地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
まちづくり・建築におけるAIの可能性:緑被率プロジェクト:神戸市編

今月号の「建築雑誌」に「まちづくりにおけるAIの可能性:建築家にとって科学とは何か?」と題した記事を書かせて頂きました。

AIブームの真っ只中、連日メディアを賑わせているAI(人工知能)なのですが、僕がいるMITは世界的に見てもAIの中心地であり、AIに関するテクノロジーが次々に生み出される聖地の一つと見做されています。

つい先月も、AIに関する新しい研究所を創設するという発表をしたばかりで、今後10年間でIBMが260億円相当の投資をするそうです(興味のあるかたはこちらのリンクをどうぞ)。でも、僕がもっと驚いたのは、IBM側からこの話を持って来てそれをまとめたのが、友達(MITで僕が初めて知り合ったアメリカ人で、それ以来最も親しい友人の一人)のお母さんだったことかな(笑)。創設記念講演会&パーティーに行ったら、「cruasan君—」みたいに声を掛けられて、「あー、A君のお母さんじゃないですかー。お久しぶりですー。」って立ち話をしてたら、どうやら彼女が今回のキーパーソンだったことが判明(驚)。「そ、そっかー、そういうこともあるかなー」っていう嘘のような本当の話ww

そんなこんなでうちのラボにもそれこそ毎日のようにAI目的の来客が絶えなくって、その度に「AIとまちづくり」というテーマでお話をさせて頂いているのですが、最近「ハッ」と気が付いたことがあります。それは、「世間一般のAIのイメージが二極化していること」なんですね。特に建築や都市計画に携わっている人に限って言うと、AI=(1) 自動運転、(2) 碁、(3) AIに職を奪われる悲観論、みたいな感じで綺麗に分かれると思います。で、もう少し勉強している人になってくると、ここにBIMみたいなのが入ってくる、、、という感じでしょうか。

別に僕はこの状況を批判しようとか、それが悪いと言ってる訳では全然なくて、逆にデータサイエンスからかなり遠いところにいる建築や都市計画、都市デザインの方々がAIやIoTに興味を示してくれるだけでも、それはそれでかなり嬉しい状況だとは思うんだけど、AIやIoTの可能性はずっと幅広くて、もっともっと色んなことが出来る、、、と、そうも思っています。

今回僕が書かせて頂いた記事は、その様な可能性を抽象的な議論ではなく、具体的に進んでいるプロジェクトとして出来るだけ分かりやすく日本の方々にお伝えしようと思い書いてみました。そしてその発刊と同時に、MITで僕が関わっている、AIを駆使した「まちづくり系のプロジェクト」の一つ、Treepediaのデモを神戸市を事例に作ってみたというオマケ付きですw

このプロジェクトの本質は、「都市の何処にどれだけの緑や植栽が存在しているかという情報をビックデータとして収集、分析すること」です。

今更言うまでもないことですが、都市におけるグリーンインフラというのは、生活の質を測る非常に重要な要素の一つとなっています。ゆえに何処の都市でも「緑被率」みたいなデータを持ってはいるのですが、伝統的にこのようなデータは市役所の方々や調査員の方々が紙と鉛筆を持って都市内を歩き回り、手作業で地道に一つづつ木の位置を確認していく、、、という手法が用いられてきたんですね。もしくは空から都市を捉えた航空写真を使って、「あ、この辺は緑が多いな」とか確認するのが典型的な手法だと思います。

しかしですね、人の手に頼っていると、手間暇が掛かり過ぎる上に、サンプル数が非常に限られてきてしまいます。反対に、航空写真は空から撮った写真なので、我々が都市を実際に歩いて感じる印象とは全く違った風景データとなってしまいがちなんですね。いま必要とされているのは、歩行者目線で見える風景を、ビックデータとして収集する技術であり、その為に我々が編み出したのが、AIを使ったデータ収集法なのです。

この技術がどうなっているかを簡略的に説明すると、まずはOpen Street MapからStreet Networkを土台に調査区域を区切ります。そのエリアからStreet Networkに沿って撮られた写真(Google Street Viewにアップされている写真)を収集します(テクニカルに言うと、だいたい何処の都市もGoogle Street Viewでカバーされているので、都市部だったら大抵のところからは写真を持ってこれる状況となっています)。また、Google Street Viewの良いところは、Google Carに搭載したカメラで写真を収集しているので、カメラの位置がほぼ歩行者目線だというところです。それらの写真を収集しつつ、今度はニューラルネットに「その写真に一体何が写っているのか?」を教え込みます。

最近のコンピュータというのは非常に面白くて、彼らは一度教えると、そのあとは勝に学習して賢くなっていくんですね。例えば、「この写真に写ってるのは車だよ」とか、「これは空だよ」とか教えてやる訳です。その上で、そういうサンプルを何千枚と見せてやる。そうすると、認識率がどんどんと上がっていって、最終的には写真に写っているものをきちんと判別出来る様になる訳です。

では、これらの技術をどう使うのか?

我々の場合は、「この写真に写っているのは「木だよ」」と教えてやる訳です。その上で、先ほどネットから入手した都市の写真を放り込んでやると、位置情報付きの都市の緑被率マップが自動的に出来上がると、そういう仕組みになっています。

もちろん実際はこんなに単純ではないし、現場ではもっと泥臭いことをやっていたり、色々と違うコードを試したりしているのですが、基本的な方向性はこんな感じかなー。で、出来上がった生データがこちら:

オレンジ色の線に見えるところが、今回のデータ解析に使った写真が撮影されたポイントです。街路に沿って何万という撮影ポイントが帯を成し、それが街路を形成しているのが見て取れます。

Google street viewは写真データを常にアップデートする為に、年間を通してカメラ搭載車両(Google Car)を走らせています。故に、都市によって写真が撮影された時期が違ったりするんですね。ということは、例えば1月に撮った写真を使った場合と、7月に撮った写真を使った場合とでは、緑被率にバイアスが掛かってきてしまいます。1月は7月に比べて葉っぱが少ないですからね。それを確認する為に、「何月に取られた写真をどれくらい使ったか?」という結果も自動的に出るようにしました:

神戸の場合は4月の写真が多いようです。

この手法の良いところは、世界各国の都市間での緑被率が科学的に比較出来る点にあります。また、AIにやらせているので、一度設定すれば、あとは勝手にやってくれたりします(とは言っても、まだまだ手間暇は掛かりますが、、、将来的には全自動洗濯機のように、全て自動化する方向で我々は動いています)。 これがこのプロジェクトの概略であり、建築雑誌の短い記事には書き切れなかった追加情報です。

さて、こんな感じでMITではAI全盛期を迎えているのですが、そんな環境にどっぷりと浸かっている僕が最近思うことが以下の2点;

1つ目は、今後の建築・都市計画界隈とAIやIoTをめぐる環境について。これはもう、きっぱりと二極化すると思うのですが、AI(人工知能)やデータサイエンスを使える研究室、企業、もしくは建築事務所と、それらが全く使えない・導入出来ないところとでは圧倒的な差が出てくるだろうということです。

何度でも書きますが、AIやIoT全盛期における我々建築家の一番の問題点は、建築家はデータを扱うことやコードを書くことが苦手な職種だということに尽きます(地中海ブログ:博士の学位を頂きました:建築家である僕が、コンピュータ・サイエンス学部でPh.Dを取った理由)。こう書くと、「じゃあ、外注すればいいじゃないか」という声が聞こえてきそうなのですが、データというのは自分の手で触って分析しているうちに、「あー、こうなっているのか」とか「あー、こういう可能性もあるんだな」と、段々と分かってくるものなので、その過程を外注したり、そこだけコンピュータサイエンス学部の人達とコラボしても、それは片手落ちにしかなりません。

その間に立てる人材が世界的に見ても圧倒的に不足していて、これから20年くらいは、そういう人材に世界の投資が圧倒的に集中する状況となって来るだろうし、もう既にその兆候は見え始めています(日本ではどうなっているのか知りません)。

2つ目は、リベラルアーツに代表される基礎教養が益々重要になってくるだろうという点です。僕は2011, 2014年とMITに滞在する機会を得たのですが、その時はIoT全盛期でした。どこもかしこもIoT、つまりはセンサーだったんですね。まあ、僕の目から見ればIoTというのは、全てのモノをデータ化する技術であり、そこから得られたビックデータを解析する技術がAIやディープラーニングだったりするのですが。。。

で、今回(2017年)来てビックリしたのは、あれから3年も経ってないのに、MITの学内の雰囲気がガラッと変わっていたことでした。いまでは右を見ても左を見てもAIだらけです。

このように技術というのはものすごいスピードで変わっていきます。MITの凄いところは、そんな目まぐるしく変わりゆく技術だけを教えるのではなく、その環境に対応する為の教育を何十年も前から行っている点なんですね。そしてその教育方針こそが、MITを世界最高峰の工学系大学にしているエッセンスだと僕は思うのですが、この話をし出すと長くなるのでまた今度。今回は問題を少し簡略化して、そんな環境の中において建築家である僕が「なぜ今日まで生き残ってこれたのか?」と問うてみることにします。

それはですね、うわべの技術を追い掛けるだけではなく、「その時々の技術革新に合わせた適切な設問を作り出すことが出来ているから」だと、僕は勝手に自己分析しています。そして「そういう設問を、案外みんな作れないんだなー」ということに最近気が付きました。

ではなぜ僕はそれが出来ているのか?

それは僕のプロフェッショナルキャリアの最初期に、大変質の高い論客たちと、それこそ夜が更けるまで散々議論出来たこと、バルセロナという公共空間の中で、都市問題を「体験として」自分の中に蓄積できたことが大きいかな、、、と、そう思います。

この辺りのことやMITのリベラルアーツ教育については、以前のインタビュー記事に掲載されているので、興味のある方はこちらをどうぞ(下記は抜粋です):

僕がバルセロナに行った2001年というのは、イグナシが立ち上げたプログラムや彼の影響力が非常に強く残っていて、バルセロナがヨーロッパの知のハブとして機能している時期でした。いまとなっては大御所になってしまった、サスキア・サッセン(Saskia Sassen)やデヴィット・ハーベイ(David Harvey)、ジョン・アーリ(John Urry)などは頻繁に来ていましたし、マニュエル・カステル(Manuel Castells)はバークレーからバルセロナに戻って来ている時期でした(地中海ブログ:サスキア・サッセン(Saskia Sassen)のインタビュー記事:グローバルシティというアイデアは何処から来たのか?)。マスタークラスの同級生には、のちに『俗都市化—ありふれた景観 グローバルな場所(昭和堂)』を出版することになるフランチェスク・ムニョス(Francesc Muñoz)がいましたし、「ジェントリフィケーション」という聞き慣れない現象を熱く語っていたニール・スミス(Neil Smith)とは、夏のあいだ頻繁に飲みに行っていました。

…中略…

MITの教育方針を見ていると、単に科学技術の知識を詰め込むというよりは、それらを使う人間や社会への問いの方に力を入れている感じがしてなりません。つまり、単に街角にセンサーを取り付けて終わりというのではなく、我々の社会の基盤となっている人間への根源的な問いを通して、我々の創造力・想像力の可能性と限界を模索しているかのようなのです。技術ありきではなく、先ずはそこを深く掘り下げているからこそ、科学技術の限界とその可能性への探求といったアプローチが出てくるのではないでしょうか。

とにもかくにも、MITの緑被率プロジェクト、最初の日本都市の事例でした。

←おめでとー。

←パチパチパチー。

| - | 07:41 | comments(1) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
第1回神戸―バルセロナ国際ワークショップ終了〜

615日から17日に掛けてバルセロナ市内にある世界遺産、サンパウ病院(カサ・アジア)にて行われた第1回神戸バルセロナ国際ワークショップが無事終了しました!

