果を見せてくれました。

この結果に気を良くしたマドリッドの勧業省(Ministerio de Fomento)のマグダレナ・アルバレス大臣(Magdalena Alvarez, la ministra de Fomento)、バルセロナの近郊鉄道網の改良と発展に40億ユーロ(1ユーロ120円として5800億円)を2015年までに注入する事を発表しました。この投資によって、現在の路線が25km伸び、9つの新しい駅が作られ、現状よりも更に8万人をカバーする事が出来るようになるそうです。

でもコノ話にはオチが付いてて、実は去年11月28日に承認された予算案によると、マドリッドの近郊鉄道網の改良と発展にはバルセロナよりも10億ユーロ多い、50億ユーロが投資されるらしい。やっぱなー、こんな事だろうと思ったよ。
| 都市戦略 | 15:29 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
スペイン高速鉄道(Alta Velocidad Espanola:AVE)に見る社会変化の兆し
昨日の新聞(La Vanguardia, 25 Noviembre, 2008)にスペイン高速鉄道:AVEに関する記事が載っていました。去年の2月20日の運行開始以来、着実に利用客数を伸ばし、それまで市場を席巻していた飛行機の市場を約37%ももぎ取る勢いだそうです。これまでの9ヶ月間の総利用者数は約170万人。まだAVEが存在していなかった昨年同時期のマドリッド(Madrid)ーバルセロナ(Barcelona)間の普通電車利用者数(544,951人)に比べると約3倍に伸びているのが分かります。

開通当初からこの高速鉄道には注目していたので、当ブログでもマドリッドの都市戦略と絡めた「マドリッドの都市戦略その1:美術(美術館)を軸とした都市活性化」や初めての高速鉄道体験と絡めた「マドリッド旅行その1:高速鉄道(Alta Velocidad Espanola:AVE)に乗ってきました」などをレポートしたんですね。

上述のように飛行機との市場争いに火花が散っているので、このような詳細なデータがちょくちょく新聞に載るのですが、今日のラ・バンガルディア紙(La Vanguardia)は珍しく(笑)ちょっと切れの良い事を言っていました。

「高速鉄道の効用は、ある利用者層の心を捉えた。以前はピストン空輸路線が最も相応しかったビジネスマンである。その一方で、激安旅客機はバックパッカー達を運んでいる。以前は普通電車に乗っていた者達である。つまり、会社役員はAVE、バックパッカーは飛行機(という逆転現象が起こっているのである。)」

" El impacto de la alta velocidad ha captado a un perfil de usuario- hombre de negocios-que era mas propio del puente aereo, mientras que los vuelos baratos se llevan a los que antes iban en tren. Ejecutivos al AVE, mochileros al avion"(La Vanguardia, p5, 25 de noviembre 2008)


やれば出来るじゃないですか、ラ・バンガルディアさん!!!

さて冗談はこれくらいにして、では何故ビジネスマンにAVEが好まれるのか?ラ・バンダルディア紙はその一番の理由に時間の正確さを挙げていました。これには納得。これは僕自身が体験した事ですが、1時間遅れが当たり前のスペインにおいてAVEは日本の地下鉄並みの正確さで運行されています。

(余談ですが、一昨年日本に帰った時に実家の最寄の地下鉄駅で電車を待っていた時の事、電車が遅れているらしく館内放送が入りました。

「電車が遅れておりまして大変ご迷惑をおかけしております。1分遅れです。」1分かよ!!!さすが日本。)

AVEはこの時間の正確さを一番の売りにしているので、時間の遅れによって返金保証をしています。15分遅れると半額返金で、30分以上遅れると全額返金というかなり太っ腹の保障。それだけ自信があるという事ですね。

それ以外にもキレイ、席が広いなど挙げれば切りが無いくらいの利点があるのですが、一番うれしいのはなんと言っても時間の節約です。それは一番最初にAVEに乗った時の感動が、良く出ている以前のエントリに僕はこのように書いています:

今回実際に高速鉄道を利用してみて初めて分かったのですが、高速鉄道を使う最大の利便性は待ち時間です。飛行機の場合、少なくとも1時間前には空港に居なくてはなりません。更にそこからチケットやセキュリティの列に並び、飛行機に搭乗しても飛行機が飛び立ち安定飛行に入るまではパソコンも開けない状況。

それに対して高速鉄道の場合には、列車発射の15分前までに行けばよく、入場やセキュリティなどの待ち時間はほとんど無し。列車は必ず定刻に発車し、席に着いたと同時にパソコンの電源を入れられます。何より席のスペースが飛行機よりも断然広いし揺れも少なく非常に快適。

加えて言うなら、列車内にあるカフェテリアでコーヒーを頼んだ所、一杯1.4ユーロでした。これは安い。飛行機なら軽く3−4ユーロはいくでしょうね。

高速鉄道のバルセロナ−マドリッド間の所要時間は約2時間40分なのですが、上述の空港までの移動時間や待ち時間などを考えると圧倒的に高速鉄道の方に分があるように思います。何より観光を目的としてマドリッドに行く人にとって、駅を出た直ぐの所がレイナ・ソフィア美術館であり、プラド美術館だというのは非常にうれしい。

地中海ブログ:マドリッドの都市戦略その1:美術(美術館)を軸とした都市活性化


個人的に一番うれしいのは列車に乗った瞬間からパソコンが開けるの事です。バルセロナからマドリッド到着の2時間半というのは会議やカンファレンスのレジュメを作るのに丁度良い時間です。前回AVEを利用したのは丁度バルセロナコスプレ大会(Salon de Manga en Barcelona)直後、しかも今年の「コスプレ地中海ブログ賞」はフリーザ様だったので、久しぶりにドラゴンボールが見たくなって2時間半、ぶっ通しでYoutube見てました。しかもナメック星の辺り。

まあ、ドラゴンボールはどうでもいいんだけど、こんな事が出来ちゃうという所がミソかな。未来喪失論じゃないけど、21世紀になった今、人間は火星には住めなかったし、空飛ぶ車も発明出来ませんでした。(ウィリアム・ミッチェル(William. J Mitchell)が彼の学生と面白い発明はしていますけど・・・)でも、世界とリアルタイムで繋がるというちっちゃな夢、60年代万博をちょっと賑わしたちっちゃな夢は実現出来ているような気がします。

ラ・バンガルディア紙が指摘しているバックパッカーに関しても一理あると思います。以前の若者のイメージというのはリュックを背負って青春18切符ならぬ、ユーロパス(ヨーロッパ版、青春18切符)を持ちつつ鈍行で15時間くらいかけて各都市を巡るというのが常でした。しかし今そのイメージが変わりつつあります。Ryanairなどの超激安飛行機の登場によって、若者は今、どんどん飛行機を選ぶ様になっているんですね。

