地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
まちづくり・建築におけるAIの可能性:緑被率プロジェクト:神戸市編

今月号の「建築雑誌」に「まちづくりにおけるAIの可能性:建築家にとって科学とは何か?」と題した記事を書かせて頂きました。

AIブームの真っ只中、連日メディアを賑わせているAI(人工知能)なのですが、僕がいるMITは世界的に見てもAIの中心地であり、AIに関するテクノロジーが次々に生み出される聖地の一つと見做されています。

つい先月も、AIに関する新しい研究所を創設するという発表をしたばかりで、今後10年間でIBMが260億円相当の投資をするそうです(興味のあるかたはこちらのリンクをどうぞ)。でも、僕がもっと驚いたのは、IBM側からこの話を持って来てそれをまとめたのが、友達(MITで僕が初めて知り合ったアメリカ人で、それ以来最も親しい友人の一人)のお母さんだったことかな(笑)。創設記念講演会&パーティーに行ったら、「cruasan君—」みたいに声を掛けられて、「あー、A君のお母さんじゃないですかー。お久しぶりですー。」って立ち話をしてたら、どうやら彼女が今回のキーパーソンだったことが判明(驚)。「そ、そっかー、そういうこともあるかなー」っていう嘘のような本当の話ww

そんなこんなでうちのラボにもそれこそ毎日のようにAI目的の来客が絶えなくって、その度に「AIとまちづくり」というテーマでお話をさせて頂いているのですが、最近「ハッ」と気が付いたことがあります。それは、「世間一般のAIのイメージが二極化していること」なんですね。特に建築や都市計画に携わっている人に限って言うと、AI=(1) 自動運転、(2) 碁、(3) AIに職を奪われる悲観論、みたいな感じで綺麗に分かれると思います。で、もう少し勉強している人になってくると、ここにBIMみたいなのが入ってくる、、、という感じでしょうか。

別に僕はこの状況を批判しようとか、それが悪いと言ってる訳では全然なくて、逆にデータサイエンスからかなり遠いところにいる建築や都市計画、都市デザインの方々がAIやIoTに興味を示してくれるだけでも、それはそれでかなり嬉しい状況だとは思うんだけど、AIやIoTの可能性はずっと幅広くて、もっともっと色んなことが出来る、、、と、そうも思っています。

今回僕が書かせて頂いた記事は、その様な可能性を抽象的な議論ではなく、具体的に進んでいるプロジェクトとして出来るだけ分かりやすく日本の方々にお伝えしようと思い書いてみました。そしてその発刊と同時に、MITで僕が関わっている、AIを駆使した「まちづくり系のプロジェクト」の一つ、Treepediaのデモを神戸市を事例に作ってみたというオマケ付きですw

このプロジェクトの本質は、「都市の何処にどれだけの緑や植栽が存在しているかという情報をビックデータとして収集、分析すること」です。

今更言うまでもないことですが、都市におけるグリーンインフラというのは、生活の質を測る非常に重要な要素の一つとなっています。ゆえに何処の都市でも「緑被率」みたいなデータを持ってはいるのですが、伝統的にこのようなデータは市役所の方々や調査員の方々が紙と鉛筆を持って都市内を歩き回り、手作業で地道に一つづつ木の位置を確認していく、、、という手法が用いられてきたんですね。もしくは空から都市を捉えた航空写真を使って、「あ、この辺は緑が多いな」とか確認するのが典型的な手法だと思います。

しかしですね、人の手に頼っていると、手間暇が掛かり過ぎる上に、サンプル数が非常に限られてきてしまいます。反対に、航空写真は空から撮った写真なので、我々が都市を実際に歩いて感じる印象とは全く違った風景データとなってしまいがちなんですね。いま必要とされているのは、歩行者目線で見える風景を、ビックデータとして収集する技術であり、その為に我々が編み出したのが、AIを使ったデータ収集法なのです。

この技術がどうなっているかを簡略的に説明すると、まずはOpen Street MapからStreet Networkを土台に調査区域を区切ります。そのエリアからStreet Networkに沿って撮られた写真(Google Street Viewにアップされている写真)を収集します(テクニカルに言うと、だいたい何処の都市もGoogle Street Viewでカバーされているので、都市部だったら大抵のところからは写真を持ってこれる状況となっています)。また、Google Street Viewの良いところは、Google Carに搭載したカメラで写真を収集しているので、カメラの位置がほぼ歩行者目線だというところです。それらの写真を収集しつつ、今度はニューラルネットに「その写真に一体何が写っているのか?」を教え込みます。

最近のコンピュータというのは非常に面白くて、彼らは一度教えると、そのあとは勝に学習して賢くなっていくんですね。例えば、「この写真に写ってるのは車だよ」とか、「これは空だよ」とか教えてやる訳です。その上で、そういうサンプルを何千枚と見せてやる。そうすると、認識率がどんどんと上がっていって、最終的には写真に写っているものをきちんと判別出来る様になる訳です。

では、これらの技術をどう使うのか?

我々の場合は、「この写真に写っているのは「木だよ」」と教えてやる訳です。その上で、先ほどネットから入手した都市の写真を放り込んでやると、位置情報付きの都市の緑被率マップが自動的に出来上がると、そういう仕組みになっています。

もちろん実際はこんなに単純ではないし、現場ではもっと泥臭いことをやっていたり、色々と違うコードを試したりしているのですが、基本的な方向性はこんな感じかなー。で、出来上がった生データがこちら:

オレンジ色の線に見えるところが、今回のデータ解析に使った写真が撮影されたポイントです。街路に沿って何万という撮影ポイントが帯を成し、それが街路を形成しているのが見て取れます。

Google street viewは写真データを常にアップデートする為に、年間を通してカメラ搭載車両(Google Car)を走らせています。故に、都市によって写真が撮影された時期が違ったりするんですね。ということは、例えば1月に撮った写真を使った場合と、7月に撮った写真を使った場合とでは、緑被率にバイアスが掛かってきてしまいます。1月は7月に比べて葉っぱが少ないですからね。それを確認する為に、「何月に取られた写真をどれくらい使ったか?」という結果も自動的に出るようにしました:

神戸の場合は4月の写真が多いようです。

この手法の良いところは、世界各国の都市間での緑被率が科学的に比較出来る点にあります。また、AIにやらせているので、一度設定すれば、あとは勝手にやってくれたりします(とは言っても、まだまだ手間暇は掛かりますが、、、将来的には全自動洗濯機のように、全て自動化する方向で我々は動いています)。 これがこのプロジェクトの概略であり、建築雑誌の短い記事には書き切れなかった追加情報です。

さて、こんな感じでMITではAI全盛期を迎えているのですが、そんな環境にどっぷりと浸かっている僕が最近思うことが以下の2点;

1つ目は、今後の建築・都市計画界隈とAIやIoTをめぐる環境について。これはもう、きっぱりと二極化すると思うのですが、AI(人工知能)やデータサイエンスを使える研究室、企業、もしくは建築事務所と、それらが全く使えない・導入出来ないところとでは圧倒的な差が出てくるだろうということです。

何度でも書きますが、AIやIoT全盛期における我々建築家の一番の問題点は、建築家はデータを扱うことやコードを書くことが苦手な職種だということに尽きます(地中海ブログ:博士の学位を頂きました:建築家である僕が、コンピュータ・サイエンス学部でPh.Dを取った理由)。こう書くと、「じゃあ、外注すればいいじゃないか」という声が聞こえてきそうなのですが、データというのは自分の手で触って分析しているうちに、「あー、こうなっているのか」とか「あー、こういう可能性もあるんだな」と、段々と分かってくるものなので、その過程を外注したり、そこだけコンピュータサイエンス学部の人達とコラボしても、それは片手落ちにしかなりません。

その間に立てる人材が世界的に見ても圧倒的に不足していて、これから20年くらいは、そういう人材に世界の投資が圧倒的に集中する状況となって来るだろうし、もう既にその兆候は見え始めています(日本ではどうなっているのか知りません)。

2つ目は、リベラルアーツに代表される基礎教養が益々重要になってくるだろうという点です。僕は2011, 2014年とMITに滞在する機会を得たのですが、その時はIoT全盛期でした。どこもかしこもIoT、つまりはセンサーだったんですね。まあ、僕の目から見ればIoTというのは、全てのモノをデータ化する技術であり、そこから得られたビックデータを解析する技術がAIやディープラーニングだったりするのですが。。。

で、今回(2017年)来てビックリしたのは、あれから3年も経ってないのに、MITの学内の雰囲気がガラッと変わっていたことでした。いまでは右を見ても左を見てもAIだらけです。

このように技術というのはものすごいスピードで変わっていきます。MITの凄いところは、そんな目まぐるしく変わりゆく技術だけを教えるのではなく、その環境に対応する為の教育を何十年も前から行っている点なんですね。そしてその教育方針こそが、MITを世界最高峰の工学系大学にしているエッセンスだと僕は思うのですが、この話をし出すと長くなるのでまた今度。今回は問題を少し簡略化して、そんな環境の中において建築家である僕が「なぜ今日まで生き残ってこれたのか?」と問うてみることにします。

それはですね、うわべの技術を追い掛けるだけではなく、「その時々の技術革新に合わせた適切な設問を作り出すことが出来ているから」だと、僕は勝手に自己分析しています。そして「そういう設問を、案外みんな作れないんだなー」ということに最近気が付きました。

ではなぜ僕はそれが出来ているのか?

それは僕のプロフェッショナルキャリアの最初期に、大変質の高い論客たちと、それこそ夜が更けるまで散々議論出来たこと、バルセロナという公共空間の中で、都市問題を「体験として」自分の中に蓄積できたことが大きいかな、、、と、そう思います。

この辺りのことやMITのリベラルアーツ教育については、以前のインタビュー記事に掲載されているので、興味のある方はこちらをどうぞ(下記は抜粋です):

僕がバルセロナに行った2001年というのは、イグナシが立ち上げたプログラムや彼の影響力が非常に強く残っていて、バルセロナがヨーロッパの知のハブとして機能している時期でした。いまとなっては大御所になってしまった、サスキア・サッセン(Saskia Sassen)やデヴィット・ハーベイ(David Harvey)、ジョン・アーリ(John Urry)などは頻繁に来ていましたし、マニュエル・カステル(Manuel Castells)はバークレーからバルセロナに戻って来ている時期でした(地中海ブログ:サスキア・サッセン(Saskia Sassen)のインタビュー記事:グローバルシティというアイデアは何処から来たのか?)。マスタークラスの同級生には、のちに『俗都市化—ありふれた景観 グローバルな場所(昭和堂)』を出版することになるフランチェスク・ムニョス(Francesc Muñoz)がいましたし、「ジェントリフィケーション」という聞き慣れない現象を熱く語っていたニール・スミス(Neil Smith)とは、夏のあいだ頻繁に飲みに行っていました。

…中略…

MITの教育方針を見ていると、単に科学技術の知識を詰め込むというよりは、それらを使う人間や社会への問いの方に力を入れている感じがしてなりません。つまり、単に街角にセンサーを取り付けて終わりというのではなく、我々の社会の基盤となっている人間への根源的な問いを通して、我々の創造力・想像力の可能性と限界を模索しているかのようなのです。技術ありきではなく、先ずはそこを深く掘り下げているからこそ、科学技術の限界とその可能性への探求といったアプローチが出てくるのではないでしょうか。

とにもかくにも、MITの緑被率プロジェクト、最初の日本都市の事例でした。

←おめでとー。

←パチパチパチー。

| - | 07:41 | comments(1) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
TBSの「セカイはいま、バルセロナ「観光客減らせ!」のワケ」について思うこと。

なんか先週、TBSで「セカイは今、バルセロナ「観光客減らせ!」のワケ」という番組が放送され、それが結構な反響を呼んでいるということで、僕のところにも各種メディアや自治体、研究者の方々などからの問い合わせが殺到しています。

バルセロナの観光政策とその行き過ぎた成功、そしてその結果引き起こされている市民生活への弊害については当ブログでは度々指摘してきたところです。下記に纏めておきましたので、興味のある方はこちらをご覧下さい:

観光MICEとオープンデータ:2020に向けて、バルセロナの失敗の学ぶ、データ活用による都市観光の未来

観光とチープエコノミー:ライアンエアー(Ryanair)などの格安航空機が都市にもたらす弊害

バルセロナの中心市街地で新たな現象が起こりつつある予感がするその1:ジェントリフィケーションとその向こう側

都市の闇:ヴェネチア(Venezia)の裏の顔とジェントリフィケーション(Gentrification)

エンターテイメント社会におけるチープ観光がもたらす弊害:観光のローコスト化による観光客の質の変化:Salouの場合

「観光が引き起こす弊害」という問題については、もう既に2008年の段階でその兆候が見えていました。今から10年も前のことです。更に言えば、2年前には横浜にて「バルセロナの失敗から学ぶ観光政策」というシンポジウムを開催したのですが、時期が早過ぎたらしく、「2020年の東京オリンピックに向けてインバウンドを目指してるのに、なに言ってるんだ、この人は?」みたいな感じで殆ど誰も理解してくれませんでした(苦笑)。そんな中、唯一興味を持ってくれたのが、国際大学GLOCOMの庄司さんで、翌年のバルセロナ・スマートシティエキスポにまで足を運んでくれたり、僕がコーディネートしたバルセロナ市役所副市長や幹部クラスとのスペシャル・セッションの最中も熱心にメモを取られたりと、「あー、さすがだなー」と思わされたりしたのは良い思い出です。

まあ、僕に言わせれば現在のバルセロナが観光に成功し過ぎてしまって、その弊害が出始めるだろうなんてことは、論理的に考えていけば普通に導き出せる答えだったので、そんなに驚きではないのですが、TBSもどうせだったら現在のバルセロナがその弊害に対してどういう対応策を考えているのか、「どの方向に舵を切ろうとしているのか?」など、そういうところまで踏み込んで取材してくれれば良かったのに、、、と個人的には思います。

ちょっと意地悪なことを言ってしまうと、今回のTBSの元ネタは上述した僕のブログだということは丸分かりで、放送された最後のコメント、「オリンピックを控えた日本では外国からの観光客の誘致を進めていますが、観光客を増やすことだけを優先してきたバルセロナの失敗から学ぶべきことは多いと感じました」っていうのは僕のブログ記事そのままですからね(笑)。っていうか、ネタは丸パクリって分かってるんだから、最後の表現くらい変えればいいのに、、、(苦笑)。

バルセロナの名誉の為に少しだけ補足しておくと、一応この分野では世界トップを走っている都市なので、「観光客にやられっぱなしで黙っている」なんてことはしていません。僕の目から見ると、むしろかなり積極的に革新的な政策を打ち出しています。バルセロナの背後で都市戦略を創っている人達も勿論知っていますし、彼らは来月ボストンに来て僕と色々と打ち合わせをすることになっていたりもするんですよねー。

我々の世界は常に動いていて、状況は刻一刻と変わっていっています。そこに見えている表面的な変化ではなく、もっと深いところにある構造的な変化を敏感に察知しながらも、そこから常に5年先、10年先の都市の姿を想像すること。その想像に基づいて、いまから打つべき最善の手を創造できる人達が少なからずいるということ。

そのような「想像力」と「創造力」が必要な時代に、我々は突入しているのです。

P.S.

最近は夏休みということもあって、MITには小中高校生がひっきりなしに観光に来てるんだけど、先日廊下を歩いてたら、やたらと「写真撮らせて下さい!」リクエストが多い日がありました。最初は何が起こったのかさっぱり分からなかったんだけど、写真を撮った後に何気なく聞いてみたら、「科学者(サイエンティスト)とピカチューのギャップが面白かったから」とか言われてしまい。。。

それでもなんの事か良く分からなくて、、、突っ込んで聞いてみたら、どうやらその日僕が着てたTシャツがピカチューだったらしい(驚)。「え、そ、そんな筈は無い!」とか思って、トイレに行って鏡を見てみたら、「ほ、ほんとだー。ピカチューだ!!」。

い、いや、このあいだ偶々ユニクロに行った時に適当に黒いTシャツを選んで買ったら、それが任天堂とのコラボTシャツで図柄がピカチューだったみたいです(笑)。 言われるまで全く気が付かなかった(汗)。

ちなみにMITの研究室の多くはこんな感じでガラス張りになってて、檻の中に閉じ込められている我々の姿を「まるで珍しい生き物が生息しているかの様に」観光客の皆さんが覗いていきますww

| 都市戦略 | 08:24 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
タイムアウト(TIMEOUT)誌がリスボンで面白いビジネスを展開している件
ポルトガルの某機関から「ビックデータ・オープンデータ系の講演会を企画してるんだけど、そこで基調講演してくれない?」ってお誘いを受けたので、復活祭(イースター)のバカンスも兼ねて、数日前からリスボンに来ています。



当ブログの読者の皆さんにはご存知の方も多いかと思うのですが、僕は以前、「アルヴァロ・シザの建築を根幹から理解したい!」という理由からオポルト(Porto)に1年弱住んだことがあります(地中海ブログ:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)のインタビュー記事:シザ建築の特徴は一体何処からきたのか?)。
←あの一年があったからこそ、モビリティとかビックデータとか、建築や都市とは一見関係が無さそうな分野を扱っている今でさえ、建築や都市から離れず、寧ろ「建築側から見た新たな視点を発見する」という立ち位置を保ち続けられているのかな、、、と、そう思います。



オポルトに住んでた時は結構頻繁にリスボンにも行ってたんだけど、あれから10年近く経ち、シザが改修したチアド地区の工事も終わり、その周辺一帯は歩行者空間化の影響からか、かなり賑わいを取り戻している様に見えます。



また市内には以前は無かった電気自動車のチャージング場所や、100%電力で走るチョイモビ(公共交通機関(バス)とタクシー(私的)の間)みたいな乗り物が、リスボンの象徴とも言える黄色い路面電車の合間を縦横無尽に走っていたりして、「あー、結構変わったなー」と思うところも多々。



かと思えば、目抜通りから一本裏通りに入っただけで近隣住民の生活が至るところに垣間見えたりと、以前と全く変わらない風景に少し安心感を感じてしまったりもするんですね。
←こういういつまで経っても変わらない街角の風景こそ、その人のアイデンティティを形成する非常に重要なファクターだったりするということは以前のエントリで書いた通りです(地中海ブログ:バルセロナ・オープンハウス2013:その地域に建つ建築(情報)をオープンにしていくということ)。

…変わっていくこと、変わらないこと…これら相反する2つの力学が共存している存在、それこそ我々が興味を惹かれて止まない「都市というものの本質」なのかもしれません。



さて、冒頭に書いたように今回はビックデータ・オープンデータ系のカンファレンスに登壇することがメインだったんだけど、その合間を縫って「久しぶりにリスボン周辺のシザ建築でも見て回るか」と思い付き、幾つかの建築を訪れてきました。それらについては次回以降のエントリで詳しく書き綴っていくこととして、今回のエントリでは「リスボンの食」について少し書いてみたいと思います。まずは今回連れて行ってもらったレストランの中から特に印象に残ったこちらから:



Name: Casa do Alentejo
Address: Rua Portas de Santo Antao 58
Tel: +351213405140
Email: geral@casadoalentajo.pt


今回招かれたカンファレンスの司会者や登壇者の人たちと事前打ち合わせを兼ねたランチで連れて行ってもらったレストランなんだけど、場所はリスボンのど真ん中、フィゲラス広場から歩いて5分くらいのところに位置しています。言われなければ絶対に通り過ぎてしまうほど小さい入り口なので、まさかこの中にレストランが入っているなんて想像もつきません。だって入り口、これですよ↓↓↓



で、この小さいドアを開けて階段を登っていくと現れてくるのがこの風景:



じゃーん、外からは全く想像が付かないかなり立派な中庭の登場〜。更に階段を登っていくと、こんなに広いパーティー会場まであったりします:



最初はワインで乾杯してから魚介のスープ(前菜)、そして今日のメインはこちらです:



タコの雑炊(Arroz de Pulpo)。魚介の出汁が良く効いていて絶品。文句なく美味しい!



他の登壇者達は、豚肉とアサリの組み合わせっぽいものやタラのオーブン焼きなんかを頼んでて、「味見してみる?」って聞いてくれたので、一口食べさせてもらったらんだけど、どれも素晴らしかった!



デザートには手作りプリンを注文。で、これだけ食べて、これだけ飲んで(赤・白ワイン5本)、一人当たりたったの10ユーロ!!これです!これこそポルトガルの醍醐味の一つなんですね。



ポルトガルでは非常に美味しい料理が、非常にお手頃価格で今でも満喫出来てしまうのです。いき過ぎた観光化の弊害で物価が急上昇しているバルセロナでは、これはもう夢のまた夢。というか、なにも考えずに「観光客来い、観光客来い!」と叫んだ結果、観光客が来過ぎてしまった弊害だということは、以前のエントリで書いた通りです(地中海ブログ:観光MICEとオープンデータ:2020に向けて、バルセロナの失敗の学ぶ、データ活用による都市観光の未来)。



初日からかなり良い感じのリスボン滞在だったんだけど、今回の滞在中に訪れたカフェでもう一軒、どうしても日本の皆さんに紹介したいカフェがあってですね、、、それがこちらです:



Name: Landeau Chocolate
Address: R. das Flores, 70 1200-195, Lisbo
email: chiado@landeau.pt
Tel: 911810801


シザが最近リフォームした集合住宅(Complejo Residencial y Comercial Terracos de Braganca)から道一本西側に行ったところにあるんだけど、ここのチョコレートケーキは絶品だった。こちらは自分で調べたわけではなく、登壇者の一人(ポルトガル人)に「リスボン市内で何処か美味しいお菓子屋さん(カフェ)知らない?」って聞いたらここを教えてくれました。

青いタイルが非常にオシャレな外観で、室内はこれまたレンガ素材がそのまま仕上げ材となっていて、建築としてもかなり良い感じに纏まっています。メニューは「コーヒーとガトーショコラしかない」っていうかなり強気な経営方針なんだけど(笑)、騙されたと思って頼んでみたら、これが素晴らしかった!



(基本的に)建築もそうなんだけど、料理というのはその地方の文化や気候、素材などに非常に影響を受けている「芸術」なので、「なにを美しいと思うか」、「なにを美味しいと思うか」はそこに展開している文化圏を考慮すること無しには判断出来ません。だから例えば、ポルトガル人には美しいと思える芸術品が、日本人にとってはゴミ同然に見えるものなんて山ほどあるし、その逆もまた然り。だからこそ文化というのは面白いのだと思うし、ぼくは建築を評価・批評する時は、その様な枠組みを超えた「もう少し普遍的な視点から批評したいなー」と強く思いつつも、その難しさを十分に実感しているつもりなんですね。



ちょっと長くなってしまいましたが、単純化して言ってしまうと、西洋文化圏での評価軸と日本文化圏での評価軸にはかなりの違いがあり、(料理に関して言うと)味付けの好み(文化)が違うことなどから、双方の口に合うものを見付けるのはなかなかに骨が折れると、そういうことを言いたいのです。というか、そういうお菓子に出会うことは極めて難しいというのが現実だと思います。



しかしですね、今回訪れたこのカフェで提供されているガトーショコラは地元ポルトガルでも非常に評価が高いそうなのですが、これは間違いなく日本人の口にも合います。最近日本で流行っている、テレビ番組の撮影の為に海外の有名レストランや有名パティシエの経営するカフェを訪れ、砂糖がたっぷり入った甘いだけのデザートを持ち出して、「な、なにコレー、超美味しい〜」なんて言ってるデザートとは格が違います。その様な砂糖三昧の甘ーいお菓子は、その土地では評価されているのかもしれませんし、その地方の人々にとっては最高のお菓子なのかもしれません。しかしそれが日本人の口に合うかどうかは全くの別問題なのです。なので、いくら海外で有名なお店の商品だからといって、それがそのまま日本人の味覚からして「超美味しい〜」なんてことになるのは寧ろ稀だと思うんですね。だからこそ、もしリスボンに来たらこのお店のガトーショコラは絶対に試す価値があると思います。

そしてデザート系ではもう一軒。日本でもエッグタルトという名前で数年前に大流行したポルトガル発のお菓子パステル・デ・ナタ(Pastel de Nata)の本家本元。



Name: Pasteis de Belem
Address: rua de Belem 84-92
Tel: +351213637423
Email: pasteisdebelem@pasteisdebelem.pt


リスボン市内から路面電車(15番)に揺られること約30分、世界遺産で有名なジェロニモス修道院(Mosteiro dos Jeronimos)の目の前にあるお菓子屋さんなのですが、1837年の創業以来、ジェロニモス修道院から伝えられた配合と作り方を頑なに守り通している「オリジナルが食べられる」とあって、世界中からここのお菓子を一口食べようと連日長蛇の列が出来ています。



しかしですね、このお店の注文方法には裏技があって、(それを知らない人は店頭に何十分も並んで買っているのですが)このお店は奥行きが非常に深く、奥には広々としたテーブルが並べられ、ゆったりと座れる空間が用意されているんですね。



で、勿論そっちはガラガラ。なので、ここを訪れる方は是非そちらへ移動して、コーヒーと一緒に食されるのが良いかと思われます。ちなみにそちらへ移動する途中にはお菓子を作っている工程を見ることも出来ちゃいます。



そんなこんなで、出てきたのがこちら:



じゃーん。これが正真正銘のPastel de Berenでーす。



お好みで粉砂糖とシナモンパウダーを自分で振りかけて食べます。その感想なのですが、、、



こ、これは、、、むちゃくちゃ美味しいぞー!パステル・デ・ナタはいままで様々な場所で食べてきましたが、こんなに美味しい一品は初めてです!焼きたてなので中のクリームがホカホカなのは当たり前なのですが、外の生地は本当にパリパリ。いや、これは本当、どうやったらこんな風に焼けるんだろう???世界中から歓呼客が押し寄せるのも納得です!

