地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
ロンドン出張その3:ロンドンの戦略的眺望、ビューコントロールの賜物の風景
今回の出張は日程が結構キツキツで、殆ど何処も見て回る事は出来なかったのですが、それでも2日目の朝はちょっと早起きして、テムズ川沿いを歩いてみました。



朝日が川面をキラキラさせ、夜とは又違った良さがありますね。川岸は遊歩道が整備されてて、ランニングしてる人とかもいて、結構気持ち良さそう。

さて、僕と同年代の人達の記憶にこのテムズ川が登場するのは多分「キン肉マン」を通してだと思うのですが、と言うのも、今でも一部のマニアの間では絶大な人気を誇るキャラクター、ネプチューンマンが強さを求めるあまり身を投げた川、それがテムズ川だったからです。そしてその身投げした川底で出遭ったのが、何を隠そうパーフェクト超人のドン、ネプチューンキング。彼は何と10万年もの間、テムズの川底で強き男を待ち続けていたというから驚きです。でも、「10万年も前にテムズ川なんて、本当にあったのか?」とか思ってWikiを見てみると:

“今から60万年前の更新世の氷河期の時、475千年前のアングリカン氷河作用により大きく地形が変えられる前のテムズ川は、ウェールズからクラクトン・オン・シーを通り、現在では北海となっている地域を通りライン川に流れ込む支流の1つであった。・・・・・40万年前に氷河期が終わると、テムズ川は現在と同じ流れを通るようになった。”

とかある。うーん、確かにテムズ川自体は40万年くらい前には存在してたみたいなんだけど、そこに人が住み始めるのはせいぜいローマ、もしくはその前のケルトくらいからだと思うので、ネプチューンキングさん、あなた一体何処で何を待ってたの?って話なんですけどね(笑)。

冗談はコレくらいにして、今回はバロック様式の代表作であり、クリストファー・レン(Sir Christopher Wren)の傑作であるセント・ポール大聖堂(St Paul’s Cathedral)からノーマン・フォスターがデザインした橋(ミレニアムブリッジ)を渡り、テートモダンまでを歩いてみました。先ず、セント・ポール大聖堂なのですが、もう、存在感が圧倒的です:



そしてこの大聖堂の前に設けられたちょっとした広場&街路がものすごく良い空間を醸し出している。ここを出発点としてテムズ川に向かって歩いていく訳なのですが、橋を通して向こう側にはガラスの箱を両肩に載せているテートモダンがチラチラ見え隠れしています。



セント・ポール大聖堂とテートモダンの軸が微妙にズレてるのは偶然だとは思うんだけど、個人的にはコレくらいズレてる方が「コレだ、コレだ!」と主張し過ぎと言う事も無く好きですけどね。川へのアプローチをドラマチックにするのに大変貢献していると思われる、両脇に展開する町並みなんかは最近再開発されたと思われるのですが、新しくオシャレな店やオフィスなんかがバンバン入ってました。個人的には「この辺りのジェントリフィケーションの状況とかどうなってるのかなー?」とか思っちゃうんだけど、今回はパス。そして辿り着くのがココ:



テムズ川越しに見えるテートモダンの姿はナカナカ圧巻です。そして振り返るとこの風景:



この風景を最大限に見せる為に出来る限り橋の高さを抑え、「ヘンテコな構造物が美しい風景を妨げない様にしたんだろうなー、」と言う事が橋の隅々から伺えます。まあロンドンには(確か)「戦略的眺望」とか言う歴史的景観を保存する為の建築物の高さ制限に関する法律があったと思うんだけど、それが定められるキッカケもしくは基準となったのが、セント・ポール大聖堂だったんですね。つまり、ロンドン市民の心象風景たるセント・ポール大聖堂はロンドン市内の何処からでも見る事が出来なければならないって言うアイデアに基づいていて、こういうのを「ビューコントロール」とか言うらしい。



そういう観点からミレニアムブリッジをもう一度見てみると、風景を壊さない為の努力というか仕事量が、一見単純そうに見えるこの橋の隅々に満ち溢れている気がします。



まあ、単純なもの程それを実現する為には途方も無い仕事量が注ぎ込まれていると言うのは世の常だと思うのですが、それがもっとはっきりとした形で見えるのがテートモダンの両肩に載ってるガラスの箱だと思います。至極単純な四角い箱を実現する為には、それこそ膨大なディテールがその下には隠れているんだろうなー、と言う事を予感させるに十分です。



ミレニアムブリッジに関して言えば、ノーマン・フォスターはこの橋に展開する物語を結構良く考えていて、セント・ポール大聖堂からテートに向かった時、ブリッジを普通に渡して終わりにせずに、わざわざ一回、セント・ポールの方に折り返して終わっています:



つまり、長い橋を渡り終わった際、「もう一回、セント・ポール大聖堂をドラマチックに見せて終わる」という物語が展開している訳なんですよ。たったこれだけの操作なんですが、そこを歩く人が見る風景、もしくはその人の心に刻まれる風景には劇的な変化を起こさせるんですね。この辺りはさすがに上手いなー。今回は時間の都合でこの建築しか見れなかったのですが、この辺りは見所満載で、これだけでもお腹一杯と言う感じでした。ロンドン又来たい!!
| 旅行記:建築 | 21:16 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ロンドン出張その2:船上ディナー
EU関連のプロジェクトに関わっていて毎回非常に楽しみなのが何を隠そうディナーなのですが、というのも、ホストになった都市の人達が、その地方の文化を他のパートナーの人達により良く理解してもらおうと、その地方に根ざしたもてなしを駆使して楽しませてくれる場合が多いからなんですね。今回の開催都市はロンドン、と言う事で市内に川があるし、お題も海洋関連プロジェクトだったので、「船かな?」とか思ってたら、やっぱり船上パーティーだった。



大きな川が市内に流れている都市では、川岸に結構沢山の船が停泊してて、その中で夜景を眺めながら「ゆったりと美味しい食事を頂く」というのが結構な楽しみになっている様ですね。で、早速中に入ってみる:



僕はあんまり船とか乗らない方なので今回船に乗るのはモロッコに行った時以来、10年振りくらいなんだけど、今回の船は豪華客船なので優雅さが違う。備え付けの備品一つ一つから気品が漂ってくる・・・様な気がする(笑)。船とか本当に全然乗らないから、全く分からない(冷汗)。ヒホン(Gijon)でスペインが誇る空母、プリンシペ・デ・アストゥリアス(Portaaviones Principe de Asturiasに乗ったけど、あれは航空母艦でしたからね(地中海ブログ:ヒホンその4:航空母艦プリンシペ・デ・アストゥリアス(Portaaviones Principe de Asturias)。



さて、今回は集合が19時で1時間ほど船の上でカクテルを飲みながらの食前酒&おしゃべりタイムだったのですが、この時間は外もまだ明るく、向こう岸にはテートモダンなんかもバッチリ見えました(地中海ブログ:ロンドン旅行その9:テートモダン(Tate Modern)Herzog and De Meuronの建)。そうこうしている内に、船内に用意されていたテーブル席で本ディナーへと突入。生演奏が流れる中、とっても優雅に今日の一皿目が運ばれてきた:



料理名は忘れたけど、パンの上に生のサーモンが載ってる料理。まるで白いお皿に真っ赤なバラの花が咲いているかの様で、見た目も綺麗ならお味の方もナカナカ。そして今日のメインがコチラ:



こっちも料理名忘れたけど、チキンを煮込んだものの上に美味しいソースがかかってる料理。このソースに、焼いてあるベーコンが添えられているんだけど、それが美味しい事!これは久しぶりの「大変おいしゅうございます!」



ここでふと外を見ると、もう完全に日が暮れてて、岸のあちら側にはダイアモンドの如くの夜景が広がってる。



船内では雰囲気抜群のジャズの生演奏とかやってるし、こんな雰囲気の中でディナーを取ってると、本当に何でも美味しく感じられてくるから不思議です。やっぱり食事と言うのは、味もさる事ながら、食事をする雰囲気の重要性と言うのは外せないと思いますね。そして今日最後のお皿、デザートの登場:



今日のデザートは定番のアップルケーキでした。色んな所で色んなタイプのアップルケーキを食べてるけど、今回のケーキはシャキシャキのリンゴが「これでもか!」と言うくらい載ってる非常に満足の一品。おなかも一杯になった所で再び外へ。



もうすっかり日も暮れてロンドンの誇る夜景を楽しみながらみんなで又おしゃべり。素敵な夜景の魔力も手伝ってか、話が弾む、弾む。明らかに今日の午前、午後に行われたプレゼンとその後のディスカッションなんかよりも、よっぽど生産的な議論が出来てる気がする(笑)。と言うか、ディナーやコーヒーブレイクの時のおしゃべりの方が実はよっぽど重要なんだと言う事が分かっているからこそ、主催者側も結構なお金と時間をかけてこのような場を設けるんだと思うんですけどね。この辺の理屈は、ジョルディ・ボージャなんかが言ってる、「都市の機能の内で重要なのは、実はカフェでの何気ないおしゃべりである」みたいな所に通じる所があるかも・・・無いかな(笑)。それにしても、船上ディナーなんてあまり体験した事無かったけど、今回は大変満足な夜でした。
| 仕事 | 17:46 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
パン屋さんのパン窯は何故残っているのか?という問題は、もしかしたらバルセロナの旧工場跡地再生計画を通した都市再活性化と通ずる所があるのかも、とか思ったりして
バルセロナには結構美味しいパン屋さんがチラホラとあるのですが、それらパン屋さんの幾つかでは、今でも昔ながらのパン窯を使ってパンを焼いているんだそうです。



で、そのようなパン屋さんというのは、旧市街の細い路地の中にあったり、昔から続く地元密着の小さなお店であったりするのですが、コレは何故なのか?

