地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
ビルバオ・グッゲンハイム美術館とリチャード・セラの彫刻:動くこと、動かないこと

所用の為に、スペイン北部(バスク地方)のビルバオに行ってきました。

「ビルバオ」と聞いて多くの日本人の皆さんが思い浮かべるのは、奇抜な形態で世界的に有名なグッゲンハイム美術館ではないかと思います。建築家フランク・ゲーリーがデザインしたあの独特な形態と、鈍く光るチタニウムに包まれた外観、そんな摩訶不思議な建築が、重工業で廃れた街を蘇らせたというシンデレラストーリー。

ビルバオの都市再生については(バルセロナの都市再生の事例と共に)、当ブログでは何度も扱ってきたので再度ここで詳しく取り上げることはしません(地中海ブログ:何故バルセロナオリンピックは成功したのか?:まとめ)。ただ一点だけ強調しておくと、ビルバオはグッゲンハイム美術館だけで蘇ったシンデレラ都市ではありません。そうではなく、バスク州政府やビルバオ市役所などが何年も練ってきた都市戦略と都市再生計画、それらの上に細心の注意を払いながら乗せられたもの、それがゲーリーによるグッゲンハイム美術館であり、ビルバオ都市再生の骨子でもあるんですね。

極端な話、ゲーリーによるグッゲンハイム美術館が無かったとしても、僕はビルバオの都市再生は成功していたと思います。そしてこの点にこそ僕は「都市に対する建築の可能性」を感じてしまう瞬間はありません。 ←どういうことか?

上述したようにビルバオは決してゲーリーのグッゲンハイム美術館だけで再生したシンデレラ都市ではありません。←ここ、本当に大事です!←テストに出ます(笑)。

しかしですね、いまではビルバオに住んでいる誰もがグッゲンハイム美術館のことを知っていて、(ビルバオに実際に行けば直ぐに分かることなのですが)この地では子供からお年寄りまで、誰もがグッゲンハイム美術館のことを嬉しそうに語るんですね。街中で道を尋ねようものなら、「あなた観光客?グッゲンハイム美術館ならあの角を曲がってちょっと行ったところよ、、、」といった感じで、その口調は「この美術館のことを心から誇りに思っている」、そんな感じを受けてしまいます。

いわばグッゲンハイム美術館という建築は、「都市再生の効果を何十倍にも増幅することに成功した」と、そういうことが出来るのでは無いでしょうか?そしてこれこそ建築本来の姿なのでは、、、と思う訳ですよ。何故なら:

「建築とは、その地域に住んでいる人達が心の中で思い描いていながらも、なかなか形に出来なかったもの、それを一撃のもとに表す行為である」(槇文彦)

だからです。

そんなグッゲンハイム美術館なのですが、その都市的コンテクストについては今まで数々の言説が出ているにも関わらず、その内部空間、ひいては展示物との関係性についてはそれほど語られていない状況だと思います。そしてこの美術館を訪れた時に見るべきなのは、「内部空間の連なり」と、「その展示物との類稀なる関係性である」ということを今日は書いてみようと思います。

グッゲンハイム美術館は工業都市ビルバオの旧市街からはこんな風に見えます:

これだけで背筋がゾクゾクしますね。この辺りは旧重工業地帯のど真ん中で、それらの工場が廃れていくと共に、売春婦や麻薬中毒者、貧困層などが多く住み着くエリアとなってしまったそうです。

失業率は50%を超え、誰もが希望を失う、そんな悲しい街となっていったんですね。その時の名残、、、とでもいうのか、この細い路地の両側には車両が立ち並び、少し薄暗い路地を通してグッゲンハイムを見ることが出来るのです。そしてこの路地を抜けると出逢うのがこの風景:

圧巻の風景です。右手に見えるのはコピーと言う名前で呼ばれている巨大猫(笑)。この猫、表面が植栽されていて、季節によっては色とりどりのパンジーなどが植えられ、色鮮やかな猫に生まれ変わるそうです。

そこを通り過ぎて、もう少し近づいてみます:

どーん。先ずは向かって右手方向に大きく傾斜している壁、、、というか「アルミの塊」が非常に印象的です。これがものすごい圧迫感で迫ってきます。そして(雑誌に掲載されている写真ではナカナカ伝わらないと思うのですが)この建築へのアプローチはここから階段で1フロア降りていった所からになっているんですね:

うーん、、、このアプローチは非常に良く考えられてるなー。と言うのも、このアプローチは先程見た巨大猫との関係性から逆算されてデザインされているものだからです。多分、大多数の来館者の方々が先ず訪れるのは先程の巨大猫だと思うのですが、そこから一直線に美術館に向かってアプローチして行ってみます:

先程見た塊(右側の壁)が「これでもか!」と言わんばかりに迫り出してきます。そして下階へと向かう階段が、「左周りに螺旋を描きながら」下降していっているんですね。それはこちら側から見ると良―く分かります:

ほらね。もしもゲーリーが感覚に任せて、まるで「紙を丸めてグチャグチャと形態を決めているだけ」なら、決して出てこない形だと思います。言うまでもないことですが、このようなアプローチ空間における螺旋の構造は、コルビジェが非常に得意としたところでもあります(地中海ブログ:パリ旅行その6:大小2つの螺旋状空間が展開する見事な住宅建築:サヴォワ邸(Villa Savoye, Le Corbusier)その1:全体の空間構成について)。アルド・ヴァン・アイクとかもやってました(地中海ブログ:アルド・ファン・アイク(Aldo Van Eyck)の建築その1:母の家:サヴォア邸に勝るとも劣らない螺旋運動の空間が展開する建築)。

そしてエントランスを潜ったところで出会うのがこの空間:

非常に気持ちの良いエントランス空間の登場〜。壁が飛び出てきたり、反対に引っ込んだりと、非常に不思議な感覚を醸し出しています:

見上げれば色んな形態が複雑に絡み合いながら空を切り取っています。

ここから外へ出て行ってみます。川沿いに芸術作品が並び、観光客と共に地元の人達のお散歩コースになっているようでした。

ルイーズ・ブルジョワの巨大蜘蛛(Maman)もちゃんといました。

ちなみにここから10分程歩いた所にはカラトラバの橋が掛かり、街中にはノーマン・フォスターがデザインした地下鉄の入り口が口を開けています。

街の中心、Moyua駅構内にはノーマン・フォスターが残していったサインが大切に保存されていました。スペインという社会文化の中で、建築家という職業がどの様に扱われているのか、社会的にどの様な地位が与えられているのかが良〜く分かる象徴的な取り組みだと思います。

さて、グッゲンハイム美術館の内部空間に話を戻します。

先程外へ出た所から左手方向に歩いていくと、この美術館最大の展示室へと導かれます。そしてこの展示室にはリチャード・セラの超大作(The matter of time (1994-2005))が「これでもか!」と、所狭しと並べられているんですね。

(注意) グッゲンハイム美術館の内部は、美術作品以外は基本的に写真撮影可能となっています。そして写真撮影不可の美術作品が展示されている入口には「撮影禁止」という表示が掲げられています。しかしですね、リチャード・セラの展示室の入口には撮影不可の表示はありませんでした。また、他の来館者の行動を観察していると、みんなパシャパシャ写真を撮っているし、その姿を見ていた学芸員も注意等はしていなかったので写真撮影可と判断しました。

と言う訳で、いよいよリチャード・セラの作品を体験してみます。良く知られている様に、リチャード・セラは巨大な鉄板を弓形に曲げて、あたかも空間の歪みを作り出しているかの様な、そんな作風で知られています:

こちらは分厚い一枚をグルグルっと巻いて作った空間です。少しづつ中へと入って行ってみます:

入ってみると分かるのですが、この鉄の曲がり方が少し手前へ倒れていたり、あちら側に反れていたりと、一見同じに見える形態でも、それらの間にチョットした変化があるんですね:

そして見上げてみればこの風景:

歩くことによって刻々と変わっていくカーブが空を切り取っています。更に進むと、先程の倒れ掛かってくる壁の角度が変わることから、僕を包み込む空間も激変するんですね:

そしてまた空を見上げてみます:

先程とはちょっと角度が異なっていることにより、これまた空間が激変します。 、、、こんな時、僕が何時も思い出すのは、学生時代に目にした新建築住宅コンペ金賞案に書かれていた次の記述です:

四角形を多角形の中に挿入する。それをどんどん変化させていく。ある所は部屋になり、ある所は廊下になる。わずかな差であるが、空間は激変する」

(もう15年近く前だから裏覚え。でもこんな感じだったと思う)

これはジャック・ヘルツォークが審査員を務めた年の金賞案だったんだけど、説明文はこれだけで、あとはその四角形の中で多角形が少しづつ変化していく図が100個ぐらい書いてあるだけ。。。 ←キョーレツな印象を僕の心に残してくれました。

、、、と、そんなことを思いながら、今度は隣にある彫刻を見に行ってみます。こちらには何枚もの鉄板が立っています。その隙間から入って行ってみます:

壁がこちら側に押し寄せてきたり、あっち側へ行ったり、、、:

うーん、これはちょっと面白いぞー、、、と思い始めたら最後、気が済むまで体験するのが僕の可愛いところ(笑):

この巨大な空間に散らばるリチャード・セラの彫刻を一つずつ、端から端まで行ったり来たりしてみました:

特に数えてた訳じゃないけど、20往復はしたと思います(笑)。時間にして約6時間、、、 ←ひ、暇だな、オイ(笑)。 ←挙句の果てに、彫刻の前に座っていた警備員が、「あのー、だいぶ熱心に見られてるようですが、専門の方ですか?」とか話し掛けてくる始末(笑)。 ←「ええ、来館者調査のエキスパートですよ。MITの研究員とルーヴル美術館のリサーチ・パートナーやっています」って答えたら、なんか奥から学芸員という人が出て来て、、、と、今日の記事とは関係ないので、この続きは別の機会にでも。

そんなこんなで、6時間くらい歩き回った時のこと、「あ、あれ、この壁の傾き方はちょっと面白いかも、、、」と思ったのがこちら:

そう、この壁の傾き方は、シザの教会の壁の膨らみに似てるかも、、、と一瞬そう思ってしまったんですね。そしてここで僕はあることに気が付きました:

「も、もしかして、リチャード・セラという彫刻家は、こんな風に壁を迫り出したり、押し込めたり、はたまた湾曲させてみたりして、その空間を歩き回る我々がその空間でどう感じるかという実験を行なっているんじゃないのか、、、???」

そーなんです!リチャード・セラがこの広大な空間で実験していること、それは一枚の大きな壁を使って様々なパターンを作り出し、我々がそういう空間に身を置いたらどう感じるか、、、という壮大な空間実験をしているのです!

これは凄い!というか面白い!何故ならこれは非常に建築的な提案でありながらも、単体の建築には真似出来ないことだからです。 ←上に述べたシザの教会の壁や(地中海ブログ:アルヴァロ・シザの建築:マルコ・デ・カナヴェーゼス教会の知られざる地下空間:真っ白な空間と真っ黒な空間)、エンリック・ミラージェスのお墓で傾いていた壁など(地中海ブログ:イグアラーダ(Igualada)にあるエンリック・ミラージェスの建築:イグアラーダの墓地)、局所的に一つか二つくらいの空間体験を作り出すことは可能かもしれないけど、空間体験の色んな可能性をここまで用意するのはコストの面から言っても非常に難しいかなー、という気がします。

僕がこの壮大な実験のことに気が付いたのは、この展示室に入ってからかなり時間が経った頃のことだったんだけど、何故そんなに時間が掛かってしまったかというと、それは僕の頭の中では「彫刻=一瞬の凍結」いう方程式が先入観としてあったからなんですね。彫刻と建築の違いを僕は以前のエントリでこんな風に書いています:

「‥‥彫刻の素晴らしさ、それは一瞬を凍結する事だと思います。何らかの物語の一コマ、その一コマをあたかもカメラで「パシャ」っと撮ったかのように凍結させる事、それが出来るのが彫刻です。建築家の言葉で言うと、「忘れられないワンシーン」を創り出す事ですね。

では何故、彫刻にこんな事が可能なのか?それはズバリ、彫刻は動かないからです。「そんなの当たり前だろ、ボケ!」という声が聞こえてきそうですが(笑)、これが結構重要だと思うんですよね。彫刻は時間と空間において動きません。だから僕達の方が彫刻の周りを回って作品を鑑賞しなければならないんですね。そしてもっと当たり前且つ重要な事に、彫刻は一度彫られた表情を変えないという特徴があります。だからこそ、彫刻の最大の目標は「動く事」にあると思うんですね。

‥‥中略‥‥

建築家である僕は(一応建築家です(笑))、ココである事に気が付きます。「これって建築、もしくは都市を創造するプロセスとは全く逆じゃん」という事です。どういう事か?

僕達が建築を計画する時、一体何を考えてデザインしていくかというと、空間の中を歩いていく、その中において「忘れられないワンシーン」を創り出していく事を考えると思います。何故か?何故なら建築とは空間の中を歩き回り、その中で空間を体験させる事が可能な表象行為だからです。だから建築や都市には幾つものシーン(場面)を登場させる事が出来ます。そう、幾つものシーンを登場させる事が出来るからこそ、我々は、忘れられない「ワンシーン」を創り出そうと試みる訳なんですね。

‥‥中略‥‥

このように彫刻と建築は、その作品の体験プロセスにおいて全く逆の過程を経ます。彫刻は「ある一瞬」から心の中に前後の物語を紡ぎ出す事を、建築は様々な場面から心に残る一場面を心に刻み付ける事を。しかしながら、それら、彫刻や建築を創り出す人が目指すべき地点は同じなんですね。それは「忘れられないワンシーン」を創り出す事です。」(地中海ブログ:彫刻と建築と:忘れられないワンシーンを巡る2つの表象行為:ベルニーニ(Bernini)の彫刻とローマという都市を見ていて

しかしですね、このグッゲンハイム美術館で展開されているリチャード・セラの彫刻は、今まで僕が見てきたどんな彫刻とも全く違うものだったと思います(地中海ブログ:世紀末の知られざる天才彫刻家、カミーユ・クローデル(Camille Claudel)について)。それは、何かしら忘れられないワンシーンを一瞬に凍結したものではなく、その中を歩くことによって我々に空間を体験させる、いわば、建築の様なものだったのです。

彫刻は動きません。だからこそ、いかにそこに動きを創り出すかが彫刻の究極の目的だと僕は思います。その一方、建築は空間を連続させることによって、来館者にその空間を体験させます。つまりは、その空間の中を動く来館者が、いかに「忘れられないワンシーン」を記憶に残すことができるか、それが建築の醍醐味なんですね。

しかしですね、今回見たリチャード・セラの彫刻は、あたかも「建築的に振舞っているかの様」なのです。しかも、建築には到底真似出来ない方法で、来館者に様々な建築的な体験をさせるというおまけ付き。

この様な建築的な彫刻が、ゲーリーのグッゲンハイム美術館の、その最も代表的な彫刻としてここにあることの意味、それを考えるのもまた面白いとは思うんだけど、それはまた、別の話。

動かないが故に、一瞬の中に動きのエッセンスを込めることによって、そこから動きを彷彿させることを信条とする彫刻。空間の中で動くことが出来るが故に、その動きの中から忘れられないワンシーンを永遠に動かないものとして止めることを目的とする建築。

非常に良いものを見させて頂きました! 星、3つですー!!!

追記: バスク地方はグルメの街としても非常に良く知られています。一応事前に調べて「タパスが美味しい」と評判のお店に行ったのですが、これがトンデモなく美味しかった。下記は僕が滞在中に食べたタパスの一例。どれも400円くらいの小皿なんだけど、全てのお皿がコース料理のメインをはれるくらいの質を持っていました。正直、このレベルの料理がこの値段で街の至る所に溢れているというのは、ちょっと驚愕レベルだと思います。

タコ煮。

ホセリート(イベリコ豚の最高級品)、チーズ、フォアグラ。

中はこんな風になっています。

こちらはホセリートの角煮っぽいやつ。

卵、フォアグラ、キノコ、ポテトなんかをフライパンに載せたもの。一体自分が何を食べているのか、正直良く分からなかったけど、今まで食べたことがないくらい美味しかったことだけは確かww

こちらは卵焼き(トルティーリャ)。在スペイン16年だけど、こんなに凝ったトルティーリャはいままで見たことがありません(笑)。

| 旅行記:建築 | 14:32 | comments(3) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
バルセロナと長期的な友好関係、協働関係を築きたいと考えている皆さんへ

突然ですが私cruasan、バルセロナの都市計画や都市政策、モビリティやICTといった専門分野におけるバルセロナのキーパーソンとのミーティングのセッティングをコーディネートするサービスを始めようと思います。

←おめでとー(祝)。パチパチパチ。

←なぜ急にこんな事を思い立ったのかは下記↓↓↓に詳しく書きました。

(注意)下記に載せる写真は全て今年の48hオープンハウス(2016)で撮ってきた写真です(地中海ブログ:バルセロナ・オープンハウス2013:その地域に建つ建築(情報)をオープンにしていくということ)。

Barcelona Super computing center

←一言でいうと、バルセロナの都市計画や都市政策の専門家でない人がミーティングを設定したりすると、日本の自治体関係者や政策決定者を「バルセロナのキーパーソンではない、政策なんかとは全く関係ない人」と会わせちゃったりして、これは「双方の都市にとって不利益にしかならない」ということを目の当たりにしたからです。

←もっと言っちゃうと、これは90年代初頭くらいから岡部明子さんがバルセロナの面白さに気付かれ(地中海ブログ:とっても素敵な出会いがありました:岡部明子さんとグラシア地区を歩く)、阿部大輔さんが中心市街地の研究を始められ、僕がバルセロナの公的機関の内部から都市戦略などを実際に担ってきたという様に(地中海ブログ:何故バルセロナオリンピックは成功したのか?:まとめ)、みんなで膨大な時間を掛けて築き上げてきたバルセロナの名声を無に帰す弊害だと認識しました。

Torre Bellesguard (Antino Gaudi)

取り敢えず、僕が想定しているのは次のような方々:

1. 日本の自治体関係者で、バルセロナ市への表敬訪問ではなく、「バルセロナの本音が知りたい」という方々。バルセロナの経験(良い面も悪い面も)を生かして、「自分達の街をより良くしたい」と本気で思っている方々。

2. 大学の研究者などで、都市やモビリティ、ICT分野においてバルセロナの公的機関や研究機関と長期的な視野に立って共同プロジェクトを立ち上げたり、それらの可能性を模索している方々。

3. バルセロナのキーパーソンを日本に招致することによってイベントなどを企画し、政権交代に左右される短期的な関係性ではなく、政治的状況に左右されない長期的な関係性をバルセロナと築きたいと考えている方々。

 

上記の様な方々の要求にお答えしようと思っています。

もっと具体的にいうと、「ICTのセンサー分野で専門家と意見交換したい」とか、「モビリティの分野でバルセロナ市を巻き込んだ長期的なプロジェクトがやってみたい」とか(←プロジェクトが実現出来るかどうかは別)、「バルセロナってスマートシティとか言ってるけど、実際どうなの?」とか、「バルセロナ市役所って何やったの?」などなど、かなり専門的なんだけど、スペイン大使館とかバルセロナ市役所の窓口に頼むと一般的すぎて誰が出てくる分からない、、、という悩みを持っている方々。もしくは、「一旦はバルセロナと協定を結んだんだけど、政権交代で市側の担当者が変わった為に連絡が途絶えてしまった」、「だから政権交代に左右されない長期的な視点に立った安定的な関係性が築きたい、、、」という方々を対象にしたいと思います。

(注意) バルセロナ市役所への表敬訪問を望まれる方や、「バルセロナがどんな分野に興味があるか?」とか、「バルセロナにヒヤリングした上で、うちの方針を決定したい」というような「一方通行的なヒヤリング」を望まれる方は除外させて頂きます。

Diposit del Rei Marti

なぜ僕がこんなことを考えるようになったのか?

←←← いや、前々から思ってはいたし、実際その様な要請は年がら年中受け取ってはいたのですが、僕自身非常に忙しくって自由になる時間がそれほどなく、また、バルセロナ側のキーパーソンとのミーティングの設定には手間暇が掛かることなどから後手後手に回っていたんですね。しかしですね、昨年のスマートシティ国際会議に参加した経験や、最近よく耳にする、旅行会社による「バルセロナ市役所とミーティング設定しますよ」的なスマートシティ視察ツアー、しかも「バルセロナ市役所が返信しないから何とかして!」という訳の分からないメールをひっきりなしに受けるにつけ、「このままではマズイ!」という危機感が僕にそう行動させたと言った方が良いかもしれません。

Can Po Cardona (Jujol)

はっきり言います。

「高いお金(と時間)を支払ってまで遠いイベリア半島の隅っこに足を運んでくれる方々の中には、自治体関係者は勿論、日本の各都市の政策決定者や専門家の方々が多くいらっしゃるものと思われます。だからバルセロナ側もそれ相応のキーパーソンとの会合なりミーティングなりをセッティングしないと、バルセロナと日本の両都市、双方にとって不幸せなことにしかならない、、、」と、そう強く思ってしまったのです!