総勢40名を超える方々を日本からバルセロナにお招きし、バルセロナのオープンデータ戦略や都市戦略といった話を「書籍から」ではなく、現場の担当者から直接聞いてもらうことによって、バルセロナの考えていることを「体験として直に感じてもらおう」と企画した今回のワークショップ、「非常に勉強になった」、「とっても楽しかった」、「来年もまた来たいと思います」など、企画者としては大変嬉しい反応が数多く届いています。

反対に日本の皆さんのプレゼンを見たスペイン人達からは、「我々とは全く違うアプローチで非常に興味深い」、「神戸市ではどんなデータをオープンにしてるの?」、「日本のデータ・ビジュアリゼーションを扱っている企業(スタートアップなど)の状況をもっとよく知りたい」など、多様で活発なコメントが届いていたりするんですね。

こうしたスペイン側から届いている膨大な数にのぼるコメントを全て紹介する時間もなければスペースもないので、ここではワークショップが行われた期間中に特に印象に残った場面を紹介して、日本のみなさんへのご報告に変えたいと思います。

僕にとって非常に印象的だったのが、ワークショップ2日目の午後、バルセロナ市役所代表として登壇してくれたメルセさんが、聴衆からの質問に回答をしてくれた場面でした:

 

質問者(聴衆):「なぜバルセロナ市役所はこれほどまでにオープンデータに力を入れているのですか?」

メルセさん(バルセロナ市役所):「オープンデータはもともと市民の皆さんの物だったデータを返すことだと考えています(El concepto de Opendata del Ayuntamiento de Barcelona es devolver a los ciudadanos los datos que en principio eran suyos.)」

あの場にいた総勢100名近くの皆さんがあの瞬間に何を考え、何を感じたのか、それは僕には分かりません。たぶん、あの場に居た多くの皆さんにとって、メルセさんが不意に発したこの言葉は何気ない一言であり、2日間の間に聞いた数多くのコメントの一つに過ぎなかったのでは、、、と推察するんですね。

しかしですね、この言葉は僕にとって、今後都市に対峙していく上で非常に重みのある言葉となり、都市におけるオープンデータを考える上で最も心に響いた言葉となりました。

……ここ数年、「都市のデータをオープンにする」というアイデア=都市のオープンデータ化について、「建築家という立場から」色んな可能性を考え続けてきました(地中海ブログ:バルセロナ・オープンハウス2013:その地域に建つ建築(情報)をオープンにしていくということ、地中海ブログ:観光MICEとオープンデータ:2020に向けて、バルセロナの失敗の学ぶ、データ活用による都市観光の未来)。

その一方で、「都市データのオープン化」を考えれば考えるほど、「都市のデータをオープンするのはいいんだけど、それは一体何のためにやるんだろう?」という根本的なところで自問自答を繰り返しながらも、あまりスッキリとしない状況が続いていたんですね。

今回のワークショップ、そして様々なことを感じながらも聴くことが出来たメルセさんの言葉は、なにか僕の中でうやむやになっていた「オープンデータの意義、目的」みたいなことを整理する上での「キーストーン(鍵)」のような気がしてなりません。

この言葉が聞けただけでも、「今回のワークショップを企画してよかった」と、そう思えるほど、僕にとっては価値のある言葉だったと思います。

そしてもう一つ、これはかなり個人的な感想になってしまうのですが、初日のワークショップで登壇してくれたフランセスク・ムニョスさんと、今回のワークショップを通して再び意気投合出来たことは、僕にとって「非常に嬉しい誤算」だったかな。。。

当ブログでは度々触れてきたんだけど、実は彼は僕がバルセロナに来た15年ほど前(こちらでマスターコースで学んでいた時に)一緒に机を並べて学んだ仲だったりするんですね。というのも、彼の博士論文の指導教官がイグナシ・デ・ソラ=モラレスだったからなんです(地中海ブログ:イグナシ・デ・ソラ・モラレス( Ignasi de Sola-Morales)とテラン・ヴァーグ(terrain vague)。

そんな彼も、もう押しも押されぬヨーロッパを代表する地理学者になってしまい、お互い超多忙という理由から、同じ都市に住んでいながらも、ここ数年は音信不通、、、という状況が続いていました。

今でもハッキリと覚えてるんだけど、当時の彼は非常に野心家&戦略家で、アンダルシアから大都市バルセロナに「留学」に来ていた彼の目的はマニュエル・カステルへの弟子入りでした(地中海ブログ:グスタボ・ジリ社( La Editorial Gustavo Gili)Francesc Munoz: UrBANALizacion: paisajes comunes, lugares globales)。故に彼の修士論文はドゥルーズ&ガタリをネットワーク理論から読み解く、、、みたいな離れ業を見せたりしてたんだけど(笑)、その才能にいち早く気が付いたイグナシが彼を囲い込んだという訳なのです。フランセスクさんにとっては、グローバルシティで頭角を表しつつあったサスキア・サッセンや(地中海ブログ:サスキア・サッセンと世間話で盛り上がったディナー、地中海ブログ:サスキア・サッセン(Saskia Sassen)のインタビュー記事:グローバルシティというアイデアは何処から来たのか?)、当時はほぼ無名だったシャロン・ズーキンなんかを次々とバルセロナに連れてきていたイグナシの吸引力は非常に魅力的に映ったんだと思います。

そんなフランセスクさんとは毎晩の様に飲みに行っては、ヨーロッパの状況や彼自身の人生戦略など、かなりの時間を一緒に過ごしてですね、、、いま思えば、その時期というのは僕の人生にとって非常にエキサイティングな時期であり、人生に置ける戦略、どのように自己ブランディングをしていくかという点において、そのほとんどを彼と過ごした日々から学んだと言っても過言ではなかったりするのです。

今回のワークショップを通して、そんな彼とまた連絡を取り合うことが出来た上に、日本とバルセロナ、両都市で具体的なプロジェクトが展開出来そうな予感がして、久々に心踊る時間を過ごすことが出来ました。

←ワークショップが終了した翌週、彼の住むグラシア地区にて神戸市役所の長井さんと共にインタビューをした時の写真。

←彼のやってるプロジェクトもグラシア地区で実験してるって言ってたし、なんだかんだいって、グラシア地区ってやっぱり革新的だなー(地中海ブログ:グラシア地区祭り:バルセロナの歩行者空間プロジェクトの責任者だったけど、何か質問ある?)。

 

バルセロナ市役所のメルセさんのコメントや、旧友フランセスクさんとの再会など、これらは全て「僕の個人的な体験」なんだけど、今回のワークショップの期間中、参加者一人一人の皆さんにとって、このような「ふとした出会い」、「何気ない気付き」が沢山あったことだろうと思います。

その様な「気付き」はもしかしたら、スペイン人登壇者の何気ない一言だったかもしれないし、視察で訪れた先で案内してくれた担当者の言葉だったのかもしれません。はたまた、真っ青な地中海を背にしながら食べた巨大なパエリアに圧倒された人もいるだろうし、日本では滅多にお目に掛かれないマテ貝の美味しさに心奪われた人もいることだろうと思います。

同じ場面に直面しながらも、そこで感じたこと、考えたことは一人一人全く違うはずです。とかく日本人は右向け右とばかりに、こういう場面に直面したら、こう考えなければならない、こう感じなければならない、、、と思いがちです。

しかしですね、我々の社会にたった一つの正解なんてありません。

我々の世界は多様です。色んな考え方をする人がいて、自分とは全く違う角度から社会を見ている。そんな多様な人達がいるからこそ、僕達の社会は輝いているのだし、世界は面白いのです。

そしてそのような多様性を担っているカケラの一つ、我々の世界に輝きを付け加えている社会がここ地中海にもまた一つ存在し、今回聞くことが出来た様々な意見や表現などは、それら全く違う考え方をする社会文化的背景から出てきたものなのだ、、、とそんな事を今回のワークショップを通して感じてもらう事が出来れば、企画者としてこれほど嬉しいことはありません。

今回のワークショップは日本、スペイン、両方の国々から本当に沢山の方々に助けてもらいながら進めることが出来ました。彼らの助けがなかったら、絶対に実現することが出来ませんでした。

今回のワークショップに参加してくれた皆さん、裏方で色々と動いてくれた企画側の皆さん、現地で色々と助けてくれた皆さん、本当にありがとうございました!

また来年会いましょう〜。

 

上記の写真は全て:by Iwao KOBAYASHIです。

| - | 02:07 | comments(1) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
サスキア・サッセンと世間話で盛り上がったディナー
一昨日から昨日に掛けて、都市の様々な場所から集められた大量データ(ビックデータ)をどの様に都市分析、都市デザイン、ひいては都市計画に生かすか?というテーマに焦点を当てた国際カンファレンス、URBAN CODEがMITで開かれていました。



近年のテクノロジーの発展、劇的なコストの低下、そしてそれら新たなテクノロジーの日常生活への浸透と言った様々な要因が重なり合った結果、携帯電話やクレジットカードなどから個人データを大量に取り出す事が可能となり、その中から有益なパターンを抽出し、都市サービスの質を向上させていこうという試みが世界各地で始まっています。



今回企画されたカンファレンスは、今までは私企業や1つの分野でのみ語られがちだったビックデータとその有効活用法を、「都市」や「公共」と言ったより広い範囲や観点から議論しちゃおうと言う、今まで有りそうでナカナカ無かった試みなんですね。



世界中から集まったその道のスペシャリスト達が2日間に渡って熱い議論を繰り広げた訳なんだけど、招集されたスピーカー達の中には、ヨーロッパ、アメリカの各都市のスマートシティ部門の責任者、世界銀行やBBVA(スペインの大手銀行)と言った金融関連の人達、雑誌エコノミストの編集者、そして勿論MITを中心とする様々なバックグランドを持ったアカデミックな人達なんかが含まれていました。



1つ1つの議論の中身やカンファレンスで浮かび上がった様々な問題、そしてそれらと僕の研究との関連性などについては物凄くテクニカルな内容になってしまうので詳細は次回のエントリに譲る事として、今回は全く予期せずして起こってしまったある種の「事件」について記そうと思います。



