地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
まちづくり・建築におけるAIの可能性:緑被率プロジェクト:神戸市編

今月号の「建築雑誌」に「まちづくりにおけるAIの可能性:建築家にとって科学とは何か?」と題した記事を書かせて頂きました。

AIブームの真っ只中、連日メディアを賑わせているAI(人工知能)なのですが、僕がいるMITは世界的に見てもAIの中心地であり、AIに関するテクノロジーが次々に生み出される聖地の一つと見做されています。

つい先月も、AIに関する新しい研究所を創設するという発表をしたばかりで、今後10年間でIBMが260億円相当の投資をするそうです(興味のあるかたはこちらのリンクをどうぞ)。でも、僕がもっと驚いたのは、IBM側からこの話を持って来てそれをまとめたのが、友達(MITで僕が初めて知り合ったアメリカ人で、それ以来最も親しい友人の一人)のお母さんだったことかな(笑)。創設記念講演会&パーティーに行ったら、「cruasan君—」みたいに声を掛けられて、「あー、A君のお母さんじゃないですかー。お久しぶりですー。」って立ち話をしてたら、どうやら彼女が今回のキーパーソンだったことが判明(驚)。「そ、そっかー、そういうこともあるかなー」っていう嘘のような本当の話ww

そんなこんなでうちのラボにもそれこそ毎日のようにAI目的の来客が絶えなくって、その度に「AIとまちづくり」というテーマでお話をさせて頂いているのですが、最近「ハッ」と気が付いたことがあります。それは、「世間一般のAIのイメージが二極化していること」なんですね。特に建築や都市計画に携わっている人に限って言うと、AI=(1) 自動運転、(2) 碁、(3) AIに職を奪われる悲観論、みたいな感じで綺麗に分かれると思います。で、もう少し勉強している人になってくると、ここにBIMみたいなのが入ってくる、、、という感じでしょうか。

別に僕はこの状況を批判しようとか、それが悪いと言ってる訳では全然なくて、逆にデータサイエンスからかなり遠いところにいる建築や都市計画、都市デザインの方々がAIやIoTに興味を示してくれるだけでも、それはそれでかなり嬉しい状況だとは思うんだけど、AIやIoTの可能性はずっと幅広くて、もっともっと色んなことが出来る、、、と、そうも思っています。

今回僕が書かせて頂いた記事は、その様な可能性を抽象的な議論ではなく、具体的に進んでいるプロジェクトとして出来るだけ分かりやすく日本の方々にお伝えしようと思い書いてみました。そしてその発刊と同時に、MITで僕が関わっている、AIを駆使した「まちづくり系のプロジェクト」の一つ、Treepediaのデモを神戸市を事例に作ってみたというオマケ付きですw

このプロジェクトの本質は、「都市の何処にどれだけの緑や植栽が存在しているかという情報をビックデータとして収集、分析すること」です。

今更言うまでもないことですが、都市におけるグリーンインフラというのは、生活の質を測る非常に重要な要素の一つとなっています。ゆえに何処の都市でも「緑被率」みたいなデータを持ってはいるのですが、伝統的にこのようなデータは市役所の方々や調査員の方々が紙と鉛筆を持って都市内を歩き回り、手作業で地道に一つづつ木の位置を確認していく、、、という手法が用いられてきたんですね。もしくは空から都市を捉えた航空写真を使って、「あ、この辺は緑が多いな」とか確認するのが典型的な手法だと思います。

しかしですね、人の手に頼っていると、手間暇が掛かり過ぎる上に、サンプル数が非常に限られてきてしまいます。反対に、航空写真は空から撮った写真なので、我々が都市を実際に歩いて感じる印象とは全く違った風景データとなってしまいがちなんですね。いま必要とされているのは、歩行者目線で見える風景を、ビックデータとして収集する技術であり、その為に我々が編み出したのが、AIを使ったデータ収集法なのです。

この技術がどうなっているかを簡略的に説明すると、まずはOpen Street MapからStreet Networkを土台に調査区域を区切ります。そのエリアからStreet Networkに沿って撮られた写真(Google Street Viewにアップされている写真)を収集します(テクニカルに言うと、だいたい何処の都市もGoogle Street Viewでカバーされているので、都市部だったら大抵のところからは写真を持ってこれる状況となっています)。また、Google Street Viewの良いところは、Google Carに搭載したカメラで写真を収集しているので、カメラの位置がほぼ歩行者目線だというところです。それらの写真を収集しつつ、今度はニューラルネットに「その写真に一体何が写っているのか?」を教え込みます。

最近のコンピュータというのは非常に面白くて、彼らは一度教えると、そのあとは勝に学習して賢くなっていくんですね。例えば、「この写真に写ってるのは車だよ」とか、「これは空だよ」とか教えてやる訳です。その上で、そういうサンプルを何千枚と見せてやる。そうすると、認識率がどんどんと上がっていって、最終的には写真に写っているものをきちんと判別出来る様になる訳です。

では、これらの技術をどう使うのか?

我々の場合は、「この写真に写っているのは「木だよ」」と教えてやる訳です。その上で、先ほどネットから入手した都市の写真を放り込んでやると、位置情報付きの都市の緑被率マップが自動的に出来上がると、そういう仕組みになっています。

もちろん実際はこんなに単純ではないし、現場ではもっと泥臭いことをやっていたり、色々と違うコードを試したりしているのですが、基本的な方向性はこんな感じかなー。で、出来上がった生データがこちら:

オレンジ色の線に見えるところが、今回のデータ解析に使った写真が撮影されたポイントです。街路に沿って何万という撮影ポイントが帯を成し、それが街路を形成しているのが見て取れます。

Google street viewは写真データを常にアップデートする為に、年間を通してカメラ搭載車両(Google Car)を走らせています。故に、都市によって写真が撮影された時期が違ったりするんですね。ということは、例えば1月に撮った写真を使った場合と、7月に撮った写真を使った場合とでは、緑被率にバイアスが掛かってきてしまいます。1月は7月に比べて葉っぱが少ないですからね。それを確認する為に、「何月に取られた写真をどれくらい使ったか?」という結果も自動的に出るようにしました:

神戸の場合は4月の写真が多いようです。

この手法の良いところは、世界各国の都市間での緑被率が科学的に比較出来る点にあります。また、AIにやらせているので、一度設定すれば、あとは勝手にやってくれたりします(とは言っても、まだまだ手間暇は掛かりますが、、、将来的には全自動洗濯機のように、全て自動化する方向で我々は動いています)。 これがこのプロジェクトの概略であり、建築雑誌の短い記事には書き切れなかった追加情報です。

さて、こんな感じでMITではAI全盛期を迎えているのですが、そんな環境にどっぷりと浸かっている僕が最近思うことが以下の2点;

1つ目は、今後の建築・都市計画界隈とAIやIoTをめぐる環境について。これはもう、きっぱりと二極化すると思うのですが、AI(人工知能)やデータサイエンスを使える研究室、企業、もしくは建築事務所と、それらが全く使えない・導入出来ないところとでは圧倒的な差が出てくるだろうということです。

何度でも書きますが、AIやIoT全盛期における我々建築家の一番の問題点は、建築家はデータを扱うことやコードを書くことが苦手な職種だということに尽きます(地中海ブログ:博士の学位を頂きました:建築家である僕が、コンピュータ・サイエンス学部でPh.Dを取った理由)。こう書くと、「じゃあ、外注すればいいじゃないか」という声が聞こえてきそうなのですが、データというのは自分の手で触って分析しているうちに、「あー、こうなっているのか」とか「あー、こういう可能性もあるんだな」と、段々と分かってくるものなので、その過程を外注したり、そこだけコンピュータサイエンス学部の人達とコラボしても、それは片手落ちにしかなりません。

その間に立てる人材が世界的に見ても圧倒的に不足していて、これから20年くらいは、そういう人材に世界の投資が圧倒的に集中する状況となって来るだろうし、もう既にその兆候は見え始めています(日本ではどうなっているのか知りません)。

2つ目は、リベラルアーツに代表される基礎教養が益々重要になってくるだろうという点です。僕は2011, 2014年とMITに滞在する機会を得たのですが、その時はIoT全盛期でした。どこもかしこもIoT、つまりはセンサーだったんですね。まあ、僕の目から見ればIoTというのは、全てのモノをデータ化する技術であり、そこから得られたビックデータを解析する技術がAIやディープラーニングだったりするのですが。。。

で、今回(2017年)来てビックリしたのは、あれから3年も経ってないのに、MITの学内の雰囲気がガラッと変わっていたことでした。いまでは右を見ても左を見てもAIだらけです。

このように技術というのはものすごいスピードで変わっていきます。MITの凄いところは、そんな目まぐるしく変わりゆく技術だけを教えるのではなく、その環境に対応する為の教育を何十年も前から行っている点なんですね。そしてその教育方針こそが、MITを世界最高峰の工学系大学にしているエッセンスだと僕は思うのですが、この話をし出すと長くなるのでまた今度。今回は問題を少し簡略化して、そんな環境の中において建築家である僕が「なぜ今日まで生き残ってこれたのか?」と問うてみることにします。

それはですね、うわべの技術を追い掛けるだけではなく、「その時々の技術革新に合わせた適切な設問を作り出すことが出来ているから」だと、僕は勝手に自己分析しています。そして「そういう設問を、案外みんな作れないんだなー」ということに最近気が付きました。

ではなぜ僕はそれが出来ているのか?

それは僕のプロフェッショナルキャリアの最初期に、大変質の高い論客たちと、それこそ夜が更けるまで散々議論出来たこと、バルセロナという公共空間の中で、都市問題を「体験として」自分の中に蓄積できたことが大きいかな、、、と、そう思います。

この辺りのことやMITのリベラルアーツ教育については、以前のインタビュー記事に掲載されているので、興味のある方はこちらをどうぞ(下記は抜粋です):

僕がバルセロナに行った2001年というのは、イグナシが立ち上げたプログラムや彼の影響力が非常に強く残っていて、バルセロナがヨーロッパの知のハブとして機能している時期でした。いまとなっては大御所になってしまった、サスキア・サッセン(Saskia Sassen)やデヴィット・ハーベイ(David Harvey)、ジョン・アーリ(John Urry)などは頻繁に来ていましたし、マニュエル・カステル(Manuel Castells)はバークレーからバルセロナに戻って来ている時期でした(地中海ブログ:サスキア・サッセン(Saskia Sassen)のインタビュー記事:グローバルシティというアイデアは何処から来たのか?)。マスタークラスの同級生には、のちに『俗都市化—ありふれた景観 グローバルな場所(昭和堂)』を出版することになるフランチェスク・ムニョス(Francesc Muñoz)がいましたし、「ジェントリフィケーション」という聞き慣れない現象を熱く語っていたニール・スミス(Neil Smith)とは、夏のあいだ頻繁に飲みに行っていました。

…中略…

MITの教育方針を見ていると、単に科学技術の知識を詰め込むというよりは、それらを使う人間や社会への問いの方に力を入れている感じがしてなりません。つまり、単に街角にセンサーを取り付けて終わりというのではなく、我々の社会の基盤となっている人間への根源的な問いを通して、我々の創造力・想像力の可能性と限界を模索しているかのようなのです。技術ありきではなく、先ずはそこを深く掘り下げているからこそ、科学技術の限界とその可能性への探求といったアプローチが出てくるのではないでしょうか。

とにもかくにも、MITの緑被率プロジェクト、最初の日本都市の事例でした。

←おめでとー。

←パチパチパチー。

| - | 07:41 | comments(1) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ガウディの影武者だった男、ジュジョールのメトロポール劇場

「理念的にも技術的にもジュジョールが先進工業社会の芸術家たちと同じ基盤から出発しなかったという意味において、一般に認められている20世紀前衛芸術の歴史が示すものとは異なる」- イグナシ・デ・ソラ=モラレス

「今日までなかったことだが、もし誰かが20世紀のスペイン芸術・建築界で最も多様性に富み、創造性と想像性に秀でた3人の芸術家、ある意味で、その方面で最も重要な3人を指摘せよと私に訪ねたとすれば、躊躇することなく、ガウディ、ピカソ、ジュジョールの名を上げるであろう。」- カルロス・フローレス

バルセロナから電車で1時間ほど南に行ったところにある世界遺産指定都市タラゴナ(Tarragona)に行ってきました。世界遺産指定都市とは、旧市街地などが「全体で」世界遺産に登録されている都市のことを指し、現在スペインではサンティアゴ・デ・コンポステーラなど13都市が指定されています(地中海ブログ:サンティアゴ・デ・コンポステーラ:アルヴァロ・シザのガリシア現代美術センターその2)。

古代ローマ時代に築かれたタラゴナはイベリア半島最大の規模を誇り、当時の栄華を伝えるかのような雰囲気が、この街にはそのまま残っていたりするんですね。街中を歩いていると不意に石積みの城壁や巨大なモニュメントに出くわすこのワクワク感!

