地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
ディープラーニングアーキテクト:人工知能の目から見た建築デザインの分類

昨年末、ハーバード大学デザイン大学院(GSD)では、ハイライン(ニューヨークの歩行者空間プロジェクト)に関する展覧会を開催していました(2018年12月20日まで)。

当ブログの読者の皆さんは既にご存知かとは思うのですが、一応、わたくしcruasan、欧米では歩行者に関するビックデータやAI分析、歩行者空間計画のスペシャリストということになっていて、いま現在、世界のどの都市でどんな歩行者空間計画が行われているかについては、それなりに把握しているつもりなんですね。そんな僕の目から見て、ニューヨークのハイラインはバルセロナのスーパーブロックと並ぶ「世界2大歩行者空間化プロジェクトと言っても過言ではないかな、、、」と、そう思っています。

そんな訳で、ニューヨークを訪れる際には必ず現場を歩き回り、街中の何処にどんな公共空間が立ち現れ、それらの空間が市民生活にどの様な影響を与えているのかを注意深く観察してきた訳なのですが、「ハイラインに関する展覧会がうちの近所で始まる!」と聞いたからには行かない訳にはいきません。

←いや、いま住んでるところ、GSDの真横なんですよ(笑)。

という訳で、この展覧会のオープニングセレモニー(11月14日)から、その後の連続レクチャーなど、なにかと足を運んではこのプロジェクトの新しい側面を発見したりして、ここ数週間は非常に楽しい毎日を送らせて頂いていました。

で、何回か訪れる内に、どうやら今回の展覧会の背景には「ハイラインがなにかしらの賞を受賞したらしい」ということが分かってきてですね、、、11月14日に行われたセレモニー(事実上、これがオープニング・セレモニーだったのですが)では、Field OperationsのJames Corner and Lisa Tziona Switkinやディーラー&スコフィディオ(Elizabeth Diller and Ric Scofidio)、そしてニューヨーク市役所の関係者の方々などが登壇者として招かれ、Diane Davisさん(現ハーバード大学デザイン大学院アーバン・プランニング&デザイン学科長)のオープニングスピーチで授賞式の幕が上がりました。で、何気なくその言葉を聞いていてビックリ!

「えー、この賞は優れた公共空間デザインに対してハーバード大学が与えるもので、過去の受賞者にはバルセロナ市なんかがいます、、、」

「え、え、あ、あれ、、、いま、バルセロナって言った???っていうか、この説明、、、どっかで聞いたことがあるような、、、ないような、、、」

とか思って、ちょっと調べてみたら、、、凄いことを発見してしまって2度びっくり!!

この賞の正式名称は「Veronica Rudge Green Prize in Urban Design」と言うらしいのですが、これがなんと、我々が普段呼んでいる「バルセロナのアーバンデザイン賞」だということが発覚してしまったのです!

←多分この記事を読んでる99%の方々は、いったい僕が何を言っているのか、さっぱり意味が分からないと思いますので、ちょっと解説をします。

「バルセロナの専門家」と呼ばれる人達がバルセロナ関連の論文を書く際、その冒頭(イントロダクション)で良く引用するフレーズが幾つかあります。例えば、「(RIBAに関して)それまでは個人にしか与えられていなかった国立英国建築家協会賞(RIBA)が初めてバルセロナという都市に贈られた」だとか、「都市デザインと都市戦略の質という点において、我々(ロンドン)は多分、アムステルダムやバルセロナに20年は遅れている(リチャード・ロジャース)」みたいな。

その中で必ず引用されるのが、「バルセロナの公共空間計画は、1987年にハーバード大学から都市デザイン賞を授与された」っていうフレーズなんですね。

いままで我々はこの「ハーバード大学から贈られた賞」っていう箇所にはあまり注意を払ってこなかったんだけど、、、つまりは、「あー、そういう賞があるのねー」くらいにしか考えてなかったんだけど、今回のハイラインの件を通して、どうやらそれが「Veronica Rudge Green Prize in Urban Design」だということが判明してしまったのです!

←いや、別にそんなことが分かったからって日本の読者の皆さんにはさっぱり関係無いかとは思うのですが、少なくとも、岡部明子さんと阿部大輔さんだけは興奮していることだろうと想像します(笑)。

さて、ここからが今日のメインテーマなのですが、今日のお題は一言でいうと「先週、新しい論文を発表しました!」です。その名も:

ディープラーニングアーキテクト:人工知能の眼から見た建築デザインの分類

とあるジャーナルに投稿した論文をarXivにアップロードして発表しました(原著論文はコチラ)。

←えっっと、多分、「arXivとはなにか?」という所から説明を始めた方が良いかと思うのですが、と言うのも、建築・都市計画・まちづくり系の研究者の方々にはあまり馴染みがないかも知れないからです。

arXivとは(一言でいえば)「掲載前の論文をみんなでシャアするサイト」、、、かな(もちろん合法。運営はコーネル大学)。コンピュータサイエンスやバイオロジー系、最近だとディープラーニングみたいに大変ホットな領域なんかだと、「誰が一番早く論文を出したか」っていう時間との戦いになってしまうことが多々あって、雑誌に投稿した後の「レビュー期間」というのは非常に「あたまの痛い期間」だと言わざるを得ないんですね。と言うのも、論文がレビューされている間に、他のグループが同じ様なアイデアで論文を書いて、もっと良いジャーナルに掲載してしまったりだとか、自分達が提案している手法が既に他のグループによって実証されている事実を知らずに、ひたすら時間とお金を掛けて初期テストをしていた、、、なんてことが多々あるからです。

←レビュー中の論文というのは他のジャーナルやウェブに掲載されることが殆どないので、いま現在、どこの誰がどんな論文を投稿してレビューされているのかなどを知ることは大変難しい状況だと言わざるを得ません。その様な状況を少しでも緩和しようという意図で提案されたのがarXivというシステムなんです。

←(ここからは僕の勝手な見解なのですが)科学というのは基本的に「シャアの世界」だと僕は思っています。もちろん「競争」という側面もあるんだけど、それ以上に「既に分かっていること」、「分かっていないこと」を明確にした上で、先人達が築き上げてきた「分かっていること」の上にホンの少しだけ新しい知見を築き上げること、これが科学の基本コンセプトだと思うんですね。

←だからこそ、いま現在、世界の何処で誰が何をやっているのか、どんなことが既に試されていて、どんなことが達成されているのか(もしくはいないのか)を知る事がこの上なく重要になってくるんです。逆に言うと、世界のどっかの誰かが既にやったこと、実証してしまったことをもう一度やる、、、というのは科学的には非常にナンセンスだと僕は思います(再現性を確認するという意味ではアリ)。

←だからこそ学術論文においては「文献レビュー」という作業が必ず必要になってきてですね、、、それを行なった上で、「じゃあ、我々のチームはこういうアプローチでこういう問題を扱っていこう」という基本方針を決めることが出来るからなんですね。ただ、大変残念なことに最近はそこの部分をしっかりとやっていない学術論文を数多く見掛けます。僕に言わせればそれらは「論文」ではなく「感想文」だと思います。

←感想文という形式はそれはそれで1つの非常に価値ある文章の形だとは思いますが、学術論文とは違います。

 

あー、脱線してしまった。。。

さて、その様な、長—い査読期間によって失われるであろう時間とお金のロスをなるべく避けようという目的のもと生み出されたのがarXivというシステムであり、投稿中の論文や投稿前の論文をアップすることによって、今この時点での科学的知見やアイデアを、「なるべくリアルタイムに近い感覚でみんなでシェアしよう」というコンセプトな訳です(注意:科学者と呼ばれる全ての人達がそうする訳ではありませんし、arXivについては賛否両論あります)。

 

と言う訳で(繰り返しになってしまいますが)今回発表した論文はarXivバーションであり、ジャーナルに最終的に掲載されたものではないことをここで断っておきます。

さて、今回発表した論文で僕達がやろうとしたこと=「リサーチ・クエスチョン」はなにかと言うと、それは「コンピュータの目には、建築家のデザイン的な特徴はどのように見えているのだろうか?」ということであり、「それら機械の目で見た時の建築家のデザインの特徴と人間の目(歴史家や批評家)との間には一体どのような違いがあるのだろうか?」ということに尽きます。

良く言われるようにディープラーニングが引き起こしたブレークスルーというのは、画像に写り込んでいる物体を認識させる為の特徴量の抽出を「自動化した」ということだと思います。逆に言えばそれまでは全て人間が入力しなければならなかったということなのですが、例えば「この写真に写っているのは猫だよー」ということを機械に教える為には、猫の特徴である「猫には耳が2つあり、、、ヒゲがあり、、、毛で覆われていて、、、」みたいなことを1つ1つ挙げていき、それらを全て機械に教える必要があったんですね。

しかしですね、ディープラーニングにおいては、そのような特徴量を機械が勝手に認識して抽出し、学習しながら自分の知識に変えていくことになります。

例えば、安藤(忠雄)さんの建築の特徴は(1)「打ち放しコンクリート」、(2)直方体や三角形など「厳格な幾何学を用いて」、、、みたいなことが挙げられるかと思うのですが、それらは全て「我々人間の目から見た安藤建築の特徴」なんですね。

←当然ですよね、我々人間が人間の目で見て判断している訳ですから。そしてそこには常に我々の先入観や事前知識、視覚以外の五感に由来する感覚などが含まれています(そして建築ではそれらが非常に重要だとも考えられています)。それらを全て考慮した上で総合的に判断したものこそ、現在我々が知るところの「建築の歴史」となっている訳なんです(というか、僕はその様に理解しています)。

 

しかしですね、もしかしたら安藤建築の大量の写真をAIに見せてトレーニングしてみたら、彼ら(機械)は我々人間の目では気が付かなかった特徴や、我々の目には見えない「なにか」に注目することによって、「この建築は安藤建築だ」と認識するかもしれません。

←この「かもしれません」というところがポイント。こういうのは実際にやってみないと分からないからです。もしかしたら機械はそういう判断をするかもしれないし、しないかもしれない。もっと言っちゃうと、これをやったからと言って、何かの役に立つのかどうなのかはサッパリ分かりません。

もしかしたら「やっても無駄」な場合だって多々あります。でも、分からないからやるんです。何かしらの発見があるかもしれないから挑戦するんです。

もし役に立つことが分かっていたり、お金儲けが出来ることが分かっているんだったら、それは我々アカデミックの分野にいる人間がやることではないと僕は考えています(個人的に思っているだけです)。そういうことは、他の領域にいらっしゃる方々がされれば良いことだと思うんですね(繰り返しますが、僕が個人的にそう思っているだけです)。

我々アカデミックの分野にいる人間、大学の研究者というのは、「役に立つかどうか分からないこと」、「なんだかよく分からないけど直感が働くもの」、そういうことに取り組むのが我々の仕事だと僕は理解しています。だから僕はいつも言います。この様な研究は「やってみた系」だと。

ああー、また脱線してしまった。

という訳で、取り敢えずやってみることに。まずはデータを揃えなければならないので、プリツカー賞を受賞した建築家を中心に、35人くらいの建築家を選び出し、各々の建築家毎にサンプル写真をグーグルから取得、更に個人的に今まで撮り溜めた建築写真も含め、合計約20,000の写真を用意しました。それをトレーニングデータと評価データに分けて、いよいよ実験開始です!

、、、と思った矢先、いきなり壁にぶち当たってしまいました。。。まあ、最初から分かっていたことではあったのですが、近代建築や現代建築の分類は思ったほど簡単ではありません。

歴史的な建築っていうのは比較的簡単に機械に教え込むことが出来ます。何故なら(良く知られているように)柱や柱頭、窓などに「建築オーダー」と呼ばれる特徴的なデザインが施されているので、それらを機械に教えてやれば良いだけのことなんですね。

その一方で、近代建築や現代建築には基本的に装飾が付いていません(まあ、ある意味、装飾を排除することで発展してきたのが近代建築や現代建築だと言うことが出来るのですが)。また、往々にしてそれらの建築は四角い箱であることが多いし、なにより近代建築、現代建築の大きな特徴の1つである「空間」というのは「物体そのもの」と言うよりは、柱とか壁、天井といった幾つかの空間エレメントに囲まれた結果現れてくるものだと思うんですね。

もっと言っちゃうと、「写真に映り込んでいる物体」という観点で見た場合、「柱」や「壁」というエレメントは、建築である限りどの建築家がデザインしたものであろうと、そう大して変わらないはずです。柱は柱であり、壁は壁ですから。では何処に違いが現れてくるかというと、それら各エレメントの構成や光の取り入れ方、配置や材料なんかによって、その後に立ち現れてくる「空間」にデザイン的な差異が現れてくる訳ですよ。

何が言いたいのか?

←つまりは画像認識技術を考慮した場合、一般的に用いられている「オブジェクト・ベースのアプローチ」では、うまくいかないんじゃないか、、、と、そう思う訳です。

じゃあ、どうするのか?

←こういう時に先行事例を探す訳です!

今回、道標になったのはアートの世界でやられていることだったのですが、、、というか正確に言えば、「アートの世界でやられている」というよりも、「コンピュータサイエンティスト達がアートに関してやっていること」なのですが。。。

実はですね、アート(特に絵画に関しては)、機械によるアーティストの分類という試みが結構やられていて、それこそ「この絵画はピカソだ」とか、「これはルノアールだ」なんていうのは、既に世界中で色んな研究者が成果を発表していたりします。

しかしですね、ちょっと考えてみれば分かる様に、彼らがぶち当たったであろう難問も僕達が直面していることと本質的には同じなんですね。というのも、ピカソが描いた絵画には「ひまわり」が写ってることもあれば、ゴッホが描く絵画にも「ひまわり」が写っていたりするからです。つまりは画家の分類も「オブジェクト・ベースではうまくいかないんじゃないか、、、」ということが直ぐに分かる訳ですよ。

じゃあ、彼らはどういうアプローチを取っているのか?

絵画(アーティスト)に関する画像分類の世界では、その難問を「デザインスタイルにまでレベルを上げてやることによって解決」しています。分かりやすいところで言うと、ゴッホの筆使いなんかは非常に特徴的なので、その画像を大量に集めてきてAIにトレーニングさせてみる、、、とそんな感じです。ちょっと前に話題になったレンブラントのプロジェクトなんかでは、大量のレンブラントの画像を通して、レンブラントの画法(筆使い、構成、色使いなど)をAIに習得させていました。

これらは全て、「オブジェクト・ベース」ではなく、「スタイル・ベース」で機械をトレーニングして、それによって分類しています。

「おおお、そうかー!じゃあ、そういう方向で考えてみようかな、、、」というのが、今回の論文の基本方針です。

←まあ、とは言っても、建築の場合はそんなに簡単ではなく、まだまだ「道半ば」という感じです。今回の論文ではこの辺の考え方やコンセプト、そして実装して得られた「取り敢えずの結果(preliminary resultsと言います)」を纏めて論文にしました。使ってるアルゴリズムや計算式なんかは実際の論文を見てもらうとして、下記ではどんな感じで結果が出たかを簡単にご紹介しようと思います。

今回、我々が得ることが出来た結果は大きく分けて2つ。1つ目はGrad camと言って、機械の目が建築デザインのどの辺りを見て、その写真の特徴を掴み出し他の建築家のデザインと差異化したかという部分です。その例がこちら:

上の例はアルヴァ・アールトの図書館なのですが、AIはこの写真を0.39の確率でアールトだと判断しています。その次にゲーリー(0.28)が来て、その次に坂茂さん(0.21)、そしてチュミ(0.11)という順番になっています。

では、どうしてAIはこの画像をアールトだと判断したのか?ヒートマップの感度を見てみると、AIは天井の丸窓を見ていることが分かります。ゲーリーや坂さんの画像においても、AIは天井に注目していることが分かるんだけど、それはゲーリーや坂さんのデザインの特徴が天井の丸窓っぽいものを創り出しそう、、、もしくはそういう傾向がありそうだとAIが判断したからです。と、まあ、こんな感じで、最近のAIは「機械がどこを見ながら判断したのか」をヒートマップとして示してくれるというところまできています。

そしてこの論文で僕達が示したもう1つの結果(preliminary result)がこちらです:

機械の目から見た時の建築デザインの分類(クラスタリング)なんですね。クラスタリングにはPCA(主成分分析)を使っているのですが、理屈としてはこんな感じ:何万枚という写真を使って我々がトレーニングしたAIは、「ノーマン・フォスターに特化」とか、「アルヴァロ・シザに特化」とか、インプットとして示された画像を分類出来るようにトレーニングしてあります。ディープラーニングで良く使われる指標であるaccurary(正確さ)は73%であり(つまりはどんな画像を放り込んでも、73%くらいの確率できちんと建築家を分類してくれる)、客観的に見てこの数字は非常に良い数字と言えるかと思います。

ちなみに一番成績が良かったのはチュミで90.4%、第2位はライト(87.7%)、第3位はカーン(87.6%)でした。

さて、我々はここで「アルゴリズム、アルゴリズム」と言っている訳なのですが、じゃあ一体、「そのアルゴリズム(モデル)とは具体的にはなんなのか?」と問われれば、それは結局「数字の羅列」なんですね。その数字の羅列が「シザ」に最適化された感じで並んでいたり、「フォスター」に最適化された形で並んでいたり、、、と、そんな感じのイメージを持って頂ければ大丈夫だと思います。

各々の建築家に特化したモデルが「数字の羅列」で与えられているということは、定量化出来るということであり、比べられるということです。では、どういう風に比べるのか?「各々の建築家がどれくらい似ているのか、もしくは違っているのか」—これがクラスタリングという手法なのです。

で、上の図が「機械の目から見た時の建築家のクラスタリング」なのですが、ここには既に幾つか面白いグループ分けを見る事が出来ます。先ずは右下のグループ:フォスター、ロジャース、ピアノが1つのグループに囲まれているのが見えるかと思うのですが、この三人の作風は「テクノ建築」として知られています。

また、もう1つの例としては、左下の方に「ライトと普通の家」のグループがきちんとクラスタリング出来ていることに気が付きます。このグループもそれなりに納得が出来るクラスタリングだと思うのですが、というのもライトがプレーリーハウスというスタイルを確立し、それが合衆国の郊外型ハウジングのモデルになったことは良く知られた事実だからです。

と、まあ、こんな感じでこの図を見ていると、色々な想像力を掻き立てられるのですが、まあ、とにもかくにも僕達がこの論文で示したかったことは、「機械の目で見た時の建築デザインの分類の可能性」です。上述した様に、「機械の目」は視覚情報以外のものからはなんの影響も受けません。「鉄骨が出てきた背景には、他産業の影響があって云々」とか、「シザの建築はアールトの有機的な影響を受けていて云々」とか、そういうことは全く関係がないのです。

建築史家や批評家の方々からすれば、「そんなの片手落ちじゃないか」と言われるかもしれませんし、それはそれでごもっともなご意見だとも思います。だから僕達は、今回我々が示した事がいままでに確立されてきた分析手法を覆すだとか、「それらに取って代わる」なんてことはこれっぽっちも思っていません。

そうではなく、視覚情報だけに頼った建築デザインの分類というのは、いままでの伝統的な分析手法とはまた違った可能性を我々に見せてくれるのではないか?そしてそれらは伝統的な分析手法と補完的な関係性が築けるのではないかと、そう思っています。

何度でも繰り返しますが、我々がやっていることが社会の役に立つか、もしくはなんの役にも立たないのか、それは分かりません。 分からないからやるんです。いままで誰もやったことがないから挑戦してみるんです。その結果、なんの役にも立たないことが分かっても、「あー、そうか」と、そう思うだけです。その時はまた何度でもやり直せばいいだけの話。

と言う訳で、この研究路線はいま始まったばかりであり、これから数年掛けて色々な研究者の方々と協働することによって発展させていこうと、そう考えています。まあ、取り敢えずここに記念すべき世界初の試みが発表出来たという訳で、今週末はコーヒーとクロワッサンで乾杯しよう。

←ぼく、ビール飲めないので(苦笑)。

| 大学・研究 | 07:17 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ビルバオ・グッゲンハイム美術館とリチャード・セラの彫刻:動くこと、動かないこと

所用の為に、スペイン北部(バスク地方)のビルバオに行ってきました。

「ビルバオ」と聞いて多くの日本人の皆さんが思い浮かべるのは、奇抜な形態で世界的に有名なグッゲンハイム美術館ではないかと思います。建築家フランク・ゲーリーがデザインしたあの独特な形態と、鈍く光るチタニウムに包まれた外観、そんな摩訶不思議な建築が、重工業で廃れた街を蘇らせたというシンデレラストーリー。

ビルバオの都市再生については(バルセロナの都市再生の事例と共に)、当ブログでは何度も扱ってきたので再度ここで詳しく取り上げることはしません(地中海ブログ:何故バルセロナオリンピックは成功したのか?:まとめ)。ただ一点だけ強調しておくと、ビルバオはグッゲンハイム美術館だけで蘇ったシンデレラ都市ではありません。そうではなく、バスク州政府やビルバオ市役所などが何年も練ってきた都市戦略と都市再生計画、それらの上に細心の注意を払いながら乗せられたもの、それがゲーリーによるグッゲンハイム美術館であり、ビルバオ都市再生の骨子でもあるんですね。

極端な話、ゲーリーによるグッゲンハイム美術館が無かったとしても、僕はビルバオの都市再生は成功していたと思います。そしてこの点にこそ僕は「都市に対する建築の可能性」を感じてしまう瞬間はありません。 ←どういうことか?

上述したようにビルバオは決してゲーリーのグッゲンハイム美術館だけで再生したシンデレラ都市ではありません。←ここ、本当に大事です!←テストに出ます(笑)。

しかしですね、いまではビルバオに住んでいる誰もがグッゲンハイム美術館のことを知っていて、(ビルバオに実際に行けば直ぐに分かることなのですが)この地では子供からお年寄りまで、誰もがグッゲンハイム美術館のことを嬉しそうに語るんですね。街中で道を尋ねようものなら、「あなた観光客?グッゲンハイム美術館ならあの角を曲がってちょっと行ったところよ、、、」といった感じで、その口調は「この美術館のことを心から誇りに思っている」、そんな感じを受けてしまいます。

いわばグッゲンハイム美術館という建築は、「都市再生の効果を何十倍にも増幅することに成功した」と、そういうことが出来るのでは無いでしょうか?そしてこれこそ建築本来の姿なのでは、、、と思う訳ですよ。何故なら:

「建築とは、その地域に住んでいる人達が心の中で思い描いていながらも、なかなか形に出来なかったもの、それを一撃のもとに表す行為である」(槇文彦)

だからです。

そんなグッゲンハイム美術館なのですが、その都市的コンテクストについては今まで数々の言説が出ているにも関わらず、その内部空間、ひいては展示物との関係性についてはそれほど語られていない状況だと思います。そしてこの美術館を訪れた時に見るべきなのは、「内部空間の連なり」と、「その展示物との類稀なる関係性である」ということを今日は書いてみようと思います。

グッゲンハイム美術館は工業都市ビルバオの旧市街からはこんな風に見えます:

これだけで背筋がゾクゾクしますね。この辺りは旧重工業地帯のど真ん中で、それらの工場が廃れていくと共に、売春婦や麻薬中毒者、貧困層などが多く住み着くエリアとなってしまったそうです。

失業率は50%を超え、誰もが希望を失う、そんな悲しい街となっていったんですね。その時の名残、、、とでもいうのか、この細い路地の両側には車両が立ち並び、少し薄暗い路地を通してグッゲンハイムを見ることが出来るのです。そしてこの路地を抜けると出逢うのがこの風景:

圧巻の風景です。右手に見えるのはコピーと言う名前で呼ばれている巨大猫(笑)。この猫、表面が植栽されていて、季節によっては色とりどりのパンジーなどが植えられ、色鮮やかな猫に生まれ変わるそうです。

そこを通り過ぎて、もう少し近づいてみます:

どーん。先ずは向かって右手方向に大きく傾斜している壁、、、というか「アルミの塊」が非常に印象的です。これがものすごい圧迫感で迫ってきます。そして(雑誌に掲載されている写真ではナカナカ伝わらないと思うのですが)この建築へのアプローチはここから階段で1フロア降りていった所からになっているんですね:

うーん、、、このアプローチは非常に良く考えられてるなー。と言うのも、このアプローチは先程見た巨大猫との関係性から逆算されてデザインされているものだからです。多分、大多数の来館者の方々が先ず訪れるのは先程の巨大猫だと思うのですが、そこから一直線に美術館に向かってアプローチして行ってみます:

先程見た塊(右側の壁)が「これでもか!」と言わんばかりに迫り出してきます。そして下階へと向かう階段が、「左周りに螺旋を描きながら」下降していっているんですね。それはこちら側から見ると良―く分かります:

ほらね。もしもゲーリーが感覚に任せて、まるで「紙を丸めてグチャグチャと形態を決めているだけ」なら、決して出てこない形だと思います。言うまでもないことですが、このようなアプローチ空間における螺旋の構造は、コルビジェが非常に得意としたところでもあります(地中海ブログ:パリ旅行その6:大小2つの螺旋状空間が展開する見事な住宅建築:サヴォワ邸(Villa Savoye, Le Corbusier)その1:全体の空間構成について)。アルド・ヴァン・アイクとかもやってました(地中海ブログ:アルド・ファン・アイク(Aldo Van Eyck)の建築その1:母の家:サヴォア邸に勝るとも劣らない螺旋運動の空間が展開する建築)。

そしてエントランスを潜ったところで出会うのがこの空間:

非常に気持ちの良いエントランス空間の登場〜。壁が飛び出てきたり、反対に引っ込んだりと、非常に不思議な感覚を醸し出しています:

見上げれば色んな形態が複雑に絡み合いながら空を切り取っています。

ここから外へ出て行ってみます。川沿いに芸術作品が並び、観光客と共に地元の人達のお散歩コースになっているようでした。

ルイーズ・ブルジョワの巨大蜘蛛(Maman)もちゃんといました。

ちなみにここから10分程歩いた所にはカラトラバの橋が掛かり、街中にはノーマン・フォスターがデザインした地下鉄の入り口が口を開けています。

街の中心、Moyua駅構内にはノーマン・フォスターが残していったサインが大切に保存されていました。スペインという社会文化の中で、建築家という職業がどの様に扱われているのか、社会的にどの様な地位が与えられているのかが良〜く分かる象徴的な取り組みだと思います。

さて、グッゲンハイム美術館の内部空間に話を戻します。

先程外へ出た所から左手方向に歩いていくと、この美術館最大の展示室へと導かれます。そしてこの展示室にはリチャード・セラの超大作(The matter of time (1994-2005))が「これでもか!」と、所狭しと並べられているんですね。

(注意) グッゲンハイム美術館の内部は、美術作品以外は基本的に写真撮影可能となっています。そして写真撮影不可の美術作品が展示されている入口には「撮影禁止」という表示が掲げられています。しかしですね、リチャード・セラの展示室の入口には撮影不可の表示はありませんでした。また、他の来館者の行動を観察していると、みんなパシャパシャ写真を撮っているし、その姿を見ていた学芸員も注意等はしていなかったので写真撮影可と判断しました。

と言う訳で、いよいよリチャード・セラの作品を体験してみます。良く知られている様に、リチャード・セラは巨大な鉄板を弓形に曲げて、あたかも空間の歪みを作り出しているかの様な、そんな作風で知られています:

こちらは分厚い一枚をグルグルっと巻いて作った空間です。少しづつ中へと入って行ってみます:

入ってみると分かるのですが、この鉄の曲がり方が少し手前へ倒れていたり、あちら側に反れていたりと、一見同じに見える形態でも、それらの間にチョットした変化があるんですね:

そして見上げてみればこの風景:

歩くことによって刻々と変わっていくカーブが空を切り取っています。更に進むと、先程の倒れ掛かってくる壁の角度が変わることから、僕を包み込む空間も激変するんですね:

そしてまた空を見上げてみます:

先程とはちょっと角度が異なっていることにより、これまた空間が激変します。 、、、こんな時、僕が何時も思い出すのは、学生時代に目にした新建築住宅コンペ金賞案に書かれていた次の記述です:

四角形を多角形の中に挿入する。それをどんどん変化させていく。ある所は部屋になり、ある所は廊下になる。わずかな差であるが、空間は激変する」

(もう15年近く前だから裏覚え。でもこんな感じだったと思う)

これはジャック・ヘルツォークが審査員を務めた年の金賞案だったんだけど、説明文はこれだけで、あとはその四角形の中で多角形が少しづつ変化していく図が100個ぐらい書いてあるだけ。。。 ←キョーレツな印象を僕の心に残してくれました。

、、、と、そんなことを思いながら、今度は隣にある彫刻を見に行ってみます。こちらには何枚もの鉄板が立っています。その隙間から入って行ってみます:

壁がこちら側に押し寄せてきたり、あっち側へ行ったり、、、:

うーん、これはちょっと面白いぞー、、、と思い始めたら最後、気が済むまで体験するのが僕の可愛いところ(笑):

この巨大な空間に散らばるリチャード・セラの彫刻を一つずつ、端から端まで行ったり来たりしてみました:

特に数えてた訳じゃないけど、20往復はしたと思います(笑)。時間にして約6時間、、、 ←ひ、暇だな、オイ(笑)。 ←挙句の果てに、彫刻の前に座っていた警備員が、「あのー、だいぶ熱心に見られてるようですが、専門の方ですか?」とか話し掛けてくる始末(笑)。 ←「ええ、来館者調査のエキスパートですよ。MITの研究員とルーヴル美術館のリサーチ・パートナーやっています」って答えたら、なんか奥から学芸員という人が出て来て、、、と、今日の記事とは関係ないので、この続きは別の機会にでも。

そんなこんなで、6時間くらい歩き回った時のこと、「あ、あれ、この壁の傾き方はちょっと面白いかも、、、」と思ったのがこちら:

そう、この壁の傾き方は、シザの教会の壁の膨らみに似てるかも、、、と一瞬そう思ってしまったんですね。そしてここで僕はあることに気が付きました:

「も、もしかして、リチャード・セラという彫刻家は、こんな風に壁を迫り出したり、押し込めたり、はたまた湾曲させてみたりして、その空間を歩き回る我々がその空間でどう感じるかという実験を行なっているんじゃないのか、、、???」

そーなんです!リチャード・セラがこの広大な空間で実験していること、それは一枚の大きな壁を使って様々なパターンを作り出し、我々がそういう空間に身を置いたらどう感じるか、、、という壮大な空間実験をしているのです!

これは凄い!というか面白い!何故ならこれは非常に建築的な提案でありながらも、単体の建築には真似出来ないことだからです。 ←上に述べたシザの教会の壁や(地中海ブログ:アルヴァロ・シザの建築:マルコ・デ・カナヴェーゼス教会の知られざる地下空間:真っ白な空間と真っ黒な空間)、エンリック・ミラージェスのお墓で傾いていた壁など(地中海ブログ:イグアラーダ(Igualada)にあるエンリック・ミラージェスの建築:イグアラーダの墓地)、局所的に一つか二つくらいの空間体験を作り出すことは可能かもしれないけど、空間体験の色んな可能性をここまで用意するのはコストの面から言っても非常に難しいかなー、という気がします。

僕がこの壮大な実験のことに気が付いたのは、この展示室に入ってからかなり時間が経った頃のことだったんだけど、何故そんなに時間が掛かってしまったかというと、それは僕の頭の中では「彫刻=一瞬の凍結」いう方程式が先入観としてあったからなんですね。彫刻と建築の違いを僕は以前のエントリでこんな風に書いています:

「‥‥彫刻の素晴らしさ、それは一瞬を凍結する事だと思います。何らかの物語の一コマ、その一コマをあたかもカメラで「パシャ」っと撮ったかのように凍結させる事、それが出来るのが彫刻です。建築家の言葉で言うと、「忘れられないワンシーン」を創り出す事ですね。

では何故、彫刻にこんな事が可能なのか?それはズバリ、彫刻は動かないからです。「そんなの当たり前だろ、ボケ!」という声が聞こえてきそうですが(笑)、これが結構重要だと思うんですよね。彫刻は時間と空間において動きません。だから僕達の方が彫刻の周りを回って作品を鑑賞しなければならないんですね。そしてもっと当たり前且つ重要な事に、彫刻は一度彫られた表情を変えないという特徴があります。だからこそ、彫刻の最大の目標は「動く事」にあると思うんですね。

‥‥中略‥‥

建築家である僕は(一応建築家です(笑))、ココである事に気が付きます。「これって建築、もしくは都市を創造するプロセスとは全く逆じゃん」という事です。どういう事か?

僕達が建築を計画する時、一体何を考えてデザインしていくかというと、空間の中を歩いていく、その中において「忘れられないワンシーン」を創り出していく事を考えると思います。何故か?何故なら建築とは空間の中を歩き回り、その中で空間を体験させる事が可能な表象行為だからです。だから建築や都市には幾つものシーン(場面)を登場させる事が出来ます。そう、幾つものシーンを登場させる事が出来るからこそ、我々は、忘れられない「ワンシーン」を創り出そうと試みる訳なんですね。

‥‥中略‥‥

このように彫刻と建築は、その作品の体験プロセスにおいて全く逆の過程を経ます。彫刻は「ある一瞬」から心の中に前後の物語を紡ぎ出す事を、建築は様々な場面から心に残る一場面を心に刻み付ける事を。しかしながら、それら、彫刻や建築を創り出す人が目指すべき地点は同じなんですね。それは「忘れられないワンシーン」を創り出す事です。」(地中海ブログ:彫刻と建築と:忘れられないワンシーンを巡る2つの表象行為:ベルニーニ(Bernini)の彫刻とローマという都市を見ていて

しかしですね、このグッゲンハイム美術館で展開されているリチャード・セラの彫刻は、今まで僕が見てきたどんな彫刻とも全く違うものだったと思います(地中海ブログ:世紀末の知られざる天才彫刻家、カミーユ・クローデル(Camille Claudel)について)。それは、何かしら忘れられないワンシーンを一瞬に凍結したものではなく、その中を歩くことによって我々に空間を体験させる、いわば、建築の様なものだったのです。

彫刻は動きません。だからこそ、いかにそこに動きを創り出すかが彫刻の究極の目的だと僕は思います。その一方、建築は空間を連続させることによって、来館者にその空間を体験させます。つまりは、その空間の中を動く来館者が、いかに「忘れられないワンシーン」を記憶に残すことができるか、それが建築の醍醐味なんですね。

しかしですね、今回見たリチャード・セラの彫刻は、あたかも「建築的に振舞っているかの様」なのです。しかも、建築には到底真似出来ない方法で、来館者に様々な建築的な体験をさせるというおまけ付き。

この様な建築的な彫刻が、ゲーリーのグッゲンハイム美術館の、その最も代表的な彫刻としてここにあることの意味、それを考えるのもまた面白いとは思うんだけど、それはまた、別の話。

動かないが故に、一瞬の中に動きのエッセンスを込めることによって、そこから動きを彷彿させることを信条とする彫刻。空間の中で動くことが出来るが故に、その動きの中から忘れられないワンシーンを永遠に動かないものとして止めることを目的とする建築。

非常に良いものを見させて頂きました! 星、3つですー!!!

追記: バスク地方はグルメの街としても非常に良く知られています。一応事前に調べて「タパスが美味しい」と評判のお店に行ったのですが、これがトンデモなく美味しかった。下記は僕が滞在中に食べたタパスの一例。どれも400円くらいの小皿なんだけど、全てのお皿がコース料理のメインをはれるくらいの質を持っていました。正直、このレベルの料理がこの値段で街の至る所に溢れているというのは、ちょっと驚愕レベルだと思います。

タコ煮。

ホセリート(イベリコ豚の最高級品)、チーズ、フォアグラ。

中はこんな風になっています。

こちらはホセリートの角煮っぽいやつ。

卵、フォアグラ、キノコ、ポテトなんかをフライパンに載せたもの。一体自分が何を食べているのか、正直良く分からなかったけど、今まで食べたことがないくらい美味しかったことだけは確かww

こちらは卵焼き(トルティーリャ)。在スペイン16年だけど、こんなに凝ったトルティーリャはいままで見たことがありません(笑)。

| 旅行記:建築 | 14:32 | comments(3) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
アントニ・ガウディの建築:コロニア・グエル(Colonia Güell)の形態と逆さ吊り構造模型

先週末、バルセロナから電車で約15分のところにあるガウディの傑作中の傑作、コロニア・グエル教会に行ってきました。

ガウディ建築に関しては、バルセロナの「街としての質」を決定付けていることなどから、当ブログでは頻繁に取り上げてきました(地中海ブログ:まるで森林の中に居るかの様な建築:サグラダファミリアの内部空間、地中海ブログ:ガウディ設計の世界遺産グエル館(Palau Guell)その1:この建築の地下に眠っている素晴らしい空間は馬の為のものだった!、地中海ブログ:オープンハウスその4:ガウディのパラボラ空間が堪能出来る、サンタ・テレサ学院(Collegi de les Teresianes))。その中でも、コロニア・グエルに関しては、行き方やその建築の特徴を含め、特筆する形で書いてきたんですね(地中海ブログ:アントニ・ガウディ(Antoni Gaudi)の建築:コロニア・グエル(Colonia Guell)その1:行き方)。

「コロニア・グエル駅」に着いたら、そのまま駅を出て電車の進行方向とは反対側へ歩くこと5分、旧紡績工場群が姿を現してきました:

古い工場や建物を壊すのではなく、改修して蘇らせることによって地域活性化に貢献させるべく、新しく蘇った建物の中にはベンチャー企業やクリエイティブ産業などが多く入り、この廃れた街に活気を与えているのが見て取れます(地中海ブログ:パン屋さんのパン窯は何故残っているのか?という問題は、もしかしたらバルセロナの旧工場跡地再生計画を通した都市再活性化と通ずる所があるのかも、とか思ったりして)。

当時の趣を色濃く残す町中には、ガウディ建築を目指して集まってきた観光客がチラホラ見えます:

町の中心近くにある観光案内所を訪れ、教会堂へのチケットを購入します。この観光案内所では、この町の歴史に関する情報や、近郊の町の情報、更には観光ルートなどを教えてもらうことが出来ます。そんな観光案内所を出て歩くこと約3分、林の中にひっそりと佇んでいる教会が姿を現します:

その佇まいは本当にさりげなく、まるで周りの雰囲気と一体化しているかのようなんですね。そしてコチラが現在の正面ファサードです。

何とも不思議な造形です。2002年に完成した改修によって現在はこの方向からのアプローチとなっているのですが、それ以前は大階段があった下記の方向からのアプローチとなっていました:

しかしですね、造形的には現在の方向から見たファサードの方が圧倒的にカッコイイかなー、と個人的には思います:

向かって右側にある作りかけの階段が途中で折れて捩じれている事によって、大変不思議な上昇感を創り出しているんですね。右端の一番低い部分から始まった「線」が斜めに駆け上り、左側の不思議な形の窓が付いた壁がしっかりとその「線」を受け止めているのが見て取れます:

よく知られているように、この建築は工事半ばでガウディが手を引いてしまった為、「永遠の未完の作品」となってしまいました。だから地下の未完成部分だけを指して「ガウディの造詣能力」を賞賛するのはちょっと違う気がしないでもないけど、そうせずにはいられないほど魅力的な造詣である事も又確かなんですね。

さて、このコロニア・グエルで僕が、ずーーーーーっと心に引っ掛っている事があります。

伝説ではガウディは、コロニア・グエルの建築形態や内部空間を「逆さ吊り実験模型で自動的に決定した」となっていたと思います。 ←ちょっと違うかもしれないけど、多分こんな感じ。

明らかなのは「逆さ吊り模型」の視覚的なインパクトの強さと、ガウディの自然信仰と合致する分かり易い物語(柱や壁に相当する位置に実際の荷重を模した袋を吊り下げると重力がアーチを作ってくれる)が相俟って「形態の自動決定神話」を生み出したんだと思います。

この伝説に従うと、この建物は「全体」でバランスを取っているということになります。逆に言うと、建物バランスは一部分だけでは成り立たない訳ですよ。何が言いたいかというと、、、地下部分しか完成しなかったコロニア・グエルは何故崩れないんでしょうか?←だって、構造計算には完成予定だった上階の加重とか応力とかも考慮されているんですよね?

それが完成しなかったという事は、その部分が無くなるわけだから、当然全体の構造に響いてくると考えるのが普通なんじゃないでしょうか?この点がずーーーと、僕の心に引っ掛っていたんですね。

「なんでだろうなー?」とか思いつつ家に帰って鳥居徳敏さんの傑作、「ガウディ建築のルーツ:造形の源泉からガウディによる多変換後の最終造形まで」をパラパラとめくっていたら、大変明快な答えが書かれていました。

鳥居さんはこの著作の中で「構造合理主義」と「構造表現主義」という概念を用いてガウディの建築における「構造表現主義の重要性」を説かれています。両者の違いは何かというと:

「構造が形態を要求する」が構造合理主義の理念とするならば、構造表現主義のそれは「形態が構造を要求する」といえるであろう。・・・構造が形態を要請し、力学から自動的に形が生まれると考えるのが構造合理主義の理念とすれば、構造表現主義は最初に形が存在するのであり、その形は作者が想像した形態であり、作者の想像力の賜物になろう。」(p38)

と簡潔に述べられています。

そして構造表現主義の特徴が顕著に見て取れるのがコロニア・グエルだと言われているんですね。それを示す一つの例が教会堂内部の内側に倒れ掛かっている4本の柱です。

模型では内部の柱は全て垂直、もしくはほぼ垂直だったそうです。しかし実際の教会では4本の柱は内側に倒れ掛かっています。

何故か?←何故ならガウディは彼が想像した美しい内部空間を構造の合理性を使って表現しようとしたからです。

そして僕が疑問に思っていた事と全く同じ事が、模型と実際の形態が異なる証拠として提出されています。

「・・・もしこのクリプトが逆さ吊り実験どおりに建設されていたとしたら、すでに崩壊していなければならない。なぜなら、逆さ吊り模型は全体が完成して初めて構造の安定が計られることを前提とした実験であったからで、実際は教会堂本体の上部構造が未着工であり、実験前に計算された上部荷重が全く存在しないからだ。」(p64)

これらから導かれる結論は、コロニア・グエルでは実験模型によって自動的に内部空間や形態が決定されたのでは無いという事です。

では、何故ガウディはこんな事をしたのか?というと、それはガウディが構造合理主義の建築家ではなく、構造表現主義の建築家だからなんですね。つまり構造によって経済性を追求する(構造合理主義)のではなく、あくまで美しい形態を目指し、「建築家の表現意欲に従って構造力学の合理性が建築制作に利用される事」を目指したからです。

素晴らしい。非常に明快です。

さて、鳥居さんが大変に素晴らしいのは、海ぐらい深い知識もさる事ながら、それらの知識を道具とした彼の解釈(創作)だと思います。鳥居さんは本書の冒頭でこのように述べられています:

「「創造」が「無」から「有」、あるいは「一」から「多」を作ることを本質にするとすれば、「創作」は「有」から「もう一つの有」、もしくは「多」から「一」を作ることを最大特色とする。つまり、何も無いところから何かを作るのでなく、与えられている無数の材料から何らかの一つのものを作ること、これが人による「創作」の基本になろう。」(p2)

全くその通りだと思います。例えば僕が大好きな建築家、ポルトガルのアルヴァロ・シザの建築の源泉は明らかにアールトであり、ハンス・シャウロンであり、モロッコの土着建築だと思うんですね(地中海ブログ:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)のインタビュー記事:シザ建築の特徴は一体何処からきたのか?)。

そこから出発して幾度かの変遷を経て、最終的にはシザの建築になっています。変形の過程で、ある時「ふっ」と彼の建築になる瞬間があるわけですよ。だから彼の建築にアールトの片鱗が見えようとも、シャウロンの形態が見えようとも、空間は紛れも無くシザのものになっているのです。

ガウディという一人の天才に真摯に向き合う事によって、膨大な知識を道具としながらも、その組み合わせで新しい解釈を創り出した鳥居さんこそ、人間に与えられた素晴らしい能力である「創作」を通して人間としての生き方そのものを示した偉人だと思います。

| 建築 | 13:47 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ガウディの影武者だった男、ジュジョールのメトロポール劇場

「理念的にも技術的にもジュジョールが先進工業社会の芸術家たちと同じ基盤から出発しなかったという意味において、一般に認められている20世紀前衛芸術の歴史が示すものとは異なる」- イグナシ・デ・ソラ=モラレス

「今日までなかったことだが、もし誰かが20世紀のスペイン芸術・建築界で最も多様性に富み、創造性と想像性に秀でた3人の芸術家、ある意味で、その方面で最も重要な3人を指摘せよと私に訪ねたとすれば、躊躇することなく、ガウディ、ピカソ、ジュジョールの名を上げるであろう。」- カルロス・フローレス

バルセロナから電車で1時間ほど南に行ったところにある世界遺産指定都市タラゴナ(Tarragona)に行ってきました。世界遺産指定都市とは、旧市街地などが「全体で」世界遺産に登録されている都市のことを指し、現在スペインではサンティアゴ・デ・コンポステーラなど13都市が指定されています(地中海ブログ:サンティアゴ・デ・コンポステーラ:アルヴァロ・シザのガリシア現代美術センターその2)。

古代ローマ時代に築かれたタラゴナはイベリア半島最大の規模を誇り、当時の栄華を伝えるかのような雰囲気が、この街にはそのまま残っていたりするんですね。街中を歩いていると不意に石積みの城壁や巨大なモニュメントに出くわすこのワクワク感!

これはバロック都市ローマを歩く感覚に似てるなー、、、とか思ったりして(地中海ブログ:ローマ滞在2015その2:ローマを歩く楽しみ、バロック都市を訪ねる喜び)。

そしてこの街の最大の魅力の一つがこちらです:

その名も「地中海のバルコニー」!眼前に広がる地中海、それが全て自分のものであるかのような、そんな感覚を引き起こしてくれるほど圧巻の眺めとなっています。朝から晩まで見ていても全く飽きない、この街にはそんな風景が広がっているんですね。

そして左手を見下ろせばこの風景:

ローマ時代の円形競技場です。ローマのコロッセオに比べると規模は小さいんだけど、タラゴナの円形競技場は、「地中海に浮かぶ競技場」と、そう形容出来るほど素晴らしい作りとなっています。ローマ人がこの地をイベリア半島の拠点に選んだのも納得がいくなー。

こんな見どころ満載の世界遺産指定都市タラゴナなんだけど、今回この街を訪れたのはローマの遺跡群を訪問する為ではありません。僕がわざわざこの街に来た理由、それは普段は一般公開されていないジュジョールの傑作中の傑作、メトロポール劇場を訪れる為なんですね(地中海ブログ:バルセロナ・オープンハウス2015:オープンハウスとオープンデータ:今年のテーマはジュジョールでした)。

ひょんなことから知り合いになったタラゴナ市役所の人と話していた所、「え、cruasan君って建築家なの?てっきりコンピュータ・サイエンティストだとばかり思ってた(驚)!それならジュジョールの建築とかって興味ない?市役所の友達がメトロポール劇場の管理責任者だから、連絡してあげるよ」、、、と。そりゃもう、「興味ありまくりです!」。なんてったって、普段は公開していない建築ですからね、どんなに忙しくたって飛んできますよ(笑)。

(注意)この建築は「団体での訪問(数週間前に要予約)」のみ受け付けており、個人への一般公開はしていません。しかし今でも現役の劇場として使われているので、もしどうしてもこの劇場を見たいという方は、週に何回か催される演劇のチケットを購入して劇場の中に入る、、、という裏技があったりします。ちなみに僕が訪れたのはお昼の12H頃だったんだけど、舞台のリハーサル中だった為、照明がつけられないとのこと。暗闇の中での建築鑑賞でした。

 

この建築への入り口は市内随一の目抜通り新ランブラス通り(Nova Ramble)に面しています。どちらかというとこのエリアは観光客向けのエリアとなっていて、この通りに面して沢山のレストランやバル、小売店などが立ち並び、非常に活気のある地区となっているんですね。←その代わり、カフェの値段設定も観光客向けで、パッと見た所、ベルムッ(お酒一杯)、サンドイッチ、オリーブの実の三点セットで5euroというお店が結構多かった。

こちらがメトロポール劇場のファサードなのですが、まさかこの中に劇場が入ってるなんて、言われないと分かりません。まあ、確かに「メトロポール劇場」とは書いてあるんだけど、パッと見は普通の集合住宅ですからね。ちなみに真ん中の入り口は現在は使われてなくて閉鎖中。今回は特別に右側の入り口を開けてもらいました。で、中に入ると我々を出迎えてくれるのがこの空間:

真っ白な壁に真っ赤な光線が非常に印象的なジュジョール空間の登場〜。

窓ガラスには真っ赤な光線が映り込んでいます。黄色いストラクチャーとの兼ね合いも抜群。これを見て「ガンダムのシャアっぽいなー」と思った人、結構いるのではないでしょうか?(笑)。

また、ジュジョール建築には欠かせない彼独特の装飾タイルも健在。ここの廊下は細部を見出すとキリが無いくらい面白くって、この空間だけで3時間は見ていられます(笑)。後ろ髪を引かれながらも、この長―い廊下をくぐり抜けると出くわすのがこちらの空間です:

この劇場のエントランスホールとでも言うべき階段ホールの登場〜。天井には先ほどの渡り廊下からの装飾が続き、空間的な一体感を醸し出しつつ、左手にはジュジョール作のドラゴンの彫刻が神秘的な光の中に浮かび上がっているんですね:

上に行ってみます。この階段空間も味があるなー:

そして出くわすのがこちら:

で、出た!ジュジョールの真骨頂、まるで抽象絵画のような空間。。。暗闇の中に真っ青な背景、その中に真っ赤な目のような形をしたオブジェが浮かんでいます。そこから劇場の中へと入っていくと、全体はこんな感じかな:

上述した様に、僕が訪れた時は舞台を作っている最中だったので劇場内は真っ暗。そのおかげで、明暗のコントラストが非常に強い状態を見ることが出来ました。

そしてこの建築のもう一つの見所がこちらです:

じゃーん!観客席のど真ん中に立っている柱とその天井です。当時の市の建築家に「構造が持たないだろう」と大反対されたというこの客席を支える柱。ここにジュジョールの思いを見るような気がします。そしてこの天井がちょっと凄い:

これは後にジュジョールがプラネイス邸で見せた手法ですね(地中海ブログ:オープンハウス in バルセロナ(48 OPEN HOUSE BCN):ジュゼップ・マリア・ジュジョール(Josep Maria Jujol)のプラネイス邸(Casa Planells)):

このうねるような天井、これを観れただけでも、この建築を訪れた価値があるというもの。正にジュジョールの「イマジネーションの具現化」です。

個人的にジュジョール建築の面白さは、「彼があたまの中に描いた魅力的な世界観がそのまま現実空間に具現化されているところ」だと思うんですよね。スケッチが上手い建築家は星の数ほどいるし、その世界観が非常に魅力的な芸術家も沢山いるんだけど、それら多くのイマジネーションは現実空間に具現化された途端に輝きを失ってしまいがちです。しかしですね、ジュジョールの場合、そのイマジネーションの輝きがそのまま現実空間の中でも輝き続けている、、、ということが出来るのではないでしょうか。彼が描いた夢の世界に生身の体のまま連れて行ってくれる、、、そのように思わせてくれる空間の質が彼の建築には存在しているのです。

さて、次は地下に降りて行ってみます:

実はこの劇場は、「海の中」、そして「船」というモチーフと共に考えられたらしく、地下は深海のイメージでデザインされています。

地下空間の至る所にはそれらのモチーフがふんだんに使われているんだけど、天井には海面のゆらゆら感が表現されていたりします。

ここから外へ出て行ってみます。

これがこの劇場の全体像。入口がある新ランブラス通りに面している住宅と、裏手にある住宅一棟分が演劇ホールになっているのですが、その間を結ぶ回廊が非常に良い均衡空間となっていることが分かります。つまりこの空間を通ることによって、「これから劇場の中に入っていくぞ!」という心構えを作る前室となっているんですね。この回廊の天井も必見:

黄色い筋交いが非常に印象的です。この部分は内戦の際に爆撃により破壊されてしまった為、半分がジュジョールのオリジナル、もう半分がオリジナルに忠実に基づいて復元された部分となっています。そして目線の先には、ガウディが得意とした逆三角形の柱がチラチラと見え隠れしています:

この建築の改修の依頼はもともとガウディにきていたらしいのですが、サグラダファミリアに没頭していたガウディが、同郷(タラゴナ出身)の弟子(ジュジョール)に仕事を回した、、、という経緯があるそうです。そんなこんなで、ガウディの工房から独立したジュジョールが実質的に初めて手掛けた建築作品という位置付けでもあるんですね。また、ジュジョールは長らく「忘れられた建築家」だった為、この建築は後年(1950年代)映画館に改装され、その際に窓が塞がれたり、動線が不明になったりと、建築としては廃墟同然の状態にまでなってしまいました。

そんな中、近年のジュジョール建築への再評価が高まるにつれ、タラゴナ市役所が物件を購入し、修復・再建する方針を打ち出したこと、そしてもう一つ重要なファクターとして、この修復に携わったのが、スペインを代表する建築家の一人、ジョセップ・リナスだったことが挙げられます(地中海ブログ:オープンハウス in バルセロナ(48 OPEN HOUSE BCN)その1:ジョセップ・リナス(Josep Llinas)のInstitut de Microcirurgia Ocularに見る視覚コントロールの巧みさ)。

元々ジュジョールの大ファンだったリナスは、ジュジョールのオリジナル部分を丹念に調べ上げ、注意深く修復を施しました。いわばこの建築は、時代は違えどカタルーニャが生んだ代表的な建築家二人の協働作品というべきものにまで昇華された、そんな建築作品となっているのです。

追記: 地中海都市タラゴナは海産物が非常に充実していることで有名です。

特にパエリアやロブスターの雑炊(スープパエリア)、ムール貝などは絶品なので、もしタラゴナに行かれた方は是非試されてみる事をオススメします。

値段もバルセロナよりも安く、地中海を眺めながら非常にゆったりとした時間を過ごす事が出来ると思います。

| 建築 | 14:13 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
イグアラーダ(Igualada)にあるエンリック・ミラージェスの建築:イグアラーダの墓地

バルセロナから電車で2時間ほどの所にある小さな町、イグアラーダ(Igualada)に行ってきました。この町はカタルーニャが「スペインのマンチェスター」と言われていた19世紀末頃に繊維工業で栄え、町の至るところには当時の面影を残す工場跡地が幾つも顔を覗かせています(地中海ブログ:パン屋さんのパン窯は何故残っているのか?という問題は、もしかしたらバルセロナの旧工場跡地再生計画を通した都市再活性化と通ずる所があるのかも、とか思ったりして)。

その割に、歴史的中心地区は意外に小さく、幾つかのミュージアムを除いては特に見るものも無し。。。しかしですね、そんなコレといった観光資源もない町に、毎年海外から数多くの建築家達が押し寄せて来るという摩訶不思議な現象が起きているんですね。

何故ならこの町にはカタルーニャが生んだ今世紀を代表する建築家、エンリック・ミラージェスの傑作の一つ、イグアラーダの墓地があるからです。

実は、、、バルセロナに来た当初、エンリック・ミラージャスの建築にはさっぱり興味がありませんでした。勿論、El Croquisなどを通して知ってはいたのですが、なんかクネクネしてるだけだし、「ほ、本当にこれが良い建築なのか?」とかなり疑心暗鬼だったんですね。

そんな僕の疑念を一気に吹き飛ばしてくれた建築こそ、今回訪れたイグアラーダのお墓だったのです。いま思えば当時の僕は、「建築とは何か、社会文化とは何か、建築家とはその社会にとってどういう存在なのか?」といったことが、これっぽっちも分かっていない若造でした。というか、そんなことを考える=「建築をその地域の社会文化の中で考える」というアイデアすら思い付かないほど、何も知らなかったのです。

←スペインの格言で「無知とは最大のアドバンテージだ(Ia ignorancia es una gran ventaja)」というのがありますが、正にそれにピッタリだったと思います。

そんな僕に、建築と社会の繋がりの大切さを教えてくれたのが、エンリック・ミラージェスの建築であり、Oportoを拠点とする建築家、アルヴァロ・シザだったんですね。

いまから15年前、当初はソウト・デ・モウラの建築に興味があって訪れたポルトガルだったのですが(地中海ブログ:エドゥアルド・ソウト・デ・モウラの建築:ポウザーダ・サンタ・マリア・ド・ボウロその2:必要なくなった建築を壊すのではなく、修復してもう一度蘇らせるという選択肢)、「時間が余ってしまった」という消極的な理由から偶々見に行った美術館が素晴らしすぎて、その3日後には「シザの建築をどうしても理解したい」と思うようになり、即決で1年弱Oportoに住み込むことにしちゃいました。

←若い時だからこそ出来たムチャです(笑)。

←その当時は時間は腐るほどあったし、何よりユーロ通貨が導入されたばかりの頃だったので生活費が尋常じゃ無いほど安かったのです(地中海ブログ:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)のインタビュー記事:シザ建築の特徴は一体何処からきたのか?)。

Oportoに住んでいる間、毎日の様にシザの建築を訪れたり、街のいたる所で行われる建築関連のイベントに参加したりと、「書籍からではなく体験から」、建築と社会文化、そしてその社会の中における建築家の役割ということを肌で学ぶ事が出来たのは本当に幸運だったという他ありません(地中海ブログ:アルヴァロ・シザの建築:セラルヴェス現代美術館:人間の想像力/創造力とは)。また日本では「詩的」と評されるデザインばかりが紹介されがちなのですが、ポルトガルというローカルな地域の中でグローバルな建築家がどう評価され、どう受け止められているのかという別の側面を垣間見ることが出来たのは、建築家としての僕のキャリアを形成する上で掛け替えのない財産となったと思います。

それ以来、書籍でしか見たことの無い建築や、自分が住んだことの無い地域の建築を深く語るのはやめることにしました。

建築は社会文化に深く入り込んだ存在であり、その社会文化の表象でもあるので、その建築がその社会の一体何を表しているのか、その文化にとってどんな意味があるのかを理解しないことには、その建築がそこに建っている意味が分からないと思うようになったからです。例えば僕は昔からジャン・ヌーベルの建築が良く分からなくて、結構色んなところで批判もしてきたのですが、「あの「ヌメーとした感覚」は、もしかしたらフランス文化のある側面を表しているのかもしれない、、、」といまはそう思うことが出来るようになりました(地中海ブログ:マドリッド旅行その2:ジャン・ヌーヴェルの建築:国立ソフィア王妃芸術センター)。

そんな僕の眼から見た時、エンリック・ミラージェスの建築は、バルセロナというこの地のもつパワー、ギラギラ照りつける太陽の下、陽気に溢れ返っているこの地の社会文化を的確に表象している、そう断言することが出来ます。彼が意図する・意図しないに関わらず、彼が創る建築はそんな側面を表象してしまう、そんな数少ない建築家の一人なんですね。そう、まさに:

「建築とは、その地域に住んでいる人達が心の中で思い描いていながらも、なかなか形に出来なかったもの、それを一撃のもとに表す行為である」(槇文彦)

注意

このお墓は工業地帯の一角(町の郊外)にあります。駅から歩いて45minくらい、タクシーなら10min程度ですが、人気(ひとけ)があまり無いところなので一人で行くのは絶対に避けましょう。

←スペイン在住16年で、危ない環境に足を踏み入れたら即座に危険センサーが鳴り響く僕ですら、正直ちょっと怖かったです。

←繰り返しますが、出来るだけ大人数で行くことをお勧めします。

さて、タクシーを降りてお墓に到着したら先ず我々を出迎えてくれるのがこの風景:

大自然の中にひっそりと佇むコンクリートの形態達、、、って感じかな。コールテン鋼で創られた軽快なオブジェが、青い空と緑にマッチしています。ダイナミックな形態をしたこのオブジェはミラージェスの十八番。

カタルーニャ内陸部にミラージェス事務所がデザインした小さな図書館があるのですが、その建築に流れる物語のクライマックスに変形可動テーブルを持ってきていることは以前のエントリで詳しく書いた通りです(地中海ブログ:エンリック・ミラージェスとベネデッタ・タリアブーエのパラフォイス図書館:空と大地の狭間にある図書館)。ちなみにスカルパもクエリーニ・スタンパリアで壺による大変特殊な空間体験を持ってきていましたし(地中海ブログ:カルロ・スカルパの建築その2:クエリーニ・スタンパリア:空間の建築家カルロ・スカルパ:ものすごいものを見てしまった)、カステル・ヴェッキオでは、各展示室に置かれた家具が、空間の質を左右する重要な要素として考えられていました(地中海ブログ:カルロ・スカルパの建築その3:カステルヴェッキオ:空間の建築家カルロ・スカルパ:ものすごいものを見てしまったパート2)。

そんなことを思いつつ、いよいよ中へと入っていきます。

これが典型的なヨーロッパのお墓です。我々日本人にとっては非常に印象的な風景だと思います。そう、ヨーロッパのお墓というのは、こんな感じで高層マンションの様になっているんですね。

どうしてこうなっているのかというと、日本では火葬が一般的なのですが、ヨーロッパでは土葬が主流だからです。つまりはそれだけスペースが必要になってくる為、高層化しないと土地が幾らあっても足りなくなってしまうからです。特にカトリック信仰が根強く残っているスペインにおいては、基本的にみんな土葬だったりするんですね。

←なんでかって、カトリックでは「死んだら復活して天国へ行ける」と信じているので、体を焼いちゃったら復活出来ないからです。

←火葬の日本では、死んだ直後に焼いちゃうから、死人はその時点で時間が止まる為、日本の幽霊(お化け)はいつも五体満足で出てきます。

←逆にヨーロッパのお化けは基本的にゾンビです。ヨーロッパでは土の中に体が残っている為、死んでからも時間が経過するので(つまりは腐敗が進む為)、五体満足の状態では出てこれないのです。

埋葬の仕方なのですが、基本的に上の写真の穴一つ分が1家族の埋葬スペースになります。で、この高層マンションタイプが一般庶民用なんだけど、お金持ちのお墓っていうのがコチラ:

ゆったりスペースタイプ(笑)。正に「地獄の沙汰も金次第、、、」と言った感じでしょうか。ちなみに下のお墓はバルセロナ市内にあるイルデフォンソ・セルダのお墓です:

バルセロナの新市街地を創った彼のお墓らしく、セルダブロックがデザインされたオシャレな創り(笑)。また律儀にも、現在の過密状態ではなく、彼が理想とした低密度バージョンになってるww

さて、この建築の最初の見所がコチラかなと思います:

エントランス向かって右手側が斜めに大きくせり出し、その力を受けて少し押されるかのように反対側の形状が凹んでいるんですね。これはコルビジェの影響だと思われますが、ミラージェスのもう一つの傑作、バラニャ市民会館がコルビジェの影響を強く受けていることは以前のエントリで書いた通りです(地中海ブログ:エンリック・ミラージェスの建築:バラニャ市民会館:内部空間編)。

ただ、形態的には確かにコルビジェなんだけど、この強いせり出しによる空間構成とここに流れる空気は、アルヴァロ・シザの教会の膨らみに似ている気がします(地中海ブログ:アルヴァロ・シザの建築:マルコ・デ・カナヴェーゼス教会の知られざる地下空間:真っ白な空間と真っ黒な空間)。

1つのユニットとしての箱(1人用のお墓)がこれだけ沢山並んでいると、それだけである種のリズムを創り出していて爽快です。つまりは同じものを反復することによる美、、、という手法ですね。、、、ここで思い出されるのがミース・パビリオンなのですが、実は僕、バルセロナに来たばかりの頃、バルセロナ・パビリオンの良さがさっぱり理解出来なくて、一ヶ月くらい毎日通い続けたことがありました。

←あまりにも毎日来るものだから、係員のお兄さんが不思議がって、「お前は一体誰だ?」みたいな話になり(笑)、それが縁でミース財団と知り合いになり、一年後にミース財団奨学生にしてもらうことが出来たっていう、嘘のような本当の話(笑)。

その当時は時間だけはあったものだから、本当に毎日通ってて、で、一ヶ月くらい経ったある日、ふと気が付いたのです。

「大判で同じサイズのトラバーチンがあれだけ丁寧に、しかも毅然と並んでいる風景は結構美しいかもしれない、、、」と。

ちなみに僕は奨学生という立場を利用して、バルセロナ・パビリオンの地下に入ったことがあります。

←バルセロナ・パビリオンの再建を請け負ったイグナシ・デ・ソラ・モラレスによると、オリジナルと複製で唯一違うのが「地下空間があるかどうか、、、」という点だそうです(地中海ブログ:バルセロナパビリオン:アントニ・ムンタダスのインスタレーションその1)。

←もう一つちなみに、今年(2016年)はミース・パビリオン再建30周年記念だった関係で様々なイベントが行われていたんだけど、再建当時、このパビリオンの大理石を探す為に世界中を駆けずり回っていた石職人のおじいちゃんのインタビュー記事が地元の新聞に載っていました。

こういう記事が新聞の見開きに大々的に載ること自体、市民全体に「建築」が浸透していることの証でもあると思います。

さて、この建築の構成なのですが、左手には先ほどみたお墓が一直線に並んでいるのに対して、その力を受ける反対側のお墓は、あたかもその静寂さを崩すかのような構成をしているのが分かるかと思います:

3つに区切られたブロック、その真ん中の部分だけを敢えて引っ込ませることによって、画一的になりがちな形態に動きを与えることに成功しているんですね。更にその引っ込んだ部分は、左手側の形態に対応している為、二つの形状の間に連続感すらも獲得しているというオマケ付き。この辺は非常に上手いと思います。

また、この引っ込みによって出来た空間(膨らみ)が、クライマック的空間に到達する一つ手前のクッションとして働き、人の流れに対する「溜まり」を請け負っていることも分かります。そこを抜けると広がっているのがこちら:

じゃーん!大変気持ちの良い、円形広場です。注目すべきはここかな:

空を切り取っていた直線がその端部においてどう終わっているか、、、という点です。そう、建築のデザインにおいて大事なことは、直線そのものではなく、その直線が他の直線とどう交わっているのか、はたまたその直線がその端部でどう終わり、どのように空を切り取っているのか、、、ということなんですね。

それらのことが非常に良く分かる基礎デザインのオンパレード!ミラージェスの建築が輝いているのは、なにもそのグニャグニャ感だからなのではなくて、そのグニャグニャ感を支えている「ちょっとしたデザイン」、その基本をキチンと押さえているからこそ、彼のグニャグニャが活きてくるんですね。そういうデザインの基礎も何も無しにやっているのは、単なる形態遊びでしかありません。

さて、この位置から今辿ってきた道を振り返ってみます:

この位置から見ると明らかなんだけど、エントランス(入り口部分)が狭く、そこから奥に行くに従って末広がりの空間構成になっていることが分かるかと思います。そしてその空間を抜けると広がっているのがこの風景:

一番奥の部分に、人々が溜まることが出来る空間、一番広い空間を持ってきています。この丸い空間を上から見てみます:

床に埋め込まれた木々が非常に良いリズム感を醸し出しています。ここはこのお墓に来た人たちがゆったりと談笑する空間、祖先と向き合う空間として設えられているんですね。ちなみにこのお墓には2000年に急死したミラージェス自身のお墓もあったりするのですが、ミラージェスのお墓の壁には海外から引っ切り無しに訪れる建築ファンのコメントで溢れ返っていました:

それだけこの建築がここを訪れる人達の心を捉えたということだと思います。

一直線に並ぶお墓ブロックの真ん中には上階へと向かう階段が設えられています。

更にもう一段。登りきった所に展開しているのがコチラの風景:

計画されながらも10年以上も放置されている教会堂です。「あー、そうか、、、ここがこの建築のクライマック的空間として計画されたんだな、、、」と、ここまで来て初めて、この建築に流れる物語(ストーリー)の全貌が明らかになりました。

この教会堂には、三つのトップライトから光が存分に降り注ぎ、まるでその光を受け止めるかのように、大きな掌のような形態をした受容器がデザインされています。そしてその表面は意図的にザラザラの装飾が施されているんですね。

これはバロック建築がよくやる手法、真上からの光を受け止め、その光がどのように空間に拡散されていくかを視覚化する装置と一緒です(地中海ブログ:ルイス・カーンのフィリップ・エクセター・アカデミー図書館:もの凄いものを見てしまったパート3:「本を読むとはどういう事か?」と言う根源を考えさせられた空間体験、地中海ブログ:プロヴァンス旅行その5:ル・トロネ修道院の回廊に見る光について)。

この建築を訪れることによって感じること、それは普通のお墓にありがちな辛気臭さだとか、悲壮感などではありません。そうではなく、この空間に溢れているのは喜びであり、楽しさであり、何より心弾む、そんな感覚なんですね。ミラージェスはこのお墓をデザインするにあたり、こんなことを言っています(10以上前に読んだ記事なので一言一句覚えている訳ではありませんが、こんな感じの趣旨だったと思う):

「お墓というのは、故人を悲しく想い偲ぶ場所なのではなく、故人と向き合い再会することによって、みんなで楽しむ場所なのだ」、、、と。

建築は表象文化です。そして建築とは、個人的な感情よりも集団的な価値観を、悲しみよりも喜びを表象するのに大変適した芸術形式です。

このお墓には、この地に生まれ育ちながらも死んでいった人達と再会する喜び、そんな感覚で満ち溢れています。そしてそれこそが、このカタルーニャ、ひいてはスペインという地の社会文化であり、そのことを一撃の元に表しているのがミラージェスという稀代の建築家がデザインした建築だったりするのです。

| 建築 | 01:22 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
アルヴァロ・シザのセトゥーバル教員養成学校:「ふつう」であることの凄さ
な、なんか先週末くらいから急に40度近い高熱が出てしまい、2日経っても一向に引いていく気配すらなかったので、仕方なく救急センターへ(連休中につき、市内の病院は絶賛お休み中(苦笑))。結論からいうと、疲れ&ストレスによるものだろうということで、「1週間は安静にしていなさい、、、」ということでした。
 
 
 
↑↑↑カタルーニャは先週まで復活祭(イースター)の大型連休で、この地方では伝統的に、豊穣のシンボルである卵の形をしたチョコレートを食べます。
 
正直言って、年度末のこのクソ忙しい時期に休んでる暇などなく、、、「熱下がれ、熱下がれ〜(念)」と内心思いつつも、焦っても熱は一向に下がってはくれないことも分かってはいたので、「こんな時は本でも読むか」と日本から持ってきた書籍をパラパラめくるも、あたまが痛くて全然文章が入ってこず。。。(涙)
 
「じゃあ、溜まってる論文やら原稿でも書くか、、、」と原稿を進めるも、論文って考えながら書かなきゃいけないので、これまたあたまが痛くてなかなか進まず。。。
←「そ、そうだ!京都行こう!
←←いや、違う(笑)。
←←←「そ、そうだ!なにも考えなくていいブログでも書こう」と思い付き(笑)、いまこの原稿を書いています。ほんとブログ記事って、なにも考えなくてもいいから楽ですよねー(笑)。
 
 
(ガリシア美術センター中庭)
という訳で、前回のリスボン滞在記の続きなんだけど(地中海ブログ:タイムアウト(TIMEOUT)誌がリスボンで面白いビジネスを展開している件)、今回のリスボン滞在最大の目玉は、なんと言ってもアルヴァロ・シザの建築訪問にあります。アルヴァロ・シザの建築については当ブログではことある毎に書いてきました(地中海ブログ:ガリシア旅行その8:アルヴァロ・シザの建築:セラルヴェス現代美術館(Museu de Arte Contemporanes, Fundacao de Serralves):人間の想像力/創造力とは、地中海ブログ:ガリシア旅行その6:アルヴァロ・シザの建築:ガリシア美術センター(Centro Gallego de Arte Contemporaneo):複雑な空間構成の中に隠された驚く程シンプルな原理、地中海ブログ:アルヴァロ・シザの建築:ヴィアナ・ド・カステロ図書館(Viana do Castelo)その1:外部空間(アプローチ)について、地中海ブログ:アルヴァロ・シザの建築:アヴェイロ大学図書館(Biblioteca Universidade de Aveiro))。
 
 
(マルコ・デ・カナヴェーゼス教会)
シザ建築について僕がいつも思うことはですね、なんか世間的には彼の代表作って「白い教会(地中海ブログ:アルヴァロ・シザの建築:マルコ・デ・カナヴェーゼス教会の知られざる地下空間:真っ白な空間と真っ黒な空間)」ってことになってるんだけど、僕的にはあれは亜流だと思うんですね。何故なら、シザ建築の3つの特徴が「ダイレクトには見えない」からです。例えば天井操作。
 
 
(マルコ・デ・カナヴェーゼス教会)
シザ建築に欠かせない働きをしているのが天井操作であることはクドイくらい言ってきたことなんだけど、あの教会の天井はツルツル。「特徴がないことが特徴である、、、」と言ってしまえば、まあ、それはそうなのですが、、、
 
では、シザ建築第2の特徴である「パースペクティブ的空間」が見られるかというと、これも「ダイレクトには」見られません。こちらはですね、教壇左右に位置する半円同士が、教壇中央に開いた二つの穴(地階=地獄へと繋がる)へと我々の視線を誘導したり、空間に直接的なパースが付くというよりは寧ろ、左側の壁がこちら側へと迫ってくることなどから、それが「間接的に空間にパースをつけている、、、」と言えなくもない。だから第2の特徴は見えることは見えるんだけど、これも直接的ではありません。
 
 
(セラルヴェス現代美術館エントランス)
というわけで、世間的に言われているように、この教会がシザの代表作か?と言われれば、それは「亜流だけど、、、亜流であるが故に代表作かな、、、と思わないこともないかな、、、」と。
 
、、、いかん、いかん、、、シザを語り出すと熱くなりすぎて、それこそ熱が上がる(苦笑)。
 
そんな中、シザがデザインした「セトゥーバル教員養成学校(Escola Superior de Educacao: Instituto Politecnico de Setubal)」と言われてパッと頭に浮かぶ人、もしくは実際に現地まで見に行った人というのはそう多くはないのではないでしょうか?

もしかしたら、「その存在すら知らない、、、」という人が多いのでは?と思われるんですね。
 
しかしですね、僕の見る限り、シザが1986-1993年に掛けてデザインしたこのセトゥーバル教員養成学校はシザ建築の中でも傑作中の傑作だと思います。というか、個人的には、デザインを学んでいる人、デザインに関わっている人には絶対に一度は見に行って欲しい、そんな建築となっているんですね。
 
そんなわけで、とりあえずいつものように「建築の歩き方」から。
 
 
 
行き方は簡単で、リスボン市内の鉄道駅(僕はSete Rios駅から乗りましたが、Roma-Areeiro駅からでも大丈夫です)からセトゥーバル(Setubal)行きの電車に乗ります。
 
 
 
ちなみにこの電車に乗ると、テージョ川(Rio Tejo)に掛かっている425日橋(Ponte 25 de Abril)を渡ることが出来ちゃいます。電車に乗って揺られること約1時間、セトゥーバルに到着〜。セ、セトゥーバルってポルトガル第4の都市だと思ったけど、、、駅、ちっちゃ!!!
←そのあまりの小ささに軽いショックを受けながらも、そこからローカル線のPralas do Sado A行きに乗り換えて終点(Pralas do Sado A)で降ります。そこまで約5分。
 
 
 
(注意)
上の写真のように目指すべき駅は終点なので電車はこの先には行きません。セトゥーバル駅から終点(Pralas do Sado A)の間には1駅(Praca do Quebedo)しかないのですが、その駅と終点との間くらいに地元民が多く働く工場があるため、そこで一旦電車が止まります。が、、、間違えて、そこで降りてはダメです。そこで降りてしまったら、道無き道を20分近く歩かされることになります。僕は間違えてそこで降りちゃったんだけど、運良く車掌さんが「おいおい、ここは労働者しか降りない駅だから、多分君の行きたいところとは違うよ」と教えてくれました。

←ポルトガル人、優しいー。スペイン人だったら絶対無視するところだな(苦笑)!
 
