地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
ルーヴル美術館、滞在記:ルーヴル美術館のもう1つの顔

ここ2週間あまり、パリのルーヴル美術館に滞在していました。

当ブログの読者の皆さんは既にご存知だとは思うのですが、実は僕、2010年以来ずーーーーっと、ルーヴル美術館と緊密なコラボレーションを展開しておりまして、その結果がこちらだったりします↓↓↓

地中海ブログ:ルーヴル美術館、来館者調査/分析:学術論文第一弾、出ました!

地中海ブログ:博士の学位を頂きました:建築家である僕が、コンピュータ・サイエンス学部でPh.Dを取った理由

っていうことを書くと、「えーーー、cruasanって毎日カフェでコーヒーとか飲んで、適当にコメントする人じゃなかったの?」とか、「えーーー、cruasanって、モナリザとか見て「あー、きれいな絵だなー」とかいい加減なこと言ってる人じゃなかったの?」とかいう人達がたくさん出てくるんだけど、いま正にそう思ったそこのあなた、地獄に堕ちてください(笑)。

まあ、でも、当ブログの適当なコメント加減を見ていれば、そう言いたくなるのも分からないでもない、、、かな(笑)。

さて、上に書いたように今回はルーヴル美術館に「滞在」してきた訳なんですが、これはどういうことかと言うと、実は2016年から「ルーヴル美術館リサーチ・パートナー」という役職を頂戴しておりまして、その立場でお仕事をしてきたという訳なんですね。

ということはどういうことか、、、???

そーなんです!なにを隠そうわたくしcruasan、実はルーヴル美術館の「中で働いてる人」っていう分類なんです!

「ええええー、そんなこと可能なの?」とか思ったそこのあなた、はい、人間に不可能はありません(笑)。出来るかどうか、先ずはやってみればいいんです。可能かどうか、聞いてみればいいんです。で、もしダメだったら、それはその時に考えればいいだけの話。

という訳で2010年くらいから何ヶ月かに一度の割合でルーヴル美術館を訪れては館内に滞在しつつ、センサーのセッティングをしたり、位置を変えてみたり、はたまたフィールドワークをしたりということを繰り返してきたのですが、今回の滞在でふと気が付いたことがありました:

「あ、あれ、、、そういえば、ルーヴルについてはブログ記事にしてないな、、、」と。

という訳で今回はズバリ、「ルーヴル美術館の舞台裏について、中の人しか知り得ない情報を書いてしまおう」と、そう考えています。題して、「ルーヴル美術館の舞台裏、潜入リポート」でーす!

パリが誇る世界一の美術館、ルーヴル美術館のシンボルと言えばガラスのピラミッド、その真下が美術館への入り口になっていることは多くの方々が知っている通りだと思うのですが、中で働いている我々スタッフの出入り口が何処にあるのかを知っている人はあまりいないのでは、、、と思います(っていうか、ルーヴルを訪れる日本人の99.9%は観光客なので、そんなこと知らなくても全く問題ないんですけどね)。

我々が美術館へのアクセスに使うのは主に2つ:

1つ目はRivoli通りに面したこの鉄格子を潜ったところ。

この柵を超えてスロープを下って行くと入口に辿り着きます(中に入るにはIDが必要)。

ちなみにこの鉄格子を挟んだ前の通りがフランス政府文化庁(みたいなの)になってて、ルーヴル美術館のアドミニストレーション関連部署は数年前までここの3階に入っていました。そしてもう一つの入り口がこちらです:

ガラスのピラミッドからナポレオン広場のアーチを潜ってSully翼へと抜けて行きます。

↑↑↑ちょうど僕が滞在している期間中はSully翼の中庭にルイヴィトンがパリコレの舞台を作っている最中でした。このガラスの箱の中をモデルさん達が歩く、、、みたいな感じになるらしい。

で、ここを抜けるとカルチェラタン方面へと通じる裏道になっているんだけど、セーヌ川へ出る直前、左手側にひっそりと佇んでいるこの扉こそ、いま僕が働いているオフィスへの通用口となっているんですね。もちろん中へ入る為にはID(フランス警察からの許可書などに基づいたもの)が必要で、入口は厳重な警備がされている&上階へはエレベータでしか上がれない仕組みになっている為、観光客や一般の人達が入るのはほぼ不可能となっています。

←この警備の厳重さ加減には正直ビックリしました。っていうか、かなりひいた(苦笑)。で、この入り口をはいって上階へ登ったところに展開しているのがこの風景:

じゃーん、本邦初公開のルーヴル美術館のオフィスでーす。とっても長—い廊下(笑)。丁度真ん中に位置しているエレベーターから見ても、行き止まりが霞んで見えそうな勢いです。

この長—い廊下の両側に天井の高—い部屋が幾つもくっ付いているのですが、ルーヴルってもともと王様の宮殿だったので、いまの時代の我々(平民)が慣れ親しんでいる部屋割りとはプロポーションが全く違ってですね、、、まあ、なんやかんやと不都合が出て来る訳ですよ。

例えば、ルーヴル美術館は建物自体がユネスコの世界遺産に登録されている為に、部屋の中をいじることがほぼ不可能という状況だったりします。そうすると、壁や天井裏をいじることが出来ない為に、夏は暑いからといってエアコンとかが設置出来ない訳なんですね(苦笑)。

←今年の夏は特に暑かったので、「夏場はどうだった?」って同僚に聞いたら、「仕事どころじゃなかった、、、」と、、、(笑)。そりゃ、そうだろうね!

さて、ルーヴル美術館で働いている我々スタッフには、専用のインフラが用意されていて、例えば、日々の食事なんかはどうしているかというと、ピラミッドの地下に社員食堂みたいなのがあったりするんですね。

ビュッフェ形式なんだけど、これが結構本格的で、こういうところを見ると、「さ、さすが美食の国、、、」とため息をあげざるをえません。で、最も驚くべきがその値段なんだけど、例えば今日のランチで僕が選んだのが、前菜(サラダ+生ハム)、メイン(魚のポワレ+ジャガイモのムース)+デザート(チーズの盛り合わせ)+カフェ+飲み物だったんだけど、そのお値段、なんと3ユーロ(350円)!えええええ、僕の朝食代(コーヒー+クロワッサン)より安い(笑)。

←同僚に聞いたところ、フランスでは会社に社員食堂が併設されている場合、社員の昼食代の何パーセントかを会社が負担しなければならない、、、みたいな法律があるらしい。

←さらに雇用形態(国家公務員、インターンなど)や役職(部長、平社員など)によって、各自が負担しなきゃならない割合が違ってくるらしい。もちろん下にいくほど安くなる仕組み。

←これ、全部同僚に聞いた話。毎日みんなでランチしてたから、フランスの社会保障制度などの大変込み入った話なんかを色々と聞いてしまった。

ランチの話が出たので、今度は朝食のお話を。地下鉄を乗り継ぐこと30分、オフィスに着いてから僕が毎朝一番にやっていること、それが仕事前の一杯のコーヒーです。で、僕のお気に入りのカフェがこちら:

じゃーん!デノン翼の2階に入っているMollienカフェ。このカフェ、一般には毎日9:45分から開いてるんだけど(ルーヴルの開館時間と同じ)、午前中はテラス席は開放されていません(テラス席は12時からです)。

そんな中、ルーヴル職員という特権を活かして9:15分頃に職員専用口から入って、9:30分頃から誰もいないこちらのカフェのテラス席でエスプレッソを楽しむのが何よりの楽しみ。

この風景を眺めながら美味しいコーヒーを飲んでいると、「さあ、今日も頑張るぞ!」という気になります(ボストンでいつも飲んでるアレは、コーヒーじゃないな、、、ということを再確認。なんだかよく分からないけど、「黒い水」、、、かなw)。

ちなみに午後の休憩に僕が良く使っているのが、リシュリュー翼の2階に入ってるこちらのカフェです。

先ほどのMollienカフェと丁度正反対に位置しているこちらのカフェは、ちょっと格式が高いっぽい(きちんとしたテーブルセットが並んでる室内のカフェ)なので、いつもは午後のコーヒー用に使ってたんだけど、先日たまたま日本からのお客さんと一緒にこちらでランチしてたら、その中の一人のかたが:

「あ、あれ、このカフェ、アンジェリーナじゃないですか!」

とか言われてて、、、もちろん僕は何も知らず、、、「え、アンジェリーナってなんですか?」って感じだったんだけど、どうやらモンブラン発祥のお店ということで日本ではかなり有名なんだとか。という訳で、良い機会だったので幾つか頼んでみることに:

で、食べてみた感じ、おおおおお、こ、これは、、、「大変美味しゅうございます!」ちなみに僕が試した中では、エクレアがとっても美味しかった。

で、ここからが今日の本題です(笑)。

今回の滞在ではセンサーをちょっといじくってセッティングを少し変え、その上で館内全域にてフィールドワークを実施したんだけど、パソコンを片手に歩き回る僕の姿はかなり異様だったことと想像します。

げんに何人かの来館者の方には、「あ、あなた、一体なにやってるの?」と声を掛けられ、見回りのスタッフには散々怪しまれました(もちろん、IDを見せれば納得してもらえる訳なんですが)。

こんなに怪しまれながらも、僕はこんなことを一体何の為にやっているのかというと、それはズバリ、「館内を訪れる来館者の方々の美術鑑賞の環境を少しでも良くしよう」と、博物館内の環境データを必死になって集めている訳なんですね。

逆にいうとこれは、ルーヴル美術館の来館者環境がそれほど悪化している、、、ということの裏返しでもあります。ルーヴル美術館に一度でも足を運んだことがあるかたはお解りだとは思うのですが、年間来場者数が800万人を超え、1日の来場者数が2万人を超える名実ともに世界No.1の博物館ですから、館内の混雑度といったら、我々の想像を遥かに超えている訳なんですよ。例えばこちら:

言わずと知れたモナリザなんだけど、この作品の前には朝から晩まで常に5重、6重の人垣が出来ていて、美術鑑賞なんてレベルのお話では全くない訳です。

ミロのビーナスの状況も酷いし、サモトラケのニケなんてもう「アイドルのコンサートか!」と思うくらいだったりします(苦笑)。この様な環境を少しでも改善する為、あらゆるところからビックデータを取得して解析してみたり、AIを使ってパターン抽出をしてみたりと、我々は日々模索している訳なんです。

で、実はここにはもう1つ大きな問題が潜んでいて、それが博物館や美術作品のメンテナンスをどうするか、、、という問題だったりするんですね。これだけ多くの来館者の方々が美術館に押し寄せてきてしまうと、個々の作品を修復するとか、少し劣化してきた壁の色を塗り替えるとか、その様な日々のメンテナンス作業さえ困難になってきてしまう訳です。

そこでルーヴルが去年あたりから導入したのが、各セクションを曜日ごとに閉鎖するっていうアイデアだったりするのですが、これはこれで厄介な問題を引き起こしつつあります。

例えば、現在ルーヴル美術館では水曜日がエジプト部門、木曜日はフランス部門の一部を閉鎖しているのですが、つい先日も僕が展示室の椅子に座っていたら、僕が付けているバッチ(ID)を見た来館者のかたが:

「あのー、ちょっとお伺いしたいんですが、せっかくナポレオンの部屋を見に来たのに、今日はお休みって、どういうことですか?」

とか聞かれる訳ですよ。

←うーん、難しい問題です、、、としか言いようがないかな。。。

さて、これら曜日ごとの閉鎖に加えて、ルーヴル美術館が館内全体でメンテナンスを行う日があります。それが毎週火曜日です。

その日ばかりは、いつもは混み合っているガラスのピラミッドの周りにも殆ど人がおらず、非常に穏やかな雰囲気に包まれているんですね。そんななか、館内はどうなっているかというと、実は館内スタッフの動きが一番慌ただしくなるのが火曜日だったりします。

なぜか?

なぜなら週に1日しかないこの日を使って1週間の汚れを落としたり、壊れた箇所を修繕したり、はたまた作品の修復をしたりと、普段はおっとりしているスタッフの皆さんも、この日ばかりは真剣そのものだったりするからです。

かくいう僕も、来館者の皆さんがいないこの日のうちにやらなければならないこと、この日じゃなきゃ出来ないことが山ほどあり、火曜日ばかりは朝からゆっくりとコーヒーを飲んでる場合じゃあなかったりします。

↑↑↑彫刻の間に置かれている植栽に水をあげています。

こんな天地がひっくり返るほど大忙しの火曜日なのですが、我々スタッフにとって一番幸せで、「ここで働いていて良かった」と、そう思える瞬間を迎えられるのも火曜日だったりします。その理由がこちらです:

そう、誰もいない博物館。美術作品を独り占め出来る時間、、、我々スタッフにとってこれほど嬉しいひと時はありません。普段は来館者で溢れ返ってるイタリア・ギャラリーも火曜日だけはこんな風景が広がっています:

この回廊はもともと、王様の息子たちが狩りの練習などをして遊んでいた回廊だったらしいのですが、いまではレオナルド・ダ・ヴィンチやラファエロなど、ルーヴル美術館の中でも超人気スポットとなっています。普段はお祭り騒ぎのサモトラケのニケも火曜日だけはこんな感じ:

誰もいません。ガラスのピラミッドのデザインと共に、この美術館の改修を担当したI.M.ペイ氏は、「サモトラケのニケという作品を空間的にどうドラマチックに持っていくか、フォーカスしていくかに最も心を注いだ」と、後にそう語っています。まさにその真意が垣間見える瞬間です。

普段は来館者の姿で視線が遮られてしまうダル・ギャラリーからサモトラケのニケを見通してみます。

荘厳な大階段の頂上に、あたかも天上界からの光が指すかのような、そんな演出が大成功しているように見受けられます。そして今度はこちらです:

ルーヴル美術館で1,2を争う人気作品、ミロのビーナスです。ピラミッドから入ってSully翼を抜けエジプト部門のスフィンクス、そしてそこから続くギリシャ彫刻部門は館内でも最も混雑する回廊として知られていて、そのクライマックスにあるのがこのミロのビーナスだったりするんですね(上の写真)。それが火曜日にはこうなります:

静寂が支配する空間です。「美術鑑賞ってこういう風にするべきなんだよなー」という当たり前のことを思い出させてくれます。そして来館者の姿がないからこそ、ミロのビーナスのベストショットを見つけることも出来ちゃったりします:

来館者がいては絶対に撮れない一枚、アテネ象を始めとする数々のギリシャ彫刻の隙間から、あちら側にミロのビーナスを見通すパースペクティブです。

そして、そして、ルーブル美術館と言えば勿論こちら:

モナリザです。ルーヴルの代名詞といっても過言ではないモナリザの部屋は、人垣が5重、6重に出来てしまっていて、絵画を鑑賞する、しないどころの話ではありません。

これはちょっと、、、ひどい(上の写真)。しかしこの状況が火曜日にはこうなります:

誰もいません。もうちょっと近づいてみます:

多分、この瞬間、僕は世界で一番幸せなひと時を過ごしている人間、、、とそう言うことが出来るかもしれません。モナリザを独り占めしているのですから。

昨日まではあんなに小さかった絵画が、いまはこんなに近くにあります。そして写真ではなく本物をこんなに間近で見られる幸運。筆使いの1つ1つまで、はっきりと見分けられるほど、近くに寄ってじっくりと鑑賞できる喜び。

この風景を一体何人の日本人が見ることが出来たのだろう。

芸術鑑賞とは、一人一人が作品と真に向かい合う時間のことを指すのだと、今回の滞在ではっきりと再確認することが出来ました。そして僕たちがやっていること、日々格闘していることは、一人でも多くの来館者の方々に、このような素晴らしい美術体験、博物館体験をしてもらい、一人でも多くの方に美術や芸術を通して心豊かになってもらうこと、幸せになってもらうことなのです。

追記:710

07/07/2019-07/09/2019、ルーヴル美術館で開催された「ビックデータと美術館」と題する国際ワークショップで基調講演をしてきました。「AI、ビックデータ、美術館」というキーワードで世界的な潮流を作り出していこうという意図のもと企画された今回の国際ワークショップ、ルーヴルを始め、地元からはソルボンヌやマルセイユ大学、英国からUCLなど、この分野で頭角を現し始めているリサーチャーが集まっていました。

パリ滞在は半年ぶりな上に、ノートルダムの大火災後初のパリ訪問だったので、とりあえず大聖堂がどんな感じになっているのか、真っ先に観に行きました。これが現在の姿です:

大屋根がごっそり抜け落ちて、足場などが組み上げられている様子が伺えます。

大型クレーンなんかも何台も動いていて、かなり大規模に修復工事が進められています。もうちょっと近づいてみます:

伝統的な石造りの様式と、繊細な線で構成されている足場などが相まって、これはこれで良い感じのデザインじゃないのかなー、、、とか思ったりして。

正面は全く変わらず。

ただ、今回の火災の為に、現在は内部は立ち入り禁止でした。ここの内部空間はパリ建築の中でも必見なので、それだけは非常に残念!

そこから歩いてカンファレンスが行われるルーヴル美術館へ。朝8時くらいに館内へ入って、終わって出てみたらもう20時だった(涙)。

だた、パリにおけるこの時期の20時ってまだまだ明るくて、日本の夕方っぽいので夜はまだまだこれから、、、っていう感じかな。ガラスのピラミッドも夕日に照らされて、幻想的ですらあります。

そこから歩いて15-20minくらいのところにあるポンピドゥー・センターへ。個人的には、ここからの眺めが一番好きかな:

旧市街からチラッと顔を出すハイテクテクノロジーのデザインの登場〜。

そしていつ来ても、この中庭空間が非常に気持ち良く使われているのが嬉しいですね。

そしてパリ市内が一望出来る上階からの眺めは最高の一言:

絶景かな、絶景かな。

今回ルーヴルが取ってくれたホテルが、パンテオンの近くで、「な、なんでかなー?」とか思ったら、2日目のミーティングがどうやらソルボンヌ大学(パンテオン・ソルボンヌ)であるからだということが判明。

歴史ある大学だけあって、構内のデザインも歴史を感じさせます。そして今回のパリ滞在で僕が一番驚いたのがこちらです:

じゃーん、言わずと知れたジャン・ヌーベルのカルティエ財団なのですが、なんとなんと、来週から始まる「樹木の展覧会」の為に、樹木が至るところに植えられて、それが街路の樹木と相まって、まるで建築が消えているかのような、そんな幻想的な風景がここには立ち現れています。

これは、、、ちょっと面白いぞー。もともとこの建築のエッセンスは、ガラスとガラスの間に建築を置くことによって、その存在を消す、、、みたいなところにあると思うのですが、内部に樹木を植えることによって、それがファサードに映り込み、さらにその映り込みが街路の樹木のものなのか、内部のものなのか、そのインタラクションによって建築が一段と消えている、、、と、そういうことが出来るかと思います。

テーマとしても面白いし、これは実際に訪れてみたかったなー。

来週からパリに行かれる人は必見です!

| 大学・研究 | 05:52 | comments(4) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
イグアラーダ(Igualada)にあるエンリック・ミラージェスの建築:イグアラーダの墓地

バルセロナから電車で2時間ほどの所にある小さな町、イグアラーダ(Igualada)に行ってきました。この町はカタルーニャが「スペインのマンチェスター」と言われていた19世紀末頃に繊維工業で栄え、町の至るところには当時の面影を残す工場跡地が幾つも顔を覗かせています(地中海ブログ:パン屋さんのパン窯は何故残っているのか?という問題は、もしかしたらバルセロナの旧工場跡地再生計画を通した都市再活性化と通ずる所があるのかも、とか思ったりして)。

その割に、歴史的中心地区は意外に小さく、幾つかのミュージアムを除いては特に見るものも無し。。。しかしですね、そんなコレといった観光資源もない町に、毎年海外から数多くの建築家達が押し寄せて来るという摩訶不思議な現象が起きているんですね。

何故ならこの町にはカタルーニャが生んだ今世紀を代表する建築家、エンリック・ミラージェスの傑作の一つ、イグアラーダの墓地があるからです。

実は、、、バルセロナに来た当初、エンリック・ミラージャスの建築にはさっぱり興味がありませんでした。勿論、El Croquisなどを通して知ってはいたのですが、なんかクネクネしてるだけだし、「ほ、本当にこれが良い建築なのか?」とかなり疑心暗鬼だったんですね。

そんな僕の疑念を一気に吹き飛ばしてくれた建築こそ、今回訪れたイグアラーダのお墓だったのです。いま思えば当時の僕は、「建築とは何か、社会文化とは何か、建築家とはその社会にとってどういう存在なのか?」といったことが、これっぽっちも分かっていない若造でした。というか、そんなことを考える=「建築をその地域の社会文化の中で考える」というアイデアすら思い付かないほど、何も知らなかったのです。

←スペインの格言で「無知とは最大のアドバンテージだ(Ia ignorancia es una gran ventaja)」というのがありますが、正にそれにピッタリだったと思います。

そんな僕に、建築と社会の繋がりの大切さを教えてくれたのが、エンリック・ミラージェスの建築であり、Oportoを拠点とする建築家、アルヴァロ・シザだったんですね。

いまから15年前、当初はソウト・デ・モウラの建築に興味があって訪れたポルトガルだったのですが(地中海ブログ:エドゥアルド・ソウト・デ・モウラの建築:ポウザーダ・サンタ・マリア・ド・ボウロその2:必要なくなった建築を壊すのではなく、修復してもう一度蘇らせるという選択肢)、「時間が余ってしまった」という消極的な理由から偶々見に行った美術館が素晴らしすぎて、その3日後には「シザの建築をどうしても理解したい」と思うようになり、即決で1年弱Oportoに住み込むことにしちゃいました。

←若い時だからこそ出来たムチャです(笑)。

←その当時は時間は腐るほどあったし、何よりユーロ通貨が導入されたばかりの頃だったので生活費が尋常じゃ無いほど安かったのです(地中海ブログ:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)のインタビュー記事:シザ建築の特徴は一体何処からきたのか?)。

Oportoに住んでいる間、毎日の様にシザの建築を訪れたり、街のいたる所で行われる建築関連のイベントに参加したりと、「書籍からではなく体験から」、建築と社会文化、そしてその社会の中における建築家の役割ということを肌で学ぶ事が出来たのは本当に幸運だったという他ありません(地中海ブログ:アルヴァロ・シザの建築:セラルヴェス現代美術館:人間の想像力/創造力とは)。また日本では「詩的」と評されるデザインばかりが紹介されがちなのですが、ポルトガルというローカルな地域の中でグローバルな建築家がどう評価され、どう受け止められているのかという別の側面を垣間見ることが出来たのは、建築家としての僕のキャリアを形成する上で掛け替えのない財産となったと思います。

それ以来、書籍でしか見たことの無い建築や、自分が住んだことの無い地域の建築を深く語るのはやめることにしました。

建築は社会文化に深く入り込んだ存在であり、その社会文化の表象でもあるので、その建築がその社会の一体何を表しているのか、その文化にとってどんな意味があるのかを理解しないことには、その建築がそこに建っている意味が分からないと思うようになったからです。例えば僕は昔からジャン・ヌーベルの建築が良く分からなくて、結構色んなところで批判もしてきたのですが、「あの「ヌメーとした感覚」は、もしかしたらフランス文化のある側面を表しているのかもしれない、、、」といまはそう思うことが出来るようになりました(地中海ブログ:マドリッド旅行その2:ジャン・ヌーヴェルの建築:国立ソフィア王妃芸術センター)。

そんな僕の眼から見た時、エンリック・ミラージェスの建築は、バルセロナというこの地のもつパワー、ギラギラ照りつける太陽の下、陽気に溢れ返っているこの地の社会文化を的確に表象している、そう断言することが出来ます。彼が意図する・意図しないに関わらず、彼が創る建築はそんな側面を表象してしまう、そんな数少ない建築家の一人なんですね。そう、まさに:

「建築とは、その地域に住んでいる人達が心の中で思い描いていながらも、なかなか形に出来なかったもの、それを一撃のもとに表す行為である」(槇文彦)