それが今回、僕がわざわざ多大なる労力を掛けてまでバルセロナのキーパーソンとのコーディネートをかって出ようと考えた始めたキッカケです。

逆に(繰り返しになってしまいますが)、日本政府や自治体関係の方々で「バルセロナ市への表敬訪問が目的」とか、「バルセロナ市とミーティングすることを第一の目的とする」という方々は、スペイン大使館とか日本領事館に連絡を取って頂ければ、そちらからバルセロナ市役所なりカタルーニャ州政府なりに連絡がいき、担当者を介してミーティングの設定などをして頂けるかもしれません(大使館や領事館がそれらを受けてくるかは不明)。

また、建築、都市、都市計画、都市政策、モビリティ、ICT(もしくはこれらに関連のありそうな分野)以外の専門家や専門機関へのミーティングなどを望まれている方々、例えば「ピアノの達人とミーティングがしたい!」とか、「カタラン語の研究者を紹介してほしい」とか他分野への要望もお断り致します。まあ、出来ないことはありませんし、多分それなりに上手くやれるとは思いますが、それらの分野だったら僕以外にもコーディネート出来る専門家がいらっしゃると思いますので、そちらの方々にご連絡をお願いします。 Torre de la Creu (Jujol) 基本的に僕は「僕以外の日本人には出来ないこと、僕にしか出来ないこと」しかお引き受けするつもりはありませんし、他分野まで僕が出しゃばるつもりもありません。 という訳で、都市、建築、都市政策、都市計画、モビリティ、ICT分野でバルセロナのキーパーソンとのミーティングなどを通してバルセロナと長期的な友好関係、協働関係を築きたいと考えている方々、バルセロナの事例を通して、「本気で日本の都市を変えたい!」と思っている方々、ご連絡ください。

Can Negre (Jujol)

←そうじゃない人は、ビーチに行って美味しいパエリアを食べて、夜は生ハムとワインを飲みながらバルサの試合を見ていれば、それはそれで大変有意義なバルセロナ滞在になると思います。ただ、、、日本からわざわざ来たのに、地元で有名だからという理由から「日本食レストランに行く」という間抜けなことだけは止めましょう(苦笑)。

←バルセロナの日本食レストラン、フェラン・アドリアとか行ってるみたいで確かに美味しいことは美味しいんだけど、日本に帰ってその辺の焼き鳥屋で食べた方がマシなレベルだと思います。

追記) 下記に僕がこんな風に考えるキッカケとなった経緯を記します。ちょっと長いのですが、興味がある方はどうぞ:

 

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毎年、スマートシティ国際会議が近づくにつれ、僕のところには世界中の政府機関、自治体、研究者、私企業などからひっきりなしにメールが届きます。これには幾つか理由があって、まず一つ目には僕が所属しているMIT SENSEable City Labの所長、Carlo Rattiさんがスマートシティにおける世界的権威であり、SENSEableはスマートシティのメッカとして知られているということが挙げられます。ちなみにバルセロナが都市戦略としてスマートシティ国際会議を立ち上げた時、そのイベントの権威付けの為に(当時の)主催者にカルロさんを紹介したのは僕です。

もう一つは、labのメンバーの中でバルセロナを拠点として活動しているのは僕一人に限られるということ、そして欧米では僕の名前はビックデータ解析を建築・都市計画・都市政策やモビリティに応用するということに紐付けられている一方で、バルセロナの都市分析、バルセロナモデルの専門家と見做されているという理由が挙げられるかと思います。

Parc de Recerca Biomedica de Barcelona (PRBB)

という訳で、昨年のスマートシティ国際会議にいらっしゃった幾つかのグループの方々に同行することになったんだけど、それらの各グループの構成はこんな感じ(自治体の名前やコーディネーターの名前は伏せます):

1. 欧米の某都市(A自治体):MITの元同僚で都市政策・都市計画を専門としているA市の職員がコーディネーター。

2. 欧米の某都市(B自治体):在B国のスペイン大使館を通してバルセロナ市役所などとのミーティングをコーディネートした模様。 3. 日本人の団体様(職業はバラバラ):地元に長年住む(都市政策・都市戦略などに関しては素人だけど、やる気と熱意は十分な外国人(日本語話す))がコーディネート。

日程をずらしながらも、これら3つのグループに同行しバルセロナ市役所や私企業、ウォーキングツアーなどを体験していたのですが、それら3つのグループを比較することによって、ある重要なことに気が付きました。それは:

「コーディネーターの技量によって、バルセロナ市役所訪問時の担当官が変わるということ。そしてその担当官の説明如何によって、バルセロナへのイメージやその後の協定などに多大なる影響を与えるということ」

です。

Campanar de Sant Maria del Pi

まず、スマートシティ初日にいらしたのは日本人のグループだったのですが、最初の訪問先はバルセロナ市役所の某機関。先ずバルセロナ滞在の初日にココでバルセロナ市の一般的な説明とスマートシティへの取り組みなどの説明を聞きつつ、その後の活動に繋げるというなかなか良く考えられたプランだったと思います。しかしですね、バルセロナ市役所側の担当者から開口一番に出た言葉がこちら:

「ようこそバルセロナへ!あのー、大変残念なのですが、バルセロナ市では5月に政権交代が実施され、それに伴い市役所内のスマートシティ部門は消滅してしまいました。現場の担当者である我々も、スマートシティに関してバルセロナ市が何処へ行こうとしているのか、何がしたいのか分かりません。大変混乱しています」

正直、僕は自分の耳を疑いました。心の中で、「え!!!!」って思いました。更に、その担当官が説明し始めたバルセロナの紹介がかなり酷い!はっきり言って素人同然、、、っていうか、あとで話してみたら経済学のバックグラウンドを持つ公務員のかただったので都市に関しては素人だったのですが(←別に全ての人が都市のプロになれるという訳ではないので、それはそれで良いのですが、、、)、それにしてもスマートシティ国際会議に出席することを目的にいらっしゃった方々に対して、「上述の説明はないな、、、」と本気で思いました。

Torre de la Creu (jujol)

しかしですね、その2日後に今度はA自治体の方々と同じ機関、同じ場所で説明を受けたのですが、その時に担当官として出てきたのは僕も良く知っているバルセロナ市役所のキーパーソン。もちろん彼はバルセロナ市の状況を大変良く理解していて、バルセロナの現状からスマートシティへの取り組みに至るまで、短時間で見事に説明してくれました(どうやら都市政策の専門家であるA自治体のコーディネーター(友人のV君)が事前に調べて彼を指名したみたいです)。僕が最も感銘を受けたのがスマートシティに関する彼の下記の説明です:

「バルセロナ市では5月に政権交代があり、スマートシティに関しても現政権は前政権とは異なる見解を示しています。私が考えるに、スマートシティは何層ものレイヤからなっています。最下層にはセンサーなどのインフラがあり、上層レイヤには文化活動などがあるといった具合です。前政権では、このインフラ整備にかなり力を入れていました。センサー技術といった最新技術に多大なる投資をしていたのです。しかし現政権はそうではなく、上層レイヤにあたる文化活動や市民活動などに力を入れる政策を打ち出しています。同じスマートシティといっても、現政権と前政権では捉え方が異なるのです。この状況に適合させるために、市役所内部では部門のリストラクチャリングを行っている最中です」

そう、こういう風に説明されると、「あー、そうか、スマートシティの捉え方が違うんだなー」と納得するわけですよ。いきなり、「スマートシティ部門は潰れました」とか言われると、はっきり言ってやる気が無くなるし、バルセロナに初めて来た自治体の方々で事情をうまく飲み込めない方々は、「あー、そうなのか、じゃあ、バルセロナとは今後何も出来そうに無いな、、、」とか思ってしまうじゃないですか!

Campanar de Santa Maria del Pi

繰り返しますが、このA自治体のグループをコーディネートしていたのはMITの僕の元同僚で、もともと都市計画や都市政策を専門としていたV君。現在はA自治体で働いているんだけど、僕がバルセロナの専門家だということで時々連絡を取ってアドバイスをしていたという裏事情は勿論あります。だから流石にポイントを良く押さえていて、都市再生やスマートシティの取り組みに関して「バルセロナでは何を見なければならないのか?」、「誰と合わなければいけないのか?」、「政策決定者には誰と話をさせて、何を見せなければならないのか?」などを熟知している訳ですよ!

Can Negre (Jujol)

ちなみに彼に頼まれて僕がA自治体の方々を案内させて頂いたのが、グラシア地区の歩行者空間プロジェクト(地中海ブログ:グラシア地区祭り:バルセロナの歩行者空間プロジェクトの責任者だったけど、何か質問ある?)と、バルセロナ市のバス路線変更計画を指導したバルセロナのキーパーソン(地中海ブログ:バルセロナのバス路線変更プロジェクト担当してたけど、何か質問ある?バルセロナの都市形態を最大限活かした都市モビリティ計画)。

Font Magica de Montjuic

更にこのグループはバスク地方にも関心があるということで、グッゲンハイム効果で都市再生をした「ビルバオではなく」、欧州の都市再生の専門家の間では非常に知名度の高いビトリア市へ視察に行き、そこの専門家集団と意見交換をしました。ちなみにビトリア市のスマートシティ計画には2007年頃から僕も参画していて、2010年には欧州グリーン賞を受賞しています(地中海ブログ:グラシア地区歩行者空間計画BMW賞受賞)。もちろんミーティングのセッティングを手伝ったのは僕です。

Torre de la Creu (Jujol)

その一方、日本のグループの方々はというと、上述のバルセロナ市役所から充てがわれた無茶苦茶な説明を聞いた後、バルセロナ市が売り出し中のスマートシティのモデルと言われている(←言われているだけです)22@エリアを「時間がない」という理由からチョロっと見るに留め、早足でビルバオとサンセバスチャンへ視察に行かれました。それ自体はそれほど悪いことだとは思いませんが、「ビルバオ市の都市再生の裏側にはキチンとした都市戦略が構築されていて、ビルバオ市は決してグッゲンハイム効果だけで蘇ったのではない」ということ(地中海ブログ:バルセロナの新たなる都市戦略:ビルバオから学ぶバルセロナ都市圏再生の曙)、サンセバスチャンの食(ガストロノミー)を打ち出した都市戦略が「伝統ではなく」、明らかに戦略的に誘致されたものであり、それを仕掛けた仕掛け人と政策担当者といったキーパーソンがいるということを、この企画をコーディートした方が知っていたかどうか?は知りません。

Torre Bellesguard (Antoni Gaudi)

更に更に、このグループの方々は、最終日にバルセロナのスマートシティの具体例として、グラシア地区や22@エリアではなく、近郊のサンクガット市を視察に行かれました。個人的にサンクガット市は大好きな町ですし、僕もお世話になっている素晴らしい日本人建築家のかたも在住されています。また、あの街に設置されているゴミ箱に付けられたセンサーからの情報取得システムは、2005年からバルセロナ市役所内で結成された専門家グループ(僕も参画しました)がスマートシティの文脈において企画提案し、開発に成功したものを採用しているので個人的によーく知っています。

Barcelona Supercomputing center

しかしですね、サンクガット市はスマートシティの好例なのかどうなのか、わざわざ日本から来て観に行くほどの取り組みをしているのかどうなのかは疑問です。「いやいや、サンクガット市はスマートシティの最高の事例だ」とか、「サンクガット市は欧州におけるスマートシティのモデルだ」ということを主張している論文や具体例、はたまたそういう専門家のかたがいらっしゃったら是非ご連絡ください。

←当ブログで真っ先に取り上げたいと思います。

Font magica de Monjuic

、、、と、まあ、書き出すとキリがないほど突っ込みどころが満載だった今回のグループ訪問だったのですが、一つだけ確信したことがありました。それは:

訪問者の方々がバルセロナ市に対して持たれる印象は、どこに連れて行くのか、そこで誰とのミーティングを設定するのかに掛かっている」

ということです。つまりは、コーディネーターの力量に全てが掛かっているということなんですね。

こういう観点に立つと、バルセロナの都市の専門知識やバルセロナ市のキーパーソンについて、日本人で僕より知識のある人、上手くセッティング出来る人は「そうはいないのでは?」と思うに至りました。僕が知る限り、日本人建築家でバルセロナ市のことを深く研究している専門家は僕を入れて3人しかいません。僕以外の2人の方々はそれぞれ大変素晴らしい方々で、知識も経験も豊富、僕もいつも学ばせて頂いていますので、バルセロナ訪問に関してはそちらの方々にご相談されても良いかもしれません。

、、、と、ここまで長々と書いてきてしまったのですが、何が言いたいかというと、(繰り返しになってしまうのですが)日本からわざわざ高いお金を払ってバルセロナに来ているのだから、この都市をもっと好きになって欲しいし、日本の自治体や日本人研究者の方々との間に、もっと長期的な友好関係を築けたらと思うわけですよ。

僕はバルセロナが大好きです。だからこの街のことを少しでも多くの日本人の皆さんに知って頂きたいし、この都市に実際に滞在してもらって好きになってもらいたい。また、バルセロナは非常に歴史ある街で、いままで様々な経験をしてきています。その中にはまだまだ我々日本人には知られていないけれども、日本に適応可能な政策やプロジェクト、はたまた今後の日本にとって大変示唆的な実験などを都市レベルで行ってたりするんですね。

(くどいくらいに繰り返しますが)バルセロナのスマートシティに関して何を見るべきか、バルセロナの都市戦略について誰と話すべきか、バルセロナの都市再生について具体的に街の何処を見るべきか、という判断を正しく下す為には、専門知識もさることながら、地元の公的機関の内部事情に詳しく、スペイン民主化以後のバルセロナの政治状況などが良く分かってないと効果的・効率的なミーティングなどは絶対に出来ません。

もしバルセロナの成功事例、そして失敗事例を探されていて、それを日本の都市再生に役立てたい、日本のスマートシティに役立てたいと真剣に考えていらっしゃる方々とお話しすることが出来たら僕も本望です。

| - | 16:43 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
バルセロナ・オープンハウス2015:オープンハウスとオープンデータ:今年のテーマはジュジョールでした。
今週末(10月24日、25日)バルセロナでは市内に点在する200近くの建物が一般公開されるイベント、48H OPEN HOUSE BCN2015が行われていました。

←バルセロナで行われた過去のオープンハウスについてはコチラ(地中海ブログ:バルセロナ・オープンハウス2013:その地域に建つ建築(情報)をオープンにしていくということ、地中海ブログ:オープンハウス in バルセロナ(48 OPEN HOUSE BCN)その3:ホセ・ルイ・セルト(Josep Lluis Sert)のパリ万博スペイン共和国館、地中海ブログ:出版界の大手、グスタボ・ジリ(Editorial Gustavo Gili)社屋のオープンハウスその2:カタルーニャにおける近代建築の傑作などなど)。



6年前から始まったこのイベント、もう既にこの時期の風物詩になったと言っても過言ではなく、今年は5万人にも上る参加者が普段は入る事が出来ない個人住宅や、普段は一般入場が制限されている公共建築などを楽しんだということです。



オープンハウスと言えば、シカゴ郊外のオークパーク(フランク・ロイド・ライトのお膝元)で毎年7月に行われる催し(ライトの自邸やスタジオ、更には彼が設計した一般住宅などが無料公開されるイベント)や、毎年9月中旬の週末にロンドン市内全域を巻き込んだロンドン・オープンハウスなどが世界的に知られていると思うのですが、バルセロナのオープンハウスでは毎年テーマが決められ、特定の建築家にフォーカスしつつ数々のイベントが同時並行で開催されるという体制をとっているんですね。



そんな中、今年のオープンハウスのテーマはずばり、ガウディの影武者だった男、ジュジョール!で、出たー!バルセロナの伝家の宝刀、ジュゼップ・マリア・ジュジョール!!(地中海ブログ:オープンハウス in バルセロナ(48 OPEN HOUSE BCN):ジュゼップ・マリア・ジュジョール(Josep Maria Jujol)のプラネイス邸(Casa Planells))。



上述のプラネイス邸に加え、今年はカタランボールトの特徴をふんだんに使ったジュジョール学校(Escola Josep Maria Jujol)や、ジュジョールが改修に関わったとされるピ教会(Santa Maria del Pi)の鐘塔などが公開されるという、ジュジョール・マニアにとっては嬉しい限りのイベントに。



更に更に、ジュジョール作品が数多く残るSant Joan Despi町の全面的な協力で、この町に点在しながらも普段は入る事が出来なくなっている個人邸宅や、教会なども公開されていたんですね。



基本的にケチな僕は、「この機を逃す手はない!」ということで、ちゃっかり複数のツアーに参加(笑)。様々なジュジョール体験をしてきちゃいました。 ←っていうか、このツアーに参加しないと見る事が出来ない教会や個人住宅が多かったのです!



今回見る事が出来たジュジョール作品については、また今度機会を改めて書こうと思っているのですが、今年のオープンハウスで非常に面白かったのがこちらです:



じゃーん!分かる人にはシルエットだけで分かるかもしれませんが、ピカソ美術館の直ぐ裏に建っているSanta Maria del Mar教会の屋上テラスです。



普段は絶対に立ち入る事が出来ない教会の屋上に昇っちゃおうという好企画!この教会のシンボルとも言える大きな大きなステンドグラスが嵌っている部分を真近で見る事が出来るなど、この企画は本当に素晴らしかった!



1934年、コルビジェがセルトの招きでバルセロナを訪れた際、この教会のデザインに感銘を受けたという記録が残っているSanta Maria del Mar教会なのですが、中世には「海の教会」とも謳われたほどの名教会の屋上テラスから見る旧市街の風景は別格(地中海ブログ:パリ旅行その6:大小2つの螺旋状空間が展開する見事な住宅建築:サヴォワ邸(Villa Savoye, Le Corbusier)その1:全体の空間構成について)。



ヴォールトの詳細などが「これでもか!」と迫ってくる感じが教会マニアの僕には堪らない(笑)。そしてもう一つ:



ジュジョールが改修に関わったとされているピ教会(Santa Maria del Pi)の屋上テラスです。



Santa Maria del Mar教会に比べ、ピ教会の方が背が高く、またランブラス通りに面していることなどから、バルセロナ現代美術館を始め、旧市街地の細い路地や大聖堂、更にはサグラダファミリアなんかも見通せて、非常に面白い体験でした(地中海ブログ:まるで森林の中に居るかの様な建築:サグラダファミリアの内部空間)。



そしてこれら「上空からの体験」と対になるかのような企画、それが「地の底からの体験」なんですね。それがこちら:

 

じゃーん!バルセロナの観光名所の一つ、七色の水飛沫をあげて観光客を楽しませてくれるスペイン広場にある噴水なのですが、「この噴水がどうやって色を変えるのか、どうやって噴水の水を管理しているのか?」という、その裏側のシステムを「噴水の下から見せてくれる」という企画です。



噴水の直ぐ横にある小さなエントランスを入っていくと、旧式のコンピューターがぎっしりと並んでいるコントロールルームへと導かれます。なんか素晴らしくレトロフューチャーっぽいなー(地中海ブログ:リアル・ドラゴンボールっぽい、ブリュッセル万博(1958年)の置き土産、アトミウム(Atomium))。



そしてこちらが上の噴水の色を自由自在に変えているシステムの正体です。色の付いた巨大な箱が幾つも重なり、それらが回転することによって色を変幻自在に変えているんだそうです。



ガイドの説明によると、水の形と色の組み合わせは7000種類を超えるのだとか。へぇー、へぇー、へぇー!



その他にもセルト設計のミロ美術館に行ったり、その合間にバルセロナで一番美味しいと評判のイタリアン、その姉妹店(モンジュイックの丘)でマルガリータを頬張ったりと、今回も存分に楽しませてもらったオープンハウスなんだけど、それらの建築を訪れるにつけ幾つか思った事がありました。



と言うのもですね、最近僕は日本政府や日本の自治体が進めている「オープンデータ」という潮流に関わる機会があったりして、「公共セクターが持っている各種データをオープンにする」という流れに非常に敏感になっているからです(地中海ブログ:スマートシティとオープンデータ:データ活用によるまちづくりのイノベーション(横浜)シンポジウム大成功!)。



建築というのはその地域に住む人たちの共通の財産であり、後世に残していくべき共同の記憶である為に、それをより良い形でオープンにしていくことは、シビックプライドの形成を通して民主主義を推し進めていく上で非常に重要なプロセスだと思っています。その辺のことについては以前のエントリで書いた通りです(地中海ブログ:バルセロナ・オープンハウス2013:その地域に建つ建築(情報)をオープンにしていくということ)。

オープンデータの文脈におけるオープンハウス、そしてオープンアーキテクチャーの意義については上のリンクを参照してもらうとして、今日は「この様なイベントがどのように運営されているか?」という、マネジメントサイドの観点から少し書いてみようと思います。



当ブログの読者の皆さんにはもう既に馴染み深いことだとは思うのですが、バルセロナという都市は大型イベントを誘致することによって都市を大々的に発展させてきたという歴史があります(地中海ブログ:バルセロナのイベント発展型都市戦略とGSMA2010(Mobile World Congress 2010))。この手法は「(ある種の)バルセロナモデル」と呼ばれていたりして、欧米では最大限の成功事例として頻繁に取り上げられていることも、繰り返し書いてきた通りです(地中海ブログ:バルセロナ都市戦略:イベント発展型、地中海ブログ:バルセロナの新たなる都市戦略:ビルバオから学ぶバルセロナ都市圏再生の曙)。



その一方で、それらオリンピックが一体どうやって運営されていたのか、もっと具体的に言うと、「何故バルセロナオリンピックは成功したのか?」について語られることは今まであまりなかったのでは?と思うんですね(地中海ブログ:何故バルセロナオリンピックは成功したのか?:まとめ)。



それは何も、日本という文脈に即して見た時だけなのではなく、世界的に見てもそこまで突っ込んだ議論をしている論文、論客は非常に稀だと思います。



それでは現地(バルセロナ)ではどうなのか?、、、確かに何人か顔が浮かびますが、うーん、、、という状況かな、、、と。という訳で「何故バルセロナオリンピックは成功したのか?」という論題にフォーカスしたのは、当ブログ記事が初めてだったのでは、、、とか思う訳ですよ(笑)。

僕の見るところによると、バルセロナオリンピックが成功した理由、それはボランティアの力が大きかったのではと思っています。



そう、オリンピックのような大型イベントは、公的資金だけでやりくりするのは非常に難しく、それ以上に重要なのが現地でのサポートや、それらを支える市民意識だったりするんですね。市民にやる気があるのと無いのとでは大違い!そうすると、次の様な疑問が浮かんできます:

「何故バルセロナオリンピックでは市民が一体となってオリンピックを成功させようという気になったのか?」、、、と。



それはバルセロナの置かれた非常に複雑な歴史的な文脈を考慮する必要があって、1975年までフランコ政権にいじめられ続けてきたバルセロナがその呪縛から解放され、ヨーロッパに打って出ようという時に舞い込んできたイベント、それがオリンピックという晴れの舞台だったということが大きいかな。
←まあ、勝手に舞い込んできた訳ではなくて、それを無理やり引き寄せたんですが、、、(地中海ブログ:国際オリンピック委員会(IOC)前会長のフアン・アントニオ・サマランチ(Juan Antonio Samaranch)氏死去)。



と言う訳でバルセロナオリンピック時になぜ沢山のボランティアの手が借りられたのかという答えの一つは、「当時のバルセロナが一つの国として高揚しようとしている時期と重なっていた」ということが挙げられ、「日本の高度経済成長期と同じような空気が蔓延していたから」ということが出来るかと思います。



しかしですね、その一方で、「ここバルセロナには、なにかしらボランティア精神みたいなものが昔から根付いていたんじゃないのか、、、」と、最近そう思うようになってきました。



そう思うようになってきたキッカケの一つが、何を隠そう数年前から毎年参加しているこのオープンハウスというイベントだったりするんですね。



知り合いが主催者なのでバルセロナがオープンハウスを始めた当初から内部事情はよく知っているのですが、このイベントにはなんと2日間で1200人以上のボランティアが参加し、それらボランティアによってこのイベントは成り立っています。



そしてボランティアなので、勿論「無償」です。では、何故ボランティアはこのイベントに参加するのか?



これに答えることは非常に難しいと言わざるを得ないんだけど、何人かのボランティアにインタビューしてみたところ、皆一様に口を揃えて言う事は、「この街の建築が好きだから、この街が好きだから」ということでした。



シンプルかつ単純、、、だけど多分これがキーポイントだと思います。



オープンハウスに限らず、この様な大型イベントを成功させる鍵、それはその街に住む人たちの街への愛着、建築への愛着にあるのだと思います。



そしてそのようなシビックプライドは短期間で育つものではなく、非常に長い年月を掛けて育つものであり、その基礎になるのは生まれた時から変わることの無い風景、自分と共に育ってきた街角や記憶といったものと共に成長するということを、僕はスペイン北部に存在する小さな村から学びました(地中海ブログ:ガリシア地方で過ごすバカンス:田舎に滞在する事を通して学ぶ事、地中海ブログ:レセップス広場改修工事(Remodelacion de la Plaza Lesseps)に見るバルセロナモデル(Barcelona Model)の本質、地中海ブログ:パン屋さんのパン窯は何故残っているのか?という問題は、もしかしたらバルセロナの旧工場跡地再生計画を通した都市再活性化と通ずる所があるのかも、とか思ったりして)。



今回のオープンハウス、そしてそれに伴うマネジメント、さらにはそれを支えるボランティアの存在とその動機は、「2020年にオリンピックを控えている我々日本人にとっても大変示唆的だよなー」とか思いながら、今年も素晴らしい2日間が過ぎていきました。
| 建築 | 17:34 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
何故バルセロナオリンピックは成功したのか?:まとめ
スペイン北部(ガリシア)に広がる大自然の中で、ど田舎生活を満喫しているcruasanです。



とりあえずバケーション初日の昨日は、家の真ん前にある昔ながらのパン釜を使っているパン屋さんにパンを買いに行ってきました。



毎朝8時と13時キッカリにパン釜から出されるこのパンは、外はカリッとしてるのに、中は信じられないほどホクホク。このアツアツのパンに、この地方でとれた濃厚なバターとハチミツ、そしてワインを並べると、もう3つ星レストランも顔負けの食卓に早変わり!しかもこんなに美味しいパンが一本1ユーロ(100円程度)。田舎サイコー!!