そのかなりスリリングな瞬間はカンファレンスの直ぐ後、近くのレストランにて開かれたディナー会場で起こってしまいました(ちなみに上の写真は今回のディナーで出された2皿目、タラのクリームソース和えぽかったけど、これがかなり美味しかった!何度でも繰り返すけど、ボストンの料理は思ってたほど酷くない(地中海ブログ:ボストンは牡蠣が美味しいという事を発見してしまった!:ネプチューンオイスター(Neptune Oyster)))。

僕がレストランに着いたのは午後20時30分頃の事、既に会場には30人弱のゲストの人達が集まっていて着々と席に着いている途中だったんだけど、と言うもの今回のディナーでは、会場に着いた順に各自が好きな席を取り、隣同士になった人達と会話を楽しむと言う方式が取られていたからなんですね。着いて間もなく、僕も空いている席を見つけてそこに陣取る事に。その間、挨拶がてら隣の人としゃべっていたら、突然後ろから

「ここ空いてますか?」

という女性の声が。特に気にもせず、

「ええ、空いてますよ」

と言った瞬間、その女性の顔を見てビックリ!あー、こ、この人はー:



サ、サスキア・サッセンだー!!!そう、何と偶然にもディナーの席がサスキア・サッセンと隣同士になってしまったんですよ!(サスキア・サッセンについて詳しく知りたい人はコチラ:地中海ブログ:サスキア・サッセン(Saskia Sassen)のインタビュー記事:グローバルシティというアイデアは何処から来たのか?)。



正直言って、最初の内は緊張でそれこそディナーどころじゃ無かったんだけど、実は彼女、あんな小難しい文章を書く割にはかなり気さくな方で、しかも良くしゃべる!一度しゃべり出したら止まらないタイプ。で、最初は一緒にいらしてた左隣に座った方としゃべってたんだけど、その話が一段落した所で僕の方を向いて:

Saskia:「どうも、初めましてサスキアです。どちらからいらっしゃったんですか?」 Cruasan:「初めまして、建築家のcruasanと申します。日本人なんですけど、実は12年くらい前からバルセロナに住んでます。」
Saskia:「え、バルセロナに住んでるの?じゃあスペイン語しゃべれるんじゃない?」(ここから既にスペイン語)
Cruasan:「ハイ(Si)」


と言う様な流れになり、そこからはスペイン語で堰を切った様にしゃべり出す彼女。そう、サスキアさんは元々オランダ出身なんだけど、とある事情から2歳の時にアルゼンチンに移住し、その後ロシアに行ったりロンドンに行ったりという事を繰り返した挙げ句、今では7カ国語を操れる様になったんだとか(驚)。そんな彼女の母国語は勿論スペイン語!と言う訳で、母国語を話す事が出来るリラックスした雰囲気がそうさせたのかどうかは分からないけど、ディナーの間中、ずーっとしゃべりっぱなし(笑)。しかも話題はグローバルシティとかそういう難しい話じゃなくて、誰もがしでかす日常の些細な出来事といった世間話って言うんだから笑えます。

多分、サスキア・サッセンとグローバル経済や都市の分極化の話などアカデミックな話をした事がある人は沢山いるとは思うけど、「昨日は何食べた」だの、「今週は沢山歩いた」だの、「ニューヨークの生活はどうだの」、日常の些細な事を話し込んだ人はなかなかいないんじゃないでしょうか?ハッキリ言って、今日ほど「スペイン語がしゃべれて良かったー」って思った事はありません。

全く予期していなかった出来事だったけど、何年も前からその著書を通して色んな事を学ばさせてもらったサスキア・サッセンと直に話しが出来た事は僕の人生にとって掛替えの無い体験となりました(地中海ブログ:もう一つの9月11日:カタルーニャの場合:グローバルの中に息づくローカリティ)。

翌日、彼女は何時もの様に忙しそうにノートパソコンを覗き込み、立食形式だったお昼を食べた後、かなりの早足でタクシーに乗り込んで行きました。

去り際にレセプションに居た僕に向かって言ってくれた「またね(Hasta Pronto!)」という言葉が今でも耳に残っています。今度はバルセロナでお会いしましょう!
| 大学・研究 | 01:33 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
サスキア・サッセン(Saskia Sassen)のインタビュー記事:グローバルシティというアイデアは何処から来たのか?
ちょっと前の新聞(El Pais Semanal, 29 de Enero 2012)にサスキア・サッセンのインタビュー記事が載っていました。



最近僕が興味を惹かれるのは、「この人はどんな事を考えているのかな?」というアイデアのレベルではなく、「何故この人はこんな考え方をする様になったのかな?」という、その人の創造力の源泉に関する問題なんですね。



例えばアルヴァロ・シザの建築形態操作には、彼が子供の頃に受けた体験、特に大病を煩って祖父母の家に隔離されていた時に受けた体験が非常に色濃く彼の創造力に影響を与えているという事は以前のエントリで明らかにしたばかりです(地中海ブログ:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)のインタビュー記事:シザ建築の特徴は一体何処からきたのか?)。

そういう意味において、今回のサッセンのインタビュー(特に後半部分)は彼女の生い立ちや家族構成、小さい頃の体験なんかが非常によく描き出されていて、彼女の思考体系の源泉を知る手掛かりになるのでは?と思われます。と言うか、日曜日の朝にこのインタビュー記事をカフェで読んでて、「これって、結構画期的な事が書いてあるじゃん!」と、穏やかにコーヒーを飲んでいるカタラン人達の間で思わず「おおっ」とか驚きの声を上げてしまった程、強く心に残るインタビューだと思います(笑)。特にこの部分なんて凄い告白だと思う:

「‥‥えっとですね、私の父はジャーナリストで、祖父は南オランダに位置する小さく美しい街、スヘルトーヘンボスの市長を勤めていました。‥‥(中略)‥‥祖父はそれ以外の事ではナチスに協力し、その為に戦争終結後、刑務所へ送られる事になってしまったのです。私の父はというと、ジャーナリストとしてナチス側にいたのです‥‥やめましょう、このテーマは‥‥」(サッセンの発言:このインタビュー記事の後半部分、グローバルシティの写真のある辺り)

13歳から既に共産主義に傾倒し、世界中を転々としてきた彼女だからこそ、グローバルシティという秀逸なアイデアが出て来たのかな?と、そう思ってしまいます。この分野に関心のある人ならのめり込む事間違い無し!是非ご堪能あれ!

以下の訳文はEl Pais Semanal紙(1月29日(2012))のp28-30に載った文の全訳です。

Q=インタビューアーの質問
R=サスキア・サッセンの回答
黒字=訳者メモ

Q: その昔、都市経済は人々の事を「消費者」として評価していました。しかしいつの間にかその同じ都市経済がそれらの人々を排除する方向へと態度を変えてしまった様に思われます。都市に人が溢れすぎた事が原因なのでしょうか?
Q; ¿La economía urbana ha pasado de valorar a las personas como consumidores a tratar de expulsarlas porque sobran?

R: そうですね、都市における排除のプロセスは世界中で起こっている現象だと言う事を先ずは申し上げておきたいと思います。更に言うと、その様な排除という現象は何も都市部だけで起こっている事ではなく、田舎でも同様の事が起こっていると言う事も付け加えておいて良いかもしれません。何故かというと、土地を買収すると、その土地を耕しそこで生活していた人々が必要なくなり、人が余ってしまうという現象が起こるからなのです。 さて、第二次世界大戦以後、我々は4つの異なる時代区分を体験してきた訳なのですが、現況では、都市中心部に中流階級が暮らせる家や、商店など小さな店舗は入ってこれない状況となってきています。そんな世の中において、中流階級は非常に多くのものを失ってしまったのです。それは彼ら(中流階級)が歴史的に保持してきた権力であり、権限であり、権利であり、未来における可能性なのです。フランスやアメリカ、そしてイギリスなど非常に発展した国々において、中流階級は疲弊し、世代が増すごとにどんどん貧しくなっていっています。新しい世代になればなるほど正式な教育を受ける機会が減少し、収入も親の世代に比べ少なくなり、ひいてはマイホームを購入する機会すら減ってきているのです。この様な現象こそ、国民一人一人の人生設計を阻害するプロセスであり、排除のプロセスという事が出来るのです。
R: Este proceso se da en muchos sitios. En el campo también, porque compran las tierras y sobran quienes las cuidaban. En la ciudad, los hogares y los comercios modestos quedan desplazados del centro. Además, en esta generación, la cuarta tras la Segunda Guerra Mundial, la clase media está perdiendo poder. Se está empobreciendo en países altamente desarrollados como Francia, EE UU y Reino Unido. La nueva generación adquiere menos educación formal, menos ingresos, y tiene menos posibilidades de comprar una casa. Eso es una especie de expulsión de un proyecto de vida.

Q: 我々は親から子へ、子から孫へと世代が進むにつれ社会も豊かになり、生活の質も向上すると、そう信じてきました。
Q: ¿Creíamos que cada generación avanzaría respecto a la anterior?

R: 社会が豊かになっていく事、親の世代よりも子の世代の方が質の高い暮らしを約束されていたという事は、世の中の誰しもが信じきた、ある種の社会信仰の様なものだったと思います。しかしですね、チリやアルゼンチンなどといった、未曾有の経済危機を体験し、そのシワ寄せが中流階級に降り掛かってきた国々においては、その様な直線的な進化の道筋は断ち切られてしまいました。
R: Parecía parte de un contrato social, pero esa trayectoria ha sido interrumpida en países como Chile o Argentina, donde fue brutal lo que le pasó a la clase media tras la crisis.

Q: 何故そんな事が起こってしまったのでしょうか?
Q: ¿Por qué ha sucedido?



R: 現在我々が生きている社会というのは、以前とは全く違うシステムの上に成り立っているからだという事が出来るかもしれません。一見このシステムは過去から脈々と続いてきたものの様に見えるかもしれませんが、実はそうではないんですね。金融というシステムは80年代に生まれ、そして90年代に定着した仕組みであり、それ以来、金融業界の論理が全ての経済分野に侵入し、彼ら(金融)の論理によって侵略を開始したのです。現在の世の中というのは、その時創られたシステムの上に構築されたものであり、我々は正にその中に生きる羽目になってしまったのです。 ここで最初の質問である、「こんな世の中においては一体何が変わってしまったのか?」という点に戻りたいと思うのですが、それをお話する為にはケインズ主義が旺盛だった時代にまで遡らなければなりません。その時代において経済のベースとなっていたのは大量生産、大量消費というパターンであり、その様な人々の生活スタイルに合わせ、郊外における大量の住宅建設と、それに伴う交通インフラの整備などが進められました。つまりは過去のシステムにおいては、消費という行為が非常に重要な位置を占めていたという事なのです。しかしですね、90年代に生み出された金融システムは、それまでとは全く違った新しい仕組みを創り出してしまったのです。それこそ大量消費を通過する事なく、何倍ものお金を生み出すというメカニズムだったのです。

R: Es un nuevo sistema. Parece una continuación del antiguo, pero no lo es. La lógica financiera ha invadido todos los sectores económicos. Hay una organización del sistema que nace en los años ochenta y se establece en los noventa. Hoy vivimos sus consecuencias. Y el cambio fundamental es que, en la época del keynesianismo, la base económica era la manufactura de masa y el consumo de masa: la construcción de espacios suburbanos de masa en las correspondientes carreteras e infraestructuras. Es decir, una serie de procesos económicos que implicaron que el consumo importara muchísimo. Hoy, el sistema financiero ha inventado modos de multiplicar la renta sin pasar por el consumo de masa.