注意

このお墓は工業地帯の一角(町の郊外)にあります。駅から歩いて45minくらい、タクシーなら10min程度ですが、人気(ひとけ)があまり無いところなので一人で行くのは絶対に避けましょう。

←スペイン在住16年で、危ない環境に足を踏み入れたら即座に危険センサーが鳴り響く僕ですら、正直ちょっと怖かったです。

←繰り返しますが、出来るだけ大人数で行くことをお勧めします。

さて、タクシーを降りてお墓に到着したら先ず我々を出迎えてくれるのがこの風景:

大自然の中にひっそりと佇むコンクリートの形態達、、、って感じかな。コールテン鋼で創られた軽快なオブジェが、青い空と緑にマッチしています。ダイナミックな形態をしたこのオブジェはミラージェスの十八番。

カタルーニャ内陸部にミラージェス事務所がデザインした小さな図書館があるのですが、その建築に流れる物語のクライマックスに変形可動テーブルを持ってきていることは以前のエントリで詳しく書いた通りです(地中海ブログ:エンリック・ミラージェスとベネデッタ・タリアブーエのパラフォイス図書館:空と大地の狭間にある図書館)。ちなみにスカルパもクエリーニ・スタンパリアで壺による大変特殊な空間体験を持ってきていましたし(地中海ブログ:カルロ・スカルパの建築その2:クエリーニ・スタンパリア:空間の建築家カルロ・スカルパ:ものすごいものを見てしまった)、カステル・ヴェッキオでは、各展示室に置かれた家具が、空間の質を左右する重要な要素として考えられていました(地中海ブログ:カルロ・スカルパの建築その3:カステルヴェッキオ:空間の建築家カルロ・スカルパ:ものすごいものを見てしまったパート2)。

そんなことを思いつつ、いよいよ中へと入っていきます。

これが典型的なヨーロッパのお墓です。我々日本人にとっては非常に印象的な風景だと思います。そう、ヨーロッパのお墓というのは、こんな感じで高層マンションの様になっているんですね。

どうしてこうなっているのかというと、日本では火葬が一般的なのですが、ヨーロッパでは土葬が主流だからです。つまりはそれだけスペースが必要になってくる為、高層化しないと土地が幾らあっても足りなくなってしまうからです。特にカトリック信仰が根強く残っているスペインにおいては、基本的にみんな土葬だったりするんですね。

←なんでかって、カトリックでは「死んだら復活して天国へ行ける」と信じているので、体を焼いちゃったら復活出来ないからです。

←火葬の日本では、死んだ直後に焼いちゃうから、死人はその時点で時間が止まる為、日本の幽霊(お化け)はいつも五体満足で出てきます。

←逆にヨーロッパのお化けは基本的にゾンビです。ヨーロッパでは土の中に体が残っている為、死んでからも時間が経過するので(つまりは腐敗が進む為)、五体満足の状態では出てこれないのです。

埋葬の仕方なのですが、基本的に上の写真の穴一つ分が1家族の埋葬スペースになります。で、この高層マンションタイプが一般庶民用なんだけど、お金持ちのお墓っていうのがコチラ:

ゆったりスペースタイプ(笑)。正に「地獄の沙汰も金次第、、、」と言った感じでしょうか。ちなみに下のお墓はバルセロナ市内にあるイルデフォンソ・セルダのお墓です:

バルセロナの新市街地を創った彼のお墓らしく、セルダブロックがデザインされたオシャレな創り(笑)。また律儀にも、現在の過密状態ではなく、彼が理想とした低密度バージョンになってるww

さて、この建築の最初の見所がコチラかなと思います:

エントランス向かって右手側が斜めに大きくせり出し、その力を受けて少し押されるかのように反対側の形状が凹んでいるんですね。これはコルビジェの影響だと思われますが、ミラージェスのもう一つの傑作、バラニャ市民会館がコルビジェの影響を強く受けていることは以前のエントリで書いた通りです(地中海ブログ:エンリック・ミラージェスの建築:バラニャ市民会館:内部空間編)。

ただ、形態的には確かにコルビジェなんだけど、この強いせり出しによる空間構成とここに流れる空気は、アルヴァロ・シザの教会の膨らみに似ている気がします(地中海ブログ:アルヴァロ・シザの建築:マルコ・デ・カナヴェーゼス教会の知られざる地下空間:真っ白な空間と真っ黒な空間)。

1つのユニットとしての箱(1人用のお墓)がこれだけ沢山並んでいると、それだけである種のリズムを創り出していて爽快です。つまりは同じものを反復することによる美、、、という手法ですね。、、、ここで思い出されるのがミース・パビリオンなのですが、実は僕、バルセロナに来たばかりの頃、バルセロナ・パビリオンの良さがさっぱり理解出来なくて、一ヶ月くらい毎日通い続けたことがありました。

←あまりにも毎日来るものだから、係員のお兄さんが不思議がって、「お前は一体誰だ?」みたいな話になり(笑)、それが縁でミース財団と知り合いになり、一年後にミース財団奨学生にしてもらうことが出来たっていう、嘘のような本当の話(笑)。

その当時は時間だけはあったものだから、本当に毎日通ってて、で、一ヶ月くらい経ったある日、ふと気が付いたのです。

「大判で同じサイズのトラバーチンがあれだけ丁寧に、しかも毅然と並んでいる風景は結構美しいかもしれない、、、」と。

ちなみに僕は奨学生という立場を利用して、バルセロナ・パビリオンの地下に入ったことがあります。

←バルセロナ・パビリオンの再建を請け負ったイグナシ・デ・ソラ・モラレスによると、オリジナルと複製で唯一違うのが「地下空間があるかどうか、、、」という点だそうです(地中海ブログ:バルセロナパビリオン:アントニ・ムンタダスのインスタレーションその1)。

←もう一つちなみに、今年(2016年)はミース・パビリオン再建30周年記念だった関係で様々なイベントが行われていたんだけど、再建当時、このパビリオンの大理石を探す為に世界中を駆けずり回っていた石職人のおじいちゃんのインタビュー記事が地元の新聞に載っていました。

こういう記事が新聞の見開きに大々的に載ること自体、市民全体に「建築」が浸透していることの証でもあると思います。

さて、この建築の構成なのですが、左手には先ほどみたお墓が一直線に並んでいるのに対して、その力を受ける反対側のお墓は、あたかもその静寂さを崩すかのような構成をしているのが分かるかと思います:

3つに区切られたブロック、その真ん中の部分だけを敢えて引っ込ませることによって、画一的になりがちな形態に動きを与えることに成功しているんですね。更にその引っ込んだ部分は、左手側の形態に対応している為、二つの形状の間に連続感すらも獲得しているというオマケ付き。この辺は非常に上手いと思います。

また、この引っ込みによって出来た空間(膨らみ)が、クライマック的空間に到達する一つ手前のクッションとして働き、人の流れに対する「溜まり」を請け負っていることも分かります。そこを抜けると広がっているのがこちら:

じゃーん!大変気持ちの良い、円形広場です。注目すべきはここかな:

空を切り取っていた直線がその端部においてどう終わっているか、、、という点です。そう、建築のデザインにおいて大事なことは、直線そのものではなく、その直線が他の直線とどう交わっているのか、はたまたその直線がその端部でどう終わり、どのように空を切り取っているのか、、、ということなんですね。

それらのことが非常に良く分かる基礎デザインのオンパレード!ミラージェスの建築が輝いているのは、なにもそのグニャグニャ感だからなのではなくて、そのグニャグニャ感を支えている「ちょっとしたデザイン」、その基本をキチンと押さえているからこそ、彼のグニャグニャが活きてくるんですね。そういうデザインの基礎も何も無しにやっているのは、単なる形態遊びでしかありません。

さて、この位置から今辿ってきた道を振り返ってみます:

この位置から見ると明らかなんだけど、エントランス(入り口部分)が狭く、そこから奥に行くに従って末広がりの空間構成になっていることが分かるかと思います。そしてその空間を抜けると広がっているのがこの風景:

一番奥の部分に、人々が溜まることが出来る空間、一番広い空間を持ってきています。この丸い空間を上から見てみます:

床に埋め込まれた木々が非常に良いリズム感を醸し出しています。ここはこのお墓に来た人たちがゆったりと談笑する空間、祖先と向き合う空間として設えられているんですね。ちなみにこのお墓には2000年に急死したミラージェス自身のお墓もあったりするのですが、ミラージェスのお墓の壁には海外から引っ切り無しに訪れる建築ファンのコメントで溢れ返っていました:

それだけこの建築がここを訪れる人達の心を捉えたということだと思います。

一直線に並ぶお墓ブロックの真ん中には上階へと向かう階段が設えられています。

更にもう一段。登りきった所に展開しているのがコチラの風景:

計画されながらも10年以上も放置されている教会堂です。「あー、そうか、、、ここがこの建築のクライマック的空間として計画されたんだな、、、」と、ここまで来て初めて、この建築に流れる物語(ストーリー)の全貌が明らかになりました。

この教会堂には、三つのトップライトから光が存分に降り注ぎ、まるでその光を受け止めるかのように、大きな掌のような形態をした受容器がデザインされています。そしてその表面は意図的にザラザラの装飾が施されているんですね。

これはバロック建築がよくやる手法、真上からの光を受け止め、その光がどのように空間に拡散されていくかを視覚化する装置と一緒です(地中海ブログ:ルイス・カーンのフィリップ・エクセター・アカデミー図書館:もの凄いものを見てしまったパート3:「本を読むとはどういう事か?」と言う根源を考えさせられた空間体験、地中海ブログ:プロヴァンス旅行その5:ル・トロネ修道院の回廊に見る光について)。

この建築を訪れることによって感じること、それは普通のお墓にありがちな辛気臭さだとか、悲壮感などではありません。そうではなく、この空間に溢れているのは喜びであり、楽しさであり、何より心弾む、そんな感覚なんですね。ミラージェスはこのお墓をデザインするにあたり、こんなことを言っています(10以上前に読んだ記事なので一言一句覚えている訳ではありませんが、こんな感じの趣旨だったと思う):

「お墓というのは、故人を悲しく想い偲ぶ場所なのではなく、故人と向き合い再会することによって、みんなで楽しむ場所なのだ」、、、と。

建築は表象文化です。そして建築とは、個人的な感情よりも集団的な価値観を、悲しみよりも喜びを表象するのに大変適した芸術形式です。

このお墓には、この地に生まれ育ちながらも死んでいった人達と再会する喜び、そんな感覚で満ち溢れています。そしてそれこそが、このカタルーニャ、ひいてはスペインという地の社会文化であり、そのことを一撃の元に表しているのがミラージェスという稀代の建築家がデザインした建築だったりするのです。

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博士の学位を頂きました:建築家である僕が、コンピュータ・サイエンス学部でPh.Dを取った理由

先週金曜日(11月25日)、PhD Defense(日本で言うところの最終口頭審査)に合格し、博士号(Ph.D in Computer Science)を取得することが出来ました!

←バンザイ〜、バンザイ〜、バンザイ〜!!

←おめでとうー(祝)

学位論文のタイトルは「建築と都市における人の移動(モビリティ)分析」。都市や人々の活動に関するビックデータとその分析が、建築デザインやアーバン・プランニング(都市計画)にどのような影響を与えるのか(もしくは与えないのか)という問い(Research Question)について、「人の移動(モビリティ)」という観点から検討しました。この博士論文は3本の独立したジャーナル・ペーパー(査読付き論文)から成り立っています:

1.ルーブル美術館来館者研究(Environment and Planning B)

2.バルセロナ旧市街地における買い周り行動分析(Applied Geography)

3.クレジットカード情報を用いたバルセロナ市における人々の買い周り行動分析(Environment and Planning B)

3本ともこの分野における最高峰の国際ジャーナルに採択された論文です(つまりはカンファレンス・ペーパーではありません)。さらに博士論文の章立てとしては含まれてないけど、業績としては下記の2本の論文も国際ジャーナルに採択されました:

4. ルーブル美術館の来館者密度指標の開発(IEEE Pervasive Computing)

5. 携帯電話の電波を用いた新しいトラッキング手法(IEEE Communications)

博士論文提出条件として、上に示した5本のジャーナル論文の他に、欧州委員会とのコラボレーションを通したスマートシティ分野における欧州プロジェクトへの貢献、スマートシティという文脈における日本の自治体(神戸市役所など)や日本企業とバルセロナ市役所との関係強化への貢献、MITとバルセロナ関連機関との関係強化への貢献等、僕がこの5年間で関わってきた全ての活動が評価された上で、博士論文提出が認められました。そしてその提出した博士論文が内部委員会の審議に掛けられ、「最終口頭審査を受ける資格あり」と評価された上で、国内外から集められた専門家3人の前で最終口頭審査(PhD Defense)を乗り切ることによって博士号が授与されるに至ったんですね。

←PhD defense(最終口頭審査)って、てっきり形式的なものだとばかり思ってたら、「これでもか!」っていうくらい突っ込まれて、結構きわどかった(汗)。

当初思い描いていたよりも、長く苦しい道のりだったけど、僕の人生に大きな実りをもたらしてくれた5年間だったと思います。なにものにも代え難い体験、そんな経験をさせてくれた5年間でした。

今日から、Dr. cruasanです。

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↓↓↓「なぜ建築家である僕がコンピュタ・サイエンスで博士号を取ったのか?」、「海外の博士号とは一体どんな意味があるのか?」を書いてたらすごく長くなってしまったので、興味のある人達の為に下記に記しておきました:

僕が海外で博士号を取得しようと思った理由、建築学部ではなくコンピュータ・サイエンス学部で博士号を取得しようと思った理由、、、それはいまから約10年前、バルセロナで目撃してしまった衝撃的な風景がもとになっています。

あれは忘れもしない、バルセロナ都市生態学庁で働き始めて2週間くらい経った日のことでした。まだ右も左も分からない新米の僕が、初めてミーティングの席に呼ばれ、地元の専門家達を巻き込んだ議論に参加する機会を得た時のことです。

そのプロジェクトは22@BCNの歩行者空間化の計画(いまではジャン・ヌーベルのアグバル・タワーやポンペウ・ファブラ大学などが立ち並ぶエリアの基本計画を作ったのは僕達だったりします(地中海ブログ:22@地域が生み出すシナジー:バルセロナ情報局(Institut Municipal d'Informatica (IMI))、バルセロナ・メディア財団(Fundacio Barcelona Media)とポンペウ・ファブラ大学(Universitat Pompeu Fabra)の新校舎))を話し合う場だったのですが、そこに集まった面々を見てビックリ!なんと、そこに集まっていたのは、物理学者や統計学者、生態学者や心理学者といった人達であって、その中に建築家は僕しかいなかったんですね(驚)。「都市空間に関するミーティングなんだから、参加者はみんな建築家だろう」と高を括っていた僕に、先ずは最初の先制パンチ!そしてミーティングが始まると、更に驚くべき光景が展開され始めました。

先ず最初に口火を切ったのは、僕の目の前に座っていた物理学者のJさん。22@BCNエリアに散りばめられたセンサーから集めた大気汚染のデータを持ち出しながら、「バルセロナのこのエリアの汚染濃度はEU基準値の遥か上をいっています、、、」とか話し始めたのですが、正直、「え、センサーってなに?」って感じでした(笑)。

←いまでこそ大気汚染を測るセンサーなんて珍しくもなんともないのですが、10年前にはそんなの聞いたこともありませんでしたから。。。更に追い討ちをかける様にコンピュータ・サイエンティストのBさんが、「皆さん見てください、これはこの地区を構成している全てのお店の位置情報と、それに関する分析結果です」とか言って、これまた全く目にしたことも無いヒートマップ(当時はその地図がなんと言うのかすら知らなかった)を持ち出してくる始末。そうこうしている内に、物理学者であり交通シミュレーションの世界的権威、ジャウマさんが「このエリアのシミュレーションをしてみたんだけど、、、」みたいな感じで、これまた全く見たこともない交通シミュレーションを見せ始めた。。。(実はジャウマさんとお会いしたのは、このミーティングが初めてでした(地中海ブログ:スマートシティとオープンデータ:データ活用によるまちづくりのイノベーション(横浜)シンポジウム大成功!))。

「都市のことを良く知っている都市の専門家=建築家」だと思い込んでいた僕の目の前で、全く知らない風景が展開し、見たこともないデータを用いて、見たこともない分析をしている人たちが存在する。。。膨大な定量データを巧みに操り、それらを実証データとして活用することによって、「データを用いたまちづくり」を実践している人たち。。。

凄かったです。本当に新鮮な驚きでした。なによりショックだったのが、彼らが言っていることに、「建築家とはまた違った説得力がある、、、」ということだったんですね。

だからこそ、僕は心の中でこう思ってしまったのです:

「これはダメだ、、、絶対にまずい、、、このままではアーバン・プランニングや「まちづくり」といった舞台における建築家の役割、建築家の存在意義が無くなってしまう、、、」

……都市は建築家の主戦場です。その主戦場から建築家が撤退せざるを得ない、そんな日が近い将来来ざるを得ないことを、この時のミーティングはハッキリと示していました。そして10年後の現在、それが現実のものとなってしまっていることを、我々は様々な場所で目にしているはずです。

例えば現在ヨーロッパで大問題を引き起こしているAirBNB(日本でいうところの民泊)が良い例かもしれません。僕の視点からいうと、これは都市に関する問題であり、建築家こそが率先して対処すべき問題だと思うんですね。

しかしですね、AirBNBの問題を建築家が扱おうとすると、直ぐに大きな壁にぶち当たります。建築家が提案する政策提言というのは現状分析に基づいています。その現状分析が正確であればあるほど、それに基づいたシナリオはより説得力を増す訳なのですが、逆に言えば、現状分析が曖昧であったり、全く出来ない様な場合、建築家が描く未来はそれこそ「絵に描いた餅」に終わってしまうんですね。そしてAirBNBに関する限り、建築家は往々にして現状分析をすることが非常に困難な状況へと追い詰められてしまうのです。

何故か?

何故ならAirBNBの現状を知る為には、対象都市(例えばバルセロナ市)においてどれくらいの部屋がAirBNBとして貸し出されているのか、どれくらいの需要があり、どれくらいの人たちが何日くらい何処に泊まっているのかなど、ウェブからデータを拾ってくる必要があるのですが、コードが書けない建築家はそれらの情報をウェブから集めることすら叶いません。仮に運良くそれらのデータを拾ってこれたとしても、それらのデータをどうやって分析し、どう可視化したら良いのか、途方にくれるのがオチだと思います。

この様に書くと、「じゃあ、そういう側面はコンピュータ・サイエンス学部の専門家達とコラボすれば良いじゃないか!」と言い出す人がいるかもしれませんし、それはそれで一つの解決方法だとは思います。が、しかし、、、「データ分析の外注」は建築家の創造力・想像力を殺す行為だと僕は思っています。データ分析というのは、生データを自分の手で触りながら整理していく中で、「あー、このデータはこういう傾向があるんだな」とか、「あー、こういうパターンがありそうだ」とか段々と分かってくるものなんですね。それらの過程を一気に通り越して、結果だけ見せてもらっていては絶対に見えてこないものがあると、僕は経験から学びました。

つまりは、都市に関するビックデータが優勢になりつつある我々の社会では、建築や都市計画の知識を有しながらも自分でコードが書けて、適切な分析が出来る人材、その様なプロフェッションが確実に必要になってくるのです。

10年前のあの日、ビーチの真ん前のオフィスで一人思った建築家の将来像、「これからはデータの時代であり、建築家といえどもデータが扱えなければやっていけない時代がやってくる」、、、そう思った時に、それらビックデータを適切に扱い、建築や都市に役立てる専門家になる為には一体どうしたら良いのだろうか?

←これが、建築家である僕が、コンピュータ・サイエンス学部で博士課程を始めようと思った直接のキッカケとなりました。

僕が海外で博士号を取得しようと思った理由はもう一つあります。それは海外ではPh.Dホルダー(博士号取得者)は非常に尊敬され、社会的地位が高いということに起因します。欧米において社会を引率するエリート層というのは、往々にしてPh.Dホルダーであり、博士号を持っていることがその層に属する為の必要条件(十分条件ではない)、もしくはパスだったりするんですね。

はっきり言います。「ヨーロッパにおいて博士号を取ることが出来る人」というのは非常に特殊な人に限られ、この学位は「普通の人が取る学位」とは差別化されています。それがヨーロッパ社会一般に通底している認識です。

この様に書くと、右を見ても左を見ても中流階級の中で生きている日本の皆さんには、「え、なにその階級社会?おかしくない?」とか思われるかもしれません。しかしですね、ヨーロッパ社会というのは基本的に階層社会であり、一部のエリートが残りの平民を導いていくという認識の元に組織されている社会なのです。だから最近日本で良く言われている「格差社会」なんて、ヨーロッパから見たら、結構カワイイものだったりします。

こういう状況に身を置いていると、日本における博士号取得者の地位の低さは世界的に見ても「異常」です。よく「日本の常識、世界の非常識」と言われるのですが、博士号に関してはまさにそれがピッタリと当てはまります。

←が、しかし、「日本の常識」が世界の常識に合わないが為に、常に日本が間違っている、劣っている、、、ということでは決してありません。ただ、博士号に関しては、明らかに日本の常識は世界の非常識だと思います。

ではその違いは何処から来るのか?

それは欧米においては、何の為に博士号を取得するのか、博士号取得者は社会的にどのような地位が与えられるのかなど、博士号とその取得者に対する「社会の覚悟」が、階層社会というコンセプトを通して歴史的に形成されているということが挙げられます。例えば上述したように、ヨーロッパにおいては博士号取得者は社会を統率していくエリートとしての役割を社会が用意してくれていますし、逆にアメリカでは市場主義とでもいうような階層、つまりは博士号取得者が起業してCEOになったりと、大学教授になる以外の道が数多く用意されていたりします。

←ちなみにドイツのメルケル首相が博士号を持っていることや、ヨーロッパの多くの国会議員が博士号取得者であるということ、バルセロナ市役所など自治体職員の幹部の多くも博士号を持っていたりするということも知っておいて損はありません。

←こういう認識を広めていくと、日本の自治体の方々が大好きな「表敬訪問」がいかに馬鹿らしい行為なのか、いかに海外の自治体職員に迷惑がられているかということが良く分かるかと思います。

←海外の自治体職員の幹部はPhDホルダーとして専門職に長年付いている人達なので(日本のようにコロコロ部署を移動したりはしない)、例えば、温暖化問題に対して横浜市役所が何をやっているのか、どんな政策を今まで取ってきて、そこにどれくらい投資をしているのか?また、これから何処へ向かっていこうとしていて、世界的に見た時の横浜市役所の強みは一体なんなのか?という基本情報なんてのは、当たり前の様に熟知している訳ですよ。

←そんな人達に向かって、付け焼刃的な情報を集め、自身の市役所のやってきたことをなぞるだけ、、、というのは時間の無駄でしかありません。

←もっと言っちゃうと、「名刺交換だけして帰る」とか、「名刺交換さえすれば交渉が終わった」といった態度は、海外の自治体職員をこの上なくバカにしている行為なので、今後絶対に止めて欲しいですね。

(あー、話しが脱線してしまった、、、) そんな中、日本はどうかというと、博士号取得者に「一体何を期待しているのか」、「社会は彼らをどう受け入れるのか」等の準備が全く出来ていないにもかかわらず、政策レベルで博士号を増やす、、、という大変不思議な状況になっているように思います。多分、博士号の数=その国の先進性を表す、、、みたいな勘違いをしているのではないでしょうか?