これはバロック都市ローマを歩く感覚に似てるなー、、、とか思ったりして(地中海ブログ:ローマ滞在2015その2:ローマを歩く楽しみ、バロック都市を訪ねる喜び)。

そしてこの街の最大の魅力の一つがこちらです:

その名も「地中海のバルコニー」!眼前に広がる地中海、それが全て自分のものであるかのような、そんな感覚を引き起こしてくれるほど圧巻の眺めとなっています。朝から晩まで見ていても全く飽きない、この街にはそんな風景が広がっているんですね。

そして左手を見下ろせばこの風景:

ローマ時代の円形競技場です。ローマのコロッセオに比べると規模は小さいんだけど、タラゴナの円形競技場は、「地中海に浮かぶ競技場」と、そう形容出来るほど素晴らしい作りとなっています。ローマ人がこの地をイベリア半島の拠点に選んだのも納得がいくなー。

こんな見どころ満載の世界遺産指定都市タラゴナなんだけど、今回この街を訪れたのはローマの遺跡群を訪問する為ではありません。僕がわざわざこの街に来た理由、それは普段は一般公開されていないジュジョールの傑作中の傑作、メトロポール劇場を訪れる為なんですね(地中海ブログ:バルセロナ・オープンハウス2015:オープンハウスとオープンデータ:今年のテーマはジュジョールでした)。

ひょんなことから知り合いになったタラゴナ市役所の人と話していた所、「え、cruasan君って建築家なの?てっきりコンピュータ・サイエンティストだとばかり思ってた(驚)!それならジュジョールの建築とかって興味ない?市役所の友達がメトロポール劇場の管理責任者だから、連絡してあげるよ」、、、と。そりゃもう、「興味ありまくりです!」。なんてったって、普段は公開していない建築ですからね、どんなに忙しくたって飛んできますよ(笑)。

(注意)この建築は「団体での訪問(数週間前に要予約)」のみ受け付けており、個人への一般公開はしていません。しかし今でも現役の劇場として使われているので、もしどうしてもこの劇場を見たいという方は、週に何回か催される演劇のチケットを購入して劇場の中に入る、、、という裏技があったりします。ちなみに僕が訪れたのはお昼の12H頃だったんだけど、舞台のリハーサル中だった為、照明がつけられないとのこと。暗闇の中での建築鑑賞でした。

 

この建築への入り口は市内随一の目抜通り新ランブラス通り(Nova Ramble)に面しています。どちらかというとこのエリアは観光客向けのエリアとなっていて、この通りに面して沢山のレストランやバル、小売店などが立ち並び、非常に活気のある地区となっているんですね。←その代わり、カフェの値段設定も観光客向けで、パッと見た所、ベルムッ(お酒一杯)、サンドイッチ、オリーブの実の三点セットで5euroというお店が結構多かった。

こちらがメトロポール劇場のファサードなのですが、まさかこの中に劇場が入ってるなんて、言われないと分かりません。まあ、確かに「メトロポール劇場」とは書いてあるんだけど、パッと見は普通の集合住宅ですからね。ちなみに真ん中の入り口は現在は使われてなくて閉鎖中。今回は特別に右側の入り口を開けてもらいました。で、中に入ると我々を出迎えてくれるのがこの空間:

真っ白な壁に真っ赤な光線が非常に印象的なジュジョール空間の登場〜。

窓ガラスには真っ赤な光線が映り込んでいます。黄色いストラクチャーとの兼ね合いも抜群。これを見て「ガンダムのシャアっぽいなー」と思った人、結構いるのではないでしょうか?(笑)。

また、ジュジョール建築には欠かせない彼独特の装飾タイルも健在。ここの廊下は細部を見出すとキリが無いくらい面白くって、この空間だけで3時間は見ていられます(笑)。後ろ髪を引かれながらも、この長―い廊下をくぐり抜けると出くわすのがこちらの空間です:

この劇場のエントランスホールとでも言うべき階段ホールの登場〜。天井には先ほどの渡り廊下からの装飾が続き、空間的な一体感を醸し出しつつ、左手にはジュジョール作のドラゴンの彫刻が神秘的な光の中に浮かび上がっているんですね:

上に行ってみます。この階段空間も味があるなー:

そして出くわすのがこちら:

で、出た!ジュジョールの真骨頂、まるで抽象絵画のような空間。。。暗闇の中に真っ青な背景、その中に真っ赤な目のような形をしたオブジェが浮かんでいます。そこから劇場の中へと入っていくと、全体はこんな感じかな:

上述した様に、僕が訪れた時は舞台を作っている最中だったので劇場内は真っ暗。そのおかげで、明暗のコントラストが非常に強い状態を見ることが出来ました。

そしてこの建築のもう一つの見所がこちらです:

じゃーん!観客席のど真ん中に立っている柱とその天井です。当時の市の建築家に「構造が持たないだろう」と大反対されたというこの客席を支える柱。ここにジュジョールの思いを見るような気がします。そしてこの天井がちょっと凄い:

これは後にジュジョールがプラネイス邸で見せた手法ですね(地中海ブログ:オープンハウス in バルセロナ(48 OPEN HOUSE BCN):ジュゼップ・マリア・ジュジョール(Josep Maria Jujol)のプラネイス邸(Casa Planells)):

このうねるような天井、これを観れただけでも、この建築を訪れた価値があるというもの。正にジュジョールの「イマジネーションの具現化」です。

個人的にジュジョール建築の面白さは、「彼があたまの中に描いた魅力的な世界観がそのまま現実空間に具現化されているところ」だと思うんですよね。スケッチが上手い建築家は星の数ほどいるし、その世界観が非常に魅力的な芸術家も沢山いるんだけど、それら多くのイマジネーションは現実空間に具現化された途端に輝きを失ってしまいがちです。しかしですね、ジュジョールの場合、そのイマジネーションの輝きがそのまま現実空間の中でも輝き続けている、、、ということが出来るのではないでしょうか。彼が描いた夢の世界に生身の体のまま連れて行ってくれる、、、そのように思わせてくれる空間の質が彼の建築には存在しているのです。

さて、次は地下に降りて行ってみます:

実はこの劇場は、「海の中」、そして「船」というモチーフと共に考えられたらしく、地下は深海のイメージでデザインされています。

地下空間の至る所にはそれらのモチーフがふんだんに使われているんだけど、天井には海面のゆらゆら感が表現されていたりします。

ここから外へ出て行ってみます。

これがこの劇場の全体像。入口がある新ランブラス通りに面している住宅と、裏手にある住宅一棟分が演劇ホールになっているのですが、その間を結ぶ回廊が非常に良い均衡空間となっていることが分かります。つまりこの空間を通ることによって、「これから劇場の中に入っていくぞ!」という心構えを作る前室となっているんですね。この回廊の天井も必見:

黄色い筋交いが非常に印象的です。この部分は内戦の際に爆撃により破壊されてしまった為、半分がジュジョールのオリジナル、もう半分がオリジナルに忠実に基づいて復元された部分となっています。そして目線の先には、ガウディが得意とした逆三角形の柱がチラチラと見え隠れしています:

この建築の改修の依頼はもともとガウディにきていたらしいのですが、サグラダファミリアに没頭していたガウディが、同郷(タラゴナ出身)の弟子(ジュジョール)に仕事を回した、、、という経緯があるそうです。そんなこんなで、ガウディの工房から独立したジュジョールが実質的に初めて手掛けた建築作品という位置付けでもあるんですね。また、ジュジョールは長らく「忘れられた建築家」だった為、この建築は後年(1950年代)映画館に改装され、その際に窓が塞がれたり、動線が不明になったりと、建築としては廃墟同然の状態にまでなってしまいました。

そんな中、近年のジュジョール建築への再評価が高まるにつれ、タラゴナ市役所が物件を購入し、修復・再建する方針を打ち出したこと、そしてもう一つ重要なファクターとして、この修復に携わったのが、スペインを代表する建築家の一人、ジョセップ・リナスだったことが挙げられます(地中海ブログ:オープンハウス in バルセロナ(48 OPEN HOUSE BCN)その1:ジョセップ・リナス(Josep Llinas)のInstitut de Microcirurgia Ocularに見る視覚コントロールの巧みさ)。

元々ジュジョールの大ファンだったリナスは、ジュジョールのオリジナル部分を丹念に調べ上げ、注意深く修復を施しました。いわばこの建築は、時代は違えどカタルーニャが生んだ代表的な建築家二人の協働作品というべきものにまで昇華された、そんな建築作品となっているのです。

追記: 地中海都市タラゴナは海産物が非常に充実していることで有名です。

特にパエリアやロブスターの雑炊(スープパエリア)、ムール貝などは絶品なので、もしタラゴナに行かれた方は是非試されてみる事をオススメします。

値段もバルセロナよりも安く、地中海を眺めながら非常にゆったりとした時間を過ごす事が出来ると思います。

| 建築 | 14:13 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
イグアラーダ(Igualada)にあるエンリック・ミラージェスの建築:イグアラーダの墓地

バルセロナから電車で2時間ほどの所にある小さな町、イグアラーダ(Igualada)に行ってきました。この町はカタルーニャが「スペインのマンチェスター」と言われていた19世紀末頃に繊維工業で栄え、町の至るところには当時の面影を残す工場跡地が幾つも顔を覗かせています(地中海ブログ:パン屋さんのパン窯は何故残っているのか?という問題は、もしかしたらバルセロナの旧工場跡地再生計画を通した都市再活性化と通ずる所があるのかも、とか思ったりして)。

その割に、歴史的中心地区は意外に小さく、幾つかのミュージアムを除いては特に見るものも無し。。。しかしですね、そんなコレといった観光資源もない町に、毎年海外から数多くの建築家達が押し寄せて来るという摩訶不思議な現象が起きているんですね。

何故ならこの町にはカタルーニャが生んだ今世紀を代表する建築家、エンリック・ミラージェスの傑作の一つ、イグアラーダの墓地があるからです。

実は、、、バルセロナに来た当初、エンリック・ミラージャスの建築にはさっぱり興味がありませんでした。勿論、El Croquisなどを通して知ってはいたのですが、なんかクネクネしてるだけだし、「ほ、本当にこれが良い建築なのか?」とかなり疑心暗鬼だったんですね。

そんな僕の疑念を一気に吹き飛ばしてくれた建築こそ、今回訪れたイグアラーダのお墓だったのです。いま思えば当時の僕は、「建築とは何か、社会文化とは何か、建築家とはその社会にとってどういう存在なのか?」といったことが、これっぽっちも分かっていない若造でした。というか、そんなことを考える=「建築をその地域の社会文化の中で考える」というアイデアすら思い付かないほど、何も知らなかったのです。

←スペインの格言で「無知とは最大のアドバンテージだ(Ia ignorancia es una gran ventaja)」というのがありますが、正にそれにピッタリだったと思います。

そんな僕に、建築と社会の繋がりの大切さを教えてくれたのが、エンリック・ミラージェスの建築であり、Oportoを拠点とする建築家、アルヴァロ・シザだったんですね。

いまから15年前、当初はソウト・デ・モウラの建築に興味があって訪れたポルトガルだったのですが(地中海ブログ:エドゥアルド・ソウト・デ・モウラの建築:ポウザーダ・サンタ・マリア・ド・ボウロその2:必要なくなった建築を壊すのではなく、修復してもう一度蘇らせるという選択肢)、「時間が余ってしまった」という消極的な理由から偶々見に行った美術館が素晴らしすぎて、その3日後には「シザの建築をどうしても理解したい」と思うようになり、即決で1年弱Oportoに住み込むことにしちゃいました。

←若い時だからこそ出来たムチャです(笑)。

←その当時は時間は腐るほどあったし、何よりユーロ通貨が導入されたばかりの頃だったので生活費が尋常じゃ無いほど安かったのです(地中海ブログ:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)のインタビュー記事:シザ建築の特徴は一体何処からきたのか?)。

Oportoに住んでいる間、毎日の様にシザの建築を訪れたり、街のいたる所で行われる建築関連のイベントに参加したりと、「書籍からではなく体験から」、建築と社会文化、そしてその社会の中における建築家の役割ということを肌で学ぶ事が出来たのは本当に幸運だったという他ありません(地中海ブログ:アルヴァロ・シザの建築:セラルヴェス現代美術館:人間の想像力/創造力とは)。また日本では「詩的」と評されるデザインばかりが紹介されがちなのですが、ポルトガルというローカルな地域の中でグローバルな建築家がどう評価され、どう受け止められているのかという別の側面を垣間見ることが出来たのは、建築家としての僕のキャリアを形成する上で掛け替えのない財産となったと思います。

それ以来、書籍でしか見たことの無い建築や、自分が住んだことの無い地域の建築を深く語るのはやめることにしました。

建築は社会文化に深く入り込んだ存在であり、その社会文化の表象でもあるので、その建築がその社会の一体何を表しているのか、その文化にとってどんな意味があるのかを理解しないことには、その建築がそこに建っている意味が分からないと思うようになったからです。例えば僕は昔からジャン・ヌーベルの建築が良く分からなくて、結構色んなところで批判もしてきたのですが、「あの「ヌメーとした感覚」は、もしかしたらフランス文化のある側面を表しているのかもしれない、、、」といまはそう思うことが出来るようになりました(地中海ブログ:マドリッド旅行その2:ジャン・ヌーヴェルの建築:国立ソフィア王妃芸術センター)。

そんな僕の眼から見た時、エンリック・ミラージェスの建築は、バルセロナというこの地のもつパワー、ギラギラ照りつける太陽の下、陽気に溢れ返っているこの地の社会文化を的確に表象している、そう断言することが出来ます。彼が意図する・意図しないに関わらず、彼が創る建築はそんな側面を表象してしまう、そんな数少ない建築家の一人なんですね。そう、まさに:

「建築とは、その地域に住んでいる人達が心の中で思い描いていながらも、なかなか形に出来なかったもの、それを一撃のもとに表す行為である」(槇文彦)

注意

このお墓は工業地帯の一角(町の郊外)にあります。駅から歩いて45minくらい、タクシーなら10min程度ですが、人気(ひとけ)があまり無いところなので一人で行くのは絶対に避けましょう。

←スペイン在住16年で、危ない環境に足を踏み入れたら即座に危険センサーが鳴り響く僕ですら、正直ちょっと怖かったです。

←繰り返しますが、出来るだけ大人数で行くことをお勧めします。

さて、タクシーを降りてお墓に到着したら先ず我々を出迎えてくれるのがこの風景:

大自然の中にひっそりと佇むコンクリートの形態達、、、って感じかな。コールテン鋼で創られた軽快なオブジェが、青い空と緑にマッチしています。ダイナミックな形態をしたこのオブジェはミラージェスの十八番。

カタルーニャ内陸部にミラージェス事務所がデザインした小さな図書館があるのですが、その建築に流れる物語のクライマックスに変形可動テーブルを持ってきていることは以前のエントリで詳しく書いた通りです(地中海ブログ:エンリック・ミラージェスとベネデッタ・タリアブーエのパラフォイス図書館:空と大地の狭間にある図書館)。ちなみにスカルパもクエリーニ・スタンパリアで壺による大変特殊な空間体験を持ってきていましたし(地中海ブログ:カルロ・スカルパの建築その2:クエリーニ・スタンパリア:空間の建築家カルロ・スカルパ:ものすごいものを見てしまった)、カステル・ヴェッキオでは、各展示室に置かれた家具が、空間の質を左右する重要な要素として考えられていました(地中海ブログ:カルロ・スカルパの建築その3:カステルヴェッキオ:空間の建築家カルロ・スカルパ:ものすごいものを見てしまったパート2)。

そんなことを思いつつ、いよいよ中へと入っていきます。

これが典型的なヨーロッパのお墓です。我々日本人にとっては非常に印象的な風景だと思います。そう、ヨーロッパのお墓というのは、こんな感じで高層マンションの様になっているんですね。

どうしてこうなっているのかというと、日本では火葬が一般的なのですが、ヨーロッパでは土葬が主流だからです。つまりはそれだけスペースが必要になってくる為、高層化しないと土地が幾らあっても足りなくなってしまうからです。特にカトリック信仰が根強く残っているスペインにおいては、基本的にみんな土葬だったりするんですね。

←なんでかって、カトリックでは「死んだら復活して天国へ行ける」と信じているので、体を焼いちゃったら復活出来ないからです。

←火葬の日本では、死んだ直後に焼いちゃうから、死人はその時点で時間が止まる為、日本の幽霊(お化け)はいつも五体満足で出てきます。

←逆にヨーロッパのお化けは基本的にゾンビです。ヨーロッパでは土の中に体が残っている為、死んでからも時間が経過するので(つまりは腐敗が進む為)、五体満足の状態では出てこれないのです。

埋葬の仕方なのですが、基本的に上の写真の穴一つ分が1家族の埋葬スペースになります。で、この高層マンションタイプが一般庶民用なんだけど、お金持ちのお墓っていうのがコチラ:

ゆったりスペースタイプ(笑)。正に「地獄の沙汰も金次第、、、」と言った感じでしょうか。ちなみに下のお墓はバルセロナ市内にあるイルデフォンソ・セルダのお墓です:

バルセロナの新市街地を創った彼のお墓らしく、セルダブロックがデザインされたオシャレな創り(笑)。また律儀にも、現在の過密状態ではなく、彼が理想とした低密度バージョンになってるww

さて、この建築の最初の見所がコチラかなと思います:

エントランス向かって右手側が斜めに大きくせり出し、その力を受けて少し押されるかのように反対側の形状が凹んでいるんですね。これはコルビジェの影響だと思われますが、ミラージェスのもう一つの傑作、バラニャ市民会館がコルビジェの影響を強く受けていることは以前のエントリで書いた通りです(地中海ブログ:エンリック・ミラージェスの建築:バラニャ市民会館:内部空間編)。

ただ、形態的には確かにコルビジェなんだけど、この強いせり出しによる空間構成とここに流れる空気は、アルヴァロ・シザの教会の膨らみに似ている気がします(地中海ブログ:アルヴァロ・シザの建築:マルコ・デ・カナヴェーゼス教会の知られざる地下空間:真っ白な空間と真っ黒な空間)。

1つのユニットとしての箱(1人用のお墓)がこれだけ沢山並んでいると、それだけである種のリズムを創り出していて爽快です。つまりは同じものを反復することによる美、、、という手法ですね。、、、ここで思い出されるのがミース・パビリオンなのですが、実は僕、バルセロナに来たばかりの頃、バルセロナ・パビリオンの良さがさっぱり理解出来なくて、一ヶ月くらい毎日通い続けたことがありました。

←あまりにも毎日来るものだから、係員のお兄さんが不思議がって、「お前は一体誰だ?」みたいな話になり(笑)、それが縁でミース財団と知り合いになり、一年後にミース財団奨学生にしてもらうことが出来たっていう、嘘のような本当の話(笑)。

その当時は時間だけはあったものだから、本当に毎日通ってて、で、一ヶ月くらい経ったある日、ふと気が付いたのです。

「大判で同じサイズのトラバーチンがあれだけ丁寧に、しかも毅然と並んでいる風景は結構美しいかもしれない、、、」と。

ちなみに僕は奨学生という立場を利用して、バルセロナ・パビリオンの地下に入ったことがあります。

←バルセロナ・パビリオンの再建を請け負ったイグナシ・デ・ソラ・モラレスによると、オリジナルと複製で唯一違うのが「地下空間があるかどうか、、、」という点だそうです(地中海ブログ:バルセロナパビリオン:アントニ・ムンタダスのインスタレーションその1)。

←もう一つちなみに、今年(2016年)はミース・パビリオン再建30周年記念だった関係で様々なイベントが行われていたんだけど、再建当時、このパビリオンの大理石を探す為に世界中を駆けずり回っていた石職人のおじいちゃんのインタビュー記事が地元の新聞に載っていました。

こういう記事が新聞の見開きに大々的に載ること自体、市民全体に「建築」が浸透していることの証でもあると思います。

さて、この建築の構成なのですが、左手には先ほどみたお墓が一直線に並んでいるのに対して、その力を受ける反対側のお墓は、あたかもその静寂さを崩すかのような構成をしているのが分かるかと思います:

3つに区切られたブロック、その真ん中の部分だけを敢えて引っ込ませることによって、画一的になりがちな形態に動きを与えることに成功しているんですね。更にその引っ込んだ部分は、左手側の形態に対応している為、二つの形状の間に連続感すらも獲得しているというオマケ付き。この辺は非常に上手いと思います。

また、この引っ込みによって出来た空間(膨らみ)が、クライマック的空間に到達する一つ手前のクッションとして働き、人の流れに対する「溜まり」を請け負っていることも分かります。そこを抜けると広がっているのがこちら:

じゃーん!大変気持ちの良い、円形広場です。注目すべきはここかな:

空を切り取っていた直線がその端部においてどう終わっているか、、、という点です。そう、建築のデザインにおいて大事なことは、直線そのものではなく、その直線が他の直線とどう交わっているのか、はたまたその直線がその端部でどう終わり、どのように空を切り取っているのか、、、ということなんですね。

それらのことが非常に良く分かる基礎デザインのオンパレード!ミラージェスの建築が輝いているのは、なにもそのグニャグニャ感だからなのではなくて、そのグニャグニャ感を支えている「ちょっとしたデザイン」、その基本をキチンと押さえているからこそ、彼のグニャグニャが活きてくるんですね。そういうデザインの基礎も何も無しにやっているのは、単なる形態遊びでしかありません。

さて、この位置から今辿ってきた道を振り返ってみます:

この位置から見ると明らかなんだけど、エントランス(入り口部分)が狭く、そこから奥に行くに従って末広がりの空間構成になっていることが分かるかと思います。そしてその空間を抜けると広がっているのがこの風景:

一番奥の部分に、人々が溜まることが出来る空間、一番広い空間を持ってきています。この丸い空間を上から見てみます:

床に埋め込まれた木々が非常に良いリズム感を醸し出しています。ここはこのお墓に来た人たちがゆったりと談笑する空間、祖先と向き合う空間として設えられているんですね。ちなみにこのお墓には2000年に急死したミラージェス自身のお墓もあったりするのですが、ミラージェスのお墓の壁には海外から引っ切り無しに訪れる建築ファンのコメントで溢れ返っていました:

それだけこの建築がここを訪れる人達の心を捉えたということだと思います。

一直線に並ぶお墓ブロックの真ん中には上階へと向かう階段が設えられています。

更にもう一段。登りきった所に展開しているのがコチラの風景:

計画されながらも10年以上も放置されている教会堂です。「あー、そうか、、、ここがこの建築のクライマック的空間として計画されたんだな、、、」と、ここまで来て初めて、この建築に流れる物語(ストーリー)の全貌が明らかになりました。

この教会堂には、三つのトップライトから光が存分に降り注ぎ、まるでその光を受け止めるかのように、大きな掌のような形態をした受容器がデザインされています。そしてその表面は意図的にザラザラの装飾が施されているんですね。

これはバロック建築がよくやる手法、真上からの光を受け止め、その光がどのように空間に拡散されていくかを視覚化する装置と一緒です(地中海ブログ:ルイス・カーンのフィリップ・エクセター・アカデミー図書館:もの凄いものを見てしまったパート3:「本を読むとはどういう事か?」と言う根源を考えさせられた空間体験、地中海ブログ:プロヴァンス旅行その5:ル・トロネ修道院の回廊に見る光について)。

この建築を訪れることによって感じること、それは普通のお墓にありがちな辛気臭さだとか、悲壮感などではありません。そうではなく、この空間に溢れているのは喜びであり、楽しさであり、何より心弾む、そんな感覚なんですね。ミラージェスはこのお墓をデザインするにあたり、こんなことを言っています(10以上前に読んだ記事なので一言一句覚えている訳ではありませんが、こんな感じの趣旨だったと思う):

「お墓というのは、故人を悲しく想い偲ぶ場所なのではなく、故人と向き合い再会することによって、みんなで楽しむ場所なのだ」、、、と。

建築は表象文化です。そして建築とは、個人的な感情よりも集団的な価値観を、悲しみよりも喜びを表象するのに大変適した芸術形式です。

このお墓には、この地に生まれ育ちながらも死んでいった人達と再会する喜び、そんな感覚で満ち溢れています。そしてそれこそが、このカタルーニャ、ひいてはスペインという地の社会文化であり、そのことを一撃の元に表しているのがミラージェスという稀代の建築家がデザインした建築だったりするのです。

| 建築 | 01:22 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
第1回神戸―バルセロナ国際ワークショップ終了〜

615日から17日に掛けてバルセロナ市内にある世界遺産、サンパウ病院(カサ・アジア)にて行われた第1回神戸バルセロナ国際ワークショップが無事終了しました!

総勢40名を超える方々を日本からバルセロナにお招きし、バルセロナのオープンデータ戦略や都市戦略といった話を「書籍から」ではなく、現場の担当者から直接聞いてもらうことによって、バルセロナの考えていることを「体験として直に感じてもらおう」と企画した今回のワークショップ、「非常に勉強になった」、「とっても楽しかった」、「来年もまた来たいと思います」など、企画者としては大変嬉しい反応が数多く届いています。

反対に日本の皆さんのプレゼンを見たスペイン人達からは、「我々とは全く違うアプローチで非常に興味深い」、「神戸市ではどんなデータをオープンにしてるの?」、「日本のデータ・ビジュアリゼーションを扱っている企業(スタートアップなど)の状況をもっとよく知りたい」など、多様で活発なコメントが届いていたりするんですね。

こうしたスペイン側から届いている膨大な数にのぼるコメントを全て紹介する時間もなければスペースもないので、ここではワークショップが行われた期間中に特に印象に残った場面を紹介して、日本のみなさんへのご報告に変えたいと思います。

僕にとって非常に印象的だったのが、ワークショップ2日目の午後、バルセロナ市役所代表として登壇してくれたメルセさんが、聴衆からの質問に回答をしてくれた場面でした:

 

質問者(聴衆):「なぜバルセロナ市役所はこれほどまでにオープンデータに力を入れているのですか?」

メルセさん(バルセロナ市役所):「オープンデータはもともと市民の皆さんの物だったデータを返すことだと考えています(El concepto de Opendata del Ayuntamiento de Barcelona es devolver a los ciudadanos los datos que en principio eran suyos.)」

あの場にいた総勢100名近くの皆さんがあの瞬間に何を考え、何を感じたのか、それは僕には分かりません。たぶん、あの場に居た多くの皆さんにとって、メルセさんが不意に発したこの言葉は何気ない一言であり、2日間の間に聞いた数多くのコメントの一つに過ぎなかったのでは、、、と推察するんですね。

しかしですね、この言葉は僕にとって、今後都市に対峙していく上で非常に重みのある言葉となり、都市におけるオープンデータを考える上で最も心に響いた言葉となりました。

……ここ数年、「都市のデータをオープンにする」というアイデア=都市のオープンデータ化について、「建築家という立場から」色んな可能性を考え続けてきました(地中海ブログ:バルセロナ・オープンハウス2013:その地域に建つ建築(情報)をオープンにしていくということ、地中海ブログ:観光MICEとオープンデータ:2020に向けて、バルセロナの失敗の学ぶ、データ活用による都市観光の未来)。

その一方で、「都市データのオープン化」を考えれば考えるほど、「都市のデータをオープンするのはいいんだけど、それは一体何のためにやるんだろう?」という根本的なところで自問自答を繰り返しながらも、あまりスッキリとしない状況が続いていたんですね。

今回のワークショップ、そして様々なことを感じながらも聴くことが出来たメルセさんの言葉は、なにか僕の中でうやむやになっていた「オープンデータの意義、目的」みたいなことを整理する上での「キーストーン(鍵)」のような気がしてなりません。

この言葉が聞けただけでも、「今回のワークショップを企画してよかった」と、そう思えるほど、僕にとっては価値のある言葉だったと思います。

そしてもう一つ、これはかなり個人的な感想になってしまうのですが、初日のワークショップで登壇してくれたフランセスク・ムニョスさんと、今回のワークショップを通して再び意気投合出来たことは、僕にとって「非常に嬉しい誤算」だったかな。。。

当ブログでは度々触れてきたんだけど、実は彼は僕がバルセロナに来た15年ほど前(こちらでマスターコースで学んでいた時に)一緒に机を並べて学んだ仲だったりするんですね。というのも、彼の博士論文の指導教官がイグナシ・デ・ソラ=モラレスだったからなんです(地中海ブログ:イグナシ・デ・ソラ・モラレス( Ignasi de Sola-Morales)とテラン・ヴァーグ(terrain vague)。

そんな彼も、もう押しも押されぬヨーロッパを代表する地理学者になってしまい、お互い超多忙という理由から、同じ都市に住んでいながらも、ここ数年は音信不通、、、という状況が続いていました。

今でもハッキリと覚えてるんだけど、当時の彼は非常に野心家&戦略家で、アンダルシアから大都市バルセロナに「留学」に来ていた彼の目的はマニュエル・カステルへの弟子入りでした(地中海ブログ:グスタボ・ジリ社( La Editorial Gustavo Gili)Francesc Munoz: UrBANALizacion: paisajes comunes, lugares globales)。故に彼の修士論文はドゥルーズ&ガタリをネットワーク理論から読み解く、、、みたいな離れ業を見せたりしてたんだけど(笑)、その才能にいち早く気が付いたイグナシが彼を囲い込んだという訳なのです。フランセスクさんにとっては、グローバルシティで頭角を表しつつあったサスキア・サッセンや(地中海ブログ:サスキア・サッセンと世間話で盛り上がったディナー、地中海ブログ:サスキア・サッセン(Saskia Sassen)のインタビュー記事:グローバルシティというアイデアは何処から来たのか?)、当時はほぼ無名だったシャロン・ズーキンなんかを次々とバルセロナに連れてきていたイグナシの吸引力は非常に魅力的に映ったんだと思います。

そんなフランセスクさんとは毎晩の様に飲みに行っては、ヨーロッパの状況や彼自身の人生戦略など、かなりの時間を一緒に過ごしてですね、、、いま思えば、その時期というのは僕の人生にとって非常にエキサイティングな時期であり、人生に置ける戦略、どのように自己ブランディングをしていくかという点において、そのほとんどを彼と過ごした日々から学んだと言っても過言ではなかったりするのです。

今回のワークショップを通して、そんな彼とまた連絡を取り合うことが出来た上に、日本とバルセロナ、両都市で具体的なプロジェクトが展開出来そうな予感がして、久々に心踊る時間を過ごすことが出来ました。

←ワークショップが終了した翌週、彼の住むグラシア地区にて神戸市役所の長井さんと共にインタビューをした時の写真。

←彼のやってるプロジェクトもグラシア地区で実験してるって言ってたし、なんだかんだいって、グラシア地区ってやっぱり革新的だなー(地中海ブログ:グラシア地区祭り:バルセロナの歩行者空間プロジェクトの責任者だったけど、何か質問ある?)。

 

バルセロナ市役所のメルセさんのコメントや、旧友フランセスクさんとの再会など、これらは全て「僕の個人的な体験」なんだけど、今回のワークショップの期間中、参加者一人一人の皆さんにとって、このような「ふとした出会い」、「何気ない気付き」が沢山あったことだろうと思います。

その様な「気付き」はもしかしたら、スペイン人登壇者の何気ない一言だったかもしれないし、視察で訪れた先で案内してくれた担当者の言葉だったのかもしれません。はたまた、真っ青な地中海を背にしながら食べた巨大なパエリアに圧倒された人もいるだろうし、日本では滅多にお目に掛かれないマテ貝の美味しさに心奪われた人もいることだろうと思います。

同じ場面に直面しながらも、そこで感じたこと、考えたことは一人一人全く違うはずです。とかく日本人は右向け右とばかりに、こういう場面に直面したら、こう考えなければならない、こう感じなければならない、、、と思いがちです。

しかしですね、我々の社会にたった一つの正解なんてありません。

我々の世界は多様です。色んな考え方をする人がいて、自分とは全く違う角度から社会を見ている。そんな多様な人達がいるからこそ、僕達の社会は輝いているのだし、世界は面白いのです。

そしてそのような多様性を担っているカケラの一つ、我々の世界に輝きを付け加えている社会がここ地中海にもまた一つ存在し、今回聞くことが出来た様々な意見や表現などは、それら全く違う考え方をする社会文化的背景から出てきたものなのだ、、、とそんな事を今回のワークショップを通して感じてもらう事が出来れば、企画者としてこれほど嬉しいことはありません。

今回のワークショップは日本、スペイン、両方の国々から本当に沢山の方々に助けてもらいながら進めることが出来ました。彼らの助けがなかったら、絶対に実現することが出来ませんでした。

今回のワークショップに参加してくれた皆さん、裏方で色々と動いてくれた企画側の皆さん、現地で色々と助けてくれた皆さん、本当にありがとうございました!