Q: 郊外開発は今日においてビックビジネスへと変わってきています‥‥
Q: Construir suburbios se convirtió en un gran negocio…

R: 郊外に建てられる新しい住宅には、住宅自体だけでなく、その中に入る全てのもの(新しい冷蔵庫、新しいテレビ、新しい家具など)が新品という状態が想定されています。いわゆる3種の神器というやつですね。その事が(ポジティブではあるけれども)悪循環を生み出したのです。繰り返しますが、我々は消費に基づいたシステムの上に生きていました。例えそれが必要であれ不必要であれ、消費し続ける事は非常に重要な事柄だったのです。
R: Cada hogar suponía una nueva nevera, una nueva televisión, nuevos muebles… Todo nuevo. Se generó un ciclo vicioso positivo. Teníamos un sistema basado en el consumo. Fuera o no necesario, era vital seguir consumiendo.

Q: 現在の世の中はそうはなっていないのでしょうか?
Q: ¿Ya no es así?

R: その様な鎖は断ち切られてしまったのです。労働者の賃金はもはや消費を続ける事が困難なほど低くなってしまいましたし、大量の住宅建設が終焉した事によって、我々は以前とは全く違うサイクルの中に生きる事になってしまったのです。

R: Se ha roto la cadena. El salario del trabajador ya no hace posible mantener el consumo. Se ha roto la cadena, porque se ha terminado la construcción en masa. Ahora vivimos en un ciclo muy distinto.

Q: 都市に住みながらも消費行動が出来ない人達には一体何が起こるのでしょうか?
Q: ¿Qué sucede con la gente que vive en las ciudades y ya no puede consumir?



R: そうですね、それは社会的な不平等、もしくは社会的な排除といった様な問題だけには留まりません。勿論それらは既に存在しているのですが、それよりも何よりも、失業という問題が我々の社会にとって非常に重要な問題として勃興してきているのです。現在社会において、一度失業した人が再び平凡な日常を暮らしていく事は非常に難しくなってきています。例えばイギリスやアメリカでは刑務所に入っている囚人の数はココ数年で劇的に増え続けているのですが、それら多くの囚人というのは殺人を犯したという様な重犯罪者なのではなく、刑務所に入るべき類いの人達ではないのです。刑務所とはある意味、社会に適合出来なかった人間を収容するという、一つの「人間収容所」としての機能を担っているのですが、現代社会における囚人の激増は、仕事が無く雇用に有り付けないという事と全く無関係とは言えなくなってきているんですね。つまりは仕事が無いからこそ人々は軽犯罪に走り、そして刑務所に入るという悪循環が働いているのです。今の世の中において、一度犯罪者という烙印を押されてしまうと、一生、社会システムから排除された人間として生きていかなければならず、もう一度社会に復帰する事は非常に困難な状況となってきているのです。

R: No es solo un tema de desigualdad y exclusión social, aunque ambos existen. El nuevo elemento es que muchos de los desempleados de hoy no tienen posibilidad de volver a tener una vida normal de trabajo. Tanto en Reino Unido como en Estados Unidos, la población de presos ha aumentado muchísimo, y a mí me parece que si bien algunos de estos prisioneros son asesinos, la gran mayoría no lo son y no deberían estar en prisión. La cárcel es una especie de almacén de gente que el sistema no puede absorber, porque no puede emplear. Viven expulsados del sistema, almacenados y sin posibilidad de reinsertarse.

Q: さて、少し話題を変えたいと思うのですが、あなたの別のご関心事として、中国がアフリカのザンビアでやっている様な、他国の土地を買収している「国の動き」に非常に敏感に反応されていますよね。その様な買収は多くの場合、その地に住んでいた住民達を追い出すという結果に終わっています。何故その様な事が起こっているのでしょうか?追い出された人々はその後、一体何処へ行く事になるのでしょうか?
Q: Otro tema que usted toca es el de países que compran grandes cantidades de terreno a otros países, como China en Zambia, y que generan expulsiones masivas de población. ¿Cómo es posible eso, adónde va esa gente?

R: 2006年から2010年にかけ、各国の行政機関や金融業者などは、アフリカ、ロシア、ラテンアメリカ、ベトナム、ウクライナそしてカンボジアなどに7千ヘクタールもの土地を購入しました。購入したのは中国やサウジアラビア、アラブ首長国連邦や韓国、そしてスウェーデンなど、いずれも大国と言われる国々でした。しかしですね、驚くべき事に、この最後の数年間でそれら購入者リストに上がる名前が変わってきたのです。例えばココ数年のアフリカにおける最大の土地購入者は‥‥実は投資金融会社なのです。これがどういう事か、お分かりですよね!
R: Agencias de Gobierno y firmas financieras compraron 70 millones de hectáreas entre 2006 y 2010 en África, Rusia, América Latina, Vietnam, Ucrania y Camboya. Entre los grandes países compradores están China, Arabia Saudí, los Emiratos Árabes, Corea del Sur y Suecia. Pero en los últimos años los mayores compradores en África han sido… las firmas financieras de alto riesgo. ¡Imagínese!

Q: 何の為なのでしょうか?
Q: ¿Para qué?

R:それらの土地は農耕をする為のものであり、上質な地下水を伴った土地なのです。つまり、彼らは水がある土地を買っているのです。
R: Es tierra para el cultivo agrícola. Y tierra con altos niveles freáticos. Compran tierra con agua.

Q: 食料の値段が上がる事を予測してそれらの土地を買っているのでしょうか?もしくは収穫物を燃料に変える為なのでしょうか?
Q: ¿Compran en previsión del incremento del precio de los alimentos o para convertir las cosechas en combustible?

R: 大抵の場合、彼らはそれらの土地を何かしら一つの農作物に特化する為に買っているのです。今年、J.P.Morganは4万ヘクタールもの土地をウクライナに購入したのですが、驚くべき事に、投機会社は彼ら以上に土地を購入しているのです。土地は食物と水を表象します。と同時に、バイオ燃料やレア・アースといったモノをも意味しているのです。レア・アースという言葉を聞いた事がありますか?
R: En general, uniformizan los cultivos. Este año, J. P. Morgan compró 40.000 hectáreas de tierra en Ucrania, pero los fondos de inversión especulativos son los que han comprado más. La tierra representa comida y agua, pero también puede representar biocombustibles y también tierras raras. ¿Sabe lo que son?

Q: いいえ。
Q: No.

R: レア・アースとはドミトリ・メンデレーエフの周期表により存在が確認された17元素からなるグループの事です。それが何の役に立つのか、以前は一部の人々を除いてさっぱり分からなかったし、知られてすらいなかったのですが、ここにきてその全貌が明らかになってきました。実はですね、エコ電池を作り出す際、その材料としてそれら17種類のレア・アースが必要となるという事が判明したのです。各国はその対応に追われていたのですが、アメリカでは、それらレア・アースを中国から輸入する事に決め、自国でレア・アースを発掘したり、それらを抽出する技術を開発するという道はとらない事に決めました。現在では、中国が世界的に見てレア・アースの主な輸出国となっていて、実に世界総輸出量の90%を占めるまでに至っています。故にレア・アースを輸入に頼っている国々、日本やアメリカなどは中国からの輸入がストップする事を大変恐れているのです。ある国(例えば中国の様な)がコンゴに300万ヘクタールもの土地を買ったり、ザンビアに280万ヘクタールもの土地を購入し、そこにヤシの木を植えるといった様な、一つの土地に一つの農作物だけを植え続けるのは理由があります。そうする事で、その土地に存在する全て動植物だけでなく、農業に従事する人々をも追い出し、その土地を疲弊させる事が目的なのです(サッセンはこの様にしてレア・アースを手に入れる事が出来るとは明言してはいないが、そう推測される)。 それら自らの土地を追い出された人々は一体何処へ行くのでしょうか? 彼らは都市へと行く事になるのです。インドでも同じ様な事が起こっています。最後の30年間において、小作農業者達が追い出されているのです。彼らとて無知ではありませんから、大地は恵みをもたらし、その土地が我々人類に与えてくれる豊かさについては熟知しているのですが、悲しいかな、投機会社との戦いには何時も敗北する様、運命付けられているのです。
R: Hay 17 componentes que Mendeleyev identificó en su tabla períodica como elementos que no sabía para qué podían servir. Ahora lo sabemos. Las pilas ecológicas requieren algunos. Los americanos decidieron importarlos de los chinos y no desarrollaron la tecnología para obtenerlos. Y ahora China es el principal país exportador con casi el 90%, y Japón, EEUU y otros están aterrorizados con que pueda suspender las exportaciones. Cuando un país como China compra 3 millones de hectáreas en el Congo y 2,8 millones en Zambia para plantar palma, o sea, para plantar un único cultivo, eso es una manera de empobrecer la tierra. Además de expulsar especies de flora y fauna y pueblos enteros, expulsan a los pequeños agricultores. ¿Adonde se van? A las ciudades. Lo mismo pasa en India. En los últimos 30 años, los pequeños agricultores han sido expulsados. Estos pequeños propietarios no son estúpidos. Saben que la tierra produce. Pero los agricultores pierden esa batalla.

Q: 排除された人達は都市へと向かうとおっしゃられましたが、都市部には彼らの為の仕事は存在するのでしょうか?もし無いとしたら、彼らは一体どうなるのでしょうか?
Q: Expulsados hacia las ciudades, ¿y si allí no hay trabajo para ellos?



R: 現行の経済システムや金融業界の勢いは仲介業者を成長させ、正にその様な状況こそが、それらの分野を戦略的な位置に押し上げる要因となりました。しかしですね、ここが重要なポイントなのですが、それらのメカニズムは経済成長の恩恵を分配する事はありません。逆に、それらのシステムが生み出した恩恵は、彼らが潤えば潤うほど、彼ら自身に集中する事となるのです。今日において都市部では人が余っています。都市部ではこれ以上の人は必要ないのです。

R: El sistema económico, el auge de las finanzas, ha hecho crecer a un sector intermediario que se ha vuelto estratégico. Pero este sistema no distribuye los beneficios del crecimiento económico. Al contrario, los concentra más y más. Hoy, en las ciudades sobra gente. Ya no hacen falta.