このような両社会一般に浸透しているPhDホルダーの社会的な意味・地位が日本とヨーロッパでは大きくかけ離れている為、欧米における博士号授与の審査と、そこに至るまでの過程は相当厳しいものとなっている、、、という訳なのです。

ちなみに僕は(上に書いたけどもう一度強調しますが)、博士号をもらう為に、査読付きの国際ジャーナル論文5本が必要でした。しかもその分野において「世界的なインパクトを引き起こすことが必須」みたいな(笑)。

←日夜論文執筆に躍起になっている研究者の皆さんなら、ジャーナル論文5本というのがいかに大変な業績であるかが分かってもらえるかと思います。

| - | 17:30 | comments(1) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
京都の学芸出版社で刊行記念レクチャーを行います。
昨年10月に出版された「海外で建築を仕事にする2:都市・ランドスケープ編」の刊行記念レクチャーを、編著者の福岡孝則さん、そして龍谷大学の阿部大輔さんと共に、今月末(1月29日)京都の学芸出版社にて行います。
←おめでとー、パチパチパチー(祝)。



テーマは「モビリティ&テクノロジーで公共空間をつくる:バルセロナ市都市生態学庁元担当者と語る」ということなので、バルセロナの歩行者空間計画やモビリティ計画などを中心にご紹介させて頂こうかな、、、と考えているのですが(←詳細は未定)、福岡さんはアメリカ、阿部さんはスペインと3人とも海外経験者なので、今後海外への留学を考えている人、海外で働きたいと思っている方々などにとっても面白いお話が出来るのでは?と思われます。



僕に関しては、「どの様にスペインに渡ったのか?」、「どの様に仕事を探したのか?」などについては既に書籍の方に書かせて頂いたので、ここでは書き切れなかったテーマを少し記してみようかな……と思っていたのですが、、、今回の書籍を編集担当された学芸出版社の井口夏実さんのインタビュー記事を発見してしまい、それがあまりにも面白かったので、そのインタビューを紹介しつつ、当日の議論の下地を作れたらと思っています。

下記のインタビューは、“建てたがらない建築士”いしまるあきこさんによる「ウェブマガジン「フレーズクレーズ」の連鎖「素敵な本が生まれる時」vol.3、「ボーダレスな時代を生き抜く仕事の見つけ方。〜学芸出版社〜として発表されたもので、インタビューに答えられているのが我らが井口夏実さん(学芸出版社取締役、編集長)。全文はこちらで見れますので、ご興味のある方はどうぞ。

下記の青色の部分が井口さん、いしまるさん、黒字の部分が僕が思った事です。

井口:建築は自分のデザイン(ポートフォリオ)さえ認められれば、現地の言葉が多少しゃべれなくてもどこでも仕事ができる、それってすごく羨ましいなとずっと思っていて。自分の実力だけでやっていくのは大変だろうけれど、すごくスリリングだろうなと思っていたんですね。

基本的に僕は、「言語というのはコミュニケーションのツール」だと思っています。文法が多少間違っていようが、発音が少しばかりおかしかろうが、相手にこちらの言いたいことが伝わればそれで良いのです。ちなみに、現在ヨーロッパに住んでいる日本人の中には「なんちゃってトリリンガル」な人がチラホラと現れ始めています(地中海ブログ:内田樹の研究室の「リンガ・フランカのすすめ」を読んで:何故ヨーロッパでは、ゆるいコミュニケーションである「なんちゃってイングリッシュ」が成功するのか?、地中海ブログ:2010年、今年最初のブリュッセル出張その2:バイリンガルを通り越してトリリンガルになる日本人達:なんちゃってトリリンガルが変えるかもしれないヨーロッパの風景)。
←言語学者とかに言ったらすっごく怒られそうですが、僕は建築家なのでこんな感じで大丈夫(笑)。それに(井口さんも示唆されている様に)、我々建築家は哲学者や文学者と違って「言葉だけで勝負する職種」ではありません。相手に言いたい事が伝わらなかったらスケッチや図を使えばいいのです。



さて、ここからは僕の勝手な想像なのですが、ヨーロッパは陸続きなので、各国間における人的な移動(モビリティ)が非常に高いんですね。だから隣近所を見渡せば、自国語を話さない外人だらけという状況が多々あります。その様な社会・文化的バックグラウンドを共有しない人達と共存し、互いを認め合ってきたのがヨーロッパという社会なので、彼らにとって「言葉による完璧な意思疎通が出来ないこと」は、生まれた時からの日常茶飯事なんだと思います。だから南ヨーロッパでは、我々(移民)にも、「自国語を完璧に話せ、そうじゃないと聞かない!」などとは言わないのです。
←北ヨーロッパは状況が少し異なる様に思いますし、アメリカも全然違う様に感じます。このテーマ(海外に住むこと・働くことにおける言語の問題)は是非、福岡さん、阿部さんと共に当日の議論の中で深めたい所です。

井口:私自身、ロンドンに留学して建築史や美術史を学んでいたんですが、文章の仕事をしようと思ったので、そうなると日本語しかないなと日本に帰ってきました。チャンスさえあれば今でも海外で働いてみたいですが。

これは僕の勝手な考えですが、概して外国語が上手い人は日本語が上手いと思います。というか、日本語が上手い人じゃないと、外国語は上手くなり得ないと思うんですね。外国語を身に付けようと努力すると、ある程度までは上達するのですが、もう少し向こう側にいこうとすると誰しも必ず壁にぶち当たります。その壁を乗り越えられるかどうか、どこまで到達出来るかどうかは、その人の母国語の基礎言語能力、つまり日本語の能力に掛かっているのでは、、、と個人的には思っています。

井口:一冊目の建築編『海外で建築を仕事にする 世界はチャンスで満たされている』の企画のきっかけは、編著者の前田茂樹さんがフランスのドミニク・ペロー事務所から帰国された際、海外の有名建築家の事務所にはだいたい日本人スタッフが居て活躍しているという話を聞いたことでした。ヘルツォーク&ド・ムーロンとかジャン・ヌーベルの建築事務所で働いている日本人を前田さん自身がご存じでしたので、ぜひみなさんに書いてもらおうって話になりました。

「その建築事務所が一流かどうかは、日本人スタッフが働いているかどうかを見れば良い」と言う冗談が、世界中の建築事務所で80年代くらいから言われていたらしいのですが、これは逆に言うと、世界の有名建築事務所、もしくは新興建築事務所には日本人スタッフ(もしくは学生)が1人や2人は必ず居るということを指し示しています。だから、知り合いの知り合いを通して「あの事務所、実はさー」とか、「いま、xx事務所で所員募集しててさー」という様な声がチラホラと聞こえてきたりするので、「世界の有名建築事務所の内部事情」というのは、簡単ではないにしろ、それなりに心に思い描く事が出来るのでは、、、と思うんですね。



その一方、シリーズ2冊目が主題にしている「都市計画、ランドスケープ」を扱っている建築事務所、もしくは各都市の市役所がどんな仕事を請け負って、そこの部署にはどんなキーパーソンがいて、、、といった情報は、有名建築事務所ほど流通していません。この分野で10年以上仕事をしている僕ですら、世界の何処で誰が何をやっているかなんて、この本を見るまで全く知りませんでした。だからこそ、今回の2冊目は非常に価値があると、僕はそう思っています。
←詳しくはこちらに書きました(地中海ブログ:海外で建築を仕事にする2:都市・ランドスケープ編、発売!)。

いしまる:海外で働いている人は、独自の日本人ネットワークがあるんですか?
井口:ヨーロッパでは特にそのようですね。前田さんがパリに居る間に人脈を築かれていました。


まず、アメリカの状況なのですが、ボストン(アメリカ)には「ボストン日本人研究者交流会」なるものがあり、ボストンに在住している日本人の中から毎回2人くらいが30分程度のプレゼンを行い、その後近くのレストランに移動してインフォーマルな食事会、、、というイベントが一ヶ月に一回のペースで行われています(参加者は毎回200人くらい)。その会に出席すると、参加者の名前、ボストンでの所属、日本での所属、連絡先などが書いてあるリストがお茶とどら焼きと共に手渡され(←ここ重要w)、「この人と仲良くなりたい!」とか思ったら、気軽にメールして、後日コーヒー飲んで、、、ということが日常生活の中で行われていたりするんですね。

この様な会が組織的に行われている点は、バルセロナとは明らかに違う点だと強く感じました。ただこれはボストンなど日本人研究者が比較的多く集まる都市に固有のことなのかもしれません。フィラデルフィアではどうだったのか等、福岡さんに是非お聞きしてみたいところです。



また、ヨーロッパの日本人ネットワークについて、(敢えて)全く別の視点から一例を挙げると、欧州在住日本人によるTwitter組、、、みたいなものがあったりします(←僕が勝手にそう呼んでるだけですが(笑))。

これはですね、欧州全体を巻き込んだ大イベントなどがあると、それを見ながら各国からリアルタイムでツッコミを入れあって楽しむ、、、みたいな、正にニコニコ動画のリアルタイム版みたいな感じだったりします(地中海ブログ:東さんの「SNS直接民主制」とかマニュエル・カステル(Manuel Castells)のMovilizacionとか)。

例えば、ヨーロッパ各国の意地と意地のぶつかり合い、欧州の紅白歌合戦と名高い「ユーロビジョン」というイベントがあります。これは一年に一度、各国代表の歌手が生中継で歌を披露して、そこにヨーロッパ全土からリアルタイムで投票を行うという、(色んな意味で)物凄いイベントとなっているんですね(地中海ブログ:ヨーロッパの紅白歌合戦ユーロビジョン2012)。

 

ちなみにこのイベント、各国から選ばれた歌手が歌を披露し合う和気藹々としたイベントかと思いきや、非常に政治的なイベントだったりします。一般視聴者とは別に、各国には「国として」の投票権が与えられているのですが、その投票先を見るだけで、ヨーロッパ地政学の縮図になっていたりします。例えば、フランスはどんなことがあってもイギリスだけには投票しないとか、スカンジナビア諸国は互いに票を入れあうとか、、、(笑)。

いしまる:海外にいる方とメールだけで出版できるっていうのも、新しい仕事のやり方ですよね。
井口:そう思いますね。今はゲラのやりとりもpdfでできるし。2000年に入社した頃は郵送しないといけなかったし、往復に時間もかかるし、海外の方とのやりとりは大変でした。


SNSで仕事の形態が変わった、、、というのは僕も実感する機会が何度もありました。

数年前のことなのですが、とあるミーティングの為にフランクフルトにいたことがあったのですが、たまたま打ち合わせが早く終わったのでシュテーゲル美術館を訪れたんですね。そうしたら丁度その日は小学校の団体が課外授業を行っていて、2階奥にあるルノワールの絵の前では女の子3人組が一生懸命写生をしている真っ最中でした。



大変衝撃的な光景だったのでTwitterでとっさに呟いたら、それが瞬く間にReTweetされまくり、この投稿をキッカケに公共空間系の講演依頼が激増しました。

また、村上春樹氏のインタビュー記事の影響はもっと衝撃的でした。「イベリア半島の片隅を拠点とするスペインの新聞なんて(日本人は)誰も読まないだろう」と村上氏が思ったかどうかは分かりませんが、インタビューの中で「1Q84の続編出します!」と口を滑らせていたんですね。ちなみに彼、日本では「続編は出しません!」と言っていたので、「こ、これは面白い!」と思い、その記事を直ぐさま全訳しブログ上に公開。その数時間後から日本のメディアは大騒ぎとなりました(地中海ブログ:スペインの新聞、La Vanguardia紙に載った村上春樹氏のインタビュー全訳)。

その拡散度とスピード感。新聞という大手メディアの一次情報がSNSに取って代わられる現場を目撃したのと同時に、「Twitterでここまでこれるのか!」と思った瞬間でした。

井口:私も建築を勉強していたら、絶対、海外の事務所にアタックしていただろうなと思いますね。ただ英語ができれば働けるわけではなく、自分の実力、しぶとさみたいなものが厳しく問われそうなんだけど、きっとそこで認められる喜びも大きいだろうな、と思うんです。

海外で働けるかどうか、それはズバリ「運」です。この辺りの話も書籍の中で少し触れたのですが、スペインでいう運とは、その日担当してくれた担当官の気分が良いかどうか、彼/彼女が書類に眼を通した時がバケーション前なのか後なのか、はたまたその日は金曜日なのか月曜日か‥‥ということなのです。
←個人的には、イギリスとかドイツ、北欧など、割と社会システムがきっちりしてそうな都市でも、上に書いた様な南ヨーロッパと同じ様なことが起こっているのか?という所を、是非他の著者の方々に伺ってみたいところです。



さて、海外で働くのに最適なステップの一つはやはり、現地の大学や大学院へ進学して状況を見つつ、生の情報を集めながら職を探すというのが一番良いのでは、、、と思っています(地中海ブログ:スペインで働くという選択肢:長期滞在を見込んだ建築家の場合その1、地中海ブログ:スペインで働くという選択肢:長期滞在を見込んだ建築家の場合その2:タイトル読み替え過程(Homologacion)について、地中海ブログ:スペインで働くという選択肢:長期滞在を見込んだ建築家の場合その3:短期滞在と長期滞在に取るべき戦略の違い)。

ヨーロッパの大学、もしくは大学院事情についてはことある毎に書いてきました(地中海ブログ:スペインの大学ランキング:総合ランキングではなく、学部間で競い合うというシステム、地中海ブログ:ヨーロッパの公立大学の授業料について、地中海ブログ:ヨーロッパの公立大学の授業料について、その2:スペインの教育システムの裏にある考え方)。また、前回の書籍に登場されたRCR事務所出身の小塙さんと藤井さんが企画されている短期留学体験みたいなオプションもバルセロナにはあったりします。

加えて、スペインの建築系の大学院に関しては、TOEFLやGREのような試験もなければ、厳格な入学審査(面接)のようなものもほとんどありません。また、学費も北ヨーロッパやアメリカに比べると格段に安く、近年は生活費が高くなってきたとは言っても、ロンドンやパリほどではありません。そういう意味において、南ヨーロッパへの留学というのは、北ヨーロッパ、もしくはアメリカへの留学と比べると「格段にお手軽かな、、、」という気はします。

では良いことばかりかというと、南ヨーロッパには「南なりのデメリット」も当然あります。その辺については当日のディスカッションで福岡さん、阿部さんと共に深めていけたら、、、と思っています。

井口:触れていただきたい内容は事前にお伝えしていました。建築論ではなく体験談として、海外へ出かけた動機、仕事の見つけ方、担当した物件、仕事の仕方、人との接し方、暮らし方、心がけ、目標、日本へ戻るきっかけや理由等々、です。特に海外にお住まいの方にはお会いしないまま書いていただくわけですから、一か八かみたいなところも正直ありますしね(笑)。

もう一つは、書き出しを揃えてもらいました。場所は違うけれども、現代という時間を共有していることが感じられるかなと思い、その日一日を振り返る描写で揃えてもらいました。

最終的に送られてきた原稿の中には、かなりリライトさせていただいたものもあれば、殆ど手を入れないものもありましたが、どなたも素直に、率直に書いてくださっていました。


初稿が真っ赤になって返ってきたのは僕です(笑)。かなりの部分が書き直し(ホントに真っ赤っかだったのです!)だったので、心配になってシザ事務所の伊藤さんに「い、伊藤さん、、、僕の原稿真っ赤なんですが、伊藤さんはどんな感じでした?」ってメールしたら、「あ、あれはですねー、出来の悪い人は真っ赤になるらしいですよ」っていう大変素直な返信があり(笑)、「や、やっぱりそうか!」と金曜日の夜に一人落ち込んでいたことも、いまとなっては良い思い出ですww
←ちなみにシザ事務所の伊藤さんも、前回の書籍「海外で建築を仕事にする」に書かれています。
←シザとのやり取りなどが巧みに組み込まれていて、すっごく魅力的な文章となっています。



井口:海外に限らないけど、人に直接会うことで情報や知見だけでなく別の人との出会いが必ずあるので、進路を開拓しようと思ったら自然とそうなるんじゃないでしょうか。

いしまる:建築に限らず、新天地というか、まったくコネがない場所で活躍するための術が実はこの本に載っているというか。


今回の書籍には15人分の人生が凝縮されています。各人がどのように考え、どのように海外へ飛び立っていったのか、そして彼の地でどのように仕事を選び、どのようにプロジェクトに絡んでいったのか、、、

それがそのまま他の人の人生になる訳では無いのですが、「海外へ出て行くということを人生の中にどのように位置付けるのか」を参考にすることは出来ると思います。そしてそのような視点で作られた書籍は以前は無かった様に思うんですね。

これは裏覚えなのですが、1980年くらいの「建築雑誌」に「海外留学特集」みたいなのがあって、当時の僕はその記事を穴が開くほど読んだ記憶があります。
←いや、僕の先生(渡辺純さん、ハーバードに留学)が寄稿されていたのです。
←あの当時、「今回のような書籍があったらなー」と思わずにはいられません。



いしまる:海外に行く予定はない、日本で仕事をしている人にこの本で何を一番感じてほしいですか?

井口:海外に行くかどうかは本当はあまり大事ではなくて「どこに居ても決まり切った進路の選び方なんて無いんじゃないの?」っていうことを感じてもらえたら嬉しいです。自分次第というか。


ここがこのインタビューの一番核心的なところだと思います。

「海外で建築を仕事にする」っていう本を出しておきながら何なのですが(笑)、実は海外に行くかどうか、海外で暮らすかどうかなんてことはあまり重要ではないと、僕も強くそう思います。

勘違いしている人が非常に多いのですが、海外には甘い生活が待っているとか、「海外に行けば何か面白いことができる」だとか、それは幻想に過ぎません。

他国で暮らすということは楽しいことばかりでは無く、くじけそうになることも多々あるし、全て投げ出してしまおうと思うことだってしばしばです。

また、見過ごされがちな事実として、我々日本人が海外で暮らすということは、「その国において移民になる」ということなのです。移民であるからには、定期的に移民局に行って何時間も待たされながらもビザを更新しなければならないし、「移民だから」と言う理由で仕事もかなり制限されます。

そしてそれは多分、その地域の文化を知れば知るほど、生活をすればするほど、「我々は日本人であり、この地では移民である」という事を思い知ることなんだと思うんですね。それが異文化の中で生きていく/生き残っていくということなのです。

では何故、僕はそんな思いまでして海外で働き、そして暮らしているのか?
←←←この続きは当日のディスカッションで。



井口:いざ企画書を書くときは、「どうしよう、めちゃくちゃ売れたら……」とか妄想しながら書いたりしちゃいます(笑)。


僕は書籍作りに関わらせて頂いたのは今回が初めてだったので、一般的に書籍がどういう風に作られるのか、編集側とのやり取りはどんな感じなのか、といったことに関しては全くの無知でした。

だから学芸出版社さんが僕にしてくれたこと、編集に関して井口さんが僕にしてくださったことが業界のスタンダードなのかどうなのか、それは分かりません。

しかしですね、彼女は僕の読みにくい原稿を一言一句丁寧に読んで下さり、僕の言いたいことを僕以上に理解してくれた上で、「こうしてはどうですか?」という適切なアドバイスを何度も何度もして下さいました。また、文章にあわせて載せる写真や図、スケッチなどを親身になって選んで下さり、その方向性に従って手直ししていくと、自分の原稿がみるみる良くなっていくのが分かる、そんな楽しい数ヶ月だったんですね。

もしかしたらこの様に親身になって執筆者の相談にのってくれるのは学芸出版社さんの社風かもしれませんし、もしくは僕を担当してくださった井口さんのお人柄だったのかもしれません。

でも、初めて参加させて頂いた本の担当が井口さんで本当に良かったと、いまでは心からそう思っています。

書籍作りを好きにさせてくれて、どうもありがとうございました!
| 仕事 | 11:06 | comments(1) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
カイシャ・フォーラム(Caixa Forum)で開かれている印象派展 (Impresionistas):エドガー・ドガ(Edgar Degas)の画面構成は非常に建築的だなーとか思ったりして
日曜日の午後、以前から行きたかった「印象派;Clarkコレクションからのフランスの巨匠達展(Impresionistas, Maestros franceses de la coleccion Clark)」に行ってきました。



カイシャ・フォーラムというのはスペインの銀行、ラ・カイシャ(La Caixa)が運営している文化施設の事で、その豊富な資金をバックに年間を通して大変興味深い展覧会や講演会、はたまた音楽会などを企画している比較的新しい文化センターの事なんですね。しかもその殆どが無料ときてるものだから、財布の紐が固い(言い方を変えればケチ(笑))なカタラン人達には絶大な人気を誇っている文化施設でもあります。ちなみに現スペイン国王、フアン・カルロスとソフィア王妃の次女、クリスティーナ姫が以前勤めていた機関もこのラ・カイシャグループの一つでした(詳しく言うと、彼女が勤めていたのはラ・カイシャ財団)。



そんなカイシャ・フォーラムはカタルーニャ・モデルニスモ三銃士の一人、プッチ・イ・カダファルクによって20世紀初頭に建てられた工場の中に入っています。ちなみにこの建物が位置しているのは、近代建築の珠玉の作品、ミースによるバルセロナパビリオンの真ん前(地中海ブログ:ミース・ファン・デル・ローエ・パビリオン(Mies van der Rohe Pavilion)/ バルセロナパビリオンBarcelona Pavilion:アントニ・ムンタダス(Antoni Muntadas)のインスタレーションその1、地中海ブログ:ミース・ファン・デル・ローエ・パビリオン(Mies van der Rohe Pabillion)/ バルセロナパビリオンBarcelona Pavillion:アントニ・ムンタダス(Antoni Muntadas)のインスタレーションその2)。

元々この工場は1913年、当時絶好調だった企業家Casimir Casaramonaさんの為に建設され、その6年後(1919年)には早々と操業を停止してしまったのですが、1940年から1992年まで警察署として使用され、その後2002年に大規模な改修を経て文化施設として蘇るという経緯を辿っています。それ以来、リチャード・ロジャース展に始まり、現代スペインを代表するアーティスト、ミケル・バルセロ(Miquel Barcelo)氏の大規模な展覧会を開催するなど、非常に質の高い数々の文化的な活動を提案企画してきているんですね(地中海ブログ:リチャード・ロジャース展覧会(Richard Rogers + Arquitectes: De la casa a la ciudad、地中海ブログ:スペインを代表する現代アーティスト、ミケル・バルセロ(Miquel Barcelo)の展覧会:La Solitude Organisative)。


ルノワール:コンサートにて:1880年;クラーク美術館

そんなカイシャ・フォーラムで現在開催されているのが「印象派展」なんだけど、副題から明らかな様に、この展覧会はアメリカ、マサチューセッツ州にあるSterling and Francine Clark Art Instituteの所蔵するコレクションで構成されている展覧会となっています。Sterling and Francine Clark Art Instituteという美術館は、20世紀初頭にパリに住んでいたクラーク夫妻が集めた美術コレクションが元になってる私設美術館らしく、印象派を中心とした絵画が多く集められているんだそうです。特にクラークさん夫妻が熱心に収集していたのがルノアールの絵画らしくって、初期の重要な作品郡がコレクションに加えられているのだとか。ヘェー、ヘェー、ヘェー。今回の展覧会には、このSterling and Francine Clark Art Instituteから70点余りもの印象派の作品が来西していて、その中にはルノアールは勿論の事、モネ、シスレー、マネからドガまで大変見応えのある内容となっています。


ルノワール:団扇を持つ若い女:1879―80年;クラーク美術館

実はスペイン人って印象派が大好きで、その辺は日本人と通じる所が多分にあると思うんだけど、「印象派の絵画が纏まってやって来る!」って事で、開催前から各種メディアが大々的に宣伝をし、公開日から最初の数週間なんて「連日超満員」っていう映像が「これでもか!」とテレビを通じて報道されていたのが印象的でした。かくいう僕も、この展覧会が始まった直ぐの11月に行ってみたんだけど、これが物凄い人で、絵画を見る所じゃなかったんですね。個人的に美術鑑賞は静かな環境でゆっくりと心行くまで楽しむのを信条としているので(まあ、誰でもそうだとは思うのですが)、その時は泣く泣く諦めて帰る事に。で、年明け、ちょっと寒くなってきたので「カタラン人達はこんな寒い日には外なんかへは出歩かないだろう」と思っていたら、これが大当たり!結構空いてて、ゆっくりと絵画を鑑賞する事が出来たという訳なんです。


ルノワール:鷹を持つ少女:1880年;クラーク美術館

さて先ず最初に、と言うか僕なんかが言う事でも無いとは思うんだけど、元々「印象派」っていう言葉って、ルノワール、セザンヌ、ドガやピサロなんかが1874年の4月にパリのBoulevard des Capucines通りにあった、写真家のNadarさんのスタジオで開いた展覧会を見たジャーナリストが、その時受けた印象から「印象派」という名前を付けたというのが始まりだったと言われています。つまり、このエピソードが如実に示す様に、印象派と言われる画家達っていうのは、そもそも何か確固たる一つの美学や主義を共有していた訳では無かったという事なんですね。


Giovanni Boldini:穏やかな日々:1875年:クラーク美術館

まあ、その辺の話は掘り返していくと結構面白くて、話し出せばキリが無いとは思うんだけど、今回は印象派の歴史や背景なんかには立ち入らず、この展覧会で僕が大変感銘を受けた作品について述べていきたいと思います。それがこの作品です:


エドガー・ドガ(Edgar Degas):バレエ教室のダンサー達:1880:クラーク美術館

じゃーん、エドガー・ドガ(Edgar Degas)のバレエ教室のダンサー達(Dancers in the Classroom, 1880)。この作品が素晴らしかった!ルノアールの作品、特に「コンサートにて」も素晴らしかったんだけど、それ以上にドガの計算し尽くされた構図や大胆な画面構成、そして光と影による絶妙な表現とその効果に心を奪われてしまいました。

では何がそんなに素晴らしかったのか?何が僕をそれ程まで魅了したのか?