そしてですね、今回のリスボン滞在で一番驚いたのがこちらです:



な、なんと、タイムアウト(TimeOut)がコーディネートしたフードコートがリスボンには存在するんですね。



1968年にロンドンで創刊されたタイムアウト誌は「シティガイド」として、現在では世界40都市(35カ国)で11の言語に対応し発刊されています(wikipediaより)。日本語版も普及していることなどから、その存在を知っている人も多いかと思いますが、ヨーロッパではこのタイムアウト誌は書店というよりは路上のキオスコなどで新聞の横に並べられ売られていて、ヨーロッパでは、ロンリープラネットなどと共に、その都市に関する「主要な情報源の一つ」という地位にまで登り詰めています。



「では、なぜタイムアウト誌がこのような地位を築くことが出来たのか?」。それについては様々な要因が考えられると思うんだけど、その一つは、その都市についてかなり地域密着型でありながらも、グローバルな展開を強く意識していること(言語は勿論英語で発刊)、そして都市に関して様々なトピックを取り上げつつ、それをランキング形式で随時発表しているなどのゲーム感覚で楽しめる形式・企画があるのかな、、、と思ったりします。かく云う僕も、「バルセロナで最も美味しいクロワッサン特集」みたいなのが組まれていたりすると、ついついその特集号を買ってしまい、それを片手にクロワッサン巡りをしてしまうんですね。で、こういう人って意外と多いのです!



今回リスボンへ来てみて僕が驚いたのは、これら都市の情報を様々な角度から集めていたタイムアウト誌が、今度はなんと、現在は使われなくなった古い市場(1892に開店したリベイラ市場)を市役所から買い取り、そこを市内でも有数の観光スポットに改修することによって地区活性化の起爆剤にしようとしているという点なのです!
←タイムアウト誌が本当にそこまで考えているのかどうかは僕にとっては特に重要ではなく、僕の眼から見ると「そういう文脈で読める」ということが重要なのです。



体育館のようなだだっ広い空間の真ん中には、おしゃれなテーブルと椅子が並べられ、その間にはビールやワインなど飲み物を注文するスペースが備え付けられています。室内に500席、テラスには250席が設えられているそうです。営業時間は日曜から水曜までが朝10時から24時まで、木曜日から土曜日までは朝10時から深夜2時までやっているというから、観光客にとっては嬉しい限りです。



で、それを取り囲むように、独立店舗を基本としたお店がグルーっとお客さんを取り囲むという形式を取っているのですが、それら独立店舗にはハンバーガー屋さんや寿司屋さん、シーフードを目の前で調理してくるお店から伝統的なポルトガル料理を出すお店まで本当に多彩なお店が揃っているんですね。



また、アイスクリーム屋さんやカフェ、ご丁寧に観光客向けのお土産屋さんまで揃っているという徹底ぶり!これらお店のチョイスには(当然のことながら)タイムアウト誌が独自に選んだランキングがかなり影響していて、そこから最も成功しそうなお店をチョイスし、それらをこの空間に集めた、、、と想像してしまうのですが、逆に、この空間のことを再びタイムアウト誌で宣伝して、、、という逆循環も十分に考えられ、双方で多大なるシナジーが生まれるという結果になっていると思われます。

これは言ってみれば、いままでは出版やウェブ空間でその都市についての情報を握り、その都市を訪れる観光客に活字を通して多大なる影響を与え、更にはそれら観光客の動向をコントロールしていた「単なる一つの雑誌に過ぎなかった」タイムアウト誌が、彼らの持っている情報をリアル空間で最大限に活かすことの出来る「インターフェイスを手に入れた」ということを意味しています。



このインターフィイスという画期的なアイデアのおかげで、タイムアウト誌は単なる情報誌を超えた、もう一つ上の段階の媒体へと変化を遂げている、、、と僕は思います。更に更に、これは言うまでもないことなのですが、今回タイムアウト誌が打ち出したこの戦略は、何もリスボン市だけに限ったことではなく、世界中どこの都市でも展開することが出来ちゃうんですね。

言ってみれば、これは「都市の編集作業」のようなものかもしれません。
←「都市の編集作業」という言葉は、この間日本に帰った時に、学芸出版社の井口さんとお話させて頂いた時に彼女が使われていた言葉で、非常に印象に残っているフレーズです。

これはすごい、というか面白い!

ぼくはこれと非常に似たようなことを「都市に関するビックデータ解析を通した科学的な裏付け」の下、地区レベルでやろうと奮闘しているのですが、今回のタイムアウトの試みは地区レベルの活性化と非常に相性が良いと思います。もちろんそこにはいくつか気を付けなければならない案件も存在して、例えばその中の一つにジェントリフィケーションが挙げられると思うんだけど、今回ぼくが関わっている案件ではそちら負の面もどうにかして緩和していこうと奮闘しているので、もしかしたら、近い将来何かしたらの進展が見られるかもしれません(地中海ブログ:都市の闇:ヴェネチア(Venezia)の裏の顔とジェントリフィケーション(Gentrification))。

なにはともあれ、個人的にタイムアウト誌にはアプローチしてみよっかなー、とか思っています。

乞うご期待!
| 地球の食べ歩き方 | 21:43 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
何故バルセロナオリンピックは成功したのか?:まとめ
スペイン北部(ガリシア)に広がる大自然の中で、ど田舎生活を満喫しているcruasanです。



とりあえずバケーション初日の昨日は、家の真ん前にある昔ながらのパン釜を使っているパン屋さんにパンを買いに行ってきました。



毎朝8時と13時キッカリにパン釜から出されるこのパンは、外はカリッとしてるのに、中は信じられないほどホクホク。このアツアツのパンに、この地方でとれた濃厚なバターとハチミツ、そしてワインを並べると、もう3つ星レストランも顔負けの食卓に早変わり!しかもこんなに美味しいパンが一本1ユーロ(100円程度)。田舎サイコー!!



さて、僕が田舎生活を満喫している最中、世界中の人々の眼を釘付けにしていたのがブエノスアイレスで開かれたIOC(国際オリンピック委員会)総会であり、皆さんご存知の通り2020年のオリンピック開催都市は東京に決定したのですが、(その事を受け)早くも僕の所に幾つか質問らしきものが来ているので今日はその話題を取り上げようと思います。



まあ何の事はない、オリンピック史上最も成功した事例の1つとして語られている「バルセロナオリンピックについて」、更にはその際に行われた「都市計画と都市戦略について」なのですが、「オリンピックを契機としたバルセロナモデルについて」は、当ブログで散々書いてきた通りだし、逆に言えば当ブログで書いてきた以上の事があるとは思えないので、それを僕の視点から少し纏めておこうかなと思います。

(注意)僕の視点というのは、バルセロナ市役所そしてカタルーニャ州政府に勤めた経験を踏まえて、「バルセロナの外側から」というよりは、「バルセロナの内側から実際にバルセロナの都市計画を担当、実施した立場から見たらどう見えるか?」という文脈です。



バルセロナという都市がオリンピックを契機として大成功を収めた理由、それは先ず、この都市がおかれた歴史的背景を考慮する必要が多分にあると思います。というか、僕の眼から見たらそれが全てだと言っても過言ではありません(地中海ブログ:もう一つの9月11日:カタルーニャの場合:グローバルの中に息づくローカリティ、地中海ブログ:(速報)カタルーニャ州議会選挙2012:カタルーニャ分離独立への国民投票は実施されず!)。



70年代半ばまで続いたフランコによる独裁政権時代、バルセロナは中央政府に嫌われていた為に教育や医療を含む都市インフラへの投資が十分に行われず、生活インフラの多くの部分を近隣住民自らが組織化しなければなりませんでした(地中海ブログ:バルセロナモデルと市民意識、地中海ブログ:レセップス広場改修工事(Remodelacion de la Plaza Lesseps)に見るバルセロナモデル(Barcelona Model)の本質)。



この時の経験がバルセロナにおける近隣住民ネットワークを(世界的に見て)大変特別なものに押し上げ、ボトムアップ的に(教育や病院の)カリキュラム(=ソフト)を自らで構築する事を可能にしたんですね。重要なのは、それら適切なプログラムが作られた後で、「建物としての形」を与える為の資金が流れ込んできたという順序です(オリンピック誘致が決定したのは1986年)。つまり「ソフト(=プログラム)ありきのハード(=建築)」を計画する事が出来たということなのです。普通は反対で、「ソフト無きハード(=箱モノ)」になりがちなんだけど、バルセロナの場合は歴史的背景からその過程が逆になり、正にその事が功を奏したということです。



また、この地方特有の問題としてよく取り上げられる「アイデンティティ」という観点から、1975年まで続いたフランコ政権が崩壊し民主主義に移行するにあたって、カタルーニャに言語や文化を含む表現の自由が認められたということがバルセロナオリンピック開催にあたって非常に大きな意味を持っていたと思います。



中央政府により押さえつけられていたカタルーニャの社会文化的アイデンティティが解放された当時(1970年代後半)、カタルーニャ社会全体を包んでいた高揚感が凄まじかった事は想像に難くありません。昨日までは自分達の言語(カタラン語)をしゃべろうものなら投獄され、外国語(カステリャーノ語)を使用する事を強要されていたのに、今日からはパブリックスペースで誰とでも「自分の言語で自由に話す事が出来る」、「自分の言語で書かれた本を読む事が出来る」といった状況が生まれた訳ですから。



こういう所から「公共空間「と「政治」が結び付き、南欧都市におけるパブリックスペースの重要性というものが立ち現れ、更には市民の間に公共空間の重要性が経験として共有される事になるのだと思います(地中海ブログ:美術の商品化と公共空間: Manuel J. Borja-Villel、地中海ブログ:FC Barcelona(バルサ)のマーケティングがスゴイ:バルサ・ミュージアムに見る正に「ゴールは偶然の産物ではない」)。



言語を通した社会変化という事についてもう少しだけ触れておくと、民主主義への移行直後というのは、カタラン語をしゃべる事が単なるファッショナブルだったのではなく(今、カタルーニャでカタラン語を使っている多くの若者は、歴史的認識やアイデンティティ、もしくは1つの政治的主張というよりも、「それ(カタラン語をしゃべる事)がカッコイイから」という意識が強い)、人間的で根源的な喜びですらあったのだと思います(地中海ブログ:カタルーニャの夢、地中海の首都:地中海同盟セレモニーに見る言語選択という政治的問題、地中海ブログ:スペイン語の難しさに見るスペインの多様性:ガリシア語とカステリャーノ語)。



そんな社会的に盛り上がっていた雰囲気の中、オリンピック開催という大きな目標を与えられ、「カタルーニャを世界地図の中に位置づけるぞ!」という気概の下、市民が一丸となってそれに向かっていったという背景こそ、バルセロナオリンピックが成功した1つの大きな要因であると僕は思います。というか、先ずはここを押さえなければバルセロナオリンピックの全貌を語る事は出来ません(この様な視点の欠如こそ、下記に記す魅力的なキーワードをちりばめた都市計画手法にのみ着目した多くの論考に見られる特徴の1つでもあるのです)。



で、(ここからは神憑っているんだけど)それら市民の思いを1つに纏め上げる圧倒的なカリスマ性を持ったリーダーが出現したということは非常に大きかったと思います(地中海ブログ:パスクアル・マラガイ(Pasqual Maragall)という政治家2)。当時のカタルーニャの政治に関して非常に面白いと思うのは、カタルーニャ左派(PSC)、右派(CiU)に関わらず、彼らの目的は「カタルーニャという地域をヨーロッパで最も魅力的な地域にすること」と共通していたことかな(地中海ブログ:欧州議会選挙結果:スペインとカタルーニャの場合:Escucha Catalunya!)。



更に、今回のマドリードによる2020年オリンピック誘致活動とは根本的に異なる点を指摘しておくと、フランコ時代から民主化移行を見越して世界中にちりばめられた政治的/知的ネットワークを駆使してオリンピックを成功に導いたその政治力ですね(地中海ブログ:国際オリンピック委員会(IOC)前会長のフアン・アントニオ・サマランチ(Juan Antonio Samaranch)氏死去、地中海ブログ:東さんの「SNS直接民主制」とかマニュエル・カステル(Manuel Castells)のMovilizacionとか、地中海ブログ:欧州工科大学院(EIT)の鼓動その1:マニュエル・カステルとネットワーク型大学システムの試み、地中海ブログ:サスキア・サッセンと世間話で盛り上がったディナー)。



この様な歴史的背景に後押しされつつ、戦略的に都市計画を成功に導いていったのが、カタルーニャの建築家達が長い時間を掛けて練り上げていった都市戦略/都市計画です。例えばそれは、大規模イベントを利用して(長期的に目指すべき「都市のかたち」に基づきながらも)その都度局所的な都市計画を成功させてきたということが先ずは挙げられるかな(地中海ブログ:バルセロナのイベント発展型都市戦略とGSMA2010(Mobile World Congress 2010))。



1888年の国際博覧会ではそれまで中央政府(マドリード)による占領のシンボルだったシウダデリャ要塞を都市の公園に変換する事に成功し、1929年の国際博覧会では都市インフラとモンジュイックの丘の整備といったことなどですね(地中海ブログ:バルセロナ都市戦略:イベント発展型)。



また大規模な範囲を一度にスクラップ&ビルドするのではなく、「やれる事からやる、やれる所から手をつける」という現実的な計画からコツコツと始めたこと。つまりは小さな公共空間から車を排除しつつ木々を植え「公共空間を人々の手に取り戻す」という様に、市民に「我々の都市が日に日に良くなってきている!」と実感させた事は大きいと思います。



又、それら小さな公共空間を都市全体に挿入しつつ、それらをネットワークで結ぶ事によって、地区全体を活性化することに成功しました(地中海ブログ:グラシア地区祭り:バルセロナの歩行者空間プロジェクトの責任者だったけど、何か質問ある?)。これは言ってみれば、白黒(ネガ・ポジ)を反転させて都市における公共空間の重要性を視覚的に浮かび上がらせた「ノリーの図」を具体化したアイデアだと言う事が出来るかと思います(地中海ブログ:フランクフルト旅行その3:広告としての緑の都市計画)。



更に言えば、これら個々の都市計画の裏側には、色あせることの無い大変秀逸なバルセロナの都市戦略が横たわっています(地中海ブログ:大西洋の弧:スペインとポルトガルを連結するAVE(高速鉄道)について、地中海ブログ:ヨーロッパの都市別カテゴリー:ブルーバナナ(Blue Banana)とかサルコジ(Nicolas Sarkozy)首相とか、地中海ブログ:カタルーニャの打ち出した新しい都市戦略:バイオ医療( BioPol, BioRegio)、地中海ブログ:地中海連合(Union pour la Mediterranee)の常設事務局はバルセロナに)。



これは、バルセロナという「都市単体」ではなく、「地中海を共有する都市間」で恊働し、その地域一帯としての競争力を高めることによって、パリやロンドンといったメガロポリスに対抗するというアイデアです(地中海ブログ:Euroregion(ユーロリージョン)とカタルーニャの都市戦略:バイオ医療を核としたクラスター形成、地中海ブログ:シティ・リージョンという考え方その1:スンド海峡のエレスンド・リージョンについて、地中海ブログ:地中海の弧の連結問題:ペルピニャン−フィゲラス−バルセロナ間の高速鉄道連結計画の裏に見えるもの、地中海ブログ:バルセロナの新たなる都市戦略:ビルバオから学ぶバルセロナ都市圏再生の曙)。

これら上述した全てのことがらが複雑に絡み合いながらも絶妙なハーモニーを醸し出し、オリンピック開催という目標に向かっていった末に生み出されたのがバルセロナオリンピックの大成功だったのです。

では逆に、バルセロナオリンピックによって引き起こされた「負の面はないのか?」というと‥‥勿論あります。先ず挙げられるのはオリンピック村についての批判ですね。



ビーチと中心市街地に地下鉄一本でアクセス出来るエリア(Ciudadella Villa Olimpica)に選手村を大々的に建設し、オリンピックが終わった暁には低所得者向けのソーシャルハウジングとしての活用を謳っていたのに、蓋を空けてみれば中産階級向けの高級アパートに化けていたことが当時モーレツな批判を浴びていました(地中海ブログ:世界一美しい図書館:ポンペウ・ファブラ大学(Universitat Pompeu Fabra)図書館の一般立ち入り禁止エリアに入ってきた)。



また、「バルセロナ」というブランド=イメージを確立する為に、中心市街地から「汚いイメージ」=貧困層や移民、売春婦や麻薬関連などを駆逐し、市外や市内の一区画へ強制的に集めた結果、スラムが出来てしまったこと(地中海ブログ:バルセロナの中心市街地で新たな現象が起こりつつある予感がするその3:街頭売春が引き起こした公共空間の劣化、地中海ブログ:カタルーニャ州政府がスペイン初となる公共空間における売春を取り締まる規則を検討中らしい)。



更に悪い事に、極度の観光化の結果、歴史的中心地区はジェントリフィケーションに見舞われてしまいました(地中海ブログ:バルセロナの中心市街地で新たな現象が起こりつつある予感がするその1:ジェントリフィケーションとその向こう側、地中海ブログ:ビルバオ・グッゲンハイム効果とジェントリフィケーション、地中海ブログ:バルセロナの中心市街地で新たな現象が起こりつつある予感がするその2:逆ジャントリフィケーション)。



そしてこの様な「バルセロナの大成功」を真似ようとし、幾つかの都市が「バルセロナモデル」を輸入したんだけど、今まで述べてきた様な歴史的/文化的/社会的背景を全く考慮せず表面的に真似ただけだったので、元々そこに存在した既存の都市組織(Urban Tissue)が破壊されてしまったこと(地中海ブログ:パン屋さんのパン窯は何故残っているのか?という問題は、もしかしたらバルセロナの旧工場跡地再生計画を通した都市再活性化と通ずる所があるのかも、とか思ったりして)。

こんな所かなー。

これから先、オリンピック関係でバルセロナの都市計画、都市戦略、もしくはそれらに付随した「バルセロナモデル」について多くの論考が出てくるとは思うんだけど、それらは全て上記の何れかに分類出来ると思います。



あー、久しぶりに頭使ったらなんかすごく疲れちゃった。赤ワインと生ハム食べて寝よ。
| バルセロナ都市計画 | 00:59 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
サスキア・サッセン(Saskia Sassen)のインタビュー記事:グローバルシティというアイデアは何処から来たのか?
ちょっと前の新聞(El Pais Semanal, 29 de Enero 2012)にサスキア・サッセンのインタビュー記事が載っていました。



最近僕が興味を惹かれるのは、「この人はどんな事を考えているのかな?」というアイデアのレベルではなく、「何故この人はこんな考え方をする様になったのかな?」という、その人の創造力の源泉に関する問題なんですね。



例えばアルヴァロ・シザの建築形態操作には、彼が子供の頃に受けた体験、特に大病を煩って祖父母の家に隔離されていた時に受けた体験が非常に色濃く彼の創造力に影響を与えているという事は以前のエントリで明らかにしたばかりです(地中海ブログ:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)のインタビュー記事:シザ建築の特徴は一体何処からきたのか?)。

そういう意味において、今回のサッセンのインタビュー(特に後半部分)は彼女の生い立ちや家族構成、小さい頃の体験なんかが非常によく描き出されていて、彼女の思考体系の源泉を知る手掛かりになるのでは?と思われます。と言うか、日曜日の朝にこのインタビュー記事をカフェで読んでて、「これって、結構画期的な事が書いてあるじゃん!」と、穏やかにコーヒーを飲んでいるカタラン人達の間で思わず「おおっ」とか驚きの声を上げてしまった程、強く心に残るインタビューだと思います(笑)。特にこの部分なんて凄い告白だと思う:

「‥‥えっとですね、私の父はジャーナリストで、祖父は南オランダに位置する小さく美しい街、スヘルトーヘンボスの市長を勤めていました。‥‥(中略)‥‥祖父はそれ以外の事ではナチスに協力し、その為に戦争終結後、刑務所へ送られる事になってしまったのです。私の父はというと、ジャーナリストとしてナチス側にいたのです‥‥やめましょう、このテーマは‥‥」(サッセンの発言:このインタビュー記事の後半部分、グローバルシティの写真のある辺り)

13歳から既に共産主義に傾倒し、世界中を転々としてきた彼女だからこそ、グローバルシティという秀逸なアイデアが出て来たのかな?と、そう思ってしまいます。この分野に関心のある人ならのめり込む事間違い無し!是非ご堪能あれ!

以下の訳文はEl Pais Semanal紙(1月29日(2012))のp28-30に載った文の全訳です。

Q=インタビューアーの質問
R=サスキア・サッセンの回答
黒字=訳者メモ

Q: その昔、都市経済は人々の事を「消費者」として評価していました。しかしいつの間にかその同じ都市経済がそれらの人々を排除する方向へと態度を変えてしまった様に思われます。都市に人が溢れすぎた事が原因なのでしょうか?
Q; ¿La economía urbana ha pasado de valorar a las personas como consumidores a tratar de expulsarlas porque sobran?

R: そうですね、都市における排除のプロセスは世界中で起こっている現象だと言う事を先ずは申し上げておきたいと思います。更に言うと、その様な排除という現象は何も都市部だけで起こっている事ではなく、田舎でも同様の事が起こっていると言う事も付け加えておいて良いかもしれません。何故かというと、土地を買収すると、その土地を耕しそこで生活していた人々が必要なくなり、人が余ってしまうという現象が起こるからなのです。 さて、第二次世界大戦以後、我々は4つの異なる時代区分を体験してきた訳なのですが、現況では、都市中心部に中流階級が暮らせる家や、商店など小さな店舗は入ってこれない状況となってきています。そんな世の中において、中流階級は非常に多くのものを失ってしまったのです。それは彼ら(中流階級)が歴史的に保持してきた権力であり、権限であり、権利であり、未来における可能性なのです。フランスやアメリカ、そしてイギリスなど非常に発展した国々において、中流階級は疲弊し、世代が増すごとにどんどん貧しくなっていっています。新しい世代になればなるほど正式な教育を受ける機会が減少し、収入も親の世代に比べ少なくなり、ひいてはマイホームを購入する機会すら減ってきているのです。この様な現象こそ、国民一人一人の人生設計を阻害するプロセスであり、排除のプロセスという事が出来るのです。
R: Este proceso se da en muchos sitios. En el campo también, porque compran las tierras y sobran quienes las cuidaban. En la ciudad, los hogares y los comercios modestos quedan desplazados del centro. Además, en esta generación, la cuarta tras la Segunda Guerra Mundial, la clase media está perdiendo poder. Se está empobreciendo en países altamente desarrollados como Francia, EE UU y Reino Unido. La nueva generación adquiere menos educación formal, menos ingresos, y tiene menos posibilidades de comprar una casa. Eso es una especie de expulsión de un proyecto de vida.

Q: 我々は親から子へ、子から孫へと世代が進むにつれ社会も豊かになり、生活の質も向上すると、そう信じてきました。
Q: ¿Creíamos que cada generación avanzaría respecto a la anterior?

R: 社会が豊かになっていく事、親の世代よりも子の世代の方が質の高い暮らしを約束されていたという事は、世の中の誰しもが信じきた、ある種の社会信仰の様なものだったと思います。しかしですね、チリやアルゼンチンなどといった、未曾有の経済危機を体験し、そのシワ寄せが中流階級に降り掛かってきた国々においては、その様な直線的な進化の道筋は断ち切られてしまいました。
R: Parecía parte de un contrato social, pero esa trayectoria ha sido interrumpida en países como Chile o Argentina, donde fue brutal lo que le pasó a la clase media tras la crisis.

Q: 何故そんな事が起こってしまったのでしょうか?
Q: ¿Por qué ha sucedido?



R: 現在我々が生きている社会というのは、以前とは全く違うシステムの上に成り立っているからだという事が出来るかもしれません。一見このシステムは過去から脈々と続いてきたものの様に見えるかもしれませんが、実はそうではないんですね。金融というシステムは80年代に生まれ、そして90年代に定着した仕組みであり、それ以来、金融業界の論理が全ての経済分野に侵入し、彼ら(金融)の論理によって侵略を開始したのです。現在の世の中というのは、その時創られたシステムの上に構築されたものであり、我々は正にその中に生きる羽目になってしまったのです。 ここで最初の質問である、「こんな世の中においては一体何が変わってしまったのか?」という点に戻りたいと思うのですが、それをお話する為にはケインズ主義が旺盛だった時代にまで遡らなければなりません。その時代において経済のベースとなっていたのは大量生産、大量消費というパターンであり、その様な人々の生活スタイルに合わせ、郊外における大量の住宅建設と、それに伴う交通インフラの整備などが進められました。つまりは過去のシステムにおいては、消費という行為が非常に重要な位置を占めていたという事なのです。しかしですね、90年代に生み出された金融システムは、それまでとは全く違った新しい仕組みを創り出してしまったのです。それこそ大量消費を通過する事なく、何倍ものお金を生み出すというメカニズムだったのです。

R: Es un nuevo sistema. Parece una continuación del antiguo, pero no lo es. La lógica financiera ha invadido todos los sectores económicos. Hay una organización del sistema que nace en los años ochenta y se establece en los noventa. Hoy vivimos sus consecuencias. Y el cambio fundamental es que, en la época del keynesianismo, la base económica era la manufactura de masa y el consumo de masa: la construcción de espacios suburbanos de masa en las correspondientes carreteras e infraestructuras. Es decir, una serie de procesos económicos que implicaron que el consumo importara muchísimo. Hoy, el sistema financiero ha inventado modos de multiplicar la renta sin pasar por el consumo de masa.

Q: 郊外開発は今日においてビックビジネスへと変わってきています‥‥
Q: Construir suburbios se convirtió en un gran negocio…

R: 郊外に建てられる新しい住宅には、住宅自体だけでなく、その中に入る全てのもの(新しい冷蔵庫、新しいテレビ、新しい家具など)が新品という状態が想定されています。いわゆる3種の神器というやつですね。その事が(ポジティブではあるけれども)悪循環を生み出したのです。繰り返しますが、我々は消費に基づいたシステムの上に生きていました。例えそれが必要であれ不必要であれ、消費し続ける事は非常に重要な事柄だったのです。
R: Cada hogar suponía una nueva nevera, una nueva televisión, nuevos muebles… Todo nuevo. Se generó un ciclo vicioso positivo. Teníamos un sistema basado en el consumo. Fuera o no necesario, era vital seguir consumiendo.

Q: 現在の世の中はそうはなっていないのでしょうか?
Q: ¿Ya no es así?

R: その様な鎖は断ち切られてしまったのです。労働者の賃金はもはや消費を続ける事が困難なほど低くなってしまいましたし、大量の住宅建設が終焉した事によって、我々は以前とは全く違うサイクルの中に生きる事になってしまったのです。

R: Se ha roto la cadena. El salario del trabajador ya no hace posible mantener el consumo. Se ha roto la cadena, porque se ha terminado la construcción en masa. Ahora vivimos en un ciclo muy distinto.