Q: お言葉ですが、現在でも世界中の都市は成長を続けていると思うのですが‥‥
Q: Pero muchas ciudades no dejan de crecer…



R: 都市は未だに人々を吸収し続け、そして多くの人達にとって魅力的な場となっている事は確かだと思います。社会的不安と不安定が蔓延る現代の世の中においては、都市に大きなチャンスが転がっている事も又事実であり、正にその事によって人々の心はオープンになっていると言う事も出来るからです。だからこそ逆に、失敗した時の失望も大きなものとなるのです。都市は可能性の場であり、希望の場でもあります。しかしそれは社会が豊かになるとか、仕事を得る事が出来るとか、その様な進化が保証させているという事ではありません。それは全く別の次元の話なのです。

R: La ciudad todavía absorbe a gente, todavía es atractiva. En una época como la nuestra, de grandes inestabilidades, se da una mayor apertura mental, hay grandes oportunidades y, por tanto, grandes desilusiones. La ciudad es el territorio de lo posible, pero no del progreso asegurado.

Q: 人々は一か八か都市へ勝負しに来るという訳ですね。
Q: Vamos a la ciudad a probar fortuna.

R: その通りです。田舎に残された可能性は少ないですからね。今や田舎の土地の大部分は大企業や中国の様な政府機関の手により私有化されているのですから‥‥。 我々の都市は変わり続けています。ダイナミックに変化し続ける都市なのですが、それでも我々は都市を認識する事が出来るのです。各々の都市が提供してくれる社会的関係性や人々との出逢い、身体的な接触などは、何者にも変え難く、掛替えの無いものとなっているのです。中心市街地は人々がお互いを見る/見られるの関係性を実現する場であるし、見知らぬ人との遭遇や出会いなどの機会を与えてもくれます。そして大変重要な事に、中心市街地における見知らぬ人同士の接触や唐突な出逢いは暴力を伴う事はありません。そこは人種や階層など全く違う人々を混ぜ合わせ、お互いがお互いを認識する場を提供する事によって、平和をも切り開く可能性と潜在性を持った大変魅力的な場となっているのです。

R: Ahí voy. En el campo queda poco. La tierra está privatizada en manos de grandes empresas y de grandes agencias de Gobierno como las de China… Nuestras ciudades son mutantes, pero las reconocemos a pesar de sus cambios. La sociabilidad, el contacto físico que ofrece la ciudad, es insustituible. Los centros hacen que la gente se vea. Gente muy distinta se tropieza, habla. Y esos encuentros en un centro urbano no generan violencia. Los centros urbanos son fascinantes por esa capacidad de mezclar sobrepoblación y paz.

Q: 人々の間に不安が蔓延っている今日において、中心市街地とは人々を文明化する為の空間として機能しているという事なのでしょうか?
Q: ¿El centro de la ciudad hoy, en tiempo de grandes inestabilidades, es un espacio de civilización?

R: 都市とは誰か一人の私的所有物なのではなく、そこに住む人、そこを訪れる人、全ての人に開かれた場であり、全ての人の所有物なのです。そうであるからこそ、中心市街地では移民にしろ観光客にしろ、誰しも大変居心地良く過ごす事が出来るんですね。反対に、同じ都市部だとは言っても、郊外では全く事情が違ってきます。郊外において起こっている事、それはその土地の住民による拒絶に他なりません。彼らは他地区から人々が自分達のテリトリーに入ってくる事を大変嫌っているのです。 繰り返しますが、都市とは見知らぬ人々、違う階層に属する人々に出逢いの場を提供し、それらの人々がフィジカルに接触する事によって活力を与えられる場でもあります。彼ら一人一人の存在、出逢い、そしてフィジカルな接触が都市の原動力になっているのです。何故都市部でそんな事が起こるのかというと、それは人々が都市で生き延びる為、もしくはより良い生活を手に入れる為に仕事を見つけなければならないからです。つまり、そうやって情報を交換しているという訳なんです。
R: Es de todos. Un inmigrante o un turista se sienten bien en el centro de la ciudad. Los barrios suburbanos son otra cosa; la misma mirada de la gente puede expulsar. Con tanta gente desesperada por tener un empleo y una vida con más posibilidades, es el contacto físico de diversas clases sociales lo que da la sensación de potencial en las ciudades.



Q: それは中心市街地に人々が溢れ、活力が生まれた時にこそ言える事だと思います。ジェントリフィケーションが貧困層を追い出し、裕福な層だけで一様な風景が形成される時、そのエリアの市民意識は失われるのでしょうか?

Q: Eso sucede cuando los centros son lugares con vida. Cuanto la gentrificación expulsa a los pobres de los centros y los uniformiza con una única clase social, ¿se pierde ese civismo?

R: その様な市民意識、つまりは都市の活力が失われるのです。私の息子(ヒラリー)は彫刻家でロンドンに住んでいるのですが、彼が住んでいる地区は、ありとあらゆる民族と宗教が入り交じったゾーンとなっています。彼らに共通する事と言えば、お金を持っていないという一点に尽きます。その地区は夜になると昼間とは全く別の顔を現し、まるで小さな地球の如くの様相を呈してくるという特徴を持っているのですが、何故なら夜になると、その地区の住民が仕事から帰ってくるからなのです。都市においては、若者達が道ばたで偶然出逢ったり、話し合ったりといった出来事が日常的に起こるのです。 私の息子はニューヨークからロンドンへ移り住んだ時、友人達と、とある建物を不法占拠して住み始めました。ロンドンでは人々が建物を不法占拠した時などは、先ず警察が来て不法占拠者に対し警告を開始します。この類いの警告は彼らを強制退去させる3ヶ月前に行われる事になっています。 不法占拠者達というのは、社会システムからは外れた所にいる、いわば社会不適合者とも言える存在です。しかしですね、彼らがそれらの建物を占拠している間、展覧会を企画したり、それが話題になり新聞に載ったりと、様々な事が起こったのです。これらが指し示している事、それは彼らのしている事は勿論違法であり、法の外にいるのは間違いないのですが、と、同時に守られてもいるという事なんですね。ベルリンでは壁が崩壊した時、正にこれと同じ様な事が起こりました。これら全てのメカニズムは、システムの外に居る人や、家が買えない人、もしくは家賃が払えない人などを生き延びさせるのに非常に役に立つのです。勿論その様な状況は居心地が良いとは言えず、環境も悪い事に変わりはないのですが、しかしそれでも生きていく事は出来るのです。
R: Se pierde el motor de la ciudad. Mi hijo Hillary, que es escultor, vive en Londres en una zona que mezcla todo tipo de razas y religiones. El denominador común es la falta de dinero. En ese barrio, por la noche, aparece el mundo. En las ciudades ocurren cosas como que los jóvenes se encuentran. Mi hijo llegó a Londres desde Nueva York y ocupó un edificio con otros amigos. Si ocupas un edificio, la policía te debe dar un aviso de expulsión tres meses antes de echarte. Están fuera del sistema, pero mientras viven en esos edificios montan exposiciones que reciben críticas y reseñas en la prensa. Eso es interesante. Estás fuera de la ley, pero estás protegido. En Berlín Este sucedió algo parecido tras la caída del Muro. Todos esos mecanismos permiten sobrevivir y tener un proyecto de vida. No es cómodo, pero es posible.

Q: お言葉ですが、あなたの息子さんはそれら貧乏な人々の良い例とは言えないのではないでしょうか?何故なら母親が有名大学教授だからです。
Q: Pero su hijo probablemente no sea un ejemplo de pocos recursos. Tiene una madre académica.

R: そうですね。しかし彼は親を頼るのではなく自分自身の力で生きていきたいと願い、彼自身の人生を自分の足で歩み出したのです。22歳の時の事でした。そんな彼も今では30歳になり、ワンルームマンションを所有するまでになりました。しかしですね、今ではマイホームを所有している彼ですら、自立を始めた時は不法占拠者という立場からのスタートだったのです。法の外で生きる事が出来る可能性がある事は良い事だと思います。ブラジルのファベイラの様に世界中に点在している郊外には、貧困や悲惨さだけでなく、それ以上のものが存在し、その地区独自の経済を発展させているのです。
R: Es verdad. Pero él quería su propio proyecto de vida. Se trata de poder pertenecer al mundo. Lo hizo con 22 años. Hoy, con 30, tiene un apartamento con una habitación, pero su entrada fue al margen de la ley. Esa posibilidad de llegar fuera de ley es buena. Algunos suburbios, como las favelas, son algo más que zonas de miseria. Desarrollan sus propias economías.

Q: 現代都市において生き延びていく為には、アウトサイダー的に法の外で生きていくしかないと言う事をおっしゃりたいのでしょうか?
Q: ¿Está diciendo que para sobrevivir en las ciudades hay que hacerlo de manera marginal?

R: 私が強調したい事は、貧乏な人達だってその様なやり方で都市部で生き延びていく事が出来るという可能性であり、彼らも都市の一部だという事が言いたいのです。例え何も持っていなくとも、誰だって「自分自身の都市に生きている、この都市は自分の都市だ」という事を感じる事だって可能なのです。それは何も理論的な事ではなく、私自身の体験から来ている事でもあります。お話しした様に、私はアメリカに違法移民として入り、違法移民だったその時でさえもニューヨークという都市に対する帰属意識、「ニューヨークは私の都市だ、自分の都市だと」感じる事が出来ました。都市とは個人レベルで創られるものではありません。それは集団の中から現れてくるものなのです。そして都市とはその様な集団の想いによって創出されるものであり、決して奇跡的な産物などではないのです。
R: Lo que quiero remarcar es que la gente sin recursos puede hacerlo así y sentirse parte de la ciudad, sentir que está también en su ciudad, que la ciudad le pertenece un poco. Yo entré en EEUU de inmigrante ilegal y sentí eso, sentí que Nueva York también era mi ciudad, my city… Es un hacer colectivo. No es un milagro, la ciudad lo permite.



Q: あなたはオランダで生まれアルゼンチンで成長され、その後ヨーロッパ中を転々とされました。何故その様に沢山の国々を渡り歩かれたのでしょうか?

Q: Nacida en Holanda, crecida en Argentina, nómada después por Europa… ¿Por qué tanto traslado?

R: 50年代初頭にブエノスアイレスに着いて以来、私の家族は14年間そこに住んでいました。つまりアルゼンチンに移住したのは戦後という事なのですが‥‥。何故その時期にアルゼンチンに住み着いたのかというと、その裏には複雑な事情が混在していたのですが、それはその当時、私の両親が未だ若く、そして非常に冒険好きだったという事と深い関係があります。第二次世界大戦後のオランダ政府は、国家政策として東欧からの難民や逃亡者を受け入れると決め、当時としては非常に革新主義的な策を講じました。と言うのもその際、オランダ人に対して他国への移住を強く進めたのです。彼らは言います:「あなた方オランダ人は世界中何処へ行っても受け入れてもらえるでしょう。しかし東欧からの難民はそういう訳にはいきません。ここオランダには彼らを受け入れる為のスペースが必要なのです」と。そんな理由から当時沢山の人々が移住を決意し、現在でも9百万人ものオランダ人が、自国以外の国で生きているのです。
R: Mi familia vivió 14 años en Buenos Aires. Llegó a principios de los 50. En la posguerra… Hay dos o tres cosas que se mezclan… Mis padres eran jóvenes, aventureros. El Estado holandés tomó medidas progresistas cuando decidió acomodar a los refugiados de Europa del Este tras la Segunda Guerra Mundial. Facilitaron la emigración de holandeses bajo la idea: “Ustedes son holandeses, les va a recibir todo el mundo, y aquí necesitamos sitio”. Hoy hay nueve millones de holandeses fuera del país.