という訳で、終着駅を降りたそのすぐ目の前に建っているのが今回目指すべき建築、セトゥーバル教員養成学校です。
 
 
 
僕がこの建築を初めて訪れたのはいまから約15年程前のこと、ちょうどポルトに住み始めて半年くらい経った時のことでした。「一度、首都リスボンにでも行ってみるか!」と思い立ち、リスボンに来た次いでにセトゥーバルに立ち寄ったのがその始まりだったんですね。
 
 
 
まあ、正直最初は、かなり軽い気持ちで「一応見ておくか」くらいに考えていたのですが、来てみてビックリ!この建築にはシザ建築の特徴がギッシリと詰まってると言っても過言ではなく、それがデザインの本質にまで昇華しているのを目の当たりにしてしまったからです!
 
 
 
シザ建築をいやという程見てきた僕に、そこまで言わせた圧倒的な風景がこちらです:
 
 
 
多分、当ブログの大方の読者の皆さんは、「。。。」という感じでしょうか(笑)。「こ、これのいったい何がそんなに凄いんだ」、、、と。いやね、この建築のいったいなにが凄いってね、この圧倒的な普通っぽさなんですよ。上の写真は真正面から見た全体像なんだけど、なんの変哲も無い、ごくごく普通の建築でしょ?
←「じゃあ、普通ってなんなの?」とかいうメタ議論はいまは無しでお願いします(笑)。
 
 
 
基本的な形態は、コの字型の建物が二層に積み上げられ、芝生で覆われた中庭と庇が突き出た屋根部分とを隔てる列柱群がリズミカルにコの字を描いている、、、というただそれだけの構成です。
 
 
 
ローマとか行くと頻繁に目にしそうな構成なんだけど、この建築とローマのそれ(完璧な調和)とを大きく分け隔てているのがこちら:
 
 
 
正面から見て左手前側なんだけど、そこに「ガクン」と一段だけ下がっているところがあるんですね。で、そこを支えている柱だけがV字型になっている。これはあたかも2つの柱が「寄り添い合っているかのような」、そんな表現を取っているんですね。
 
 
 
そう、この部分がこの建築の全てです。この部分があるのと無いのとでは大違い。このわずかな差が多大なる差異を生み出しているのです。
 
 
 
僕がこの建築から学んだこと、それは「建築のデザインってこれくらい静かでいいんだ」ということなんですね。で、これを遂行するのは言うほど簡単なことではありません。
 
これくらいの規模の建築を設計出来ることになると、みんな気負ってしまって、「あれもやりたい!」、「これもやりたい!」と色んなものを詰め込み過ぎてしまったり、一つのアイデアに絞ったはいいけど(一つの建築に一つのアイデアは鉄則)、それがいかにも大げさでいやらしく、もしくは生々しく見えてしまったりするものなんですね。
 
しかしですね、アルヴァロ・シザという建築家の凄いところは、彼が創造する建築はどれもが本当に普通なのです。一見、知らなければ通り過ぎてしまうくらい、それくらい普通に存在し、そういう建築がポルトやリスボンの街角を構成している。それが彼の建築の真骨頂なのです。
 
 
(ブラガンサの集合住宅)
その建築の前を通り過ぎようとした時に、「あれ、ちょっと待てよ」と少し振り返ってみる。「あの庇、ちょっと面白いよな」とよく見てみる。そうするとちょっと違うことに気がつく。そのうちだんだん、「あそこも、あそこも」とデザインの物語の連鎖が始まる。いつの間にかデザインを読むことに夢中になっている自分に気が付く(地中海ブログ:三谷幸喜が見せた静のデザイン:cruasanの古畑任三郎論
 
これが僕が思うデザインの本質であり、日本の伝統的な美の意識だと思います。
 
 
(チアド地区改修)
……昔、僕に建築デザインの基礎を教えてくれた先生が、「cruasan君ね、シーランチみたいな建築って解る?」と言われたことがありました。「私はねー、将来はムーアのシーランチみたいな建築が創り出したいと常々思ってるんだよ、ハハハ」とか言われてて、というのも、彼は以前アメリカの大学で教えていた時に(←日本人ですが)、チャールズ・ムーアと同僚だったらしく(←まあ、いろんな意味で日本人離れした人なのです)、シーランチを何度も見に行かれたそうなんですね。で、その彼曰く、「シーランチは非常に静かで、そして普通」だったんだとか。あの時はよくわからなかったけど、いまなら彼が言おうとしていたことも、それなりに理解出来る様な気がします。
 
 
(教会近辺の改修)
さて、上にも少し書いたのですが、シザ建築には3つの特徴があります。天井操作、パースペクティブ的空間、そして物語空間です(知らない人はこちら:地中海ブログ:ガリシア旅行その7:アルヴァロ・シザの建築:ポルト大学建築学部:外内部空間に展開する遠近法的空間と、その物語について)。さらに、シザは幼少期のトラウマから、建築を外に開くのではなく、敢えて内に開く建築を創ることを志してきた、、、とインタビューで語っています(地中海ブログ:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)のインタビュー記事:シザ建築の特徴は一体何処からきたのか?)。そう、このセトゥーバル教員養成学校も、実はそんな内に閉じた建築シリーズの一つ、しかも最初期のものと考えることが出来ると思います。
 
 
(ポルト大学離れ)
確かにこの「内に開くシリーズ」は、ケネス・フランプトンが既に指摘していて(でも彼は、なぜシザがそうする様になったのか?までは明らかにしていません。僕の知る限り、上に訳したインタビューはシザが自身の建築のアイデンティティの在りかを語った非常に貴重なものの一つとなっています。グッジョブ、El Pais紙!)。フランプトンは、それが最初に見られるのは「ポルト大学の離れ」だと主張しています。また確かに、「離れ」の場合には、コの字が少し内側に倒れかかっていて、内向き志向をより鮮明に打ち出していると読み取ることが可能。
 
その反面、セトゥーバル教員養成学校で僕が興味を持ったのがこちらです:
 
 
 
この2本の柱がV字になって寄り添う様に建っているところなんですね。さっき見た右手側の柱から始まって、全てが均等にまっすぐに並んでいるのに、ここだけ、そして最後だけガクンと落ちた上に、その柱が2本寄り添っている、、、物語的に言えば、ここが明らかにクライマックス的空間ということになります。
 
 
 
建築のデザインにおいてリズミカルというのは非常に重要なキーワードだったりします。このことを理解するのに一番良いのはキン肉マンのオープニングかなー(笑)。
 
 
 
サビの部分に注目:
わたしは、ドジで、強い、つもり、キン肉マン〜♪♪♪
走る、すべる、みごとに転ぶ〜♪♪♪
 
最初のクール(前半部分)で「わたしは、ドジで、強い、つもり、キン肉マン〜」とあった後、「走る、すべる、、、」と同じリズムで繰り返されることから、我々の脳は「あ、これは前回と同じリズム(4つの部分)で来るんだな!」と思わされるのですが、後半部分では「見事に転ぶ」と、二つの部分が一つになっていることから、後半には3部分しかなくなっていて、その部分がクライマックスになるようにリズムを付けている訳ですよ。
 
 
 
シザがここで行っていることも基本的にはキン肉マンのオープニングと全く一緒。
 
右手側から始まった列柱のリズムが建物のコの字と共にグルッと一周するにつれてリズミカルに発展していきます。で、ルネサンス建築のように完璧な調和を保ちつつ最後までいくのかな、、、と思いきや、最後の最後だけ列柱のリズムを少し変えてやることによって、見事にこの部分にクライマック的な役割を担わせているのです。
 
 
 
しかもそれが大げさではなく、非常にさりげなく、そして爽やかに行われている。シザの差異化の巧さのなせる業です。
 
 
(ボア・ノヴァのティーハウス&レストラン)
、、、また昔話しになってしまうのですが、以前、僕の先生と話していた時、東京体育館のデザインの話になり、「あのデザインの発端は、あたかも二枚の葉っぱが寄り添う様に、重なり合う様に、そんなところから始めたんだよ」と言われていました。この2本の柱を見ていたら、そんな昔話を思い出しちゃったなー(地中海ブログ:エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)の建築その3:バラニャ市民会館(Centro Civico de Hostalets de Balenya)に見る建築の質:実際に建築を訪れる事の大切さ)。
 

(レサのスイミングプール)
何度も言いますが、やっぱりこのアルヴァロ・シザという建築家は他の建築家とは明らかに違うものを目指している気がします。なにか、こう、人間のもっと奥深くにある、我々の生の本質というか、そういう大きなものを建築を通して表現しているんじゃないか、、、とそう思わずにはいられません。
 
もしくは彼はそんなことは全く考えていないのかもしれない。しかし、知らず知らずのうちに、そのような「共同体の内なる心の声」を可視化してしまう行為、それが具現化出来てしまう人のことを我々は建築家と呼んできたはずです。そう、まさに:
 
「建築とは、その地域に住んでいる人達が心の中で思い描いていながらも、なかなか形に出来なかったもの、それを一撃のもとに表す行為である」(槇文彦)
 
今回も素晴らしい建築体験でした。
| 旅行記:建築 | 16:57 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
タイムアウト(TIMEOUT)誌がリスボンで面白いビジネスを展開している件
ポルトガルの某機関から「ビックデータ・オープンデータ系の講演会を企画してるんだけど、そこで基調講演してくれない?」ってお誘いを受けたので、復活祭(イースター)のバカンスも兼ねて、数日前からリスボンに来ています。



当ブログの読者の皆さんにはご存知の方も多いかと思うのですが、僕は以前、「アルヴァロ・シザの建築を根幹から理解したい!」という理由からオポルト(Porto)に1年弱住んだことがあります(地中海ブログ:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)のインタビュー記事:シザ建築の特徴は一体何処からきたのか?)。
←あの一年があったからこそ、モビリティとかビックデータとか、建築や都市とは一見関係が無さそうな分野を扱っている今でさえ、建築や都市から離れず、寧ろ「建築側から見た新たな視点を発見する」という立ち位置を保ち続けられているのかな、、、と、そう思います。



オポルトに住んでた時は結構頻繁にリスボンにも行ってたんだけど、あれから10年近く経ち、シザが改修したチアド地区の工事も終わり、その周辺一帯は歩行者空間化の影響からか、かなり賑わいを取り戻している様に見えます。



また市内には以前は無かった電気自動車のチャージング場所や、100%電力で走るチョイモビ(公共交通機関(バス)とタクシー(私的)の間)みたいな乗り物が、リスボンの象徴とも言える黄色い路面電車の合間を縦横無尽に走っていたりして、「あー、結構変わったなー」と思うところも多々。



かと思えば、目抜通りから一本裏通りに入っただけで近隣住民の生活が至るところに垣間見えたりと、以前と全く変わらない風景に少し安心感を感じてしまったりもするんですね。
←こういういつまで経っても変わらない街角の風景こそ、その人のアイデンティティを形成する非常に重要なファクターだったりするということは以前のエントリで書いた通りです(地中海ブログ:バルセロナ・オープンハウス2013:その地域に建つ建築(情報)をオープンにしていくということ)。

…変わっていくこと、変わらないこと…これら相反する2つの力学が共存している存在、それこそ我々が興味を惹かれて止まない「都市というものの本質」なのかもしれません。



さて、冒頭に書いたように今回はビックデータ・オープンデータ系のカンファレンスに登壇することがメインだったんだけど、その合間を縫って「久しぶりにリスボン周辺のシザ建築でも見て回るか」と思い付き、幾つかの建築を訪れてきました。それらについては次回以降のエントリで詳しく書き綴っていくこととして、今回のエントリでは「リスボンの食」について少し書いてみたいと思います。まずは今回連れて行ってもらったレストランの中から特に印象に残ったこちらから:



Name: Casa do Alentejo
Address: Rua Portas de Santo Antao 58
Tel: +351213405140
Email: geral@casadoalentajo.pt


今回招かれたカンファレンスの司会者や登壇者の人たちと事前打ち合わせを兼ねたランチで連れて行ってもらったレストランなんだけど、場所はリスボンのど真ん中、フィゲラス広場から歩いて5分くらいのところに位置しています。言われなければ絶対に通り過ぎてしまうほど小さい入り口なので、まさかこの中にレストランが入っているなんて想像もつきません。だって入り口、これですよ↓↓↓



で、この小さいドアを開けて階段を登っていくと現れてくるのがこの風景:



じゃーん、外からは全く想像が付かないかなり立派な中庭の登場〜。更に階段を登っていくと、こんなに広いパーティー会場まであったりします:



最初はワインで乾杯してから魚介のスープ(前菜)、そして今日のメインはこちらです:



タコの雑炊(Arroz de Pulpo)。魚介の出汁が良く効いていて絶品。文句なく美味しい!



他の登壇者達は、豚肉とアサリの組み合わせっぽいものやタラのオーブン焼きなんかを頼んでて、「味見してみる?」って聞いてくれたので、一口食べさせてもらったらんだけど、どれも素晴らしかった!



デザートには手作りプリンを注文。で、これだけ食べて、これだけ飲んで(赤・白ワイン5本)、一人当たりたったの10ユーロ!!これです!これこそポルトガルの醍醐味の一つなんですね。



ポルトガルでは非常に美味しい料理が、非常にお手頃価格で今でも満喫出来てしまうのです。いき過ぎた観光化の弊害で物価が急上昇しているバルセロナでは、これはもう夢のまた夢。というか、なにも考えずに「観光客来い、観光客来い!」と叫んだ結果、観光客が来過ぎてしまった弊害だということは、以前のエントリで書いた通りです(地中海ブログ:観光MICEとオープンデータ:2020に向けて、バルセロナの失敗の学ぶ、データ活用による都市観光の未来)。



初日からかなり良い感じのリスボン滞在だったんだけど、今回の滞在中に訪れたカフェでもう一軒、どうしても日本の皆さんに紹介したいカフェがあってですね、、、それがこちらです:



Name: Landeau Chocolate
Address: R. das Flores, 70 1200-195, Lisbo
email: chiado@landeau.pt
Tel: 911810801


シザが最近リフォームした集合住宅(Complejo Residencial y Comercial Terracos de Braganca)から道一本西側に行ったところにあるんだけど、ここのチョコレートケーキは絶品だった。こちらは自分で調べたわけではなく、登壇者の一人(ポルトガル人)に「リスボン市内で何処か美味しいお菓子屋さん(カフェ)知らない?」って聞いたらここを教えてくれました。

青いタイルが非常にオシャレな外観で、室内はこれまたレンガ素材がそのまま仕上げ材となっていて、建築としてもかなり良い感じに纏まっています。メニューは「コーヒーとガトーショコラしかない」っていうかなり強気な経営方針なんだけど(笑)、騙されたと思って頼んでみたら、これが素晴らしかった!



(基本的に)建築もそうなんだけど、料理というのはその地方の文化や気候、素材などに非常に影響を受けている「芸術」なので、「なにを美しいと思うか」、「なにを美味しいと思うか」はそこに展開している文化圏を考慮すること無しには判断出来ません。だから例えば、ポルトガル人には美しいと思える芸術品が、日本人にとってはゴミ同然に見えるものなんて山ほどあるし、その逆もまた然り。だからこそ文化というのは面白いのだと思うし、ぼくは建築を評価・批評する時は、その様な枠組みを超えた「もう少し普遍的な視点から批評したいなー」と強く思いつつも、その難しさを十分に実感しているつもりなんですね。



ちょっと長くなってしまいましたが、単純化して言ってしまうと、西洋文化圏での評価軸と日本文化圏での評価軸にはかなりの違いがあり、(料理に関して言うと)味付けの好み(文化)が違うことなどから、双方の口に合うものを見付けるのはなかなかに骨が折れると、そういうことを言いたいのです。というか、そういうお菓子に出会うことは極めて難しいというのが現実だと思います。



しかしですね、今回訪れたこのカフェで提供されているガトーショコラは地元ポルトガルでも非常に評価が高いそうなのですが、これは間違いなく日本人の口にも合います。最近日本で流行っている、テレビ番組の撮影の為に海外の有名レストランや有名パティシエの経営するカフェを訪れ、砂糖がたっぷり入った甘いだけのデザートを持ち出して、「な、なにコレー、超美味しい〜」なんて言ってるデザートとは格が違います。その様な砂糖三昧の甘ーいお菓子は、その土地では評価されているのかもしれませんし、その地方の人々にとっては最高のお菓子なのかもしれません。しかしそれが日本人の口に合うかどうかは全くの別問題なのです。なので、いくら海外で有名なお店の商品だからといって、それがそのまま日本人の味覚からして「超美味しい〜」なんてことになるのは寧ろ稀だと思うんですね。だからこそ、もしリスボンに来たらこのお店のガトーショコラは絶対に試す価値があると思います。

そしてデザート系ではもう一軒。日本でもエッグタルトという名前で数年前に大流行したポルトガル発のお菓子パステル・デ・ナタ(Pastel de Nata)の本家本元。



Name: Pasteis de Belem
Address: rua de Belem 84-92
Tel: +351213637423
Email: pasteisdebelem@pasteisdebelem.pt


リスボン市内から路面電車(15番)に揺られること約30分、世界遺産で有名なジェロニモス修道院(Mosteiro dos Jeronimos)の目の前にあるお菓子屋さんなのですが、1837年の創業以来、ジェロニモス修道院から伝えられた配合と作り方を頑なに守り通している「オリジナルが食べられる」とあって、世界中からここのお菓子を一口食べようと連日長蛇の列が出来ています。



しかしですね、このお店の注文方法には裏技があって、(それを知らない人は店頭に何十分も並んで買っているのですが)このお店は奥行きが非常に深く、奥には広々としたテーブルが並べられ、ゆったりと座れる空間が用意されているんですね。



で、勿論そっちはガラガラ。なので、ここを訪れる方は是非そちらへ移動して、コーヒーと一緒に食されるのが良いかと思われます。ちなみにそちらへ移動する途中にはお菓子を作っている工程を見ることも出来ちゃいます。



そんなこんなで、出てきたのがこちら:



じゃーん。これが正真正銘のPastel de Berenでーす。



お好みで粉砂糖とシナモンパウダーを自分で振りかけて食べます。その感想なのですが、、、



こ、これは、、、むちゃくちゃ美味しいぞー!パステル・デ・ナタはいままで様々な場所で食べてきましたが、こんなに美味しい一品は初めてです!焼きたてなので中のクリームがホカホカなのは当たり前なのですが、外の生地は本当にパリパリ。いや、これは本当、どうやったらこんな風に焼けるんだろう???世界中から歓呼客が押し寄せるのも納得です!

そしてですね、今回のリスボン滞在で一番驚いたのがこちらです:



な、なんと、タイムアウト(TimeOut)がコーディネートしたフードコートがリスボンには存在するんですね。



1968年にロンドンで創刊されたタイムアウト誌は「シティガイド」として、現在では世界40都市(35カ国)で11の言語に対応し発刊されています(wikipediaより)。日本語版も普及していることなどから、その存在を知っている人も多いかと思いますが、ヨーロッパではこのタイムアウト誌は書店というよりは路上のキオスコなどで新聞の横に並べられ売られていて、ヨーロッパでは、ロンリープラネットなどと共に、その都市に関する「主要な情報源の一つ」という地位にまで登り詰めています。



「では、なぜタイムアウト誌がこのような地位を築くことが出来たのか?」。それについては様々な要因が考えられると思うんだけど、その一つは、その都市についてかなり地域密着型でありながらも、グローバルな展開を強く意識していること(言語は勿論英語で発刊)、そして都市に関して様々なトピックを取り上げつつ、それをランキング形式で随時発表しているなどのゲーム感覚で楽しめる形式・企画があるのかな、、、と思ったりします。かく云う僕も、「バルセロナで最も美味しいクロワッサン特集」みたいなのが組まれていたりすると、ついついその特集号を買ってしまい、それを片手にクロワッサン巡りをしてしまうんですね。で、こういう人って意外と多いのです!



今回リスボンへ来てみて僕が驚いたのは、これら都市の情報を様々な角度から集めていたタイムアウト誌が、今度はなんと、現在は使われなくなった古い市場(1892に開店したリベイラ市場)を市役所から買い取り、そこを市内でも有数の観光スポットに改修することによって地区活性化の起爆剤にしようとしているという点なのです!
←タイムアウト誌が本当にそこまで考えているのかどうかは僕にとっては特に重要ではなく、僕の眼から見ると「そういう文脈で読める」ということが重要なのです。



体育館のようなだだっ広い空間の真ん中には、おしゃれなテーブルと椅子が並べられ、その間にはビールやワインなど飲み物を注文するスペースが備え付けられています。室内に500席、テラスには250席が設えられているそうです。営業時間は日曜から水曜までが朝10時から24時まで、木曜日から土曜日までは朝10時から深夜2時までやっているというから、観光客にとっては嬉しい限りです。



で、それを取り囲むように、独立店舗を基本としたお店がグルーっとお客さんを取り囲むという形式を取っているのですが、それら独立店舗にはハンバーガー屋さんや寿司屋さん、シーフードを目の前で調理してくるお店から伝統的なポルトガル料理を出すお店まで本当に多彩なお店が揃っているんですね。



また、アイスクリーム屋さんやカフェ、ご丁寧に観光客向けのお土産屋さんまで揃っているという徹底ぶり!これらお店のチョイスには(当然のことながら)タイムアウト誌が独自に選んだランキングがかなり影響していて、そこから最も成功しそうなお店をチョイスし、それらをこの空間に集めた、、、と想像してしまうのですが、逆に、この空間のことを再びタイムアウト誌で宣伝して、、、という逆循環も十分に考えられ、双方で多大なるシナジーが生まれるという結果になっていると思われます。

これは言ってみれば、いままでは出版やウェブ空間でその都市についての情報を握り、その都市を訪れる観光客に活字を通して多大なる影響を与え、更にはそれら観光客の動向をコントロールしていた「単なる一つの雑誌に過ぎなかった」タイムアウト誌が、彼らの持っている情報をリアル空間で最大限に活かすことの出来る「インターフェイスを手に入れた」ということを意味しています。



このインターフィイスという画期的なアイデアのおかげで、タイムアウト誌は単なる情報誌を超えた、もう一つ上の段階の媒体へと変化を遂げている、、、と僕は思います。更に更に、これは言うまでもないことなのですが、今回タイムアウト誌が打ち出したこの戦略は、何もリスボン市だけに限ったことではなく、世界中どこの都市でも展開することが出来ちゃうんですね。

言ってみれば、これは「都市の編集作業」のようなものかもしれません。
←「都市の編集作業」という言葉は、この間日本に帰った時に、学芸出版社の井口さんとお話させて頂いた時に彼女が使われていた言葉で、非常に印象に残っているフレーズです。

これはすごい、というか面白い!

ぼくはこれと非常に似たようなことを「都市に関するビックデータ解析を通した科学的な裏付け」の下、地区レベルでやろうと奮闘しているのですが、今回のタイムアウトの試みは地区レベルの活性化と非常に相性が良いと思います。もちろんそこにはいくつか気を付けなければならない案件も存在して、例えばその中の一つにジェントリフィケーションが挙げられると思うんだけど、今回ぼくが関わっている案件ではそちら負の面もどうにかして緩和していこうと奮闘しているので、もしかしたら、近い将来何かしたらの進展が見られるかもしれません(地中海ブログ:都市の闇:ヴェネチア(Venezia)の裏の顔とジェントリフィケーション(Gentrification))。

なにはともあれ、個人的にタイムアウト誌にはアプローチしてみよっかなー、とか思っています。

乞うご期待!
| 地球の食べ歩き方 | 21:43 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
京都の学芸出版社で刊行記念レクチャーを行います。
昨年10月に出版された「海外で建築を仕事にする2:都市・ランドスケープ編」の刊行記念レクチャーを、編著者の福岡孝則さん、そして龍谷大学の阿部大輔さんと共に、今月末(1月29日)京都の学芸出版社にて行います。
←おめでとー、パチパチパチー(祝)。



テーマは「モビリティ&テクノロジーで公共空間をつくる:バルセロナ市都市生態学庁元担当者と語る」ということなので、バルセロナの歩行者空間計画やモビリティ計画などを中心にご紹介させて頂こうかな、、、と考えているのですが(←詳細は未定)、福岡さんはアメリカ、阿部さんはスペインと3人とも海外経験者なので、今後海外への留学を考えている人、海外で働きたいと思っている方々などにとっても面白いお話が出来るのでは?と思われます。



僕に関しては、「どの様にスペインに渡ったのか?」、「どの様に仕事を探したのか?」などについては既に書籍の方に書かせて頂いたので、ここでは書き切れなかったテーマを少し記してみようかな……と思っていたのですが、、、今回の書籍を編集担当された学芸出版社の井口夏実さんのインタビュー記事を発見してしまい、それがあまりにも面白かったので、そのインタビューを紹介しつつ、当日の議論の下地を作れたらと思っています。

下記のインタビューは、“建てたがらない建築士”いしまるあきこさんによる「ウェブマガジン「フレーズクレーズ」の連鎖「素敵な本が生まれる時」vol.3、「ボーダレスな時代を生き抜く仕事の見つけ方。〜学芸出版社〜として発表されたもので、インタビューに答えられているのが我らが井口夏実さん(学芸出版社取締役、編集長)。全文はこちらで見れますので、ご興味のある方はどうぞ。

下記の青色の部分が井口さん、いしまるさん、黒字の部分が僕が思った事です。

井口:建築は自分のデザイン(ポートフォリオ)さえ認められれば、現地の言葉が多少しゃべれなくてもどこでも仕事ができる、それってすごく羨ましいなとずっと思っていて。自分の実力だけでやっていくのは大変だろうけれど、すごくスリリングだろうなと思っていたんですね。

基本的に僕は、「言語というのはコミュニケーションのツール」だと思っています。文法が多少間違っていようが、発音が少しばかりおかしかろうが、相手にこちらの言いたいことが伝わればそれで良いのです。ちなみに、現在ヨーロッパに住んでいる日本人の中には「なんちゃってトリリンガル」な人がチラホラと現れ始めています(地中海ブログ:内田樹の研究室の「リンガ・フランカのすすめ」を読んで:何故ヨーロッパでは、ゆるいコミュニケーションである「なんちゃってイングリッシュ」が成功するのか?、地中海ブログ:2010年、今年最初のブリュッセル出張その2:バイリンガルを通り越してトリリンガルになる日本人達:なんちゃってトリリンガルが変えるかもしれないヨーロッパの風景)。
←言語学者とかに言ったらすっごく怒られそうですが、僕は建築家なのでこんな感じで大丈夫(笑)。それに(井口さんも示唆されている様に)、我々建築家は哲学者や文学者と違って「言葉だけで勝負する職種」ではありません。相手に言いたい事が伝わらなかったらスケッチや図を使えばいいのです。



さて、ここからは僕の勝手な想像なのですが、ヨーロッパは陸続きなので、各国間における人的な移動(モビリティ)が非常に高いんですね。だから隣近所を見渡せば、自国語を話さない外人だらけという状況が多々あります。その様な社会・文化的バックグラウンドを共有しない人達と共存し、互いを認め合ってきたのがヨーロッパという社会なので、彼らにとって「言葉による完璧な意思疎通が出来ないこと」は、生まれた時からの日常茶飯事なんだと思います。だから南ヨーロッパでは、我々(移民)にも、「自国語を完璧に話せ、そうじゃないと聞かない!」などとは言わないのです。
←北ヨーロッパは状況が少し異なる様に思いますし、アメリカも全然違う様に感じます。このテーマ(海外に住むこと・働くことにおける言語の問題)は是非、福岡さん、阿部さんと共に当日の議論の中で深めたい所です。

井口:私自身、ロンドンに留学して建築史や美術史を学んでいたんですが、文章の仕事をしようと思ったので、そうなると日本語しかないなと日本に帰ってきました。チャンスさえあれば今でも海外で働いてみたいですが。

これは僕の勝手な考えですが、概して外国語が上手い人は日本語が上手いと思います。というか、日本語が上手い人じゃないと、外国語は上手くなり得ないと思うんですね。外国語を身に付けようと努力すると、ある程度までは上達するのですが、もう少し向こう側にいこうとすると誰しも必ず壁にぶち当たります。その壁を乗り越えられるかどうか、どこまで到達出来るかどうかは、その人の母国語の基礎言語能力、つまり日本語の能力に掛かっているのでは、、、と個人的には思っています。

井口:一冊目の建築編『海外で建築を仕事にする 世界はチャンスで満たされている』の企画のきっかけは、編著者の前田茂樹さんがフランスのドミニク・ペロー事務所から帰国された際、海外の有名建築家の事務所にはだいたい日本人スタッフが居て活躍しているという話を聞いたことでした。ヘルツォーク&ド・ムーロンとかジャン・ヌーベルの建築事務所で働いている日本人を前田さん自身がご存じでしたので、ぜひみなさんに書いてもらおうって話になりました。

「その建築事務所が一流かどうかは、日本人スタッフが働いているかどうかを見れば良い」と言う冗談が、世界中の建築事務所で80年代くらいから言われていたらしいのですが、これは逆に言うと、世界の有名建築事務所、もしくは新興建築事務所には日本人スタッフ(もしくは学生)が1人や2人は必ず居るということを指し示しています。だから、知り合いの知り合いを通して「あの事務所、実はさー」とか、「いま、xx事務所で所員募集しててさー」という様な声がチラホラと聞こえてきたりするので、「世界の有名建築事務所の内部事情」というのは、簡単ではないにしろ、それなりに心に思い描く事が出来るのでは、、、と思うんですね。



その一方、シリーズ2冊目が主題にしている「都市計画、ランドスケープ」を扱っている建築事務所、もしくは各都市の市役所がどんな仕事を請け負って、そこの部署にはどんなキーパーソンがいて、、、といった情報は、有名建築事務所ほど流通していません。この分野で10年以上仕事をしている僕ですら、世界の何処で誰が何をやっているかなんて、この本を見るまで全く知りませんでした。だからこそ、今回の2冊目は非常に価値があると、僕はそう思っています。
←詳しくはこちらに書きました(地中海ブログ:海外で建築を仕事にする2:都市・ランドスケープ編、発売!)。

いしまる:海外で働いている人は、独自の日本人ネットワークがあるんですか?
井口:ヨーロッパでは特にそのようですね。前田さんがパリに居る間に人脈を築かれていました。


まず、アメリカの状況なのですが、ボストン(アメリカ)には「ボストン日本人研究者交流会」なるものがあり、ボストンに在住している日本人の中から毎回2人くらいが30分程度のプレゼンを行い、その後近くのレストランに移動してインフォーマルな食事会、、、というイベントが一ヶ月に一回のペースで行われています(参加者は毎回200人くらい)。その会に出席すると、参加者の名前、ボストンでの所属、日本での所属、連絡先などが書いてあるリストがお茶とどら焼きと共に手渡され(←ここ重要w)、「この人と仲良くなりたい!」とか思ったら、気軽にメールして、後日コーヒー飲んで、、、ということが日常生活の中で行われていたりするんですね。

この様な会が組織的に行われている点は、バルセロナとは明らかに違う点だと強く感じました。ただこれはボストンなど日本人研究者が比較的多く集まる都市に固有のことなのかもしれません。フィラデルフィアではどうだったのか等、福岡さんに是非お聞きしてみたいところです。



また、ヨーロッパの日本人ネットワークについて、(敢えて)全く別の視点から一例を挙げると、欧州在住日本人によるTwitter組、、、みたいなものがあったりします(←僕が勝手にそう呼んでるだけですが(笑))。

これはですね、欧州全体を巻き込んだ大イベントなどがあると、それを見ながら各国からリアルタイムでツッコミを入れあって楽しむ、、、みたいな、正にニコニコ動画のリアルタイム版みたいな感じだったりします(地中海ブログ:東さんの「SNS直接民主制」とかマニュエル・カステル(Manuel Castells)のMovilizacionとか)。

例えば、ヨーロッパ各国の意地と意地のぶつかり合い、欧州の紅白歌合戦と名高い「ユーロビジョン」というイベントがあります。これは一年に一度、各国代表の歌手が生中継で歌を披露して、そこにヨーロッパ全土からリアルタイムで投票を行うという、(色んな意味で)物凄いイベントとなっているんですね(地中海ブログ:ヨーロッパの紅白歌合戦ユーロビジョン2012)。

 

ちなみにこのイベント、各国から選ばれた歌手が歌を披露し合う和気藹々としたイベントかと思いきや、非常に政治的なイベントだったりします。一般視聴者とは別に、各国には「国として」の投票権が与えられているのですが、その投票先を見るだけで、ヨーロッパ地政学の縮図になっていたりします。例えば、フランスはどんなことがあってもイギリスだけには投票しないとか、スカンジナビア諸国は互いに票を入れあうとか、、、(笑)。

いしまる:海外にいる方とメールだけで出版できるっていうのも、新しい仕事のやり方ですよね。
井口:そう思いますね。今はゲラのやりとりもpdfでできるし。2000年に入社した頃は郵送しないといけなかったし、往復に時間もかかるし、海外の方とのやりとりは大変でした。


SNSで仕事の形態が変わった、、、というのは僕も実感する機会が何度もありました。

数年前のことなのですが、とあるミーティングの為にフランクフルトにいたことがあったのですが、たまたま打ち合わせが早く終わったのでシュテーゲル美術館を訪れたんですね。そうしたら丁度その日は小学校の団体が課外授業を行っていて、2階奥にあるルノワールの絵の前では女の子3人組が一生懸命写生をしている真っ最中でした。



大変衝撃的な光景だったのでTwitterでとっさに呟いたら、それが瞬く間にReTweetされまくり、この投稿をキッカケに公共空間系の講演依頼が激増しました。

また、村上春樹氏のインタビュー記事の影響はもっと衝撃的でした。「イベリア半島の片隅を拠点とするスペインの新聞なんて(日本人は)誰も読まないだろう」と村上氏が思ったかどうかは分かりませんが、インタビューの中で「1Q84の続編出します!」と口を滑らせていたんですね。ちなみに彼、日本では「続編は出しません!」と言っていたので、「こ、これは面白い!」と思い、その記事を直ぐさま全訳しブログ上に公開。その数時間後から日本のメディアは大騒ぎとなりました(地中海ブログ:スペインの新聞、La Vanguardia紙に載った村上春樹氏のインタビュー全訳)。

その拡散度とスピード感。新聞という大手メディアの一次情報がSNSに取って代わられる現場を目撃したのと同時に、「Twitterでここまでこれるのか!」と思った瞬間でした。

井口:私も建築を勉強していたら、絶対、海外の事務所にアタックしていただろうなと思いますね。ただ英語ができれば働けるわけではなく、自分の実力、しぶとさみたいなものが厳しく問われそうなんだけど、きっとそこで認められる喜びも大きいだろうな、と思うんです。

海外で働けるかどうか、それはズバリ「運」です。この辺りの話も書籍の中で少し触れたのですが、スペインでいう運とは、その日担当してくれた担当官の気分が良いかどうか、彼/彼女が書類に眼を通した時がバケーション前なのか後なのか、はたまたその日は金曜日なのか月曜日か‥‥ということなのです。
←個人的には、イギリスとかドイツ、北欧など、割と社会システムがきっちりしてそうな都市でも、上に書いた様な南ヨーロッパと同じ様なことが起こっているのか?という所を、是非他の著者の方々に伺ってみたいところです。



さて、海外で働くのに最適なステップの一つはやはり、現地の大学や大学院へ進学して状況を見つつ、生の情報を集めながら職を探すというのが一番良いのでは、、、と思っています(地中海ブログ:スペインで働くという選択肢:長期滞在を見込んだ建築家の場合その1、地中海ブログ:スペインで働くという選択肢:長期滞在を見込んだ建築家の場合その2:タイトル読み替え過程(Homologacion)について、地中海ブログ:スペインで働くという選択肢:長期滞在を見込んだ建築家の場合その3:短期滞在と長期滞在に取るべき戦略の違い)。

ヨーロッパの大学、もしくは大学院事情についてはことある毎に書いてきました(地中海ブログ:スペインの大学ランキング:総合ランキングではなく、学部間で競い合うというシステム、地中海ブログ:ヨーロッパの公立大学の授業料について、地中海ブログ:ヨーロッパの公立大学の授業料について、その2:スペインの教育システムの裏にある考え方)。また、前回の書籍に登場されたRCR事務所出身の小塙さんと藤井さんが企画されている短期留学体験みたいなオプションもバルセロナにはあったりします。

加えて、スペインの建築系の大学院に関しては、TOEFLやGREのような試験もなければ、厳格な入学審査(面接)のようなものもほとんどありません。また、学費も北ヨーロッパやアメリカに比べると格段に安く、近年は生活費が高くなってきたとは言っても、ロンドンやパリほどではありません。そういう意味において、南ヨーロッパへの留学というのは、北ヨーロッパ、もしくはアメリカへの留学と比べると「格段にお手軽かな、、、」という気はします。

では良いことばかりかというと、南ヨーロッパには「南なりのデメリット」も当然あります。その辺については当日のディスカッションで福岡さん、阿部さんと共に深めていけたら、、、と思っています。

井口:触れていただきたい内容は事前にお伝えしていました。建築論ではなく体験談として、海外へ出かけた動機、仕事の見つけ方、担当した物件、仕事の仕方、人との接し方、暮らし方、心がけ、目標、日本へ戻るきっかけや理由等々、です。特に海外にお住まいの方にはお会いしないまま書いていただくわけですから、一か八かみたいなところも正直ありますしね(笑)。

もう一つは、書き出しを揃えてもらいました。場所は違うけれども、現代という時間を共有していることが感じられるかなと思い、その日一日を振り返る描写で揃えてもらいました。

最終的に送られてきた原稿の中には、かなりリライトさせていただいたものもあれば、殆ど手を入れないものもありましたが、どなたも素直に、率直に書いてくださっていました。


初稿が真っ赤になって返ってきたのは僕です(笑)。かなりの部分が書き直し(ホントに真っ赤っかだったのです!)だったので、心配になってシザ事務所の伊藤さんに「い、伊藤さん、、、僕の原稿真っ赤なんですが、伊藤さんはどんな感じでした?」ってメールしたら、「あ、あれはですねー、出来の悪い人は真っ赤になるらしいですよ」っていう大変素直な返信があり(笑)、「や、やっぱりそうか!」と金曜日の夜に一人落ち込んでいたことも、いまとなっては良い思い出ですww
←ちなみにシザ事務所の伊藤さんも、前回の書籍「海外で建築を仕事にする」に書かれています。
←シザとのやり取りなどが巧みに組み込まれていて、すっごく魅力的な文章となっています。



井口:海外に限らないけど、人に直接会うことで情報や知見だけでなく別の人との出会いが必ずあるので、進路を開拓しようと思ったら自然とそうなるんじゃないでしょうか。

いしまる:建築に限らず、新天地というか、まったくコネがない場所で活躍するための術が実はこの本に載っているというか。


今回の書籍には15人分の人生が凝縮されています。各人がどのように考え、どのように海外へ飛び立っていったのか、そして彼の地でどのように仕事を選び、どのようにプロジェクトに絡んでいったのか、、、

それがそのまま他の人の人生になる訳では無いのですが、「海外へ出て行くということを人生の中にどのように位置付けるのか」を参考にすることは出来ると思います。そしてそのような視点で作られた書籍は以前は無かった様に思うんですね。

これは裏覚えなのですが、1980年くらいの「建築雑誌」に「海外留学特集」みたいなのがあって、当時の僕はその記事を穴が開くほど読んだ記憶があります。
←いや、僕の先生(渡辺純さん、ハーバードに留学)が寄稿されていたのです。
←あの当時、「今回のような書籍があったらなー」と思わずにはいられません。



いしまる:海外に行く予定はない、日本で仕事をしている人にこの本で何を一番感じてほしいですか?

井口:海外に行くかどうかは本当はあまり大事ではなくて「どこに居ても決まり切った進路の選び方なんて無いんじゃないの?」っていうことを感じてもらえたら嬉しいです。自分次第というか。


ここがこのインタビューの一番核心的なところだと思います。

「海外で建築を仕事にする」っていう本を出しておきながら何なのですが(笑)、実は海外に行くかどうか、海外で暮らすかどうかなんてことはあまり重要ではないと、僕も強くそう思います。

勘違いしている人が非常に多いのですが、海外には甘い生活が待っているとか、「海外に行けば何か面白いことができる」だとか、それは幻想に過ぎません。

他国で暮らすということは楽しいことばかりでは無く、くじけそうになることも多々あるし、全て投げ出してしまおうと思うことだってしばしばです。

また、見過ごされがちな事実として、我々日本人が海外で暮らすということは、「その国において移民になる」ということなのです。移民であるからには、定期的に移民局に行って何時間も待たされながらもビザを更新しなければならないし、「移民だから」と言う理由で仕事もかなり制限されます。

そしてそれは多分、その地域の文化を知れば知るほど、生活をすればするほど、「我々は日本人であり、この地では移民である」という事を思い知ることなんだと思うんですね。それが異文化の中で生きていく/生き残っていくということなのです。

では何故、僕はそんな思いまでして海外で働き、そして暮らしているのか?
←←←この続きは当日のディスカッションで。



井口:いざ企画書を書くときは、「どうしよう、めちゃくちゃ売れたら……」とか妄想しながら書いたりしちゃいます(笑)。


僕は書籍作りに関わらせて頂いたのは今回が初めてだったので、一般的に書籍がどういう風に作られるのか、編集側とのやり取りはどんな感じなのか、といったことに関しては全くの無知でした。

だから学芸出版社さんが僕にしてくれたこと、編集に関して井口さんが僕にしてくださったことが業界のスタンダードなのかどうなのか、それは分かりません。

しかしですね、彼女は僕の読みにくい原稿を一言一句丁寧に読んで下さり、僕の言いたいことを僕以上に理解してくれた上で、「こうしてはどうですか?」という適切なアドバイスを何度も何度もして下さいました。また、文章にあわせて載せる写真や図、スケッチなどを親身になって選んで下さり、その方向性に従って手直ししていくと、自分の原稿がみるみる良くなっていくのが分かる、そんな楽しい数ヶ月だったんですね。

もしかしたらこの様に親身になって執筆者の相談にのってくれるのは学芸出版社さんの社風かもしれませんし、もしくは僕を担当してくださった井口さんのお人柄だったのかもしれません。

でも、初めて参加させて頂いた本の担当が井口さんで本当に良かったと、いまでは心からそう思っています。

書籍作りを好きにさせてくれて、どうもありがとうございました!
| 仕事 | 11:06 | comments(1) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
海外で建築を仕事にする2:都市・ランドスケープ編、発売!
僕が第3章(テクノロジーとモビリティをデザインする)を担当させて頂いた「海外で建築を仕事にする2:都市・ランドスケープ編」という書籍が、学芸出版社から先日発売されました!
←パチパチパチ〜。



このお話を頂いたのが昨年11月頃のこと。その後、文章を練るのは勿論のこと、掲載図版の許可を関係各所に取り付けに行ったり、待っても待っても全く来ない返信にヤキモキしたりと、結構四苦八苦した中での執筆だっただけに、Amazonなんかで出版されているのを見るに付け、すごく感慨深かったりします。

非常に粘り強く僕の文章を校正してくれた担当編集さんには心から感謝したいと思います。

どうもありがとうございました!
←以前のエントリでも書いたんだけど、書籍や学術論文って、僕一人の力だけでは到底出来上がらないものであって、みんなの助けがあったからこそ出版まで漕ぎ着けたんだと、心からそう思っています(地中海ブログ:ルーヴル美術館、来館者調査/分析:学術論文がファイナンシャルタイムズに紹介されました)。


記の写真は全て、約12年ぶりにバルセロナ市内で行われた「カー・フリー・デー」の写真です(10月17日)。「車の騒音が無いと、どれだけ快適か?」ということを市民に体感してもらおうという好企画)

この書籍はですね、海外で都市計画やランドスケープなどを仕事にしている人達(日本人)が16人集まって、それぞれの仕事のこと、その職にどうやって就いたのかという裏話、その国や地域の社会文化のことなどをそれぞれのスタイルで書き綴っているエッセイ集となっています。僕の章は、バルセロナでの仕事のこと、今まで携わってきたプロジェクトの話、更にはバルセロナ都市生態学庁(バルセロナ市役所)への就職秘話や、カタラン社会の中で生きていく喜びや苦しみなどについても書いていたりするんですね。


(普段は車両でいっぱいの都市の大動脈も、今日は子供達の遊び場に)

最初の草稿の段階では(当ブログの様な)軽いノリで、「ラテン社会に暮らす楽しみ」とかを思いっきり書き散らしていたんだけど、「ラテン社会のお話は大変面白いのですが、それは想定内なので、、、」と担当編集の方にバッサリ切られ(笑)、そのおかげもあって、当ブログとは一味違う真面目なスタイルで、しかし読み易く、また読み応えのある内容に仕上がったと自負しています。
←繰り返しますが、これは全て担当編集さんのお力添えのおかげです。

そんな学芸出版さんには、僕の紹介文としてこんなことを書いて頂きました:

「登場する16人の中で、 建築家の職能へのありふれたイメージから一番離れた仕事をしておられるのが、吉村有司さんかもしれません。エッセイの冒頭でも、"モビリティ"や"ネットワーク"、"データ分析"などをキーワードとする自分の仕事を、初対面の人に伝えることの難しさが綴られています。

…中略…

吉村さんのユニークな仕事ぶりを、プロジェクトのメモやスケッチも通して垣間見ることができ、建築家の仕事への印象が大きく変わります。」



(「都市の主役は我々人である」ということを思い出させてくれる風景)

さて、全編を通して読んでみた第一印象、それは「世の中、いろんな人がいるなー」ということに尽きると思います。ある人は大都会ニューヨークのど真ん中でパブリックスペースのデザインに関わっていたり、ある人はアフリカで測量していたり、正直言ってこんなに沢山の日本人が海外で都市計画やランドスケープに関わっているなんて想像もしていませんでした。

そして多分、ここがこの書籍の最も重要なポイントだと思います。

「海外で建築を仕事にする」=「世界で働いている建築家」と聞くと、誰しも「スター建築家の事務所で働いている」ということを想像すると思うんですね。で、そういう情報って結構内輪では共有されていて、例えば「シザ事務所には今日本人がxxxx人在籍していて、スティーブン・ホールの事務所にはxxxxさんがいらっしゃるけど、今月もう一人入ってくるらしい、、、」みたいに、世界の有名建築事務所で働いている「日本人建築家分布図」みたいなものは、比較的パッと頭に浮かぶと思います(地中海ブログ:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)のインタビュー記事:シザ建築の特徴は一体何処からきたのか?)。


(このイベントことを知らずに、何処からか迷い込んでしまった車両が、いかにも申し訳なさそうにしている様子が笑える)

しかしですね、その一方で「海外で都市計画、ランドスケープに携わっている日本人建築家の分布図」というのはそう簡単には想像出来ません。というのも「都市計画やランドスケープといった仕事をどの事務所が扱っているのか」という所から考え始めなければならないので、定期的にメディアに載ったりする「建築作品」とそれを扱った「建築事務所」ほど、その所在が自明ではないということが言えると思うからです。

実際、今回の企画書とその執筆陣のリストを見るまで、世界のどんな事務所で誰が何をしているのかなんてことは、(少なくとも僕は)さっぱり知りませんでした。更に、それら執筆者の所属は十人十色で、かたや個人事務所に所属している人もいれば、かたやNPOで働いている人もいたり、はたまた僕のように市役所や州政府といった公的機関で働いている人もいたりと、本当にバラバラ!それらを眺めてみるだけでも、今回の書籍は手に取る価値があると、僕はそう思います。


(街路は一つのパブリックスペース(公共空間)です。そう考えると、都市にはまだまだ可能性が残っている気がする)

その様な違いの一方で、全ての執筆者に共通すること、それは扱っている物件のスケールが大規模だということだと思います。まあ都市計画やランドスケープなので当たり前と言えば当たり前なんだけど、東京ドーム8個分の人工湖を創っていたり(別所力さん)、よく分かんないけど、アフリカに測量しに行ったりと(長谷川真紀さん)、色んな意味でスケールが大きい、大きい(笑)。


(街路とパブリックスペースがゆるやかに繋がっている様子)

個人的には、ニューヨークで都市生態学を研究・実践されている原田芳樹さんのエッセイが一番面白かったかな。

「都市を生態学的に捉える」という視点は僕の根底にあるコンセプトでもあり(僕はバルセロナ都市生態学庁の出身!)、制御系インフラとして緑地をデザインすること、更には都市機能改善の為に緑地を都市内に戦略的に配置していくという、ある種の「都市戦略」の考え方はものすごく共感出来るものがあります(地中海ブログ:何故バルセロナオリンピックは成功したのか?:まとめ)。


(街路のど真ん中に機材を持ち込んで、勝手にコンサートをし始めた(笑))

また、別所力さんはご自身のエッセイの中で、「莫大な予算を注ぎ込んで作るオリンピック施設には批判もあるが」と前置きされつつ、「バルセロナの例のように、オリンピック後もパブリック・オープンスペースとして活気を見せる例はある」と書かれていたり、「スペインのガウディ」(保清人)という文字が見えたりと、我が街バルセロナに影響を受けた人達が多い事も、大変嬉しい発見でした。


(椅子を持ち込んで、くつろいでいる人達もいる)

編著者の福岡孝則さんは、「あとがき」でこんなことを述べられています:

「海外で学び、働くことは何か特別なプログラムが用意されているわけではない。大切なのは、自分が立つ場所とそこに流れる時間、出会った人間を最大限に生かして、自分を掘り下げることだ…‥」

そう、海外で生活をする、仕事をするということは、その地に住む人達との出会いや触れ合いを通して、自分にしか創り上げることが出来ないプログラムをゼロから組み上げ、その価値を信じてひたすら歩み続けることだと思います。

それは世の中の絶対多数の人達が決めた価値に「単に乗っかる」ことではなく、自分だけが見出すことが出来た価値をひたすら信じていくという、大変困難な道でもあるんですね(地中海ブログ:ヨーロッパの公立大学の授業料について、その2:スペインの教育システムの裏にある考え方)。‥‥どんなに叩かれようが、どんなに無視されようが、自分の信じた価値をひたすら追求していく不屈の精神…‥それは、ある種の「狂気」と言えるのかもしれません。しかし建築の深み、建築の可能性とは、そんな狂気にも似た絶えまぬ歩みの中からこそ発見されるのではないでしょうか?

この書籍に収録されている16本のエッセイは、それら一人一人の執筆者が自らの人生を掛けて紡ぎ上げた物語であり、各々が信じたものへの絶えまぬ情熱であり、その歩みの先にある「未開拓のフィールドへの可能性」だったりします。

そう、この書籍全体を通して伝わってくるもの、それは「我々建築家に残されたフィールドはまだまだ広い」という確信に満ちたメッセージなのです。

「世界はチャンスで満たされている」(田根剛)

この書籍を通して、そんなチャンスを感じてもらえれば、共著者としてこれ以上嬉しいことはありません。

この本が、一人でも多くの人の心に響くことを切に願っています。
| 大学・研究 | 05:42 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
磯崎新さん設計によるア・コルーニャ人間科学館(DOMUS)
暑い、非常に暑い!前回のエントリで書いた様に(スマートシティとオープンデータ:データ活用によるまちづくりのイノベーション(横浜))、現在ヨーロッパにはアフリカからの熱波が押し寄せて来ていて、スペイン内陸部では連日40度を越す猛暑が続いています(ニュースでは38度とか言ってるけど、あれは日陰で測った温度です)。



街路に掲げられている温度計(43度!)も暑すぎて壊れてるっぽい(苦笑)。「ヨーロッパは乾燥してるから、暑くてもジメジメしてないんだよねー」という、間違ったイメージを持ってバルセロナに来る観光客のかたが非常に多いのですが、バルセロナは海に面していることもあり、意外と「ジメッ」としています。以前京都から来た友人が「バルセロナって京都よりも湿度高いかも」と汗ダラダラになりながら苦笑いしていたのを思い出しますねー。



そんな酷暑の中、所用の為にア・コルーニャに行ってきました。スペイン北西部に位置するア・コルーニャ市は、真夏といえどもそれほど気温が上がらず、最高でも25度から27-8度程度と、非常に過ごし易い気候で知られているんですね。



また市内には、ユネスコ世界遺産に登録されているヘラクレスの塔(ローマ時代に作られた灯台)があることなどから、世界遺産大好きな日本人観光客のみなさんにも比較的馴染み深い都市となっているのでは?と思われます。



その一方、我々建築家にとって「ア・コルーニャ」といえば、やはりコチラかな:



そう、泣く子も黙る日本が生んだスーパースター、磯崎新さん(建築家)が設計されたア・コルーニャ人間科学館(ドムス:Domus)です。完成は1995年なので、ちょうど磯崎さんがパラウ・サン・ジョルディ(バルセロナオリンピックのメイン会場)を完成されて、「これからヨーロッパでガンガン建築を創っていくぞー」と息を巻いていた頃だと思われますね。



この建築が建っているのは、「大西洋のテラス」と形容出来そうな最高のロケーション!イメージとしては、僕が小学生くらいの時にテレビで放送していた「メイプルタウン物語」に出てきそうな街、、、というところでしょうか(笑)。
←ちなみにあのアニメ、第二弾が「パームタウン編」とかいって、「メイプルタウンとさっぱり関係ないじゃん!」と、子供心に思っていました(笑)。更に更に、なんでパームタウンに行く事になったかというと、主人公(うさぎ)の従兄弟がその街に住んでるからっていう設定だったんだけど、その従兄弟、犬なんですよね(笑)。しかも猫のギャングに虐められる‥‥っていう不思議な設定(笑)。

↑↑↑はい、どうでもいい豆知識終わりww

さて、海岸線沿いに降りてみると、カーブを描くビーチの何処からでもこの建築が目に入ってくることから、「この建築は、この街のシンボルになるように期待された」と、そう読み取る事が出来ます。



‥‥僕がこの街を初めて訪れたのは今から14年も前のこと、丁度オポルトに住み始め、シザの建築を見て回っていた頃だったと思います。「青春18切符ヨーロッッパ版」みたいなのを買って、ポルトガルやスペインを始め、フランス、ドイツ、オランダ、ベルギー、イタリアなどの建築や街を見て回っていた時に、乗り換えの都合でたまたま立ち寄ったのが、このア・コルーニャという都市でした。



ただ当時は(乗り換えの為に)あまり時間が無く、街を一回りするだけで精一杯。磯崎さんのドムスも海岸側からチラッと見て、写真を1−2枚撮るだけに留まっていました。

しかしですね、今回の滞在で改めてこの建築をジックリと観察してみてビックリ!そのデザインの質の高さに驚いてしまったという訳なのです!!

そんな素晴らしい建築、先ずは、海岸側から眺めてみます:



全身に風を受けて立つ帆のイメージでしょうか、、、。目の前に広がる海岸の緩いカーブに沿って建てられた、非常に素直な形態です。そして大変特徴的な緑色のファサード、これはこの辺りで取れるスレートだそうです。



海岸線を背にしつつ、大階段の右手奥にそっと設えられた階段を登ってみます:



この小階段は大階段に対して直角方向に付いていることから、先ずは「ファサードに向かって」ではなく、「ファサードと平行方向に」歩かされます。
←ここ、重要!
左手側には海岸線、そこから更に右手方向に半転(90度)させられ、ここで再びファサードとご対面〜:



そして大階段を登り切ったポイントから振り返るとこの風景:



うーん、絶景かな、絶景かな。ここでちょっと上の方を見上げてみます:



これがファサードを構成する緑色のスレートのディテール。石を長方形にカットしておいて、それを一枚一枚丁寧に貼り付けているのが見て取れます。スペインとは思えない非常に丁寧な仕事、そしてそれを実現する技術力、、、といったら言い過ぎでしょうか?(苦笑)



そんなことを思いつつ、更に階段を登っていくとエントランスホールに導かれます。



海岸線から大階段、そしてエントランスへと、「これがこの建築の基本的なアプローチ空間の構成かなー」とか思ってたら、ここで大どんでん返し!!!



エントランスホールを左手に見ながらそのまま真っ直ぐ進むと裏通りに出るのですが、この建築の裏側、そこのデザインが凄かったのです!



表側の「緩いカーブ」とは対照的な「ジグザグ」を基本としたファサード、ちょうど屏風の様な形になっているんですね。ちょっと左方向に歩いて行ってみます:



うーん、ジグザグです(笑)。次は右手方向に歩いて行ってみます:



やっぱりジグザグ(笑)。しかもなんだか、「ジグ」と「ザグ」を繋いでいる直線部分が間延びしてたりして、ちょっとカッコ悪い、、、。



一番端っこまで行くと、そこから表側に回れるようになっていて、そちら側にはレストランが設えられていました。



この視点から見る空の切り方は秀逸。更に更に、端の切り方はもっと秀逸:



真横にビヨーンと伸びた形態って、その端の切り方でその建築の質が変わってくると思うんだけど、この納め方は非常に美しいですね。そしてここからもう一度裏側へ戻ろうとした時、事件は起こりました!それがこちらです:



な、なんと、先ほど見た伸び伸びでカッコ悪すぎた一つ一つのジグザグ、それらが重なり合うことによって「襞」を創り出し、この上ない風景を出現させていたのです!



す、素晴らしいの一言!

この様なデザインは、(1)我々人間の眼が地上から150cmくらいのところに付いている、(2)人間とはその様な眼を持って空間内を歩き回る存在である、ということが十分に解ってないと出来るデザインではないと思います。



「な、何をそんな当たり前のことを、、、」と思われるかも知れませんが、これが意外と難しいんだなー。そしてこの様な襞を創り出しているということは、この建築の一番の見所、そのパースペクティブを常に意識してデザインしているということでもあるんですね。

この様な手法を用いて創られた非常に優れた建築としては、ラペーニャ&エリアス・トーレスがデザインしたトレドのエスカレーターがあるかと思われます(マドリッド旅行その4:ラペーニャ&エリアス・トーレス(Jose Antonio Martinez Lapena and Elias Torres)の建築その1)。



色んな方向を向いたエスカレーターが折り重なることによって襞を創り出し、更に適切な天井操作と相まって素晴らしくカッコイイ風景を創り出しています。が、しかし、それを反対側から見るとこんな感じに見えちゃいます:



ほらね、間延びしててカッコ悪いでしょ(笑)。しかしですね、こんな間延びすらデザインにしてしまったのが、何を隠そう我らがアルヴァロ・シザだったりするんですね:



シザのこの住宅、真正面から見ると襞が重なり合って非常にカッコイイ風景を創り出しているのですが、それを真横から見るとこんな感じ:



上の2作品と同様に確かに間延びしてるんだけど、このシザの建築の場合は、この間延びが、あたかもポルトガルの「ゆったりと流れる時間」のような社会文化を表象しているかのようですらあるのです!正にシザ・マジック!

‥‥僕は思うのですが、はやり建築というのは、「その地域に住んでいる人達が心の中で思い描いていながらも、なかなか形に出来なかったもの、それを一撃のもとに表す行為である(槇文彦)」‥‥と。そしてそういう能力を兼ね備えた人のこと、無意識の内にもデザインからその様な片鱗が見えてしまうものを創り出してしまう人のことをこそ、我々は建築家と呼ぶのだと‥‥。

あー、また脱線してしまった、、、。

さて、今回の磯崎さんの建築デザインなのですが、この様な「ジグザグ形態による襞」というかけがえのないアイデアを中心とした、「裏側のデザイン」を知った上で、「表側のデザイン」を見ると、また違った意味合いが出てくるから不思議です。



大西洋の風を全身で受け止めながら市内の一等地に建っているこの建築のファサードは様々なメディアに取り上げられ、「ア・コルーニャの顔」ともいうべきシンボルとなってはいるのですが、上述の形態操作などを見るにつけ、今まで「表」だと思っていたこちら側が、実は「裏側」なんじゃないか、、、という気すらしてくるんですね。

エントランスの扱い方を見るに付け、この思いはより一層強くなっていきます。

先ほどの襞が一番カッコよく見えるポイントから少し坂を登っていくとこの建築のエントランスにぶつかるのですが、進行方向に向かって門が少し「ハスに構えている」のが見て取れます:



そして言われるがままに歩いて行ってみます:



向こう側にはパッと開ける視界が少しだけ右側に曲がりながら開けているのを見ることが出来るんですね。



つまりこうすることによって、螺旋状の動きを作り出し、その流れに沿って自然にエントランスに導かれる‥‥という流れを作り出しているのです!入り口を入ったところがコチラ:



2層分吹き抜けの大変気持ちの良いエントランス空間の登場〜。ちなみに内部空間はこんな感じ:



‥‥どちらが表でどちらが裏なのか分からない、、、はたまた表はやはり表であって、でも裏側から見たときはそれが表になって、、、と考えれば考えるほど、なんか磯崎さんの術中にはまり、ひいては彼の掌の上でチョロチョロと遊ばされているだけだった、、、ということになるという、、、なんか、そんな色んなことを考えさせられる建築であることは間違いありません。



素晴らしい建築体験でした!

追記:
ア・コルーニャを訪れる楽しみの一つは大西洋が育む豊富な海産物です。そんな中でもガリシア風タコ煮は絶品!市内でも1、2を争うと言われるレストランがスペイン広場にあるんだけど、その名もA Pulpeira de Melide(メリデ村から来たタコ煮職人の家(笑))!



ここのタコ煮は絶品です。柔らかすぎす、かと言って固すぎず、厚さも適切にカットされている極上の逸品に仕上っています。



マテ貝も頼んでみたのですが、コチラも素晴らしい逸品でした!こんなに身がプリプリのマテ貝は珍しい。

食後のデザートはコチラで:



ア・コルーニャを本店とするチューロスの名店、Bonilla a la vista! 程よい甘さのホットチョコレートを揚げたてのチューロスにつけて食べると、もう最高〜。



建築探訪と共に、食事も最高のア・コルーニャ訪問でした。
| 旅行記:建築 | 12:53 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
皇室御用達の鯉料理の老舗、大黒屋その2
前回のエントリで書いたように、今年の年末年始は日本で過ごしていました(地中海ブログ:新年あけましておめでとうございます2015)。

ヨーロッパの元旦というのは、基本的にどの都市でも1月1日の0時と同時に「これでもか!」というくらい花火を打ち上げまくって始まります。どれくらい打ち上げるのかというと、それこそ「サグラダファミリア、壊れるんじゃないの?」っていうくらい打ち上げるんですね(笑)。



そんなヨーロッパにおける元旦の思い出として記憶に新しい所では、3年くらい前に過ごしたパリでのこと、、、「まあ、一応パリに来てるんだし、シャンゼリゼ通りでも見に行ってみるか」ということで、午前0時の花火に合わせて外出したら、もう凄い人、人、人!そんな中、「若者グループがあっちの方で騒いでるなー」とか思ってたら、そのうち警官隊と揉み合いになり、あろうことか催涙弾を投げつける始末!その近辺にいた人みんな涙目(苦笑)。僕もその時、生まれて始めて催涙弾とか受けたんだけど、眼がショボショボするわ、鼻水は出るわで、散々な年明けだったことを今でも覚えています。

さて、我がcruasan家は一年を通して「何月何日はココへ行く!」みたいな年中行事が目白押しで、それこそ物心つかない頃から「無理矢理」色んな所へ連れて行かれてたんだけど(苦笑)、何を隠そう、そんな年中行事が最も集中しているのが年末年始なんですね。

どんな年中行事か?
←ズバリ、食べ三昧の毎日です(笑)。



一月一日のなだ万(日本料理の老舗)のお正月ランチに始まり、1月4日の下呂温泉にいたるまで、もう食べまくり。特に1月2日に訪れる多度大社(三重県)へのお参りと、その麓にある鯉料理のお店(大黒屋)での会食は、それこそ僕が生まれる前から何十年と続けている伝統ですらあります。



 「馬が崖を掛け上がれるかどうか?」で、その年の豊穣を占うとされる「上げ馬神事」で有名な多度大社なんだけど、その麓には歴史の重みを感じさせるのに十分な風景が未だに残っています。そんな旧街道を歩いて行くこと10分、見えてきました、お馬さんが駆け上がる崖が:



これ、駆け上がるの大変だよなー。僕が馬なら絶対無理!(笑)。で、こちらがそのお馬さん:



今日は元旦なのでお正月っぽい服を着ています。白馬だし、服が青くて高貴っぽいので、暴れん坊将軍が乗ってる馬っぽいなー(笑)。目の前には角切りにされた人参が載ったお皿が置いてあって、100円払うと一皿あげることが出来ちゃいます。このお馬さんに人参をあげて、おみくじをひいたり、抹茶を飲んだりしていると、そろそろランチの時間に、、、。という訳で、先ほどの街道をもう一度歩いていくと表れてくるのが今回目指すべき建築です:



じゃーん、堂々たる門構えの鯉料理の名店、大黒屋の登場〜。創業280年というこの大黒屋は、「皇室御用達の料亭」として知られているんですね。ただ‥‥このお店の前を通り掛かった人達が、このお店を「鯉料理のレストラン」と認識し、鯉を求めて入ってくる‥‥とは到底思えません。お品書きも無いし、何よりこの立派過ぎる門構えが、このお店の前を通る人々の足を惹き止め、門の中へと誘い込みながらも、全く関係の無い人達をはじき返す力強さを兼ね備えているからです。



このような表現は東西の違いこそあれ、ファサードが波打つ事により、人々を惹き寄せては打ち返すバロック建築の最高峰、サン・カルリーノ・クワットロ・フォンターネ教会に通じるところがあるのかもしれません(地中海ブログ:サン・カルリーノ・アッレ・クアットロ・フォンターネ教会(San Carlino alle Quattro Fontane)から学ぶ歴史の重み:現地へ行ってみて始めて分かる事は山程ある



もっと言っちゃうと、この門構えをチラッと見ただけでも、この建築、ひいてはこのお店が徒者ではないことが分かってしまうんですね。この門から中庭空間へは視線が一直線に抜けてるんだけど、この空間では来館者をエントランスまでダイレクトに進ませるのではなく、効果的に石畳を使う事によって、「わざわざ」右寄りに進行方向を曲げているのが見て取れるからです。

また、真っ正面に見える風景(=エントランスの空間構成)を一度に全て見せるのではなく、中央左寄りに「敢えて」樹を植える事により、あちら側の風景を遮りながらも、クライマックス的空間に対する来館者の期待感を高めてもいるのです。



この辺のアプローチ空間の妙については以前のエントリでも書いた気がするんだけど、先日訪れた京都にある村野藤吾の佳水園、もしくはスペインとポルトガルの国境付近に位置するアルヴァロ・シザ設計によるヴィアナ・ド・カストロ図書館にも通じる所があるかと思います(地中海ブログ:アルヴァロ・シザの建築:ヴィアナ・ド・カストロ図書館その1:外部空間(アプローチ)について)。



様々な文化圏における表象文化の比較という観点で見ていくと、自ずと「日本建築の特徴」みたいなものが浮かび上がってくると思うんだけど、それは「建築が完全に開く」のではなく、かと言って「完全に閉じてしまう」のでもない「曖昧な境界」とそれを可能にする皮膜、そしてその様な皮膜が何重にも折り重なる事によって襞の様になり、その中に存在する「奥」を大切に守っていることだったりするのです。

 「奥」とは日本文化の核に位置するアイデアであり、我々の日常生活の至る所に見られる事象でもあります(槙文彦さんが詳しく書かれています)。ふとデパートなどで買い物をした際、包み紙を開けると箱が現れ、その箱も包装紙に包まれていて、それを取り除いて箱を開けると、更に包装紙が現れ、「いつになっても中身に辿り着けない」‥‥みたいな(笑)。もしくは神社などで売られている「お守り」も「奥」が存在する事によって成り立っているものですね。

あー、また脱線してしまった‥‥。
と、とりあえず中へと入って行きます。



真っ赤な絨毯があちら側へと我々を誘う、エントランス空間の登場〜。



右手側にはお正月らしい立派なお飾りが我々を出迎えてくれます。ここにこの真っ赤な絨毯があるのと無いのとでは大違いで、あちら側に見える中庭の緑色を「補色として」活き活きさせるという仕掛けでもあるんですね。この赤絨毯に誘われるがままにココで靴を脱ぎ、奥へと入って行くと広がっているのがこの風景:



前日に降った雪がちらほらと残っている、大変美しい日本庭園です。もうホント、何十年も前から変わらない風景がココには広がっています。



このお庭を眺めながら左手側に進んで行くと、その突き当たりには「待合室」があるんだけど、その待合室は皇族の方々が来た時にしか開けないということを以前聞いたことがあります。しかしですね、それこそ20年くらい前のこと、たまたま僕達の部屋がまだ準備中だった為、その開かずの待合室に通されたことが一度だけありました。



個人的に歴史の年号を覚えたりするのは苦手なんだけど、一度見た風景などはまるで写真にパシャっと撮った様に鮮明に覚えることが出来る僕の記憶によると、大変良く設えられたそのお部屋の真ん中には戦国時代の甲冑が飾られ、木を基調とした大変質の高い空間が広がっていた事を今でも鮮明に覚えています。



さて、この料亭は中庭空間を中心に構成されていて、ほぼ全てのお部屋からこの素晴らしい庭を眺めて食事を楽しむことが出来るのですが、この長―い廊下を歩いて行き、さっき入ってきた赤絨毯が敷いてあるエントランス空間を反対側から見返してみます:



狸の後ろ姿(笑)。裏側からみると、先ほど通ってきたエントランス空間の構成が「如何に直線的ではないか」がよーく見て取れるかと思います。



ほら、真っ赤な絨毯に対して、その脇に植えられている樹があちら側へ視線を抜けるのを邪魔してるでしょ?



cruasan家はこの中庭の真ん中付近の部屋をいつも取ってあるのですが(上の写真に見える障子のお部屋)、昔は一番奥の部屋、ちょうど狸の裏側くらいの部屋を予約してあって、料理を楽しみながらも下駄を履いて中庭を歩き回るのが、この料亭で食事をする1つの楽しみでした。でも、最近みんな歳をとってきた為に、中庭を歩き回るよりは、お手洗いが近い部屋がいいらしい(苦笑)。 ←ということで、中庭の真ん中付近の部屋になったそうです。

そんなこんなでお庭を堪能していたら、先付けが運ばれてきました:



毎年大変楽しみにしている鯉のすり身の揚げ団子と頬肉です。この鯉のすり身の揚げ団子が絶品で、小さい頃はこればかり注文してたんだけど、いまにして思えば、そんな融通が利いたのも古き良き時代だったのかな‥‥と、そう思います。



続いて出てきたのが、鯉の鱗の酢の物と、鱗の唐揚げです。



鯉の鱗の唐揚げなんて、このお店以外では見たことがありません。サクサクで美味しい〜。



そしてそして、出てきました!このお店に来たら絶対に味わって頂きたい一品!白みそ仕立ての鯉こく!!いままで色んな所で鯉こくを食べてきたんだけど、これほど味わい深い鯉こくは本当に珍しいと思います。



で、こちらが鯉の洗い。このお店では酢味噌ではなく、ワサビ醤油で頂きます。

普通、鯉というと独特の臭みがあるものなんだけど、創業280年を誇るこのお店の知恵と経験から、群馬から仕入れた鯉を屋敷内にある池に餌無しの状態で2ヶ月ものあいだ泳がすことによって、鯉独特の臭みをさっぱりと消しながらも、身を引き締めているのだとか。上の写真で身が縮れているのが分かるかと思うんだけど、これは新鮮な魚の身を洗った場合にしか出ない現象なんですね。つまり最高のクオリティだという事です。



続いては鯉の塩焼き。レモンと酢を少しだけたらして食べると、もう最高。そして去年から料理のラインナップに追加されたのがこちら:



あばらのミソ焼き‥‥かな(?)
←いや、このお店、お品書きもなければ、特に何も説明してくれないので、自分が何を食べているのか、イマイチ良く分からないのです(笑)。そしてそして、この料亭のメイン料理がこちら:



鯉の素揚げの和風あんかけ風の登場〜。鯉が丸ごと一匹揚げてあり、そこへ野菜炒めあんかけを載せた一品!お、美味し過ぎる〜。

最後は勿論、ご飯とお味噌汁なんだけど、この鯉のあんかけが美味し過ぎて、ご飯の写真撮るの、忘れたー(笑)。

満足、大満足です。

この料亭の良い所は、料理の質もさることながら、それらが運ばれて来る間に中庭へ出て行って庭園の風景を思う存分楽しめる所かな、、、と思います。そしてこういう体験から僕が学んだこと、それは「食事を楽しむということ」は、なにも料理の味だけでなく、そこから見える風景、音、雰囲気など、我々の五感全てを使った総合芸術なのだということです。



大変美味しゅうございました!
星、三つです!!!
| 地球の食べ歩き方 | 10:18 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
新年あけましておめでとうございます2015
新年あけましておめでとうございます。



ここ数年、年末年始はボストン、ローマ、ロンドン、パリなどヨーロッパ各地で過ごすことが多かったのですが、今年は2015年の始まりを日本(名古屋)の実家で過ごしています。

昨年(2014年)は6ヶ月をアメリカ(ボストン)、5ヶ月をバルセロナ、そして残りの一ヶ月を日本で過ごし、ドタバタと足早に時間だけが経過していく毎日だった様に思うんだけど、そんな中でも印象深かったのは、やっぱりボストン滞在だったかな、、、と思います。



今回は2回目ということもあり、一昨年よりは勝手が分かってはいたのですが、やはり異国の地で過ごすのは「それなりに大変だったなー」というのが正直な感想かな‥‥。でも、まあ、新しい発見があったり、素晴らしい出逢いがあったりと、僕の人生にとっては大変有意義な滞在であったことは間違いありません(地中海ブログ:ボストン/ケンブリッジ市のカフェ事情:美味しいコーヒー屋さんについて)。



建築関係で言えば、ルイス・カーンの建築は本当に素晴らしかった!(地中海ブログ:ルイス・カーンのフィリップ・エクセター・アカデミー図書館(Phillips Exeter Academy Library):もの凄いものを見てしまったパート3:「本を読むとはどういう事か?」と言う根源を考えさせられた空間体験、地中海ブログ:ルイス・カーンのイェール大学英国美術研究センター(Center for British Art and Studies, Yale University)、地中海ブログ:ルイス・カーンのイェール大学アートギャラリー(Yale University Art Gallery))。



ポルトガルでの教訓から、僕は建築を語る時は自分の眼で見たものしか信じない事にしていて(地中海ブログ:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)のインタビュー記事:シザ建築の特徴は一体何処からきたのか?)、他の人が何と言おうと、その建築を実際に訪れ、自分の5感で感じた事しか批評しないことにしているんですね。そんな僕の眼から見て、「ルイス・カーンの建築は本当に素晴らしかった」と、胸を張って言えると思います。 今度は是非、「最高に素晴らしい建築」と言われているキンベル美術館、そしてソークに行ってみたいと思っています。



バルセロナに帰ってきてからは、「待ちに待ったバケーション!」ということで、毎年恒例のガリシア地方(スペイン北部)に一ヶ月のバカンスへ行ってきました。今年の目玉は、何と言っても「リアル風の谷」よろしく、人知れずひっそりと佇んでいる修道院を発見出来た事でしょうか(地中海ブログ:本邦初公開!ガリシア地方の山奥にリアル風の谷があった!エルミータ修道院(Santuario de Nuestra Senora de las Ermitas))。



鶏の「コケコッコー!」という鳴き声と共に目を覚まし、庭で取れた野菜を食卓に並べる「田舎生活」を満喫していたら、それを妨害するかの様な電話がフランクフルトの銀行から掛かってきたりして、ブーブー文句を言いながらも向かったプレゼンテーションだったんだけど、日本では全く知られていない(と思われる)名建築に出逢ってしまうという、大変嬉しい誤算があったりしました(地中海ブログ:フランクフルトにある隠れた名建築:Ferdinand Kramerによるフランクフルト大学薬学部棟)。



そしてそして、11月には3年越しの論文がやっと陽の目を見るという大変嬉しいニュースが飛び込んできました(地中海ブログ:ルーヴル美術館、来館者調査/分析:学術論文第一弾、出ました!)。ちなみにこの論文、(自分で言うのも何なんだけど)欧米では結構話題になってて、(今のところ)フランス、イタリア、ドイツ、スペインの主要新聞や雑誌などからインタビューを受け、大々的に取り上げられる状況となっています。



そんなこんなで、「あー、去年も色々あったなー」とか思いつつ、ふと気が付くと、地中海ブログも今年で9年目を迎えることが出来ました。

最初の頃は単なるメモ程度のノリだったのですが、今では毎日約5000人ほどの人達に見て頂けるまでに成長し、ABcruasanとして公開しているTwitterも含めると、「1つの小さなメディアを形成しつつある」と言っても過言では無い状況になってきていると思います。



今年は去年までとは違ったスケールのプロジェクトが動き出したり、個人的に今まで踏み込んだことの無い領域に挑戦したりと、色々な意味で飛躍の年になるのでは?と期待をしています。いや、絶対そうします。

そして今年も「楽しい人生」、「豊かな毎日」を送ることをモットーに、毎日全力で生きて行こうと思っています。

今年も昨年同様、僕の独断と偏見で勝手なことを思いっ切り書いていこうと思っている「超わがままな」地中海ブログですが、引き続きご愛読頂ければ幸いです。

当ブログの読者の皆さんにとっても素敵な年となりますように。 そして今年も宜しくお願い致します!