ココからは僕の勝手な想像です。テキトーに、柿ピーでもつまみながら聞いてください(笑)。

パン屋さんという職業がいつ頃から存在したのか知らないのですが(wikiによると、ローマ時代には既にパン屋さんが存在したらしい)多分、長―いパン屋の歴史の中で比較的最近(20世紀の最初くらい)までは、何処のパン屋さんでも自分の店に専用のパン窯を持っていて、それでパンを焼いていたんだと思うんですね。しかしその後、産業革命やチープ革命などを経て技術が発展するに従い、低価格のオーブンやパン焼き機が市場に出回り、次第にパン窯が電化製品などに置き換わっていった結果、パン窯を使うパン屋さんがどんどん減っていったんだと予想されます。

重要なのは、そういう「技術の買い替え」が出来たのはお金持ちのパン屋さんだけであって、細々とやっている様な所は、新しい技術を買い入れる余裕が無かったと想像される事です。確かに新しい機械自体は安いかもしれないけれど、パン釜を壊すのにだってお金はかかりますからね。だから、貧乏なパン屋さんは窯で焼くしか手段が無く、電化製品を導入したパン屋さんとは生産力の違いなどからどんどん差が開いていき、挙げ句の果てにはパン屋さんを魚屋さんに変える店があったり、店自体を閉鎖するパン屋さんがあったりしたんだと思います(魚屋のオッサンが驚いた、ギョ(魚)!:懐かしいー、嘉門達夫)。

それから数十年後・・・・我々の時代になって、このようなパン屋さんを巡る状況が劇的に変わり始めます。

普段の生活に余裕が出て来た人達などが、日々の生活の中で生きるために必要な必要品を買い求めるだけではなく、ある種の「質」を求める事が出来る時代に突入しました。更にグローバリゼーションの一帰結として、「他とは違ったもの」や「ココでしか手に入らないもの」を求める人々が増え、その結果、機械生産に基つく大量生産・大量消費品などよりも、一つ一つ手で作ったりする「手工業」に注目が集まる様になったんですね。

そのような波は当然パン業界にも到達し、パン窯でパンを焼き、質の高い品を販売しているパン屋さんが注目を集める様になりました。(このような現象がある種の「観光」や「ブランディング」の要素を含んでいる事は、各都市で販売される「パン屋Top10」などの雑誌に、パンの値段や販売種と共に、パン窯で焼いているかどうか?というタグが付いている事からも容易に想像出来ます。)

そしてそのような窯が残っているパン屋さんというのは(勿論、最近になって電気窯を導入した所もあるのでしょうが)、実は貧乏だったが故に、機械を入れる事が出来ず、しょうがないから窯を残したパン屋さんだった所が多いのでは?と予想出来る訳です。そして時代を経るにつれ、価値観の変化が起こり、昔勝ち組でどんどん新技術を入れてバンバン売っていたパン屋さんが「その他大勢」という負け組に組み込まれていくにつれ、昔負け組で新技術を入れる事が出来なかったパン屋さんが自然と「勝ち組」に浮上するという逆転が起こっているのが現在の我々の時代です。

さて、何故に僕が長々とパン屋さんの窯の話なんかを持ち出したのか?というと、実はこのパン屋さんの窯を見た時に、「これって、本質的に都市再生と一緒じゃ無いの?」と思ったからなんですね。

今更言うまでも無く、80年代後半辺りからヨーロッパの各都市は疲弊した歴史的中心地区などの「都市再活性化」に躍起になっているのですが、そんな都市再生計画の中で常套手段と化しているのが、旧工場跡地などの再生利用計画です。

ヨーロッパの都市は何処でも、産業革命時に建てられたレンガ造の工場などが取り壊されもせず都市内に点在し、時には麻薬の取引や売春、泥棒ちゃん達のミーティングなどに(ある意味、再活用されながらも(笑))「都市にとっての負の遺産」として未だ残っている所が多いと思われます。しかしながら、都市が「観光」という新たなるモーターを発見するに従い、いつの間にかそのような「負の遺産」に新たなる視線が注がれるようになりました。つまり今までは都市のお荷物でしかなかったこれらの建造物が、「金の卵を産む鶏」に見えて来た瞬間が到来したのです。その結果、ある旧工場跡地は美術館に様変わりしたり、ある古い建造物群は大学に活用されたりして、「産業革命の象徴」から「知識社会への移行」を表象したりしている訳です。