Q: 都市に住みながらも消費行動が出来ない人達には一体何が起こるのでしょうか?
Q: ¿Qué sucede con la gente que vive en las ciudades y ya no puede consumir?



R: そうですね、それは社会的な不平等、もしくは社会的な排除といった様な問題だけには留まりません。勿論それらは既に存在しているのですが、それよりも何よりも、失業という問題が我々の社会にとって非常に重要な問題として勃興してきているのです。現在社会において、一度失業した人が再び平凡な日常を暮らしていく事は非常に難しくなってきています。例えばイギリスやアメリカでは刑務所に入っている囚人の数はココ数年で劇的に増え続けているのですが、それら多くの囚人というのは殺人を犯したという様な重犯罪者なのではなく、刑務所に入るべき類いの人達ではないのです。刑務所とはある意味、社会に適合出来なかった人間を収容するという、一つの「人間収容所」としての機能を担っているのですが、現代社会における囚人の激増は、仕事が無く雇用に有り付けないという事と全く無関係とは言えなくなってきているんですね。つまりは仕事が無いからこそ人々は軽犯罪に走り、そして刑務所に入るという悪循環が働いているのです。今の世の中において、一度犯罪者という烙印を押されてしまうと、一生、社会システムから排除された人間として生きていかなければならず、もう一度社会に復帰する事は非常に困難な状況となってきているのです。

R: No es solo un tema de desigualdad y exclusión social, aunque ambos existen. El nuevo elemento es que muchos de los desempleados de hoy no tienen posibilidad de volver a tener una vida normal de trabajo. Tanto en Reino Unido como en Estados Unidos, la población de presos ha aumentado muchísimo, y a mí me parece que si bien algunos de estos prisioneros son asesinos, la gran mayoría no lo son y no deberían estar en prisión. La cárcel es una especie de almacén de gente que el sistema no puede absorber, porque no puede emplear. Viven expulsados del sistema, almacenados y sin posibilidad de reinsertarse.

Q: さて、少し話題を変えたいと思うのですが、あなたの別のご関心事として、中国がアフリカのザンビアでやっている様な、他国の土地を買収している「国の動き」に非常に敏感に反応されていますよね。その様な買収は多くの場合、その地に住んでいた住民達を追い出すという結果に終わっています。何故その様な事が起こっているのでしょうか?追い出された人々はその後、一体何処へ行く事になるのでしょうか?
Q: Otro tema que usted toca es el de países que compran grandes cantidades de terreno a otros países, como China en Zambia, y que generan expulsiones masivas de población. ¿Cómo es posible eso, adónde va esa gente?

R: 2006年から2010年にかけ、各国の行政機関や金融業者などは、アフリカ、ロシア、ラテンアメリカ、ベトナム、ウクライナそしてカンボジアなどに7千ヘクタールもの土地を購入しました。購入したのは中国やサウジアラビア、アラブ首長国連邦や韓国、そしてスウェーデンなど、いずれも大国と言われる国々でした。しかしですね、驚くべき事に、この最後の数年間でそれら購入者リストに上がる名前が変わってきたのです。例えばココ数年のアフリカにおける最大の土地購入者は‥‥実は投資金融会社なのです。これがどういう事か、お分かりですよね!
R: Agencias de Gobierno y firmas financieras compraron 70 millones de hectáreas entre 2006 y 2010 en África, Rusia, América Latina, Vietnam, Ucrania y Camboya. Entre los grandes países compradores están China, Arabia Saudí, los Emiratos Árabes, Corea del Sur y Suecia. Pero en los últimos años los mayores compradores en África han sido… las firmas financieras de alto riesgo. ¡Imagínese!

Q: 何の為なのでしょうか?
Q: ¿Para qué?

R:それらの土地は農耕をする為のものであり、上質な地下水を伴った土地なのです。つまり、彼らは水がある土地を買っているのです。
R: Es tierra para el cultivo agrícola. Y tierra con altos niveles freáticos. Compran tierra con agua.

Q: 食料の値段が上がる事を予測してそれらの土地を買っているのでしょうか?もしくは収穫物を燃料に変える為なのでしょうか?
Q: ¿Compran en previsión del incremento del precio de los alimentos o para convertir las cosechas en combustible?

R: 大抵の場合、彼らはそれらの土地を何かしら一つの農作物に特化する為に買っているのです。今年、J.P.Morganは4万ヘクタールもの土地をウクライナに購入したのですが、驚くべき事に、投機会社は彼ら以上に土地を購入しているのです。土地は食物と水を表象します。と同時に、バイオ燃料やレア・アースといったモノをも意味しているのです。レア・アースという言葉を聞いた事がありますか?
R: En general, uniformizan los cultivos. Este año, J. P. Morgan compró 40.000 hectáreas de tierra en Ucrania, pero los fondos de inversión especulativos son los que han comprado más. La tierra representa comida y agua, pero también puede representar biocombustibles y también tierras raras. ¿Sabe lo que son?

Q: いいえ。
Q: No.

R: レア・アースとはドミトリ・メンデレーエフの周期表により存在が確認された17元素からなるグループの事です。それが何の役に立つのか、以前は一部の人々を除いてさっぱり分からなかったし、知られてすらいなかったのですが、ここにきてその全貌が明らかになってきました。実はですね、エコ電池を作り出す際、その材料としてそれら17種類のレア・アースが必要となるという事が判明したのです。各国はその対応に追われていたのですが、アメリカでは、それらレア・アースを中国から輸入する事に決め、自国でレア・アースを発掘したり、それらを抽出する技術を開発するという道はとらない事に決めました。現在では、中国が世界的に見てレア・アースの主な輸出国となっていて、実に世界総輸出量の90%を占めるまでに至っています。故にレア・アースを輸入に頼っている国々、日本やアメリカなどは中国からの輸入がストップする事を大変恐れているのです。ある国(例えば中国の様な)がコンゴに300万ヘクタールもの土地を買ったり、ザンビアに280万ヘクタールもの土地を購入し、そこにヤシの木を植えるといった様な、一つの土地に一つの農作物だけを植え続けるのは理由があります。そうする事で、その土地に存在する全て動植物だけでなく、農業に従事する人々をも追い出し、その土地を疲弊させる事が目的なのです(サッセンはこの様にしてレア・アースを手に入れる事が出来るとは明言してはいないが、そう推測される)。 それら自らの土地を追い出された人々は一体何処へ行くのでしょうか? 彼らは都市へと行く事になるのです。インドでも同じ様な事が起こっています。最後の30年間において、小作農業者達が追い出されているのです。彼らとて無知ではありませんから、大地は恵みをもたらし、その土地が我々人類に与えてくれる豊かさについては熟知しているのですが、悲しいかな、投機会社との戦いには何時も敗北する様、運命付けられているのです。
R: Hay 17 componentes que Mendeleyev identificó en su tabla períodica como elementos que no sabía para qué podían servir. Ahora lo sabemos. Las pilas ecológicas requieren algunos. Los americanos decidieron importarlos de los chinos y no desarrollaron la tecnología para obtenerlos. Y ahora China es el principal país exportador con casi el 90%, y Japón, EEUU y otros están aterrorizados con que pueda suspender las exportaciones. Cuando un país como China compra 3 millones de hectáreas en el Congo y 2,8 millones en Zambia para plantar palma, o sea, para plantar un único cultivo, eso es una manera de empobrecer la tierra. Además de expulsar especies de flora y fauna y pueblos enteros, expulsan a los pequeños agricultores. ¿Adonde se van? A las ciudades. Lo mismo pasa en India. En los últimos 30 años, los pequeños agricultores han sido expulsados. Estos pequeños propietarios no son estúpidos. Saben que la tierra produce. Pero los agricultores pierden esa batalla.

Q: 排除された人達は都市へと向かうとおっしゃられましたが、都市部には彼らの為の仕事は存在するのでしょうか?もし無いとしたら、彼らは一体どうなるのでしょうか?
Q: Expulsados hacia las ciudades, ¿y si allí no hay trabajo para ellos?



R: 現行の経済システムや金融業界の勢いは仲介業者を成長させ、正にその様な状況こそが、それらの分野を戦略的な位置に押し上げる要因となりました。しかしですね、ここが重要なポイントなのですが、それらのメカニズムは経済成長の恩恵を分配する事はありません。逆に、それらのシステムが生み出した恩恵は、彼らが潤えば潤うほど、彼ら自身に集中する事となるのです。今日において都市部では人が余っています。都市部ではこれ以上の人は必要ないのです。

R: El sistema económico, el auge de las finanzas, ha hecho crecer a un sector intermediario que se ha vuelto estratégico. Pero este sistema no distribuye los beneficios del crecimiento económico. Al contrario, los concentra más y más. Hoy, en las ciudades sobra gente. Ya no hacen falta.

Q: お言葉ですが、現在でも世界中の都市は成長を続けていると思うのですが‥‥
Q: Pero muchas ciudades no dejan de crecer…



R: 都市は未だに人々を吸収し続け、そして多くの人達にとって魅力的な場となっている事は確かだと思います。社会的不安と不安定が蔓延る現代の世の中においては、都市に大きなチャンスが転がっている事も又事実であり、正にその事によって人々の心はオープンになっていると言う事も出来るからです。だからこそ逆に、失敗した時の失望も大きなものとなるのです。都市は可能性の場であり、希望の場でもあります。しかしそれは社会が豊かになるとか、仕事を得る事が出来るとか、その様な進化が保証させているという事ではありません。それは全く別の次元の話なのです。

R: La ciudad todavía absorbe a gente, todavía es atractiva. En una época como la nuestra, de grandes inestabilidades, se da una mayor apertura mental, hay grandes oportunidades y, por tanto, grandes desilusiones. La ciudad es el territorio de lo posible, pero no del progreso asegurado.

Q: 人々は一か八か都市へ勝負しに来るという訳ですね。
Q: Vamos a la ciudad a probar fortuna.

R: その通りです。田舎に残された可能性は少ないですからね。今や田舎の土地の大部分は大企業や中国の様な政府機関の手により私有化されているのですから‥‥。 我々の都市は変わり続けています。ダイナミックに変化し続ける都市なのですが、それでも我々は都市を認識する事が出来るのです。各々の都市が提供してくれる社会的関係性や人々との出逢い、身体的な接触などは、何者にも変え難く、掛替えの無いものとなっているのです。中心市街地は人々がお互いを見る/見られるの関係性を実現する場であるし、見知らぬ人との遭遇や出会いなどの機会を与えてもくれます。そして大変重要な事に、中心市街地における見知らぬ人同士の接触や唐突な出逢いは暴力を伴う事はありません。そこは人種や階層など全く違う人々を混ぜ合わせ、お互いがお互いを認識する場を提供する事によって、平和をも切り開く可能性と潜在性を持った大変魅力的な場となっているのです。

R: Ahí voy. En el campo queda poco. La tierra está privatizada en manos de grandes empresas y de grandes agencias de Gobierno como las de China… Nuestras ciudades son mutantes, pero las reconocemos a pesar de sus cambios. La sociabilidad, el contacto físico que ofrece la ciudad, es insustituible. Los centros hacen que la gente se vea. Gente muy distinta se tropieza, habla. Y esos encuentros en un centro urbano no generan violencia. Los centros urbanos son fascinantes por esa capacidad de mezclar sobrepoblación y paz.

Q: 人々の間に不安が蔓延っている今日において、中心市街地とは人々を文明化する為の空間として機能しているという事なのでしょうか?
Q: ¿El centro de la ciudad hoy, en tiempo de grandes inestabilidades, es un espacio de civilización?

R: 都市とは誰か一人の私的所有物なのではなく、そこに住む人、そこを訪れる人、全ての人に開かれた場であり、全ての人の所有物なのです。そうであるからこそ、中心市街地では移民にしろ観光客にしろ、誰しも大変居心地良く過ごす事が出来るんですね。反対に、同じ都市部だとは言っても、郊外では全く事情が違ってきます。郊外において起こっている事、それはその土地の住民による拒絶に他なりません。彼らは他地区から人々が自分達のテリトリーに入ってくる事を大変嫌っているのです。 繰り返しますが、都市とは見知らぬ人々、違う階層に属する人々に出逢いの場を提供し、それらの人々がフィジカルに接触する事によって活力を与えられる場でもあります。彼ら一人一人の存在、出逢い、そしてフィジカルな接触が都市の原動力になっているのです。何故都市部でそんな事が起こるのかというと、それは人々が都市で生き延びる為、もしくはより良い生活を手に入れる為に仕事を見つけなければならないからです。つまり、そうやって情報を交換しているという訳なんです。
R: Es de todos. Un inmigrante o un turista se sienten bien en el centro de la ciudad. Los barrios suburbanos son otra cosa; la misma mirada de la gente puede expulsar. Con tanta gente desesperada por tener un empleo y una vida con más posibilidades, es el contacto físico de diversas clases sociales lo que da la sensación de potencial en las ciudades.



Q: それは中心市街地に人々が溢れ、活力が生まれた時にこそ言える事だと思います。ジェントリフィケーションが貧困層を追い出し、裕福な層だけで一様な風景が形成される時、そのエリアの市民意識は失われるのでしょうか?

Q: Eso sucede cuando los centros son lugares con vida. Cuanto la gentrificación expulsa a los pobres de los centros y los uniformiza con una única clase social, ¿se pierde ese civismo?

R: その様な市民意識、つまりは都市の活力が失われるのです。私の息子(ヒラリー)は彫刻家でロンドンに住んでいるのですが、彼が住んでいる地区は、ありとあらゆる民族と宗教が入り交じったゾーンとなっています。彼らに共通する事と言えば、お金を持っていないという一点に尽きます。その地区は夜になると昼間とは全く別の顔を現し、まるで小さな地球の如くの様相を呈してくるという特徴を持っているのですが、何故なら夜になると、その地区の住民が仕事から帰ってくるからなのです。都市においては、若者達が道ばたで偶然出逢ったり、話し合ったりといった出来事が日常的に起こるのです。 私の息子はニューヨークからロンドンへ移り住んだ時、友人達と、とある建物を不法占拠して住み始めました。ロンドンでは人々が建物を不法占拠した時などは、先ず警察が来て不法占拠者に対し警告を開始します。この類いの警告は彼らを強制退去させる3ヶ月前に行われる事になっています。 不法占拠者達というのは、社会システムからは外れた所にいる、いわば社会不適合者とも言える存在です。しかしですね、彼らがそれらの建物を占拠している間、展覧会を企画したり、それが話題になり新聞に載ったりと、様々な事が起こったのです。これらが指し示している事、それは彼らのしている事は勿論違法であり、法の外にいるのは間違いないのですが、と、同時に守られてもいるという事なんですね。ベルリンでは壁が崩壊した時、正にこれと同じ様な事が起こりました。これら全てのメカニズムは、システムの外に居る人や、家が買えない人、もしくは家賃が払えない人などを生き延びさせるのに非常に役に立つのです。勿論その様な状況は居心地が良いとは言えず、環境も悪い事に変わりはないのですが、しかしそれでも生きていく事は出来るのです。
R: Se pierde el motor de la ciudad. Mi hijo Hillary, que es escultor, vive en Londres en una zona que mezcla todo tipo de razas y religiones. El denominador común es la falta de dinero. En ese barrio, por la noche, aparece el mundo. En las ciudades ocurren cosas como que los jóvenes se encuentran. Mi hijo llegó a Londres desde Nueva York y ocupó un edificio con otros amigos. Si ocupas un edificio, la policía te debe dar un aviso de expulsión tres meses antes de echarte. Están fuera del sistema, pero mientras viven en esos edificios montan exposiciones que reciben críticas y reseñas en la prensa. Eso es interesante. Estás fuera de la ley, pero estás protegido. En Berlín Este sucedió algo parecido tras la caída del Muro. Todos esos mecanismos permiten sobrevivir y tener un proyecto de vida. No es cómodo, pero es posible.

Q: お言葉ですが、あなたの息子さんはそれら貧乏な人々の良い例とは言えないのではないでしょうか?何故なら母親が有名大学教授だからです。
Q: Pero su hijo probablemente no sea un ejemplo de pocos recursos. Tiene una madre académica.

R: そうですね。しかし彼は親を頼るのではなく自分自身の力で生きていきたいと願い、彼自身の人生を自分の足で歩み出したのです。22歳の時の事でした。そんな彼も今では30歳になり、ワンルームマンションを所有するまでになりました。しかしですね、今ではマイホームを所有している彼ですら、自立を始めた時は不法占拠者という立場からのスタートだったのです。法の外で生きる事が出来る可能性がある事は良い事だと思います。ブラジルのファベイラの様に世界中に点在している郊外には、貧困や悲惨さだけでなく、それ以上のものが存在し、その地区独自の経済を発展させているのです。
R: Es verdad. Pero él quería su propio proyecto de vida. Se trata de poder pertenecer al mundo. Lo hizo con 22 años. Hoy, con 30, tiene un apartamento con una habitación, pero su entrada fue al margen de la ley. Esa posibilidad de llegar fuera de ley es buena. Algunos suburbios, como las favelas, son algo más que zonas de miseria. Desarrollan sus propias economías.

Q: 現代都市において生き延びていく為には、アウトサイダー的に法の外で生きていくしかないと言う事をおっしゃりたいのでしょうか?
Q: ¿Está diciendo que para sobrevivir en las ciudades hay que hacerlo de manera marginal?

R: 私が強調したい事は、貧乏な人達だってその様なやり方で都市部で生き延びていく事が出来るという可能性であり、彼らも都市の一部だという事が言いたいのです。例え何も持っていなくとも、誰だって「自分自身の都市に生きている、この都市は自分の都市だ」という事を感じる事だって可能なのです。それは何も理論的な事ではなく、私自身の体験から来ている事でもあります。お話しした様に、私はアメリカに違法移民として入り、違法移民だったその時でさえもニューヨークという都市に対する帰属意識、「ニューヨークは私の都市だ、自分の都市だと」感じる事が出来ました。都市とは個人レベルで創られるものではありません。それは集団の中から現れてくるものなのです。そして都市とはその様な集団の想いによって創出されるものであり、決して奇跡的な産物などではないのです。
R: Lo que quiero remarcar es que la gente sin recursos puede hacerlo así y sentirse parte de la ciudad, sentir que está también en su ciudad, que la ciudad le pertenece un poco. Yo entré en EEUU de inmigrante ilegal y sentí eso, sentí que Nueva York también era mi ciudad, my city… Es un hacer colectivo. No es un milagro, la ciudad lo permite.



Q: あなたはオランダで生まれアルゼンチンで成長され、その後ヨーロッパ中を転々とされました。何故その様に沢山の国々を渡り歩かれたのでしょうか?

Q: Nacida en Holanda, crecida en Argentina, nómada después por Europa… ¿Por qué tanto traslado?

R: 50年代初頭にブエノスアイレスに着いて以来、私の家族は14年間そこに住んでいました。つまりアルゼンチンに移住したのは戦後という事なのですが‥‥。何故その時期にアルゼンチンに住み着いたのかというと、その裏には複雑な事情が混在していたのですが、それはその当時、私の両親が未だ若く、そして非常に冒険好きだったという事と深い関係があります。第二次世界大戦後のオランダ政府は、国家政策として東欧からの難民や逃亡者を受け入れると決め、当時としては非常に革新主義的な策を講じました。と言うのもその際、オランダ人に対して他国への移住を強く進めたのです。彼らは言います:「あなた方オランダ人は世界中何処へ行っても受け入れてもらえるでしょう。しかし東欧からの難民はそういう訳にはいきません。ここオランダには彼らを受け入れる為のスペースが必要なのです」と。そんな理由から当時沢山の人々が移住を決意し、現在でも9百万人ものオランダ人が、自国以外の国で生きているのです。
R: Mi familia vivió 14 años en Buenos Aires. Llegó a principios de los 50. En la posguerra… Hay dos o tres cosas que se mezclan… Mis padres eran jóvenes, aventureros. El Estado holandés tomó medidas progresistas cuando decidió acomodar a los refugiados de Europa del Este tras la Segunda Guerra Mundial. Facilitaron la emigración de holandeses bajo la idea: “Ustedes son holandeses, les va a recibir todo el mundo, y aquí necesitamos sitio”. Hoy hay nueve millones de holandeses fuera del país.

Q: と言う事は、あなたのご両親は難民達の為に自分達の空間をお譲りになったという事ですか?
Q: ¿Sus padres decidieron ceder su sitio?

R: えっとですね、私の父はジャーナリストで、祖父は南オランダに位置する小さく美しい街、スヘルトーヘンボスの市長を勤めていました。ナチスが街に侵攻してきた時、彼らは祖父にこう言ったのです:「我々に協力するか、それとも街を爆破されたいか、どっちにする?」と‥‥。祖父はユダヤ人を一人たりともナチスに引き渡しませんでした。何故ならスヘルトーヘンボスには当時、ユダヤ人は一人も居なかったからです。しかしですね、祖父はそれ以外の事ではナチスに協力し、その為に戦争終結後、刑務所へ送られる事になってしまったのです。私の父はというと、ジャーナリストとしてナチス側にいたのです‥‥やめましょう、このテーマは‥‥
R: Bueno… Le explico el contexto. Mi papá era periodista, y mi abuelo era el alcalde de una ciudad bellísima del sur de Holanda, Hertogenbosch. Al ser invadida por los nazis, le dijeron que o colaboraba o le bombardeaban la ciudad… No entregó a ningún judío. No había judíos allí. Pero colaborar significaba que uno hacía un pacto. Después de la guerra, a mi abuelo se lo llevaron a prisión. Y mi papá había estado con los nazis como periodista… Pero quizá fuera mejor dejar ese tema…

Q: 続けてください。
Q: No, por favor.

R: 先程も申し上げたのですが、私の父は根っからの冒険好きで、自ら進んで戦線に赴き、戦争の従軍記者となりました。そんな中、ヨーゼフ・ゲッベルスは従軍記者達で構成された中隊を編制したのです。中隊といっても、全員がジャーナリストで、タバコを吸い、酒を飲んでいたそうですけどね。規律や秩序といったものは一切無く、非常に滑稽な従軍記者団だったという事です。そんな中隊だったのですが、勿論彼らの仕事は危険に満ち満ちたものである事に変わりはなく、時には怪我もするし、何より私の父は戦火が最も激しかった戦場の一つ、ロシアとの戦線に送られていたのです。少し時が経つと、ゲッベルスは父を刑務所へ送りました。ゲッベルスと父は互いに啀み合い、上手くいってなかったのです。私の父は反ソビエト派だったんですけどね。 反対に、私はと言うと、父とは全く逆の思想を持っていて、13歳にして共産主義に賛同するソビエト派でした。どれほどのめり込んでいたかというと、ロシア語を勉強していた程だったのです。当時の私は、父の思想に我慢が出来ず、家を出て行く事にしたのです。もうちょっと詳しく言うと、事態はもっと複雑だったんですけどね‥‥。と言うのも、私の父方の家族は大きな鉱山を所有していたという事、そして当時の南オランダに居るカトリック教徒達はイギリス人達を大変嫌っていたという事、その様な幾つかの事情が合い重なっていたからです。 えっと、このテーマを話すには結構大きな問題が付き纏っていまして‥‥と言うのも、「イギリスに反対していた」と言うと、多くの人々は「あー、あなた、ナチス側の人間なのね」と、そう思われてしまう事がしばしばなんですね。だからニューヨークではこのテーマを話す事は出来ません。もしニューヨークでこの話題を出そうものなら、人々がこう言ってくる事は目に見えているからです:「サッセンさん、あなたは反ユダヤ主義者なのですね」と。今までそんな事は無かったのですが、そうなる可能性は十分にあります。だから、なるべく話さない様にしているのです‥‥。
R: Mi papá, que era un aventurero total, se trasladó al frente, se hizo corresponsal de guerra. Goebbels había creado un batallón para los corresponsales de guerra. Eran todos periodistas; y fumaban, bebían. Nada de disciplina. Era un batallón cómico. Aun así, mi padre estuvo en el frente en Rusia… Incluso fue herido. Luego Goebbels lo metió en prisión. El general odiaba a mi padre y mi padre odiaba a Goebbels. Pero mi padre también se volvió muy antisoviético. Yo, en cambio, me hice comunista con 13 años; hasta estudié ruso. Y me fui de mi casa porque no aguantaba más. Pero todo es más complejo… La familia de mi padre era de grandes propietarios de minas. Y los católicos del sur de Holanda odiaban a los británicos, porque consideraban que estaban robándoles… El problema de hablar de estos temas es que, al decir que estaban contra británicos, la gente tiende a calificarte de pronazi. En Nueva York no puedo hablar de este tema. Terminarían diciéndome: “Lo que sucedes es que usted es antisemita”. No me ha pasado, pero podría pasarme. Por eso no hablo mucho de eso…

Q: お母様はどんな方だったのですか?
Q: ¿Y su madre?

R: 母は自由気ままに生きる事が大変好きな人で、ボヘミアンな生活を楽しんでいました。父と母が小説家と一緒に映っている写真を何枚か持っています。アイルランドに住んだ後ですら、彼らは未だ反イギリス主義を貫き通していたくらいだったのです。まあ、その様な反イギリス主義は、ホロコーストに対する社会的批判がどんどん高まっていくにつれ、段々と失われていったんですけどね。何故かと言うと、あの時代に反イギリス主義を表明するという事は、それだけでナチス側の人間と見做され、ホロコースト賛同者と見做される時代だったからなのです。その結果、「反イギリス主義反対」という機運が、反イギリス主義者の間にも急速に高まっていく事となりました。そんな空気の中においてさえも、私の両親は自らの考えを変えようとはせず、結局、アイルランドから立ち去る事にしたと言う訳なのです。
R: Mi madre llevaba una vida bohemia. Tengo fotos de mis padres con escritores. Después de vivir en Irlanda, seguían siendo antibritánicos. Eso se pierde luego en Europa por oposición generalizada al Holocausto. Esa nueva negativa domina a la anterior antibritánica. Así es que mis padres decidieron embarcarse.

Q: アルゼンチンに着かれた時、お父様は何をされていたのですか?
Q: Cuando llegan a Argentina, ¿qué hace su padre?