Q: と言う事は、あなたのご両親は難民達の為に自分達の空間をお譲りになったという事ですか?
Q: ¿Sus padres decidieron ceder su sitio?

R: えっとですね、私の父はジャーナリストで、祖父は南オランダに位置する小さく美しい街、スヘルトーヘンボスの市長を勤めていました。ナチスが街に侵攻してきた時、彼らは祖父にこう言ったのです:「我々に協力するか、それとも街を爆破されたいか、どっちにする?」と‥‥。祖父はユダヤ人を一人たりともナチスに引き渡しませんでした。何故ならスヘルトーヘンボスには当時、ユダヤ人は一人も居なかったからです。しかしですね、祖父はそれ以外の事ではナチスに協力し、その為に戦争終結後、刑務所へ送られる事になってしまったのです。私の父はというと、ジャーナリストとしてナチス側にいたのです‥‥やめましょう、このテーマは‥‥
R: Bueno… Le explico el contexto. Mi papá era periodista, y mi abuelo era el alcalde de una ciudad bellísima del sur de Holanda, Hertogenbosch. Al ser invadida por los nazis, le dijeron que o colaboraba o le bombardeaban la ciudad… No entregó a ningún judío. No había judíos allí. Pero colaborar significaba que uno hacía un pacto. Después de la guerra, a mi abuelo se lo llevaron a prisión. Y mi papá había estado con los nazis como periodista… Pero quizá fuera mejor dejar ese tema…

Q: 続けてください。
Q: No, por favor.

R: 先程も申し上げたのですが、私の父は根っからの冒険好きで、自ら進んで戦線に赴き、戦争の従軍記者となりました。そんな中、ヨーゼフ・ゲッベルスは従軍記者達で構成された中隊を編制したのです。中隊といっても、全員がジャーナリストで、タバコを吸い、酒を飲んでいたそうですけどね。規律や秩序といったものは一切無く、非常に滑稽な従軍記者団だったという事です。そんな中隊だったのですが、勿論彼らの仕事は危険に満ち満ちたものである事に変わりはなく、時には怪我もするし、何より私の父は戦火が最も激しかった戦場の一つ、ロシアとの戦線に送られていたのです。少し時が経つと、ゲッベルスは父を刑務所へ送りました。ゲッベルスと父は互いに啀み合い、上手くいってなかったのです。私の父は反ソビエト派だったんですけどね。 反対に、私はと言うと、父とは全く逆の思想を持っていて、13歳にして共産主義に賛同するソビエト派でした。どれほどのめり込んでいたかというと、ロシア語を勉強していた程だったのです。当時の私は、父の思想に我慢が出来ず、家を出て行く事にしたのです。もうちょっと詳しく言うと、事態はもっと複雑だったんですけどね‥‥。と言うのも、私の父方の家族は大きな鉱山を所有していたという事、そして当時の南オランダに居るカトリック教徒達はイギリス人達を大変嫌っていたという事、その様な幾つかの事情が合い重なっていたからです。 えっと、このテーマを話すには結構大きな問題が付き纏っていまして‥‥と言うのも、「イギリスに反対していた」と言うと、多くの人々は「あー、あなた、ナチス側の人間なのね」と、そう思われてしまう事がしばしばなんですね。だからニューヨークではこのテーマを話す事は出来ません。もしニューヨークでこの話題を出そうものなら、人々がこう言ってくる事は目に見えているからです:「サッセンさん、あなたは反ユダヤ主義者なのですね」と。今までそんな事は無かったのですが、そうなる可能性は十分にあります。だから、なるべく話さない様にしているのです‥‥。
R: Mi papá, que era un aventurero total, se trasladó al frente, se hizo corresponsal de guerra. Goebbels había creado un batallón para los corresponsales de guerra. Eran todos periodistas; y fumaban, bebían. Nada de disciplina. Era un batallón cómico. Aun así, mi padre estuvo en el frente en Rusia… Incluso fue herido. Luego Goebbels lo metió en prisión. El general odiaba a mi padre y mi padre odiaba a Goebbels. Pero mi padre también se volvió muy antisoviético. Yo, en cambio, me hice comunista con 13 años; hasta estudié ruso. Y me fui de mi casa porque no aguantaba más. Pero todo es más complejo… La familia de mi padre era de grandes propietarios de minas. Y los católicos del sur de Holanda odiaban a los británicos, porque consideraban que estaban robándoles… El problema de hablar de estos temas es que, al decir que estaban contra británicos, la gente tiende a calificarte de pronazi. En Nueva York no puedo hablar de este tema. Terminarían diciéndome: “Lo que sucedes es que usted es antisemita”. No me ha pasado, pero podría pasarme. Por eso no hablo mucho de eso…

Q: お母様はどんな方だったのですか?
Q: ¿Y su madre?

R: 母は自由気ままに生きる事が大変好きな人で、ボヘミアンな生活を楽しんでいました。父と母が小説家と一緒に映っている写真を何枚か持っています。アイルランドに住んだ後ですら、彼らは未だ反イギリス主義を貫き通していたくらいだったのです。まあ、その様な反イギリス主義は、ホロコーストに対する社会的批判がどんどん高まっていくにつれ、段々と失われていったんですけどね。何故かと言うと、あの時代に反イギリス主義を表明するという事は、それだけでナチス側の人間と見做され、ホロコースト賛同者と見做される時代だったからなのです。その結果、「反イギリス主義反対」という機運が、反イギリス主義者の間にも急速に高まっていく事となりました。そんな空気の中においてさえも、私の両親は自らの考えを変えようとはせず、結局、アイルランドから立ち去る事にしたと言う訳なのです。
R: Mi madre llevaba una vida bohemia. Tengo fotos de mis padres con escritores. Después de vivir en Irlanda, seguían siendo antibritánicos. Eso se pierde luego en Europa por oposición generalizada al Holocausto. Esa nueva negativa domina a la anterior antibritánica. Así es que mis padres decidieron embarcarse.

Q: アルゼンチンに着かれた時、お父様は何をされていたのですか?
Q: Cuando llegan a Argentina, ¿qué hace su padre?

R: えっと、私の父ですか‥‥私の父は、ラテンアメリカに居る独裁者達と友好関係を築こうとしていました。勿論、ペロンともね‥‥。その一方で、彼の心の中には常に何かしら社会主義的なものが残っていた様にも思います。つまり独裁者達と一緒に居た一方で、ブエノスアイレスの港湾都市であるマル・デル・プラタで行われていた労働組合の非合法な会合にも顔を出していたのです。その様な会合に私達幼い姉妹は良く連れて行かれたものです。今にして思えば、私達はカモフラージュに最適だったのでしょうね。
R: Bueno, él… él se hizo amigo de todos los grandes dictadores de América Latina: de Perón… Pero siempre tuvo algo que por ahí era el socialismo. Estaban las dictaduras militares, pero también los sindicatos… reuniones clandestinas en Mar del Plata. Y siempre nos llevaban. Éramos nenas; creo que servíamos de camuflaje.

Q: 両親が反イギリス主義者だったという事や、お父上が独裁者の友人だったという事は、大きくなられてから理解されたのでしょうか?
Q: ¿Todo esto lo ha entendido después?

R: そうですね、その時にそれらの事情が分からなかったという事が、私の人生を決めたという事が出来るかもしれません。と同時に、政治的な動きが私の人生を支配していたという事も出来るのです。私は共産主義者でしたし、その事で両親と対立さえしたのですから。家を出て行きたかったので、貯金したりもしていましたし。結局、親にお金を借りてハンブルグへ行く事にしました。その間、貧困というものを体験し、お腹を空かせたりもしました。パリやトリノで過ごした暗く寒い夜などには、レストランのオーナーと交渉し、一杯のスープを恵んでもらったりしていたのです。アメリカではお金を稼ぐ為に家政婦のバイトをしていたし、アカデミックな学生という顔と家政婦という顔、その二つの顔を同時に持ちながら過ごしていたのです。
R: Eso de no entender me marcó. Pero la política dominaba mi vida. Yo era comunista y me enfrenté a mis padres. Quise irme. Ahorré dinero. Les pedí un préstamo y tomé un barco a Hamburgo. Experimente la pobreza y pasé hambre. En París, en Turín, donde en invierno llegué a un acuerdo con el dueño de una trattoria para que cada noche me diera un plato de sopa. En Estados Unidos, donde me dediqué a limpiar casas. He tenido una vida paralela.

Q: 多くの場合、あなたは固定観念や確立された概念に反対の立場を表明されていますね。例えば、発展途上国への投資は移住者を増加させるだとか、それらの投資は地域経済をダメにするとか。
Q: Usted va a menudo contra los conceptos establecidos. Por ejemplo, defiende que la inversión en los países menos desarrollados aumenta la emigración porque devasta las economías tradicionales.

R: その点については、もう既に自明の事だと思います。発展途上国への投資問題は一見矛盾しているかの様に見えるが故に、大変興味深いものとなっているのです。都市という狭い範囲に限らず、もっと先にある「何か」を都市を通して理解してみたいのです。
R: Eso hoy está comprobado. Puede parecer contradictorio, y por eso me interesa. Uso la ciudad para entender una realidad más allá de lo urbano.

Q: アラブの春はネットが無かったら不可能だったという事は常々言われてきた事ですが、ネットだけでなく都市が無かったとしても、それらは不可能だった様な気がします(アラブの春についてはコチラ:地中海ブログ:スペイン各都市で大規模デモ:「ジャスミン革命がスペインにも飛び火」って言われてるけど・・・)。人々を革命へと導くのに、都市はどの程度まで鍵となるのでしょうか?
Q: Se repite que las movilizaciones del mundo árabe no hubieran sido posibles sin Internet, pero tampoco se podrían haber producido sin las ciudades. ¿Hasta qué punto la ciudad es clave para movilizar a la gente?