Happy New Year!
Feliz Año Nuevo!(スペイン語)
Bon Any Nou!(カタラン語)
| 旅行記:建築 | 17:02 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
フランクフルトにある隠れた名建築:Ferdinand Kramerによるフランクフルト大学薬学部棟
忙しい‥‥なんか最近妙に忙しい!



最近はブリュッセルに行ったり、フランクフルトへ行ったり、はたまたその間にバルセロナで来月開かれる国際会議(IBMスマートシティ会議とバルセロナ・スマートシティ国際会議)の為のプレミーティングに、(強制的に)参加させられたりと、なんだか目まぐるしい毎日を送っています。



そんな超多忙な日々なんだけど、足早に過ぎていく時間の中で忘れてはならないことも多々起こっている訳で、その様な出来事をメモ程度に書き留めておこうかなと思います。

先々週のことになるのですが、所用でフランクフルトへ行った時のこと(夏休み明けから数えてもう3回目!)、意外にもプロジェクトの打ち合わせが早く終わったので、「この機会を逃すべからず!」くらいの勢いで市内にある幾つかの美術館へ行ってきました。



フランクフルト市内には見るべき美術館が幾つかあって、それらの多くがマイン川沿いに行儀良く並んでいるんだけど、例えばフランドル絵画のコレクションでは世界屈指の規模を誇るシュテーデル美術館(Städel museum)、ドイツ映画博物館(Deutsches Film Museum)、更にはドイツ建築の紹介を中心としたドイツ建築博物館(Deutsches Architektur Museum)なんてのもあったりするんですね。



ちなみに上の写真は約1年前にシュテーデル美術館を訪れた時にツイートしたものなんだけど、あれよあれよという間にリツイートされまくって、1年経った今でも時々現れている「つぶやき」です。 ←「あの写真、何処で撮ったんですかー?」って良く訊かれるんですが、ずばり、シュテーデル美術館2階奥にあるルノアール(絵画)の前で撮りました。



もう1つちなみに、このシュテーデル美術館は最近リノベーションが施され、地下空間が新しく付加されたのですが、これがまたシザ‥‥ひいてはアールトの甘いコピーに見えない事も無い‥‥と言ったら意地悪過ぎるでしょうか(苦笑)。



そんな中、今回はリチャード・マイヤー設計で知られるフランクフルト工芸美術館(Museum für Angewandte Kunst)に行ってきました。とは言っても、この美術館の空間構成についてはココで紹介するほどでもなく‥‥かと言って展示品もそれほど面白い訳でも無いんだけど、僕が今回ここを訪れた理由、それは久しぶりに倉俣史朗さんの椅子(How High the Moon)を見たかったからなんですね。


(倉俣史朗作、How High the Moon)
←倉俣史朗さん、僕が中学生くらいの時に亡くなったのですが、たまたまその当時テレビを見ていたら、「彼が亡くなった」というニュースと共に、彼の代表作とも言える「ミスブランチ」がテレビに映し出され、「こ、こんな椅子が世の中に存在するのかー!」と眼を奪われた事を今でもハッキリ覚えています。


(倉俣史朗作、ミス・ブランチ)
それ以来、彼の作品の大ファンになり、ことある毎に展覧会へ行ったり、海外に散らばっている彼の作品を見て廻ったりと、倉俣巡礼を繰り返しているという訳なんですね。ちなみに、初めてアルバイトをして頂いた給料で購入したのが、実は倉俣史朗さんの照明(オバQ)だったと言う事も今となっては良い思い出です。 ←本当はミス・ブランチが欲しかったんだけど、高かったんですよ(汗)。


(倉俣史朗作、オバQ)
そんなこんなで、今回も久しぶりにこの美術館に彼の作品を見に来たんだけど、「あー、これ以外に見るもの無いなー」とか思ってたら、なんかあっちの方に建築系の特別展示を発見‥‥。



展覧会場のど真ん中に位置している大きなパネルに船が映ってる事から、「あー、近代建築系かなー?」とか思いつつ、少し見て回っていたら、コレが結構面白くてビックリ!僕は全く知らなかったのですが、20世紀初頭から80年代くらいまでドイツで活躍したFerdinand Kramerと言う建築家なんだそうです。



当時撮られたと見られる大きな白黒写真が展示されていたのですが、これが彼の代表作っぽくて、写真で見る限り、「これは一度この眼で見てみたい!」そう思わせるに十分な質を持っている様に思えたんですね。 ←‥‥なんか最近、表面をゴチャゴチャと操作しただけの建築や、写真写りが良さそうなだけの建築が多いんだけど、そんな中、わざわざお金と時間を掛けてまで「実際訪れてみたい!この眼で見てみたい!」と僕に思わせてくれる建築って、そうそう無いものなんですよ。

「まあー、でもなー、写真が白黒だし、雰囲気も昔の建物っぽいので、さすがにもう残ってないよなー」とか思いつつ、ダメ元で学芸員の人に聞いてみたら、「ハイ、ありますよ。フランクフルト市内です」との意外な答えが!「えー、これ、まだ残ってるの!!し、しかもフランクフルト市内???」。



で、詳しく聞いてみたら、どうやらこの建築はフランクフルト大学薬学部の建物なんだとか。更に更に、その学芸員の人、大変親切にも地図まで書いてくれた上に、大学図書館に連絡まで取ってくれて至れり尽くせり! ←何でも、遠い島国から来た日本人がドイツの建築家にこんなに興味を持ってくれたのが心底嬉しかったのだとか。

という訳で早速行ってきました。

市内を走っている地下鉄U4線に乗りBockenheimer Warte駅で下車すると、眼の前に広がっているのがフランクフルト大学のキャンパスです。



この大学、正式名称はヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ大学フランクフルト・アム・マイン(Johann Wolfgang Goethe-Universität Frankfurt am Main)と言うそうなんだけど、日本を含む欧米では「フランクフルト大学」という通称で通っているので、こちらを用いる事にします。

「ん‥‥?フランクフルト大学?」と思った人はかなり勘が良い。そーなんです!この大学こそ、あのハーバーマスを擁するフランクフルト学派の拠点なんですね(地中海ブログ:美術の商品化と公共空間: Manuel J. Borja-Villel)。大学創設は1901年に遡るらしく、元々はこの辺りにキャンパスが広がっていたそうなんだけど、学生数の増加に伴い、近年は郊外へとキャンパスを移転したそうです。

最寄り駅を降りて歩くこと10分、この辺りには結構古い建物が残ってて、この建築(下記写真)もFerdinand Kramerによる作品なんだとか。



そこから更に歩くこと2分、見えてきました、それらしい建物が!



緑豊かな中に静かに佇んでいる姿は、金融都市フランクフルトの喧噪からは想像も付かないほどゆったりとした時間が流れています。この日は週末だった為、学生さんは誰もいなくて建物内は空っぽ。下の庭には裏から廻れそうだったので、そちらから行ってみる事に。



な、なんか物々しい雰囲気の裏側‥‥。



そこを曲がるとヨーロッパ随一の金融都市「フランクフルト」が顔を現します。それらの超高層と比較すると、正に「都会のオアシス」と呼ぶに相応しい雰囲気のポケットパークが姿を現します。



で、そこを曲がると現れるのがこの風景:



じゃーん!こ、これだー!しっかりとした本体部分にブリッジが架かっていて、この建築に流れる「物語」の「余韻部分」とでも言うべき四角い箱がくっ付いています。



真っ白な躯体に全面ガラス張りの四角い箱。



言うまでもなく、この小さな四角い箱と、それを繋ぐブリッジがこの建築の肝なんだけど、正にこの小さな箱がこの建築の質を「決定的なもの」にし、この何でも無い平凡な建築を「唯一無二の存在」にしているのです。



よーく見ると、大変注意深くデザインされていて、例えばこの箱の立面を「一枚の壁である」かの如くに強調する為に、こんなデザイン上の工夫がされていたりするんですね。



今度は反対側から見てみます:



50年以上の歳月を経て、ここの自然と素晴らしく同化しているのが見て取れます。

今度はもう一度上に戻って、正面からこの建築を見てみます。



先程のブリッジの部分です。渡ってみます。



右手側には先程の中庭と、しっかりとした基盤である高層棟。



左手側にはガラスを通して階段が見えます。



‥‥建築とは、何かしら建築家がやりたい1つのアイデアがハッキリと眼に見える形で実現出来ていれば良い建築である‥‥と、僕はそう思っています。

今回訪れたフランクフルト大学薬学部棟のアイデアは大変明快且つシンプル、更に言うなら、その表現としても「これだ、これだ!」と大声で自分を売り込むのではなく、大変謙虚な姿勢を貫き、パッと一目見ただけでは見過ごしてしまう様な、そんなごく普通の佇まいをしているんですね。



もっと言っちゃうなら、この「四角い箱をブリッジで繋ぐ」という掛替えの無いアイデア、たった1つの為に、この建築は最上級の質を伴った建築に昇華しているのです。



素晴らしい、本当に素晴らしい建築だと思います。

こんな建築が今まで日本に紹介されていなかった事、こんな素晴らしい建築を建てた建築家が殆ど無名のままでいること‥‥。

この様な予定調和的ではない体験が出来るからこそ、僕はヨーロッパの街を訪れ続けているのであり、この様なヨーロッパの深淵に不意に出逢える事こそ、ヨーロッパ旅行の醍醐味でもあるのです。
| 旅行記:建築 | 04:06 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
多度大社から歩いて3分の所にある皇室御用達の鯉料理の老舗、大黒屋
年末から年始に掛けて、実はひっそりと日本に帰っていました。今回の帰国は1週間程度だったんだけど、そんな短い間にも下呂温泉に行ったり、お節料理を食べたりと、久しぶりに典型的な日本のお正月を過ごす事が出来たのは嬉しかったかな。



また、日本で紅白歌合戦をリアルタイムで見る事が出来たのは(バルセロナを出て以来)14年ぶりのことで、「え、紅白ってこんなに面白かったっけ?」という、良い意味における「驚き」を受けたのは個人的には嬉しい誤算でした。「あまちゃんを見てないと絶対に分からない演出」、つまりは「日本人だったら朝の連ドラくらい当然見てるよね?」っていうNHKの強気の姿勢とか、かなり笑った。もっと言っちゃうと、今年の紅白がここまで盛り上がったのは、(一時的、そしてかなり独特な文脈だったとは言え)「日本国民全般に認知され得る国民歌の様なものが戻ってきた」ということが大きいと思います。



正にそれが「潮騒のメモリー」であり、それを核とした演出(ユイちゃんが東京に行けたこと等)だったんだけど、その様な文脈をみんなが共有出来ていたからこそ、あそこまで盛り上がった訳であり‥‥潮騒のメモリーと言う曲は、過去の記憶を継ぎ接ぎにする事で実現した歌であり、これは「失われた未来論」に位置づけることが出来て‥‥と、今回の紅白を巡る現象について語り出せばキリが無くなるので、それはまた別の機会に。



さて、僕の家族は「毎年○月○日にはココに行く!」みたいな恒例行事を幾つも持っていて、僕も物心つく前から色々な所へ「無理矢理」連れて行かされてたんだけど(笑)、その内の1つが今日紹介する鯉料理の老舗、大黒屋なんですね。毎年1月2日は多度大社にお参りに行ってから、この料亭で出される鯉料理に舌鼓を打つというのが、それこそ僕が生まれる前から何十年間も続けられているcruasan家の恒例行事なのです。



「多度大社‥‥何それ?」という人でも、馬が崖を駆け上がる動画を眼にしたことがある人は結構多いのでは無いでしょうか?そう、多度大社とは「上げ馬神事」で有名な、あの多度大社のことなのです。



‥‥毎年ここに来る度に思うんだけど、「こんな直角の崖を上るなんて、馬も大変だなー」‥‥と。崖の上には、真っ白なお馬さんがいて、いつも美味しそうに人参をムシャムシャと頬張っています(笑)。



このお馬さんを横目に見つつ、おみくじを引いて甘酒を飲みながら、昔ながらの街並みが残る参道を歩いていきます。歩くこと3分、見えてきました目指すべき建築が:



じゃーん!創業280年という歴史を誇る鯉料理の老舗、大黒屋さんの堂々たる門構えです(今回は雨が降っていた為に良い写真が撮れなかったので、下記の解説には以前撮った写真を使います)。



見上げると、門の上には大黒様の姿が。



‥‥この門構えをチラッと見ただけでも、もう既にこのお店が徒者ではないことが分かるかと思うんだけど‥‥。と言うのもですね、この門から中庭へは一直線に視線が貫いているのですが、来館者をそこまでダイレクトに進ませるのではなく、石畳を使いながら「わざわざ」右寄りに進行方向を曲げているのが見て取れるんですね。



また、真っ正面に見える風景を一度に全て見せるのではなく、中央左寄りに「敢えて」樹を植えることにより、あちら側の風景を遮りながらクライマックス的空間に対する来館者の期待感を高めているのです。



この様なアプローチ空間の妙は、去年の夏に訪れた村野藤吾の佳水園、もしくはスペインとポルトガルの国境付近に位置するアルヴァロ・シザ設計によるヴィアナ・ド・カステロ図書館にも通ずる所があるかと思います(地中海ブログ:アルヴァロ・シザの建築:ヴィアナ・ド・カステロ図書館(Viana do Castelo)その2:内部空間編:パノラミックな風景が売りの敷地においてパノラミックな風景を見せないという選択肢)。

また、この威風堂々とした門構えのデザインは、このお店の前を通る人々の足を惹き止め、門の中へと誘い込みながらも、全く関係のない人々をはじき返す強靭さをも兼ね備えています。



この様な表現は(ファサードを波打たせながら)訪れる人々を惹き寄せては打ち返すというバロック建築の最高峰、サン・カルリーノ・アッレ・クアットロ・フォンターネ教会にも通じる所があるのかも知れません(地中海ブログ:サン・カルリーノ・アッレ・クアットロ・フォンターネ教会(San Carlino alle Quattro Fontane)から学ぶ歴史の重み:現地へ行ってみて初めて分かる事は山程ある)。

様々な文化圏における表象文化の比較という観点で見ていくと、自ずと「日本建築の特徴」みたいなものが浮かび上がってくると思うんだけど、それは「建築が完全に開く」のではなく、かと言って「完全に閉じてしまう」のでもない「曖昧な境界」とそれを可能とする皮膜、そしてその様な皮膜が何重にも折り重なる事によって襞の様になり、その中に存在する「奥」を大切に守っているのです。

「奥」とは日本文化の核に位置するアイデアであり、我々の日常生活の至る所に見られる事象でもあります(槙文彦さんが詳しく書かれています)。ふとデパートなどで買い物をした際、包み紙を開けると箱が現れ、その箱も包装紙に包まれていて、それを取り除いて箱を開けると、更に包装紙が現れ、「いつになっても中身に辿り着けない」‥‥みたいな(笑)。もしくは神社などで売られている「お守り」も「奥」が存在する事によって成り立っているものですね。



そんな事を思いつつ、一番外側に位置する先程の門を潜り、エントランス空間へとアプローチして行ってみます。くねくねとした石畳を通り過ぎると現れるのがコチラです:



靴を脱ぐ為の大きな大きな沓脱ぎ石。高さといい、少しくぼんだ感じといい、この空間に素晴らしくマッチしています。そしてふと眼を上げるとこの風景:



床に置かれた真っ赤な絨毯が素晴らしい。この色、そしてこの長さ。この絨毯がココにあるのと無いのとでは大違いで、この真っ赤な絨毯があるからこそ、あちら側に見えている日本庭園の緑が「これでもか!」と映えてくる訳です。



僕は昔から歴史の年号などを覚えるのは苦手だったんだけど、空間的な記憶力だけは抜群で、何年前だろうが、何十年前だろうが、一度行った場所や空間の詳細を殆ど忘れる事はなく、壁の色や家具の配置に至るまで詳細に覚えていることが出来ます。そんな僕の記憶を辿っていくと、このエントランス空間を形作っている石畳や屋根の形状は勿論のこと、この真っ赤な絨毯の配置などは僕の物心付いた頃から殆ど変わっていない気がします。堂々とした空間展開、そして格式の高さは「さすが皇室御用達!」という感じでしょうか(上の写真はお正月に撮ったものなのですが、大変立派なお飾りを見る事が出来ます)。

さて、ここで靴を脱ぎ、スリッパに履き替えると眼に飛び込んで来るのがこの風景です:



じゃーん!大きな池を中心とした、大変見事な日本庭園の登場です。ホテルや旅館ではなく、食事をする為だけの料亭で、ここまで見事な庭園はなかなかお目に掛かれるものではありません。



見下ろせば鯉が気持ちよーく泳いでいる姿が見えます。



この庭園を囲む様にして個室が展開してるんだけど、何十年も変わらない渡り廊下なんかも素晴らしく趣があるなー:



以前はこの廊下の一番奥に出入り口があって、そこから庭へアプローチ出来る様になっていた為に、その直ぐ右隣の部屋を予約していました:



小ちゃい頃は、廊下を挟んだ反対側のお部屋をよく覗き見してたものだけど、そっちのお部屋からは、これまた見事な裏庭が見えたりしちゃいます。



次の料理が運ばれてくる間を縫いつつ、大きな下駄を履いて広い庭を散策するのがこのお店に来る1つの楽しみだったんだけど、最近はみんな歳になってきた為に、あまり歩き回りたくないもんだから(笑)、出来るだけ入り口に近いこちらの部屋を取っています:



この料亭は、1つの家族に1つの部屋を割り振ってくれて、基本的に「何時間居ても良い」という、近年では大変珍しくゆったりと食事を楽しむ事が出来るシステムになっているんですね。



さて、お料理が運ばれてくる前に我々を出迎えてくるのが、この地方の名物、多度マメ(黄粉と蜜を練ったものに大豆が包まれているというもの)です。独特の食感と絶妙な甘さが素晴らしい!これを味わいながら世間話をしていると、先付けが運ばれてきます:



先ずは鯉のすり身の揚げ団子と頬肉。



このすり身の団子が本当に美味しくて、こればっかり注文していたという時期もありました(笑)。それこそ幾つも幾つも注文してたと思うんだけど、今思えばそんなわがまま良く聞いてくれたな‥‥と(笑)。そういう融通が利いたのも、古き良き時代という事だったのでしょうか。続いて出てきたのがコチラです:



鯉の鱗の唐揚げ。カリカリです。そしてお次ぎは鱗の酢の物の登場〜:



こんな感じで、このお店では鯉の全ての部位を様々な形で楽しませてくれるんですね。ここまで食べ尽してくれるなら、鯉も成仏してくれるだろうと思います。



続いては鯉の子供の甘露煮。頭からしっぽまで丸ごと食べられます。そして南蛮漬け。



と、ここで出てきました!このお店に来たら絶対に味わって頂きたい一品!



白みそ仕立ての鯉こくです。素晴らしくコクがあって味わい深い一品となっています。今まで色んな所で鯉こくを食べてきたけど、このお店の鯉こくが一番美味しいかな。そしてそして、来ました、このお店自慢の一品!



鯉の洗いの登場〜。このお店では酢味噌ではなく、ワサビ醤油で頂きます。



普通の身と尾に近い部分が出されるのですが、シコシコとしていて全く臭みはありません。よーく見ると、身が反っていて少し縮れているのが分かるかと思うんだけど、これは本当に新鮮な活きた魚の身を洗った場合にしか出ない現象なんですね(←どうでもいいマメ知識)。この鯉の洗いを食べる為だけにココに来ても良いと思える、そんな素晴らしいクオリティとなっていると思います。

ちなみにこのお店では、群馬から仕入れた鯉を、餌無しの状態で屋敷内の池で2ヶ月間泳がせる事によって川魚独特の臭みを消しながら身を引き締めた上でお客さんに出しているそうです。そしてこの洗いに続くのがこちら:



鯉の塩焼き!塩味だけでもいけるけど、ここにレモンや酢を少し加えるともう絶品!鮭などとは又ひと味もふた味も違った、何とも言えない味わいが広がります。そして鯉の煮付けも:



真ん中に見えるのは鯉の卵なのですが、大変上品なお味に仕上がっていると思います。



こんな感じの鯉料理が次から次へと出てくるんだけど、比較的ゆっくりと出てくるので、その間に庭へ出掛けて行って、庭園の風景を楽しむ事が出来ちゃう所がこのお店の醍醐味!やはり「食事を楽しむ」とは、料理の味もさる事ながら、そこから見える景色、音、そして雰囲気など、我々の5感全てを駆使して楽しむ総合芸術だと僕は思います。

そしてそして、このお店のメイン料理がコチラです:



鯉の素揚げの和風あんかけ風の登場〜。鯉が丸ごと一匹揚げてあり、そこに野菜炒めあんかけを載せた一品。



鯉の身が一口サイズに切ってあって凄く食べ易い。そして見た目ほど辛く無く、ご飯がすすむ、すすむ!

満足、大満足です!

上述した様に、僕は生まれた時からこの料亭(=絶品料理もさる事ながら、滅多にお目に掛かる事が出来ない質を伴った日本庭園と日本建築)へ毎年1月2日に訪れるという生活を続けてきました。もしかしたら、この様な素晴らしい建築に小さな頃から触れてきたこと、その様な空間に身を置きながら、そこに展開する空間のプロポーションや色使い、更には空間構成などを知らず知らずの内に体験してきたことが、現在の僕の建築的な感覚の基礎となっているのかも知れません。



更に言うならば、この様な体験は、現在の僕の趣味となっている「食べ歩き」、ひいては「食事とは、そこで提供される料理の味だけではなく、その場の雰囲気などを含めた総合芸術なのである」という考え方や、コンビニやファーストフード全盛期の現代において、一日掛けてわざわざ美味しい料理を楽しみに行くという行為を、何の迷いも無く素直に受け入れる素地を育んだのだと思います。

だからこそ、お昼のランチに2―3時間も掛けてゆったりと食事をする、バルセロナを中心とした地中海の社会文化にすんなりと溶け込む事が出来たとも言えるのです。



素晴らしい日本庭園を眺めながら鯉料理に舌鼓を打つ事が出来る鯉料理の老舗、大黒屋。大変おいしゅうございました!星、三つです!!
| 地球の食べ歩き方 | 16:03 | comments(3) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
アルヴァロ・シザの建築:ヴィアナ・ド・カステロ図書館(Viana do Castelo)その2:内部空間編:パノラミックな風景が売りの敷地においてパノラミックな風景を見せないという選択肢
JUGEMテーマ:アート・デザイン
アルヴァロ・シザの建築:ヴィアナ・ド・カステロ図書館(Viana do Castelo)その1:外部空間(アプローチ)編の続きです。



素晴らしいアプローチ空間を堪能した後は、いよいよ中へと入って行きます。我々を出迎えてくれるのは、これまたシザの建築言語で溢れ返ったエントランス空間:



入り口を入った直ぐの所にはカフェが設えられていて、天井にはシザがガリシア美術センターで用いた「逆さまになった机」が(地中海ブログ:ガリシア旅行その6:アルヴァロ・シザの建築:ガリシア美術センター(Centro Gallego de Arte Contemporaneo):複雑な空間構成の中に隠された驚く程シンプルな原理)、左手奥の方には不思議な光で照らし出された大階段がチラチラ見え隠れしています。



この様な「光の質の違い」によって来館者を(自然と)進行方向に導くデザイン力は素晴らしいとしか言いようがありません。と言う訳で、誘われるがままに階段を上っていってみます:



左手上方には横一直線に大きな大きな窓が取られていて、階段を上るにつれてそこから外界の風景が徐々に見えてくるんだけど、丁度階段を上り切った所がこの窓の終わりに位置している為、「風景が全開に見える」というよりは寧ろ、その様なクライマックス的空間が「チラチラ見える」と言う程度に留まっているんですね。この様な「風景の開放/制御」を用いた視線コントロールは本当に上手い!そして階段を上り切った所で右手(90度)に進行方向を強制的に変更させられるんだけど、そこに展開しているのがこの風景:



閉じているのに不思議なくらい透明感に溢れた空間の登場〜。薄い茶色の大理石や真っ白な壁など、「材料の組み合わせだけでこれほどまでに空間に透明感を与える事が出来るのか!」というお手本の様な空間になっていますね。この地点から、たった今上がってきた階段を振り返るとこの風景:



階段と、その上に位置する横長に取られた窓の位置関係が良く分かるかと思います。

さて、ここのレセプションからは時計回りに進んで行ってみます:



先ず現れるのは、真っ正面に3人掛けの椅子が置かれ、木製の本棚に囲まれた非常に落ち着きのある空間です。向かって左手奥にはコンピュータ室(窓が必要ない部屋)が、その反対側からは微かに光が漏れていて、その漏れ出す光があたかも我々に「おいで、おいで」と手招きをしているかの様ですらあります。



‥‥この空間でシザが試みていること、それはこの後に展開するであろう「クライマックス的空間」に入る前に「ホッ」と一息つく空間を用意しているんだけど、この様に最後の空間の前にワンクッション置く事によって、「クライマックス的空間に入って行くぞ!」という気持ちを整えることが出来るんですね。そんな事を思いつつ、右手方向から漏れてくる光に導かれるままに歩を進めて行くと我々の前に姿を現すのがコチラです:



光に満ち溢れ、真横一直線に取られた窓がこの上なく美しい風景を切り取っている閲覧室の登場です。



大変抑制された開口が、強過ぎない光を閲覧室に導き入れ、非常に居心地の良い空間を形成しているのが見て取れるかと思います。木製の本棚と真っ青な海の対比‥‥。そしてココにはシザ建築のもう1つの特徴である天井操作が見られます:



こちらは2重天井となっていて、一番上に取られたスリットから直接光を取り入れ、その直接光を2番目の天井をクッションとしつつ柔らかい光に変換してから室内に取り入れています。

そして僕にとって大変重要な事に、この空間にはシザ建築の真骨頂とも言うべき、「ある秘密」が隠されているのです。シザはとあるインタビュー(スペイン紙)でこんな事を告白しています:

R:「‥‥(私が子供の時煩った病気の時に滞在していた)その村は小さな農村で、建築が風景を創っていました。だからこそ、風景はキラキラと輝いていたのです。それらは本当に息を呑むほど美しかったのですが、15日間の療養中、四六時中見ていたものですから、何時しかそれらの風景は私の中に入り込み、私の心を一杯にしてしまいました。その時の経験が、後の私の作品に大きなガラス窓を創り出す事を避けさせたり、断片的な開放部を意識的に設けたりする事を好むようにしたのだと思います。

‥‥

文句を言う人が多いですね。「美しい風景の前では、それらを見渡す展望台を創るべきだ」と、そう考えているのです。その様な時、私は何時もこう答えます:「それは違う」と。「美しい風景を見続ける事は人間を心から疲れさせるだけだ」と。風景を望む事は「押し付け」になるべきではなく、それを見るかどうかと言う「選択肢」であるべきなのです。」
(地中海ブログ:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)のインタビュー記事:シザ建築の特徴は一体何処からきたのか?

そう、シザにとって目の前に広がる大自然を強制的に見せる建築と言うのは、単に人々の心を疲れさせるだけのものなのです。つまり彼にとってその様なパノラミックな風景を見せるということは強制であるべきではなく、「選択肢の1つ」として用意されていなければならないのです。

この様な幼少期の体験=トラウマこそ、シザ建築に多く見られる特徴、すなわち「内に開かせる」という建築形態を決定付けた主要因になった訳なのですが、今回のヴィアナ・ド・カステロ図書館においてシザは正にそのコンセプトを実現しているかの様に僕の眼には映ります。

どういう事か?

先ずは左手方向を見てください:



先程見た横長の窓からは美しいパノラマを楽しむ事が出来るのですが、その風景を見つつ読書を楽しむ人、勉強に勤しんでいる人達など、こちら側の空間では人々の様々なアクティビティを見付けることが出来ます。そして次に右手方向を見てみます。するとそこには全く別の風景が展開している事に気が付きます:



こちら側に展開している風景、それは内側に向かって開かれた中庭空間なんですね。コチラ側の窓からは先程の様な大自然のパノラマは見る影もありません。

そう、シザは両側に「全く異なる風景」を用意する事によって、ここを訪れる人々に「どちらの風景がいいですか?」と選ばせているのです!



ある人は「大自然を楽しみながら読書したい!」と左側の席を選ぶだろうし、またある人は「読書をするには海の青色は強過ぎる。中庭の方が本を読むには集中できる」と右側の席を選ぶことでしょう。



そしてこんな素晴らしい「空間の質」に寄与しているのが窓のデザインです。



窓の形、窓枠、カーテン‥‥全ての線がビシッと決まっています。更にこの空間の印象を決定付けているのがコチラ:



木で出来た本棚なんだけど、床面との材質を合わせる事によって、あたかも本棚が床から「ニョキニョキ」っと生えてきたかの様な感じを醸し出しています。そして見上げればコチラ:



さっきも言及した天井操作なんだけど、上の写真の真ん中に開いている長方形の開口にリズミカルに並んでいる3つの直方体が、それぞれ少しづつ内側に倒れ掛っていて、台形の様なデザインになっているんですね。



写真では分かりにくいかも知れないんだけど、これらの梁がホンの少しだけ内側に倒れ掛っている事によって、この空間の印象がガラッと変わっているのが見て取れるかと思います。

これら全てに共通している事、それは、窓も本棚も天井も、この空間を構成するどの要素も「これだ、これだ」と自己主張するのではなく、まるで自分自身を消しているかの様な「静のデザイン」になっているという事実です(地中海ブログ:歩いても、歩いても(是枝裕和監督):伝統と革新、慣習と感情の間で:リアリズムを通して鑑賞者の眼が問われています)。そう、まるでこの図書館は、「デザインってこのくらいやればいいんだよ」と、我々にそう語りかけてくるかの様なんですね。



‥‥この建築を見ていると、近年しばしば見掛けられる「やり過ぎのデザイン」、「自己主張ばかりして何も訴えかけてこないデザイン」とはまるで逆を向いている事に気が付きます。



この建築には、古今東西で様々な建築を創り続けてきたアルヴァロ・シザという建築家が辿り着いた1つの答えの様なものを見る事が出来る‥‥と言ったら、言い過ぎでしょうか?

建築家なら誰しも、「自分の作品に署名を残したい!」、「なるべく他の建築との違いをつけたい!」、「もっと特別なものにしたい!」という強い思いがあり、ついついデザインをやり過ぎてしまうというのが人情だとは思います。

しかしですね、建築のデザイン、ひいてはデザインの本質って「目立つこと」というよりは寧ろ、「目立たないこと」、「パッと見、普通なんだけど、よーく見るとちょっとだけ違う」と言った様な、「差異化にある」と思うんですね。そしてそれを達成する為には「やり過ぎないこと」、強く出たい所を一歩引いて、自分を消す事、そう、デザインってこのくらいでいいのです。

アルヴァロ・シザはこの図書館建築を通して、我々にそう語り掛けているかの様でした。

星、三つです!!!!
| 旅行記:建築 | 18:22 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
アルヴァロ・シザの建築:ヴィアナ・ド・カステロ図書館(Viana do Castelo)その1:外部空間(アプローチ)について
一昨日からスペイン最大の港湾都市、ビーゴ(Vigo)に来ています。



この都市に来るのは通算5回目なんだけど、コレと言った観光名所も無いビーゴに何度も来るというのは普通の感覚からするとちょっと珍しいかもしれません。「ビーゴに5回も来るんだったら、もっと他に行く所があるだろ!」みたいな(笑)。



理由は至って簡単で、僕が滞在しているPETIN村から比較的近いということ、ビーゴを拠点としてポルトガルへ気軽に行けるということ、そして何より大きいのが、知り合いのガリシア人(在ビーゴ30年以上)が美味しい海産物をたらふく食べられるバルやレストラン、地元民で溢れ返る穴場スポットなんかを熟知しているということかな。



そんな感じで何度となく来ているビーゴなんだけど、特に去年はエンリック・ミラージェスがデザインしたビーゴ大学をじっくりと見る事が出来て非常に印象深い滞在となりました(地中海ブログ:ガリシア旅行その3:エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)の建築、ビーゴ大学(Univeristy of Vigo)その1:ミラージェスの真骨頂、手書きのカーブを存分に用いた名建築)。



ちなみにエンリック・ミラージェスはアルヴァロ・シザと並んで僕が最も尊敬する建築家であることから、当ブログではことある毎に取り上げてきています(地中海ブログ:エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)の建築:バラニャ市民会館(Centro Civico de Hostalets de Balenya):内部空間編、地中海ブログ:エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)の建築その3:バラニャ市民会館(Centro Civico de Hostalets de Balenya)に見る建築の質:実際に建築を訪れる事の大切さ)。

さて、ここ何年かは「ガリシアに来たらちょっと足を伸ばしてポルトに行く」というポルトガル旅行が恒例になってるんだけど、今年はちょっと趣向を変えて、ビーゴから車で南に1時間ほど行った所にある小さな町、ヴィアナ・ド・カストロ(Viana do Castelo)に行ってきました。



緑豊かなミーリョ地方、その中でもリマ川が大西洋に注ぐ港町であるヴィアナ・ド・カストロは非常に美しい町と知られ、(知人によると)「リマの女王」と呼ばれているのだとか。しかしそのこと以上にこの小さな町が我々建築家を惹き付ける理由、それはこの地にアルヴァロ・シザが建てた図書館があるからなんですね。



(上述した様に)アルヴァロ・シザについては個人的に大変興味深い建築家だと思っているので、当ブログではことある毎に言及してきました(地中海ブログ:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)のインタビュー記事:シザ建築の特徴は一体何処からきたのか?、地中海ブログ:ガリシア旅行その7:アルヴァロ・シザの建築:ポルト大学建築学部:外内部空間に展開する遠近法的空間と、その物語について、地中海ブログ:ガリシア旅行その8:アルヴァロ・シザの建築:セラルヴェス現代美術館(Museu de Arte Contemporanes, Fundacao de Serralves):人間の想像力/創造力とは、地中海ブログ:アルヴァロ・シザの建築:マルコ・デ・カナヴェーゼス教会の知られざる地下空間:真っ白な空間と真っ黒な空間、地中海ブログ:ガリシア旅行その6:アルヴァロ・シザの建築:ガリシア美術センター(Centro Gallego de Arte Contemporaneo):複雑な空間構成の中に隠された驚く程シンプルな原理、地中海ブログ:アルヴァロ・シザの建築:アヴェイロ大学図書館(Biblioteca Universidade de Aveiro))。



シザ建築の特徴、それは写真では絶対に捉える事が出来ない空間の質です。だから僕はシザの建築を語る時は書籍の情報にはなるべく頼らず、実際に訪れてから語る事にしています。シザの建築ほど現地に来ないと分からない建築は無いと思うし、彼の空間を実際に体験しない事には本質を見誤ると思うからです。



ヴィアナ・ド・カストロ市の目抜き通りがリマ川とぶつかる、その最高の場所に今回目指すべき建築は佇んでいます。しかも大変贅沢な事に、ポルトガルが世界に誇る3巨匠の作品が一堂に会しているんですね。



先ず一番手前にある真っ黒なダクト(?)がむき出しになっているのが、最近プリツカー賞を受賞してノリにのってる建築家ソウト・デ・モウラの作品です(ソウト・デ・モウラについてはこちら:地中海ブログ:エドゥアルド・ソウト・デ・モウラの建築:ポウザーダ・サンタ・マリア・ド・ボウロ(Pousada de Santa Maria do Bouro)その2:必要なくなった建築を壊すのではなく、修復してもう一度蘇らせるという選択肢、地中海ブログ:エドゥアルド・ソウト・デ・モウラの建築:ブラガ市立サッカー競技場(Estadio Municipal de Braga))。その真横に位置しているのがポルトガルの丹下健三こと、フェルナンド・タヴォラの作品:



ポルトガルの近代建築を語る上で欠かせない存在であり、アルヴァロ・シザの師でもあるフェルナンド・タヴォラについては日本では殆ど知られていません。しかしですね、彼の建築には見るべき所、学ぶべき所が非常に多く、ポルトガルに来たら絶対に見るべき建築に数え上げられる事は間違い無いと思います。

そしてその真横に鎮座しているのが今回目指すべき建築、アルヴァロ・シザによるヴィアナ・ド・カストロ図書館です:



真っ青な空に美しく映える真っ白なコンクリート、そしてそこに施された恐ろしく控えめなデザインが大変静かな表情を創り出しています。



なにかしら特別な事をするのではなく、「これだ、これだ!」と自己主張する訳でもない‥‥。一見普通なんだけど、よーく見ると何処か違うという「差異化」=静のデザイン(地中海ブログ:歩いても、歩いても(是枝裕和監督):伝統と革新、慣習と感情の間で:リアリズムを通して鑑賞者の眼が問われています)。そんなこの建築のデザインに決定的な影響を与えているのが、隣にあるタヴォラの作品との対話なんですね:



ちょっと調べてみたところ、タヴォラの作品の方が若干早く完成しているので、教え子であるシザの方が「師の作品に敬意を払いつつデザインを合わせた」と、そう見る事も出来るかと思います。



で、僕にとって大変興味深く且つ大変重要な事に、ここにはシザ建築の特徴の1つである「パースペクティブの付いた空間」が「かなり控え目に」実現されていると思うんですね。



そう、この「控え目に」というのがこの建築の1つのキーワードかなと思います。と言うのもこの建築にはかつてシザがガリシア美術センターで見せた様な「強調された軸線によるパースペクティブ」も見られなければ、ポルト大学で用いたスロープの手前側と向こう側で幅員を操作する事による「パースの強調」も見られないからです。



そうではなく、この図書館ではヴィアナ・ド・カストロ市のシンボルである山頂の教会に向かって消失点が引かれるかの様に、真横にあるタヴォラの建築の軒先に合わせて真っ白な四角形を「ポン」と置いただけに見えるのです。先ずはこの点を抑えておく必要があるかと思います。



そんな事を思いつつ水際沿いを歩いて行ってみます。四角いボリュームがガクンと一段下がった向こう側には、同じくらいの面積を伴った緑の空間が取られています。



時々あっちの方に見える緑色の鉄橋を渡っていく黄色い電車、そして真っ青な海と空の対比が素晴らしい。‥‥とか思ってたら、緑の公園の向こう側に何やら口を開いた様なコンクリートの塊が見える‥‥。そして地面には緑の中を掻き分けるかの様な道筋が‥‥。



そうなんです!僕はココへ来てようやく気が付く事が出来たのですが、この建築の真のアプローチ、それは(上で見た)タヴォラの建築の真横にある四角い箱(この建築の本体)なのではなく、そこから海沿いに少し歩いたこの地点だったんですね!



と言うか、シザはこの建築を訪れる人達に、直ぐに図書館に入るのではなく、この建築の周りをぐるぐると歩いて欲しかったのだと思います。

何故か?

それは大自然の美しさと雄大さ、そしてそれに対する人間の創造力/想像力の結晶としての「建築」との対比を見てもらう為だと思います。



手法は全く違いますが、ルイス・カーンも同じ様な事を試みていました(地中海ブログ:ルイス・カーンのフィリップ・エクセター・アカデミー図書館(Phillips Exeter Academy Library):もの凄いものを見てしまったパート2:全く同じファサードが4つデザインされた深い理由)。そしてここからがシザ建築の真骨頂の始まりです:



上の写真を見てください。普通に見ればこの空間には、向こう側に佇んでいる真ん中に穴の開いた四角い箱と、そこへ続く道があるだけなんだけど、ここには今日までアルヴァロ・シザという建築家が蓄積してきた建築言語が「これでもか!」と詰まっているんですね。



向こう側に見える真っ白な四角い箱の天井部分に光が反射し、あたかもこの建築を訪れる人達に「おいで、おいで」と言っているかの様ですらあります。



これはアプローチ方向向かって右手側に四角い塊を置き、天井との間にスリットを入れて光を導き入れ、そこからの光を一度その上方に反射させ、更にその反射光をもう一度天井に反射させる事によって実現している光なのです。



これはシザがセラルヴェス現代美術館のアプローチで奇跡の空間を実現したデザイン言語です。セラルヴェス美術館の場合は、ちょっとした料金所でアプローチ空間の一部を狭めておき、その後ろにオーディトリアムという大きな塊を置く事によって、それら真っ白な大きな壁に反射した光を天井に映し込んでいました:



また細かい事を言っちゃうと、躯体全体を白いコンクリートで覆ってしまうのではなく、薄いブルーの腰壁を立ち上げつつ白い壁と自然に連続させる事によって、あたかも地面から生えてきたかの様な表現に成功しています。これはシザがポルト大学の外構をデザインする際に開発したデザイン言語でもあります。



天井に映り込んでいる「奇跡の光」に導かれる様に向こう側へ行こうと思うんだけど、ここにもシザ特有の「デザインによる仕掛け」が我々を待ち構えています。我々を導いてくれる石畳が入り口に向かって一直線に敷かれているのではなく、ジグザグになっているんですね。細かくてナカナカ気が付かないんだけど、こういうちょっとしたデザインの積み重ねこそが、この建築に対する我々の印象を決定付けているのです。

さて、言われるがままに歩を進めていくと一度正面の壁にぶち当たり、もう一度進行方向を変えさせられてから(左手に90度折れ曲がる)、開口を通してあちら側に視線が抜ける様になっています。いま通って来た道を振り返ると、ここまでのアプローチ空間がどうなっているのかが良く分かるかと思います:



ほらね、何度もカクンカクンって折れてるでしょ?これって元々日本のお家芸だったんですよねー。例えばコチラ:



今年の日本滞在時、京都に寄った際に見て来た村野藤吾の佳水園のアプローチ空間です。門へと至る石の置き方、門を潜ってから右手側の滝をチラチラ見せておいてからの圧倒的な中庭空間への繋ぎ方。そしてそこから振り返り様に設えられているエントランス‥‥。あー、また脱線してしまった‥‥。この建築の詳しいお話はまた今度。



さて、ここまで書いてくればもう大凡の見当は付いているかとは思うんだけど、この小さな四角い塊はこの建築に展開している物語の「始まりの要素」であり、この建築に流れている「起承転結」における「起」を担う大変重要な要素となっているのです。そしてこのエントランスを潜った所に展開する風景がコチラです:



建物と壁に遮られて全く見えなかった向こう側の風景。逆に言うと、この長―い壁が、先程まで見ていた緑や水際を含む「自然界の風景」を断ち切っているかの様に存在しているんですね。



そう、シザはここでわざと自然界の風景を見せない様にしているのです。更に言うなら、この壁は目的地(建築本体)に辿り着くまでに段階的に高くなっていき、それがあたかも、訪問者の高揚する心を表しているかの様ですらあります。



そんな事を思いながら歩を進めて行くと、左手方向に「パッ」と視界が開ける場所に辿り着きます:



四角形に切り取られたコンクリの隙間からは、真っ青な海と空がチラチラ見え隠れしています。そう、ここには「自然界の緑」、「海の濃い青」、「真っ青な空」、そしてそれに対抗するかの様な「真っ白な人工物」が並列に置かれているのです。そしてここに注目:



この図書館への入り口が今来た進行方向とは全くの反対方向、つまり振り向き様に設えられているのです(地中海ブログ:パリ旅行その6:大小2つの螺旋状空間が展開する見事な住宅建築:サヴォワ邸(Villa Savoye, Le Corbusier)その1:全体の空間構成について)。



お解りでしょうか?シザはタヴォラの建築との間に創った中庭から最短距離で訪問者を迎え入れるのではなく、わざわざ遠回りをさせながらも自然物と人工物を交互に見せつつ、最終的に訪問者をこの建築に迎え入れるという大変厄介な事をしているのです。



これは建築という創造物を用いた「自然」のドラマチッックな見せ方を通した人間の創造力/想像力の結晶でもあるのです。

アルヴァロ・シザの建築:ヴィアナ・ド・カステロ図書館(Viena do Castelo)その1:内部空間編に続く。
| 旅行記:建築 | 18:50 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ガリシア旅行2013その1
「ゴツッ」‥‥これは何の音でしょう?

正解→→→電車がカーブに差し掛かった所で座席の上に置いてあったフルーツが落ちてきて頭に当たった音でしたー。しかも結構痛かった(涙)。確か2年くらい前、同じ路線の同じ電車に乗ってて全く同じ状況になった様な気がする‥‥(苦笑)。



僕は今、バルセロナ発ビーゴ(Vigo)行きの長距離列車(Alvia)に乗っています。「あ、あれ、Alvia?‥‥なんか聞いた事あるなー」と思ったあなたは凄く勘がいい!「ALVIA」とは丁度一ヶ月くらい前にスペイン史上最悪の脱線事故(死傷者200名以上)を引き起こしてしまった電車の名前なんですね。



その事故が起こったのはガリシア地方の首都、サンティアゴ・デ・コンポステーラ(地中海ブログ:ガリシア旅行その6:アルヴァロ・シザの建築:ガリシア美術センター(Centro Gallego de Arte Contemporaneo):複雑な空間構成の中に隠された驚く程シンプルな原理)の近郊路線だったんだけど、僕が今乗ってるのも全く同じガリシア地方へと向かう路線‥‥。



そーなんです!週末の朝早くから僕がわざわざ長距離列車なんかに乗っている理由、それは毎年恒例になりつつある、ガリシア地方にある小さな小さな村、PETIN村でバケーションを過ごす為なんですね。

「えー、cruasanのやつ、またバケーション!?ついこの間、「バカンスがやっと明けたー」とか言ってたばっかじゃん!」とかいう声が聞こえてきそうですが(笑)、これこそスペインで暮らす醍醐味!ちなみに大多数のスペイン人達のバカンス明けだった先週日曜日の朝にカフェで聞かれた典型的な会話がコチラ:



 「あー、久しぶり、元気だった?私なんて1ヶ月もビーチで過ごしちゃって、バカンス疲れ気味。今日から2週間くらいこの疲れをとる為のバケーションが必要」

みたいな(笑)。



さて、日本滞在を経て7月中旬にヨーロッパに帰ってきたのですが、約1年間もヨーロッパを空けていた事もあって、最近はモーレツに忙しく、ブログの更新すらまともに出来ない状況が続いていました。

「何がそんなに忙しかったのか?」というと、先ずは去年の渡米(ボストン)以来、なかなかFace-to-Faceでミーティングをする機会の無かった各種プロジェクトの管理と運営、それに並行して作成していた論文の再提出が9月のあたまに迫っていた事が大きいかなと思います。



この2ヶ月くらいの間に起こった事を掻い摘んで記しておくと、丁度この旅行の前日にやったオタク君3人組(カタラン人)とのプロジェクトミーティングが(ある意味)非常に面白くて、まあ、彼らに会うのも実に1年ぶりだったんだけど、「今週の金曜日に市役所で待ち合わせでどう?」みたいなメールを送ったら、「今回は市役所じゃなくてココのカフェがいい!」みたいなメールが返ってきて「ヘェー、珍しいなー」とか思って場所を調べたら、そこがゲーム屋の隣という事が判明‥‥。

もうこの時点で怪しさ満点だったんだけど、どうやら9月12日までに任天堂DSを持ってゲーム屋へ来店するとWifi経由でポケモンのレアモノが貰えるっていうキャンペーンを実施中なんだとか。で、有無を言わさずその店に連れて行かれ、一通りスペインのゲーム状況の説明を受けてから、やっと本題のプロジェクトミーティングへ。2時間の打ち合わせの内、1時間50分はポケモンの話だった(苦笑)。



8月初旬にはボストンで仲良くなった友達が数人、バルセロナ観光に来てくれました。こちらの人達はみんなそれなりに大人(みんなポスドク)なので、ポケモンとかそういう話は全く無く(笑)、この時ばかりは僕も久しぶりのバルセロナ観光を楽しみました。



8月中旬にはバルセロナから電車で1時間程の所にある街、ジローナへ。こちらはカタルーニャ州政府関連のミーティングだったんだけど、真っ青な空に真っ白な教会がスクッと立ち上がる姿は本当に美しかった。この様な風景を見ていると、ヨーロッパにおいては教会こそ街のシンボルであり、街というのは教会を中心に発展してきたという事を思い出させてくれます。



まあ、そんなこんなで昨日までは結構切羽詰まった毎日を送ってたんだけど、いま乗ってる電車から見える風景は、そんな僕の疲れた心を癒してくれるかの様なんですね。



この電車はバルセロナを出てからサラゴサ(地中海ブログ:サラゴサ(Zaragoza)の都市戦略)、緑の首都ビトリア(地中海ブログ:グラシア地区歩行者空間計画BMW賞受賞)、ブルゴス、パレンシア、レオンを経てガリシアへと入って行きます。その間に展開する風景は正に万華鏡そのもの。スペイン中央部に展開している草と砂しかない砂漠から始まり、北上するに従い緑が増えていき、ガリシアに至っては本当に濃い緑を楽しむ事が出来ます。そんな、スペインの多様性を表しているかの様な風景の終着点、そう、僕の今回の旅の目的地がコチラです:



湖に面した人口400人足らずの小さな小さな村、PETIN村の風景です。大自然に囲まれたこの村には、グローバリゼーションという名の下に忙しい毎日を送っている我々とは全く違う時間が流れているんですね。



この村での生活‥‥それは鶏の鳴き声と共に目を覚まし、都市部では見掛けなくなったパン釜(地中海ブログ:パン屋さんのパン窯は何故残っているのか?という問題は、もしかしたらバルセロナの旧工場跡地再生計画を通した都市再活性化と通ずる所があるのかも、とか思ったりして)で焼いたアツアツのパンが毎朝食卓の上に並び、この地方で取れる野菜、海産物そしてワインを嗜みつつ、教会の鐘の音と共にベッドに入るという、とても「人間的な生活」です。



この様な生活‥‥お日様と共に過ぎ去る時間を楽しむという生活‥‥人間としてごく当たり前だった生活‥‥「忙しさ」という名の下に、我々現代人が忘れ掛けてしまっている生活‥‥。そう、僕はここに「人間としての自分」を取り戻しに来ているのかもしれません。



今年もこのPETIN村を中心に、ガリシア地方の様々な場所へ赴き、色々なものを食べながら、ここでの生活を思いっ切り楽しみたいと思います。

さあ、ガリシア滞在の始まりです!
| 旅行記:都市 | 01:29 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
全米で最も美しい大学ランキング・ベスト10にランクインしているボストン郊外にある超名門女子大、ウェルズリー大学について
忙しい‥‥非常に忙しい!そして寒い!!



先週末ボストンには史上最強クラスのBlizzard(雪嵐)なるものがやってきて猛威を振るいまくってたんだけど、つい3ヶ月前にはコレ又史上最強クラスのハリケーンが来たばかりだったし、ある意味今年は当たり年なのでしょうか?(苦笑)。



今回の雪嵐到来(金曜日の深夜)の為に、MITでは金曜日の授業は全てキャンセル、大学は全面閉鎖という事態に追い込まれてしまいました。当然の如く公共交通機関も金曜日の午後4時でストップし、更にマサチューセッツ州知事の緊急事態宣言と共に、「16時以降、道路を自動車で走ったり駐車したりしたら罰金を科せます」みたいな宣言が出されるまでに。どうやらこれは、自家用車で走ってて事故を起こしたり渋滞とかしちゃうと雪かき機や救急車などの緊急車両の邪魔になるからと言う事らしい。「街自体はかなり脆弱でも、そういうノウハウだけは一応持ってるんだな‥‥」という事を発見(笑)。



ちなみに僕は、夜はカフェに行ってコーヒーを飲まないと落ち着かない性格なので、猛吹雪の中、近くのカフェに行こうと外に出たら10秒で真っ白になりました(笑)。それにもめげず、風速60メートルくらいの嵐の中、いつもなら歩いて5分も掛からないカフェに15分も掛けて行ったのに、行ってみたらその日は臨時休業でガッカリ。まあ、そりゃそうでしょうね(苦笑)。



さて、Twitterの方では結構流しているのですが、先週末ボストン郊外にあるウェルズリー大学(Wellesley College)で日本文化に焦点を当てたお祭り、「雪祭り」なるものが開催されていました。「ウェルズリー大学とは一体何か?」と言うとですね、ハーバード大学やコロンビア大学などと言ったアイビーリーグに対抗して創られた(?)セブンシスターズという7つの東部私立名門女子大の1つで、リベラルアーツカレッジランキングでは毎年上位5位以内に入る超名門校だそうです(Wikipediaより)。ヘェー。ヘェー、ヘェー。

セブンシスターズって、聖闘士星矢とかに絶対出てきそうな名前なんだけど(笑)、ちょっと調べてみたら卒業生にはヒラリー・クリントンや、ロザリンド・クラウス(美術批評家)がいるじゃないですかー!



「ロザリンド・クラウスと言えば、「オリジナリティと反復」、「視覚的無意識」そして「ピカソ論」なんか良く読んだなー‥‥」という事を思い出します。そうか!確か彼女はハーバード大学でPh.Dを取ってるから、学部時代はウェルズリー大学で過ごしたと言う訳ですね。って言うか、彼女がウェルズリー大学出身だって知ってる人ってあまりいないんじゃないかな?

そんなの聞いた事無いし、個人的には大発見なのですが‥‥。多分彼女は学部時代からハーバードに通ってて、そこで直接(彼女の師にあたる)クレメント・グリーンバーグに会ったって事だと思います。ロザリンド・クラウスがグリーンバーグに初めて会った時、「な、何?君がロザリンド・クラウスか?君の書いた文章から、私は少なくとも(今の君の年齢よりも)10歳は年上だと思ってた」みたいな事を言われたというのは良く知られている伝説ですけどね。



ちなみにオタク君達の集まりであるMITは、この超エリート女子大と50年も前から大変親密な関係にあるらしく、大学間の単位交換は勿論の事、両大学を結ぶシャトルバスが出ていたり、映画やミュージカルなど様々なイベントを共同開催したりしているんですね。冬休み期間中には、MITの学生センターでホラー系のミュージカルが行われてて、何故だか知らないけど、MITとウェルズリー大学の学生だけは入場料が割引になったりしていました(笑)。これは「MITのオタクの皆さん、がんばってウェルズリー大学の女の子達を誘ってくださいね」という大学側からの粋な計らいなのか?とか思ってちょっと笑ったww

さて、上述した様に、最近の僕のスケジュールは本当に一杯一杯で、やらなきゃいけない事が溜まりに溜まっている為、せっかく誘ってもらった雪祭りも泣く泣くキャンセルする事に(悲)。と言う訳で、今回はウェルズリー大学のキャンパスを訪れる事が出来なかったんだけど、実はですね、このキャンパスがちょっと凄いんです!何が凄いって、この大学、「全米で最も美しい大学キャンパス、ベスト10」なるものらしいんですよね(驚)。

そもそも僕がこの大学を訪れたのは全くの偶然でした。



1月2日にイェール大学へ行こうと思い、朝一番の列車に乗ろうとした所、エンジントラブルで電車が全く動かず‥‥。で、1時間待たされた後、やっと動いたかと思いきや、30分くらい走った所で今度はまさかの車輪の故障(悲)。その後館内アナウンスが流れ、「2時間後に緊急車両が来るので、それに乗り換えてください」とか何とか(怒)。この時点でもう既にお昼前だったので、片道2時間30分も掛かるイェール大学に行くのは泣く泣く断念。で、全く予定が開いてしまったその日の午後を埋め合わせる為に、「何処か近場で良い所無いかなー?」と探していた所、僕の頭をよぎったのがウェルズリー大学だったという訳なんです。理由は簡単で、この大学、スペイン建築界の巨匠ラファエロ・モネオ設計の美術館を所有しているからなんですね。



とは言ってもラファエロ・モネオのデザインはそんなに好きではないので、「まあ、一応見ておくか」くらいのかなり軽い気持ちで来たのですが、来てみてビックリ!モネオの美術館どころの話じゃなくって、そのキャンパスの圧倒的な美しさに魅了されちゃったと言う訳なんです。

と言う訳で先ずは行き方から。一番簡単なのは、MITの正門前から両大学を繋ぐシャトルバスが出ているので、それに乗っていけば45分程で到着しちゃいます。ちなみに料金は片道3ドルでMITかウェルズリーのIDを持っていれば無料で乗れます。



もしくはボストン市内のSouth Stationから電車に乗って30分という手もあります。その場合の最寄り駅はWellesley Square駅で、電車を降りたら真ん前にある大通りを、今乗ってきた電車と同じ方向に進みます。



歩く事5分、交差点の向こう側に「ウェルズリー大学」と書かれた看板が見えてくると思います。ここが正門。



で、取り合えず門を入って道なりに進んでいくと、くねくね道を抜けたその先に視界が「パッ」と開ける広場に出るんだけど、そこに展開しているのがこの風景:



じゃーん!1875年に開校されたというウェルズリー大学のど真ん中に聳え立つ、歴史の重みを感じさせるに十分な校舎の登場〜。重厚なレンガ造りの塔に、真っ白な雪化粧が本当に良く似合います。



この大学の基本的な建築スタイルは、橙色のレンガ造に緑色の屋根、もしくはグレーの尖塔の組み合わせとなっていますね。まあ、つまりはアメリカの典型的な大学で良く見掛けるデザインなんだけど、その中でもこのウェルズリー大学のキャンパスを特別なものにしている要素、それがここに広がる広大な自然なんですね。



緑溢れる自然の中にゆったりと配置された校舎の数々。



木々の間からチラチラ見えるレンガ造の建築。



自然が創り出した美と、人間が創り出した美が「これでもか!」と言うくらいのハーモニーを醸し出し、我々の心に直接訴えかけてくるかの様ですらあります。その中でも本当に素晴らしいと思ったのがコチラです:



そう、何とこの大学、敷地内に大きな大きな湖があるんです!これが結構大きくて、岸辺に沿って歩いてみたんだけど、一周するのに1時間半近くも掛かってしまいました。



反対側へ渡った所から見える、レンガ造の校舎を背景にした湖の醸し出す雰囲気は格別です。「この風景を見る為だけにここに来てもいい」、そう僕に思わせてくれる程の質がこの空間には存在します。



ちなみにこの大学は寮制になっているらしく、一度は住んでみたいと思わせてくれる様な素敵な建築があちらこちらに点在していました。



そして日が暮れてくるとこんな感じ:



夕暮れ時の風景に言葉はいりません‥‥。



今まで世界中で様々な絵画作品を見てきたんだけど、自然が創り出す夕焼けの美しさに対抗出来る様な創作物は一枚も無かった様に思います。



‥‥人間という生き物は、こんな圧倒的な自然の美、「掛替えの無い一瞬」を、何とか2次元のキャンパスに留めておこうとあらゆる手段(手法)を編み出し、そしてこれからも編み出して行く事でしょう。



それは例えば、光のエッセンスだけを取り出してみたり(ターナー)、現実そのままというよりは、寧ろ5感で感じたままの印象を大事にしたり(ルノアール、モネ)、はたまた人物や風景を一度分解して、その後にもう一度再構成してみたり(ピカソ)‥‥。



これら全ての試みは、「写真」とは全く違う形で美を捉えようという試み、云わば、「現実の美しさを一分の狂いも無く完璧に捉えてしまう事の出来る写真」を「人間の創造力で超えてみよう」という試みなんですね。



なんとかして自然の神秘の片鱗をキャンパスに再現しようとする、その努力、その工夫‥‥そんな人間の「果てしない創造力/想像力」にこそ僕は感動してしまいます(地中海ブログ:ガリシア旅行その8:アルヴァロ・シザの建築:セラルヴェス現代美術館(Museu de Arte Contemporanes, Fundacao de Serralves):人間の想像力/創造力とは)。



‥‥こんな美しい風景の前に佇んでいると、このウェルズリー大学に展開している風景は、アメリカという国、ひいてはニューイングランドというこの地方に古くから伝わる社会文化的なものを、正に一撃の下に視覚化してくれている‥‥そんな気がしてくるから不思議です。



そう、ここに広がっている風景は、この広大なアメリカという国が生んだ教育システムと、それが要求した建築、そしてニューイングランドという大変厳しい気候の中で育まれた社会文化、それら3つの軸が交わる上にしか存在し得ない大変希有な存在であり、この地方の表象となっているのです。

そういう意味において、ウェルズリー大学のキャンパスはボストンに来たら絶対に見るべきものの1つ、訪れるべき場所の1つに数えられると僕は思います。そして欲を言えば、それは雪が降った次の日、もしくは雪が積もっている風景を見に来るのがベストかな?とも思います。何故ならボストンという地方を特徴付けている要素の1つは、正にこの大変美しい雪化粧だと思うからです。ボストンに来たのにこの風景を見ないなんて勿体無い!

超おすすめです!
| 建築の歩き方 | 05:49 | comments(6) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ルイス・カーンのイェール大学英国美術研究センター(Center for British Art and Studies, Yale University)

前々回のエントリ、ルイス・カーンのイェール大学アートギャラリー(Yale University Art Gallery)の続きです。

ルイス・カーンの処女作であるイェール大学アートギャラリーから道を渡って直ぐ(真正面)、今度はカーンの遺作となったイェール大学・英国美術研究センターを訪れてみたいと思います。

ステンレス・スチール仕上げのパネルが規則的に並ぶ外観は、先程のアートギャラリー同様、大変静かな表情で我々を出迎えてくれます。一階部分に入っているAtticus Bookstore Cafeという本屋さんにはレストラン&カフェが併設されていて、イェール大学に滞在されていたnikonikoさんが「この街(ニュー・ヘイブン)で美味しいサンドイッチを出すカフェ」として紹介されていたお店です。

上の写真は南側から見た所なんだけど、向こう側に見える橋みたいなのは情緒が溢れまくってるイェール大学の校舎。そして道路を挟んで右手側に見えるのは言わずと知れたスターバックス。さすが創立1701年のイェール大学!スタバも情緒に溢れまくってる気がする(笑)。

さて、英国美術研究センターへはスターバックスの目の前、角っこがポッカリと空いている場所からアプローチする事になります。この辺は「非常に巧いなー」と思うところなんだけど、入口を「真っ正面に大々的につくる」のではなく、端っこにひっそりと、そしてさりげなく設けているんですね。ちなみに真正面にあるイェール大学・アートギャラリーの屋上から見たところがこちら:

トップライトが整然と並んでいるのが見て取れます。斜め前に建っているポール・ルドルフ設計のイェール大学芸術・建築学部棟側から見ると、カーンの処女作と遺作をこんな感じで見ることが出来ちゃう特典付き:

カーンの代表作2つとポール・ルドルフの建築が集まっている交差点は建築好きのメッカと言っても良いのではないでしょうか。もう一つちなみに、入口とは反対側の角っこ(つまりはポール・ルドルフ側)には地下へと降りて行く階段が備え付けられていて、街路レベルから一段下がった所にはレストランが併設されていました(なかなか良さそうな雰囲気だったけど、実際に入って食べてないから美味しいかどうかは不明)。

と、、、そんな事を思いつつ、イヨイヨ中へと入って行ってみます。

エントランスの扉をくぐると展開しているのがこの風景:

で、出たー!カーンの真骨頂、真上から振り注ぐ圧倒的な光の筒の登場〜。「いきなり来たか!」という感じなのですが、やっぱりこの真上からの光、しかもこれだけの量が一気に降り注ぐというはちょっと凄い。灰色のコンクリートの柱梁、そして温もりを感じさせてくれる明るい色を基調とした木材が絶妙なハーモニーを醸し出し、素晴らしい空間を構成しているのが分かります。

ちょっとずるい言い方かもしれないけれど、ここに展開されている空間の素晴らしさは、どんなに沢山の写真を載せても絶対に伝わらないと思います。やはり建築は実際に現地を訪れて自分の目で見て雰囲気を確かめ、そして物質を触ってみたりして、、、といったように、五感全てを使って体感しないと分からない芸術形式だな、、、と。そんな中でも、このエントランス空間を特別なものにしているのがこのデザインかな:

エクセター図書館でも見た、非常にぶ厚いコンクリートの量塊なんですね(地中海ブログ:ルイス・カーンのフィリップ・エクセター・アカデミー図書館(Phillips Exeter Academy Library):もの凄いものを見てしまったパート3:「本を読むとはどういう事か?」と言う根源を考えさせられた空間体験)。この厚み、そしてこの重厚感、そこにズドンという光の塊が合わさる事によって、この空間に「神懸かり的な「なにか」」を与えることに成功していると思います。まあ、エントランス空間にボイドを持ってくるのはある種の常套手段だとは思うんだけど、他の建築に見られる様に「ただ単に天井が高いだけ」っていうのとは全く違った空間の質がこの建築には見受けられるんですね。

「あー、この素晴らしい空間にずっと身を置いていたい」、本当にそんな気持ちにさせてくれる空間なんだけど、ここだけに居続けるわけにもいかないので、後ろ髪惹かれる思いで渋々2階へ行ってみる事に。で、この美術館のちょっと変わっているところは、2階へ行く為には小さな円柱形の階段室を通って行かなければならない所です:

「ほう、そ、そうなのか、、、」とか思いつつ、この薄暗く狭い階段を上っていってみます。デザイン的にはカーン後期の特徴であるキンベル美術館などで見られるトラバーチンとスティールの組み合わせの非常にスッキリしたデザイン。それを確認しつつ、2階に辿り着いたところに広がっているのがこの風景:

真っ正面に空いている2つの長方形の窓からは、さきほど下の階で見た「光の筒」が見通せるようになっています。背後に光の筒を用意しておいて、その光の束を壁に穿った穴から見せるように仕向けるのはシザがマルコ・デ・カナヴェーゼス教会で使っていた手法を彷彿とさせます(地中海ブログ:アルヴァロ・シザの建築:マルコ・デ・カナヴェーゼス教会の知られざる地下空間:真っ白な空間と真っ黒な空間)。

←まあ、時代的にはカーンが先でシザが後ですが。。。

全体の感じとしては、天井はフラット&天窓が無いのでどちらかと言うと薄暗く抑圧された感じを受けるんだけど、(正にその事が)さっき下階で見た光で満ち溢れていた吹き抜け空間と好対照を成しているかの様ですらあります。

そんなことを思いつつ、まずは先程見た光の筒で満たされているパティオの周りを回って見ることに。

基本的には、パティオとそこから漏れる光を中心として展示空間が展開しているという空間構成かな。道路に面している側面は壁として塞がれているので、この階の展示空間に入ってくる光源としては、先程のパティオからのものがその殆どと言ってもよいかと思われます。

で、実はこの階にはちょっとした仕掛けがあってですね、、、それがコチラ:

そう、円柱の階段室を出て振り返り様に歩いて行くと、さっき見たのと同じ様な吹き抜けがこちら側にも用意されているんですね。しかしこちら側のパティオには、空間のド真ん中にコンクリの円柱が「でーん」と居座り、まるでこの空間の主役であるかの様に振る舞っているという違いがあります。

このコンクリの円柱の存在感は圧倒的!そして勿論、さっき見た光の筒が降ってくる空間とどうしても比べてしまう‥‥つまりは「光の筒側のパティオ」では「光という目には見えない物質」が空間を形成し、コンクリ中心のパティオのこちら側では「人間が作ったコンクリの塊という目に見える物質」が空間を形作っている‥‥と、ここで少し補助線を引いておきます。

更にもう一つ付け加えておくと、光の筒のパティオでは天窓から「これでもか!」と大量の光が降り注いできてたんだけど、こちら側のパティオの天窓からの光はかなり絞られています。最後にもう一点。

この円柱なのですが、よーく見ると一階ごとに目地が付いていて、それが最上階だけ低くなっている事が分かります(‥‥と、ここでもう一本、補助線を引いておきます)。こちら側のパティオ(コンクリ中心パティオ)の空間構成がちょっと面白くて、円柱を中心とした吹き抜け空間を挟んで両側に図書室と資料室が備え付けられているんですね:

エクセター図書館でカーンが見せた、本を読む人の事を考え抜いた、光溢れる大変居心地の良い空間がここにはあります。

机のスケール、窓の高さ、照明との関係‥‥この空間を構成するそれら全てのファクターがこの上無いハーモニーを醸し出し、この空間を特別なものにしている事が分かります。

カーンの建築に対する批評なんかを読むといつも思うんだけど、大量の光を伴った厳格でマッシブな量塊が創り出す「神憑った空間「のみ」」が取り上げられ、それを支えているヒューマン・スケールのデザインが全く出てきません。しかしですね、カーンの建築を読む時は、こういうヒューマン・スケールに基づいた空間、個人レベルにおける人間の感覚を考え抜いた空間がその基礎にあることを忘れてはいけないと思う。それがあるからこそ、それとは対となる「神憑った空間」が生きてくるんだと、僕は強くそう思います。

と言う訳で、先程の円柱階段を通って今度は3階へ行ってみます:

この階は基本的に先程見た下の階と殆ど同じ空間構成になってるんだけど、真っ正面に見える2つの長方形の窓、そして階段室を出て振り返り様に2つの窓から見える風景が、僕達の居場所を教えてくれる羅針盤となっています。


ほら、さっき下の階に居たおじさんが見える。しかも居眠りしてる(笑)。

上の階も下の階も空間構成としては全く変わらないんだけど、この窓から見える風景が違う事によって、「今は上の階に居るんですよー」っていう事が分かる仕組みになっています。

←迷いがちな建築空間(都市空間)の中において、「いまはこの地点にいますよー」っていうナビゲーション機能は結構重要。

という訳で、今度はイヨイヨ最上階を訪れてみます。先程までと同様に円筒形の階段室を上っていくと、あることに気が付きます。「あ、あれ、、、この階の階段室だけ扱いが違うな、、、」と。

天窓を覆っているガラスブロックからは木漏れ陽が落ちてきて、更にこの階だけ微妙に天井高が下階とは異なっているですね(この階だけ天井高が低い)。その結果、4階へと導かれる階段室を訪れる時には、「この空間で抑圧される」という感覚を受けることになるのです。そしてこの円柱階段室を出た所に広がっているのがこの風景:

じゃーん!天窓からは光が溢れ、天井高が「これでもか!」と高くとられている、えも言われぬ空間の登場〜

……っていうか、こ、これは、、、ちょっと凄いぞー。。。光が溢れている‥‥。

そう、2階、3階と天井をフラットにしている理由、そしてこのクライマックス空間の前室的な扱いになっている階段室の天井高が少し低くなっている理由、それらは全て、この最上階にある展示空間を開放的に、そしてドラマチックに見せる為の演出だったのです!そして圧巻なのが、こちらの構造体:

見たこともないくらい重厚で肉厚なコンクリの塊が、「これでもか!」と、溢れる光に「なにかしらの力のようなものを与えている」かのようなのです:

「空間というのは光で構成されているんだ」という当たり前なんだけど忘れがちな事実を思い知らされる気分です。そしてその様な「光」を「空間に与えている」のは紛れも無い「構造体」だと言う事も。まさに:

「構造体は光を与え、光は空間を創る(Structure gives light, makes space, Louis Kahn)」

この空間デザインのテクニカルな部分を指摘しておくと、例えばこの梁なんかは、天井から下方にいくに従って三角錐台のような形をしているのですが、この形こそが、上方から降ってくる光が「如何に下方に拡散していくのかを視覚化する装置」となっていることに気が付きます。これはバロック建築が彫刻などを用いて実現する光の視覚化手法に他ならないことは、当ブログで散々論じてきたところです(地中海ブログ:ベルニーニ(Bernini)の彫刻その3:サンタンドレア・アル・クィリナーレ教会(Sant'Andrea al Quirinale):彫刻と建築の見事なアンサンブル)。

そんなことを考えながら、この光の筒のパティオの周りをぐるっと回ってみます:

やっぱりこの天井高と、そこから燦々と降ってくる光、そしてこの重厚な構造体がこの階の展示空間を他の階とはまるで別物にしていることが分かります。

また、この階だけは街路方面に幾つかの窓が開いていることも確認出来ます。大きな窓からは真正面に位置しているアートギャラリーが見えます。

更に圧巻なのがこちらの空間:

下階では図書室と事務室が入っていたところがぶち抜きで大広間を構成しています。横一杯に広がっているこの空間は、光の筒で満たされているパティオと、円柱のコンクリが中心にあるパティオ、それら二つのパティオを繋ぐ役割を果たしているんだけど、それら二つのパティオを行ったり来たりしている時、僕はあることに気が付いてしまいました。

「あ、あれ、、、このパティオ、一方には光の量塊が、、、もう一方にはコンクリの量塊があるな。。。」、、、と。

←いや、そんなことは最初から分かっていたし、上の方で散々書いた通りなんだけど、じゃあ、なんでカーンはわざわざそんなことをしたのかな、、、と。

←そう思ってしまったら最後、納得の行くまでこの空間を行ったり来たりしなきゃ気が済まないのがcruasanの可愛いところ(笑)。

←ちなみにグッゲンハイム美術館でリチャード・セラの彫刻とゲーリーの空間の取り合いを理解する為に、セラの彫刻の前を6時間くらい掛けて20往復し、警備員に不審がられたのは僕です(笑)(地中海ブログ:ビルバオ・グッゲンハイム美術館とリチャード・セラの彫刻:動くこと、動かないこと)。

と言う訳で、今回も3時間くらい掛けて30往復くらいしたところで、「はっ」と気が付いてしまいました。「あ、あれ、やっぱりこの二つの空間、構成的には全く同じことをやっているのではないか、、、」と。「で、でも、、、同じフレームワークで同じことをやっているんだけど、空間を構成している目に見える物質が違う、、、」と。

そーなんです!カーンはここで全く同じ構成の空間(ボイド)に全く違う二つの物質を満たすことによって、我々に世界の見方、物質の成り立ちを暗示しようとしているかのようなんですね。つまりは、一方では光で構成されている空間を(上の写真)。

もう一方では、コンクリの塊が「これでもか!」と存在感を表している空間(パティオ)をです。

←では、カーンはここで何が言いたかったのか?つまりは何を我々に見せたかったのか?

←それは空間に充満している物質、我々の空間を形作っている構成物質の原型を見せたかったのではないでしょうか?