例えばロンドンのテートモダンなんかは世界的に有名ですよね(地中海ブログ:ロンドン旅行その9:テートモダン(Tate Modern):Herzog and De Meuronの建築)。



設計は言わずと知れたHerzog and De Meuron。旧発電所跡地が見事なまでに世界を代表する美術空間に生まれ変わりました。ちなみにこの美術館の館長はスペイン人Vicente Todolíが努めています。もう一つちなみにVicente Todolíは国立ソフィア王妃芸術センター(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia)の現館長で元バルセロナ現代美術館館長(MACBA)だったマニュエル・ボルハ・ビジェル(Manuel J. Borja-Villel)の学生時代からの親友です。ヨーロッパを代表する2つの現代美術館の館長をスペイン人が努めているというのは、考えようによってはちょっとすごい事だと思います。



この前のオランダ旅行で訪れたロッテルダムにあるファン・ネレ煙草工場も、昔の遺産を「文化と創造の拠点」として現代都市に蘇らせた見事な事例ですね(地中海ブログ:ファン・ネレ煙草工場(Van Nelle Tobacco Factory):近代建築の傑作はやっぱりすごかった!)。



バルセロナにはこのような事例が山程あって、例えば旧工場跡地再利用で大成功しているのが、以前紹介したPompeu Fabra大学の施設群です(地中海ブログ:22@地域が生み出すシナジー:バルセロナ情報局(Institut Municipal d'Informatica (IMI))、バルセロナ・メディア財団(Fundacio Barcelona Media)とポンペウ・ファブラ大学(Universitat Pompeu Fabra)の新校舎)。今年完成した新キャンパスは22@BCN地区に位置しているのですが、旧工場が見事なまでに学生キャンパスとして活用されています。



更にナカナカ知られていないのですが、シウダデリャ公園の脇にあるPompeu Fabra大学付属の図書館は、19世紀に建てられた貯水庫を改築した図書館建築の傑作です(地中海ブログ:ポンペウ・ファブラ大学図書館(Unversitat Pompeu Fabra))。つい先日Twitterの方で、図書館建築の話になり、カタランボールト研究と実践の第一人者である森田さんとも、この建築の素晴らしさを確認し合った所でした。

さて上述した様に、「旧工場跡地などを文化と創造の場へと変換し、新たなるアクティビティをその周りに創出する事によって都市再生の核とする」という考え方はほとんど定石となっていると言っても良いと思うのですが、その前提となるのは当然のことながら、それら旧工場群が都市内に残されているかどうか?にかかっています。それらが無かったらお話にもなりませんからね。そしてそれら旧工場が残されているかどうか?というのは、ほとんど偶然としか言いようが無いのでは?というのが僕が今抱いている印象です。

バルセロナに何故沢山の旧工場が残っているのか?それは 多分、「壊すのに思った以上のお金が掛かり」、「他のインフラ整備に比べて優先順位が低かったから」というのが、本当の所なのでは?と思うんですね。

つまりパン屋さんと全く同じ理由。

独裁政権時代、フランコに睨まれていたバルセロナには都市に対する投資が全く行われず、民主主義に移行した後も、学校など絶対必要なインフラから順に整備されていったので、旧工場跡地の取り壊しなんてのは後回し後回しとされていきました。「スペインのマンチェスター」の異名を採った工場群が位置しているのは、現在の22@BCN計画が進んでいるエリアなのですが、そのエリアはどういうエリアか?というと、市内でも最も遅い時期に開発が始められたエリアなんですね。つまりそれら金の卵を産む旧工場群が残されているのは、貧乏で貧乏で壊すお金も無かったから残ったのでは?と思っちゃう訳ですよ(勿論全てがそうだとは言いませんが)。

そしてココからが面白い所なのですが、昔、工場などをバンバン建てて明らかに勝ち組だったマンチェスターなんかは、その後、その時蓄えた資源を使って、都市開発をバンバン行い、古い工場なんかは壊しまくって、都市を発達させていきました。反対に投資が全く無かった事から開発がしたくても出来なかった、ある意味負け組のバルセロナのような都市は、乱開発される事無く、古い町並みなどが残される結果となりました。

そしてそれから数十年後‥‥‥社会の価値観が変わっていくにつれて、高層ビルが林立する何処にでもあるような風景よりも、中世の城壁や産業革命の名残が残る「そこにしか無い風景」に価値が見いだされる様になったのです。100年前、マンチェスターがスペインにとっての都市発展のモデルとされていたのとは対照的に、今ではバルセロナがマンチェスターにとってのモデルになっているというのは、この上無い皮肉に思えて仕方がありません。