さて、僕が田舎生活を満喫している最中、世界中の人々の眼を釘付けにしていたのがブエノスアイレスで開かれたIOC(国際オリンピック委員会)総会であり、皆さんご存知の通り2020年のオリンピック開催都市は東京に決定したのですが、(その事を受け)早くも僕の所に幾つか質問らしきものが来ているので今日はその話題を取り上げようと思います。



まあ何の事はない、オリンピック史上最も成功した事例の1つとして語られている「バルセロナオリンピックについて」、更にはその際に行われた「都市計画と都市戦略について」なのですが、「オリンピックを契機としたバルセロナモデルについて」は、当ブログで散々書いてきた通りだし、逆に言えば当ブログで書いてきた以上の事があるとは思えないので、それを僕の視点から少し纏めておこうかなと思います。

(注意)僕の視点というのは、バルセロナ市役所そしてカタルーニャ州政府に勤めた経験を踏まえて、「バルセロナの外側から」というよりは、「バルセロナの内側から実際にバルセロナの都市計画を担当、実施した立場から見たらどう見えるか?」という文脈です。



バルセロナという都市がオリンピックを契機として大成功を収めた理由、それは先ず、この都市がおかれた歴史的背景を考慮する必要が多分にあると思います。というか、僕の眼から見たらそれが全てだと言っても過言ではありません(地中海ブログ:もう一つの9月11日:カタルーニャの場合:グローバルの中に息づくローカリティ、地中海ブログ:(速報)カタルーニャ州議会選挙2012:カタルーニャ分離独立への国民投票は実施されず!)。



70年代半ばまで続いたフランコによる独裁政権時代、バルセロナは中央政府に嫌われていた為に教育や医療を含む都市インフラへの投資が十分に行われず、生活インフラの多くの部分を近隣住民自らが組織化しなければなりませんでした(地中海ブログ:バルセロナモデルと市民意識、地中海ブログ:レセップス広場改修工事(Remodelacion de la Plaza Lesseps)に見るバルセロナモデル(Barcelona Model)の本質)。



この時の経験がバルセロナにおける近隣住民ネットワークを(世界的に見て)大変特別なものに押し上げ、ボトムアップ的に(教育や病院の)カリキュラム(=ソフト)を自らで構築する事を可能にしたんですね。重要なのは、それら適切なプログラムが作られた後で、「建物としての形」を与える為の資金が流れ込んできたという順序です(オリンピック誘致が決定したのは1986年)。つまり「ソフト(=プログラム)ありきのハード(=建築)」を計画する事が出来たということなのです。普通は反対で、「ソフト無きハード(=箱モノ)」になりがちなんだけど、バルセロナの場合は歴史的背景からその過程が逆になり、正にその事が功を奏したということです。



また、この地方特有の問題としてよく取り上げられる「アイデンティティ」という観点から、1975年まで続いたフランコ政権が崩壊し民主主義に移行するにあたって、カタルーニャに言語や文化を含む表現の自由が認められたということがバルセロナオリンピック開催にあたって非常に大きな意味を持っていたと思います。



中央政府により押さえつけられていたカタルーニャの社会文化的アイデンティティが解放された当時(1970年代後半)、カタルーニャ社会全体を包んでいた高揚感が凄まじかった事は想像に難くありません。昨日までは自分達の言語(カタラン語)をしゃべろうものなら投獄され、外国語(カステリャーノ語)を使用する事を強要されていたのに、今日からはパブリックスペースで誰とでも「自分の言語で自由に話す事が出来る」、「自分の言語で書かれた本を読む事が出来る」といった状況が生まれた訳ですから。



こういう所から「公共空間「と「政治」が結び付き、南欧都市におけるパブリックスペースの重要性というものが立ち現れ、更には市民の間に公共空間の重要性が経験として共有される事になるのだと思います(地中海ブログ:美術の商品化と公共空間: Manuel J. Borja-Villel、地中海ブログ:FC Barcelona(バルサ)のマーケティングがスゴイ:バルサ・ミュージアムに見る正に「ゴールは偶然の産物ではない」)。



言語を通した社会変化という事についてもう少しだけ触れておくと、民主主義への移行直後というのは、カタラン語をしゃべる事が単なるファッショナブルだったのではなく(今、カタルーニャでカタラン語を使っている多くの若者は、歴史的認識やアイデンティティ、もしくは1つの政治的主張というよりも、「それ(カタラン語をしゃべる事)がカッコイイから」という意識が強い)、人間的で根源的な喜びですらあったのだと思います(地中海ブログ:カタルーニャの夢、地中海の首都:地中海同盟セレモニーに見る言語選択という政治的問題、地中海ブログ:スペイン語の難しさに見るスペインの多様性:ガリシア語とカステリャーノ語)。



そんな社会的に盛り上がっていた雰囲気の中、オリンピック開催という大きな目標を与えられ、「カタルーニャを世界地図の中に位置づけるぞ!」という気概の下、市民が一丸となってそれに向かっていったという背景こそ、バルセロナオリンピックが成功した1つの大きな要因であると僕は思います。というか、先ずはここを押さえなければバルセロナオリンピックの全貌を語る事は出来ません(この様な視点の欠如こそ、下記に記す魅力的なキーワードをちりばめた都市計画手法にのみ着目した多くの論考に見られる特徴の1つでもあるのです)。



で、(ここからは神憑っているんだけど)それら市民の思いを1つに纏め上げる圧倒的なカリスマ性を持ったリーダーが出現したということは非常に大きかったと思います(地中海ブログ:パスクアル・マラガイ(Pasqual Maragall)という政治家2)。当時のカタルーニャの政治に関して非常に面白いと思うのは、カタルーニャ左派(PSC)、右派(CiU)に関わらず、彼らの目的は「カタルーニャという地域をヨーロッパで最も魅力的な地域にすること」と共通していたことかな(地中海ブログ:欧州議会選挙結果:スペインとカタルーニャの場合:Escucha Catalunya!)。



更に、今回のマドリードによる2020年オリンピック誘致活動とは根本的に異なる点を指摘しておくと、フランコ時代から民主化移行を見越して世界中にちりばめられた政治的/知的ネットワークを駆使してオリンピックを成功に導いたその政治力ですね(地中海ブログ:国際オリンピック委員会(IOC)前会長のフアン・アントニオ・サマランチ(Juan Antonio Samaranch)氏死去、地中海ブログ:東さんの「SNS直接民主制」とかマニュエル・カステル(Manuel Castells)のMovilizacionとか、地中海ブログ:欧州工科大学院(EIT)の鼓動その1:マニュエル・カステルとネットワーク型大学システムの試み、地中海ブログ:サスキア・サッセンと世間話で盛り上がったディナー)。



この様な歴史的背景に後押しされつつ、戦略的に都市計画を成功に導いていったのが、カタルーニャの建築家達が長い時間を掛けて練り上げていった都市戦略/都市計画です。例えばそれは、大規模イベントを利用して(長期的に目指すべき「都市のかたち」に基づきながらも)その都度局所的な都市計画を成功させてきたということが先ずは挙げられるかな(地中海ブログ:バルセロナのイベント発展型都市戦略とGSMA2010(Mobile World Congress 2010))。



1888年の国際博覧会ではそれまで中央政府(マドリード)による占領のシンボルだったシウダデリャ要塞を都市の公園に変換する事に成功し、1929年の国際博覧会では都市インフラとモンジュイックの丘の整備といったことなどですね(地中海ブログ:バルセロナ都市戦略:イベント発展型)。



また大規模な範囲を一度にスクラップ&ビルドするのではなく、「やれる事からやる、やれる所から手をつける」という現実的な計画からコツコツと始めたこと。つまりは小さな公共空間から車を排除しつつ木々を植え「公共空間を人々の手に取り戻す」という様に、市民に「我々の都市が日に日に良くなってきている!」と実感させた事は大きいと思います。



又、それら小さな公共空間を都市全体に挿入しつつ、それらをネットワークで結ぶ事によって、地区全体を活性化することに成功しました(地中海ブログ:グラシア地区祭り:バルセロナの歩行者空間プロジェクトの責任者だったけど、何か質問ある?)。これは言ってみれば、白黒(ネガ・ポジ)を反転させて都市における公共空間の重要性を視覚的に浮かび上がらせた「ノリーの図」を具体化したアイデアだと言う事が出来るかと思います(地中海ブログ:フランクフルト旅行その3:広告としての緑の都市計画)。



更に言えば、これら個々の都市計画の裏側には、色あせることの無い大変秀逸なバルセロナの都市戦略が横たわっています(地中海ブログ:大西洋の弧:スペインとポルトガルを連結するAVE(高速鉄道)について、地中海ブログ:ヨーロッパの都市別カテゴリー:ブルーバナナ(Blue Banana)とかサルコジ(Nicolas Sarkozy)首相とか、地中海ブログ:カタルーニャの打ち出した新しい都市戦略:バイオ医療( BioPol, BioRegio)、地中海ブログ:地中海連合(Union pour la Mediterranee)の常設事務局はバルセロナに)。



これは、バルセロナという「都市単体」ではなく、「地中海を共有する都市間」で恊働し、その地域一帯としての競争力を高めることによって、パリやロンドンといったメガロポリスに対抗するというアイデアです(地中海ブログ:Euroregion(ユーロリージョン)とカタルーニャの都市戦略:バイオ医療を核としたクラスター形成、地中海ブログ:シティ・リージョンという考え方その1:スンド海峡のエレスンド・リージョンについて、地中海ブログ:地中海の弧の連結問題:ペルピニャン−フィゲラス−バルセロナ間の高速鉄道連結計画の裏に見えるもの、地中海ブログ:バルセロナの新たなる都市戦略:ビルバオから学ぶバルセロナ都市圏再生の曙)。

これら上述した全てのことがらが複雑に絡み合いながらも絶妙なハーモニーを醸し出し、オリンピック開催という目標に向かっていった末に生み出されたのがバルセロナオリンピックの大成功だったのです。

では逆に、バルセロナオリンピックによって引き起こされた「負の面はないのか?」というと‥‥勿論あります。先ず挙げられるのはオリンピック村についての批判ですね。



ビーチと中心市街地に地下鉄一本でアクセス出来るエリア(Ciudadella Villa Olimpica)に選手村を大々的に建設し、オリンピックが終わった暁には低所得者向けのソーシャルハウジングとしての活用を謳っていたのに、蓋を空けてみれば中産階級向けの高級アパートに化けていたことが当時モーレツな批判を浴びていました(地中海ブログ:世界一美しい図書館:ポンペウ・ファブラ大学(Universitat Pompeu Fabra)図書館の一般立ち入り禁止エリアに入ってきた)。



また、「バルセロナ」というブランド=イメージを確立する為に、中心市街地から「汚いイメージ」=貧困層や移民、売春婦や麻薬関連などを駆逐し、市外や市内の一区画へ強制的に集めた結果、スラムが出来てしまったこと(地中海ブログ:バルセロナの中心市街地で新たな現象が起こりつつある予感がするその3:街頭売春が引き起こした公共空間の劣化、地中海ブログ:カタルーニャ州政府がスペイン初となる公共空間における売春を取り締まる規則を検討中らしい)。



更に悪い事に、極度の観光化の結果、歴史的中心地区はジェントリフィケーションに見舞われてしまいました(地中海ブログ:バルセロナの中心市街地で新たな現象が起こりつつある予感がするその1:ジェントリフィケーションとその向こう側、地中海ブログ:ビルバオ・グッゲンハイム効果とジェントリフィケーション、地中海ブログ:バルセロナの中心市街地で新たな現象が起こりつつある予感がするその2:逆ジャントリフィケーション)。



そしてこの様な「バルセロナの大成功」を真似ようとし、幾つかの都市が「バルセロナモデル」を輸入したんだけど、今まで述べてきた様な歴史的/文化的/社会的背景を全く考慮せず表面的に真似ただけだったので、元々そこに存在した既存の都市組織(Urban Tissue)が破壊されてしまったこと(地中海ブログ:パン屋さんのパン窯は何故残っているのか?という問題は、もしかしたらバルセロナの旧工場跡地再生計画を通した都市再活性化と通ずる所があるのかも、とか思ったりして)。

こんな所かなー。

これから先、オリンピック関係でバルセロナの都市計画、都市戦略、もしくはそれらに付随した「バルセロナモデル」について多くの論考が出てくるとは思うんだけど、それらは全て上記の何れかに分類出来ると思います。



あー、久しぶりに頭使ったらなんかすごく疲れちゃった。赤ワインと生ハム食べて寝よ。
| バルセロナ都市計画 | 00:59 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ルイス・カーンのイェール大学英国美術研究センター(Center for British Art and Studies, Yale University)

前々回のエントリ、ルイス・カーンのイェール大学アートギャラリー(Yale University Art Gallery)の続きです。

ルイス・カーンの処女作であるイェール大学アートギャラリーから道を渡って直ぐ(真正面)、今度はカーンの遺作となったイェール大学・英国美術研究センターを訪れてみたいと思います。

ステンレス・スチール仕上げのパネルが規則的に並ぶ外観は、先程のアートギャラリー同様、大変静かな表情で我々を出迎えてくれます。一階部分に入っているAtticus Bookstore Cafeという本屋さんにはレストラン&カフェが併設されていて、イェール大学に滞在されていたnikonikoさんが「この街(ニュー・ヘイブン)で美味しいサンドイッチを出すカフェ」として紹介されていたお店です。

上の写真は南側から見た所なんだけど、向こう側に見える橋みたいなのは情緒が溢れまくってるイェール大学の校舎。そして道路を挟んで右手側に見えるのは言わずと知れたスターバックス。さすが創立1701年のイェール大学!スタバも情緒に溢れまくってる気がする(笑)。

さて、英国美術研究センターへはスターバックスの目の前、角っこがポッカリと空いている場所からアプローチする事になります。この辺は「非常に巧いなー」と思うところなんだけど、入口を「真っ正面に大々的につくる」のではなく、端っこにひっそりと、そしてさりげなく設けているんですね。ちなみに真正面にあるイェール大学・アートギャラリーの屋上から見たところがこちら:

トップライトが整然と並んでいるのが見て取れます。斜め前に建っているポール・ルドルフ設計のイェール大学芸術・建築学部棟側から見ると、カーンの処女作と遺作をこんな感じで見ることが出来ちゃう特典付き:

カーンの代表作2つとポール・ルドルフの建築が集まっている交差点は建築好きのメッカと言っても良いのではないでしょうか。もう一つちなみに、入口とは反対側の角っこ(つまりはポール・ルドルフ側)には地下へと降りて行く階段が備え付けられていて、街路レベルから一段下がった所にはレストランが併設されていました(なかなか良さそうな雰囲気だったけど、実際に入って食べてないから美味しいかどうかは不明)。

と、、、そんな事を思いつつ、イヨイヨ中へと入って行ってみます。

エントランスの扉をくぐると展開しているのがこの風景:

で、出たー!カーンの真骨頂、真上から振り注ぐ圧倒的な光の筒の登場〜。「いきなり来たか!」という感じなのですが、やっぱりこの真上からの光、しかもこれだけの量が一気に降り注ぐというはちょっと凄い。灰色のコンクリートの柱梁、そして温もりを感じさせてくれる明るい色を基調とした木材が絶妙なハーモニーを醸し出し、素晴らしい空間を構成しているのが分かります。

ちょっとずるい言い方かもしれないけれど、ここに展開されている空間の素晴らしさは、どんなに沢山の写真を載せても絶対に伝わらないと思います。やはり建築は実際に現地を訪れて自分の目で見て雰囲気を確かめ、そして物質を触ってみたりして、、、といったように、五感全てを使って体感しないと分からない芸術形式だな、、、と。そんな中でも、このエントランス空間を特別なものにしているのがこのデザインかな:

エクセター図書館でも見た、非常にぶ厚いコンクリートの量塊なんですね(地中海ブログ:ルイス・カーンのフィリップ・エクセター・アカデミー図書館(Phillips Exeter Academy Library):もの凄いものを見てしまったパート3:「本を読むとはどういう事か?」と言う根源を考えさせられた空間体験)。この厚み、そしてこの重厚感、そこにズドンという光の塊が合わさる事によって、この空間に「神懸かり的な「なにか」」を与えることに成功していると思います。まあ、エントランス空間にボイドを持ってくるのはある種の常套手段だとは思うんだけど、他の建築に見られる様に「ただ単に天井が高いだけ」っていうのとは全く違った空間の質がこの建築には見受けられるんですね。

「あー、この素晴らしい空間にずっと身を置いていたい」、本当にそんな気持ちにさせてくれる空間なんだけど、ここだけに居続けるわけにもいかないので、後ろ髪惹かれる思いで渋々2階へ行ってみる事に。で、この美術館のちょっと変わっているところは、2階へ行く為には小さな円柱形の階段室を通って行かなければならない所です:

「ほう、そ、そうなのか、、、」とか思いつつ、この薄暗く狭い階段を上っていってみます。デザイン的にはカーン後期の特徴であるキンベル美術館などで見られるトラバーチンとスティールの組み合わせの非常にスッキリしたデザイン。それを確認しつつ、2階に辿り着いたところに広がっているのがこの風景:

真っ正面に空いている2つの長方形の窓からは、さきほど下の階で見た「光の筒」が見通せるようになっています。背後に光の筒を用意しておいて、その光の束を壁に穿った穴から見せるように仕向けるのはシザがマルコ・デ・カナヴェーゼス教会で使っていた手法を彷彿とさせます(地中海ブログ:アルヴァロ・シザの建築:マルコ・デ・カナヴェーゼス教会の知られざる地下空間:真っ白な空間と真っ黒な空間)。

←まあ、時代的にはカーンが先でシザが後ですが。。。

全体の感じとしては、天井はフラット&天窓が無いのでどちらかと言うと薄暗く抑圧された感じを受けるんだけど、(正にその事が)さっき下階で見た光で満ち溢れていた吹き抜け空間と好対照を成しているかの様ですらあります。

そんなことを思いつつ、まずは先程見た光の筒で満たされているパティオの周りを回って見ることに。

基本的には、パティオとそこから漏れる光を中心として展示空間が展開しているという空間構成かな。道路に面している側面は壁として塞がれているので、この階の展示空間に入ってくる光源としては、先程のパティオからのものがその殆どと言ってもよいかと思われます。

で、実はこの階にはちょっとした仕掛けがあってですね、、、それがコチラ:

そう、円柱の階段室を出て振り返り様に歩いて行くと、さっき見たのと同じ様な吹き抜けがこちら側にも用意されているんですね。しかしこちら側のパティオには、空間のド真ん中にコンクリの円柱が「でーん」と居座り、まるでこの空間の主役であるかの様に振る舞っているという違いがあります。

このコンクリの円柱の存在感は圧倒的!そして勿論、さっき見た光の筒が降ってくる空間とどうしても比べてしまう‥‥つまりは「光の筒側のパティオ」では「光という目には見えない物質」が空間を形成し、コンクリ中心のパティオのこちら側では「人間が作ったコンクリの塊という目に見える物質」が空間を形作っている‥‥と、ここで少し補助線を引いておきます。

更にもう一つ付け加えておくと、光の筒のパティオでは天窓から「これでもか!」と大量の光が降り注いできてたんだけど、こちら側のパティオの天窓からの光はかなり絞られています。最後にもう一点。

この円柱なのですが、よーく見ると一階ごとに目地が付いていて、それが最上階だけ低くなっている事が分かります(‥‥と、ここでもう一本、補助線を引いておきます)。こちら側のパティオ(コンクリ中心パティオ)の空間構成がちょっと面白くて、円柱を中心とした吹き抜け空間を挟んで両側に図書室と資料室が備え付けられているんですね:

エクセター図書館でカーンが見せた、本を読む人の事を考え抜いた、光溢れる大変居心地の良い空間がここにはあります。

机のスケール、窓の高さ、照明との関係‥‥この空間を構成するそれら全てのファクターがこの上無いハーモニーを醸し出し、この空間を特別なものにしている事が分かります。

カーンの建築に対する批評なんかを読むといつも思うんだけど、大量の光を伴った厳格でマッシブな量塊が創り出す「神憑った空間「のみ」」が取り上げられ、それを支えているヒューマン・スケールのデザインが全く出てきません。しかしですね、カーンの建築を読む時は、こういうヒューマン・スケールに基づいた空間、個人レベルにおける人間の感覚を考え抜いた空間がその基礎にあることを忘れてはいけないと思う。それがあるからこそ、それとは対となる「神憑った空間」が生きてくるんだと、僕は強くそう思います。

と言う訳で、先程の円柱階段を通って今度は3階へ行ってみます:

この階は基本的に先程見た下の階と殆ど同じ空間構成になってるんだけど、真っ正面に見える2つの長方形の窓、そして階段室を出て振り返り様に2つの窓から見える風景が、僕達の居場所を教えてくれる羅針盤となっています。


ほら、さっき下の階に居たおじさんが見える。しかも居眠りしてる(笑)。

上の階も下の階も空間構成としては全く変わらないんだけど、この窓から見える風景が違う事によって、「今は上の階に居るんですよー」っていう事が分かる仕組みになっています。

←迷いがちな建築空間(都市空間)の中において、「いまはこの地点にいますよー」っていうナビゲーション機能は結構重要。

という訳で、今度はイヨイヨ最上階を訪れてみます。先程までと同様に円筒形の階段室を上っていくと、あることに気が付きます。「あ、あれ、、、この階の階段室だけ扱いが違うな、、、」と。

天窓を覆っているガラスブロックからは木漏れ陽が落ちてきて、更にこの階だけ微妙に天井高が下階とは異なっているですね(この階だけ天井高が低い)。その結果、4階へと導かれる階段室を訪れる時には、「この空間で抑圧される」という感覚を受けることになるのです。そしてこの円柱階段室を出た所に広がっているのがこの風景:

じゃーん!天窓からは光が溢れ、天井高が「これでもか!」と高くとられている、えも言われぬ空間の登場〜

……っていうか、こ、これは、、、ちょっと凄いぞー。。。光が溢れている‥‥。

そう、2階、3階と天井をフラットにしている理由、そしてこのクライマックス空間の前室的な扱いになっている階段室の天井高が少し低くなっている理由、それらは全て、この最上階にある展示空間を開放的に、そしてドラマチックに見せる為の演出だったのです!そして圧巻なのが、こちらの構造体:

見たこともないくらい重厚で肉厚なコンクリの塊が、「これでもか!」と、溢れる光に「なにかしらの力のようなものを与えている」かのようなのです:

「空間というのは光で構成されているんだ」という当たり前なんだけど忘れがちな事実を思い知らされる気分です。そしてその様な「光」を「空間に与えている」のは紛れも無い「構造体」だと言う事も。まさに:

「構造体は光を与え、光は空間を創る(Structure gives light, makes space, Louis Kahn)」

この空間デザインのテクニカルな部分を指摘しておくと、例えばこの梁なんかは、天井から下方にいくに従って三角錐台のような形をしているのですが、この形こそが、上方から降ってくる光が「如何に下方に拡散していくのかを視覚化する装置」となっていることに気が付きます。これはバロック建築が彫刻などを用いて実現する光の視覚化手法に他ならないことは、当ブログで散々論じてきたところです(地中海ブログ:ベルニーニ(Bernini)の彫刻その3:サンタンドレア・アル・クィリナーレ教会(Sant'Andrea al Quirinale):彫刻と建築の見事なアンサンブル)。

そんなことを考えながら、この光の筒のパティオの周りをぐるっと回ってみます:

やっぱりこの天井高と、そこから燦々と降ってくる光、そしてこの重厚な構造体がこの階の展示空間を他の階とはまるで別物にしていることが分かります。

また、この階だけは街路方面に幾つかの窓が開いていることも確認出来ます。大きな窓からは真正面に位置しているアートギャラリーが見えます。

更に圧巻なのがこちらの空間:

下階では図書室と事務室が入っていたところがぶち抜きで大広間を構成しています。横一杯に広がっているこの空間は、光の筒で満たされているパティオと、円柱のコンクリが中心にあるパティオ、それら二つのパティオを繋ぐ役割を果たしているんだけど、それら二つのパティオを行ったり来たりしている時、僕はあることに気が付いてしまいました。

「あ、あれ、、、このパティオ、一方には光の量塊が、、、もう一方にはコンクリの量塊があるな。。。」、、、と。

←いや、そんなことは最初から分かっていたし、上の方で散々書いた通りなんだけど、じゃあ、なんでカーンはわざわざそんなことをしたのかな、、、と。

←そう思ってしまったら最後、納得の行くまでこの空間を行ったり来たりしなきゃ気が済まないのがcruasanの可愛いところ(笑)。

←ちなみにグッゲンハイム美術館でリチャード・セラの彫刻とゲーリーの空間の取り合いを理解する為に、セラの彫刻の前を6時間くらい掛けて20往復し、警備員に不審がられたのは僕です(笑)(地中海ブログ:ビルバオ・グッゲンハイム美術館とリチャード・セラの彫刻:動くこと、動かないこと)。

と言う訳で、今回も3時間くらい掛けて30往復くらいしたところで、「はっ」と気が付いてしまいました。「あ、あれ、やっぱりこの二つの空間、構成的には全く同じことをやっているのではないか、、、」と。「で、でも、、、同じフレームワークで同じことをやっているんだけど、空間を構成している目に見える物質が違う、、、」と。

そーなんです!カーンはここで全く同じ構成の空間(ボイド)に全く違う二つの物質を満たすことによって、我々に世界の見方、物質の成り立ちを暗示しようとしているかのようなんですね。つまりは、一方では光で構成されている空間を(上の写真)。

もう一方では、コンクリの塊が「これでもか!」と存在感を表している空間(パティオ)をです。

←では、カーンはここで何が言いたかったのか?つまりは何を我々に見せたかったのか?

←それは空間に充満している物質、我々の空間を形作っている構成物質の原型を見せたかったのではないでしょうか?