また来年会いましょう〜。

 

上記の写真は全て:by Iwao KOBAYASHIです。

| - | 02:07 | comments(1) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)の建築:バラニャ市民会館(Centro Civico de Hostalets de Balenya):内部空間編
昨日6月21日、バルセロナが生んだ20世紀を代表する建築家、エンリック・ミラージェス氏を記念するエンリック・ミラージェス財団(Fundacio Enric Miralles)の創設オープニングパーティーが行われました。



今回の財団創設そしてオープニングパーティーについては僕の所にも数日前から「お知らせ」みたいなものが届いてたんだけど、昨日は夕方から夜に掛けてどうしても外せない用事が入っていた為に泣く泣く断念する事に。夜20時から始まったセレモニーにはスペイン建築界の重鎮、ラファエロ・モネオ氏やオリオル・ボイーガス氏、はたまたハーバード大学建築学部からMohsen Mostafavi氏が駆け付けたりと、かなり盛大に行われた模様です。



建築家エンリック・ミラージェス氏については今更改めて紹介するまでもないとは思うんだけど、その圧倒的なデザイン力、空間力そして独特の造形性で一躍世界の建築シーンに躍り出たかと思いきや、45歳という若さで急死。奇しくも2000年という新しい世紀が幕を開けた、正にその年に突然他界してしまったんですね。



何度でも言いますが、今世紀初頭にバルセロナは偉大な建築家を2人、しかもほぼ同時に失ってしまいました。一人は実践面からグングンと頭角を現し、正に飛ぶ鳥をも落とす勢いだったエンリック・ミラージェス氏。そしてもう一人はヨーロッパを代表する建築史家であり理論家でもあったイグナシ・デ・ソラ・モラレス氏です。



「テラン・ヴァーグ」などのキーワードで知られているヨーロッパの知の巨人、イグナシ・デ・ソラ・モラレス氏については当ブログでは事ある毎に言及してきました(地中海ブログ:イグナシ・デ・ソラ・モラレス( Ignasi de Sola-Morales)とテラン・ヴァーグ(terrain vague))。日本においては、磯崎さんやピーター・アイゼンマンなどと一緒にコーディネートしていた「Any会議」という名前と共に知られているかなと思われます。何を隠そう彼こそ僕がヨーロッパに来る事になった直接のキッカケであり、僕は彼が創設したマスターコースに学んだ最後の世代だという事は繰り返し書いてきた通りです。(スペインのマスターコースの光と闇についてはコチラ:地中海ブログ:バルセロナに出来た新しい建築学校その2:Barcelona Institute of Architecture:バルセロナ建築スクールの諸問題)。

歴史に「もし」は無いけれど、もしも今、イグナシとミラージェスが生きていたならば、世界の建築潮流の中心地の一つは間違い無くバルセロナになっていた事でしょうね。



さて、前置きが長くなっちゃったんだけど、エンリック・ミラージェスという建築家は、アルヴァロ・シザと同様に、僕が現在において最大限評価する建築家の一人である事などから、昨日のオープニングには是非とも駆け付けたかったんだけど、上述した様にそれは無理な事が前々から分かっていたので、昨日は一人で勝手に彼の財団創設を祝う為、午前中の予定を全て開け、バルセロナから電車で1時間程の所にあるバラニャ市民会館(Centro Civico de Hostalets de Balenya)を訪れてきました。



ここに来るのは今回で3回目。一回目は2002年、未だ僕がバルセロナへ来て間もない頃の事。2回目は2008年、そして今回が3回目の訪問と言う訳です。実は昨日の帰り際、受付の人に「良かったら記帳ブックにコメント書いてってくれませんか?」って言われたのでそれをパラパラと見ていたら、何と2002年と2008年に訪れた時の僕のコメントが残っていてかなりビックリ!しかも久しぶりに自分の直筆を見たんだけど、これが酷いのなんのって(笑)。あ、あれ、一応僕、小学校くらいから毎週書道に通ってて、7−8段くらいの腕前だった様な気がするんだけど‥‥気のせいか?(苦笑)。

まあ、それは置いといて、それよりも何よりも、僕が圧倒的に驚いたのは、この建築の竣工(1992年)から現在に至るまでココを訪れてコメントを残していった日本人の数の少なさです。今まで約20年間にココを訪れた日本人は僕以外ではたったの1人!しかもその人は2002年に僕が一緒に連れて来た友人じゃないですかー!まあ、勿論この建築を訪れてコメントを残さず帰る人も多いとは思うので、今までにココに来た日本人が僕一人だけだとは決して言いませんが、確率的に見てもこの数字はちょっと少ないんじゃないのかな?



かの二川幸雄さんが25年程前にバルセロナを訪れられた際、未だ世界的には無名だったミラージェスのこの建設現場を訪問され、鉄骨だけが組み上がった状態を見て、「これは凄い建築だ!」と歓喜されたという伝説付きの作品なんですけどね。

多分日本人の皆さんの足が遠のいているのは、バルセロナからはちょっと遠いと言う事、更に「どうやって行ったら良いのか良く分からない」という点だと思います。この建築へのアクセスの仕方については以前のエントリで詳しく書いた通りです(地中海ブログ:エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)の建築その1:バラニャ市民会館(Centro Civico de Hostalets de Balenya):行き方)。上のエントリに載せてある情報は4年前のものなので今回最新情報をアップしようと思い、逐一確認しながら電車に乗ったり歩いたりしてきたのですが、基本的に殆ど変わってませんでした。変わっていた事と言えば、電車の本数が少しだけ増えていた事、そしてこの建築を訪れる事が出来る開館時間が月曜から金曜の午前9時から14時まで、午後は月曜日の17時から19時までとなっていた事くらいでしょうか(2012年6月21日現在)。その辺の事については上述のエントリの追記に随時アップしていきたいと思っています。



さて、僕がミラージェスの建築を評価する理由は幾つかあります。空間的なデザイン力や造形力は勿論なんだけど、それ以上に僕が彼の建築を素晴らしいと思う理由、それは彼の建築がスペインという国の社会文化を表象していると思うからなんですね。



建築は表象文化です。その建築が建つ土地に住んでいる人々や社会、そこから生まれ出た文化や価値観を一撃の下に表象する行為、我々はそれを建築と呼んできたのです。もっと言っちゃうと、建築とは個人的な感情よりも集団的な価値観を、悲しみよりも喜びを表象するのに大変適した芸術形式だと思います。槙文彦さんはその事をこんな風に表現されています:

「建築というのはその時代に生きた人々が潜在下で感じていながらもナカナカ形に出来なかったものを一撃の下に表す行為である」

僕がアルヴァロ・シザの建築を評価する理由も全く同じで、彼の建築が素晴らしいのは、空間的な質、デザイン的な処理の上手さに加えて、彼の建築がポルトガルという国の社会文化を表象している所にあるんですね。



そう、あの真っ白でノビノビとした建築は、時間が非常にゆっくりと進み、大変のんびりとしたポルトガルという国を表象しているかの様なのです。僕はこの事を理解するまでに1年弱という歳月を要しました。



その間、実際にポルトガルに住み、ポルトガル人と同じ生活をし、彼らと同じ言葉をしゃべり、毎日の様にシザの建築を見に行く事で漸く(少しだけ)理解する事が出来た建築と社会文化の関係性です。ポルトという地の社会文化に親しみ、実際に生活したからこそ、その地における人々の生き方、その地では子供から大人まで誰でもアルヴァロ・シザという建築家の事を知っていて、「シザという人はポルトでは自分達の街のシンボルを創ってくれるヒーローなのだ」という人々の思いを発見し、正にその事を通して本来の建築家の姿というものを垣間みる事が出来たんですね(地中海ブログ:アルヴァロ・シザのインタビュー記事:シザ建築の特徴は一体何処から来たのか?)。



ミラージェスの建築にも全く同じ事が言えて、彼の建築はスペインという地に住む人々の底抜けない活力やエネルギー、失業率が50%を超えても決してへこたれない明るさ、ひいては「国が潰れるか潰れないか?」という瀬戸際でさえも「私はサッカーを見に行く」と、ポーランドへと旅立って行ったラホイ首相の楽観性なんかを、正に一撃の下に表していると思う訳ですよ!(地中海ブログ:ルーブル美術館の歩行者計画)。それはもしかしたら、毎朝のニュースでお天気お姉さんが、「今日は晴れです。明日も晴れ、明後日も晴れ、ずっと晴れです!」って言ってる、正にその事に見て取れるのかもしれません。フェルナンド・ブローデルなんかは地域の社会文化的特徴を決定している要因として天気の重要性を指摘してますしね。

 

ちなみに僕が毎朝見てるスペイン国営放送でお天気を伝えてくれるのがAna Belen Royちゃん。毎朝8時50分頃から始まるんだけど、この番組のメインキャスターはAna Ibanez Roldanちゃんで、9時から始まる「朝ご飯(Los Desayunos)」のメインキャスターはAna Pastorちゃん(地中海ブログ:スペインの美人すぎるニュースキャスターその2:アナ・パストール(Ana Pastor):現代スペイン最強の女子アナ)。つまりみんなAnaちゃん(笑)。だから毎朝どういう場面が展開されるかと言うと:

司会(Ana Ibanez)Ana(Belen)ちゃん、今日の天気はどうなっているのでしょうか?
お天気お姉さん(Ana Belen)よくぞ聞いてくれましたAna(Ibanez)ちゃん、日中は晴れ、気温は30度を超えると思います。さてAna(Pastor)ちゃん、この後9時からの番組の予告を伝えてください。
朝ご飯(Ana Pastor)おはようAna(Belen)ちゃん!今日の話題は緊縮財政についてです。

とか言うコントみたいな場面が毎朝繰り返される訳ですよ!(本当にどうでも良いスペインのマメ知識終わり)

さて、この建築に流れる造形的な物語と、そのデザインの方向性などについては以前のエントリで詳しく解説しました(地中海ブログ:エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)の建築その3:バラニャ市民会館(Centro Civico de Hostalets de Balenya)に見る建築の質:実際に建築を訪れる事の大切さ)。今回4年振りに訪れた感想は、以前のエントリで抱いた印象と大筋としては変わってないかな。外観のデザインについてのポイントだけ掻い摘んでおくと、先ずはコチラ:



ビシッと決まっているコチラからのパース。文句無くカッコイイ。ここにはロシアアヴァンギャルド、特にメルニコフからの影響が垣間見えるという事は以前のエントリで指摘した通りです(地中海ブログ:エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)の建築その2:バラニャ市民会館(Centro Civico de Hostalets de Balenya)に見る建築の質:社会文化の表象としての建築:ミラージェスの場合)。この部分を見ただけでもミラージェスの類希なる造形力が分かるというものなんだけど、どういう事かと言うと、下記の写真と比べて見るとその卓越振りが分かるかと思います:



大変印象的な鉄骨&屋根の線が3本平行に走っていますね。えっと、人間の目というのは地上から約150センチくらいの所に付いている為、ある一定方向から見るとパースが付いた様に見えて、本当は平行に走ってる線が傾いたり交わったりした結果、全く予想もしなかった造形が浮かび上がる事になります。その結果が上のパースな訳ですよ!こういう事がキチンと分かっていて、しかもキチンと形に出来ている建築家と言うのはそれ程多くは無いと思います。そしてもう一つのポイントがコチラ:



3つの線が重なり合い、それら各々の線が空を切り取ると同時に、螺旋を描く様に上昇感を創り出している場面です。この軒の終わり方の妙については、槙さんの東京体育館の重なり合う外郭線などを例に出して以前のエントリで解説した通りです。



そしてこの建築が神憑ってる点、それはこの様な大変トリッキーな外観が、非常にダイナミックに展開している内部空間からきているという点なんですね。つまり、内部に展開している空間が内側から膨らんできて、その膨らみが外観へと現れてきたかの様な、正にそんな内外部がピシッと一致した建築、それがこの建築を他の建築とは一味違うモノにしているという訳なんです。

実はですね、前々回来た時(2002年)は未だデジカメを持ってなくてマニュアルで写真を撮っていた為、そのデータが今は手元に無く、前回来た時(2008年)は運悪く展覧会の真っ最中でこの建築の一番の見所である天井のデザインが全く見えないという不運に見舞われてしまいました。と言う訳で今回は訪問前に電話で確認を入れた所、メインホールは特別何にも使ってないとの事。そんな訳でルンルン気分で体験してきた素晴らしい内部空間がコチラです:



大変ダイナミックに、恰も空間が上昇して行くかの様な、そんな「えも言われぬ空間」がココには存在しています。



す、素晴らしいの一言‥‥他に言葉が見当たりません‥‥。



どういう構造になっているかと言うと、一層分取られた直線が扇子を広げるかの様に段々とずれ込んでいく事によって上昇感を創り出しているという訳です。反対側から見てみます。先ずは一層部分から:



ほど良く押さえられた天井高。斜め方向に一直線に伸びた天井線が気持ち良い。そしてそこから歩を進めると2層目が姿を現してきます:



この線の交わり方!そして最後は3層目へ:





内側に倒れ込んできているガラスの壁がある事によって、この空間に「包み込む様な感じ」が醸し出されています。



もうお解りだと思いますが、3本の線に規定され生み出された螺旋の上昇空間は見事なまでに外側に膨れ上がり、それがそのまま外観となって現れている訳ですよ!