ただ一点だけ弁護するとするならば、いくらそれらの「種」が残されたのが偶然だからって、その後、それらを活性化の核として再利用しようという「確固たる意志」がなければ計画は遂行されないわけであり、そういう意味ではバルセロナとかは良くやったとは言えると思います。

おいしいクロワッサンをかじりながら、そんな事を考えた日曜日の朝でした。
| バルセロナ都市計画 | 23:42 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
マニュエル・ボルハ・ビジェル(Manuel J. Borja-Villel)の都市戦略:国立ソフィア王妃芸術センター(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia)を通した21世紀の美術館の在り方
以前のエントリ、美術の商品化と公共空間: Manuel J. Borja-Villelで紹介したバルセロナ現代美術館(Museo de Arte Contemporaneo de Barcelona(MACBA))元館長で現在はマドリッドの国立ソフィア王妃芸術センター(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia)の館長に抜擢されたマニュエル・ボルハ・ビジェル(Manuel J. Borja-Villel)の大変に興味深いロングインタビューが先週日曜日の新聞(1/6/2008 El Pais semanal)に載っていたので紹介したいと思います。

前に書いたように彼の主張は都市の中に美術館を通した公共空間を創り出す事と、その空間とアートを用いて行われる教育の重要性です。前回引用した記事の中で彼はこんな風に発言しています。

「私は向こう3年間でレイナソフィア美術館の中に一つの都市を創りたい。」

" Me gustaría crear en tres anos una ciudad dentro del Reina Sofía", Manuel J. Borja-Villel, P26, 10 de febrero del 2008, La Vangurdia


この彼の戦略とオリンピックを契機としたバルセロナ都市戦略との間の同質性については前回のエントリで指摘した通りです。そして彼がこのようなプロジェクトを推進している裏には、彼が近年大変に憂いている美術の商品化と美術館の商業センター化・エンターテイメント化という我々の社会が不可避的に向かっている状況に対する危機感があるんですね。

「美術館は商業センターになってしまった。」
“ Los museo se han pasado a ser como centros comerciales”( Manuel Borja-Villel, p38, 1 de Junio de 2008,El pais semanal)


このような状況に対しての彼なりの戦略の一つが上述の「都市の中に都市を創る」だったわけですが、今日のインタビューには彼の戦略を形作っている深い所の思想というか、スペイン人である彼が不可避的に受けてしまう影響のようなものが垣間見えています。

僕が注目した彼のマニフェストがコレ:
「レイナソフィアを南のセンターにする」という発言です。

"... Borja-Villel llega al Reina Sofia para convertirlo en el referente del arte contemporaneo del sur", p38, 1 de Junio de 2008,El pais semanal)

一見見落としてしまいがちな発言なのですが、この短い一文の中には沢山の意図や歴史、社会文化から出て来た必然とも言える思考が見え隠れしているんですね。

先ず彼はヨーロッパを北と南に分けた上で彼の美術館戦略を構想しています。その時の基盤となっているのが北と南では人々の生活の特徴が違うという、結構当たり前の事実です。ではどう違うのか?彼は北に属する人々の特徴として「目」の優位性とそれに基つく視覚化・視覚性を挙げ、それに対して南に属する人々の特徴を「対話」に求めます。

「北はもっと図像的であり、鮮やかさが重要であり、体に対して目に特権性が与えられている。その一方で南、特に地中海においては口述の文化、そして体の動きの文化が存在する。」

"El norte es mas icónico, la visualidad es importante, se ha privilegiado el ojo sobre el cuerpo. En el sur, sobre todo en el Mediterráneo, hay una cultura de oralidad, del movimiento del cuerpo.", p42


20世紀が視覚の時代であるというのは誰しも納得する所だと思います。例えばコレとか:

オリジナリティと反復―ロザリンド・クラウス美術評論集: ロザリンド・E. クラウス, (Rosalind E. Krauss, The Originality of the Avant-Garde and Other Modernist Myths. Cambridge, Mass.: MIT Press, 1985)

その一方で南の都市、地中海に属する都市の特徴として「対話」が挙げられるというのはあまり聞かれない事だとは思います。この点についてイタリア都市のスペシャリスト、宗田さんはこう述べられています:

「・・・政治を理念の産物とせず、自己の生活の仕組みから考える現実的且つ合理的な国民でもある。したがって、みずからの経済的な成功と万人に暮らしやすい町という二つの方向を調整することに熱心である。そのための議論を市民同士が延々と続ける能力をもっている。この議論、すなわち延々と続ける対話が、イタリアのまちつくりの最大の特色である。・・・」
P14
にぎわいを呼ぶイタリアのまちつくり、歴史的景観の再生と商業政策、宗田好史