つまりは一方の空間では、空間の中に充満しているんだけど目には見えない「光」という物質が空間を作っているという事実を視覚化し、もう一方では、その空間を作っている光を「コンクリ」という目に見える物質に置き換えて空間の中に置くことによって、我々に光と言う物質の存在を確認させているかのようなのです。そしてこれら二つの空間はそのまま「精神的な空間」と、「物質的な空間」と言い換えることも出来ます。

、、、これらの読み、この建築の解釈が当たっているのか間違っているのか、それは僕には分かりませんし、そんなことは僕にとってはどうでも良いことなのです。僕はこの空間を実際に訪れて、そう感じ、空間の意図をそのように読み取った。それこそが重要なんですね。そのような体験と、その体験に基づいた独自の解釈は、本や写真から得たのではない知識として今後の僕の建築家人生において確実な糧となってくれるからです。

それにしてもこの空間はちょっと凄い。今まで世界各地で色んなものを見てきたけど、この様な質を持った空間は初めて、、、かな。それと同時に、「こういう空間の物語の創り方もあるんだ」という事を教えられた気がしました。

何度でも繰り返すんだけど、ルイス・カーンの建築は、その建築の初源をトコトン追求した上で空間が構成されているので、その空間を通して人間活動の根源的な所を考えさせられます。そしてカーンの神掛った空間は、その空間に身を置く人間のことを考え尽くし、人間の為に創られたヒューマンスケールの空間があるからこそ、それとは全く反対側にある(神掛った)空間が活きてくる、とそう言うことが出来るかと思います。

その様な奥深さ、そこにこそ、カーン建築の素晴らしさがあるのです。

追記:

2018年7月6日から8日に掛けてイェール大学を訪れる機会があり、カーンの建築を再び体験することが出来ました。前回(2013年)は半日の滞在だったので、かなり駆け足でイェール大学周辺の建築を巡っただけだったのですが、今回は丸々2日間建築巡りに費やすことができ、カーン建築だけでなくSOMの図書館やサーリネンのアイスホッケー場なんかも訪れることが出来たんですね。

ポール・ルドフル設計のイェール大学芸術・建築学部棟では、思い掛けず卒業設計展を開催中だったのは嬉しかったかな。

また、芸術・建築学部の図書館なんかも自由に入れました。ここから15分ほど歩くと、サーリネン設計のアイスホッケー場が現れてきます:

このダイナミッックな建築形態は圧巻!夏なのでアイスホッケーはやっておらず、中に入れなかったのは非常に残念!更にそこから徒歩数分のところには、SOMが手掛けたベイネック稀覯本図書館(Beinecke Rare Book and Manuscript Library)が姿を現します。

構造が結構面白い:

内観はこんな感じ:

貴重な書籍はガラスに覆われた中央に配置されています。この図書館のシステムとしては自分で本を取りに行くのではなく、司書さんにリクエストして彼らが運んで来てくれるそうです。で、建築デザイン的には、薄くスライスした大理石を壁面に用いることによって光を浸透させることに成功しています:

古代ギリシャのパルテノン神殿なんかはこんな感じで大理石をスライスして内部に光を入れていたって昔聞いたことがあったけど、こんな感じだったのかなー、とか思いに耽ってみる。

で、いつも思うんだけど、欧米の有名建築を訪れると、かなりの確率でその建築を設計した建築家を賞賛するセクションがきちんと取られているんですね。例えばカーンなんかは、他の美術作品と一緒に平面図なんかが「芸術作品として」展示されてたりする訳ですよ。

そうこうしているうちにお腹がへってきたのでランチをとることに。全く知らなかったんだけど、イェール大学があるNew Havenはピザが名物らしく、全米でも五本の指に入るピザ屋さんがあるというのでレッツゴー!正直半信半疑だったんだけど、これがなかなか美味しかった!バルセロナで食べてたナポリ風ピザとはまた違った良さがありました。僕が行ったピザ屋さんの名前は、Yorkside Pizza。図書館の真ん前にあります。

| 建築 | 23:57 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
フランク・ゲーリーの建築:MITのスタタ・センター(Stata Center)
ボストン(ケンブリッジ)2週間目の今週も、あっという間に時間だけが過ぎていき、気が付いてみればもう週末!週始めのボストンは気温が急に下がり始め、厚めのトレーナーが必要なくらいだったのに、後半は一転して気温がぐんぐん上がり始め、昼間なんてそれこそ半袖で十分なくらいの夏日が続いていたんですね。聞く所によると、今頃から冬にかけて、気温が上がったり下がったりしながら本格的な冬に突入していくらしい。



今週火曜日は9月11日だったので、「アメリカでは何かしらの動きがあるのかな?」と思いきや、驚くほど何も無く、それはそれでちょっと肩透かしを食らった感じでした。



その一方で、日本でも大々的に報じられている様に、バルセロナを中心とするカタルーニャ州では大規模なデモが行われ、「独立への気運が高まっている」と各種メディアは伝えています(カタルーニャ州にとって9月11日がどんな日であるか?についてはコチラ:地中海ブログ:もう一つの9月11日:カタルーニャの場合:グローバルの中に息づくローカリティ)。スペインの新聞によると、今回のデモに参加した人は中央政府の発表で60万人、警察の発表だと150万人にも及んだのだとか。もし明日、「独立か否か」の国民投票が行われたら、「独立に投票する」と答える人が過半数を超えるっていうデータも出てるし、カタルーニャ州政府大統領もかなり意気込んでるみたいなんだけど‥‥うーん、もし本当にスペイン政府が「独立しても良いよ」って言ったら、困るのはカタルーニャの方だと思うんだけどなー。



歴史的に見て、確かにカタルーニャ州には独立するだけの理由があると思うし、税金が必要以上に搾取されてっるって事も確かだとは思うんだけど、その事と、本当に独立するのか?って言う事は分けて考えた方が良いと思います(地中海ブログ:スペインの民主主義始まって以来の歴史的なデモ:新カタルーニャ自治憲章案に関して)。だいたい、「独立、独立」って叫んでる大部分のカタラン人達は、「独立」って言う言葉に振り回されてるだけであって、「具体的にどうやって独立するのか?」もしくは「その後、一体どういう事が起こるのか?」って事を全く考えて無いっぽい(苦笑)。本当に独立とかになったら、それはそれで困ると思うし、カタラン人達にとっては不幸だとも思いますよ。

まあ、この話をしだすと長くなるので、又別の機会に。

さて、今日はMITのキャンパスの中でも最も目立つ建物の1つ、スタタ・センター(Stata Center)に行ってきました。



この建築をデザインしたのは泣く子も黙る建築界のスーパースター、フランク・ゲーリー。



中に入っているのはコンピュータ・サイエンス学部と人工知能学部だと聞いてたんだけど、たった今検索してみたら、どうやら言語学部もStata Centerの中に入ってて、チョムスキーのオフィスもそこにあるらしい。な、何―!そうなのかー!聞いてないよ〜。彼がいるのはどうやら8階。早速明日行って探してみよう。



何だかんだ言って超有名建築家であり超売れっ子であるゲーリーの作品は今まで結構見てきたんだけど、彼が創ったオフィス型の作品の中に入るのは今回が初めて。ビルバオのグッゲンハイムは美術館だし、バルセロナにあるお魚は彫刻、プラハで見たダンシングハウスはオフィス&集合住宅っぽかったけど、プライベートな建物だったので中には入れませんでしたしね。



そんなアメリカでの初ゲーリー体験、その第一印象は‥‥良く言えばゲーリー節炸裂!悪く言えば見事なまでにグチャグチャ‥‥かな(笑)



しかしですね、これだけバラバラ&グチャグチャなのにも関わらず、不規則な中にもそれなりの統一感があって、更に一目で「これがゲーリーの作品だ!」と判別出来る、そのレベルにまで建築作品の質を上げる事が出来ているのは流石だと思います。ピカソが描く女性の顔が、あれだけグチャグチャでも、全体としてみれば人間に見えるっていうのとある意味通じる所があるかな(地中海ブログ:バルセロナ・ピカソ美術館の企画展:「秘められたイメージ:ピカソと春画」その1:ピカソ美術館が好企画展を連発する裏事情、地中海ブログ:バルセロナ・ピカソ美術館の企画展:「秘められたイメージ:ピカソと春画」その2:キュビズムの萌芽は春画にあった?)。



ちなみに上の写真で中央付近に人だかりが出来ているのは、近くの農家の人達が無農薬野菜みたいなものを持ち込んで、学生や先生達に直販売してる所っぽい。もう1つちなみに、その右横に見える建物は、今後僕が通う事になるだろうジム。ボストンの冬は本当に寒いっぽいから、寒くなったらここに温かいシャワーを浴びに来ようと計画中(笑)。ちなみにこのジム、一通りのトレーニング器具は勿論の事、プールやフィットネスなんかもあって、更にタオルまで貸してくれて年間費はたったの255ドル。や、安い!バルセロナで僕が通ってたサグラダファミリア前のジム、一ヶ月60ユーロくらいだった気がする。実に3倍!



さて、この建築の「奇異性」が良く分かるのが、この建物を反対側から見た時だと思うんだけど、丁度隣に四角い普通のビルがあるので、それと比べると「如何にこの建物が変わっているか?」という点が浮き彫りになると思うんですね。



僕が彼の建築を評価するのは、「グチャグチャの中にも礼儀あり」じゃないけど、そういう基本ラインみたいな所がきちんとクリア出来ているからです。それが出来ていなかったら単なるお遊びだし、もっと言っちゃうと、最近の一筆書きの建築や、「派手でありさえすればいい」みたいな建築にはそういう基本的な所が出来てない建築が多過ぎると思ったりするんですよね。ゲーリーの建築は明らかにその点が違うと思います。上にピカソの例を出したので、またまたピカソを引いちゃうと、晩年の彼はこんな事を言ってたりします:

「音楽家に神童はいるが、画家にはありえない」(パブロ・ピカソ)

つまり幾ら才能があっても、アカデミックな修練=絵画の世界に存在する「お約束」を身に付けなければ画家にはなれないと、こう言ってる訳なんですね。そして彼曰く、「自分はそれを克服するのが非常に早かった」と(詳しくはコチラ:地中海ブログ:国際博物館の日(International Museum Day)とピカソ美術館(Museo Pisacco)その1:ピカソとバルセロナの都市戦略)。



まあ、マーケティングの天才、ピカソの発する言葉は時として注意して聞かなきゃいけないとは思うんだけど(苦笑)、この「お約束」に関しては大変的を得ていると思いますね。このエントリでは「ゲーリーがどんな風にお約束を果たしているか」という細部に立ち入る事は敢えてしないけど、ちょっとだけ例を挙げるならコチラ:



車の往来が結構激しいこちら側の通りから、あちら側に展開しているキャンパス内に抜ける際に、足下を大きく開け、その空間をかなり特別扱いしているのが見て取れるかと思います。つまり、こうする事で「ここから別世界の中へ入って行くんだぞ」という、特別な空間への誘いを強調しているんですね。「静のデザイン」が文化的な特徴を表している日本の様な文化圏においては、入り口は慎ましやかに設えられる事が多いんだけど、アメリカではかなり大胆に、そして明確にその特異性が表現されています(地中海ブログ:歩いても、歩いても(是枝裕和監督):伝統と革新、慣習と感情の間で:リアリズムを通して鑑賞者の眼が問われています)。



そんな事を思いつつグルグルと周辺を回ってみると、自由奔放な形態に窓が規則的に付いてたり、それら多角形が空を面白い形に切り取っていたり、見ているだけで色んな発見があって、とっても面白いなー。



それとは一転、キャンパス内からみたコチラ側は、比較的小さな分節で区切られた形態群が一緒くたになって、まるで大仏様が掌を閉じるかの様に、非常に優しい円を描きながら広場的なものを創り出しているのが見て取れるかと思います。



銀色の楕円形があったかと思ったら、突然黄色い煙突が現れたり、はたまたオレンジ色のビルが彫刻っぽく見えてきたり、様々な形態がそれこそ思うがままに振る舞い、それらが大変不思議なハーモニーを醸し出しています。そして見上げればこの風景:



まるで形態同士が音楽を奏でているかの様な、そんな感じを受けさせるほど、楽しく、そして賑やかな共演がここにはあります。

フムフムとか思いながら、今度はイヨイヨ中へと入ってみます。先ずはメインエントランスから:



2層吹き抜けの大変気持ちの良いエントランスホール。丸く空いた天窓からは光が燦々と降り注ぎ、先程見た彫刻の様な建物が見え隠れしています。



入った直ぐの所には、ムンバイのアーティスト、Anish kapoorによる作品(Non-Object (Plane), 2010)がさり気なく置かれていて、あたかも「科学技術にはアートが必要だ!」みたいな主張をしているかの様ですらあるんですね。まあ、元々MITにはそういう側面があって、だからこそ毎年何人もの世界的なアーティストが工学系大学にVisitingとして招聘されていたりする訳です。ちなみに去年に引き続き今年もカタルーニャが世界に誇るアーティスト、Antoni MuntadasがMITに滞在しています(Antoni Muntadasについてはコチラ:地中海ブログ:ミース・ファン・デル・ローエ・パビリオン(Mies van der Rohe Pabillion)/ バルセロナパビリオンBarcelona Pavillion:アントニ・ムンタダス(Antoni Muntadas)のインスタレーションその2)。



もう1つちなみにキャンパス内のあちらこちらには様々な現代アートが鏤められていて、ヘンリームーアの彫刻とかが普通に置かれていたりします。で、その脇では水着で日光浴してる学生さんとかがいる訳ですよ!お天気が良いし、芝生も気持ち良いので、この辺をビーチ代わりにしたい気持ちは良く分かる!

あー、いかん、いかん、また話が脱線してしまった‥‥。

で、話を元に戻すと、この建築の内部空間の特徴はやっぱりコレかな:



デコンの十八番、斜めの壁と斜めの柱です。

この空間を実際に訪れると(同じデコン組とは言え)ゲーリーの空間とミラージェスの空間とは圧倒的に違うなーと、そういう事を実感する事が出来ます(地中海ブログ:エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)の建築:バラニャ市民会館(Centro Civico de Hostalets de Balenya):内部空間編)。それはどちらが良いとか悪いとか、そういう事では無くて、「単に違うものである」という事なんですけどね。ちなみにピーター・アイゼンマンもデコンの建築家とか言われてるけど、彼の建築空間はハッキリ言って語るに値しないのでボツ(地中海ブログ:ガリシア旅行その5:ピーター・アイゼンマン(Peter Eisenman)のガリシア文化都市(Cidade da Cultura de Galicia):スケボーするには画期的な建築)。



一階部分は吹き抜けが非常に多くて、あちらこちらに予期せぬ穴が空いてたり、色んな形をした箱が天井から不意にぶら下がってたり、天窓から光が漏れてたりと、色んな仕掛けが見て取れます。



キャンパス側にある、もう1つの大きなエントランスを入った直ぐ脇には、レストラン兼カフェが併設されていたりして、コーヒーを飲みながら議論に華を咲かせている学生さん達で大変賑わっていました。



この空間の中で僕が「なかなか良いなー」と思ったのは実はこの点で、この建物の至る所には、机と椅子が備え付けられたオープンスペースが用意されてて、何処ででもパソコンを広げたり、ノートを広げたりして皆でディスカッションする事が出来る環境が整えられているんですね。更にMITのキャンパス内では、誰でも使える無料wifi(観光客の方も可)が飛んでいるので、何処からでも即座にネットに繋げられちゃったりもします。



さて、ここから階段を使って上階へ上がってみる事にします(ここはIDが無いと入れないっぽい)。すると今度は先程までとは又違った空間が姿を現してきます。



外観を構成していた形態とその仕上げがそのまま降りてきて、一枚のガラス屋根を区切りに外部と内部が逆転、外部の仕上げがそのまま内部の仕上げに切り替わるというデザイン。この辺のテクニックを見ていると、「切り返し」というアイデアを構造と絡め、大変見事な解決策を提示したニコラス・グリムショーのウォータールー駅を思い出します(地中海ブログ:ロンドン旅行その8:ウォータールー駅 (Waterloo International Terminal):Nicholas Grimshaw(ニコラス・グリムショー)の建築)。



そしてそれらの「箱」を敢えて途中で止めて、その裾部分だけを少し残す事によって、何かしら空間的な仕切りみたいなものを醸し出している点は非常に上手い。



又、家具や壁に木材を使う事によって、空間に暖かみを与える事に成功してもいますね。ここの空間は外観とは裏腹に、非常に落ち着いた空間となっています。



ハードワーカーで知られるMITの学生達の為に、「勉強ばっかじゃなんだから」という配慮なのか、レクリエーションルームなんかも用意されていました:



で、今回ちょっと面白かったのがコチラ:



流石、工学系世界ランキングNo.1の大学らしく、建物の至る所に研究の成果だと見られるアンテナや、飛行機やらが置いてあるんですね。それが又、ゲーリーが創り出す空間アート的な側面と呼応して、現代アートっぽく見えてくるから不思議です。



さて、上述した様に、フランク・ゲーリーの建築というのは、その建築作品を「単体として見る」というよりは寧ろ、「その建築を核とした都市計画や都市戦略と絡めて見る」時にその威力を発揮します(地中海ブログ:Euroregion(ユーロリージョン)とカタルーニャの都市戦略:バイオ医療を核としたクラスター形成)。大体みんな勘違いしてるんだけど、スペインのビルバオ市はグッゲンハイム美術館のあのド派手な外観だけで成功した訳じゃなくって、その裏に潜む都市戦略がしっかりと練り込まれていたからこそ、あれほどの成功を成し遂げる事が出来たんですね。つまりは、ビルバオはグッゲンハイム効果による「一発屋」なんかでは決して無かったという事なのです。バルセロナが着々と準備しているサグレラ駅にしろ、ゲーリーの派手な建築デザイン以前に、市内における綿密な場所の選定から、駅という新しい機能がその地区に及ぼす効果、はたまた、何も吸引力が無かった地域に新しい核を創り出そうという確固とした戦略がある訳ですよ(地中海ブログ:バルセロナの新たなる都市戦略:ビルバオから学ぶバルセロナ都市圏再生の曙)。



そういう意味においてStata CenterがMITキャンパスのこの位置にある意味、そしてStata Centerの設計者にフランク・ゲーリーを選んだ意味が僕には今ひとつピンと来ません。確かに物珍しさにココを訪れる人は後を絶たなくて、只でさえ観光客の多いMITキャンパスの中においても目玉の1つになってる事は確かだと思うんだけど、それが何故この場所なのか?又、その波及効果がMITのキャンパスを超えてケンブリッジ市、もしくは隣接するボストン市という地域戦略で見た時にどういう効果を齎すのか?そこの所がいまいちハッキリしないかな。

多分その辺は、僕が今後半年間の滞在中にこの街に慣れ、そしてその歴史を学んでいく上で発見すべき宿題だと思っています。

「何も見えてこない」と言う事は、その裏に何も無いんじゃなくて、単にそれを見る人の目が悪いだけなのだから‥‥と信じよう(笑)。
| 建築 | 09:38 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
マドリッドの環状線M30の真上に出現した公共空間:ドミニク・ペローのアルガンズエラ歩道橋(The Arganzuela Footbridge)
前回のエントリ、マドリッド・ミーティングの続きです。



実は今回のマドリッド滞在で絶対に見ておきたかったモノが3つあって、その内の1つが現在プラド美術館で開催中のラファエロ展だという事は前回のエントリで書いた通りです(地中海ブログ:プラド美術館のラファエロ展(El Ultimo Rafael):ラファエロの精神的遺書「キリストの変容」の制作過程が明らかに)。この展覧会、ラファエロ好きには堪らない内容となっていて、その興奮がまるで昨日の事の様に思い出されます。



そして僕が今回どうしても見たかった2つ目というのが今日のお題なんだけど、それこそフランス人建築家ドミニク・ペロー氏が約1年前に完成させたマンザラネス川に掛かるアルガンズエラ歩道橋(The Arganzuela Footbridge)なんですね。



僕が今までに見た事があるドミニク・ペロー氏の作品はフランス国立国会図書館くらい。



この建築を訪れる前は、「巷に溢れる一筆書き建築」って言う(どちらかと言うと悪いイメージ)を持ってたんだけど、実際訪れてみると、銀色のメタリック・メッシュが大変良い感じを醸し出し、緑豊かな中庭空間も迫力十分、更に高層部分を均一に覆っているガラスとそこから透かして見える日除けルーバーの開閉風景が大変豊かで、それらルーバーの「不均質さ」とガラス面が創り出す「均質さ」が相俟って、ナカナカ興味深い体験だったと思います。



そんなこんなで彼の建築にはかなり良い印象を持ったので、「今度はマドリッドにある屋内競技場(Caja Magica)を見てみたいなー」と思い、ここ3年間に何度か訪問してみたんだけど、どうやらこの施設は何かしらのイベントが行われてないと中へ入る事は不可能だと言う事が判明。で、事前調査の結果、今回の滞在中には何もイベントが行われず、中へは入れなさそうだという事が判っていたので泣く泣く断念する事に。しかしですね、マドリッドにはドミニク・ペロー氏が手掛けた建築がもう1つあって、と言うか最近出来て、前々から「実はそっちの方が面白そうかな?」と、そう思っていました。その建築こそ今回登場するアルガンズエラ歩道橋と言う訳なんです。



プラド美術館を後にして、お昼過ぎに国立ソフィア王妃芸術センター(地中海ブログ:マドリッド旅行その2:ジャン・ヌーヴェル(Jean Nouvel)の建築:国立ソフィア王妃芸術センター(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia))で打ち合わせが入ってたんだけど、今回はこの歩道橋がどうしても見たかったので、ランチの時間を削って見に行く事に。行き方としては、地下鉄5号線でMarques de Vadillo駅まで行き、そこから5分ほど歩くというのが一番近道かなと思います。ちなみにMarques de Vadillo駅を出た所にはこんな風景が広がっています:



交通量が結構多い一見普通の商店街なんですね。車の排気ガスや騒音で一杯の「こんな所に本当にあんな緑で一杯の公園があるのかな?」と思いきや、街路を一本中へ入るとこれがビックリ!



目を見張るほどの緑と静寂な世界が広がってるじゃないですかー!太陽が燦々と降り注ぎ、視界に入ってくるのは目映いばかりの芝生の緑色、聞こえてくるのは子供達のはしゃぎ声ばかり‥‥ハッキリ言って、先程通ってきた商店街からは全く想像もつかなかった風景が広がっていて、かなり意表を突かれました。そしてここから少し歩を進めると見えてきました、今回お目当ての歩道橋が:



じゃーん!銀色に輝く構造体が螺旋を描きながら円柱を形成し、独特な軽快感を醸し出しているアルガンズエラ歩道橋の登場です。



ともすればゴツくなりがちな構造体をスパイラル状に構成しつつ、重たい構築物というよりは、風景として軽やかに公園の中に軟着陸させています。



これはあれかな、伊東豊雄さんがスペイン南部のアリカンテで計画していた蝶の蛹みたいなの、あれを構造体だけにするとこんな感じになるのかな?‥‥と勝手な解釈をしてみる。そしてこの橋のデザインに決定的な影響を与えつつ、ここで必要とされている要求に見事に答えている特筆すべきデザインがコチラです:



で、出たー!ドミネク・ペローの十八番と言っても過言では無いメタリック・メッシュの登場だー!このメッシュがですね、スパイラル状に構成されている構造体の所々に絡み付く様に配置されていて、それが又絶妙な感覚を醸し出しているんですね。



つまりは螺旋の構造体全てにメッシュが絡み付いているんじゃなくて、「部分的に」という所がポイント。何でかって、全部に付いてたらそれはそれでかなり重たい表現になっちゃうと思うんだけど、適当に間引いてやる事によって、軽快感を醸し出しているという訳なんです。橋の内側から見るとこんな感じに見えます:



ほら、透きとおる様な空の青色が、構造体やメッシュの銀色と相俟って、非常に美しい風景を構成しているのが判るかと思います。



そしてですね、実はこのメッシュがこの建築物にとって大変重要な役割を担っているポイントがもう1つあるんだけど、それがこの土地特有の気候対策についてなんですね。



と言うのも、この時期のマドリッドに来た事がある人なら分かると思うのですが、夏場のマドリッドはハッキリ言って灼熱地獄!僕の滞在中なんて、気温が40度以上まで上がり、とてもじゃないけど日向になんて居られない状況でした。それくらい気温が上がってくると、風が吹いても熱風なので全然涼しくなく、必然的に日陰を探す事となります。つまりこのペローの歩道橋は、このメタリック・メッシュが直射日光を上手い事遮り、この橋の上を歩く事をかなり快適にしている訳ですよ!