そして鋭い人なら、このミラージェスの空間にコルビジェとの類似性を見い出すかもしれません(地中海ブログ:パリ旅行その6:大小2つの螺旋状空間が展開する見事な住宅建築:サヴォワ邸(Villa Savoye, Le Corbusier)その1:全体の空間構成について)。コルビジェと空間シークエンスと言えばコロミーナであり、コロミーナはカタルーニャ工科大学でイグナシの下に学んでいた訳で、そこにはミラージェスも居て‥‥という話に展開していくんだけど、それは又今度。



それにしてもこの空間は本当に写真にとりずらい。と言うか、どれだけ写真に収めても、何枚ブロブに写真をアップしても、この空間の本質はナカナカ伝わらない気がする‥‥。そしてこの点こそがミラージェスの真意であり、この建築の本質なのかなー?と、そんな気がしてくるから不思議です。晩年ミラージェスはこんな事を言っていました:

「・・・これは、私の仕事の進め方のなかで、視覚は一番重要な事柄ではないという事実と関係があると思います。私のプロジェクトは単なる視覚以上のものに大きく依存しています。Studio Talk, 15人の建築家の物語、インタビュー二川由夫, P641

そう、これこそ我々が現地に行かねばならない理由であり、この建築が我々の五感を通してしか理解する事が出来ない類いのものになっている理由なのです。

この建築はバルセロナに来たら足を延ばしてでも絶対に見に行くべき作品の一つだと、僕にそう確信させる程の質を伴った傑作中の傑作だと思います。
| 建築 | 07:03 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
世界一美しい図書館:ポンペウ・ファブラ大学(Universitat Pompeu Fabra)図書館の一般立ち入り禁止エリアに入ってきた
所用でポンペウ・ファブラ大学のメインキャンパス(Ciutadella)へ行ってきました。



カタルーニャ州政府の強いバックアップにより設立されたポンペウ・ファブラ大学については今まで事ある毎に言及してきたんだけど、それらのエントリでは、経済学部やバイオ医療、もしくはテクノロジー分野といった、南ヨーロッパ随一のレベルを誇る各学部のプログラムや、その方針、はたまたバルセロナの都市戦略との関係性などに焦点を当てて書いてきたんですね(地中海ブログ:22@地域が生み出すシナジー:バルセロナ情報局(Institut Municipal d'Informatica (IMI))、バルセロナ・メディア財団(Fundacio Barcelona Media)とポンペウ・ファブラ大学(Universitat Pompeu Fabra)の新校舎、地中海ブログ: カタルーニャの打ち出した新しい都市戦略:バイオ医療( BioPol, BioRegio)、地中海ブログ:初音ミクに使われている技術って、メイド・イン・カタルーニャだったのか!って話)。

1990年に設立されたポンペウ・ファブラ大学のメインキャンパスが位置しているCiutadella Vila Olimpicaとは、日本語で「オリンピック村」を意味します。そう、このエリアは1992年のバルセロナオリンピックが開催された際に「選手村」として開発された地区であり、オリンピックが終わった暁にはそれら選手達が滞在していた集合住宅がソーシャルハウジングとして低価格で売り出され、住宅不足に悩んでいたバルセロナ市における新しい居住エリアに変換される事が決まっていたエリアだったのです。つまりこの大学はこの新しいエリアに求心性と魅力を付与する為に「戦略的に創り出された」、云わば、バルセロナの都市戦略上に載っている「戦略の賜物」と見る事が出来るんですね。



オリオル・ボイーガスが全体計画を行った選手村は、バルセロナの都市形態に多大なる影響を与えている、19世紀に創り出されたセルダブロックに沿った形で配置計画がされています。ポンペウ・ファブラ大学のメインキャンパスも実は同じ建築家(ボイーガス)により設計された事などから、このセルダブロックに沿う形で基本計画がされているのが一つの特徴となっているんだけど、それが顕著に見られるのがコチラです:



そう、この校舎、ど真ん中に大変印象的な中庭が「デーン」と取られ、この中庭こそが、このCiutadellaキャンパスに独特のアイデンティティを与えているんですね。



上の写真は現政権が最近打ち出した教育費削減政策に対して怒った学生達が、街中をデモ行進する前にこの空間に集まり、活発に打ち合わせをしている様子。「公共空間とは市民が集まって討議し、権力に対して行動を起こす場所であり、その急先鋒は何時の時代も学生なんだなー」という事を思い出させてくれる、正にそんな光景です。

さて、ではこの中庭のアイデアは一体何処から来たのか?と言うとですね、それが上述したセルダブロックなんだけど、バルセロナを上空から見るとその状況が良く分かるかと思います:



各ブロックの真ん中には大きな大きな中庭が取られ、その中庭がそこに住む住民達専用の憩いの場として利用されていたり、それらの中庭を一般市民にも開放しようというコンセプトから、バルセロナ市役所がセルダブロック中庭開放計画を実施していたりするという事は以前のエントリで書いた通りです(地中海ブログ:出版界の大手、グスタボ・ジリ(Editorial Gustavo Gili)社屋のオープンハウスその2:カタルーニャにおける近代建築の傑作)。



で、ですね、ここからが今日の本題なんだけど、実はこのポンペウ・ファブラ大学のメインキャンパス、(普通の大学と同様に)専用の大学図書館を持っているのですが、この図書館が凄いんです!僕は職業柄、ヨーロッパ中を飛び回り、行った先々で色々な建築を見てるんだけど、そんな僕の目から見ても、「これほど美しい図書館には滅多にお目に掛かれるものじゃ無いのでは?」と思う程の質なんですよ!その一方で、この大変美しい図書館の存在は地元カタラン人達の間でもそれほど知られているとは言えません。

何故か?

何故ならこの図書館は特別なルートを通って行かなくてはならず、事前情報無しで見つけ出す事は非常に困難だからなんです。その概要については以前のエントリで何度か書いてきたのですが(地中海ブログ:ポンペウ・ファブラ大学図書館(Unversitat Pompeu Fabra))、「どうやって行ったらいいのですか?」等の質問を結構受け取るので、詳細な行き方などを改めて記しておこうと思います。

注意:この図書館は公立大学に属している為、誰でも訪れる事が出来ます。写真撮影も特に禁止されてはいませんが、その際は勉強している学生さん達の迷惑にならない様に心掛けましょう。結構みんな真剣に勉強しているので。

先ずはポンペウ・ファブラ大学へ来たら、地下一階にある図書館の入り口を入ります:



そこに広がっている風景はごく普通の大学図書館という感じなのですが、そこを突っ切って空間なりに奥へ奥へと歩いて行きます。



右折、左折を何度か繰り返したその突き当たりには上方へと向かう階段が現れるので、そこを上ります:



そこを上り切って少し歩くと、前方に「DIPOSIT DE LES AIGUES IUHJVV」と書かれた表示板とガラス扉が現れます。ちなみにDIPOSIT DE LES AIGUESとはカタラン語で貯水庫という意味‥‥そうなんです!世界一美しい図書館とは、実は昔の貯水庫を改修した図書館の事だったんですね!そんな世にも珍しい図書館の秘密の扉を入ると、そこに展開しているのがこの風景:



じゃーん、元貯水庫を改修したというだけあって、「これでもか!」というくらい高い天井と、その天井を足下でしっかりと支えている柱の対比が素晴らしい!



それらの柱は、まるで森の中に佇む大木の様であり、その木々の間に降り注ぐ光の粒子が、荒々しいレンガの表面に当たって、神々しく視覚化されているのを見る事が出来ます。この様な光の視覚化の手法は、バロック建築が細かい彫刻郡を天窓の下に配置し、繊細な彫刻の彫り込みによって出来る「光と影」で光の粒子を視覚化していたり(地中海ブログ:ベルニーニ(Bernini)の彫刻その3:サンタンドレア・アル・クィリナーレ教会(Sant'Andrea al Quirinale):彫刻と建築の見事なアンサンブル)、もしくはル・トロネの修道院が地元で採れる、表面がザラザラの粗い石によって達成していたりといった手法と大変似通っていますね(地中海ブログ:プロヴァンス旅行その5:ル・トロネ修道院(Abbaye du Thoronet)の回廊に見る光について)。 



で、ですね、この図書館、学生や一般の人達が入れるのは2階までとなってるんだけど、何を隠そう、許可された人しか入る事が許されない3階部分が存在するんですね。3階部分には貴重な図書や特別閲覧室などが配置されている為、それらの重要性を考えて、この階へのアクセスは厳しく制限されていると、そういう事らしい‥‥。ついこの間、サンティアゴ大聖堂から12世紀の写本が盗まれたばかりですしね(地中海ブログ:スペインの石川五右衛門こと、伝説的な大泥棒のインタビュー記事:サンティアゴ大聖堂から盗まれたカリクストゥス写本について)。かく言う僕も今まで一回も入った事が無かったんだけど、つい先日、偶々知り合いが行くというのでついて行ったら何と入る事が出来ちゃいました!これこそ本当にマンモス・ラッチー(笑)。多分、と言うか絶対本邦初公開のポンペウ・ファブラ大学図書館3階部分にはこんな風景が広がっています:



大空間を支えるアーチが連続する、非常に密度の高い空間の登場です。



この図書館の閲覧室の風景は、足下(一階部分)からは何度となく見てるんだけど、3階からの眺めには又違ったものがあります。



こちらは知る人ぞ知る、ヨーロッパ歴史界の重鎮、ジョセップ・フォンターナ氏の研究室(地中海ブログ:イグナシ・デ・ソラ・モラレス( Ignasi de Sola-Morales)とテラン・ヴァーグ(terrain vague))。おー、流石に一番良い場所に陣取ってらっしゃいますね。って言うか、彼だからこそ、こんな良い場所に居ても誰も文句言わないんだろうなー。そして今回どうしても見たかったのがコチラです:



天井の曲がり方と、そこに描かれた模様です。



この模様、下から見ている時は、「あー、なんか書いてあるなー」ぐらいにしか思わなかったんだけど、こうして真近で見ると、結構丁寧に描かれている事が分かります。 何が描かれているのかはサッパリ分からないけれど、元貯水庫だった事を考えると、貯めてある水を悪い細菌などから守る悪魔払いの魔除けとか、おまじないとか、そんな感じなのかなー?と言う気がしないでもないかな。そしてここから見える風景で見逃せないのがコチラです:



絶妙なカーブをした天井同士が重なり合う連続アーチの登場〜:



ここで見る事が出来る連続アーチ空間は一階からでは絶対に味わう事が出来ない、大変不思議な感覚を我々に与えてくれます。「この感覚、何処かで味わった事があったなー」とか思ってたら、この空間だった:



そう、ガウディ設計のサンタ・テレサ学院のパラボラ空間の質に非常に近いものを感じるんですね(地中海ブログ:オープンハウスその4:ガウディのパラボラ空間が堪能出来る、サンタ・テレサ学院(Collegi de les Teresianes))。良く知られている様に、ガウディのあの独特の造形は地元カタルーニャで育まれたカタラン・ボールトを基礎に発展していったモノなんだけど、ここの空間に身を置いていると、ガウディという希有な建築家が何故この地から生まれてきたのか?いや、この地だからこそ生まれる事が出来たんじゃないのか?という事を、書物からではなく、5感を通して味わう事が出来ます。それ程までに素晴らしい空間なんですよ!

最近は忙しくてナカナカゆっくりと建築を見て回る暇も無い日々が続いてるんだけど、久しぶりに質の高い空間に身を置き、大変心が満たされた時間を過ごす事が出来ました。
| 建築 | 00:01 | comments(4) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
(速報)マニュエル・デ・ソラ・モラレス(Manuel de Sola-Morales)氏が亡くなりました
バルセロナオリンピックを成功に導き、地元カタルーニャ工科大学に都市計画研究所を設立した立役者でありセルトの弟子でもあったマニュエル・デ・ソラ・モラレス氏が昨日バルセロナの自宅で亡くなりました。73歳でした。死因は奇しくも弟のイグナシ・デ・ソラ・モラレス氏と同じ、心臓発作だったそうです。

マニュエル氏とは個人的な面識はあまりなくて、何処かのカンファレンスで2−3回見かけた程度だったんだけど、やっぱり、イグナシ・デ・ソラ・モラレスを目指してヨーロッパにやってきた身としては、「イグナシのお兄ちゃん」という事で、勝手に親近感を抱いたりしていたんですね(イグナシについてはコチラ:地中海ブログ:イグナシ・デ・ソラ・モラレス( Ignasi de Sola-Morales)とテラン・ヴァーグ(terrain vague))。



ヨーロッパ建築界の重鎮だったマニュエル氏の都市を扱う巧みさについては、ラファエロ・モネオ氏と共にバルセロナにデザインしたショッピングセンター、L'illa Diagonalを見るだけでも、その片鱗は垣間見える様な気がします(地中海ブログ:L'illa Diagonal: ラファエル・モネオ(Rafael moneo)とマニュエル・デ・ソラ・モラレス(Manuel de Sola Morales))。ともすれば圧迫的になりがちな都市的スケールの建築が、セットバックやボリューム分散などを巧みに組み合わせる事によって、非常に見事な解決案が提示されているんですね。

‥‥先々週は美術界の巨匠、アントニ・タピエス氏の悲しいお知らせが届き、スペイン社会全体が深い悲しみで包まれた矢先、先週は何と、スペイン建築界を背負っていくはずだったMansilla & TunonのLuis Moreno Mansilla氏が53歳という若さで急死したばかりだったんですね。この様な状況は、今から丁度10年くらい前、ミラージェス、イグナシと、連続して21世紀の建築界をリードする筈だった人材を失ったバルセロナの状況に酷似しています。

‥‥歴史に「もし」は無いけれど、もし彼らが生きていたとしたら、間違いなく現在の建築界の中心の一つはバルセロナになっていた事だろうと思います。

まあ、僕達の社会というのは、こうやって先人達が築いてきた基礎の上に次の世代が少しづつ石を積み上げていく事によって前進していくという事は分かってはいるんだけど、それでもやっぱり寂しくなるなーという思いはナカナカ消えません。
 
ご冥福をお祈り致します。
| 建築 | 19:48 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
スペインを代表する知識人でありバルセロナ現代文化センター館長ジョセフ・ラモネーダ(Josep Ramoneda)氏解任に関する波紋
前回のエントリで書いた様に、今週月曜日までスペインは10日間の連休だったんだけど、その連休が終わったかと思ったら、早い所ではもう既に今日から2週間に渡るクリスマス休暇に入る仕事場もあったりするそうで‥‥ホントに何時働いてるんだ、スペイン人(苦笑)!そうでなくても来週土曜日は12月24日クリスマスイブという事で、来週が仕事納めとなる人が多いかと思われます。



そんな中、僕はと言うと、何だかんだと予定が入ってて、結局年末までは忙しい日々を送る事になるかなーとか思ってるんですけどね(悲)。そんな訳で今週はブログを更新する暇も無いくらいなんだけど、今日の新聞(La Vanguardia digital version, 15 de Diciembre 2011)にちょっと無視出来ない記事が載っていたので、これだけは急いで書いちゃおう。バルセロナひいてはヨーロッパ全土の知識人層を揺るがす程の衝撃的なニュース、それがコチラです:

「バルセロナの知識人達は、バルセロナ現代文化センター館長ジョセフ・ラモネーダ氏の今季限りでの解任に不満爆発の様子だ。現政権に送りつけた公開状にはこんな言葉が記されていた: 「バルセロナが生んだ偉大な哲学者、ジョセフ・ラモネーダ氏はバルセロナ現代文化センターを国際的に名の通った「文化の実験室」に押し上げた。彼なくしては、ここまでの躍進は有り得なかった。その事を忘れたとは言わせない」
 “Intelectuales censuran el cese de Ramoneda al frente del CCCB; En una carta abierta, recuerdan que el filosofo ha convertido el Centre de Cultura Contemporania en “laboratorio cultural de la innovacion” de prestigio internacional”