R: 都市に沢山の変化が訪れる時、1人では何も出来なかった個人が群衆となり、歴史を築く事が出来る様になるのです。その様な群衆は常に権力を持つとは限らないのですが、個人が群衆になるという事は、「権力の目に付き易い」という事を意味します。つまり都市は非力な個人同士を繋ぎ合わせ、彼らを可視化する許容力があるのです。それは権力者の家の前で抗議活動をするとか、所有者/奴隷といった弁証法に終わる古いモデルとは全く違います。怒れる人々、世の中に不満を持っている人々は、単にその場で声を上げるだけとか、権力が自分達の存在に気づいてくれる事、ただそれだけを望んでいる訳ではありません。彼らはネットワークを築いているのです。都市において権力は見えません。と言うか、権力が見えなくなる事、見えなくする事こそ、都市自身が持つ潜在力であり、都市の特徴となっているとも言えるのです。
R: Cuando hay mucha transformación urbana, el individuo pobre se vuelve multitud y puede hacer historia. Eso no les da necesariamente poder, pero les da capacidad de hacerse presentes. Creo que la ciudad tiene la capacidad de generar redes y hacer presentes, visibles, a los sin poder. No es el viejo modelo de protestar delante de las casas del poder y caer en la dialéctica dueño/esclavo. Los indignados no buscan solamente estar ahí y que el poder los vea. Hacen red. Ahí se ve la capacidad de la ciudad de volver compleja la falta de poder.
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サラゴサ(Zaragoza)の都市戦略
昨日の新聞にサラゴサの都市戦略に関するっぽい記事(Aragon, la apuesta logistica, La Vanguardia, 7 de Septiembre, 2008)が載っていました。「関するっぽい」と書いたのは、この記事が「サラゴサ都市戦略」を前面に謳っている訳ではなくて、サラゴサが今後都市としてロジスティック(logistic)の分野に力を入れていく事を説明した記事だったからです。それが僕から見ればサラゴサの都市戦略に見える、と、まあ、こんな程度の事です。

つい見過ごしてしまいそうな記事だったのですが、サラゴサの都市としてのポテンシャルの高さから少し取り上げる事にしました。

前にも書きましたが、サラゴサという都市は立地条件が非常に良く、巧く戦略を練れば今後急成長が期待出来る都市なんですね。国際的には未だ全く知名度が無い小都市ですが、やはりそのポテンシャルの高さに気が付いている人は既に行動を始めています。そしてそれに触発されるようにサラゴサ市(Ayuntamiento de Zaragoza)とアラゴン政府(Gobierno de Aragon)もその事には十分自覚的だと僕は思います。

先ずは何がそんなに地の利があるのか?というと、サラゴサはバルセロナ(Barcelona)とマドリッド(Madrid)の丁度真ん中に位置し、バレンシア(Valencia)とビルバオ(Bilbao)の間に居るんですね。つまりスペインで最も人とモノの往来が激しい東西軸(マドリッドーバルセロナ)と、太平洋・大西洋に最大級の港を持つ南北軸(バレンシアービルバオ)の中央に位置している訳です。

かつてスペインの近代歴史学を切り開いたビセンス・ビベス(Vicens Vives)は、ヨーロッパとアフリカの間に位置しているカタルーニャを指して「辺境の渡り廊下」と呼び、それがカタルーニャの混成文化という特長を創り、異常なまでの発展を促したと指摘しましたが、サラゴサも21世紀における「渡り廊下」に成り得る可能性を持った地だと思います。

さて、次に問題になるのは、では一体このような地の利を生かして何をするのか?という事です。そこでサラゴサが考え出したのがロジスティックなんですね。ロジスティックとは何か?というと、簡単に言えば、物的流通を効率化するシステムの事です。つまり製造した物をどうやって集めてどうやって分配するか?更にそれをどのように調達・配送したら最も効率が良くなるか?それを扱うのがロジスティックです。

サラゴサは今正にヨーロッパにおけるロジスティックの中心になろうとしています。
まあ、成ろうとしたからといってなれるモノでもないのですが、それはサラゴサの巧い所、というか見習うべき所なのですが、彼らは他都市で成功した都市モデル(バルセロナモデルみたいな)を自分の所のコンテクストに無理やり当てはめるというような事はしていません。彼らがロジスティックを目指した理由、それは自国を十分に分析した結果出て来た結論だったんですね。

それこそ上で述べた東西南北の軸線上に都市が乗っているという事実だった訳です。スペイン2大都市を結ぶ高速鉄道の中央に位置している事から人とモノは自ずと集まります。更に港を経由しなければいけない物流はバレンシアとビルバオがカバーしている。モノの流れには空輸出来るモノと出来ないモノが存在します。だから都市の発展の為には必然的に空港と港が重要なファクターになってくるという事は当ブログで何回か言及した通りです

昨日の新聞記事によるとサラゴサはもう既にヨーロッパ随一となるロジスティック・サラゴサプラザ(logistica de Zaragoza Plaza)なるものをアラゴン政府(51,52%)、サラゴサ市(12,12%)、Ibercaja(18,18%),CAI(18,18%)の出資で建設中だとか。その大きさは12,826,000m2で30億ユーロ(日本円で約2兆円)の投資を見込んでいるそうです。

更にサラゴサの戦略は箱物を作る事だけに集中しているわけでは決してありません。世界の知識と情報を集める為に地元サラゴサ大学(Universidad de Zaragoza)が米マサチューセッツ工科大学(MIT)と協同で日本の修士課程にあたるMaster of engineering in Logistics and Supply chain managementを創設したんですね。これによって世界最高峰の頭脳とコンタクト、そしてそれらが惹き付ける巨額の投資の可能性を確保しました。実はもう既にその効果の片鱗が出ていて、それが今年開かれているサラゴサ万博や都市計画の裏方に見る事が出来ます。

サラゴサ万博と関連して、現在サラゴサでは「サステイナブルでインテリジェントな都市:都市交通の新しいコンセプト(La ciudad inteligente y sostenible: un nuevo concepto de transporte urbano)」をキーワードにMilla Digitalという計画が進行中です。その音頭を取っているのがMITメディアラボ教授のウィリアム・ミッチェル(William J.Mitchell)。更に万博にはMITSENSEablecity Labで近年力を付けてきたカルロ・ラッティ(Carlo Ratti)も入っていますし。

私見ですけど、ウィリアム・ミッチェル率いるMITとの仲介役になったと思われるのはマニュエル・カステル(Manuel Castells)でしょうね。何故カタラン人のマニュエルがアラゴンに肩入れするのか?それはお隣が発展するとこちらにもポジティブな影響が出てくるからです。ジョルディ・ボージャ(Jordi Borja)が言っているように、シティ・リージョン(City Region)を前提とした都市間競争時代においては、どの都市が勝ってどの都市が負けるという勝ち負けゲームは意味を成さなくなるんですね。そうではなく、繋がっている隣の都市が発展する事が自身の都市が発展する事に繋がる、それがシティ・リージョン時代の都市間競争の法則です。

そう考えると、ウィリアム・ミッチェルを始め、サスキア・サッセン(Saskia Sassen)やピーター・ホール(Peter Hall)など市役所の助言役にスペインの一地方都市をグローバリズムの中で考察する面々が顔を揃えているのにも納得出来るかー。

更に更に万博開催に漕ぎ着けた政治的な手腕や、その万博を都市発展に用いた巧さ。そして市内を流れる川に関連付けつつ、21世紀のはずせないテーマであるサステイナビリティを主軸に添えた視点の良さなど、書き出すと切りが無いのですが、長くなってしまったので又今度。
| スペイン都市計画 | 22:36 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
都市の闇:ヴェネチア(Venezia)の裏の顔とジェントリフィケーション(Gentrification)
水の都ヴェネチアという都市は本当に美しい都市です。建物から都市構造に至るまで数百年の歴史が大変良く保存され、訪れた者を中世の世界にタイムトリップさせる魅惑ある都市です。





しかし、どんな都市にも表の顔と裏の顔があります。都市が美しければ美しい程、それは汚いもの・目障りなものが排除されているという結果なんですね。特に各都市が観光客を奪い合う都市間競争の時代においては、必然的に都市の必須課題は如何にして都市美を捏造するかに傾けられます。そしてその弊害が必ず都市の何処かに現れてくる。

例えば僕がよく利用する超効率都市フランクフルト。90年代初頭、フランクフルトは金融街として急成長を遂げました。



その頃、「グローバルシティ(Global City)」という分かり易い標語を掲げ、ニューヨーク、ロンドン、東京を中心にせっせと論文を生産していたサスキア・サッセン(Saskia Sassen)ジョルディ・ボージャ(Jordi Borja)が「フランクフルトもグローバルシティに加えたら」と助言したというのは有名な話。



市内を流れるライン川から金融街を見た風景はあまりにも有名ですが、その足元にアムステルダムと並ぶ、ヨーロッパ最大の風俗街が広がっているのは現地へ行った人しか知り得ないと思います。



「急発展するグローバル都市」というイメージを売りにしたいフランクフルトは、竹の子のように生える風景を前面に出す事はしても、グローバル化による負の面の象徴とも言える風俗街の写真を表に出す事は先ず無いからです。

さてヨーロッパ都市において排除されるものは、歴史的中心市街地を覆う城壁の外へと放り出されるのが定石なのですが、ここヴェネチアでは本島全てが歴史的地区に当たり、その外は海。という事は、本島の何処かに隔離部分があるか、もしくは本島を渡った所にヴェネチア市民の真の生活が広がっているか?のどちらかという事になると思います。

そもそも僕は街を歩いている時からヴェネチア本島に果たして市民が住んでいるのかどうか?は大変疑問でした。生活感がまるで無かったからです。職業柄、旅に出るとやはりその土地の公共空間に注目してしまいます。何故ならユルゲン・ハーバーマス(Jurgen Habermas)が言うように、「公共空間とは都市の表象であるから」なんですね。つまり公共空間を見れば、その都市がどんな都市かが大方分かるというわけです。

ヴェネチアの公共空間を観察していて思ったのは、先ず第一にボールを蹴っている子供達や日向ぼっこをしているおじいさんなどが見当たらないという事でした。つまり市民の姿をあまり見かけなかったのです。見かけるのは何処も観光客ばかり。

これはある意味すごい。最近ものすごい勢いでジェントリフィケーションが進んでいるバルセロナ中心街においてさえも、スケートボードをしている子供やボールを蹴っている子供達、犬の散歩をしている人々が観光客に混じっています。その姿が無い風景は正にディズニーランド。(ちなみに昨日の新聞( La Vanguardia)によると、不動産バブルがはじけ気味なスペインでは昨年の同じ時期と比べて新築物件価格が27%下落し、賃貸価格が5%上昇した模様。インフレ中の物価上昇指数は4.4%)

これは明らかに過度の観光化によるジェントリフィケーション(Gentrification)の弊害でしょうね。限りある土地において、全てが観光化されている本島では全てが高すぎる。市民の足であるヴァポレット(Vaporetto)と呼ばれる水上バスは初乗りが6.5ユーロで72時間券で31ユーロ。2005年度の料金がそれぞれ5ユーロ、25ユーロだった事を考えると3年で1,2−3倍になってる。(住居権を持っている市民には定期券とかあるのでしょうか?)コーヒー一杯3−5ユーロ。サンドイッチが4−6ユーロ。スーパーや日用雑貨を売っている店はあまり見かけなかったし・・・

これは一般市民が住む価格レベルじゃありません。市内総生産の6割以上を占め、雇用も4割を超えている観光関連産業を第一に考えるのは良く分かる。しかしながら、都市の活力は市民であって、市民こそがその都市にとっての最大の魅力なはずです。イタリア研究で著名な宗田好史さんは、彼の記念碑的名著、「にぎわいを呼ぶイタリアのまちつくり:歴史的景観の再生と商業政策」の中で、イタリアのジェントリフィケーションの特徴を、「都心の住民、とくに中商工業者が豊かになったこと」とされていますが、ヴェネチアの場合、豊かになった住民はそのまま島に残るのでしょうか?もしくは何処かへ非難するのでしょうか?どうなんでしょう、その辺?