訪問中、この歩道橋を何往復かしてみたんだけど、この影はそれこそオアシスと言っても過言ではありませんでした。正直、これがあるのと無いのとでは大違い!



だからここに来ると、昼間っからこの橋の上を乳母車を押しながら歩く人達や、ランニングをしている人達など、結構な数の人達がこの歩道橋を楽しんでいる光景を見る事が出来ます。このメッシュが無かったら日差しが強い真っ昼間からこれだけの人達に利用されていたのかどうなのかはかなり疑問です。

そしてもう一点忘れてはならない事、というかこの点こそ、この歩道橋とこの公園のメイン機能だと思うのですが、それがコチラです:



実はですね、ここに広がっている広大な公園の下には、マドリッド市にとって大変重要な環状道路であるM30が埋設されているんですね。つまりこの公園は環状道路の上に土を盛って、そこに公共空間を創り出したという訳なんです。

‥‥これを聞いて「あ、あれ、これって何処かで聞いた事あるなー」と思った人は結構するどい。

そうなんです!都市の境界を取り巻く環状道路を地下に埋設し、その上を公共空間に変えて市民に公開しようという発想は、バルセロナが1992年のオリンピック時に考案し、数多ある都市改造計画の中でも最も市民に喜ばれた提案の1つだったんですね(地中海ブログ:バルセロナの新たなる都市戦略:ビルバオから学ぶバルセロナ都市圏再生の曙)。



バルセロナの場合は山の手と海岸沿い2つのパターンがあるんだけど、ともすれば、環状道路が歴史的中心地区と海辺を分断し、ビーチへのアクセッシビリティを不可能にしてしまいがちな状況に、これ以上は無い解決策を与えた好例だと言う事が出来ると思います。当然の事ながら、それまでは慢性的な渋滞に陥っていた都市部の交通状況もかなり改善されました。



今回ドミニク・ペローが創ったこの橋のプロジェクトは、元々は2000年半ば頃に実施されたマンザラネス川岸の国際都市開発コンペの文脈に乗っていて、川に沿って走っていた環状道路を埋設し、その上に公園を創り出し市民に開放しようというプロジェクトが格となっていた模様です。



更にここに創り出された歩道橋は、川と環状道路の両方によって分断されていた両岸に展開する地区の結び付きを強めつつ、その広大な土地に生み出された公園へのアクセスを促進する役割をも担っているんですね。



僕がこの辺りを訪れたのはお昼時だったのですが、幼稚園児や小学生と見られる子供達の団体が水遊びをしていたり、お年寄り達が日向ぼっこを楽しみながら世間話に花を咲かせていたり、はたまた川岸では日光浴を楽しむ水着姿の若者達で大賑わいでした。



まだ完成してから1年足らずしか経っていないこの公園なのですが、この光景を見る限り、もう既にマドリッド市民達の日常生活には欠かせないほどに、彼らの生活の中に深―く溶け込んでいるのが垣間見られた気がします。そういう意味において、この計画は間違いなくマドリッド市民達の生活の質を向上させていると言っても過言ではありません。

都市計画と建築が一体となった、非常に見事な解決策、そしてデザインでした。
| 建築 | 05:35 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
シティ・リージョンという考え方その1:スンド海峡のエレスンド・リージョンについて
前回のエントリで少しだけ書いたのですが、実は昨日からデンマークとスウェーデンに来ています。



目的は今日から開かれているe-Tourism(新しいテクノロジーを活用した観光リサーチ、観光体験そして観光が都市に与える影響などを探る為の新しい手法の提案など)に関する国際会議に出席する為なのですが、今回はゲストとしてお呼ばれしちゃいました。最近、都市計画や建築、もしくは交通に関する国際会議に招かれる事は(大変喜ばしい事ながら)多くなってきたのですが、観光分野からお声が掛かるのは今回が初めて!何でかって、まあ理由は分かってて、現在僕が仕事の方で進めている「ルーブル美術館の歩行者計画」の為なんですね。今まで表立って発表してはこなかったんだけど、実はルーブル美術館とはもうかれこれ2年くらい付き合ってて、パリとバルセロナを行ったり来たりしています。



この計画の詳細については次回以降のエントリに譲る事として、今日は僕が北欧に来るに当たって直面した非常に興味深い現象について少し書いてみようと思います。それは主催者から2ヶ月ほど前に受け取った一通のメールから既に始まっていました:

「クロワッサンさん、来月末に行われる国際会議、前回のメールでお知らせした様に、スウェーデンのHelsingborgという街で行われます。Helsingborgは国としてはスウェーデンに属しているのですが、スンド海峡を挟んだこの辺りはデンマークとの間で公共交通機関が非常に発達しているので、ストックホルム(スウェーデンの首都)に飛んでそこから電車で来るよりも、コペンハーゲン(デンマークの首都)に飛んでそこから電車で来た方が近いですよ。ご参考までに」



そうなんです!実は、今回の国際会議の舞台となっているHelsingborgという街は、国としてはスウェーデンに属しているのですが、この街が立地している辺りはコペンハーゲンを中心としたデンマーク側との社会経済的な結び付きが非常に強く、フィジカルにも欧州一長い橋(全長16キロ)やフェリー等によって結ばれている為、自国の首都に飛んで、そこから電車を使うよりも、隣国のコペンハーゲンに飛んで、そこから電車で行った方がよっぽど早いという一風変わった地域となっているんです。

‥‥っと、ここまで読んできて「あれっ?」って思った人はかなり勘がいい。

そう、実はHelsingbrogという小さな街は、シティ・リージョンで有名なエレスンド(Oresund)・リージョンに属している街なんですよ!

先ず「シティ・リージョンとは一体何か?」と言うとですね、グローバリゼーションが進行し、都市間競争が激化する最中において、パリやロンドンなどといったメガロポリス(=都市を際限無く拡大する事によって競争力を維持する)のではなく、都市の機能を分散させ、その間を発達したインフラ(高速鉄道など)で結ぶ事によって、地域(リージョン)として大都市(メガロポリス)に匹敵する様な競争力を創り出そうという考え方なんです。

では一体何故シティ・リージョンはそれ程までに注目されているのか?

それはシティ・リージョンという考え方が環境問題をも取り込んだ、正にサステイナブルシティの一つの可能性を指し示していると考えられているからです。つまりネットワークの力によって大都市に負けずとも劣らない競争力を創り出す一方で、各都市に注目してみれば、小都市(コンパクトな都市)の強みを生かして緑溢れる環境、メガロポリスでは絶対に実現する事が出来ない「環境的な質」で人々の「生活の質」を向上させ、正にその事によって「緑の競争力」を売りにしていこうという考え方なんですね。



具体的にはオランダのランドスタット、スペインのバスク地方を中心とする都市戦略、そして地中海を共有する様々な都市で創り出されつつある「地中海の弧」などが挙げられるかと思います。特に地中海の弧については当ブログでは散々書いてきたし(地中海ブログ:Euroregion(ユーロリージョン)とカタルーニャの都市戦略:バイオ医療を核としたクラスター形成、地中海ブログ:地中海の弧の連結問題:ペルピニャン−フィゲラス−バルセロナ間の高速鉄道連結計画の裏に見えるもの)、ビルバオのグッゲンハイムの大成功の裏にある都市戦略についても、事ある毎に言及してきました(地中海ブログ:バルセロナの新たなる都市戦略:ビルバオから学ぶバルセロナ都市圏再生の曙、地中海ブログ:ビルバオ・グッゲンハイム効果とジェントリフィケーション)。又、2年くらい前に行ったアムステルダムについての記事の中でも、ランドスタットの事を書いたと思います(地中海ブログ:アムステルダム出張:如何に訪問者にスキマの時間を使って街へ出るというインセンティブを働かせるか?:スキポール空港(Schiphol Airport)の場合、地中海ブログ:欧州工科大学院 (European Institute of Innovation and Technology)の鼓動その2:ネットワーク型システムに基づくシティ・リージョンのようなコンセプトを持つ大学院)。

つまり僕はヨーロッパにおけるシティ・リージョンという現象についてはかなり気を配っている方だと思うんだけど、そんな中でも絶対に訪れたかったのが、このデンマークとスウェーデンの間に広がっているエレスンドだったのです。



何故か?

それは此の地域が達成した地域間協力体制(シティ・リージョン)が、2カ国間の恊働であるにも関わらず、他エリアの追随を許さないほど成功しているという事(普通は一カ国の中の他地域間の交渉でも困難なのに、違う国同士の交渉を巧く纏め上げたという意味において)、架空のアイデアで終わるのではなく、実際に市民の日常生活に多大なる影響を与えているという事、そして何より此の地方が伝統的に育んできた空間計画が巧い事噛み合う事によって、見事な程の空間バランスを達成しているという事が挙げられるかと思います。我らが岡部明子さんもこんな風に書いてらっしゃいます:

「地域発展戦略を成功させるためには、競争力がなくてはならない。他地域からのアクセスや地域内アクセスのよさなど利便性が求められることはいうまでもない。グローバルに競争力のある経済基盤も欠かせない。これらの恵まれた競争条件に加えて広義の空間バランスを競争力に生かそうとしている点が、エレスンド・リージョンの興味深いところだ。」岡部明子、サステイナブルシティ、p207

という訳で今回この地を訪れるに当たって、「せっかく行くんだから、その辺の事も調べてみたいなー」と思ってた所、僕が何かしらのアクションを起こす前に、今回の国際会議の主催者から上述の様なメールを受け取ったという訳なんです。つまりこの出来事が指し示している事、それはそのエリアに住む人達にとっては、2カ国間を行ったり来たりする事が、日常茶飯事になっているという事の証だと思います。

その様なモビリティの高さ、効率の良さについて実際に驚くべき体験してきたので、次回のエントリで詳しく追っていきたいと思います。

シティ・リージョンという考え方その2:エレスンド・リージョンの要、交通インフラの重要性と効率性について:宇宙戦艦ヤマトのコックピットの様なフェリーにちょっと驚いたに続く。
| 都市戦略 | 06:09 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
カルメ・チャコン(Carme Chacon)スペイン防衛相の予備選不出馬の裏に見えるもの
今週は激動の一週間でした。何がって、勿論先週の選挙結果を受けての事なんだけど、毎日毎日それこそ普通の週だったらその話題だけで2週間くらいは騒いでいられる様なビックニュースが目白押しだったんですね。そんな中、終に出ました!この数日間で最も大きく、そして最も重要なニュースが一昨日のお昼頃に飛び込んできたのですが、それがコチラ:

 「カルメ・チャコン防衛相、サパテロ首相の後継者を決める予備選不出馬を表明」

そうなんです!今回の統一地方選以前から、「2012年の総選挙には立候補しない」と宣言していたサパテロ首相の後継者を巡って、社会労働党(PSOE)内では激しい激しい後継者争いが繰り広げられていたんだけど、その最有力候補の一人と見なされていたカルメ・チャコン氏が、予備選への出馬を辞退すると発表したんですね。ちなみにカルメ・チャコン氏と言うのは、スペイン史上初となる女性の防衛大臣で、2008年の総選挙の時に彗星の如く現れてきたスペインの若きリーダー(1971年生まれ)。3年前程前にはウォール・ストリート・ジャーナル誌(The Wall Street Journal)のWomen to watchにてヨーロッパで最も影響力のある女性政治家ナンバー2に選ばれた事もある程のスペイン期待の星。実はカルメさん、昔、ご近所だったんですよねー(地中ブログ:スペイン総選挙その2:カタルーニャのヒロイン、カルメ・チャコン(Carme Chacon)、地中海ブログ:スペイン国防相(La ministra de Defensa)カルメ・チャコン氏(Carme Chacon)の出産とスペインの女性労働環境)

一方、このカルメ・チャコン氏のライバルと見なされ、党内からも厚い支持を集めているのが、フェリペ・ゴンサレス(Felipe Gonzalez)時代から大臣の要職を歴任し、現在はサパテロ政権下で内務大臣の座にあるベテラン政治家、アルフレッド・ルバルカバ(Alfred Perez Rubalcaba)氏。何時如何なる時もその豊富な経験から、的確な判断と決断力で、スペインにおいて最も信頼出来る政治家の一人として市民の間でも人気を博しています。

この2人のどちらかがサパテロ首相の後継者と見なされていたんだけど、それを決めるに当たって、今週、スペイン労働党内が真っ二つに分裂すると言う状況が起こりました。口火を切ったのは、バスク州政府大統領のパッチ・ロペス(Patxi Lopez)氏で、「後継者を決める為に年内に党大会を開くべきだ」と。その一方で、サパテロ首相などから「党大会は必要ない。予備選で行こう」と言う声が上がっていたんですね。

これをどう読むか?つまりロペス氏の策略とは一体何なのか?

ロペス氏の目的は明らかで、それは次期後継者にはルバルカバ氏を推したいと言う一点に尽きます。その為に持ち出したのが、「党大会を開き、党の代表を決めなおすべきだ」と言う「脅し」だったんですね。

これが何故脅しになるのか?

何故なら党大会を開催すると、必然的に党代表の座に立候補するのはサパテロ首相とルバルカバ氏、そしてチャコン氏となるのですが、この時、党内で急速に吸引力を失いつつあるサパテロ首相が負けるのは目に見えています。そうすると、ルバルカバ氏、チャコン氏、どちらが勝つにせよ、野党からの「首相を変えろ」要求には耐えられず、サパテロ首相辞任と言う道しか無い訳ですよ。

これは結構怖い話で、と言うのも、これは社会労働党だけの問題ではなく、実はスペイン全体に及ぼす影響が非常に大きくてですね、今、サパテロ政権が頓挫したら、ようやく良い感じで進んでいる経済構造改革がストップし、直ぐにでもEUから破産宣告を受け、資金注入なんて事態に陥る危険性が非常に高いからです。

こうなると非常に苦しい立場に立たされたのがカルメ・チャコン氏で、このまま立候補を続ければ、それは社会党内部を分裂させ、ひいてはスペインの政治経済状況を不安定にさせる。その一方で、何ヶ月も前(2月にはサパテロ首相に次期後継者争いに立候補すると密かに伝えていたそうです)から着々と準備を進めてきたと言う事情もあり、そう簡単にはその道を諦める事も出来ない・・・と言う複雑な状況の中での、彼女の決断だったんですね。

個人的な意見を言わせてもらうと、今回のカルメ・チャコン氏の決断は英断だと思ってて、と言うのも、彼女のこの勇気ある決断によってサパテロ首相が救われたのは勿論の事、彼女はスペインすらも救ったんじゃないのかな?そして一見、今回の騒動で負けたのはチャコン氏、勝ったのはルバルカバ氏に見えるけど、長い目で見ると、どうもそう簡単には事が運ばない様な気がする。

前回の自治州選挙、そして今回の統一地方選挙で明らかな様に、スペインでは現政権の社会労働党の力が急速に弱まり、その反対に野党である民衆党が確実に力をつけてきています。このまま行くと、2012年の総選挙で社会労働党が負けるのは先ず間違いありません。そうすると、今回予備選に勝ったルバルカバ氏は負け党首になる事が必死なんですよね。と言うか、そんな事は彼も多分分かってるだろうから、もしかしたら既に2012年の事は頭に無く、2012年の総選挙で社会労働党の負けを最小に抑えつつ、その成果を評価してもらった上で2016年の総選挙で首相になる事を考えてるのかもしれないけど・・・その間に何が起こるとも限らない。

そう考えると、今回の一連の出来事で本質的に勝ったのは、実は負けたかに見えたチャコン氏なんじゃないのかな?と思う訳ですよ。彼女は今回の立候補辞退で、党内は勿論、市民の間にも、「個人の利益よりも国の事を考える政治家」と言う大変強いイメージを植え付けました。そして何より、これでサパテロ首相に大きな大きな貸しが出来ましたよね。

そして今回もう一つ露呈してしまったのが、カタルーニャ社会労働党(PSC)の中央政府における発言力の急激な低下です。2008年の総選挙で社会労働党が勝てたのはカタルーニャ社会労働党のおかげと言っても過言ではなく、サパテロ首相もその事をかって、チャコン氏やコルバッチョ氏と言った、カタルーニャ出身の政治家達を大臣に起用しました(地中海ブログ:スペイン、サパテロ新内閣(Jose Luis Rodriguez Zapatero):セレスティーノ・コルバッチョ(Celestino Corbacho)労働・移民相(Ministro de Trabajo e Inmigracion)とスペインの移民問題)。つまりPSCが中央政府に非常に強く出れる状況が続いていたんですね。その様な状況が変わってきたのが去年の11月、自治州選挙で政権をCiUに取られた時からです。この時も書いたのですが、もう既に、去年の11月の時点で「左派の終わりの始まり」が見え初めていました(地中海ブログ:カタルーニャ州議会選挙その2:スペイン、そしてヨーロッパ左派の終わりの始まり‥‥かもしれない。)。今では中央政府の方針に大きく影響を与えているのは明らかに、マドリッドーセビリアービルバオの軸ですね。

まあ、カルメさん、焦る事はありませんよ。未だ若いんだし、あなたがスペインのリーダーになるのは間違いなんだから。今はその時の為にゆっくりと力でも付けておくのが良いと思いますけどね。
| スペイン政治 | 06:18 | comments(4) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
サラゴサの都市戦略とかサラゴサ万博跡地とか
とあるプロジェクト・ミーティングの為に今日は朝からスペイン高速鉄道(AVE)に乗って、サラゴサ(Zaragoza)に来ています。



以前のエントリで書いたように、サラゴサはバルセロナとマドリッドの丁度真ん中(マドリッドからは1時間15分、バルセロナからも1時間30分)、そしてバレンシアとビルバオの間に位置している為、その地の利を生かして物流(Logistics)の中心になろうという動きがあるんですね(地中海ブログ:サラゴサ(Zaragoza)の都市戦略)。何故か?簡単な事で、都市と都市の交差点には常に人とモノが集中するからです。そして「それらモノを集めて保管・管理し、スペインの各地へと再分配する最大のプラットフォームを創ろう」というのがサラゴサの都市戦略なんですね。

前回のエントリとも少し関連するかもしれないんだけど、近年益々バルセロナモデルへの注目度が高まり、バルセロナで成功した都市モデルを安易に自国へと適応させて成功を収めようとする都市が多く見受けられます。そんな中においてサラゴサの様に、「自分の都市の利点や特徴とは一体何なのか?」と言う事を真摯に分析し、そこから独自のモデルを見つける努力をしている姿などは賞賛に値すると思いますね(それが成功しているかどうかは別として)

もっと言っちゃうと、サラゴサという都市は大変戦略的な都市で、このようなアイデアを更に進める為に、ボストンのMITと契約を結んで、サラゴサ大学と共同プログラム(修士課程のプログラム)を展開したり、都市計画の顧問などにMITの教授を起用したりと、都市マーケティングの熱の入れようには目を見張るものがあるんですね。2008年に行われたサラゴサ博覧会で、その全体企画やパビリオンの配置計画を含んだ全体計画の責任者の一人にMITメディアラボのウィリアム・ミッチェル(William J.Mitchell)が就任していたり、MITの建築・都市計画学科の教授陣が多く起用されていたりしていた事は何も偶然では無いと言う事です。

さて、こんなサラゴサなのですが、今日は仕事で来ていた事もあって、街を見て回る時間はほとんど無かったのですが、それでも見たい数箇所のポイントには行ってきました。先ずはコレ:



ザハ・ハディド(Zaha Hadid)によるサラゴサ万博の為に創られたブリッジ・パビリオンです。名前から容易に連想出来る様に、コレは橋でもありパビリオンでもあるという、云わば、一粒で二度美味しいというやつですね。



外から見るよりも中の空間が面白そうだったんだけど、今は土曜日、日曜日そして祝日のみ開館中なのだとか。残念!

スペインでは今年の4月にスペインのジャーナリスト、Llatzer MoixによるArquitectura Milagrosaと題する、スター建築家による大金を注ぎ込んだ、(一般的には)奇怪な形をした建築が一体どのように生れたのか?という経緯が詳細に書いてある書籍が出版されたのですが、その中で批判されていた建築の一つが実はこのザハ・ハディットによるブリッジ・パビリオンでした。その当時、公開コンペが行われ、その結果ザハ・ハディットの案が選ばれたそうなのですが、実はザハ自身はコンペ前に敷地を一度も見に来なかったのだとか。それどころか、橋が完成するまでに3回しか現場を訪れなかった事などが暴露されています。・・・この書籍、読み方によっては結構面白いかもしれません。

そしてこの橋の前にあったのがコチラ:



Nieto and Sobejano Arquitectos
によるCongress Buildingです。・・・特に感想は無し。



この建築の前には人を象った巨大人形(?)が置いてあったんだけど、こちらも意味不明。顔とか半分欠けてるんだけど、これはワザとなのか、劣化しちゃったのか・・・不明です。

今回のサラゴサ訪問は本当に時間が無くて、これくらいしか見る事が出来なかったんだけど、僕が万博跡地を訪れた感じでは、この辺りは全く再利用がされておらず、はっきり言って「死の地区」と化していました。バルセロナのForum2004でもそうなんだけど、大型イベントを誘致して未開地区を開発したは良いけど、施設等のその後の使い道がハッキリせずに、市民に非難されている都市がかなり多いようですね。大型イベントを誘致して都市の活性化を行う事は、バルセロナを初め、近年の都市が戦略的に考え始めている事なのですが、その後の活用法を考えないのはちょっといただけないなー。バルセロナが施設を創らずに、Mobile World Congressのような大型イベントだけを誘致してきているのは、実はそのような問題を避けようという意図がその裏にあるからなんですね(地中海ブログ:バルセロナのイベント発展型都市戦略とGSMA2010(Mobile World Congress 2010))

帰りの高速鉄道に乗る為にサラゴサ駅に戻ってきたのですが、この新しい駅はカタラン人建築家であり、今年のスペイン建築大賞を取ったカルロス・フェラテール(Carlos Ferrater)によってデザインされました。



うーん、それなりではあるとは思うんだけど、敢えてコメントする程でも無いですね。次に期待しましょう。
| 都市戦略 | 22:41 | comments(6) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
素材にこだわるバスク料理店:ビルバオ(Bilbao)
最近、仕事関係のランチミーティングが続き、色々なレストランへ行っているのですが、今日は久しぶりにカタラン人の友達とプライベートランチへ行ってきました。超グルメなカタラン人に連れて行ってもらったのは、我が子のようにかわいいグラシア地区にあるビルバオ(Bilbao)という名の老舗レストラン。地元では結構有名っぽいこのレストランの事は、いつもこの辺りを通る度に、「なんかあるなー」とか思っていたのですが、今まで入る機会がナカナカなかったんですね。そんな事情もあって、今日はお昼前から大変楽しみにしていました。

コンタクト
Address: Perill 33
Tel: 934589624



店の前で友達と待ち合わせたのですが、待ってる間に続々とお客さんが入っていく。しかも外から見た感じ、店内は余り広く無さそう。予約も入れてなかったので、「これはもしかしたら結構待たなきゃいけないかな」とか思ったのですが、ところがドッコイ。店の入り口付近はそんなに広く無いのですが、なんと、奥の方に結構大きい部屋があるじゃないですか!なーんだ(安心)。



店内は昔ながらの地元バー(Bar)って感じで、壁一面にオシャレな絵画などが所狭しと並んでいます。



ナカナカ味のある絵画に見入っていると、早速今日のワインの到着:



Riojaと並び称される Castilla y Leon地方で創られる赤ワイン、Hesvera, Ribera del Duero 。赤い宝石の如く、すごく濃くて美味しい。香りも最高。ほろ酔い気分になった所で今日の一皿目:



イカとタマネギのニンニク焼き(Calamars de Potera)。イカがプリプリ。もう絶品!バルセロナでは海産物の冷凍モノを出しているレストランが多いのですが、ここの海産物は冷凍物じゃないと直ぐに分かる品質です。さすがに品質にこだわっていると言うだけの事はある。そして、もう一つ注文した一皿がコチラ:



おなじみ、マテ貝のニンニクソテー(Navalles de Finisterre)。僕はこのマテ貝が結構好きで、いろんな所で食べているのですが、この店のマテ貝料理は、今まで食べた中でも結構上位にランクするくらい味がいいと思います。何でもわざわざガリシア地方の端っこ、Finisterreから取り寄せているのだとか。美味しいハズだ。そして今日のメイン:



コレでもか!というくらいのステーキ。前にも書いたのですが、バスク地方の牛肉は品質がものすごく高くて有名なんだそうです。だから特に味付けは無しで、特製の塩をまぶして食べるのですが、肉が無茶苦茶柔らかくて、肉の旨みが口の中でジュワーっと広がり、ソース付きステーキとは又違った楽しみ方が出来る一品に仕上がっています。以前紹介したバスク料理専門店:ONDARRA-BERRIのステーキに負けず劣らず、絶品中の絶品(地中海ブログ:バルセロナの食べ歩き方:バスク料理専門店:ONDARRA-BERRI)。
もうココまででお腹一杯!満腹もいいとこなのですが、実はバスク料理で見逃せないのがデザートなんですね。バルセロナのレストランを知り尽くしているグルメなカタラン人の友達に聞いた所、勧められた一品がコレ:



リンゴをオーブン焼きした「ケーキっぽい」、その上にバニラアイスとミルクソースが乗ってる一品(Tatin de manzana)。コレは美味しいぞー(味王様の如く)。もう一度、コレは美味しいぞー。



リンゴが熱々で、それ程甘くなく、しかもバニラクリームがすごくなめらか。初めて食べました。



そしてお決まりのカフェ。ここで終わりかと思いきや、食後のアルコールが出てきた。



どうやらブドウで作ったリキュールらしい(Aguardiente)。僕にはちょっと強すぎたかな。

満足、大満足です。で、気になるお値段なのですが、今回はちょっと高め。一人40ユーロでした。でも、このレストランの味はナカナカのレベル。一度は試して頂きたい品々です。
| レストラン:バルセロナ | 23:54 | comments(3) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
バルセロナの中心市街地で新たな現象が起こりつつある予感がするその1:ジェントリフィケーションとその向こう側
バルセロナという都市は、その着実な都市戦略と秀逸な都市再生計画において、欧州の中でも他都市の「再生モデル」に足り得る存在として、常にトップを走ってきました。1987年に米ハーバード大学から授与された都市デザイン賞や、それまでは個人にしか与えられていなかった英国の国立英国建築家協会(RIBA)賞が初めてバルセロナという都市自身に贈られるという名誉まで授かった程なんですね(詳しくはコチラ:地中海ブログ:EUプロジェクト、ICING (Innovative Cities for the Next Generation)最終レビュー、地中海ブログ:それでも恋するバルセロナ:ヴィッキー・クリスティーナ・バルセロナ(Vicky Cristina Barcelona)その2:都市のイメージ)。

バルセロナに限らず、ヨーロッパの諸都市は20世紀の最後の20年くらいを都市再生に重きを置いて凄まじいまでの努力をして来たと言えると思うのですが、その成功の鍵と、成功の度合いを測る「指標」となるのは、歴史的中心市街地においてであると言われています。

“ヨーロッパでは、「都市戦略の真価は、空洞化した歴史中心地区で試される」とよく言われる。”
岡部明子「サステイナブルシティ、EUの地域・環境戦略」、P18


何故か?