そうなんです、何と、バルセロナ現代文化センター創設者の一人であり、1994年の開館から現在まで17年もの間、バルセロナの文化を背負ってきた知の巨人、ジョセフ・ラモネーダ氏がバルセロナ現代文化センターを去らなければならないという公式なお達しが現政権から出てしまったんですね。この余りにも文化的な事情が分かっていない現政権(ちなみに現政権のCiUは今年初めて政権についた1年生政党であり、文化政策にはそれ程力を入れてない)の決定に対して、スペイン中の文化人達が反対していると、そういう訳なんです。



当ブログでは事ある毎にラモネーダ氏に触れてきたんだけど、というのも、現代スペインの社会文化状況、そして政治経済状況を語る上で彼の名は絶対に外せないからなんです。何を隠そう彼は元々哲学者なんだけど、その後、EL Pais紙、そしてLa Vangurdia紙でジャーナリストとして働いていたという事もあって、専門である哲学は勿論の事、政治経済、文学、建築、現代アート、更には最近の音楽までカバーしている無茶苦茶守備範囲が広い、知識人中の知識人。

そんなスペインの誇る知の巨人、ジョセフ・ラモネーダ氏と僕の出会いは大変唐突なものでした。

あれは忘れもしない今から10年程前の事、僕が初めてバルセロナの地を踏んだその翌日、バルセロナ現代文化センターで行われた、僕が当時通っていたマスターメトロポリス(地中海ブログ:イグナシ・デ・ソラ・モラレス(Ignasi de Sola Morales)とマスター・メトロポリス・プログラム(Master Metropolis))のオープニングの席で、本当なら挨拶をする筈だった故イグナシ・デ・ソラ・モラレス氏に代わり、壇上に上ったのがラモネーダ氏だったのです。

その当時は、勿論ラモネーダ氏がどんな人なのか何て全く知らず‥‥バルセロナ現代文化センターという施設が一体何をしている所なのか?という事さえ分からず‥‥勿論その数年後、その施設で働く事になろうなんて夢にも思いませんでしたけどね。



ちなみにそのオープニングの後に開催されたウェルカム・パーティーで、なに気に仲良くなってしまったのが、コテコテのカタラン人で美術評論家のミケルさん。何で仲良くなったかって、彼も僕も英語がそれ程得意じゃなかった事から、2人ともボディランゲージでなんとかコミュニケーションを取ろうとしてたら、「何となく気が合った」‥‥みたいな(笑)。結局彼は、スペイン語がさっぱり分からなかった僕に本当に親切にしてくれて、時々家とかにも招待してくれてたんだけど、「今度は仕事場に来い」とか言ってくれたので行ってみたら、何とそこはバルセロナ現代美術館の館長室だった!「えー、ミケルさん、あなた館長さんだったんですかー!」みたいな(笑)。とっても気の良いお爺ちゃんで、趣味かなんかで美術評論やってるとばっかり思ってたんだけどなー(笑)。

と、まあ、ラモネーダ氏、そしてバルセロナ現代文化センターというキーワードを見ていたら、そんな昔話を思い出しちゃったんだけど、では何故ラモネーダ氏はバルセロナ現代文化センターを去る事になったのか?

それはずばり、バルセロナの政権が変わったからです。その一点に尽きます。

スペイン民主化後、バルセロナ市では労働左派政権がヘゲモニーを敷いてきたんだけど、実は今年5月の選挙で、労働左派が右寄りのカタルーニャ地域主義政党に政権を奪われるという歴史的事件が勃発しました(地中海ブログ:スペイン統一地方選挙2011:バルセロナに革命起こる)。それに伴い市役所内は勿論の事、関連機関などのトップだけでなく、今まで各部署でリーダー的存在だった人、現場の事が良く分かってる技術の人なんかを「根こそぎ変えてしまう」というトンでもない事態があちこちで起こっているんですね。今回のラモネーダ氏の交代は、明らかにこの軸線上に載ったものです。

未だ後任の情報は(公式には)出てないんだけど、僕の周りの噂ではESADE(バルセロナのビジネススクール)内にある社会文化研究所のとある人物が就任するんじゃないかと見られています。

まあ、個人的な意見を言わせてもらえれば、誰が館長になっても同じかな。何故ならジョセフ・ラモネーダ氏の後を継ぐ事が出来る人なんて絶対にいないからです。これと全く同じ事が都市計画部門でも起こってるんだけど(地中海ブログ:バルセロナで国連関連のワークショップ始まる:バルセロナの忘れられた地区大発見!)、これでバルセロナの文化部門も数年間の停滞、失われた4年間になる事は必至ですね。
| バルセロナ都市 | 07:38 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
出版界の大手、グスタボ・ジリ(Editorial Gustavo Gili)社屋のオープンハウスその2:カタルーニャにおける近代建築の傑作
前回のエントリ、デザイン系出版社の老舗、グスタボ・ジリ(Editorial Gustavo Gili)社屋のオープンハウスその1:バルセロナってデザインのレベルが本当に高いと思うの続きです。

 「グスタボ・ジリ出版社」と言われてピンとこない人も、「GG出版」と言えば見た事がある人が多いのでは無いでしょうか?そう、グスタボ・ジリ出版とは、あの2Gシリーズを出してる出版社の事なんですね。古くは伊東豊雄さんの特集を、最近では藤本壮介さんや篠原一男さんの特集号を出したりしてて、日本でも認知度は高いと思います。ちなみに今日、同社のカタログを見てたら、藤本さんの2Gに「ベストセラー」とかいう印が付いてた。ヨーロッパで人気抜群なんですよね、藤本さん!

そんな、世界にその名を轟かすグスタボ・ジリ出版社なんだけど、その知名度の割りに、出版社屋の存在はあまり知られていないような気がします。これは何も「外国人に」って事だけではなくて、地元バルセロナ在住のカタラン人でさえ、その社屋を実際に見たって人は少ないんじゃないでしょうか?

それもその筈、実はこの社屋、街のど真ん中にあるにも拘らず、人目を忍ぶかの様に大変ひっそりと建っているからなんです。殆ど、一人隠れんぼ状態(笑)。そんな、知る人ぞ知る名建築が、社屋建立50周年を記念して3週間限定のオープンハウスを行うというニュースが飛び込んできたのが今月初め。これはGG社の長―い歴史の中でも始めての事であり、「このチャンスを逃す手は無い!」と言う事で、早速行って来たと言う訳なんです。



場所はバルセロナの新市街地の左寄り側、マドリッドから王様なんかがよく手術に来る公立病院と工業大学の直ぐ近くに位置する閑静な住宅街にあります。上の写真がグスタボ・ジリ社への入り口がある住宅街の正面ファサードなんだけど、言われなければ絶対に見落としてしまう程、ごく普通の住宅街の顔をしています。その一階部分にポッカリと開いた穴、ここがグスタボ・ジリ社への入り口となっているんですね。



「社屋こっち」みたいな矢印と、トレードマークであるGGという文字。さすがにデザイン関連の会社らしく美しくデザインされていますね。この矢印に導かれて進んで行くと現れるのがこの風景:



じゃーん、典型的なセルダブロックの中庭の使い方、四方を集合住宅に囲まれた、その大変静かな環境の中に50年前に建てられたとは思えない程状態の良い建築が佇んでいます(セルダブロックの中庭の新しい使い方についてはコチラ:地中海ブログ:エンサンチェ(Ensanche:新市街地)セルダブロック中庭開放計画その1: Jaridins de Montserrat Roig)。直ぐ前の道が車の騒音でうるさいのとは一転、中庭に入るだけでこれだけの静寂さが展開している点こそ、セルダブロックの中庭の使い方の大きな特徴となっていると思いますね。



外観を楽しんだ後はいよいよ中へと入っていくんだけど、内部へ一歩入ると、非常に天井高がある広々とした空間に、「これでもか!」と言う程、光が満たされた風景が現れます。入った直ぐの所にはGG社で出版されている書籍などが所狭しと並べられ、ガラスの敷居を挟んだ向こう側はオフィスとなっている風景が垣間見えます。今回はオープンハウス、そして創立60周年記念と言う事で、こんな記念品を貰っちゃいました:



GG社のカタログと、GGと言うロゴが入ったバック、そしてイグナシ・デ・ソラ・モラレスが10年前に書いて未出版だった、GG社屋に関する論文を本にしたもの(イグナシについてはコチラ:地中海ブログ:イグナシ・デ・ソラ・モラレス( Ignasi de Sola-Morales)とテラン・ヴァーグ(terrain vague))。「これだけ貰えただけでも、来た甲斐があったなー」と、そんな事を思いつつ、普段は公開されていない2階へと上っていきます:



吹き抜け空間が非常に気持ち良いですね。そして前面を思い切ってガラス面にする事によって、そこから命一杯の光が降り注いできています。それがこの空間をこれだけ気持ちの良いものにしている要因でもあるんだけど、注目すべきはこの天井:



Vの字をした非常にダイナミックな天井を実現しているんだけど、これはちょっと珍しい。と言うか、明らかにココにこの建築のエッセンスが詰まっている様な気がする。

建築家というのは、一つの建築に対して何かしらやりたい事、実現したいアイデアがあると思うんだけど、それが良く見える建築、その「かけがえの無いアイデア」が実現出来ている建築、そういう建築を僕は優れた建築だと感じます。もっと言っちゃうと、アイデアと言うのは何でもかんでも実現すればよいというものではなくて、一つの建築に「これだ!」って言う、その建築にしか出来ない「たった一つのアイデア」が空間に展開していれば、それは見るに値する建築になると思うんですね。それは歌舞伎のように毎回違う事をして観客を喜ばせる「これだ、これだ!」と自分を前面に押し出していくタイプの建築というよりは、能の様に毎回同じ事を繰り返すんだけど、細部がホンの少しだけ変えてある、前回とはちょっと違うという「差異化」によって自分を表現していく「静のデザイン」。そんなデザインを実現する為に全ての要素が絡み合い、それらが一つのうねりとなって物語を構成している建築。そんな建築に出会った時、僕は心の底から感動を覚えるのです。そういう観点から見ると、この建築において建築家がやりたかった事はタダ一つ、それは「この天井を実現したかった」という事でしょうね。そしてそれがきちんと実現されている・・・。



実は今回この建築を訪れるにあたって、現在バルセロナに滞在されている建築家であり左官職人でもある、森田一弥さんとご一緒させて頂いたんだけど、この天井を見ている時に彼が非常に面白い事を呟かれていました:

 「この天井、真ん中をVの字にする事によって、その両側を上に引っ張る吊り構造みたいになってますね」

な、なるほど!さすが構造方面から建築デザインの境地を切り開いている森田さん!見る所が違います!!

これはつまりどういう事かというとですね、真ん中に「でーん」と立ってる大木の様な鉄骨が上部で少し斜め上方向に向いている事によって、その上方向へと引っ張る力を利用して、右手側の大ガラス、そして左手側の連続水平窓を吊り上げ、それらの面に柱を入れる事無く、大変気持ちの良い無柱空間を実現していると言う事なんですね!なるほどねー。



実はこの様なアクロバッティブな構造を見たのは今回が初めてじゃなくって、去年マドリッドに行った時に見たエドゥワルド・トロハによる競馬場が正にこの様な構造になっていました。あの建築は極限まで薄く打たれたコンクリートと、極限まで迫り出したキャンチレバーで人々の心を虜にする建築になってるんだけど、それを可能にしたものこそ、人間の知恵と創造力の限界にまで挑戦した末に生み出された「吊り構造」だった訳ですよ(地中海ブログ:エドゥアルド・トロハ(Eduardo Torroja)の傑作、サルスエラ競馬場)。実はその時も、あの信じられない構造が成り立っている理由を教えてくれたのは森田さんでした。彼は自身のブログでこんな風に書かれています:

 「‥‥ 今まで写真で見ていたときは、屋根のシルエットだけに注目してみていたのですが、よく見ると屋根の裏側の鋼管で屋根の先を支えながら、同時に入り口部分を 吊り上げているのです。このおかげで競技場の下のエントランス部分にも荷重を支える柱が現れず、開放感のある気持ちのいい空間になっています。」(そうだ、トロハ、行こう@マドリード、建築家+左官職人 森田一弥の写真日記)

このトロハの建築は、これ程の傑作にも拘らず、その存在はナカナカ知られていません。でもマドリッドに行ったら絶対に見るべき建築の一つに数えられる事は確かだと思います。

さて、今回の建築の素晴らしい天井の周りに展開している他の場所にも注目してみると、例えばこんなのがありました:



社屋と隣の建物の間に設けられた小さな庭園。都会のオアシスっぽくて、非常に気持ちの良い空間ですね。これを見つつ、先程の吹き抜け空間に戻ります。やはりこの空間は秀逸だなー。この光と影のバランス、近代的なアイデアが一杯詰まり、その時代の息吹が感じられる、正にそんな空間となっています。

この建築が建てられたのが1954-1960年。トロハの競馬場が1935年。そしてその時代にはトロハだけではなくて、メキシコに亡命したキャンデラなど、正にスペイン建築が構造的な観点からデザインの新境地を開いていった時代に重なっているんですね。そこには勿論、前時代にカタランボールと言うレンガ造を用いつつも次々と革新的なデザインを展開していったガウディの存在がある事は言うまでもありません(地中海ブログ:アントニ・ガウディ(Antoni Gaudi)の建築:コロニア・グエル(Colonia Guell)その2:コロニア・グエルの形態と逆さ吊り構造模型)。それらの様な流れが何故スペインから出てきて、何故その時代に集中し、何がそれらを可能にしたのか?この辺を探っていくと、又、新しいスペイン建築史が開けてくるかもしれませんね。
| 建築 | 07:20 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
オープンハウス in バルセロナ(48 OPEN HOUSE BCN)その3:ホセ・ルイ・セルト(Josep Lluis Sert)のパリ万博スペイン共和国館
オープンハウス2日目の午後は1937年のパリ万博の為にホセ・ルイ・セルトがデザインしたスペイン共和国館に行ってきました。

この建物は、
1936年から1939年にかけて行われていたスペイン市民戦争中にパリに移り住んでいたセルトによってデザインされたのですが、この建築が建てられた経緯やコンセプト、そしてその実現過程を追っていくと、今までは全く知られていなかったホセ・ルイ・セルトと言う建築家の別の側面が見えてくる様で興味が尽き無いんですね。

セルトはこの建物のデザインや展示物を通して「あるメッセージ」を国際社会に投げかけたかったと言う事は良く知られているのですが、岡部明子さんは彼女が最近出版した著書、「バルセロナ:地中海都市の歴史と文化」の中で、その経緯をこんな風に説明されています:


「スペインは、市民戦争の只中にありながら、スペイン共和国館を出して万博に参加した。万博は、共和国政府がなぜ戦っているのか、その正当性を主張し、国際社会の支持と支援を集める絶好の機会であった。」岡部明子、バルセロナ:地中海都市の歴史と文化


本来万国博覧会って言うのは、その国の最高の技術や製品を自国のパビリオンに集めて競い合うと言う「広告」がその基本的な機能なんだけど、最新技術や夢が詰まっていたが故に、
1960年代くらいまでは、万博こそが未来都市の様相を示していました。

「‥‥博覧会がヨーロッパの帝国主義のプロパガンダ装置として誕生し、産業のディスプレイとして発達しつつも、
19世紀におけるその成立当初より消費社会と大衆娯楽とを推進するための広告機構としての性格を有していたことに大きく起因する。博覧会は、その時代の国家と産業と大衆との関係性を、巨大なスペクタルのかたちで空間化し続けてきたのである。」森川嘉一郎、日本万国博覧会:前衛の退却

しかしですね、パリ万博が開かれた当時、国内が戦争中だったスペインでは、他国に自慢出来る様な生産物は全く無く、逆にそんなものを展示してしまえば、自国の後進性を示す事になってしまうという危険性をも孕んでいたんですね。


そんな状況の中、悩みに悩んだ末、セルトが考え出したのが、「芸術を用いて自国の先進性と共和国政府への国際支援を募る」と言う戦略でした。その戦略を思い付いた裏には、当時パリに住み、既に世界的な名声を手にしていたピカソとミロの存在があったんですね。つまりセルトはスペイン出身のピカソやミロに、自国で行われている戦争の悲惨さを題材に絵画を描いてもらえば、それがそのままスペイン館の目玉になり且つ、国際的にも反フランコと言うメッセージを広める事が出来ると考えた訳です。更に、もしピカソやミロが、このようなコンセプトに納得してくれるならば、「絵画を描いて貰う事に対する支払い料も少なくて済むかもしれない」という計算があったのかも知れません。何故なら当時のスペイン国内の状況(戦争中)を考慮すれば、このスペイン館の為に、それ程潤沢な予算が下りていたとは思えないからです。


しかしですね、ここには一つ難問がありました。


実はピカソと言う画家は、自分の芸術と政治的な問題を混同する事を敬遠する芸術家として知られていたんですね。つまり、ピカソは反フランコ派だったのですが、彼が共和国政府支援の為に力を貸してくれるかどうか?は不透明だったと言う訳です。しかしながら、ここがセルトの凄い所だと思うんだけど、交渉を通じて、最終的にピカソに「うん」と言わせる訳ですよ!その結果、この時ピカソが描いた大作が、現在は世界的に知られる所となった彼の代表作の一つ、ゲルニカだと言う訳なんです。




セルトのこのようなプロジェクトを実現すると言う「トータル・コーディネーター」としての能力は注目に値すると思います。この点は彼がその生涯で成して来た様々な事をバラバラに見ていてはナカナカ見えてこないのですが、それらを一つのリストにしてみると、彼の別の側面が浮かび上がってくる様で大変興味深い。


先ず第一に、セルトはコルビュジエをバルセロナに呼び、当時のカタルーニャ州政府大統領と引き合わせ、マシア計画なる都市計画をコルビュジエと恊働提案する事に成功しています。




更に
1947年にはCIAMの会長にセルトが就任している。これが第二の点。そして第三の点は、アメリカ亡命後、ハーバード大学のデザイン学部長と建築学科長に就任している事が挙げられます。探せばもっとあるんだろうけど、セルトと言う人物は実は、このような政治的な動きや、それらを実現する能力に大変長けていた人物なんじゃないのか?と思う訳ですよ。

実はこのような今までは全く語られてこなかった新しい視点と新しいセルト像を世界で最初に提示したのは、バルセロナの大先輩であり、僕がとっても尊敬している岡部明子さんだと思います(地中海ブログ:
とっても素敵な出会いがありました:岡部明子さんとグラシア地区を歩く)。上にも引用した岡部さんが最近出版された著書、「バルセロナ:地中海都市の歴史と文化」にその辺の事が詳しく書かれているんだけど、岡部さん、さすがだなー。言う事が違うし、目を付ける所が鋭すぎる!



さて、前置きがちょっと長くなっちゃったんだけど、今回僕が訪れてきた建築は、セルトが
1937年にパリに設計し、その後、万国博の終了と共に取り壊されてしまったスペイン共和国館のレプリカです。レプリカとは言っても内部にエレベーターが付け加えられた事を除いては、内外共に当時と全く同じ姿が再現されているんですね。



ちなみにこのスペイン共和国館の前には、 クレス・オルデンバーグ(
Claes Oldenburg)による巨大なマッチ棒の彫刻が設置されてるんだけど、これは1980年代からバルセロナが取り組んでいる都市活性化モデルの一つ、「郊外をモニュメント化しよう」という号令の下に開発された郊外活性化の道具の一つです。つまり、海外の著名な彫刻家に独特な彫刻を創ってもらう事によって、見放された郊外に何とかアイデンティティを与えようとしたんですね。これはこれでナカナカ上手い戦略だと思います(地中海ブログ: イグナシ・デ・ソラ・モラレス( Ignasi de Sola-Morales)とテラン・ヴァーグ(terrain vague)。この作品は80年代にアメリカで流行った、日常品を巨大化するというアートシーンの潮流上に載ってる作品なんだけど、確かにこれだけ巨大なマッチ棒があると、ちょっとギョとするかな。

さて、イヨイヨお目当てのスペイン館に入って行く訳なんだけど、先ず最初に気が付くのは、建物本体に対する階段の扱い方の妙ですね。




2つの異なった階段が正面に付いてるんだけど、一つは建物本体に直角に付いてる階段で、もう一つは3段程度の低く幅の広い階段が、それとは少し角度を振って設置されています。




更にこの建物に対して直角に付いてる階段と、その後ろに聳え立ってる旗との関係性の良い事と言ったらありません。ロシアアバンギャルドのメルニコフにも言える事だと思うんだけど、この垂直方向の旗が無かったら、これらの建築の印象は全く違ったものになっていたでしょうね(地中海ブログ:
エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)の建築その3:バラニャ市民会館(Centro Civico de Hostalets de Balenya)に見る建築の質:実際に建築を訪れる事の大切さ)。こんな、垂直水平線のモダニズムの王道をいく様な正面ファサードなのですが、後方へと回ってみると、こちらにはコルビジェを彷彿させる様な不定形のスロープが建物本体にくっ付いていました。



「表と裏で扱いが違う点はなかなか面白い点だなー」と思っていたそんな時、案内役の女の子達がやってきて、内部訪問を心待ちにしている僕達に、衝撃の事実を伝えてきました
:

「セキュリティ上の関係から、今日の一般公開は外部空間のみに限られます」


「えー、そうなの!!」って、誰も声には出さなかったけど、その場に居た全員が心の中でそう思った事だと思います。何でもこの建物は、現在はバルセロナ大学に属する市民戦争関連の資料室になっているらしく、その中には貴重な資料もあるという理由から、今回の公開は見送りになったという事らしいです。ちょっとガッカリしたけど、外部空間も普段は公開されて無いし、スロープで
2階部分にもアプローチする事が出来るし、「そんなに悪く無いか」と言う事で、気を取り直して訪問GO!

個人的になかなか嬉しかったのは、当時の雰囲気を少しでも感じてもらおうという配慮からか、当時と全く同じ場所にピカソ作のゲルニカのレプリカが置かれていた事ですね。




今はマドリッドの国立ソフィア王妃芸術センターにあるんだけど、こうやって建物と一緒に見ると、全然感じが違うなー(地中海ブログ:
マドリッド旅行その2:ジャン・ヌーヴェル(Jean Nouvel)の建築:国立ソフィア王妃芸術センター(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia))。で、実はココにはちょっとした逸話が残ってて、この建物の構造からいくと、ゲルニカの目の前には柱が一本立ってるはずなんだけど、それを知ったピカソが、「絵の邪魔になる!」って事で、柱を取り払ったらしい。



確かに絵の前に柱があったら邪魔なんだけど、それを言えてしまうピカソ、そしてそれを受け止めたセルトの許容力はさすがだなと思います。




万国博覧会当時は、さっき見た大階段がこの建物の正面になっていたので、来館者は先ず始めにこのゲルニカを目にする事になるんだけど、それこそセルトが意図した事でもあったんですね。そしてそんなゲルニカに衝撃を受けた来館者は中庭へと導かれます。




天井にレールが吊ってあって、日差しが強い時や雨の時などは屋根代わりになるって言う仕掛けなんだけど、このような発想は明らかに地中海のものだと思われます。明日も晴れ、明後日も晴れ、ずーっと晴れ!って言う地中海性気候が支配するバルセロナでは、中庭空間で食事を楽しんだり、ワインを片手に談笑したりするのがこの上なく気持ちが良い為、このような空間を良く見かけるんですね。更にもう一つ面白かったのは、この先にしつらえてある舞台です。




この舞台、背後のカベが直角かと思ったら、内側に少し曲がっているじゃないですか!




これにはちょっと驚きました。こうする事で、建物本体とこの舞台に挟まれた空間に、より一層包み込まれた感じ、つまり抱擁感を演出したものだと思われます。この辺に、ヒューマニズムを追求したセルトのこだわりみたいなものを見る事が出来る気がするなー。




そして最後にスロープを昇って上からこの建築を見たのですが、ここで驚くべき事を発見してしまいました。それがコレ:




不整形を描きながら昇っていくスロープなんだけど、その形を上から見ると、こんな感じに見えるんですね。何処かで見た形だなー?と思った人はかなり勘が良い。




そう、これはコルビジェが良く使う形態で、マルセイユのユニテの屋上なんかに設置されている彫刻の形態なんですね。セルトはここで、師であるコルビジェを引用している訳です。この建築については、その端正な佇まいなんかを書籍などで結構見てるつもりだったんだけど、これは知らなかった。と言うか分からなかった。やっぱり、こういう、現場へ来ないと分からない事があり、ここでしか感じる事が出来ない空間が有る事、それが建築の魅力なんだと思います。この日も大満足な一日でした。
| 建築 | 06:56 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
バルセロナに出来た新しい建築学校その2:Barcelona Institute of Architecture:バルセロナ建築スクールの諸問題
前回のエントリ、バルセロナに出来た新しい建築学校その1:Barcelona Institute of Architecture:山本理顕さんとか、都市のマーケティングとかの続きです。

バルセロナの建築教育事情に関して僕が最近ちょっと気になっている事があります。それが近年バルセロナにボコボコ出来つつある、建築関連の新しいマスターコースについてなんですね。バルセロナでは数年前から「インターナショナル」を謳い文句に外国人をターゲットにしたマスターコースが本当に数多く作られているのですが、そのコースが我々日本人にとって一体どのような意味を持つのか?もっと言っちゃうと、特にその闇の部分についてはさっぱり語られてきませんでした。大体、(正規)の学校やコースを創るなんてそう簡単に出来るはずが無く、そんなものがボンボン、ボンボン出てきている現象の裏には絶対何かあると言うのが世の常と言うもの・・・。今日は、「これから是非バルセロナで建築を学びたい!」と言う日本の優秀な若い皆さんに是非知っておいてもらいたいお話です。

多分このような建築関連のマスターコースのさきがけとなったのは、僕が以前通っていたメトロポリスプログラムだと思います。このプログラムに関しては以前のエントリで何度か書いたのですが、さすがにメトロポリスプログラムはイグナシ・デ・ソラ・モラレスがディレクターを務めていただけあって、彼の生前中には、教授陣と言い、世界中から集まって来ていた学生と言い、そこで行われていた議論と言い、ものすごいクオリティがあったと思うんですね(地中海ブログ:イグナシ・デ・ソラ・モラレス(Ignasi de Sola Morales)とマスター・メトロポリス・プログラム(Master Metropolis)。

しかしですね、イグナシが亡くなってからというもの、それを傍から見ていた人達が見よう見真似で作ったマスターコースがどんどんと顔を出しては消えていくと言う時期があり、その代表的なものがMETAPOLISだとか、最近のThe Institute for Advanced Architecture of Cataloniaだったりするんですけれども、それらマスターコースには幾つかの共通点があります:

1.
ターゲットが外国人である為、英語を標準語としていると言う事
2.
授業料がスペインの他のコースに比べてすこぶる高いと言う事
3.
講師陣にビックネームを並べていると言う事(そしてそれらビックネームの大半は授業を受け持つ事は勿論、講演会にすら来ない人が多い幽霊部員ヨロシクの幽霊教授陣)

まあ、上に挙げた諸特徴の中でNo.3以外はさほど問題では無いかなとは思うのですが、これらのマスターコースには上述の諸問題とは比べ物にならない程の大問題が潜んでいます。それがそれらのコースが学生に授与する学位の問題です。ここでハッキリと言っておきたいのですが、これらのマスターコースを修了した際、学校から学生に授与される学位は国際的に認められている「修士(Master)」と言う学位ではありません。確かにこれらのコース終了時にはMasterと言う学位が授与されるのですが、この学位は日本やアメリカに行った際にMArch MSc(日本で言う修士)などに振り返る事が出来ない、各々の学校が独自に発行しているDiplomaと言われる学位なんです。

云わばスペインで言われているマスターコースと言うのは、日本で言われている修士コースとは全くの別物であって、僕の経験から言わせてもらうと、それは学士を修了した人がドクターコースに入る前に「ちょっと補足勉強しておこうかな」くらいの専門学校的な位置付けだと思われます。

では、スペインには他国で言われている様な修士レベルの学位は無いのか?と言うとですね、勿論存在します。しかしながらその学位はマスターとは呼ばれず、DEAと言われていて、学位のレベルとしては日本で言う博士未満、修士以上と言う位置付けになってくるかと思われるんですね。そしてここが肝心なのですが、DEAを提供しているのは、マスターコースでは無くて、ドクターコースの中においてなんです。この辺が日本の教育システムとは違っていてややこしい所なのですが、スペインでは学士コースの上にドクターコースがいきなり存在していて、更にそのドクターコースは大きく2つのフェーズに分かれています。前半がドクター論文のテーマを決め、その下書きを論文として提出する時期までで、その論文が認められると上述のDEAと言う学位が与えられます。その後、ドクター論文を提出し認められるとドクターの学位が授与されると言うシステムを採っています。だからもしもスペインで修士の学位が欲しいと言う人は、このドクターコースに入学し、DEA取得を目指す事になるのですが、ドクターコース入学には学士の学位を持っていれば(たいていの場合は)入学が許可されます。ちなみに僕はこのDEAと言うタイトルを運良く取得する事が出来ました。かなり苦労しましたけどね(地中海ブログ:DEA (Diploma de Estudios Avanzado) 取得