それは、この比較的小さな長方形の中に描かれている全ての要素(ダンサー達のポーズや立ち位置、彼女達の表情から背景に至るまで)が、キャンパスを右手方向手前から左手方向奥へと斜めに貫く流れ(物語)を創り出す為だけに捧げられているという事。様々な要素が複雑に絡み合いながらも、一つの目的に向かって「バシッ」と決まっている、そんな瞬間が立ち現れてくる事に心が震えるのです。

先ず、この絵画に流れる「物語」は、右手前方で椅子に腰掛けている少女から始まっています:



この片足を立て掛けながらキャンパスの外側を向いている少女と、その横に座り、片足を伸ばしている少女。



この2人のバランスが驚くほど良いですね。この2人目の少女は、最初のダンサー(座っている少女)から始まった流れを、正にその投げ出した足が示唆するかの様に、3人目のダンサーへと受け渡しています。



誰でも気が付く様に、3人目のダンサーは、最初の2人が座っているのに対して、少し距離を置きながら立っています。先ずは此の距離感が絶妙です。この距離がある事によって、この3人の少女達の中に「ある種のリズム」が生まれ出ている。つまりは最初の二人でついた助走が、3人目のダンサーとの間にある空間で一気に膨れ上がり、その勢いのままに後ろへと流れを押し出すかの様な‥‥という意味においてです。

そして注目すべきは、この画面の中には近景と遠景という様に、2つのグループが創り出されているという点です。つまりは、前方の3人と後方の4人という2つのグループが存在し、それらが右手手前から左手奥へと流れを創り出している事によって、実に見事なリズム感を醸し出しているんですね。



ドガについては良く言われる様に、日本芸術が与えた影響、つまり19世紀後半のジャポニスムという現象が指摘されているのですが、とは言っても、彼の作品に直接的に日本的なモチーフが書き込まれていたり、彼自身が日本美術への興味を明言したりという事ではなく、それは彼の作品に見られる構図の特徴、つまりは斬新な対角線構図だとか、近景におけるクローズアップや大胆な切断など、明らかに浮世絵と共通する特徴を有するという意味においてなんです。今回の「バレエ教室のダンサー達」における2つのグループ分けによる近景と遠景の強調は正にその好例だと言っても過言では無いと思います。



さて、ここでキーとなるのが、実はこの3人目のダンサーの子なんだけど、この子が右側から来た流れを受け止めつつ、後ろに居る次のグループのダンサー達に流れを受け渡すという役割を果たしています。その事が、この3番目のダンサーの娘が「立っている」という事に集約されていると思うんだけど、何故かというと、それは「立っている事」によって、後ろのダンサー達が「如何に小さいか」と言う事を測っているからなんですよ。ここは秀逸!



さて、受け渡された流れは、後方にいる4人組に受け継がれる事になるんだけど、実はここにも幾つかの仕掛けがしてあって、4人組はテンポよく右側のダンサー(3番目のダンサーの陰に隠れて殆ど見えない)から左側へと移って行く事になります。そしてそのリズムが、彼女達の間に設けられた「空間の均等性」によって表現されているんだけど、その中で注目すべき所がココです:



そう、一番最後のダンサーの姿。実は彼女の前の空間だけ、それまでに比べて幅がかなり大きくとられ、更に彼女が向いている方向が「物語の流れ」とは逆方向である事が分かるかと思います。つまり彼女の役割とは、今まで受け継がれてきた「流れ」を受け止めキックバックさせる、もしくは、手前でオープンエンドに終わっていく流れの「余韻を創り出す」という事にある訳なんですね!それは彼女が伸ばしている足の方向にも如実に表れています。正に今までの流れを「受け止める」かの如くにキックしています。



こういう表現は言うなれば、以前紹介したラペーニャ&エリアス・トーレスの傑作、トレドにあるエスカレーターの最後部分のデザインに見る事が出来ます(地中海ブログ:マドリッド旅行その4:ラペーニャ&エリアス・トーレス(Jose Antonio Martinez Lapena and Elias Torres)の建築その1)。



そして見落としがちだけど非常に巧いのが、これら7人のダンサーによって創り出された流れと直角に交わるかの様に描き出されている床の線です。この絵の中心的な構図である「7人のダンサー達が右手前方向から左手奥に進むに従って小さくなっていくというリズム感」を強調する為に、わざわざダンサー達の創り出すリズムとは逆行するかの様な方向に描かれているのが床の線なんですよ。



これら床の線が右手奥から左手前に流れている事によって、ダンサーの動きと大変絶妙なバランスを取っている訳です。更に更に、これらの流れや「対角線に動く構図」をより一層豊かなものにしているのが、この絵画の長方形という特異なサイズなのです。正方形ではなく横長である事によって、対角線の流れが強調され、物凄く生きている事が分かるかと思います。

今まで述べてきた、これら全ての事があたかも螺旋を描くかの様に絡み合い、互いの要素が互いを高め合う事によって「ハスに構える」という状態に昇華している‥‥素晴らしい!見事な空間構成です。



ちなみにこの様な「ハスに構える」という構成をとっている名建築としては、坂本一成さんによる住宅S、ジャン・ヌーベルによる国立ソフィア王妃芸術センター、もしくはチッパーフィールドによるバルセロナの裁判所なんかが挙げられるかと思います(地中海ブログ:マドリッド旅行その2:ジャン・ヌーヴェル(Jean Nouvel)の建築:国立ソフィア王妃芸術センター(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia)、地中海ブログ:デイヴィッド・チッパーフィールド(David Chipperfield)の建築:裁判都市(La Ciutat de la Justicia):建築間の対話による都市風景の創出)。

巧い、非常に巧い!平面的であると同時に、非常に動的であり、そして建築的だなー。ハッキリ言って全く予期していなかった展開だけに、感動もひと際です。バルセロナ在住者だけでなく、観光に来られる方にも是非お薦めしたい展覧会です。
| スペイン美術 | 04:33 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
新年あけましておめでとうございます2012
新年あけましておめでとうございます。



2012年の始まりを今年はバルセロナの自宅で迎えています。何を隠そう年末年始にスペインにいるのは結構久しぶりで、今年はクリスマスから続く一連の伝統行事を「これでもか!」と楽しみながらの年明けとなりました。ちなみに上の写真はバルセロナの新名所、フランス人建築家ジャン・ヌーベル氏設計によるアグバータワー(地中海ブログ:アグバー・タワー(Torre Agbar):ジャン・ヌーベル(Jean Nouvel)の建築)。コンピュータ制御されたイルミネーションが次々と色を変えていき、新年を迎えるのに相応しい「楽しさ」を醸し出していました。

日本には年越しそばや、紅白歌合戦といった伝統的な年越しの文化があると思うのですが、ここスペインにも古くから伝わる伝統的な年越しの慣習があります。それがコチラ:



スペインでは除夜の鐘よろしく、マドリッドの教会が0時を回った次点で12回鐘を鳴らすのですが、その鐘と同時に12個のブドウを食べると一年幸せに過ごせるという言い伝えがあるんですね。だからスペインの一般家庭では年明けが近づくと、上の写真の様に机の前に12個のブドウを用意するっていう光景が見られるんだけど、鐘の音に合わせて食べるっていうのが結構難しかったりします。何でかって、鐘突くの早過ぎなんで(笑)。

さて、地中海ブログも今年で6年目を迎える事が出来ました。

新年を迎えると同時に心意気を新たにし、今年は積極的に新しい事に挑戦し、去年に負けないくらいの飛躍の年にしたいと思っています。いや、絶対そうします!そして今年も「楽しい人生」、「豊かな毎日」を送る事をモットーに毎日全力で生きていこうと思っています。

地中海ブログも昨年同様、僕の独断と偏見で勝手な事を書き続けていこうと思っているのですが(笑)、引き続きご愛読頂ければ幸いです。

当ブログの読者の皆さんにとっても素敵な年になりますように。そして今年も宜しくお願いします!

Happy New Year!
Feliz Año Nuevo!(スペイン語)
Bon Any Nou!(カタラン語)
| バルセロナ日常 | 08:04 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
エドゥアルド・ソウト・デ・モウラ(Eduardo Souto de Moura)のインタビュー記事
3週間ちょっとのガリシア地方滞在を経て、先週末バルセロナに戻ってきました。ガリシア地方はかなり涼しく過し易かったので、バルセロナに帰ってくるのがちょっと恐ろしかったんだけど、あれ、思った程暑くない(驚)。って言うか、夜なんて毛布が必要なくらいヒンヤリしてるじゃないですか!例年なら7月は猛暑のはずなのに、おかしいなー。

そんな訳でもう既に何時もの生活に戻っているのですが、先週日曜日の新聞に今年のプリツカー賞受賞者、エドゥアルド・ソウト・デ・モウラの結構長いインタビューが載っていました。何たる偶然!というのも、実は今回ガリシア(とポルトガル北部)に行った目的の一つは、エドゥアルド・ソウト・デ・モウラの建築を見る為だったんですね。と言うのも、「本当に彼の建築はプリツカー賞に値するのか?」と言う事をこの目で見極めたかったからです。



まあ、その辺の是非は次回以降のエントリでゆっくり書く事として、このインタビュー、ある意味ちょっと面白いかも。と言うのも、今年のプリツカー賞授賞式はオバマ大統領が仕切っていたという情報が載っていたり、更にはオバマ大統領、建築大好きで、シカゴに居た時にはミースが設計したビルで働いてたっていう、これ又、あまり知られてない事が載ってたりしたんですね。他にはソウト・デ・モウラがレアル・マドリッドのクリスティアーノ・ロナウドの家を設計する事になったとか何とかって言う、レアルファンには嬉しい情報なんかも交え、時にはシザとの関係なんかも話しつつ、なかなか楽しめるインタビュー記事だと思います。最初は全く訳す気なんか無かったんだけど、まあ、休み明けの肩慣らしって事で訳してみました。得とご覧あれ!

以下の訳文はEl Pais紙(2011年7月24日)に載ったインタビュー記事の全訳です。

Q=インタビューアーの質問
R=エドゥアルド・ソウト・デ・モウラの回答

Q:今年のプリツカー賞授賞式においてはオバマ大統領が式典長を務められていましたが、アメリカ合衆国の大統領が建築のノーベル賞と言われるプリツカー賞授賞式に参加するというのは一体どういう意味があるのでしょうか?
Q:Obama presidió la ceremonia de la entrega de su Pritzker. ¿Qué signifca que el presidente de EEUU entregue un premio de arquitectura?

R:2つの解釈の仕方がある様に思います。先ず一つ目は彼自身の願望、つまりオバマ大統領自身がこのセレモニーに参加したかったからだという事が一つ。大統領自身が言われていたのですが、どうやら彼は建築家になりたかったそうなのです。建築が大好きらしく、シカゴに居らした時などは、ミース・ファン・デル・ローエのデザインしたビルで働いていたとか何とか。もう一つ考えられるのは、プリツカー一家がオバマ大統領を支援していたという事が挙げられると思います。彼らは民主党支援者で、オバマ大統領を支持していました。
R:Hay dos formas de interpretarlo. Una está en su propio discurso: aseguró que le habría gustado ser arquitecto; que le gustaba la arquitectura, que en Chicago trabajó en un edificio de Mies van der Rohe. La otra es pienso que la familia Pritzker le ayuda mucho. Son demócratas y le apoyan.

Q:オバマ大統領とはどんな会話をしたのですか?
Q:¿De qué habló con él?

R:実は彼とは5分しか一緒にいなかったのですが、とても好意的な方でした。式典でオバマ大統領は演説をされたのですが・・・えっと・・・彼のブレインの誰かが社会的建築の重要性を説いた模範的な演説を用意したと思われるのですが、オバマ大統領はその内容を非常に良く解釈していたと思います。私にとって彼との出会いは、賞を頂くのと同様に大変重要な事柄だったと考えています。彼にもそう伝えました。
R:Solo estuve cinco minutos con él. Pero fue muy agradable. Hizo un discurso…, bueno, alguien hizo un discurso muy cabal sobre la importancia de la arquitectura social. Pero lo interpretó muy bien. Para mí ha sido tan importante el encuentro con él como el premio. Y se lo dije.

Q:他にはどんな事を伝えましたか?
Q:¿Qué le dijo?

R:あなたは大変重要な、責任ある仕事に就いていらっしゃる。そして、この世の中の何かしらを変える事が出来る数少ない政治家の一人であり、多大なる影響力をお持ちであると、そう伝えました。
R:Que él tenía una gran responsabilidad porque era de los pocos políticos que pueden cambiar las cosas. Porque tiene poder e influencia.

Q:彼は何と答えましたか?
Q:¿Qué le respondió?

R:共和党との間の大変複雑な状況をとても懸念している、と。彼がアメリカの負債と、その額を増やす為には憲法改正の余地があるという事、そして共和党が脅しをかけてきていると言う事について話しているのは分かっていました。つまり負債額を増やすなら社会保障の件はチャラにすると・・・。まあ、それはいいとして、彼が授賞式でプリツカー賞を手渡してくれた事は本当に嬉しかったです。先程も言った様に、彼はここ数年間で何かを成し遂げられる数少ない政治家なのだから。そして物凄く気さくな方だという事も分かりました。ご婦人もね。
R:Se le veía preocupado, porque está en una situación muy complicada frente a los republicanos. Sé que está discutiendo el plazo de la deuda americana y para aumentar la deuda hay que cambiar la Constitución, y los republicanos ahora le hacen chantaje: si quieres eso, la sanidad fuera… Bueno, me gustó mucho que me diera él el premio. Es uno de los pocos políticos que en los últimos años han tratado de hacer algo. Y es simpático. La mujer también.

Q:オバマ大統領は演説の中で、あなたのブラガの競技場について触れ、あなたの作品の中では最も重要な作品だろうとおっしゃっていましたね。
Q:En el discurso, Obama habló de su estadio en Braga. Dijo que podría ser su obra más importante.

R:そう、その発言。最高でした。
R:A mi es la que más me gusta.

Q:あなたのお父上はブラガ出身ですね。
Q:Su padre era de Braga.

R:はい。父が小さい頃、サッカーを見に行きたかったそうなのですが、お金が無かった為に何時も競技場の中には入れず、外から見ていたそうなのです。その競技場は私が建てたものとは別のもので、とても美しいファシズムの建築だったのですが、丁度Uの字に開かれた様な形をしていました。そこには丁度、Picotoと呼ばれる丘があり、お金を持っていない大衆階級の人達はその丘に登ってサッカーを見ていたそうです。建築家というのは自分が手掛けたプロジェクトの事をまるで自分の子供の事のように話します。多くの建築家にとっては、それら全ての子供達は平等にかわいく、誰が一番で誰が2番であるとか言うように、順位は付けられないのだと。しかしですね、私は違います。ブラガ競技場の仕事は、私にとって圧倒的に一番熱意を注いだものでした。
R:Sí, y cuando era pequeño e iba a ver el fútbol, era de los que se quedaban fuera. El estadio era otro, muy bonito, un estadio de arquitectura fascista, abierto como una U. En la abertura había una colina, en el monte Picoto, y allí subían los que no podían pagar, la clase popular. Muchas veces los arquitectos hablan de los proyectos como hijos. Dicen que son todos iguales, que no tienen preferidos. Yo no. El estadio de Braga ha sido el proyecto que más me entusiasmó.



Q:何故ですか?
Q:¿Por qué?

R:何故なら全ての事柄が上手く運んだからです。仕事を頼まれた時期、それが建てられた場所、そしてクライアントも最適でした。無我夢中で働いたものです。工事は全てのデザインが終わる前に始まりました。我々が最初にした事は岩を粉砕した事だったのですが、その為に物凄く優秀な若いエンジニアグループと一緒に仕事をしました。この作品は建築作品である共に、又、エンジニア的な作品でもあるのです。そしてランドアートでもあり、それらは全て綿密な仕事によって成り立っています。20ヘクタールという広大な計画において、製図用のカラス口を使って設計するという事は普通では考えられません。これら全ての事象が合致する様な幸運は二度と訪れる事は無いと思います。
R:Porque todo funcionó: el momento oportuno, el lugar indicado, con el cliente adecuado. Trabajamos día y noche. La obra empezó antes de terminar de diseñar el proyecto. Se trituraba el granito. Trabajé con un grupo de ingenieros jóvenes impecables. Es también una obra de ingeniería. Pero también una obra de land art y un trabajo minucioso. No es normal que en un proyecto de 20 hectáreas se pueda llegar a dibujar con el detalle del tirador. Todo este cúmulo de cosas creo que no va a suceder nunca más.

Q:ブラガには、あなたが一番最初に手掛けたプロジェクトである市場がありますね。
Q:En Braga está también su primer proyecto, un mercado.

R:はい、そのプロジェクトをやっていた時は、未だ学生でした。
R:Era todavía estudiante cuando lo hice.

Q:残念な事にも既に解体されたと聞いていますが。
Q:Y ya lo demolieron.

R:それはちょっと違います。我々はそれを改修し、そして他の機能へと変換したのです。その裏にはこんな逸話があります。アルヴァロ(アルヴァロ・シザの事。以下ソウト・デ・モウラの発言でシザが出て来た時はアルヴァロで統一します)の事務所を辞めた後、私の学生時代にお世話になった都市計画の教授と一緒に働き始めました。市場の計画は彼のプロジェクトだったんですね。しかしですね、彼は私にそのプロジェクトを進める様に言ってくれたのです。それから間もなくして、私はミリタリーサービスへ行く事になったのですが、彼の態度は実に誠実そのものでした。私が進めていたその計画を彼は横取りする様な事はせず、軍隊に通いながらその計画を進める事が出来たのです。それが完成した後、時が経つにつれ天井には歪みが生じてきました。更に悪い事には、その市場がある地区にはスーパーマーケットが所狭しと並ぶ事となったのです。そんな状況から、市場がそこに存在する理由が無くなってしまったのです。
R:No. Lo transformamos. La historia es así. Dejé de trabajar con Álvaro Siza y fui a trabajar con mi profesor de urbanismo. El proyecto del mercado era suyo, pero me dijo que empezara a diseñarlo yo. Y lo dibujé. Luego me fui al servicio militar y él fue muy honesto. No lo continuó, me dejó trabajar desde la mili. Con el tiempo, apareció una deformación en el techo. Y, peor aún, el barrio se llenó de supermercados. Desapareció la razón de ser del mercado.

Q:スペインでは今、前世紀や今世紀初頭に建てられた古い市場が活気を帯びてきています。つまり人々はスーパーよりも古い市場に興味を示し始めているのです。
Q:¿Nos falta paciencia? Ahora en España están volviendo los mercados.

R:ポルトガルでも状況は同じです。しかし私が設計した市場は閉鎖されてしまいました。市場の売り子達は寒さに震え、人々はそこに行かなくなってしまったのです。そうこうしている内に、その場所は麻薬と売春の温床となり、どんどんと荒廃し始めていきました。そんな状況を見かねてか、ブラガ市の市長が「市場を解体したいのですが」と電話をかけてきたのです。その電話を受け取って以来、市場の将来について大変心配していたのですが、というのも、あの作品は私の人生にとって大変大切な作品だったからです。そうこうしている内に、ジャン・ヌーベルがパリのビエンナーレにその市場を展示したいと電話をかけてきました。あのブラガの市場からは本当に沢山の事を学び、そして本当に沢山のものを私に与えてくれたので、その時には、何かしらのお返しをしなければと考えるようになっていたのです。だから市長が「その市場に何かしらのプロジェクトがしたいですか?」と訊ねてくれた時、「少し考えたいので一日だけ待ってもらえませんか?」とお願いしたのです。その後市長に、屋根付きの街路、パサージュのようなものを提案する事にしました。こうして市場は2つの街路で結ばれ、人々はその市場の空間を行ったり来たりする様になったと言う訳なのです。そのような使われ方を復活させたかったし、都市における建物を変形したかったのです。歪みが出ていた天井を切り取り、列柱の遺構を伴ったローマ都市のように柱を残しました。今ではそこにはダンスとミュージックの学校が開校しています。その空間は非常に良く機能しているのですが、それは当初私が考えていた使用法とは異なり、人々がその空間をどう使うかを自ら考え、そして適応した結果なのです。
R:Y en Portugal también, pero el mío cerro. Los vendedores pasaban frío y los clientes dejaron de ir. El lugar se degradó con droga y prostitución. Y el alcalde me llamó porque quería demolerlo. Yo me preocupé. Esa obra fue importante en mi vida. Jean Nouvel me llamó para que la expusiera en la Bienal de París. Me había dado mucho y debía hacer algo por ella. Así que cuando el alcalde me pregunto si quería hacer algo, le pedí un día para pensarlo. Luego le propuse hacer una calle cubierta. El mercado conectaba dos calles y la gente lo usaba para pasar de una a otra. Quise recuperar ese uso y transformar el edificio en ciudad. Corté la cubierta que se deformaba y mantuve los pilares como una ciudad romana con restos del peristilo. Luego montaron una escuela de danza y otra de música. Hoy funciona muy bien, por el uso que han sabido darle.

Q:作品を完成させた何年か後にクライアントが再びその作品について意見を求めてくると言うのは普通なのでしょうか?
Q:¿Es eso habitual? ¿Sus clientes le piden opinión años después de que entregue una obra?

R:どんな建物でも又違った使い方、違った生命を与える事が出来ると、私はそう確信しています。もし片足が壊疽に冒されていたとしても、それを取り除く為に足全部を切断する必要はないのです。切り取るのは足の指だけで十分です。建物も全く同じで、全壊する前に悪い部分を修復する事が必要なのです。そういう意味において、現実主義者になる事は好きですね。建築家は何時も自分の建てた建物は完璧であると思っていて、その一部が機能しないとか、壊れかけてきていると文句を付けてくるクライアントに対して怒り狂っている姿を良く目にします。大概の建築家というのは、いつもその様な意見を侮辱だと受け取りますからね。しかし私は常に現実主義者たりえたいと思っています。そして自分の建築に悪い所、機能しない部分があったなら、それらを取り除き、機能する様に修理修繕を好みます。
R:Estoy convencido de que cualquier edificio puede tener otra vida. Si hay una gangrena, no siempre es necesario cortar una pierna entera. Se puede cortar un dedo. Creo en la reparación. Me gusta ser realista. Es muy fácil para los arquitectos estar enfadados y sertirse mal con el mundo. La mayoría encuentran siempre motivos de ofensa. Yo soy realista. Creo en la reparación.

Q:それではクライアントとは良好な関係を築かれているのですか?
Q:¿Y tiene buena relación con los clientes?