つまりは一方の空間では、空間の中に充満しているんだけど目には見えない「光」という物質が空間を作っているという事実を視覚化し、もう一方では、その空間を作っている光を「コンクリ」という目に見える物質に置き換えて空間の中に置くことによって、我々に光と言う物質の存在を確認させているかのようなのです。そしてこれら二つの空間はそのまま「精神的な空間」と、「物質的な空間」と言い換えることも出来ます。

、、、これらの読み、この建築の解釈が当たっているのか間違っているのか、それは僕には分かりませんし、そんなことは僕にとってはどうでも良いことなのです。僕はこの空間を実際に訪れて、そう感じ、空間の意図をそのように読み取った。それこそが重要なんですね。そのような体験と、その体験に基づいた独自の解釈は、本や写真から得たのではない知識として今後の僕の建築家人生において確実な糧となってくれるからです。

それにしてもこの空間はちょっと凄い。今まで世界各地で色んなものを見てきたけど、この様な質を持った空間は初めて、、、かな。それと同時に、「こういう空間の物語の創り方もあるんだ」という事を教えられた気がしました。

何度でも繰り返すんだけど、ルイス・カーンの建築は、その建築の初源をトコトン追求した上で空間が構成されているので、その空間を通して人間活動の根源的な所を考えさせられます。そしてカーンの神掛った空間は、その空間に身を置く人間のことを考え尽くし、人間の為に創られたヒューマンスケールの空間があるからこそ、それとは全く反対側にある(神掛った)空間が活きてくる、とそう言うことが出来るかと思います。

その様な奥深さ、そこにこそ、カーン建築の素晴らしさがあるのです。

追記:

2018年7月6日から8日に掛けてイェール大学を訪れる機会があり、カーンの建築を再び体験することが出来ました。前回(2013年)は半日の滞在だったので、かなり駆け足でイェール大学周辺の建築を巡っただけだったのですが、今回は丸々2日間建築巡りに費やすことができ、カーン建築だけでなくSOMの図書館やサーリネンのアイスホッケー場なんかも訪れることが出来たんですね。

ポール・ルドフル設計のイェール大学芸術・建築学部棟では、思い掛けず卒業設計展を開催中だったのは嬉しかったかな。

また、芸術・建築学部の図書館なんかも自由に入れました。ここから15分ほど歩くと、サーリネン設計のアイスホッケー場が現れてきます:

このダイナミッックな建築形態は圧巻!夏なのでアイスホッケーはやっておらず、中に入れなかったのは非常に残念!更にそこから徒歩数分のところには、SOMが手掛けたベイネック稀覯本図書館(Beinecke Rare Book and Manuscript Library)が姿を現します。

構造が結構面白い:

内観はこんな感じ:

貴重な書籍はガラスに覆われた中央に配置されています。この図書館のシステムとしては自分で本を取りに行くのではなく、司書さんにリクエストして彼らが運んで来てくれるそうです。で、建築デザイン的には、薄くスライスした大理石を壁面に用いることによって光を浸透させることに成功しています:

古代ギリシャのパルテノン神殿なんかはこんな感じで大理石をスライスして内部に光を入れていたって昔聞いたことがあったけど、こんな感じだったのかなー、とか思いに耽ってみる。

で、いつも思うんだけど、欧米の有名建築を訪れると、かなりの確率でその建築を設計した建築家を賞賛するセクションがきちんと取られているんですね。例えばカーンなんかは、他の美術作品と一緒に平面図なんかが「芸術作品として」展示されてたりする訳ですよ。

そうこうしているうちにお腹がへってきたのでランチをとることに。全く知らなかったんだけど、イェール大学があるNew Havenはピザが名物らしく、全米でも五本の指に入るピザ屋さんがあるというのでレッツゴー!正直半信半疑だったんだけど、これがなかなか美味しかった!バルセロナで食べてたナポリ風ピザとはまた違った良さがありました。僕が行ったピザ屋さんの名前は、Yorkside Pizza。図書館の真ん前にあります。

| 建築 | 23:57 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ルイス・カーンのフィリップ・エクセター・アカデミー図書館(Phillips Exeter Academy Library):もの凄いものを見てしまったパート1:行き方
あー忙しい。渡米して3ヶ月‥‥気が付いて見れば早いものでボストンでの生活も残す所あと3ヶ月弱となってしまった訳なのですが、最近は論文やら各種記事の締め切りに加え、メディア関連の仕事やヨーロッパの諸都市と一緒にプロジェクトを立ち上げたりと、何かと忙しくなってきた今日この頃です。



年末に向かうにつれてボストンは段々と寒くなってきて、正に「雨が夜更け過ぎに雪へと変わる」日もチラホラ出てきたくらいなんだけど、そんな中、先日遂にあの伝説の建築を訪れる機会に恵まれちゃいました!そう、学生時代から憧れ、「一生の内に一度は絶対訪れたい!」と思っていた建築、それがコチラです:



じゃーん!泣く子も黙るルイス・カーンの傑作、エクセター図書館なんですね。建築デザインに関わる者なら「知らぬものはいない」というくらい知られまくってる超有名建築。その割に僕の周りで行った事がある人は皆無、ネットを見ていても実際に訪れた人はそう多く無いのでは?と思われます。僕は基本的に建築を評価する時は、出来るだけ現場を訪れて自分の五感をフル活用した上で批評しようと努めています。何故かと言うと、最近の建築というのは写真うつりが非常に良いものが多くて‥‥と言うか、写真にカッコ良く収める為だけにデザインされた建築が非常に多いと思うからです。カーンと言えども自分の眼で実際に見るまでは信じられません!という訳で今回もはるばる行って来たという訳なんです。



ボストン市内から電車で1時間ほどの所にあるこの図書館は、一日に電車が5本程度しか止まらない小さな小さな村に位置しているのですが、どうやらこの図書館が所属している高校は全米でも指折りのエリート校らしく、アメリカ人なら誰しもその名を聞いた事があるっていう超有名校らしいんですね。しかしですね、そんな「アメリカ人の間にだけ有名だった」という状況に劇的な変化が起こったのがつい数年前の事。その立役者がこの人です:



そう、Facebookの創業者、マーク・ザッカーバーグ。実はですね、「プログラミングの天才」としてハーバード大学に入学する前から既に有名だったザッカーバーグが高校三年生の時に引っ越してきた高校こそ、このフィリップ・エクセター・アカデミーに他ならなかったのです!ヘェー、ヘェー、ヘェー。



そんな有名校とは露知らず、僕は今回初めてこの高校を訪れたんだけど、緑豊かな敷地の中にレンガ造りの大変美しい校舎群が大変見事にレイアウトされている姿にちょっと感動すらしました。



個人的には正にこれこそ心に思い描いていたアメリカの学園生活そのものって感じでしょうか(笑)。



こんな緑に溢れまくってるキャンパスの一角にあるのが今日のお題であり建築史に名を残す傑作中の傑作、ルイス・カーンのエクセター図書館なんだけど、訪れてみた感想を一言で言うと:

「物凄いものを見てしまった!」

って所だと思います。こんな感想を持ったのは、ポルトにあるアルヴァロ・シザのセラルヴェス美術館を初めて訪れた時(地中海ブログ:ガリシア旅行その8:アルヴァロ・シザの建築:セラルヴェス現代美術館(Museu de Arte Contemporanes, Fundacao de Serralves):人間の想像力/創造力とは)、そしてカルロ・スカルパのカルテルヴェッキオを始めとした一連の建築作品群を訪れた時以来の事かもしれません(地中海ブログ:カルロ・スカルパ(Carlo Scarpa)の建築その3:カステルヴェッキオ(Castelvecchio):空間の建築家カルロ・スカルパ:ものすごいものを見てしまったパート2)。それほど素晴らしい空間がここには広がっているんですよ!

詳しい空間分析などは次回のエントリに譲る事として、今回はこの建築への行き方から。ボストンからエクセター(Exeter)へはボストン北駅(Boston North Station)から一日に5本電車が出ている模様です。僕が行った時は:

Boston-Exeter
9:05; 11:35; 17:00; 18:45; 23:00

Exeter-Boston
6:43; 9:21; 14:09; 15:52; 20:14


というスケジュールでした。料金は往復で32ドル(これらは全て2012年12月現在の情報です。出発時刻、到着時刻などは頻繁に変わると思われるので、コチラのページで確認される事をお勧めします)。乗車切符はウェブから予約出来るんだけど、僕は駅で直接購入しました。という訳で朝一番の電車に乗ってレッツゴー!

電車の中はwifiが飛んでいてネットも出来たんだけど、折角だから外の景色を楽しむ事に。何でかって、実はボストンから遠出したのは今回が初めてだったので、アメリカ郊外の景色を楽しんだという訳なんです。感想は‥‥特に何もなかった(笑)。ボストン郊外は紅葉が奇麗という事で有名らしいんだけど、もう紅葉の季節は終わっちゃいましたしね(悲)。



そんなこんなで1時間ちょっとでエクセター駅に到着〜。ホームへ降りたら、先程乗ってきた電車の進行方向と同じ方向に歩を進めます:



そうすると何件かのお店が建ち並んだ風景に出会すんだけど、そのお店の並びに沿って歩いていくと、右手前方にガソリンスタンドが見えてくるので、そこを右手に折れます:



後はこの道をひたすら真っ直ぐに歩くだけ。10分も歩けば左手方向に何やらレンガ作りの校舎の様なものが見えてくる筈:



ここが今回目指すべきエクセター高校の敷地です。ここに到着したら、何処からでも良いので右手に曲がって校舎の中を突っ切ります:



美しい中庭を眺めながら少し小高い丘を上ると、一本の道路にぶち当たります。



その向こうに見える四角形のレンガ造りの建物、あれこそ今回目指すべき建築、ルイス・カーンのエクセター図書館です。

ルイス・カーンのフィリップ・エクセター・アカデミー図書館(Phillips Exeter Academy Library):もの凄いものを見てしまったパート2:全く同じファサードが4つデザインされた深い理由に続く。
| 建築の歩き方 | 12:36 | comments(3) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
リアル、エヴァンゲリオンの世界を体験してしまった:MITを含むケンブリッジ市の大停電
2012年11月29日午後4時半頃の事、研究室の電気がふっと消えた。偶々その時、僕はスカイプで打ち合わせ中だったんだけど、ネットも接続不可能に‥‥最初の内は:

「あ、停電か。」

くらいにしか思ってなかったんだけど、どうも様子がおかしい‥‥。5分経っても10分経っても電気が一向に復旧しない‥‥。いつもとは様子が違う事に気が付いたのか、周りもざわざわし始めてきた。11月下旬におけるボストンの日の入りは早くって、午後5時頃には辺りは暗くなり始めます。つまり電気が断たれた建物の中は真っ暗で何も見えないと言う事。明かりと言えば、パソコンのモニターと携帯電話の待ち受け画面の僅かな光くらい。そんな真っ暗闇の中に怪しく光る大小様々なモニターの光達が、緊迫感により一層拍車を掛ける。

1時間経過、未だ電気は普及しない。この辺りから懐中電灯を持った構内警察官(MIT POLIS)が慌ただしく廊下を行ったり来たりしているのが聞こえ始める。

僕の部屋は、ボストン市とケンブリッジ市を結ぶ主要道路(マサチューセッツ通り)に面してるんだけど、ふと外に眼をやると、街灯や信号まで停止しているらしく街中も真っ暗。明かりと言えば、車のライトと、赤く光るブレーキランプが果てしなく続いていて、かなり渋滞している事が分かるくらい。



停電から2時間が経過しようとした頃、ようやく電気が復旧。と同時にサーバーも復活したらしく、メールボックスにMITからメールが届く。内容はこんな感じ:

MITに起こった大停電について

関係者各位

現在ケンブリッジ市において大規模な停電が発生しています。キャンパス内では構内警察(MIT POLICE)が緊急事態に対応している真っ最中です。もし今、何らかの非常事態に直面し、緊急の助けが必要な場合など大至急MIT POLICEに連絡してください。電話番号はxxxxです。引き続き、状況をアップデートしていきます。


その30分後、更にこんなメールが届きました:

キャンパス内の電力復旧しました。

関係者各位

MITキャンパス内の電力が復旧しました。停電が起こっていた間、MITメディカル、MIT警察、MIT EMSやその他、無くてはならないサービスなどについてはバックアップ電力で運営していました。今の所キャンパス内において不測の事態は起こってはいません。しかしもし緊急事態に直面していたり、助けが必要な場合など、MIT警察に速やかにご連絡をお願いします。電話番号はxxxxです。引き続き、状況をアップデートしていきます。


実はこの日、午後5時半頃から(最近ボストンに出来た話題沸騰中の)二郎系ラーメンに行く約束をしていたので午後6時前後にCentral Squareの前を通り掛かったんだけど、そちらの方は未だ信号も復旧してないらしく真っ暗!何人もの警察官が交通整理をしている真っ最中でした。僕達は予定通りラーメンを食べ、帰ってきたのが午後7時30分頃。その時には街中の電気は殆ど復旧していました。

‥‥うーん、今回はちょっと凄い体験をしてしまった。



マサチューセッツ工科大学(MIT)と言えば、工学系大学としては世界最高峰、そんな世界中から選りすぐりの頭脳が集まり、見た事も無い様な最新設備で埋め尽くされている研究機関ですら、電気の供給が絶たれてしまったら「全く何も出来ないんだな」という事が露呈してしまったんですね。

それはもう「エヴァンゲリオン第捨参話、使徒、侵入」の世界そのものでした。

漫画の中では使徒と闘う為にありとあらゆるテクノロジーを注ぎ込み、人類最後の砦として極秘裏に建設されたNERV本部が電気を失いパニックに陥る様子がリアルに描き出されていました。そして今回はテクノロジー系最高峰の大学、MITのキャンパスが電力を失い、「電気を失うと一体どんな事が起こるのか?」という事が明らかにされてしまったと言う訳なのです。そう、一旦電気が失われてしまえば、我々はもう本当に何にも出来ないんですね。そしてそれはそのまま「我々の都市の脆弱性」をも露呈してしまった事件でもあったのです。

我々の生活の多くは電気に頼っている。逆に言えば、電気が無くては何も出来ない。我々はそんな社会の中に生きているのです。



電気が消えていた間、辺りは真っ暗で空を見上げてみれば、それこそ満天の星空、そう、まるで今年の夏、ガリシアのド田舎で見たペルセウス流星群を彷彿させるかの様な鮮やかな星空が広がっていました(地中海ブログ:スペインの田舎で見るペルセウス流星群)。でも、それでもやっぱり僕は真っ暗な闇よりは光があった方が落ち着くかな。と、同時にその様な自分にちょっと「ほっ」としたりもします。何故ならそれこそ僕が人間である証なのだから(地中海ブログ:ガリシア旅行その8:アルヴァロ・シザの建築:セラルヴェス現代美術館(Museu de Arte Contemporanes, Fundacao de Serralves):人間の想像力/創造力とは)。



あー、それにしても二郎系ラーメンは美味しかった。何て言ったって2年振りに食べたラーメンでしたから。又今度行こうっと。
| 大学・研究 | 11:37 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
MIT Media Lab(MITメディアラボ):槙文彦さんの建築
先週末、ここボストンにて、在米日本人コミュニティを揺るがす大事件が勃発しました。テンコ盛り&濃い味付けで「一度食べたら忘れられない」と、一部のラーメン好きに爆発的な人気を博している二郎系ラーメンU.S.第一号店が遂にボストン(ケンブリッジ)にオープンしたんですね!って言っても、僕は二郎ラーメンというものを全く知らず、こちらの友達に「凄く美味しいから行こう」と誘われ、言われるがままについて行く事に。



で、行ってみたらこれが物凄い人!それこそiPhone5の発売時にApple Storeに並んでた行列と良い勝負なんじゃないの?って言うくらいの人出!しかも並んでたのは9割5分方日本人って言うから驚きです。そんなもんだから、待ち時間は脅威の2時間!しかもこの日は今年一番の冷え込みときてたものだから、僕も最初の内は頑張って並んでたんだけど、1時間経った所で体の芯まで冷え込んできちゃってギブアップ。待ちに待ってたラーメンだったんだけど、この日は食べる事が出来ず泣く泣く帰る羽目に(悲)。今回は食べられなかったので、来週か再来週くらいの落ち着いた頃を見計らって行ってみようと思っています。



さて、今日紹介するのは数あるMITの研究所の中でも異彩を放っている存在、泣く子も黙るMIT Media Labの登場です。日本でも頻繁にメディアなどに取り上げられ、雑誌やテレビ番組でも特集が組まれている事などから、アカデミックとは全く関係が無い人でもその名前くらいは聞いた事があるのでは無いでしょうか?MIT Media Labは元々、建築家であり100$ノートPCプロジェクトで有名なニコラス・ネグロポンティ氏などが設立した事から、所属は建築都市計画学部となっています。更に、タンジブル・ビット研究で世界的に有名な日本人研究者、石井裕さんが副所長を務められ、去年からは伊藤穣一さんが第四代目の所長に就任されるなど、日本とも繋がりの深い研究所となっているんですね。



そんな世界でも例を見ないほど魅力的なプロジェクトで溢れまくってるMIT Media Labなのですが、その研究内容とは裏腹に、Media Labの建築自体について語られる事は今まであまり無かったのでは?と思います。



そう、何を隠そうこのMIT Media Labが入っている建築こそ、ボストンに存在する数多ある現代建築の中でも最高峰に位置すると言っても過言ではない名建築なのです。かく言う僕も、ボストンに初めて降り立ったその日、取り合えず大学の下見に来た序でに迷わず訪れたのがこの建築だったって言うくらいなんですね。



‥‥ピシッと決まった佇まい、そのさり気ない存在感、非常に洗練されたデザインで纏められているファサード‥‥見る人が見れば誰が設計したかは一目瞭然だと思います。そう、この建築をデザインしたのは、日本が誇る建築界の巨匠、槙文彦さんです。



槙さんと言えばボストンとは非常に深い繋がりで結ばれていて、と言うのも槙さんはハーバード大学のデザイン大学院(GSD)を卒業された後、カタラン人建築家Josep Lluis Sertの事務所で修行されていた事があるからです。ちなみにケンブリッジ(ボストン)にはセルトの設計した建築が幾つか残っていて、階段を用いた見事な導線計画や、ファサードに様々な要素をくっつけて分節化する事でヒューマンスケールを醸し出す手法など、槙さんがヒルサイドテラスで展開されているテクニックの原点をみるかの様で、それはそれでとても興味深いと思います(セルトについてはコチラ:地中海ブログ:オープンハウス in バルセロナ(48 OPEN HOUSE BCN)その3:ホセ・ルイ・セルト(Josep Lluis Sert)のパリ万博スペイン共和国館)。と言う訳で、久しぶりの槙ワールドを早速堪能してきました!



この建築の前に立って先ず最初に気が付く事は、非常に丁寧に創られているという事かな。様々な線がピシッと揃っている所なんかは流石と言うべきでしょうか。そしてやはり街中に建つ事を意識した「街角の創り方」と、ともすれば威圧感だけを与えがちな大きなスケールの中に「ヒューマンスケールを取り戻す為の工夫」が至る所に見られます。例えばコチラ:



敢えて角っこに階段を配置し、街角の「顔」を創り出し、更にはその部分の天井を低く抑える事で、建物に入る時の親密感を醸し出しているんですね。そこにポツンと建てられた真っ白な柱が、あたかもここに佇む為の拠り所となっているかの様ですらあります。ちょっと引いた所から見たファサードのデザインはこんな感じ:



階段、スロープ、柱、手摺そして上の階で止まっているルーバーと言った様々な要素が、一部の狂いも無くピシッと決まっている。この様なデザインを見るに付け、良い意味でも悪い意味でも「あー、日本的だなー」と感じてしまいます(地中海ブログ:歩いても、歩いても(是枝裕和監督):伝統と革新、慣習と感情の間で:リアリズムを通して鑑賞者の眼が問われています)。



上の写真は反対側へ回ってみた所。様々な部位が分節され、幾つかの箱が絡み合いながら上方へ駆け上っているかの様ですらあります。ともすれば「単なる箱」になりがちなんだけど、大変精密且つ密度の濃いデザインがこの単純な箱を「単なる箱以上のものに変えている」のが見て取れるかと思います。グレーの箱に取り付けられたガラスとルーバーの取り合いも絶妙。文句無くカッコイイ!そんな事を思いつつ、イヨイヨ中へと入って行きます。



メインエントランスを入ると、太陽光に満たされた2層吹き抜けの大変気持ちの良い空間が我々を出迎えてくれます。その中でも注目すべきはコチラ:



向こう側に見えているエメラルドグリーンの箱はエレベーター室になってるんだけど、その手前に掛かっているブリッジが、「ココから先は神聖な場所なんだぞ!」と言わんばかりの存在感を醸し出し、何かしら目には見えない境界線を創り出しているかの様なんですね。心が凛となります。そんな訳で、心を落ち着かせながらブリッジを潜ると見えてくるのがこの風景:



圧巻の4層吹き抜けの大空間の登場〜。各階がガラス張りになっていて、そこから研究室で働いている人達が見え隠れするという、壮快な風景の出現です。研究活動している人達の姿を「敢えて」見せる事で、その人達をも広告にしてしまおう、売り込んでしまおうという、正にMedia Labのコンセプトを具現化したかの様な、大変見事な空間になっていると思います。



こちらは反対方向から見た所。微妙に色の異なる白系のマテリアルで纏められた空間は清潔感に溢れ返っています。壁、床、柱、軽やかなリズム感を生み出しているガラスの方立て、それらを纏めるかの様な丸柱、そこへ向かって真っ直ぐに進む2本の線、床に埋め込まれた丸いライトのリズム感、更には向こう側に見える縦縞のアルミと言った様々な要素が素晴らしいハーモニーを醸し出しています。そして右手方向にはこの風景:



真っ赤な階段が大変印象的な吹き抜けです。最初見た時はこの弓形にしなった階段、「ちょっとどうなのかな?」と思ったけど、何回もココを訪れる内に、この空間にピッタリ合ってる様な気がしてきました。と言うか、この空間にはこの形とこの色の階段しかあり得ない!とさえ思えてくる程です。そしてここで早速槙マジック!



向かって斜め右上に走っている真っ赤な階段の後ろには、何かしら大きな空間が潜んでいるのが分かるかと思うのですが、更にその先には、この真っ赤な階段とは直角を成す様にして、今度は黄色い階段が設えられているのが分かるかと思います。



「これは何を意味しているのか?」というと、こうする事で「この先、どんな空間が待ち構えているのか?」という「暗示」をしているんですね。そしてこれはそのまま、その先に待ち構えている空間が直行し、更にはそれらの空間が螺旋形に巻き込む様に上昇していっているという事を指し示してもいるのです。ここまで見ただけでも、この建築が「特別だ」という事が分かるかと思います。というか、こういう事をサラッとやってしまえる槙事務所が凄いと言うべきか。まあ、とにかく上に上がって行ってみます:



一層上がった所からはガラス窓を通して、研究室の中を覗く事が出来ます。



外側からは予想もしなかった様な結構大きな2層吹き抜けのボリュームが内包され、コレ又大変印象的なクルクル階段で結ばれているんですね。そして振り返るとこの風景:



先程言及した黄色い階段と青い階段が主役を成している吹き抜け空間です。上述した様に、この空間の方向性は一階部分とは90度の角度を成しているのが分かるかと思うのですが、その事は階段のスタート地点を見比べてみると分かり易いかな:



ほらね。さっき上がってきた階段に対して、今から上ろうとする階段が直角方向に付いているのが分かりますね。

槙さんは一体ここで何をしているのか?



槙さんのやりたかった事、それはこの様な階段(アーキテクチャー)を用いて、強制的に訪問者を直角方向に方向転換させ、空間に螺旋的な運動を喚起させているのです。‥‥「螺旋系の運動」と聞いてピンときた人はかなり勘がいい。そう、螺旋のマスターと言えば勿論コルビジェです(コルビジェの見事な空間構成についてはコチラ:地中海ブログ:パリ旅行その6:大小2つの螺旋状空間が展開する見事な住宅建築:サヴォワ邸(Villa Savoye, Le Corbusier)その1:全体の空間構成について)。多分コルビジェの話をし出すと、それこそ止まらなくなるので、その話は又今度。



この空間には卓球台が置かれていたり、恐竜の模型が置かれていたり、とにかく遊び心に溢れています。意地悪な言い方をすると、そういう「イメージを醸し出そうとするポーズ」と見えない事も無いかな。で、ちょっと裏側へ回ってみたらこんなものが置かれていました:



立体フォログラフィーによる研究室の紹介。おー、さすが先端技術を駆使したMedia Lab!という訳で今度は、この黄色い階段を上って行く事に。その丁度途中にあるのが石井さんの研究室。何か「勝訴」とか書いてある(意味は不明)。そこを抜けると辿り着くのがこの空間です:



前面ガラス張りのロビー。お日様の光が「これでもか!」と入ってくる、大変気持ちの良い空間です。ゆったりとしたスペースに、コレ又大変ゆったりとしたソファーが並べられ、学生とおぼしき人達がコンピュータを持ち込んで、なにやら作業をしていました。



壁には落書きが書かれています。反対側はダイニングルームになっていて、ここでランチをとる事も可能。実は僕、ランチ時にはここに来て食べる事が結構あるんですよねー。ゆっくり出来るし、なにより居心地が最高!そしてイヨイヨ最上階へ上がって行ってみます。最上階へはエレベーターでアクセスするのですが、降りると先ず目に飛び込んでくるのがこの風景:



槙さんが風の丘の葬祭場で見せた、あの半円形に切り取られた空間の登場です。風の丘の葬祭場の大変印象的な天井と、コレ又素晴らしい階段の完璧なるハーモニーは、本当に「記憶に残る場所」としての質を持ってると思うんだけど、あの空間の原型は実はポルトガルの建築家、アルヴァロ・シザにあり、そしてシザはガウディに影響を受けたという事は以前のエントリで書いた通りです(地中海ブログ:ガウディ建築の傑作、カサ・バトリョ(Casa Batllo)その1:カサ・バトリョに展開する物語を見ていて思う事)。その様な遺伝子がココにも見られるというのはかなり興味深い。さて、この天井を見つつ、振り返り様に現れるのがこの風景:



うーん、圧倒的な風景、何も邪魔するもの無くボストンのスカイラインを見渡す事が出来る大変気持ちの良いパノラマ。この空間が特別である事を指し示すかの様に、天井はこれまでのフラットとは一転、斜めに走っていますね。そしてこの奥には会議室があるんだけど、ここが又凄かった!



じゃーん、I.M.ペイのジョンハンコックタワーがパノラマで見える絶景会議室です(地中海ブログ:I.M.ペイはやっぱり天才だと思う:ジョンハンコックタワーを見て)。一階下のガラス張りのロビーは、前に建っている建物に風景を遮られていたので「絶景」とはいかなかったんだけど、こちらでは視界を遮る様なものは一切無く、チャールズ川を通してあちら側に競って建っているスカイスクレーパーの競演を楽しむ事が出来ちゃいます。



そしてここまで書いてくればもうお解りだとは思うのですが、この空間がこの建築に展開するクライマックス的空間であり、一階部分から展開してきた螺旋系の運動がここに来て、頭の上にスゥーと抜けていく‥‥という物語が展開しています。



槙さんの建築は本当に久しぶりに見たんだけど、いつ見ても何時訪れても僕に建築的な楽しみ、そして建築を訪れる事の喜びを教えてくれます。それは何も建築的な空間構成やディテールと言ったものだけなのではなく、何かしらもっと深いもの、そう、人間の根源に訴えかけてくる様なものを建築が醸し出しているかの様ですらあります。

大満足の建築訪問。星三つです!!!
| 建築 | 09:33 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
I.M.ペイはやっぱり天才だと思う:ジョンハンコックタワーを見て
早いもので、ボストンへ来て今日で丁度一週間が経ってしまいました。最初の一週間は、IDカードを作ったり、色んな所に必要書類を提出しに行ったり、住む部屋を探したりと、それこそあっと言う間に時間が過ぎて行き、「何かをする」というよりは、新しい生活リズムに慣れる事で今は精一杯って感じです。



毎朝、チャールズ川に掛かる長―い橋を渡るのが日課になっているのですが、この橋からの眺めは結構壮快。



向こう岸に見えるのがMITの広大なキャンパスなんだけど、それらを背景として週末なんかには真っ白なヨットが出たりして、何気に気持ち良さそうです。朝方や夕方なんかには、この橋をジョギングしてる人を多く見掛けるんだけど、こっちに来て少し驚いたのは、結構みんな運動とかしてて、「健康には気を使ってるっぽい」って言う事を発見したって事かな。

当ブログでは散々書いてきたんだけど、スペインでは心臓の手術をしようが腎臓を移植しようが殆どの場合が無料なのに対して(スペインの医療保険に関してはコチラ:地中海ブログ:スペインの医療システムについて:歯医者の場合、地中海ブログ:ヨーロッパ各国の導入している医療システムについて、地中海ブログ:健康ツーリズム:スペインの誇る医療サービスの盲点を突いた、グローバリゼーションの闇)、アメリカでの医療費は結構高く付くというのは良く知られた事実だと思います。

そういう事を考え合わせると、実はアメリカ人(もしくはアメリカに住んでる人)って、病気になったりしたら医療費が高いから、普段からなるべく病気にならない様に心掛けてるんじゃないのかな?スペインは全く逆で、病院へは何回行ったってタダだから、用も無いのに行く人が多い(笑)。もしくは仕事をずる休みする為だけに行ったりとかも結構ある(地中海ブログ:スペインの管制官仮病騒動の裏側に見えるもの:実は裏で糸を引いてたのはスペイン政府じゃないの?って話)。

さて、MITのキャンパスにはエーロ・サーリネンやらフランク・ゲーリーやらスティーブン・ホールやらと言った、大変魅力的な近現代建築が溢れまくってるんだけど、上述した様に今週は結構忙しかったので、それらをじっくり見る事は全く出来ず(悲)。その代わりと言っては何なんだけど、街中へ日用品を買いに行くついでに、ボストンの中心部に建っているI.M.ペイ設計によるジョンハンコックタワーを見てきました。



市内の何処に居ても、どこからでも見えるこのジョン・ハンコックタワーは、正にこの街のランドマークと言うに相応しい存在かなと思います。



真っ青な空に「すくっ」と立った、その佇まいが先ずは非常に美しいですね。この建築の佇まいをここまで美しくみせているデザイン上のテクニックは色々あって、例えばこの建築の基本平面が単なる長方形じゃなくって、ハスに構えた形になってるとか、プロポーションにかなり気を使ってるとか、まあ書き出せば本当に長くなっちゃうんだけど、その中でもこの建築の一番の見所はコチラです:



そう、この建築の側面に上から下まで一直線に入ってるスリットなんですね。明らかにこのスリットがこの建築に独特のアイデンティティを与え、世界中の何処にも無い、唯一無二の存在にしている根源でもあります。と言うか、たったコレだけの操作で、この平凡な長方形をここまで特別なものにする事が出来る、そのデザイン力の方に我々は驚嘆すべきなのです。

一体、何がそんなに凄いのか?



えっとですね、I.M.ペイがここでやっている事、それは光を用いた造形なんですね。このスリットのガラス面にちょっと角度が付いている事から、ここだけ光の反射具合が異なり、あたかもここに一筋の光の線が走っているかの様に見えます。



しかもそれが時間と共に刻一刻と変化していく‥‥。



例えば上の写真は午前中に取った写真なんだけど、太陽光が反対側から入って来ているので、スリットは黒ずんで沈黙しているのが見て取れるかと思います。



それが午後になり、太陽が動くにつれて、このビルの側面に段々と光の線が描き出されて行く訳ですよ!



しかもその光の線が時間と共に刻一刻と太さを変え、又色彩をも変えていく‥‥。



これはアルヴァロ・シザがセラルヴェス現代美術館で見せた、あの魔術の様な光の扱い方、そして光による空間の造形と同類だと僕は思います。シザの場合は、「白い壁は光を良く反射する」という性質を用いて、前面の真っ白な壁に一旦太陽光を当てておき、その反射光をアプローチ空間に落とす事によって、あたかもエントランスアプローチ自身が、「おいで、おいで」と言っているかの様な空間が実現されていたんですね(地中海ブログ:ガリシア旅行その8:アルヴァロ・シザの建築:セラルヴェス現代美術館(Museu de Arte Contemporanes, Fundacao de Serralves):人間の想像力/創造力とは)。



前にも書いたと思うんだけど、やはりI.M.ペイという人のデザイン力、特に造形力には目を見張るものがあると思うなー。ルーブルのガラスのピラミッドは言うまでもなく、以前ベルリンで見たドイツ歴史博物館の、あのくるくる階段の造形には本当に度肝を抜かれた事を今でもハッキリと覚えています。ちなみに、その時の印象を僕はこんな風に書いているんですね:

「‥‥そもそも何故彼はこんな形を良いと思ってしまえるのか。普通こんな形、綺麗だとは思いませんよね。シザもそうなのですが、彼らの建築の魅力はダサイ形とキレイな形の不思議な均衡にあると思う。ちょっと間違えるとダサイ形になる一歩手前にとどまる事によって異様な魅力を獲得しているというような。こういうのって最近流行の一筆書きのミニマルな建築をデザインするのとは次元の違う造詣感覚が必 要だと思うんですね。やはり彼は他の人とはちょっと違う造詣感覚を持ち、形に対する感覚がかなり鋭いのかも知れない。」(地中海ブログ:I.M.Pei (アイ・エム・ペイ)について)

当時の僕はI.M.ペイのデザインした建築を2つしか見ていなかったので、彼の形に対する独特な感性等、「もしかしたらこのドイツの博物館が偶然なのかもしれない」と半信半疑だったのですが、今回彼の3つ目の建築を実際に訪れてみる事で、彼に対する僕の評価は増々固まりつつあります。



建築は表象文化です。その地方に根付く社会文化、もしくはそこに住む人々が心の底で思っていながらもなかなか形に出来なかった集団的無意識を一撃の下に表す行為、それが建築であり、そういう事が出来る能力を持った人達の事を我々は建築家と呼んできたんですね。

そういう意味において、今の僕は未だアメリカに来て1週間足らずなので、この国の社会文化は勿論の事、「この地に建っている建築が一体何を表しているのか?」、「ここに住む人達のどんな価値観を表象しているのか?」という事をハッキリと読み取る事は出来ないし、分析する事も出来ません。

その国や地方に住んだ事も無いのに、あたかもそこに建ってる建築=その地方の表象文化が分かったかの様な、そんな事を言うのだけは常々避けたいと、そう思っています。それこそ僕がスペインのカタルーニャという世界的に見てもかなり独特な地域に腰を据えて住む事によって得る事の出来た視点でもあるのだから。

と言う訳で、これからの数ヶ月間、この国に住み、この国の社会文化に触れる事によって、この国に展開している建築を出来るだけ読み解いていこうと思っています。乞うご期待!
| 建築の歩き方 | 09:53 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
スペインの田舎で見るペルセウス流星群
先週スペインはアフリカ大陸からの熱波に見舞われ、各地で記録的な猛暑日を観測する程だったんだけど、中でも驚いたのはアンダルシア地方。何と、摂氏51度を観測したらしい(驚)。



現在僕が滞在しているガリシア地方と言うのは、スペインの中では涼しい事で有名なのですが、それでも日中気温が38度近くまで上がり、日向に出ると「フライパン状態!」っていう日が続いていました。まあ、それでも日が落ちると本当に涼しくて、朝方なんて毛布が無いと寒いくらいなんですけどね。

そんな先週末、湖畔を挟んだ向こう側に位置する村の森林公園で、ガリシア地方を代表するワインの生産地、Valdeorrasで作られたワインの試飲販売会が行われました。



この地方に存在する20程のワイン農家が集まったこの販売会、システムは至って簡単で、入り口でワイングラスを購入し(150円)、自分の好きなテントへ行ってワインを注いで貰うだけ。ちなみに試飲は一杯50円。全部のテントを回っても1000円足らず。安過ぎです(笑)。



で、気に入ったワインがあったらその場で即購入出来るって言うシステムになってるんだけど、僕はお土産用に今年最優秀賞を獲得した赤と白、共に2本づつ購入しました。ちなみに「ガリシア、ワイン」とくれば勿論コチラ:



ガリシア風タコ煮!何時見てもガリシア人の鋏さばきには恐れ入ります(笑)。

そんなこんなで昼間っからワインを飲みまくり、ホロ酔い気分で迎えた先週日曜日の夜はオリンピックの閉会式を見ようと意気込んでたんだけど、ネットを検索していたら、どうやら丁度その日の夜はペルセウス流星群が結構奇麗に見える日だという情報が。それから小1時間、オリンピックの閉会式を見るか、それともペルセウス流星群を見に行くかで久しぶりに頭を使ったかな(笑)。

まあ、これは大げさに言うと、「人間の創造力/創造力(イギリスが自国の威信を掛けて創り上げた閉会式)」を見るか、それともペルセウス流星群という「自然が創り上げた神秘」を見るかという選択だったかなと、そう思います(地中海ブログ:ガリシア旅行その8:アルヴァロ・シザの建築:セラルヴェス現代美術館(Museu de Arte Contemporanes, Fundacao de Serralves):人間の想像力/創造力とは)。

で、悩みに悩んだ挙げ句、結局ペルセウス流星群を見に行く事に。普段はペルセウス流星群なんて聞いても「はぁ?」って感じなのですが、人口500人程度のド田舎の夜というのは、それこそ月明かりしか無い為に、辺りは真っ暗な闇に包まれます。どれくらい真っ暗かって言うと、こんな感じ:



何にも見えない(笑)。真ん中右方向に一点だけ灯っている明かりは、村を見下ろす山の中腹に建てられた教会の明かりです。


「瞑想する哲学者(1632)」レンブラント

こんな真っ暗な空間に身を置いていると、闇の中に微かに灯る光の神秘を捉えようとしたレンブラントの想いが良く分かる様な気がします。


「星空(1851)」ジャン・フランソワ・ミレー

そして見上げれば、取り留めも無いほど広大な空間全体に、まるで宝石を鏤めたかの様な、そんな光景が広がっているんですね(流石に今回ばかりは写真ではその美しさを伝える事は不可能なので、夜空をテーマに描かれた絵画を載せる事にします)。

‥‥人類が闇から逃れる為に発明した「明かり」、それが無いが故に浮かび上がる自然の神秘‥‥僕達の頭上には、毎日こんなに沢山の星達が光っていたんですね。全く気が付きませんでした。今から何百年、何千年も前に生きていた人々も全く同じ夜空を見上げ、そして全く同じ星々を見ていたのかと思うと、本当に不思議な気持ちになります。


「ローヌ湖畔の星空(1888)」ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ

こんな取り留めも無い程の星々を見つめ続けていると、それら1つ1つの星を結び付け、「星座やそれに纏わる物語を創り出したい」って言う物語創造の衝動に駆られたのも分かる気がするなー。って言っても、天体の知識なんて全く無い僕が見分けられるのなんて北斗七星くらい。で、一生懸命それを探していたら、見ちゃいけないものを見ちゃいました!



ぎゃー、死兆星だー!し、死ぬー!(笑)。死兆星、俗に言うアルコル星というのは北斗七星の柄杓の柄の方から2番目の星の脇にそっと光っている恒星の事で、目の良い人なら見えて当たり前。別に死ぬ訳じゃありません(笑)。

ちなみに世紀末の覇者ラオウの余りにも有名な台詞、「お前は死兆星を見た事があるか?」、で、「見てない」と答えると、「そうか、お前は未だ俺と闘う時ではない様だ」と戦いを回避し、「見た」と答えると、「そうか、お前は俺と闘う運命だった様だ」と言って闘うラオウ。でもあれって良く考えたら、実は死ぬって分かってる相手としか闘わないって言う、ラオウの選別だったんじゃないのかな?だって死兆星見てないって事は死なないって事で、という事は自分が死ぬって事ですからね。さ、流石ラオウ(笑)。無敵な訳だ!(どうでも良いアニメ話終わり)

以前MISIAはペルセウス流星群を前にこんな風に歌いました。

 

「‥‥星降る丘に立っていた。去年君と見たペルセウスの流星群、こぼれ落ちてくる。手を伸ばしたら届きそうなほど、鮮やかに1つ1つ光を放つ、眩しく‥‥」

このド田舎では、それこそ手を伸ばしたら本当に手が届きそうな程、きらきらと光り輝く星々を見る事が出来るんだけど、ペルセウス流星群が見えるこの期間に限っては、そこからまるで頭上に向かって落ちてくるかの様な、そんな勢いで星が降って来るんですね。「ハウルの動く城」で、若き日のハウルが満天の星空の下、流星の如く降ってくるカリスファーを受け止める場面があったんだけど、正にあんな感じかな。

 

ハウルの声を担当した木村拓哉さんが宮崎駿監督に「ハウルってどういうキャラなんですか?」って聞いたら、

「星にぶつかった少年」

って答えたらしいけど、「なかなか良いイメージだなー」とか思う。ちなみにハウルの動く城は映画として非常に良く出来ていて、個人的には傑作だと思うので、何時か暇を見付けて映画評を書こうと思っています(映画評についてはコチラ:地中海ブログ:映画:愛を読む人(The Reader):恥と罪悪感、感情と公平さについて)。


「失恋(1860)」John Everett Millais(地中海ブログ:ロンドン旅行その2:Sir John Everett Millais(ジョン・エヴァレット・ミレイ)

‥‥本当に真っ暗な空間。そこに鏤められた宝石達。聞こえてくるのはさざ波と、スズムシ達が醸し出すハーモニー、ただそれだけ‥‥。

こんな、何処までも無限に広がっていくかの様な空間に身を置いていると、まるで自分が世界の中心であり、世界=空間とは、自分の周りに同心円状に広がっている、あたかもそんな錯覚に陥るかの様ですらあります。と同時に、こんな偉大な自然の前では、人間なんて何時消えても不思議ではない、「何て儚い存在なんだろう」とも感じるんですね。

こんな拠り所の無い私、こんなに弱く今にも消え入りそうな私を世界に繋ぎ止めておきたい衝動。それこそ、我々の皮膚や、その上を覆う衣服の延長線上に創造された建築の起源なのかな?、と、この暗闇の中に浮かび上がる満天の星空を見上げていたら、そんな事を思ってしまいました。

2012年の夏、イベリア半島の端っこで見たこの風景を僕は一生忘れる事は無いでしょう。
| 旅行記:都市 | 05:25 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
サンティアゴ・デ・コンポステーラの美味しいレストラン情報:O DEZASEIS
せっかくサンティアゴ・デ・コンポステーラまで行くのだから、美味しいものを食べようと思って、事前にネットでレストランを検索したのですが、これが予想に反して上手くいかず‥‥。僕の経験上、地方の中核都市には一人や二人くらいは日本人が住んでて、その人達が地元のお勧めレストラン情報などを提供してくれていると言うのが今までのパターンだったんだけど‥‥サンティアゴ・デ・コンポステーラには誰も住んでないのかな?‥‥と呟いてみよう。



この街には非常に歴史が古く、由緒正しいサンティアゴ・デ・コンポステーラ大学(この大学の起源は1495年にまで遡る)もあって、大学ブランドが大好きな日本人には人気が出てもおかしくは無いと思うんですけどね(スペインの大学ランキングについてはコチラ:地中海ブログ:スペインの大学ランキング:総合ランキングではなく、学部間で競い合うというシステム)。話が逸れたついでにもう1つ。街中を探索していたらこんなものに遭遇しました:



キティちゃん巡礼者バージョン(笑)。日本人なら誰でも知ってるキティちゃん!ヨーロッパ中何処へ行っても見掛けない都市は無くて、その影響力は本当に凄いなと、そう思わされます。日本のキャラクター文化とヨーロッパの観光地におけるその影響などについては、話し出すと長くなるので次回のエントリに譲る事にします。で、話を元に戻すと、「サンティアゴ・デ・コンポステーラ、レストラン、お勧め」などのキーワードで検索して出てくるのは、トリップアドバイザーとか、その辺のサイトばかりなんですね。



と言う訳で、今回は現地で探してみる事に。ネットでの検索が今ほど発達していなかった頃、旅先で僕が良くやっていたのが、ホテルのフロントや商店街のおばちゃん、スーパーのレジの人など10人くらいに、自分が良く行くレストラン、美味しいと思うレストランを3つくらい挙げてもらうという方法です。この方法は特に中ぐらいの街だと非常に有効で、と言うのも、それらリストアップしてもらったレストランがかなり重複する事になるからです。いわゆるマニュアル版の集合知(笑)。とか思ってたら予想通り!10人中なんと7人もの人が挙げたレストランがありました。それがコチラ:



O DEZASEIS: casa de Xantar

Address: Rua de San Pedro 16, 15703 Compostela
Tel: 981564880
Email: researvas@dezaseis.com
Web: www.dezaseis.com

場所は前回のエントリで書いたアルヴァロ・シザ設計によるガリシア現代美術センターの直ぐ近く(地中海ブログ:サンティアゴ・デ・コンポステーラ:アルヴァロ・シザのガリシア現代美術センターその2)。San Pedro通りと言われるこの通りには結構沢山のレストランが犇めき合っているのですが、その内の1つが今回のレストランに当たります。間口が狭かったので、「結構こじんまりしてるのかな?」と思いきや、中に入ってビックリ!



奥が深くて、しかも2階建て!



下階に降りて行くと、何と中庭空間まであるじゃないですかー!壁には昔の調理器具(?)なんかが掲げてあって雰囲気は抜群。



で、「早速食事を」と思ったのですが、超人気店らしく14時15分の時点で既に満席の状態でした。店員さんに聞いてみた所、「今からなら1時間くらいは待たなきゃいけないけど‥‥」って言われたんだけど、「まあ1時間くらいなら良いか」という事で待つ事に。



さっき見て来たばかりのガリシア現代美術センターに戻りつつ、極上の空間に酔いしれていたら、あっという間に約束の時間に。で、今回通された席がコチラです:



じゃーん、中庭の一番奥の特等席!やったー!客層を見てみると、半分くらいが観光客、半分くらいが地元客といった感じかな。で、明らかな違いは、観光客がガリシア風タコ煮を中心にアラカルトで注文しているのに対して、地元客と見られる人達は一様にランチ定食を頼んでるという点。郷に入れば郷に従え。と言う訳で今日はランチメニューを試してみる事に。飲み物、そして勿論パンも付いてきたんだけど、写真撮るの忘れた!そうこうしている内に、今日の一皿目の登場〜:



ラコン(Lacon a la Gallega)と呼ばれる、豚の塩漬けモモ肉(ガリシア風)です。これはタコ煮やししとう(Pimiento de Padron)と並ぶガリシア地方の名物料理!で、早速いただいてみると、これがコクがあって、しかもジューシーで大当たり!上に振りかかってるパプリカとオリーブオイルとの相性も抜群!ラコンはジャガイモを蒸したものと一緒に出てくる事が多いんだけど、このお店では特製のチーズと一緒に出てきました。これが又合うんだな!あまりに美味しかったので調子にのってバクバク食べてたら、これだけで結構お腹が一杯に!そうこうしている内に今日の2皿目の登場〜:



サーモンに車エビのソース和え(Salmon en mollo de langostinos)。このサーモンがコレ又大当たり!フォークでツツいてみると身がポロポロとこぼれ落ちるほど新鮮なサーモンの上に、車エビのエッセンスだけを摂ったかの様な重厚なソースの美味しい事!もうここまででお腹が一杯だったんだけど、サンティアゴ・デ・コンポステーラに来てこれを食べない訳にはいきません!



サンティアゴケーキ(Tarta de Santiago)こと、アーモンドケーキです。中世に発明されたと言うこのケーキは、バルセロナのレストランでも見掛ける事があるのですが、お味の方はイマイチな場合が殆ど。それに比べ、このお店のケーキは自家製という事もあり大変美味しかった!で、締めは勿論こちらで:



コーヒー。非常に面白い事なんだけど、ガリシア地方でコーヒーミルク(Café con Leche)を頼むと、バルセロナで言う所のコルタード(ブラックコーヒーに少しミルクを入れたもの)が出てきます。で、更に面白い事に、この地方ではコーヒーを頼むとクッキーなんかが付いてくる場合が殆どなんですね。しかも一杯120円程度とバルセロナ市内に比べて圧倒的に安い!

これだけ食べて飲んで、食後のコーヒーまで付いてお会計は12ユーロポッキリでした。これは安い!そして美味しい!

今までサンティアゴ・デ・コンポステーラ市内の美味しいレストラン情報ってナカナカ無かったんだけど、このお店はお薦めです。シザの建築を見に行ったら、その帰りに寄るのも良いかもしれません。只1つだけ注意しなければいけないのは、お店の店員さんに聞いた所、連日超満員なので必ず予約をする事を勧められました。どうやらこのお店はランチタイムに2回転させるらしく、予約をしていない飛び込みのお客さんは、一回目のお客さんが出て行く15時15分頃まで待たなきゃならない事を告げられるそうなのですが、日によってはそれでも入れない事があるのだとか。という訳で、必ず電話して確認してから行きましょう。

何はともあれ、星三つです!
| 地球の食べ歩き方 | 18:43 | comments(9) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
サンティアゴ・デ・コンポステーラ:アルヴァロ・シザのガリシア現代美術センターその2
キリスト教3大聖地の1つであり、中世から続く巡礼路「サンティアゴの道(El Camino de Santiago)」の終着地点でもあるサンティアゴ・デ・コンポステーラに行ってきました。



この都市の起源は非常に古く、今から1000年以上も昔に遡ります。当時、イベリア半島で布教活動をしていたのがキリスト教12使徒の一人、ゼベダイの子ヤコブ。彼は6年間の布教活動の後、イスラエルに戻ったもののヘロデ王によって直ぐさま捕らえられ斬首刑。首を刎ねられた遺体は、弟子達によってこっそりとスペイン北西部ガリシア州のフィステーラ(Fisterra)に運ばれ、現在のサンティアゴ・デ・コンポステーラが位置する土地に紀元1世紀半頃に埋葬されたという伝説が残っているんですね。



長い間忘れられていたそのお墓が再び発見されたのが9世紀初頭の事。奇しくもスペインはその時代、レコンキスタの真っ最中であり、聖ヤコブはイスラム教勢と闘っていたキリスト教勢を守護するシンボルとして熱狂的に崇められました。現在我々が見ているサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂というのは、元々は、発見されたヤコブの遺骨を祭る為に建てられた小さなものだったんだけど、それが世紀を超えて増改築が繰り返された結果、遂には西方カトリック世界における代表的な巡礼地に相応しい大聖堂になったと、そういう経緯が存在します(大聖堂については次回のエントリで詳しく書く事にします)。

さて、僕が今回(正に巡礼者の如く(笑))この地に再び赴いた理由は主に3つ。

1つ目は上述のサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂と、その周辺状況を調査する為です。と言うのも約一年前、人類の至宝とも言うべきカリクストゥス写本(Codex Calixtinus)が大聖堂から盗み出され、それ以来、その事件の動向には常に注目してきた事もあって、現在どういう状況になっているのか非常に関心があったからなんですね(詳しくはコチラ:地中海ブログ:サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂から12世紀に記されたカリクストゥスの写本(Codex Calixtinus)盗まれる!、地中海ブログ:スペインの石川五右衛門こと、伝説的な大泥棒のインタビュー記事:サンティアゴ大聖堂から盗まれたカリクストゥス写本について、地中海ブログ:サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂から盗まれたカリクストゥス写本(Codex Calixtinus)発見!)。そして2つ目の目的がコチラ:



ピーター・アイゼンマンが手掛けたガリシア文化都市(Cidade da Cultura de Galicia)を訪れ、その空間を実際に体験してみたかったからです。この建築、去年来た時は未だ完成してなくて図書館とカフェくらいしか見る事が出来なかったんだけど、「流石に1年も経ったら完成してるだろう」と言う事で再訪したんだけど、丘を登っていくと何やら悪い予感が‥‥。



あ、あれ、クレーンとかが未だ動いてる‥‥。そうなんです!何とこの建築、予想に反して未だ工事中だったんですね!って言うか、緊縮財政で医療、教育分野でさえ予算が全く無いって言う状況の中、こんなバカでかい建築、本当に完成するのかー?何てったって、バブル絶頂期にガリシア地方で圧倒的な権力を握り続けたガリシア州政府フラガ大統領の個人的な要求から構想された「ピラミッド計画=墳墓」ですからね(フランコ政権時代からの大物政治家、フラガ氏についてはコチラ:地中海ブログ:スペイン語の難しさに見るスペインの多様性:ガリシア語とカステリャーノ語)。



でも、まあ折角来たんだからという事で一応中に入ってみたんだけど‥‥ハッキリ言ってコメントする事は何も無いかな(悲)。「良い建築を知る為には悪い建築も見ないといけない」という意味においてココに来た事も無駄では無かったかなとは思うんだけど‥‥。この巨大な建造物に関しては去年のエントリで書いたので、興味のある方はそちらを見て頂ければと思います(地中海ブログ:ガリシア旅行その5:ピーター・アイゼンマン(Peter Eisenman)のガリシア文化都市(Cidade da Cultura de Galicia):スケボーするには画期的な建築)。

で、気分を取り直して、今回の旅の3つ目の目的地へGO!それがコチラです:



アルヴァロ・シザの傑作中の傑作、ガリシア美術センターの登場〜。この建築を訪れるのは今回で5回目くらいなんだけど、いつ来てもその空間は輝きを増すばかり!ここに展開されてる空間構成こそ「知的ゲーム」と呼ぶに相応しいものだと思います。



この建築に展開する空間構成や視線操作の妙などについては、去年来た際に書いたエントリで書き尽くしたので、興味のある方はそちらをご覧ください(地中海ブログ:ガリシア旅行その6:アルヴァロ・シザの建築:ガリシア美術センター(Centro Gallego de Arte Contemporaneo):複雑な空間構成の中に隠された驚く程シンプルな原理)。一年経った現在、もう一度この建築を訪れてみた僕の感想は、基本的にその時と変わりません。今日はココに来て気が付いた事を補足的に少しだけ。



何度も繰り返すのですが、シザ建築の特徴の1つはパースペクティブ的空間にあります。そしてその効果が「これでもか!」と見える建築、それがこのガリシア美術センターなんですね。例えばコチラ:



元々この敷地に存在していたSan Domingos de Bonava修道院との関係性を注意深く吟味した上で決められた配置計画、これがこの建築の全てだと言っても過言ではありません。



修道院との間に創られる2つの線が織りなすパースペクティブ的空間と、それらの線が向かう先にある消失点。これらの線が、外観だけでなく内部空間までをも規定し、素晴らしい空間構成を実現している起源なのです。今回は以前のエントリでは紹介出来なかったパースペクティブ的空間を創り出しているテクニックを1つだけ紹介しておきます:



正面ファサードに付いてるスロープと開口なんだけど、良―く見ると、その開口が手前から奥に行くに従って斜めになっている事に気が付くかと思います。もう少し近寄って見ます:



上の写真は手前側の開口が始まる部分。そして下の写真は奥の方の開口が終わる部分なんだけど、あちら側とこちら側とでは開口の高さが明らかに違うのが見て取れるか思います。



つまり直線を斜めにする事によって、一方向から見たパースペクティブを強調しているんですね。僕がシザの建築について「パースペクティブ的空間」という言葉で表そうとしているのは、何も観念的な難しい事ではなくて、この様な身体的なとても単純な事なのです。しかしこの様な誰にでも分かる単純な操作が、大変ドラマチックな視覚的効果を生み出すという事を我々は学ぶべきだと思います。

で、今回、僕がこの部分をそれこそ舐め回す様に観察していたら、それを見ていた警備員のおじさんが近寄って来てこんな裏話を教えてくれました:



「君、君、この建築に興味があるみたいだね。私はこの美術センターが出来た時からここで働いてるんだけど、当初このスロープに手摺は付いてなかったんだよ。この美術館が完成して数ヶ月した頃だったかなー、アロヴァロ・シザがここへやって来て、来館者の人達がこのスロープの途中から「ひょい」と飛び越えていくのを見て彼は大変機嫌を悪くしてねー。どうやら彼の当初の意図としては、このスロープを最後まで歩いて行ってもらい、そこから振り返り様にこの建築を見て欲しかったみたいだよ。だから彼はここに手摺を付けて、来館者が途中からスロープを昇れない様にしたのさ」



警備員のおじさんとは約10分程度話していたので、もっと色んな事を教えて貰ったんだけど、要点を掻い摘むとこんな感じになるかと思います。

コレです!こういう、書籍には絶対に現れてこない話、現地に来ないと絶対に分からない裏話などに、実はシザ建築の謎を解く鍵が眠っていたりするのです!

全く予想もしなかった裏話が聞けて、ルンルン気分で中へ入って行った所、今回の訪問で初めて気が付いた事がありました。多分それは先週行ったシザの真っ白な教会こと、マルコ・デ・カナヴェーゼス教会の知られざる地下聖堂に入る事が出来たのが大きかったと思うのですが‥‥(地中海ブログ:アルヴァロ・シザの建築:マルコ・デ・カナヴェーゼス教会の知られざる地下空間:真っ白な空間と真っ黒な空間)。



上の写真は展示室への入り口を潜った所に展開する素晴らしいレセプションの風景なのですが、手前側には天井に斜めの線のパースが付いた低くなった空間が存在するのが分かるかと思います。その反対に、その向こう側には下の写真の様な2層吹き抜けの空間が創られていて、その上方には明かり取りの為の大きな大きな窓が付いているんですね。



そう、ここでシザが試みている事、それは入り口を入った所からは光源を見えなくしつつ、そこから零れ落ちる柔らかい光やその光源の具合によって不思議に変化する光の空間を試しているんですよ!(写真ではかなり分かりづらい。と言うか、この空間の質は写真では捉えられないと思う)



これはまるで、先日見たマルコ教会の真っ正面に付いていた2つの不思議な長方形の窓と、そこから見える光の効果の様ですらあります。と言うか、ここへ来てあの時の光の効果を思い出したと言った方が正確かな。



そしてシザの十八番、床と家具を連続させるデザインにも注目。シザの建築においては何処からが家具で、何処からが建築なのかがかなり曖昧なんですね。もっと言っちゃうと、「その2つの間を行ったり来たりしている」という点が、彼の建築の魅力の1つでもあるかなと、そう思います。



この真っ白で透明な空間。この空間に漏れるあの不思議な光。過去と現在を結び付ける軸線による空間構成‥‥。ここに来ると何故アルヴァロ・シザという建築家が現代最高の建築家の一人と言われるのか、その理由がイヤという程分かります。そしてここに展開されている空間は決して写真では捉える事が出来ない質を伴ったものであり、実際にここを訪れる事でしか体験し得ないものだと確信します。

それこそ、建築の怖さでもあり面白さでもあるのです。
| 旅行記:建築 | 03:40 | comments(4) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
アルヴァロ・シザの建築:アヴェイロ大学図書館(Biblioteca Universidade de Aveiro)
「人間こそ人間にとって最も興味あるものであり、おそらく人間のみが人間に興味を感じさせるものであろう」ゲーテ
“Man is ever the most interesting object to man, and perhaps should be the only one that interests” (Goethe, 1796 p64)

ポルトから電車で1時間ほどの所にある町、アヴェイロ(Aveiro)に行ってきました。



電車でこの町にアプローチすると先ず目を惹かれるのがアヴェイロ旧駅舎を飾っている大変美しいアズレージョ。ポルトのサン・ベント駅もそうなんだけど、ポルトガルの駅舎には旅人を迎え入れ、又、旅立つ人を送り出してくれる大変素晴らしい空間が用意されているんですね。



町中へ出てみると、町のド真ん中を流れる運河に出会します。アヴェイロは「潟」の町として発展してきた事などから、「ポルトガルのヴェネツィア」と呼ばれる事もしばしばなんだとか。正直言って、それはちょっと言い過ぎかなと思うけど(笑)、町中に水辺の空間があるのは大変気持ちの良い事だと思います。で、今回僕がこの町に来た理由、それはアルヴァロ・シザが1995年に設計したアヴェイロ大学図書館を見る為なんですね。



鮮やかな橙色の壁がうねるその姿は、まるで海から吹く風にヒラヒラとなびいているかの様ですらあります。と言うか、多分シザはこの地に来た際、そんなイメージを膨らましたのでは?と思う程の湿地帯が目の前に広がっているんですね。こういう情報こそ、現地に来ないと絶対に分からない事であり、写真には決して写らない情報なのです。



この建築はシザの代表作の1つとしてあまりにも有名なんだけど、マルコ・デ・カナヴェーゼス教会(1989年)、ガリシア現代美術センター(1993年)、セトゥーバル教育大学(1993年)、セラルヴェス現代美術館(1997年)など次々と名作が竣工する、正にアルヴァロ・シザという建築家の黄金期に計画された事などから、彼の建築に対する基本的な考え方や方針を体現してくれている傑作だと個人的には思っています(シザの他の作品に付いてはコチラ:地中海ブログ:アルヴァロ・シザの建築:マルコ・デ・カナヴェーゼス教会の知られざる地下空間:真っ白な空間と真っ黒な空間、地中海ブログ:ガリシア旅行その6:アルヴァロ・シザの建築:ガリシア美術センター(Centro Gallego de Arte Contemporaneo):複雑な空間構成の中に隠された驚く程シンプルな原理、地中海ブログ:ガリシア旅行その8:アルヴァロ・シザの建築:セラルヴェス現代美術館(Museu de Arte Contemporanes, Fundacao de Serralves):人間の想像力/創造力とは)。

町の中心部から歩く事15分、見えてきました目指すべき建築が:



先ずはここがこの建築を見る1つ目のポイントだと思うんだけど、シザはこの建築に対するアプローチを建物に対して対角線上に配置しています。つまりここで既にシザ建築の1つの特徴であるパースペクティブ的空間が見られるという事なんですね。



そしてメインアプローチ側から見えるファサードの構成は、あくまでも直線を基本とする四角形の組み合わせに拘っているのが見て取れます。前面には気持ちの良い程の芝生空間が広がっているにも関わらず、この建築にはその風景を楽しむ為の前面ガラスどころか十分な窓すら見られないという事を(伏線として)ここで指摘しておいても良いかもしれません。



そんな事を思いつつ、言われるがままにアプローチ空間を歩いていくと現れてくるのがこの風景:



建物と建物のフレームによって切り取られた真っ青な空!‥‥実測した訳じゃないんだけど、ここで切り取られた空の高さと、マルコ・デ・カナヴェーゼス教会の扉の高さ、そしてポルトの市場の天井の高さが同じくらいだという事も指摘しておいても良いかもしれません。



この空を切り取っているフレームの全体像をちょっと離れた所から見てみると上の写真の様になってるんだけど、全てを跳ね返すかの様な頑強な壁が一層部分で少し跳ね返る事によって、まるで訪問者に「おいで、おいで」と言っているかの様です。フムフムと思いながらイヨイヨ中へと入って行きます。



入り口を入って少し歩を進めると、そこでは3層吹き抜けの空間が我々を出迎えてくれて、見上げると天空にぽっかりと空いた2つの穴が見えます。そう、既にここでクライマックス的空間の「チラ見」をさせ、そこに至るまでの期待感を膨らませているんですね。そしてこの空間を抜けると広がっているのがこの風景:



温もりのある木を基調とした落ち着いた感じの閲覧室と書架の並んでいる風景です。この木の色と材質、そしてそれらが醸し出す雰囲気が、真っ白の柱や天井と素晴らしいハーモニーを創出し、大変居心地の良い空間となっています。



注目すべきはこの書架のデザインかな。良―く見てみると、書架の高さが入り口などの開口と同じ高さになっている事に気が付くかと思います。素材は床材と一緒。そうする事で、書架を床からの連続として扱っているんですね。この空間の中で建築的な要素は柱しか存在していないかの様です。



一階部分の天井には大きな大きな四角形の2つの吹き抜けが設けられ、見上げればこの風景:



2階部分の天井に空いた吹き抜けを通して3階部分の水玉模様の丸い天窓が見えます。面白いのは1階部分と2階部分に空けられた吹き抜けの位置がズレてる事。これがどれくらいズレているかは2階から見ると分かり易いかなと思います:



ほらね、ズレてるでしょ?で、もっと面白いのは、この吹き抜けの周りに沿って閲覧席が設けられている事なんですね。



この閲覧席の配置のアイデアが、この図書館の1つの特徴となってると思うんだけど、と言うのもこの図書館では普通の図書館の様に、閲覧席が外の風景を眺める窓際に並べられているというよりは寧ろ、内側に向かって向き合う様に並べられているんですよ。



勿論、水平一直線に切り取られた窓は存在して、その窓に沿って閲覧席も設けられている事は設けられてるんだけど、そこから見える風景は「歓迎されている」と言うよりは「抑圧されている」、もしくは「制限されている」と言った方が良い様な気がします。



これをどう読むのか?つまりここにおけるシザの意図とは一体何なのか?

その答えの1つが、以前のエントリで訳したシザのインタビュー記事の中に垣間見られる気がします。その中で彼はこんな事を言っているんですね:

R:シザ
Q:インタビュアー

R: その通りです。しかし又、別の事も学びましたけどね。小さい時の経験は、住居とその外部との関係性について考えさせてくれたのです。祖父母の家で療養して いる期間は外に出る事が厳しく禁止されていました。2ヶ月もの間、ずっと家の中に居なくてはならず、その間、殆ど毎日の様に窓から外を眺めていたのです。 と言うか、それしかする事が無かったのです。
R: Sí, pero también hay otros aprendizajes. Esa de niño fue una experiencia que me hizo pensar la casa y su relación con el exterior. Yo no estaba autorizado para salir. Tuve que permanecer encerrado dos meses, y eso me obligó a mirar por la ventana.

Q: どんな病気だったのですか?
Q: ¿Qué enfermedad tenía?

R: 当時の子供がみんな患ってた病気でした。結核の前症状の様なものです。当時は未だ効果的な治療薬が無く、最善且つ唯一の治療法と言えば絶対的な安静でした。だから小さな,本当に小さな村に移り住む事になってしまったのです。家の中は窮屈だったので、新鮮な空気を吸う為にベランダへ良く出て行ったものです。そこからは本当に美しい景色が見えました。「開発されていない」という事は、「美しい風景が保持されている」という事と同義語です。その村は小さな農村で、建築が風景を創っていました。だからこそ、風景はキラキラと輝いていたのです。それらは本当に息を呑むほど美しかったのですが、15日間の療養中、四六時中見ていたものですから、何時しかそれらの風景は私の中に入り込み、私の心を一杯にしてしまいました。その時の経験が、後の私の作品に大きなガラス 窓を創り出す事を避けさせたり、断片的な開放部を意識的に設けたりする事を好むようにしたのだと思います。
R: Yo tenía, todos teníamos entonces, una “primera infección”, la antesala de la tuberculosis. Todavía no había antibióticos y la única posibilidad de recuperación era el reposo absoluto. Total, que estaba en un pueblo muy pequeño. Y me acercaba a la terraza para tomar aire. Desde allí se veía un paisaje maravilloso. La falta de desarrollo se traducía allí en la falta de deterioro del paisaje. El pueblo era un pueblo agrícola, y es la arquitectura la que hace el paisaje. Por tanto , el paisaje era precioso. Pero, a pesar de eso, tras 15 días de reposo ya no soportaba verlo. Por eso, años después, evité la tentación de crear una gran cristalera con una gran vista y preferí orientar las aberturas de una forma intencionada, pedazo a pedazo.

Q: クライアントは大きな窓を欲しがるのではないのでしょうか?小さな窓を創る事を理解しますか?
Q: ¿Los clientes lo entienden?

R: 文句を言う人が多いですね。「美しい風景の前では、それらを見渡す展望台を創るべきだ」と、そう考えているのです。その様な時、私は何時もこう答えます: 「それは違う」と。「美しい風景を見続ける事は人間を心から疲れさせるだけだ」と。風景を望む事は「押し付け」になるべきではなく、それを見るかどうかと 言う「選択肢」であるべきなのです。
R: Protestan. Frente a un gran paisaje creen que hay que hacer un gran mirador. Y yo les contesto que no, porque cansa. El paisaje no debe ser una imposición permanente, debe ser una elección.
(地中海ブログ:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)のインタビュー記事:シザ建築の特徴は一体何処からきたのか?

そう、シザはここでハッキリと「美しい風景を見続ける事は人間の心を疲れさせるだけだ」と、そう言ってる訳ですよ!そしてこの独特の姿勢こそが、シザの建築を希有なものにしている根源であり、このアヴェイロ図書館ではその基本的方針を鮮明に見る事が出来るのです。つまり彼の関心は、外に広がる自然にではなく、人間自身に向かっていると、そういう事が出来るんじゃないのかな?

さて、そんな事を考えつつ、イヨイヨこの建築のクライマックス的空間である3階へと上っていきます。そこに広がっているのがこの風景:



圧巻の丸天井のアンサンブル!これこそ正にてんとう虫のサンバ(笑)。で、ここからが面白い所なんだけど、このてんとう虫のサンバ、よーく見てみると、天井面がフラットではない事に気が付くんですね。



ほら、ちょっと丸みを帯びてるでしょ?



ちなみに1つ1つの丸天井はこんな感じで結構奥行きが深く出来ていて照明が取り付けられています。多分夜になるとこの照明が光って、この穴が光る筒になると、そういう事なんでしょうね。

「外に開くというよりは内側に開かれている」、この建築の内部空間を堪能した後は外に出てみます。先程入って来た入り口を出て、来た方向とは反対へ曲がってみるとそこに広がっているのが、この建築一番の見所であり、最もドラマチックなこの風景です:



じゃーん、うねる壁!!



前回のエントリで書いた教会と同様に、この図書館もその鮮やかな橙色が、真っ青な空に凄く映えるなー。



シザの建築には至る所にアアルトの影響が見られ、ヘルシンキにあるアカデミア図書館(アアルトが設計した本屋さん)なんかはポルト大学の図書館の元ネタになってたりするんだけど(地中海ブログ:Alvar Aalto (アルヴァ・アールト)の建築:国民年金協会とアカデミア図書館)、このアヴェイロ図書館もアアルトのMIT宿舎の影響なんかが見て取れます。



って言っても、その様なアイデアが何処から来たかという事はさほど重要じゃなくって、その様な元ネタが、ある時に「ふっ」とシザの空間に変換させられている、そっちの方がよっぽど重要な事だと思います。大体創作の基本は模倣ですからね。だから「あ、これはアアルトのコピーだ」とか、「あ、ここにはライトの影響が見える」とか、そういう指摘をして思考を終わらせていたら、それこそシザ建築の本質を見失ってしまう様な気がする訳ですよ!



あー、又脱線してしまった‥‥。で、実は今回この建築を訪れるのは10年振りくらいだったんだけど、個人的に驚いたのはコチラです:



圧倒的な見所であるコチラ側のファサードの目の前に駐車場が出来てるー!何処から見ても正面ファサードに車の姿が映り込んでしまい、ちょっと不満(悲)。「あ、あれ、昔はこんな駐車場無かったのになー」と少し文句を言ってみる。



このファサードは角度を付けて見ると、カーブが絶妙に重なり合って非常にカッコイイ風景が姿を表すんだけど、それを真正面から見ると、ビヨーンと真横に間延びした形になって、それがこのポルトガルという地のゆったり感を醸し出しているかの様で、それはそれでナカナカ秀逸な表象だなと思います。そして振り返るとこの風景:



そう、この建築は湿原のド真ん前という、見方によっては最高に眺めの良い敷地に立っているんですね。にも拘らず、上述した様にファサードにガラス窓はあまり見られず、建築空間が内側に向かっている訳ですよ。近くへ寄ってみると、この点がより明らかになると思うんだけど、実はこの建築、ハリボテ建築なんですよね。



躯体から数メートル離した所にわざわざファサードを持ってきて、それによって先程のクネクネを創り出している事が分かるかと思います。



外観に関しては非常に巧みな視線操作が行われ、シザはこのクネクネを如何にドラマチックに見せるかという事に全てを集中させ、それを効果的に見せる為に、わざわざ反対側のファサードを直線と四角形で構成しています。つまり、メインアプローチをわざわざ反対側に設定し、ここを訪れる人々に「直線によるカクカク」という感覚を植え付けておきつつ、最後に「曲線によるクネクネ」を見せると言う物語を創り出しているんですね。

繰り返しますが、この建築にはシザ建築に共通して見られる3つの特徴、パースペクティブ的空間、天井操作、そして物語的空間展開だけでなく、シザの幼少の頃の体験が元になった空間構成が非常に明確に見える作品となっていると思います。

ポルトからは電車で1時間と、それ程遠くない町ですし、是非訪れて欲しい建築の1つです。

おまけ:

この町に朝着いて、シザの建築を見ていたらお昼になってしまったのでレストランを探していたのですが、町の中心広場の辺りで営業しているレストランは観光客狙いで値段はちょっと高め、料理もイマイチっぽい‥‥。と言う訳で、「大通りを一本中へ入った所で何処か良い所はないかな?」と探していたら、一件良さそうなお店が。



お店の雰囲気も良く、食べに来ているのは地元のビジネスマンと見られる人達ばかり。お昼の定食もあったんだけど、メニューを見るとポルトガル北部の代表的な料理、「アンコウの雑炊(arroz de tamboril)」があるじゃないですかー!



