地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
何故バルセロナオリンピックは成功したのか?:まとめ
スペイン北部(ガリシア)に広がる大自然の中で、ど田舎生活を満喫しているcruasanです。



とりあえずバケーション初日の昨日は、家の真ん前にある昔ながらのパン釜を使っているパン屋さんにパンを買いに行ってきました。



毎朝8時と13時キッカリにパン釜から出されるこのパンは、外はカリッとしてるのに、中は信じられないほどホクホク。このアツアツのパンに、この地方でとれた濃厚なバターとハチミツ、そしてワインを並べると、もう3つ星レストランも顔負けの食卓に早変わり!しかもこんなに美味しいパンが一本1ユーロ(100円程度)。田舎サイコー!!



さて、僕が田舎生活を満喫している最中、世界中の人々の眼を釘付けにしていたのがブエノスアイレスで開かれたIOC(国際オリンピック委員会)総会であり、皆さんご存知の通り2020年のオリンピック開催都市は東京に決定したのですが、(その事を受け)早くも僕の所に幾つか質問らしきものが来ているので今日はその話題を取り上げようと思います。



まあ何の事はない、オリンピック史上最も成功した事例の1つとして語られている「バルセロナオリンピックについて」、更にはその際に行われた「都市計画と都市戦略について」なのですが、「オリンピックを契機としたバルセロナモデルについて」は、当ブログで散々書いてきた通りだし、逆に言えば当ブログで書いてきた以上の事があるとは思えないので、それを僕の視点から少し纏めておこうかなと思います。

(注意)僕の視点というのは、バルセロナ市役所そしてカタルーニャ州政府に勤めた経験を踏まえて、「バルセロナの外側から」というよりは、「バルセロナの内側から実際にバルセロナの都市計画を担当、実施した立場から見たらどう見えるか?」という文脈です。



バルセロナという都市がオリンピックを契機として大成功を収めた理由、それは先ず、この都市がおかれた歴史的背景を考慮する必要が多分にあると思います。というか、僕の眼から見たらそれが全てだと言っても過言ではありません(地中海ブログ:もう一つの9月11日:カタルーニャの場合:グローバルの中に息づくローカリティ、地中海ブログ:(速報)カタルーニャ州議会選挙2012:カタルーニャ分離独立への国民投票は実施されず!)。



70年代半ばまで続いたフランコによる独裁政権時代、バルセロナは中央政府に嫌われていた為に教育や医療を含む都市インフラへの投資が十分に行われず、生活インフラの多くの部分を近隣住民自らが組織化しなければなりませんでした(地中海ブログ:バルセロナモデルと市民意識、地中海ブログ:レセップス広場改修工事(Remodelacion de la Plaza Lesseps)に見るバルセロナモデル(Barcelona Model)の本質)。



この時の経験がバルセロナにおける近隣住民ネットワークを(世界的に見て)大変特別なものに押し上げ、ボトムアップ的に(教育や病院の)カリキュラム(=ソフト)を自らで構築する事を可能にしたんですね。重要なのは、それら適切なプログラムが作られた後で、「建物としての形」を与える為の資金が流れ込んできたという順序です(オリンピック誘致が決定したのは1986年)。つまり「ソフト(=プログラム)ありきのハード(=建築)」を計画する事が出来たということなのです。普通は反対で、「ソフト無きハード(=箱モノ)」になりがちなんだけど、バルセロナの場合は歴史的背景からその過程が逆になり、正にその事が功を奏したということです。



また、この地方特有の問題としてよく取り上げられる「アイデンティティ」という観点から、1975年まで続いたフランコ政権が崩壊し民主主義に移行するにあたって、カタルーニャに言語や文化を含む表現の自由が認められたということがバルセロナオリンピック開催にあたって非常に大きな意味を持っていたと思います。



中央政府により押さえつけられていたカタルーニャの社会文化的アイデンティティが解放された当時(1970年代後半)、カタルーニャ社会全体を包んでいた高揚感が凄まじかった事は想像に難くありません。昨日までは自分達の言語(カタラン語)をしゃべろうものなら投獄され、外国語(カステリャーノ語)を使用する事を強要されていたのに、今日からはパブリックスペースで誰とでも「自分の言語で自由に話す事が出来る」、「自分の言語で書かれた本を読む事が出来る」といった状況が生まれた訳ですから。



こういう所から「公共空間「と「政治」が結び付き、南欧都市におけるパブリックスペースの重要性というものが立ち現れ、更には市民の間に公共空間の重要性が経験として共有される事になるのだと思います(地中海ブログ:美術の商品化と公共空間: Manuel J. Borja-Villel、地中海ブログ:FC Barcelona(バルサ)のマーケティングがスゴイ:バルサ・ミュージアムに見る正に「ゴールは偶然の産物ではない」)。



言語を通した社会変化という事についてもう少しだけ触れておくと、民主主義への移行直後というのは、カタラン語をしゃべる事が単なるファッショナブルだったのではなく(今、カタルーニャでカタラン語を使っている多くの若者は、歴史的認識やアイデンティティ、もしくは1つの政治的主張というよりも、「それ(カタラン語をしゃべる事)がカッコイイから」という意識が強い)、人間的で根源的な喜びですらあったのだと思います(地中海ブログ:カタルーニャの夢、地中海の首都:地中海同盟セレモニーに見る言語選択という政治的問題、地中海ブログ:スペイン語の難しさに見るスペインの多様性:ガリシア語とカステリャーノ語)。



そんな社会的に盛り上がっていた雰囲気の中、オリンピック開催という大きな目標を与えられ、「カタルーニャを世界地図の中に位置づけるぞ!」という気概の下、市民が一丸となってそれに向かっていったという背景こそ、バルセロナオリンピックが成功した1つの大きな要因であると僕は思います。というか、先ずはここを押さえなければバルセロナオリンピックの全貌を語る事は出来ません(この様な視点の欠如こそ、下記に記す魅力的なキーワードをちりばめた都市計画手法にのみ着目した多くの論考に見られる特徴の1つでもあるのです)。