R: えっと、私の父ですか‥‥私の父は、ラテンアメリカに居る独裁者達と友好関係を築こうとしていました。勿論、ペロンともね‥‥。その一方で、彼の心の中には常に何かしら社会主義的なものが残っていた様にも思います。つまり独裁者達と一緒に居た一方で、ブエノスアイレスの港湾都市であるマル・デル・プラタで行われていた労働組合の非合法な会合にも顔を出していたのです。その様な会合に私達幼い姉妹は良く連れて行かれたものです。今にして思えば、私達はカモフラージュに最適だったのでしょうね。
R: Bueno, él… él se hizo amigo de todos los grandes dictadores de América Latina: de Perón… Pero siempre tuvo algo que por ahí era el socialismo. Estaban las dictaduras militares, pero también los sindicatos… reuniones clandestinas en Mar del Plata. Y siempre nos llevaban. Éramos nenas; creo que servíamos de camuflaje.

Q: 両親が反イギリス主義者だったという事や、お父上が独裁者の友人だったという事は、大きくなられてから理解されたのでしょうか?
Q: ¿Todo esto lo ha entendido después?

R: そうですね、その時にそれらの事情が分からなかったという事が、私の人生を決めたという事が出来るかもしれません。と同時に、政治的な動きが私の人生を支配していたという事も出来るのです。私は共産主義者でしたし、その事で両親と対立さえしたのですから。家を出て行きたかったので、貯金したりもしていましたし。結局、親にお金を借りてハンブルグへ行く事にしました。その間、貧困というものを体験し、お腹を空かせたりもしました。パリやトリノで過ごした暗く寒い夜などには、レストランのオーナーと交渉し、一杯のスープを恵んでもらったりしていたのです。アメリカではお金を稼ぐ為に家政婦のバイトをしていたし、アカデミックな学生という顔と家政婦という顔、その二つの顔を同時に持ちながら過ごしていたのです。
R: Eso de no entender me marcó. Pero la política dominaba mi vida. Yo era comunista y me enfrenté a mis padres. Quise irme. Ahorré dinero. Les pedí un préstamo y tomé un barco a Hamburgo. Experimente la pobreza y pasé hambre. En París, en Turín, donde en invierno llegué a un acuerdo con el dueño de una trattoria para que cada noche me diera un plato de sopa. En Estados Unidos, donde me dediqué a limpiar casas. He tenido una vida paralela.

Q: 多くの場合、あなたは固定観念や確立された概念に反対の立場を表明されていますね。例えば、発展途上国への投資は移住者を増加させるだとか、それらの投資は地域経済をダメにするとか。
Q: Usted va a menudo contra los conceptos establecidos. Por ejemplo, defiende que la inversión en los países menos desarrollados aumenta la emigración porque devasta las economías tradicionales.

R: その点については、もう既に自明の事だと思います。発展途上国への投資問題は一見矛盾しているかの様に見えるが故に、大変興味深いものとなっているのです。都市という狭い範囲に限らず、もっと先にある「何か」を都市を通して理解してみたいのです。
R: Eso hoy está comprobado. Puede parecer contradictorio, y por eso me interesa. Uso la ciudad para entender una realidad más allá de lo urbano.

Q: アラブの春はネットが無かったら不可能だったという事は常々言われてきた事ですが、ネットだけでなく都市が無かったとしても、それらは不可能だった様な気がします(アラブの春についてはコチラ:地中海ブログ:スペイン各都市で大規模デモ:「ジャスミン革命がスペインにも飛び火」って言われてるけど・・・)。人々を革命へと導くのに、都市はどの程度まで鍵となるのでしょうか?
Q: Se repite que las movilizaciones del mundo árabe no hubieran sido posibles sin Internet, pero tampoco se podrían haber producido sin las ciudades. ¿Hasta qué punto la ciudad es clave para movilizar a la gente?

R: 都市に沢山の変化が訪れる時、1人では何も出来なかった個人が群衆となり、歴史を築く事が出来る様になるのです。その様な群衆は常に権力を持つとは限らないのですが、個人が群衆になるという事は、「権力の目に付き易い」という事を意味します。つまり都市は非力な個人同士を繋ぎ合わせ、彼らを可視化する許容力があるのです。それは権力者の家の前で抗議活動をするとか、所有者/奴隷といった弁証法に終わる古いモデルとは全く違います。怒れる人々、世の中に不満を持っている人々は、単にその場で声を上げるだけとか、権力が自分達の存在に気づいてくれる事、ただそれだけを望んでいる訳ではありません。彼らはネットワークを築いているのです。都市において権力は見えません。と言うか、権力が見えなくなる事、見えなくする事こそ、都市自身が持つ潜在力であり、都市の特徴となっているとも言えるのです。
R: Cuando hay mucha transformación urbana, el individuo pobre se vuelve multitud y puede hacer historia. Eso no les da necesariamente poder, pero les da capacidad de hacerse presentes. Creo que la ciudad tiene la capacidad de generar redes y hacer presentes, visibles, a los sin poder. No es el viejo modelo de protestar delante de las casas del poder y caer en la dialéctica dueño/esclavo. Los indignados no buscan solamente estar ahí y que el poder los vea. Hacen red. Ahí se ve la capacidad de la ciudad de volver compleja la falta de poder.
| インタビュー集 | 06:59 | comments(7) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
シティ・リージョンという考え方その1:スンド海峡のエレスンド・リージョンについて
前回のエントリで少しだけ書いたのですが、実は昨日からデンマークとスウェーデンに来ています。



目的は今日から開かれているe-Tourism(新しいテクノロジーを活用した観光リサーチ、観光体験そして観光が都市に与える影響などを探る為の新しい手法の提案など)に関する国際会議に出席する為なのですが、今回はゲストとしてお呼ばれしちゃいました。最近、都市計画や建築、もしくは交通に関する国際会議に招かれる事は(大変喜ばしい事ながら)多くなってきたのですが、観光分野からお声が掛かるのは今回が初めて!何でかって、まあ理由は分かってて、現在僕が仕事の方で進めている「ルーブル美術館の歩行者計画」の為なんですね。今まで表立って発表してはこなかったんだけど、実はルーブル美術館とはもうかれこれ2年くらい付き合ってて、パリとバルセロナを行ったり来たりしています。



この計画の詳細については次回以降のエントリに譲る事として、今日は僕が北欧に来るに当たって直面した非常に興味深い現象について少し書いてみようと思います。それは主催者から2ヶ月ほど前に受け取った一通のメールから既に始まっていました:

「クロワッサンさん、来月末に行われる国際会議、前回のメールでお知らせした様に、スウェーデンのHelsingborgという街で行われます。Helsingborgは国としてはスウェーデンに属しているのですが、スンド海峡を挟んだこの辺りはデンマークとの間で公共交通機関が非常に発達しているので、ストックホルム(スウェーデンの首都)に飛んでそこから電車で来るよりも、コペンハーゲン(デンマークの首都)に飛んでそこから電車で来た方が近いですよ。ご参考までに」



そうなんです!実は、今回の国際会議の舞台となっているHelsingborgという街は、国としてはスウェーデンに属しているのですが、この街が立地している辺りはコペンハーゲンを中心としたデンマーク側との社会経済的な結び付きが非常に強く、フィジカルにも欧州一長い橋(全長16キロ)やフェリー等によって結ばれている為、自国の首都に飛んで、そこから電車を使うよりも、隣国のコペンハーゲンに飛んで、そこから電車で行った方がよっぽど早いという一風変わった地域となっているんです。

‥‥っと、ここまで読んできて「あれっ?」って思った人はかなり勘がいい。

そう、実はHelsingbrogという小さな街は、シティ・リージョンで有名なエレスンド(Oresund)・リージョンに属している街なんですよ!

先ず「シティ・リージョンとは一体何か?」と言うとですね、グローバリゼーションが進行し、都市間競争が激化する最中において、パリやロンドンなどといったメガロポリス(=都市を際限無く拡大する事によって競争力を維持する)のではなく、都市の機能を分散させ、その間を発達したインフラ(高速鉄道など)で結ぶ事によって、地域(リージョン)として大都市(メガロポリス)に匹敵する様な競争力を創り出そうという考え方なんです。

では一体何故シティ・リージョンはそれ程までに注目されているのか?

それはシティ・リージョンという考え方が環境問題をも取り込んだ、正にサステイナブルシティの一つの可能性を指し示していると考えられているからです。つまりネットワークの力によって大都市に負けずとも劣らない競争力を創り出す一方で、各都市に注目してみれば、小都市(コンパクトな都市)の強みを生かして緑溢れる環境、メガロポリスでは絶対に実現する事が出来ない「環境的な質」で人々の「生活の質」を向上させ、正にその事によって「緑の競争力」を売りにしていこうという考え方なんですね。



具体的にはオランダのランドスタット、スペインのバスク地方を中心とする都市戦略、そして地中海を共有する様々な都市で創り出されつつある「地中海の弧」などが挙げられるかと思います。特に地中海の弧については当ブログでは散々書いてきたし(地中海ブログ:Euroregion(ユーロリージョン)とカタルーニャの都市戦略:バイオ医療を核としたクラスター形成、地中海ブログ:地中海の弧の連結問題:ペルピニャン−フィゲラス−バルセロナ間の高速鉄道連結計画の裏に見えるもの)、ビルバオのグッゲンハイムの大成功の裏にある都市戦略についても、事ある毎に言及してきました(地中海ブログ:バルセロナの新たなる都市戦略:ビルバオから学ぶバルセロナ都市圏再生の曙、地中海ブログ:ビルバオ・グッゲンハイム効果とジェントリフィケーション)。又、2年くらい前に行ったアムステルダムについての記事の中でも、ランドスタットの事を書いたと思います(地中海ブログ:アムステルダム出張:如何に訪問者にスキマの時間を使って街へ出るというインセンティブを働かせるか?:スキポール空港(Schiphol Airport)の場合、地中海ブログ:欧州工科大学院 (European Institute of Innovation and Technology)の鼓動その2:ネットワーク型システムに基づくシティ・リージョンのようなコンセプトを持つ大学院)。

つまり僕はヨーロッパにおけるシティ・リージョンという現象についてはかなり気を配っている方だと思うんだけど、そんな中でも絶対に訪れたかったのが、このデンマークとスウェーデンの間に広がっているエレスンドだったのです。



何故か?

それは此の地域が達成した地域間協力体制(シティ・リージョン)が、2カ国間の恊働であるにも関わらず、他エリアの追随を許さないほど成功しているという事(普通は一カ国の中の他地域間の交渉でも困難なのに、違う国同士の交渉を巧く纏め上げたという意味において)、架空のアイデアで終わるのではなく、実際に市民の日常生活に多大なる影響を与えているという事、そして何より此の地方が伝統的に育んできた空間計画が巧い事噛み合う事によって、見事な程の空間バランスを達成しているという事が挙げられるかと思います。我らが岡部明子さんもこんな風に書いてらっしゃいます:

「地域発展戦略を成功させるためには、競争力がなくてはならない。他地域からのアクセスや地域内アクセスのよさなど利便性が求められることはいうまでもない。グローバルに競争力のある経済基盤も欠かせない。これらの恵まれた競争条件に加えて広義の空間バランスを競争力に生かそうとしている点が、エレスンド・リージョンの興味深いところだ。」岡部明子、サステイナブルシティ、p207

という訳で今回この地を訪れるに当たって、「せっかく行くんだから、その辺の事も調べてみたいなー」と思ってた所、僕が何かしらのアクションを起こす前に、今回の国際会議の主催者から上述の様なメールを受け取ったという訳なんです。つまりこの出来事が指し示している事、それはそのエリアに住む人達にとっては、2カ国間を行ったり来たりする事が、日常茶飯事になっているという事の証だと思います。

その様なモビリティの高さ、効率の良さについて実際に驚くべき体験してきたので、次回のエントリで詳しく追っていきたいと思います。

シティ・リージョンという考え方その2:エレスンド・リージョンの要、交通インフラの重要性と効率性について:宇宙戦艦ヤマトのコックピットの様なフェリーにちょっと驚いたに続く。
| 都市戦略 | 06:09 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
在バルセロナ&観光客の皆さん注意です!:ランブラス通りで最近増えてきている詐欺行為について
一昨日の新聞(La Vanguardia, 28 de August 2011)に、バルセロナで最近増えてきている犯罪情報が載っていました。当ブログではこれまでにも、観光客の方々やバルセロナ在住の皆さんに向けた「泥棒ちゃん情報」を提供してきたのですが(地中海ブログ:在バルセロナ&観光客の皆さん注意です!:どうやら最近日本人による日本人を狙ったスリが頻発しているらしい、地中海ブログ:在バルセロナ&観光客の皆さん注意です!:バルセロナの地下鉄スリの典型例)、ココの所のメディアを見ていると、どうも今年は例年に比べてスリや空き巣などの軽犯罪が増えてきてるみたいなんですね。

かく云う僕も全く人事では無くって、と言うのも、今月初めの事だったのですが、バルセロナ中を震撼させる様な事件が僕の家の目の前で起こったばかりだったからです。



その日の朝11時頃の事だったと思うのですが、何か違和感を感じ、窓から外を見てみたら、バルセロナを斜めに走る大動脈、ディアゴナル大通りが前面封鎖され、見た事も無い数の警察官と機動隊が集まって来てるじゃないですか!「何だ、何だ?」とか思い、下に降りて行って「あのー、住人なんですけど、何かあったんですか?」って聞いても警察はダンマリを決め込むばかりで何も教えてはくれず・・・。ただただ、「ここは危険ですので安全な場所に避難してください」と、見る見る内に周辺は立ち入り禁止区域に。



そうこうしてたら、ライフルや防弾チョッキで身を固めた機動隊が続々と集まってきて、何やら目の前の建物に突入する様な勢いだったんだけど、「ここに居たらまずいかも」と言う直感が働き、その時はその場を即座に離れました。



で、結局その騒ぎはお昼前には収まったんだけど、関連情報をネットで探した所、どうやらその建物に住んでるルーマニア人が、「同僚に撃たれた!」とか言って、足から血を流しながら近くのカフェに駆け込んだというのが、全ての始まりだったらしいんですね。で、その男の、「犯人は未だ家の中に武装しながら立て篭もっている」と言う証言を基に、警察と機動隊が駆け付けたって事らしいんだけど、奇しくもその日は例のオスロでの大量殺人事件があった日から丁度一週間目に当たる日だったので、「もしかしたらそれ関連では?」と言う憶測が警察内で飛び交い、バルセロナ中の警察がこれ以上は無い武装をしながら駆け付けたって言う事らしいです。僕も初めて見ました、あんなに沢山の機動隊が物凄い武装している姿。

で、結局どうなったのかと言うとですね、気合を入れて部屋に踏み込んではみたものの、そこはモヌケの殻だったそうです。警察のその後の必死の捜索にも関わらず犯人は見つからず、結局警察が辿り着いたのが、「通報してきたルーマニア人の自作自演なのでは」って言う結論らしい(苦笑)。調べによると、どうやら彼は、銃の手入れをしている最中に誤って引き金を引いてしまい、その弾が足に当たちゃってどうしていいか分からず、その言い訳に「撃たれた!」とかいう演技をしながらカフェに駆け込んだのだとか・・・。まあ、大事に至らずに良かった事は良かったんだけど、何ともお騒がせな、バルセロナらしい事件でした(苦笑)。

一昨日の新聞には、これとは又違ったタイプの、って言うか、ある意味これよりも性質の悪いと思われる、最近バルセロナで増えてきている観光客を狙った手口が(警告と共に)紹介されていました。それが行われているのがバルセロナに来た人なら誰もが一度は訪れるランブラス大通りだって言うから驚きです。



歴史的に市民の憩いの場となってきたランブラス通りは、何時の間にかその主役の座を観光客達に奪われてしまい、「街路の真ん中を観光客が、その両脇をカタラン人達が歩いている」と皮肉られる程の状況にまで陥っているのですが、今回の事件は観光客が余りにも増え過ぎてしまったが故に引き起こされた事件と読む事も可能かもしれません。 その舞台がコチラです(写真に写ってる特定のレストランと言う事ではなく、ランブラス通りに面している全てのレストラン)。



一見普通のレストランに見えるのですが、どうやらそこでは、格安のランチ定食を提示しつつ、「あるトリック」を用いて観光客から大金を騙し取るという詐欺に近い行為が白日の下、堂々と行われているそうなんですね。



その手口なのですが、店の前に「今日のランチ定食:1皿目、2皿目&デザート付き(飲み物別)で12ユーロ」と書かれた大きな看板を出しておき、

「おー、ランブラス通りのど真ん中で12ユーロなら破格の値段じゃないですか!」

とか思わしておいて、席に着いた観光客に口頭で飲み物を注文させます。で、普通に「ビール」とか注文すると、馬鹿でかいジョッキが出てきて、それが12ユーロとかするそうなんですね。つまりランチ定食と飲み物が同じ値段に設定されていて、しかもレストランによってはその値段の中に税金が含まれていなかったりするので、最後の会計が30ユーロとかに跳ね上がったりするって訳ですよ!

観光地のレストランって言うのは、どうにかこうにかして利益を上げようとするのは分り切ってる事で、ランチ定食の中に飲み物が含まれて無い事や、表示されてる値段の中に税金が含まれてないってのもバルセロナではそれ程珍しくはないんだけど、ランブラス通りで行われている事は、かなりあくどいと言わざるを得ません。誰もビールが一杯12ユーロもするなんて思いませんからね。しかも確信犯的に、飲み物の値段が書かれたメニューを見せないで、「口頭で」飲み物を注文させている所がポイント。こうする事で、「悪いのはあくまでも値段を見ずに注文した観光客の方だ!」という姿勢を見せている訳ですよ。

では、これを避ける為にはどうすれば良いのか?

解決法は簡単で、レストランで何かを注文する時は、必ず値段付きのメニューを見てからオーダーをする事だと思います。で、更に、会計の際には必ず自分が頼んだものと値段が合っているかをチェックする事。そして間違っていた場合には、必ずクレームを付ける事。

今回のこの一件は、21世紀最大の産業であり、都市が発展する為には絶対に避けては通れない「観光と言う現象」が引き起こした弊害と見る事も出来ます(地中海ブログ:都市の闇:ヴェネチア(Venezia)の裏の顔とジェントリフィケーション(Gentrification))。そしてそれは観光が激化していけば行くほど、つまり都市が発展すればする程、様々な新しい事例が出てくると考えられるんですね。そういう意味において、世界的な観光地と化してしまったバルセロナの中心街は、世界に先駆けてこの様な負の事例が出てくるショーケースと成り得るのかもしれません。とにもかくにも、観光客の皆さんは十分に注意してください。
| バルセロナ日常 | 07:28 | comments(4) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
グラシア地区祭り:バルセロナの歩行者空間プロジェクトの責任者だったけど、何か質問ある?

街路の飾り付けなどが結構凄いと評判の、バルセロナのグラシア地区祭りに行ってきました。って言っても先週の話なんですけどね。何で先週のネタを今頃になって書いてるかって、何か最近、ミーティングやら何やらでハチャメチャに忙しくって、なかなかこの話題を書く時間が無かったからです。最近余りにも暑いので、夏バテって噂もあるんですけど(苦笑)。

グラシア地区といえば、アーティストや映画関係者を中心としたクリエーター関係の人達が多く住んでいたり、エラスムスなんかで来ている学生にとっては、「市内で住みたい地区ナンバーワン」に選ばれる程お洒落な地区として知られてるんだけど(地中海ブログ:ちょっと気になる広告:エラスムス(ヨーロッパの大学間交換留学プログラム:The European Community Action Scheme for the Mobility of University Students : ERASMUS)の実態???)、この地区にこれ程の賑わいを齎しているのは、地区全体の街路レベルに入っている店舗の数とその多様性、そしてそこに広がる歩行者空間だと思うんですね。



グラシア地区って数年前までは細い街路にさえも沢山の車が入り込んでて、正に「公共空間が車に乗っ取られてる」って言う典型的な状態だったんだけど、その様な「街路=公共空間を人々の手に取り戻そう!(岡部明子さん)」と、地区内への車の出入りを禁止して、住民が安心して歩いて暮らせる街路空間に生まれ変わらせるという計画が数年前に持ち上がりました。その計画が実行されて以来、この地区には沢山の魅力的なお店がオープンしだし、それにつれてバルセロナ中から人々が集まる様になり、その相乗効果でバルセロナでも一、二を争う程のお洒落な地区に変貌を遂げたと言う訳なんです。



まあ、つまりはこの地区の公共空間政策は大成功で、その証拠に、この辺りの地価っていうのは軒並み上がってて、云わばジェントリフィケーションの傾向が見られる訳なんだけど、このグラシア地区の歩行者空間計画の責任者してたのって、実は僕なんですよね(地中海ブログ:バルセロナモデル:グラシア地区再開発)。嘘の様なホントの話(笑)。

多分、このブログの読者の皆さんなんて、「えー、cruasanって、日中はコーヒーばっかり飲んで、夜はパエリアを食べまくって、「美味しいー!」とか、かなり適当なコメントしてる人じゃないのー?」とか、「年がら年中休みで、その度に旅行ばっかり行ってて、何時働いてるか分からないー!」とか思ってる人、多いんじゃないでしょうか?・・・し、失礼な、冗談じゃない!当たってます(苦笑)。

最近、夕涼みにと思って「ダンテの神曲、地獄篇」を読み返してるんだけど、「cruasanがパエリアばっかり食べてノホホンとしてる」とか思ってるあなた、ダンテと一緒に地獄に落ちてください(笑)。ちなみにスペイン語版の「ダンテ神曲、地獄篇」の挿絵を書いているのは、今やヨーロッパを代表するカタラン人アーティスト、ミケル・バルセロ氏です(地中海ブログ:スペインを代表する現代アーティスト、ミケル・バルセロ(Miquel Barcelo)の展覧会:La Solitude Organisative)。このスペイン語版のダンテ神曲は、ミケル・バルセロ氏の絵を見るだけでも価値ある書籍となっていると思います。



こんな味のある挿絵の数々が差し込まれている事などから、スペイン語が読めなくても十分、ヴィジュアル的に楽しめる本となっているんですね。

さて、で、今日の本題なんだけど、上にも書いた様に最近は本当に忙しかったので、日中はゆっくりとお祭りを見に行く事が出来ず、結局行く事が出来たのは最終日の深夜0時を過ぎた頃でした。でも、そこはやっぱりラテン系!深夜になってもお祭りは収束の気配を全く見せず、逆に駅から地区内へと流れ込んで来る人の波が段々と多くなってくる程で、今正にお祭りは盛り上がりの絶頂を迎えようとしている所でした。



しかもその辺の広場では子供達がサッカーボールとか蹴って遊んでるし・・・夜の3時過ぎですよ!良い子は寝る時間でしょ?「こんな環境の中からメッシとか出てくるのかなー」とか思って、妙に納得してしまった。そんな永遠に続くかの様なお祭りの背景を演出しているのが街路中に所狭しと飾り付けられた出し物達なんだけど、これがちょっと凄いんです:



各街路毎に個性があって、こんな感じで大変手の込んだ作品に仕上がっているんですね。そしてそこではミニコンサートなんかが開かれていて、その音楽性によって、まるで各街路の特徴が醸し出されているかの様ですらありました。



キャラクター関連も沢山あったんだけど、ピーターパンとか宇宙人とか、聞く所によると、この飾り付けを用意する為に、近隣住民が街路毎に1年も前から着々と準備を進めてきたのだとか。これなんて、本当に綺麗だった:



暗闇の中に浮かび上がる灯篭みたいなものが、まるで我々を幻想の世界に運んでいってくれるかの様で、体感気温が5度は下がった様な気がします(笑)。



今回は本当に時間が無くてホンの一部しか見る事が出来なかったんだけど、久しぶりに良いものを見させてもらったなー。

グローバリゼーションが世界中を席巻し、隣に住んでいる人の顔さえ知らないという状況が当たり前になってきている今の世の中において、このようなローカルなお祭りが今でも残っているという事、そしてそれが近隣住民主導で行われているという事は、この地区には依然として近隣住民の確固としたネットワークが残っていて、それが非常に活発且つ、精力的に働いているという事を意味するんですね。そんな住民側からのソフトパワーがあるからこそ、この地区の歩行者空間計画と言うハードな計画は成功したんだと思います。そしてそれこそが、今世紀最大の課題であり、我々の都市が必然的に抱えてしまう都市の闇、ジェントリフィケーションに対抗する一つの手段なのかもしれません(地中海ブログ:都市の闇:ヴェネチア(Venezia)の裏の顔とジェントリフィケーション(Gentrification))。

「街路における活気が生まれてくる背景には近隣住民の固い絆があり、歩行者空間計画というハード面での改善は単に彼らの背中を押すに過ぎない」と言う僕の仮説は間違ってなかった。あの計画から早5年、今やっと、あの時の仮説が住民達の目に見え始めようとしています。

追記(2015年8月18日)
今年のverdid通りの飾り付けのテーマは「日本」だそうです。で、これが結構よく出来てる!




鳥居には「ベルデイ」の文字が!上手く書けてる。もし「イ」が「ィ」だったら完璧(笑)。いたる所に日本語が乱立してて、これはこれで結構面白い:



「地元愛」っていうところが、このエリアを愛する人達の心情がよく出てて良かったかな。



そして海外の人達に大人気の伏見稲荷大社の登場〜。



お相撲さんも居たりします。
Verdi通りは今年の大賞を受賞したそうです。おめでとー。

追記その2(2016年8月21日)

今年も夏の風物詩、グラシア地区祭がやってきました!
このお祭りがやってくると、「あー、夏もそろそろ終わりだなー」とか思います。

今年も非常に手の込んだ飾り付けをゆっくりと楽しませてもらいました。

その中でも特に印象に残ったのがこちら:

じゃーん、Rovira i Trias広場のラピュタのロボット(笑)。肩に草が生えてることから、このロボットは空中庭園を守るロボットですね。花とかあげてるしww

しかも結構良く出来る!