北の視覚性に対する南の対話性、目の優位に対する口と耳の優位。このようなそれぞれの地域によって人々の住まい方や生活の仕方が違う為に、自ずと美術館のモデルも違ってくるという話になるわけです。

ココで彼が非常に巧いのはどちらの文化が優れているとか劣っているとか言わずにそれぞれは補完関係にあるという話に持ち込む所なんですね。

それを具体的にする為に提案されているアイデアが「ネットワークとしての美術館」という概念です。要約するとテート(Tate Modern)やモーマ(MOMA)が世界モデルとして有名コレクションを集め、彼ら独自の道を歩んでいる時に、ワザワザ我々も同じ道を歩む必要は無い。そうではなくて、彼らが提供出来ていない分野に磨きをかけて別の道を歩もう。そうすればお互いに補完関係として尊重し合い、共存繁栄していく事が出来る、とこういうわけです。

彼がこのように主張する時、僕はそこに80年代から90年代にかけて展開されたバルセロナ都市戦略の影を見ずにはいられません。バルセロナ都市戦略の場合は1989年にDATARによって出版されたブルーバナナ(Blue Banana)の分析に基ついて、地中海の弧の中心になる事を目指しその後、バルセロナプロセス(Barcelona Process)などで地中海連携を主導しています。

Brunet,Roger(1989): Les Villes Europeennes, Rapport pour la DATAR, Reclus, La Documentation Francaise.

ジョルディ・ボージャ(Jordi Borja)は当時を回想してこんな風に述べています:

「・・・私たちが「バルセロナ第一次戦略計画」を立てた時、一連の文化施設は絶対に不可欠なものとして盛り込み、ヨーロッパ南部でいちばん魅力的な都市にしようと考えました。・・・われわれの望んでいた文化的なプログラムには、1500万人の人口が必要でした。どう考えてもバルセロナにも、その周辺にも、カタロニア全土を見渡しても、1500万という数字は出てこない。・・・そこで私達は、人口1500万という数字が見込めるところまで範囲を広げていき、最終的にはこの広域圏全体(地中海の弧(Arc Mediterranean))をターゲットにしました。」
p318
ジョルディ・ボージャ、都市はグローバリゼーションにいかに応答するか


余談ですが、ビルバオ(Bilbao)の場合はブルーバナナで示されたもう一つの弧である大西洋の弧(Arc Atlantic)の中心になる事を目指したんですね。

もう一つ注目すべき点が美術館は人々の体験や意見を交換する場所である公共空間になるべきだという提案です。地中海都市における公共空間の重要性というのは様々な論客によって様々に語られています。

例えば岡部さんはこんな風に述べられています:

「単純化して言えば、北が身近な緑を守るためなのに対して、南は高密度でこじんまりとした都市を守るために、既存の都市構造を尊重した都市連携を指向している。南の都市にとってにぎわいのある広場のような公共空間は、観光資源だけでなく、優先すべき公益なのだ。」P208-209

岡部明子「サステイナブルシティ、EUの地域・環境戦略」


公共空間の議論で僕にとって興味深いのは、では一体何故地中海都市において公共空間がこれほどまで重要視されているのか?という事なんですね。僕が考える理由は正に今日マニュエル・ボルハが語っている事の中に多大なるヒントが隠されています。それが目よりも対話を重視するという文化的特長であり、そこから生じた「延々と議論を続ける能力」です。これら人々の特徴と地中海都市の特徴である気候条件が交差するその交点に「公共空間の重要性」という地中海都市の特徴が浮かび上がってくるんだと思います。

延々と議論をする事が出来る能力を持つ人々が他の人々と出会い、激論を交わす場所こそが、毎日のように天気が続き、夜遅くまで日が沈まない気候を最大限に利用し発展してきた都市内の公共空間だからです。

先ほどの岡部さんの文章はこう続きます:

「・・・気候風土と文化的背景の違いにより、北の市民が環境負荷や緑を住環境評価の基準とする傾向があるのに対して、南の市民は都市的な質を重要視する。住環境で自然をとるか、都市的魅力をとるのか―南北で異なるふたつの価値観が、欧州都市の多様性を担保している一面がある。」P208-209

このような地域による違いが我々の世界を多様にし生活を豊かなものにしているわけです。ヨーロッパに居るとこのような多様性の大切さ、それによる人生の楽しみを実感する事が出来ます。僕もこのような多様性に貢献出来る仕事をする立場に居る事をとても誇りに思っています。
| スペイン美術 | 23:46 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ロンドン旅行その9:テートモダン(Tate Modern):Herzog and De Meuronの建築
セントポール寺院の前の街路からミレニアムブリッジにアクセスする。