で、(ここからは神憑っているんだけど)それら市民の思いを1つに纏め上げる圧倒的なカリスマ性を持ったリーダーが出現したということは非常に大きかったと思います(地中海ブログ:パスクアル・マラガイ(Pasqual Maragall)という政治家2)。当時のカタルーニャの政治に関して非常に面白いと思うのは、カタルーニャ左派(PSC)、右派(CiU)に関わらず、彼らの目的は「カタルーニャという地域をヨーロッパで最も魅力的な地域にすること」と共通していたことかな(地中海ブログ:欧州議会選挙結果:スペインとカタルーニャの場合:Escucha Catalunya!)。



更に、今回のマドリードによる2020年オリンピック誘致活動とは根本的に異なる点を指摘しておくと、フランコ時代から民主化移行を見越して世界中にちりばめられた政治的/知的ネットワークを駆使してオリンピックを成功に導いたその政治力ですね(地中海ブログ:国際オリンピック委員会(IOC)前会長のフアン・アントニオ・サマランチ(Juan Antonio Samaranch)氏死去、地中海ブログ:東さんの「SNS直接民主制」とかマニュエル・カステル(Manuel Castells)のMovilizacionとか、地中海ブログ:欧州工科大学院(EIT)の鼓動その1:マニュエル・カステルとネットワーク型大学システムの試み、地中海ブログ:サスキア・サッセンと世間話で盛り上がったディナー)。



この様な歴史的背景に後押しされつつ、戦略的に都市計画を成功に導いていったのが、カタルーニャの建築家達が長い時間を掛けて練り上げていった都市戦略/都市計画です。例えばそれは、大規模イベントを利用して(長期的に目指すべき「都市のかたち」に基づきながらも)その都度局所的な都市計画を成功させてきたということが先ずは挙げられるかな(地中海ブログ:バルセロナのイベント発展型都市戦略とGSMA2010(Mobile World Congress 2010))。



1888年の国際博覧会ではそれまで中央政府(マドリード)による占領のシンボルだったシウダデリャ要塞を都市の公園に変換する事に成功し、1929年の国際博覧会では都市インフラとモンジュイックの丘の整備といったことなどですね(地中海ブログ:バルセロナ都市戦略:イベント発展型)。



また大規模な範囲を一度にスクラップ&ビルドするのではなく、「やれる事からやる、やれる所から手をつける」という現実的な計画からコツコツと始めたこと。つまりは小さな公共空間から車を排除しつつ木々を植え「公共空間を人々の手に取り戻す」という様に、市民に「我々の都市が日に日に良くなってきている!」と実感させた事は大きいと思います。



又、それら小さな公共空間を都市全体に挿入しつつ、それらをネットワークで結ぶ事によって、地区全体を活性化することに成功しました(地中海ブログ:グラシア地区祭り:バルセロナの歩行者空間プロジェクトの責任者だったけど、何か質問ある?)。これは言ってみれば、白黒(ネガ・ポジ)を反転させて都市における公共空間の重要性を視覚的に浮かび上がらせた「ノリーの図」を具体化したアイデアだと言う事が出来るかと思います(地中海ブログ:フランクフルト旅行その3:広告としての緑の都市計画)。



更に言えば、これら個々の都市計画の裏側には、色あせることの無い大変秀逸なバルセロナの都市戦略が横たわっています(地中海ブログ:大西洋の弧:スペインとポルトガルを連結するAVE(高速鉄道)について、地中海ブログ:ヨーロッパの都市別カテゴリー:ブルーバナナ(Blue Banana)とかサルコジ(Nicolas Sarkozy)首相とか、地中海ブログ:カタルーニャの打ち出した新しい都市戦略:バイオ医療( BioPol, BioRegio)、地中海ブログ:地中海連合(Union pour la Mediterranee)の常設事務局はバルセロナに)。



これは、バルセロナという「都市単体」ではなく、「地中海を共有する都市間」で恊働し、その地域一帯としての競争力を高めることによって、パリやロンドンといったメガロポリスに対抗するというアイデアです(地中海ブログ:Euroregion(ユーロリージョン)とカタルーニャの都市戦略:バイオ医療を核としたクラスター形成、地中海ブログ:シティ・リージョンという考え方その1:スンド海峡のエレスンド・リージョンについて、地中海ブログ:地中海の弧の連結問題:ペルピニャン−フィゲラス−バルセロナ間の高速鉄道連結計画の裏に見えるもの、地中海ブログ:バルセロナの新たなる都市戦略:ビルバオから学ぶバルセロナ都市圏再生の曙)。

これら上述した全てのことがらが複雑に絡み合いながらも絶妙なハーモニーを醸し出し、オリンピック開催という目標に向かっていった末に生み出されたのがバルセロナオリンピックの大成功だったのです。

では逆に、バルセロナオリンピックによって引き起こされた「負の面はないのか?」というと‥‥勿論あります。先ず挙げられるのはオリンピック村についての批判ですね。



ビーチと中心市街地に地下鉄一本でアクセス出来るエリア(Ciudadella Villa Olimpica)に選手村を大々的に建設し、オリンピックが終わった暁には低所得者向けのソーシャルハウジングとしての活用を謳っていたのに、蓋を空けてみれば中産階級向けの高級アパートに化けていたことが当時モーレツな批判を浴びていました(地中海ブログ:世界一美しい図書館:ポンペウ・ファブラ大学(Universitat Pompeu Fabra)図書館の一般立ち入り禁止エリアに入ってきた)。



また、「バルセロナ」というブランド=イメージを確立する為に、中心市街地から「汚いイメージ」=貧困層や移民、売春婦や麻薬関連などを駆逐し、市外や市内の一区画へ強制的に集めた結果、スラムが出来てしまったこと(地中海ブログ:バルセロナの中心市街地で新たな現象が起こりつつある予感がするその3:街頭売春が引き起こした公共空間の劣化、地中海ブログ:カタルーニャ州政府がスペイン初となる公共空間における売春を取り締まる規則を検討中らしい)。