どうやらこの広場の飾り付けのコンセプトが「自然との共生」ということらしく、その自然を守る為のシンボルとしてラピュタのロボットを作ったのだとか(その辺に居た子供達談)。

 

| バルセロナ都市計画 | 03:52 | comments(5) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ロンドン出張その3:ロンドンの戦略的眺望、ビューコントロールの賜物の風景
今回の出張は日程が結構キツキツで、殆ど何処も見て回る事は出来なかったのですが、それでも2日目の朝はちょっと早起きして、テムズ川沿いを歩いてみました。



朝日が川面をキラキラさせ、夜とは又違った良さがありますね。川岸は遊歩道が整備されてて、ランニングしてる人とかもいて、結構気持ち良さそう。

さて、僕と同年代の人達の記憶にこのテムズ川が登場するのは多分「キン肉マン」を通してだと思うのですが、と言うのも、今でも一部のマニアの間では絶大な人気を誇るキャラクター、ネプチューンマンが強さを求めるあまり身を投げた川、それがテムズ川だったからです。そしてその身投げした川底で出遭ったのが、何を隠そうパーフェクト超人のドン、ネプチューンキング。彼は何と10万年もの間、テムズの川底で強き男を待ち続けていたというから驚きです。でも、「10万年も前にテムズ川なんて、本当にあったのか?」とか思ってWikiを見てみると:

“今から60万年前の更新世の氷河期の時、475千年前のアングリカン氷河作用により大きく地形が変えられる前のテムズ川は、ウェールズからクラクトン・オン・シーを通り、現在では北海となっている地域を通りライン川に流れ込む支流の1つであった。・・・・・40万年前に氷河期が終わると、テムズ川は現在と同じ流れを通るようになった。”

とかある。うーん、確かにテムズ川自体は40万年くらい前には存在してたみたいなんだけど、そこに人が住み始めるのはせいぜいローマ、もしくはその前のケルトくらいからだと思うので、ネプチューンキングさん、あなた一体何処で何を待ってたの?って話なんですけどね(笑)。

冗談はコレくらいにして、今回はバロック様式の代表作であり、クリストファー・レン(Sir Christopher Wren)の傑作であるセント・ポール大聖堂(St Paul’s Cathedral)からノーマン・フォスターがデザインした橋(ミレニアムブリッジ)を渡り、テートモダンまでを歩いてみました。先ず、セント・ポール大聖堂なのですが、もう、存在感が圧倒的です:



そしてこの大聖堂の前に設けられたちょっとした広場&街路がものすごく良い空間を醸し出している。ここを出発点としてテムズ川に向かって歩いていく訳なのですが、橋を通して向こう側にはガラスの箱を両肩に載せているテートモダンがチラチラ見え隠れしています。



セント・ポール大聖堂とテートモダンの軸が微妙にズレてるのは偶然だとは思うんだけど、個人的にはコレくらいズレてる方が「コレだ、コレだ!」と主張し過ぎと言う事も無く好きですけどね。川へのアプローチをドラマチックにするのに大変貢献していると思われる、両脇に展開する町並みなんかは最近再開発されたと思われるのですが、新しくオシャレな店やオフィスなんかがバンバン入ってました。個人的には「この辺りのジェントリフィケーションの状況とかどうなってるのかなー?」とか思っちゃうんだけど、今回はパス。そして辿り着くのがココ:



テムズ川越しに見えるテートモダンの姿はナカナカ圧巻です。そして振り返るとこの風景:



この風景を最大限に見せる為に出来る限り橋の高さを抑え、「ヘンテコな構造物が美しい風景を妨げない様にしたんだろうなー、」と言う事が橋の隅々から伺えます。まあロンドンには(確か)「戦略的眺望」とか言う歴史的景観を保存する為の建築物の高さ制限に関する法律があったと思うんだけど、それが定められるキッカケもしくは基準となったのが、セント・ポール大聖堂だったんですね。つまり、ロンドン市民の心象風景たるセント・ポール大聖堂はロンドン市内の何処からでも見る事が出来なければならないって言うアイデアに基づいていて、こういうのを「ビューコントロール」とか言うらしい。



そういう観点からミレニアムブリッジをもう一度見てみると、風景を壊さない為の努力というか仕事量が、一見単純そうに見えるこの橋の隅々に満ち溢れている気がします。



まあ、単純なもの程それを実現する為には途方も無い仕事量が注ぎ込まれていると言うのは世の常だと思うのですが、それがもっとはっきりとした形で見えるのがテートモダンの両肩に載ってるガラスの箱だと思います。至極単純な四角い箱を実現する為には、それこそ膨大なディテールがその下には隠れているんだろうなー、と言う事を予感させるに十分です。



ミレニアムブリッジに関して言えば、ノーマン・フォスターはこの橋に展開する物語を結構良く考えていて、セント・ポール大聖堂からテートに向かった時、ブリッジを普通に渡して終わりにせずに、わざわざ一回、セント・ポールの方に折り返して終わっています:



つまり、長い橋を渡り終わった際、「もう一回、セント・ポール大聖堂をドラマチックに見せて終わる」という物語が展開している訳なんですよ。たったこれだけの操作なんですが、そこを歩く人が見る風景、もしくはその人の心に刻まれる風景には劇的な変化を起こさせるんですね。この辺りはさすがに上手いなー。今回は時間の都合でこの建築しか見れなかったのですが、この辺りは見所満載で、これだけでもお腹一杯と言う感じでした。ロンドン又来たい!!
| 旅行記:建築 | 21:16 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
2009年のスペイン観光事情と21世紀の都市問題について
先週の新聞(La Vanguardia, 31 de Enero 2010)に2009年のスペイン観光動向情報が載っていました。

観光は21世紀最大と言われている産業であり、ここカタルーニャにおいてはカタルーニャ経済を支える3大柱の一つにまでなっている程なんですね(地中海ブログ:移民について:カタルーニャの矛盾)。更に現在ヨーロッパの都市で見られるほとんどの都市現象は観光に関連するものであると言っても過言では無いと思われる事から、当ブログでは定期的に観光における定点観測を行っています。

さて、スペインでは「太陽とビーチ(Sol y Playa)」をモデルとして観光産業は90年代から順調に発展してきた訳なのですが、そういう大局的な目で見た場合、去年(2009年)の特徴は何と言っても「最悪の年」の一言でした。新聞の見出しも:

観光:最も暗かった年(TURISMO, El ano mas negro

とかなり直接的。やはり経済危機や、その前から顕著だったスペインの不動産バブルの崩壊などの影響が劇的に観光産業にも及んだ年だったようです。

数字で見るとそのすごさが一目で分かるのですが、一昨年の同じ時期(2008年)に比べて、去年スペインを訪れた観光客数は9%の減少、国内総生産(GDP)に占める観光の割合は5.6%減少し、換算すると50億円近く(6.380M Euro)の損失を被ったという事でした。

2000
年初頭からのもう少し詳しい観光動向を見てみるとスペインにおける観光産業の成長過程が良く分かると思うのですが、驚くべき事にGDPのピークは2000年なんですね。その一方で、当時の観光客数は4820万人止まりで、観光関連の雇用も140万人に留まっています。観光客数がピークに達するのは2007年で、その数なんと5920万人。GDPのピークは前述した様に2000年がピークだったのですが、観光関連の雇用数がピークになったのは、2004年と2006年で共に10.9%を示しています。

ちょっと深刻なのが観光客数の動向で、2000年から2007年までは毎年3%前後の成長を示していたのが、2008年は2.3%の減少、そして2009年に至っては8.7%の減少となっています。10年間くらいのスパンで見た場合、やはりこの下げ幅は尋常では無い事が分かるかと思われます。

ここまで書いて、引っかかる事が一つあるんだけど、それは観光客数とGDPの割合の不釣合いです。観光客の増加に伴って雇用数はそれに比例する様に増加してるんだけど、何故かGDPは緩やかな減少を示している。

何故か?

詳しくは分からないのですが、コレって近年見るチープ観光の影響なのでは無いのでしょうか?(チープ観光についてはコチラ:地中海ブログ:観光とチープエコノミー:ライアンエアー(Ryanair)などの格安航空機が都市にもたらす弊害)つまりライアンエアーがロンドン−バルセロナ間、5ユーロとかいう訳の分からない価格で飛行機チケットを販売したり、ホテルやレストランなどもどんどんとファーストフードやジャンクフードの様相を呈してきたりしている。更に深刻なのが、以前紹介した金曜日の夜に来て金曜、土曜とクラブで踊りまくったり、公共空間で一晩中ビールを飲みながら騒ぎまくって、そのまま日曜日の昼にライアンエアーでトンボ帰りするという、究極のローコスト観光が出てきた事です。そういう悪影響が引き起こした最近の現象が、中心市街地の質的悪化である事は以前書いた通りです(地中海ブログ:バルセロナの中心市街地で新たな現象が起こりつつある予感がするその3:街頭売春が引き起こした公共空間の劣化など

これらはかなり極端な例にしても、観光という現象の多くがローコスト化に向かっているのは確かだと思うんですね。そうすると、いくら都市が観光客を惹き付けたって、思った程のお金は落としてくれないわ、都市の資源を無駄使いするわ、騒音やゴミなど都市にとってはありがたくないお土産だけ置いていくわという、市役所側としては大変頭の痛い問題が発生してきている訳ですよ。例えばこんな感じで:

“2007年、バレンシアを訪れた65%の観光客は滞在に1ユーロも使わな かった。格安航空は製品の地盤沈下を引き起こしている。つまり観光客は製品を消費しなくなった代わりに、ビーチを占有し、水や電気を消費しゴミを出す。様 々な都市の生活インフラを崩壊させるのである。

“ En 2007, el 65% de los turistas que llegaron a Valencia no se gasto ni un euro en alojamiento. Los vuelos de bajo coste hunden el producto: un turista que no gasta, pero que llena las playas, colapsa las infraestructuras, consume agua, electricidad y genera basuras”. (El Pais, P31, 5 de marzo 2009)

多分、21世紀の都市が直面するのがこれら観光に付随する都市問題とその解決法だと思われます。それは1980年代からヨーロッパ都市が行ってきた観光を軸とする都市活性化とは又違ったレベルの話であり、中心市街地への公共空間挿入によるシャッター通りの再活性化ほど単純には答えの出ない問題だと思うんですね。ジェントリフィケーション、街頭売春、騒音、ゴミ、交通・・・頭の痛い問題多しです。

付録:スペインの観光関連動向

年:海外からの観光客数、成長率、雇用率、GDP

2000: 48.2, +3%, 1.4 Millones, 11.6%

2001: 49.5, +0.8%, 1.5 Millones, 11.5%

2002: 51.7, +3.3%, 1.5 millones, 11.1%

2003: 52.4, +0.3%, 1.6 Millones, 11.0%

2004: 53.6, +3.4%, 1.7Millones, 10.9%

2005: 55.6, +6%, 2.3 Millones, 10.8%

2006: 58.4, +4.5%, 2.5Millones, 10.9%

2007: 59.2, +1.7%, 2.6Millines, 10.8%

2008: 57.3, -2.3%, 2.6 Milliones, 10.5%

2009: 52.2, -8.7%, 2.3 Millines,

| 都市戦略 | 20:25 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
バルセロナ賃貸住宅事情:2009年第三期四半期
今日の新聞(La Vanguardia, 15 de Diciembre 2009)2009年第三期四半期のバルセロナの賃貸住宅事情に関する記事が載っていました。

スペインにおいて住宅問題はテロに次ぐ最重要課題であり、それらを巡る市民の動向などを見ていると、それこそ正に戦争の様相を呈していると言っても過言では無いんですね。だから賃貸住宅を専門に扱ったIdealista.comのようなサイトが、スペインにおいて近年稀に見る大成功を収めているのも、何も偶然ではありません。これこそスペインの文化社会的な特徴を良く表している「メイド・イン・スペイン」と言えるんじゃ無いかと思います。来年の上海Expo2010も、メイド・イン・スペイン(カタルーニャ)とか宣伝したいんだったら、Idealista.comとか前面に押し出したら良いんじゃないですか?ちなみに上海では今、住宅バブル真っ最中だそうです。先週お会いした中国政府の人達もみんな、数年前に住宅を購入済みで、今その価格が23倍になってるとかで、すごい喜んでいましたし(笑)。

さて、本題のバルセロナの賃貸価格なのですが、ずばり今期の特徴は「下落」の一言に尽きます。前期の特徴が「考えられない程の上昇」だった事を考えると、全くもって住宅価格は予想出来ない動きを見せていますね(地中海ブログ:バルセロナ賃貸住宅価格事情:2009年第二期四半期)。

市内の賃貸平均価格は去年の同じ時期に比べて5.2%減少の1.053ユーロになっています(2008年第三期四半期は1.115ユーロ)。そして今回の大きな特徴として(上述した様に)グラシア地区を除く全てのエリアで賃貸価格が下落している事が挙げられかと思われます。その中でも一番下げ幅が大きいのが歴史的中心地区(Ciudad Vella)で16.7%も下落しているんですね。この地区はデータとして見ると、前回も前々回も下がってる。これはやはり、この所見られる「地区の劣化」とそれに伴う「住みにくさ」が価格に反映されてきていると言う事なのでしょうか(地中海ブログ:バルセロナの中心市街地で新たな現象が起こりつつある予感がするその1:ジェントリフィケーションとその向こう側)。市内では一番賃貸料が安いエリアであるNou Barrisも前年同時期比で10,6%の下落かー(829,52ユーロ)。

逆に上昇傾向を見てみると、前回、「信じられない程の上昇」を示し、Sarria地区から首位を奪ったLes Corts地区が、前年同時期比で4,8%の下落(1282,94ユーロ)を見せ、あっけなく2位に転落しました。そして今回首位に再び返り咲いたのが、言わずと知れたSarria地区です。前年同時期比では1%の下落となっていますが、2位のLes Corts地区に約75ユーロもの差をつけて、圧倒的な勢いで一位に躍り出ています(1357,15ユーロ)。やっぱ強いなー。さすがに山の手のお金持ちが住むエリアだけあるわ。

そしてもう一つの特徴が賃貸住宅契約数の増加です。驚くべき事に前年同時期比で契約数が20%も増加しているんですね。20%増加って、すごいですよね。都市商工会議所(Cambra de la Propietat Urbana)によると、「この数字はバルセロナにおける賃貸住宅市場が爆発的な拡大を謳歌している時期を示している(confirma el momento expansivo que vive el mercado de alguiler residencial en Barcelona)」とコメントを発表しています。

関連情報

地中海ブログ:バルセロナ賃貸住宅価格事情:2009年第二期四半期

地中海ブログ:バルセロナ賃貸住宅価格事情:2009年第一期四半期
地中海ブログ:ローコスト新築・中古住宅販売会(El salon de oportunidades inmobiliarias, Low Cost)
地中海ブログ:スペインの新築・賃貸住宅のドキュメンタリー (Callejeros: Alquilado, Viernes 13 de febrero a las 22h30, TV Cuatro)
地中海ブログ:バルセロナの住宅問題
地中海ブログ:バルセロナの住宅事情2
地中海ブログ:バルセロナ賃貸住宅価格事情と新築価格事情
地中海ブログ:バルセロナ賃貸住宅価格事情その2

バルセロナ市内街区別賃貸価格リスト
街区名   賃貸価格  上昇(減少)率  平方メートル辺り賃貸価格

平均賃貸価格1.052,98Euro -5,2% 16,01Euro
Sarria-Sant Gervasi 1.357,15Euro -1%, 16,90 Euro
Les corts 1.282,94 Euro -4,5%, 18,13Euro
Eixample 1.155,23Euro -3%, 15,90Euro
Sant Marti 1.053,10Euro -4,6% 16,10Euro
Gracia 1.013,52Euro 1,5%, 17,66Euro

Sant Andreu 945,51Euro -5,4% 14,80Euro
Sants-Montjuic 944,78Euro -4,5% 16,10Euro
Horta-Guinardo 939,96Euro -5,1% 15,53Euro
Ciutat Vella 921,65Euro -16,7% 15,32Euro
Nou Barris 829,52Euro -10,6% 14,14Euro

| バルセロナ住宅事情 | 20:50 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
バルセロナの中心市街地で新たな現象が起こりつつある予感がするその2:逆ジャントリフィケーション
前回のエントリ、バルセロナの中心市街地で新たな現象が起こりつつある予感がするその1:ジェントリフィケーションの続きです。

僕が「ちょっとオカシイかな?」と思い始めたのは、夏休みが明けた9月上旬、丁度日本から帰国したその日の新聞を見た時でした。その新聞には毎晩ボケリア市場(el Mercado de la Boqueria)の闇で繰り広げられる「売春」の酷さを嘆く記事が、大変ショッキングな写真と共に紹介されていたんですね。



それからというもの、世界一の歩行者空間と言われたランブラス通りの汚さやバルセロナ現代美術館前広場のゴミ溜と化した状況、バルセロナの至宝、旧市街地に散らばる公共空間で毎晩の様に繰り広げられる品の無い行為などが、連日の様に報道される様になりました。

何が原因でこのような状況に陥ったのか?という事は簡単には言えません。都市の観光化、ジェントリフィケーション、そして最近の新しい傾向であるチープ観光など、それらが複雑に絡み合った結果、今の様な状況が創り出されたと言えるのかもしれません(チープ観光についてはコチラ:地中海ブログ:観光とチープエコノミー:ライアンエアー(Ryanair)などの格安航空機が都市にもたらす弊害)。特に諸刃の剣である観光の力と、現在の魔物であるジェントリフィケーションについては、今の所、都市としては有効な対処手段を持っていません。だから僕は以前のエントリでこんな風に書きました:

「一匹の妖怪がヨーロッパを徘徊している。ジェントリフィケーションという妖怪が」 
地中海ブログ:都市の闇:ヴェネチア(Venezia)の裏の顔とジェントリフィケーション(Gentrification)

今僕達が目にしているのは、正にその妖怪が暴れ回り、辺りを食い散らかしている様子だと言えます。

元々バルセロナは、というより、都市再生を実行している全ての都市がそうだと思うのですが、ジェントリフィケーションを意図的に引き起こした感があります。何故なら一度見捨てた地区に、富裕層が再び集まって来るという事は、再生が成功した指標足り得るからです。この意味においてバルセロナは明らかに成功していました。しかし、今現在起こっている現象というのは、逆ジェントリフィケーション、つまり、再び富裕層が歴史的中心地区を見捨てていくという現象です。何故か?それは街路や広場が余りにも汚く、住みにくくなってきたからです。では、何故コレは起こったのか?上述した様に、その答えは簡単には見つからないのですが、僕がずーっと注目していたのは「風俗」、その中でも街路売春と言われる「立ちんぼ」がこの新しい事態に深く関わっているのではないのか?という事です。

バルセロナの中心市街地で新たな現象が起こりつつある予感がするその2:風俗についてに続く
| バルセロナ都市 | 00:52 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
バルセロナの中心市街地で新たな現象が起こりつつある予感がするその1:ジェントリフィケーションとその向こう側
バルセロナという都市は、その着実な都市戦略と秀逸な都市再生計画において、欧州の中でも他都市の「再生モデル」に足り得る存在として、常にトップを走ってきました。1987年に米ハーバード大学から授与された都市デザイン賞や、それまでは個人にしか与えられていなかった英国の国立英国建築家協会(RIBA)賞が初めてバルセロナという都市自身に贈られるという名誉まで授かった程なんですね(詳しくはコチラ:地中海ブログ:EUプロジェクト、ICING (Innovative Cities for the Next Generation)最終レビュー、地中海ブログ:それでも恋するバルセロナ:ヴィッキー・クリスティーナ・バルセロナ(Vicky Cristina Barcelona)その2:都市のイメージ)。

バルセロナに限らず、ヨーロッパの諸都市は20世紀の最後の20年くらいを都市再生に重きを置いて凄まじいまでの努力をして来たと言えると思うのですが、その成功の鍵と、成功の度合いを測る「指標」となるのは、歴史的中心市街地においてであると言われています。

“ヨーロッパでは、「都市戦略の真価は、空洞化した歴史中心地区で試される」とよく言われる。”
岡部明子「サステイナブルシティ、EUの地域・環境戦略」、P18


何故か?

何故なら歴史的中心地区には現代都市が抱える諸問題が凝縮されているからです。バルセロナの例を見ると、今でこそランブラ・デ・ラバル(Rambla de RAVAL)とかピカソ美術館の辺りなんて言うのは、押しも押されぬバルセロナの人気観光スポットになっているのですが、僕が来た当初(つまり今からほんの数年前までは)「絶対に近寄っちゃダメ区域」に指定されていたくらいです。

ヨーロッパ都市というのは、このような「負の面」を歴史的中心地区のどこかに必ず持っています。そしてそのエリアを上手い事観光ルートから外したり、覆面を被せる事によって観光客なんかには見せない様に努力してるんだけど、賑やかな観光通りから一本奥に入っただけで、その都市のドロドロとした所が見えて来たり、中世を再現した様な完璧な歩行者空間の合間から「ちらっ」と暗闇を覗くと、そこに風通しの悪そうな不快感度150%くらいの密集地域があったりするのがヨーロッパの都市なのです。

このような棲み分け、「華やかな観光」と「貧困層」が隣り合わせに共存している状態はどのように作り出されたのでしょうか?

人類というのは何時の時代も自分を正当化する為に、自身を映し出す鏡として悪者を創り出してきました。中世においてはそれが「蛮族」であったり、「魔女」であったり、「悪魔」であったりしてきた訳で、それらが入ってこれないような城壁を築き上げる事で敵の侵略から己を守ってきたのです。
現代都市がやっている事も実はコレと全く同じで、「蛮族=貧困層」が入って来れない「見えない現代の壁(境界線)」を取り決めて、その中に資本を集中投下する事によって、「見かけだけ」都市の顔をキレイにしてきたんですね。現代の都市再生とはそういう事です。





近年のグローバリゼーションが作り出したこのような二極化の本質は、上述の写真の中で起こっている事と全く同じであり、現在都市で行われている事も、本質的には変わらないと言っても過言では無いと思います。

この空間(上の写真)には2つのクラスが存在しています。一つは暖房の効いた オフィス内で働くホワイトカラー。もう一つは空間の外で危険を冒しながらガラスを拭いているブルーカラーの労働者。同じ空間に属しながらもこの2つのクラ スの間には見えない深い溝が存在しているんですね。この仕切り(ガラス)はとても薄く透明であるにも関わらず、決して乗り越える事の出来ない壁な訳です。

さて、現代都市に話を戻すと、都市には蛮族を排除する「正当な理由」が存在しました。それは観光を促進する事で新たなる雇用を作り出す事と、都市に多額の外貨を落としてもらい、都市の歳入を増やすと言う二つの言い訳です。そして都市の中で一番観光客を引っ張ってこられる場所、観光客の視線が最も向く場所、それが歴史的中心地区であった訳です。

(そして同時に、ここには市当局の都市に対する価値観の変化が如実に読み取れます。つまり、戦後、「無価値」と烙印を押した歴史的中心地区に、「観光という魔物を引き寄せるだけの価値がある」と認識し始めたターニングポイントがあるという事です。)

それからというもの、ヨーロッパの各都市は観光客を呼び込み、出来るだけお金を落としてもらうという目的の為に、一心不乱で、崩壊しかけていた広場を奇麗にし、公共空間を囲む建物のファサードに磨きをかけ、美術館を誘致したりした結果、オシャレなカフェやレストラン、デザイナーや建築家のオフィスが立ち並ぶという非常に理想的な状況を創り上げる事に成功しました。すると、そのような活況を帯びたエリアに住む事を熱望するクリエーターや学生、お金持ちなどがこぞって歴史的中心地区に戻ってくるという現象が起こり始めたんですね。これを我々はジェントリフィケーションと呼んでいます(詳しくはコチラ:地中海ブログ:ビルバオ・グッゲンハイム効果とジェントリフィケーション、地中海ブログ:22@BCNとジェントリフィケーションなど)。

しかしですね、どうもこのような状況に最近少し変化が見られるようになってきました。

バルセロナの中心市街地で新たな現象が起こりつつある予感がするその2:逆ジャントリフィケーションに続く
| バルセロナ都市 | 21:00 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ゲーリー(Frank Gehry)のサグレラ駅周辺(Entorno de la Sagrera)プロジェクト、経済危機の為ストップ
昨日の新聞(La Vanguardia, 11 de marzo 2009)にゲーリー(Frank Gehry)の進めているサグレラプロジェクト(Entorno de la Sagrera)が経済危機の為にストップしたという記事が載っていました。以前から巷で囁かれてはいたのですが、公式に発表されたのは初めてだと思います。

都市戦略という観点から見たサグレラ周辺計画の意味付けや、ゲーリーの建築が表象する社会文化的な意味などについては、以前のエントリ等で散々書いた気がします。(バルセロナの新たなる都市戦略:ビルバオから学ぶバルセロナ都市圏再生の曙:地中海ブログ、フランクフルト旅行その2:未来都市としての広告都市:地中海ブログ、ビルバオ・グッゲンハイム効果とジェントリフィケーション:地中海ブログ、Berlinその4:広告としての建築・建築化する広告その1:地中海ブログなど)

なんだかんだ言っても、ゲーリーは今世紀を代表する巨匠ですから、知らず知らずの内に結構彼の建築には言及してるんですね。

昨日の記事では何故計画がストップしたのか?と言う事について「お金が掛かり過ぎる上に、用途が明確では無い」と言う事が挙げられていました。「え、用途って明確じゃ無かったの?」と、驚き桃の木なのですが、何でもオフィス60%、ホテル40%(もしくはその逆)というくらい、大雑把な決め方だったらしい。その上、4億ユーロ(1ユーロ=120円で計算して480億円)も掛かるんじゃ、そりゃストップするわな、と言う感じでしょうか。



さて、このゲーリーによるプロジェクトには興味深い事に「花嫁(La Novia)」というあだ名が付いています。一番高い高層棟を人と見立てた時に、その後ろに段々と低くなっていくビル郡があたかも花嫁のウェディングドレスの様に見えるかららしいんですね。そして少し離れて建つジャン・ヌーベル(Jean Nouvel)のアグバー・タワー(Torre Agbar)を男性のシンボルと見立てて、「新婚初夜」とか言ってバルセロナっ子ははしゃいでいます(笑)。



ちなみに建設中のアグバータワーは、こんな風になってて、「コンドームをはめた様だ」と皆言っていました(笑)。

プラハ(Praha)に行った時に同じくゲーリー設計の建築を見たのですが、この建築にも「ダンシングビル」というあだ名が付いている様です。







多分、クネクネとうねった躯体を指して色んなあだ名が付いたとは思うのですが、これらの名前はともかく、「あだ名が付く」という現象が面白いですよね。

僕達の子供の頃を思い出して見ると良く分かると思うのですが、僕達が何かにあだ名を付ける時、他とは違った特徴を取り出して、それを誇張するかのように付けるのが一般的だと思われます。そしてそれらの特徴は誰が見ても納得する程のモノであるという所がキーポイント。そう、あだ名とは皆が皆、無意識下に感じていた事を巧く言い当てた時、とても普及するものなのです。

さて、コレを僕達の関心に読み替えるとどうなるか?