1−2年前、ロシアのリトビエンコ氏がロンドンで暗殺された時、その放射線汚染(ポロニウム210)が大きな問題になった事は記憶に新しい所です。しかしその時、一番懸念された地域が実はバルセロナだったというのはあまり知られていないんですね。何故かと言うと、ロンドンが一番多く空の便を結んでいる都市がバルセロナだからです。これは明らかにEasyJetや Vuelingなどの超激安旅客機の影響です。最近ではこれらの傾向(激安ショップ郡)を指して、チープエコノミーという造語まで作られています。

飛行機と言えば昔は未来の代名詞でした。空を飛んでいく海外旅行なんて、一世一代の大仕事だったんですね。しかもそれはそんなに大昔の事ではなくて、つい10年くらい前の話。だから飛行機=高い=金持ち=ビジネスマン、電車=安い=貧乏=学生みたいなイメージがついたんだと思います。しかし今、そのイメージが劇的に変わりつつある。

かつてイグナシ・デ・ソラ・モラレス(Ignasi de Sola Morales)は「社会、経済そしてテリトリー。この3つの要素は同時に変化していく」と言いました。今、(チープ)エコノミーの影響で社会が変わりつつあります。その影響が果たしてテリトリーの何処にどのように現れるのか?それが今、僕の一番関心のあるところです。
| バルセロナ都市 | 23:06 | comments(4) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ウィーン旅行(Vienna / Wien)その3:スティーブン・ホール(Steven Holl)の建築:ロイジウム(LOISIUM Kellerwelt):ファサードに見る建築デザインの本質
前回のエントリ、ウィーン旅行(Vienna / Wien)その2:スティーブン・ホール(Steven Holl)の建築:ロイジウム(LOISIUM Kellerwelt):行き方の続きです。

先ずアプローチ。



葡萄畑と田園風景の真っ只中に舞い降りたUFOのごとき、銀色の塊とでも表現しましょうか。遠くからでもはっきり見える、変わった窓の形とブラックジャックの如き縫い目の跡のようなファサードが印象的。



更に近付くとファサードが平坦では無く、ちょっとデコボコしている事に気が付きます。そしてその切り返しに金属と金属を縫い合わせたような処理が施されている。



この縫い目のようなデザインと壁の動きが、様々な形と大きさの溝(窓)を巧く補完しているように思えます。この辺のデザイン処理というのはやはり非常に巧いですね。







更に言っちゃうと、窓の「掘り」を大胆に深くする事によって、銀色の箱の抽象性を高めています。そしてその「掘り」と軽やかな銀色のファサードが醸し出す対比が鮮やかですね。デコボコ(ナミナミ)デザインもスペイン人がやるほど大胆ではなくて、どちらかというと主役(この場合は窓)を際立たせる「塩・コショウ」という感じでしょうか。

このような動きのあるデザイン(デコボコ、もしくはナミナミデザイン)って、エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)の影響かどうか知らないのですが、スペインでは非常に良く見かけます。建築学校へ行って学生の作った模型なんて見てると、デコボコしていないのを見つける方が難しいくらい。

しかしですね、このようなナミナミデザインを巧く使いこなせているスペイン人建築家を、僕は2人しか知りません。一人は勿論、ミラージェス。イカリア通り(Avinguda de Icaria)にあるグニャグニャ系のオブジェクトは、何故にそこにそのグニャグニャが必要なのか?とか何故グニャグニャなのか?とか、そういう疑問をすっ飛ばしてしまうくらいに、その表現に説得力がある。





つまり、あのグニャグニャが「何時までも沈む事の無い太陽や、終わる事の無いお祭り」と言った、バルセロナのエネルギー全体、社会全体を表象していると思わせるくらいの表現に達しているんですね。そのあたりの事について、僕は以前のエントリでこんな風に書きました:


”・・・先ず僕は建築とはその社会文化を表象する芸術行為だと考えています。コレが意味する所というのは、建築を理解する為にはその建築、もしくは建築家が育った地域の社会文化を理解する事から始めなければいけないという事です。僕はその事をポルトガルの文化に深く根ざしたアルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)の建築から学びました。彼の建築の最も優れた所というのは、デザインのセンスや形の面白さでは無く、彼の建築が否応無く表してしまうポルトガルの社会文化だと思うんですね。だからシザの建築を指して「詩的だ」という解釈にはあまり賛成出来ません。「詩的」だという説明は他の言葉で説明出来ない時の逃げに使われている気がするからです。

全く同じ事がミラージェスの建築にも言えて、彼の建築は地中海都市であるバルセロナの社会文化を良く表していると思います。その事に気が付いたのはこちらに住み始めて2年くらい経った時のことでした。

地中海特有の天気、毎日晴れ。明日も晴れ、明後日も晴れ、ずーっと晴れ。ニュースを見るとお天気マークが「これでもか」というくらい続いているし、キャスターは「今年の雨日数は2週間でした」とか言ってるし。こんな毎日天気の良い日が続くと自然と人が公共空間に出て来て、様々なアクティビティがそこで繰り広げられる事となります。更に昼間は暑いから自然と活動は朝方、もしくは夕方から夜にかけてという事になる。すると夕食時間がそれだけズレ込んで夜中1時を過ぎても屋外で夕食会が普通に開かれているという状況が生まれる訳です。

これが地中海都市でこれほど公共空間が重要視される理由だと思うんですね。そしてそれがこの都市の人々にバイタリティを与えている。燦燦と降り注ぐ太陽の下で育まれる生命力、何時まで経っても終わる事なく続くアクティビティ、絶え間ない笑顔、それに背中を押された社会の楽観主義。これら全てを正に「一撃の下に表している」のがミラージェスの建築であると思う訳です。・・・”

(詳しくはココ:エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)の建築その2:バラニャ市民会館(Centro Civico de Hostalets de Balenya)に見る建築の質:社会文化の表象としての建築:ミラージェスの場合






又、ナミナミデザインとは少し違うかも知れないけど、バラニャ市民会館(Centro Civico de Hostalets de Balenya)では螺旋状に回転しながら上昇する内部空間と、その内部空間がまるで内側から膨らんできてファサードになったかのような、内外一致の見事な建築を展開していました。(詳しくはココ:エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)の建築その3:バラニャ市民会館(Centro Civico de Hostalets de Balenya)に見る建築の質:実際に建築を訪れる事の大切さ

もう一人はラペーニャ&エリアス・トーレス(Jose Antonio Martinez Lapena and Elias Torres)。彼がトレドに完成させたエスカレータは僕が今までに見た建築の中でも指折りの傑作。