更に悪い事に、極度の観光化の結果、歴史的中心地区はジェントリフィケーションに見舞われてしまいました(地中海ブログ:バルセロナの中心市街地で新たな現象が起こりつつある予感がするその1:ジェントリフィケーションとその向こう側、地中海ブログ:ビルバオ・グッゲンハイム効果とジェントリフィケーション、地中海ブログ:バルセロナの中心市街地で新たな現象が起こりつつある予感がするその2:逆ジャントリフィケーション)。



そしてこの様な「バルセロナの大成功」を真似ようとし、幾つかの都市が「バルセロナモデル」を輸入したんだけど、今まで述べてきた様な歴史的/文化的/社会的背景を全く考慮せず表面的に真似ただけだったので、元々そこに存在した既存の都市組織(Urban Tissue)が破壊されてしまったこと(地中海ブログ:パン屋さんのパン窯は何故残っているのか?という問題は、もしかしたらバルセロナの旧工場跡地再生計画を通した都市再活性化と通ずる所があるのかも、とか思ったりして)。

こんな所かなー。

これから先、オリンピック関係でバルセロナの都市計画、都市戦略、もしくはそれらに付随した「バルセロナモデル」について多くの論考が出てくるとは思うんだけど、それらは全て上記の何れかに分類出来ると思います。



あー、久しぶりに頭使ったらなんかすごく疲れちゃった。赤ワインと生ハム食べて寝よ。
| バルセロナ都市計画 | 00:59 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
大西洋の弧:スペインとポルトガルを連結するAVE(高速鉄道)について
先日の新聞(El Pais, 14 de Septiembre, 2009, P2)にポルトガルとスペインを結ぶ高速鉄道(AVE)の記事が出ていました。当ブログでは、異なる地域間を結び付ける高速鉄道計画には当初から注目し、事ある毎に言及してきました (詳しくはこちら:地中海ブログ:地中海連合(Union pour la Mediterranee)の常設事務局はバルセロナに、地中海ブログ:バレンシア交通計画ミーティングと地中海の弧計画:バルセロナーバレンシア間の連結問題について、地中海ブログ:ヨーロッパの都市別カテゴリー:ブルーバナナ(Blue Banana)とかサルコジ(Nicolas Sarkozy)首相とか、など)。

それらの多くは「地中海の弧」関連の話題が多かったのですが、ヨーロッパをグルーピングしているもう一つの弧、大西洋の弧にも、勿論高速鉄道計画は存在します。その一つがポルトガルとスペインを結ぼうという計画なんですね。具体的に言うと、各首都間(リスボン(Lisboa)とマドリッド(Madrid))と、ポルト(Oporto)とガリシア地方の工業都市ビーゴ(Vigo)を繋ぐ計画です。

で、どうして今この計画が話題に出ているかと言うと、9月下旬に総選挙を控えたポルトガルで、今週日曜日に党首討論会が開かれ、野党第一党のPSDのManuela Ferreira Leiteが「私が当選したら、この計画を白紙に戻す」といきなりテレビで公言したからです。右寄りの彼女にとっては、リスボン−ポルト間という国内の第一・第二都市間の連結を優先せず、何故にスペインとの連結を優先するのか?という点が理解に苦しむらしい。

その発言を聞いてビックリしたのがスペイン側。それこそ本当に「きいて無いよー」状態。サパテロ内閣のナンバー2である、Jose Blanco氏が緊急に記者会見を開き、スペインの見解を述べるまでに発展しました。そして当のポルトガルでは、この高速鉄道の連結計画を巡って、市民の意見が真っ二つに割れ、選挙はさながら国民投票の様相を呈してきている模様です。

ポルトに住んだ事のある人間として私見を言わせてもらうならば、ポルトービーゴ間に高速鉄道が敷かれたら、それはもう、便利な事この上無いと思うんですけどね。現在の状況だと鉄道で3時間半かかります。AVEだと1時間に短縮されるらしい。リズボンーマドリッド間だって同様。今なんて、列車で9時間ですから。AVEだと2時間45分だそうです。

しかし、国内連結ではなく、スペインとの連結を優先させるような案が出てくる事自体、何となく、ポルトガルの政治経済状態を良く表しているようで面白いですけどね。だって、コレをスペインに読み替えてみたら、マドリッドーバルセロナ間の高速鉄道を通すのを置いておいて、バルセロナーモンペリエ間を先に通すみたいな事になる訳でしょ?まあ、マドリッドーバルセロナ間は、違う意味でカタラン人が通したがらなかったかもしれないですけどね(笑)。

そういう意味で言うと、PSDの Manuela Ferreira Leiteさんが文句を言いたくなるのもちょっとは分かる気がする。

何はともあれ、今月下旬の総選挙には大注目です。
| 都市戦略 | 21:50 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
地中海の弧:スペインの空間計画の不均衡について
今日の新聞(La Vanguardia, 12 de Junio 2009)に地中海の弧関連記事が載っていました。

経済発展の為に欠かせないのがインフラ整備である事は言うまでも無い事なのですが、カタルーニャが今以上に発展する為には、南フランスとの連結を視野に入れた「地中海の弧の連結」を促進する事が必須となっています。

それが良く分かっているから何が何でも実現したいというのがカタルーニャの姿勢。逆に、そんな事をされたら困るというのがマドリッド(中央政府)の意見。故に、あの手この手を使ってノラリクラリとカタルーニャとの議論を遅らせてきたのですが、先月、サルコジ現フランス大統領がマドリッドを訪れた際、「フランス側としては地中海の弧を進める準備がある」という鶴の一声を発した事で、マドリッドも動かずにはいられない状況に追い込まれました。それ以来、結構活発に議論がされるようになったのは嬉しい限りなのですが、フランスに何か言われないと変われ無い(動けない)というのは、今も昔も全く変わって無いというのはちょっと考えものです。

ちょっと前置きが長くなっちゃったけど、今日の新聞によると、地中海の弧上に位置するカタルーニャとバレンシア間の6つの地域の市長がバルセロナに集まって懇談したとの事です。