何故なら歴史的中心地区には現代都市が抱える諸問題が凝縮されているからです。バルセロナの例を見ると、今でこそランブラ・デ・ラバル(Rambla de RAVAL)とかピカソ美術館の辺りなんて言うのは、押しも押されぬバルセロナの人気観光スポットになっているのですが、僕が来た当初(つまり今からほんの数年前までは)「絶対に近寄っちゃダメ区域」に指定されていたくらいです。

ヨーロッパ都市というのは、このような「負の面」を歴史的中心地区のどこかに必ず持っています。そしてそのエリアを上手い事観光ルートから外したり、覆面を被せる事によって観光客なんかには見せない様に努力してるんだけど、賑やかな観光通りから一本奥に入っただけで、その都市のドロドロとした所が見えて来たり、中世を再現した様な完璧な歩行者空間の合間から「ちらっ」と暗闇を覗くと、そこに風通しの悪そうな不快感度150%くらいの密集地域があったりするのがヨーロッパの都市なのです。

このような棲み分け、「華やかな観光」と「貧困層」が隣り合わせに共存している状態はどのように作り出されたのでしょうか?

人類というのは何時の時代も自分を正当化する為に、自身を映し出す鏡として悪者を創り出してきました。中世においてはそれが「蛮族」であったり、「魔女」であったり、「悪魔」であったりしてきた訳で、それらが入ってこれないような城壁を築き上げる事で敵の侵略から己を守ってきたのです。
現代都市がやっている事も実はコレと全く同じで、「蛮族=貧困層」が入って来れない「見えない現代の壁(境界線)」を取り決めて、その中に資本を集中投下する事によって、「見かけだけ」都市の顔をキレイにしてきたんですね。現代の都市再生とはそういう事です。





近年のグローバリゼーションが作り出したこのような二極化の本質は、上述の写真の中で起こっている事と全く同じであり、現在都市で行われている事も、本質的には変わらないと言っても過言では無いと思います。

この空間(上の写真)には2つのクラスが存在しています。一つは暖房の効いた オフィス内で働くホワイトカラー。もう一つは空間の外で危険を冒しながらガラスを拭いているブルーカラーの労働者。同じ空間に属しながらもこの2つのクラ スの間には見えない深い溝が存在しているんですね。この仕切り(ガラス)はとても薄く透明であるにも関わらず、決して乗り越える事の出来ない壁な訳です。

さて、現代都市に話を戻すと、都市には蛮族を排除する「正当な理由」が存在しました。それは観光を促進する事で新たなる雇用を作り出す事と、都市に多額の外貨を落としてもらい、都市の歳入を増やすと言う二つの言い訳です。そして都市の中で一番観光客を引っ張ってこられる場所、観光客の視線が最も向く場所、それが歴史的中心地区であった訳です。

(そして同時に、ここには市当局の都市に対する価値観の変化が如実に読み取れます。つまり、戦後、「無価値」と烙印を押した歴史的中心地区に、「観光という魔物を引き寄せるだけの価値がある」と認識し始めたターニングポイントがあるという事です。)

それからというもの、ヨーロッパの各都市は観光客を呼び込み、出来るだけお金を落としてもらうという目的の為に、一心不乱で、崩壊しかけていた広場を奇麗にし、公共空間を囲む建物のファサードに磨きをかけ、美術館を誘致したりした結果、オシャレなカフェやレストラン、デザイナーや建築家のオフィスが立ち並ぶという非常に理想的な状況を創り上げる事に成功しました。すると、そのような活況を帯びたエリアに住む事を熱望するクリエーターや学生、お金持ちなどがこぞって歴史的中心地区に戻ってくるという現象が起こり始めたんですね。これを我々はジェントリフィケーションと呼んでいます(詳しくはコチラ:地中海ブログ:ビルバオ・グッゲンハイム効果とジェントリフィケーション、地中海ブログ:22@BCNとジェントリフィケーションなど)。

しかしですね、どうもこのような状況に最近少し変化が見られるようになってきました。

バルセロナの中心市街地で新たな現象が起こりつつある予感がするその2:逆ジャントリフィケーションに続く
| バルセロナ都市 | 21:00 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ワイン観光について:ワイン貯蔵庫の生き残り戦略:ワインと建築の協働
スペインで生活する楽しみの一つはワインです。この国では美味しいワインを信じられらないくらいの値段で、たらふく楽しむ事が出来るんですね。

と言っても僕はそんなに飲む方じゃないし、ワインの知識があるわけでもなく嗜む程度なのですが、この数年間で「海産物やパエリアにはやっぱりワインが合うよな」とか偉そうな事を口走るまでになっちゃいました(笑)。

世界的に有名なワインの産地と言えば誰もが思い浮かべるのがボルドーやシャトーなどを生産しているフランスだと思います。しかし、スペインも南フランスに負けず劣らず昔から良質のワインを沢山生産してきたんですね。そしてその南フランスが今大注目しているのが、スペインで沸き起こっているワイン観光ブームです。そしてそのワインブームに火を付けたのが、スペインのワイン貯蔵庫が生き残りをかけて選んだ戦略、スター建築家達とのコラボレーションでした。

「スペインはワインの新しいイメージにおいてグローバルに展開する事の出来る潜在力を秘めている地域である。沢山のワインセラーが建築のランドマークになる為に農業建物の姿を捨てた。こうして外観と中身が一緒になってワインを売り出すためのコラボレーションを始めたのである。」

“Espana es una potencia global en la nueva imagen del vino. Muchas bodegas han dejado de ser edificios agricolas para convertirse en hitos araquitectonicos. Continente y contenido se alian para vender.” ( El Pais Semanal, 19 de Abril 2009, P 62)


ここではスター建築家達が創り出すモニュメントがワインに付加価値を与えるものだと認識されています。そしてその効果は絶大だという事です。

「我々のワイナリーはCNNやフィナンシャルタイムズといった、世界的に有名なメディアに取り上げれる事に成功しました。ここにこそ、我々の投資の収益性を見る事が出来ます。質の高いレポートと共にそれらメディアに取り上げられる為に必要な宣伝経費はおそらくもっと高かったことでしょう」

“Hemos conseguido que nuestra bodega aparezca en medios de tanto prestigio como CNN, The Financial Times, Wine Spectator… Es ahí donde se esta viendo rentabilizada la inversion. El coste de la inversion publicitaria que tendriamos que haber hecho en todo el mundo para aparecer en medios con reportajes de alta calidad nos habria costado mas” (El Pais Semanal, 19 de Abril 2009, P70)


面白いのはここで行われている事がイメージ戦略であり、建築がある種のブランドに付加価値を与えると考えられている所ですね。逆じゃ無いんです。あくまでも建築は「元ある内容物」に付加価値を与えるものだと考えられています。

これを聞いた時に僕が思った事は、先ずは目の付け所の良さですね。

今世紀は観光の時代です。その事に異を唱える人は先ず居ないと思います。そして観光の中でも特に注目されるのが(というか、僕が注目しているのが)「食」と「健康」観光です。食観光というのは、そのままなんだけど、食べる事を目的とした観光です。「健康観光」は聞きなれないかもしれないけど、というか、僕が勝手に作った造語なのですが、健康になる事を目指してセラピーとかをする観光。「え、そんな観光あるの??」とか思っちゃいますが、あるんです。(実はバルセロナが今準備中の目玉戦略の内の一つです。)これはまだまだ下火なのですが、その内火が付く事は間違いないですね。

大体観光っていうのは、お金がある人がする楽しみな訳で、誰が一番お金を持っているかといったら、おじいちゃん、おばあちゃんなわけですよね。そしてそんな彼らが一番気にかけているのが健康なんですね。数年前に丹波哲郎さんが「大霊界」とかいう映画を作ってたけど、あれって戦略的にとっても巧くって、ターゲットとしては明らかに高齢者層を狙っていました。おじいちゃん・おばあちゃん世代が一番関心のある事といったら、何と言っても「死んだらどうなるか?」ですからね。

おっとっと、話がずれた。

さて、ワイン観光というのは実はこれら2つ(食と健康)を横断している(出来てしまう)観光なんですね。ワインというのは飲み方次第で健康に多大なる好影響を及ぼすので。

更にワインセラーがあるのは大抵の場合、都市郊外や田園風景の中です。つまりエコツーリズムとも絡める事が出来るという事です。モニュメンタルな建築を核としたSpaやホテル、そして貯蔵庫の一般公開などを含んだワイン観光の威力は僕自身、ウィーンに旅行した際に身をもって体験しました。(地中海ブログ:ウィーン旅行(Vienna / Wien)その3:スティーブン・ホール(Steven Holl)の建築:ロイジウム(LOISIUM Kellerwelt):ファサードに見る建築デザインの本質、地中海ブログ:ウィーン旅行(Vienna / Wien)その4:スティーブン・ホール(Steven Holl)の建築:ロイジウム(LOISIUM Kellerwelt):歴史的遺構という物語空間に接続された現代建築、地中海ブログ:ウィーン旅行(Vienna / Wien)その5:スティーブン・ホール(Steven Holl)の建築:ロイジウム(LOISIUM Kellerwelt):内部空間にて思う事

こういうしっかりとした下地と戦略があるからこそ光るのが建築家のモニュメントな訳です。ビルバオのグッゲンハイムもそうだけど、ゲーリーの建築ひとつで街が甦る程甘くは無い。その裏にあるべき戦略にこそ目を光らせるべきなんですね。

最近3つ星を獲得し、東京にもレストランを構えるカタルーニャ出身の超売れっ子シェフ、カルメ・ルスカイェーダ(Carme Ruscalleda)はこんな事を言っています:

“la arquitctura impresionante hace que unas bodegas den la vuelta al mundo”, pero “ es la calidad del producto lo que mantiene la marca de una casa”

「印象的な建築はワイン貯蔵庫を世界の日の当たる場所へと連れて行きました・・・しかし(ワインなどの)ブランド名の質はその製品自体(ワイン)の質によって保持されるべきですね」


まあ、当たり前と言えば当たり前なんだけど、最近、こういう当たり前の事が当たり前にならなくなってきている世の中っぽいので。
| 都市戦略 | 21:58 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
バルセロナ大都市圏行政体復活計画
とある会議で(ちらっと)、バルセロナが現在進めているバルセロナ大都市圏行政体再編計画が話題となりました。コレは何かって言うとバルセロナを中心とした36の市町村を一つの行政体とする事によって都市の区域間を超えた協力体制を整えようと言う事です。交通とか環境問題などは都市の境界を越えていく問題なので、それらを解決しようと思ったら自ずと各都市間の協力が必要となるという訳です。

じゃあ、今までこのような試みが無かったのか?というと実はありました。フランコ独裁政権末期、1974年にCorporacion Metropolitana de Barcelona (CMB)という行政体が組織されました。CMBに期待された事は、正に単独都市では解決し難い問題を各都市間が協調する事によって解決の糸口を見つける事だったんですね。

この行政体の位置付けとしては、市を管轄している市役所の「上位」、カタルーニャ州を統括しているカタルーニャ州政府の「下位」、それらの中間というポジショニングです。

しかしですね、ここで当時大変に大きな問題が起こってきました。時は1987年、当時のカタルーニャ州政府を牛耳っていたのはカタルーニャ保守のCiU。反対にバルセロナ市とその周辺の市町村の大部分は社会労働党(PSC)が政権を取っているという状態でした。「一つ一つの市だけなら微々たるものだけど、幾つもの市町村が徒労を組むと結構厄介な事になる」という、フリーザ様のサイヤ人抹殺計画っぽい連想をしたのが当時のカタルーニャ州政府大統領、ジョルディ・プジョール氏。「市当局は市内だけでおとなしくしろ!州政府の管轄まで口を突っ込むな!」とまあ、こういう事です。そんな訳で、なんやかんやと理由を付けてこのCMBを潰してしまったんですね。

それ以来、もう一度バルセロナ大都市圏行政体を創り出す事がバルセロナ市当局の長年の夢だったのですが、2003年に社会労働党がカタルーニャ州政府の政権を取った事によって、その夢が現実味を帯びてきたという訳です。

先ず手始めにカタルーニャ州政府がしようとしている事は、現在4つに分割されている県(バルセロナ、ジローナ、タラゴナ、リェイダ)を7つに増やすという改革です。この分割は元を辿れば1931年に地理学者Pau Vilaによって提案された9つの分割に由来します。最も70年後の今では社会経済状況などが変わっているので、7つに統合されてはいますが。

これら県を治めているのがDiputacioと呼ばれる行政体です。バルセロナ県(Diputacio de Barcelona)とかジローナ県( Diputacio de Girona)とか、県毎にそれぞれDiputacioが存在します。Diputacioの役割は主に市町村をサポートしたり、公的施設間のネットワークを作ったりするのが主な役割です。位置付けとしては州政府の「下位」、市役所の「上位」なので、ココがそのネットワークを生かして各行政体間の垣根を取り払って、計画をコーディネートすれば良いと思うんだけど、どうもそう巧くは出来てないらしい。

ちょっと前に新聞に載っていた関連記事(La vanguardia, 16 de marzo 2009)には、「バルセロナ大都市圏行政体はDiputacioに取って代わるべきだ」見たいな事が書かれてたけど、本当かなー?

今回創り出そうとしているバルセロナ大都市圏行政体は、バルセロナ県がカバーしている領域よりもずーっと小さい領域で、36市町村をカバーします。つまりDiputacioが収めている県域とは一致しないんですね。だから其の機能を代替するというよりは、(良い風に考えれば)補完すると考えた方が良さそうな気はします。(補完出来そうに無い所が問題だとは思いますが)ちなみに、この行政体に与えられる権限は都市計画(La comision de urbanismo del area metropolitana de Barcelona)、交通(Movilidd y Politica Social)などが想定されています。

まあ、Diputacioとちょっと機能が被る(?)気がするけど、その辺の役割分担を明確にしておけばそれなりに意味のある機関になるんじゃないのかな?何よりも各行政体間の意思決定のシステムが一つというのは、色んな意味で問題を減らしてくれますよね。あんまり意味の無いミーティングとか、一つの事を決めるのに必要な何百枚もの用紙の削減とか。

そして最も大きな収穫が、計画するのが難しい市町村の境界周辺の開発や各市町村を横切って流れている川や川岸の洗浄計画などが迅速に進むんだろうなー、と言う事。この辺りの事についてはちょっと前にも少し触れた気がするけど、例えばバルセロナの北東を流れるベソス川を共有している5つの市町村が協力して都市計画をする、なんて事がスムーズに進んじゃったりするんですね。(バルセロナの新たなる都市戦略:ビルバオから学ぶバルセロナ都市圏再生の曙:地中海ブログ)

こういう所を見ると、今まで都市内再生一辺倒だったバルセロナも、ついに本格的に大都市圏の再生に乗り出そうとしている、と見る事も出来ますね。
| バルセロナ都市 | 17:49 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ゲーリー(Frank Gehry)のサグレラ駅周辺(Entorno de la Sagrera)プロジェクト、経済危機の為ストップ
昨日の新聞(La Vanguardia, 11 de marzo 2009)にゲーリー(Frank Gehry)の進めているサグレラプロジェクト(Entorno de la Sagrera)が経済危機の為にストップしたという記事が載っていました。以前から巷で囁かれてはいたのですが、公式に発表されたのは初めてだと思います。

都市戦略という観点から見たサグレラ周辺計画の意味付けや、ゲーリーの建築が表象する社会文化的な意味などについては、以前のエントリ等で散々書いた気がします。(バルセロナの新たなる都市戦略:ビルバオから学ぶバルセロナ都市圏再生の曙:地中海ブログ、フランクフルト旅行その2:未来都市としての広告都市:地中海ブログ、ビルバオ・グッゲンハイム効果とジェントリフィケーション:地中海ブログ、Berlinその4:広告としての建築・建築化する広告その1:地中海ブログなど)

なんだかんだ言っても、ゲーリーは今世紀を代表する巨匠ですから、知らず知らずの内に結構彼の建築には言及してるんですね。

昨日の記事では何故計画がストップしたのか?と言う事について「お金が掛かり過ぎる上に、用途が明確では無い」と言う事が挙げられていました。「え、用途って明確じゃ無かったの?」と、驚き桃の木なのですが、何でもオフィス60%、ホテル40%(もしくはその逆)というくらい、大雑把な決め方だったらしい。その上、4億ユーロ(1ユーロ=120円で計算して480億円)も掛かるんじゃ、そりゃストップするわな、と言う感じでしょうか。



さて、このゲーリーによるプロジェクトには興味深い事に「花嫁(La Novia)」というあだ名が付いています。一番高い高層棟を人と見立てた時に、その後ろに段々と低くなっていくビル郡があたかも花嫁のウェディングドレスの様に見えるかららしいんですね。そして少し離れて建つジャン・ヌーベル(Jean Nouvel)のアグバー・タワー(Torre Agbar)を男性のシンボルと見立てて、「新婚初夜」とか言ってバルセロナっ子ははしゃいでいます(笑)。



ちなみに建設中のアグバータワーは、こんな風になってて、「コンドームをはめた様だ」と皆言っていました(笑)。

プラハ(Praha)に行った時に同じくゲーリー設計の建築を見たのですが、この建築にも「ダンシングビル」というあだ名が付いている様です。







多分、クネクネとうねった躯体を指して色んなあだ名が付いたとは思うのですが、これらの名前はともかく、「あだ名が付く」という現象が面白いですよね。

僕達の子供の頃を思い出して見ると良く分かると思うのですが、僕達が何かにあだ名を付ける時、他とは違った特徴を取り出して、それを誇張するかのように付けるのが一般的だと思われます。そしてそれらの特徴は誰が見ても納得する程のモノであるという所がキーポイント。そう、あだ名とは皆が皆、無意識下に感じていた事を巧く言い当てた時、とても普及するものなのです。

さて、コレを僕達の関心に読み替えるとどうなるか?

都市というコンテクストに対してこのようなあだ名が一般に普及すると言う事は、その下地となる都市への認識を市民一般が共有していると言う事を表していると思うんですね。上述の建築を男性・女性に見立てた遊びは一見馬鹿げた遊びに見えますが、良く考えてみるとコレは結構高度な都市認識が無いと成り立たないんじゃないのかな?



何故ならあそこにあんな形のビルが建ち、あそこにはあんな形の塔があるので、ココとココを結ぶとまるで花嫁と花婿のようなイメージになる、というのを頭の中で描く為には、都市の全体像が頭の中に入っていて、パッとイメージ出来なければ不可能だからです。

つまりそれだけ都市に対する意識が高く、市民一般の間で、ある程度の都市像が共有されていると言う事です。もしそのような共通認識が無かったなら、「あだ名」は「あだ名」足り得ないし、誰も話題にはしないと思うんですね。ちょっとすごいなー、と思うのは、こういう話題を皆がカフェで議論している事、出来てしまう所ですね。

多分ココには「都市のイメージ」とかメンタルマップとか、色んな要因が入ってきて、今日のエントリは結構複雑且つ長くなりそうだなー・・・とか思ってたらナルトが始まっちゃった!と言う訳で又今度。

追記:

ちなみにバルセロナの代表的なメンタルマップがコレ:





(Rubio,A. (1995): la imatge mental de lEixample de Barcelona. In Semiotica de lEixample Cerda, Barcelona, Edicions Proa, p33-43)

特徴としては常に山が上(北)で海が下(南)に描かれている事。これは明らかに事実とは違って、バルセロナの東西南北はこんな感じになっています。



そして市内を斜めに横断するディアゴナル通りとサグラダファミリアなど、幾つかのモニュメントは描き込まれていますね。

追記その2:
2011年9月2日の事なのですが、敷地を掘ってたらローマ時代の遺跡が出て来たらしいです。これで又、この計画がストップする可能性が出てきましたね。
| 建築 | 21:38 | comments(9) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
プラド美術館展示作品拡張計画
最近、美術館関係の話題が多いなと思っていたら、どうやらプラド美術館が展示作品を大幅に入れ替える計画が発表されたのだそうです( El Pais, P44, 3 de Marzo 2009)。一昨年の暮れくらいにラファエロ・モネオ(Rafael Moneo)による増築が完成し、既存の建物よりも25%大きくなった展示スペースを最大限生かして、2012年までに現在の展示作品1000点から50%増しの1500点に大幅アップするらしいです。アート好きには嬉しいお知らせですね。

さて、関連記事でとっても面白い情報が載っていました(La Vanguardia, p32, 3 de Marzo 2009)。スペインの主要美術館の収蔵作品数と展示作品数です。美術館って言うのは僕達が余り知らないような色んな機能を結構持っているのですが、その内の一つが作品の収集と保管機能なんですね。僕達が美術館で目にする作品というのは、実は美術館が持っている作品数のホンの数パーセントでしかありません。ちなみに各美術館の作品所蔵数と展示数はこんな感じです:

プラド美術館(El Prado)
収蔵作品数:17.400
展示作品数:1.000

レイナ・ソフィア(Reina Sofia)
収蔵作品数:17.000
展示作品数:650

バルセロナ現代美術館(MACBA)
収蔵作品数:3.520
展示作品数:85

カタルーニャ美術館(MNAC)
収蔵作品数:256.226
展示作品数:4.984

考古学博物館(Museu Arqueologic)
収蔵作品数:40.000
展示作品数:3.900

ビルバオ・グッゲンハイム美術館(Guggenheim Bilbao)
収蔵作品数:102
展示作品数:16

カタルーニャ美術館(MNAC)なんて25万点も持ってるの?って感じなんですが、その内、展示しているのはたったの2%。MNACって行ってみると分かるんだけど、結構広くって展示品数もかなりあるんですよね。え、あれでたったの2%!って、どんだけ持ってるの???