都市というコンテクストに対してこのようなあだ名が一般に普及すると言う事は、その下地となる都市への認識を市民一般が共有していると言う事を表していると思うんですね。上述の建築を男性・女性に見立てた遊びは一見馬鹿げた遊びに見えますが、良く考えてみるとコレは結構高度な都市認識が無いと成り立たないんじゃないのかな?



何故ならあそこにあんな形のビルが建ち、あそこにはあんな形の塔があるので、ココとココを結ぶとまるで花嫁と花婿のようなイメージになる、というのを頭の中で描く為には、都市の全体像が頭の中に入っていて、パッとイメージ出来なければ不可能だからです。

つまりそれだけ都市に対する意識が高く、市民一般の間で、ある程度の都市像が共有されていると言う事です。もしそのような共通認識が無かったなら、「あだ名」は「あだ名」足り得ないし、誰も話題にはしないと思うんですね。ちょっとすごいなー、と思うのは、こういう話題を皆がカフェで議論している事、出来てしまう所ですね。

多分ココには「都市のイメージ」とかメンタルマップとか、色んな要因が入ってきて、今日のエントリは結構複雑且つ長くなりそうだなー・・・とか思ってたらナルトが始まっちゃった!と言う訳で又今度。

追記:

ちなみにバルセロナの代表的なメンタルマップがコレ:





(Rubio,A. (1995): la imatge mental de lEixample de Barcelona. In Semiotica de lEixample Cerda, Barcelona, Edicions Proa, p33-43)

特徴としては常に山が上(北)で海が下(南)に描かれている事。これは明らかに事実とは違って、バルセロナの東西南北はこんな感じになっています。



そして市内を斜めに横断するディアゴナル通りとサグラダファミリアなど、幾つかのモニュメントは描き込まれていますね。

追記その2:
2011年9月2日の事なのですが、敷地を掘ってたらローマ時代の遺跡が出て来たらしいです。これで又、この計画がストップする可能性が出てきましたね。
| 建築 | 21:38 | comments(9) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
世界の観光動向とカタルーニャの観光動向2008
昨日の新聞(El Pais, 1 de Febrero de 2009)に世界の観光動向(El turismo tira los precios,negocios p89)とカタルーニャの観光動向(La caida turistica pasa factura a los museos catalanes, p5)が載っていました。別々の記事だったのですが、「一緒に見ると面白いなー」とか思ったのでココにデータを並べて見る事にします。

個人的に観光の強大な力は使い方次第で良くも(景観、建築保存など)悪くも(ジェントリフィケーションなど)なると思っているので、コノ手の情報には以前から注目していたんですね。というか、今、ヨーロッパ都市の中心市街地で起こっているほとんどの出来事は、何らかの形で観光に関連していると言っても過言では無いと思います。一見、何の関係も無いような風景だって、よくよく読みこんでみれば、実はその裏には観光の影がチラホラしていた、何てことはザラです。(フランクフルト旅行その2:未来都市としての広告都市:地中海ブログ)

世界観光機関(World Tourism Organization)によると、2008年に全世界で観光を楽しんだ人の数は前年比2%の増加で9億人(924,000,000人)だったそうです。9億って、途方も無い数で想像も付きませんが、これは全世界のGDPの10%前後に当たるそうです。

しかしながら、こんな昇り龍の如くの観光産業にも近年の経済危機の陰りが見えてきたというのが、今日の記事のテーマ。今年は昨年まで右肩上がりだった成長率がマイナスに転じる予想がなされています。世界平均ではマイナス2%−3%(減少)。地区別に見ると、ヨーロッパがマイナス3%(減少)、アジアが0−3%(増加)、アメリカがマイナス1−2%(減少)、アフリカが1−4%(増加)、近東が2−6%(増加)と予想されているんですね。

そんな中でも、観光業がGDPの11%を占めるスペインに限って見てみると、事態はかなり深刻である事が分かります。

スペインを訪れる観光客は50%が国外から、残りの50%が国内からの訪問者という割合を取っています。2008年に国外からスペインを訪れた観光客は前年比で2,6%減少したそうです。しかしこれはたいした事じゃありません。世界平均となんら変わらないし。問題はですね、国内からの観光客、つまりスペイン人観光客の動向です。2008年にスペインの各都市を訪れたスペイン人旅行者に限ってみると、前年比10%減と言う事が明らかになりました。

これはまずい!何故か?

スペイン人というのは夏などに1ヶ月の長期休暇を取って、海や山などに家族ぐるみで繰り出します。しかも毎年決まった所に行く、もしくはセカンドハウスを持っていて、夏の間そこで過ごすというのが伝統だったりします。だからスペイン各地で観光業を営んでいるような村などは、こういう、いわば固定客からの収入を期待している所が大きいわけです。今回のデータが示しているのは、このような固定客を大幅に失った事を指し示しているんですね。

さて、我がカタルーニャはどうか?というと、観光業がGDPの14%を占めている(バルセロナ)事から、この産業の影響力はスペインの諸都市よりも大きいと言えそうです。カタルーニャでは昨年の観光客数は6,7%の減少で1400万人(14,200,000人)でした。それでもスペインではNo1の地位を保っているのはさすがと言えばさすが、か。

ホテルの宿泊者数で見ると、バルセロナ市は2008年を通して500万人(5,200,000人)を受け入れましたが、コノ数字は前年比で4,9%減少だという事です。同じく昨年の市内ホテルの占有率は、例えば去年の12月で43%、前年比で11,2%減少です。この数字は低いなー。

面白いのは美術館別の入場者数データです。

2008年の美術館入場者数トップは前年と変わらずサグラダ・ファミリア(Sagrada Famila)。圧倒的に強くて、入場者数は270万人(2,731,690人)。しかしながら、この数字は前年比で3,7% の減少だそうです。2位のピカソ美術館(Museo Picasso)の入場者数が130万人(1,313,086人(約半分))である事を考えると、如何にサグラダ・ファミリアが強いかが分かると思います。

この第二位につけたピカソ美術館なのですが、驚くべき事に14,6% の増加を示しています。一昨年に館長の任命を巡り、スペインの大物政治家との間に疑惑があっただけに、美術館側としてはコノ数字はうれしいんじゃないかな(祝)。

3位にはフィゲラス(Figueres)にあるダリ美術館(Museo dali de Figueres)がランクインしました。バルセロナから電車で3時間とかなり不便な立地にも関わらず、他を押しのけての上位ランクインはダリの人気振りを思わせます。僕も何度か足を運んだ事があるのですが、僕のお薦めは隣接の宝石美術館ですね(ダリ宝石美術館(Teatro-Museo Dalí: Dali Jewels):地中海ブログ)。ちなみにダリ美術館すらも前年比2,1% 減(1,274,554)だそうです。

ミロ美術館(Fundacion Joan Miro)、カサミラ(La Pedrera)カタルーニャ美術館(MNAC)もそれぞれ、3,7%, 5,6%, 8,6% 減を示しています。

そんな中、検討しているのが銀行系の美術館であるカイシャフォーラム(Caixa Forum)とコスモカイシャ(Cosmo Caixa)ですね。10,8%, 15,2% 増加だそうです。そしてバルセロナ現代美術館(MACBA)とカサ・バッリョ(Casa Batllo)もそれぞれ20%, 19,6% という大幅なアップを示しています。

観光が今世紀の巨大産業であり、都市の収入源における大きな割合を占める事には変わりが無いのですが、「黙っていても観光客が来てくれる時代」は終わったような気がします。これからは各都市がどんな戦略を練り、如何に遺産を活用していくか、つまり、観光の最適化、ロジスティックが要求される時代に突入したと言えそうです。
| バルセロナ都市 | 18:32 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
バルセロナ賃貸住宅価格事情その2
昨日の新聞(La Vanguardia Domingo, 12 Octubre 2008)に第二四半期(4,5,6月)におけるバルセロナ賃貸住宅価格情報が載っていました。スペインにおいて住宅問題はテロと並ぶ最重要課題の一つに挙げられています。故に当ブログでは定期的にバルセロナ賃貸住宅とバルセロナ新築住宅問題を取り上げているんですね。

地中海ブログ:バルセロナ賃貸住宅価格事情と新築価格事情

地中海ブログ:バルセロナの住宅事情2

地中海ブログ:バルセロナの住宅問題

今期の特徴はなんと言っても賃貸住宅価格の上昇です。バルセロナ全体で見た時、前年の同時期と比べて価格が10%も上がっています。(平均的な大きさ(71m2)で毎月の価格、1037ユーロ)バルセロナ市内で一番価格上昇が激しい歴史的中心地区(Ciutat Vella)に限ってみると、なんと21%という馬鹿げた数字をたたき出しています。

第一期四半期(1,2,3月)の賃貸状況をレポートした時に書いたのですが、その時の最大の特徴が「今までうなぎ昇りだった賃貸価格にかげりが見え始めてきた」でした。第一期四半期の上昇率はマイナス2%。これはスペイン経済の失速を受けてのものだったんですね。ここから賃貸価格は下降路線を辿るのかと思いきや、今期は上昇に一転。やっぱり市場は生き物だなー。

今回こんなに賃貸価格が上昇したのにはそれなりの理由があります。それは今までスペイン経済を引張ってきたスペイン不動産業の崩壊に伴うスペイン経済危機。住宅価格が実質価格の30%増し(EU調査委員会のレポート)で売買されバブルの様相を呈していた不動産業に急に陰りが見えてきたのが去年末の事。それまで飛ぶように売れていた住宅がさっぱり売れなくなり、国民は「買う」よりも「借りる」方針にシフトし始めたんですね。普通のサラリーマンではとても払えないような馬鹿げた住宅価格と、もう少し待てば価格は下がるんじゃないかという噂が市民の間に一気に広がり、需要と供給のバランスが崩れた事から今回の急激な賃貸価格上昇になったと考えられます。

今回もバルセロナで一番高額だったのがSarria-Sant Gervasi地区で1305,4Euroとなっています。この価格はバルセロナ平均賃貸価格と比べると26%も上を行っています。地区別価格で注目なのが、我が子のようにかわいいグラシア地区(Gracia)。今回初めて月額が1000ユーロを超えました。前回(1,2,3月)が984ユーロだった事を考えると3ヶ月でこの上昇は以上だ。グラシアが1000ユーロの大台を突破した事によって、バルセロナ市内で1000ユーロを超えた地区が今回は6地区。これは前回の3地区からは大幅な変化です。

ちょっとココからは個人的な感想になるのですが、何度か当ブログでレポートしているようにグラシア地区の都市計画を実施したのは僕達です。特に2005年に僕達が計画した歩行者空間計画でグラシア地区の様相はガラリと変わりました。車を排除し歩行者に優しい空間にする事により、以前より街路レベルにおけるアクティビティが増え、人に優しい住みやすい街になったと自負しています。その結果が今回の賃貸価格上昇だと僕は考えています。住宅の価格というのは市場における需要と供給のバランスによって決まります。そこに住みたい人が沢山いれば、住宅価格は上昇するんですね。そういう意味において僕達のプロジェクトは大成功だったと言う事が出来ると思います。

その反面、その大成功の裏に負の面がある事も又事実。それが人や観光客が集まりすぎる事による騒音やゴミ問題、ひいては今回の価格上昇による既住民の追い出しなどに見られるジェントリフィケーションなどなんですね。特にジェントリフィケーションについては今の所解決のしようがありません。理由は簡単。それは市場が生き物だからです。

バルセロナの賃貸価格や住宅価格が上昇しているという事はこの都市の生活の質が大変高くて多くの人が住みたがっているという証拠です。そういう意味においてバルセロナ市の計画に従事している人は誇りを持って良いと思います。その反面、我々は自分達が都市にとって良いと思ってした事によって引き起こされる負の面にも意識的であるべきだと思います。今回の新聞記事を読んで改めてその事を強く気が付かされました。


バルセロナ市内街区別賃貸価格リスト
街区名   賃貸価格  上昇(減少)率  平方メートル辺り賃貸価格
Sarria-Sant Gervasi   1305,4Euro   6,1%,   16,41 Euro
Les corts        1097,27 Euro  -3,2%,   15,10Euro
Eixample        1139,26Euro   11,5%,   14,89Euro
Gracia         1015,89Euro   9,7%,   16,38Euro
Sant Marti       1007,48Euro   8,7%   15,59Euro
Sants-Montjuic     935,95Euro   12%    15,77Euro
Horta-Guinardo     936,99Euro   12,4%   15,95Euro
Nou Barris       934,73Euro   11,3%   15,69Euro
Sant Andreu      861,26Euro    2%    13,69Euro
Ciutat Vella      972,30Euro   21%    17,27Euro
| バルセロナ住宅事情 | 07:05 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
中村研一研究室の荒川君、バルセロナ訪問
建築家、中村研一さんの研究室所属の荒川智充君がバルセロナを訪問してくれました。ありがとー。荒川君には夏に一度、中村研一さんの研究室でお会いしたのですが、自分のやりたい事をしっかりと持ち、大学のボランティア・NPOセンターの地域活動リーダーとして活躍するなど、近年の学生とは一味違う大変活発な学生さんです。何でも設計と論文を書きながら某市のお祭りパレードを企画・実行しているとか。素晴らしいです。がんばってください。

さて、数年前に結婚式教会の村瀬君の紹介で知り合った建築家の中村研一さんなのですが、夏に日本に帰った際には何時も時間を取って頂いてお話を聞かせてもらっています。その話の面白い事。博識の上にスーパー謙虚。僕の無茶苦茶いい加減な話とかも「うん、うん」と真摯に聞いて下さいます。

今年もお忙しい中、わざわざ僕の為に時間を取ってくださって沢山の有益な話を聞かせてもらっちゃいました。知らず知らずの内に4時間とか話込んでしまったのですが、今年一番利いたお話は「歴史」に関するものでした。

歴史というのは常に権力者の視点で書かれたものであり、それこそがオフィシャルな歴史として後世に伝えられていきます。裏を返せば大衆の視点から見た歴史はどんなに正しかったとしてもアンオフィシャルな歴史として捏造されるか抹殺されるんですね。

そのような視点から書かれた最高の良書が以前に紹介したジョセップ・フォンターナ(Josep Fontana)の「鏡の中のヨーロッパ( Europa ante el espejo)」であり、テラン・ヴァーグ(terrain vague)という視点で都市の無意識を論じたイグナシ・デ・ソラ・モラレス( Ignasi de Sola-Morales)だったわけです。以前書いた箇所を引用しておきます:

そんな彼が1994年に出版したのがヨーロッパの歴史を網羅しつつ、コレでもかというくらい分かり易く書いてある「鏡の中のヨーロッパ」です。フォンターナの冒頭の言葉がこの本のスケールの大きさを物語っています。

「ヨーロッパはいつ生まれたのだろうか。」

こう問う時、彼の頭の中にあったのは1993年に出版されたポミアン,クシシトフ( Pomian Krzysztof) のL’ Europe et ses nationsであろう事はこの本の訳者である立花さんが指摘されています。

手短に言ってPomian Krzysztofは、ヨーロッパというのは自己と他者を明確に分ける為に外部との境界性を定める事によって形成されてきたと言います。その一方でフォンターナは自己と他者を分ける外部の境界性の存在だけではなくて、その内部にさえも自己と他者を分ける力学が働いてそれがヨーロッパを形成してきたと訴えます。つまり内部の社会システムを保つ為に大衆を野蛮人の地位に押し込める事によってヨーロッパは発展してきたというわけですね。そしてこれこそがゆがんだ鏡に映った自己自身であるというわけです。

このゆがんだ鏡に映った自己自身とは何を隠そう、ヨーロッパの無意識という事だと僕は理解しています。
そしてヨーロッパが歴史的に大衆を野蛮人という地位に押し込める事によって発展してきたという事実は現代都市にも、いや、現代都市にこそ当てはまると思います。特にイグナシが「テラン・ヴァーグ」を発表してから10年余り経った現在では都市の主モーターが変わると同時に、その新たなるモーターの回りに都市の全ての現象が引きずられているように思われる現在ではなお更です。

そんな状況下において、都市は大衆を新たな野蛮人に仕立て上げ、その地位に押し込める事によってグローバル化の中における自身の地位を上げる為にイメージ競争に奔走しているのです。その結果が観光化によるジェントリフィケーションという今我々が直面している大問題なわけです。

その辺の事を考慮に入れて僕が当ブログでシリーズ化したのが「広告都市」論です。詳しくはこちら。この広告都市論は別名、現代都市におけるテラン・ヴァーグと勝手に名付けています。イグナシに是非見せたかった僕の自信作です。


前文はコチラ

さて、今回中村先生にお会いした時にこんな事を言われました:

「Cruasan君、ラテン語で歴史ってなんていうか知ってる?」
「はい、Historiaですよね」
「そう。で、Historiaって「歴史」っていう意味の他にどういう訳がある?」
「歴史、歴史書、物語・・・」
「そう、歴史って物語なんだよ!」

コレです。これこそ僕が長い時間を掛けて長々と幾度かのエントリで説明しようとしてきた事なんですね。それを一言で言われてしまった時のショックと歓喜。しかも僕の説明なんかよりもよっぽど分かり易いし。

色々な人と話していると極稀に日本刀でスパっと斬ったような切れ味鋭い事を言う人に出遭います。故小寺武久先生が正にそんな感じでした。

物事を良く知っている人、その本質を理解している人というのは、難しい事を簡単に説明する事が出来るんですね。逆に表層的な人というのは、簡単な事をわざわざ難しく説明しようとする。僕も常に前者でありたいと思っているのですが、ナカナカそう巧くはいかないものですね。

別れ際に中村先生が最近出版されたコルビジェに関する書籍、

サヴォワ邸/ル・コルビュジエ (ヘヴンリーハウス-20世紀名作住宅をめぐる旅 1) (ヘヴンリーハウス-20世紀名作住宅をめぐる旅 1) 中村 研一、五十嵐 太郎、 後藤 武 (単行本 - 2008/5/21)

を頂いてしまいました。しかもサイン入りで。もうちょっとしたらゆっくりジックリ読んで、是非感想を書きたいと思います。
| 大学・研究 | 18:45 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
フランクフルト旅行その1:フランクフルト(Frankfurt)に見る都市の未来
木曜・金曜とロボットプロジェクト(URUS)のパートナーミーティングがバルセロナ某所で朝から晩まであり、週末は仕事関係の所用でフランクフルト(Frankfurt)へ行ってきました。



フランクフルトに関しては以前のエントリ(都市化する空港と効率指標としてのアクセッシビリティなど)で何度か取り上げたのですが、この都市ほどグローバリゼーションの影響をモロに受け、そのポジティブ・ネガティブ、両方の影響が見事なまでに可視化している都市も少ないと思います。効率性と娯楽性が極度に入り混じり、都市レベルにおいて、娯楽性の為に効率性が使用されようとしているこの都市は、ある意味、都市の未来なのかも知れないと思わされます。

何時もならココで都市アクセッシビリティ評価に入る所なのですが、フランクフルトのダントツのアクセッシビリティについては以前のエントリ、Super Functional City; Frankfurtで詳しく書いたので反復は避けたいと思います。ちなみに空港から中心街まではきっかり15分。帰りは搭乗手続きの1時間前まで街を堪能して、中央駅から15分で空港へ。チェックインカウンターでは無く、自動販売機で搭乗手続きを5分で終わらせて余裕の搭乗でした。

さて、フランクフルトは何故これほどの効率性を持つ事になったのでしょうか?先ず考えられる第一の要因としては勿論空港のハブ化が挙げられるかと思います。フランクフルト空港が開設されたのは1936年で当時は軍基地として使用されていたようです。それがヨーロッパの国際的ハブ空港(Frankfurt am Main International Airport)として使用されるようになったのが1972年。下の写真は1946年当時の焼け野原の写真です。



下の写真は1968年に撮影されたもの。終戦直後からするとかなり復興していますが、現代に繋がるような風景は未だ出てきていません。



下の写真は1979年の写真。



この頃になると既に高層風景が出現しているのが見て取れます。年代的にも空港の発達と期を逸にしていると言えると思います。まあそんな事は当然と言えば当然で、アクセッシビリティが良い所に最もお金が集まるというのは世の常。ちなみに道と道が交差する所に市が立ち上がって公共空間になったというのは良く知られた話ですね。それよりも注目すべきは国際ハブ空港を誘致する事を1960年代に既に思い付いていたフランクフルト市の戦略性ですね。その裏には勿論、ユルゲン・ハーバーマス(Jürgen Habermas)を中心とするフランクフルト学派(Frankfurt School)が噛んでいるだろう事は容易に想像が付く所です。

現代のアクセッシビリティについてもう少し言えば、空港と並んで重要な機能が港なのですが、フランクフルトの場合はそれをライン川(River Main)の機能で補充しているようですね。この2つの機能を持つ事が都市の発達においては必要不可欠なのですが、コレこそアムステルダム(Ámsterdam)が急成長を遂げた要因であり、現在バルセロナが急ピッチで進めている計画な訳です。これをされると困るのがマドリッド。だから中央政府はナカナカ「ウン」と首を立てに振らない訳ですね。

さて、まあココまでなら良くある話で、例えばロンドンなんかシティ・オブ・ロンドン(City of London)とか言うヨーロッパ随一を誇る金融街を持っています。それを表象しているのがリチャード・ロジャース(Richard Rogers)のロイズ オブ ロンドン(Lloyd's of London)であり、ノーマン・フォスター(Norman Foster) のスイス・リ本社ビル(Swiss Re Headquarters)な訳です。ちなみにフランクフルトの顔であるコメルツ銀行本社ビル(Commerzbank)を設計したのは同じくフォスターです。いち早く環境負荷を考慮に入れて高層をデザインしている辺りはさすが天才、サー、ノーマン・フォスター。

さて、フランクフルトが他の都市と一味も二味も違う点は、このような急激なグローバリゼーションの波に浸された結果、グローバリゼーションの負の面である都市の闇が如実に市内に可視化される事となってしまった点なんですね。グローバリゼーションの真っ只中に居るヨーロッパの現代都市は必ず2つの顔を持っています。そして表の顔が美しければ美しい程、裏の顔は何処か見えない所へと隠される事となります。(典型的な例がこちら:都市の闇:ヴェネチア(Venezia)の裏の顔とジェントリフィケーション(Gentrification))

しかしフランクフルトの場合はその見えない筈の負の面が隠される訳でも無く、堂々と表に出て来て、前述の金融街とまるで対を成しているかのように成り立っている。しかもその「負の面」が今正に「正の面」へと変化しようとしているかのようです。それがヨーロッパ随一とも言われるフランクフルトの風俗産業です。今やフランクフルトはアムステルダムと並ぶ風俗の聖地(性地)と化しました。

下の写真は駅前から金融街を見た所。



夜に同じ場所から同じ方向を見ると街は違う顔を現します。





ピンクや赤、青色のネオンの部分は全て風俗です。



アムステルダムの飾り窓は国際的に有名ですが、多分フランクフルトの風俗産業の発展振りはこの街を訪れた事のある人しか知らないと思います。ちなみにドイツでは売春は合法らしいです。

風俗産業と言うと僕等日本人は陰気、危険、悪というイメージを抱きがちですが、アムステルダムと同様、ココにはそんなイメージは一切無いように思われます。(少なくとも街中を歩いていて危険だと感じる事はありませんでした。)

反対に性をポジティブなモノと捕らえた陽気さすら漂っています。フランクフルト市はオフィシャルにこの地域を宣伝してはいませんが、実質既に観光名所化している事実を考えると近い将来、市役所が大々的に宣伝し始めるのも時間の問題かと思われます。何故なら観光客がココに落としていってくれる金額は無視出来ない程、都市の収入に占める割合が高いと思われるからです。

真夜中、ホテルの窓から金融街の表象である超高層を眺めながら、その足元にそれが惹き付けてしまう「もう一つの欲望」の風景を見ていると、この街が表象しているモノこそ、人間そのものなのではないのか?と思えてきてしまいます。同時に、人間の欲望とはなんて深いんだとも思わされます。ココには人間の欲望の内の2つもが表象されているのですから。
| ヨーロッパ都市政策 | 19:50 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
バルセロナの新たなる都市戦略:ビルバオから学ぶバルセロナ都市圏再生の曙
民主化後バルセロナは明確な都市戦略を持ち、様々なイベントを通して都市を戦略的に開発・発展させてきました。それは今日バルセロナ都市戦略、もしくはバルセロナモデルとして欧米で高い評価を得ています。しかしながら、勿論そこには成功の影に隠れた/隠された急速な発展に付随する負の面がある事も否めません。

その点をかなり手短且つ乱暴に要約すると、1992年(オリンピック時)に都市をグルッと取り囲む高速道路を建設して都市の境界線を定め、投資を集中的にその内側にすると同時に、邪魔なモノや見たくない諸問題をその外側に放り投げ、問題を先送りするという事をしてきたんですね。だから大変よく整備された旧市街や新市街を見て、「バルセロナは各都市が抱えているような問題が解決出来ている」という結論を出すのはあまりにも早急すぎると言わざるを得ません。

そんな事は既に1996年の段階でイグナシ・デ・ソラ・モラレス(Ignasi de Sola Morales)が指摘していました。

「・・・バルセロナの都市問題は境界線を越える傾向を強めている。交通・住宅問題、社会的差別問題や工場施設の問題などはみな、小バルセロナの外に吐き出されている。見かけ上バルセロナは、メトロポリスが例外なく抱える大問題のほとんどから解放されているかのようだ。しかし、この見解は全くの偽りである。小バルセロナを大都市圏の中でとらえた解決策がない。存在しているのは地図上の見せかけの線引きとこのフィクションを維持したほうが好都合だとするカタルーニャ自治政府の思惑のみだ。バルセロナが大規模事業を成し遂げ、美しく再生されたその影で、都市政策が十分でなく、適切な施設を備えていないところに、代償は回ってきている。大都市圏の中心バルセロナが解決せずにたらいまわしにしている問題はみな、弱体な都市基盤のところに飛び火しているだけなのである。・・・」

イグナシ・デ・ソラ・モラレス、キクカワプロフェショナルガイド、バルセロナ、Vol6.1996


その負の面のシンボルともいうべきエリアがバルセロナの北東を貫くベソス川(Rio Besos)周辺エリア(La Mina)に存在します。このエリアにはオリンピック時に旧市街地に住んでいた貧困層の人々やジェントリフィケーションで中心街に住めなくなった人々などが集められ、社会的問題の吹き溜まりのような様相を呈しています。更に川向こうにはゴミ焼却場や浄水プラントなど、都市にとっては無くてはならないんだけど、あまり見せたくない施設が集積している地区でもあるんですね。更に川岸の2軸、東西南北で異なる自治体がひしめき合っているので、川の向こうとこちら(東西軸)の接続性は無いに等しく、川岸の南北軸では自治体間を越えてプロジェクトを創出し、統一された景観を創り出すなんて事は夢の又夢でした。