この地中海の弧に関しては、個人的に大変興味のある所なので、当ブログでも何度も言及してきました。(詳しくはこちら:地中海ブログ:地中海連合(Union pour la Mediterranee)の常設事務局はバルセロナに、地中海ブログ:バレンシア交通計画ミーティングと地中海の弧計画:バルセロナーバレンシア間の連結問題について、地中海ブログ:ヨーロッパの都市別カテゴリー:ブルーバナナ(Blue Banana)とかサルコジ(Nicolas Sarkozy)首相とか、など)

更に先週の新聞(La Vanguardia, 8 de Junio 2009)には関連情報として大変興味深い記事が載っていました。

“ El eje mediterraneo es la zona de Espana con mayor deficit de infraestructuras”

“「地中海の弧」地帯はスペインでインフラが最も欠如しているゾーンである“


という結構ショッキングな表題の付いた記事には、スペインを6つのゾーン(地中海の弧:Eje mediterraneo(カタルーニャ、バレンシア、ムルシア)、中央地帯:Eje del Centro(マドリッド、カスティーリャ・リオン、カスティーリャ・ラ・マンチャ)、大西洋の弧:Eje Atlantico(ガリシア、アストゥーリアス、カンタブリア)、南の地帯:Eje Sur(エクストレマドゥーラ、アンダルシア)、エブロ地帯:Eje del Ebro(アラゴン、ナバラ、リョーハ、バスコ)に分け、それぞれ人口と国内総生産(producto interior bruto)に対するインフラ率を計算した結果が載っていたんですね。

それによると、スペインで最もインフラが欠如している地域は何と、地中海の弧だという結果が出ています。地中海の弧にはスペイン総人口の約30%(29.77%)、国内総生産の30%(31.01%)が集中しているにも関わらず、インフラの集中率は25.72%。結果、−9.34%という数字が出ています。逆にマドリッドを中心とする中心地帯では、人口の23.40%、国内総生産の26.48%が集中し、インフラは26.19%の集中。結果として2.49%と、正値を示しています。

この値((インフラ+人口)÷(インフラ+国内総生産))が正の値を示しているのは、大西洋の弧(4.51%)、エブロ地帯(3.99%)、中心地帯(2.49%)、南の地帯(0.81%)。反対に負の値を示しているのは、群島(マヨルカ島とカナリア諸島)(−2.45%)と地中海の弧(−9.34%)となっています。

前々から分かっていた事とは言え、このように数字で並べられると、如何にスペインの空間計画が不均衡に発達しているかが分かりますね。この数字を背景として一刻も早く地中海の弧が実現する事を願います。って、向かいに座っているMちゃん、早くやってねって感じなんですがね(笑)。
| 都市戦略 | 23:57 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ヨーロッパの都市別カテゴリー:ブルーバナナ(Blue Banana)とかサルコジ(Nicolas Sarkozy)首相とか
少し前の事になりますが、ヨーロッパの都市別カテゴリーに関する記事(Innovacion y atracción de talento, 29 de Enero, 2009, p8)が載っていました。

都市別カテゴリーとは何かというと、ヨーロッパの各都市を「この都市は研究拠点型」だとか、「この都市は現代産業センター型」だとか、特徴別に分類して地図にしたものです。この分類と地図自体はUrban Auditが発行した” State of European cities Report, 2007”という報告書を下敷きにしているのですが、その中でバルセロナは「知識創出と有能な人材を惹き付ける拠点」として評価され、「知識ハブ」というカテゴリーに位置付けられているんですね。バイオ医療やテクノロジー、そしてR&Dで売り出しているバルセロナとしては、この評価はうれしいんじゃないかな。

確かにココ最近、この方向で都市を売っていこうという動きが一層活発になっている気はします。(例えばコレ:カタルーニャの打ち出した新しい都市戦略:バイオ医療( BioPol, BioRegio)、地中海ブログ)

元々この記事だって、バルセロナを研究と発展の拠点として国際的地位に押し上げる為に、新たに始めた「バルセロナ、研究と革新(el programa Barcelona, Recerca i Innovacion)」プログラムの発表の為だったんですね。更に今週木曜日にはバルセロナ市長がロンドン・スクール・オフ・エコノミクス(London School of Economies)で講演を行い、「バルセロナは知識型都市に生まれ変わりつつある」と言う事をコレでもか!と強調したりしていました。(Hereu vende en Londres la fuerza futura de Barcelona, La Vanguardia, 6 de Febrero 2009, p7)

まあ、バルセロナにはこの分野の世界的重鎮、マニュエル・カステル(Manuel Castells)がいたり、長年彼とパートナーを組んで現場から都市を動かしてきたジョルディ・ボージャ(Jordi Boja)がいたりするので、かなり早くから知識型社会への移行を見越して戦略的に動いてきた結果が、バルセロナを今の地位に押し上げたというのは、特に驚くべき事ではないんですけれども。

さて、こんな都市別カテゴリー化、ひいては都市間競争が視覚化されたのって、ブルーバナナ(Blue Banana)なんだろうなー、と言う事は以前のエントリで何度か書いた気がします。(地中海連合(Union pour la Mediterranee)の常設事務局はバルセロナに:地中海ブログ、関連書籍:(Brunet,Roger(1989): Les Villes Europeennes, Rapport pour la DATAR, Reclus, La Documentation Francaise.)