物語の展開方法といい、エレベータという普通のモノを、少しずつ角度を変える事によって差異化しつつ、見事なナミナミデザインを完成させています。(詳しくはココ:マドリッド旅行その4:ラペーニャ&エリアス・トーレス(Jose Antonio Martinez Lapena and Elias Torres)の建築その1

又、2004年にバルセロナに完成させた巨大ソーラーパネルでも、ほんの少しだけ角度を付ける事によって、見事なダイナミクスを達成している。



(詳しくはココ:マドリッド旅行その4:ラペーニャ&エリアス・トーレス(Jose Antonio Martinez Lapena and Elias Torres)の建築その2:ソーラーパネル

デザインってこういうモノだと思うんですね。パッと見、普通なんだけど、良く見るとちょっと違う。つまり普通のモノを差異化する事。ここから生まれる静かなデザイン。そもそもDesignって否定語の「DE」と「SIGN」がくっついて出来ています。つまりサインを消す行為だと見る事も出来るわけですよ。以前書いた「歌舞伎と能」の比較で言うと、「能」的なデザインという事です。

そう考えると、グローバリゼーションの中において都市間競争がますます激しくなり、それに伴って都市が派手な建築を「都市の広告」として必要としている現在は、デザインの本質とは全く反対方向へ向かっているなー、という気がします。

実はこの辺の事については僕は本当に悩んでいます。簡単な例で言うと、建築的に見て世界最高峰の質を持つ、正に「能」的デザインの極地、谷口さんのやられたニューヨーク近代美術館と、一見、歌舞伎的に見えるけど、全くそのレベルにすら到達していないバカトラバ、失敬、カラトラバ(Santiago Calatrava)のデザインした橋。建築的に見て賞賛されるべきは当然前者なんだけど、都市という観点から見た時、人を惹き付けているのは明らかに後者なんですね。後者の派手なデザインが大衆の心を捉えているとすれば、前者の良さが分かる人なんて全人口のホンの数パーセントしか居ません。

そうすると、公共のお金を使って都市を発展させる為には果たして谷口さんのような優れた建築で良いのか?言い方を変えれば、カラトラバのようなデザインが求められているのではないのか?というお話になってくるわけですよ。

コレは難しい。中村研一さんが言われていたように、最終的には評価軸の違いという事になるのだろうけれど、未だ僕は決定的な評価軸を自分の中に確立する事が出来ずにいます。

あー、又脱線してしまった。

まあ、とにかくナミナミデザインは見掛けほど簡単ではなくて、すさまじいデザイン力が無いとそのデザインが説得力を持つにはナカナカ至りません。そんな中、このスティーブン・ホールのナミナミファサードはナカナカに成功していると思います。

さて、ファサードについてもう一つだけどうしても書いておかねばならない事があります。それがホールが採用するに至ったあの特徴的な窓の事です。

僕は建築を訪れると先ずはその建築家が一体何をやりたかったのか?を模索する所から始めます。建築を設計する立場から言うと、一つの建築を計画・デザインするにあたり、必ず何かしらやりたい事があるはずなんですね。僕は基本的に一つの建築の中に建築家がやりたかった事が一つ達成されていれば良い建築だと評価します。逆に言うと、一つの建築の中に一つで良いんです。

建築家というのはやりたい事が沢山あります。しかしそれらをやり過ぎない勇気というのも必要だと思うんですね。何かしらカケガエノ無い一つのアイデアをサポートする為に全てのデザインが展開している時、僕はその建築にとても感動します。

そんな風に考えると、今回の建築でホールがやりたかった事は唯一つ。様々な形と大きさの窓から入ってくる光のハーモニーによる内部空間の構成です。彼はとにかく「光のハーモニー」を創り出したかった。それを実現する為には色んな形の窓が要る。そこで彼が引っ張り出してきたのが、この葡萄畑の地下に眠っているワイン貯蔵庫ラビリンスの古地図だったんですね。

そうなんです。この地には何百年も前からワインの地下貯蔵庫がラビリンスのように存在していて、今回ホールがデザインしたのはラビリンスを用いた観光用のワイン物語空間の始まりとクライマックス空間だったんですね。そして、これは後日知ったのですが、あの特殊な窓の形は地下のワイン貯蔵庫の地図を変形して抽象化した形だそうです。

”この場所での特別な体験の焦点である地下貯蔵庫のジオメトリーを取り出して変形し、抽象化して、キューブ(ワインセンター・パビリオン)の内部に陽射しを送り込む開口をかたちつくる・・・”(GA Document, p76)

このように、どんなものでも自分のデザインに利用してしまえる思考の強さ、そしてどんなものでもデザインしてしまえるデザイン力。コレがスティーブン・ホールという建築家の強さです。

ウィーン旅行(Vienna / Wien)その4:スティーブン・ホール(Steven Holl)の建築:ロイジウム(LOISIUM Kellerwelt):歴史的遺構という物語空間に接続された現代建築に続く。
| 旅行記:建築 | 20:15 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
マドリッドの都市戦略その2:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)について
先日のエントリ、マドリッドの都市戦略その1:美術(美術館)を軸とした都市活性化の続きです。

先日書いたように現在マドリッドは美術館等の集積による文化を軸とした都市戦略を遂行中です。1.9kmに及ぶ軸線上に約15もの文化施設が集まっています。そしてそれを結びつける役割をするのがアルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)が担当する新歩行者街路なんですね。

実は数ヶ月前、マドリッド市役所によりシザの案が発表された時、ちょっとした議論が沸き起こりました。それというのも街路空間を拡張する為に、元々そこに生えている樹木を伐採するという計画が盛り込まれていたからなんですね。それに対して市民は猛反発。翌日には早速、計画の説明の為にシザのインタビューが各新聞を賑わせていました。先日のマドリッドの文化戦略に関する記事(El paseo del Arte)の冒頭も実はシザへのインタビューだったんですね。各インタビューの中でシザは何故この計画が生まれたのか?どのように計画が発展していったのか?などを説明していますが、僕にとって興味深い事に、建築とは何か?建築家とは何か?自分はどのように建築家になったのか?などの話がさりげなく盛り込まれていました。

例えばシザは自分が建築家になった経緯をガウディに関連付けて説明しています。

“マドリッドでベラスケスを発見したように、バルセロナではガウディの作品を発見した。そしてそれは若きシザを建築への道へと導いたのである。“

“Y si en Madrid descubrio a Velásquez, el encuentro en Barcelona con la obra de Gaudi marco los pasos del joven Siza hacia la arquitectura.”