R:はい、とても良い関係を築いていると思います。何故なら建築は建築家だけでは成立しないからです。クライアントが気に入らない事、もしくは建築家自身が気に入らない事は出来ないのです。もっと言うならば、あなたが信じない様な事やクライアントが理解出来ない様な事は実現出来ないのです。もしそれらを強引にしようものなら結果は散々に終わると思います。だからコミュニケーションを取る事が大変重要となってくるんですね。話をするという事は、お互いを理解するという事なのですから。患者に対して処方すべきだと信じている治療を許さない様な、そんな状況に陥っている医者の事を想像出来ますか?自分がどんな状態なのかをキチンと説明する事、コミュニケーションを取る事は基礎中の基礎なのです。そしてそれは我々建築家とクライアントの関係にも当てはまります。話す事によって片方はもう片方を理解する事が出来るのです。クライアントと建築家の関係と言うのは、カトリックにおける信者と神父との関係に似ているかもしれません。信者は神父に全ての事を包み隠さず話すのですから。何時トイレを使うのか、何処に服をしまうのかなど、建築家はクライアントの殆どの行動が分かっているといっても過言ではないでしょう。そういう意味において、私は建築を構成している単なる半分の要素ではありません。クライアントやプロジェクトとの関係において、私は私自身を深い最深部まで導きいれているのですから。
R:Muy buena. Porque la arquitectura no puede ser una media tinta. No puedes hacer una cosa que no le gusta a tu cliente o que no te gusta a ti. No puedes hacer algo en lo que no crees o algo que tu cliente no entiende. Todo eso sale mal. Por eso es fundamental hablar. Y hablar es conocerse. ¿Se imagina un médico contrariado porque no le dejan hacer lo que él cree que debe hacer? Es fundamental saber explicarse. Nosotros y los clientes. Hablando, uno se entiende. La relación entre cliente y arquitecto es casi como la que se establece con los curas, íntima. Nosotros sabemos casi todo sobre un cliente: cuándo usa el baño, dónde guarda la ropa… No soy una persona de medias tintas. En las relaciones, como en los proyectos, me meto hasta el fondo.

Q:あなたのお父上はブラガの眼科医でしたね。
Q:Su padre era un oftalmólogo de Braga.

R:はい、偶然にも現在ブラガ競技場がある、その目の前で生まれました。
R:Sí, por coincidencia nació justo donde hoy está el estadio.

Q:すごい偶然ですね。
Q:Causalidades….

R:偶然ならもっとありますよ。私の母が子供の頃、肺の病気を患っていたそうなのですが、その療養の為に、ボウロにあるサンタマリア修道院に行っていたそうなのです。あたかもトーマス・マンの「魔の山」と言う小説の様なのですが。何故かと言うと、私の叔父がそこで医者をしていたからなのです。数十年後、私がその修道院をポウサーダ(国の経営する高級ホテル)にしました。工事期間中、母をその現場に連れて行ったのですが、彼女は療養中に過ごした自分の部屋を覚えていました。このような偶然のお話なら数え切れないくらいあります。
R:Hay más. Mi madre de niña tenía los pulmones enfermos y, como en La montaña mágica de Thomas Mann, fue a recuperarse al monasterio de Santa María de Bouro, porque mi tío era médico allí. Muchos años después, yo reconvertí ese monasterio en pousada [el equivalente portugués de los paradores españoles]. Llevé a mi madre durante la obra y ella recordaba la habitación donde había pasado la convalecencia de niña. Hay muchas historias de coincidencias.



Q:伝記的な指紋があなたの作品のガイドをしているという訳ですね。
Q:Una huella biográfica que va guiando sus proyectos.

R:映画創れますよね。
R:Para hacer una película.

Q:あんたのクライアントの一人、世界的に知られている映画監督、Manoel de Oliveiraに相談してみては如何ですか。
Q:A lo mejor puede hablar con Manoel de Oliveira, uno de sus clientes famosos.

R:・・・彼とはそれほど話をしませんでした。そんなに簡単な人ではないのです。彼の息子の為に家を一軒建てたのですが・・・思うのですが、社会的により高い地位にいるという事は、社会的により多くの責任を負っているという事だと思います。だからそういう地位にいる人というのは、時に感情を押し殺し、合理的にそして落ち着いて対処しなければならないと思うのです。それは彼の行動や言動が全て息子の為だったとしてもです。
R:No. No hablo mucho con él. No es una persona fácil. Hice una casa para un hijo suyo, pero yo creo que cuanto más alto estás, más responsabilidades tienes. Por eso hay que tener la cabeza fría. Incluso si entiendo que por un hijo se hace todo.

Q:何がおっしゃりたいのでしょうか?あなたは感情を押し殺す事が無いのでしょうか?
Q:¿Qué quiere decir? Usted no tiene aspecto de tener la cabeza fría.

R:そうですね、何時も感情的になってしまうのですが、常に合理的であるべきだと思っています。以前、友人の子供達の指導教官になった事がありました。ある時、彼らの両親がこう言ってきたのです。息子達がスケッチをする為に毎日早起きをし、毎日ひたすら勉学に励んでいる、と。しかしですね、ハッキリ言ってそんな言動は全く何の役にも立ちません。結果を見なければならないのです。つまり言葉ではなく、何をしたかという結果が大事なのです。私の2人の娘達は建築家です。しかし上の娘が建築を学び始めた時、彼女の成績は現在の入学試験で言う所の9点を取れませんでした。つまり彼女の成績はそれ程良くはなかったのです。その後彼女は自分の選択が間違っていたのでは?と悩み、最終的には建築を辞めたいと言い出したのです。建築計画の先生が好きではないと。結果不合格になりました。私の友達は皆して私を責め立てました。どうしてそうなる前に彼と話をしなかったのか?どうして何もしなかったのか?と。私は娘に不合格になった理由を、「十分に努力しなかったからだ」と言い伝えました。そして彼女は留年してしまったのです。家族が自分と同じ領域で働いているという事は、時にとても複雑な状況を生み出します。私は建築家として娘達にとってとても厳しい父親だと思います。いつも責められていますから。
R:Pero debo tenerla. He sido profesor de hijos de amigos míos y no me basta que ellos me digan que sus hijos madrugan para ponerse a dibujar. Tengo que ver los resultados. Tengo dos hijas arquitectas. Pero cuando la mayor empezó arquitectura no pasó con 9, que lo que hoy piden en el examen de ingreso. Luego ella se sintió mal. Quería dejarlo, No le gustó el profesor de dibujo. Suspendió. Y mis amigos me criticaron por no haber ido a hablar con él, me criticaban porque no había hecho nada. Le dije a mi hija que no se había esforzado lo suficiente. Y ella perdió el año. Tener a la familia en lo tuyo es un tema difícil. Mis hijas son muy duras conmigo. Me critican muchísimo.

Q:奥さんもそんな感じなのですか?
Q:¿Su mujer también?

R:はい、4人ともそんな感じなのです。物凄くダイレクトに批判を浴びせてくるのです。
R:Sí, las cuatro. Son muy directas con sus críticas.

Q:彼らの言っている事は理に適っているとお思いですか?
Q:¿Y tienen razón?

R:あいにく、時々物凄く理に適った事を言っていますね。しかしですね、建築家の子供達は何時も何かしらの問題を抱えているものなのです。彼らはいつも父親の後を追います。そして彼らの多くは建築家として独立する事が出来ず、社会的な圧力の下に生きているのです。勿論その中には同業者としての親の仕事をきちんと見極めながら、自分の仕事をこなす人達もいます。リカルド・ボフィールと働いていたコデルクの息子やアルヴァロの息子、Álvaro Leiteなどがそうだと思います。そして私の娘達も同じです。各々が自分自身の道を模索し、そして己の道を歩むのが私は良い人生ではないかと、そう思うのです。
R:Por desgracia, a veces sí. Pero los hijos de arquitectos tienen siempre problemas. Están los que siguen al padre, que no se sienten seguros y tienen presión social. Y están los que, sin matar al padre, se buscan otra vida. Sí, como el hijo de Coderch, que trabajó con Bofill; el hijo de Siza, que firma Álvaro Leite. Mis hijas también: Luisa Moura, Eduarda Moura. Creo que es mejor que cada uno siga su propio camino.

Q:父親との関係を絶つ事が重要なのでしょうか?
Q:¿Es importante romper con los padres?

R:と言うか、自分自身の道を行く事が重要なのです。
R:Lo es seguir un camino propio.

Q:あなたのお父上は眼科医でした。何故建築の道を選ばれたのですか?
Q:Si su padre era oftalmólogo, ¿por qué decidió estudiar arquitectura?

R:兄の影響だと思います。とても教養のある人です。
R:Por mi hermano, un tipo muy culto.

Q:検察官の?
Q:¿El fiscal?

R:はい、彼は検察官の中でも皆を束ねるボスだったのですが辞めさせられてしまいました。何故かって、誰それ構わず、皆を皆、牢屋へ送っていたからです。そう、スペインで言う所の、有名な検察官、何と言いましたっけ・・・
R:Fue fiscal general, pero lo expulsaron porque metió a todos en prisión. Es como en España el juez…

Q:ガルソンですか?
Q:¿Garzón?

R:そう、ガルソン検事。私の兄は、ブルジョア階級の人物が関わっていた児童買春の、社会的に大変重要な事件を扱っていました。それらを暴く為に調査を開始したのですが、全ての情報は隠されていたり、闇の中に葬り去られていたりしていて、一からそれらを全て掘り起こさなければならなかったのです。彼は哲学を学んでいたのですが、スケッチがとても上手かった。だから美術を勉強したがっていたのですが、数学が好きでは無かった為に最終的には法律を選んだと言う訳なんです。その後私に建築を勉強するように勧めてきたのです。そんな私の選択を見て、父が怒鳴っていたのを今でも覚えています。「美術だと!そんなものとんでもない。全ての美術はコミュニスタだ!」、と。まあ、構わず建築を選びましたけどね。
R:Garzón. Mi hermano llevó un caso enorme de pedofilia con gente muy importante de la alta burguesía implicada. Se lo encontró todo cerrado, pero lo reabrió todo. Estudió filosofía. Dibuja muy bien. Quería hacer bellas artes, pero hizo derecho porque no le gustaban las matemáticas. Luego me aconsejó que estudiara arquitectura. Mi padre puso el grito en el cielo: “No, en bellas artes son todos comunistas…”. Pero lo hice.

Q:彫刻家になりたいが為に美術を始めたというのは本当でしょうか?
Q:¿Es cierto que empezó bellas artes porque quería ser escultor?

R:いいえ、違います。みんな、アルヴァロと勘違いしているのです。多分何処かでお読みになったのだと思うのですがハッキリ言います、それは間違いです。実はその類の記事、私も読んだんですけどね。
R:No. Es que me confunden con Álvaro (Siza). Lo habrá leído, seguro, pero no es verdad. Yo también lo he leído.

Q:あなたの人生の中で重要な影響を及ぼした人物と言えば、やはりアルヴァロ・シザという事になるのでしょうか?
Q:Una persona importante en su vida es el arquitecto Álvaro Siza.

R:はい、計り知れないくらいの影響を受けました。私が学生の頃、ポルト大学は物凄く政治化していました。社会学が幅を利かせていた時代だったのです。ブルジョア階級の豪邸の庭の片隅に労働階級が家を持っているという、そういう酷い住宅状況を変える為に必死になって働いている、正にそんな時代でした。それら労働者の人達の家はislasと呼ばれていました。そんな酷い状況を変える為、私達は近隣住民団体と共に働いていたのです。そんな状況下においてカーネーション革命は勃発したのです。革命後、政府が民主化されるに伴い、建築家のヌーノ・ポルタスが住宅局の書記官になりました。そして彼は、「もしも住宅問題に関して優れたプランや計画があるならば力を貸す」と、そう公表し、広く優れた案を募ったのです。我々は当時最低の質を持った住宅を少しでも誇りを持って住める住宅に変えようと努力していたのですが、そのプロジェクトにサインをする建築家が必要でした。当時の私達は未だ学生だったのですから。こうして最高の建築家を探し出したのですが、当時最高と思われたのがアルヴァロだったのです。こうして彼との繋がりが出来、そのプロジェクトが終わった後も彼の事務所に残る事にしました。その後5年間の間、彼の事務所で働く事になりました。
R:Sí. Mucho. Cuando yo estudié, la escuela de Oporto estaba muy politizada. Eran los años de la sociología. Y trabajábamos para cambiar las infraviviendas que los obreros tenían en los jardines de las viviendas burguesas. Se llamaban islas. Queríamos cambiar las cosas. Trabajábamos con las asociaciones de vecinos. Todo era muy social. Lo extraordinario es que luego estalló la revolución de los claveles. Y cuando Nuno Portas se convirtió en secretario de Estado de Vivienda dijo que quien tuviera un plan y estuviera organizado, él lo apoyaría. Decidimos dignificar esas viviendas. Pero necesitábamos un arquitecto que firmara el proyecto. Éramos estudiantes. Así es que fuimos a buscar al mejor. Y el mejor era Siza. Luego me quedé a trabajar con él cinco años.

Q:彼があなたを放り出すまでですね。
Q:Hasta que le dio una patada y lo echó.

R:そう、そうの通り。ある日彼は私に言いました。「建築家になりたいなら、ここで働き続ける事は出来ないよ。出て行かなくてはならない」。もっともな忠告だったと思います。あそこで働く事はとても居心地が良いものでした。そこから出て行く事は、自分自身に「活」を入れなくてはならなかったのです。アルヴァロと働く事は私にとって大変な喜びであり、素晴らしい体験だと思います。特に人として彼は普通ではありません。当時彼は未亡人で、私は独り者だったので、何度となく食事を共にしたものです。彼はアアルトを擁護し、私はミースを支持したのをよく覚えています。
R:Sí. Un día me dijo: “Si quieres ser arquitecto, no puedes continuar aquí. Tienes que irte”. Y tenía razón. Era cómodo trabajar allí. Pero al salir tuve que espabilarme. Trabajar con Álvaro es maravilloso. Como persona es excepcional. Por entonces él se había quedado viudo y yo era soltero, así que comíamos muchas veces juntos. Él defendía a Alvar Aalto. A mí me gustaba Mies van der Rohe.

Q:今でもその時と同じ様に考えていますか?
Q:¿Hoy sigue pensando lo mismo?

R:そうですね、アアルトには彼のアイデアの有効性、そしてその効力に物凄く印象つけられました。当時はアアルトの事を表現主義者だと思っていたのですが、彼の建築を実際に訪れてみると、彼は物凄い合理主義者だという事が分かります。アアルトは私が最も作品集を購入した建築家でもあります。彼の創り出す近代的で暖かい、そして匿名の家具が大好きです。それに比べると、ミースはもっと急進的だと思います。
R:Bueno… de Aalto me impresiona mucho la vigencia de sus ideas. Entonces creía que era expresionista, pero visitando su trabajo en Finlandia entiendes que era muy racionalista. Es el arquitecto del que compro más libros. Me gustan sus muebles: modernos, cálidos y casi anónimos. Pero creo que Mies era más radical.

Q:そして若いあなたは急進性を好んだ・・・
Q:Y como joven, usted prefería la radicalidad…

R:カーネーション革命の時期だったのです。国をもう一度立ち上げ、そして5千万世帯の住宅を建設しなければならなかったのです。アルヴァ・アールトの様に土地と慣習を模索しながらやる事は、その当時のポルトガルでは最良の選択だとは思えませんでした。時代がそうさせてはくれなかったのですから。ポストモダンの圧力を撥ね退ける為のテクニカルな言語が必要だったのです。実用的で効果的な言語です。沢山の議論を重ねた末、ミースはアアルトよりも我々にとって助けになると、そう思うに至りました。
R:Era el tiempo de la revolución de los claveles. Había que rehacer el país, construir medio millón de viviendas. Tanteando el lugar y las costumbres como Alvar Aalto, no íbamos a poder hacerlo. Necesitábamos un lenguaje técnico para vencer la presión posmodernista. Un idioma práctico y eficaz. Discutíamos mucho. Yo creía que Mies podía ayudar más que Alvar Aalto.

Q:シザのどんな所を素晴らしいと思いますか?
Q:¿Qué admira de Siza?

R:そうですね、私にとっては彼の創り出す建築というよりは、彼自身のパーソナリティ、人間としての倫理、そして知識ですね。彼は我々に何かを成し遂げる為のキッカケ、そして道具を与えてくれるのです。その反面、彼はとても口うるさい人でもあるという事を言わなければならないでしょう。穏やかで、そしてとても優しいのですが全てを理解したがります。何年か前に彼について書いたテクストがあるのですが、その中で彼のパーソナリティについて、「凡人が全て考え終わったと考えたその時こそ、アルヴァロ・シザにとっては全ての始まりになる」と、そう説明しました。
R:Lo que me marcó fue más su figura que su arquitectura: el hombre, su ética y su conocimiento. Él te da los instrumentos para hacer. Pero es extremadamente exigente. Es suave y dulce, pero lo quiere entender todo. Tengo un texto sobre él que escribí hace años. En él explicaba que con Álvaro cuando uno piensa que está todo acabado te lo hace empezar todo de nuevo.

Q:76歳になった今でも彼はポルト・アレグレに創った様な素晴らしい美術館を生み出し続けています。あれは何か新しいものが生まれ出て来る様な、そしてそこに辿り着くかどうか分からない、どこか遠くの地平線の彼方の様な、正にそんな2つの間に生まれ出たかの様な建築だと思います。
Q:Con 76 años, Siza firmó el Museo Iberê Camargo en Porto Alegre, que es una mezcla entre volver a nacer y haber llegado a lo que no sabías que se podía alcanzar.

R:あれは凄いですね。あんなものを見せられたら、コピーするとか、そこから何かを学び取るとか、そんな事はどうでも良い様に思えてくる程です。それほど完璧な創造だと思います。建築を創っている最中、何かしらの問題にブチ当たったり、何かに躓いたりすると、何時もこんな風に考える様にしています。「アルヴァロならどう考えるかな?どんな戦略を練るかな?」と。彼とは未だにプロジェクトを一緒にやる機会があるのですが、最近ではナポリの地下鉄の計画を進めていますね。彼と旅をするのは本当に楽しい。色々な話をし、議論をし、そして一緒に食事をします。私がスケッチを書いていると、こんな事を言うのです。「違う、違う、そうじゃないでしょ」みたいな(笑)。我々は今でも非常に良い関係を保っているのです。
R:Ese edificio es impresionante. Y ante algo así, uno piensa: ¿copiar qué?, ¿estudiar qué? Pero cuando tengo un problema, muchas veces pienso: ¿qué haría Álvaro?, ¿qué estrategia seguiría? Y todavía trabajo con él en algunos temas. Hacemos juntos el metro de Nápoles. Y es un placer viajar con él. Contamos historias, discutimos, vamos a cenar… Trabajamos bien. Yo dibujo y él me dice no, no, no… [Risas]. Es una relación muy bonita.

Q:シザの後継者にはなりたくなかったのですか?もしくは彼がそうさせなかったとか?
Q:¿Usted no quiso ser su discípulo o él no le dejó?

R:それは不可能でした。彼の頭の中に入り込むのは無理だったのです。彼の扱う建築的言語やテクニック、彼の使う建築的文法などは良く理解しているつもりです。しかし彼の様に考える事は出来ないのです。何故なら私の頭の中には私自身のアイデアがあり、それはアルヴァロのそれとは違うものなので。彼はこんな事を言います。「エドゥワルド、君の建築は、そう、君の好きなミースの様な新造形主義だね」と。私は何も彼に示す必要はないし、彼も私に対して何も強要はしません。こういう関係は私達にとって非常に心地良く、それが我々の関係を良好なものにしているのかもしれません。彼と一緒に働く事は私にとってはチェスをやるようなものなのです。私の家で一緒にスケッチをしたりもします。しかしもう一度強調したいのですが、彼のパーソナリティは建築家というものを遥かに超えた、非常に強いものだと思います。彼のアイデンティティを理解する事、そして彼の持っている倫理を理解する事は、ひいては彼の創り出す執着的な建築を理解する事に繋がるという意味において非常に重要な事なのです。例えば彼がボア・ノヴァのレストランをデザインしている時だったと思うのですが、何と彼はそのレストランが建つ敷地にある石の上に寝ていたんですね。そしてそれら全ての石の位置や形状を記憶していたのです。アルヴァロという人はそれくらい執着心が強い人なのですが、彼の娘も又、かなりの執着心持ち主だと思います。
R:No era posible. No lograría meterme en su cabeza. Conozco muy bien el lenguaje, la parte técnica. Conozco muy bien su gramática. Pero no podría pensar como él. Tengo otras ideas. Él dice que soy neoplástico, como el Mies que me gusta. Yo no tengo que probar nada a Álvaro, y él no quiere nunca imponer nada. Eso nos hace estar bien. Trabajar juntos es como jugar al ajedrez. Dibujamos en mi casa. Pero insisto: el personaje es más fuerte que el arquitecto. Es muy importante entender la identidad, la ética que da como consecuencia este tipo de arquitectura obsesionada. Siempre ha sido un tipo obstinado. Cuando estaba haciendo el restaurante Boa Nova, dormía en las piedras. Se las conocía de memoria. Su hijo también es obsesivo.



Q:シザの姪であるあなたの奥さんも建築家ですね。しかし、あなたとは一度も仕事をされていません。
Q:Su mujer, que es sobrina de Siza, es también arquitecta, pero no ha trabajado nunca con usted.

R:そうですね、女房とも娘達とも今まで一度足りとも仕事をした事はありません。今彼女は兄弟の為の家を数件デザインしています。
R:Eso lo tengo claro: ni hijas ni mujer. Ella hace ahora unas casas para sus hermanos.

Q:想像するに、3人の娘を持つという事は、今日の若者が持つであろう諸問題、つまりは仕事を探す為に他の国に行かなくてはならないという大問題に直面しているのではと思うのですが?
Q:Me imagino que tener tres hijas le acerca al problema de los jóvenes de hoy que tienen que emigrar en busca de trabajo.

R:全くその通りです。これは非常に大きな問題であり、夜も十分に眠れない程の悩みなのです。現在私の事務所には35人の所員がいるのですが、彼らに「リスボンに行って自分の事務所を開け」だとか、彼らの将来の為に私の同僚に何か良い仕事が無いか聞く事すら出来ない状況なのです。我々はまるっきり出口の見えない、そんな状況に追い込まれているのです。プリツカー賞を受賞した時、ポルトガルには仕事が一つもありませんでした。今の若者達はブラジルやスイスへ仕事を探しに行くか、もしくはレストランを開店するしか無い様な状況に追い込まれているのです。それらの若者は教育的に不十分だとか、能力が無いとか、そんな事は全く無く、むしろ、彼らの多くはレベルの高い教育を終了し、非常に高い技術と志を持っているのです。それにも関わらず、この国ではその能力に十分見合った職に就く事が出来ないのです。この様な社会的な変化は急速に訪れました。まるで昨日までは沢山の仕事があったのに、今日になって急に何も無くなってしまったかのような、そんな状況なのです。ハッキリ言って建築家として私と働く事はとてもシンドイと思います。私の事務所で何年間か苦労した後、自分の事務所を開設する事が出来るのならそれも又良い道だとは思うのですが、今はそんな事が出来る状況にはありません。私は彼らに何と言えば良いというのでしょうか?そんな状況を考えると大変憂鬱になり、そしてこの国の行く末、彼らの将来の事を心配してしまいます。
R:Es un problema enorme. Me quita el sueño. Yo tengo 35 colaboradores y no puedo decirles que vayan a Lisboa o a pedir trabajo a un colega. No hay nada. No hay ninguna puerta abierta. Cuando recibí el Pritzker, no tenía ningún trabajo en Portugal. Los jóvenes se tienen que ir a Brasil, a Suiza o a abrir un restaurante. Me preocupa porque hay mucha gente con formación y vocación y nos hemos encontrado este problema casi de un día para otro. Trabajar conmigo es duro, y pienso: ¿para qué?, ¿qué les dices a quienes se han esforzado tanto? Entristece lo que estamos viviendo y me preocupa.

Q:ポルトガルでは今でも仕事が無い状況が続いているのでしょうか?
Q:¿Sigue sin trabajo en Portugal?

R:はい、私も他の国に出稼ぎに行ったくらいです。
R:Sí. Yo también emigré.

Q:贅沢な出稼ぎにね。
Q:Emigrante de lujo.