欧州委員会としては都市の多様性を確保する為、もしくは市民に、ヨーロッパというのは様々な特徴を持った都市のモザイクなのだという事を認識させる為に、先の都市のカテゴリー化や地図などを作ったんだろうけど、これが都市間競争を助長しているのは明らかな事実だと思います。

ブルーバナナって分かり易い図式と絶妙なネーミングが相まって、かなり有名になりましたが、実はブルーバナナが発表された後、ドタドタっと同じ様な提案が幾つかされたんですね。(あまり知られていませんが)例えばその一つがコレ:



IAURIFが提案した「青い星(Blue star)」。ブルーバナナよりもよりダイナミック且つ現実的な表象だと主張しています。もしくはコレ:



Lutzkyが提案した「7つのアパートを伴ったヨーロッパという家(The European house with seven apartments)」。極めつけはコレ:



Klaus R. Kunzmann と Michael Wegnerが提案した「ヨーロッパの青ブドウ」“ The European green grape”。ブルーバナナよりももっと多極的にクラスター化する事で、より現実的な分析に近ついたと言われています。更にこの人達、こんな素晴らしい事まで言っちゃっています:

「希望としてはこの競争はゼロサムゲームではなく、全ての都市が勝つようなゲームになる事が望ましい。」

“ The hope is that this competition is not a zero- sum game where any gain is a loss elsewhere, but that at the end of the day every city will be better off”.(Kunzmann, K.R. and Wegener,M.: the pattern of urbanization in western Europe 1960- 1990. report for the directorate general XVI of the commission of the European communities as part of the study urbanization and the function of cities in the European community, Dortmund: IRPUD, 1991)


どっかで聞いたような言葉だなーとか思いつつ・・・とってもポリティカル・コレクトネスだよなーとかも思いつつ・・・。

最近の経済危機でヨーロッパの各都市は、それこそ死に物狂いでリソースを探しに出るのではないかと思われます。つまり欧州委員会が望むと望まざるとに関わらず、競争はますます激化するのではと思うんですね。

でもこんな時だからこそ出来る事もあるはず。小さい都市は小さい都市なりにその都市にしか出来ない事、差別化を図ったり、近隣諸都市と協力関係を築いて地域として大都市と対抗する、いわゆる、シティ・リージョンを実現したりする良い機会なんじゃないのかな?

そこへ来て、「さすがだな」と感心したのがフランスのサルコジ首相(Nicolas Sarkozy)。

「私は文化が経済危機に対する我々の答えだと言いたい。」

“ Quiero que la cultura sea nuestra respuesta a la crisis” (La Vanguardia, 3 de Febrero 2009,p28)


いわゆる文化を核とした都市再生、都市活性化というヤツですね。それが難しいのは誰もが分かっている。しかし、それを分かった上で言い切ってしまう彼の器量こそナカナカのものだなと思うわけです。

ちなみにカタラン人がよく言うのが、「サルコジのヤツ、あんなかわいい奥さん(カーラ・ブルーニ(Carla Bruni))もらってなんてうらやましいんだ」という妬み&嫉妬。うーん、確かにうらやましい。でも、あんなお世辞にもいい顔立ちだとは言えず、背も低くてあまりかっこいいとも言えない人が、あんな超美人と結ばれるなんて、世の中のオトコに希望を与えてくれましたよね。男は外見じゃない、中身で勝負だと。男の鏡です。ガンバレ、サルコジ。
| ヨーロッパ都市政策 | 23:59 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
地中海連合(Union pour la Mediterranee)の常設事務局はバルセロナに
昨日は世界的に歴史的な日であり新聞もテレビもオバマ(Barack Obama)一色だったのですが、その影に隠れるようにバルセロナではもう一つ重要な出来事が報道されていました。もしアメリカ大統領選挙と重ならなければ各種メディアの一面を大々的に飾っていたであろう程のニュース、それが地中海連合(Union pour la Mediterranee)の常設事務局にバルセロナが選出されたというニュースです。おめでとー、バルセロナ。

バルセロナにとっては喉から手が出る程欲しかった常設事務局であり、13年越しの夢だったんですね。今でこそ地中海連合の構想は現フランス大統領のサルコジ氏が選挙中に構想を発表し、2008年7月13日に晴れて第一回地中海連合首脳会議が43カ国参加の下行われたという事になっていますが、その元となったのは1995年にバルセロナで開かれた「バルセロナプロセス(Barcelona Process)」です。

バルセロナプロセスはカタルーニャが生んだ大政治家パスクァル・マラガル(Pasqual Maragall)が主導し呼びかけた会合であり、バルセロナ現代文化センター(CCCB)で行われた初回には27カ国からの参加があり、地中海という地理を共有した「国という枠」を超えた連合が夢見られたんですね。

元々バルセロナという地域はこのような「地中海の軸:地中海の弧」にかなり意識的な地域です。フランスの公的機関、DATARによって1989年に大西洋の弧(Atlantic Arch)、地中海の弧(Meditteranian Arch)そしてブルーバナナ(Blue Banana)が発表され(Brunet,Roger(1989): Les Villes Europeennes, Rapport pour la DATAR, Reclus, La Documentation Francaise.)、それ以来、ヨーロッパの各地域が地理的な連携を目指す様になったのですが、バルセロナはずっとそれ以前から地中海の弧を意識していました。オリンピックを活用したバルセロナ都市戦略のブレーンだったジョルディ・ボージャ(Jordi Borja)は当時を回想してこんな風に語っています:

「・・・数ヶ月前、元リヨン市長のレモン・バールが、バルセロナに滞在していました。・・・曰く「リヨンとバルセロナ間は、実際約600キロも離れているけれども、高速列車に乗れば3時間もかからない。つまり両都市は同じ都市連携軸上にある。しかもこのリヨンとバルセロナのような強い都市を結ぶ軸上には、少なくとも100キロごとに中規模都市がある。」

・・・都市戦略の観点からすると、このような「バナナ」や「弧」が、戦略的に提唱されることがグローバル化なのです。つまり、競争力のある結束した地域を目指して連携していくわけです。

・・・私達が「バルセロナ第一次戦略計画」を立てた時、一連の文化施設は絶対に不可欠なものとして盛り込み、ヨーロッパ南部でいちばん魅力的な都市にしようと考えました。

・・・われわれの望んでいた文化的なプログラムには、1500万人の人口が必要でした。どう考えてもバルセロナにも、その周辺にも、カタロニア全土を見渡しても、1500万という数字は出てこない。カタロニアの全人口はせいぜい600万ですから。ならばどこを対象に地域戦略を立てたら良いのか、と自問自答を繰り返しました。そこで私たちは、人口1500万という数字が見込めるところまで範囲を広げていき、最終的にはこの広域圏全体をターゲットにしました。