住民って何処に住んでるんだろうなーとか思いながら探した所、居ました。(何かナメック星でナメック星人探しているフリーザみたいですが。そう言えばイタリアでよくピッコロという言葉を耳にしました。イタリア語で小さいという意味らしいです。)

先ずは本島の南側、ヴェネチア・ビエンナーレが行われる所辺り。



まるで隔離されたかのように、その辺り一帯の建物一階部分には何も諸活動(カフェなどの)が入っておらず、建物から建物へと所狭しと洗濯物が掛けられています。





人通りは全く無く、まるで死んでいるかのよう。観光客だとまる分かりな僕が一人で歩くのがちょっと怖いくらい。この辺りは明らかに市によって計画的に隔離された公共経営集合住宅地区だと思います。中心街のジェントリフィケーションによって以前のエリアには住めなくなった人達が移動させられたエリアだと推測します。

そしてもう一つ。こちらが本命だと思うのですが、ヴェネチア本島が大陸と唯一繋がっている鉄道路線を渡った直ぐの所。





歴史的建造物が保存されている本島とは対照的に、ここからは工場地帯が乱雑に広がっています。





更に行くと、何処にでも広がっているような独立住居風景が限りなく続いているという状況。これが中世の姿を今に残すヴェネチアの本当の顔ですね。

グローバル化の波にさらされている現代都市には必ず2つの顔があります。そして優雅で楽しげな表の顔の裏に隠されている裏の顔にこそ、その都市の本質を見る事が出来るのです。そしてそこにどの程度の資金が投入され、どの程度の計画がなされているかで、その都市の底力と実力が分かるんですね。

とは言っても、イタリアは本当によくやっていると思います。安易な大規模開発に走らずに、こつこつと建築的な改修や改造で都市再生を解決したのだから。そんな地道な努力を続け、アメリカ型ではないオルタナティブを示したイタリアの事例だからこそ、ジェントリフィケーションのコントロール不可能性と恐ろしさが分かるというものです。

バルセロナ現代文化センターのアルベルト(Albert Garcia Espuche)が大変に優れた展覧会とカタログ( La reconquiesta de EUROPA: Espacio publico urbano 1980-1999)で示したように、ヨーロッパの諸都市は80−90年代を通して疲弊した歴史的中心地区をパブリック・スペースの改善を通して再生してきました。そしてその試みは大変うまくいきました。しかし僕達が今直面している問題は単なる改善・再生ではなく、その後の問題なんですね。そしてその問題に対して我々は未だ有効な手立てを持っていません。

都市間競争の欲望が「都市再生」を後押しし、都市美を創り出した所に必ずと言って良いほど現れる怪物。

マルクスとエンゲルスが言った言葉を現代ならこんな風に言い換える事が出来るのではないかと思います。

「一匹の妖怪がヨーロッパを徘徊している。ジェントリフィケーションという妖怪が」。
| ヨーロッパ都市政策 | 20:56 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
グスタボ・ジリ社( La Editorial Gustavo Gili)とFrancesc Munoz: UrBANALizacion: paisajes comunes, lugares globales
昨日は朝から一昨日の続きでEU-practiceに参加。一昨日の夕食も夜中まで付き合わされた上に、今日も遅くまで続くんだろうなーとか思ってたら昼前に終わった。ラッキー。昼食を長々と取った後、6月のEU委員会へのプレゼンで会おうと誓い合って皆とお別れ。てっきり夜まで、下手したら明日もとか思ってた僕にとっては、久しぶりに出来た自由時間。天気も良いし散歩でもしようと思いセルダブロックがあるエンサンチェをぶらつく。

セルダブロックで知られるエンサンチェ(新市街地)の一番左側に位置するエリアをぶらぶらしていると、ふとこの辺りにグスタボ・ジリ社(La Editorial Gustavo Gili)があった事を思い出す。この辺りかなと思って行ってみたらやっぱりあった。約130メートルある辺を隅から隅まで住宅がびっしりと並ぶ中にぽっかりと開いた穴。





この秘密の洞窟っぽい通路がグスタボ・ジリ社屋へのアクセス路です。壁には矢印とシンボルマークのGGがかっこよくデザインされている。



グスタボ・ジリ出版社屋はカタルーニャに残る最良のモダニズム建築の内の一つとされています。前にも書いたように、僕が知っているグスタボ・ジリは創業者グスタボ・ジリの息子です。「親子で同じ名前付けるなよ、ややこしいな」とか思ってしまいますが、こちらではそういうものらしい。現グスタボ・ジリ社を取り仕切っているのはお姉さんであるモニカ・ジリさん。

今でも忘れられないんですが、初めてモニカさんに会った時の事、最近の出版業界の低迷とグスタボ・ジリ社への影響などを話してくれました。その中でバルセロナにある出版業界の新興勢力であるA出版社の勢いと、その出版社に勤める日本人Tさんの事を「小さな巨人」と話されていました。1,2回しかお会いした事はありませんが、僕がスペインで唯一尊敬する日本人Tさん。何時か僕もああなりたいものです。



さて、息子のグスタボ・ジリはカタルーニャで注目の若手建築家としてがんばっています。GG社屋の前にあるアパートは彼の設計によるものだそうです。GG社屋の中は現在、本屋さんになっているので自由に入る事が出来ます。ただ撮影は禁止。というわけで中の写真はありません。(写真を撮ってはいけないという所では写真は撮らないというのが僕のポリシーなので)

中は優しい光が包み込む透明感溢れる空間に仕上がっています。本屋さんで何か無いかなと物色していたら旧友のFrancesc MuñozによるUrBANALizaciónが発売真近とあるじゃないですか!3年前から出版する、出版すると言っていた彼だったのですがとうとう出版にこぎつけたか!何故かというと、プロローグをサスキア・サッセンに頼んだのに全然返事をくれないとの事だったのですが、無事解決したのですね。おめでとー。

彼は何を隠そうあのイグナシ・デ・ソラ・モラレス(Ignasi de Sola Morales)の最後の弟子です。地理学者である彼は元々マニュエル・カステル( Manuel Castells)やサスキア・サッセン( Saskia Sassen)などのネットワーキングシティに関心を持っていました。アンダルシアから出てきた彼はその主題と論文を持って当時カタルーニャに帰郷したばかりのマニュエル・カステルに近付こうとしたんだろうと思います。その間に居たのがイグナシ。フランセスクの類まれな才能に気が付いたイグナシは彼の耳元でこうささやきました。

「これからはサステイナブルシティという名の下に、コンパクトシティのモデル都市としてバルセロナモデルが輸出される事になるだろう。一見正しく見えるこのモデルにも弱点がある。何故なら伝統的にコンパクトな集住を可能にしてきた地中海都市においてさえもアーバニゼーションの力に抵抗する事は出来ないからだ。現にバルセロナはこの10年間でコンパクトどころか、反対にどんどんと拡散が進んでいる。バルセロナがコンパクトに見えるのはエンサンチェの活気が与える幻想に過ぎない。もし将来バルセロナがコンパクトシティという地位を守りたいんだったら、逆にどれだけの都市化が進んだかという定量的なデータと共に批判的な立場からモデルを擁護する必要があるだろう。」

こんな事言ったかどうか知りませんが(多分言ってないかな(笑))、彼の主題はカタルーニャにおけるアーバニゼーションに決まりました。更に、そのような低密度居住が現代文化とどう関係しているかという視点を盛り込み、英語の「表層的な」という意味のBanalと合わせてUrBANALizacionとなったと言うわけです。この時彼の頭にあったのはSharon ZukinのLandscape of Powerだったと思いますね。彼はかなり早くからZukinに注目していたし。

ここには明らかにイグナシの影響が見られます。彼は「経済、社会、風景、この3つの要素は何時も一緒に変化していく」と言っています。逆に言えば、これら3要素を一緒に分析しなければどのような都市現象も正しく理解する事は出来ないと言っているんですね。

フォーディズムが到来した時、その核心にあったのは「労働者が自社の製品を買ってくれる消費者にも成り得る」という視点でした。だからフォードは当時としては法外な賃金を労働者に払ったわけです。こうして先ずは工場の周りに労働者の住居が出来ました。そこで豊かになった人達は自分達が生産した車を購入し、郊外へと引っ越していきました。こうして社会と共に経済、風景も変わっていったのです。

このような基本的な考えをベースにSharon Zukinの理論などを巧みに利用しながらカタルーニャにおける低密度地域の再生産のプロセスを解き明かしたのがUrBANALizacionです。3年前に行われた彼の博士論文公開審査にイグナシは来る事が出来ませんでしたが、彼のお兄さんであるマニュエル・デ・ソラ・モラレス(Manuel de Sola Morales)がジュリーとして出席し、最大の賛辞を送っていた事が、昨日の事のように思い出されます。
| バルセロナ歴史 | 15:19 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
eGovernment Mobile Services Workshop
今日は朝からeGovernment Mobile Services Workshopに参加してきました。このワークショップは、現在バルセロナで進行しているEU2大プロジェクト、ICINGとP2Pプロジェクトの紹介と両プロジェクトに参加しているパートナー同士の情報交換を目的として開催されました。

バルセロナ、ダブリン、ヘルシンキ、ブルッセル、スロベニアなど政府関係者から新進企業まで多彩な顔ぶれで行われた今回のワークショップからは得るものが多かったです。特にこのようなミーティングの一番の魅力は世界中に同じような興味を持った人達とコネクションが出来る事ですね。ネットを通して世界中の人と繋がる事は出来るけれど、同じ時間と空間を共有した体験は互いの信頼関係をより深める事は間違いありません。

80年代後半から90年代前半にかけてマニュエル・カステル(Manuel Castells)サスキア・サッセン(Saskia Sassen)といった社会学者が、情報通信技術が進めば進むほどフィジカルな空間の重要性の低下というロジックに対する矛盾:都市のフィジカルな空間のより一層の重要性の増大を示したように、やはり顔を合わせた議論にはインターネットでは得られない体験が潜んでいると思います。

さっぱり関係の無い話ですが、サッセンが以前に書いていた文章で忘れられないフレーズがあるので紹介しておきます。



「(写真はイメージです。超高層ビルに入っている銀行のオフィス側から見ていると仮定して)この空間には2つのクラスが存在している。一つは暖房の効いたオフィス内で働くホワイトカラー。もう一つは空間の外で危険を冒しながらガラスを拭いているブルーカラーの労働者。同じ空間に属しながらもこの2つのクラスの間には見えない深い溝が存在している。この仕切り(ガラス)はとても薄く透明であるにも関わらず、決して乗り越える事の出来ない壁である。」

ワークショップは明日も続きます。
| EUプロジェクト | 22:21 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加