市場が真横にある事から、そこから買って来たと見られるプリプリの海老が「これでもか!」と入ってて、物凄く美味しかった!値段も結構安くて大満足!もしアヴェイロにシザの建築を見に行ったのなら、ここでランチして帰ってくるのも良いかもしれません。

Name: A Tasca do Confrade
Address: Rua dos Mamotos, 34, 3800-220, Aveiro
Tel: 234386381
Email: tasca.doconfrade@sapo.pt
| 旅行記:建築 | 18:28 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
アルヴァロ・シザの建築:マルコ・デ・カナヴェーゼス教会の知られざる地下空間:真っ白な空間と真っ黒な空間
ガリシア地方滞在を利用して、地理的にも文化圏的にも非常に深い関係にあるポルトガル北部の都市、ポルト(Oporto)へ来てみました。



秋口から春先に掛けてまるで梅雨の様に雨が降りまくるポルトガル北部では、その期間中は晴れの日が非常に少なく、ともすれば1ヶ月間太陽がお目見えしない事なんてざらなんですね。更に海から吹き付ける強烈な大西洋風によって、雨が真横から叩き付けられる様に降ってくる為に、傘で防ぐ事はほぼ不可能。結果、毎日の様にズボンや服がビシャビシャになり、それこそ「不快感度数150%」という日々が続きます。



そんな暗黒期間(笑)を経た上で迎えるハイシーズンにおいては、それまでの数ヶ月間に溜まりに溜まった鬱憤を一気に晴らすかの様な素晴らしい風景がこの都市に姿を現します。それはまるで都市全体で夏の到来を喜んでいるかの様な、そんな幸せな光景があちらこちらで垣間見られます。



世界遺産に登録され、魔女の宅急便のモデル都市になったと言われているこの美しい風景こそ、この地に暮らす人々が心の底から誇りにしている財産であり、彼らの生活の質の高さを表しているかの様ですらあります。そしてそんな彼らのもう1つの誇り、子供からお年寄りまで誰もが知っているこの街のヒーロー、その人こそローカルな土地を基盤にしながらグローバルに活動を展開している建築家、アルヴァロ・シザという人なのです。



ポルトガルに着いた初日、世界で最も美しい教会の1つと僕が(勝手に)思ってる真っ白な教会こと、マルコ・デ・カナヴェーゼス教会を見に行ってきました。この教会を見るなら午前中、欲を言うなら気持ちの良いほど空が晴れ渡っている日の10時前くらいがベストかなと、そう思います。何故なら東から昇ってきたお日様の光がこの教会の真っ正面に当たり、青い空を背景に、真っ白なその躯体をより一層美しく見せてくれるからです。



優れた造形力を有する建築家というのは、それまでは美しいと思いもしなかった形や側面を提示する事によって、「あ、あれ、この形って実は結構美しいんじゃないの?」と我々に再発見させてくれる事がしばしばです。



僕が考えるシザ建築の魅力の1つというのは実はそこにあって、例えば上の様な形態なんて、ありがちかもしれないんだけど、シザが提示するまではそれほど魅力的な形だとは思われてなかったと思うんですよね。でも、このヘンテコな形態が朝日に照らされ、真っ青な空に映し出されると、思いもよらなかった魅力を醸し出し始めるから不思議です。そしてこの様なアクロバッティブな形態操作を成り立たせているのがこちら:



ともすれば見落としてしまいがちなんだけど、きちんとデザインされている細部です。これは何も「神は細部に宿る」とか、そういう難しい事を言おうとしているんじゃなくて、こういう基本的なデザインがキチンと処理されている、その上でアクロバッティブなデザインがされていると、そう言いたいだけです。例えば上の例で言うと、この橙色の石を半円形の所でスパッと終わらせるんじゃなくて、正面の長方形の側までホンの少しだけ回りこませる事によって自然にデザインを終わらせています。長さにしてほんの数センチの出っ張り、そんな小さな差が、これ以上は無いという大きな大きなデザインの質の差として機能するのです。同様の事がコチラにも見られます:



正方形のガラス面と先程の橙色の壁が、コレ又大変見事に切り返され且つ連続しているのが見て取れるかと思います。派手じゃないんだけど、こういう所がしっかりと処理されているからこそアクロバッティブなデザインが生きてくるのです。って言うかこういう基礎的な所が無かったら、それは単なる形態遊び、もしくは「ギャー、ギャー騒いでるだけ」のうるさいデザインで終わってしまいますからね。



ここで繰り返す事は敢えてしないけど、僕はシザの建築こそ「能のデザイン」であり「静のデザイン」だと思っています。つまり毎回違う事をやって観客を喜ばせるのではなく、一見同じなんだけどチョットだけ細部を変える事によって観客の見る眼を試す差異化によるデザイン(地中海ブログ:歩いても、歩いても(是枝裕和監督):伝統と革新、慣習と感情の間で:リアリズムを通して鑑賞者の眼が問われています)。



そんな魅力溢れるシザのデザインは見れば見るほど新たなる発見があり、それこそ教会の周りをぐるぐる回ってるだけで半日くらいは簡単に過ぎていってしまうんですね。ちなみに今年は20週くらいした所で司教さんとの待ち合わせ時間になってしまったので、向かいにあるコミュニティセンターのベルを押して司教さんを呼び出し、教会の鍵を開けてもらい中へ入らせてもらいました。



側面にそっと備え付けられている小さく控え目な入り口を入ると、そこからは温もりのある木製の椅子達が大変行儀良く並んでいるのが見えます。それを眺めつつ入り口を潜ると眼に飛び込んでくるのがこの風景です:



圧巻の真っ白な空間の登場〜。この10年間、この教会には何十回と来ているのですが、いつ来てもこの空間が醸し出している気持ちの良さに変わりはありません。



「何時までもここに居たい」、心の底からそう思わせてくれる空間がここには在ります。この内部空間の素晴らしさについては以前のエントリで十分に書いたので興味のある人にはそちらを見て頂く事として(地中海ブログ:ガリシア旅行その9:アルヴァロ・シザの建築:マルコ・デ・カナヴェーゼス教会(Igreja de Santa Maria do Marco de Canaveses):世界一美しいと思わせてくれる真っ白な教会)、今日のエントリでは1つだけ強調しておきたい点が。



これも繰り返し書いてきてる事なんだけど、シザ建築には幾つかの共通した特徴があって、それがシザの建築を「シザ足らしめている」と僕は思っています。手短に言うとそれは、1. パースペクティブ的空間、2. 天井操作、そして3. 物語的空間シークエンスの3つなんですね。



パースペクティブ的空間については、実際に彼の建築を訪れてみれば一発で分かると思うのですが、シザが創り出す空間には、見間違う事無いパースが付いています。



良く知られている様に、シザはスケッチを描きながら建築を創作していくのですが、そのスケッチの多くは右肩上がりのパースが付いている事で知られています。実はあのスケッチというのは、2次元という紙媒体に3次元の建築を表現する為に付いているのでは無く、「シザの頭の中では最初からパースが付いた建築が想像されているのでは?」というのが僕の持論です。ちなみに昔のシザは余り絵を描かなかったそうなんだけど、何故かというと、亡くなった奥さんの方が明らかに絵が上手かったので、自分の下手くそな絵を見られるのが恥ずかしかったからなのだとか(詳しくはコチラ:地中海ブログ:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)のインタビュー記事:シザ建築の特徴は一体何処からきたのか?)。

シザ建築2つ目の特徴は天井操作です。



ガリシア美術センターの展示室に取り付けられたテーブルを逆さにしたかの様な造形に始まり(地中海ブログ:ガリシア旅行その6:アルヴァロ・シザの建築:ガリシア美術センター(Centro Gallego de Arte Contemporaneo):複雑な空間構成の中に隠された驚く程シンプルな原理)、初期の銀行で見せた槙さんの風の丘の葬祭場を彷彿とさせる大胆な天井の切り取り方など、シザは空間を創る際、必ず天井操作を伴った構成をしてきました。そして最後の一点が物語的な空間シークエンスの展開なんだけど、こちらは書き出すと長くなり過ぎるので、興味のある方はこちらへどうぞ→(地中海ブログ:ガリシア旅行その7:アルヴァロ・シザの建築:ポルト大学建築学部:外内部空間に展開する遠近法的空間と、その物語について)。



で、ここまで書いてきて鋭い読者の方は気が付いたかも知れないんだけど、こういう観点で見るとマルコ・デ・カナヴェーゼス教会というのはそれら3つの特徴のどれも見られないんですね。



確かにパースは付いてるんだけど、それは前方の祭壇両側の四半円形が中心部に向かって流れ込んでいくという様な、他の建築構成で見せている一直線で分かり易いパースとは明らかに質が違います。



天井に関しては見るからにフラットで天井操作は全く無し。空間シーケンスについても、教会というビルディングタイプが要求している機能という側面もあるだろうけど、「起承転結」という様な一連の物語空間は見られません。



つまりこの建築はシザの代表作に見做される事が多いにも関わらず、実は一連のシザ建築作品の潮流からしたら、異色の存在という事が出来ると思う訳ですよ!

そしてもう一点、この教会について今まで全く語られてこなかった点、それがコチラ:



そ、そーなんです!実はこの教会にはその存在さえ全く知られていない、上の真っ白な教会堂と対をなすかの様に存在する、薄暗くひっそりと存在する地下空間があるんですね。



僕がこの空間の存在を知ったのは全くの偶然でした。あれは忘れもしない10年ほど前の事、日課の様に毎週1回この教会に来ていた時期があったのですが(当時は暇だったのです(笑))、その日に限って何やら教会堂の下の方がざわざわしてて、いつもとは雰囲気がちょっと違う‥‥。「な、なんだー?」と不思議に思い下階の方へ回ってみると、普段はしっかりと閉まっている扉が開いてるじゃないですかー!(普段この扉は下の写真の様に閉まっています)。



沢山の人達が出入りしていたので、僕もその人達に交じって恐る恐る中へ入ってみると、そこには思いもしなかった光景が広がっていました。薄暗い空間の中で、悲しみが辺りを包み込みながらお葬式が行われていたんですね。

夢にも思わなかった空間に出会った衝撃と、真っ白な教会堂との計り知れないギャップ、更に「お葬式」という特殊な状況下において、当時は写真を撮る事は勿論の事、あまりジロジロと見て回る事も出来ませんでした。それ以来この教会に来る度に、「もう一度あの空間に入りたい!」と望んではいたんだけど、その度に司教さんに「ダメー!」って断られるという押し問答の繰り返し(苦笑)。で、今回は教会堂を訪れる前日に電話で感触を確認し(笑)、更に訪れた当日に片言のポルトガル語で「とっても素敵な教会ですね。世界一美しい空間じゃないですか!‥‥あ、あのー、下に広がってるこの世のものとは思えない空間にも入りたいんですけど‥‥」とか言ってみたら、「お、君日本人なのにポルトガル語分かるのか?」と、ちょっと良い感触!「じゃあ、しょうがないなー」みたいな感じで入れてもらえる事に!こういう時、「現地の言葉が出来ると本当に得だよな!」と呟きつつガッツポーズ(笑)!



教会堂内部から地下へと続く秘密の扉は、十字架の脇にひっそりと隠れる様にしてありました。そこに備え付けられている階段を降りて行くと、先程までの真っ白な空間から段々と薄暗い空間へ移行していくのが手に取る様に分かります。



その階段を一番下まで降りると、左手側に何やら大きな空間が存在するのが暗示されます。



振り返ると10年前に開いていた扉がそこに!



更に歩を進め、左手側に曲がると目の前に広がるのがこの空間です:



先程までとは全く様相を異にする薄暗い空間が広がっているんですね。10年振りの再会!そう、僕があの時見たのは正にこの空間だった!!今回もう一度良く観察してみると、ここに展開されている空間は、先程上で見た空間とは全ての意味で対になっていると言う事が出来るかと思うんですね。



先ずは言うまでも無い事なんだけど、空間を支配している色が挙げられます。上は真っ白、下は真っ暗(写真では結構明るく写ってるけど、実際はかなり暗い)。



そしてこの空間の高さ。上の教会堂の天井が気持ちの良い程高いのに対して、コチラの空間は低く抑えられ、正にその事によって親密感を醸し出しています。先程見た扉も、上の教会堂に付いている扉とは大きさがまるで違います。



そしてですね、これら全てにおいて対をなしているかの様に見える2つの空間の謎を解く鍵がコチラです:



写真では分かり難いかも知れないんだけど、この写真はこの教会堂の真上から真下まで貫いている「光の井戸」と言っても過言ではない空間を撮った所です。一見「あれ、こんな所あったっけ?」って思うかも知れないけど、実はですね、この空間、外から見るとこの部分に当たるんですね:



そう、4分の1円形が切り取られ、その中央部にくっ付いてる長細い長方形がこの光の井戸の正体だったのです!そしてこの井戸に光を供給しているのが、正面上の方に付いている窓なんですね。この光の井戸、実は僕達が見慣れている教会堂にもその姿がお目見えしていたのですが、それがコチラです:



そう、祭壇中心部に開いている長方形の2つの穴、あそこから見える不思議な淡い光の正体が実はこの光の井戸だったんですよ!(この事は祭壇からこの長方形の穴を覗き込めば直ぐに分かる事なんだけど、祭壇というのは神聖な場所で普段は立ち入り禁止なので、この事を知っている人は少ないと予想されます)。そしてこの光の井戸を真下から見ると先程の風景となると、そういう構造になっていたのです!

では一体、この光の井戸は何を表しているのか?

ここからは僕の勝手な想像(と言うか解釈)でしかないんだけど、それは多分、天井から降り注いでくる光は天上界の光、そしてその光を2つの長方形の窓から見ている教会堂は僕達が生きている現世。そしてその光を底から見上げる風景は、正に地獄からの見上げの風景だと言う事は出来ないでしょうか?そんな事を考えていたら、この言葉が僕の心の中に沸き上がってきました:

「初めにみことばがあった。みことばは、神と共にあった。‥‥みことばの内に命があった。この命は人間の光であった。光は闇で輝いている。闇は光に打ち勝たなかった。‥‥すべての人を照らす真の光はこの世に来た」

‥‥と、勝手な想像を膨らませてるんだけど、1つだけ言える事、それは世界中のメディアに取り上げられ、真っ白な教会として知られているこのシザの教会は、実は白い空間だけで存在しているのではなく、その真下にある薄暗い空間と対になる事で「その存在の意味が見えてくる」という事だと思います。この地下空間の存在を知っているか知らないかで、上の教会堂を見る眼が全く変わってきますからね。



もう一度言います。あの真っ白い教会堂はそれだけで存在しているのでは無く、下の薄暗い空間と対になる事によって、この教会は増々その白い輝きを増していく事になるのです。

この教会に通い始めて10数年、回数にして多分50回以上は来たと思うんだけど、今日初めてこの教会の真の意味の片鱗がチラッと見えた気がしました。

シザ建築の奥は深い‥‥。故に僕はこんなにも彼の建築に惹かれるのかも知れない‥‥と思いつつ、今年もこの村を後にしました。
| 旅行記:建築 | 01:09 | comments(5) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂から盗まれたカリクストゥス写本(Codex Calixtinus)発見!
一昨日(7月4日)のお昼頃の事だったのですが、ビックニュースが飛び込んできました!約一年前にサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂から盗まれたお宝中のお宝、カリクストゥス写本が発見されたという、思ってもみなかった大変嬉しいニュースが舞い込んできたんですね。



実はその数時間前に「写本を盗んだとされる容疑者逮捕!」の速報がスペイン中を駆け巡り、「と言う事は写本も見つかったのか?」という淡い期待を齎したのですが、それも束の間、その時点では「犯人は逮捕したものの写本は見つからず‥‥既に売却済みか?」という失望感が関係者達の間を覆い始めていました。スペイン中がガックリと肩を落としている正にその時、容疑者宅のガレージを調べていた一人の捜査員がゴミ袋に包まれた写本を見つけ出し、即座に大聖堂側に本物かどうかの確認をしてもらった所、その真証性が確認されたという大ニュースが駆け巡ったと言う訳なんです。



先ずはこの事件の事を良く知らない人達の為に少し解説をしておくと、カリクストゥスの写本とは12世紀に描かれた「サンティアゴの道を歩く為のマニュアル本」で、世界で初めて書かれた旅のガイドブックの事なんですね。つまり元祖「地球の歩き方」という訳(笑)。



ちなみにこの写本が人類にとってどれほど価値があるものなのか?という事は、この事件が起こった当時、各国の新聞がこぞって記事にしたという事実に如実に現れていると思います。その中でもワシントンポストはプラド美術館の至宝、ラス・メニーナスと比較してこんな記事を載せていました:

計り知れない価値を持つカリクストゥス写本を警察が捜索
Busqueda policial de la obra de valor incalculable


ワシントンポストは、今回起こってしまった盗難の原因の捜索と、既に写本がスペインの国境を超えた場合を想定して、警察が国際的な警報を発した事を大々的に報じている。アメリカ合衆国の新聞は、今回の盗難はプラド美術館からベラスケスの代表作ラス・メニーナスが盗まれるのと同等に値する事件であり、写本に値 段を付ける事は不可能であると説明している。
El Washington Post resalto la investigacion policial a raiz del robo y la alerta internacional para tratar de localizerlo fuera de Espana, en el caso de que haya cruzado la frontera. El periodic norteamericano explica a sus lectores que la sustraccion equivale al hurto de Las meninas del Museo del Prado y que es imposible ponerle precio al codice.


そんなお宝中のお宝がサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂の宝物庫から消えている事が発覚したのが去年の7月5日の午前中の事。その日の午前・午後を通して関係者達が全員で大聖堂内を探しまくったんだけど結局見つからず‥‥。仕方が無いので大聖堂側が警察に通報したのがその日の夕方頃で、その1時間後には大事件として大々的にスペイン中に報道される事になったと、まあ、そんな訳なんです(地中海ブログ:サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂から12世紀に記されたカリクストゥスの写本(Codex Calixtinus)盗まれる!)。



偶然にも去年の今頃、僕は夏のバカンスの真っ最中で1ヶ月ほどガリシア地方に滞在していました。つまり恵まれた大地の中で美味しいタコと白ワインを嗜みながら毎日を暮らしているガリシア人達の間に走った衝撃をリアルタイムで実感しちゃったという訳なんですね。事件が起こった直後には「一体誰が犯人なのか?」は勿論の事、何の目的で、そして写本は一帯何処にあるのか?などについて様々な憶測が飛び交い、それが又、現場の混乱に拍車を掛けているかの様ですらあったかな。



ちなみに僕はその事件が起こった1週間後、所用でサンティアゴ・デ・コンポステーラ市を訪れる機会があったんだけど、市内へのアクセスは厳しく制限されていて、市内から出て行く車一台一台を厳しく検問していたり、街中では警官の姿が異様なほど見られたりと、普段とは一味も二味も違うサンティアゴ・デ・コンポステーラ市の姿を見る事が出来ました(地中海ブログ:ガリシア旅行その6:アルヴァロ・シザの建築:ガリシア美術センター(Centro Gallego de Arte Contemporaneo):複雑な空間構成の中に隠された驚く程シンプルな原理)。それら一連の騒動の中でも僕が度肝を抜かれたのがコチラです:



事件が発覚した明後日に新聞にデカデカと載っていた、スペインが誇る伝説的な大泥棒、Erik el Belgaさんのインタビュー記事なんですね(地中海ブログ:スペインの石川五右衛門こと、伝説的な大泥棒のインタビュー記事:サンティアゴ大聖堂から盗まれたカリクストゥス写本について)。実はスペインには日本で言う所の石川五右衛門こと、伝説の泥棒ちゃんが存在し、その彼が何かしら大きな事件が起こる度にメディアから意見を求められ、更に緊急時には警察にも協力するという、まるで漫画か映画の世界の様な事が行われている訳ですよ!勿論今回の事件が起こった直後にも各種メディアが彼の所に取材に行き、結構な頻度で新聞やテレビを賑わせていたのですが、その時に彼が繰り返し言っていた事がコチラです:

「スペインには写本の購入者はいません。そんなに多くの書籍コレクターや、 それ程の額を支払う事の出来るコレクターが存在しないのです。・・・思うのですが、もしかしたら、この写本の最終目的地は日本と言う可能性が高いのでは?と思います。日本は世界でも有数の書籍コレクターの所在地なので。」

そう、スペインには写本を購入出来る様なコレクターは存在しないと言う事、写本を盗むには内部に協力者が必要だと言う事、そしてもしかしたら写本は日本にあるのでは?という事を繰り返し示唆していました。

この様な有益な意見や国際的な警察の協力の下、様々な角度から捜査が続けられたにも関わらず、これと言った進展もなく一年が経過しようとしていた、正にそんな時に突然訪れた急展開、それが今回の容疑者の逮捕と、それに続く写本の発見だったのです。



昨日の新聞によると、犯人は25年間もの間、大聖堂で働いていた電気技師で、近年の経済危機の影響から大聖堂を解雇された事に腹を立て犯行に及んだと供述しているそうです。つまりは個人的な恨みから今回の犯行に及んだという事らしいんですね。どうやら大聖堂のトップが最近変わったらしく、その人との相性が悪かった事などから解雇を言い渡され、更に退職金を要求したんだけど、それも拒否され、現在は大聖堂を相手取って裁判中なんだとか。

大聖堂側は彼の名前をかなり早い時期から警察に告げていたらしく、警察は極秘裏に彼の事を調べていたそうです。と言うのも、事件後直ぐに警察が入手した防犯カメラの映像から、7月4日に彼らしき人物が何かしら大きな包みを持ちながら大聖堂の宝物庫から出て行く姿が確認されたそうなんですね。まあ、とは言っても決定的な証拠が無い事などから、逮捕や強制捜査に持ち込む事は出来ず、彼が写本を売る為にマフィアや売人に接触するその決定的瞬間を抑え、そして逮捕!というシナリオだったらしい。しかしながら予想に反して彼は何も行動を起こさず、故に昨日まで逮捕が持ち越しになっていたという様な趣旨の事が書かれていました。

更に更に彼の家に踏み込んだ際、カリクストゥス写本と一緒に出て来たのが、大聖堂から盗まれたと思われる数々の重要文化財級の写本や文書、そして1億2千万円相当にも上る現金と大聖堂の鍵だったそうです。

それら貴重な文書や鍵は、以前から教会の司教の人達が、「あれは何処かへいってしまった」だとか、「鍵は無くしてしまった」だとか言っていたものだったらしい。つまり今回の事件が明らかにした事、それは誰でも大聖堂に入れて、誰でも何でも盗む事が出来るという教会側のずさんな管理体制と言う訳。

そしてそれ以上に問題なのが彼の家から発見された大量の現金!それらのキャッシュは殆ど全て大聖堂から盗まれたものと見られていて、中には500ユーロ札などの新札も含まれていた事などから、「それらの現金は一体何処から来たのか?つまりは大聖堂はそれらの現金を何処から手に入れたのか?」など、今度は教会側の税金逃れや闇取り引きという今まではベールに包まれていた部分へメスが入るかもしれない可能性を匂わせています。

今回の劇的な写本発見事件は思わぬ方向へ展開していきそうな予感がするんだけど、それにしても人類のお宝が無傷で戻って来て良かった〜。先ずは一安心です。
| スペイン美術 | 20:43 | comments(4) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)の建築:バラニャ市民会館(Centro Civico de Hostalets de Balenya):内部空間編
昨日6月21日、バルセロナが生んだ20世紀を代表する建築家、エンリック・ミラージェス氏を記念するエンリック・ミラージェス財団(Fundacio Enric Miralles)の創設オープニングパーティーが行われました。



今回の財団創設そしてオープニングパーティーについては僕の所にも数日前から「お知らせ」みたいなものが届いてたんだけど、昨日は夕方から夜に掛けてどうしても外せない用事が入っていた為に泣く泣く断念する事に。夜20時から始まったセレモニーにはスペイン建築界の重鎮、ラファエロ・モネオ氏やオリオル・ボイーガス氏、はたまたハーバード大学建築学部からMohsen Mostafavi氏が駆け付けたりと、かなり盛大に行われた模様です。



建築家エンリック・ミラージェス氏については今更改めて紹介するまでもないとは思うんだけど、その圧倒的なデザイン力、空間力そして独特の造形性で一躍世界の建築シーンに躍り出たかと思いきや、45歳という若さで急死。奇しくも2000年という新しい世紀が幕を開けた、正にその年に突然他界してしまったんですね。



何度でも言いますが、今世紀初頭にバルセロナは偉大な建築家を2人、しかもほぼ同時に失ってしまいました。一人は実践面からグングンと頭角を現し、正に飛ぶ鳥をも落とす勢いだったエンリック・ミラージェス氏。そしてもう一人はヨーロッパを代表する建築史家であり理論家でもあったイグナシ・デ・ソラ・モラレス氏です。



「テラン・ヴァーグ」などのキーワードで知られているヨーロッパの知の巨人、イグナシ・デ・ソラ・モラレス氏については当ブログでは事ある毎に言及してきました(地中海ブログ:イグナシ・デ・ソラ・モラレス( Ignasi de Sola-Morales)とテラン・ヴァーグ(terrain vague))。日本においては、磯崎さんやピーター・アイゼンマンなどと一緒にコーディネートしていた「Any会議」という名前と共に知られているかなと思われます。何を隠そう彼こそ僕がヨーロッパに来る事になった直接のキッカケであり、僕は彼が創設したマスターコースに学んだ最後の世代だという事は繰り返し書いてきた通りです。(スペインのマスターコースの光と闇についてはコチラ:地中海ブログ:バルセロナに出来た新しい建築学校その2:Barcelona Institute of Architecture:バルセロナ建築スクールの諸問題)。

歴史に「もし」は無いけれど、もしも今、イグナシとミラージェスが生きていたならば、世界の建築潮流の中心地の一つは間違い無くバルセロナになっていた事でしょうね。



さて、前置きが長くなっちゃったんだけど、エンリック・ミラージェスという建築家は、アルヴァロ・シザと同様に、僕が現在において最大限評価する建築家の一人である事などから、昨日のオープニングには是非とも駆け付けたかったんだけど、上述した様にそれは無理な事が前々から分かっていたので、昨日は一人で勝手に彼の財団創設を祝う為、午前中の予定を全て開け、バルセロナから電車で1時間程の所にあるバラニャ市民会館(Centro Civico de Hostalets de Balenya)を訪れてきました。



ここに来るのは今回で3回目。一回目は2002年、未だ僕がバルセロナへ来て間もない頃の事。2回目は2008年、そして今回が3回目の訪問と言う訳です。実は昨日の帰り際、受付の人に「良かったら記帳ブックにコメント書いてってくれませんか?」って言われたのでそれをパラパラと見ていたら、何と2002年と2008年に訪れた時の僕のコメントが残っていてかなりビックリ!しかも久しぶりに自分の直筆を見たんだけど、これが酷いのなんのって(笑)。あ、あれ、一応僕、小学校くらいから毎週書道に通ってて、7−8段くらいの腕前だった様な気がするんだけど‥‥気のせいか?(苦笑)。

まあ、それは置いといて、それよりも何よりも、僕が圧倒的に驚いたのは、この建築の竣工(1992年)から現在に至るまでココを訪れてコメントを残していった日本人の数の少なさです。今まで約20年間にココを訪れた日本人は僕以外ではたったの1人!しかもその人は2002年に僕が一緒に連れて来た友人じゃないですかー!まあ、勿論この建築を訪れてコメントを残さず帰る人も多いとは思うので、今までにココに来た日本人が僕一人だけだとは決して言いませんが、確率的に見てもこの数字はちょっと少ないんじゃないのかな?



かの二川幸雄さんが25年程前にバルセロナを訪れられた際、未だ世界的には無名だったミラージェスのこの建設現場を訪問され、鉄骨だけが組み上がった状態を見て、「これは凄い建築だ!」と歓喜されたという伝説付きの作品なんですけどね。

多分日本人の皆さんの足が遠のいているのは、バルセロナからはちょっと遠いと言う事、更に「どうやって行ったら良いのか良く分からない」という点だと思います。この建築へのアクセスの仕方については以前のエントリで詳しく書いた通りです(地中海ブログ:エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)の建築その1:バラニャ市民会館(Centro Civico de Hostalets de Balenya):行き方)。上のエントリに載せてある情報は4年前のものなので今回最新情報をアップしようと思い、逐一確認しながら電車に乗ったり歩いたりしてきたのですが、基本的に殆ど変わってませんでした。変わっていた事と言えば、電車の本数が少しだけ増えていた事、そしてこの建築を訪れる事が出来る開館時間が月曜から金曜の午前9時から14時まで、午後は月曜日の17時から19時までとなっていた事くらいでしょうか(2012年6月21日現在)。その辺の事については上述のエントリの追記に随時アップしていきたいと思っています。



さて、僕がミラージェスの建築を評価する理由は幾つかあります。空間的なデザイン力や造形力は勿論なんだけど、それ以上に僕が彼の建築を素晴らしいと思う理由、それは彼の建築がスペインという国の社会文化を表象していると思うからなんですね。



建築は表象文化です。その建築が建つ土地に住んでいる人々や社会、そこから生まれ出た文化や価値観を一撃の下に表象する行為、我々はそれを建築と呼んできたのです。もっと言っちゃうと、建築とは個人的な感情よりも集団的な価値観を、悲しみよりも喜びを表象するのに大変適した芸術形式だと思います。槙文彦さんはその事をこんな風に表現されています:

「建築というのはその時代に生きた人々が潜在下で感じていながらもナカナカ形に出来なかったものを一撃の下に表す行為である」

僕がアルヴァロ・シザの建築を評価する理由も全く同じで、彼の建築が素晴らしいのは、空間的な質、デザイン的な処理の上手さに加えて、彼の建築がポルトガルという国の社会文化を表象している所にあるんですね。



そう、あの真っ白でノビノビとした建築は、時間が非常にゆっくりと進み、大変のんびりとしたポルトガルという国を表象しているかの様なのです。僕はこの事を理解するまでに1年弱という歳月を要しました。



その間、実際にポルトガルに住み、ポルトガル人と同じ生活をし、彼らと同じ言葉をしゃべり、毎日の様にシザの建築を見に行く事で漸く(少しだけ)理解する事が出来た建築と社会文化の関係性です。ポルトという地の社会文化に親しみ、実際に生活したからこそ、その地における人々の生き方、その地では子供から大人まで誰でもアルヴァロ・シザという建築家の事を知っていて、「シザという人はポルトでは自分達の街のシンボルを創ってくれるヒーローなのだ」という人々の思いを発見し、正にその事を通して本来の建築家の姿というものを垣間みる事が出来たんですね(地中海ブログ:アルヴァロ・シザのインタビュー記事:シザ建築の特徴は一体何処から来たのか?)。



ミラージェスの建築にも全く同じ事が言えて、彼の建築はスペインという地に住む人々の底抜けない活力やエネルギー、失業率が50%を超えても決してへこたれない明るさ、ひいては「国が潰れるか潰れないか?」という瀬戸際でさえも「私はサッカーを見に行く」と、ポーランドへと旅立って行ったラホイ首相の楽観性なんかを、正に一撃の下に表していると思う訳ですよ!(地中海ブログ:ルーブル美術館の歩行者計画)。それはもしかしたら、毎朝のニュースでお天気お姉さんが、「今日は晴れです。明日も晴れ、明後日も晴れ、ずっと晴れです!」って言ってる、正にその事に見て取れるのかもしれません。フェルナンド・ブローデルなんかは地域の社会文化的特徴を決定している要因として天気の重要性を指摘してますしね。

 

ちなみに僕が毎朝見てるスペイン国営放送でお天気を伝えてくれるのがAna Belen Royちゃん。毎朝8時50分頃から始まるんだけど、この番組のメインキャスターはAna Ibanez Roldanちゃんで、9時から始まる「朝ご飯(Los Desayunos)」のメインキャスターはAna Pastorちゃん(地中海ブログ:スペインの美人すぎるニュースキャスターその2:アナ・パストール(Ana Pastor):現代スペイン最強の女子アナ)。つまりみんなAnaちゃん(笑)。だから毎朝どういう場面が展開されるかと言うと:

司会(Ana Ibanez)Ana(Belen)ちゃん、今日の天気はどうなっているのでしょうか?
お天気お姉さん(Ana Belen)よくぞ聞いてくれましたAna(Ibanez)ちゃん、日中は晴れ、気温は30度を超えると思います。さてAna(Pastor)ちゃん、この後9時からの番組の予告を伝えてください。
朝ご飯(Ana Pastor)おはようAna(Belen)ちゃん!今日の話題は緊縮財政についてです。

とか言うコントみたいな場面が毎朝繰り返される訳ですよ!(本当にどうでも良いスペインのマメ知識終わり)

さて、この建築に流れる造形的な物語と、そのデザインの方向性などについては以前のエントリで詳しく解説しました(地中海ブログ:エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)の建築その3:バラニャ市民会館(Centro Civico de Hostalets de Balenya)に見る建築の質:実際に建築を訪れる事の大切さ)。今回4年振りに訪れた感想は、以前のエントリで抱いた印象と大筋としては変わってないかな。外観のデザインについてのポイントだけ掻い摘んでおくと、先ずはコチラ:



ビシッと決まっているコチラからのパース。文句無くカッコイイ。ここにはロシアアヴァンギャルド、特にメルニコフからの影響が垣間見えるという事は以前のエントリで指摘した通りです(地中海ブログ:エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)の建築その2:バラニャ市民会館(Centro Civico de Hostalets de Balenya)に見る建築の質:社会文化の表象としての建築:ミラージェスの場合)。この部分を見ただけでもミラージェスの類希なる造形力が分かるというものなんだけど、どういう事かと言うと、下記の写真と比べて見るとその卓越振りが分かるかと思います:



大変印象的な鉄骨&屋根の線が3本平行に走っていますね。えっと、人間の目というのは地上から約150センチくらいの所に付いている為、ある一定方向から見るとパースが付いた様に見えて、本当は平行に走ってる線が傾いたり交わったりした結果、全く予想もしなかった造形が浮かび上がる事になります。その結果が上のパースな訳ですよ!こういう事がキチンと分かっていて、しかもキチンと形に出来ている建築家と言うのはそれ程多くは無いと思います。そしてもう一つのポイントがコチラ:



3つの線が重なり合い、それら各々の線が空を切り取ると同時に、螺旋を描く様に上昇感を創り出している場面です。この軒の終わり方の妙については、槙さんの東京体育館の重なり合う外郭線などを例に出して以前のエントリで解説した通りです。



そしてこの建築が神憑ってる点、それはこの様な大変トリッキーな外観が、非常にダイナミックに展開している内部空間からきているという点なんですね。つまり、内部に展開している空間が内側から膨らんできて、その膨らみが外観へと現れてきたかの様な、正にそんな内外部がピシッと一致した建築、それがこの建築を他の建築とは一味違うモノにしているという訳なんです。

実はですね、前々回来た時(2002年)は未だデジカメを持ってなくてマニュアルで写真を撮っていた為、そのデータが今は手元に無く、前回来た時(2008年)は運悪く展覧会の真っ最中でこの建築の一番の見所である天井のデザインが全く見えないという不運に見舞われてしまいました。と言う訳で今回は訪問前に電話で確認を入れた所、メインホールは特別何にも使ってないとの事。そんな訳でルンルン気分で体験してきた素晴らしい内部空間がコチラです:



大変ダイナミックに、恰も空間が上昇して行くかの様な、そんな「えも言われぬ空間」がココには存在しています。



す、素晴らしいの一言‥‥他に言葉が見当たりません‥‥。



どういう構造になっているかと言うと、一層分取られた直線が扇子を広げるかの様に段々とずれ込んでいく事によって上昇感を創り出しているという訳です。反対側から見てみます。先ずは一層部分から:



ほど良く押さえられた天井高。斜め方向に一直線に伸びた天井線が気持ち良い。そしてそこから歩を進めると2層目が姿を現してきます:



この線の交わり方!そして最後は3層目へ:





内側に倒れ込んできているガラスの壁がある事によって、この空間に「包み込む様な感じ」が醸し出されています。



もうお解りだと思いますが、3本の線に規定され生み出された螺旋の上昇空間は見事なまでに外側に膨れ上がり、それがそのまま外観となって現れている訳ですよ!



そして鋭い人なら、このミラージェスの空間にコルビジェとの類似性を見い出すかもしれません(地中海ブログ:パリ旅行その6:大小2つの螺旋状空間が展開する見事な住宅建築:サヴォワ邸(Villa Savoye, Le Corbusier)その1:全体の空間構成について)。コルビジェと空間シークエンスと言えばコロミーナであり、コロミーナはカタルーニャ工科大学でイグナシの下に学んでいた訳で、そこにはミラージェスも居て‥‥という話に展開していくんだけど、それは又今度。



それにしてもこの空間は本当に写真にとりずらい。と言うか、どれだけ写真に収めても、何枚ブロブに写真をアップしても、この空間の本質はナカナカ伝わらない気がする‥‥。そしてこの点こそがミラージェスの真意であり、この建築の本質なのかなー?と、そんな気がしてくるから不思議です。晩年ミラージェスはこんな事を言っていました:

「・・・これは、私の仕事の進め方のなかで、視覚は一番重要な事柄ではないという事実と関係があると思います。私のプロジェクトは単なる視覚以上のものに大きく依存しています。Studio Talk, 15人の建築家の物語、インタビュー二川由夫, P641

そう、これこそ我々が現地に行かねばならない理由であり、この建築が我々の五感を通してしか理解する事が出来ない類いのものになっている理由なのです。

この建築はバルセロナに来たら足を延ばしてでも絶対に見に行くべき作品の一つだと、僕にそう確信させる程の質を伴った傑作中の傑作だと思います。
| 建築 | 07:03 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
サスキア・サッセン(Saskia Sassen)のインタビュー記事:グローバルシティというアイデアは何処から来たのか?
ちょっと前の新聞(El Pais Semanal, 29 de Enero 2012)にサスキア・サッセンのインタビュー記事が載っていました。



最近僕が興味を惹かれるのは、「この人はどんな事を考えているのかな?」というアイデアのレベルではなく、「何故この人はこんな考え方をする様になったのかな?」という、その人の創造力の源泉に関する問題なんですね。



例えばアルヴァロ・シザの建築形態操作には、彼が子供の頃に受けた体験、特に大病を煩って祖父母の家に隔離されていた時に受けた体験が非常に色濃く彼の創造力に影響を与えているという事は以前のエントリで明らかにしたばかりです(地中海ブログ:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)のインタビュー記事:シザ建築の特徴は一体何処からきたのか?)。

そういう意味において、今回のサッセンのインタビュー(特に後半部分)は彼女の生い立ちや家族構成、小さい頃の体験なんかが非常によく描き出されていて、彼女の思考体系の源泉を知る手掛かりになるのでは?と思われます。と言うか、日曜日の朝にこのインタビュー記事をカフェで読んでて、「これって、結構画期的な事が書いてあるじゃん!」と、穏やかにコーヒーを飲んでいるカタラン人達の間で思わず「おおっ」とか驚きの声を上げてしまった程、強く心に残るインタビューだと思います(笑)。特にこの部分なんて凄い告白だと思う:

「‥‥えっとですね、私の父はジャーナリストで、祖父は南オランダに位置する小さく美しい街、スヘルトーヘンボスの市長を勤めていました。‥‥(中略)‥‥祖父はそれ以外の事ではナチスに協力し、その為に戦争終結後、刑務所へ送られる事になってしまったのです。私の父はというと、ジャーナリストとしてナチス側にいたのです‥‥やめましょう、このテーマは‥‥」(サッセンの発言:このインタビュー記事の後半部分、グローバルシティの写真のある辺り)

13歳から既に共産主義に傾倒し、世界中を転々としてきた彼女だからこそ、グローバルシティという秀逸なアイデアが出て来たのかな?と、そう思ってしまいます。この分野に関心のある人ならのめり込む事間違い無し!是非ご堪能あれ!

以下の訳文はEl Pais Semanal紙(1月29日(2012))のp28-30に載った文の全訳です。

Q=インタビューアーの質問
R=サスキア・サッセンの回答
黒字=訳者メモ

Q: その昔、都市経済は人々の事を「消費者」として評価していました。しかしいつの間にかその同じ都市経済がそれらの人々を排除する方向へと態度を変えてしまった様に思われます。都市に人が溢れすぎた事が原因なのでしょうか?
Q; ¿La economía urbana ha pasado de valorar a las personas como consumidores a tratar de expulsarlas porque sobran?

R: そうですね、都市における排除のプロセスは世界中で起こっている現象だと言う事を先ずは申し上げておきたいと思います。更に言うと、その様な排除という現象は何も都市部だけで起こっている事ではなく、田舎でも同様の事が起こっていると言う事も付け加えておいて良いかもしれません。何故かというと、土地を買収すると、その土地を耕しそこで生活していた人々が必要なくなり、人が余ってしまうという現象が起こるからなのです。 さて、第二次世界大戦以後、我々は4つの異なる時代区分を体験してきた訳なのですが、現況では、都市中心部に中流階級が暮らせる家や、商店など小さな店舗は入ってこれない状況となってきています。そんな世の中において、中流階級は非常に多くのものを失ってしまったのです。それは彼ら(中流階級)が歴史的に保持してきた権力であり、権限であり、権利であり、未来における可能性なのです。フランスやアメリカ、そしてイギリスなど非常に発展した国々において、中流階級は疲弊し、世代が増すごとにどんどん貧しくなっていっています。新しい世代になればなるほど正式な教育を受ける機会が減少し、収入も親の世代に比べ少なくなり、ひいてはマイホームを購入する機会すら減ってきているのです。この様な現象こそ、国民一人一人の人生設計を阻害するプロセスであり、排除のプロセスという事が出来るのです。
R: Este proceso se da en muchos sitios. En el campo también, porque compran las tierras y sobran quienes las cuidaban. En la ciudad, los hogares y los comercios modestos quedan desplazados del centro. Además, en esta generación, la cuarta tras la Segunda Guerra Mundial, la clase media está perdiendo poder. Se está empobreciendo en países altamente desarrollados como Francia, EE UU y Reino Unido. La nueva generación adquiere menos educación formal, menos ingresos, y tiene menos posibilidades de comprar una casa. Eso es una especie de expulsión de un proyecto de vida.

Q: 我々は親から子へ、子から孫へと世代が進むにつれ社会も豊かになり、生活の質も向上すると、そう信じてきました。
Q: ¿Creíamos que cada generación avanzaría respecto a la anterior?

R: 社会が豊かになっていく事、親の世代よりも子の世代の方が質の高い暮らしを約束されていたという事は、世の中の誰しもが信じきた、ある種の社会信仰の様なものだったと思います。しかしですね、チリやアルゼンチンなどといった、未曾有の経済危機を体験し、そのシワ寄せが中流階級に降り掛かってきた国々においては、その様な直線的な進化の道筋は断ち切られてしまいました。
R: Parecía parte de un contrato social, pero esa trayectoria ha sido interrumpida en países como Chile o Argentina, donde fue brutal lo que le pasó a la clase media tras la crisis.

Q: 何故そんな事が起こってしまったのでしょうか?
Q: ¿Por qué ha sucedido?



R: 現在我々が生きている社会というのは、以前とは全く違うシステムの上に成り立っているからだという事が出来るかもしれません。一見このシステムは過去から脈々と続いてきたものの様に見えるかもしれませんが、実はそうではないんですね。金融というシステムは80年代に生まれ、そして90年代に定着した仕組みであり、それ以来、金融業界の論理が全ての経済分野に侵入し、彼ら(金融)の論理によって侵略を開始したのです。現在の世の中というのは、その時創られたシステムの上に構築されたものであり、我々は正にその中に生きる羽目になってしまったのです。 ここで最初の質問である、「こんな世の中においては一体何が変わってしまったのか?」という点に戻りたいと思うのですが、それをお話する為にはケインズ主義が旺盛だった時代にまで遡らなければなりません。その時代において経済のベースとなっていたのは大量生産、大量消費というパターンであり、その様な人々の生活スタイルに合わせ、郊外における大量の住宅建設と、それに伴う交通インフラの整備などが進められました。つまりは過去のシステムにおいては、消費という行為が非常に重要な位置を占めていたという事なのです。しかしですね、90年代に生み出された金融システムは、それまでとは全く違った新しい仕組みを創り出してしまったのです。それこそ大量消費を通過する事なく、何倍ものお金を生み出すというメカニズムだったのです。

R: Es un nuevo sistema. Parece una continuación del antiguo, pero no lo es. La lógica financiera ha invadido todos los sectores económicos. Hay una organización del sistema que nace en los años ochenta y se establece en los noventa. Hoy vivimos sus consecuencias. Y el cambio fundamental es que, en la época del keynesianismo, la base económica era la manufactura de masa y el consumo de masa: la construcción de espacios suburbanos de masa en las correspondientes carreteras e infraestructuras. Es decir, una serie de procesos económicos que implicaron que el consumo importara muchísimo. Hoy, el sistema financiero ha inventado modos de multiplicar la renta sin pasar por el consumo de masa.

Q: 郊外開発は今日においてビックビジネスへと変わってきています‥‥
Q: Construir suburbios se convirtió en un gran negocio…

R: 郊外に建てられる新しい住宅には、住宅自体だけでなく、その中に入る全てのもの(新しい冷蔵庫、新しいテレビ、新しい家具など)が新品という状態が想定されています。いわゆる3種の神器というやつですね。その事が(ポジティブではあるけれども)悪循環を生み出したのです。繰り返しますが、我々は消費に基づいたシステムの上に生きていました。例えそれが必要であれ不必要であれ、消費し続ける事は非常に重要な事柄だったのです。
R: Cada hogar suponía una nueva nevera, una nueva televisión, nuevos muebles… Todo nuevo. Se generó un ciclo vicioso positivo. Teníamos un sistema basado en el consumo. Fuera o no necesario, era vital seguir consumiendo.

Q: 現在の世の中はそうはなっていないのでしょうか?
Q: ¿Ya no es así?

R: その様な鎖は断ち切られてしまったのです。労働者の賃金はもはや消費を続ける事が困難なほど低くなってしまいましたし、大量の住宅建設が終焉した事によって、我々は以前とは全く違うサイクルの中に生きる事になってしまったのです。

R: Se ha roto la cadena. El salario del trabajador ya no hace posible mantener el consumo. Se ha roto la cadena, porque se ha terminado la construcción en masa. Ahora vivimos en un ciclo muy distinto.

Q: 都市に住みながらも消費行動が出来ない人達には一体何が起こるのでしょうか?
Q: ¿Qué sucede con la gente que vive en las ciudades y ya no puede consumir?



R: そうですね、それは社会的な不平等、もしくは社会的な排除といった様な問題だけには留まりません。勿論それらは既に存在しているのですが、それよりも何よりも、失業という問題が我々の社会にとって非常に重要な問題として勃興してきているのです。現在社会において、一度失業した人が再び平凡な日常を暮らしていく事は非常に難しくなってきています。例えばイギリスやアメリカでは刑務所に入っている囚人の数はココ数年で劇的に増え続けているのですが、それら多くの囚人というのは殺人を犯したという様な重犯罪者なのではなく、刑務所に入るべき類いの人達ではないのです。刑務所とはある意味、社会に適合出来なかった人間を収容するという、一つの「人間収容所」としての機能を担っているのですが、現代社会における囚人の激増は、仕事が無く雇用に有り付けないという事と全く無関係とは言えなくなってきているんですね。つまりは仕事が無いからこそ人々は軽犯罪に走り、そして刑務所に入るという悪循環が働いているのです。今の世の中において、一度犯罪者という烙印を押されてしまうと、一生、社会システムから排除された人間として生きていかなければならず、もう一度社会に復帰する事は非常に困難な状況となってきているのです。

R: No es solo un tema de desigualdad y exclusión social, aunque ambos existen. El nuevo elemento es que muchos de los desempleados de hoy no tienen posibilidad de volver a tener una vida normal de trabajo. Tanto en Reino Unido como en Estados Unidos, la población de presos ha aumentado muchísimo, y a mí me parece que si bien algunos de estos prisioneros son asesinos, la gran mayoría no lo son y no deberían estar en prisión. La cárcel es una especie de almacén de gente que el sistema no puede absorber, porque no puede emplear. Viven expulsados del sistema, almacenados y sin posibilidad de reinsertarse.

Q: さて、少し話題を変えたいと思うのですが、あなたの別のご関心事として、中国がアフリカのザンビアでやっている様な、他国の土地を買収している「国の動き」に非常に敏感に反応されていますよね。その様な買収は多くの場合、その地に住んでいた住民達を追い出すという結果に終わっています。何故その様な事が起こっているのでしょうか?追い出された人々はその後、一体何処へ行く事になるのでしょうか?
Q: Otro tema que usted toca es el de países que compran grandes cantidades de terreno a otros países, como China en Zambia, y que generan expulsiones masivas de población. ¿Cómo es posible eso, adónde va esa gente?

R: 2006年から2010年にかけ、各国の行政機関や金融業者などは、アフリカ、ロシア、ラテンアメリカ、ベトナム、ウクライナそしてカンボジアなどに7千ヘクタールもの土地を購入しました。購入したのは中国やサウジアラビア、アラブ首長国連邦や韓国、そしてスウェーデンなど、いずれも大国と言われる国々でした。しかしですね、驚くべき事に、この最後の数年間でそれら購入者リストに上がる名前が変わってきたのです。例えばココ数年のアフリカにおける最大の土地購入者は‥‥実は投資金融会社なのです。これがどういう事か、お分かりですよね!
R: Agencias de Gobierno y firmas financieras compraron 70 millones de hectáreas entre 2006 y 2010 en África, Rusia, América Latina, Vietnam, Ucrania y Camboya. Entre los grandes países compradores están China, Arabia Saudí, los Emiratos Árabes, Corea del Sur y Suecia. Pero en los últimos años los mayores compradores en África han sido… las firmas financieras de alto riesgo. ¡Imagínese!

Q: 何の為なのでしょうか?
Q: ¿Para qué?

R:それらの土地は農耕をする為のものであり、上質な地下水を伴った土地なのです。つまり、彼らは水がある土地を買っているのです。
R: Es tierra para el cultivo agrícola. Y tierra con altos niveles freáticos. Compran tierra con agua.

Q: 食料の値段が上がる事を予測してそれらの土地を買っているのでしょうか?もしくは収穫物を燃料に変える為なのでしょうか?
Q: ¿Compran en previsión del incremento del precio de los alimentos o para convertir las cosechas en combustible?

R: 大抵の場合、彼らはそれらの土地を何かしら一つの農作物に特化する為に買っているのです。今年、J.P.Morganは4万ヘクタールもの土地をウクライナに購入したのですが、驚くべき事に、投機会社は彼ら以上に土地を購入しているのです。土地は食物と水を表象します。と同時に、バイオ燃料やレア・アースといったモノをも意味しているのです。レア・アースという言葉を聞いた事がありますか?
R: En general, uniformizan los cultivos. Este año, J. P. Morgan compró 40.000 hectáreas de tierra en Ucrania, pero los fondos de inversión especulativos son los que han comprado más. La tierra representa comida y agua, pero también puede representar biocombustibles y también tierras raras. ¿Sabe lo que son?

Q: いいえ。
Q: No.

R: レア・アースとはドミトリ・メンデレーエフの周期表により存在が確認された17元素からなるグループの事です。それが何の役に立つのか、以前は一部の人々を除いてさっぱり分からなかったし、知られてすらいなかったのですが、ここにきてその全貌が明らかになってきました。実はですね、エコ電池を作り出す際、その材料としてそれら17種類のレア・アースが必要となるという事が判明したのです。各国はその対応に追われていたのですが、アメリカでは、それらレア・アースを中国から輸入する事に決め、自国でレア・アースを発掘したり、それらを抽出する技術を開発するという道はとらない事に決めました。現在では、中国が世界的に見てレア・アースの主な輸出国となっていて、実に世界総輸出量の90%を占めるまでに至っています。故にレア・アースを輸入に頼っている国々、日本やアメリカなどは中国からの輸入がストップする事を大変恐れているのです。ある国(例えば中国の様な)がコンゴに300万ヘクタールもの土地を買ったり、ザンビアに280万ヘクタールもの土地を購入し、そこにヤシの木を植えるといった様な、一つの土地に一つの農作物だけを植え続けるのは理由があります。そうする事で、その土地に存在する全て動植物だけでなく、農業に従事する人々をも追い出し、その土地を疲弊させる事が目的なのです(サッセンはこの様にしてレア・アースを手に入れる事が出来るとは明言してはいないが、そう推測される)。 それら自らの土地を追い出された人々は一体何処へ行くのでしょうか? 彼らは都市へと行く事になるのです。インドでも同じ様な事が起こっています。最後の30年間において、小作農業者達が追い出されているのです。彼らとて無知ではありませんから、大地は恵みをもたらし、その土地が我々人類に与えてくれる豊かさについては熟知しているのですが、悲しいかな、投機会社との戦いには何時も敗北する様、運命付けられているのです。
R: Hay 17 componentes que Mendeleyev identificó en su tabla períodica como elementos que no sabía para qué podían servir. Ahora lo sabemos. Las pilas ecológicas requieren algunos. Los americanos decidieron importarlos de los chinos y no desarrollaron la tecnología para obtenerlos. Y ahora China es el principal país exportador con casi el 90%, y Japón, EEUU y otros están aterrorizados con que pueda suspender las exportaciones. Cuando un país como China compra 3 millones de hectáreas en el Congo y 2,8 millones en Zambia para plantar palma, o sea, para plantar un único cultivo, eso es una manera de empobrecer la tierra. Además de expulsar especies de flora y fauna y pueblos enteros, expulsan a los pequeños agricultores. ¿Adonde se van? A las ciudades. Lo mismo pasa en India. En los últimos 30 años, los pequeños agricultores han sido expulsados. Estos pequeños propietarios no son estúpidos. Saben que la tierra produce. Pero los agricultores pierden esa batalla.

Q: 排除された人達は都市へと向かうとおっしゃられましたが、都市部には彼らの為の仕事は存在するのでしょうか?もし無いとしたら、彼らは一体どうなるのでしょうか?
Q: Expulsados hacia las ciudades, ¿y si allí no hay trabajo para ellos?



R: 現行の経済システムや金融業界の勢いは仲介業者を成長させ、正にその様な状況こそが、それらの分野を戦略的な位置に押し上げる要因となりました。しかしですね、ここが重要なポイントなのですが、それらのメカニズムは経済成長の恩恵を分配する事はありません。逆に、それらのシステムが生み出した恩恵は、彼らが潤えば潤うほど、彼ら自身に集中する事となるのです。今日において都市部では人が余っています。都市部ではこれ以上の人は必要ないのです。

R: El sistema económico, el auge de las finanzas, ha hecho crecer a un sector intermediario que se ha vuelto estratégico. Pero este sistema no distribuye los beneficios del crecimiento económico. Al contrario, los concentra más y más. Hoy, en las ciudades sobra gente. Ya no hacen falta.

Q: お言葉ですが、現在でも世界中の都市は成長を続けていると思うのですが‥‥
Q: Pero muchas ciudades no dejan de crecer…



R: 都市は未だに人々を吸収し続け、そして多くの人達にとって魅力的な場となっている事は確かだと思います。社会的不安と不安定が蔓延る現代の世の中においては、都市に大きなチャンスが転がっている事も又事実であり、正にその事によって人々の心はオープンになっていると言う事も出来るからです。だからこそ逆に、失敗した時の失望も大きなものとなるのです。都市は可能性の場であり、希望の場でもあります。しかしそれは社会が豊かになるとか、仕事を得る事が出来るとか、その様な進化が保証させているという事ではありません。それは全く別の次元の話なのです。

R: La ciudad todavía absorbe a gente, todavía es atractiva. En una época como la nuestra, de grandes inestabilidades, se da una mayor apertura mental, hay grandes oportunidades y, por tanto, grandes desilusiones. La ciudad es el territorio de lo posible, pero no del progreso asegurado.

Q: 人々は一か八か都市へ勝負しに来るという訳ですね。
Q: Vamos a la ciudad a probar fortuna.

R: その通りです。田舎に残された可能性は少ないですからね。今や田舎の土地の大部分は大企業や中国の様な政府機関の手により私有化されているのですから‥‥。 我々の都市は変わり続けています。ダイナミックに変化し続ける都市なのですが、それでも我々は都市を認識する事が出来るのです。各々の都市が提供してくれる社会的関係性や人々との出逢い、身体的な接触などは、何者にも変え難く、掛替えの無いものとなっているのです。中心市街地は人々がお互いを見る/見られるの関係性を実現する場であるし、見知らぬ人との遭遇や出会いなどの機会を与えてもくれます。そして大変重要な事に、中心市街地における見知らぬ人同士の接触や唐突な出逢いは暴力を伴う事はありません。そこは人種や階層など全く違う人々を混ぜ合わせ、お互いがお互いを認識する場を提供する事によって、平和をも切り開く可能性と潜在性を持った大変魅力的な場となっているのです。

R: Ahí voy. En el campo queda poco. La tierra está privatizada en manos de grandes empresas y de grandes agencias de Gobierno como las de China… Nuestras ciudades son mutantes, pero las reconocemos a pesar de sus cambios. La sociabilidad, el contacto físico que ofrece la ciudad, es insustituible. Los centros hacen que la gente se vea. Gente muy distinta se tropieza, habla. Y esos encuentros en un centro urbano no generan violencia. Los centros urbanos son fascinantes por esa capacidad de mezclar sobrepoblación y paz.

Q: 人々の間に不安が蔓延っている今日において、中心市街地とは人々を文明化する為の空間として機能しているという事なのでしょうか?
Q: ¿El centro de la ciudad hoy, en tiempo de grandes inestabilidades, es un espacio de civilización?

R: 都市とは誰か一人の私的所有物なのではなく、そこに住む人、そこを訪れる人、全ての人に開かれた場であり、全ての人の所有物なのです。そうであるからこそ、中心市街地では移民にしろ観光客にしろ、誰しも大変居心地良く過ごす事が出来るんですね。反対に、同じ都市部だとは言っても、郊外では全く事情が違ってきます。郊外において起こっている事、それはその土地の住民による拒絶に他なりません。彼らは他地区から人々が自分達のテリトリーに入ってくる事を大変嫌っているのです。 繰り返しますが、都市とは見知らぬ人々、違う階層に属する人々に出逢いの場を提供し、それらの人々がフィジカルに接触する事によって活力を与えられる場でもあります。彼ら一人一人の存在、出逢い、そしてフィジカルな接触が都市の原動力になっているのです。何故都市部でそんな事が起こるのかというと、それは人々が都市で生き延びる為、もしくはより良い生活を手に入れる為に仕事を見つけなければならないからです。つまり、そうやって情報を交換しているという訳なんです。
R: Es de todos. Un inmigrante o un turista se sienten bien en el centro de la ciudad. Los barrios suburbanos son otra cosa; la misma mirada de la gente puede expulsar. Con tanta gente desesperada por tener un empleo y una vida con más posibilidades, es el contacto físico de diversas clases sociales lo que da la sensación de potencial en las ciudades.



Q: それは中心市街地に人々が溢れ、活力が生まれた時にこそ言える事だと思います。ジェントリフィケーションが貧困層を追い出し、裕福な層だけで一様な風景が形成される時、そのエリアの市民意識は失われるのでしょうか?

Q: Eso sucede cuando los centros son lugares con vida. Cuanto la gentrificación expulsa a los pobres de los centros y los uniformiza con una única clase social, ¿se pierde ese civismo?

R: その様な市民意識、つまりは都市の活力が失われるのです。私の息子(ヒラリー)は彫刻家でロンドンに住んでいるのですが、彼が住んでいる地区は、ありとあらゆる民族と宗教が入り交じったゾーンとなっています。彼らに共通する事と言えば、お金を持っていないという一点に尽きます。その地区は夜になると昼間とは全く別の顔を現し、まるで小さな地球の如くの様相を呈してくるという特徴を持っているのですが、何故なら夜になると、その地区の住民が仕事から帰ってくるからなのです。都市においては、若者達が道ばたで偶然出逢ったり、話し合ったりといった出来事が日常的に起こるのです。 私の息子はニューヨークからロンドンへ移り住んだ時、友人達と、とある建物を不法占拠して住み始めました。ロンドンでは人々が建物を不法占拠した時などは、先ず警察が来て不法占拠者に対し警告を開始します。この類いの警告は彼らを強制退去させる3ヶ月前に行われる事になっています。 不法占拠者達というのは、社会システムからは外れた所にいる、いわば社会不適合者とも言える存在です。しかしですね、彼らがそれらの建物を占拠している間、展覧会を企画したり、それが話題になり新聞に載ったりと、様々な事が起こったのです。これらが指し示している事、それは彼らのしている事は勿論違法であり、法の外にいるのは間違いないのですが、と、同時に守られてもいるという事なんですね。ベルリンでは壁が崩壊した時、正にこれと同じ様な事が起こりました。これら全てのメカニズムは、システムの外に居る人や、家が買えない人、もしくは家賃が払えない人などを生き延びさせるのに非常に役に立つのです。勿論その様な状況は居心地が良いとは言えず、環境も悪い事に変わりはないのですが、しかしそれでも生きていく事は出来るのです。
R: Se pierde el motor de la ciudad. Mi hijo Hillary, que es escultor, vive en Londres en una zona que mezcla todo tipo de razas y religiones. El denominador común es la falta de dinero. En ese barrio, por la noche, aparece el mundo. En las ciudades ocurren cosas como que los jóvenes se encuentran. Mi hijo llegó a Londres desde Nueva York y ocupó un edificio con otros amigos. Si ocupas un edificio, la policía te debe dar un aviso de expulsión tres meses antes de echarte. Están fuera del sistema, pero mientras viven en esos edificios montan exposiciones que reciben críticas y reseñas en la prensa. Eso es interesante. Estás fuera de la ley, pero estás protegido. En Berlín Este sucedió algo parecido tras la caída del Muro. Todos esos mecanismos permiten sobrevivir y tener un proyecto de vida. No es cómodo, pero es posible.

Q: お言葉ですが、あなたの息子さんはそれら貧乏な人々の良い例とは言えないのではないでしょうか?何故なら母親が有名大学教授だからです。
Q: Pero su hijo probablemente no sea un ejemplo de pocos recursos. Tiene una madre académica.

R: そうですね。しかし彼は親を頼るのではなく自分自身の力で生きていきたいと願い、彼自身の人生を自分の足で歩み出したのです。22歳の時の事でした。そんな彼も今では30歳になり、ワンルームマンションを所有するまでになりました。しかしですね、今ではマイホームを所有している彼ですら、自立を始めた時は不法占拠者という立場からのスタートだったのです。法の外で生きる事が出来る可能性がある事は良い事だと思います。ブラジルのファベイラの様に世界中に点在している郊外には、貧困や悲惨さだけでなく、それ以上のものが存在し、その地区独自の経済を発展させているのです。
R: Es verdad. Pero él quería su propio proyecto de vida. Se trata de poder pertenecer al mundo. Lo hizo con 22 años. Hoy, con 30, tiene un apartamento con una habitación, pero su entrada fue al margen de la ley. Esa posibilidad de llegar fuera de ley es buena. Algunos suburbios, como las favelas, son algo más que zonas de miseria. Desarrollan sus propias economías.

Q: 現代都市において生き延びていく為には、アウトサイダー的に法の外で生きていくしかないと言う事をおっしゃりたいのでしょうか?
Q: ¿Está diciendo que para sobrevivir en las ciudades hay que hacerlo de manera marginal?

R: 私が強調したい事は、貧乏な人達だってその様なやり方で都市部で生き延びていく事が出来るという可能性であり、彼らも都市の一部だという事が言いたいのです。例え何も持っていなくとも、誰だって「自分自身の都市に生きている、この都市は自分の都市だ」という事を感じる事だって可能なのです。それは何も理論的な事ではなく、私自身の体験から来ている事でもあります。お話しした様に、私はアメリカに違法移民として入り、違法移民だったその時でさえもニューヨークという都市に対する帰属意識、「ニューヨークは私の都市だ、自分の都市だと」感じる事が出来ました。都市とは個人レベルで創られるものではありません。それは集団の中から現れてくるものなのです。そして都市とはその様な集団の想いによって創出されるものであり、決して奇跡的な産物などではないのです。
R: Lo que quiero remarcar es que la gente sin recursos puede hacerlo así y sentirse parte de la ciudad, sentir que está también en su ciudad, que la ciudad le pertenece un poco. Yo entré en EEUU de inmigrante ilegal y sentí eso, sentí que Nueva York también era mi ciudad, my city… Es un hacer colectivo. No es un milagro, la ciudad lo permite.



Q: あなたはオランダで生まれアルゼンチンで成長され、その後ヨーロッパ中を転々とされました。何故その様に沢山の国々を渡り歩かれたのでしょうか?

Q: Nacida en Holanda, crecida en Argentina, nómada después por Europa… ¿Por qué tanto traslado?

R: 50年代初頭にブエノスアイレスに着いて以来、私の家族は14年間そこに住んでいました。つまりアルゼンチンに移住したのは戦後という事なのですが‥‥。何故その時期にアルゼンチンに住み着いたのかというと、その裏には複雑な事情が混在していたのですが、それはその当時、私の両親が未だ若く、そして非常に冒険好きだったという事と深い関係があります。第二次世界大戦後のオランダ政府は、国家政策として東欧からの難民や逃亡者を受け入れると決め、当時としては非常に革新主義的な策を講じました。と言うのもその際、オランダ人に対して他国への移住を強く進めたのです。彼らは言います:「あなた方オランダ人は世界中何処へ行っても受け入れてもらえるでしょう。しかし東欧からの難民はそういう訳にはいきません。ここオランダには彼らを受け入れる為のスペースが必要なのです」と。そんな理由から当時沢山の人々が移住を決意し、現在でも9百万人ものオランダ人が、自国以外の国で生きているのです。
R: Mi familia vivió 14 años en Buenos Aires. Llegó a principios de los 50. En la posguerra… Hay dos o tres cosas que se mezclan… Mis padres eran jóvenes, aventureros. El Estado holandés tomó medidas progresistas cuando decidió acomodar a los refugiados de Europa del Este tras la Segunda Guerra Mundial. Facilitaron la emigración de holandeses bajo la idea: “Ustedes son holandeses, les va a recibir todo el mundo, y aquí necesitamos sitio”. Hoy hay nueve millones de holandeses fuera del país.

Q: と言う事は、あなたのご両親は難民達の為に自分達の空間をお譲りになったという事ですか?
Q: ¿Sus padres decidieron ceder su sitio?

R: えっとですね、私の父はジャーナリストで、祖父は南オランダに位置する小さく美しい街、スヘルトーヘンボスの市長を勤めていました。ナチスが街に侵攻してきた時、彼らは祖父にこう言ったのです:「我々に協力するか、それとも街を爆破されたいか、どっちにする?」と‥‥。祖父はユダヤ人を一人たりともナチスに引き渡しませんでした。何故ならスヘルトーヘンボスには当時、ユダヤ人は一人も居なかったからです。しかしですね、祖父はそれ以外の事ではナチスに協力し、その為に戦争終結後、刑務所へ送られる事になってしまったのです。私の父はというと、ジャーナリストとしてナチス側にいたのです‥‥やめましょう、このテーマは‥‥
R: Bueno… Le explico el contexto. Mi papá era periodista, y mi abuelo era el alcalde de una ciudad bellísima del sur de Holanda, Hertogenbosch. Al ser invadida por los nazis, le dijeron que o colaboraba o le bombardeaban la ciudad… No entregó a ningún judío. No había judíos allí. Pero colaborar significaba que uno hacía un pacto. Después de la guerra, a mi abuelo se lo llevaron a prisión. Y mi papá había estado con los nazis como periodista… Pero quizá fuera mejor dejar ese tema…

Q: 続けてください。
Q: No, por favor.

R: 先程も申し上げたのですが、私の父は根っからの冒険好きで、自ら進んで戦線に赴き、戦争の従軍記者となりました。そんな中、ヨーゼフ・ゲッベルスは従軍記者達で構成された中隊を編制したのです。中隊といっても、全員がジャーナリストで、タバコを吸い、酒を飲んでいたそうですけどね。規律や秩序といったものは一切無く、非常に滑稽な従軍記者団だったという事です。そんな中隊だったのですが、勿論彼らの仕事は危険に満ち満ちたものである事に変わりはなく、時には怪我もするし、何より私の父は戦火が最も激しかった戦場の一つ、ロシアとの戦線に送られていたのです。少し時が経つと、ゲッベルスは父を刑務所へ送りました。ゲッベルスと父は互いに啀み合い、上手くいってなかったのです。私の父は反ソビエト派だったんですけどね。 反対に、私はと言うと、父とは全く逆の思想を持っていて、13歳にして共産主義に賛同するソビエト派でした。どれほどのめり込んでいたかというと、ロシア語を勉強していた程だったのです。当時の私は、父の思想に我慢が出来ず、家を出て行く事にしたのです。もうちょっと詳しく言うと、事態はもっと複雑だったんですけどね‥‥。と言うのも、私の父方の家族は大きな鉱山を所有していたという事、そして当時の南オランダに居るカトリック教徒達はイギリス人達を大変嫌っていたという事、その様な幾つかの事情が合い重なっていたからです。 えっと、このテーマを話すには結構大きな問題が付き纏っていまして‥‥と言うのも、「イギリスに反対していた」と言うと、多くの人々は「あー、あなた、ナチス側の人間なのね」と、そう思われてしまう事がしばしばなんですね。だからニューヨークではこのテーマを話す事は出来ません。もしニューヨークでこの話題を出そうものなら、人々がこう言ってくる事は目に見えているからです:「サッセンさん、あなたは反ユダヤ主義者なのですね」と。今までそんな事は無かったのですが、そうなる可能性は十分にあります。だから、なるべく話さない様にしているのです‥‥。
R: Mi papá, que era un aventurero total, se trasladó al frente, se hizo corresponsal de guerra. Goebbels había creado un batallón para los corresponsales de guerra. Eran todos periodistas; y fumaban, bebían. Nada de disciplina. Era un batallón cómico. Aun así, mi padre estuvo en el frente en Rusia… Incluso fue herido. Luego Goebbels lo metió en prisión. El general odiaba a mi padre y mi padre odiaba a Goebbels. Pero mi padre también se volvió muy antisoviético. Yo, en cambio, me hice comunista con 13 años; hasta estudié ruso. Y me fui de mi casa porque no aguantaba más. Pero todo es más complejo… La familia de mi padre era de grandes propietarios de minas. Y los católicos del sur de Holanda odiaban a los británicos, porque consideraban que estaban robándoles… El problema de hablar de estos temas es que, al decir que estaban contra británicos, la gente tiende a calificarte de pronazi. En Nueva York no puedo hablar de este tema. Terminarían diciéndome: “Lo que sucedes es que usted es antisemita”. No me ha pasado, pero podría pasarme. Por eso no hablo mucho de eso…

Q: お母様はどんな方だったのですか?
Q: ¿Y su madre?

R: 母は自由気ままに生きる事が大変好きな人で、ボヘミアンな生活を楽しんでいました。父と母が小説家と一緒に映っている写真を何枚か持っています。アイルランドに住んだ後ですら、彼らは未だ反イギリス主義を貫き通していたくらいだったのです。まあ、その様な反イギリス主義は、ホロコーストに対する社会的批判がどんどん高まっていくにつれ、段々と失われていったんですけどね。何故かと言うと、あの時代に反イギリス主義を表明するという事は、それだけでナチス側の人間と見做され、ホロコースト賛同者と見做される時代だったからなのです。その結果、「反イギリス主義反対」という機運が、反イギリス主義者の間にも急速に高まっていく事となりました。そんな空気の中においてさえも、私の両親は自らの考えを変えようとはせず、結局、アイルランドから立ち去る事にしたと言う訳なのです。
R: Mi madre llevaba una vida bohemia. Tengo fotos de mis padres con escritores. Después de vivir en Irlanda, seguían siendo antibritánicos. Eso se pierde luego en Europa por oposición generalizada al Holocausto. Esa nueva negativa domina a la anterior antibritánica. Así es que mis padres decidieron embarcarse.

Q: アルゼンチンに着かれた時、お父様は何をされていたのですか?
Q: Cuando llegan a Argentina, ¿qué hace su padre?

R: えっと、私の父ですか‥‥私の父は、ラテンアメリカに居る独裁者達と友好関係を築こうとしていました。勿論、ペロンともね‥‥。その一方で、彼の心の中には常に何かしら社会主義的なものが残っていた様にも思います。つまり独裁者達と一緒に居た一方で、ブエノスアイレスの港湾都市であるマル・デル・プラタで行われていた労働組合の非合法な会合にも顔を出していたのです。その様な会合に私達幼い姉妹は良く連れて行かれたものです。今にして思えば、私達はカモフラージュに最適だったのでしょうね。
R: Bueno, él… él se hizo amigo de todos los grandes dictadores de América Latina: de Perón… Pero siempre tuvo algo que por ahí era el socialismo. Estaban las dictaduras militares, pero también los sindicatos… reuniones clandestinas en Mar del Plata. Y siempre nos llevaban. Éramos nenas; creo que servíamos de camuflaje.

Q: 両親が反イギリス主義者だったという事や、お父上が独裁者の友人だったという事は、大きくなられてから理解されたのでしょうか?
Q: ¿Todo esto lo ha entendido después?

R: そうですね、その時にそれらの事情が分からなかったという事が、私の人生を決めたという事が出来るかもしれません。と同時に、政治的な動きが私の人生を支配していたという事も出来るのです。私は共産主義者でしたし、その事で両親と対立さえしたのですから。家を出て行きたかったので、貯金したりもしていましたし。結局、親にお金を借りてハンブルグへ行く事にしました。その間、貧困というものを体験し、お腹を空かせたりもしました。パリやトリノで過ごした暗く寒い夜などには、レストランのオーナーと交渉し、一杯のスープを恵んでもらったりしていたのです。アメリカではお金を稼ぐ為に家政婦のバイトをしていたし、アカデミックな学生という顔と家政婦という顔、その二つの顔を同時に持ちながら過ごしていたのです。
R: Eso de no entender me marcó. Pero la política dominaba mi vida. Yo era comunista y me enfrenté a mis padres. Quise irme. Ahorré dinero. Les pedí un préstamo y tomé un barco a Hamburgo. Experimente la pobreza y pasé hambre. En París, en Turín, donde en invierno llegué a un acuerdo con el dueño de una trattoria para que cada noche me diera un plato de sopa. En Estados Unidos, donde me dediqué a limpiar casas. He tenido una vida paralela.

Q: 多くの場合、あなたは固定観念や確立された概念に反対の立場を表明されていますね。例えば、発展途上国への投資は移住者を増加させるだとか、それらの投資は地域経済をダメにするとか。
Q: Usted va a menudo contra los conceptos establecidos. Por ejemplo, defiende que la inversión en los países menos desarrollados aumenta la emigración porque devasta las economías tradicionales.

R: その点については、もう既に自明の事だと思います。発展途上国への投資問題は一見矛盾しているかの様に見えるが故に、大変興味深いものとなっているのです。都市という狭い範囲に限らず、もっと先にある「何か」を都市を通して理解してみたいのです。
R: Eso hoy está comprobado. Puede parecer contradictorio, y por eso me interesa. Uso la ciudad para entender una realidad más allá de lo urbano.

Q: アラブの春はネットが無かったら不可能だったという事は常々言われてきた事ですが、ネットだけでなく都市が無かったとしても、それらは不可能だった様な気がします(アラブの春についてはコチラ:地中海ブログ:スペイン各都市で大規模デモ:「ジャスミン革命がスペインにも飛び火」って言われてるけど・・・)。人々を革命へと導くのに、都市はどの程度まで鍵となるのでしょうか?
Q: Se repite que las movilizaciones del mundo árabe no hubieran sido posibles sin Internet, pero tampoco se podrían haber producido sin las ciudades. ¿Hasta qué punto la ciudad es clave para movilizar a la gente?

R: 都市に沢山の変化が訪れる時、1人では何も出来なかった個人が群衆となり、歴史を築く事が出来る様になるのです。その様な群衆は常に権力を持つとは限らないのですが、個人が群衆になるという事は、「権力の目に付き易い」という事を意味します。つまり都市は非力な個人同士を繋ぎ合わせ、彼らを可視化する許容力があるのです。それは権力者の家の前で抗議活動をするとか、所有者/奴隷といった弁証法に終わる古いモデルとは全く違います。怒れる人々、世の中に不満を持っている人々は、単にその場で声を上げるだけとか、権力が自分達の存在に気づいてくれる事、ただそれだけを望んでいる訳ではありません。彼らはネットワークを築いているのです。都市において権力は見えません。と言うか、権力が見えなくなる事、見えなくする事こそ、都市自身が持つ潜在力であり、都市の特徴となっているとも言えるのです。
R: Cuando hay mucha transformación urbana, el individuo pobre se vuelve multitud y puede hacer historia. Eso no les da necesariamente poder, pero les da capacidad de hacerse presentes. Creo que la ciudad tiene la capacidad de generar redes y hacer presentes, visibles, a los sin poder. No es el viejo modelo de protestar delante de las casas del poder y caer en la dialéctica dueño/esclavo. Los indignados no buscan solamente estar ahí y que el poder los vea. Hacen red. Ahí se ve la capacidad de la ciudad de volver compleja la falta de poder.
| インタビュー集 | 06:59 | comments(7) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)のインタビュー記事:シザ建築の特徴は一体何処からきたのか?
先週日曜日の新聞(特集版)にアルヴァロ・シザのインタビューが載っていました。アルヴァロ・シザと言う建築家についてはこれまで散々書いてきたのですが、やはり何だかんだ言って20世紀を代表する巨匠中の巨匠であり、かの二川幸夫さんが(とあるインタビューの中で)「世界一の建築家」と言われていた事も全く不思議ではありません(シザについてはコチラ:地中海ブログ:ガリシア旅行その7:アルヴァロ・シザの建築:ポルト大学建築学部:外内部空間に展開する遠近法的空間と、その物語について、地中海ブログ:ガリシア旅行その8:アルヴァロ・シザの建築:セラルヴェス現代美術館(Museu de Arte Contemporanes, Fundacao de Serralves):人間の想像力/創造力とは)。



僕自身、シザの建築は現地を訪れるなどしてかなり見て回ってて、シザ関連の書籍や論文にも殆ど目を通してると思うんだけど、今回のインタビューでは彼の知られざる素顔、特に「彼の建築の特徴が一体何処から来たのか?」なんかが明らかにされていて、大変興味深いものになっていると思います。僕の知る限り、日本語でこの様な情報が齎されたのは初めての事なんじゃないのかな?特に、「幼少の頃、病気をしていて、その時に祖父母の家に閉じ込められていた事が、現在のシザ建築スタイルを創り上げた」と言うのは初耳であり、「ガウディ建築が彼の造詣に影響を与えた」って言う情報と同様、彼の建築を理解する為のキーになるとさえ思うくらいです(ガウディ建築がシザに与えた影響についてはコチラ:地中海ブログ:マドリッドの都市戦略その2:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)について)。まあ、何はともあれ、大変興味深いこのインタビュー、とくと御覧あれ!

以下に訳すのはEl Pais(2 de Octobre 2011)の日曜版に載ったアルヴァロ・シザのインタビュー記事の全訳です。

難しい局面に直面した時こそ、物事の真価が問われる
“El valor de las cosas aflora en los momentos difíciles”

Q=インタビューアーの質問
R=アルヴァロ・シザさんの回答
黒字=訳者メモ

Q: 現在の社会の中において、一体何が建築を高慢で横柄な存在にしているのでしょうか?
Q: ¿Qué la hace arrogante?