・・・地域は単に自治体とか、県、郡といった公式の地域単位、すなわち行政上の区分だけではなく、地域とは戦略の産物でもあるのです。」

都市はグローバリゼーションにいかに応答するかージョルディ・ボージャ、p318−319、計画からマネジメントへ


ジョルディ・ボージャは長年のパートナーであるマニュエル・カステル(Manuel Castells)と共に都市戦略に関する書物, Local and Global (Borja,J and Castells, M, London, Earthscan, 1997)を1997年出版していますが、自身が長年に渡り経験した事が元になっているだけに、かなり説得力のある一冊となっています。(当ブログでは何度かマニュエル・カステルについて取り上げたのですが、彼ってカタラン人なんですよね、驚くべき事に)

更に1999年には上述のパスクァル・マラガルがニューヨークやローマで行った「バルセロナ・モデル」や「国という枠を取り払った都市間連携」に関する講演を元に編集した、Europa proxima, regiones y ciudades(Pasqual Maragall(ed.), Barcelona Edicions, 1999)を出版しているんですね。その中でマラガルは「国に代わり都市が地域を引っ張るモーターになるべきだ」と主張し、「EUという大宇宙の中に輝く都市という星星」をイメージしています。それを一撃の下に表しているのが、Josep Acebillo が出版したAtles ambiental de area de Barcelona(バルセロナエリアの環境地図)の最初のページに掲載された写真:



ヨーロッパの夜景を宇宙から撮った写真で、都市の周りに明かりが集中していて人がヨーロッパにどのように散らばって住んでいるかが一目で分かる大変きれいな写真です。

今、ヨーロッパは動いています。そしてその震源地は明らかに南です。その南の中心に果たしてバルセロナがなれるのかどうか?ここからが腕の見せ所ですね。
| バルセロナ都市 | 15:08 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
マニュエル・ボルハ・ビジェル(Manuel J. Borja-Villel)の都市戦略:国立ソフィア王妃芸術センター(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia)を通した21世紀の美術館の在り方
以前のエントリ、美術の商品化と公共空間: Manuel J. Borja-Villelで紹介したバルセロナ現代美術館(Museo de Arte Contemporaneo de Barcelona(MACBA))元館長で現在はマドリッドの国立ソフィア王妃芸術センター(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia)の館長に抜擢されたマニュエル・ボルハ・ビジェル(Manuel J. Borja-Villel)の大変に興味深いロングインタビューが先週日曜日の新聞(1/6/2008 El Pais semanal)に載っていたので紹介したいと思います。

前に書いたように彼の主張は都市の中に美術館を通した公共空間を創り出す事と、その空間とアートを用いて行われる教育の重要性です。前回引用した記事の中で彼はこんな風に発言しています。

「私は向こう3年間でレイナソフィア美術館の中に一つの都市を創りたい。」

" Me gustaría crear en tres anos una ciudad dentro del Reina Sofía", Manuel J. Borja-Villel, P26, 10 de febrero del 2008, La Vangurdia


この彼の戦略とオリンピックを契機としたバルセロナ都市戦略との間の同質性については前回のエントリで指摘した通りです。そして彼がこのようなプロジェクトを推進している裏には、彼が近年大変に憂いている美術の商品化と美術館の商業センター化・エンターテイメント化という我々の社会が不可避的に向かっている状況に対する危機感があるんですね。

「美術館は商業センターになってしまった。」
“ Los museo se han pasado a ser como centros comerciales”( Manuel Borja-Villel, p38, 1 de Junio de 2008,El pais semanal)


このような状況に対しての彼なりの戦略の一つが上述の「都市の中に都市を創る」だったわけですが、今日のインタビューには彼の戦略を形作っている深い所の思想というか、スペイン人である彼が不可避的に受けてしまう影響のようなものが垣間見えています。

僕が注目した彼のマニフェストがコレ:
「レイナソフィアを南のセンターにする」という発言です。

"... Borja-Villel llega al Reina Sofia para convertirlo en el referente del arte contemporaneo del sur", p38, 1 de Junio de 2008,El pais semanal)

一見見落としてしまいがちな発言なのですが、この短い一文の中には沢山の意図や歴史、社会文化から出て来た必然とも言える思考が見え隠れしているんですね。

先ず彼はヨーロッパを北と南に分けた上で彼の美術館戦略を構想しています。その時の基盤となっているのが北と南では人々の生活の特徴が違うという、結構当たり前の事実です。ではどう違うのか?彼は北に属する人々の特徴として「目」の優位性とそれに基つく視覚化・視覚性を挙げ、それに対して南に属する人々の特徴を「対話」に求めます。

「北はもっと図像的であり、鮮やかさが重要であり、体に対して目に特権性が与えられている。その一方で南、特に地中海においては口述の文化、そして体の動きの文化が存在する。」

"El norte es mas icónico, la visualidad es importante, se ha privilegiado el ojo sobre el cuerpo. En el sur, sobre todo en el Mediterráneo, hay una cultura de oralidad, del movimiento del cuerpo.", p42


20世紀が視覚の時代であるというのは誰しも納得する所だと思います。例えばコレとか:

オリジナリティと反復―ロザリンド・クラウス美術評論集: ロザリンド・E. クラウス, (Rosalind E. Krauss, The Originality of the Avant-Garde and Other Modernist Myths. Cambridge, Mass.: MIT Press, 1985)

その一方で南の都市、地中海に属する都市の特徴として「対話」が挙げられるというのはあまり聞かれない事だとは思います。この点についてイタリア都市のスペシャリスト、宗田さんはこう述べられています:

「・・・政治を理念の産物とせず、自己の生活の仕組みから考える現実的且つ合理的な国民でもある。したがって、みずからの経済的な成功と万人に暮らしやすい町という二つの方向を調整することに熱心である。そのための議論を市民同士が延々と続ける能力をもっている。この議論、すなわち延々と続ける対話が、イタリアのまちつくりの最大の特色である。・・・」
P14
にぎわいを呼ぶイタリアのまちつくり、歴史的景観の再生と商業政策、宗田好史