R:当然です。苦しんでいると不平を言うつもりは毛頭ありません。しかし仕事を国外に探さなくてはならなかったのです。勿論自分の国に留まってここで仕事が出来たら最高だったのですが、そういう訳にもいかなかったのです。
R:Por supuesto. No digo que este sufriendo. Pero he tenido que buscar fuera. A mí me gusta mucho más quedarme en casa.

Q:こんな状況下において、今あなたの国と、そしてヨーロッパ全体が右傾化しようとしていますが、どう思われますか?
Q:En este clima, ¿qué opina de la derechización de su país y de Europa en general?

R:今日において左派はどんな意味を持つというのでしょうか?ハッキリ言ってそれ程重要な意味合いを持っているとは思えません。そしてその事は散々な結果に終わると思います。これは何もイデオロギーの問題ではなくて、不平等の問題なのです。ウォールストリートが世界の未来を決めるなどとは到底思えません。そして世界中の政府は、土地投機などに投資した銀行を助ける事は出来ないと思います。今我々が直面している状況というのは、右や左と言ったイデオロギーの違いによる問題ではないのです。右派にも物凄く優秀な人間はいます。問題なのはモラルが無い事なのです。そしてこの様な状況は、何かしら恐ろしいモンスターを産み出す事態に陥る可能性を孕んでいるのです。この様な状況は長くは続かないでしょう・・・。ポルトガルの状況は最悪です。
R:¿Qué es ser de izquierdas hoy? Parece que no tiene mucho significado. Esto va a acabar mal. No es un problema ideológico, es un problema de injusticia. Wall Street no puede decidir el futuro del mundo. Los Gobiernos no pueden ayudar a los bancos para que inviertan en especulación. La situación no es un problema entre derechas e izquierdas. Hay gente de derechas muy buena. La situación es amoral. No hay moral. Esto da la posibilidad de hacer cosas monstruosas. Esto no puede durar… Portugal está fatal.

Q:ポルトアレグレにおけるシザの様に、あなたの建築も又、時間と共に自由になってきたと思うのですが・・・。Paula Rego美術館は正確に言うと、あなたの一連の作品の様に、デカルトの流れを汲むものではなく、ましてや、ミースの流れを汲むものでもありません。
Q:Como Siza en Porto Alegre, usted también se ha soltado mucho con el tiempo… El Museo Paula Rego no es precisamente cartesiano ni miesiano como tanta obra suya anterior.

R:そう言われています。私の建築における変化は、ポルトの地下鉄をデザインしていた時から始まったのでは?と思います。あの時は何の先例も無く、自由気ままにやれたのです。医者が患者の体をよく観察し悪い所を発見する様に、都市の特徴を注意深く観察し、分析する事を学ばなければならなかったのです。地下鉄をデザインしている時に、ある一つの考えが浮かんできました。「もしかしたら、我々が考えているように、建築と言うのはそんなにデカルト的ではないかもしれない」と。その後、実験をしてみようという気になりました。実験無しには建築というのは非常につまらないものになってしまうのです。そう、この世の中は白と黒が支配しているのでは無く、色々な事を試す事が出来るのです。
R:Sí. Eso dicen. Creo que todo empezó cuando trabajé diseñando el metro de Oporto. Allí no había recetas. Tuve que aprender a tomar la escala de la ciudad como un médico tiene que explorar a un paciente para ver qué encuentra. Haciendo el metro pensé que igual las cosas no eran tan cartesianas como nosotros creíamos. Y luego está la idea de experimentar. Sin experimentar, la profesión es muy aburrida. Y como el mundo no es blanco y negro, se pueden probar otras cosas.

Q:実験するのはお好きですか?
Q:¿Le ha gustado experimentar?

R:非常に好きですね。私の事務所は今や研究所となってしまいました。各々のプロジェクトの為に、4つの違う模型を創っています。
R:Muchísimo. He transformado mi estudio en un laboratorio. De cada proyecto hacemos cuatro maquetas diferentes.

Q:今の方が楽しそうですね?
Q:¿Se lo pasa mejor ahora?

R:非常に楽しくやっています。「楽しむ」という事は、「我慢する」という事の基本でもあります。随分長い間、周りの無理解による悲しい時期を過ごしましたからね。しかしこれらの状況を打開しなければならない時がやってきたのです。これ以上悲しむ事に意味は無いと。以前は社会的な重圧などから自由な建築は出来なかったのですが、その考えが変わりました。そして赤い建築を創ってやろうと思い立ちました。以前は真っ赤な建築を建てるなど思いもよらなかったのです。
R:Mucho mejor. Me divierto, y para aguantar es fundamental disfrutar. Hemos pasado un periodo de lamentos por incomprensiones. Pero llegado a un punto hay que reaccionar. No valen más lamentos. Jamás pensé que en la vida haría un edificio rojo.

Q:クリスティアーノ・ロナウドの家を建てていますよね?
Q:¿Construirá la casa para Cristiano Ronaldo?

R:はい、デザインしました。しかし彼がマドリッドに行った時、工事はストップしてしまいましたけどね。
R:La diseñé. Pero cuando vino a Madrid suspendió la obra. La paró.

Q:何故ですか?
Q:¿Por qué?

R:本当にその家を建てたいのかどうなのか、少し考えたいそうなのです。この家を建てるに当たって少しばかり問題が発生したのです。家の計画は承認されたのですが、その建設予定地には保護林が存在していたのです。検事である私の兄はポルトガルにおいて保護されているコルクガシの木を伐採している者達を追っています。1200平米という広大な家を建てる為に私がそれらの木を伐採する事が出来るかどうか?という問題ではなかったのです。それらの木々を切り倒す事は法律的に禁止されているのです。その上、もしも私が兄の手によって牢屋に入れられ裁判にでもなったらどんな事になると思いますか?新聞はこう書き立てるでしょうね。ソウト(検事の兄)対ソウト(建築家)。ロナウドは激怒していましたね。何故ならその土地を売ったものたちは、そこに生えている木を切る事は出来ないという事を伝えずにその土地を売りつけたのですから。私は彼に言いました。「違う土地を探しましょう。そうしたら新しいプランを創るから」と。彼はうんざりしていましたけどね。
R:Se lo quiere pensar. Tenía problemas de construcción. El proyecto de la casa fue aprobado, pero se levantaba en un terreno donde había muchos árboles protegidos. Mi hermano fiscal había iniciado un proceso de persecución a quienes cortan los alcornoques protegidos. No era cuestión de que pusiera yo a cortar los alcornoques de Ronaldo para hacer sitio a su casa, enorme, de 1.200 metros. Talar los árboles no era legalmente posible. Además, imagínese los titulares: Souto contra Souto. Él estaba furioso porque le vendieron e terreno sin advertirle de que los árboles estaban protegidos. Le dije que cambiáramos de terreno y que haría otro proyecto. Y se molestó.

Q:ロナウドがあなたを探した事、そして建築家を雇ったという事は、とても驚きです。
Q:Es sorprendente que lo buscara a usted, que lo quisiera como arquitecto.

R:いいえ、裏事情はそんなに複雑ではありません。彼はブラガのサッカーチームの大統領の友達なのです。ロナウドはブラガスタジアムが気に入ったそうで、それで私に電話をかけてきたのです。私はサッカーの事は良く分かりませんし、彼は建築の事は知りません。しかし、彼と話した後、とてもよい関係、そう、とても直接的な関係を築く事が出来ました。彼は私に幾つかの要求をして、それに対して、私は出来る事、出来ない事を告げたのです。
R:No. Es muy simple. Es amigo del presidente del Braga. Le gustó es estadio y me llamó. Yo no entendía mucho de fútbol ni el de arquitectura. Pero después de hablar con él conseguimos una relación muy directa. Él pedía y yo le decía si era o no posible.

Q:何が不可能だったのですか?
Q:¿Qué no era posible?

R:湖を造る事、そしてそこに浮かぶ島、その他、幾つかの事が不可能でした。彼の様な社会的に重要な人物には常に何人もの召使がついてまわり、そして彼の世話をするのです。しかし彼らはご主人には本当の事を言わないものなのです。だから最終的に、真実を伝える為にはマンチェスターへ行き、直接彼と話す事が最良だと考えました。彼を不愉快にさせるような情報、敷地に生えてる木々は切る事が出来ないなんていう嫌な事は言いたくなかったのですけどね。
R:Un lago, una isla, algunas de las cosas que quería. Estos tíos tan importantes tienen una corte que los protege y los cuida. Pero les dicen cosas que no son verdad. Por eso al final la única manera de hablar con él fue ir a visitarlo a Manchester. No le querían dar un disgusto informándole de que los árboles no se podían cortar.

Q:その計画はストップしたのでしょうか?
Q:¿Es proyecto está parado?

R:はい、中断しています。しかし、プリツカー賞をとった時、ある新聞記事が目に留まりました。それ程期待が持てるかどうかわかりませんけどね。「ロナウド、もう一度新しい家が建てたい」。
R:Se suspendió. Pero cuando me dieron el Pritzker leí una noticia, no sé si especulación: Ronaldo quiere de nuevo la casa.

Q:スターはスターを惹きつけるという事でしょうか?
Q:¿Las estrellas atraen a las estrellas?

R:そうですね。そうかもしれません。
R:[Risas] Será eso.
| インタビュー集 | 05:16 | comments(4) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
エンリク・ルイス・ヘリ(Enric Ruiz Geli)設計のMedia TICを見て:20世紀の物理学から21世紀の生物学への移行を示唆するかのような建築(かな???)
先々週の事だったのですが、新進気鋭の建築家として最近メディアを賑わせているエンリク・ルイス・ヘリ(Enric Ruiz Geli)設計によるMediaTICを訪れる機会がありました。というのも、某プロジェクトのミーティングが偶然にもその建築の中であり、ラッキーな事にも中に入る幸運に恵まれたからです。

(私の記憶が確かならばー!!!)エンリク・ルイス・ヘリという建築家が頭角を現してきたのは、1998年の2GGustavo Gili出版社)主催で行われたミースパビリオンの拡張計画コンペ(competition ‘Mies van der Rohe Foundation Head Office)で一等を取った時だったと記憶しています(GG社についてはコチラ:地中海ブログ:グスタボ・ジリ社( La Editorial Gustavo Gili)Francesc Munoz: UrBANALizacion: paisajes comunes, lugares globales)。それ以来、実際の建築をデザインするというよりは、むしろ、メディアアーキテクトとして実績を積み重ね、近年ではバルセロナやニューヨークで過激なデザインの動物園のコンペを勝ち取った事でも話題になったりしていました。



今回バルセロナに完成した建築はそんな彼が手掛けた実物第一号と言えるのでは無いのかと思われます。




外見が結構過激にデザインされ且つ、敷地が22BCNという、バルセロナが現在戦略的に売り出しているエリア(ポンペウ・ファブラ大学の情報学部やアグバータワー、MediaPRO、バルセロナ市役所関連の建物など密集しているエリア)に建っているだけに、メディアの注目度も抜群です。そんな中でも今回の建築はカタルーニャが生んだ新進気鋭の建築家によるデザインと言う事で、メディア熱も更に加速していると、まあ、こう言う訳です。

以前読んだ新聞記事情報によると、どうやらこの建築の一番の特徴は外皮が生物が呼吸するように膨らんだり縮んだりして、日照を自動的にコントロールし、建物内のエネルギー消費を最小限に抑えるサステイナブル建築なんだそうです。



上の写真は隣に建ってるバルセロナ市役所から撮ったものなのですが、屋上にはソーラーパネルが所狭しと並べられているのが見えるかと思います。で、その画期的と言われている表皮がコレ:






・・・特にコメントの必要も無しかな・・・。機能がある事は当たり前なんだけど、その上でそれをどのようにデザインするのか?という所で勝負するのが建築家の役割というもの。そういう意味において、特にコメント無しという意味です。



上の写真は内側から見た所なんだけど、多分、丸い点々が光を感知するセンサーか何かになっていて、それによってこの表皮が変化するという事なのでしょうか?このような動く外皮によって日照をコントロールするというアイデア自体はジャン・ヌーベル(Jean Nouvel)のアラブ世界研究所(Institut du Monde Arabe)とほとんど変わらないと思います。



まあ、それは良いとして、僕にとって興味深い事は、ここには我々の時代が直面している変化を垣間見る事が出来るという点ですね。

どんな変化か?

それは20世紀を支配した物理学から21世紀の学問である生物学への移行という変化です。つまりヌーベルのアラブ世界研究所の仕掛けは物理的なものだと言う事が出来るのに対して、メディアTICの方は生物的な表皮が自動的にコントロールしているというような。もう一つはメディアTICの基本コンセプトがサステイナビリティを前面に押し出しているという点ですね。今や「グリーンやサステイナブル」というのは、都市や建築において、何にも勝る広告なのですから(地中海ブログ:フランクフルト旅行その3:広告としての緑の都市計画)。

さて、この外皮のデザインを見るにつけ、「ちょっと雲行きが怪しくなってきたなー」と思った所で、中に入ってみてビックリ:



エントランスも何も無く、ただ広い空間の遥か向こうに受付のお姉さんの机がポツンと置いてあるだけ。訪問者は入り口から受付まで数十メートルを歩かされるのですが、受付の人もこの空間のアホらしさが分かっているのか、僕と目が合うなり、笑い出していました。エントランスとはその建築の印象を決める大変重要な空間です。そのアプローチ如何によって、その建築の体験を左右すると言っても過言では無いと思います。だからフランク・ロイド・ライトが「ガラスの家」を訪れた際、「フィリップ、私は何処で帽子を脱げば良いのかね?」と皮肉を込めて、訪問者を迎え入れる空間が無い事を批判したんですね。

ちなみに上階の内部空間はこんな感じ:



新しいテクノロジーや材料を使って新しい表現を試みるのは建築家の使命であり、それこそ誰もが夢見る建築家の醍醐味だと言えます。しかしながら、それら「目新しいもの」に振り回され、基本となるデザインを忘れていたのでは、本末転倒としか言いようがありません。逆に言えば、それら基本的なデザインをきちんとしてこそ、新しい部分が光るのだと思うんですね。

「他人の振り見て我が振り直せ」とは良く言ったものですが、僕もそこだけは忘れないようにしようと再確認した建築探訪でした。
| 建築 | 23:30 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
パリ旅行2009その2ジャン・ヌーベルのケ・ブランリー美術館(Musee du Ouai Branly)について:不気味なもの達を入れる箱としての不気味な空間
ジャン・ヌーベルの話題作、ケ・ブランリー美術館に行ってきました。

いきなりで何なのですが、この建築はその評価が大変難しい建築だと思います。正直、この建築が傑作なのか?駄作なのか?はっきり言って良く分からないというのが僕の意見です。間違い無いのは、彼がこの建築に、今まで使ってきたあらゆる手法を詰め込んでいる事、プログラム(内容)から建築の空間表現が練り上げられている事、そしてその特別な展示内容(ヨーロッパ人には意味不明の非西洋系の民族品など)が要求する「不気味な空間」にジャン・ヌーベルが大変的確に答えている点などです。

先ずはアプローチなのですが、多分彼はこの建築に対するメインアプローチをセーヌ川に架かるドゥビィール橋(Passerelle Debilly)と想定していると思います。そしてその橋から見える風景がコレ:

ヌーベル

真横を走る大通りからの騒音をカットする為に、お得意のガラスの壁を立ち上げています。ちなみにココを訪れる前、カルティエ財団に行ってきたのですが、コチラは今すごい事になっていました:

ヌーベル

なんでもグラフィッティ(Graffiti)に関する展覧会を開催している関係で、前面ファサードを期間限定で若者に貸し出しているのだとか。

ヌーベル

内部のトイレなんかにもビッシリ描かれ、コレはコレですごい空間でした。

ヌーベル

さてこのガラスの壁を通り抜けると、見事な庭園を通して、あちら側にカラフルなキューブが配された、美しいカーブを描く美術館の本体が我々を出迎えてくれます。

ヌーベル

ふと右手方向を見ると、エッフェル塔があたかもこの建築の一部であるかのような、そんな風景も立ち上がっています。そしてこの建築最初の仕掛けがコチラ:

ヌーベル

建物本体をピロティで持ち上げて、一階部分を全てフリーの空間とした、半屋外/半屋内空間です。

ヌーベル

天井はこんな感じで直線を組み合わせて多面体を作り出しています。

ヌーベル

併設されているカフェの椅子がこの天井と同じデザインである所を見ると、多面体を用いて天井に波型を作り出すというこのデザインが、この美術館の一つのシンボルになっているようですね。

ヌーベル

庭に埋め込んであった乳白色の棒は夜になると光り輝き、その光が天井に映り込んで幻想的な風景を創り出していました。

ヌーベル

さて、チケットを購入して早速美術館の中へと入っていきます。

ヌーベル

円弧を描いた右手側の白い壁が道標となって、我々を入り口へと導いてくれるのですが、この奥まっていく感じはナカナカ良いですね。そしてエントランスをくぐった所の空間がコレ:

ヌーベル

特に特筆すべき所も無いかなというのが正直な感想。・・・全く普通だなこりゃ!ここから常設展示室や企画展示室へと入っていくのですが、その仕掛けはナカナカ巧かった。

ヌーベル

曲がりくねった真っ白な道が、まるで獣道の様にひたすらグルグルと周り続けているのですが、コレは多分、「日常空間」から「非日常空間」へと心を切り替える為のバッファーゾーンなのでしょうね。

ヌーベル

この美術館に行かれた方は気が付かれたかもしれませんが、このスロープは床がちょっと傾いています。最初は「施工の精度悪いな」とか思った(笑)のですが、どうやらコレはワザとらしい。建築全体を使って、非日常への雰囲気を作り出した、とそういう事らしいです。そしてようやく長―いスロープが終わりかけた頃、別世界(展示空間)へと続く最終トンネルへと辿り着きます。ココで注目すべきなのがこの天井:

ヌーベル

色や材質を変えたりする事で、空間のあちら側とこちら側の役割を明確化させているんですね。この辺はうまい。そして最終的にたどり着くのがこの空間:

ヌーベル

ヌーベルお得意のドロドロ−ネチネチ系の空間です。名付けて、ドロロンえん魔君的空間!「ドロロン、ドロロン、ベロベロバー」みたいな。で、パッと出たのが:

ヌーベル

ギャー、コレは怖い(笑)。で、この人は多分、バルサファン:

ヌーベル

この美術館こんなのばっか。

ヌーベル

更に魔界のごとく、薄暗−い空間の中、蝋燭が溶け出して急に固まりかけた、そんな何とも言えない形をした壁と天井が辛うじて空間を分割し、曖昧な領域が出現しています。今流行りの「曖昧な領域区画手法」なのですが、コレがやりたかったんだろうなー。

ヌーベル

この建築の外観を特徴付けているカラフルな箱達は、内部ではこんな風にして、テーマ毎の展示空間となっていました。

さて、ヌーベルがこの建築で実現したかった事、それは上述した様に、彼お得意のドロドロ空間を創り出す事だったと思います。しかしながら、それは「彼がやりたかった事」だけじゃ無くて、実はこの美術館のプログラムが「要求した事」でもあったんですね。この美術館が収蔵するのは、非西洋系の美術品(コレ等を果たして美術作品と呼ぶのかどうか?については後ほど別のエントリで書きたいと思います)とも民族品とも言えない、非常に曖昧なもの達、ひいては、西洋人(フランス人)にとっては訳の分からない「不気味なもの達」だからです。だから、これらの収蔵品を入れる箱も、必然的に不気味にならざるを得ない、もしくはその内容を表象しなければならない、という、まあ、そんな理屈だと思います。そしてそういう空間を創らせたら、世界広しと言えども、ジャン・ヌーベルに勝てる建築家は先ず居ません。

しかしながら、その結果出てきたデザインが美しいかどうか?と言われると、僕にはとても判断が難しい所です。もしかしたら、フランス人にとっては、あの、「ネチー」とした空間や、飴を溶かして創ったような壁に対して、ものすごい愛着を感じるのかもしれないし、それが何かしらフランスの社会文化の一側面を現しているのかもしれない。でも、僕にはそれが分からなかった・・・。以前はヌーベルの建築に対して「分からない」という事すら分からなかったので、そういう意味では少しは前進したのですが(苦笑)・・・。

正直言って、今回の建築を見て、自分のキャパシティ不足を痛感しました。僕には未だ、あの空間を評価出来るだけの許容力は無い。それが正直な所です。果たして皆さんはどのように思われたでしょうか?

| 旅行記:建築 | 22:39 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
デイヴィッド・チッパーフィールド(David Chipperfield)の建築:裁判都市(La Ciutat de la Justicia):建築間の対話による都市風景の創出
先週末1日だけ一般公開されたデイヴィッド・チッパーフィールド(David Chipperfield)のデザインによる裁判都市に行ってきました。「裁判都市とは何か?」というと、現在はバルセロナ市内にバラバラに点在している司法、裁判機能を一箇所に集め、コミュニケーションを円滑にする事によって、少しでも効率的に司法行政を行おうという試みの下に建設された都市(建築群)エリアの事です。



この裁判都市が位置するのはバルセロナ郊外のホスピタレット市(Hospitalet de Llobregat.)、丁度、伊東豊雄さんが計画されている2本の棟の目と鼻の先です。3億2,000万ユーロをかけて建設された8つの建物には、3,000人の労働者と1日13,000人の訪問者が想定されています。

先ず初めにとても巧いなー、と思った事はそのネーミングですね。ココでは「建物群」や「エリア」を創り出す事ではなくて、ある種の「都市」を創り出す事が意図されている。つまり、何にも無い郊外に求心力のある「核」を創り出すという、バルセロナのお得意の手法ですね。その証拠に、8つの建物群の一階には既にカフェやレストランなどの店舗がぎっしりと入る事が決まっています。





様々な機能が混在し、正に都市の街路、都市における街角を創出しようと試みていると言う所は、先ず第一に注目すべき点だと思いますね。

さて、そういうバルセロナ市の都市戦略、バルセロナ市にとっての「裁判都市の位置付け」というマクロな話に加えて、僕の関心はやはり「彼(デイヴィッド・チッパーフィールド)がこの建築で一体何をやりたかったのか?」という点に収束します。ずばり彼がやりたかった事、それは「異なる建物間での対話、そしてそれらが生み出す誰も見た事の無い風景」だと思います。

先ずこの建築の「物語」はココから始まります。



4つの独立した建築が重なり合い、少しずつズレる事によって、単体の建築では出現し得ない風景を演出している。これはバルセロナのスペイン広場方面から空港方面へと行く道路側から見た風景なのですが、彼は明らかにコチラからのアプローチを意識している事が分かります。



上の写真は反対側(つまり空港からスペイン広場方面)から建築群を見た風景なのですが、まとまりがあまり無い事に気が付くと思います。リズムが悪いんですね。(このようなアプローチの重要性についてはラペーニャ&エリアス・トーレスの傑作、トレドの大階段についてのエントリで書いた事と一致します:地中海ブログ:マドリッド旅行その4:ラペーニャ&エリアス・トーレス(Jose Antonio Martinez Lapena and Elias Torres)の建築その1

リズムの話をする時に僕がよく例に出すのが「キン肉マン」のオープニングの話です。僕はキン肉マンどんぴしゃ世代で、小学生の頃は毎週欠かさず見ていました。はっきり言って、「友情」とか「信頼」とか、そういう人生にとって大切な事は結構キン肉マンから学んだ気がする。

さて、オープニングにはこんな歌詞が出てきます。

私は、ドジで、強い、つもり、キン肉マーン。走る、すべる、見事に転ぶ。アー心に・・・

ココで、最初の塊は、4つのフレーズ(私は、ドジで、強い、つもり)+キン肉マーンで構成されている事が分かると思います。しかし、次のフレーズでは、「走る、すべる、見事に転ぶ」と3つのフレーズで構成されているんですね。前の規則に従うならば、「見事」と「転ぶ」が分かれ、4フレーズを構成するのが普通なのに、最後のフレーズが2つ重なり、3つのフレーズに収まる事によって、大変良いリズム感を出している事が分かると思います。