R: そうですね、それらの建築が「建っている場所を無視している事」、「周りのコンテクストを全く考慮していない事」ではないでしょうか?人間は一人では生きていけません。我々は常に誰かと繋がり、互いに支え合って生きています。それら人間同士の関係性を繋ぎ合わせ、その様な関係性を維持する事こそ建築の目的なのです。間違って欲しくないのですが、私は何も、それらを達成する為には「建築は慎重であるべきだ」という事を言いたいのではありません。そうではなくて、コンテクストを裏切る様な建築、その場所に相応しく無い様な建築は高慢であると、そう思うだけなのです。
R: Ignorar donde está trabajando. Uno no está solo. Hay tramas de relaciones humanas. Continuarlas es la razón de ser de la arquitectura. Esto no quiere decir que la arquitectura deba ser prudente. Pero lo que traiciona el contexto es arrogante.

Q: ここ最近、社会の中に沢山の「高慢な建築」が建設されてしまったとお考えですか?
Q: ¿Últimamente se ha construido demasiada arquitectura arrogante?

R: そう思います。しかし、「高慢である条件」を高慢な建築家に結び付ける気はありません。つまり「高慢な建築家」は「高慢ではない建築」を創り出すことが出来ると思うし、その逆も又然りだからです。時々、高慢な建築にさえなっていないような、大変無能な建築にも出くわしますけどね。
R: Así ha sido. Pero no ligo la condición de arrogante a la arrogancia de quien la hace. A veces se trata simplemente de incompetencia.

Q: それら高慢な建築や建物に対して、あなたの建築は大変穏やかに、そして謙虚に佇んでいる様に見えます。
Q: Frente a la arrogancia sus edificios quieren ser tranquilos.

R: 「建築とは単に休憩の場を提供すべき存在である」と私が考えていると理解する人がいますが、全く持って不愉快です。勿論建築はシェルターや休憩所を提供すべきなのですが、しかしそれは又、共同の場、共生の場でもあるべきなのです。
R: No me gustaría que se entendiera que creo que la arquitectura debe generar solo lugares de reposo. Debe ofrecer abrigo y reposo, pero también, un lugar de convivencia.

Q: サラザール独裁政権下(1932−1968)では公共の仕事は勿論の事、僅かながらの小さな仕事しか無かったと思うのですが、独裁政権下で生きてきた経験は、あなたの建築に何かしらの影響を与えたのでしょうか?
Q: Trabajar durante la dictadura de Salazar en un segundo plano, sin hacer ruido, ¿marcó su arquitectura?

R: 独裁政権は、建築の仕事はおろか、大学で教鞭をとる事や、教育機関で建築を勉強する事さえも妨げました。その時代、本当に数少ない建築家だけが公共の仕事をする事が出来たのです。
R: Marcó las restricciones en el acceso al trabajo, a la formación y al aprendizaje. Pocos arquitectos podían realizar una obra pública institucional.

Q: 独裁政権下で公共の仕事を得ると言う事は、独裁政権への迎合を意味するのですね?
Q: ¿Debían ser afines al regimen?

R: うーん、というか、当時は旧体制を受け入れなければならなかったのです。当局は伝統的で国民的な建築、つまり彼らにとっての「ポルトガル的な建築」を創りたがっていました。何故ならポルトガルは国としては小さいのですが、とても沢山の建築で満ち溢れていたし、今現在も満ち満ちているからです。国民的建築と言うは彼らの発明品でした。つまり彼らは外部に向かって「ポルトガルには唯一絶対の建築しか存在しない」と、そう宣伝しようと画策していたのです。当時の独裁政権はポルトガルが国として貧乏であり、国民は絶対的に屈従している、そういう国を好んでいましたし、社会的コンフリクトを避ける為に他国への移住を容認してもいました。
R: Bueno… tenías que ser aceptado por el régimen. Querían hacer una arquitectura nacional con referencias a lo que para ellos era la arquitectura portuguesa, como si hubiera una tradición, porque, aunque Portugal es un país pequeño, había y hay muchas arquitecturas. Se pretendía dar al exterior una única mentira. La ideología prefería mantener un país pobre conformado, y así, consentían la emigración para evitar conflictos sociales.

Q: あなたの建築は、何処までが貴方自身の「伝記」として読めるものなのでしょうか?小さい頃、病気をされたと伺っています。その際、おじいさんの家で一緒に住む事を強制されたそうですね。そこでの生活が、あなたの建築の諸特徴、特に「窓によって風景を切り取る」と言う手法に影響を与えたのでしょうか?
Q: ¿Hasta qué punto su arquitectura es biográfica? Pienso en la enfermedad que tuvo de niño, que lo obligó a vivir con sus abuelos. ¿Allí se acostumbró a enmarcar los paisajes con las ventanas?



R: その通りです。しかし又、別の事も学びましたけどね。小さい時の経験は、住居とその外部との関係性について考えさせてくれたのです。祖父母の家で療養している期間は外に出る事が厳しく禁止されていました。2ヶ月もの間、ずっと家の中に居なくてはならず、その間、殆ど毎日の様に窓から外を眺めていたのです。と言うか、それしかする事が無かったのです。
R: Sí, pero también hay otros aprendizajes. Esa de niño fue una experiencia que me hizo pensar la casa y su relación con el exterior. Yo no estaba autorizado para salir. Tuve que permanecer encerrado dos meses, y eso me obligó a mirar por la ventana.

Q: どんな病気だったのですか?
Q: ¿Qué enfermedad tenía?

R: 当時の子供がみんな患ってた病気でした。結核の前症状の様なものです。当時は未だ効果的な治療薬が無く、最善且つ唯一の治療法と言えば絶対的な安静でした。だから小さな,本当に小さな村に移り住む事になってしまったのです。家の中は窮屈だったので、新鮮な空気を吸う為にベランダへ良く出て行ったものです。そこからは本当に美しい景色が見えました。「開発されていない」という事は、「美しい風景が保持されている」という事と同義語です。その村は小さな農村で、建築が風景を創っていました。だからこそ、風景はキラキラと輝いていたのです。それらは本当に息を呑むほど美しかったのですが、15日間の療養中、四六時中見ていたものですから、何時しかそれらの風景は私の中に入り込み、私の心を一杯にしてしまいました。その時の経験が、後の私の作品に大きなガラス窓を創り出す事を避けさせたり、断片的な開放部を意識的に設けたりする事を好むようにしたのだと思います。
R: Yo tenía, todos teníamos entonces, una “primera infección”, la antesala de la tuberculosis. Todavía no había antibióticos y la única posibilidad de recuperación era el reposo absoluto. Total, que estaba en un pueblo muy pequeño. Y me acercaba a la terraza para tomar aire. Desde allí se veía un paisaje maravilloso. La falta de desarrollo se traducía allí en la falta de deterioro del paisaje. El pueblo era un pueblo agrícola, y es la arquitectura la que hace el paisaje. Por tanto , el paisaje era precioso. Pero, a pesar de eso, tras 15 días de reposo ya no soportaba verlo. Por eso, años después, evité la tentación de crear una gran cristalera con una gran vista y preferí orientar las aberturas de una forma intencionada, pedazo a pedazo.



Q: クライアントは大きな窓を欲しがるのではないのでしょうか?小さな窓を創る事を理解しますか? Q: ¿Los clientes lo entienden?

R: 文句を言う人が多いですね。「美しい風景の前では、それらを見渡す展望台を創るべきだ」と、そう考えているのです。その様な時、私は何時もこう答えます:「それは違う」と。「美しい風景を見続ける事は人間を心から疲れさせるだけだ」と。風景を望む事は「押し付け」になるべきではなく、それを見るかどうかと言う「選択肢」であるべきなのです。
R: Protestan. Frente a un gran paisaje creen que hay que hacer un gran mirador. Y yo les contesto que no, porque cansa. El paisaje no debe ser una imposición permanente, debe ser una elección.

Q: あなたに絵を書く事を教えたのは叔父さんですね?
Q: Fue su tío quien le enseñó a dibujar.

R: 当時、叔父は私達と一緒に暮らしていました。当時におけるポルトガルの一般的な家族と言うのは大変大きなもので、私の家族の場合は、祖母、両親、両親の姉妹、結婚していなかった私の父の兄弟(叔父)、そして我々兄弟が一緒に住んでいました。毎日の生活が営まれる舞台は常に大家族が背景だったのです。夕食や昼食の時などは何時も大きな大きなテーブルを皆で囲んでいたものです。そんな大家族だったのですが、それでも何とかやっていけたのは、当時の母親には今日の母親よりも助けの手が沢山差し伸べられていたと言う事が挙げられると思います。家族の中には必ずと言って良いほど、結婚していない叔母などが居て、彼女達は何時如何なる時も互いに助け合っていたからです。ちなみに私の家族は2人のお手伝いさんを雇っていたのですが、それは別にお金持ちだったとか特別だったと言う事ではなく、当時支払っていた給料と言うのは本質的には食事だけで、それ以外は払っていなかったという事情があるんですね。当時は何処の家もそんな感じだったのです。近隣住民との関係は大変楽しいものでしたし。この様な環境で私は育ち、そして成長していきました。夕食後、女性達は編み物をし、父は次の日の授業の準備をしていました。そして独り者の叔父、(彼は人生において何をするのか目的が無い人だったのですが)、その彼が私を呼び、机に座らせ、そして絵を描かせたのです。
R: Vivía con nosotros. Las familias eran grandes. En nuestro caso estaba la abuela, mis padres, las hermanas y ese hermano de mi padre, que era soltero, además de nosotros. Los escenarios eran los de una gran familia. Las cenas o las comidas eran siempre en mesa grande. Las madres de entonces tenían más recursos que hoy porque había siempre unas tías solteras que ayudaban en todo. Teníamos también dos empleadas, porque por aquella época se pagaban prácticamente con la comida y nada más. La vida era así. Las relaciones vecinales eran muy distraídas, pero limitadas también. Ese fue el ambiente en el que crecí. Y después de cenar, cuando las mujeres se ponían a hacer punto y mi padre preparaba sus clases…, ese tío soltero que vivía con nosotros y que era un negado absoluto no sé por qué me sentaba a dibujar.

Q: お父様はエンジニアだと思っていました。
Q: Creía que su padre era ingeniero.

R: 以前はそうでした。日中は砂糖工場で働き、夜は電気技師の学校で教えていたのです。給料は安く、そして家族は大きかったからです。
R: Lo era. De día trabajaba en una fábrica de azúcar, pero por la tarde-noche daba clases en una escuela de electricistas. Los salarios eran bajos y la familia grande.

Q: ご兄弟も絵を描いていたのでしょうか?
Q: ¿Sus hermanos también dibujaban?

R: 叔父は夕食が終わった後、テーブルクロスを剥ぎ取り、そこに座りました。正確に言うと、叔父は私に絵を書く事を教えてくれたのではなく、私に書く事を勧めていただけだったのです。私は5人兄弟だったのですが・・・一番上の兄は医学を学んでいました。スポーツマンで、バスケットをやっていたのですが、事故に合い、死んでしまいました。医学部を卒業した正にその直後の事だったのですが、彼の死が私の家族にどれ程の衝撃を齎したかについては言うまでもありません。私は上から2番目で、下の弟はエンジニアです。他の2人は妹達で、一人は修道士、もう一人は哲学を勉強しました。
R: Mi tío se sentaba a la mesa en cuanto se terminaba la cena y quitaban el mantel. No me enseñó a dibujar. Pero me animó a hacerlo. Mis cinco hermanos… el mayor se diplomó en Medicina. Era deportista, jugaba al baloncesto, y luego, en un estúpido accidente, murió. Justo había terminado Medicina, y, claro, eso marcó mucho a mi familia. El que va detrás de mí es ingeniero. Y luego van mis hermanas, la que es monja y la que estudió filosofía.

Q: 信仰心の強いご家族だったのでしょうか?
Q: ¿Fue una familia religiosa la suya?

R: その当時は全ての家族が信仰心の強い家族だったのです(笑)・・・しかし実質的な担い手は女性達でした。特に結婚してない女性達。男達と言えば・・・日曜日に女性達に付き添って教会に行っていたくらいです。しかし宣教師の説教の時間になると、男達は皆、外へ出てタバコを吸っていましたけどね。
R: En aquellos tiempos todos éramos religiosos… [se ríe] pero la versión practicante eran las mujeres. Sobre todo las tías solteras. Los hombres… el domingo, para acompañar a la mujer. Pero durante la homilía salían a fumar un cigarro…

Q: 慣習的にミサに行かれていたのですか?
Q: ¿Iban a misa como un ritual?

R: もしミサに行かなかったら、それこそ一大スキャンダルとなる様な時代でした。子供達も行っていましたし、私の年代では15歳まではミサには行っていましたね。15歳を過ぎると、付き添いを外で待っていたり、タバコを吸い始めたりして、そして次第に行かなくなるというのが一般的だったと思います。
R: Hubiera sido un escándalo no ir a misa. Los niños también íbamos. En mi generación fuimos hasta los 15 años. Luego empezamos también a esperar fuera, fumando el cigarrillo, y ahí acababa la cosa.
 


Q: オペラ歌手になりたかったというのは本当でしょうか?
Q: ¿Es cierto que quiso ser cantante de ópera?

R: 誇張し過ぎです。子供達は皆、消防士になりたいと言いますよね。あれと同じですよ・・・。私の父はオペラが大好きでした。好きなだけでなく、歌を習ったり、クリスマスのパーティーの時などには、叔母の一人(ピアノの教師であり、家でピアノ教室を開いていました)がピアノを弾き、そして父がアリア(オペラの独奏)などを歌ったりしたものです。
R: Es una exageración. Sabe que de niños queremos ser bomberos… A mi padre le gustaba mucho la ópera. Incluso estudió canto y durante las fiestas de Navidad, una de las tías –que era profesora de piano y daba lecciones en casa- tocaba el piano. Y con ella mi padre cantaba un aria.

Q: お上手だったのでしょうか?
Q: ¿Lo hacía bien?

R: とても上手かったと思います。父の様に歌いたかったので、最初は彼と一緒に歌い始めました。その後オペラを歌っている事を建築学校でよくからかわれたものです。何でかって、当時オペラと言うのは何かしら冗談の様に捉えられていた時代だったので・・・。知的に正しい音楽と言えばクラッシクだったからなんですね。その後何年かして、オペラをからかっていた友人達が、急にオペラを民主主義の芸術として評価し始めたのにはチョット驚きました。物事と人の評価と言うものは、その時の状況に非常に左右され易いものなのです。
R: Muy bien. Yo empecé a cantar con él porque me gustaba cómo lo hacía. Luego, en la escuela de arquitectura me ridiculizaron, porque la ópera era algo bufo y lo intelectualmente correcto era la música clásica. Pero años después, los mismos amigos pasaron a valorarla como un arte democrático. Las cosas y las opiniones están sujetas a los momentos.

Q: あなたの家族構成には建築家に成る様な要素はさっぱり見当たらないのですが、何故建築家になろうと思ったのですか?
Q: En medio de esa familia, ¿por qué decidió ser arquitecto?

R: バカンスで時々スペインに行っていた事が非常に大きな影響を及ぼしたと思います。私の父はスペインが大好きでした。そして大変重要な事に、当時はエスクード(ポルトガルの通貨)はペセタ(スペインの通貨)の2倍の価値があったのです。だから最も経済的なバカンスの過ごし方というのはスペインに行く事だったのです。私の父は運転はしなかったのですが、車を借りて毎年違う地方を訪れたものです。
R: Porque durante algunos años pasamos las vacaciones en España. A mi padre le gustaba mucho y, no menos importante, un escudo valía dos pesetas. Así, la forma más económica de asegurarse unas vacaciones era venir a España. Mi padre, que nunca condujo, alquilaba un coche y cada año visitábamos una región.

Q: 幼少の頃は毎年そうされていたのでしょうか?
Q: ¿Toda su infancia?

R: スペインが経済成長を始め、スペインでバカンスを過ごす事が経済的でなくなるまではね。父は我々を美術館に連れて行くのが好きでした。とても教養のある人で、古典ポルトガル文学全集を持っていたいました。それに飽き足らず、自分の新聞を創ってしまった程です。新聞の名前はPelicanoと言い、Matosinhos(シザの実家がある都市)で起こった日々の出来事などを主に扱っていました。父が編集長を務め、3人の友達が新聞を刷ったり売ったりしていました。父は全ての事に関心を示す人でしたが、建築にはそれ程関心を持って無かった様に思います。
R: Hasta que España empezó a desarrollarse y ya no pudimos continuar. A mi padre le gustaba llevarnos a los museos. Era culto. Tenía libros de todos los clásicos portugueses. Llegó a tener incluso un periódico, El Pelícano, que informaba sobre la vida en Matosinhos. Él lo dirigía y tres amigos más lo producían y lo vendían. Mi padre fue un tipo interesado por todo, pero tal vez no tanto por la arquitectura.

Q: それから?
Q: ¿Entonces?

R: スペイン各地の都市を訪問した際、どの都市を訪れても最初に父が見ようとしたのは市場でした。「市場の雰囲気は、その都市のトーンを教えてくれる」だからだそうです。当時、私は彫刻を学ぼうと決心していたのですが、そんな時、父は当時の彫刻家が社会的にどう見られているか、そのイメージを話してくれた事がありました:「未来が無い職業だ」と。私の父はとてもチャーミングな人だったのです。そんな父に反対する事はしたくなかったので、平和的な解決をしようと密かに計画したのです。最初は美術学部に入学して、その後、ドサクサに紛れて彫刻の道に戻ると言うのが、当時の私の立てた戦略だったのです。しかしですね、ここで思いもかけない事が起こってしまったんですね。と言うのも、当時の建築学部は大変面白い時期に突入していて、根本的な革新の真っ只中だったのです。
R: Yo le cuento. Cuento visitábamos las ciudades, lo primero que quería ver era el mercado. Decía que la vida del mercado daba el tono a la ciudad. De modo que cuando pensé dedicarme a la escultura, mi padre me habló de la imagen que entonces había de lo que era un escultor: alguien sin futuro. Sucedía que mi padre era una persona encantadora. Así que no era cuestión de hacer la revolución y matar al padre. De modo que decidí hacer las cosas de una forma pacífica. Entré en Bellas Artes con la idea de regresar a la escultura. Solo que el momento en la escuela de arquitectura era muy interesante: un tiempo de profunda renovación.

Q: 何故何時もソーシャルハウジングに関心を持たれているのでしょうか?
Q: ¿Por qué siempre le ha preocupado hacer vivienda social?



R: 1974年の4月にポルトガルで革命が起こり、それが人々の生活に深い影響を齎した事は周知の事実です。建築学部は独裁政権に批判的な態度をとっていました。1968年のパリ革命の前、1962年にはポルトガルにおいてアカデミズムの危機が起こり、沢山の教師達が監獄送りとなりました。そんな折、建築学部はポルト市の中心部に位置していた貧困エリアと大変深い関わりを持っていました。それらは労働者達の住居であり、ブルジョア階級の豪邸の間に位置する庭先に建っていて、孤島(isla)と呼ばれていました。それらは本当に小さく、そして大変状態の悪いものだったのですが、19世紀の終わりにはポルト市の全住人の内、何と50%もの人達がその様な孤島に住んでいたのです。
R: Sucedió en abril de 1974 [la revolución de los claveles], y eso afecta a los intereses de las personas. La escuela de arquitectura era abiertamente crítica con el régimen. Ya en 1962, antes del Mayo del 68, hubo una crisis académica en las universidades y muchos profesores fueron encarcelados. La escuela tenía mucha relación con los barrios pobre del centro de Oporto que la rodeaban. Eran viviendas obreras, levantadas en los jardines burgueses formando filas que se llamaban islas. Eran muy pequeñas, malísimas, pero, al final del siglo XIX, el 50% de la población de Oporto vivía en esas islas.

Q: それはブルジョア階級と労働者階級を一緒に住まわせる為の方策だったのでしょうか?
Q: ¿Era una manera de forzar la convivencia?

R: 違います。それは名前が示す通り、周りからはあらゆる意味で断絶していたのです。そういう意味において、「孤島」と言う名前は非常に良く考えられた、ぴったりの名前だと思います。それらの孤島は革命の前に既に取り壊しが決まっていたのですが、と言うのも状態が非常に悪く、居住条件を十分に満たすものでは無かったからなんですね。しかし、それらの取り壊しが都市の中心に居座っている危険因子達を立ち退かせる為のちょっとした小細工に変換されてしまった所から全ては始まりました。当局などによって、彼らを郊外や辺境、もしくは断絶された地区へと立ち退かせる為のアイデアが探索され始めたのです。それらの事が中心地区のコミュニティを破壊してしまったのです。孤島では労働者の家族に大変厳しい規律(例えば猫を飼ってはいけないとか)が与えられ、何時も覆面警察の監視下に置かれていました。それら全ての事が暴動の引き金となったのです。その様な状況下において、建築学部の学生達が、それら労働者の人達と一緒に仕事を始めました。その事が彼ら(建築学生達)が社会学に興味を持ち始めたキッカケであり、その事件を元に1970年代には社会学はポルトガルにおいて一つの授業へと発展していったのです。それが意味する所はつまり、その何年か後に革命が起こった時、労働者達の計画を推し進める為の種は既に蒔かれていたという事なのです。
R: No. El nombre isla está bien puesto. Ya antes de la revolución se había decidido erradicarlas porque no cumplían condiciones de habitabilidad. Pero eso se convirtió en una hábil operación para retirar a esas masa “peligrosas” del centro de la ciudad. Buscaban llevarlas a la periferia, a barrios separados. Eso destruyó las comunidades del centro. En las islas, las familias obreras tenían un régimen habitacional muy duro. No podían tener gastos, por ejemplo. Tenían siempre a la policía política infiltrada, y todo eso creo una enorme revuelta. De modo que los estudiantes de arquitectura empezaron a trabajar con esa gente. Era el momento del interés por la sociología, que pasó a ser una disciplina universitaria en los años sesenta. Los estudiantes ayudaron y ciando llegó la revolución de los claveles, el terreno estaba abonado.

Q: 学生達によって蒔かれたそれらの種を元にして、住宅局の局長だったヌーノ・ポルタスがそれらの変化の準備をしたのですね。
Q: Tas la revolución, el secretario de Estado de Vivienda, Nuno Portas, organizó los cambios a partir de la semilla de los estudiantes.

R: その政策は「地元援助サービス」と呼ばれ、建築家、法律家、そしてエンジニアなどが参加していました。そのアイデアの発端となったのは、建築家達と言うよりも、寧ろ学生達だったのです。しかしながら、政治的な思惑から、その計画の実行はそれほど簡単ではなかったのです。労働者達を偏狭に追いやり、土地の値段を上げる投機目的の土地の買占め計画が政府により進められていました。
R: Se llamaba Servicio de Apoyo Local y eran brigadas de arquitectos, juristas e ingenieros. El origen estuvo más en las manos de los estudiantes que en las de los arquitectos. Y no fue fácil porque había muchos intereses. La expropiación del suelo del centro había sido organizada para enviar a los obreros a la periferia y para especular con el suelo.

Q: あなたはそれら学生の一員だったのでしょうか?
Q: ¿Usted era uno de esos estudiantes?

R: いいえ、私はその時、既に大学で教鞭をとる身でした。教え子の一人にはエドゥワルド・ソウト・デ・モウラがいました。ある時、彼を含む何人かの学生が、彼らの立ち上げた計画にサインする為の建築家を探していて、私の元を尋ねてきたのです。素晴らしい計画で、非常に興奮したのを今でも覚えています。その計画が発表されて以来、元からあるコミュニティを維持するという考えはポルトガル全土に広がる事になります。ここからポルトガルの建築が他国に知られる様になっていったのです。
R: No. Yo ya era profesor y algunos alumnos, como Eduardo Souto de Moura, me vinieron a buscar porque necesitaban un arquitecto para firmar y dirigir el equipo. El proyecto me entusiasmó. Luego, la idea de mantener las comunidades se extendió por todo el país. A partir de ahí se conoció en otros países la arquitectura portuguesa.



Q: 今年のプリツカー受賞者であるソウト・デ・モウラ氏は5年間あなたの事務所で働いていました。そしてあなたは、彼に活を入れる為に事務所を追い出しましたね(エドゥアルド・ソウト・デ・モウラ氏についてはコチラ:地中海ブログ:エドゥアルド・ソウト・デ・モウラの建築:ポウザーダ・サンタ・マリア・ド・ボウロ:必要なくなった建築を壊すのではなく、修復してもう一度蘇らせるという選択肢、地中海ブログ:エドゥアルド・ソウト・デ・モウラのインタビュー記事
Q: El último Pritzker, Souto de Moura, trabajó con usted cinco años, hasta que lo echó para que espabilara.

R: 彼には彼自身の人生が必要だったのです。その上、当時の私の事務所には給料を十分に払う事が出来るだけの仕事が無かったのです。何故仕事が無かったか?と言うと、1974年から1976年の間の行われたそれら孤島の計画に参加した建築家達は、投機目的の計画を推し進めたかった人々(土地所有者、不動産業者、そして技術者)の目の敵にされた為、建築家としてのキャリアに傷が付けられ、ポルトガルの建築市場からは殆ど村八分状態にされてしまったからなんです。だからエドゥアルドは出て行ったのです。と言うか、私が追い出したのです。当時は若い建築家が独立する為の仕事が十分にあったと言う事も、彼を追い出そうと思った事を後押ししました。
R: Necesitaba su propia vida. Además, yo no tenía trabajo como para pagarle bien porque la gente que participó en ese programa de las islas entre 1974 y 1976 quedó marcada, absolutamente marginada, por quienes habían salido perjudicados en su ambición por hacer negocios especulativos: propietarios, inmobiliarias y técnicos. Así que Souto se fue. Había trabajo. Pero a nosotros nos habían sacado del mapa.

Q: その後、ポルトガルではなく他の国々があなたを招き始めました。
Q: Luego le invitaron a trabajar en otros países.



R: スペインとドイツ、そしてオランダで住民参加型のソーシャルハウジングの仕事をしました。そこに住む住民にとって必要なものと、彼らの人生を表象する様なデザイン、そんなアイデアを伴った住宅を依頼されたのです。世間は私の事を何時の間にか社会参加のスペシャリストと見るようになっていました。ハッキリ言ってそれほど不快な事はありませんでしたけどね。
R: En España, en Alemania, en Holanda hice vivienda social participada. Siempre me pedían casas en las el usuario da ideas para el diseño explicando su vida y sus necesidades. Quedé marcado como especialista en participación social, una cosa repugnante.

Q: 不快だったのですか?
Q: ¿Repugnante?

R: ハイ、何故なら「参加のスペシャリスト」とは一体何を意味するのでしょうか?私には皆目検討も付かないのですが・・・。
R: Sí, porque, ¿qué es eso de especialista en participación?

Q: とても英雄的な事の様に思えますけど・・・?例えばオスカー・ニー・マイヤーの様な建築家はソーシャルハウジングの仕事をしていません。彼はコミュニスタなので、ソーシャルハウジングを手掛けなければいけないはずですが・・・。
Q: Parece heroico. Arquitectos como Oscar Niemeyer no hicieron nunca vivienda social. Y eso siendo comunista…

R: そうですね、彼はソーシャル・ハウジングを手掛けていません。しかしですね、都市のデザインと言うのは近代化だけでなく、民主化も控えてなければならないと思うのです。そしてそれこそ社会な事だと思うんですね。都市を構成している多数の細胞の内の一つでしかないソーシャルハウジングを手掛ける事は必ずしも必要では無いのです。「変化」と言うのは都市の建設と共に訪れます。当時は本当に沢山のソーシャルハウジングの仕事が舞い込んできたのですが、ソーシャルハウジングの専門化にはなりたくなかったので、他のビルディングタイプのコンペに沢山応募しなければなりませんでした。他のプログラムを持った建築や違う規模の建物を手掛けたかったし、そうする必要性があったからです。
R: Sí, pero yo creo que es social una ciudad que tiene detrás un programa no solo de modernización, sino también de democratización. No es necesario hacer siempre la vivienda que es solo una célula. Los cambios llegan con la construcción de la ciudad. Tuve que hacer concursos porque no quería ser un especialista en vivienda social. Tenía necesidad de experimentar otros programas, otra escala.

Q: Matosinhosはあなたの生まれ育った街であり、ポルトの一地区といっても良いですよね?
Q: Matosinhos, la ciudad donde creció, es casi un barrio de Oporto.



R: ポルトは現在100万人規模の都市となり、周辺に位置する都市はポルトと共に大都市圏を創り出しています。Matosinhosを発展させたのは建築と漁業でした。何故ならポルト市内を流れる河川の漁港はMatosinhosに造られた人工的な漁港に移されたからです。だから第二次世界大戦中には、前線にいる(東西の区別無く全ての)兵士達に送る為の缶詰工場で大変繁栄したのです。何故敵対している両国に支援を送る事が出来たかと言うと、大戦中、ポルトガルはスイスと同様に中立的な立場をとっていたからなんですね。その後それら同じ漁業の事業者達が、タングステンを採掘し始めました。これらの資源がMatosinhosを豊かにしたのです。
R: Oporto tiene un millón de habitantes y las ciudades se han ido añadiendo formando un continuo urbano. Lo que desarrolló Matosinhos fue la arquitectura y la pesca, porque el puerto fluvial de Oporto se trasladó a un nuevo puerto pesquero artificial allí. Así, durante la II Guerra Mundial, se enriqueció mucho con fábricas de conservas que enviaban latas hacia los dos frentes, porque Portugal se mantuvo neutral, como Suiza. Luego, esos mismos empresarios de la pesca empezaron a explotar el wolframio. Con eso se hicieron las grandes fortunas allí.



Q: それら蓄えられた富を一体どの様に浪費してしまったのでしょうか?
Q: ¿Y cómo las gastaron?

R: それらの財産は大変短い間に蓄えられたのですが、その財産を創り出した時間よりもよっぽど早く消費してしまったのです。その富のおかげでMatosinhosは大変成長し、人口は増え、イワシに関しては世界一の水揚げ量を誇っていた程だったのですが、その後、モロッコと言う強力なライバルが現れ衰退期が訪れる事となります。今では缶詰工場は一つしか残ってはいませんが、当時は一つの街路が全て工場で埋まる程繁栄していました。
R: Las hicieron en poco tiempo y las gastaron en menos. La ciudad creció mucho. Aumentó la población y el puerto se convirtió en el primero en pesca de sardina hasta que comenzó la decadencia por la competencia con Marruecos. Hoy solo queda una fábrica de conservas, pero había una calle entera…

Q: ノスタルジーを感じていらっしゃるのでしょうか?それとも、それらの変化を憂いていらっしゃるのでしょうか?
Q: ¿Siente nostalgia? ¿Le preocupan los cambios?

R: 我々は近代化を信じてきたのですが、その近代化は車とバスに空間を譲る為に、路面電車をゴミ箱に捨てるという選択肢を選んでしまいました。それは明らかに間違いだったと思います。今、路面電車は少しずつですが復活してきています。今日において路面電車はクリーンな交通手段、自家用車に代わるオルタナティブな交通手段として見直されているからです。
R: Sí. Nos creímos modernos porque tiramos el tranvía a la basura para dejar pasar a coches y autobuses. Fue un error. El tranvía regresó tímidamente. Pero hoy es una alternativa limpia.

Q: あなたが子供だった頃の「都市と人間の関係」と、あなたの子供達が体験した都市との関係、どちらがより良い関係だと思われますか?
Q: ¿Su relación con la ciudad era mejor cuando era niño que la han tenido luego sus hijos?

R: 幾つかの側面においては、我々は何かしらを失ってしまったと思います。その一方で、現在の我々は昔に比べ遥かに良い生活をおくっているとも言えるのではないでしょうか。現代都市のサービスやインフラは比べ物にならないほど発達しましたからね。一つ例を挙げるなら、ヨーロッパの学生の為に創られたエラスムスと言う交換留学制度が挙げられるかと思います。あのプログラムは欧州委員会が欧州市民の為に実現した数少ない有益なサービスだと思います(地中海ブログ:ちょっと気になる広告:エラスムス(ヨーロッパの大学間交換留学プログラム:The European Community Action Scheme for the Mobility of University Students : ERASMUS)の実態???)。
R: En ciertos aspectos hemos perdido. En otros, vivimos mejor. Hay más equipamientos. Para los estudiantes existe ese programa Erasmus, que es de las pocas cosas buenas que hizo la Comunidad Europea.

Q: 欧州に対して批判的なのでしょうか?
Q: ¿Es crítico con Europa?

R: 難しい局面に直面した時こそ、物事の真価が問われます。今日においては近隣や街路を通した人と人との関係性というのは失われてしまいました。今、近隣関係は移行期にあり、我々は閉じられた建物の中に、まるで地域に背を向けるかの様に住むようになってしまったのです。それら個別的で都市に背を向けている住居郡は、まるでイナゴの大発生が田畑を壊滅させるのと同じ様に、都市、人間、そして我々の子供達をも駄目にしているのです。そんな状況が続いている限り、未だ都市の希望について話す事は出来ません。
R: El valor de las cosas aflora en los momentos difíciles. Hoy, las relaciones de vecindad y de la calle se han perdido. Están en fase de transición y vivimos de manera primaria, en condominios cerrados al barrio que son una plaga para las ciudades, para las personas y para los niños también. Por eso no es posible todavía hablar con esperanza de las ciudades.

Q: あなたのご子息であるAlvaroさんも建築家ですよね。一緒にお仕事はされないのでしょうか?
Q: Su hijo Álvaro es arquitecto. ¿No trabaja con usted?

R: 息子は独立してやりたいんだそうです。分かりますよ、その気持ち。もしあなたが有名な建築家の息子だったら、多かれ少なかれ何かしらの問題に纏わり付かれると思います。彼は才能に恵まれた建築家だと思うのですが、今日的な社会経済状況はそう簡単に仕事を獲得させてはくれないようです。だから時々こう言いたくなるのです:「一緒にやらないか」と。しかし彼はそうしたくないのです。Alvaroはいくつかの計画に非常に満足し、ロシアで2つの賞を獲得しました。
R: Quiso ser independiente. Y lo entendí. Si eres hijo de un arquitecto conocido, con razón o sin razón, tienes problemas. Tiene talento y hoy es difícil acceder a trabajos. Así que a veces me gustaría decirle: “vente”. Pero no quiere. Aun así, ha quedado contento con algunos proyectos y le dieron dos premios en Rusia.

Q: 1973年に奥様を亡くされましたね。建築に従事されていたのは、彼女を忘れる為だったのでしょうか?
Q: Usted perdió a su mujer, Maria Antónia Marinho Leite, en 1973. ¿La dedicación a la arquitectura ha sido un refugio?

R: 違うと思います。彼女の死が私にとって大変大きなトラウマとなった事は事実であり、その事が時に私の集中力を極限まで高めたのかもしれませんが・・・分かりません。分析したくは無いですね。妻が死んだ時、子供達は未だ幼くて、母親が付き添っていなければならない時期だったのですが、多分私は十分に彼らの世話が出来なかったのでは?と思っています。子供達は何時も私と共に生活していましたけどね。
R: No lo creo. Pero claro que fue un trauma muy grande y tal vez eso me empujara hacia una mayor concentración. No sé. Prefiero no analizarlo. Mis hijos eran pequeños cuando mi mujer murió y es posible que no los haya acompañado con la intensidad que sería necesaria. Pero estuvieron viviendo siempre conmigo.

Q: どうやって育てられたのでしょうか?
Q: ¿Cómo hizo para criarlos?

R: 祖母達のサポートがありました。
R: Tenía ayuda de las abuelas.

Q: 大家族のメリットですね。
Q: Otra vez la familia grande.

R: そうですね。しかし、昔とは事情が随分違っていました。祖父母達は子供達とは年代的に相当な隔たりがあり、彼らは彼らの人生を生きてきたので、彼らの自身の経験を、年代も育ってきた環境も全く違う若い子供達に当て嵌める事は出来なかったのです。しかし本当に良く助けてくれました。仕事で外に出て行かなくてはならない時など、祖父母達が代わる代わる面倒を見てくれたのです。しかし、子供達の教育と、彼らと一緒に居る事が出来た時間などに関しては本当に悪い事をしたなと何時も思っています。違うやり方もあった事はあったのですが・・・それは難しい選択でした。
R: Sí, pero no es lo mismo que en otras épocas porque, en determinado momento, los abuelos tienen una experiencia de vida que ya no puede ser traducida a otra generación. Pero ayudaron mucho. Si me tenía que ir fuera, los niños se quedaban con una u otra abuela. Pero, claro, yo tengo la sensación de que no me desempeñé bien respecto a su educación y su compañía. Que otra opción hubiera podido ser mejor, pero… era difícil.

Q: 多分、どんな親でも子供の前では「もっと良く出来たかもしれない」という後悔の念に近い感覚を持つのではないのでしょうか?
Q: Tal vez uno siempre tiene esa sensación ante los hijos, la de no haber hecho lo suficiente.

R: そうかもしれませんね・・・。ところで、絵を描く事は人生を通して何時も私を虜にしてきたのですが、その一方で、絵を描く事にそれ程従事してきた訳ではありません。何故かと言うと、妻が非常に絵が巧かったからなんです。彼女は稀に見る描き手で、彼女の前で絵を描く事など無駄な事にさえ思えたほどだったのです。若くして死んでしまったので、その技術を成熟させる事は出来なかったのですが、彼女は幾つかの素晴らしい作品を残していってくれました。当時、彼女が好んで描いていたのはフィギュラティブ・アートでした。しかもフィギュラティブ・アートが危機に陥ってる時代に、それを描いていたのです。彼女の類まれな才能に何人かの教授は気が付いていたのですが、大学内でさえ、彼女はサポートを得る事が出来なかったのです。理由は簡単で、当時においてフィギュラティブ・アートは流行ではなかったからなんですね。彼女は何時も時代の流れに逆らうような所があり、芸術においてもその姿勢を崩す事はありませんでした。だから彼女の偉大なる才能は、彼女の死後だいぶ経ってからフィギュラティブ・アートの時代が来るまで知られる事は無かったのです。
R: Sí, sí. Voy a intentar fumar ahora –dice disculpándose-. Creo que yo dejé un poco abandonado el dibujo, que siempre me apasionó, porque mi mujer dibujaba tan bien… Era una dibujante extraordinaria y pensé que era inútil ponerse a dibujar a su lado. Por edad, no tuvo tiempo de madurar en el aspecto de la pintura. Tiene algunas magníficas, pero poquísimas. Tiene sobre todo dibujo figurativo, y realizado en una época en la que lo figurativo estaba en crisis. Incluso dentro de la escuela, donde era reconocida por los maestros por su talento, no fue muy apoyada. Ella siempre iba a contracorriente y también en el arte actuó contracorriente. Por eso su gran talento no fue reconocido hasta años más tarde, póstumamente, cuando regresó el movimiento figurativo.

Q: 今もお一人なのですか?
Q: ¿Sigue siendo viudo?

R: はい。再婚しなかった事は間違いだったのかもしれません。きっと子供達にとっても新しい母親が来た方が良かった事だろうと思いますし。まあ、でも再婚なんかしたら、最悪の事態になっていたかもしれませんしね(笑)。一人身でいる事はとても辛い体験でした。
R: Sí. Probablemente fue un error. Tal vez para la ecuación de los hijos hubiera sido mejor no serlo. Pero también podría haber sido peor [se ríe]. Fue una experiencia muy dolorosa.

Q: 中国やドバイで仕事をされようとしませんよね。政治的な理由なのでしょうか?
Q: No ha querido construir en China ni en Dubai. ¿Razones políticas?

R: 違います。建築家と言うのは何時如何なる時でも、自身の政治的信念からはある程度の距離を保ち活動する必要があります。だから質問に対する答えはノーです。中国やドバイで仕事をしない理由は、条件があまり魅力的ではなかったからなのです。
R: No. Casi siempre, un arquitecto necesita tener en su actividad un distanciamiento de sus opciones políticas, con límites, para poder ejercer su actividad. No fue por eso. Las condiciones no eran atractivas.

Q: マドリッドの人々の間では、Prado-Recoletosの計画や、Congresoの前に創られた広場に関して「かなり硬い」と評判です。どうしてあんなにも沢山のコンクリートを使われたのでしょうか?
Q: Entre los madrileños, sus proyectos como el eje Prado-Recoletos o la finalizada plaza frente al Congreso tienen la fama de duros. ¿Por qué tanto hormigón?

R: 建築家が都市に介入する際、何時も何かしらの部分が不完全なものとして残されます。その部分はどんな建築家でも完成させる事が出来る類のものではなく、時間だけが完成させる事が出来るものなのです。「時」とは偉大なる建築家でもあるのです。新しい計画がよく組織された構造を持つ時にのみ、過去の都市が保持している複雑さの中において、新しい計画は未来の介入を吸収する事が出来るのです。反対に、一つの計画が完全にそこで終わっているように見える時なんかは大抵の場合、悪い計画になっていると思います。時間を計算に入れない建築家は何時も敗北するんですよ。
R: Cuando uno interviene en la ciudad siempre queda inacabado porque hay algo que hace el tiempo que ningún arquitecto puede hacer. El tiempo es un gran arquitecto. Solo si tiene una buena estructura organizativa, el proyecto nuevo podrá absorber las futuras intervenciones, en la complejidad que tienen las ciudades antiguas. En cambio, si un proyecto, de entrada, parece muy acabado, normalmente está mal. Quien no cuenta con el tiempo se pierde.

Q: ブラジルのポルト・アレグレに完成された新しい美術館は禁欲的で謙虚な佇まいをしています。しかし同時に、官能的で陽気でさえあります。あれを見た時、あなたには何かしら未だ使っていない新しいカードが隠されていたかのように見えたのですが。
Q: El nuevo Museo Iberé Camargo en Porto Alegre (Brasil) es austero, pero, a la vez, sensual y alegre. Parece como si se hubiera guardado una carta por jugar.

R: 別に今までそのカードを隠していたわけではなく、唯単にそのカードを使う場面が無かっただけなのです。そのカードを切った事は、ブラジルにおいて最高の状態で仕事をするコンディションを私に与えてくれました。潤沢な資金を持った大変優秀で人柄が良いプロモーターが、友人であり画家であるIbere Camargoの美術館実行委員会を組織していたのです。これら友人達による委員会は、この画家と残された婦人に対する友情の気持ちから、建築の質に大変高い関心を払っていました。この美術館のパトロンはポルトアレグレの企業家兼エンジニアで、彼はこの美術館の建設現場を組織するのに情熱を注いでいました。ただですね、この仕事は一つだけ問題を抱えていました。それはこの美術館の影響力の強さです。この美術館の後では、どの仕事もその影響を免れる事が出来ないのです。
R: La carta por jugar es porque no había tenido acceso a esa carta. El acceso me lo dio trabajar en Brasil en unas condiciones fantásticas. Un promotor inteligente, bueno, rico y buena persona formó una comisión de amigos del pintor Iberé Camargo. Estaban muy interesados en la calidad del edificio por amistad con el pintor y con la viuda, que todavía vive. El principal mecenas es un industrial de Porto Alegre, un ingeniero muy entusiasta que organizó la construcción. Ese trabajo, para mí, solo tiene un problema, y es que con los que he hecho después me ha quedado su recuerdo.

Q: 最近、韓国に作品を建てられましたね。しかし、エドゥワルド・ソウト・デ・モウラ氏が、「あなたは良く旅をし、そして他国で沢山の建築を建てられているが、あなたの建築はどれもポルトガルのアイデンティティを保持している」と、そうおっしゃっていますが。
Q: Últimamente ha construido también en Corea, pero Souto de Moura dice que aunque usted viaje mucho, sus proyectos son siempre portugueses.

R: 建築家としての教育、つまり何処の国でどんな教育を受けたかと言う事は、その建築家の作品に必ず爪あとを残します。しかし、その建築が建てられる土地との関係性を保持するという、ある種、建築家に課せられた責任を回避したいとは思いません。それは必要な事なのです。何故なら韓国で動いている工事現場の機械や、そこで働いている人々、更には仕事の仕方といった事はドイツやスペインでやられている事とは全く違うからです。ケネディ大統領が以前こんな事を言っていました:「(外国人が)ベルリンに到着し、その都市を取り巻いている雰囲気や、その都市が本質的に持っている力などを目の当たりにした時、その人はベルリンの人になる」。
R: Es natural porque la formación deja sus marcas. Pero no quisiera eludir esa responsabilidad: trato de mantener una relación con el lugar. Es una necesidad. Porque las máquinas y las manos que trabajan en Corea no son las mismas que las que trabajan en Alemania o España. El ambiente también es muy distinto. Como decía Kennedy, uno que llega a Berlín y ve la fuerza que tiene la ciudad, pasa a ser un berlinés.
| インタビュー集 | 05:42 | comments(6) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
エドゥアルド・ソウト・デ・モウラの建築:ポウザーダ・サンタ・マリア・ド・ボウロ(Pousada de Santa Maria do Bouro)その2:必要なくなった建築を壊すのではなく、修復してもう一度蘇らせるという選択肢
前回のエントリの続きです(地中海ブログ:エドゥアルド・ソウト・デ・モウラの建築:ポウザーダ・サンタ・マリア・ド・ボウロ(Pousada de Santa Maria do Bouro):行き方とレストラン情報)。



バスを降りた目の前に広がっているのは、12世紀に建てられたシトー派の教会と、その横にくっ付いている修道院を改装したという国営の5つ星ホテル、ポウザーダなんですね。石造りの外壁がこの建物を重厚なものにしていると同時に、大変拡張高いものにしているのが分かるかと思います。建築家が補修したというだけあって、保存状態は大変良く、と言うか、逆にこれが12世紀に建てられた建築だとは俄かには信じられない様な、そんな、艶々なお肌をしています(笑)。真ん中にポカンと開いた入り口からは、あちら側に燦燦と輝く中庭空間が:



オレンジ色の土に石壁の色、そして行儀良く並んでいる木々たちが非常に良い雰囲気を醸し出し、あたかもこの空間が、「ポウザーダへようこそ!」と、そう言っているかの様です。さっきまでの力強い石の壁が作り出す冷たい感じと、小さい入り口を通ってきた窮屈感がココで一気に解放され、大変気持ちの良い空間になっています。



左手側にはレセプションへと続く階段が設えてあるんだけど、これ又、石の彫刻なんかが大変丁寧に修復保存されているのが分かります。



ふと見上げると、全面に渡ってコールテン鋼で出来た天井が被せてあります。石のゴツゴツした感じ、塗り壁のクリーム色、天井のコールテン鋼、そして燦燦と降り注ぐ光と木々の緑などが相まって、5つ星ホテルのエントランスに相応しい、非常に質の高い空間を創り出していると思います。さてこの階段を上って行くとレセプションがある空間へと辿り着くんだけど、我々を出迎えてくれる空間がコチラです:



入った瞬間に背筋が「ゾクゾク」とするかの様な緊張感・・・ある種の建築だけが持つ事が出来る空間の質といったものがココにはあります。石で出来たアーチや床、クリーム色に仕上げられている塗り壁、選び抜かれた木の家具、そして青い絨毯と赤い絵画の組み合わせが一連のうねりとなって、この空間に独特な雰囲気を創り出している。言葉で表現するのは非常に難しいんだけど、正に全てが「ビシッ」と決まっている、そんな感じがするんですね。そして振り返るとそこには長い廊下に続く客室空間が見えます:



実は今回この建築を訪れる前に「泊まる予定じゃないんだけど、建築内部を見る事は可能ですか?」みたいな電話を入れておき、「OK」という返事を貰っておいたんだけど、その事をレセプションに伝えたら、普段は見せてもらえない客室を見せてもらえる事になりました。(ちなみにこの建築は、時々結婚式やら会議やらで関係者以外立ち入り禁止になる事があるらしいので、行かれる方は事前に必ずメールか電話で訪問可能かどうか?を確認される事をお勧めします):



一つ一つの部屋はさすが元修道院と言うだけあって、月明かりで読書をする為の石造りの椅子が窓際に備え付けられているって言う大変面白い構造をしています。こんな時、僕が何時も思い出す絵画がコチラです:



ロンドンに行った際に不意に遭遇して心底感動した、ラファエロ前派の代表的な画家、ジョン・エヴァレット・ミレイの描いた一枚です(地中海ブログ:ロンドン旅行その2:Sir John Everett Millais(ジョン・エヴァレット・ミレイ))。部屋の中はシンプルそのものなんだけど、僕が「面白いなー」と思ったのがコチラです:



何と、部屋の雰囲気を壊さないようにと、冷蔵庫が絵画の裏に収納してあったんですね。更にこんなものまでありました:



じゃーん、シザのスケッチ!さすが、この辺は建築家の国、ポルトガルだなー。ちなみに部屋を案内してくれた受付のお姉ちゃんは、この建築が誰によって創られたのか?その建築家がどういう人なのか?アルヴァロ・シザとは一体どういう人なのか?など、一通りの事はキチンと説明出来るくらいの知識は持っていました。彼女曰く、「ソウト・デ・モウラさんの様な素晴らしい建築家によって蘇った、こんな素晴らしいホテルで働く事が出来るなんて夢見たい。本当に幸せです」だって。いやー、自分の仕事に誇りを持って「働ける」、「働いている」って言うのは本当に素晴らしい事だと思います。



さて、この建築は元修道院って言うだけあって、空間的には天井が非常に高く、ゆったりとした空間が広がっているのですが、その一つ一つの空間には、吟味して選ばれたと見られる家具や絵画などが注意深く置かれ、それらがある事によって、空間全体の個性を最大限に引き出す様にデザインされているんですね。



もう一つの回廊型中庭は、一つ一つのアーチや柱に至るまで丁寧に修復・復元されていて、あたかもそれらの残像が、元々ここにあった空間を連想させてくれるかの様です。裏側に回ってみると、大自然に向かって開かれている、静寂だけが支配する中庭空間が展開しています:



石造りと言う特徴を最大限に生かした修復、そして現代的な材料を用いた最小限の付け加えが、この建築の魅力をより一層引き立てています。中に食堂が入っているコチラの部分には、小さな池が創られていて、そこに流れ込む水差の様なものがデザインされていました:



さりげない、本当にさりげない付け加えなんだけど、それが最大の効果を発揮する様に計算されているのが分かるかと思います。



この緑に覆われた建物の手前側に見える石造りの階段と、上の方に見える照明は後から付け加えられたものなんだけど、それがわざとらしくなく、まるで最初からそこに存在したかの様な、非常に自然な感じを醸し出していますね。そこを少し降りていくと、変わった形をしたプライベートなプールがあるんだけど、こちらの形態操作もなかなかニクイ:



形が正円じゃない所がキーですね。そして振り返るとこの風景:



建築が草に覆われ、その存在を消しているかの様なんですね。これはこれで「建築の一つの理想系を表しているのかなー?」とか思わない事もないかな。何より、古いものを使い続ける、壊すのではなく、悪い所を修復してそれを使い続けると言う姿勢には、大変共感を覚えます。前回のエントリで紹介したソウト・デ・モウラのインタビュー記事の中で彼はこんな事を言っていました(地中海ブログ:エドゥアルド・ソウト・デ・モウラ(Eduardo Souto de Moura)のインタビュー記事):

「どんな建物でも又違った使い方、違った生命を与える事が出来ると、私はそう確信しています。もし片足が壊疽に冒されていたとしても、それを取り除く為に足全部を切断する必要はないのです。切り取るのは足の指だけで十分です。 建物も全く同じで、全壊する前に悪い部分を修復する事が必要なのです。そういう意味において、現実主義者になる事は好きですね。建築家は何時も自分の建てた建物は完璧であると思っていて、その一部が機能しないとか、壊れかけてきていると文句を付けてくるクライアントに対して怒り狂っている姿を良く目にしま す。大概の建築家というのは、いつもその様な意見を侮辱だと受け取りますからね。しかし私は常に現実主義者たりえたいと思っています。そして自分の建築に悪い所、機能しない部分があったなら、それらを取り除き、機能する様に修理修繕を好みます。」

さて、これまで見て来た様に、この建築の最大の見所は、石で出来た「地」と言うキャンバスに、現代的な材料であるガラスや鉄、コールテン鋼などをチョコチョコッと用いて、そこに元々存在した空間の魅力を「これでもか!」と高めている所だと思うんですね。逆に言えば、建築の構成などは殆どいじる事が出来なかったと思われる為、空間構成やその裏に流れる「物語り」の様なものには全く見る所はありません。ちょっと意地悪な言い方をすると、「この建築は誰がやってもこうなる」とさえ言えるのかもしれない。何世紀も前に建てられた石造りの下地があって、そこに現代的な材料をミニマルに合わせていけば、それ相応の空間は出来るんじゃないか、と・・・。そんな事を思ってしまうのも、ヴェネチィアに行った際、カルロ・スカルパによる神業的な修復と、家具などを用いた人間の創造性に挑戦するかの様な、そんな仕事を見てしまったからなんですね:



スカルパの、家具を用いた導線操作と視線操作、そしてそれによる物語の創出などには驚きを隠せませんでした(地中海ブログ:カルロ・スカルパ(Carlo Scarpa)の建築その3:カステルヴェッキオ(Castelvecchio):空間の建築家カルロ・スカルパ:ものすごいものを見てしまったパート2)。もっと言っちゃうと、「何故スカルパのディテールが素晴らしいのか?」というとですね、それは、そのディテールを活かす様な物語が、その背後に存在するからなんですね。「スカルパはディテールの人」とか思ってる人がいるかもしれないけど、馬鹿を言っちゃいけない。それは彼の建築の一側面を捉えているに過ぎず、素晴らしい空間構成力があるからこそ、彼のディテールが輝いている訳ですよ。

僕の見る所によると、ソウト・デ・モウラという建築家には、その部分、空間の構成や空間の物語の創出という部分が欠けている様な気がします。確かに一つ一つのディテールや一つ一つの空間は素晴らしいんだけど、それが一つの流れを創り出す様になっていない為、何かしら心に訴えてくるものが浅い様な気がする。



確かに、石造りの基礎とクリーム色の壁に、いきなり緑色の扉を持ってくるって言うトリッキーな事もやってて、それが結構シックリきてたりするって言うデザインセンスの良さはあちらこちらから垣間見える事は見えるんだけど、「それがどうした」、と。



コールテン鋼を斜めに走らせて、そこに銀色のワイヤーを張って創った階段なんて趣味が良いとは思うんだけど、「それがどうした」、と・・・。

その一方で、10年という長い、本当に気が遠くなる様な時間と労力をかけて、よくもまあ、こんなに上手く改修したなと、そちらの方に感動してしまいます。「壊す事に依るのではなく、修復する事で建物を使い続ける」という道、「いらなくなった建物を直ぐに壊すのではなく、改修して蘇らせる事によって新たな命を吹き込む」という選択肢がある事を我々日本人はもっと知るべきだと思います。そういう意味において、この建築は、日本で建築に携わっている人達、そしてこれから建築家を目指そうと考えている日本人の建築家の卵の皆さんに是非見てもらいたい作品だと思いますね。
| 旅行記:建築 | 05:01 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
エドゥアルド・ソウト・デ・モウラ(Eduardo Souto de Moura)のインタビュー記事
3週間ちょっとのガリシア地方滞在を経て、先週末バルセロナに戻ってきました。ガリシア地方はかなり涼しく過し易かったので、バルセロナに帰ってくるのがちょっと恐ろしかったんだけど、あれ、思った程暑くない(驚)。って言うか、夜なんて毛布が必要なくらいヒンヤリしてるじゃないですか!例年なら7月は猛暑のはずなのに、おかしいなー。

そんな訳でもう既に何時もの生活に戻っているのですが、先週日曜日の新聞に今年のプリツカー賞受賞者、エドゥアルド・ソウト・デ・モウラの結構長いインタビューが載っていました。何たる偶然!というのも、実は今回ガリシア(とポルトガル北部)に行った目的の一つは、エドゥアルド・ソウト・デ・モウラの建築を見る為だったんですね。と言うのも、「本当に彼の建築はプリツカー賞に値するのか?」と言う事をこの目で見極めたかったからです。



まあ、その辺の是非は次回以降のエントリでゆっくり書く事として、このインタビュー、ある意味ちょっと面白いかも。と言うのも、今年のプリツカー賞授賞式はオバマ大統領が仕切っていたという情報が載っていたり、更にはオバマ大統領、建築大好きで、シカゴに居た時にはミースが設計したビルで働いてたっていう、これ又、あまり知られてない事が載ってたりしたんですね。他にはソウト・デ・モウラがレアル・マドリッドのクリスティアーノ・ロナウドの家を設計する事になったとか何とかって言う、レアルファンには嬉しい情報なんかも交え、時にはシザとの関係なんかも話しつつ、なかなか楽しめるインタビュー記事だと思います。最初は全く訳す気なんか無かったんだけど、まあ、休み明けの肩慣らしって事で訳してみました。得とご覧あれ!

以下の訳文はEl Pais紙(2011年7月24日)に載ったインタビュー記事の全訳です。

Q=インタビューアーの質問
R=エドゥアルド・ソウト・デ・モウラの回答

Q:今年のプリツカー賞授賞式においてはオバマ大統領が式典長を務められていましたが、アメリカ合衆国の大統領が建築のノーベル賞と言われるプリツカー賞授賞式に参加するというのは一体どういう意味があるのでしょうか?
Q:Obama presidió la ceremonia de la entrega de su Pritzker. ¿Qué signifca que el presidente de EEUU entregue un premio de arquitectura?

R:2つの解釈の仕方がある様に思います。先ず一つ目は彼自身の願望、つまりオバマ大統領自身がこのセレモニーに参加したかったからだという事が一つ。大統領自身が言われていたのですが、どうやら彼は建築家になりたかったそうなのです。建築が大好きらしく、シカゴに居らした時などは、ミース・ファン・デル・ローエのデザインしたビルで働いていたとか何とか。もう一つ考えられるのは、プリツカー一家がオバマ大統領を支援していたという事が挙げられると思います。彼らは民主党支援者で、オバマ大統領を支持していました。
R:Hay dos formas de interpretarlo. Una está en su propio discurso: aseguró que le habría gustado ser arquitecto; que le gustaba la arquitectura, que en Chicago trabajó en un edificio de Mies van der Rohe. La otra es pienso que la familia Pritzker le ayuda mucho. Son demócratas y le apoyan.

Q:オバマ大統領とはどんな会話をしたのですか?
Q:¿De qué habló con él?

R:実は彼とは5分しか一緒にいなかったのですが、とても好意的な方でした。式典でオバマ大統領は演説をされたのですが・・・えっと・・・彼のブレインの誰かが社会的建築の重要性を説いた模範的な演説を用意したと思われるのですが、オバマ大統領はその内容を非常に良く解釈していたと思います。私にとって彼との出会いは、賞を頂くのと同様に大変重要な事柄だったと考えています。彼にもそう伝えました。
R:Solo estuve cinco minutos con él. Pero fue muy agradable. Hizo un discurso…, bueno, alguien hizo un discurso muy cabal sobre la importancia de la arquitectura social. Pero lo interpretó muy bien. Para mí ha sido tan importante el encuentro con él como el premio. Y se lo dije.

Q:他にはどんな事を伝えましたか?
Q:¿Qué le dijo?

R:あなたは大変重要な、責任ある仕事に就いていらっしゃる。そして、この世の中の何かしらを変える事が出来る数少ない政治家の一人であり、多大なる影響力をお持ちであると、そう伝えました。
R:Que él tenía una gran responsabilidad porque era de los pocos políticos que pueden cambiar las cosas. Porque tiene poder e influencia.

Q:彼は何と答えましたか?
Q:¿Qué le respondió?

R:共和党との間の大変複雑な状況をとても懸念している、と。彼がアメリカの負債と、その額を増やす為には憲法改正の余地があるという事、そして共和党が脅しをかけてきていると言う事について話しているのは分かっていました。つまり負債額を増やすなら社会保障の件はチャラにすると・・・。まあ、それはいいとして、彼が授賞式でプリツカー賞を手渡してくれた事は本当に嬉しかったです。先程も言った様に、彼はここ数年間で何かを成し遂げられる数少ない政治家なのだから。そして物凄く気さくな方だという事も分かりました。ご婦人もね。
R:Se le veía preocupado, porque está en una situación muy complicada frente a los republicanos. Sé que está discutiendo el plazo de la deuda americana y para aumentar la deuda hay que cambiar la Constitución, y los republicanos ahora le hacen chantaje: si quieres eso, la sanidad fuera… Bueno, me gustó mucho que me diera él el premio. Es uno de los pocos políticos que en los últimos años han tratado de hacer algo. Y es simpático. La mujer también.

Q:オバマ大統領は演説の中で、あなたのブラガの競技場について触れ、あなたの作品の中では最も重要な作品だろうとおっしゃっていましたね。
Q:En el discurso, Obama habló de su estadio en Braga. Dijo que podría ser su obra más importante.

R:そう、その発言。最高でした。
R:A mi es la que más me gusta.

Q:あなたのお父上はブラガ出身ですね。
Q:Su padre era de Braga.

R:はい。父が小さい頃、サッカーを見に行きたかったそうなのですが、お金が無かった為に何時も競技場の中には入れず、外から見ていたそうなのです。その競技場は私が建てたものとは別のもので、とても美しいファシズムの建築だったのですが、丁度Uの字に開かれた様な形をしていました。そこには丁度、Picotoと呼ばれる丘があり、お金を持っていない大衆階級の人達はその丘に登ってサッカーを見ていたそうです。建築家というのは自分が手掛けたプロジェクトの事をまるで自分の子供の事のように話します。多くの建築家にとっては、それら全ての子供達は平等にかわいく、誰が一番で誰が2番であるとか言うように、順位は付けられないのだと。しかしですね、私は違います。ブラガ競技場の仕事は、私にとって圧倒的に一番熱意を注いだものでした。
R:Sí, y cuando era pequeño e iba a ver el fútbol, era de los que se quedaban fuera. El estadio era otro, muy bonito, un estadio de arquitectura fascista, abierto como una U. En la abertura había una colina, en el monte Picoto, y allí subían los que no podían pagar, la clase popular. Muchas veces los arquitectos hablan de los proyectos como hijos. Dicen que son todos iguales, que no tienen preferidos. Yo no. El estadio de Braga ha sido el proyecto que más me entusiasmó.



Q:何故ですか?
Q:¿Por qué?

R:何故なら全ての事柄が上手く運んだからです。仕事を頼まれた時期、それが建てられた場所、そしてクライアントも最適でした。無我夢中で働いたものです。工事は全てのデザインが終わる前に始まりました。我々が最初にした事は岩を粉砕した事だったのですが、その為に物凄く優秀な若いエンジニアグループと一緒に仕事をしました。この作品は建築作品である共に、又、エンジニア的な作品でもあるのです。そしてランドアートでもあり、それらは全て綿密な仕事によって成り立っています。20ヘクタールという広大な計画において、製図用のカラス口を使って設計するという事は普通では考えられません。これら全ての事象が合致する様な幸運は二度と訪れる事は無いと思います。
R:Porque todo funcionó: el momento oportuno, el lugar indicado, con el cliente adecuado. Trabajamos día y noche. La obra empezó antes de terminar de diseñar el proyecto. Se trituraba el granito. Trabajé con un grupo de ingenieros jóvenes impecables. Es también una obra de ingeniería. Pero también una obra de land art y un trabajo minucioso. No es normal que en un proyecto de 20 hectáreas se pueda llegar a dibujar con el detalle del tirador. Todo este cúmulo de cosas creo que no va a suceder nunca más.

Q:ブラガには、あなたが一番最初に手掛けたプロジェクトである市場がありますね。
Q:En Braga está también su primer proyecto, un mercado.

R:はい、そのプロジェクトをやっていた時は、未だ学生でした。
R:Era todavía estudiante cuando lo hice.

Q:残念な事にも既に解体されたと聞いていますが。
Q:Y ya lo demolieron.

R:それはちょっと違います。我々はそれを改修し、そして他の機能へと変換したのです。その裏にはこんな逸話があります。アルヴァロ(アルヴァロ・シザの事。以下ソウト・デ・モウラの発言でシザが出て来た時はアルヴァロで統一します)の事務所を辞めた後、私の学生時代にお世話になった都市計画の教授と一緒に働き始めました。市場の計画は彼のプロジェクトだったんですね。しかしですね、彼は私にそのプロジェクトを進める様に言ってくれたのです。それから間もなくして、私はミリタリーサービスへ行く事になったのですが、彼の態度は実に誠実そのものでした。私が進めていたその計画を彼は横取りする様な事はせず、軍隊に通いながらその計画を進める事が出来たのです。それが完成した後、時が経つにつれ天井には歪みが生じてきました。更に悪い事には、その市場がある地区にはスーパーマーケットが所狭しと並ぶ事となったのです。そんな状況から、市場がそこに存在する理由が無くなってしまったのです。
R:No. Lo transformamos. La historia es así. Dejé de trabajar con Álvaro Siza y fui a trabajar con mi profesor de urbanismo. El proyecto del mercado era suyo, pero me dijo que empezara a diseñarlo yo. Y lo dibujé. Luego me fui al servicio militar y él fue muy honesto. No lo continuó, me dejó trabajar desde la mili. Con el tiempo, apareció una deformación en el techo. Y, peor aún, el barrio se llenó de supermercados. Desapareció la razón de ser del mercado.

Q:スペインでは今、前世紀や今世紀初頭に建てられた古い市場が活気を帯びてきています。つまり人々はスーパーよりも古い市場に興味を示し始めているのです。
Q:¿Nos falta paciencia? Ahora en España están volviendo los mercados.

R:ポルトガルでも状況は同じです。しかし私が設計した市場は閉鎖されてしまいました。市場の売り子達は寒さに震え、人々はそこに行かなくなってしまったのです。そうこうしている内に、その場所は麻薬と売春の温床となり、どんどんと荒廃し始めていきました。そんな状況を見かねてか、ブラガ市の市長が「市場を解体したいのですが」と電話をかけてきたのです。その電話を受け取って以来、市場の将来について大変心配していたのですが、というのも、あの作品は私の人生にとって大変大切な作品だったからです。そうこうしている内に、ジャン・ヌーベルがパリのビエンナーレにその市場を展示したいと電話をかけてきました。あのブラガの市場からは本当に沢山の事を学び、そして本当に沢山のものを私に与えてくれたので、その時には、何かしらのお返しをしなければと考えるようになっていたのです。だから市長が「その市場に何かしらのプロジェクトがしたいですか?」と訊ねてくれた時、「少し考えたいので一日だけ待ってもらえませんか?」とお願いしたのです。その後市長に、屋根付きの街路、パサージュのようなものを提案する事にしました。こうして市場は2つの街路で結ばれ、人々はその市場の空間を行ったり来たりする様になったと言う訳なのです。そのような使われ方を復活させたかったし、都市における建物を変形したかったのです。歪みが出ていた天井を切り取り、列柱の遺構を伴ったローマ都市のように柱を残しました。今ではそこにはダンスとミュージックの学校が開校しています。その空間は非常に良く機能しているのですが、それは当初私が考えていた使用法とは異なり、人々がその空間をどう使うかを自ら考え、そして適応した結果なのです。
R:Y en Portugal también, pero el mío cerro. Los vendedores pasaban frío y los clientes dejaron de ir. El lugar se degradó con droga y prostitución. Y el alcalde me llamó porque quería demolerlo. Yo me preocupé. Esa obra fue importante en mi vida. Jean Nouvel me llamó para que la expusiera en la Bienal de París. Me había dado mucho y debía hacer algo por ella. Así que cuando el alcalde me pregunto si quería hacer algo, le pedí un día para pensarlo. Luego le propuse hacer una calle cubierta. El mercado conectaba dos calles y la gente lo usaba para pasar de una a otra. Quise recuperar ese uso y transformar el edificio en ciudad. Corté la cubierta que se deformaba y mantuve los pilares como una ciudad romana con restos del peristilo. Luego montaron una escuela de danza y otra de música. Hoy funciona muy bien, por el uso que han sabido darle.

Q:作品を完成させた何年か後にクライアントが再びその作品について意見を求めてくると言うのは普通なのでしょうか?
Q:¿Es eso habitual? ¿Sus clientes le piden opinión años después de que entregue una obra?

R:どんな建物でも又違った使い方、違った生命を与える事が出来ると、私はそう確信しています。もし片足が壊疽に冒されていたとしても、それを取り除く為に足全部を切断する必要はないのです。切り取るのは足の指だけで十分です。建物も全く同じで、全壊する前に悪い部分を修復する事が必要なのです。そういう意味において、現実主義者になる事は好きですね。建築家は何時も自分の建てた建物は完璧であると思っていて、その一部が機能しないとか、壊れかけてきていると文句を付けてくるクライアントに対して怒り狂っている姿を良く目にします。大概の建築家というのは、いつもその様な意見を侮辱だと受け取りますからね。しかし私は常に現実主義者たりえたいと思っています。そして自分の建築に悪い所、機能しない部分があったなら、それらを取り除き、機能する様に修理修繕を好みます。
R:Estoy convencido de que cualquier edificio puede tener otra vida. Si hay una gangrena, no siempre es necesario cortar una pierna entera. Se puede cortar un dedo. Creo en la reparación. Me gusta ser realista. Es muy fácil para los arquitectos estar enfadados y sertirse mal con el mundo. La mayoría encuentran siempre motivos de ofensa. Yo soy realista. Creo en la reparación.

Q:それではクライアントとは良好な関係を築かれているのですか?
Q:¿Y tiene buena relación con los clientes?

R:はい、とても良い関係を築いていると思います。何故なら建築は建築家だけでは成立しないからです。クライアントが気に入らない事、もしくは建築家自身が気に入らない事は出来ないのです。もっと言うならば、あなたが信じない様な事やクライアントが理解出来ない様な事は実現出来ないのです。もしそれらを強引にしようものなら結果は散々に終わると思います。だからコミュニケーションを取る事が大変重要となってくるんですね。話をするという事は、お互いを理解するという事なのですから。患者に対して処方すべきだと信じている治療を許さない様な、そんな状況に陥っている医者の事を想像出来ますか?自分がどんな状態なのかをキチンと説明する事、コミュニケーションを取る事は基礎中の基礎なのです。そしてそれは我々建築家とクライアントの関係にも当てはまります。話す事によって片方はもう片方を理解する事が出来るのです。クライアントと建築家の関係と言うのは、カトリックにおける信者と神父との関係に似ているかもしれません。信者は神父に全ての事を包み隠さず話すのですから。何時トイレを使うのか、何処に服をしまうのかなど、建築家はクライアントの殆どの行動が分かっているといっても過言ではないでしょう。そういう意味において、私は建築を構成している単なる半分の要素ではありません。クライアントやプロジェクトとの関係において、私は私自身を深い最深部まで導きいれているのですから。
R:Muy buena. Porque la arquitectura no puede ser una media tinta. No puedes hacer una cosa que no le gusta a tu cliente o que no te gusta a ti. No puedes hacer algo en lo que no crees o algo que tu cliente no entiende. Todo eso sale mal. Por eso es fundamental hablar. Y hablar es conocerse. ¿Se imagina un médico contrariado porque no le dejan hacer lo que él cree que debe hacer? Es fundamental saber explicarse. Nosotros y los clientes. Hablando, uno se entiende. La relación entre cliente y arquitecto es casi como la que se establece con los curas, íntima. Nosotros sabemos casi todo sobre un cliente: cuándo usa el baño, dónde guarda la ropa… No soy una persona de medias tintas. En las relaciones, como en los proyectos, me meto hasta el fondo.

Q:あなたのお父上はブラガの眼科医でしたね。
Q:Su padre era un oftalmólogo de Braga.

R:はい、偶然にも現在ブラガ競技場がある、その目の前で生まれました。
R:Sí, por coincidencia nació justo donde hoy está el estadio.

Q:すごい偶然ですね。
Q:Causalidades….

R:偶然ならもっとありますよ。私の母が子供の頃、肺の病気を患っていたそうなのですが、その療養の為に、ボウロにあるサンタマリア修道院に行っていたそうなのです。あたかもトーマス・マンの「魔の山」と言う小説の様なのですが。何故かと言うと、私の叔父がそこで医者をしていたからなのです。数十年後、私がその修道院をポウサーダ(国の経営する高級ホテル)にしました。工事期間中、母をその現場に連れて行ったのですが、彼女は療養中に過ごした自分の部屋を覚えていました。このような偶然のお話なら数え切れないくらいあります。
R:Hay más. Mi madre de niña tenía los pulmones enfermos y, como en La montaña mágica de Thomas Mann, fue a recuperarse al monasterio de Santa María de Bouro, porque mi tío era médico allí. Muchos años después, yo reconvertí ese monasterio en pousada [el equivalente portugués de los paradores españoles]. Llevé a mi madre durante la obra y ella recordaba la habitación donde había pasado la convalecencia de niña. Hay muchas historias de coincidencias.



Q:伝記的な指紋があなたの作品のガイドをしているという訳ですね。
Q:Una huella biográfica que va guiando sus proyectos.

R:映画創れますよね。
R:Para hacer una película.

Q:あんたのクライアントの一人、世界的に知られている映画監督、Manoel de Oliveiraに相談してみては如何ですか。
Q:A lo mejor puede hablar con Manoel de Oliveira, uno de sus clientes famosos.

R:・・・彼とはそれほど話をしませんでした。そんなに簡単な人ではないのです。彼の息子の為に家を一軒建てたのですが・・・思うのですが、社会的により高い地位にいるという事は、社会的により多くの責任を負っているという事だと思います。だからそういう地位にいる人というのは、時に感情を押し殺し、合理的にそして落ち着いて対処しなければならないと思うのです。それは彼の行動や言動が全て息子の為だったとしてもです。
R:No. No hablo mucho con él. No es una persona fácil. Hice una casa para un hijo suyo, pero yo creo que cuanto más alto estás, más responsabilidades tienes. Por eso hay que tener la cabeza fría. Incluso si entiendo que por un hijo se hace todo.

Q:何がおっしゃりたいのでしょうか?あなたは感情を押し殺す事が無いのでしょうか?
Q:¿Qué quiere decir? Usted no tiene aspecto de tener la cabeza fría.

R:そうですね、何時も感情的になってしまうのですが、常に合理的であるべきだと思っています。以前、友人の子供達の指導教官になった事がありました。ある時、彼らの両親がこう言ってきたのです。息子達がスケッチをする為に毎日早起きをし、毎日ひたすら勉学に励んでいる、と。しかしですね、ハッキリ言ってそんな言動は全く何の役にも立ちません。結果を見なければならないのです。つまり言葉ではなく、何をしたかという結果が大事なのです。私の2人の娘達は建築家です。しかし上の娘が建築を学び始めた時、彼女の成績は現在の入学試験で言う所の9点を取れませんでした。つまり彼女の成績はそれ程良くはなかったのです。その後彼女は自分の選択が間違っていたのでは?と悩み、最終的には建築を辞めたいと言い出したのです。建築計画の先生が好きではないと。結果不合格になりました。私の友達は皆して私を責め立てました。どうしてそうなる前に彼と話をしなかったのか?どうして何もしなかったのか?と。私は娘に不合格になった理由を、「十分に努力しなかったからだ」と言い伝えました。そして彼女は留年してしまったのです。家族が自分と同じ領域で働いているという事は、時にとても複雑な状況を生み出します。私は建築家として娘達にとってとても厳しい父親だと思います。いつも責められていますから。
R:Pero debo tenerla. He sido profesor de hijos de amigos míos y no me basta que ellos me digan que sus hijos madrugan para ponerse a dibujar. Tengo que ver los resultados. Tengo dos hijas arquitectas. Pero cuando la mayor empezó arquitectura no pasó con 9, que lo que hoy piden en el examen de ingreso. Luego ella se sintió mal. Quería dejarlo, No le gustó el profesor de dibujo. Suspendió. Y mis amigos me criticaron por no haber ido a hablar con él, me criticaban porque no había hecho nada. Le dije a mi hija que no se había esforzado lo suficiente. Y ella perdió el año. Tener a la familia en lo tuyo es un tema difícil. Mis hijas son muy duras conmigo. Me critican muchísimo.