北の視覚性に対する南の対話性、目の優位に対する口と耳の優位。このようなそれぞれの地域によって人々の住まい方や生活の仕方が違う為に、自ずと美術館のモデルも違ってくるという話になるわけです。

ココで彼が非常に巧いのはどちらの文化が優れているとか劣っているとか言わずにそれぞれは補完関係にあるという話に持ち込む所なんですね。

それを具体的にする為に提案されているアイデアが「ネットワークとしての美術館」という概念です。要約するとテート(Tate Modern)やモーマ(MOMA)が世界モデルとして有名コレクションを集め、彼ら独自の道を歩んでいる時に、ワザワザ我々も同じ道を歩む必要は無い。そうではなくて、彼らが提供出来ていない分野に磨きをかけて別の道を歩もう。そうすればお互いに補完関係として尊重し合い、共存繁栄していく事が出来る、とこういうわけです。

彼がこのように主張する時、僕はそこに80年代から90年代にかけて展開されたバルセロナ都市戦略の影を見ずにはいられません。バルセロナ都市戦略の場合は1989年にDATARによって出版されたブルーバナナ(Blue Banana)の分析に基ついて、地中海の弧の中心になる事を目指しその後、バルセロナプロセス(Barcelona Process)などで地中海連携を主導しています。

Brunet,Roger(1989): Les Villes Europeennes, Rapport pour la DATAR, Reclus, La Documentation Francaise.

ジョルディ・ボージャ(Jordi Borja)は当時を回想してこんな風に述べています:

「・・・私たちが「バルセロナ第一次戦略計画」を立てた時、一連の文化施設は絶対に不可欠なものとして盛り込み、ヨーロッパ南部でいちばん魅力的な都市にしようと考えました。・・・われわれの望んでいた文化的なプログラムには、1500万人の人口が必要でした。どう考えてもバルセロナにも、その周辺にも、カタロニア全土を見渡しても、1500万という数字は出てこない。・・・そこで私達は、人口1500万という数字が見込めるところまで範囲を広げていき、最終的にはこの広域圏全体(地中海の弧(Arc Mediterranean))をターゲットにしました。」
p318
ジョルディ・ボージャ、都市はグローバリゼーションにいかに応答するか


余談ですが、ビルバオ(Bilbao)の場合はブルーバナナで示されたもう一つの弧である大西洋の弧(Arc Atlantic)の中心になる事を目指したんですね。

もう一つ注目すべき点が美術館は人々の体験や意見を交換する場所である公共空間になるべきだという提案です。地中海都市における公共空間の重要性というのは様々な論客によって様々に語られています。

例えば岡部さんはこんな風に述べられています:

「単純化して言えば、北が身近な緑を守るためなのに対して、南は高密度でこじんまりとした都市を守るために、既存の都市構造を尊重した都市連携を指向している。南の都市にとってにぎわいのある広場のような公共空間は、観光資源だけでなく、優先すべき公益なのだ。」P208-209

岡部明子「サステイナブルシティ、EUの地域・環境戦略」


公共空間の議論で僕にとって興味深いのは、では一体何故地中海都市において公共空間がこれほどまで重要視されているのか?という事なんですね。僕が考える理由は正に今日マニュエル・ボルハが語っている事の中に多大なるヒントが隠されています。それが目よりも対話を重視するという文化的特長であり、そこから生じた「延々と議論を続ける能力」です。これら人々の特徴と地中海都市の特徴である気候条件が交差するその交点に「公共空間の重要性」という地中海都市の特徴が浮かび上がってくるんだと思います。

延々と議論をする事が出来る能力を持つ人々が他の人々と出会い、激論を交わす場所こそが、毎日のように天気が続き、夜遅くまで日が沈まない気候を最大限に利用し発展してきた都市内の公共空間だからです。

先ほどの岡部さんの文章はこう続きます:

「・・・気候風土と文化的背景の違いにより、北の市民が環境負荷や緑を住環境評価の基準とする傾向があるのに対して、南の市民は都市的な質を重要視する。住環境で自然をとるか、都市的魅力をとるのか―南北で異なるふたつの価値観が、欧州都市の多様性を担保している一面がある。」P208-209

このような地域による違いが我々の世界を多様にし生活を豊かなものにしているわけです。ヨーロッパに居るとこのような多様性の大切さ、それによる人生の楽しみを実感する事が出来ます。僕もこのような多様性に貢献出来る仕事をする立場に居る事をとても誇りに思っています。
| スペイン美術 | 23:46 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
バルセロナの新たなる都市戦略:ビルバオから学ぶバルセロナ都市圏再生の曙
民主化後バルセロナは明確な都市戦略を持ち、様々なイベントを通して都市を戦略的に開発・発展させてきました。それは今日バルセロナ都市戦略、もしくはバルセロナモデルとして欧米で高い評価を得ています。しかしながら、勿論そこには成功の影に隠れた/隠された急速な発展に付随する負の面がある事も否めません。

その点をかなり手短且つ乱暴に要約すると、1992年(オリンピック時)に都市をグルッと取り囲む高速道路を建設して都市の境界線を定め、投資を集中的にその内側にすると同時に、邪魔なモノや見たくない諸問題をその外側に放り投げ、問題を先送りするという事をしてきたんですね。だから大変よく整備された旧市街や新市街を見て、「バルセロナは各都市が抱えているような問題が解決出来ている」という結論を出すのはあまりにも早急すぎると言わざるを得ません。

そんな事は既に1996年の段階でイグナシ・デ・ソラ・モラレス(Ignasi de Sola Morales)が指摘していました。

「・・・バルセロナの都市問題は境界線を越える傾向を強めている。交通・住宅問題、社会的差別問題や工場施設の問題などはみな、小バルセロナの外に吐き出されている。見かけ上バルセロナは、メトロポリスが例外なく抱える大問題のほとんどから解放されているかのようだ。しかし、この見解は全くの偽りである。小バルセロナを大都市圏の中でとらえた解決策がない。存在しているのは地図上の見せかけの線引きとこのフィクションを維持したほうが好都合だとするカタルーニャ自治政府の思惑のみだ。バルセロナが大規模事業を成し遂げ、美しく再生されたその影で、都市政策が十分でなく、適切な施設を備えていないところに、代償は回ってきている。大都市圏の中心バルセロナが解決せずにたらいまわしにしている問題はみな、弱体な都市基盤のところに飛び火しているだけなのである。・・・」