La Vanguardia, 27 de Julio, 2008, p44


これは面白い!何故なら当ブログでは何度か言及していますが、ガウディ建築の特徴の一つは天井のデザインに見られると思うからです。カサ・バッリョの天井なんて惚れ惚れするくらい美しくデザインされています。



そしてコレも当ブログでは何度も取り上げてきた話題なのですが、シザ建築の特長の一つは天井にあると僕は思うんですね。(ちなみに残りはアプローチ空間とパースペクティブ空間)シザほど天井のデザインが巧い建築家はナカナカ居ません。そして天井が巧いという事は階段のデザインが巧いという事です。それが槙さんの建築にも言える事は以前のエントリで書いた通りです。

マドリッド旅行その4:ラペーニャ&エリアス・トーレス(Jose Antonio Martinez Lapena and Elias Torres)の建築その1

別のインタビューによるとシザは子供の頃、家族旅行で良くスペインに来ていたそうです。そして小さな頃から彫刻家になりたかったそうなんですが、ガウディの建築を見た時、彫刻と建築の類似性に気が付き、大変な衝撃を受けたと言っています。そしてその後、ガウディの建築を全て見て回ったとも。

”休暇にはよく家族でスペインに行きました。父は美術館に行くのが大好きでしたが、家族と初めてバルセロナを訪ねたとき、私にはガウディがとても印象的でした。まだ建築の学校には通っていなかったころでしたが、ガウディの建物を全部見る事に決めました。・・・私はガウディに強く惹かれました。この有名な建築の写真と現実の建物を比較したとき、これは彫刻に似ていると思ったからです。建物の建っている場所について、自分の目で建物を見たとき、この彫刻には、普通の住宅が備えているあらゆるエレメントが備わり内包されているのだと分かりました。扉、窓、幅木。つまり、ある意味でこのことが私に建築の世界を開いてくれたのです。それ以前は、私はこれを彫刻としてみていたのですが、このとき、建築として見る事が出来たわけです。”

Studio Talk,15人の建築家の物語:インタヴュー:二川由夫、p207


アルヴァロ・シザという人がすごい所は、まるでサッカー小僧の翼君のように人の得意技を自分の物にしてしまう所です。誰が見ても分かるように、彼のデザインには明らかに引用先が存在します。それは例えばアルヴァ・アールト(Alvar Aalto)だったりハンス・シャロウン(Hans Scharoun)だったりするわけなのですが、それらの形態から出発して最終的には彼の空間になっている。

まあ元々、何も無い所から何かを創り出せる人、もしくは完全なるオリジナルを創り出せる人なんて先ず居ないと思います。創作の基本は模倣ですから。しかし愚かなる人は最終形態だけを見て、「あー、これはあの建築を真似したんだな」という模倣の起源だけを突き止める事で満足してしまうんですね。問題はそこじゃ無い。世の中一人として同じ人が居ないように、同じ模倣作から始まっても作者によって結果は必ず違うはず。その変形のプロセスとその結果にこそ、その人の個性が現れる訳ですよ。それがあるから建築は面白い。

アールトやシャロウンにシザが多大なる関心を寄せている事は明らかなのですが、では何故彼がアールトやシャロウンにこんなにも愛着を寄せているのか?といった部分はあまり明らかじゃないと思います。

一つには彼らに共通する彫刻的な形態が挙げられると思います。それはシザ自身が彫刻に対する関心を名言している事、そして建築と彫刻の類似性をガウディに発見した事等から明らかだと思うんですね。

しかし、アールト、シャロウン、ガウディ、これらの建築家に共通するもう一つの特徴が実は天井のデザインな訳ですよ。ヘルシンキで見たアールトのデザイン、ベルリンで見たシャロウンの建築については以前のエントリ、

Alvar Aalto (アルヴァ・アールト)の建築: 国民年金協会とアカデミア図書館

Berlin その2: Hans Scharoun ( ハンス・シャロウン) の建築:Berlin Philharmonic Hall(ベルリン・フィルハーモニーのコンサートホール)
で書いた通りです。

もしも「芸術家とは要するに非常に若い時に受けた強烈な原体験的なものを、一生かかってあるひとつのメディアを通して具現してゆくものなのだ(大岡信)」とすると、まさしくシザは子供時代にガウディ建築に受けた衝撃が彼の建築の原点になっている。そしてその彫刻性と天井デザインの特異性に感化されて後にアールト、シャロウンへと興味を拡大していったと。

そんな風に考えたら非常にロマンチックだとは思いませんか?
| 建築 | 21:36 | comments(4) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ミラノ旅行その6:ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio):アテネの学童下書き(La Scuola di Atene- cartone preparatorio)
2年前のローマ旅行の時見た「アテネの学童(Scuola d'Atene)」以来すっかり大ファンになってしまったのがイタリア・ルネサンスの古典主義の完成者、ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio)です。当ブログでも彼の絵画にはしばしば言及してきました。

ロンドン旅行その2:Sir John Everett Millais(ジョン・エヴァレット・ミレイ)ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio):アテネの学童(Scuola d'Atene)など。

先月行ったマドリッド旅行の際訪れたプラド美術館(Museo Nacional del Prado)にも何点かラファエロの作品が展示されていました。(何時か書こうと思っていたのですが忙しくてナカナカまとまった時間が取れなくて結局書かずじまいになってしまった・・・)プラド美術館収蔵のラファエロ作品で僕が興味を魅かれたのが先ずはコレ:



カーディナルの肖像画(Raffaello, Ritratto di cardinale)。真っ黒のバックにものすごく映える赤色が印象的。一度見たら眼に焼きついて忘れられない。多分他の人が同じ色、同じ構図で書いてもきっとこれほど人の心を掴む絵にはならないと思う。これがラファエロの絵力か。もう一枚僕が興味を惹かれたのがコレ:



羊を連れた聖家族(Sacra famiglia con l'agnello)。先ずパッと見た瞬間に「構図が生み出すリズムが良いな」と言う事に気が付きますね。左手に居る赤ちゃんから「物語」が始まるわけだけれど、その赤ちゃんが一番低い所に位置している。そしてお母さん、お爺さんと順に立ち上がっていく構図。そのリズム感は各々の頭の位置を見るとよりはっきりします。円を描きながら上昇していますね。そして色使いも構図を巧く補完している。赤ちゃんが白基調なのに対して、中間のお母さんの左半分が青で右半分が赤。そこからお爺さんの黄色にバトンが渡されている。更にお母さんの足元にちょっとしたアクセントとして赤が置かれている。

このようなリズム感というのは建築を含めたデザイン分野では基本中の基本で、今でも良いデザインにおいてはそれらを見出す事が出来ます。こういう事を古典に発見する時、感覚という奥底においては「人間って変わらないんだなー」と言う事を感じますね。いや、変わって行こうとする力、変わらないとする力、その2つの力が鬩ぎ合っているのが人間という存在か。