ここからセーヌ川越しに見えるガラスの箱を両肩にしょった元発電所の姿はナカナカ良い。





橋の中央から振り返って見るセントポール寺院は周辺の現代的景観と不思議なコラボを引き起こし良い眺め。



テートモダンの改装とミレニアムブリッジの開通によりセントポールからのかなり強い軸が出来ています。その再開発に伴って周辺にはデザインスクールやおしゃれなショップなどが集まってきていました。



つまり典型的なジェントリフィケーション現象ですね。個人的にはここら辺の地価がどれくらい上昇しているのか知りたい所です。

フォスター設計のミレニアムブリッジは骨太のデザイン。開通当初揺れがひどくてフォスターの社会的地位を皮肉って「不安定卿」と呼ばれたとか何とか。



近付いて見るテートモダンは両肩に二つのガラスの箱が載っていてかなりすっきりとしたいでたち。



現行の建造物を改築するという事に関して最低限の介入で収めたという感じですね。単純に見えるものほど、というより単純に見せるほど裏では多大な努力が払われていると思います。この建築を見ているとそんな事を感じさせる箇所ばかりです。



一点だけあえて言うなら個人的には塔の天辺のガラス箱は主張しすぎな感じを受けました。

橋の最後部は折り返しになっていてもう一度セントポールの方を見返すという物語が展開しています。



そして玄関前にはルイーズ・ブルジョワ(Louise Bourgeois)の巨大なクモが我々を出迎えてくれます。





正面玄関を入るとショップやらインフォメーションやらがあり、そこを超えると気持ちの良い吹き抜けのタービン・ホール。



昔の姿を忠実に再現した鉄骨群と緑色に輝くガラスボックスが印象的。上の方には当時使われていたと思われるタービンなどが見え隠れしている。



僕が訪れた時はコロンビアの芸術家、ドリス・サルセド(Doris Salcedo)による人種差別を表象したという「Shibboleth」が展示されていました。すごく細い亀裂から始まるヒビはジグザグにホールを這い回りかなりの深さまで到達する部分もある。







何も知らずにこれを見た時は、「ヘルツォークもとうとうやってしまったか」とか思ったものですが失礼しました。

その後上階にある展覧会上を巡る。良く知られているようにココの展示は年代別ではなくテーマ別に展示した画期的なものであるという。時間があまり無かったので早足に見て回る。その後疲れたので最上階にあるカフェへ行きカプチーノを頼む。川を挟んであちら側にセントポール寺院が見えるココからの見晴らしは正に絶景。
| 旅行記:建築 | 21:37 | comments(0) | trackbacks(35) | このエントリーをはてなブックマークに追加
ロンドン旅行その2:Sir John Everett Millais(ジョン・エヴァレット・ミレイ)
2日目は朝からテート・ブリテンへ行く。運よくラファエル前派の中心人物の一人Sir John Everett Millais(ジョン・エヴァレット・ミレイ)の回顧展Millaisが開催中でした。ターナーの作品群を見るのが主目的だったんだけど壁に掲げられたMillais展の広告を見てそちらを先に見る事にしました。



はっきり言ってノーマークだった作家ですが大変な衝撃を受けました。誰でもピンとくる作家や芸術家が心の中に一人はいるものだと思いますが、ミレイの作品はカタルーニャの作家であるMariano Fortuny(マリアノ・フォルトゥーニ)に受けた時以来の大きな感動を僕にもたらしてくれました。これこそ旅行の醍醐味。予定調和的ではない出会いほど感動的なものは無い。という訳で少し調べてみました。

とりあえず彼が結成し属したとされるラファエル前派から。ラファエル前派(Pre-Raphaelite Brotherhood)というのは19世紀の中ごろにイギリスで活動した美術家・批評家から成るグループで、その頃にメインストリームだった古典偏重教育に異を唱えるべく結成されたそうです。「ラファエル」とは勿論、イタリア・ルネサンスの古典主義の完成者であるあのラファエロです。去年ローマに旅行した時にバチカンで見まくりました。古典にも関わらず重々しくなく逆にものすごくポップな感じを受けたのを良く覚えています。特にその色使いは現代に通じるものがあると思います。つまり今見ても新しいし、ある意味今よりも新しい。これが永遠と言う事か・・・・



当時の美術教育がラファエロの完全な影響下にあった事は想像に難く無いですね。つまり当時の指導的立場にあったアカデミーがルネサンス期のラファエロの絵画を模範としていたという事です。そんな状況下において何時の時代も同じように、保守的でアカデミックな状況を覆そうとする若い運動が出てくるのも又自然な事のように思われます。それがラファエル前派という運動だったというわけです。