正確に言うと、川を基軸に据えた自治体間の協力によるプロジェクトの可能性はかなり前から議論されてはいました。しかし異なる自治体間を越えた複雑極まりないそのようなプロジェクトを実現する事は、長い間、非常に困難だと思われていたんですね。何と言っても利害関係の調整がこの上なく難しいので。そのような事態が動いたのはごく最近の事です。

川岸を構成する5つの異なる都市(Barcelona, Sant Adria de Besos, Badalona, Santa coloma de Gramenet, Montcada i Reixac)がその周辺に跨る50を超えるプロジェクトを成功に導く為に共通プラットフォームであるコンソーシアム(Consorcio)を創り出したんですね。この裏にはこのエリアを15年近くかけて競争力のあるエリア(新たなる中心)に育てていこうというバルセロナの思惑が見え隠れしています。その時にこのエリアの核と考えられているのが、サグレラ駅(Estacion de la Sagrera)です。マドリッドやフランスからの高速鉄道(AVE)発着駅に位置付けられている未来の大型駅にはフランク・ゲーリー(Frank O Gehry)設計によるオフィス圏住宅が付与される事が既に決定されています。



ここで注目すべきはゲーリーのド派手な建築デザインではなくて、その裏に存在するであろう都市の戦略です。実はこの新駅は計画当初、現在の市内主要駅であるサンツ駅(Estacion Sants)近辺に建設される事が決まっていました。しかしですね、大型駅の周辺にもう一つ大型駅を持ってきたって、都市全体としてみた時の成長というのはあまり無いわけですよ。それよりは全く諸活動が無いような所へ、起爆剤として駅を建設して都市に対する新たなる中心性を創り出す方がよっぽど生産的である、とこういうわけですね。

何を隠そう、この新駅を用いた中心性創出案を提案、実現したのは現在の僕のボスです。今から約15年前、まだカリスマ市長マラガル(Pasqual Maragall)が現職だった時の事らしいです。その当時はまだ今ほどGIS(Geographical Information System)も発達していなくて、街路ごとのカフェなどの諸活動を調べるのに大変手間取ったそうです。

まあ、とりあえず、僕はこのバルセロナの打ち出した新しい都市戦略を高く評価します。何故ならこの計画はバルセロナが初めて打ち出した、環状線を越え異なる自治体間で協力関係を仰いだ計画であり、今までゴミ捨て場として問題を先送りしていたエリアへの初めてのメス入りだと思われるからです。先のイグナシの言葉で言えば、「大都市圏の中心バルセロナが解決せずにたらいまわしにし」、「弱体な都市基盤のところに飛び火」している問題に対して、バルセロナが初めて直視し始めたという事です。

この計画を聞いた時に、僕が非常に巧いなと思ったのは「川」をキーワードにして協力関係を築いたという点ですね。異なる自治体間で協力関係を築くには何かしら共通する要因が必要となります。考えられるものとして主に2つある気がします。一つは文化的な何かを共有している場合。もう一つは地理的要因を共有している場合です。有名な所では、1989年にフランスのDATARが行ったブルーバナナ分析に基ついて、バルセロナがバルセロナプロセス(Barcelona Process)として発達させた地中海の弧連携。この連携は地中海を共有しているという地理的要因を基盤にして実現しました。

もう一つはネルビオン川(Ria Nervion)というビルバオ大都市圏を貫く川を構成する30を超える自治体から成る、ビルバオ再生の原動力となったビルバオコンソーシウム(Bilbao Metropoli 30)。ビルバオの場合は、グッゲンハイムのインパクトが強くてナカナカ表には出てきませんが、グッゲンハイムという都市再生の主役に、舞台を整えた非常に重要なプロセスだったと思っています。このような、背景に流れるシナリオがしっかりしていたからこそ、ビルバオ都市圏再生が成ったんですね。決してグッゲンハイムが一人で都市を再生した訳では無い事を知るべきです。そして、そのグッゲンハイムが引き起こした大成功の裏に隠れるジェントリフィケーションという負の面の事も。

全く同じ事がバルセロナにも言えて、新エリアが出来た暁にはきっとゲーリーの建築がもてはやされ、あたかもそれだけで都市が活性化したかのような記事が雑誌を賑わす事でしょう。これは建築の元来の機能である、地域や社会の表象という役割を考えてみれば当然なのかもしれません。何故なら建築は正にそのエリアが活性化し、賑わっているぞという事を表象する事こそが仕事であり、それは建築にしか出来ない事なのだから。

しかしそれでも僕はあえて言いたい。その裏にある思考や、建築にそのような舞台を用意した都市の戦略にも目を向けるべきだと。
| バルセロナ都市計画 | 18:34 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
都市の闇:ヴェネチア(Venezia)の裏の顔とジェントリフィケーション(Gentrification)
水の都ヴェネチアという都市は本当に美しい都市です。建物から都市構造に至るまで数百年の歴史が大変良く保存され、訪れた者を中世の世界にタイムトリップさせる魅惑ある都市です。





しかし、どんな都市にも表の顔と裏の顔があります。都市が美しければ美しい程、それは汚いもの・目障りなものが排除されているという結果なんですね。特に各都市が観光客を奪い合う都市間競争の時代においては、必然的に都市の必須課題は如何にして都市美を捏造するかに傾けられます。そしてその弊害が必ず都市の何処かに現れてくる。

例えば僕がよく利用する超効率都市フランクフルト。90年代初頭、フランクフルトは金融街として急成長を遂げました。



その頃、「グローバルシティ(Global City)」という分かり易い標語を掲げ、ニューヨーク、ロンドン、東京を中心にせっせと論文を生産していたサスキア・サッセン(Saskia Sassen)ジョルディ・ボージャ(Jordi Borja)が「フランクフルトもグローバルシティに加えたら」と助言したというのは有名な話。



市内を流れるライン川から金融街を見た風景はあまりにも有名ですが、その足元にアムステルダムと並ぶ、ヨーロッパ最大の風俗街が広がっているのは現地へ行った人しか知り得ないと思います。



「急発展するグローバル都市」というイメージを売りにしたいフランクフルトは、竹の子のように生える風景を前面に出す事はしても、グローバル化による負の面の象徴とも言える風俗街の写真を表に出す事は先ず無いからです。

さてヨーロッパ都市において排除されるものは、歴史的中心市街地を覆う城壁の外へと放り出されるのが定石なのですが、ここヴェネチアでは本島全てが歴史的地区に当たり、その外は海。という事は、本島の何処かに隔離部分があるか、もしくは本島を渡った所にヴェネチア市民の真の生活が広がっているか?のどちらかという事になると思います。

そもそも僕は街を歩いている時からヴェネチア本島に果たして市民が住んでいるのかどうか?は大変疑問でした。生活感がまるで無かったからです。職業柄、旅に出るとやはりその土地の公共空間に注目してしまいます。何故ならユルゲン・ハーバーマス(Jurgen Habermas)が言うように、「公共空間とは都市の表象であるから」なんですね。つまり公共空間を見れば、その都市がどんな都市かが大方分かるというわけです。

ヴェネチアの公共空間を観察していて思ったのは、先ず第一にボールを蹴っている子供達や日向ぼっこをしているおじいさんなどが見当たらないという事でした。つまり市民の姿をあまり見かけなかったのです。見かけるのは何処も観光客ばかり。

これはある意味すごい。最近ものすごい勢いでジェントリフィケーションが進んでいるバルセロナ中心街においてさえも、スケートボードをしている子供やボールを蹴っている子供達、犬の散歩をしている人々が観光客に混じっています。その姿が無い風景は正にディズニーランド。(ちなみに昨日の新聞( La Vanguardia)によると、不動産バブルがはじけ気味なスペインでは昨年の同じ時期と比べて新築物件価格が27%下落し、賃貸価格が5%上昇した模様。インフレ中の物価上昇指数は4.4%)

これは明らかに過度の観光化によるジェントリフィケーション(Gentrification)の弊害でしょうね。限りある土地において、全てが観光化されている本島では全てが高すぎる。市民の足であるヴァポレット(Vaporetto)と呼ばれる水上バスは初乗りが6.5ユーロで72時間券で31ユーロ。2005年度の料金がそれぞれ5ユーロ、25ユーロだった事を考えると3年で1,2−3倍になってる。(住居権を持っている市民には定期券とかあるのでしょうか?)コーヒー一杯3−5ユーロ。サンドイッチが4−6ユーロ。スーパーや日用雑貨を売っている店はあまり見かけなかったし・・・

これは一般市民が住む価格レベルじゃありません。市内総生産の6割以上を占め、雇用も4割を超えている観光関連産業を第一に考えるのは良く分かる。しかしながら、都市の活力は市民であって、市民こそがその都市にとっての最大の魅力なはずです。イタリア研究で著名な宗田好史さんは、彼の記念碑的名著、「にぎわいを呼ぶイタリアのまちつくり:歴史的景観の再生と商業政策」の中で、イタリアのジェントリフィケーションの特徴を、「都心の住民、とくに中商工業者が豊かになったこと」とされていますが、ヴェネチアの場合、豊かになった住民はそのまま島に残るのでしょうか?もしくは何処かへ非難するのでしょうか?どうなんでしょう、その辺?

住民って何処に住んでるんだろうなーとか思いながら探した所、居ました。(何かナメック星でナメック星人探しているフリーザみたいですが。そう言えばイタリアでよくピッコロという言葉を耳にしました。イタリア語で小さいという意味らしいです。)

先ずは本島の南側、ヴェネチア・ビエンナーレが行われる所辺り。



まるで隔離されたかのように、その辺り一帯の建物一階部分には何も諸活動(カフェなどの)が入っておらず、建物から建物へと所狭しと洗濯物が掛けられています。





人通りは全く無く、まるで死んでいるかのよう。観光客だとまる分かりな僕が一人で歩くのがちょっと怖いくらい。この辺りは明らかに市によって計画的に隔離された公共経営集合住宅地区だと思います。中心街のジェントリフィケーションによって以前のエリアには住めなくなった人達が移動させられたエリアだと推測します。

そしてもう一つ。こちらが本命だと思うのですが、ヴェネチア本島が大陸と唯一繋がっている鉄道路線を渡った直ぐの所。





歴史的建造物が保存されている本島とは対照的に、ここからは工場地帯が乱雑に広がっています。





更に行くと、何処にでも広がっているような独立住居風景が限りなく続いているという状況。これが中世の姿を今に残すヴェネチアの本当の顔ですね。

グローバル化の波にさらされている現代都市には必ず2つの顔があります。そして優雅で楽しげな表の顔の裏に隠されている裏の顔にこそ、その都市の本質を見る事が出来るのです。そしてそこにどの程度の資金が投入され、どの程度の計画がなされているかで、その都市の底力と実力が分かるんですね。

とは言っても、イタリアは本当によくやっていると思います。安易な大規模開発に走らずに、こつこつと建築的な改修や改造で都市再生を解決したのだから。そんな地道な努力を続け、アメリカ型ではないオルタナティブを示したイタリアの事例だからこそ、ジェントリフィケーションのコントロール不可能性と恐ろしさが分かるというものです。

バルセロナ現代文化センターのアルベルト(Albert Garcia Espuche)が大変に優れた展覧会とカタログ( La reconquiesta de EUROPA: Espacio publico urbano 1980-1999)で示したように、ヨーロッパの諸都市は80−90年代を通して疲弊した歴史的中心地区をパブリック・スペースの改善を通して再生してきました。そしてその試みは大変うまくいきました。しかし僕達が今直面している問題は単なる改善・再生ではなく、その後の問題なんですね。そしてその問題に対して我々は未だ有効な手立てを持っていません。

都市間競争の欲望が「都市再生」を後押しし、都市美を創り出した所に必ずと言って良いほど現れる怪物。

マルクスとエンゲルスが言った言葉を現代ならこんな風に言い換える事が出来るのではないかと思います。

「一匹の妖怪がヨーロッパを徘徊している。ジェントリフィケーションという妖怪が」。
| ヨーロッパ都市政策 | 20:56 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
イグナシ・デ・ソラ・モラレス( Ignasi de Sola-Morales)とテラン・ヴァーグ(terrain vague)
前回、イグナシ・デ・ソラ・モラレスに言及したので今日は少し昔の事を思い出してみようと思います。

イグナシ・デ・ソラ・モラレスは建築史家・思想家として「メトロポリスとは何か」に多大な関心を寄せていました。彼は様々な分野を横断しありとあらゆる領域でありとあらゆる論文を発表していますが、その根底にあったのは「我々の時代における都市、メトロポリスとは一体何か?」、という大変に大きな設問だったと思います。だからその周りに「都市とは何か」を思考するジョセプ・ラモネーダ、「都市とは公共空間である」を謳うジョルディ・ボージャ、後に「UrBANALizacion」で一世を風靡するフランセスクムニョスなどバルセロナの頭脳が集まって来たんですね。

そんな彼の幅広い論考をまとめた書籍がグスタボ・ジリ出版社( Editorial Gustavo Gili,SA)からイグナシ・シリーズとして出版されています。

Ignasi de Sola Morales:Territorios: Barcelona, GG, 2002
Ignasi de Sola Morales:Inscripciones: Barcelona, GG, 2003
Ignasi de Sola Morales:Diferencias: topografia de la arquitectura
contemporanes: Barcelona, GG, 2003
Ignasi de Sola Morales:Eclecticismo y vanguardia y otros escritos:
Barcelona, GG, 2004

その中の一巻、Territoriosに収められているのがAnyplace会議で初披露され世界的に話題になった論文、「テラン・ヴァーグ」です。(この論文は田中純さんによって大変に読みやすい日本語に訳されています。)

「テラン・ヴァーグ( Terrain Vague)」とは、「曖昧さ」、「空虚な」、もしくは「波」といった多様な意味が含まれているフランス語だそうです。(僕はフランス語は知らないので)。この言葉によってイグナシは、都市において諸活動が行われた後に放棄された「空虚な場所」、「見捨てられた場所」ながら、何かしらの気配が濃厚に立ち込めている「空き地」や、曖昧で不安定な「都市空間」を表そうとしました。

“ Son lugares obsoletos en los que solo ciertos valores residuales parecen mantenerse a pesar de su completa desafección de la actividad de la ciudad. Son, en definitiva, lugares externos, extraños, que quedan fuera de los circuitos, de las estructuras productivas. Desde un punto de vista económico, áreas industriales, estaciones de ferrocarril, puertos, áreas residenciales inseguras, lugares contaminados, se han convertido en área de las que puede decirse que la ciudad ya no se encuentra allí.

Son sus bordes faltos de una incorporación eficaz, son islas interiores vaciadas de actividad, son olvidos y restos que permanecen fuera de la dinámica urbana. Convirtiéndose en áreas simplemente des-habitadas, in-seguras, im-productivas. En definitiva, lugares extraños al sistema urbano, exteriores mentales en el interior físico de la ciudad que aparecen como contraimagen de la misma, tanto en el sentido de su critica como en el sentido de su posible alternativa”. ( Sola-Morales, 2002).


「忘れ去られたかのようなこのような場所においては、過去の記憶が現在よりも優勢であるように見える。都市の活動から完全に離反してしまっているにもかかわらず、ここにはほんのわずかに残された価値ばかりが生き残っている。こうした奇妙な場所は都市の効率的な回路や生産構造の外部に存在する。経済的観点からすれば、この工業地帯、鉄道駅、港、危険な住宅地区、そして汚染された場所はもはや都市ではないのだ。」(田中純訳)

例えば、今まで使われていた鉄道駅が新駅に取って代わられる為に廃駅になる事によって取り壊されるのでもなく、そこに依然建っているような状況。そのような放棄された駅はもはや都市のシステムとしては機能していないのだけれども、今までに蓄えられた記憶やソコに違法に入り込む占拠者の活動にこそ、着飾ったのではない本当の都市のリアリティが横たわっているように見える、というわけですね。そんな所にこそ、新しく立て替えられたビルや大きなモニュメントなんかよりも格段に都市の記憶やリアリティを強く感じるというのは誰しも共感出来る事なんじゃないかと思います。例えば郊外のロードサイドショップや広告看板、ホテル郡などが無秩序に広がっている風景なんかですね。

都市の内部にありながらも、都市の日常的活動である生産や消費を行わないという意味においては都市の外部であり、都市のシステムとは異質な存在がテラン・ヴァーグだというわけです。彼はそれを「都市の物理的内部における、精神的に外部的な ( la condicion interna a la ciudad de estos espacios, pero al mismo tiempo externa a su utilización cotidiana, pp 187)」と現しています。

つまりテラン・ヴァーグとは自己内部に潜む他者であり都市の無意識であり、「自己の内なる「他者性」の空間化されたイメージ」なのです。(田中純:ミース・ファン・デル・ローエの戦場)

イグナシが都市の無意識と他者性、そして都市のイメージとリアリティをテーマにした「テラン・ヴァーグ」を発表するのと前後してバルセロナではもう一冊の大変に重要な本が歴史学の分野から出版されました。

ジョセップ・フォンターナ( Josep Fontana)の「鏡の中のヨーロッパ ( Europa ante el espejo)」です。彼はヨーロッパでは最高に評価されている歴史学の重鎮中の重鎮。フランスのアナール学派の影響をいち早く受け、スペインに近代歴史学をもたらしたジャウマ・ビセンス・ビベス( Jaume Vicens i Vives)の弟子であり、今ではビベスの名を冠したポンペウ・ファブラ大学ビセンス・ビベス歴史研究所 ( Institut Universitari d´Historia Jaume Vicens i Vives)の所長を務めています。

そんな彼が1994年に出版したのがヨーロッパの歴史を網羅しつつ、コレでもかというくらい分かり易く書いてある「鏡の中のヨーロッパ」です。フォンターナの冒頭の言葉がこの本のスケールの大きさを物語っています。

ヨーロッパはいつ生まれたのだろうか。

こう問う時、彼の頭の中にあったのは1993年に出版されたポミアン,クシシトフ( Pomian Krzysztof) のL’ Europe et ses nationsであろう事はこの本の訳者である立花さんが指摘されています。

手短に言ってPomian Krzysztofは、ヨーロッパというのは自己と他者を明確に分ける為に外部との境界性を定める事によって形成されてきたと言います。その一方でフォンターナは自己と他者を分ける外部の境界性の存在だけではなくて、その内部にさえも自己と他者を分ける力学が働いてそれがヨーロッパを形成してきたと訴えます。つまり内部の社会システムを保つ為に大衆を野蛮人の地位に押し込める事によってヨーロッパは発展してきたというわけですね。そしてこれこそがゆがんだ鏡に映った自己自身であるというわけです。

このゆがんだ鏡に映った自己自身とは何を隠そう、ヨーロッパの無意識という事だと僕は理解しています。
そしてヨーロッパが歴史的に大衆を野蛮人という地位に押し込める事によって発展してきたという事実は現代都市にも、いや、現代都市にこそ当てはまると思います。特にイグナシが「テラン・ヴァーグ」を発表してから10年余り経った現在では都市の主モーターが変わると同時に、その新たなるモーターの回りに都市の全ての現象が引きずられているように思われる現在ではなお更です。

そんな状況下において、都市は大衆を新たな野蛮人に仕立て上げ、その地位に押し込める事によってグローバル化の中における自身の地位を上げる為にイメージ競争に奔走しているのです。その結果が観光化によるジェントリフィケーションという今我々が直面している大問題なわけです。

その辺の事を考慮に入れて僕が当ブログでシリーズ化したのが「広告都市」論です。詳しくはこちら。この広告都市論は別名、現代都市におけるテラン・ヴァーグと勝手に名付けています。イグナシに是非見せたかった僕の自信作です。
| 大学・研究 | 19:46 | comments(3) | trackbacks(4) | このエントリーをはてなブックマークに追加
都市ランキング2007年2月
今日の新聞にカテゴリ別都市ランキングが載っていました。先日、このような都市ランキングは時々発表されると書いたばかりだったのですが、タイミング良すぎです。

とりあえず、今日発表されたランキング:

生活の質
1. Barcelona
2. Ginebra
3. Madrid
4. Paris
5. Estocolmo
6. Munich
7. Zurich
8. Copenhague

ビジネスをしたい都市
1. Londores
2. Paris
3. Frankfurt
4. Barcelona
5. Ámsterdam
6. Bruselas
7. Madrid
8. Berlin

投資したい都市
1. Londres
2. Paris
3. Madrid
4. Barcelona
5. Lyon
6. Estocolmo
7. Budarest
8. Frankfurt


5星ホテルの値段

1. Londres
2. Milan
3. Ginebra
4. Roma
5. Lisboa
6. Ámsterdam
7. Barcelna
8. Zurich
9. Paris

タクシーの値段
1. Londres
2. Ámsterdam
3. Paris
4. Bruselas
5. Berlin
6. Barcelona
7. Frankfurt
8. Roma

レストランでの夕食の値段
1. Londores
2. Dublín
3. Helsinki
4. Milan
5. ZUrich
6. Ginebra
7. Estocolmo
8. Paris
9. Bruselas, Frankfurt, Madrid
10.Lisboa
11.Roma, Viena, Barcelona
12.Berlin, Atenas
17. Ámsterdam

生活費
1. Moscu
2. Londores
7. Ginebra
11. Milan
18. Roma
26. Madrid
31. Barcelona
39. Munich

家賃
1. Nueva Cork
3. Londores
11. Dublin
20. Paris
29. Madrid
33. Roma
35. Barcelona
36. Atenas

とまあ、こんな感じです。
注目すべきなのは夕食の値段。比較的良いレストランで夕食を食べようと思ったら約23.60ユーロが平均だそうです。この数字はこの3年間で倍になりました。そして今バルセロナで最も問題になっている住宅問題。4部屋キッチンとトイレバス付きで一ヶ月1085ユーロ。この数字はこの3年間で同じく倍です。スペイン人の最低賃金が600ユーロである事を考えると、バルセロナの賃貸住宅価格が如何に異常なのかが良く分かると思います。

生活の質が高いのは確かにそうなのですが、極度の観光化によって引き起こされるジェントリフィケーションによって市民の生活は圧迫されています。レストランでの昼食夕食の値段は上がるし、物価も今年は4パーセントも上がった。海外大学生交換留学制度(エラスモス)で来る学生の為に賃貸家賃も上がり続けている。なのに給料は上がらない。
バルセロナ市民の欲求不満は募るばかりです。
| 都市戦略 | 19:26 | comments(0) | trackbacks(36) | このエントリーをはてなブックマークに追加
ロンドン旅行その9:テートモダン(Tate Modern):Herzog and De Meuronの建築
セントポール寺院の前の街路からミレニアムブリッジにアクセスする。





ここからセーヌ川越しに見えるガラスの箱を両肩にしょった元発電所の姿はナカナカ良い。





橋の中央から振り返って見るセントポール寺院は周辺の現代的景観と不思議なコラボを引き起こし良い眺め。



テートモダンの改装とミレニアムブリッジの開通によりセントポールからのかなり強い軸が出来ています。その再開発に伴って周辺にはデザインスクールやおしゃれなショップなどが集まってきていました。



つまり典型的なジェントリフィケーション現象ですね。個人的にはここら辺の地価がどれくらい上昇しているのか知りたい所です。

フォスター設計のミレニアムブリッジは骨太のデザイン。開通当初揺れがひどくてフォスターの社会的地位を皮肉って「不安定卿」と呼ばれたとか何とか。



近付いて見るテートモダンは両肩に二つのガラスの箱が載っていてかなりすっきりとしたいでたち。



現行の建造物を改築するという事に関して最低限の介入で収めたという感じですね。単純に見えるものほど、というより単純に見せるほど裏では多大な努力が払われていると思います。この建築を見ているとそんな事を感じさせる箇所ばかりです。



一点だけあえて言うなら個人的には塔の天辺のガラス箱は主張しすぎな感じを受けました。

橋の最後部は折り返しになっていてもう一度セントポールの方を見返すという物語が展開しています。



そして玄関前にはルイーズ・ブルジョワ(Louise Bourgeois)の巨大なクモが我々を出迎えてくれます。





正面玄関を入るとショップやらインフォメーションやらがあり、そこを超えると気持ちの良い吹き抜けのタービン・ホール。



昔の姿を忠実に再現した鉄骨群と緑色に輝くガラスボックスが印象的。上の方には当時使われていたと思われるタービンなどが見え隠れしている。



僕が訪れた時はコロンビアの芸術家、ドリス・サルセド(Doris Salcedo)による人種差別を表象したという「Shibboleth」が展示されていました。すごく細い亀裂から始まるヒビはジグザグにホールを這い回りかなりの深さまで到達する部分もある。







何も知らずにこれを見た時は、「ヘルツォークもとうとうやってしまったか」とか思ったものですが失礼しました。

その後上階にある展覧会上を巡る。良く知られているようにココの展示は年代別ではなくテーマ別に展示した画期的なものであるという。時間があまり無かったので早足に見て回る。その後疲れたので最上階にあるカフェへ行きカプチーノを頼む。川を挟んであちら側にセントポール寺院が見えるココからの見晴らしは正に絶景。
| 旅行記:建築 | 21:37 | comments(0) | trackbacks(35) | このエントリーをはてなブックマークに追加
バルセロナ都市戦略:イベント発展型
今日の新聞にバルセロナ都市戦略の新しい方向性が載っていました。と言ってもそれほど目新しい事は無く、今までと同様にイベントベースで行くという事なのですがオリンピックやフォーラムなどに加えて今後は会議と催事も視野に入れていくということです。

本題に入る前にバルセロナ都市戦略イベント発展型というのを少し説明しようと思います。この言葉は僕が今、勝手に作った造語です。歴史的にバルセロナは都市を発展させるために様々なイベントを活用してきました。1888年の万博では、1714年以来続いていたマドリッドによる占領のシンボルであったシウダデェラ要塞を撤去し「都市の肺」としての公園を作る事に成功しました。続く1929年には2度目の万博がモンジュイックの丘で開催され、この辺り全体を整備したんですね。この中にはミースのバルセロナ・パビリオンやドミニク・イ・モンタネールの傑作の一つであるホテルも含まれていました。更にこの計画には裏プログラムがあって、それはバルセロナ市内にそれまで不十分だった街灯、ガス、下水などのインフラを引く事でした。つまりこのイベントを利用してバルセロナ都市インフラ近代化を図ったんですね。これらの事実を指してイグナシ・デ・ソラ・モラレスは「バルセロナ都市戦略の始まり」と言った訳です。