前置きはコレくらいにして、今日の主題は先日僕がミラノに行った理由の一つ、「アテネの学童の下書き(La Scuola di Atene- cartone preparatorio)」です。



ヴァチカン市国のヴァチカン宮殿に4部屋ある「ラファエロの間」のうちの一つ、「署名の間」を飾る壁画「アテネの学童(La Scuola di Atene)を描く為の下書きがミラノはアンブロジアーナ絵画館(La Pinacoteca Ambrosiana)に残されています。縦2メートル85センチ、横8メートル4センチという大変に大きなデッサンはこの美術館のお宝とでも言うべく大変丁寧に照明まで暗くして絵を傷めないようにして保存されています。

先ずはその大きさにビックリ。これだけ大きいとそれだけで人を「ギョ」っとさせるものがある。そしてその大きなキャンパスに書き込まれたデッサンの質の高い事。近くによると鉛筆を走らせて影を作ったりといったミクロな作業部分が見えるんですが、そのミクロな部分が寄り集まって一つの大きな絵を構成しているというのは、当たり前の事だけれども不思議な感じがしますね。まるで一つ一つの小さなパブリックスペースの質が寄り集まって街全体の質を決定しているバルセロナのよう。

僕が面白いなと思ったのは絵の左側に描きかけの部分があって、人の頭だけとか、胴体までとかしか書かれていない所です。



そこを見るとまるで人がキャンパスから今正に生まれてきているようなんですね。ラファエロの鉛筆によって生を与えられているその瞬間がそこに垣間見えるわけですよ。こういうのって良く彫刻なんかで、下の台座部分が石を削りだした時のままにしてあったりして、人の上半身が生まれ出てくるみたいな表現をしているのは幾つか見た事がありますが、絵画では初めてなんじゃないかな。

さて、この下絵とヴァチカンにある完成図を比べて見て面白いのは前回も書いたように、ヘラクレイトスに見るラファエロのミケランジェロに対する尊敬の念ですね。前回のエントリで僕はこんな風に書いています:

・・・ミラノはアンブロジアーナ絵画館にある「アテナの学堂」の下絵には当初ヘラクレイトスは描かれていませんでした。つまりこのヘラクレイトスは予定に組み込まれていたのではなく、急遽描きこまれる事になったんですね。更にこのヘラクレイトスだけ他の絵に用いられているタッチとは全く違うタッチで描かれているそうです。どんなタッチかというと明らかにミケランジェロを意識したタッチだとか・・・

このような事からラファエロはミケランジェロによる完成前のシスティーナ礼拝堂を見て大変な感銘を受け、ミケランジェロに対する尊敬の念を現す為に急遽描きこんだという説があるそうです。・・・


そんな事を思いながら下絵を見てみると確かにヘラクレイトスは居ない。更に下絵を見ると分かるのがラファエロは明らかにヘラクレイトス無しの構図で決めていたという事です。つまり下絵の構図は「バチッ」と決まっている。ヴァチカンの絵を見た時は何も感じなかったけど、下絵の構図を見てしまうと、こちらの方が良い構図である事に気が付きます。つまりヘラクレイトスが邪魔なんですね。プラトンとアリストテレスの前の階段が大きく開いている方が気持ちが良い。彼らの手前右側に足を伸ばして座っている青い服を着た哲学者ディオゲネス(Diogenes)が開きすぎたスペースを巧い事埋めているのでそれだけで十分な気がするんですね。



ここからも明らかなようにヘラクレイトスは明らかに後付けですね。この後付けによって構図の質が落ちる事はラファエロだって十分に承知だったはず。逆に言えばそれを承知の上でヘラクレイトス=ミケランジェロを書き加えなければならないほどに、ラファエロはミケランジェロの才能に惚れたという事です。しかもこの人ど真ん中のどまん前に居るし・・・。

ラファエロが言った言葉:

我らの時代こそ、かつて最も偉大だった古代ギリシャの時代と肩を並べるほど素晴らしい時代なのだ」  
           ラファエロ

その素晴らしい時代を共に創っている天才に対する最高の敬意なんでしょうね。それにしても自分の生きた時代を誇れる人生って素敵だなー。僕もコウありたいものです。
| 旅行記:美術 | 19:32 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
マドリッド旅行その4:ラペーニャ&エリアス・トーレス(Jose Antonio Martinez Lapena and Elias Torres)の建築その2:ソーラーパネル
今日は、前回トレドのエスカレータで紹介したバルセロナが世界に誇る建築家、ラペーニャ&エリアス・トーレス(Jose Antonio Martinez Lapena and Elias Torres)の建築第二弾です。

バルセロナで見なければならない建築は幾つかありますが、彼らがデザインした巨大ソーラーパネルもその内の一つ。Forum2004というUNESCO協賛のイベントの一環として再開発した一帯にはヘルツォーク(Herzog & de Meuron)の三角形会議場や地元建築家ジョセフ・ルイス・マテオ(José Luis Mateo)の会議場兼ホテルなど現代建築のオンパレードなのですが、その中でも抜群に成功しているのが、ラペーニャ&エリアス・トーレスのやったソーラーパネルです。それがコレ。



普通のソーラーパネルを4つの支点で支えただけ。ただそれだけ。ただそれだけの単純な造詣をちょっとしたアイデアによって「差異化」し、最上級建築デザインに仕立て上げてしまう所に感動してしまう。

彼らは何をやったかというと、ソーラーパネルの角度をちょっといじっただけなんですね。普通だと横から見てパネルが太陽に向かって45度くらいを向いているのに、このソーラーパネルはその方向にねじれを加えられている。



それだけの工夫で、「これでもか」というくらいのダイナミックなデザインを演出している。



更に4つの支点を大変注意深くデザインする事によって、あたかも重いソーラーパネルがものすごく軽く一点で支えられているような表現を達成している。

大変に静かなデザインです。静かなんだけど、その中に「動」があるとでも言うような。昔、誰かが(誰だか忘れましたが)「能」と「歌舞伎」の違いについて書かれていました。歌舞伎というのは毎回違う事をやって派手さで勝負する。逆に能というのは、毎回大筋は同じなんだけど、ホンの少し細部を変える事で勝負をする。

(今思ったんですけど、これってそのままヨーロッパ対日本の違いにも適応出来るんじゃないですかね?ヨーロッパという世界はアイデア勝負です。アイデアを一発出した人が偉くて、他の人の真似をするのは最低だと考えられている。(勿論全部が全部そうじゃありません)。一方、日本という国はアイデアをコピーして、それを果てしなく洗練する事に大変長けた民族だと言えると思います。いわゆる前者は歌舞伎タイプで後者が能タイプ。)