さて、コレ関連の話で思い出すのがトーマス・クレンズ(Thomas Klens)が試みた大博打、それまでの常識を覆すグッゲンハイム美術館再生計画ですね。

実はグッゲンハイムっていうのは当時ものすごい経済危機に陥っていて、もう何とも回らなくなった所に出てきたのがトーマス・クレンズのトンデモナイ提案。彼は一体何をしたかというと、倉庫に眠っていて普段は展示されない作品を売っちゃったんですね。一般の人にとっては、「使わないんだったら別にいいじゃん」とか思う所なのですが、美術関係者にしてみたらコレはえらい事なんです。

というのも、美術館の重要な機能の一つに美術品の価値を安定させるというのがあります。そもそも美術作品と美術館って共犯関係にあって、特に近代美術っていうのはある意味、近代美術館によってその価値が決められてきた所がありますよね。つまり、美術館がコレは良い作品だといって、展示したらそれが価値ある作品と言う事なるという構図。この辺はちょっと複雑だけど面白い所で、近代国家が自らを確立する為に近代美術と近代美術館を利用したという共犯関係です。だから19世紀の終わり、フランス革命の後に美術館がボコボコでき始めたのは何も偶然じゃない訳です。

又コレと絡んでくるのが美術作品の商品化という話です。美術館のスポンサーが王様からブルジョアジーなどに変わった事などによって、美術館が「モノ」に「芸術」という価値を与え始めるという現象とマーケットが結びつき始めました。そして美術館というのはそのような商品をコレクションとして持っているから偉い、うちの美術館はこれだけのコレクションを持っているから偉いんだという構図が出来上がった。それが現在の美術館という制度です。

ちなみに「え、こんな価値基準や制度ってちょっとおかしいんじゃないの?」と疑問を投げ掛けたのがハンス・ハーケ(Hans Haake)であり、彼がキュレートした有名な展覧会、「見解の問題」展(ボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館(Boymons Van Beuningen Museum, Rotterdam))です。彼はこの展覧会で、美術館が持っていて、普段は表に出てこないような膨大な数の所蔵品を全て展示する試みをしました。これは何をしたのかというと、美術館が収蔵しストックしたコレクション=美術館がそれまで築き上げてきた美の価値体系=美の価値基準を内側から崩す試みだったんですね。

さて、話を戻すとトーマス・クレンズはこのような「倉庫に眠っているコレクションを売る」という禁じ手を使って、お金を作り出す事に成功しました。そしてそれを元手に、お金を前借りとかしてビルバオにグッゲンハイム美術館を建て、見事に美術館の運営を復活させたと、こういう訳です。

グッゲンハイムについては都市計画都市戦略などの文脈で色んな事が言われていますが、こういう視点で見ると又違った物語が見えて面白いですね。
| スペイン美術 | 17:06 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
バスク地方(El Pais Vasco)とガリシア地方(Galicia)にて自治州選挙(Elecciones Autonomicas 2009)が行われます
今週の日曜日(3月1日)なのですが、スペインのバスク地方とガリシア地方にて自治州選挙が行われます。と書いても一般の日本の人達にとっては、「え、バスクって何処?ガリシアって何?食べ物?」みたいな感じだと思うのですが・・・。

それでもバスク地方はグッゲンハイム美術館(Museo Guggenheim)のおかげで少しは有名になりましたよね。みんなバスク地方は何処にあるのか知らなくても、グッゲンハイムがビルバオにある事は知ってるし、フランク・ゲーリー(Frank Gehry)が設計したと言う事も知ってる。

その一方でガリシア地方は、もう笑っちゃうくらい何にも無い!サンティアゴ・コンポステーラ大聖堂(Catedral de Santiago de Compostela)やサンティアゴの道(El camino de Santiago)っていうのがあるけど、日本人でサンティアゴの道を歩こうなんていう気合の入った人はあまりいないだろうし。個人的に大聖堂は見所抜群だし、目の前にある修道院を改築したパラドール(Parador)には一生に一度は泊まって見る価値大だと思うけど、それだけの為にわざわざガリシアに行く人も少ないんだろうなー。

そんな、はっきり言って超マイナーな地域の選挙事情なんて、日本で2人くらいしか興味が無いと思うけど、どっかで誰かが見てくれてるかも知れないし、集合知を支えているのは情報の多様性と言う事で、ちょっと書いてみようかなとか思いました。

先ず、ガリシア自治州で力を持っている政党は3つ。保守の国民党(Partido Popular)、中道左派の社会労働党(PSdG-PSOE: Partido Socialista de Galicia-PSOE)、そして(ガリシア)ナショナリスト左派のBNG(Bloque Nacionalista Galego)です。ちなみにこのBNGという政党は、元々すごーく左寄りだったのですが、都市部では労働者の権利擁護、農村部では対中央政府という姿勢で農村防衛を主張して票を伸ばし、じわじわと中央に寄ってきています。

スペイン民主化後、ガリシア州を治めてきたのは国民党でした。実はガリシアってスペインの中でも国民党がものすごく幅を利かせている地域であって、党のトップを数多く輩出している保守勢力の牙城なんですね。ちなみにフランコ(Francisco Franco)がフェロール(Ferrol)、フラガ(Manuel Fraga)がルーゴ(Lugo)、そして現在の国民党のトップ、ラホイ(Mariano Rajoy)はサンティアゴ・コンポステーラ(Santiago de Compostela)の出身です。

ガリシア州政府(la Xunta de Galicia)を長い事収めてきたのはフランコ独裁政権で大臣を務め、「街路は私のものだ(La calle es mia)」というフレーズで大変に有名なマニュエル・フラガでした。彼がガリシア州政府大統領に就任して以来(1990)、2005年まで、フラガをトップとした国民党は絶対数を維持し、単独政権を14年間維持してきました。

そのフラガが引退したのが前回の選挙(2005)直前で、それまで単独政権を担っていた国民党が野党に転がり落ちたのも前回の選挙。そして連立を組み与党に成り上がったのが、社会労働党系のPSdG-PSOEとナショナリズム左派のBNG(Bloque Nacionalista Galego)です。

という訳で、現在のガリシア州政府の政権は社会労働党とナショナリズム左派の連立政権で成り立っているのですが、先週行われた事前調査によると、国民党に投票すると答えた人が全体の44.1%。社会労働党は33.8%、BNGは18%となっています。議席数に直すと、国民党が36議席、社会労働党が25-27議席、ナショナリズム左派が12-14議席となります。どの党も絶対数(38議席)には足らず、この調査結果だけ見れば、社会労働党とBNGの連立でかろうじて逃げ切りというシナリオですね。

さて、毎週日曜日の夜には30 Minutsという社会問題を扱った番組がやっているのですが、先週は選挙にちなんでバスクとガリシア地方の社会問題を扱っていました。

ガリシア地方の今一番の社会問題は何と言っても失業問題です。市民へのアンケート調査によると、今一番心配している案件はとの質門に対して、「失業」と答えた人が全体の58%。2位につけた経済問題の9%を大きく引き離しています(El Pais, 22 de Febrero 2009, P12)。それほど状況は切迫していると言う事ですね。

そんな状況をよく表しているのがスペイン北部で最も重要な造船港を擁する都市、フェロール(Ferrol)。かつてはそれこそ造船の首都として栄えた街も、脱工業化の波が押し寄せ、最近ではもうほとんど造船の仕事が無く街は衰退の一途を辿っている様子が生々とレポートされていました。

失業者が増え、死に行く街を何とか蘇らせようと困り果てた末考え出されたのが新たな港を作り、そこに現在スペインが力を入れている風力発電機を作る企業を誘致する事だったそうです。ちなみにスペインの風力発電機数はドイツに次いで世界第二位を占めています。

このフェロールの戦略の事はさっぱり知らなかったんだけど、都市の戦略としては巧いですね。先ずこの都市には長年造船で培われた技術があります。船がダメになった今、21世紀を担う最もポテンシャルの高いエコ産業、その中でもスペインが背中を後押ししてくれる風力発電を選んだのは目の付け所が良い。

更に、世界に輸出する事をも見越して新しい港を作ると同時に、その横に企業を誘致したのはアクセッシビリティを高める為ですね。以前のエントリで書いたように、飛行機では運べないものがある為に、都市にとっては競争力強化の為にはハブ空港と同時に港をも持つ必要がある訳です。

企業誘致するには勿論、その裏で政治的な駆け引き等があった事は容易に分かるのですが、そこは裏取引の上手な国民党が旨い事やったんでしょうね。

何にも無いと思ってたガリシアだけど、結構面白いじゃないですか!選挙が楽しみになってきました。
| スペイン政治 | 23:06 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
サラゴサ(Zaragoza)の都市戦略
昨日の新聞にサラゴサの都市戦略に関するっぽい記事(Aragon, la apuesta logistica, La Vanguardia, 7 de Septiembre, 2008)が載っていました。「関するっぽい」と書いたのは、この記事が「サラゴサ都市戦略」を前面に謳っている訳ではなくて、サラゴサが今後都市としてロジスティック(logistic)の分野に力を入れていく事を説明した記事だったからです。それが僕から見ればサラゴサの都市戦略に見える、と、まあ、こんな程度の事です。

つい見過ごしてしまいそうな記事だったのですが、サラゴサの都市としてのポテンシャルの高さから少し取り上げる事にしました。

前にも書きましたが、サラゴサという都市は立地条件が非常に良く、巧く戦略を練れば今後急成長が期待出来る都市なんですね。国際的には未だ全く知名度が無い小都市ですが、やはりそのポテンシャルの高さに気が付いている人は既に行動を始めています。そしてそれに触発されるようにサラゴサ市(Ayuntamiento de Zaragoza)とアラゴン政府(Gobierno de Aragon)もその事には十分自覚的だと僕は思います。

先ずは何がそんなに地の利があるのか?というと、サラゴサはバルセロナ(Barcelona)とマドリッド(Madrid)の丁度真ん中に位置し、バレンシア(Valencia)とビルバオ(Bilbao)の間に居るんですね。つまりスペインで最も人とモノの往来が激しい東西軸(マドリッドーバルセロナ)と、太平洋・大西洋に最大級の港を持つ南北軸(バレンシアービルバオ)の中央に位置している訳です。

かつてスペインの近代歴史学を切り開いたビセンス・ビベス(Vicens Vives)は、ヨーロッパとアフリカの間に位置しているカタルーニャを指して「辺境の渡り廊下」と呼び、それがカタルーニャの混成文化という特長を創り、異常なまでの発展を促したと指摘しましたが、サラゴサも21世紀における「渡り廊下」に成り得る可能性を持った地だと思います。

さて、次に問題になるのは、では一体このような地の利を生かして何をするのか?という事です。そこでサラゴサが考え出したのがロジスティックなんですね。ロジスティックとは何か?というと、簡単に言えば、物的流通を効率化するシステムの事です。つまり製造した物をどうやって集めてどうやって分配するか?更にそれをどのように調達・配送したら最も効率が良くなるか?それを扱うのがロジスティックです。

サラゴサは今正にヨーロッパにおけるロジスティックの中心になろうとしています。
まあ、成ろうとしたからといってなれるモノでもないのですが、それはサラゴサの巧い所、というか見習うべき所なのですが、彼らは他都市で成功した都市モデル(バルセロナモデルみたいな)を自分の所のコンテクストに無理やり当てはめるというような事はしていません。彼らがロジスティックを目指した理由、それは自国を十分に分析した結果出て来た結論だったんですね。

それこそ上で述べた東西南北の軸線上に都市が乗っているという事実だった訳です。スペイン2大都市を結ぶ高速鉄道の中央に位置している事から人とモノは自ずと集まります。更に港を経由しなければいけない物流はバレンシアとビルバオがカバーしている。モノの流れには空輸出来るモノと出来ないモノが存在します。だから都市の発展の為には必然的に空港と港が重要なファクターになってくるという事は当ブログで何回か言及した通りです

昨日の新聞記事によるとサラゴサはもう既にヨーロッパ随一となるロジスティック・サラゴサプラザ(logistica de Zaragoza Plaza)なるものをアラゴン政府(51,52%)、サラゴサ市(12,12%)、Ibercaja(18,18%),CAI(18,18%)の出資で建設中だとか。その大きさは12,826,000m2で30億ユーロ(日本円で約2兆円)の投資を見込んでいるそうです。

更にサラゴサの戦略は箱物を作る事だけに集中しているわけでは決してありません。世界の知識と情報を集める為に地元サラゴサ大学(Universidad de Zaragoza)が米マサチューセッツ工科大学(MIT)と協同で日本の修士課程にあたるMaster of engineering in Logistics and Supply chain managementを創設したんですね。これによって世界最高峰の頭脳とコンタクト、そしてそれらが惹き付ける巨額の投資の可能性を確保しました。実はもう既にその効果の片鱗が出ていて、それが今年開かれているサラゴサ万博や都市計画の裏方に見る事が出来ます。

サラゴサ万博と関連して、現在サラゴサでは「サステイナブルでインテリジェントな都市:都市交通の新しいコンセプト(La ciudad inteligente y sostenible: un nuevo concepto de transporte urbano)」をキーワードにMilla Digitalという計画が進行中です。その音頭を取っているのがMITメディアラボ教授のウィリアム・ミッチェル(William J.Mitchell)。更に万博にはMITSENSEablecity Labで近年力を付けてきたカルロ・ラッティ(Carlo Ratti)も入っていますし。

私見ですけど、ウィリアム・ミッチェル率いるMITとの仲介役になったと思われるのはマニュエル・カステル(Manuel Castells)でしょうね。何故カタラン人のマニュエルがアラゴンに肩入れするのか?それはお隣が発展するとこちらにもポジティブな影響が出てくるからです。ジョルディ・ボージャ(Jordi Borja)が言っているように、シティ・リージョン(City Region)を前提とした都市間競争時代においては、どの都市が勝ってどの都市が負けるという勝ち負けゲームは意味を成さなくなるんですね。そうではなく、繋がっている隣の都市が発展する事が自身の都市が発展する事に繋がる、それがシティ・リージョン時代の都市間競争の法則です。

そう考えると、ウィリアム・ミッチェルを始め、サスキア・サッセン(Saskia Sassen)やピーター・ホール(Peter Hall)など市役所の助言役にスペインの一地方都市をグローバリズムの中で考察する面々が顔を揃えているのにも納得出来るかー。

更に更に万博開催に漕ぎ着けた政治的な手腕や、その万博を都市発展に用いた巧さ。そして市内を流れる川に関連付けつつ、21世紀のはずせないテーマであるサステイナビリティを主軸に添えた視点の良さなど、書き出すと切りが無いのですが、長くなってしまったので又今度。
| スペイン都市計画 | 22:36 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
都市アクセッシビリティ:ヨーロッパの高速鉄道網状況
今日の新聞(La Vanguardia, 8 Junio 2008)にヨーロッパの高速鉄道網の比較情報が載っていました。というのも今年3月に開通したバルセロナ(Barcelona)ーマドリッド(Madrid)間のAVE(Alta Velocidad Espanola)のおかげでスペインは現在ヨーロッパにおいて鉄道網の充実度が第二位らしいんですね。




La Vanguardia, 8 Junio 2008, P2, Vivir

上の図で赤いラインが時速300キロ以上の高速鉄道で繋がれている所。ほとんどの地域をカバーしているグレーのラインは時速200キロ以下の普通電車が走っている所です。
このような図で見ると良く分かるのですが、やはり圧倒的に高速鉄道網が発達しているのはパリを中心としたフランスですね。パリ(Paris)ーロンドン(Londres)間、パリ(Paris)ーマルセイユ(Marsella)間、パリ(Paris)ーブルッセル(Bruselas)間など南北東西に鉄道網が伸びている事が分かります。

そして(驚くべき事に)マドリッドを中心とするイベリア半島も鉄道網が発達しているのが見て取れます。以前はマドリッド(Madrid)―セビリア(Sevilla)間しか敷かれていなかった鉄道網がサラゴサ(Zaragoza)を通りバルセロナまで延びた事によって一気にヨーロッパのトップ集団の仲間入りを果たしました。マドリッドーセビリア間はセビリア万博が開かれた1992年に開通したのですが、どう考えてもスペインで最優先すべきだったのはマドリッド(Madrid)ーバルセロナ(Barcelona)間のはず。そんな事はサルでも分かっていたんだけど、それが出来なかったのが有名なマドリッドとバルセロナのいがみ合い・・・なんて面白い国だ。

そして今バルセロナが一生懸命構築しようとしているのが、バルセロナ(Barcelona)ーパリ(Paris)間なんですね。軸線としてはバルセロナ(Barcelona)ーモンペリエ(Montpellier)ーリヨン(Lyon)ーパリ(Paris)となるのですが、この内パリ(Paris)ーモンペリエ(Montpellier)間はすでに開通している事から問題はバルセロナ(Barcelona)ーモンペリエ(Montpellier)間と言う事になります。まあ、それも時間の問題か。

しかしこう見ると、大西洋の弧であるビルバオ(Bilbao)ーパリ(Paris)間というのは地形的に言ってとても素直な提案のように思えます。ビルバオ(Bilbao)ーボルドー(Burdeos)ーパリ(Paris)という軸ですね。ビルバオ(Bilbao)ービーゴ(Vigo)間は優先順位としては多分最下位に近いと思うけど、ポルトガル側のオポルト(Oporto)ービーゴ(Vigo)は十分に有り得る。ただポルトガル側としては最優先はリスボン(Lisboa)ーマドリッド(Madrid)間でしょうけどね。

さて興味深いのは各国の料金比較です。

下記がスペインの主要都市を結ぶAVEの料金表:

Barcelona-Madrid, 621km 106 euros: 2:38 horas
Madrid-Zaragoza, 306km 50,9 euros: 1:21 horas
Madrid-Valladolid, 180km 32,5 euros: 1:02 horas
Madrid-Sevilla, 471km 74,6 euros: 2:30 horas
Madrid-Malaga, 498 km 78,6 euros: 2:35 horas

それに対してヨーロッパの主要都市間の鉄道料金表がこちら:
Paris-Londres, 383km 231,75 euros: 2:26 horas
Colonia-Frankfurt, 177 km 61 euros: 1:20 horas
Berlin-Hannover, 185 km 58 euros: 1:40 horas
Hannover-Wurzburgo, 327 km 76 euros: 2:00 horas
Paris-Bruselas, 300 km 82 euros: 1:22 horas
Paris-Amsterdam, 490km 105 euros: 4:11 horas
Roma-Florencia, 252 km 51 euros: 1:30 horas

更にコレが走行距離を料金で割ったキロ当たりの料金:

Barcelona-Madrid: 0,17 euro
Madrid-Sevilla: 0,16 euro
Madrid-Malaga: 0,16 euro
Madrid-Valladolid: 0,18 euro

Roma-Florencia: 0,20 euro
Paris-Londres: 0,60 euro
Paris-Amsterdam: 0,21 euro
Berlin-Hannover: 0,31 euro

以前から感じていた事なのですが、こうして数字で見るとAVEがヨーロッパ諸国に比べて圧倒的に安いのが分かりますね。
| 都市アクセッシビリティ | 20:28 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
マニュエル・ボルハ・ビジェル(Manuel J. Borja-Villel)の都市戦略:国立ソフィア王妃芸術センター(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia)を通した21世紀の美術館の在り方
以前のエントリ、美術の商品化と公共空間: Manuel J. Borja-Villelで紹介したバルセロナ現代美術館(Museo de Arte Contemporaneo de Barcelona(MACBA))元館長で現在はマドリッドの国立ソフィア王妃芸術センター(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia)の館長に抜擢されたマニュエル・ボルハ・ビジェル(Manuel J. Borja-Villel)の大変に興味深いロングインタビューが先週日曜日の新聞(1/6/2008 El Pais semanal)に載っていたので紹介したいと思います。

前に書いたように彼の主張は都市の中に美術館を通した公共空間を創り出す事と、その空間とアートを用いて行われる教育の重要性です。前回引用した記事の中で彼はこんな風に発言しています。

「私は向こう3年間でレイナソフィア美術館の中に一つの都市を創りたい。」

" Me gustaría crear en tres anos una ciudad dentro del Reina Sofía", Manuel J. Borja-Villel, P26, 10 de febrero del 2008, La Vangurdia


この彼の戦略とオリンピックを契機としたバルセロナ都市戦略との間の同質性については前回のエントリで指摘した通りです。そして彼がこのようなプロジェクトを推進している裏には、彼が近年大変に憂いている美術の商品化と美術館の商業センター化・エンターテイメント化という我々の社会が不可避的に向かっている状況に対する危機感があるんですね。

「美術館は商業センターになってしまった。」
“ Los museo se han pasado a ser como centros comerciales”( Manuel Borja-Villel, p38, 1 de Junio de 2008,El pais semanal)


このような状況に対しての彼なりの戦略の一つが上述の「都市の中に都市を創る」だったわけですが、今日のインタビューには彼の戦略を形作っている深い所の思想というか、スペイン人である彼が不可避的に受けてしまう影響のようなものが垣間見えています。

僕が注目した彼のマニフェストがコレ:
「レイナソフィアを南のセンターにする」という発言です。

"... Borja-Villel llega al Reina Sofia para convertirlo en el referente del arte contemporaneo del sur", p38, 1 de Junio de 2008,El pais semanal)

一見見落としてしまいがちな発言なのですが、この短い一文の中には沢山の意図や歴史、社会文化から出て来た必然とも言える思考が見え隠れしているんですね。

先ず彼はヨーロッパを北と南に分けた上で彼の美術館戦略を構想しています。その時の基盤となっているのが北と南では人々の生活の特徴が違うという、結構当たり前の事実です。ではどう違うのか?彼は北に属する人々の特徴として「目」の優位性とそれに基つく視覚化・視覚性を挙げ、それに対して南に属する人々の特徴を「対話」に求めます。

「北はもっと図像的であり、鮮やかさが重要であり、体に対して目に特権性が与えられている。その一方で南、特に地中海においては口述の文化、そして体の動きの文化が存在する。」

"El norte es mas icónico, la visualidad es importante, se ha privilegiado el ojo sobre el cuerpo. En el sur, sobre todo en el Mediterráneo, hay una cultura de oralidad, del movimiento del cuerpo.", p42


20世紀が視覚の時代であるというのは誰しも納得する所だと思います。例えばコレとか:

オリジナリティと反復―ロザリンド・クラウス美術評論集: ロザリンド・E. クラウス, (Rosalind E. Krauss, The Originality of the Avant-Garde and Other Modernist Myths. Cambridge, Mass.: MIT Press, 1985)

その一方で南の都市、地中海に属する都市の特徴として「対話」が挙げられるというのはあまり聞かれない事だとは思います。この点についてイタリア都市のスペシャリスト、宗田さんはこう述べられています:

「・・・政治を理念の産物とせず、自己の生活の仕組みから考える現実的且つ合理的な国民でもある。したがって、みずからの経済的な成功と万人に暮らしやすい町という二つの方向を調整することに熱心である。そのための議論を市民同士が延々と続ける能力をもっている。この議論、すなわち延々と続ける対話が、イタリアのまちつくりの最大の特色である。・・・」
P14
にぎわいを呼ぶイタリアのまちつくり、歴史的景観の再生と商業政策、宗田好史


北の視覚性に対する南の対話性、目の優位に対する口と耳の優位。このようなそれぞれの地域によって人々の住まい方や生活の仕方が違う為に、自ずと美術館のモデルも違ってくるという話になるわけです。

ココで彼が非常に巧いのはどちらの文化が優れているとか劣っているとか言わずにそれぞれは補完関係にあるという話に持ち込む所なんですね。

それを具体的にする為に提案されているアイデアが「ネットワークとしての美術館」という概念です。要約するとテート(Tate Modern)やモーマ(MOMA)が世界モデルとして有名コレクションを集め、彼ら独自の道を歩んでいる時に、ワザワザ我々も同じ道を歩む必要は無い。そうではなくて、彼らが提供出来ていない分野に磨きをかけて別の道を歩もう。そうすればお互いに補完関係として尊重し合い、共存繁栄していく事が出来る、とこういうわけです。

彼がこのように主張する時、僕はそこに80年代から90年代にかけて展開されたバルセロナ都市戦略の影を見ずにはいられません。バルセロナ都市戦略の場合は1989年にDATARによって出版されたブルーバナナ(Blue Banana)の分析に基ついて、地中海の弧の中心になる事を目指しその後、バルセロナプロセス(Barcelona Process)などで地中海連携を主導しています。

Brunet,Roger(1989): Les Villes Europeennes, Rapport pour la DATAR, Reclus, La Documentation Francaise.