彼等が目指したのはラファエロ以前の芸術で「率直にものを見る態度」とアカデミック様式からの開放による素朴な絵画表現でした。見たものをありのままに描くという彼等の態度は自然の細密描写と神秘的な芸術表現による美に至らしめます。これは「自然をありのままに再現すべき」というジョン・ラスキンの影響であり、又ラスキンも彼等を後押ししていたようです。ラスキンといえば建築家なら誰しも読んでいる「建築の七燈」、「近代画家論」などの著者でありウイリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフトにも多大なる影響を与えた一人。彼の影響は色んな意味で大変大きかったらしいです。



さて作品ですが彼の最も有名な作品といえば22歳の時に描かれた「オフィーリア(ophelia)」でしょうね。この絵はシェイクスピアの「ハムレット」の一場面から主題を借りてきています。



小川のふちに柳の木が、白い葉裏を流にうつして、斜めにひっそりと立っている。オフィーリアはその細枝に、きんぽうげ、いらくさ、ひな菊などを巻きつけ、それに、口さがない羊飼いたちがいやらしい名で呼んでいる紫蘭を、無垢な娘たちのあいだでは死人の指と呼びならわしているあの紫蘭もそえて。そうして、オフィーリアはきれいな花環をつくり、その花の冠を、しだれた枝にかけようとして、よじのぼった折も折、意地悪く枝はぽきりと折れ、花環もろとも流のうえに。すそがひろがり、まるで人魚のように川面をただよいながら、祈りの歌を口ずさんでいたという、死の迫るのも知らぬげに、水に生い水になづんだ生物さながら。
                                    (シェイクスピアの『ハムレット』)


この絵は強烈に僕の心を捉えました。一度見たら忘れる事が出来ない風景。大変細密な自然描写の中に少女が浮かんでいる。生きているのか死んでいるのか分からないその表情。その独特のポーズ。とても言葉では表す事が出来ないそこに漂っている空気。圧倒的です。宮崎駿が大きなショックを受けて自らの方向性を変えざるを得ないと決断させたというのにも納得。当時イギリスに留学していた夏目漱石もこの絵に影響を受けていたようです。後に「草枕」の中で以下のように述べています。

なるほどこの調子で考えると、土左衛門(どざえもん)は風流である。スウィンバーンの何とか云う詩に、女が水の底で往生して嬉しがっている感じを書いてあったと思う。余が平生から苦にしていた、ミレーのオフェリヤも、こう観察するとだいぶ美しくなる。何であんな不愉快な所を択んだものかと今まで不審に思っていたが、あれはやはり画(え)になるのだ。水に浮んだまま、あるいは水に沈んだまま、あるいは沈んだり浮んだりしたまま、ただそのままの姿で苦なしに流れる有様は美的に相違ない。それで両岸にいろいろな草花をあしらって、水の色と流れて行く人の顔の色と、衣服の色に、落ちついた調和をとったなら、きっと画になるに相違ない。しかし流れて行く人の表情が、まるで平和ではほとんど神話か比喩になってしまう。痙攣的な苦悶はもとより、全幅の精神をうち壊わすが、全然色気のない平気な顔では人情が写らない。どんな顔をかいたら成功するだろう。ミレーのオフェリヤは成功かも知れないが、彼の精神は余と同じところに存するか疑わしい。ミレーはミレー、余は余であるから、余は余の興味を以て、一つ風流な土左衛門をかいて見たい。しかし思うような顔はそうたやすく心に浮んで来そうもない。
                                   (夏目漱石『草枕』)


さて次の作品「マリアナ(Mariana)」にも目を奪われました。



その独特の色使い。深いブルーのドレスとそれと対になるように輝くオレンジ色の椅子の調和。少し苦悩を表すようなその表情。状況設定としてはフィアンセに振られながらも未だに忘れる事が出来ず、何することも無く暇を持て余している婦人が昼下がり織物をしているという設定。何時間か織物に集中し、休憩がてら腰を上げたその時、忘れかけていた心配事が頭をよぎったのだろうか。その苦悩がその表情によく表れている。



この作品も良かった。大変に小さい作品で水彩画なのですが題名は「失恋(A lost love)」。月夜の晩に恋人のことを思いながら遥か彼方を見つめる少女。彼女の顔とドレスに反射した月夜の明かりが何処となく切なさを醸し出しています。まるで「夜がため息」をしているかのようです。



ミレイは沢山の肖像画を描いています。その中において特に「Fancy Pictures」と呼ばれているジャンルがあります。その中の一つ「Bright Eyes」という作品に目が留まりました。
真っ直ぐ前を見据えた綺麗な瞳に赤いコート服という大変にシンプルな構成。少し微笑みを含んだ表情からは気品が漂っています。



このジャンルからもう一つ。「Cherry Ripe」。この作品なんとなく日本的じゃないですか?

ミレイの代表作品をほぼ網羅しているこの展覧会には大満足でした。
| 旅行記:美術 | 07:50 | comments(4) | trackbacks(35) | このエントリーをはてなブックマークに追加