この流れは近年にも続いておりバルセロナモデルとして名高い1992年のオリンピックや2004年のフォーラム2004へと受け継がれていっています。まあ、オリンピックの場合はちょっと文脈が違ってフランコ政権くらいから始めないと本質には辿り着けないと思うのですが・・・

さて、今日発表された新しい都市戦略も当然この文脈に乗っている訳です。というか「乗せたい」というのがバルセロナの欲望なのでしょうね。故にわざわざ「都市戦略」なる言葉を持ち出して誰にでも判るイコンとしようとしている。ココにはこの新しい都市戦略なるモノを新たなるバルセロナモデルにでっち上げようという陰謀がちらちら見えるのは僕だけでしょうか?とはいっても目の付け所はかなり良いといわざるを得ない。

会議や祭事などのイベントは人が多く集まる上にお金を十分に落としていってくれるから都市にとっては「かなりおいしい」お客さんという事になります。この見解に至るまで実はバルセロナは長い時間をかけて実験をしていました。その一つが1年前のエントリで書いた3GSM会議。これは携帯電話に関する世界会議であり世界中から情報と技術が集まります。2007年に行われた3日間だけで約60,000人を集め経済効果は150億ユーロ。この3日間は市内のホテルはほぼ満杯で宿泊費の過剰な値上がりが見られました。

このような国際会議や催事を巧く使えば都市の大きな収益になる事は間違い無いんですね。これらをオリンピックなどの大型イベントと共存させていくというアイデアは大変に秀逸なものであるといわざるを得ないと思います。そしてこれら2つのタイプは共存関係にある。今後考えられるシナリオとしては、都市のある地域を開発したい時にはオリンピック系の大型イベント誘致を図り、都市に賑わいをもたらしつつ収益を効率的に上げようという時には短期型を誘致する。更に大型イベントで開発・建設した大型施設に継続的にプログラムを与えつつ意味を与えるという役割も果たす訳です。美術館や文化センターのような施設というのは、建設費用を集める事は実はあまり難しくないんですね。それよりも問題なのはどんなプログラムを走らせるかというコンテンツとランニングコストのほうなのです。その点、僕が以前勤めていたバルセロナ現代文化センターは大変巧くやっていると思います。

さて、このようなイベント型都市戦略というアイデアが出てきた背景には我々の時代の大変に大きな社会現象が見え隠れしています。それはココで書ききれるものでもないので大枠しか書きませんが、それは観光に対する欲望です。1990年代前半にジョン・アーリが「観光のまなざし」として、そしてハニガンが「フェスティバルシティ」として提出した概念がこれらの都市戦略が成り立つ際のベースになっているわけです。(イグナシは既にアーリもハニガンも1990年代にバルセロナに呼んでいる)つまりイベント型都市戦略のどれも「観光への眼差し」が希薄な場合には成り立たないんですね。

経済と社会そして風景というのは何時の時代も同時に変化していきます。フォーディズムが経済・社会だけでなく、工場の周りに労働者屋を建設する事によって風景を変えたように、もしくは自社の製品が買えるように賃金を設定する事により車が浸透して郊外風景が形成されたように、今、都市における多くの現象が「観光」の周りに展開しているように思われます。スター建築家による美術館ラッシュ、再開発ラッシュ、都市エコロジカルブーム、それらの一帰結であるジェントリフィケーションなどは全て「観光」の文脈の上で語る事が可能なんですね。

バルセロナ都市戦略、もしくはバルセロナモデルの負の面はこの部分にある。特にジェントリフィケーションのようなマーケットが関わってくる場合、それを完全に解決する事なんて出来ないのは明白なので、それを求める事自体、期待過剰なのかもしれない。だからと言ってその側面を全く見ないというのは賛成出来ないし、ましてやそれを隠してモデルとして他都市へと売り込もうなどというのは首を傾げざるを得ない。それを分かった上で、広告と本質を見極めつつ良い所は積極的に見習う姿勢、それこそが僕等に与えられた課題なのでしょうね。
| バルセロナ都市 | 19:55 | comments(0) | trackbacks(34) | このエントリーをはてなブックマークに追加
ビルバオ・グッゲンハイム効果とジェントリフィケーション
先週の新聞にビルバオ・グッゲンハイムによる都市再生の可能性に関する記事が掲載されていました。というのもグッゲンハイム美術館が出来てから今年で10年と言う事で最近カンファレンスなどが頻繁に行われているんですね。

ビルバオと言う都市はスペイン北部のバスク地方に位置する工業都市です。ビルバオが当時どのくらいひどい状態だったか、環境と経済を同時に解決せざるを得ない状況の中でどのような解決策を強いたかについては岡部さんが詳しく書かれています。

手短に言っちゃうと、ビルバオはカタルーニャと同様に都市戦略上に自らを載せる事によって前者が地中海の弧の中心になったように、ビルバオはポルトガルからフランスへと続く大西洋の弧の中心になりつつその二つの弧を繋ぐ役割も果たしちゃおうという、一口で二度おいしい戦略を考え付いたんですね。ちなみにその当時の頭脳はアフォンソ・ベガラさん。そんなこんなでゲーリーに美術館を頼む事になってその後の成功劇は日本でも良く紹介されている通りです。

新聞には2006年度の経済効果が詳しく載っていたのでちょっと紹介しておきます。先ず、レストランやバーにおける食べ物関係には95,446,752ユーロ。買い物関係には29,837,656ユーロ。ホテルやペンション関連、47,186,079ユーロ。交通関係、13,703,044ユーロ。演劇や映画などには22,031,343ユーロ。占めて208,204,874ユーロの経済効果があったと言う事です。

グッゲンハイムに対する初期投資が72,000,000ユーロである事を考えるとビルバオ都市はものすごい安い買い物をした事になりますね。

それらの効果を認めつつ、記事には絶対に載らない事をココに書きたいと思います。直に言っちゃうとジェントリフィケーションに関する事です。グッゲンハイムが建ってる所って中心市街地で最も疲弊していた所。と言う事はヨーロッパの典型的な貧困街・スラム街だった所と考えて良いと思います。その人達ってどうなったんでしょうか?バルセロナの場合のように強制的に書類にサインさせられて都市外へと送られたんでしょうか?違法移民などはともかく、合法的に住み着いていた人は上記のようなグッゲンハイム効果によって確実にそこには住めないと思うのですが・・・。

日本ではよくヨーロッパが進んでいて日本が遅れているという先入観からヨーロッパ都市があたかも絶対正義のように語られる事がしばしばです。グッゲンハイムはその典型的な例だと思います。物事には必ず2つの面があると思うのでその負の面も見ないとダメだと思うんですよね。美術館を建てただけで疲弊都市が蘇るなんてそんな巧い話がある話があるわけが無い。日本ではそれが誇張されすぎだと思います。

更に言っちゃうならバスク地方の環境政策において最も進んでいるのはビルバオではなくビトリアだと思います。前者がクローズアップされて後者がされないのは美術館という分かり易いイコンがあるためにメディア受けし易いからでしょうね、絶対。

コレこそ我々の時代における建築のあるべき姿であり、唯一の建築が建築足り得る定義だと思います。つまり広告としての建築。
| スペイン都市計画 | 16:33 | comments(0) | trackbacks(35) | このエントリーをはてなブックマークに追加
バルセロナモデルと市民意識
今日の新聞に「バルセロナは一体何になりたいのか?」という記事が出ていました。内容は独裁政権時代、民主化への移行を経て1992年のオリンピックを期に世界地図にバルセロナという名を刻み込む事に成功した。しかしその後の発展が著しすぎて最近ではコントロールを失っている。その一端が観光でありジェントリフィケーションである。バルセロナの最近の政策はバルセロナを海外に向けて売り込む為の戦略に一生懸命になりすぎてイメージ創りに没頭している。逆に市民の事は全然お構いなし。例えば最近の歩行者街路ランキングでパリのシャンゼリゼを抜き去って1位になったランブラス通り。その通りは元々は市民の為のものであったはず。しかし現在ではランブラス通りは観光客のものとなってしまった。とまあこんな感じ。

それをボージャと現在のバルセロナ市主任建築家、オリオルクロスがインタビューに答えているという構成でした。

僕はここ何年かはバルセロナの内側からその発展を批判的に見てきて、例えばバルセロナの各地区におけるジェントリフィケーションの状況やバルセロナモデルといわれているモノ、その研究を通して今ではそれを創出する側に回っています。世間ではバルセロナモデルというのが大変話題なのですが、そんなモノは存在しないというのが僕の見解で、逆にそんなモノ、存在したって役に立たないんですね。何でかって言うと各都市には各都市のコンテクストがあって同じモデルを適応したからといって同じ結果が出るとは限らない。だから大事なのはそれに至る詳細な都市分析だと思うわけです。

そんな批判的な態度を取っている僕から見ても、何時も感心するのはバルセロナ市民の自分の都市に対する関心の高さと誇り。これはすごい。皆が今後バルセロナはどうなっていくのかとか、バルセロナのあの街区にあんなの出来たけどどう思うとかをカフェで永遠と議論している。それをメディアも巧くサポートしているしある時には議論を巻き起こしたりもしている。

これって考えてみたら当たり前の事だと思うのですが、日本で例えば「名古屋市の都市形態を今後どうするか?」とかっていう議論は想像が出来ない。もししたとしても誰も関心を持たないのでは無いのでしょうか?自分の住んでいる都市に誇りを持てない市民が住んでいる都市が今後良くなっていくとは到底思えません。僕らが学ぶべき事はバルセロナモデルとかいう多分に広告を含んだ安易な都市計画モデルでは無くてもっと基本的な市民意識みたいな所こそバルセロナから学ぶべきだと思います。
| バルセロナ都市計画 | 05:11 | comments(0) | trackbacks(35) | このエントリーをはてなブックマークに追加
ギリシャ旅行その4:日本人犯した大きな罪
ギリシャのアクロポリスはその全体がEUにより保存地区に指定されていてヨーロッパでは最大の歩行者空間区域になっています。勿論その周りの景観も良く保存されていて如何にギリシャの人々がアクロポリスを自分たちのアイデンティティの拠り所にしているかが窺い知れます。80年代後半よりヨーロッパ各地で公共空間の見直しや歴史的建造物に新たなる価値などを見出すという流れが起こってきましたがその時から現在に至るまでそれらが保存されており観光地として賑わっているという事はそれより以前、経済が右肩上がりで古いものよりは新しいモノへの眼差しが強かった時代から既にその先を見越して保存の重要性を訴えた先見の明のある諸勢力が存在したという事でしょうね。

パルテノンに来ると良く分かるのですが彼らはそこで発掘されたかけらなどを基にして復元作業を永遠と続けています。それらはかけらであって全体ではありません。掘っても出てこないもの、失われてしまったモノはもう基に戻る事はありません。彼らはそれを知っているからこそ一つ一つ丁寧に保存し、それを基に戻そうと努力しているのだと思います。今現在見る事の出来るギリシャの風景というのはそのような努力によって構築されたモノだと思います。それが近年のヨーロッパ都市の大問題、ジェントリフィケーションを引き起こしているにしても歴史的な風景が残されているという事はそれだけで素晴らしい事なのでは無いでしょうか?

さて、日本にはホンのつい最近まで素晴らしい都市風景が残されていました。それは第二次世界大戦前に来日した数々の欧米の学者が口を揃えて賞賛している事にも現れています。しかしそれらの風景は今は見る影もありません。我々日本人は一体なんて事をしてしまったのでしょうか?歴史的建造物や風景と言うのは一度失われてしまったらもう再構築する事は出来ません。したって二流テーマパークになるだけです。日本都市再生を考えた時にもヨーロッパのように観光を核に据える事も京都や東京など例外を除いて難しいのでは無いでしょうか?例えば名古屋。何で海外からの観光客を呼び込めば良いのでしょうか?打つ手無しですよね?

ヨーロッパ都市を旅行していて何時も思う事:我々日本人のしでかした罪は果てしなく大きいという事。
| 旅行記:建築 | 20:08 | comments(0) | trackbacks(35) | このエントリーをはてなブックマークに追加
Barcelona Model とLondon, Chicago
今日CNNを聞いていたらロンドンが2012年のオリンピック村を誘致する際にバルセロナが1992年に行ったオリンピック村を都市再開発に利用した手法をバルセロナモデルとして参考にしていると言う事がニュースとして流れていました。

確かにバルセロナはオリンピック村を当時銃殺場にも使用されていて市民が近寄らなかった場所へと誘致するのに成功し、見事にその地区を蘇らせる事に成功したんですね。Jordi Borjaが「オリンピック委員会を納得させる為にわざとヘリコプターに乗せてなるべくその土地に近寄らせないようにした。その上空を通る時はなるべくスピードを出して通りすぎるようにとパイロットに耳打ちした」と言ってました。つまりその当時の状況がむちゃくちゃ酷い状況だった事を想起させます。しかしその時のバルセロナの戦略というのはその敷地が海の目の前でありビーチと一緒に開発すれば必ず市場が生まれるというものだったんですね。又、その時は市場に対する牽制が効いていて都市の形態を重視していたので街区のフォームから材料まで全て役所側が決めた上でコンペが行われ建築が始まったので街の街区間に一体感が生まれています。正にバルセロナ都市計画の黄金時代。

その一方で批判も勿論あるわけです。当時の政府はそのオリンピック村を低所得者層の住居に当てると歌っていました。それにも関わらず結局販売価格は値上がりして買ったのは中の上の市民層。低所得者には手が届かなかったわけですね。でもそんな事は最初から分かってたはず。僕の目から見ると明らかに都市を再生するために市民を売ったというように見えます。しかしですね、1990年代と言うのはヨーロッパが都市再生を始めた初期だったのでとにかく中心市街地の酷い状況をどうにかしようと言う状況の中での苦肉の選択と取れなくも無い。

何が言いたいかというと、ヨーロッパの都市再生計画が第二期に入り、唯再生すれば良いという時期を過ぎその負の効果をも直視しなくてはならない状況下において未だにバルセロナのモデルを真似しようとしていると言う所に問題があると思うわけです。

ロンドンはこの辺の事情をどう分析しているのでしょうか?まさか未だに知らないとは言わせません。ロンドンのバルセロナモデルブームに火をつけたのは1999年にUrban Task Force が出版したtoward a urban renaissance。その中でRichard Rogers がかなり勘違いしてバルセロナをアムステルダムと一緒にコンパクトシティの路線に位置付けちゃったんですね。その後、London school of economy の人達が必死になってバルセロナの解析に勤しんでるんだけど多分思ったような成果は出てないはず。逆にNeil Smithのような人がGentrificationの観点から批判を加えてると言った状況だと思うんですね。

このような状況からも分かるように今は唯再生では無くジェントリフィケーションとどのように斥候を計るかが要求される時代に来ている訳です。にもかかわらず上のような状況。

これは何もロンドンに限りません。今日のEl paisにChicagoの市長の記事が載ってたけど、その中でこれまたシカゴもバルセロナに注目していると言っていました。シカゴと言えばSaskia Sassenなどを擁する優秀なシカゴ派が存在する事で有名なのですが・・・

僕の興味はそれらのインテレクチュアルな権力側が果たしてどの程度まで状況を認識していてどの程度まで計画を実行しどの程度までなら負の効果を許容するのかと言った所にありますね。
| バルセロナ都市計画 | 14:37 | comments(0) | trackbacks(35) | このエントリーをはてなブックマークに追加
ビトリア都市戦略計画
世界で5人程度の閲覧者の皆さんこんにちは。昨日初めてコメントをもらいました。ありがとうーーー。うれしいものですね、反応とかあると。しかも内容が実際に実務に関わってた人の言葉なので重みがある気がする。これからもがんばって書いて行きますのでヨロシクお願いします。

今日は午前中、スペインバスク地方のビトリア市から市役員が打ち合わせにやってきた。というのもビトリア市戦略計画をうちで創ってるからなんですね。ビトリア市というのはバスク地方のビルバオ、サンセバスティアンと並ぶ三大都市で人口約21万人の裕福層が多く住むとてもリッチな都市です。サンセバスティアンがモネオの建物に代表されるように映画際で有名だったりビルバオがゲーリーの美術館で有名なのに比べると日本での知名度はものすごく低いし普通の人は行かない都市ですね。環境、都市計画に少し詳しい人なら必ず引用するビルバオのグッゲンハイム効果による再活性化とかサンセバスティアンのウォーターフロント計画とこれ又、バスク地方の他都市だけが注目されるのですが、ところがどっこい、環境・緑いわゆるサステイナブルシティで最も注目すべきは実はビトリアなのです。
今何処の都市もアーバニゼーションに悩んでいると思いますがビトリアの打ち出した戦略はとても明快。先ず都市の輪郭を決めてその輪郭にそって緑の輪を配して行く。その名も緑の指輪。これ大変面白くて中世に城壁が都市の輪郭を決めたように緑の世紀である21世紀は緑の城壁が都市の輪郭と成長をコントロールする。建築の学生による計画に出てきそうな案だけど実際に実行している都市を見たのは初めて。実は僕たちもバルセロナで同じような事をしてて緑の渡り廊下というのですが、都市の形態などを下に緑の帯を分析しました。ビトリア第二の戦略は車に対するアンチモビリティとして自転車使用を推奨しています。市が積極的に市民に使用を推進するために自転車無料貸し出しをしています。こんな事をしているのはスペインではココだけ。この2点が高く評価されて今年度の最もサステイナブルに貢献した都市として国から表彰される事になりました。

こんなに進んでいるのに彼らはもっと先を見ていてもっと遠くへ行きたいと。故に僕たちに戦略計画を頼んできたんですね。僕たちがやるのはスーパーマンサーナ計画と言ってバルセロナのグラシア地区と22@BCNで既にためし、今後、全セルダブロックに展開しようとしている計画、歩行者空間推進計画です。(コレについては今度詳しく書きたいと思います。)ビトリアの場合は状況がむちゃくちゃ良くて聞いた所では車・歩行者の割合が約30対70。え、って感じです。車30パーセントってすごい数字ですよ。という事はほとんど歩きか自転車。ここから更に車を減らしたいというのだからすごい。っていうかそんな事出来るのかな?僕が一番びっくりしたのは数ヶ月前初めての彼らとのミーティングを行った時に「観光の最適化」を提案したいと言ったら、観光には興味が無いとハッキリと言い切った所。観光に興味が無い都市なんてこれまた初めて聞いた。大体今のヨーロッパ都市って何処も観光で成り立っているとか観光収入は無視出来ないという状況なのに・・・ココの変の考え方もバスクの他2大都市とは大きく違う所ですね。ビルバオなどが観光収入モデルできているのに対して彼らの目標はあくまでも環境を整える事によって市民生活のレベルを上げる事。こういう場合、環境の質が上がる事によってジェントリフィケーションとかって起こるんでしょうか?どうなんでしょうね?もしくはそれによって引き起こされた地代高騰ならやむおえないと思うのでしょうか?その辺注目していたいと思います。

| スペイン都市計画 | 23:09 | comments(1) | trackbacks(34) | このエントリーをはてなブックマークに追加
22@BCNとジェントリフィケーション
今日は午前中22@BCNとプロジェクトの打ち合わせ。22@BCNとはバルセロナがバルセロナモデルとして売り出し中のヨーロッパで最大規模の都市計画です。僕達はこの計画に第一フェーズから関わってて何時の間にか僕が担当になってしまった。今日の議題は公共空間のデザインとバスルートとバス停について。と言うわけで、22@ディレクター始めそれらに関係する部署、私企業などの面々がずらりと並ぶ。言語は勿論カタラン語。きついなー。しかしながらこれらの分野はバルセロナでは僕たちが主導権を握ってて引っ張っていかなきゃならないのでとりあえず一生懸命やってみる。で、何とか終了。その後、グラシア市役所でうちのディレクターが話すと言うので聴きに行く。結構広い会場に100人くらいの市民が集まってた。ここは僕たちが歩行者空間計画を初めて実地した地区と言う事もあり市民の興味も自ずから向くのかたくさんの人が来てた。このグラシアという地区は80年代初頭に始まりその後街中に広がっていった鍼療法・スポンジ化といわれその後バルセロナモデルになった小さな公共空間挿入手法を一番最初に受け入れた地区です。その意味で昔から新しい事を受け入れる土壌があるような気がする。僕たちの計画に対してもたくさんの批判があるけどそれは今の環境が変わると言う事に対する単純な反応なのではないのか。いわゆる人間の持っている二つの矛盾:今の自分を保持しようとする自分と変わっていこうとする自分。歩行者空間・公共空間を増やす事で歩行者トラフィックは当然増加する。それに伴い小売店も繁盛するのは間違いない。まだ計画から1年しか経ってないけどその効果は火をみるより明らか。本質的な問題は実はそこには無い。最も気を付けなきゃならないのはジェントリフィケーションのほうですね。これは3年位前にその道の第一人者であるネイル・スミスがバルセロナに来た時にある小さな集まりの中で直接質問した事があります。その時彼が言った大変印象深かった言葉が「ジェントリフィケーsジョンはコントロール出来ない」と言ってました。うーん、革新を突いてる。歴史的中心地区活性化とかいろいろ話題になってるけど、経験から言ってコレはそんなに難しい事ではない気がします。誤解して欲しくないのはそれを達成するにはたくさんの困難、政治的なとか経済的なとか社会問題とかいろいろあって大変なんだけど、解く事が出来ないほど難問かというとそうではないし、ヨーロッパにはある程度の蓄積から定石のようなものがある。問題はそこではなくてその後に起こるジェントリフィケーションの問題なんですね。そちらのほうが大問題ではるかに難問。故に世界の知は今そちらのほうに全力を注いでいるわけです。日本人や海外の研究者はヨーロッパの中心市街地活性化には2面あるという事、階級制度にもとついていると言う事を知っておいたほうが良いですね。ヨーロッパの戦略は明らかにこの暗い面を見ないようにしてる。
僕たちの今のところこの問題に対しては打つ手なし。今出来ることは土地の価格変動と商店の入れ替わりスピードを定期的に観察する事ぐらいというのが現状です。誰か良い方法など知ってたら教えてください。即採用します。
| バルセロナ都市計画 | 17:24 | comments(0) | trackbacks(36) | このエントリーをはてなブックマークに追加
もう一つの9月11日:カタルーニャの場合
9月11日は今や世界的なメモリアルデーとなりましたが、それよりもずっと以前からこの日を歴史的な記念日としている地域があります。それがカタルーニャ。1714年の9月11日はカタルーニャがそれまで保持していた地域特権を失った日であり、そのような自分達の大事な文化的アイデンティティを守る為に必死になって最後まで戦った先祖を祭る大変重要な日なんですね。当時、スペインの王様であったカルロス二世は自分の世継ぎとしてルイ14世の孫のフィリップをスペイン国王フェリッペ5世として指名してたんですね。これに対してオーストリアとかが別の対立候補であるカール大公を立てました。で、イギリスとオランダはカール支持に回りました。何故かというともしフェリッペがスペイン王座につくとフランス王ともなっちゃう可能性があるので、そうなるとものすごく大きな帝国が出来ちゃう。それはまずいという事で反対勢力に回りました。ここにスペイン・フランス対オーストリア・イギリス・オランダというスペイン継承戦争が始まります。フェリーぺはマドリッドでは歓迎されたんですが、カタルーニャなんかでは評判が悪かった。なんでかっていうと、歴史的にフランスにはあまり良い印象を持っていなかったし、何より彼らの統治形態である中央集権型によって地方の特権が脅かされるのでは?と恐れてたんですね。そんなこんなで結局カタルーニャは反フェリッペ、カール支持に回りスペインに同時に2つの宮廷が置かれる事になります。しかしですね、皇帝ヨーゼフが急死しちゃって、カールが神聖ローマ帝国を継いじゃったんですね。そこで困ったのがイギリス、オランダなんかなんですね。カールがスペイン王兼、神聖ローマ皇帝なんかになるとそれこそ大帝国出現という訳でスペイン・フランス帝国なんかよりも厄介。そこでそうならないように手を打った上で自分達はさっさと戦争から手を引いてしまった。しかしカタルーニャはその後も戦争を継続しトップだったカサノバっていうのがいるんですが彼が負傷を負わされた1714年9月11日に降伏しました。故にこの日は今でもカタルーニャ復権の為のシンボル、英雄として祭られています。
僕が住んでる近くに彼の像が設置されてるんですがこの日は沢山の政治家達が参拝に来てテレビとかバンバン流してすごい。その後はその当時フェリッペがバルセロナ征服のシンボルと監視の意味を込めて建設した要塞があった場所を1888年の万博で市民の都市の肺とか言って大きな公園にしたんですが、そこで大々的な記念祭があります。去年はこの行事中にちょっとした事件があって毎年歌手が呼ばれて歌を披露するのですがそのメインがフラメンコ調の歌をカスティリアーノ語で歌ったんですね。もう皆、すごいブーイングの嵐でした。
さて、バルセロナの歴史的中心地区にボルン地区というちょっとオシャレでジェントリフィケーション起こりまくりのエリアがあるのですが、ここにボルン市場という18世紀に建てられた市場の遺構が残ってます。ここを再利用しようという事で2002年に公共図書館に変えるコンペが行われ一等案も決まりさあ建設という事で掘ってたらその下から昔の都市跡が出てきたんですね。で、調査してみたらこの都市跡、実はフェリーぺ軍が占領した後に破壊したモノで16世紀から18世紀までの都市の発展を知る上で大変貴重なものだという事が判明。図書館建設は急遽中止、現在はここに博物館兼文化施設を建設しようという計画が進んでいます。これ指揮をしているのがアルベルトさんっていう僕がこちらでものすごく尊敬している建築史家で僕が以前に勤めていたバルセロナ現代文化センター、エクスポジション部門長だった人です。彼の先見の明、豊富な知識、それを市民の眼に触れさせ且つ興味を持たせるようにする手腕と実現する為の政治力。
ここにもう一つ彼の作品が完成する訳なのですが、今から大変楽しみです。

| バルセロナ歴史 | 21:38 | comments(0) | trackbacks(35) | このエントリーをはてなブックマークに追加