チッパーフィールドが作り出したリズムも基本的にはコレと一緒なんですね。



最初の建物(はじまり)を一番高くしておいて、段々に下げて行く。その規則に従うならば、最後が一番低くなるはず。しかしそうはせずに、3番目を一番低くしておいて、最後の締めを少し高くする事によって、アクセントを付けている訳です。一見バラバラに見える建物群でも、ナカナカ良く考えられている事が分かると思います。



更に周りを歩いてみると、如何に彼が建物の重なりによる「空の切り取り方」に気を払っているか?が分かると思います。



渡辺純さんが良く言われていた事を思い出します。「cruasan君ねー、都市スケールの建築において、何が大事かって、それは一本の線が大事なんじゃなくて、その線が端部でどう終わっているか?そしてその線が他の線とどう交わっているか?そしてそれらがどう「空」を切り取っているか?が重要なんだよ」と良く言われていました。





そしてココでは「見え隠れ」による、ある種の「奥行き」が演出されていると言ったら、あまりにも褒めすぎでしょうか(笑)。

そんな事を思いながら、先程の「物語のスタート地点」から少しずつ歩いてみます。



左手には我々の歩行を促進するかのように、緑の壁が進行方向に立ち、橙色の建物(壁)がまるでその運動を受け止めるかのように、優しく(斜め方向に)位置しているのが分かると思います。これらの二つの建物が切り取る「空」もナカナカかっこ良いですね。



そしてココでふと前をみると、エントランスが我々に向かって真正面ではなく、ハスに構えて出迎えてくれるのが分かると思います。この演出もナカナカ巧い。



緑色の建物が進行方向を向き、それを受け止める橙色の建物と一対となる事によって、自然と生まれた三角形地帯なのですが、それを上手く、斜め方向からのアプローチとして使っている事が分かると思います。



このような「斜に構える」デザインの好例は坂本一成さんがやられた住宅S、槙さんのヒルサイド、そしてジャン・ヌーベルのレイナ・ソフィアなどがあると思いますが、そういう観点から見るならば、この建築も明らかに「斜に構えるデザイン」において成功している好例だと言う事が出来ると思います(地中海ブログ:マドリッド旅行その2:ジャン・ヌーヴェル(Jean Nouvel)の建築:国立ソフィア王妃芸術センター(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia))。

デイヴィッド・チッパーフィールド(David Chipperfield)の建築その2:裁判都市(La Ciutat de la Justicia):内部空間に続く。
| 建築 | 19:09 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
地中海連合(Union pour la Mediterranee): ペルピニャン(Perpinan)―モンペリエ(Montpellier)間の高速鉄道(AVE)
今月の頭からフランスはモンペリエ市にて、ペルピニャン―モンペリエ間を結ぶ高速鉄道建設に伴う会合が何回か持たれている様子です。今月6日にはフランス・スペインの国境付近の市長8人(ペルピニャン(Perpinan)、ナルボンヌ(Narbona)、ベジエ(Beziers)、トゥールーズ(Toulouse)、モンペリエ(Montpellier)、フィゲラス(Figueres)ジローナ(Girona)、バルセロナ(Barcelona))が集まって討論会が開かれたり、先週は別の席にカタルーニャ州政府(Generalitat de Catalunya)が招かれ意見を求められたりと、大変活発な動きが見られます。(関連記事はコチラ:都市アクセッシビリティ:ヨーロッパの高速鉄道網状況:地中海ブログ)



この高速鉄道はフランスの領地に建設される為、当然の事ながらフランスがイニチアティブを取っているのですが、鉄道と言うのは「何処に」建設するかと同時に、その鉄道が「その都市を通って何処へ行くのか?」というのが、大変に重要な問題なんですね。

良く「グローバリゼーションの中における都市間競争」と言うけれど、本当は隣の都市と競争するのではなくて、隣の都市が栄えていた方が自分の都市にとってはプラスになるんですよね。何故なら近隣に人やモノが多く集まっていると言う事は、そこに繋がっている都市には同じく多くの人やモノが流れ込んで来ると言う事を意味するのだから。つまり近郊都市がよりダイナミックであればある程、自身の都市もダイナミックになっていくという事です。

故に何時もは隣国の事なんかコレっぽっちも気にしないフランスも、今回ばかりはさすがにカタルーニャを無視出来ない状況となっています。

さて、議論の対象になっている点は主に2つ:

一つ目は鉄道の用途について。つまり、旅客専用にするのか?もしくは貨物列車にするのか?という問題です。この点については主に4つのシナリオが考えられています。

1.人の輸送だけに限り、最高速度を320キロまで上げる。
2.人とモノの両方を運ぶ鉄道にして、旅客車両の最高時速を220キロ、貨物列車のそれを120キロにする。
3.2と同じく人とモノの組み合わせだけど、旅客車両の最高時速を300キロに、貨物列車は変わらず120キロにする。
4.最後のシナリオは上の3つとは違って、在来線を拡張するというもの。

スペイン側の主張としては、現在バルセロナまで来ている高速鉄道(AVE)が旅客と貨物の混合になっているので、当然の事ながら混合タイプを主張しています。

そしてコレに関連して議論されているのが第二の点。それがパリまでのルートです。これにも幾つかのシナリオがあって、ペルピニャン・モンペリエを結ぶ軸線上にナルボンヌとベジエに新しい駅を作るという案。そしてナルボンヌからカルカッソン(Carcasona)を抜けてトゥールーズへ繋ぐという案などが出ています。



バルセロナとしてはナルボンヌ―トゥールーズ案に大賛成。何故かと言うと、現在フランス経由でバルセロナ港に入ってくる資材は、そのほとんどがトゥールーズで配分されているからです。バルセロナにとってトゥールーズというのは、都市戦略上外せない拠点なんですね。だからそのトゥールーズと高速鉄道で結ばれると言う事は、自ずから都市発展を助長する事になるわけです。

さて、ここが面白い所なんですけれども、以前のエントリでお伝えした様に、バルセロナは1995年以来、地中海連合の旗振り役(Barcelona Process)を務め、去年の11月には念願の地中海連合(Union Pour la Mediterraness)の常設事務局に選ばれました。(地中海連合(Union Pour la Mediterraness)の常設事務局はバルセロナに:地中海ブログ)この事により、名実共にバルセロナは地中海の首都となった訳です。

地中海の首都とは何か?
それは国と言う枠組みを超えて、地中海と言う文化圏を一つに纏め上げる中心、文化や経済発展の中心的役割をする都市と言う事だと思います。そしてその為に必要不可欠なのが道路や鉄道などのインフラな訳です。

だから、もし本当に地中海の首都を目指すのならば、論理的にはバルセロナはペルピニャンーモンペリエーマルセイユ(Marsella)ーニース(Niza)を抜けてイタリアへと触手を伸ばしていくのが必然的な考え方だと思います。しかし実際にはバルセロナはナルボンヌからトゥールーズを通って北へ抜けようとしている。つまり全く逆を目指している。



反対方向を向けば、論理的にはバレンシア(Valencia)ーアリカンテ(Alicante)ージブラルタルへと行くのが常識だと思うんですね。しかしですね、ココでも実際にバルセロナがやっているのは南を目指すのではなくて、マドリッドなど北を目指しているんですね。

もう一つ面白い例を挙げます。この地中海連合にはバレンシアも大変活発に動いていて、バルセロナや南仏との連携を強調していたりするのですが、彼らが最優先している連結はバルセロナではなくて、マドリッド。バルセロナとの連結計画は未定のくせに、マドリッドとの連結工事は2010年に完成するらしい。

まあこの場合は、港が無いマドリッドが地中海で最も重要な港の一つであるバレンシア港がどうしても欲しいと音頭を取っているのかも知れません。バレンシアにしてもそんなに悪い話では無くて、連結すればヨーロッパで最大級の空港とのコンタクトが手に入るのだから。

まだはっきりとした事は言えないけれど、何が言いたいのかというと、「地中海連合=地中海の弧連結」というのは、かなりイメージ先行の部分があるのではないのだろうか?と言う事。つまり実はバルセロナがやっている事と言うのは「イメージ創り」に過ぎないのではないのか?と言う事です。

まあ、とは言っても、各都市間では着々と結び付きを強める為の計画が進行している事も又事実。例えば、現在フランスとイタリア間ではリヨン(Lyon)とトリノ(Turin)を結ぶ計画が進行中です。もしコレが実現すれば、バルセロナから、ペルピニャン―モンペリエ―マルセイユ―リオン―トリノという道も十分可能ですね。

又、ペルピニャンとジローナは両都市の結び付きを強める為にEUから越境地域協力資金「インターレグ(Interreg)」、830万ユーロ(1ユーロ120円として約10億円)を取り付け、両都市を南ヨーロッパの舞台芸術の首都にしようと試みています。ペルピニャンで現在進んでいる新しい劇場(Theatre de lArchipel)はジャン・ヌーベル(Jean Nouvel)の設計で、400万ユーロ(1ユーロ120円として約4.8億円)がつぎ込まれているんだそうです。

このようなミクロとマクロの眼を持って、南ヨーロッパの戦略を見ていくのも又、面白いかもしれません。
| 都市戦略 | 21:22 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
バルセロナの大型プロジェクト次々とストップ:カンプノウ改修計画(Remodelacion del Camp Nou) by ノーマン・フォスター(Norman Foster)、新サンツ駅計画(Estacion de SANTS) by ジョセプ・ルイス・マテオ(Josep Lluis Mateo)など
一昨日のエントリ(ゲーリー(Frank Gehry)のサグレラ駅周辺(Entorno de la Sagrera)プロジェクト、経済危機の為ストップ)でフランク・ゲーリーのサグレラ駅周辺計画がストップしたとお伝えしたばかりだったのですが、翌日の新聞(La Vanguardia, 12 de marzo 2009)では堰を切ったかの様に次々と、バルセロナで進行中だったスター建築家達による大型プロジェクトの危機状況が伝えられていました。

先ずはノーマン・フォスター(Norman Foster)によるバルサの拠点、カンプ・ノウ改修計画(Remodelacion del Camp Nou)。





以前のエントリで何度か書いたように(ベルリンで見た国会議事堂リノベーションロンドンのスイス・リ(Swiss Re)本社ビル大英博物館改修など)、フォスターのデザイン力というのは並では在りません。さすがに「サー(Sir)」の称号を貰うだけの事はある。ちなみに僕が高校生位の時に、キムタク主演、田村正和と宮沢りえが競演していた建築家のドラマ(名前忘れた!)があったんだけど、そのドラマの中でキムタクが心底感動していた建築が、ノーマン・フォスター設計の東京センチュリータワー(Tokyo Century Tower)でしたね。

さて、そのフォスターが手がける事になっていたのが、泣く子も黙るバルサの拠点、カンプ・ノウスタジアムです。カンプ・ノウは98.800人という欧州最大の収容人数を誇るサッカースタジアム。僕も何度か足を運んだ事があるのですが、10万人もの人々が会場を埋め尽くす光景は圧巻。そこにフォスターのデザインが競演する事によって、今まで誰も見た事の無い風景が出現したのかと思うと、それだけで興奮を覚えるのですが、予算の関係でストップだそうです。(コスト:2.5−3億ユーロ(1ユーロ120円として300億―360億円))残念!!!

続いて、バルセロナを拠点に活躍する建築家、ジョセプ・ルイス・マテオ(Josep Lluis Mateo)による新サンツ駅計画(Estacion de SANTS)。バルセロナにおけるAVEの玄関口として駅全体を改修+増築する予定だったのですが、コレもストップ。確かこの計画って、今や売れっ子建築家になったRCR事務所(RCRアランダ・ピジェム・ヴィラルタ・アーキテクツ(RCR ARANDA PIGEM VILALTA ARQUITECTES)も絡んでませんでしたっけ、Kさん??(コスト:2.2億ユーロ(1ユーロ120円として264億円))

ジャン・ヌーベル(Jean Nouvel)によるホスピタレット・シティ・メトロポリターナ計画(CityMetropolitana de L’Hospitalet)もストップだそうです。この計画はバルセロナ市とホスピタレット市の境界に、両者を繋ぎ、周辺を活性化する要素として計画されていました。何でだか知らないけど、バルセロナってジャン・ヌーベル好きなんですよね。アグバータワー(Torre AGBAR)とか22@に昨年完成した公園とか。マドリッドにもレイナ・ソフィア美術館( Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofía)とかありますしね。残念ながら新たなる彼の作品は見る事はなさそうです。(コスト:1億ユーロ(1ユーロ120円として120億円))

そして何と何と、先日お伝えしたばかりのバルセロナが誇る超目玉計画、リチャード・ロジャース(Richard Rogers)による闘牛場改修計画(Antigua plaza de toros las Aremas)もストップだそうです。

エーーーーーーー!!!!!、そうなの?????
あれだけ盛大に講演会やったのに?あれだけ盛大に展覧会開催しているのに?あれだけ「コノ計画はすごいんだー」みたいに自慢してたのに?

スペイン人って、上げといて上げといて、これでもかーって上げといて、で、急に落としますよね。すごいな、スペイン人!!!

世界同時経済危機だからしょうがないのかも知れないけど、良い建築が世の中に日の目を見ないのは、何とも悲しい事です。見てみたかったなー。
| 建築 | 21:21 | - | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ゲーリー(Frank Gehry)のサグレラ駅周辺(Entorno de la Sagrera)プロジェクト、経済危機の為ストップ
昨日の新聞(La Vanguardia, 11 de marzo 2009)にゲーリー(Frank Gehry)の進めているサグレラプロジェクト(Entorno de la Sagrera)が経済危機の為にストップしたという記事が載っていました。以前から巷で囁かれてはいたのですが、公式に発表されたのは初めてだと思います。

都市戦略という観点から見たサグレラ周辺計画の意味付けや、ゲーリーの建築が表象する社会文化的な意味などについては、以前のエントリ等で散々書いた気がします。(バルセロナの新たなる都市戦略:ビルバオから学ぶバルセロナ都市圏再生の曙:地中海ブログ、フランクフルト旅行その2:未来都市としての広告都市:地中海ブログ、ビルバオ・グッゲンハイム効果とジェントリフィケーション:地中海ブログ、Berlinその4:広告としての建築・建築化する広告その1:地中海ブログなど)

なんだかんだ言っても、ゲーリーは今世紀を代表する巨匠ですから、知らず知らずの内に結構彼の建築には言及してるんですね。

昨日の記事では何故計画がストップしたのか?と言う事について「お金が掛かり過ぎる上に、用途が明確では無い」と言う事が挙げられていました。「え、用途って明確じゃ無かったの?」と、驚き桃の木なのですが、何でもオフィス60%、ホテル40%(もしくはその逆)というくらい、大雑把な決め方だったらしい。その上、4億ユーロ(1ユーロ=120円で計算して480億円)も掛かるんじゃ、そりゃストップするわな、と言う感じでしょうか。



さて、このゲーリーによるプロジェクトには興味深い事に「花嫁(La Novia)」というあだ名が付いています。一番高い高層棟を人と見立てた時に、その後ろに段々と低くなっていくビル郡があたかも花嫁のウェディングドレスの様に見えるかららしいんですね。そして少し離れて建つジャン・ヌーベル(Jean Nouvel)のアグバー・タワー(Torre Agbar)を男性のシンボルと見立てて、「新婚初夜」とか言ってバルセロナっ子ははしゃいでいます(笑)。



ちなみに建設中のアグバータワーは、こんな風になってて、「コンドームをはめた様だ」と皆言っていました(笑)。

プラハ(Praha)に行った時に同じくゲーリー設計の建築を見たのですが、この建築にも「ダンシングビル」というあだ名が付いている様です。







多分、クネクネとうねった躯体を指して色んなあだ名が付いたとは思うのですが、これらの名前はともかく、「あだ名が付く」という現象が面白いですよね。

僕達の子供の頃を思い出して見ると良く分かると思うのですが、僕達が何かにあだ名を付ける時、他とは違った特徴を取り出して、それを誇張するかのように付けるのが一般的だと思われます。そしてそれらの特徴は誰が見ても納得する程のモノであるという所がキーポイント。そう、あだ名とは皆が皆、無意識下に感じていた事を巧く言い当てた時、とても普及するものなのです。

さて、コレを僕達の関心に読み替えるとどうなるか?

都市というコンテクストに対してこのようなあだ名が一般に普及すると言う事は、その下地となる都市への認識を市民一般が共有していると言う事を表していると思うんですね。上述の建築を男性・女性に見立てた遊びは一見馬鹿げた遊びに見えますが、良く考えてみるとコレは結構高度な都市認識が無いと成り立たないんじゃないのかな?



何故ならあそこにあんな形のビルが建ち、あそこにはあんな形の塔があるので、ココとココを結ぶとまるで花嫁と花婿のようなイメージになる、というのを頭の中で描く為には、都市の全体像が頭の中に入っていて、パッとイメージ出来なければ不可能だからです。

つまりそれだけ都市に対する意識が高く、市民一般の間で、ある程度の都市像が共有されていると言う事です。もしそのような共通認識が無かったなら、「あだ名」は「あだ名」足り得ないし、誰も話題にはしないと思うんですね。ちょっとすごいなー、と思うのは、こういう話題を皆がカフェで議論している事、出来てしまう所ですね。

多分ココには「都市のイメージ」とかメンタルマップとか、色んな要因が入ってきて、今日のエントリは結構複雑且つ長くなりそうだなー・・・とか思ってたらナルトが始まっちゃった!と言う訳で又今度。

追記:

ちなみにバルセロナの代表的なメンタルマップがコレ:





(Rubio,A. (1995): la imatge mental de lEixample de Barcelona. In Semiotica de lEixample Cerda, Barcelona, Edicions Proa, p33-43)

特徴としては常に山が上(北)で海が下(南)に描かれている事。これは明らかに事実とは違って、バルセロナの東西南北はこんな感じになっています。



そして市内を斜めに横断するディアゴナル通りとサグラダファミリアなど、幾つかのモニュメントは描き込まれていますね。

追記その2:
2011年9月2日の事なのですが、敷地を掘ってたらローマ時代の遺跡が出て来たらしいです。これで又、この計画がストップする可能性が出てきましたね。
| 建築 | 21:38 | comments(9) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
マドリッドの都市戦略その1:美術(美術館)を軸とした都市活性化
昨日の新聞(La Vanguardia, 27 de Julio, 2008, p42-53)にマドリッドの文化戦略に関する記事(El paseo del Arte)がデカデカと載っていました。

マドリッドはスペインの首都でありながら他都市に比べてアイデンティティが明確でない為、今までバルセロナなどの影に隠れてきたと言っても過言では無いと思います。例えば「スペイン」と聞いて日本人が普通に連想するのはフラメンコ、闘牛、ガウディ、ピカソ、パエリアなどですね。そしてこれらと関連する都市として想像されるのが先ずはバルセロナ、バレンシアそしてアンダルシア辺りでしょうか。

しかしバルセロナなんてフラメンコ(アンダルシア)や闘牛(アンダルシア)は勿論、パエリア(バレンシア)だってさっぱり関係無いのに地中海都市というだけで、パエリアと関連付けられ、なんでか知らないけどフラメンコと闘牛のメッカという事になってしまっているんですね。

有名なのは92年のバルセロナオリンピックに合わせて製作されたヤワラのオープニング。最後の場面にサグラダ・ファミリアをバックにフラメンコ衣装を身に纏ったヤワラが出てきます。



さて、マドリッドにとっての問題は上に挙げた単語のどれ一つとしてスペインの首都とは関連付けられ無いという事です。

その一方でマドリッドはスペイン帝国の首都であり続けた為に、蓄積された莫大な遺産を抱えています。それが例えばプラド美術館に眠る数々のお宝だったり、もしくは国立ソフィア王妃芸術センターが所有するピカソ(Pablo Picasso)の代表作ゲルニカ(Guernika)だったりするわけです。このような状況を指してマニュエル・ボルハ(Manuel Borja-Villel)はこんな風に言っています。

"Madrid es una ciudad de identidad media, pero culturalmente muy potente"(p47)

「マドリッドは都市のアイデンティティとしてはそれほどでもないが、文化的には潜在力抜群だ。」


そんな「宝の持ち腐れ」をしているマドリッドが打ち出した都市戦略が文化を軸に据えた美術館戦略です。上に書いたように元々マドリッドは数多くのお宝を所有していて、それらがプラド美術館(Museo del Prado)を中心とした「アートの黄金の三角地帯(Golden Triangle of Art)」と呼ばれるエリアに集中しています。三角形の他の2角は現代美術の宝庫である国立ソフィア王妃芸術センター(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia)と個人所有のコレクション数なら世界第二位を誇るティッセン・ボルネミッサ美術館(Museo Thyssen Bornemisza)です。(ちなみにデータによると、2007年度の来館者はプラドが2,650,000人、レイナ・ソフィアが1,500,000人、ティッセンが970,000人。)

今回のマドリッド都市戦略は元々あったこのような資産を軸に展開しています。更にこの黄金の三角形の丁度真ん中にスペイン最大の銀行であるラ・カイシャ(La Caixa)が運営する美術館、カイシャ・フォーラム(Caixa Forum)を新たに開設しました。結果、驚くべき事にこのエリアには15近くもの文化施設が集中する事となりました。

Museo Reina Sofia
Caiza Forum
Museo Thyssen Bornemisza
Funacion BBVA
Biblioteca Nacional
Museo Arqueologico Nacional
Casa de America
Museo Naval
Museo Nacional de Artes Decorativas
Angiguo Museo del Ejercito
Cason del Buen Retiro
Claustro de los Jeronimos
Museo del Prado
Obervatorio Astronomico Nacional
Museo Nacional de Antropologia

そしてこれらを結ぶ軸線(1.9km)を現在の交通量の多い車中心の道路から歩行者中心の街路に新しく生まれ変わらせる為に起用されたのがアルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)。更に更に、このエリアの始まりにはスペイン高速鉄道(AVE)発着駅であるアトーチャ駅(Estacion de Atocha)が位置しているという徹底振り。コレによりバルセロナから日帰りコースでアート堪能の旅というのも十分に可能な訳です。

さて、興味深いのはリノベーションや増設などに伴う建築工事に、各館共にスター建築家を起用している事です。歴史あるプラド美術館の増築にはスペインを代表する巨匠、ラファエロ・モネオ(Rafael Moneo)を起用し、現代美術の殿堂であるレイナ・ソフィアには今年プリツカー(premio Pritzker)を受賞し、今や乗りに乗っているジャン・ヌーベル(Jean Nouvel)を建築家として招いています。「革新」というイメージを打ち出しているカイシャ・フォーラムの新築デザインにはヘルツォーク&デ・ムーロン(Herzog & De Meuron)を採用するといった辺りの人選はそれほど間違っていないような気がします。

腑に落ちないのはティッセン・ボルネミッサ美術館の増築なんですね。ティッセン・ボルネミッサ美術館と言えばかつて、世界第二位の個人コレクション数を誇った名実共に世界に君臨する名美術館。そんな世界屈指の美術館増築ならかなりのニュースになっても良いはず。任されるだろう建築家はモネオやヌーベルに比肩するくらいの建築家であってもおかしくないと思うんですね。しかしですね、この美術館の増築は全くニュースにならず、今日の特集記事にもホンの一行触れられているだけ。

その理由が実際にティッセン・ボルネミッサ美術館を訪れて分かりました。というのも、この増築デザインはちょっとひどい。







故に「増築による新しい部分」が「広告」にならないんですね。はっきり言って素人級のデザインでかなりがっかりしました。

誰が担当したのかはココには書きません。カタルーニャの新進気鋭で名を売っている建築家集団とだけ言っておきます。このような大型美術館の新築・改築・増築は必ずしも巨匠が担当しなければならないという事は全くありません。むしろ、経験のあまり無い若い建築家にチャンスを与えるのには僕は大賛成です。しかしそれは実力が備わっていてこそだと思うんですね。じゃないと、「若い者に任せるとコレだから困る」と、後続が断たれる。少なくとも基本的なデザインレベルや仕事に対する誠意、プロの建築家としての誇りは見せて欲しい。
こんな低レベルの仕事をしているのなら、親父のコネしか無い低能建築家と言われても仕方が無いぞ!
| スペイン都市計画 | 23:38 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
マドリッド旅行その2:ジャン・ヌーヴェル(Jean Nouvel)の建築:国立ソフィア王妃芸術センター(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia)
昨年拡張工事を終えたばかりの国立ソフィア王妃芸術センター(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia)に行ってきました。担当したのは先日プリツカー賞(The Pritzker Architecture Prize)を受賞し、今乗りに乗ってる建築家、ジャン・ヌーヴェル(Jean Nouvel)。ジャン・ヌーヴェルの建築はこれまでアグバルタワー(Torre Agbar)など幾つか見た事がありましたが、あまりピンとこなかったというのが正直な所でした。あのある種独特な「ネチー」としたデザインの何処がどう良いのかさっぱり分からなかったんですね。その一方で彼の建築が世界中で評価されているという事は、あのネチネチデザインがフランスの社会文化を何かしら表しているのか?とか考えたりもしたんですが・・・