イグナシ・デ・ソラ・モラレス、キクカワプロフェショナルガイド、バルセロナ、Vol6.1996


その負の面のシンボルともいうべきエリアがバルセロナの北東を貫くベソス川(Rio Besos)周辺エリア(La Mina)に存在します。このエリアにはオリンピック時に旧市街地に住んでいた貧困層の人々やジェントリフィケーションで中心街に住めなくなった人々などが集められ、社会的問題の吹き溜まりのような様相を呈しています。更に川向こうにはゴミ焼却場や浄水プラントなど、都市にとっては無くてはならないんだけど、あまり見せたくない施設が集積している地区でもあるんですね。更に川岸の2軸、東西南北で異なる自治体がひしめき合っているので、川の向こうとこちら(東西軸)の接続性は無いに等しく、川岸の南北軸では自治体間を越えてプロジェクトを創出し、統一された景観を創り出すなんて事は夢の又夢でした。

正確に言うと、川を基軸に据えた自治体間の協力によるプロジェクトの可能性はかなり前から議論されてはいました。しかし異なる自治体間を越えた複雑極まりないそのようなプロジェクトを実現する事は、長い間、非常に困難だと思われていたんですね。何と言っても利害関係の調整がこの上なく難しいので。そのような事態が動いたのはごく最近の事です。

川岸を構成する5つの異なる都市(Barcelona, Sant Adria de Besos, Badalona, Santa coloma de Gramenet, Montcada i Reixac)がその周辺に跨る50を超えるプロジェクトを成功に導く為に共通プラットフォームであるコンソーシアム(Consorcio)を創り出したんですね。この裏にはこのエリアを15年近くかけて競争力のあるエリア(新たなる中心)に育てていこうというバルセロナの思惑が見え隠れしています。その時にこのエリアの核と考えられているのが、サグレラ駅(Estacion de la Sagrera)です。マドリッドやフランスからの高速鉄道(AVE)発着駅に位置付けられている未来の大型駅にはフランク・ゲーリー(Frank O Gehry)設計によるオフィス圏住宅が付与される事が既に決定されています。



ここで注目すべきはゲーリーのド派手な建築デザインではなくて、その裏に存在するであろう都市の戦略です。実はこの新駅は計画当初、現在の市内主要駅であるサンツ駅(Estacion Sants)近辺に建設される事が決まっていました。しかしですね、大型駅の周辺にもう一つ大型駅を持ってきたって、都市全体としてみた時の成長というのはあまり無いわけですよ。それよりは全く諸活動が無いような所へ、起爆剤として駅を建設して都市に対する新たなる中心性を創り出す方がよっぽど生産的である、とこういうわけですね。

何を隠そう、この新駅を用いた中心性創出案を提案、実現したのは現在の僕のボスです。今から約15年前、まだカリスマ市長マラガル(Pasqual Maragall)が現職だった時の事らしいです。その当時はまだ今ほどGIS(Geographical Information System)も発達していなくて、街路ごとのカフェなどの諸活動を調べるのに大変手間取ったそうです。

まあ、とりあえず、僕はこのバルセロナの打ち出した新しい都市戦略を高く評価します。何故ならこの計画はバルセロナが初めて打ち出した、環状線を越え異なる自治体間で協力関係を仰いだ計画であり、今までゴミ捨て場として問題を先送りしていたエリアへの初めてのメス入りだと思われるからです。先のイグナシの言葉で言えば、「大都市圏の中心バルセロナが解決せずにたらいまわしにし」、「弱体な都市基盤のところに飛び火」している問題に対して、バルセロナが初めて直視し始めたという事です。

この計画を聞いた時に、僕が非常に巧いなと思ったのは「川」をキーワードにして協力関係を築いたという点ですね。異なる自治体間で協力関係を築くには何かしら共通する要因が必要となります。考えられるものとして主に2つある気がします。一つは文化的な何かを共有している場合。もう一つは地理的要因を共有している場合です。有名な所では、1989年にフランスのDATARが行ったブルーバナナ分析に基ついて、バルセロナがバルセロナプロセス(Barcelona Process)として発達させた地中海の弧連携。この連携は地中海を共有しているという地理的要因を基盤にして実現しました。

もう一つはネルビオン川(Ria Nervion)というビルバオ大都市圏を貫く川を構成する30を超える自治体から成る、ビルバオ再生の原動力となったビルバオコンソーシウム(Bilbao Metropoli 30)。ビルバオの場合は、グッゲンハイムのインパクトが強くてナカナカ表には出てきませんが、グッゲンハイムという都市再生の主役に、舞台を整えた非常に重要なプロセスだったと思っています。このような、背景に流れるシナリオがしっかりしていたからこそ、ビルバオ都市圏再生が成ったんですね。決してグッゲンハイムが一人で都市を再生した訳では無い事を知るべきです。そして、そのグッゲンハイムが引き起こした大成功の裏に隠れるジェントリフィケーションという負の面の事も。

全く同じ事がバルセロナにも言えて、新エリアが出来た暁にはきっとゲーリーの建築がもてはやされ、あたかもそれだけで都市が活性化したかのような記事が雑誌を賑わす事でしょう。これは建築の元来の機能である、地域や社会の表象という役割を考えてみれば当然なのかもしれません。何故なら建築は正にそのエリアが活性化し、賑わっているぞという事を表象する事こそが仕事であり、それは建築にしか出来ない事なのだから。

しかしそれでも僕はあえて言いたい。その裏にある思考や、建築にそのような舞台を用意した都市の戦略にも目を向けるべきだと。
| バルセロナ都市計画 | 18:34 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加