建築も一緒だと思います。そして一つのアイデアを洗練させて行き、普通の物を差異化する事によって劇的な変化をもたらし、芸術にまで高めているという意味において、この建築は正に「能」の建築だと思います。
| 建築 | 08:16 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
マドリッド旅行その4:ラペーニャ&エリアス・トーレス(Jose Antonio Martinez Lapena and Elias Torres)の建築その1
元シザ事務所のアツシさんと話していたらどうしてもラペーニャ&エリアス・トーレス(José Antonio Martînez Lapeña and Elías Torres)の建築を見たくなってしまって、翌日トレドへ行ってきました。



トレド(Toledo)と言えば中世の街並みがほぼそのまま残されていて世界遺産にも登録されている事で有名なのですが、都市の保存改修を担当・指揮したのはバルセロナが世界に誇る建築家、泣く子も黙るジョアン・ブスケッツ(Joan Busquets)大先生。バルセロナモデルとして知られる一連の公共空間プロジェクトや、1992年のオリンピックを戦略的に用いた都市計画など、数々の先進的な計画を着実に成功させてきた彼は、その功績が認められて、2003年からハーバード大学の教授に就任しました。

そんな彼とは実はスペインの某都市の駅建て替え計画を共同で実施中なんですね。担当しているのは僕の隣に座っているメキシコ人のCちゃん。横目でちらちら進行状況を見ているけど、かなり大変そう。プロジェクトが始まった時、誘われたけど断っといて良かったー(笑)。

さて、そんなトレドには歴史的な見所の他に、建築家として絶対に見ておかなければならない建築があります。それがラペーニャ&エリアス・トーレスのデザインしたエスカレータ。



このアプローチ空間を見ただけで、もう既に彼らが只者では無い事が瞬時に分かる程のデザイン操作がなされている。

この建築の機能としては落差がある丘の上と下とをエスカレータを用いて結ぶという大変単純なプログラム。そんなの普通にデパートにあるエスカレータみたく、一直線に並べて終わりというのが普通の建築家なんだけど、彼らはそこにホンの少しだけ角度を3次元的に付ける事によって、劇的な風景を演出している。



デザインの法則に「これだ、これだと主張する」のではなく、「ホンの少しだけ他と違う事をする」という「差異化」が挙げられると思うのですが、彼らのこのエスカレータのデザインはそれを示す好例。何処にでもある普通のエスカレータがこんなにもかっこ良くデザインされたなら、エスカレータも本望だろうなー。

そしてラペーニャ&エリアス・トーレスが僕達に教えてくれるのは、アプローチ空間の大切さと人間の眼が150−170センチくらいの所に付いているという事実です。これを見てください。



この建築はエスカレータを5段積み上げただけの単純なものなので、横から見ると当然のごとくこんな風に見えるんですね。



横にビヨーンと間延びしてかなりかっこ悪い。それを分かっているからこそ、わざとアプローチを全く反対側である、エスカレータがほぼ一直線に見える位置に持ってきているわけですよ。しかもエレベータの各ユニットにX,Y,Z方向に少しずつ角度を与える事によって、動きを出しつつ、こんなにかっこ良い佇まいにしている。これは人間の眼の高さなどを相当意識しないと出来ないデザインだと思います。



更に言うと旧城壁がエスカレータの中央部分を横切っている事によって、巧い事、エントランス部分に対する門的な要素となり、何か特別な空間へと誘う効果を出している。



更にそのエントランス部分には光が降り注ぎ、まるで「おいで、おいで」と言っているようだし、エスカレータ中央部分が見えない事により、「途中はどうなっているんだろう」という想像力を掻き立てる。

これだけ見ただけでもかなり見事なデザインです。そういう建築家の意図がビビビと伝わってくる建築ほど気持ちの良いものは無い。

そしてコレがエントランス部分。





エスカレータの銀色と独特なコンクリート、そこへ差し込むトレドの強い日差しがものすごくマッチしている。前から思っていたのですが、鋭くカットされたエッジの効果などにより、彼らの扱うコンクリートにはある種独特なテクスチャーが与えられている気がする。



そして一基目のエスカレータを降りた所に二基目のエスカレータが待っているのですが、このエスカレータの置かれ方も又絶妙。



ちょっと角度が付いている事によって、自然に視線が外へと向くようになっているんですね。勿論エスカレータは登っているので、右手側には絶景が広がっています。



そしてもう一つ注目すべきなのが、彼らの天井のデザインの扱い方です。前回のエントリでも書いた事ですが、「どのように空を切り取るか」という問題ですね。これは建築をデザインする上で大変に重要な問題であるにも関わらず、今まであまり俎上に載せられる事は無かったと思います。というか注目されなかっただけだと思うんですが。

建築空間において大変に良く注目される要素として「階段」が挙げられます。そしてその代表格が槙さん。しかしですね、「階段が巧い」と言う事は逆に言えば「天井が巧い」と言う事だと思うんですね。何故なら階段部分は吹き抜けであり、その部分をどう演出するかで階段の質も決まってくるからです。実際、槙さんは天井のデザインに多大なるエネルギーを注いでいるように見受けられます。

そして何を隠そう天井のデザインが飛びぬけて巧いのが、実はシザなんですね。シザの建築の特質として「パースペクティブ的空間」と「天井のデザイン」が挙げられると勝手に思っていますが、そのうちの一つ、シザの「天井のデザイン」に言及しているのは、世界広しと言えども、我が心の師である矢萩喜従郎さんだけ。やっぱ、すげーなー。

さて、ラペーニャ&エリアス・トーレスも意識的に天井をデザインしている数少ない建築家です。何故ならそれが空間体験に圧倒的に影響を及ぼすと言う事を知っているからです。そしてこんな風に空を切り取っている。







エスカレータを上り切った所には絶景が広がっている。



デザイン的に見て、最後の天井部分とそれを支えるV字型の鉄骨が、エスカレータの流れに逆行する方向に「キック」している事により、流れたままで終わらずに「締め」を創っていますね。



ラテン系の建築家ってものすごく波があって、駄目な時は学生みたいな案出してくるけど、うまいことハマルとものすごいデザインを提出してきます。この作品は正にその針が最大限に振れた所に出現した奇跡的なものだと思いますね。
| 旅行記:建築 | 20:03 | comments(1) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
マドリッド旅行その3:旧友と会う:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)の住宅建築
マドリッド滞在初日の夜は、ポルトガルに居た時以来の友人である上野アツシさんに久しぶりに会う。かれこれ2年ぶりくらい。アツシさんは8年程ポルトのアルヴァロ・シザ事務所でシザの片腕として働き、バルセロナのコルネリャスポーツセンター(El Parc Esportiu Llobregat de Cornella)やマヨルカ島の住宅(Mallorca)などを担当された後、去年9月からマドリッドで独立を目指してがんばっているという建築一筋の方。