Q:奥さんもそんな感じなのですか?
Q:¿Su mujer también?

R:はい、4人ともそんな感じなのです。物凄くダイレクトに批判を浴びせてくるのです。
R:Sí, las cuatro. Son muy directas con sus críticas.

Q:彼らの言っている事は理に適っているとお思いですか?
Q:¿Y tienen razón?

R:あいにく、時々物凄く理に適った事を言っていますね。しかしですね、建築家の子供達は何時も何かしらの問題を抱えているものなのです。彼らはいつも父親の後を追います。そして彼らの多くは建築家として独立する事が出来ず、社会的な圧力の下に生きているのです。勿論その中には同業者としての親の仕事をきちんと見極めながら、自分の仕事をこなす人達もいます。リカルド・ボフィールと働いていたコデルクの息子やアルヴァロの息子、Álvaro Leiteなどがそうだと思います。そして私の娘達も同じです。各々が自分自身の道を模索し、そして己の道を歩むのが私は良い人生ではないかと、そう思うのです。
R:Por desgracia, a veces sí. Pero los hijos de arquitectos tienen siempre problemas. Están los que siguen al padre, que no se sienten seguros y tienen presión social. Y están los que, sin matar al padre, se buscan otra vida. Sí, como el hijo de Coderch, que trabajó con Bofill; el hijo de Siza, que firma Álvaro Leite. Mis hijas también: Luisa Moura, Eduarda Moura. Creo que es mejor que cada uno siga su propio camino.

Q:父親との関係を絶つ事が重要なのでしょうか?
Q:¿Es importante romper con los padres?

R:と言うか、自分自身の道を行く事が重要なのです。
R:Lo es seguir un camino propio.

Q:あなたのお父上は眼科医でした。何故建築の道を選ばれたのですか?
Q:Si su padre era oftalmólogo, ¿por qué decidió estudiar arquitectura?

R:兄の影響だと思います。とても教養のある人です。
R:Por mi hermano, un tipo muy culto.

Q:検察官の?
Q:¿El fiscal?

R:はい、彼は検察官の中でも皆を束ねるボスだったのですが辞めさせられてしまいました。何故かって、誰それ構わず、皆を皆、牢屋へ送っていたからです。そう、スペインで言う所の、有名な検察官、何と言いましたっけ・・・
R:Fue fiscal general, pero lo expulsaron porque metió a todos en prisión. Es como en España el juez…

Q:ガルソンですか?
Q:¿Garzón?

R:そう、ガルソン検事。私の兄は、ブルジョア階級の人物が関わっていた児童買春の、社会的に大変重要な事件を扱っていました。それらを暴く為に調査を開始したのですが、全ての情報は隠されていたり、闇の中に葬り去られていたりしていて、一からそれらを全て掘り起こさなければならなかったのです。彼は哲学を学んでいたのですが、スケッチがとても上手かった。だから美術を勉強したがっていたのですが、数学が好きでは無かった為に最終的には法律を選んだと言う訳なんです。その後私に建築を勉強するように勧めてきたのです。そんな私の選択を見て、父が怒鳴っていたのを今でも覚えています。「美術だと!そんなものとんでもない。全ての美術はコミュニスタだ!」、と。まあ、構わず建築を選びましたけどね。
R:Garzón. Mi hermano llevó un caso enorme de pedofilia con gente muy importante de la alta burguesía implicada. Se lo encontró todo cerrado, pero lo reabrió todo. Estudió filosofía. Dibuja muy bien. Quería hacer bellas artes, pero hizo derecho porque no le gustaban las matemáticas. Luego me aconsejó que estudiara arquitectura. Mi padre puso el grito en el cielo: “No, en bellas artes son todos comunistas…”. Pero lo hice.

Q:彫刻家になりたいが為に美術を始めたというのは本当でしょうか?
Q:¿Es cierto que empezó bellas artes porque quería ser escultor?

R:いいえ、違います。みんな、アルヴァロと勘違いしているのです。多分何処かでお読みになったのだと思うのですがハッキリ言います、それは間違いです。実はその類の記事、私も読んだんですけどね。
R:No. Es que me confunden con Álvaro (Siza). Lo habrá leído, seguro, pero no es verdad. Yo también lo he leído.

Q:あなたの人生の中で重要な影響を及ぼした人物と言えば、やはりアルヴァロ・シザという事になるのでしょうか?
Q:Una persona importante en su vida es el arquitecto Álvaro Siza.

R:はい、計り知れないくらいの影響を受けました。私が学生の頃、ポルト大学は物凄く政治化していました。社会学が幅を利かせていた時代だったのです。ブルジョア階級の豪邸の庭の片隅に労働階級が家を持っているという、そういう酷い住宅状況を変える為に必死になって働いている、正にそんな時代でした。それら労働者の人達の家はislasと呼ばれていました。そんな酷い状況を変える為、私達は近隣住民団体と共に働いていたのです。そんな状況下においてカーネーション革命は勃発したのです。革命後、政府が民主化されるに伴い、建築家のヌーノ・ポルタスが住宅局の書記官になりました。そして彼は、「もしも住宅問題に関して優れたプランや計画があるならば力を貸す」と、そう公表し、広く優れた案を募ったのです。我々は当時最低の質を持った住宅を少しでも誇りを持って住める住宅に変えようと努力していたのですが、そのプロジェクトにサインをする建築家が必要でした。当時の私達は未だ学生だったのですから。こうして最高の建築家を探し出したのですが、当時最高と思われたのがアルヴァロだったのです。こうして彼との繋がりが出来、そのプロジェクトが終わった後も彼の事務所に残る事にしました。その後5年間の間、彼の事務所で働く事になりました。
R:Sí. Mucho. Cuando yo estudié, la escuela de Oporto estaba muy politizada. Eran los años de la sociología. Y trabajábamos para cambiar las infraviviendas que los obreros tenían en los jardines de las viviendas burguesas. Se llamaban islas. Queríamos cambiar las cosas. Trabajábamos con las asociaciones de vecinos. Todo era muy social. Lo extraordinario es que luego estalló la revolución de los claveles. Y cuando Nuno Portas se convirtió en secretario de Estado de Vivienda dijo que quien tuviera un plan y estuviera organizado, él lo apoyaría. Decidimos dignificar esas viviendas. Pero necesitábamos un arquitecto que firmara el proyecto. Éramos estudiantes. Así es que fuimos a buscar al mejor. Y el mejor era Siza. Luego me quedé a trabajar con él cinco años.

Q:彼があなたを放り出すまでですね。
Q:Hasta que le dio una patada y lo echó.

R:そう、そうの通り。ある日彼は私に言いました。「建築家になりたいなら、ここで働き続ける事は出来ないよ。出て行かなくてはならない」。もっともな忠告だったと思います。あそこで働く事はとても居心地が良いものでした。そこから出て行く事は、自分自身に「活」を入れなくてはならなかったのです。アルヴァロと働く事は私にとって大変な喜びであり、素晴らしい体験だと思います。特に人として彼は普通ではありません。当時彼は未亡人で、私は独り者だったので、何度となく食事を共にしたものです。彼はアアルトを擁護し、私はミースを支持したのをよく覚えています。
R:Sí. Un día me dijo: “Si quieres ser arquitecto, no puedes continuar aquí. Tienes que irte”. Y tenía razón. Era cómodo trabajar allí. Pero al salir tuve que espabilarme. Trabajar con Álvaro es maravilloso. Como persona es excepcional. Por entonces él se había quedado viudo y yo era soltero, así que comíamos muchas veces juntos. Él defendía a Alvar Aalto. A mí me gustaba Mies van der Rohe.

Q:今でもその時と同じ様に考えていますか?
Q:¿Hoy sigue pensando lo mismo?

R:そうですね、アアルトには彼のアイデアの有効性、そしてその効力に物凄く印象つけられました。当時はアアルトの事を表現主義者だと思っていたのですが、彼の建築を実際に訪れてみると、彼は物凄い合理主義者だという事が分かります。アアルトは私が最も作品集を購入した建築家でもあります。彼の創り出す近代的で暖かい、そして匿名の家具が大好きです。それに比べると、ミースはもっと急進的だと思います。
R:Bueno… de Aalto me impresiona mucho la vigencia de sus ideas. Entonces creía que era expresionista, pero visitando su trabajo en Finlandia entiendes que era muy racionalista. Es el arquitecto del que compro más libros. Me gustan sus muebles: modernos, cálidos y casi anónimos. Pero creo que Mies era más radical.

Q:そして若いあなたは急進性を好んだ・・・
Q:Y como joven, usted prefería la radicalidad…

R:カーネーション革命の時期だったのです。国をもう一度立ち上げ、そして5千万世帯の住宅を建設しなければならなかったのです。アルヴァ・アールトの様に土地と慣習を模索しながらやる事は、その当時のポルトガルでは最良の選択だとは思えませんでした。時代がそうさせてはくれなかったのですから。ポストモダンの圧力を撥ね退ける為のテクニカルな言語が必要だったのです。実用的で効果的な言語です。沢山の議論を重ねた末、ミースはアアルトよりも我々にとって助けになると、そう思うに至りました。
R:Era el tiempo de la revolución de los claveles. Había que rehacer el país, construir medio millón de viviendas. Tanteando el lugar y las costumbres como Alvar Aalto, no íbamos a poder hacerlo. Necesitábamos un lenguaje técnico para vencer la presión posmodernista. Un idioma práctico y eficaz. Discutíamos mucho. Yo creía que Mies podía ayudar más que Alvar Aalto.

Q:シザのどんな所を素晴らしいと思いますか?
Q:¿Qué admira de Siza?

R:そうですね、私にとっては彼の創り出す建築というよりは、彼自身のパーソナリティ、人間としての倫理、そして知識ですね。彼は我々に何かを成し遂げる為のキッカケ、そして道具を与えてくれるのです。その反面、彼はとても口うるさい人でもあるという事を言わなければならないでしょう。穏やかで、そしてとても優しいのですが全てを理解したがります。何年か前に彼について書いたテクストがあるのですが、その中で彼のパーソナリティについて、「凡人が全て考え終わったと考えたその時こそ、アルヴァロ・シザにとっては全ての始まりになる」と、そう説明しました。
R:Lo que me marcó fue más su figura que su arquitectura: el hombre, su ética y su conocimiento. Él te da los instrumentos para hacer. Pero es extremadamente exigente. Es suave y dulce, pero lo quiere entender todo. Tengo un texto sobre él que escribí hace años. En él explicaba que con Álvaro cuando uno piensa que está todo acabado te lo hace empezar todo de nuevo.

Q:76歳になった今でも彼はポルト・アレグレに創った様な素晴らしい美術館を生み出し続けています。あれは何か新しいものが生まれ出て来る様な、そしてそこに辿り着くかどうか分からない、どこか遠くの地平線の彼方の様な、正にそんな2つの間に生まれ出たかの様な建築だと思います。
Q:Con 76 años, Siza firmó el Museo Iberê Camargo en Porto Alegre, que es una mezcla entre volver a nacer y haber llegado a lo que no sabías que se podía alcanzar.

R:あれは凄いですね。あんなものを見せられたら、コピーするとか、そこから何かを学び取るとか、そんな事はどうでも良い様に思えてくる程です。それほど完璧な創造だと思います。建築を創っている最中、何かしらの問題にブチ当たったり、何かに躓いたりすると、何時もこんな風に考える様にしています。「アルヴァロならどう考えるかな?どんな戦略を練るかな?」と。彼とは未だにプロジェクトを一緒にやる機会があるのですが、最近ではナポリの地下鉄の計画を進めていますね。彼と旅をするのは本当に楽しい。色々な話をし、議論をし、そして一緒に食事をします。私がスケッチを書いていると、こんな事を言うのです。「違う、違う、そうじゃないでしょ」みたいな(笑)。我々は今でも非常に良い関係を保っているのです。
R:Ese edificio es impresionante. Y ante algo así, uno piensa: ¿copiar qué?, ¿estudiar qué? Pero cuando tengo un problema, muchas veces pienso: ¿qué haría Álvaro?, ¿qué estrategia seguiría? Y todavía trabajo con él en algunos temas. Hacemos juntos el metro de Nápoles. Y es un placer viajar con él. Contamos historias, discutimos, vamos a cenar… Trabajamos bien. Yo dibujo y él me dice no, no, no… [Risas]. Es una relación muy bonita.

Q:シザの後継者にはなりたくなかったのですか?もしくは彼がそうさせなかったとか?
Q:¿Usted no quiso ser su discípulo o él no le dejó?

R:それは不可能でした。彼の頭の中に入り込むのは無理だったのです。彼の扱う建築的言語やテクニック、彼の使う建築的文法などは良く理解しているつもりです。しかし彼の様に考える事は出来ないのです。何故なら私の頭の中には私自身のアイデアがあり、それはアルヴァロのそれとは違うものなので。彼はこんな事を言います。「エドゥワルド、君の建築は、そう、君の好きなミースの様な新造形主義だね」と。私は何も彼に示す必要はないし、彼も私に対して何も強要はしません。こういう関係は私達にとって非常に心地良く、それが我々の関係を良好なものにしているのかもしれません。彼と一緒に働く事は私にとってはチェスをやるようなものなのです。私の家で一緒にスケッチをしたりもします。しかしもう一度強調したいのですが、彼のパーソナリティは建築家というものを遥かに超えた、非常に強いものだと思います。彼のアイデンティティを理解する事、そして彼の持っている倫理を理解する事は、ひいては彼の創り出す執着的な建築を理解する事に繋がるという意味において非常に重要な事なのです。例えば彼がボア・ノヴァのレストランをデザインしている時だったと思うのですが、何と彼はそのレストランが建つ敷地にある石の上に寝ていたんですね。そしてそれら全ての石の位置や形状を記憶していたのです。アルヴァロという人はそれくらい執着心が強い人なのですが、彼の娘も又、かなりの執着心持ち主だと思います。
R:No era posible. No lograría meterme en su cabeza. Conozco muy bien el lenguaje, la parte técnica. Conozco muy bien su gramática. Pero no podría pensar como él. Tengo otras ideas. Él dice que soy neoplástico, como el Mies que me gusta. Yo no tengo que probar nada a Álvaro, y él no quiere nunca imponer nada. Eso nos hace estar bien. Trabajar juntos es como jugar al ajedrez. Dibujamos en mi casa. Pero insisto: el personaje es más fuerte que el arquitecto. Es muy importante entender la identidad, la ética que da como consecuencia este tipo de arquitectura obsesionada. Siempre ha sido un tipo obstinado. Cuando estaba haciendo el restaurante Boa Nova, dormía en las piedras. Se las conocía de memoria. Su hijo también es obsesivo.



Q:シザの姪であるあなたの奥さんも建築家ですね。しかし、あなたとは一度も仕事をされていません。
Q:Su mujer, que es sobrina de Siza, es también arquitecta, pero no ha trabajado nunca con usted.

R:そうですね、女房とも娘達とも今まで一度足りとも仕事をした事はありません。今彼女は兄弟の為の家を数件デザインしています。
R:Eso lo tengo claro: ni hijas ni mujer. Ella hace ahora unas casas para sus hermanos.

Q:想像するに、3人の娘を持つという事は、今日の若者が持つであろう諸問題、つまりは仕事を探す為に他の国に行かなくてはならないという大問題に直面しているのではと思うのですが?
Q:Me imagino que tener tres hijas le acerca al problema de los jóvenes de hoy que tienen que emigrar en busca de trabajo.

R:全くその通りです。これは非常に大きな問題であり、夜も十分に眠れない程の悩みなのです。現在私の事務所には35人の所員がいるのですが、彼らに「リスボンに行って自分の事務所を開け」だとか、彼らの将来の為に私の同僚に何か良い仕事が無いか聞く事すら出来ない状況なのです。我々はまるっきり出口の見えない、そんな状況に追い込まれているのです。プリツカー賞を受賞した時、ポルトガルには仕事が一つもありませんでした。今の若者達はブラジルやスイスへ仕事を探しに行くか、もしくはレストランを開店するしか無い様な状況に追い込まれているのです。それらの若者は教育的に不十分だとか、能力が無いとか、そんな事は全く無く、むしろ、彼らの多くはレベルの高い教育を終了し、非常に高い技術と志を持っているのです。それにも関わらず、この国ではその能力に十分見合った職に就く事が出来ないのです。この様な社会的な変化は急速に訪れました。まるで昨日までは沢山の仕事があったのに、今日になって急に何も無くなってしまったかのような、そんな状況なのです。ハッキリ言って建築家として私と働く事はとてもシンドイと思います。私の事務所で何年間か苦労した後、自分の事務所を開設する事が出来るのならそれも又良い道だとは思うのですが、今はそんな事が出来る状況にはありません。私は彼らに何と言えば良いというのでしょうか?そんな状況を考えると大変憂鬱になり、そしてこの国の行く末、彼らの将来の事を心配してしまいます。
R:Es un problema enorme. Me quita el sueño. Yo tengo 35 colaboradores y no puedo decirles que vayan a Lisboa o a pedir trabajo a un colega. No hay nada. No hay ninguna puerta abierta. Cuando recibí el Pritzker, no tenía ningún trabajo en Portugal. Los jóvenes se tienen que ir a Brasil, a Suiza o a abrir un restaurante. Me preocupa porque hay mucha gente con formación y vocación y nos hemos encontrado este problema casi de un día para otro. Trabajar conmigo es duro, y pienso: ¿para qué?, ¿qué les dices a quienes se han esforzado tanto? Entristece lo que estamos viviendo y me preocupa.

Q:ポルトガルでは今でも仕事が無い状況が続いているのでしょうか?
Q:¿Sigue sin trabajo en Portugal?

R:はい、私も他の国に出稼ぎに行ったくらいです。
R:Sí. Yo también emigré.

Q:贅沢な出稼ぎにね。
Q:Emigrante de lujo.

R:当然です。苦しんでいると不平を言うつもりは毛頭ありません。しかし仕事を国外に探さなくてはならなかったのです。勿論自分の国に留まってここで仕事が出来たら最高だったのですが、そういう訳にもいかなかったのです。
R:Por supuesto. No digo que este sufriendo. Pero he tenido que buscar fuera. A mí me gusta mucho más quedarme en casa.

Q:こんな状況下において、今あなたの国と、そしてヨーロッパ全体が右傾化しようとしていますが、どう思われますか?
Q:En este clima, ¿qué opina de la derechización de su país y de Europa en general?

R:今日において左派はどんな意味を持つというのでしょうか?ハッキリ言ってそれ程重要な意味合いを持っているとは思えません。そしてその事は散々な結果に終わると思います。これは何もイデオロギーの問題ではなくて、不平等の問題なのです。ウォールストリートが世界の未来を決めるなどとは到底思えません。そして世界中の政府は、土地投機などに投資した銀行を助ける事は出来ないと思います。今我々が直面している状況というのは、右や左と言ったイデオロギーの違いによる問題ではないのです。右派にも物凄く優秀な人間はいます。問題なのはモラルが無い事なのです。そしてこの様な状況は、何かしら恐ろしいモンスターを産み出す事態に陥る可能性を孕んでいるのです。この様な状況は長くは続かないでしょう・・・。ポルトガルの状況は最悪です。
R:¿Qué es ser de izquierdas hoy? Parece que no tiene mucho significado. Esto va a acabar mal. No es un problema ideológico, es un problema de injusticia. Wall Street no puede decidir el futuro del mundo. Los Gobiernos no pueden ayudar a los bancos para que inviertan en especulación. La situación no es un problema entre derechas e izquierdas. Hay gente de derechas muy buena. La situación es amoral. No hay moral. Esto da la posibilidad de hacer cosas monstruosas. Esto no puede durar… Portugal está fatal.

Q:ポルトアレグレにおけるシザの様に、あなたの建築も又、時間と共に自由になってきたと思うのですが・・・。Paula Rego美術館は正確に言うと、あなたの一連の作品の様に、デカルトの流れを汲むものではなく、ましてや、ミースの流れを汲むものでもありません。
Q:Como Siza en Porto Alegre, usted también se ha soltado mucho con el tiempo… El Museo Paula Rego no es precisamente cartesiano ni miesiano como tanta obra suya anterior.

R:そう言われています。私の建築における変化は、ポルトの地下鉄をデザインしていた時から始まったのでは?と思います。あの時は何の先例も無く、自由気ままにやれたのです。医者が患者の体をよく観察し悪い所を発見する様に、都市の特徴を注意深く観察し、分析する事を学ばなければならなかったのです。地下鉄をデザインしている時に、ある一つの考えが浮かんできました。「もしかしたら、我々が考えているように、建築と言うのはそんなにデカルト的ではないかもしれない」と。その後、実験をしてみようという気になりました。実験無しには建築というのは非常につまらないものになってしまうのです。そう、この世の中は白と黒が支配しているのでは無く、色々な事を試す事が出来るのです。
R:Sí. Eso dicen. Creo que todo empezó cuando trabajé diseñando el metro de Oporto. Allí no había recetas. Tuve que aprender a tomar la escala de la ciudad como un médico tiene que explorar a un paciente para ver qué encuentra. Haciendo el metro pensé que igual las cosas no eran tan cartesianas como nosotros creíamos. Y luego está la idea de experimentar. Sin experimentar, la profesión es muy aburrida. Y como el mundo no es blanco y negro, se pueden probar otras cosas.

Q:実験するのはお好きですか?
Q:¿Le ha gustado experimentar?

R:非常に好きですね。私の事務所は今や研究所となってしまいました。各々のプロジェクトの為に、4つの違う模型を創っています。
R:Muchísimo. He transformado mi estudio en un laboratorio. De cada proyecto hacemos cuatro maquetas diferentes.

Q:今の方が楽しそうですね?
Q:¿Se lo pasa mejor ahora?

R:非常に楽しくやっています。「楽しむ」という事は、「我慢する」という事の基本でもあります。随分長い間、周りの無理解による悲しい時期を過ごしましたからね。しかしこれらの状況を打開しなければならない時がやってきたのです。これ以上悲しむ事に意味は無いと。以前は社会的な重圧などから自由な建築は出来なかったのですが、その考えが変わりました。そして赤い建築を創ってやろうと思い立ちました。以前は真っ赤な建築を建てるなど思いもよらなかったのです。
R:Mucho mejor. Me divierto, y para aguantar es fundamental disfrutar. Hemos pasado un periodo de lamentos por incomprensiones. Pero llegado a un punto hay que reaccionar. No valen más lamentos. Jamás pensé que en la vida haría un edificio rojo.

Q:クリスティアーノ・ロナウドの家を建てていますよね?
Q:¿Construirá la casa para Cristiano Ronaldo?

R:はい、デザインしました。しかし彼がマドリッドに行った時、工事はストップしてしまいましたけどね。
R:La diseñé. Pero cuando vino a Madrid suspendió la obra. La paró.

Q:何故ですか?
Q:¿Por qué?

R:本当にその家を建てたいのかどうなのか、少し考えたいそうなのです。この家を建てるに当たって少しばかり問題が発生したのです。家の計画は承認されたのですが、その建設予定地には保護林が存在していたのです。検事である私の兄はポルトガルにおいて保護されているコルクガシの木を伐採している者達を追っています。1200平米という広大な家を建てる為に私がそれらの木を伐採する事が出来るかどうか?という問題ではなかったのです。それらの木々を切り倒す事は法律的に禁止されているのです。その上、もしも私が兄の手によって牢屋に入れられ裁判にでもなったらどんな事になると思いますか?新聞はこう書き立てるでしょうね。ソウト(検事の兄)対ソウト(建築家)。ロナウドは激怒していましたね。何故ならその土地を売ったものたちは、そこに生えている木を切る事は出来ないという事を伝えずにその土地を売りつけたのですから。私は彼に言いました。「違う土地を探しましょう。そうしたら新しいプランを創るから」と。彼はうんざりしていましたけどね。
R:Se lo quiere pensar. Tenía problemas de construcción. El proyecto de la casa fue aprobado, pero se levantaba en un terreno donde había muchos árboles protegidos. Mi hermano fiscal había iniciado un proceso de persecución a quienes cortan los alcornoques protegidos. No era cuestión de que pusiera yo a cortar los alcornoques de Ronaldo para hacer sitio a su casa, enorme, de 1.200 metros. Talar los árboles no era legalmente posible. Además, imagínese los titulares: Souto contra Souto. Él estaba furioso porque le vendieron e terreno sin advertirle de que los árboles estaban protegidos. Le dije que cambiáramos de terreno y que haría otro proyecto. Y se molestó.

Q:ロナウドがあなたを探した事、そして建築家を雇ったという事は、とても驚きです。
Q:Es sorprendente que lo buscara a usted, que lo quisiera como arquitecto.

R:いいえ、裏事情はそんなに複雑ではありません。彼はブラガのサッカーチームの大統領の友達なのです。ロナウドはブラガスタジアムが気に入ったそうで、それで私に電話をかけてきたのです。私はサッカーの事は良く分かりませんし、彼は建築の事は知りません。しかし、彼と話した後、とてもよい関係、そう、とても直接的な関係を築く事が出来ました。彼は私に幾つかの要求をして、それに対して、私は出来る事、出来ない事を告げたのです。
R:No. Es muy simple. Es amigo del presidente del Braga. Le gustó es estadio y me llamó. Yo no entendía mucho de fútbol ni el de arquitectura. Pero después de hablar con él conseguimos una relación muy directa. Él pedía y yo le decía si era o no posible.

Q:何が不可能だったのですか?
Q:¿Qué no era posible?

R:湖を造る事、そしてそこに浮かぶ島、その他、幾つかの事が不可能でした。彼の様な社会的に重要な人物には常に何人もの召使がついてまわり、そして彼の世話をするのです。しかし彼らはご主人には本当の事を言わないものなのです。だから最終的に、真実を伝える為にはマンチェスターへ行き、直接彼と話す事が最良だと考えました。彼を不愉快にさせるような情報、敷地に生えてる木々は切る事が出来ないなんていう嫌な事は言いたくなかったのですけどね。
R:Un lago, una isla, algunas de las cosas que quería. Estos tíos tan importantes tienen una corte que los protege y los cuida. Pero les dicen cosas que no son verdad. Por eso al final la única manera de hablar con él fue ir a visitarlo a Manchester. No le querían dar un disgusto informándole de que los árboles no se podían cortar.

Q:その計画はストップしたのでしょうか?
Q:¿Es proyecto está parado?

R:はい、中断しています。しかし、プリツカー賞をとった時、ある新聞記事が目に留まりました。それ程期待が持てるかどうかわかりませんけどね。「ロナウド、もう一度新しい家が建てたい」。
R:Se suspendió. Pero cuando me dieron el Pritzker leí una noticia, no sé si especulación: Ronaldo quiere de nuevo la casa.

Q:スターはスターを惹きつけるという事でしょうか?
Q:¿Las estrellas atraen a las estrellas?

R:そうですね。そうかもしれません。
R:[Risas] Será eso.
| インタビュー集 | 05:16 | comments(4) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ガリシア旅行その9:アルヴァロ・シザの建築:マルコ・デ・カナヴェーゼス教会(Igreja de Santa Maria do Marco de Canaveses):世界一美しいと思わせてくれる真っ白な教会
ポルトから北東へ50キロ程行った所にあるマルコ・デ・カナヴェーゼスという人口6万人にも満たない小さな町は、毎年世界中から建築巡礼者が何万人と訪れている事で知られているんだけど、と言うのも、この小さな町には、アルヴァロ・シザが設計した非常に美しく、この町のシンボルである珠玉の教会があるからなんですね。



到着するのに少し迷い、道行く人に「教会へ行きたいんだけど?」と聞いてみたら、

「あー、シザの教会ね。この町には何にも無いけど、あれだけは凄いんだ」

みたいな感じで答えが返ってきた。「やっぱりここでも建築家はヒーローであり、そんな英雄に建ててもらった町のシンボルの事をみんな誇りに思っているんだなー」と感じた瞬間でした。

ちょっとした坂道を上っていくと、抜ける様な青空を背景に、真っ白な壁で覆われた変わった形の建物が僕達の眼前に現れてきます:



建物の両端部分が半径5メートル程の円柱に削り取られたかの様なそのファサードは、今まで見た事が無い、ちょっと不思議な佇まいをしていますね。本当に雲一つ無い、絵に描いた様な真っ青な空だったので、この真っ白な形態がその青空にくっきりと浮かび上がり、あたかも御伽話の中にいるかの様な、そんな感覚さえ引き起こさせるくらいでした。



サンクンガーデンと上階へと続く階段の為に5メートル程も積み上げられたベージュ色の石と、教会の真っ白な壁の対比が非常に美しく・・・いや、もっと正確に言うならば、この教会の白色は、この石のベージュ色によって引き立てられていると言っても過言ではないと思います。「このベージュ色があるからこそ、白色がより一層活きている」みたいな。で、目の前にある階段を上っていくと現れるのがこの風景:



この町が一望出来るかの様な、正に「この教会はこの町の為に建っているんだぞー」と言いたげな、そんな風景が展開しているんですね。教会というのは元々、魔物を寄付けない為に鐘が聞こえる所までを浄化するという、そういう機能を宿していた建築だという事を思い出させてくれるかの様です。そんな長閑な風景を見つつ、振り返りざまに現れるのがコチラです:



じゃーん、「これでもか!」と言う程、真っ白な壁に覆われた大変シンプルで力強い形態が大変印象的です。先程のベージュ色の花崗岩が布石となり、壁の白色がより一層光って見えます。この教会も地面から腰壁辺りまで立ち上げられた花崗岩がその基礎となっているのですが、その花崗岩と白い壁との境界線の鬩ぎ合いのデザインに注目:



花崗岩の終わりが半円形を通り越し、ホンの少しだけ側面に石を回り込ませる事によって、違和感無く白い壁と石のデザインを連続させているのが分かるかと思います。更にコチラ:



向かって右手側の長方形の下の方に切り取られた窓を境にして、右側と左側で花崗岩の高さを変えているのですが、この辺のデザインもさすがだなー。そして見上げればこの空の切り取り方です:



何重にも折り重なった形態同士が襞を形成し、不思議な遠近感を創り出しているんですね。



教会の目の前には比較的最近完成したと思われる日曜学校があるんだけど、勿論、その建物は、教会との間に遠近法的空間を創り出す様に配置されています。 そうこうしている内に、その建物から管理人さんらしき人が出てきて教会の鍵を開けてくれました。ちなみにこの教会は何時も開いている訳ではなく、訪れる際には事前に連絡が必要なんだそうです(強制ではないが、連絡した方が良さそう)。と言うのも、一応教会の開館時間は季節によって決まってるらしいんだけど、その時間帯に管理人のおじさんが居るとは限らない為、前日までに何時頃に着くかを連絡しておけば、その時間帯には大体居てくれると、そういうことらしいです。ポルト市内のツーリスト・インフォメーションに行って「シザの教会に行きたいんだー」みたいな事を伝えると、色々と情報を教えてくれます。運が良ければ電話してくれるかもしれません。運が良ければね。

さて、鍵を開けてもらってイヨイヨ中へと入っていきます。



横一直線に切り取られた細長い窓と、その空間に行儀良く並ぶ400席はあるという木製の椅子達が大変印象的だなー。その風景に惹き寄せられるかの様に進んで行くと現れてくるのがコチラ:



で、出ました!思わず息を呑む様な美しい空間の登場です。うん、全てがビシッと決まっている・・・。外観も真っ白なら内観も真っ白。でも、よく見ると全てが真っ白という訳ではなくて、クリーム色をしたタイルだとか、濃い目の木を用いた床、はたまた淡い白色をした大理石といったような、様々な色が取り入れられているんだけど、それら全てが絶妙なハーモニーを醸し出し、この教会の白色を普通の白色よりも、もっと白色にしている気がするんですね。正に「白い教会」と呼ぶに相応しい、そんな気品を兼ね備えていると思います。

それにも増して、この教会の空間を特別なものにしているのが、内部に押し迫ってきている壁だと思うんだけど、何より驚きなのがコチラです:



内側に思い切り倒れこむかの様に膨らんでいる左手方向の壁!床と接する所を起点として、天井と接する部分では、3メートルは壁が内側に倒れてきているんですね。この壁が(良い意味での)圧迫感を伴い、この空間に、ある種の緊張感の様なものを創り出しています。今まで沢山の建築を見てきたけど、こんな形態は初めて見た気がする・・・。



その上方に空けられた3つの深−い窓からは、時に強く、時に優しい光が空間を満たしているのが分かります。更に不思議な光を醸し出しているのが、祭壇中央に開いている長方形の2つの穴です:



あの穴の光。淡い光。不思議な、本当に不思議な光です。振り返ると、必要以上に誇張されたかの様な高さを持つ木製の扉が目に飛び込んできます。



最初見た時は、「この空間にはちょっと大き過ぎるよな」とか思ったんだけど、時間が経つにつれ、この空間にピッタリと馴染んでくるから不思議です。その真横には、この静まり返っている空間に「チョロチョロ」と水の音を響かせている洗礼堂の為の空間があるんだけど、この空間を見上げてみると、そこにはタイルが張られ、あたかも上方からの光の粒子を可視化しているかの様なんですね。



これはまるでロンシャンの教会でコルビジェが見せた、スタッコのザラザラ仕上げによって、上方からの光の粒子を可視化している手法と似ていますね(地中海ブログ:プロヴァンス旅行その5:ル・トロネ修道院(Abbaye du Thoronet)の回廊に見る光について)。

素晴らしい、本当に素晴らしい空間だと思います。今まで古今東西、様々な教会を見てきたけど、これ程美しい教会はそれ程無かった気がします。

さて、この教会に関してもう一つ僕がここで強調しておきたい事があるんだけど、それはですね、この教会はシザの代表作のように言われる事が多くて、それには(それ程)異論は無いんだけど、でも、彼の作品の系譜で見たら、実はこの教会はメインストリームというよりは、むしろ、異端な位置を占めていると思うんですね。

理由は2つあります。

一つは僕が何度も強調してきた遠近法的空間手法について。シザ建築の特徴は遠近法的空間にあるという事は間違い無いと思うんだけど、この教会では、その遠近法が少し違った形で展開しています。



上の写真はサンティアゴ・デ・コンポステーラにあるもう一つのシザ作品、サンティアゴ大学情報科学学部棟のアプローチ空間なんだけど、シザ建築の典型的な展開の仕方というのはこの空間に見られる様に、何本もの直線を用いて、それらの線によって遠近法的空間を創り出すというものでした。しかしですね、この教会では遠近法的空間が創られている事は創られているんだけど、それが直線によって創られているのではなくて、曲線によって創られているという大変大きな違いが存在するんですね。



つまりこの空間では、祭壇両脇にある曲線が、祭壇中央部へと流れ込んで行くかの様な視線の流れが実現されていて、それらの曲線が創り出す消失点が祭壇に開けられた2つの長方形の穴だという訳なんです。

これが第一点目。そして2つ目の違いはですね、天井操作に関わる事柄です。

遠近法的空間と同様に、シザのもう一つの十八番として天井操作がある事は、今まで散々書いてきた通りなんだけど、この教会では驚くほど、シザは天井に関して無関心を貫いています。



ガリシア美術センターでは展示室にテーブルを逆さにした様な造詣がなされていたり、シザ初期の銀行などでは、大きくカーブを描いた様な天井の切り取り方をしているという様に、シザは空間を創る際、必ず天井操作を伴った構成をしてきました(地中海ブログ:マドリッドの都市戦略その2:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)について)。しかしですね、この教会では、その様な天井操作は一切見られません。その代わりに行われているのは、今までの作品では見られなかった壁への執着なんですね。つまり天井操作が一切無い代わりに、壁がカーブを描き、緊張感を伴いながら迫ってきているという事が挙げられるという事です。

これらから言える事、それはこの教会は明らかにシザの一連の作品の系譜からは外れた作品であり、そういう意味において、シザのメインストリームに位置付けられる作品ではないと言う事実なんですね。

・・・この教会の内部空間には「凛」とした空気が張り詰め、この場所にしか存在し得ない、そんな荘厳な空気が流れています。そしてこの空気は、シザの建築に関して繰り返し書いてきた様に、写真では絶対に捉える事が出来ないものであり、正に、「今、ここ」にしか存在し得ないものだと思います。

 「ここに地果て、海始まる」

ルイス・デ・カモンイスがそう詠んだ国、ヨーロッパの端の端にへばりついているポルトガルという国の更に内陸部へ数時間行った所にあるという、大変辺鄙で行きにくい所なのは確かなのですが、そこまでの手間と時間をかけてココにこの教会を見に来る価値は絶対にあると思います。そう思わせてくれる様な質を持った教会です。是非一人でも多くの人に、この感動を味わって頂きたいと、そう思わずにはいられません!
| 旅行記:建築 | 03:20 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ガリシア旅行その8:アルヴァロ・シザの建築:セラルヴェス現代美術館(Museu de Arte Contemporanes, Fundacao de Serralves):人間の想像力/創造力とは
人間という生き物は、その人生の中において体験した事を、記憶として蓄積し、それらに基づいて日常を生きている動物です。だから人生における体験が未だ少ない子供というのは、日常生活の中で遭遇する些細な事にさえも驚嘆し、そして感動する訳なのですが、大人になるにつれ、それらの体験が記憶として蓄積されてくると、多少の事ではナカナカ感動しなくなるのが人間という生き物なんですね。



我々が何らかの体験を通して感動する時、それは今まで自分が5感を通して見てきたもの、感じてきてモノとは全く違った事柄に遭遇した時であり、自分の想像を超えるものに不意に出くわした時だと思います。そんな時、我々は心の底から驚き、発見し、そして魂が震える瞬間に遭遇するんだと思います。

アルヴァロ・シザが設計したセラルヴェス現代美術館との出会いは、僕にとって新鮮な驚きそのものでした。「人間にこんな事を創造するのが果たして可能なのか!」と、そう思わせてくれる程の驚きと、喜びを与えてくれたんですね。



緑溢れる公園の中に佇むこの美術館は非常にゆったりと創られていて、先ずはその美術館の顔とも言える独特な形をした「門」が我々を出迎えてくれます:



少し斜に構えたその出で立ちが、あたかも次のアプローチ空間へと我々の動きを促進しているかの様です。非常に不思議な形をしたこの門なんだけど、デザイン的に見て、何かしら、「忘れられない風景」を抱かせると同時に、向こう側に展開するであろう中庭風景を遮り、この立ち位置からはそれらをチラチラ見せるに留まるという、機能的にも重要な役割を担っている事が分かります。因みにこの造詣を後ろ側から見たのがコチラ:



文句無くカッコイイ空の切り取り方ですね。この門が如何に美術館に対して斜に構えているかが分かるかと思います。そしてこの高い天井を持つ門から、一段カクンと下に折れ、背筋が伸びるくらい真っ直ぐに伸びているアプローチ空間がこちら:



左手奥側には、非常にゆったりとカーブを描いたスカイラインを持つ四角形が横たわり、その比較的大きなボリュームと、真っ直ぐに伸びたアプローチ空間の間には、何やら小さな箱みたいなのがくっついてるんだけど、ここが凄いんです!見てください:



あの小さな箱の向こう側。仄かに光り輝き、まるで我々を「おいで、おいで」と導いてるかの様じゃないですか!!そこまでは比較的暗い空間が続いていたのに、あそこだけ、まるで天空から光が差し込み、天国への入り口であるかの様ですらあります。素晴らしい光の操り方だと思いませんか?というか、「人間にこんな事を考え付くのが可能なのか?」と、心底そう思ってしまうくらい、うっとりとする空間がここには展開しているんですね。

何故こんな魔術の様な光のデザインが可能になったのか?そのトリックの答えがコチラです:



そう、先程見た、カーブしたスカイラインを持つ比較的大きなボリュームの側面に太陽光が当たり、その光が反射して、反対側のアプローチ空間の天井を照らしているんですよ!



更に、その前に付いている小さな箱がアプローチ空間の幅を細め、進行方向に向かってパースを付ける様に配置されている事も、何かしら、あちら側に向かって空間が開かれている感覚を増長する一助になっているんですね。



こんなデザインが可能になった背景には、「真っ白い壁は光を反射する」という事を経験から知っている必要があるんだけど、シザはそのような実験を他の建築で何度か試みていました。その一つが、前々回のエントリで話題に取り上げたガリシア美術センターの展示室に取り付けられた大きな窓からの光の取り入れ方と、その反射効果だと思います(地中海ブログ:ガリシア旅行その6:アルヴァロ・シザの建築:ガリシア美術センター(Centro Gallego de Arte Contemporaneo):複雑な空間構成の中に隠された驚く程シンプルな原理)。

それにしてもこの光のデザインはちょっと普通じゃありません。

シザという建築家は、ものすごくヘンテコな事も沢山してて、この美術館でも、「そりゃ、無いだろ!」とか、「おいおい、これって、その辺の学生レベルのデザインだぞ!」とか、そんな所も一杯あるんだけど、その一方で、上述の様な、正に人間の想像力/創造力の限界に挑んだ空間をも創り上げているんですね。つまりその振幅の幅が非常に大きいという事なんだけど、これだけのものを見せられたら、後はどんなヘンテコな部分があろうと、もう何でも良い気がしてきます(笑)。それほど素晴らしい空間なんですよ!

「ココに何時までも居続けたい!」と、そう思わせてくれる様な見事な空間なのですが、まあ、そうも言ってられないので、もう少しこの美術館を歩いてみたいと思います。個人的に驚いたのは、先程の入り口部分、丁度、門の後ろ側に、10年前は無かったショップが追加されていた事ですね:



この部分の主機能は、美術館の後ろ側に広がる広大な森林空間へのアクセスをコントロールする為のものなんだけど、店の中にはシザやソウト・デ・モウラ関連グッズが所狭しと並べられていました:



これらの商品が暗示している事、それは、このポルトという地では彼らは既に「ブランドになっている」という事なんですね。つまり地元のヒーローって事。これって建築家としては、この上ない喜びだとは思いませんか?(この辺の話については以前のエントリで幾つか書きました:地中海ブログ:建築家という職能について:その2

そしてこの美術館のもう一つの見所がコチラです:



2階に位置しているレストラン兼カフェテリアなのですが、シザがデザインした木製の椅子やテーブル、そして床などが、この空間に独特の温もりを与えています。側面には大きな大きな特注サイズの横長の窓が目一杯に切り取られています:



真っ白な壁を背景に、あたかも自然の美しさをそのまま切り取り、建築空間内部に「芸術作品」として取り込んでしまったかの様なんですね:



刻一刻と移り変わっていく自然の美しさに息を呑まれます。こんな風景を見ていると、普段は全く気が付かなかった一本一本の木々が創り出す風景、そして同じ様に見える自然にも「幾つもの側面があり、様々な顔を持っているんだなー」と言う事に改めて気が付かされます。この大きな窓枠は僕達に、「自然と何か?」という僕らを取り巻く環境の多様性、ひいては、「我々とは一体何者なのか?」という事を考えさせる為の装置として機能しているかの様なんですね。



こんな偉大な自然を目の前にすると、我々人間というのは如何にちっぽけな存在で、そして地球の一部を間借りして「生かしてもらっている」という事を実感します。

このアルヴァロ・シザという建築家は、デザインとかディテールとか、そんなちっちゃな事じゃなくて、我々人間の「生」の背後に潜んでいる、もっと大きなもの、もっと偉大なものに挑んでいる気がする・・・。彼にとってデザインとは、それら自然の摂理みたいなものを我々に諭すため、もしくは可視化する為の単なる道具なんじゃないのかな?

ちょっと大げさかもしれないけれど、この素晴らしい美術館を見ていると、そんな事を思わずにはいられません。素晴らしい体験でした!
| 旅行記:建築 | 05:02 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ガリシア旅行その7:アルヴァロ・シザの建築:ポルト大学建築学部:外内部空間に展開する遠近法的空間と、その物語について
一昨日から3日間に渡ってポルトガル北部の都市、ブラガ(Braga)そしてポルト(Oporto)とその近郊の町に行ってきました。



ポルトに来るのは実に10年振り!当時と変わらないその風景の眼前を、「スゥー」っとカモメが横切っていきます:



カモメって何時もこんな風景を眺めているのかと思うと、羨ましい限りです。正にこんな感じかな:



ポルト発祥の地であるドロウ川北岸に広がる風景は世界遺産に登録され、アニメ映画「魔女の宅急便」の主人公キキが住んでいた街のモデルになった事でも知られているのですが、当ブログでは宮崎作品に影響を与えたと思われる風景や地域などを勝手に取り上げ、勝手に言及してきました(地中海ブログ:プロヴァンス旅行その7:天空の城、ゴルド(Gordes)の風景、地中海ブログ:風の谷のセナンク修道院:天空の城の後に見る風の谷:リアル宮崎駿ワールド、地中海ブログ:「ハウルの動く城」の舞台ってカタルーニャだったのか?)。

そんな、とってもロマンチックな風景が広がるポルトなのですが、この地を訪れた目的の一つは勿論、アルヴァロ・シザの建築を訪ねる為なんですね。先ず最初に向かったのは、シザ自身が教鞭をとっている(いた?)事でも知られるポルト大学建築学部です:



この建築は市内中心部からバスに揺られる事約20分+徒歩5分の所に広がる緑溢れる崖の上に建ってるんだけど、学生達はドロウ川を眼下に眺めながら設計演習を行うっていう、この上ない環境を与えられています。



先ず僕等を出迎えてくれるのは、建築の本体部分へと我々を導いてくれる細長いスロープの起点に位置しているこのモニュメント:



この部分を見ただけでも、この建築がちょっと普通じゃないって事が解かると思うんだけど、と言うのも、この長方形のモニュメント、街路に対して平行に開けられた入り口に、直接スロープが付いてるんじゃなくって、そこに開けられた開口から建築本体をチラチラ見せつつ、わざわざ右手方向に90度向きを変えさせ一度違う風景を見せてから、更に左手方向に90度曲がらせるという、複雑なプロセスを実現しているんですね:



つまり、この部分がこの建築に流れる物語の「始まり」として機能していると同時に、人の視線をコントロールする制御装置としても機能している訳ですよ!普通こういう視線の操作っていうのは風除室を通して行われる事が多いんだけど、谷口吉生さんの建築なんて、正にそんな風に出来てますよね。もしくは視線操作と空間の展開という事で言えば、スカルパの建築は凄かった(地中海ブログ:カルロ・スカルパ(Carlo Scarpa)の建築その3:カステルヴェッキオ(Castelvecchio):空間の建築家カルロ・スカルパ:ものすごいものを見てしまったパート2)。さて、ここを抜けると先程の「始まり部分」から生まれた「流れ」を受け取り、本体部分へと受け渡す役割を担っている、起承転結でいう所の「承」の部分の建築が現れます:



一見見落としがちなんだけど、ここのデザインが結構凄い。何が凄いって、この建築に展開している2つの屋根のラインとそれらの交差の仕方、そしてそのラインがダイナミックに変化していく事による空の切り取られ方です。見てください:



先程の方向からこの建築を見てみると上の写真の様に見えるんだけど、進行方向に沿って進んでいくと、この建築がこんな感じで変化していくのが見て取れます:



同じ様な空の切り取り方を槙文彦さんがヒルサイドテラス第6期でやられていると思うんだけど、この様なデザインって、「我々人間の目が地上から150センチくらいの所に付いている」という事と、「建築とは人間がそれらの空間の中を動き回るものである」という事が分かってないと到底実現出来ないデザインだと思います。更にこの2段目(上の方)の屋根の線が指し示す方向は、次の建築展開への補助線となっている事に気が付きます:



ここから見える全ての建築要素が、前方にポッカリと開いた内部空間へ、あたかも「おいで、おいで」と我々を誘っているかのようです。ここでは敢えてその誘惑を我慢して、外部空間へ出てみようと思います。少し歩を進めると現れてくるのがこの風景:



出ました!シザの伝家の宝刀、遠近法的空間の登場です。先程から続いてきた進行方向の線と、「承」の建築の屋根によって暗示されていた方向軸によって形成された綺麗なパースペクティブが大変気持ちの良い中庭空間を形成しています:



先ずはこの左手側に見える、斜め上方に駆け上って行く様な横長の窓のデザインと、水平方向に一直線に切られている薄いブルーの腰壁のデザインの絡み合いに注目。そしてこの斜め上方に伸びる線と、右手方向奥へと伸びていく線の創り出す遠近法的空間の妙:



素晴らしい!この線に沿って引き寄せられるかのように奥の方へと進んで行くと、シザ独特の間延びしたかのような、非常にふんわりとした不思議な形態が創り出す風景が広がっています:



個人的には、ここの部分の屈折の仕方と、ビヨーンと伸びた形態の広がりが、「ポルトガルの社会文化をよく表しているー」とか思うかな。形態的には一歩間違えば、「ダサイ形」になっちゃうんだけど、ギリギリの所で止める事によって物凄く魅力的な形態に仕上げているのが分かるかと思います。この様な形というのは、現在主流の綺麗でサラッとした一筆書きで出来てしまうモノとは対極に位置していると思うんだけど、僕は断然コチラの方に魅力を感じてしまいますね。このビヨーンと間延びしたかのような形態はセラルヴェス現代美術館のアプローチ空間にも見られるのですが、その特徴を非常によく捉えていると思うのが、二川幸夫さんによるGAに載った写真なんですね。流石に目の付け所が違う!脱帽です。そして振り返るとこの風景:



シザが如何に形態や屋根のデザインを通して遠近空間を強調しているかが分かるかと思います。極め付けはコチラ:



4つの独立した塔が並んでるんだけど、それら各々の塔の高さや細部のちょっとした違いを通して、一見平凡で均質的なものになりがちな風景に、絶妙な強弱とリズムを付け、奥へ行く程ドラマチックな空間を演出しているんですね:



裏から見るとよく分かるんだけど、屋根の上についてるトサカや、窓の数や形、そして建物間の距離などありとあらゆる要素を用いてクライマックス感を演出しています。そしてこれらバラバラになりがちな建物間に統一感を与えている影の立役者がコチラです:



腰あたりまで立ち上げられた薄いブルーの御影石です。それらを建物間の共通の基礎とする事によって、ある種の統一感を出す事に成功していますね。これは前回のエントリで見たガリシア美術センターの内部空間に見られる床と腰壁、そして壁のデザインを無理なく連続させるっていう手法と同じなんだけど(地中海ブログ:ガリシア旅行その6:アルヴァロ・シザの建築:ガリシア美術センター(Centro Gallego de Arte Contemporaneo):複雑な空間構成の中に隠された驚く程シンプルな原理)、ポルト大学の外観デザインでは、薄いブルーの御影石と外壁の白が、「これでもか!」という程のマッチングを見せ、大変気品のあるデザインに仕上がっています。



最深部から振る返ると、この建築の消失点とその一点に収束していくデザインの密度がよく分かります。逆に言えば、これは消失点から最深部へと至る全ての建築要素が、物語をドラマチックに展開していっているという事の裏返しでもあるんですね。そんな事を思いつつ内部空間へと入っていきたいと思うのですが、最初に僕達を出迎えてくれるのがこの空間:



長いスロープと横長の窓、そしてちょっとした天井操作がここでも遠近法的空間を形作っています。上っていくとその先にはちょっとしたビックリが待っていました:



偶然にも今年のプリツカー賞受賞者、エドゥアルド・ソウト・デ・モウラのコンペ作品ばかりを集めた展覧会が開催中でした(地中海ブログ:エドゥアルド・ソウト・デ・モウラ(Eduardo Souto de Moura)、プリツカー賞(The Pritzker Architecture Prize)受賞)。壁に貼ってあったポスターによると、どうやら彼はポルト大学から名誉博士号を与えられ、その記念の展覧会という事らしいです。ちなみに入り口付近にあった本屋さんには、彼の展覧会を記念して何枚かのスケッチが売られていました:



何時も思うんだけど、ポルトガルという国ほど建築のスケッチに重きを置いている国は無いんじゃないかな?シザ事務所でもソウト・デ・モウラ事務所でも、所員は退所する際にはスケッチを貰うっていう習慣が昔はあった様な気がするし(今は知らない)。これらのコンペ案がベタベタ貼られている半円形を描いている空間がコチラです:



何重もの円が重なり、それらの線が他の線に切り取られる事によって隠れたり現れたりしている大変質の高い空間。ただ一つだけ言うならば、上方からの光は自然光が良かったかなー。

さて、ここからが必見の空間なんだけど、この半円形の空間を抜けるとこの一連の建築の最終部分である図書館に辿り着きます。この図書館こそ僕に、「シザ建築の特徴はパースペクティブである」という事と、「天井操作の特異性」という事を気が付かせてくれた建築でもあるんですね:



天井のど真ん中に逆三角形の明り取りが「でーん」と付いている、建築関連書籍などでよく見かける図書館空間です。この明り取りを境に、両側にコの字を描く様に配置された構成も、シザ建築ではお馴染みの空間構成だと思うんだけど、しかしですね、現場へ行くとよく分かるのですが、実はこの天井の明り取り、奥へ行く程、下がっているんですよね!



しかも、その両脇の天井が、手前側では円を描き、奥へ行く程、平らになっているのが分かるかと思います。



シザは一体ここで何をやっているのか?

それは、この三角形の形態を奥に行く程下げる事によって、入り口から見た時にパースが付いてる風景=遠近法的空間を強調している訳ですよ!だから我々が書籍などでよく見かける図書館の写真は、「パースが付いてるから三角形の明り取りが奥に行くほど下がって見える」のではなくて、「元々、奥へ行く程下がる様に創られている」からそう見えるという事が、この空間に来るとよく分かります。

僕が始めてこの事実に気が付いた時、「じゃあ、あの空間はどうなっているのか?」、「え、あれは?」って感じで、今まではバラバラで何の脈略も無さそうに見えたシザのデザインに、一本の共通する線が繫がった様な気がしました。因みにシザの天井の特異性に言及しているのは、世界広しと言えども矢萩喜従郎さんだけだと思います。さすがです。

階段のデザインやその展開手法など、この建築には語り尽くせない程豊かな空間とデザインが展開している為、話し出せば切りが無いと思うんだけど、最も大事な事として、この空間には、この空間を訪れる事によってしか感じる事が出来ない感動があります。そしてそれは幾ら言葉で語っても到底伝え切れるものではありません。是非皆さんにも、この感動を自分自身の5感を通して味わって貰えたらと思います。
| 旅行記:建築 | 05:02 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ガリシア旅行その6:アルヴァロ・シザの建築:ガリシア美術センター(Centro Gallego de Arte Contemporaneo):複雑な空間構成の中に隠された驚く程シンプルな原理
サンティアゴ・デ・コンポステーラに来たら是非見たいと思っていたもう一つの建築、アルヴァロ・シザによるガリシア美術センターに行ってきました。



今世紀最高の建築家の一人、ポルトガル出身のアルヴァロ・シザと言う建築家については、当ブログではことある毎に言及し、彼が創り出す建築には幾つかの特徴があり、その内の一つが遠近法的空間構成であり、類まれなる天井操作だと言う事を繰り返し検証してきました(地中海ブログ:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)の建築:コルネリャ・スポーツセンター(El Parc Esportiu Llobregat de Cornella)その3:シザの新たな建築形態言語での不思議な空間体験、地中海ブログ:マドリッドの都市戦略その2:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)について)。今回のガリシア美術センターでは、それら2つの特徴が少しばかり発展させられた形で建築に組み込まれているが故に、「よく見える目」を持ってないとその建築的本質がナカナカ見えてこないかもしれません。先ずはこれを見てください:



この美術館は元々この敷地に存在していたSan Domingos de Bonaval修道院の傍らに計画されたものなんだけど、上の写真はガリシア美術センターとその修道院の間に展開する中庭空間から撮ったものです。最初に結論めいた事を言っちゃうと、「ここからの眺めと、この美術館の配置計画が、この建築の全てと言っても過言では無い」と思います。



左手奥の方に見えるのがSan Domingos de Bonaval修道院なんだけど、シザはこの美術館の側面の線を、修道院の側面の線と絶妙な角度を振る様に注意深く配置し、遠近法的空間を創り出しているんですね。彼の大変有名な、パースがついたスケッチ、あれって、紙という2次元空間に3次元を表す為に描かれたものなのでは無くって、現実空間における「パースペクティブがついた空間」を最初から想像していたと言う事が、彼の建築を実際の訪れると良く分かります(例えばこの階段とか):



そしてその消失点に吸い込まれるようにデザインされた一本の道:



この線が効いてるなー。もう少し消失点に近づくとシザの意図が分かり易いと思うんだけど、非常に綺麗な遠近空間が2つの建築(美術館と修道院)によって形作られているのが分かるかと思います:



この消失点によって出来たわずかな隙間を通り抜けると、美術館に入る前の「ホッ」と一息つく空間に辿り着くんだけど、ここの形態操作は注目に値しますね:



正方形が2つ並んでいるだけなのですが、その右側の方をほんの少しだけ内側にずらす事によって、非常に魅力的な関係性を創り出しているんですね:



何とも言えない遠近感。本当にさりげなく操作された微妙な変化なんだけど、それが絶大なる効果をもたらしている。こんな時、僕が何時も思い出すのは、ジャック・ヘルツォークが審査員を務めた新建築住宅コンペにて金賞に輝いた作品に書かれていたこの言葉です:

「四角形を多角形の中に挿入する。それをどんどん変化させていく。ある所は部屋になり、ある所は廊下になる。わずかな差であるが、空間は激変する。」

この言葉の意味については以前のエントリでこんな風に説明しました:

“・・・日本芸術のお家芸である、「静のデザイン」が際立っていました。突破な事件を作り上げ、好きな人に対して「好きだ、好きだ」と強く押すのでは無く、ごくごく普通の日常を切り取りながらも、その風景を「差異化」する事で我々の記憶に残ろうとする。

僕はよくこのようなデザインの違いを「歌舞伎」と「能」の違いで説明するのですが、コノ映画は正に「能」型の映画だと思いますね。歌舞伎というのは毎回違う事をやって派手さで勝負する。逆に能というのは、毎回大筋は同じなんだけど、ホンの少し細部を変える事で勝負をする。だから能を楽しむ為にはその違いが分かる「鑑賞者の目」が大変重要な要素となってくるんですね。正に「違いの分かる男」(もう死語?(笑))が必要になってくる訳です。”(地中海ブログ:歩いても、歩いても(是枝裕和監督):伝統と革新、慣習と感情の間で:リアリズムを通して鑑賞者の眼が問われています、地中海ブログ:久しぶりにドリカムの「悲しいKiss」とか「二人のDifference」とか聞いて、日本文化の特徴に浸る

正にシザのデザインは、この後者に属するものだと思います。そしてもっと言うならば、建築のデザインにとって大事なのは、「一本の線がどのように走っているか?」ではなく、「その線が端部でどのように終わっているか?」、「どのように他の線と交わっているか?」、そして「それらの線がどのように空を切り取っているか?」という事だと思います。シザのこの素晴らしい空の切り方とか見てると、そんな事を思わずにはいられないなー。

と、イヨイヨ中へと入っていきます。入って右手方向には大変気持ちの良いカフェや本屋の空間が展開しています:



シザの十八番、腰壁の辺りまで白い石を立ち上げ、そこから自然に壁へと連続させるという、同一面で異なる素材を無理なく切り替える非常に巧いデザイン:



こちらは先程の中庭空間に併設されている、これまた、大変居心地が良いカフェの風景です:



ちなみに平日のランチメニューはパンと飲み物込みで11ユーロ、コーヒーミルクは1.2ユーロでした。バルセロナに比べると物価が格段に安いのが嬉しいかな(笑)。で、先程のエントランス空間を反対方向に進むと展示空間に辿り着くのですが、それがコチラです:



左手側からは大きな大きなガラス窓を通して目一杯の光が燦燦と降り注ぎ、右手奥の真っ白な壁にはその光が届くか届かないかという対比が際立っています。入り口とは反対側の奥の方から見るとこの大きな空間の分節がどうなっているのかが分かり易いと思うんだけど、窓際に近い空間では天井が少し低くなり、奥の方では高くなるという2段階構成をとっているのが分かるんですね:



上の方には、不思議な形をした大きな明り取りが付いてるんだけど、そこから垣間見える空のブルーがあたかも展示物の一部になっているかの様:



そう、まるで空を展示空間に取り込み、そこから差し込む光を反対側の真っ白な壁に反射させ、それがどのように拡散するかを実験しているみたいだなー:



実はこの「光と拡散」と言うテーマもシザの十八番で、この系統の最高傑作がポルトにあるセラルヴェス美術館のアプローチ空間なんだけど、あの空間を初めて見た時の衝撃は今でも忘れる事が出来ません。「あんな事が人間に可能なのか?」と、そう思わせてくれる程に素晴らしい空間がそこにはありました。

さて、ここ(奥側)から先程入ってきた入り口付近を振り返ってみると、ある驚愕の事実に気が付きます:



 「あれ、この空間構成って、さっき中庭で見た構成と一緒じゃないの?」

そ、そうなんです!この内部空間に展開してる空間構成、それは先程検証した修道院と美術館の配置と中庭空間の構成にピッタリなんですね。この内部空間の左手側に展開している天井の線は先程の修道院の側面の線に対応し、右手側の大窓は、先程の美術館の側面の線に対応しています。そしてその先にはそれらの線が交わる消失点があるんだけど、それがずばり、この展示室への入り口となっている訳ですよ!それを強調しているのがコチラです:



とうとう出ました!シザのもう一つの十八番、天井操作!!先程入ってきた入り口方向から見ると明らかなんだけど、消失点である入り口を基点として、そこから天井が少しづつ高くなっているのが分かるかと思います。



何故こんな事をするのか?それはズバリ、遠近法的空間を創り出す為なんですね。そしてその遠近法的空間は、先程の中庭空間と対応し、配置計画と対応しているわけですよ!そしてこの修道院と美術館と言う2つの線の異なりが、先程見た正面ファサードの2つの正方形の角度の振り方をも決定し、更には内部に展開する空間の連なりと天井操作にも影響を与えてるという訳。つまりこの美術館に展開する空間操作や形態操作は何もかも、美術館の配置が決められた瞬間に決まっていたという事なんです!!

素晴らしい。一見複雑に見える形態や空間の中に隠されたシンプルな原理。そしてシンプルな操作から複雑な空間を創り出すその手法。これこそ正に知的操作というやつじゃないでしょうか?是非、ピーター・アイゼンマンにも見習ってもらいたいものです・・・と言ったら意地悪すぎるでしょうか(苦笑)。
| 旅行記:建築 | 05:59 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ガリシア旅行その5:ピーター・アイゼンマン(Peter Eisenman)のガリシア文化都市(Cidade da Cultura de Galicia):スケボーするには画期的な建築
サンティアゴ・デ・コンポステーラに立ち寄る事があったら是非見てみたかった建築の一つ、ピーター・アイゼンマンによるガリシア文化都市に行ってきました。



ピーター・アイゼンマンの建築は今まで一度も見た事が無くって、と言うか、「そもそも建築を建ててるのか?」っていう問題はあるんだけど(笑)、まあ、彼の事を肯定するにしろ批判するにしろ、実際に彼の建てた建築をこの目で見てみない事には何も始まりませんからね。

こんな事、言うまでも無い事かもしれないけど、やっぱり建築っていうのは実際に見てみないと分からない事、実際にその空間に身を置いてみないと見えない事っていうのが非常に多い表象文化だと思います。写真には絶対に写らない空間の質があるという事、その空間が醸し出している雰囲気はその場に行かないと分からないという事が、建築の怖い所でもあり、又、面白い所だと思うんですね。だから僕は時間が許す限り、自分の目と足でなるべく多くの建築を見て回り、自分の言葉で批評したいと思っています。そして同時に、その建築を実際にこの目で見るまでは、なるべく憶測でものを言う事は極力避けたいなーとも思っています。それが僕の建築に対する基本的な姿勢です。

さて、で、この建築、一体何処にあるのか?と言うとですね、サンティアゴ・デ・コンポステーラの中心街から車で15分くらい行った丘の上に建ってるんですね。


大きな地図で見る

えっこら、えっこらと丘を登っていくにつれ、段々とその異様とも言える全貌が姿を現してくるんだけど、先ず気が付く事は、「この建築、全然工事中じゃん!」って事です。



今年1月の新聞に載ってた記事によると、「図書館と展示室の一部が開館」って書いてあったので、てっきり7−8割方は出来上がってるのかと思いきや、3割も出来て無いじゃないですか!って言うか、「こんなんでよくオープン出来たな?」と、そっちの方にむしろ感心してしまいます。そしてこの建築のもう一つの特徴、それがこのスケールの大きさです:



とにかくデカイ!「文化施設でこんなに大きな建築、久しぶりに見た!」ってくらいの大きさなんですね。



これだけのスケールがあると、建築がそれ自体で「背景」、もしくは最近良く使用される言葉を使うならば「自然」になってるみたいで、それはそれでアリかなとは思う。「こんなダイナミックな形態、お目にかかった事無いかも」という意味では驚きですらあるかもしれません・・・。違う方向から見てみると、この建築が如何に地形になっているかが分かるかと思います:



うーん、よくこれだけお金かけられたなって感じかな(笑)。ガリシア州、貧乏なのにねー。で、今回の建築でピーター・アイゼンマンがやりたかった事っていうのが多分コレかな:



建物と建物の対話。そしてその間から垣間見える自然の山との対比みたいなー。確かに、この建築自体でちょっとした山の様なボリュームがあって、それはそれで圧倒される事は圧倒されるんだけど、でも、その一方で、完全なる自然を前に、それを模倣なんて真似したら・・・おっと、この先は言わないでおきましょう(苦笑)。それともこれは、自然に対する人間の創造力の未知なる可能性を探る壮大なプロジェクトと捉えた方が良いのでしょうか?つまり、人間の創造物は一体何処まで自然に近づけるのか・・・って言う・・・・。その真意は分からないけれど、建物を幾つかの部分に分解して、その建物間の対話で勝負するって言うコンセプトは全く失敗に終わってる気がします。



サッパリ何も見えてこない(苦笑)。ピーター・アイゼンマンって、「地形」とか「対話」とか「構築」とか、そんな哲学的な事ばっか考えすぎてゴチャゴチャになっちゃったんだと思うんだけど、そんな難しい事なんかよりも、この建築には、彼自身も気が付いて無い様な、この建築にしかない画期的な部分があるんですね。それがコチラです:



ほら、あの地形の筋みたいなのが入ってる太い所、若者達がスケボーするのにピッタリだと思いませんか?あんな急降下、なかなかありませんよー(笑)。反対側に回ってみたら、もっとスケボーしやすそうな場所発見:



勿論半分冗談だけど、でも、これはこれで人気が出そうな感じはするかな。正直言って、ここにスケボー目的で若者が集まり始めたら儲けもんで、その内活気が出てきて、それこそ「町の様な存在になるのでは?」と言う微かな期待を抱かせます。ちなみにこの巨大な建築の片隅にはジョン・ヘイダックのこのビルもあります:



・・・特にコメントは必要なし。で、半分ジョークみたいなこの巨大建築、ガリシア文化都市の用途は一体何か?と言うとですね、どうやら図書館、歴史博物館、コミュニティセンター、美術館、国際芸術センターそしてカフェテリアと言った複合文化施設らしいんだけど、今の所オープンしてるのは、図書館と幾つかの展示室、そしてカフェテリアだけ。「まあ、しょうがないか」と言う感じで渋々図書館に入ってみたんだけど、これがビックリ:



だだっ広い空間の中に、外観に合わせて作られたと見られる波打つ本棚に波打つ天井。



そして「これでもか!」というくらいの無駄なスペースのオンパレード。



 「天井や壁を波打たせて流動的な空間を」って言う、やりたい事は分からないでも無いけど、それらが全くデザインと呼べるものにまで昇華出来てない気がする。何よりもこの空間からは「気持ちの良さ」というものを全く感じません。むしろ落ち着かなく、とても居心地が悪い空間になってる気がします。

良く知られてる様に、ピーター・アイゼンマンが掲げる建築コンセプトの一つ、「脱構築」というものに照らし合わせるならば、「落ち着かない」という感覚は、むしろこの建築に対する賞賛であり、建築家に対する褒め言葉なのかもしれません。しかしですね、やはり建築とは空間ありき、そしてその空間やそこに展開している物語において「如何に人々を感動させられるか」だと思う。そういう意味において、ゲーリーやミラージェスはかなり先を走ってるなー、と今更ながらに思うかな(地中海ブログ:ガリシア旅行その3:エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)の建築、ビーゴ大学(Univeristy of Vigo)その1:ミラージェスの真骨頂、手書きのカーブを存分に用いた名建築)。

では何故この建築は失敗しているのか?一つには、この建築を構成している一つ一つのデザインにシャープさが全く無くって、ブヨブヨのゴテゴテに見えるからだと思います。



特にこの筋が入ってる部分が、子供のロゴブロックみたい(笑)。



まあ、あとはどの空間もみんな同じ感じだったので特に解説する必要も無し。



現在この建物内部の展示室で、「建築家ピーター・アイゼンマンと都市」みたいな感じで、この建築のコンセプトから建設の様子、そして完成予定の巨大模型などを並べて展覧会を開催していました(入場無料):



うーん、確かにコンセプトは良く考えられてるとは思うし、面白いとも思います。そして上述した様に、建築家がやりたかった事の一部はよく見えると思う。そういう意味において、この建築は言うほど酷い建築じゃないのかもしれない。でも、やっぱり建築って言うのは、その中に人間が入って生活したり、空間を歩き回り、そして感じるものであるという事をきちんと理解した上で創るべきだと思うんですね。そしてその様な空間は机上の空論ではなく、実際に現場に行って自分の身体感覚で測らないと絶対に見えてこないものだと思います。

 「やっぱり言葉遊びだったか!」と言われない為にも、これからの残りの工事、是非がんばって、建築家の意地を見せて欲しいと思います。期待してますよ、ピーター・アイゼンマンさん!

ガリシア旅行その6:アルヴァロ・シザのガリシア現代美術センター:シザ建築の特徴の一つ、遠近法的空間と天井に続く
| 旅行記:建築 | 20:33 | comments(7) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ガウディ設計の世界遺産グエル館(Palau Guell)その2:グエル館に展開する空間構成に見る、ガウディと言う建築家の卓越した空間センスについて
前回エントリ、ガウディ設計の世界遺産グエル館(Palau Guell)その1:この建築の地下に眠っている素晴らしい空間は馬の為のものだった!の続きです。馬の為とは思えない程素晴らしい地下空間(笑)から一階に戻って、イヨイヨ中へ入って行こうと思います。



で、この「でーん」と構えた大階段なんだけど、よく見るとその突き当りにはカタルーニャの旗をモチーフにしたと思われるステンドグラスが、「これでもか!」と燦燦と輝いているのが見えます。



で、近くに寄って見てみるとこのディテール:



鉄がまるで飴の様です(「何処かで聞いた事のある台詞だなー」と思った人はコチラ:地中海ブログ:ベルニーニ(Bernini)の彫刻その1:サン・フランチェスコ・ア・リーバ教会(San Francesco a Ripa)にあるルドヴィーカ・アルベルトーニ(Beata Ludovica Albertoni)、地中海ブログ:ベルニーニ(Bernini)の彫刻その2:ボルゲーゼ美術館(Museo e Galleria Borghese)にあるアポロとダフネ(Apollo e Dafne)の彫刻、地中海ブログ:ベルニーニ(Bernini)の彫刻その3:サンタンドレア・アル・クィリナーレ教会(Sant'Andrea al Quirinale):彫刻と建築の見事なアンサンブル、地中海ブログ:彫刻と建築と:忘れられないワンシーンを巡る2つの表象行為:ベルニーニ(Bernini)の彫刻とローマという都市を見ていて)。で、この階段を上り切った所で遭遇するのがコチラの空間:



主要階へと上って行く前に、ここで「ホッ」と一息つく為の空間だと思うんだけど、この空間に入った瞬間にガウディの卓越した「空間的センス」に驚かされる事だろうと思います。先ずはこの階段の扱い方なんだけど、先程一階にあった大階段、そしてその大階段に直角方向(90度左手に折れる所にある)に付いてるドアを入ったその視線の先に、「斜に構える」様に別の階段が付いているんですね。この階段同士の位置関係の絶妙さ、そしてそれらの関係性が創り出している空間的緊張感!まるで我々を「おいで、おいで」と誘っているかの様です。



しかも五段程上った所で階段の方向を変えている事から、行き着く先が見えなくなっている&上方から光が零れ落ちてくる事によって、上階に対する興味を否が応にも引き起こされる様に出来ているんですね。この辺の空間操作はかなり絶妙。って言うか、まだ主要階へと上っても無いのに、「如何にこの建築が特別か」、そしてガウディと言う人が「如何に空間センスに溢れた人だったか」が十分に分かるかと思います。そんな事を思いつつワクワクしながら上へと登っていくと、これまた絶妙な仕掛けがありました:



彼の十八番、天井操作です。ガウディの絶妙な天井デザインとその効果については以前のエントリで書いた通りなんだけど(地中海ブログ:ガウディ建築の傑作、カサ・バトリョ(Casa Batllo)その1:カサ・バトリョに展開する物語を見ていて思う事、地中海ブログ:マドリッドの都市戦略その2:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)について)、彼は既にこの初期の作品であるグエル邸でもその力量を発揮しているんですね。仕掛けとしては至極単純なんだけど、階段を上っていく度に天井の高さを微妙に変える事によって、「階段を上る」と言う行為をドラマチックに仕立て上げています:



そしてここからがこの建築の本質的な所だと思うんだけど、この階段を登り切った所から90度左手に折れると、天井が高く3部屋程連続する大変気持ちの良い空間に遭遇します:



引き込まれる様に一部屋進み、上を見上げると、ガラスを通して何やら大空間がチラチラ見え隠れしている・・・それに導かれる様に、真っ直ぐで強い軸線を持つ空間に直角に左手に曲がった所にある扉を入るとこの空間:



圧巻の大吹き抜け空間の登場!コレは凄い!!ちょっと驚異的ですらあります。何層吹き抜けかさえ分からない程、高―い天井の空間。そう、間違いなく、ここがこの建築のクライマックス的な空間になっているのですが、何と言っても圧巻なのがこの天井です:



パラボラ・アーチに支えられ、そこに幾つもの穴が空けられた、まるで夜空に輝く星空、この空間に展開する小宇宙を見上げているかの様な気持ちになります。いやー、こりゃ、凄いわ!