コレは結構重要な事で、例えばアルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)の建築の本質というのは、彼の建築がポルトガルの社会文化を表象している・する事が出来ていると言う事だと思うんですね。ポルトガルという国は大変に「のんびり」したお国柄で、「待つ」という事が重要な意味を持つ社会だと体感しました。そんなポルトガルという国をシザの建築の「おおらかさ」が表象しているんじゃないかという事が分かりかけてきたのは、ポルトガルに住んで半年くらい経った時のことでした。(そんな彼の建築の本質をずばり写真を通して見極めている二川さんはやはりすごい)

建築は表象文化である為、その建築家が育った環境やその建築が建つ文化社会にある程度身をおいてみない事には、「その建築が何を表象しているのか?」という事はナカナカ判らないと思うんですね。これは勿論ジャン・ヌーヴェルにも言える事で、もしかしたら彼の建築がフランスの何かしら空気のようなものを表しているのかもしれない。そしてそれが評価されているのだったら、フランスに居住した事の無い僕には分かりずらいのかもしれないなーとか思ったりして。

まあ、それは「デザインの巧さ」という話とは又違う次元の話で、というのも「表象の問い」は最終的なデザインが一体何を表しているのか?という事ですから。そしてそれは狙って出来る事では無い。例えば日本文化を表象しようとがんばって無理にデザインしたものほど気持ちの悪いものは無い、というように。

そうではなくて、無意識下においてデザインの隙間から滲み出るものが何かしらの空気を表象している、もしくは表象してしまう能力を持つ人の事を建築家と呼ぶわけですね。それこそ「建築家とはその社会に生きる人々が潜在下に思っていながらナカナカ形に出来なかったものを一撃の下に形にする行為である」わけなのですから。

そんな事を考えながらソフィア王妃芸術センターを訪れたのですが、この建築はデザインという観点から見た時に大変に良い建築だと思いました。何故かというと、やりたい事がきちんと見えて、それがデザインにまで昇華されていると思うからです。



やりたい事は単純明快で、大屋根を架けてその下に格子状の箱を整頓しつつ、半屋内・屋外空間を創り出すという事だと思います。

先ず屋根を徹底的に薄くシャープに見せる事を第一と考えています。まあ当然と言えば当然で、ココがこの建築の勝負所だからです。この屋根がシャープに見えるかどうかでこの建築の質が決まってくる。そしてそれを成功させるために、様々なデザイン的な工夫がなされている。

先ずは遠景。



学生の時に渡辺純さんが口を酸っぱくして言われていた事の一つに「建築のシルエット」の問題がありました。模型に裏側から光を当てて、その建築のシルエットを薄目で見てみる。すると、その建築のエッジが「どのように空を切り取っているか?」、「その線が他の線とどのように交わっているか?」そして、「その線が端部でどのように終わっているか?」という事がよく見える訳ですね。



写真は夕方に撮影したのですが、この大屋根のシルエットは今まで見た事が無いような風景を出現させています。



遠景から見た時のもう一つの特徴が「建築が斜に構えている」という事です。こういう時のデザインの定石は、手前側に比較的軽いものを持ってきて、奥に行くほど濃くしていくという手法。この建築の場合には、定石通り、手前側に格子の箱を縦3つ低層に積んで、横6つ並べ、向こう側にある階段とのデザインの切り替えに縦に6つ箱を積み高層としている。そしてそのデザインの物語が斜に構えた階段で終わるという構成。何故に、最後の階段部分を「斜に構える必要があるか」というと、終わり方をオープンエンドにするためですね。



「斜に構えた建築」の好例としては坂本一成さんの「S」でしたっけ、住宅が非常にうまいデザインを展開されています。屋根の切り返しのデザインで上手い事、角地の特性を引き出しているデザインです。

ヌーヴェルが今回採用した「斜の階段で終わる物語」という事では、槙さんがヒルサイドテラスで大変見事なデザインをされていますよね。



さて、大変に印象的な大屋根なのですが、とりあえず、張り出しが尋常じゃ無い事に直ぐに気が付きます。これはこの建築に絶対不可欠で、支え柱を数メートルセットバックさせる事で、屋根が浮いているという印象を強烈に与える事に成功していると思います。



これだけのキャンチレバーをしようと思ったらかなりの幅の鉄骨が必要となると思うんだけど、そんな事を感じさせないような「ツルッ」としたデザインに仕上げています。

その秘密がコレ。





これは横から見た所なのですが、先っぽの方を極力薄くしておいて、三角型に奥に行くに従って鉄骨の幅を広くしていくという構造デザイン。そして軒先を日本建築のように少し上方に傾ける事によって更に軽さを演出している。

そしてこの構造を生かすかのように、薄い大屋根の一部分に開口が開いていて、そこに厚みが付いている。





この「薄い大屋根」と「厚みのある開口」という対照は非常にドラマチックであり、驚きを与えます。

そして旧建物と大屋根との間に出来ている少しの隙間が、ホンの数十センチ開いていて、それがピシッと真っ直ぐに伸びている事も、この屋根のシャープさを際立たせる事に貢献しています。



構造を生かした見事なデザインだと思います。

さて、僕にとってかなり謎なジャン・ヌーヴェルという建築家を謎足らしめているのがこの空間。



これは大屋根の下に併設されているカフェテリアなのですが、非常に暗くて閉鎖的な空間。お世辞にも「気持ちが良い」とは言えない。



このカフェテリアでコーヒーを頼んで、2時間ほど「どうしてこの人はこんな空間を創ったのかな?」と考えていました。何でかって、もしこの空間をヌーベルが心底気持ちが良いと思っているとしたら、それは人間の感覚としてはちょっと異常だと思ったからです。

その時に思ったのは、もしかしたらジャン・ヌーベルという人はわざとこのような空間を創り出しているのでは無いかと思ったんですね。つまり現在主流の透明感ある光溢れる空間はありふれているし、その方向でいったら絶対にフォスター(Norman Foster)や伊東さんには勝てない。故に戦略としてその反対方向である、暗い空間にポツンポツンと漏れる光空間を創る事に専念しているのではないのか?

そしてそのような主流に対するアンチを戦略的に提示する事の隙間から無意識に漏れてくる何かが彼の建築を特別なモノにしているという気がします。つまり戦略的にやっているんだけれども、それ故に現れてくる非戦略的な部分に彼の建築の本質があると。そういう事が全て分かった上でやっているとしたら(絶対そうなんですが)、彼は相当な切れ者で勝負師だと思いますね。
| 旅行記:建築 | 13:33 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
マドリッド旅行その1:高速鉄道(Alta Velocidad Espanola:AVE)に乗ってきました
先週末を利用してマドリッド(Madrid)に行ってきました。マドリッドにはポルトガルに居た時以来、実に3年ぶりの訪問になります。

今回の旅の目的は主に3つ。
一つは先月開通した高速鉄道(AVE)に乗る事です。





新しいもの好きの僕としては誰よりも先に乗らずにはいられない。

もう一つは現在プラド美術館で開催中の展覧会、「プラド美術館の19世紀展(The Nineteenth Century in the Prado)」を見る事。この展覧会には19世紀のスペイン美術の重要性を示す95の絵画と20の彫刻が集められています。なんと言ってもカタルーニャが生んだ知られざる天才画家、マリアノ・フォルトゥーニ(Mariano Fortuny)の作品が展示されているらしいという事で期待大。

そして最後の一つがジャン・ヌーベル(Jean Nouvel)による国立ソフィア王妃芸術センター(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia)の増築を見る事。はっきり言ってあまり期待はしていなかったのですが、「見ず嫌い」だけは普段から出来るだけ避けるようにしているので。感動する瞬間というのは実はこんな風に期待していないけど、実は良かったという場合の方が圧倒的に多いという事を今までの経験として知っているんですね。という訳で一応。

とりあえず、毎回恒例の都市アクセッシビリティ評価からいってみたいと思います。と言っても今回は通常のように空港から都市中心部へのアクセッシビリティを評価するのではなく、都市間を結ぶ鉄道と飛行機の利便性の比較評価を試みたいと思います。

バルセロナ−マドリッド間を繋ぐ高速鉄道の発着駅はバルセロナサンツ駅(Estación de Sants)−マドリッド・アトーチャ駅(Estación de Atocha)と、どちらも中心街に位置しています。



特にマドリッド・アトーチャ駅というのは、目の前にピカソ(Picasso)のゲルニカ(Guernica)を擁するソフィア王妃芸術センター、歩いて5分の所にプラド美術館(Museo Nacional del Prado)という、立地の良さ。

これに対して、バルセロナ空港からバルセロナの中心カタルーニャ広場までがバスで約30分、マドリッド空港から中心街まで地下鉄で30分と、空港からのアクセッシビリティはどちらも抜群に良いのですが、中心街に位置する駅から発着する利便性にはやはり勝てない。

今回実際に高速鉄道を利用してみて初めて分かったのですが、高速鉄道を使う最大の利便性は待ち時間です。飛行機の場合、少なくとも1時間前には空港に居なくてはなりません。更にそこからチケットやセキュリティの列に並び、飛行機に搭乗しても飛行機が飛び立ち安定飛行に入るまではパソコンも開けない状況。

それに対して高速鉄道の場合には、列車発射の15分前までに行けばよく、入場やセキュリティなどの待ち時間はほとんど無し。列車は必ず定刻に発車し、席に着いたと同時にパソコンの電源を入れられます。何より席のスペースが飛行機よりも断然広いし揺れも少なく非常に快適。





加えて言うなら、列車内にあるカフェテリアでコーヒーを頼んだ所、一杯1.4ユーロでした。これは安い。飛行機なら軽く3−4ユーロはいくでしょうね。

高速鉄道のバルセロナ−マドリッド間の所要時間は約2時間40分なのですが、上述の空港までの移動時間や待ち時間などを考えると圧倒的に高速鉄道の方に分があるように思います。何より観光を目的としてマドリッドに行く人にとって、駅を出た直ぐの所がレイナ・ソフィア美術館であり、プラド美術館だというのは非常にうれしい。

気になる値段の方は、直通で片道119,50ユーロ。往復で買うと20%引きで191,20ユーロになります。格安飛行機に比べるとちょっと高めかな。しかし15日前までに購入すると片道最大40ユーロまでの値下げありです。往復で80ユーロというのは安い。更に高速鉄道には遅延による保障が付いています。15分遅れると半額が戻ってきて、30分以上遅れると全額返済。これはビジネスで行く人にとってはとてもうれしいサービスですね。

長年に渡りバルセロナ市民の気を揉み、最後は大規模なデモにまで発展したAVE問題でしたが、最終的にこのレベルのサービスを提供してくれたのなら、大満足なのではないでしょうか。
| 都市アクセッシビリティ | 19:11 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
バルセロナ公共空間と歩行者空間計画
集まって住む事を「楽しみ」としてきた地中海都市においては限られた都市内における住宅不足とその狭さが伝統的に問題となってきました。都市の密度が高いというのは裏を返せばそこに住む市民が「集まって住む事の楽しさを知っている」からだとも言えるんですね。

勿論、限られた土地に集まって住む事は良い事ばかりとは限りません。市民がその狭さと質の悪さに我慢出来ているのは、ある意味、都市内における公共空間の質の高さとコインの裏表を成しているのだと思います。

家の中のリビングルームは狭いけど、目の前に広場があるとか、家の中には日が差し込まないけど、近くに日向ぼっこ出来る広場があるというように。これが第一に市民が都市に対して高い関心を持つ理由だと思います。自分の家の近くにある公共空間は居間と繋がっているのですから。だからそれが壊される時は勿論、少しでも手が加えられようものなら市民は先ず黙っていません。

さて、そんなバルセロナの公共空間に今一つの危機が訪れています。都市内における公共空間の圧倒的な量的不足によって子供達が遊ぶ場所が段々と失われていっているんですね。大変に嘆かわしい事にボールを持った子供達は車が通る道路で車を避けながらサッカーをしているというのが現状です。

「これほど都市の質の貧弱さを表わしている事象は無い」という事に立ち上がったのがバルセロナ市民。昨日から毎週日曜日は幾つかの街路を通行禁止にし、子供達と市民に公共空間として開放しようという試みが始まりました。

もともとこのような街路の使い方はお祭りなどで頻繁にされてはいたんですが、それを毎週日曜日とした所が今回の計画の画期的な所です。昨日は初日という事もあって地元の人は勿論、遠くから子供連れで訪れた親子も沢山居たようです。

さて、僕達が長い間提案し続け、グラシア地区で実施されたスーパーマンサーナ計画は正にこのような車に支配された街路を市民の公共空間に変える事を目的としています。詳しくはこちら

このグラシア計画はホンの始まりにすぎず、僕達が最終的に目指しているのはセルダブロックのある新市街地の歩行者空間化です。9つのブロックを1つの島として、その中に車は進入禁止にするという計画です。9つのブロックという事は1辺が3ブロックから成る訳ですが、この数の根拠は人が5分で歩ける距離が約400メートルだからです。400メートルを超えると人は車など他の交通手段を選ぶ傾向にあります。バス停の間隔って実はこういう理論に基ついているんですね。

このスーパーマンサーナ計画セルダブロック編は第一期が22@BCN地区で完了しつつあります。22@BCNは総計画が6期ほどに分かれているのですが、その第一期がヌーベルのアグバータワー(Torre Agbar)とそのお隣のポンペウ・ファブラ大学( Universidad Pompeu Fabra)周辺計画。ここの街区の街路は半歩行者空間になっているのですが、この計画を僕等が担当しました。まあ、なかなかうまく出来ていると思います。

今後、ヨーロッパ都市はどんどんと市内から車を減らしていく方向に進んでいくと思われます。勿論、車は都市の活力でもあるので完全に無くす事は出来ないのですが、その均衡をどのように図っていくかというのが一つの焦点になってくる事は先ず間違い無いと思われます。

その時、一番大事なのは都市に長期的ビジョンがあるかどうか?とそれを実行するだけの真剣さがあるかどうかという事ですね。
| バルセロナ都市計画 | 20:28 | comments(0) | trackbacks(0) | このエントリーをはてなブックマークに追加
アグバー・タワー(Torre Agbar):ジャン・ヌーベル(Jean Nouvel)の建築
何気なくヌーベルのデザインしたアグバー・タワーの横を通ったら「水道の歴史とカタルーニャ」(現行タイトルは水の変遷(Los cambios del agua))みたいな展覧会を開催中で時間もある事だし「少し見ていくか」という事で行ってきました。展覧会自体はお粗末なものだったのですが、ビルの中に入れたのはラッキーでした。写真撮影もOKだったし。



中の様子は外観から十分に予想出来るもので暗がりの中にぼこぼこ空いた穴から光が差し込んでくるという空間。



内装パネルが反射材になっていて彼の建築独特の「ねとー」とした感じを助長している。差し込む光を背景に成り立っている建築ではなく逆に闇の中に浮き上がる建築。最近は一面ガラスで覆われた光に満たされた建築ばかりを見ていたので全く正反対のこういう建築もアイデアとしては有りかなと思いました。





デザインとしては正方形パネルを基本として内壁を覆いつつ同じ形の開口を取り光を導き入れている。様々な場所に空いた光取りに張られた様々な色ガラスを通して入ってくる光が反射してキレイ。



展覧会の会場構成も背景である建築デザインを意識したと思われる所が見られ、それはそれでナカナカ良いものだと思いました。薄い液晶が光の効果によってまるで浮いているかのように見える・・・かな?



週末の夜はこんな感じでライトアップしています。以前Realities:Unitedによる建築ファサードを利用した建築広告の記事を書きましたがシステムは同じようなものでファサードをおおい尽くしている全ての照明をコンピュータ制御にしてファサードに思い通りの画像を浮かび上がらせるというものです。最近では夜間照明に対する規制もだんだんと厳しくなってきましたが、お日様によって頭の上からの光に慣れ親しんでいる我々にとって下からライトアップする夜間照明は大変に幻想的な雰囲気を与えてくれます。

こちらは建設途中のアグバー・タワー。下から丸いワッカと共にコンクリートが張られ段々と出来上がっていく様は見ているだけで楽しいものでした。







ヌーベルの建築は最近ではベルリンでショッピングセンター(ギャラリー・ラファイエット;Gallery Lafayette)を見ました。ガラスの三角錐が上階から下階まで貫通しているというデザイン。



一面に張られた湾曲したガラスに光が反射してなんとも不思議な感じがしたのを覚えています。そのガラスを通して背後に見える買い物客までがまるで幻想の世界にいるかのような演出でした。





概観に関してはその巨大さや異様さからコンテクストに合わないなど様々な批判が出ていますがアグバー・タワーに関してはフィジカルな都市環境だけではなくてバルセロナ都市戦略という観点で見なくてはこの建築の真の意味は理解出来ないのではないかと思います。この建築が建った所というのは現在バルセロナが戦略的に進めている22@BCNエリアなんですね。旧工業地帯を20年近くかけて知識型地帯に変えていくという例の有名な計画です。

アグバー・タワーが位置しているのは22@エリアの正に始まりの部分であるディアゴナル通りの先端。バルセロナはココにプロジェクトの象徴となる像を建てたんですね。このような建築の形態を戦略的に利用していくという事はバルセロナは結構やっていて例えば1992年のオリンピック村開発計画では新しいエリアを市民に認識してもらうため、そして海に開かれた街を強く印象付けるために浜辺へのゲートとして2本の高層ビルを建てました。印象的だったのは当時の責任者が最初からデザインではなく形態を重視していたと発言していた事です。

余談ですがアグバー・タワー近くにヌーベルは公園整備計画を進めています。もうすぐ完成という事なのでそのうち見に行ってみます。
| 建築 | 20:07 | comments(0) | trackbacks(34) | このエントリーをはてなブックマークに追加
ICINGプロジェクト締め切り間近3
今日はバルセロナ市役所インターナショナルオフィスにて交通局のBちゃん、22@BCNのJさん、SITMobileのMさん等とミーティング。コレマタ長かった。3時に始まった会議が終わってみれば19時。アー疲れたとか思いながらヌーベルがやったアグバービルの辺りを歩いていてちょっとビックリ。バルセロナが売り出し中の22@計画の第一期であるこの辺りが出来上がってきているじゃないですか!まあ、2008年完成予定を目指している事からすれば当たり前と言えば当たり前なんですが、かなり久しぶりに行った事もあって急激な変化にタダタダ驚くばかり。ちなみに第一期計画の公共空間プロジェクトは僕達がやりました。当然僕も参加しました。僕達が触れる範囲が公共空間に限られていたので建物には一切触れる事が出来なかったし、僕等が入った時には既にデザインまで決まっていたので何もする事が出来なかったんですが、完成予想図はかなりの高密度に仕上がっていました。良い意味ではなくて。大体バルセロナって水平に広がっている都市なんですが、その特徴を壊すかのような垂直型街区が立ち上がりつつあります。つまりボイーガスが言う所のアメリカ型都市街区ですね。

今丁度半分くらい出来た所なんですが、それでも十分に圧迫感を与えてくるボリュームです。さらにこの一角に19世紀の倉庫を改造したポンペウ・ファブラ大学が出来る予定なのですが、そこだけ低層で四方が高層に囲まれているという大変不均衡な計画になっています。
22@さん、もうちょっと考えた方が良いんじゃないでしょうかね?
| EUプロジェクト | 06:27 | comments(0) | trackbacks(0) | このエントリーをはてなブックマークに追加
ソウト・デ・モウラその2(Eduard Souto de Moura)
期待通りプルーデンスさんが大変鋭いコメントをくれました。(ありがとうございます!!!)
プルーデンスさんが「ディテールとは線引きの事であり、どこまでやるのか、どこで止めるのかの問題だ」と言われていますが全くその通りだと思います。建築のディテールなんてやりだしたら切りが無いし経済・時間的制約の中で何処までやるかが重要になるという訳ですね。そういう意味で言うと彼の修道院改修はかなり好条件だったのでは無いのでしょうか。確か10年ほどの歳月をかけたとかかけないとか。経済的にはどうだったんでしょうね?もう一つ僕の中で引っかかってる事があって、あのディテールって彼の事務所内じゃなくて他の事務所がやったって前聞いた事がある気がするんですが・・・・。

前回のエントリを読み返してみたら「彼の建築のディテールが最悪」みたいな書き方がしてあったけど、それは僕の書き方が悪かった。僕だって彼の建築をそれなりに評価しているし「普通の事をさりげなくやる」その能力はナカナカのものだと思う。しかし僕が言いたかった事はそこで評価するよりももっと重要且つ彼を評価すべき文脈があるのではないかという事です。これは多分今の僕の置かれている特殊な立場がそうさせるのかも知れないのですがソウトやシザを僕はもっと大きな文脈である政治・社会文化的な中でこそ評価すべきだと考えています。こういう状況って多分プルーデンスさんやシザ事務所のアツシさんのようにある程度その土地に住んでみて初めて分かる事なのかも知れませんね。

それにしても前回エントリの「ソートはディテールの建築家とか言うアホな意見」というのは言いすぎだったかも知れません。

プルーデンスさんの「著名建築家の悲劇は、ヌーベルはヌーベルでなくては、ならず。ピアノはピアノでなくてはならない、クライアントはそれを要求するだろうし、建築家はそれで答えなくては、ならない。そんな一面があると思います。」という意見。これはですね、僕が長い間ずっと考えている事です。話し出すと長くなるので次回に譲りますが僕はこれは「建築におけるコピーライトの問題」だと捉えています。


| 建築 | 05:28 | comments(1) | trackbacks(34) | このエントリーをはてなブックマークに追加
ミース・ファン・デル・ローエ賞(Mies Van Der Rohe Award)
何気なくミース財団のホームページを見てたら今年のミース・ファン・デル・ローエ賞の候補作品が公開されていた。もうそんな時期なんですね。見たい人はこちらへ

それにしてもあんまりパッとしないなー。ちなみに僕の予想としてはチッパーフィールドが取ると思います。どうしてかと言うと彼は今、バルセロナが売り出し中の欧州最大の都市プロジェクトである22@BCNに参加していて、もう直ぐそれが完成するから。半分冗談、でも半分は本気。

彼がやってるプロジェクトは丁度ヌーベルのタワーの真横に敷地があるのですが、ここら一体の公共空間整備は僕達が2005年にデザインしました。そういう経緯があるので言っちゃうけど、僕は彼のプロジェクトにはあまり良い気がしませんでした。何故かというと、元々バルセロナというのは水平方向型都市だと思うんですね。それが街の一体感を創り出している。しかし22@に関しては市場の力に官が負けて垂直型を受け入れてしまった。その急先鋒がチッパーフィールドのオフィスビルな訳です。現在はあの辺りを形成しているコマーシャルセンターや住居などが低層に押さえられていてそれなりの景観を保持していると思うのですが、そこへかなりの高密度でスカイスクレーパー郡を持ってきて良いのかな???
かなり疑問ですね。

それに比べて、彼がやったTeruelっていうバレンシアからバスで3時間ぐらい行ったところにある小さな街の中心街の歩道の改修はなかなか良いです。これは2004年に欧州公共空間デザイン賞を受賞しています。これには納得。


| 建築 | 08:04 | comments(2) | trackbacks(2) | このエントリーをはてなブックマークに追加