夕飯を一緒にという事でマドリッドの中心街であるチュエッカ(Chueca)地区にあるBarへと繰り出す。彼との会話はやはり楽しい。彼がシザ事務所で最後に担当したマヨルカ島の住宅の裏話などを色々と聞く。施主が超金持ちで今はモネオ(Rafael Moneo)の改修したフィンカ(Finca)に住んでいて、そこで飼っている子豚をそのまま丸焼きにしてシザと一緒に食べたとか。うまそー。

後日、彼のご好意で写真を何枚か送ってもらい、ブログに掲載する事も許可してもらいました。持つべきものはやはり友。ありがとうー、アツシさん。









この住宅、かなり面白いです。

その後話しはマドリッド(Madrid)の建築へと移行する。出版が派手で旺盛なスペイン建築界では、あたかも質の高い建築が多数出来上がっているような印象を受けるが、実は見るべきものはそんなに多くは無いという所で意見が一致する。このエリアでの一番の質を持った見るべき建築はトレド(Toledo)にあるラペーニャ&エリアス・トーレス(José Antonio Martînez Lapeña and Elías Torres)のエスカレータだと思いますね。

そんな話をしつつ夜が更けていきました。久しぶりに建築談義が出来て大満足の夜でした。
| 旅行記:建築 | 17:25 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
マドリッド旅行その2:ジャン・ヌーヴェル(Jean Nouvel)の建築:国立ソフィア王妃芸術センター(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia)
昨年拡張工事を終えたばかりの国立ソフィア王妃芸術センター(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia)に行ってきました。担当したのは先日プリツカー賞(The Pritzker Architecture Prize)を受賞し、今乗りに乗ってる建築家、ジャン・ヌーヴェル(Jean Nouvel)。ジャン・ヌーヴェルの建築はこれまでアグバルタワー(Torre Agbar)など幾つか見た事がありましたが、あまりピンとこなかったというのが正直な所でした。あのある種独特な「ネチー」としたデザインの何処がどう良いのかさっぱり分からなかったんですね。その一方で彼の建築が世界中で評価されているという事は、あのネチネチデザインがフランスの社会文化を何かしら表しているのか?とか考えたりもしたんですが・・・

コレは結構重要な事で、例えばアルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)の建築の本質というのは、彼の建築がポルトガルの社会文化を表象している・する事が出来ていると言う事だと思うんですね。ポルトガルという国は大変に「のんびり」したお国柄で、「待つ」という事が重要な意味を持つ社会だと体感しました。そんなポルトガルという国をシザの建築の「おおらかさ」が表象しているんじゃないかという事が分かりかけてきたのは、ポルトガルに住んで半年くらい経った時のことでした。(そんな彼の建築の本質をずばり写真を通して見極めている二川さんはやはりすごい)

建築は表象文化である為、その建築家が育った環境やその建築が建つ文化社会にある程度身をおいてみない事には、「その建築が何を表象しているのか?」という事はナカナカ判らないと思うんですね。これは勿論ジャン・ヌーヴェルにも言える事で、もしかしたら彼の建築がフランスの何かしら空気のようなものを表しているのかもしれない。そしてそれが評価されているのだったら、フランスに居住した事の無い僕には分かりずらいのかもしれないなーとか思ったりして。

まあ、それは「デザインの巧さ」という話とは又違う次元の話で、というのも「表象の問い」は最終的なデザインが一体何を表しているのか?という事ですから。そしてそれは狙って出来る事では無い。例えば日本文化を表象しようとがんばって無理にデザインしたものほど気持ちの悪いものは無い、というように。

そうではなくて、無意識下においてデザインの隙間から滲み出るものが何かしらの空気を表象している、もしくは表象してしまう能力を持つ人の事を建築家と呼ぶわけですね。それこそ「建築家とはその社会に生きる人々が潜在下に思っていながらナカナカ形に出来なかったものを一撃の下に形にする行為である」わけなのですから。

そんな事を考えながらソフィア王妃芸術センターを訪れたのですが、この建築はデザインという観点から見た時に大変に良い建築だと思いました。何故かというと、やりたい事がきちんと見えて、それがデザインにまで昇華されていると思うからです。



やりたい事は単純明快で、大屋根を架けてその下に格子状の箱を整頓しつつ、半屋内・屋外空間を創り出すという事だと思います。

先ず屋根を徹底的に薄くシャープに見せる事を第一と考えています。まあ当然と言えば当然で、ココがこの建築の勝負所だからです。この屋根がシャープに見えるかどうかでこの建築の質が決まってくる。そしてそれを成功させるために、様々なデザイン的な工夫がなされている。

先ずは遠景。



学生の時に渡辺純さんが口を酸っぱくして言われていた事の一つに「建築のシルエット」の問題がありました。模型に裏側から光を当てて、その建築のシルエットを薄目で見てみる。すると、その建築のエッジが「どのように空を切り取っているか?」、「その線が他の線とどのように交わっているか?」そして、「その線が端部でどのように終わっているか?」という事がよく見える訳ですね。



写真は夕方に撮影したのですが、この大屋根のシルエットは今まで見た事が無いような風景を出現させています。



遠景から見た時のもう一つの特徴が「建築が斜に構えている」という事です。こういう時のデザインの定石は、手前側に比較的軽いものを持ってきて、奥に行くほど濃くしていくという手法。この建築の場合には、定石通り、手前側に格子の箱を縦3つ低層に積んで、横6つ並べ、向こう側にある階段とのデザインの切り替えに縦に6つ箱を積み高層としている。そしてそのデザインの物語が斜に構えた階段で終わるという構成。何故に、最後の階段部分を「斜に構える必要があるか」というと、終わり方をオープンエンドにするためですね。



「斜に構えた建築」の好例としては坂本一成さんの「S」でしたっけ、住宅が非常にうまいデザインを展開されています。屋根の切り返しのデザインで上手い事、角地の特性を引き出しているデザインです。

ヌーヴェルが今回採用した「斜の階段で終わる物語」という事では、槙さんがヒルサイドテラスで大変見事なデザインをされていますよね。



さて、大変に印象的な大屋根なのですが、とりあえず、張り出しが尋常じゃ無い事に直ぐに気が付きます。これはこの建築に絶対不可欠で、支え柱を数メートルセットバックさせる事で、屋根が浮いているという印象を強烈に与える事に成功していると思います。