さて、鋭い人はもう既に気が付かれてるかと思うのですが、この建築に入ってからココまで来るまでに展開していた空間とその構成が、あたかも渦を巻くかの様になっているんですね。それは、次の空間に移るのに、進行方向に対して必ず90度直角に左手に折れる事によって移動してきた事からも分かるかと思います。そしてこの螺旋状の空間構成は、2年前のパリ旅行の際に見たコルビジェのサヴォア邸の空間構成に酷似しています(地中海ブログ:パリ旅行その6:大小2つの螺旋状空間が展開する見事な住宅建築:サヴォワ邸(Villa Savoye, Le Corbusier)その1:全体の空間構成について、地中海ブログ:パリ旅行その7:環境型権力装置としてのサヴォワ邸:各部屋に展開する螺旋空間について)。って言うか、この場合、サヴォア邸の方がこのグエル館に酷似していると言う方が正しいと思うんですけどね。凄い、素晴らしすぎる!!ガウディって、その異様で突飛なデザインばかりが注目されるんだけど、実は彼ほど空間構成や空間デザインが上手い建築家ってそうはいないんじゃないのかな?とすら思います。

ガウディ設計の世界遺産グエル館(Palau Guell)その3に続く。
| 建築 | 05:19 | comments(4) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
エドゥアルド・ソウト・デ・モウラ(Eduardo Souto de Moura)、プリツカー賞(The Pritzker Architecture Prize)受賞
今週の水曜日の事だったのですが、今年のプリツカー賞がポルトガルの建築家、エドゥアルド・ソート・デ・モウラに授与されると言うニュースが飛び込んで来ました。エドゥアルド・ソート・デ・モウラと言えば、ポルトガルにおいてはシザに並ぶ2大巨匠として知られている建築家で、彼の代表作、ブラガ(Braga)のサッカースタジアムは日本人のAさんが担当してましたよね。



僕も彼の建築はポルトガルに行く度に幾つか見て回った事があって、4年程前にも印象記なんかを書いたんだけど、その記事を今見てみても、彼の建築に関する今の僕の印象とそれ程かけ離れてないかなと言うのが正直な所かと思います(地中海ブログ:ソウト・デ・モウラ(Eduardo Souto de Moura) )。

今回のプリツカー受賞に関して、スペインの主要紙は文化面で結構大きく取り上げてたんだけど、印象的だったのは、ノーベル賞級の受賞なのに、受賞者自身がそれ程楽観的な事を言って無かった事ですね。キーワードとしては、「経済危機」、「仕事が無い」、「良くなる見込みも無い」みたいな。普通だったら、「今、デカイ美術館やってて、ノリノリ(笑)」みたいな感想になるはずなんだけど、そうじゃない所が、コレ又、ポルトガル的と言うか、何と言うか、個人的には、彼のインタビューの行間から滲み出て見えてくるポルトガルの社会文化的背景の方に大変興味を惹かれました。


下記に
La Vanguardia紙に載ってた受賞インタビューを訳してみましたので、興味のある方はどうぞ:

La Vanguardia 30 de Marzo 2011


「建築はもっと単純で、客観的で、そして実用的なものに戻るべき」

エドゥアルド・ソート・デ・モウラ
:プリツカー賞受賞者インタビュー
“La arquitectura debe volver a ser simple, objetiva y pragmática”
Eduardo Souto de Moura, ganador del premio Pritzker

現代性と伝統の残像を調和させた
30年間に及ぶ建築活動、そして権力と謙虚さ、大胆さと繊細さと言った、相反する2つのものを融合する比類無い能力。ポルトガルの建築家、エドゥアルド・ソート・デ・モウラのその様な能力が評価され、建築界のノーベル賞に値するプリツカー賞が授与された。ちなみに彼の師匠であるアルヴァロ・シザは1992年にこの賞を受賞している。
Treinta año de arquitectura en los que se combinan “contemporaneidad y ecos de la tradición”,y una “habilidad única para conciliar opuestos(en sus obras) como el poder y la modestia, el arrojo y la sutileza”, le han valido al portugués Eduardo Souto de Moura(Oporto, 1952) el Pritzker, considerado el principal galardón arquitectónico mundial. Su maestro, Alvaro Siza Viera, lo ganó en 1992.


記者:最初はシザ、そして次はあなた。既にポルトガルの建築家が
2人プリツカー賞を採っているのに対して、スペイン人建築家はラファエロ・モネオ只一人。このような事実は、スペインとポルトガルの建築界の関係にどのような影響を与えるとお考えですか?
Primero Siza y ahora usted: dos portugueses ya en la lista del Pritzker y sólo un español (Moneo)en ella. ¿Cómo va a afectar esto a las relaciones arquitectónicas hispano-lusas?


エドゥアルド:ハ、ハ、ハ、特に悪い影響は無いと思いますけどね。建築は賞を採ったとか採らなかったとか、そんな事には影響を受けませんので。スペイン人の建築家の友達ともこれまでと同様の関係を保ち続けるつもりです。そして彼らも又、同じ様に接してくれると思います。

Ja,ja. No creo que les pasa nada malo a esas relaciones. La arquitectura no depende de los premios. Intentaré seguir siendo amigo de mis amigos españoles. Y ellos actuarán igual.


記者:建築界最高の栄誉を受賞した後で、どの様にプロジェクトに向かい合うおつもりなのでしょうか?

¿Cómo afronta el trabajo tras ganar el mayor premio arquitectónico?


エドゥアルド:何時もと変わらない喜び、責任感、そして今以上に自分自身に厳しくしたいと思っています。多分、他の人達は私の事を違う目で見るかもしれないし、作品に対する評価は手厳しくなるかもしれない。より成長すると言う事は、より多くの批判を受け取ると言う事なのだから。

Con el mismo entusiasmo de siempre, con la misma responsabilidad y con más autoexigencia, si cabe. Ahora quizás me miren todos con otros ojos, quizás el escrutinio será más severo. Cuanto más creces, más críticas recibes.


記者:今回の審査員の議事録には、権力と謙虚さ、大胆さと繊細さ、パブリックとプライベートと言った、相反する
2つのものを融合させるあなたの能力を賞賛していました。あなた自身は自身の作品をどの様に定義されますか?
El acta de jurado alaba su habilidad para conciliar expresiones opuestas, como el poder y la modestia, el arrojo y la sutileza, lo público y lo privado…¿Definiría así su obra?


エドゥアルド:矛盾と言うのは、建築において常に付きまとうものであり、それらを最も的確な方法で解決する事が我々建築家にとっての重要な責任だと思っています。それは機能的な観点からと言う事なのですが‥‥。美学的な観点から言うと、私は何時も
Santo Tomas de Aquinoの言葉を思い起こします:“美とは2つの違うものの間に存在する関係である”。
Las contradicciones se dan mucho en arquitectura y es nuestra responsabilidad como arquitectos resolverlas del modo más apropiado. Esto, desde el punto de vista funcional. Desde el punto de vista de la estética, me permitiré recordar unas palabras de Santo Tomás de Aquino: la belleza es la relación entre dos cosas diferentes.


記者:かなり昔の事になるのですが、ファーストフードを食べ飽きた人達が美味しい食事を再発見した様に、アイコン建築は質の良い建築を破壊する事は無いと仰っていましたね。あなたの予言は当たっているのでしょうか?もしくは、我々は同じ道筋を歩んでいるのでしょうか?

Hace años me dijo que la arquitectura icónica, espectacular, no iba a acabar con la buena arquitectura; que tras la comida rápida llegó el redescubrimiento de la gastronomía. ¿Se han cumplido sus predicciones o seguimos bajo la misma estrella?


エドゥアルド:ここ数年で何かが変わったと思います。私は4年前よりも太りましたが、建築界では物事はそんなにも速くは動きません。未だ我々はスター建築家の影響下にいるのです。しかしですね、遅かれ早かれ、そのような事態は収束すると思います。建築はもっと単純で、客観的で、そして実用的なものに戻るべきなのです。何故ならそれが唯一良い建築だからです。そして又、現在我々が直面している経済危機もアイコン建築の様な道に進む事を許しません。最後の数年間は、物語性ばかりが目立った建築が林立してきましたが、これは明らかに間違っています。建築とは語る事ではなく、建てる事にこそ意味があるのです

Algo ha cambiado: ahora estoy más gordo que hace cuatro años. En el terreno de la arquitectura las cosas no han evolucionado tan deprisa, seguimos bajo el influjo de la arquitectura estelar. Pero, tarde o temprano, eso se acabará. La arquitectura debe volver a ser más simple, objetiva y pragmática. Porque sólo así será buena arquitectura. Y también porque los problemas derivados de la crisis económica no permiten otra cosa. En los últimos años se ha prodigado una arquitectura demasiado narrativa. Esto ha sido un error. La arquitectura no sire para decir cosas sino para hacerlas.


記者:現在の経済危機によって、アイコン建築にとっては以前よりも遥かに予算が限られてくると思うのですが。経済危機によるポジティブな面とネガティブな面は一体何だと思われますか?

Ahora, con la crisis, hay menos dinero para la arquitectura espectacular. ¿Cuáles son las consecuencias positivas y las negativas de la crisis?


エドゥアルド:勿論、ポジティブな面は存在します。経済危機、特に予算の削減は我々にある種の変化を強制します。そしてそれは良い事だと信じています。経済危機は、その変化が必要だと言う事を示し、そしてその道が間違っていたと言う事をも示してくれました。未来の建築はここ数年間の建築よりももっと正直であるべきでしょう。

Hay consecuencias positivas, claro que sí. La crisis económica, y en particular la crisis de ingresos, nos obliga a cambiar, espero que para bien. La crisis demuestra que era necesario eso cambio, que no se avanzaba en la dirección correcta. Creo que la arquitectura del futuro debe ser más verdadera que la de los últimos años.


記者:今回の経済危機を喜ばれているかの様に思うのですが、ご自身の仕事などに影響は無かったのでしょうか?

Casi parece que se alegre de la crisis. ¿Es que no le ha afectado?


エドゥアルド:勿論影響はありました。しかもかなりね。リスボンに事務所を開設したのですが、私の都市、オポルトでは今は何も仕事がありません。ポルトガル南部では、何らかの仕事がまだあるのですが、私の国では公共の仕事が殆ど無いのです。全てがストップしているのです。だから最近では例えばスイスなどに設計競技を応募する事に専念しています。

Me ha afectado. Y mucho. En Oporto, mi ciudad, no tengo trabajo. He abierto oficina en Lisboa. Tengo algo de trabajo en el sur de Portugal. Pero la verdad es que en mi país hay ahora muy poco encargo público. Está todo parado. Me dedico a concursar en el extranjero; en Suiza, por ejemplo.


記者:危機や繁栄に直面した時の、あなたの作品における揺るぎなさを教えてくださ
い。Dígame una constante de sus obras, en era de crisis o de bonanza.

エドゥアルド:建築の向こう側にある努力でしょうか。私の仕事の結果としての作品は、良くもなるし、悪くもなる。しかし努力無しでは何も生まれません。

Quizás la constante es el esfuerzo que hay tras ellas. El resultado de mi labor podrá ser mejor o peor. Pero nunca llegué a nada sin esfuerzo.


記者:もしあなたが今プリツカー賞を与えるとしたら、どなたに与えますか?

¿A quien le daría usted el Pritzker?


エドゥアルド:イギリスの建築家、デイヴィッド・チッパーフィールドですね。

Al británico David Chipperfield.


記者:バルセロナの郊外(サンタコロマ)に建設中の建築は今どんな状況なのでしょうか?

¿En qué fase está su edificio Cúbics, en Santa Coloma de Gramenet?


エドゥアルド:その計画とはもう何も関係ありません。一年前程、プロモーターが、私と私のスペインの恊働者との関係を断ち切ったのです。

Ya no tengo relación con ese proyecto. El promotor prescindió de mi y de mis socios españoles hace un año.


記者:スペインでは他に何かプロジェクトをお持ちなのでしょうか?

¿Tiene más proyectos en España?


エドゥアルド:ちょっと前にバルセロナの北の方(エンポルダ)で小さな家を完成させてから、他には何もありません。スペインも経済危機ですからね。

No. Hace poco acabé una casa en el Empordá. Pero ya no tengo nada entre manos. También en España hay crisis.


記者:現在はどんなプロジェクトをされているのでしょうか?

¿Cuál es ahora la principal ocupación del nuevo premio Pritzker?


エドゥアルド:中東のとある国に大きな計画が進行中ですが、それ以上は言えません。又、オポルトの地下鉄駅の仕事もありましたが、今は止まっています。経済危機なのです。

Tengo en marcha un gran proyecto para un país de Oriente Medio. Pero no me pregunte nada más porque no puedo contestarle. Estaba trabajando también en el metro de Oporto. Pero ahora el proyecto está detenido. De nuevo, la crisis.
| インタビュー集 | 18:53 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
「ハウルの動く城」の舞台ってカタルーニャだったのか?
昨日家の中を掃除してたら偶々押し入れの奥から「ハウルの動く城」のDVDが出てきた。何を隠そうスペインでも宮崎作品は大人気で、「風の谷のナウシカ」から、「崖の上のポニョ」まで殆どの作品はDVDや書籍、関連グッズなんかがキオスコなんかでも売られてるくらいなんだけど、カタラン人の中には熱狂的なファンとかもいて、毎年バルセロナで開かれる漫画フェスティバルとかに行くと、宮崎関連のコスプレに遭遇しない年は無いって言うくらいの浸透ぶりなんですね。

ちなみに、「崖の上のポニョ」が公開された当時の事、当然の様に近所の映画館に見に行ったんだけど、館内は超が付く程の満員御礼状態。で、やっぱり一番印象に残ったのは、繰り返し流れてくるあの、「ポニョ、ポニョ、ポニョ、魚の子♪」って言う歌なんだけど、「ポニョ」って言う発音が、女性器を意味するスペイン語の「コニョ」って言う発音に似てて、映画館を出た後、そこら辺で、「コニョ、コニョ、コニョ‥‥」って言う歌声が聞こえてきたのにはちょっと笑った(地中海ブログ:崖の上のポニョ(Ponyo en el acantilado)を見る:ポニョ(Ponyo)は男の子か?女の子か?)。更に更に宮崎繋がりなんだけど、昔、iPhoneからナウシカのネタをTweetしようとして、「ナウシカ」って入力したら、「ナウ鹿」って変換されたのにも苦笑い。

実は僕が一緒に働いている交通計画の世界的権威は大の宮崎駿ファン。更に彼の奥さんは日本文学が大好きで、1年程前にスペインで出版された源氏物語を読み込み、僕にかなり鋭い突っ込みを入れる程の強者です。去年のクリスマスには、彼の自宅のホームパーティーに呼ばれた際、「日本の神様について聞きたいんだけど‥‥天照大神ってさあ‥‥」とか言うものすごいディープな質問を受けた時には正直言ってかなり真っ青になりましたけどね。でも、「天照大神って、洞窟から全然出てこなかった、云わば今の言葉で言うと「引きこもり」だよなー(笑)」くらいしか頭の中に浮かばなかった自分にもちょっと真っ青。やっぱもう少し真面目に日本史勉強しようかな(冷汗)。

さて、そんなこんなで今日は金曜日だし、カタラン人達はあんまり働く気もなさそうだったので、「オフィスの同僚を集めてちょっとした上映会でもやろうかな?」と思って声をかけた所、即興にも関わらず数人が集まり、ハウルの動く城の上映会の始まり、始まり〜。で、始まって直ぐの場面、ヒロインのソフィーが働く町の風景が出て来た所で、一緒に見てたカタラン人達が騒ぎ出した:

「あれ、これってカタルーニャの旗じゃない?って事はこの舞台はカタルーニャ?」

「え?」とか思って場面をよーく見てみたら、本当だ!確かに至る所にカタルーニャの旗がなびいてる!!(下の動画の始まってから3:22秒と3:43秒くらいの所):

そしてコレがカタルーニャの国旗。



確かに一緒でしょ?黄色の下地に赤色の線は紛れも無くカタルーニャの旗そのものです。この状況にカタラン人達はもう大興奮!(正確に言うと、カタルーニャの国旗の場合は黄色の下地に4本の赤線で、この映画に出てくる旗には赤線が3本から5本と旗の幅によって変わっているようなのですが、興奮状態のカタラン人にはそんな事はおかまい無し)。

まあ、とは言っても、こんな事くらいで宮崎監督がカタルーニャの風景をモデルにハウルの街なみを描いたと決め付ける程安易な事は絶対に言えないんだけど、でも、こういう観点で宮崎作品を見ると、又違った楽しみ方が出来るのも確かだと思うんですね。



例えば、スウィフトのガリバー旅行記に出てくるラ・ピュータ王国に由来すると言う「天空の城ラピュタ」の風景は、夏前に訪れた南フランスにある、それこそ天空の城を思わせる町、ゴルドを彷彿とさせるし(地中海ブログ:プロヴァンス旅行その7:天空の城、ゴルド(Gordes)の風景)、その町から歩いて40分程の所に忽然と姿を現す、谷の底に密かに存在するセナンク修道院に至っては、人を寄せつけない自然の驚異と共に、正に「風の谷」を彷彿とさせるのに十分だと思います(地中海ブログ:風の谷のセナンク修道院:天空の城の後に見る風の谷:リアル宮崎駿ワールド)。そしてこれら2つの異なる風景、「天と地」と言う全く相反する2つの風景が、徒歩一時間圏内に存在すると言う事実は考えれば考える程興味深い。



更に「魔女の宅急便」のあの風景は、僕にはアルヴァロ・シザのお膝元、ポルトの風景に重ね合わせられるし、はたまた、宮崎監督がロンドン旅行で目にしたラファエル前派(Pre-Raphaelite Brotherhood) に属するジョン・エヴァレット・ミレイ(John Everett Millais) の描いたオフィーリア(Ophelia)を目にするにつけ、「自分達のやりたかった事=コンピュータの力を借りて極限まで緻密な作画を求めると言う事は、もう既に100年前に達成されていたのか!」と衝撃を受け、その後の作品、「崖の上のポニョ」で手書きの可能性に舵を切ったと言う話にも、ものすごい共感を受けてしまいましたけどね(地中海ブログ:ロンドン旅行その2:Sir John Everett Millais(ジョン・エヴァレット・ミレイ))。その時の話で未だに覚えているのが、宮崎さんが語っていたこんな言葉です(地中海ブログ:崖の上のポニョ密着!5人の天才職人その1:宮崎駿と西澤文隆):

「・・・精密にやってみたい、立体感を出したい、空間を出したいというのを突き詰めていって3DCGを使ってみた、いろいろやってみたんです。

(だけど)精密にしていけばいくほど 自分たちの仕事が 神経質なものになるのを感じて

やっぱり何か失われていくんですよね

とことんやったんです (でも)これ以上これを続けることは無理だ やってもおもしろくないと

増殖(CGでコピー)していくと いっぱい描かなくていいだろうと

1つ草が風に揺れているのを描いて それをサイズを変えて置いていくと 確かに全部揺れるけれど 幸せにならないんですよ見ていて ・・・・・

やっぱりエンピツで描いたほうがいい エンピツで描く事がアニメの初源・・・」

これこそ宮崎ワールドの魅力であり、ある意味彼の作品の本質でもあると思います。そしてこの一見単純そうな宮崎さんの問いは、コンピュータが支配するであろう次世紀において、「人間の可能性とは一体何なのか?」、「機械に出来て、人間に出来ない事、そして機械には出来なくて、人間にしか出来ない事とは一体何なのか?」と言う大変深い深い問いを我々人類に問いかけていると思うんですね。

奇しくも昨日は東大で女流王将がコンピュータに敗北すると言う「事件」が起きたばかりでした。こんなコンピュータ全能社会の今だからこそ、このような問いは発せられるべきだし、今我々が真剣に考えるべき問題なのかもしれません。
| サブカル | 01:58 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
プロヴァンス(Provence)旅行2010その1
今日から1週間程休みを取って、南フランスはプロヴァンス地方へバケーションに来ています。って言うと、「えー、cruasanのヤツ、また休みー!!一体いつ働いてるの???」って声が聞こえてきそうなのですが()、いいの!これこそヨーロッパで働く醍醐味なんだから!!!

マルセイユ(Marseille)やエクス・アン・プロヴァンス(Aix en Provence)など、プロヴァンス地方へ来るのは実は今回が3回目。一度目は僕がヨーロッパへ来た最初の年に、それこそバックパック一つでヨーロッパ版青春18切符みたいなの(ユーロパスと言います)を買ってヨーロッパ中を1ヶ月かけて旅行した時でした。当時はまだ通貨が統一されてなくて、ユーロとフランが混じって使用されていた混沌とした状況を良く覚えています。何でかって、ユーロとフランの換金率みたいなのが良く分からなくって、フランスへ入った初日にタクシーでボラれたからです(笑)。

2
回目の旅行は2003年頃だったと思うのですが、結婚式教会の村瀬君が夏休みを利用してバルセロナに滞在していた時に、レンタカーを借りて、南仏からポルトガルを一緒に回った事があったんですね。この時もル・トロネやらラ・トゥーレットやら、名建築を巡る旅をしていたのですが、実はモンペリエで盗難にあってしまい、コンピュータから何から、全て盗られてしまったという苦い思い出があります。村瀬君はル・トロネで買ったフェルナン・プイヨンの「粗い石」を盗られてショックを受けていました。

この話には続きがあって、その後、再度レンタカーを借りて心機一転、「シザを見に行こう」という事で、ポルトガルへと歩を進めたのですが、ポルトガルとスペインの国境付近の高速道路で大追突事故を起こしてしまい、散々な目に合いました(シザについてはコチラ:地中海ブログ:マドリッドの都市戦略その2:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)について。その日は霧がかなり出ていて視界が悪かったのですが、僕達の前に追突事故を起こしていた団体に思いっ切り突っ込んでしまったんですね。幸運だったのは、相当な大事故にも関わらず誰もケガをしなかったし、保険を掛けていたので、1円も払う必要が無かったと言う事。でも今までの僕の人生の中でも、あの時程心が暗くなった数時間はありませんでしたけどね(苦笑)

そんな苦―い思い出がある南仏なのですが、再度この地へ戻って来ようと思ったのには勿論理由があります。それはこの地には、一度体験したら忘れられない風景と美味しい食事、そしてなによりも素晴らしい建築が点在しているからです。特に今の時期、ラベンダーが咲き誇り、地中海の何処までも青い空と輝くばかりの太陽が燦燦と照りつける初夏は南仏が最も輝きに満ちる季節だと思います。

そんな今回の旅のテーマはずばり、中世の教会巡りです。ル・トロネ(Abbaye de Thoronet)とセナンク(Abbaye de Senanque)を死ぬ程見る旅です。今回はレンタカーを借りて、一週間程滞在する予定なので、気が向くままに色んな所へ行ってみたいと思います。

あー、今から楽しみだー!
| 旅行記:都市 | 23:02 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
都市データ比較その1:実はマドリッドって生活の質とか高いのかも?とか思ったりして
毎週日曜日の新聞にはちょっとした小冊子(Magazine)が付いてくるのですが、今週のEl Paisの小冊子(El Pais Semanal)の特集は「都市」でした。

上海が「より良い都市、より良い生活」を謳い文句に上海万博を開幕したり、今後40年間で全世界人口の内、約70%もの人達が都市に住むだろうと言う予測が出ていたり、近年益々都市への関心が高まりつつあります。具体的な数字で見ると、今世紀始め(1900年)に都市部に住んでいた人の数は22000万人(世界人口の約10%)程度だったのが、100年後の世紀の終わりにはこの数字が10倍以上(28億人)にまで膨らんだと言うから、ちょっと驚きです。

今回の特集では現在の都市の問題点を様々な角度から検証しようと言う事で、7つの都市(ドバイ、バルセロナ、メキシコシティ、上海、マドリッド、ロンドンそしてベルリン)が選ばれ、様々なデータを用いながら比較が行われていたのですが、その中でも僕が大変興味深く思ったのが、各都市の平均年収と平均賃貸料のデータです(データの源泉はUrban Age Project):

平均年収(ユーロ)
ドバイ:
31.397,86
バルセロナ:
23.000,00
メキシコシティ:
12.260,12
上海:
5.158,22
マドリッド:
31.100,00
ロンドン:
29.454,18
ベルリン:
21.156,17

賃貸住宅費(一ヶ月の家賃)
ドバイ:
1.495,14
バルセロナ:
1.134,00
メキシコシティ:
605,53
上海:
269,12
マドリッド:
1.107,00
ロンドン:
1.786,69
ベルリン:
566,66

むむむ・・・先ず驚きなのが、ベルリンの平均年収の低さですね(ベルリンの平均年収は21.156ユーロ、日本円で約280万円)。驚くべき事にベルリンの平均年収はバルセロナの平均年収(23.000ユーロ、日本円で約300万円)よりも20万円も下となっています。えー、結構稼いでそうなイメージがあるんだけどなー。まあ、でもベルリンの場合は賃貸料が桁外れに安いから良いのか(ベルリンの一ヶ月の平均賃貸料は566ユーロ、日本円で約73.000円)。この住宅費の安さが、近年、ベルリンが世界中のアーティストやらクリエーターやらを惹き付けている大きな理由なのかな?と思います。

そしてその次に驚きなのが、バルセロナとマドリッドの賃金格差です。バルセロナの平均年収が23.000ユーロ(日本円で約300万円)なのに対して、マドリッドのそれは何と31.100ユーロ(日本円で約400万円)!その差、約8000ユーロ(約100万円)!!コレはすごい。更に賃貸料を見てみると、僅かだけどバルセロナの方が上。何時もながらに思うんだけど、都市内の不動産価値において首都が一番じゃない所がこの国の面白い所なんだなー(詳しくはコチラ:地中海ブログ:スペイン住宅価格事情:2010年第一期四半期:スペイン経済どん底だけど、ちょっとは明るい兆しか?)。

そしてそして、今回一番の驚きは、マドリッドの平均年収がロンドンの上をいっていると言う発見でした(ロンドンの平均年収は29.454ユーロ、日本円で約380万円)。「えー、そおなのー???」としか言いようが無いのですが・・・。
更にこのデータを賃貸住宅費と比較してみると更に驚くべき事実が判明します。ロンドンの賃貸住宅費が一ヶ月約
1.800ユーロ(日本円で約23万円)なのに対して、マドリッドのそれは1100ユーロ程度(14万円)。つまりマドリッドはロンドンよりも収入が高いのに、賃貸料はその3分の2程度に収まっている訳ですよ!!

こう考えると、実はマドリッドって、生活の質が結構高いんじゃないのかな?いや、住んでないから実際の所は分かりませんが、この2つのデータを見る限り、そう言わざるを得ませんね。最近は文化政策にも力を入れているみたいだし、もしかしたら、この先、「生活の質が高い都市ランキング」にマドリッドが頭角を現してくるのかも?という予感がしないでもありません(マドリッドの文化政策についてはコチラ:地中海ブログ:マドリッドの都市戦略その1:美術(美術館)を軸とした都市活性化、地中海ブログ:マドリッドの都市戦略その2:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)について)。

なんか、マドリッドの良い噂とかを聞くと、無性に腹が立ってくる僕は、何時の間にかカタラン人に洗脳されているのでしょうか?(苦笑)

都市データ比較その2:都市が鍵である、に続く。
| ヨーロッパ都市政策 | 20:05 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
バルセロナ新空港:リカルド・ボフィール(Ricardo Bofill)に見る現代社会が忘れかけている建築家という存在
前々回のエントリで書いたように、昨日はバルセロナ新空港(T1)の開港記念式典が盛大に催されました(地中海ブログ:バルセロナ新空港(T1)とうとうお目見え)。マドリッドからサパテロ首相(Jose Luis Rodriguez Zapatero)やナンバー2のJose Blanco氏、そしてカタルーニャ州政府大統領のJose Montilla氏など700人もの関係者が参加した、近年稀に見る式典だったようです。

先週の金曜日辺りから新聞はこの話題ばかりなのですが、それらの記事を読んでいて一つ気になった事が。それはこの空港をデザインした建築家、リカルド・ボフィール氏のメディアへの露出度の異常な高さなんですね。

日曜日の新聞の新空港特別特集に2ページ丸ごとボフィール特集が載っていた事は前々回のエントリで書いた通りなのですが、その日から今日まで新聞で「リカルド・ボフィール」という文字を見なかった日はありません。ちなみに火曜日と水曜日の新聞には写真入の紹介が付き、今日の新聞のカタルーニャ版の一面にはサパテロ首相とMontilla大統領を押しのけて、ボフィール氏が壇上で新空港を語っている姿が採用されていました。更に今日の新聞記事の中で「ボフィール」という文字の登場回数は実に9回。ボフィール、ボフィール、ボフィール。そんなにボフィールが好きなら結婚しろ!とか言いたくなっちゃうくらい、ボフィール・フィーバーが続いています。

近年一つの建物が完成し、これだけ建築家が表立って取沙汰された事は記憶にありません。未だ実際の建物を見ていないので、空間についてどうこう言う段階では無いのですが、それよりも何よりも、これだけ社会の中で建築家が取り上げられるという、その事実に驚いてしまいますね。

多分(というか確実に)彼の建築の質に関しては様々な批判があるとは思います。しかし、その一方で彼は未だに地元のヒーローであり、そういう意味において「本来の建築家の機能」を満たしているのではないか?と思う訳ですよ。

建築の高等教育が一般化する前、建築家っていうのは限られた人だけがなる事が出来る特別な職業でした。正に「市民が無意識下に思っていながらも、ナカナカ形に出来なかった願望を、一撃の下に表す行為」、それが出来る人の事を建築家と呼び、故に建築家とはその街のヒーローだったんですね。だから、彼の名前は子供から大人まで誰でも知ってるし、講演会に行けばおじいちゃん、おばあちゃんから、赤ん坊を連れた若い人まで大勢の人が訪れ、彼の言葉に耳を傾ける。僕がポルトガルの巨匠、アルヴァロ・シザから学んだ事は、「彼の建築が詩的」だとか、「その優れたディテール」だとか、そんな小さな事ではありませんでした。そうではなくて、もっと大きな、「社会にとって建築家とは一体何か?どんな存在なのか?」という、書物や写真からは勿論、実際の建築を訪れるという観光からでさえも絶対に分からない様な事だったんですね。

今回の一連のボフィールに関する記事は、僕が最近忘れかけていた、そういう何かとっても大事なモノを思い出させてくれたような気がします。
| 建築 | 21:54 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
デイヴィッド・チッパーフィールド(David Chipperfield)の建築 :裁判都市(La Ciutat de la Justicia)その2:彫刻的階段による天井のデザイン
前回の続きです。

エントランスを抜けると、行政関連施設にはお決まりのセキュリティチェックがあります。



そこを抜けた所がココ:



ナカナカ気持ちの良い空間が広がっています。



そして、その先には大階段が、上方にはエスカレーターが各階の床レベルの違いを利用して空間を構成している事が分かりますね。



ココだけ見ても、この建築が「建物」では無く、「建築」になろうとしている事が分かります。



高さが抑えられた天井に沿って真っ直ぐに歩いていくと、その先で我々を出迎えてくれるのがこの空間:



光が存分に降り注ぎ、透明感溢れる、とても清潔な空間です。スペインでコレだけ「品の良い」空間は珍しいんじゃないのかな?



この空間が明らかにこの建築のクライマックス的空間なんだけど、この空間を構成している非常に重要な要素がコレ:



真っ黒な階段です。真っ白な空間に「コレでもか!」と言わんばかりの真っ黒な階段が、非常にノビノビと展開している。とても彫刻的な階段です。



先日、ミラージェスの図書館を訪れた際に発見した事、それは「家具を建築のクライマックスに持ってくる」という事でした。(地中海ブログ:バルセロナからの小旅行その2:エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)とベネデッタ・タリアブーエ(Benedetta Tagliabue)(EMBT)のパラフォイス図書館(Biblioteca Publica de Palafolls):空と大地の狭間にある図書館)。デイヴィッド・チッパーフィールドもスケールの違いこそあれ、階段を彫刻的に用いる事により、そこから空間を発生させようとしているように思われます。



更に面白いのは、彼がこの階段を用いて天井の操作を試みている所ですね。建築における天井のデザインについては、当ブログで何度か指摘してきた所なのですが、概して天井のデザインが巧い建築家というのはあまり居ない気がするんですね。(地中海ブログ:マドリッドの都市戦略その2:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)について、地中海ブログ:ガウディ建築の傑作、カサ・バトリョ(Casa Batllo)その1:カサ・バトリョに展開する物語を見ていて思う事

世界的に見て、やっぱりシザと槙さんが頭一つ抜けているかな?というのが、僕の見る所です。今回、デイヴィッド・チッパーフィールドが創り出したのが空間がコレです:





歩を進めるにつれて、階段の段差によって「見える風景」、「感じる空間」に差異が生まれています。











コレは面白い!!!ちょっとした天井の変化を導入する事によって、同じ空間に劇的な変化を呼び起こしている。

やりたい事がきちんと見え、それがきちんと達成されている。ナカナカ良い建築だと思いました。
| 建築 | 17:35 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ガウディ建築の傑作、カサ・バトリョ(Casa Batllo)その1:カサ・バトリョに展開する物語を見ていて思う事
カサ・バトリョに行ってきました。





カサ・バトリョに行くのは何と2002年以来7年ぶり!と言うのも2002年はガウディ生誕150周年に当たる年で、世界各地でガウディ祭が盛大に行われていたんですね。バルセロナではその一環として、それまで公開されていなかったカサ・バトリョが初めて一般に公開されました。しかも期間限定(その年だけ)という謳い文句と一緒に。

「不朽の名作が見れるこのチャンスを逃す手は無い」という事で、入場料がバカ高かったのですが、大枚をはたいて行った人も多かったはず。しかしですね、蓋を開けてみたら結局今でも一般公開してる。しかも高い!一般入場料が16ユーロ。バルセロナ居住者は住所証明を持っていけば特別に割引されるのですが、それでも8ユーロ!どうにかなりませんかね、この値段。救いなのは写真撮影が許可されている事ですね。これはブロガーにはうれしい限りです。

さて、カサ・バトリョについてはガウディ研究の第一人者である鳥居徳敏さんが当然の如く詳しく書かれています:鳥居徳敏:ガウディ建築のルーツ:造形の源泉からガウディによる多変換後の最終造形まで:鹿島出版会、2001年。

鳥居さんによると、ガウディがこの建築で試みた事は内部空間を「海底洞窟」、ファサードを「海面」に見立ててデザインしたとの事。

「カサ・バトリョはガウディがそれまでの情報で聞くか読むか見るかした海底洞窟や、同造形の水族館の記憶に基つく。」P203

この事を頭の片隅に置きながら建築を訪れてみると、建築体験がより豊かになって楽しさ倍増です。更に撮った写真を著作と見比べながら思い出したりすると、「そうか、あそこのデザインはこういう事だったのか!」と再発見する事が多くってとても勉強にもなります。

さて、この建築を訪れて僕が感動したのはやはり内部空間です。そしてその魅力がこの建築全体を貫いている「空間物語」。その物語の始まりがココ:



ガウディ建築の中でも抜きん出て卓越した質を持つこの空間から、この建築の物語が始まります。正に薄暗い洞窟をイメージしたかのような空間。そしてそのデザインの質の高さには驚かされます。注目すべきは階段のデザインです。



まるで一匹のドラゴンが天に昇っていくかのような見事なデザイン。そしてここがポイントなのですが、天井のデザインです。この建築には「これでもか!」と言うほど、天井のデザインに力が注ぎこまれている。



何処からが壁で何処からが天井、もしくは手すりだか判らないくらいに融解され、一体化された空間デザイン。そして天井の切り込みから違う種類の光が、まるで「おいで、おいで」と言っているかのように、我々を2階へと誘っているかのようです。

前に何度か書いたのですが、この空間を見るたびに思い出すのがアルヴァロ・シザの建築空間です。シザの建築の特徴は主に3つ。パースペクティブ的空間、アプローチ空間と天井のデザインです。これら3つがシザ建築の特徴を決めていると言っても過言では無いと思うのですが、そのシザに多大なる影響を与えたと思われる(勝手に僕が思っている)のがガウディの建築なんですね。シザはあるインタビューの中で小さい頃にバルセロナを訪れた事、そしてガウディ建築に感銘を受けた事を告白しています。(詳しはコチラ:地中海ブログ*マドリッドの都市戦略その2:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)について

鳥居徳敏さんが、カサ・バトリョにおける建築デザインの由来についてこんな事を書かれています:

「・・・だとすれば、この作品はどこから生まれたのか。ガウディの想像力から、と人はいう。その想像力はどこから来るのか。想像力は記憶をベースにする、と哲学者は答える。では、その記憶はどこからくるのか。記憶は自らが過去に見、聞き、読み、体験したことに基ずく。すなわち、記憶とは自分以外の外界との接触によって体験したことの記憶である。」P203

これって、シザについてもそのまま当てはまるんじゃないのかな?シザの、あのすばらしい天井のデザイン、あの天井に対する執着は小さい頃に見たガウディから多大なる影響を受けたのではないのか?と思うのは僕だけでしょうか?

さて、そんな事を思いながら2階へと上って行きます。すると、ここで大変面白い体験をする事が出来ます。進行方向左手側の壁、つまり1階から見た時の天井部分がくねっていた事から、階段を上るにつれて2階のロビー空間がチラチラ見えたり、見えなかったりして、面白い視覚効果をかもし出しているんですね。









そして行き着いた先の空間の天井には、潜水艦の天窓を思わせる2つの丸窓がデザインされています。







その後、キノコの形をした暖炉を抜けると、この建築のクライマックス的空間であるメインロビーに行き着きます。それがこの空間:



世界一華やかな歩行者通りと言われるグラシア通りの眺めを独り占めするかのような、大変に贅沢な空間です。この空間については言いたい事は山ほどあるのですが、何か一つ挙げろと言われたら、やっぱり天井ですね。



天井全体が渦を巻いているかのような、大胆かつ美しいデザイン。



天井が溶け出す力と、それを食い止めようとする力、まるでそれらがせめぎあっているかのような、「動」と「静」を同時に表現したかのような見事なデザインです。この天井については鳥居さんがこんな事を言われています:

「大通りに面した中央サロンの彫りの深い渦巻き状に回転する天井は海底から見た渦潮を造形化したものであろう。この渦巻き天井はノーチラス号の図書室を思い出させる。ヴェルヌは、「電灯が、そのよく調和のとれた部屋全体を照らしていたが、その光は渦巻型の天井に半分ばかりはめこまれた曇りガラスの電球四個からさしていた」と書いているのだ」P205

ヴェルヌで思い出したけど、友達にビーゴ出身のスペイン人がいて、「ビーゴは何にも無いけど唯一の誇りが、ノーチラス号の資金源がビーゴ近郊に沈没した船からだった事だ」という、かなり微妙な自慢話をしていました。へぇー、へぇー、ヘェー。

それにしてもどうしてガウディってこんなにも海中や潜水艦に興味を抱いていたのでしょうか?世界で最初に潜水艦を作ったのはカタラン人のモントゥリオル(Narcis Monturiol)だという事は以前書いたのですが、やっぱりその辺りと関係があるんですかね?

ちょっと長くなってしまったので、パート2に繋げます。

ガウディ建築の傑作、カサ・バトリョ(Casa Batllo)その2:カサ・バトリョを訪れる観光客の行動に見るグローバリゼーションの一側面に続く。
| 旅行記:建築 | 23:00 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
バルセロナからの小旅行その2:エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)とベネデッタ・タリアブーエ(Benedetta Tagliabue)(EMBT)のパラフォイス図書館(Biblioteca Publica de Palafolls):空と大地の狭間にある図書館
前回からの続きです。
住宅地の外れ、緑が覆い茂る公園の中に今回目指すべき建築は佇んでいます。そう、この建築の第一印象は「ひっそりと佇んでいる」でした。



この図書館は、「葉っぱ」のような形をした単位が幾つも寄り添う事によって全体を構成しているんですね。その一つ一つの単位を見ると、葉っぱの上に透明な気泡が幾つもくっついていたり、鉄骨が飛び出していたりと大変独特な形態をしています。しかしそんな異様な様相も半地下化する事によって、「大地にしっかりと立っている」というよりはむしろ、「地中から這い出てきた」というような表現をしている事、そして葉っぱから伸びた幾つもの触手のようなレンガの腰壁が「線」から建築本体の「塊」へと違和感無く段階的に形態を移行させる事によって、この建築を公園のランドスケープの中に一体化させる事に成功していると思います。



この触手が大変良い感じなのですが、優しいカーブを描きつつ入り口に向かって扇形に狭まって行っているので、包み込むかの様な感じで我々をエントランスへと導いて行ってくれます。そしてエントランスを入った所の空間がコレ:



鉄骨が空を舞い、屋根の隙間から青空が見え、空間が自由自在に連続している大変気持ちの良い空間です。外観同様一枚の葉っぱが一つの部屋単位を構成していて、強い仕切り壁などは特に無いのですが、緩いボールト天井が一つの部屋という単位を「見えない壁(天井)」によって緩やかに規定しているかの様です。ルイス・カーンのキンベル美術館がこんな感じですよね。つまり全体としては繋がっているんだけれども、その中にも細胞の単位が存在するという様な。

さて、僕にとって非常に興味深いのが、この建築に展開している「空間の物語」です。この建築に流れている空間の物語は、エントランスを入った、正にその時から始まります。その始まりがコレ:



三本の鉄骨です。エントランスをくぐった所で出くわす、とても力強いこれら3本の鉄骨がコノ建築の空間物語の起点です。これら3本の鉄骨はそれぞれ、自由自在に伸びている空間の方向性を指し示しているんですね。先ずは向かって左手側から。





葉っぱの単位を突き破って空間を貫いている鉄骨が指し示す方向へと歩を進めていくと次室へと導かれるのですが、ここにはこの上なく気持ちの良い空間が広がっています。



屋根の大部分を大胆にガラス張りにする事によって、「見上げれば空」空間を実現しているんですね。図書館って言うのは、概してオフィス建築のように水平積み上げが定石になっていると思うのですが、その結果、見える風景は水平方向が多いと思うんですね。この建築のような空が見える図書館は非常に珍しいのでは無いのでしょうか。そしてその事によって、空が見える事がこんなにも気持ちが良い事なんだ、といういう事を我々に発見させてくれます。更にこの感覚は、この空間に施された第二の仕掛けによって別次元へと我々を連れて行ってくれます。それがコレ:



水平窓から目線上に展開する緑の空間です。この建築は半地下になっていて、目線が道路くらいの高さにあります。更に盛り土をした上に緑を配しているので、内部から見た時に緑一面が視界に入る事になるんですね。結果として、見上げれば空、目の前には緑という、空と大地に挟まれた空間が出現する事となった訳です。素晴らしい空間です。



さて、この部屋の端で鉄骨が又別の鉄骨と交わり、次の部屋を暗示しています。一番奥の部屋には大切なものをかくまうかのように子供の為の読書空間がしつらえられていました。まるで子供は将来の村の宝物と言わんばかりに。

今来た道を見返して見た所がコレ:



空間が連続しているので向こうまで見渡す事が出来ます。さて、エントランスホールへと戻り、今度は右手方向に進んでみます。



先ずは一番太い鉄骨、この建築を支え全体を貫いている大黒柱のような鉄骨から。力強く、明らかにコノ建築の中心性、拠り所を暗示しています。



そしてこの太い鉄骨に交わり、そこを出発点としている何本もの細い鉄骨が、伏線として様々な方向へと伸びる空間とそれらの方向性を暗示しています。

そしてイヨイヨこの建築のクライマックス的空間へと入っていきます。ココがとても面白い所なのですが、この空間内で唯一鉄骨によって方向を示されていない所にクライマックス空間を持ってきています。それがエントランス前の3本の鉄骨が交わる交点の裏側。



これら鉄骨に守られるかのように、その空間は存在します。



そしてここにだけ、木で覆われた大きな大きな扉が付き、明らかに特別感を醸し出しているんですね。それがこのホール:



30人も入れば一杯になってしまうような小さなホールなのですが、他の空間が外に開かれ連続性を重視しているのに対して、この空間だけは内側に閉じる事を志向しているかのような印象を与えます。



そしてこのホールの中心にあるのが、大きなオブジェのような机です。



そう、ミラージェスはコノ建築のクライマックスに家具を持ってきているんですね。コレには驚いた!この家具、勿論特注で、折り畳み可能の大変に優れたデザインをしています。その秀逸なデザインから、この家具の回りに、ある種の空間が出現していると言っても過言では無いと思うくらいです。

「家具がクライマックス的空間だって?そんな馬鹿な事があるか!前代未聞だ!」と思われる方が多いかとは思いますが、僕はこのような空間を以前に体験した事があります。それも、かのカルロ・スカルパの珠玉の作品、クエリーニ・スタンパリア(Fondazione Querini Stampalia)にてです。そこではクライマックスに、壺による大変特殊な空間体験を持ってきていました(地中海ブログ:カルロ・スカルパ(Carlo Scarpa)の建築その2:クエリーニ・スタンパリア(Fondazione Querini Stampalia):空間の建築家カルロ・スカルパ:ものすごいものを見てしまった)。更に、カステル・ヴェッキオ(Castelvecchio)では、各展示室に置かれた家具が、空間の質を左右する重要な要素として考えられていたんですね(地中海ブログ:カルロ・スカルパ(Carlo Scarpa)の建築その3:カステルヴェッキオ(Castelvecchio):空間の建築家カルロ・スカルパ:ものすごいものを見てしまったパート2)。僕がこの事に気が付いた時の驚きと感動と言ったらありませんでした。

そんな事を考えると、同じラテン文化圏に属するミラージェス、そしてスカルパの事など勿論承知のイタリア出身の建築家でミラージェスのパートナー、ベネデッタ・タリアブーエが家具を重要な空間要素と考え、空間物語のクライマックスに持ってきたって、何の不思議も無いと思います。大変面白い空間の物語構成です。

そんな事を思いながら外へと出てみます。この建築の基本単位が「葉っぱ」だという事は上述した通りなのですが、ミラージェスのデザインセンスがこんな所にも、ちらりと光っていました。それがコレ:



外部機械室です。基本単位(葉っぱ)を繰り返しておいて、特別な一部分だけ抜くというのは大変に巧い&センスの良いデザイン処理です。



槙さんが幕張メッセパート2でこのパターンのお手本のような回答を示してくれていますけど。

さて、最後にどうしても書きたかった事がコレ:



実はこの図書館、今ではエンリック・ミラージェス図書館と呼ばれているそうです。多分、自分達の町にこの上無い贈り物をしてくれた建築家に対する最大の敬意なのでしょうね。
ポルトガルに住んでいた時に感じた、「建築家とは政治家同様、地元の人々の声を具現化(視覚化)してくれる地元のヒーローである」という、元来の建築家の職能を全うしていたシザと同様、この村の人々にとってミラージェスというのは、この町のヒーローだったんだなー、という事を実感させてくれます。偉大な建築家、そして見事な建築でした。
| 旅行記:建築 | 19:56 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
マドリッドでカンファレンスに参加します:VISUALIZAR'08: Database City by Media Lab Prado Madrid
一緒に仕事をしているMIT Media Lab(Massachusetts Institute of Technology) 、F君の招待で来週の月曜・火曜にマドリッド(Madrid), Media-Lab Pradoで行われるVISUALIZAR'08: Database Cityに参加する事となりました。この国際会議/ワークショップの主題は都市に関するありとあらゆるデータを可視化しようという試みで、この世界では結構な著名人が来週頭にかけてマドリッドに集結します。

ここの所連日ミーティングで、来週もほぼ日程は埋まってたのですが無理して2日空けました。それは世界最先端のヴィジュアル技術と都市データの収集センサーをまとめて見られるいい機会だと思ったからなんですね。

これは後日書こうと思っているのですが、実は先週バルセロナで行われたartfuturaというイベントに参加してきました。このイベントは主に最新技術がどのようにビジュアルアートに影響を及ぼしているか?を語るシンポジウムで、毎年参加しているのですが、去年と同様に今年もかなり刺激的なクリエーター達に出会う事が出来ました。

さて、来週のシンポジウムでは何をしゃべろうかなー?と思い悩んだ末、結局ICINGのBluetooth Sensorの事を発表する事にしました。BitcarrierのM君にも声を掛けたらかなり乗り気で絶対に行くって言ってるし。まあ、久しぶりにF君に会えるのも楽しみだし、元シザ事務所のAさんとも建築議論がしたいし、何よりプラドのお宝を満喫したい。

日曜の朝AVEで出発予定なのですが、実はその前に絶対に外せないイベントが今週末、バルセロナで開かれます。一年の内で最も楽しみにしているイベントなので今から心ウキウキです。これについても後ほどレポートしたいと思っています。
| 大学・研究 | 15:16 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ウィーン旅行その10:オットー・ワーグナー(Otto Wagner)の郵便貯金局(Post Office Savings Bank (Postsparkasse))に見る人間の創造力
オットー・ワーグナー(Otto Wagner)の設計した郵便貯金局(Post Office Savings Bank (Postsparkasse))を見に行こうと思い最寄の駅で電車を降りてイザ。気合を入れて探しているのにコレがナカナカ見つからない。地図と照らし合わせながら同じ所を何度もグルグルする事15分。やっとありました。



何故見つからなかったのか?この問いは些細な事ながら、結構この建築の本質に迫るものじゃないかと思います。この建築が見つからなかった訳、それはこの建築のファサードの表現があまりにも新しくて、絶対コレじゃないと思い込んでいたからなんですね。実際僕は到着した時からずっとこの建築の回りをグルグル回っていたのですが、これが100年前に建てられたものだとは俄かに信じ難いものがありました。

それがコレ:



波状に加工したライトグレーの花崗岩と何処までも整然と並ぶ鋲の組み合わせは今見てもとても斬新。コレを100年前のデザインだと思えと言う方が無理っぽい。

そんな事を思いながらイザ中へ。





なんと言っても圧巻なのはメインホールです。コレはちょっとすごい。ものすごく明るく透明感溢れる空間。まるで天井全体が光っているような感じ。僕がココを訪れた時は雲が太陽をかすめる事が多かったのですが、そのたびに天井全体がふわっと暗くなり、また明るくなりというリズムを打ち出して、まるで天井が呼吸をしているようでした。
こんな事が建築で可能なのか?というくらいの驚きです。

細部も大変に素晴らしいのですが、気が付いた事を一つだけ。それがこの柱。



不思議な形をしています。下に行くに従って細くなっている。まるで重力に逆らっているかのように・・・それを途中までアルミでカバーし、周りにパンチを打ち込みリズム感を出している。非常にセンスがいい。



この郵便局を訪れたのはロースハウス(Looshaus)を見た後だったのですが、この柱を見て建築デザインにおける最も大切な事を再確認させられました。それは、我々は多くの事を歴史から学ばなければいけないという至極当たり前の事です。そんな当たり前の事を我々はしばしば忘れてしまう。そして先人が蓄積した遺産をどう解釈し、どう自作に取り込むかという所にその人の創造性が発揮されるのです。建築家の創造力は千差万別。だからこそ建築は多様であり、その建築が我々の生活と社会に彩りを与えるのです。あー、世界はなんて素晴らしいのだろう。

さて、一番分かり易い例が毎度の事ながらアルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)です。



ロースハウスでは上部のアパート部分と下部の店舗部分がファサードの切り替えしによって強烈な対比を生んでいます。この場合アパートと店舗という対比を鮮明にする為にちょっとクドイくらいの緑色大理石が用いられていますが、それはあまり問題じゃない。ココから学ぶべきエッセンスというのは、マテリアルの切り替えしによるファサードのデザインというアイデアなんですね。そしてロースのこのアイデアを読み取り再解釈したシザの回答がコレ:



泣く子も黙るポルト大学の講義棟(Faculty of Architecture of the University of Oporto)のファサードデザインです。先ずシザはロース風の上部と腰壁風の下部にファサードを分け、更に清潔感を出す為に白色に対して薄いブルーの大理石を持ってきています。



こうする事によって建物が地面から突然「にょっき」と生えてきたという感じを和らげているんですね。大変見事なデザインだと思います。

もう一つの例がコレ:



コレはシザ設計のとある住宅の中にある何気ない柱なのですが、まるで先ほどの郵便局内にあった柱の形状にそっくり。だからと言って、ココで直ぐにシザが真似したとか、この形態の起源はロースだとか決め付けるつもりは毛頭ありません。それよりも僕が興味深いのは、シザが郵便局の柱に受けたインスピレーションをどうやって自身の中に消化させていったかの方にあるんですね。何故ならそれが正に人間に与えられた武器である「創造力」だからです。

人間の創造力には限界があります。全く何も無い所から何かを創り出せる人が果たして何人いるでしょうか?そんな人は先ず居ません。人間の創造とは必ず何かの先例に倣う必要があるんですね。問題は「その人が何を元としたか」では無くて、「その元をどう変形させ、どう自分のものとしたか」にあります。それがはっきりと見える時、僕はその人にとても感動します。何故なら、その創造力こそが人間を人間たらしめている能力であると思うからです。
| 旅行記:建築 | 20:14 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ウィーン旅行(Vienna / Wien)その3:スティーブン・ホール(Steven Holl)の建築:ロイジウム(LOISIUM Kellerwelt):ファサードに見る建築デザインの本質
前回のエントリ、ウィーン旅行(Vienna / Wien)その2:スティーブン・ホール(Steven Holl)の建築:ロイジウム(LOISIUM Kellerwelt):行き方の続きです。

先ずアプローチ。



葡萄畑と田園風景の真っ只中に舞い降りたUFOのごとき、銀色の塊とでも表現しましょうか。遠くからでもはっきり見える、変わった窓の形とブラックジャックの如き縫い目の跡のようなファサードが印象的。



更に近付くとファサードが平坦では無く、ちょっとデコボコしている事に気が付きます。そしてその切り返しに金属と金属を縫い合わせたような処理が施されている。



この縫い目のようなデザインと壁の動きが、様々な形と大きさの溝(窓)を巧く補完しているように思えます。この辺のデザイン処理というのはやはり非常に巧いですね。







更に言っちゃうと、窓の「掘り」を大胆に深くする事によって、銀色の箱の抽象性を高めています。そしてその「掘り」と軽やかな銀色のファサードが醸し出す対比が鮮やかですね。デコボコ(ナミナミ)デザインもスペイン人がやるほど大胆ではなくて、どちらかというと主役(この場合は窓)を際立たせる「塩・コショウ」という感じでしょうか。

このような動きのあるデザイン(デコボコ、もしくはナミナミデザイン)って、エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)の影響かどうか知らないのですが、スペインでは非常に良く見かけます。建築学校へ行って学生の作った模型なんて見てると、デコボコしていないのを見つける方が難しいくらい。

しかしですね、このようなナミナミデザインを巧く使いこなせているスペイン人建築家を、僕は2人しか知りません。一人は勿論、ミラージェス。イカリア通り(Avinguda de Icaria)にあるグニャグニャ系のオブジェクトは、何故にそこにそのグニャグニャが必要なのか?とか何故グニャグニャなのか?とか、そういう疑問をすっ飛ばしてしまうくらいに、その表現に説得力がある。





つまり、あのグニャグニャが「何時までも沈む事の無い太陽や、終わる事の無いお祭り」と言った、バルセロナのエネルギー全体、社会全体を表象していると思わせるくらいの表現に達しているんですね。そのあたりの事について、僕は以前のエントリでこんな風に書きました:


”・・・先ず僕は建築とはその社会文化を表象する芸術行為だと考えています。コレが意味する所というのは、建築を理解する為にはその建築、もしくは建築家が育った地域の社会文化を理解する事から始めなければいけないという事です。僕はその事をポルトガルの文化に深く根ざしたアルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)の建築から学びました。彼の建築の最も優れた所というのは、デザインのセンスや形の面白さでは無く、彼の建築が否応無く表してしまうポルトガルの社会文化だと思うんですね。だからシザの建築を指して「詩的だ」という解釈にはあまり賛成出来ません。「詩的」だという説明は他の言葉で説明出来ない時の逃げに使われている気がするからです。

全く同じ事がミラージェスの建築にも言えて、彼の建築は地中海都市であるバルセロナの社会文化を良く表していると思います。その事に気が付いたのはこちらに住み始めて2年くらい経った時のことでした。

地中海特有の天気、毎日晴れ。明日も晴れ、明後日も晴れ、ずーっと晴れ。ニュースを見るとお天気マークが「これでもか」というくらい続いているし、キャスターは「今年の雨日数は2週間でした」とか言ってるし。こんな毎日天気の良い日が続くと自然と人が公共空間に出て来て、様々なアクティビティがそこで繰り広げられる事となります。更に昼間は暑いから自然と活動は朝方、もしくは夕方から夜にかけてという事になる。すると夕食時間がそれだけズレ込んで夜中1時を過ぎても屋外で夕食会が普通に開かれているという状況が生まれる訳です。

これが地中海都市でこれほど公共空間が重要視される理由だと思うんですね。そしてそれがこの都市の人々にバイタリティを与えている。燦燦と降り注ぐ太陽の下で育まれる生命力、何時まで経っても終わる事なく続くアクティビティ、絶え間ない笑顔、それに背中を押された社会の楽観主義。これら全てを正に「一撃の下に表している」のがミラージェスの建築であると思う訳です。・・・”

(詳しくはココ:エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)の建築その2:バラニャ市民会館(Centro Civico de Hostalets de Balenya)に見る建築の質:社会文化の表象としての建築:ミラージェスの場合






又、ナミナミデザインとは少し違うかも知れないけど、バラニャ市民会館(Centro Civico de Hostalets de Balenya)では螺旋状に回転しながら上昇する内部空間と、その内部空間がまるで内側から膨らんできてファサードになったかのような、内外一致の見事な建築を展開していました。(詳しくはココ:エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)の建築その3:バラニャ市民会館(Centro Civico de Hostalets de Balenya)に見る建築の質:実際に建築を訪れる事の大切さ

もう一人はラペーニャ&エリアス・トーレス(Jose Antonio Martinez Lapena and Elias Torres)。彼がトレドに完成させたエスカレータは僕が今までに見た建築の中でも指折りの傑作。



物語の展開方法といい、エレベータという普通のモノを、少しずつ角度を変える事によって差異化しつつ、見事なナミナミデザインを完成させています。(詳しくはココ:マドリッド旅行その4:ラペーニャ&エリアス・トーレス(Jose Antonio Martinez Lapena and Elias Torres)の建築その1

又、2004年にバルセロナに完成させた巨大ソーラーパネルでも、ほんの少しだけ角度を付ける事によって、見事なダイナミクスを達成している。



(詳しくはココ:マドリッド旅行その4:ラペーニャ&エリアス・トーレス(Jose Antonio Martinez Lapena and Elias Torres)の建築その2:ソーラーパネル

デザインってこういうモノだと思うんですね。パッと見、普通なんだけど、良く見るとちょっと違う。つまり普通のモノを差異化する事。ここから生まれる静かなデザイン。そもそもDesignって否定語の「DE」と「SIGN」がくっついて出来ています。つまりサインを消す行為だと見る事も出来るわけですよ。以前書いた「歌舞伎と能」の比較で言うと、「能」的なデザインという事です。

そう考えると、グローバリゼーションの中において都市間競争がますます激しくなり、それに伴って都市が派手な建築を「都市の広告」として必要としている現在は、デザインの本質とは全く反対方向へ向かっているなー、という気がします。

実はこの辺の事については僕は本当に悩んでいます。簡単な例で言うと、建築的に見て世界最高峰の質を持つ、正に「能」的デザインの極地、谷口さんのやられたニューヨーク近代美術館と、一見、歌舞伎的に見えるけど、全くそのレベルにすら到達していないバカトラバ、失敬、カラトラバ(Santiago Calatrava)のデザインした橋。建築的に見て賞賛されるべきは当然前者なんだけど、都市という観点から見た時、人を惹き付けているのは明らかに後者なんですね。後者の派手なデザインが大衆の心を捉えているとすれば、前者の良さが分かる人なんて全人口のホンの数パーセントしか居ません。

そうすると、公共のお金を使って都市を発展させる為には果たして谷口さんのような優れた建築で良いのか?言い方を変えれば、カラトラバのようなデザインが求められているのではないのか?というお話になってくるわけですよ。

コレは難しい。中村研一さんが言われていたように、最終的には評価軸の違いという事になるのだろうけれど、未だ僕は決定的な評価軸を自分の中に確立する事が出来ずにいます。

あー、又脱線してしまった。

まあ、とにかくナミナミデザインは見掛けほど簡単ではなくて、すさまじいデザイン力が無いとそのデザインが説得力を持つにはナカナカ至りません。そんな中、このスティーブン・ホールのナミナミファサードはナカナカに成功していると思います。

さて、ファサードについてもう一つだけどうしても書いておかねばならない事があります。それがホールが採用するに至ったあの特徴的な窓の事です。

僕は建築を訪れると先ずはその建築家が一体何をやりたかったのか?を模索する所から始めます。建築を設計する立場から言うと、一つの建築を計画・デザインするにあたり、必ず何かしらやりたい事があるはずなんですね。僕は基本的に一つの建築の中に建築家がやりたかった事が一つ達成されていれば良い建築だと評価します。逆に言うと、一つの建築の中に一つで良いんです。

建築家というのはやりたい事が沢山あります。しかしそれらをやり過ぎない勇気というのも必要だと思うんですね。何かしらカケガエノ無い一つのアイデアをサポートする為に全てのデザインが展開している時、僕はその建築にとても感動します。

そんな風に考えると、今回の建築でホールがやりたかった事は唯一つ。様々な形と大きさの窓から入ってくる光のハーモニーによる内部空間の構成です。彼はとにかく「光のハーモニー」を創り出したかった。それを実現する為には色んな形の窓が要る。そこで彼が引っ張り出してきたのが、この葡萄畑の地下に眠っているワイン貯蔵庫ラビリンスの古地図だったんですね。

そうなんです。この地には何百年も前からワインの地下貯蔵庫がラビリンスのように存在していて、今回ホールがデザインしたのはラビリンスを用いた観光用のワイン物語空間の始まりとクライマックス空間だったんですね。そして、これは後日知ったのですが、あの特殊な窓の形は地下のワイン貯蔵庫の地図を変形して抽象化した形だそうです。

”この場所での特別な体験の焦点である地下貯蔵庫のジオメトリーを取り出して変形し、抽象化して、キューブ(ワインセンター・パビリオン)の内部に陽射しを送り込む開口をかたちつくる・・・”(GA Document, p76)

このように、どんなものでも自分のデザインに利用してしまえる思考の強さ、そしてどんなものでもデザインしてしまえるデザイン力。コレがスティーブン・ホールという建築家の強さです。

ウィーン旅行(Vienna / Wien)その4:スティーブン・ホール(Steven Holl)の建築:ロイジウム(LOISIUM Kellerwelt):歴史的遺構という物語空間に接続された現代建築に続く。
| 旅行記:建築 | 20:15 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
I.M.Pei (アイ・エム・ペイ)について
日本から持ってきたI.M.Pei −次世代におくるメッセージ (I.M.Pei- Words for the Future)を読みました。今の若い人達の人気路線(キレイ、軽い系)とは全く方向が異なるし、最近はあまり作品も発表していないので学生諸君には馴染みが無いかもしれないけど、I.M.ペイは個人的に大好きな建築家の一人です。何故か?何故なら彼の建築には空間があり感動があるからなんですね。僕はやはり建築とは、その空間が醸し出す雰囲気によって感動出来るモノであるべきだと思います。幾ら表層がキレイに創ってあっても、幾らプログラム操作が面白くても、その空間に感動出来なければ建築じゃ無いとすら思っています。

写真には写らない何かしらの質があるからこそ、人は時間とお金をかけて建築を見に行く訳ですよね。そうじゃなかったら写真で良い訳だし。I.M.ペイの建築というのはその建築空間に心底感動出来る、今となっては数少ない建築だと思います。

思えば2年前の冬にベルリン(Berlin)へ行ったのも、その大きな理由はペイによるドイツ歴史博物館(Extension of the German Historical Museum, Berlin, 2002)を見る為でした。



建築雑誌にはあまり取り上げられ無かったけど、一目写真を見た時から忘れられなかった建築の一つだったんですね。



2年前、ベルリンで現物を見た直後に書いたエントリ、Berlin その1:I.M. Pei について、にその魅力の描写があるので引用します。

・・・マッシブな大理石の塊である本体にガラスの螺旋階段がくっ付いているのですがこれが大変魅力的で異様な力を放っているように見えたからです。ペイの建築はワシントンD.C.に行った時にナショナルギャラリーを見ましたが今回の地になっているのはそれと同じくマッシブな大理石の塊。これが取り合えずは強烈に「力」を放っています。今回の美術館の特徴はコレに対比するかのようにくっ付いているガラスの螺旋階段。コレがやりたかったんでしょうね。で、この一つのアイデアを際立たせる為に全てがそこに収束するように設計されている。

それにしてもこの螺旋階段はホントに不思議な形をしています。円錐に螺旋階段をくっ付けただけなのですが三層構造の最下部が裾広がりになっている。滑らかに上層へと続く曲線とそれに対比する垂直な直線。黒いスチールとノペっとしたガラスの材質がとてもマッチしている。ガラスの上下部を黒のスチールで縁取りしていてその帯だけが上まで続いているデザインによって軽やかさがより強調されている。何よりこの軽やかな螺旋階段と重たい大理石の対比が鮮やか。


で、その後に続く文で僕はこんな風に問うています:

そもそも何故彼はこんな形を良いと思ってしまえるのか。普通こんな形、綺麗だとは思いませんよね。シザもそうなのですが、彼らの建築の魅力はダサイ形とキレイな形の不思議な均衡にあると思う。ちょっと間違えるとダサイ形になる一歩手前にとどまる事によって異様な魅力を獲得しているというような。こういうのって最近流行の一筆書きのミニマルな建築をデザインするのとは次元の違う造詣感覚が必要だと思うんですね。やはり彼は他の人とはちょっと違う造詣感覚を持ち、形に対する感覚がかなり鋭いのかも知れない。

この最後部に出てくる「形に対する感覚」=「センス」ってのが結構重要で、こればっかりはどんなに優秀な先生でも教えられないと思うんですね。例えばディテールだとか納め方なんかは比較的簡単に教授する事が出来ると思います。しかし、ある特定の空間にどんなディテールが合っていて、どんな組み合わせにするのか?などという、何がカッコ良くって何がカッコ悪いか、つまり、何を良いと思い何に対して心が触れるのか?という問題は長い時間を掛けて自分の中で積み上げていくしか無いわけです。

ここに至るには多分、2つの重要なステップがあります。一つは建築や芸術界におけるお約束的な美の基準を学ぶ事。多分世の中には、ある一定以上のセンスを持った人の大半が共感するような「キレイな形や線、もしくは法則」というようなモノが存在すると思います。そしてそれは人間の深い部分に属するものだと思うんですね。だからこそ、我々は遠い昔のラファエロ(Raffaello Sanzio)の絵を見た時に「構図が巧いな」とか共感する部分が出て来るんだと思うんですよね。例えばラファエロの構図と色使いについては以前のエントリ, ミラノ旅行その6:ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio):アテネの学童下書き(La Scuola di Atene- cartone preparatorio)でこう書きました:


羊を連れた聖家族(Sacra famiglia con l'agnello)。



先ずパッと見た瞬間に「構図が生み出すリズムが良いな」と言う事に気が付きますね。左手に居る赤ちゃんから「物語」が始まるわけだけれど、その赤ちゃんが一番低い所に位置している。そしてお母さん、お爺さんと順に立ち上がっていく構図。そのリズム感は各々の頭の位置を見るとよりはっきりします。円を描きながら上昇していますね。そして色使いも構図を巧く補完している。赤ちゃんが白基調なのに対して、中間のお母さんの左半分が青で右半分が赤。そこからお爺さんの黄色にバトンが渡されている。更にお母さんの足元にちょっとしたアクセントとして赤が置かれている。

このようなリズム感というのは建築を含めたデザイン分野では基本中の基本で、今でも良いデザインにおいてはそれらを見出す事が出来ます。こういう事を古典に発見する時、感覚という奥底においては「人間って変わらないんだなー」と言う事を感じますね。いや、変わって行こうとする力、変わらないとする力、その2つの力が鬩ぎ合っているのが人間という存在か。


こういうリズムみたいなのって、時代によって変わるというよりも、むしろある程度は普遍のような気がします。ちなみに以前ピカソについて書いたエントリ、国際博物館の日(International Museum Day)とピカソ美術館(Museo Pisacco)その1:ピカソとバルセロナの都市戦略にこんな事を書きました;

後年ピカソは「音楽家に神童はいるが、画家にはありえない」と語っています。つまり幾ら才能があってもアカデミックな修練、つまり絵画の世界に存在する「お約束」を身に付けない事には画家にはなれないと、こう言っている訳です。そして彼曰く、「自分はそれを克服するのが非常に早かったと」。

そしてその第一ステップを基盤とし、その上に個人個人の経験として蓄えられ形成されていく「感覚」。つまりある一定のセンスを持った人が、それを基準にして自己の研磨によって獲得していく世界観。この2つのステップによって建築家(芸術家)というのは独自の世界観を獲得していくのではないのかな?と思うわけです。

普遍的な美の基準の上に打ち立てられた個人的基準だからこそ、多くの人に共感されると同時に、それぞれ少しずつ違ったモノになる。それを我々は個性と呼び、だからこそ建築や芸術というのは多様なんですね。

さて、ペイはこのインタビュー集においてルーブル美術館(Louvre Museum)を設計した当時の事を回想し、僕にとって大変興味深い事を述べています。

「・・・フランス社会全体に、ルーブルは自分たちのもの、という意識があります。ルーブルは彼らに属し、彼らの宮殿であり、ルイ14世の宮殿ではない。コレクションは国民のものであり、ナポレオンのものではない。・・・」(I.M.Pei- Words for the Future, p37, 2008)

フランスのお宝にフランス人では無い東洋系米国人のペイが前衛的な介入をするに当たって、そこに立ちはだかる困難は容易に想像が付きます。コレは確かに困難だったのかもしれませんが、建築とは本来このような市民意識に支えられる所に存在すると思うんですね。そしてそのような彼らの意識を見事に可視化したモノだったからこそ、ルーブルはフランス市民に受け入れられたのではないのでしょうか?

やはりペイはこのような「市民が潜在下に意識していながらもナカナカ形に出来なかったモノを一撃の下に表す事」に大変長けた建築家だと思いますね。
| 建築 | 22:32 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
マドリッドの都市戦略その2:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)について
先日のエントリ、マドリッドの都市戦略その1:美術(美術館)を軸とした都市活性化の続きです。

先日書いたように現在マドリッドは美術館等の集積による文化を軸とした都市戦略を遂行中です。1.9kmに及ぶ軸線上に約15もの文化施設が集まっています。そしてそれを結びつける役割をするのがアルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)が担当する新歩行者街路なんですね。

実は数ヶ月前、マドリッド市役所によりシザの案が発表された時、ちょっとした議論が沸き起こりました。それというのも街路空間を拡張する為に、元々そこに生えている樹木を伐採するという計画が盛り込まれていたからなんですね。それに対して市民は猛反発。翌日には早速、計画の説明の為にシザのインタビューが各新聞を賑わせていました。先日のマドリッドの文化戦略に関する記事(El paseo del Arte)の冒頭も実はシザへのインタビューだったんですね。各インタビューの中でシザは何故この計画が生まれたのか?どのように計画が発展していったのか?などを説明していますが、僕にとって興味深い事に、建築とは何か?建築家とは何か?自分はどのように建築家になったのか?などの話がさりげなく盛り込まれていました。

例えばシザは自分が建築家になった経緯をガウディに関連付けて説明しています。

“マドリッドでベラスケスを発見したように、バルセロナではガウディの作品を発見した。そしてそれは若きシザを建築への道へと導いたのである。“

“Y si en Madrid descubrio a Velásquez, el encuentro en Barcelona con la obra de Gaudi marco los pasos del joven Siza hacia la arquitectura.”

La Vanguardia, 27 de Julio, 2008, p44


これは面白い!何故なら当ブログでは何度か言及していますが、ガウディ建築の特徴の一つは天井のデザインに見られると思うからです。カサ・バッリョの天井なんて惚れ惚れするくらい美しくデザインされています。



そしてコレも当ブログでは何度も取り上げてきた話題なのですが、シザ建築の特長の一つは天井にあると僕は思うんですね。(ちなみに残りはアプローチ空間とパースペクティブ空間)シザほど天井のデザインが巧い建築家はナカナカ居ません。そして天井が巧いという事は階段のデザインが巧いという事です。それが槙さんの建築にも言える事は以前のエントリで書いた通りです。

マドリッド旅行その4:ラペーニャ&エリアス・トーレス(Jose Antonio Martinez Lapena and Elias Torres)の建築その1

別のインタビューによるとシザは子供の頃、家族旅行で良くスペインに来ていたそうです。そして小さな頃から彫刻家になりたかったそうなんですが、ガウディの建築を見た時、彫刻と建築の類似性に気が付き、大変な衝撃を受けたと言っています。そしてその後、ガウディの建築を全て見て回ったとも。

”休暇にはよく家族でスペインに行きました。父は美術館に行くのが大好きでしたが、家族と初めてバルセロナを訪ねたとき、私にはガウディがとても印象的でした。まだ建築の学校には通っていなかったころでしたが、ガウディの建物を全部見る事に決めました。・・・私はガウディに強く惹かれました。この有名な建築の写真と現実の建物を比較したとき、これは彫刻に似ていると思ったからです。建物の建っている場所について、自分の目で建物を見たとき、この彫刻には、普通の住宅が備えているあらゆるエレメントが備わり内包されているのだと分かりました。扉、窓、幅木。つまり、ある意味でこのことが私に建築の世界を開いてくれたのです。それ以前は、私はこれを彫刻としてみていたのですが、このとき、建築として見る事が出来たわけです。”

Studio Talk,15人の建築家の物語:インタヴュー:二川由夫、p207


アルヴァロ・シザという人がすごい所は、まるでサッカー小僧の翼君のように人の得意技を自分の物にしてしまう所です。誰が見ても分かるように、彼のデザインには明らかに引用先が存在します。それは例えばアルヴァ・アールト(Alvar Aalto)だったりハンス・シャロウン(Hans Scharoun)だったりするわけなのですが、それらの形態から出発して最終的には彼の空間になっている。

まあ元々、何も無い所から何かを創り出せる人、もしくは完全なるオリジナルを創り出せる人なんて先ず居ないと思います。創作の基本は模倣ですから。しかし愚かなる人は最終形態だけを見て、「あー、これはあの建築を真似したんだな」という模倣の起源だけを突き止める事で満足してしまうんですね。問題はそこじゃ無い。世の中一人として同じ人が居ないように、同じ模倣作から始まっても作者によって結果は必ず違うはず。その変形のプロセスとその結果にこそ、その人の個性が現れる訳ですよ。それがあるから建築は面白い。

アールトやシャロウンにシザが多大なる関心を寄せている事は明らかなのですが、では何故彼がアールトやシャロウンにこんなにも愛着を寄せているのか?といった部分はあまり明らかじゃないと思います。

一つには彼らに共通する彫刻的な形態が挙げられると思います。それはシザ自身が彫刻に対する関心を名言している事、そして建築と彫刻の類似性をガウディに発見した事等から明らかだと思うんですね。

しかし、アールト、シャロウン、ガウディ、これらの建築家に共通するもう一つの特徴が実は天井のデザインな訳ですよ。ヘルシンキで見たアールトのデザイン、ベルリンで見たシャロウンの建築については以前のエントリ、

Alvar Aalto (アルヴァ・アールト)の建築: 国民年金協会とアカデミア図書館

Berlin その2: Hans Scharoun ( ハンス・シャロウン) の建築:Berlin Philharmonic Hall(ベルリン・フィルハーモニーのコンサートホール)
で書いた通りです。

もしも「芸術家とは要するに非常に若い時に受けた強烈な原体験的なものを、一生かかってあるひとつのメディアを通して具現してゆくものなのだ(大岡信)」とすると、まさしくシザは子供時代にガウディ建築に受けた衝撃が彼の建築の原点になっている。そしてその彫刻性と天井デザインの特異性に感化されて後にアールト、シャロウンへと興味を拡大していったと。

そんな風に考えたら非常にロマンチックだとは思いませんか?
| 建築 | 21:36 | comments(4) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
マドリッドの都市戦略その1:美術(美術館)を軸とした都市活性化
昨日の新聞(La Vanguardia, 27 de Julio, 2008, p42-53)にマドリッドの文化戦略に関する記事(El paseo del Arte)がデカデカと載っていました。

マドリッドはスペインの首都でありながら他都市に比べてアイデンティティが明確でない為、今までバルセロナなどの影に隠れてきたと言っても過言では無いと思います。例えば「スペイン」と聞いて日本人が普通に連想するのはフラメンコ、闘牛、ガウディ、ピカソ、パエリアなどですね。そしてこれらと関連する都市として想像されるのが先ずはバルセロナ、バレンシアそしてアンダルシア辺りでしょうか。

しかしバルセロナなんてフラメンコ(アンダルシア)や闘牛(アンダルシア)は勿論、パエリア(バレンシア)だってさっぱり関係無いのに地中海都市というだけで、パエリアと関連付けられ、なんでか知らないけどフラメンコと闘牛のメッカという事になってしまっているんですね。