ジョルディ・ボージャ(Jordi Borja)は当時を回想してこんな風に述べています:

「・・・私たちが「バルセロナ第一次戦略計画」を立てた時、一連の文化施設は絶対に不可欠なものとして盛り込み、ヨーロッパ南部でいちばん魅力的な都市にしようと考えました。・・・われわれの望んでいた文化的なプログラムには、1500万人の人口が必要でした。どう考えてもバルセロナにも、その周辺にも、カタロニア全土を見渡しても、1500万という数字は出てこない。・・・そこで私達は、人口1500万という数字が見込めるところまで範囲を広げていき、最終的にはこの広域圏全体(地中海の弧(Arc Mediterranean))をターゲットにしました。」
p318
ジョルディ・ボージャ、都市はグローバリゼーションにいかに応答するか


余談ですが、ビルバオ(Bilbao)の場合はブルーバナナで示されたもう一つの弧である大西洋の弧(Arc Atlantic)の中心になる事を目指したんですね。

もう一つ注目すべき点が美術館は人々の体験や意見を交換する場所である公共空間になるべきだという提案です。地中海都市における公共空間の重要性というのは様々な論客によって様々に語られています。

例えば岡部さんはこんな風に述べられています:

「単純化して言えば、北が身近な緑を守るためなのに対して、南は高密度でこじんまりとした都市を守るために、既存の都市構造を尊重した都市連携を指向している。南の都市にとってにぎわいのある広場のような公共空間は、観光資源だけでなく、優先すべき公益なのだ。」P208-209

岡部明子「サステイナブルシティ、EUの地域・環境戦略」


公共空間の議論で僕にとって興味深いのは、では一体何故地中海都市において公共空間がこれほどまで重要視されているのか?という事なんですね。僕が考える理由は正に今日マニュエル・ボルハが語っている事の中に多大なるヒントが隠されています。それが目よりも対話を重視するという文化的特長であり、そこから生じた「延々と議論を続ける能力」です。これら人々の特徴と地中海都市の特徴である気候条件が交差するその交点に「公共空間の重要性」という地中海都市の特徴が浮かび上がってくるんだと思います。

延々と議論をする事が出来る能力を持つ人々が他の人々と出会い、激論を交わす場所こそが、毎日のように天気が続き、夜遅くまで日が沈まない気候を最大限に利用し発展してきた都市内の公共空間だからです。

先ほどの岡部さんの文章はこう続きます:

「・・・気候風土と文化的背景の違いにより、北の市民が環境負荷や緑を住環境評価の基準とする傾向があるのに対して、南の市民は都市的な質を重要視する。住環境で自然をとるか、都市的魅力をとるのか―南北で異なるふたつの価値観が、欧州都市の多様性を担保している一面がある。」P208-209

このような地域による違いが我々の世界を多様にし生活を豊かなものにしているわけです。ヨーロッパに居るとこのような多様性の大切さ、それによる人生の楽しみを実感する事が出来ます。僕もこのような多様性に貢献出来る仕事をする立場に居る事をとても誇りに思っています。
| スペイン美術 | 23:46 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
バルセロナの新たなる都市戦略:ビルバオから学ぶバルセロナ都市圏再生の曙
民主化後バルセロナは明確な都市戦略を持ち、様々なイベントを通して都市を戦略的に開発・発展させてきました。それは今日バルセロナ都市戦略、もしくはバルセロナモデルとして欧米で高い評価を得ています。しかしながら、勿論そこには成功の影に隠れた/隠された急速な発展に付随する負の面がある事も否めません。

その点をかなり手短且つ乱暴に要約すると、1992年(オリンピック時)に都市をグルッと取り囲む高速道路を建設して都市の境界線を定め、投資を集中的にその内側にすると同時に、邪魔なモノや見たくない諸問題をその外側に放り投げ、問題を先送りするという事をしてきたんですね。だから大変よく整備された旧市街や新市街を見て、「バルセロナは各都市が抱えているような問題が解決出来ている」という結論を出すのはあまりにも早急すぎると言わざるを得ません。

そんな事は既に1996年の段階でイグナシ・デ・ソラ・モラレス(Ignasi de Sola Morales)が指摘していました。

「・・・バルセロナの都市問題は境界線を越える傾向を強めている。交通・住宅問題、社会的差別問題や工場施設の問題などはみな、小バルセロナの外に吐き出されている。見かけ上バルセロナは、メトロポリスが例外なく抱える大問題のほとんどから解放されているかのようだ。しかし、この見解は全くの偽りである。小バルセロナを大都市圏の中でとらえた解決策がない。存在しているのは地図上の見せかけの線引きとこのフィクションを維持したほうが好都合だとするカタルーニャ自治政府の思惑のみだ。バルセロナが大規模事業を成し遂げ、美しく再生されたその影で、都市政策が十分でなく、適切な施設を備えていないところに、代償は回ってきている。大都市圏の中心バルセロナが解決せずにたらいまわしにしている問題はみな、弱体な都市基盤のところに飛び火しているだけなのである。・・・」

イグナシ・デ・ソラ・モラレス、キクカワプロフェショナルガイド、バルセロナ、Vol6.1996


その負の面のシンボルともいうべきエリアがバルセロナの北東を貫くベソス川(Rio Besos)周辺エリア(La Mina)に存在します。このエリアにはオリンピック時に旧市街地に住んでいた貧困層の人々やジェントリフィケーションで中心街に住めなくなった人々などが集められ、社会的問題の吹き溜まりのような様相を呈しています。更に川向こうにはゴミ焼却場や浄水プラントなど、都市にとっては無くてはならないんだけど、あまり見せたくない施設が集積している地区でもあるんですね。更に川岸の2軸、東西南北で異なる自治体がひしめき合っているので、川の向こうとこちら(東西軸)の接続性は無いに等しく、川岸の南北軸では自治体間を越えてプロジェクトを創出し、統一された景観を創り出すなんて事は夢の又夢でした。

正確に言うと、川を基軸に据えた自治体間の協力によるプロジェクトの可能性はかなり前から議論されてはいました。しかし異なる自治体間を越えた複雑極まりないそのようなプロジェクトを実現する事は、長い間、非常に困難だと思われていたんですね。何と言っても利害関係の調整がこの上なく難しいので。そのような事態が動いたのはごく最近の事です。

川岸を構成する5つの異なる都市(Barcelona, Sant Adria de Besos, Badalona, Santa coloma de Gramenet, Montcada i Reixac)がその周辺に跨る50を超えるプロジェクトを成功に導く為に共通プラットフォームであるコンソーシアム(Consorcio)を創り出したんですね。この裏にはこのエリアを15年近くかけて競争力のあるエリア(新たなる中心)に育てていこうというバルセロナの思惑が見え隠れしています。その時にこのエリアの核と考えられているのが、サグレラ駅(Estacion de la Sagrera)です。マドリッドやフランスからの高速鉄道(AVE)発着駅に位置付けられている未来の大型駅にはフランク・ゲーリー(Frank O Gehry)設計によるオフィス圏住宅が付与される事が既に決定されています。



ここで注目すべきはゲーリーのド派手な建築デザインではなくて、その裏に存在するであろう都市の戦略です。実はこの新駅は計画当初、現在の市内主要駅であるサンツ駅(Estacion Sants)近辺に建設される事が決まっていました。しかしですね、大型駅の周辺にもう一つ大型駅を持ってきたって、都市全体としてみた時の成長というのはあまり無いわけですよ。それよりは全く諸活動が無いような所へ、起爆剤として駅を建設して都市に対する新たなる中心性を創り出す方がよっぽど生産的である、とこういうわけですね。

何を隠そう、この新駅を用いた中心性創出案を提案、実現したのは現在の僕のボスです。今から約15年前、まだカリスマ市長マラガル(Pasqual Maragall)が現職だった時の事らしいです。その当時はまだ今ほどGIS(Geographical Information System)も発達していなくて、街路ごとのカフェなどの諸活動を調べるのに大変手間取ったそうです。

まあ、とりあえず、僕はこのバルセロナの打ち出した新しい都市戦略を高く評価します。何故ならこの計画はバルセロナが初めて打ち出した、環状線を越え異なる自治体間で協力関係を仰いだ計画であり、今までゴミ捨て場として問題を先送りしていたエリアへの初めてのメス入りだと思われるからです。先のイグナシの言葉で言えば、「大都市圏の中心バルセロナが解決せずにたらいまわしにし」、「弱体な都市基盤のところに飛び火」している問題に対して、バルセロナが初めて直視し始めたという事です。

この計画を聞いた時に、僕が非常に巧いなと思ったのは「川」をキーワードにして協力関係を築いたという点ですね。異なる自治体間で協力関係を築くには何かしら共通する要因が必要となります。考えられるものとして主に2つある気がします。一つは文化的な何かを共有している場合。もう一つは地理的要因を共有している場合です。有名な所では、1989年にフランスのDATARが行ったブルーバナナ分析に基ついて、バルセロナがバルセロナプロセス(Barcelona Process)として発達させた地中海の弧連携。この連携は地中海を共有しているという地理的要因を基盤にして実現しました。

もう一つはネルビオン川(Ria Nervion)というビルバオ大都市圏を貫く川を構成する30を超える自治体から成る、ビルバオ再生の原動力となったビルバオコンソーシウム(Bilbao Metropoli 30)。ビルバオの場合は、グッゲンハイムのインパクトが強くてナカナカ表には出てきませんが、グッゲンハイムという都市再生の主役に、舞台を整えた非常に重要なプロセスだったと思っています。このような、背景に流れるシナリオがしっかりしていたからこそ、ビルバオ都市圏再生が成ったんですね。決してグッゲンハイムが一人で都市を再生した訳では無い事を知るべきです。そして、そのグッゲンハイムが引き起こした大成功の裏に隠れるジェントリフィケーションという負の面の事も。

全く同じ事がバルセロナにも言えて、新エリアが出来た暁にはきっとゲーリーの建築がもてはやされ、あたかもそれだけで都市が活性化したかのような記事が雑誌を賑わす事でしょう。これは建築の元来の機能である、地域や社会の表象という役割を考えてみれば当然なのかもしれません。何故なら建築は正にそのエリアが活性化し、賑わっているぞという事を表象する事こそが仕事であり、それは建築にしか出来ない事なのだから。

しかしそれでも僕はあえて言いたい。その裏にある思考や、建築にそのような舞台を用意した都市の戦略にも目を向けるべきだと。
| バルセロナ都市計画 | 18:34 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
Barcelona Meeting Point(住宅展示会)
今週水曜日から日曜日まで毎年恒例の住宅展示会が開催されました。当ブログでも度々触れているようにスペインにおいて住宅というのは「大」の上に3つぐらい「大」が付くくらい大問題と化しています。それを象徴するように毎年多くの人がこの展示会に足を運ぶのですが今年は例年以上に大好評だったようです。5日間で200,000人が訪れたそうです。

さて、今年が例年以上に好評だったのには訳があります。それはここ数年続いてきた不動産ブームにかげりが見えてきたからなんですね。5年来上がり続けてきた住宅価格が今年初めて下がりました。それに伴いバブルがはじけるのでは無いのかという憶測が飛び交っています。

今年の展示会において行われたアンケートによると「今年は買わずもう少し待つ」と答えた人が大半だったそうです。それに伴い今年の展示会での売り上げは大幅に減少。住宅あまり現象が始まる予感です。

今日の新聞によると新築物件は2006年に比べて12.8%売り上げが低下し中古物件では8.1%の減少だそうです。興味深いのは各都市の住宅価格の比較データ。マドリッドが2.9%、バレンシアが16.2%、セビリアが7.2%、ビルバオが18.1%価格上昇しているのに対してバルセロナでは5.7%価格が下がっている。

バルセロナという都市はスペインの中では市場に対する反応がスペイン一早い事で知られています。つまり他都市に対する指標足りえているんですね。このバルセロナ指標が示す所によれば近い将来全ての都市で住宅価格が減少する事になりそうです。

スペインにおける問題は住宅価格だけには収まりません。なんて言ったって建設業が労働市場の大半を占めている国において住宅価格が減少すると言う事はそのまま労働市場の減少、ひいては日常品の高騰につながり、はたまた日常生活にも影響を及ぼすからです。つまりスペインは今不況スパイラルに突入寸前という訳です。
| バルセロナ住宅事情 | 23:51 | comments(0) | trackbacks(35) | このエントリーをはてなブックマークに追加
ビルバオ・グッゲンハイム効果とジェントリフィケーション
先週の新聞にビルバオ・グッゲンハイムによる都市再生の可能性に関する記事が掲載されていました。というのもグッゲンハイム美術館が出来てから今年で10年と言う事で最近カンファレンスなどが頻繁に行われているんですね。

ビルバオと言う都市はスペイン北部のバスク地方に位置する工業都市です。ビルバオが当時どのくらいひどい状態だったか、環境と経済を同時に解決せざるを得ない状況の中でどのような解決策を強いたかについては岡部さんが詳しく書かれています。

手短に言っちゃうと、ビルバオはカタルーニャと同様に都市戦略上に自らを載せる事によって前者が地中海の弧の中心になったように、ビルバオはポルトガルからフランスへと続く大西洋の弧の中心になりつつその二つの弧を繋ぐ役割も果たしちゃおうという、一口で二度おいしい戦略を考え付いたんですね。ちなみにその当時の頭脳はアフォンソ・ベガラさん。そんなこんなでゲーリーに美術館を頼む事になってその後の成功劇は日本でも良く紹介されている通りです。

新聞には2006年度の経済効果が詳しく載っていたのでちょっと紹介しておきます。先ず、レストランやバーにおける食べ物関係には95,446,752ユーロ。買い物関係には29,837,656ユーロ。ホテルやペンション関連、47,186,079ユーロ。交通関係、13,703,044ユーロ。演劇や映画などには22,031,343ユーロ。占めて208,204,874ユーロの経済効果があったと言う事です。

グッゲンハイムに対する初期投資が72,000,000ユーロである事を考えるとビルバオ都市はものすごい安い買い物をした事になりますね。

それらの効果を認めつつ、記事には絶対に載らない事をココに書きたいと思います。直に言っちゃうとジェントリフィケーションに関する事です。グッゲンハイムが建ってる所って中心市街地で最も疲弊していた所。と言う事はヨーロッパの典型的な貧困街・スラム街だった所と考えて良いと思います。その人達ってどうなったんでしょうか?バルセロナの場合のように強制的に書類にサインさせられて都市外へと送られたんでしょうか?違法移民などはともかく、合法的に住み着いていた人は上記のようなグッゲンハイム効果によって確実にそこには住めないと思うのですが・・・。

日本ではよくヨーロッパが進んでいて日本が遅れているという先入観からヨーロッパ都市があたかも絶対正義のように語られる事がしばしばです。グッゲンハイムはその典型的な例だと思います。物事には必ず2つの面があると思うのでその負の面も見ないとダメだと思うんですよね。美術館を建てただけで疲弊都市が蘇るなんてそんな巧い話がある話があるわけが無い。日本ではそれが誇張されすぎだと思います。

更に言っちゃうならバスク地方の環境政策において最も進んでいるのはビルバオではなくビトリアだと思います。前者がクローズアップされて後者がされないのは美術館という分かり易いイコンがあるためにメディア受けし易いからでしょうね、絶対。

コレこそ我々の時代における建築のあるべき姿であり、唯一の建築が建築足り得る定義だと思います。つまり広告としての建築。
| スペイン都市計画 | 16:33 | comments(0) | trackbacks(35) | このエントリーをはてなブックマークに追加
地中海の弧とMaragallの戦略
11月1日に行われたカタルーニャ州大統領選挙にようやく決着が付き、今日新大統領が正式に任命されます。選挙に勝ったのはCiUの Artur Masだったのですが彼は何処の政党とも連立を組む事が出来ず(信じられない事に)前回と同様に3連立政権が誕生しました。

それは良いとして僕が大変注目しているのは前大統領のMaragallの動向です。彼は昨日のさよなら報告会で地中海連結を目指す私的財団を創設する事を発表しました。ヨーロッパには1989年のフランスの公的機関DATARが出版した経済分析に基ついて3つの軸が存在します。ヨーロッパ中央を貫くBlue Banana、ポルトガルからバスク地方に連なる軸、そしてアンダルシアから南フランスを抜ける地中海の軸です。Bilbaoを中心とした都市戦略( Bilbao strategic planning)とはこの軸をうまく活用した好プランだったんですね。一つの街というより一つの地方と地方同士の連結を視野に入れたからこそビルバオは成功したと言えます。カタルーニャは実はかなり早い時期からその事に気がついていました。1992年の時点でその軸を中心に展開するという事を歌ってますし、何よりも1995年に地中海連結会議という関連機関や関連都市市長を呼んで話し合うという画期的な会議をしています。その頭脳でありモーターであったのがMaragallです。

彼の主張は初めから一貫しています。「国に代わり都市が地方を引っ張るモーターになるべきだ」。1997年に市長の座を退いてからはニューヨーク大学などで講義などを繰り返しそれが1999年にEuropa proxima, regiones y ciudadesとして出版されています。

Josep Acebillo がAtles ambiental darea de Barcelona(バルセロナエリアの環境地図)という本を出版していますがその最初のページにヨーロッパの夜景を宇宙から見た図が載っています。都市の周りに明かりが集中的に集まっていて人がヨーロッパにどのように散らばって住んでいるかが一目で分かる大変きれいな図です。
彼のイメージは正にこの図のようにヨーロッパという宇宙に都市という星星が散らばるイメージだと思います。今回の私的財団は彼の主張を強靭にし実現に近つける為の礎になるに違いありません。いや、ホントにやってくれます。
| 都市戦略 | 05:19 | comments(0) | trackbacks(35) | このエントリーをはてなブックマークに追加
スペインの都市状況
ここ数日、スペインの税金がどういう仕組みになっているのかを少し調べています。スペインという国は社会福祉関係はフランスに次いで欧米でもトップを走っています。病院なんかは全部タダ。何回通院したって、どんなに大きな手術したって心臓移植したって全部タダ。これらの費用は勿論税金で賄ってるんですね。しかしここの所の仕組みが複雑でイマイチ良く分からない。何が問題を複雑にしているかと言うと中央と地方の関係なんですね。歴史的に中央集権が強かったフランスのブルボン王家に統治されたフランスが地方の勃興を許さなかったのと対照的にスペインは地方特権をある時期までかなり認めてきました。ある時期と言うのはスペイン継承戦争という初めての世界大戦で、スペインの王位を狙ってオーストリアのハプスブルグとフランスのブルボンが戦った戦争です。コレについては9月11日のカタルーニャの休日と言う事で書きました。中央と地方の複雑な関係については近年に至ってもフランコ政権がカタルーニャに対して言語使用禁止などを強いた事は記憶に新しい事です。最近ではカタルーニャ州政府が地方自治憲章を創って、それを通す為にマドリッドと交渉を続けています。その焦点の一つが税金問題です。つまり中央に払うのか地方に払うのか、何パーセントか、それらをどう還元するのか等。カタルーニャという地域はスペインでは生産力ナンバーワン。ワーストワンのアンダルシアとかに比べるとその差はかなりのものがあります。で、カタラン人たちは何時もこう文句を言う。「私達が必死に働いている間にアンダルシア人たちは昼寝をして、私たちの払った高い税金で自分たちの生活を賄ってる」。これだけ地域格差が激しいと文句を言いたくなる気持ちも分からなくは無い。逆にマドリッドは吸い上げた分だけカタルーニャに還元するのかと言うとそうでも無い。どう考えたってもしカタルーニャがその中だけで税金を回して言って生活の質を上げた方が効率的。これがカタルーニャ独立を叫ぶ人・政党の基本的な考え方だと思います。こういう状況がカタルーニャだけではなく各地域で起こっているのだから複雑きわまり無い状況になってくるわけです。このような多様性が多様な文化を生み一つの国の中で驚くべきほど違った風景が展開する。それがスペインの魅力。

ビトリアが位置するバスク地方の話なのですが、この間書いたとおり主要都市は3つ。ビトリアにおける主要工業などを探したのですが見つからなかった。その結果分かった事はバスク地方特有の都市間関係。3都市中のビルバオと言う都市はバスクでは勿論スペイン全体で見ても有数の工業都市。ビトリアはバスク地方の首都であり主にお金持ちが住んでいる都市です。工場主とか経営者とか。つまりビルバオに工場があってその主がビトリアで裕福に暮らしているというイメージ。よってビトリアに何の主要工業が無くったって何の不思議でも無いと言う事が分かったんですね。観光も同様。逆にこのような都市構造だと観光はお断りというのも納得。彼らは静かに良い都市サービスの中で暮らしたいだけなのです。
日本の状況とあまりに違うので理解に苦しむ所ですが階級社会が残っているヨーロッパではコレもありかな?と妙に納得しました。
| スペイン都市計画 | 13:28 | comments(0) | trackbacks(34) | このエントリーをはてなブックマークに追加
ビトリア都市戦略計画
世界で5人程度の閲覧者の皆さんこんにちは。昨日初めてコメントをもらいました。ありがとうーーー。うれしいものですね、反応とかあると。しかも内容が実際に実務に関わってた人の言葉なので重みがある気がする。これからもがんばって書いて行きますのでヨロシクお願いします。

今日は午前中、スペインバスク地方のビトリア市から市役員が打ち合わせにやってきた。というのもビトリア市戦略計画をうちで創ってるからなんですね。ビトリア市というのはバスク地方のビルバオ、サンセバスティアンと並ぶ三大都市で人口約21万人の裕福層が多く住むとてもリッチな都市です。サンセバスティアンがモネオの建物に代表されるように映画際で有名だったりビルバオがゲーリーの美術館で有名なのに比べると日本での知名度はものすごく低いし普通の人は行かない都市ですね。環境、都市計画に少し詳しい人なら必ず引用するビルバオのグッゲンハイム効果による再活性化とかサンセバスティアンのウォーターフロント計画とこれ又、バスク地方の他都市だけが注目されるのですが、ところがどっこい、環境・緑いわゆるサステイナブルシティで最も注目すべきは実はビトリアなのです。
今何処の都市もアーバニゼーションに悩んでいると思いますがビトリアの打ち出した戦略はとても明快。先ず都市の輪郭を決めてその輪郭にそって緑の輪を配して行く。その名も緑の指輪。これ大変面白くて中世に城壁が都市の輪郭を決めたように緑の世紀である21世紀は緑の城壁が都市の輪郭と成長をコントロールする。建築の学生による計画に出てきそうな案だけど実際に実行している都市を見たのは初めて。実は僕たちもバルセロナで同じような事をしてて緑の渡り廊下というのですが、都市の形態などを下に緑の帯を分析しました。ビトリア第二の戦略は車に対するアンチモビリティとして自転車使用を推奨しています。市が積極的に市民に使用を推進するために自転車無料貸し出しをしています。こんな事をしているのはスペインではココだけ。この2点が高く評価されて今年度の最もサステイナブルに貢献した都市として国から表彰される事になりました。

こんなに進んでいるのに彼らはもっと先を見ていてもっと遠くへ行きたいと。故に僕たちに戦略計画を頼んできたんですね。僕たちがやるのはスーパーマンサーナ計画と言ってバルセロナのグラシア地区と22@BCNで既にためし、今後、全セルダブロックに展開しようとしている計画、歩行者空間推進計画です。(コレについては今度詳しく書きたいと思います。)ビトリアの場合は状況がむちゃくちゃ良くて聞いた所では車・歩行者の割合が約30対70。え、って感じです。車30パーセントってすごい数字ですよ。という事はほとんど歩きか自転車。ここから更に車を減らしたいというのだからすごい。っていうかそんな事出来るのかな?僕が一番びっくりしたのは数ヶ月前初めての彼らとのミーティングを行った時に「観光の最適化」を提案したいと言ったら、観光には興味が無いとハッキリと言い切った所。観光に興味が無い都市なんてこれまた初めて聞いた。大体今のヨーロッパ都市って何処も観光で成り立っているとか観光収入は無視出来ないという状況なのに・・・ココの変の考え方もバスクの他2大都市とは大きく違う所ですね。ビルバオなどが観光収入モデルできているのに対して彼らの目標はあくまでも環境を整える事によって市民生活のレベルを上げる事。こういう場合、環境の質が上がる事によってジェントリフィケーションとかって起こるんでしょうか?どうなんでしょうね?もしくはそれによって引き起こされた地代高騰ならやむおえないと思うのでしょうか?その辺注目していたいと思います。

| スペイン都市計画 | 23:09 | comments(1) | trackbacks(34) | このエントリーをはてなブックマークに追加