これだけのキャンチレバーをしようと思ったらかなりの幅の鉄骨が必要となると思うんだけど、そんな事を感じさせないような「ツルッ」としたデザインに仕上げています。

その秘密がコレ。





これは横から見た所なのですが、先っぽの方を極力薄くしておいて、三角型に奥に行くに従って鉄骨の幅を広くしていくという構造デザイン。そして軒先を日本建築のように少し上方に傾ける事によって更に軽さを演出している。

そしてこの構造を生かすかのように、薄い大屋根の一部分に開口が開いていて、そこに厚みが付いている。





この「薄い大屋根」と「厚みのある開口」という対照は非常にドラマチックであり、驚きを与えます。

そして旧建物と大屋根との間に出来ている少しの隙間が、ホンの数十センチ開いていて、それがピシッと真っ直ぐに伸びている事も、この屋根のシャープさを際立たせる事に貢献しています。



構造を生かした見事なデザインだと思います。

さて、僕にとってかなり謎なジャン・ヌーヴェルという建築家を謎足らしめているのがこの空間。



これは大屋根の下に併設されているカフェテリアなのですが、非常に暗くて閉鎖的な空間。お世辞にも「気持ちが良い」とは言えない。



このカフェテリアでコーヒーを頼んで、2時間ほど「どうしてこの人はこんな空間を創ったのかな?」と考えていました。何でかって、もしこの空間をヌーベルが心底気持ちが良いと思っているとしたら、それは人間の感覚としてはちょっと異常だと思ったからです。

その時に思ったのは、もしかしたらジャン・ヌーベルという人はわざとこのような空間を創り出しているのでは無いかと思ったんですね。つまり現在主流の透明感ある光溢れる空間はありふれているし、その方向でいったら絶対にフォスター(Norman Foster)や伊東さんには勝てない。故に戦略としてその反対方向である、暗い空間にポツンポツンと漏れる光空間を創る事に専念しているのではないのか?

そしてそのような主流に対するアンチを戦略的に提示する事の隙間から無意識に漏れてくる何かが彼の建築を特別なモノにしているという気がします。つまり戦略的にやっているんだけれども、それ故に現れてくる非戦略的な部分に彼の建築の本質があると。そういう事が全て分かった上でやっているとしたら(絶対そうなんですが)、彼は相当な切れ者で勝負師だと思いますね。
| 旅行記:建築 | 13:33 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
マドリッド旅行その1:高速鉄道(Alta Velocidad Espanola:AVE)に乗ってきました
先週末を利用してマドリッド(Madrid)に行ってきました。マドリッドにはポルトガルに居た時以来、実に3年ぶりの訪問になります。

今回の旅の目的は主に3つ。
一つは先月開通した高速鉄道(AVE)に乗る事です。





新しいもの好きの僕としては誰よりも先に乗らずにはいられない。

もう一つは現在プラド美術館で開催中の展覧会、「プラド美術館の19世紀展(The Nineteenth Century in the Prado)」を見る事。この展覧会には19世紀のスペイン美術の重要性を示す95の絵画と20の彫刻が集められています。なんと言ってもカタルーニャが生んだ知られざる天才画家、マリアノ・フォルトゥーニ(Mariano Fortuny)の作品が展示されているらしいという事で期待大。

そして最後の一つがジャン・ヌーベル(Jean Nouvel)による国立ソフィア王妃芸術センター(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia)の増築を見る事。はっきり言ってあまり期待はしていなかったのですが、「見ず嫌い」だけは普段から出来るだけ避けるようにしているので。感動する瞬間というのは実はこんな風に期待していないけど、実は良かったという場合の方が圧倒的に多いという事を今までの経験として知っているんですね。という訳で一応。

とりあえず、毎回恒例の都市アクセッシビリティ評価からいってみたいと思います。と言っても今回は通常のように空港から都市中心部へのアクセッシビリティを評価するのではなく、都市間を結ぶ鉄道と飛行機の利便性の比較評価を試みたいと思います。

バルセロナ−マドリッド間を繋ぐ高速鉄道の発着駅はバルセロナサンツ駅(Estación de Sants)−マドリッド・アトーチャ駅(Estación de Atocha)と、どちらも中心街に位置しています。



特にマドリッド・アトーチャ駅というのは、目の前にピカソ(Picasso)のゲルニカ(Guernica)を擁するソフィア王妃芸術センター、歩いて5分の所にプラド美術館(Museo Nacional del Prado)という、立地の良さ。

これに対して、バルセロナ空港からバルセロナの中心カタルーニャ広場までがバスで約30分、マドリッド空港から中心街まで地下鉄で30分と、空港からのアクセッシビリティはどちらも抜群に良いのですが、中心街に位置する駅から発着する利便性にはやはり勝てない。

今回実際に高速鉄道を利用してみて初めて分かったのですが、高速鉄道を使う最大の利便性は待ち時間です。飛行機の場合、少なくとも1時間前には空港に居なくてはなりません。更にそこからチケットやセキュリティの列に並び、飛行機に搭乗しても飛行機が飛び立ち安定飛行に入るまではパソコンも開けない状況。

それに対して高速鉄道の場合には、列車発射の15分前までに行けばよく、入場やセキュリティなどの待ち時間はほとんど無し。列車は必ず定刻に発車し、席に着いたと同時にパソコンの電源を入れられます。何より席のスペースが飛行機よりも断然広いし揺れも少なく非常に快適。





加えて言うなら、列車内にあるカフェテリアでコーヒーを頼んだ所、一杯1.4ユーロでした。これは安い。飛行機なら軽く3−4ユーロはいくでしょうね。

高速鉄道のバルセロナ−マドリッド間の所要時間は約2時間40分なのですが、上述の空港までの移動時間や待ち時間などを考えると圧倒的に高速鉄道の方に分があるように思います。何より観光を目的としてマドリッドに行く人にとって、駅を出た直ぐの所がレイナ・ソフィア美術館であり、プラド美術館だというのは非常にうれしい。

気になる値段の方は、直通で片道119,50ユーロ。往復で買うと20%引きで191,20ユーロになります。格安飛行機に比べるとちょっと高めかな。しかし15日前までに購入すると片道最大40ユーロまでの値下げありです。往復で80ユーロというのは安い。更に高速鉄道には遅延による保障が付いています。15分遅れると半額が戻ってきて、30分以上遅れると全額返済。これはビジネスで行く人にとってはとてもうれしいサービスですね。

長年に渡りバルセロナ市民の気を揉み、最後は大規模なデモにまで発展したAVE問題でしたが、最終的にこのレベルのサービスを提供してくれたのなら、大満足なのではないでしょうか。
| 都市アクセッシビリティ | 19:11 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加