注意:実は今ヨーロッパでは大規模な大学教育改革プログラム(ボローニャ計画)が進行中で、スペインでも既に各大学、各学科によって少しずつ教育プログラムが変化して来ている様です。その改革によって、幾つかの学科ではもう既に修士コースとドクターコースが分かれているそうです(20109月現在)。しかしながら、この改革によって修士レベルの学位を授与するコースには、「マスターオフィシャル(Master Oficial)」と名前が付く事になっているので、その辺はお間違いなく。又、各々のプログラムによって与えられる学位にもバリエーションが出てくると思われるので、入学を希望される方は、くれぐれも、どんな学位を取得する事が出来るのか?それはオフィシャルな学位なのかどうなのか?その辺の事を電話ではなく書面で確認される事をお奨めします。)

ここまで書いてきてなんなんですけど、僕はこれらマスターコースを特別に批判するつもりは全く無く、逆に彼らのプログラムには良い所も沢山あると思っています。例えば特にドクターコースに進む予定の無い人や、「学位なんてどうでも良い!」という人にとっては、このような英語で入れる学校と言うは、「自分で事務所を立ち上げる前にちょっと外国の空気を味わっておくか」とか、「バルセロナで後々働きたいんだけど、その前にちょっと1年くらい様子見をしてみるか」と言った具合に大変都合の良いコースである事は確かだと思うんですね。これらのコースは(スペインにしては)ちょっと授業料が高いけど、滞在ビザは確実に出してもらえるし(滞在ビザを取得するのがスペインでは結構重要な問題)、何より国際的な人脈は確実に広がると思います。

ただそうじゃない人、最初から修士の学位を取りに来ている人が、何の情報も無い為に誤ってこれらのコースに入ってしまい、時間とお金の無駄使いをするのは本当に悲しい。

少し前まではこういう情報が全く無かったので、日本人の皆さんはこんなローカル事情なんて知る由も無かったと思うのですが、グローバリゼーションが進行するにつれ、段々とスペインにも留学生が増えてきて、このような現地でしか知り得ない情報が蓄積されてきつつあります。その様な有益な情報を後進の為に提供していく事、共有していく事は先にスペインに来た者としての義務だとすら感じています。

この情報がこれからスペインで建築を学ぼうと言う優秀な若い人達のお役に経つ事を願っています。
| 大学・研究 | 19:38 | comments(5) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
セルダとポストメトロポリス(Cerda Postmetropolis):エドワード・ソージャ(Edward W.Soja)の空間的正義(Spatial Justice)
今週は「セルダとポストメトロポリス(Cerda Postmetropolis)」と題された大規模な国際カンファレンスがバルセロナ現代文化センター(CCCB)で行われていて、その関係で世界各地から建築家や都市計画家、地理学者なんかがバルセロナに大集合していました。カンファレンスでは様々なプログラムが組まれていたんだけど、バルセロナモデルやバルセロナ都市戦略、はたまた「ヨーロッパ公共空間賞」の発表と授賞式なんかもあったりして、建築や都市計画関連のイベント目白押しの一週間だったんですね。

ちなみに僕はCCCBのイベントにものすごく行きたくて、何週間も前から予定を空けておいたんだけど、直前にどうしても外せない急用が入ってしまった為に泣く泣く断念。結局行く事が出来たのはバルセロナ高等建築学校(ETSAB)で行われたエドワード・ソージャ(Edward W.Soja)のカンファレンスのみという散々な結果に終わってしまった(悲)。



エドワード・ソージャと言えばロサンゼルスの研究でその名を馳せた泣く子も黙るアメリカ西海岸を代表する地理学者です。いわゆるシカゴ学派に対するロサンゼルス学派(あるのか?)というやつですね。伝統的なシカゴ学派の潮流にグローバル資本主義の視点を持ち込み、都市社会の様態の変化を説明したサスキア・サッセンに対して、ソージャなどロサンゼルスを中心とする学派は、移民の様態と、それらが引き起こす都市や地域のプランニングの変化に焦点を絞っている様に思われます(僕的には)。

僕が彼の事を知ったのはもうかれこれ7年程前の事でした。と言うのもソージャさんはイグナシ・デ・ソラ・モラレスと仲が良かった為に、イグナシの死後も頻繁にメトロポリスプログラムのゲストスピーカーとして講演しに来ていたからです(地中海ブログ:イグナシ・デ・ソラ・モラレス(Ignasi de Sola Morales)とマスター・メトロポリス・プログラム(Master Metropolis))。だから今までにも何度か彼の講演を聞く機会があったり、他の学生と一緒にコーヒーを飲みながら、ゆっくりとロサンゼルスの現状についての話を聞く機会があったりしたのですが、今回の彼の講演を聞いていて面白いなと思ったのは、彼が最近提案している、「空間的正義(Spatial Justice)」という考えについてでしたね。(ちなみにこのコンセプトは彼が最近出版したSeeking spatial justiceという本に依っているそうです。)

Justiceって言うと、今日本で大変話題になっているマイケル・サンデル(Michael J.Sandel)教授の「ハーバード白熱教室」を思い出す人も多いのではないかと思われます(実はサンデル教授も5月初めにバルセロナに来てCCCBでカンファレンスをしていました!)。



僕もネットで彼の授業を見たりしているのですが、まあ、とにかく分り易くて面白い!彼の授業は主に政治哲学という、普通だったらちょっと身構えちゃうようなテーマを扱っているんだけど、彼の何が凄いって、僕みたいな素人にもちゃんと分かる言葉で、その分野の概念をきちんと説明している所ですね。つまり難しい事を分かりやすく説明出来ているという事です。これって当たり前の事なんだけど、実はこの当たり前の事が出来ない人が世の中には意外に多い。ブログでも何でもそうだと思うんだけど、同じ分野の人やプロの人に自分の考えを伝えるのはそれ程難しくありません。そうじゃなくて、何にも知らない人や子供、お年寄りなんかにも自分がしている事を自分の言葉で伝える事。目指す所は究極ココですね。(あー、又脱線してしまった・・・。)

さて、では一体、空間的正義とは何なのか?

ソージャさんは大変分かり易い例を挙げながら説明していたんだけど、最近ロサンゼルスではバス会社が、インフラ投資の不平等性を理由に市当局を訴えるという事件が起こったそうです。何故なら市当局は、お金持ちや白人が住むエリアのみに莫大なお金を注ぎ込み、地下鉄など公共交通インフラを充実させる一方で、人口集中が激しく交通インフラが明らかに不足している貧困エリアには投資を殆どせず、その状況が全く改善されなかったのがその理由なのだとか。その貧乏なエリアに住んでいる人達は当然車を買うお金なんかあるはずも無く、仕事や学校などに行く移動は公共交通(バス)に限られてくる訳なんだけど、投資不足が原因で生活に支障が出てきている地域もあるんだそうです。

この話を聞いていて僕が思い出したのは、現在バルセロナが進めている市バス路線変更プロジェクトのミーティングにおける、とある一コマの光景でした。2年程前の寒い日の朝だったと思うのですが、その時の議論は僕にとっては忘れられないくらい衝撃的だったんですね。その時の様子を僕は当時のブログにこんな風に書いています:

現在進行中のプロジェクトに新バス路線プロジェクトがあります。何かと言うとその名の通りバルセロナのバス路線を全て新しく変えるというプロジェクトです。バスの路線って都市の成長と共に発達してきたものなのでぐにゃぐにゃなんですね。つまり無駄が多い。これを最適化しようというのが趣旨。何の為に?エネルギーの無駄を減らす為に。新たな路線は単純明快。山方向から海に向かう路線郡と左から右に向かう路線郡。ただそれだけ。

さて、今日来てたお客さんがこんな質問をしました。 「新しい路線は現状のバス待ち間隔15分を4分にするんだろ?しかも走行距離が減って現状のバス必要台数よりも25台分減らせる。だからエネルギーも減るって訳か!」

大間違いです。一見、バスの台数が減るのでその分エネルギーが減るように思えるかも知れません。しかし現状待ち時間15分を4分に改善する為にバスの走行頻度を上げる事になるのです。結果として総走行距離は現状よりも長くなる為、必要エネルギーも増加するのです。

しかしそれでもこの新路線は現状よりもよっぽど効率的だと考えられています。何故だか分かりますか?実は新路線がカバーする都市範囲が現状の88%から98%に上がる為に自家用車の利用が減ると予測されているからです。その差分を計算すると新路線の方が現状よりもエネルギー効率が良い計算になるんです ね。

つまりバス路線だけでみると増加するエネルギーも都市全体で見るとエネルギー需要が激減し、結果サステイナブルシティになると言う訳です。

・・・ここまで書いてきて何なんだけど、この事例、あんまり関係ないかな(笑)。「都市、バス、カバーしているエリア」って言うキーワードで頭の中を検索したら、「パッ」とこの事例が出てきたもので。まあ、それでも、公共交通インフラがカバーしているエリアを現在の88%から98%に上げる事によって、その結果、環境的にも優しくなるという視点の導入プロセスは結構重要だとは思いますけどね。今度、ソージャさんにも教えてあげよう。(5年後かな(笑))
| バルセロナ都市計画 | 21:50 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
スロベニアからの使者:人生において変わった事、変わらない事
スロベニアから古い友人(M君)が訪ねてきてくれました。

M
君は僕の修士コースの同級生で、もうかれこれ67年程の付き合いになります(地中海ブログ:イグナシ・デ・ソラ・モラレス(Ignasi de Sola Morales)とマスター・メトロポリス・プログラム(Master Metropolis)。建築家でありアーバンプランナーであり、又、イグナシ・デ・ソラ・モラレスを大変深く尊敬していた彼とは、互いの興味が近い事などもあって、授業が終わった後、ほぼ毎日のように、近くのバーで赤ワインとパタタス・ブラバス(スペインの名物料理)をつまみながら、深夜までディスカッションしていた仲だったんですね。



思い出深いグラシア地区のバーで飲んでいると、「将来はリュビアナ市(スロベニアの首都)の都市計画を通して、市民の生活の質を向上したいんだー」みたいな事を熱心に話していたのが、まるで昨日の事のように思い出されます。大変だったけど、今となってはどれも大切な僕達の思い出の数々・・・。X教授が授業をサボった事、E君の論文が間に合いそうも無いので、皆で徹夜して手伝った事、IちゃんがF君と三角関係になった事・・・。

あの頃は本気で怒って、本気で悩んで、本気で笑って、毎日が全力疾走でした。



あれから6年・・・。M君は自国スロベニアのスロベニア政府で空間計画などを担当した後、その経験を生かして、今は独立してがんばっているそうです。あの時一緒に笑い転げていたポルトガル人のIちゃんだって、今は某有名美術館のキュレーターで1児の母だって言うんだから、時間の経過の早さを感じずにはいられません。



ほろ酔い気分の帰り道、M君がふと言いました:

cruasan、全然変わらないね」。

「変わらない」・・・か。
みんなが変わっていく中、嬉しくもあり、ちょっと不安にもなる一言。


自分が変わったのかどうなのか?それは良く分からないけど、一つだけ確かな事。それは今の僕は昔の僕よりも、もっと良く自分の事を知っていると言う事。

自分が何をしたいのか?
どんな事に幸せを感じるのか?

何処へ向かって生きたいのか?


そして同時に変わらない事も:
9
年前の今日、200151日にバルセロナの地を初めて踏んだ、あの日と同じ思い、溢れんばかりのエネルギーと情熱。

まだまだ自分の可能性は未知数だと信じ、行ける所まで行ってみたい。その想いが日々強くなっている今日この頃です。


| 大学・研究 | 06:50 | comments(6) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
違法移民の住民登録問題:蛮族というシステム
現在スペインでは、人口およそ4万人にも満たない小さな町Vic(バルセロナ近郊)が、スペイン中を巻き込む大論争を引き起こすであろう震源地の様相を呈し始めています。

というのも先週、この町の市役所が「違法移民の住民登録を拒否する」と(ある意味驚くべき)発表をしたからなんですね。「違法移民(ビザ無し)なんだから、住民登録拒否されたって当然じゃないか!」って思われるかもしれませんが、スペインではその点が必ずしも明確ではありません。法律には違法移民は住民登録「出来る」とも「出来ない」とも書いて無いんですね。故に今まで最終判断は各都市の市役所に委ねられ、経済が順調に回っていた昨年頃までは、Vic市を含む大抵の都市が違法移民の住民登録を容認する姿勢を示していました。


スペインにおける移民に関する法律が今の形に固まったのは2004年の事だったのですが、その裏には住民登録を通して、「把握しきれていない移民の実態を明らかにする」という政府の思惑がありました。次から次へと秘密裏にやってくる移民の正確な数を計る事は、国のシステムを保つ為には必要不可欠な作業なんですね。そして特に移民大国スペインにおいては、それが国のシステムをも揺るがしうる要因になる為、政府も必死だったと言う訳です。


何故か?


以前書いたように、スペインでは緊急の場合に限り、住民に限らず、全ての人に対して医療費がタダになります(地中海ブログ:
健康ツーリズム:スペインの誇る医療サービスの盲点を突いた、グローバリゼーションの闇。これは(友達のお母さん曰く)「社会的に重要なインフラである病院は全ての人に対して平等に開かれていなければならない」という、フランコが残した唯一の(良い)功績だといわれています(これが一般的なスペイン人の意見かどうかは不明)。そして住民登録をすると更に、担当医がついたり、長期にわたる診察やどんな大手術も無料になったりと、医療に関する数限りない恩恵が誰でも受けられる様になる為、そこを利用した社会問題が噴出している事も以前書いた通りです。

このようなシステムは言うまでも無く、スペインで働いている人達の税金によって賄われています。そしてビザ無し違法移民の人達というのは、勿論、税金なんか払っていない人達です。つまり、その人達が住民登録するという事は、税収が小さな町にとっては、大きな負担となる事を意味します。景気が抜群に良かった去年までは、この事はそれ程問題にはなっていなかったのですが、一向に経済的回復が見えない今となっては、それが大問題と化し、とうとう今回のVic市のように、「拒否」という姿勢を見せる市役所も出て来たという訳です。


しかしですね、僕の見る所、この問題は表面に見えている「移民の受け入れ/拒否」という問題ほど単純では無いような気がしています。その裏にはもっと大きな、僕達の社会が抱え込んでいる複雑な問題、それこそヨーロッパが生まれた時から抱え込んでいる社会的問題がチラチラと見え隠れしている様な気がするんですね。それがコミュニティ内で意図的に仮想敵を作り出し、ガス抜きをするという「蛮族」の問題なんですけれども・・・(ヨーロッパにおける蛮族の問題についてはコチラ:地中海ブログ:
イグナシ・デ・ソラ・モラレス( Ignasi de Sola-Morales)とテラン・ヴァーグ(terrain vague)。

つまりどう言う事かというと、「一向に良くならない経済、我々の生活を圧迫しているのは、何処からともなく来て、我々の土地に住み着き、我々の受けるべき恩恵をタダで食いつぶしているあいつらが悪いんだ」みたいな、「自己」と「他者」を分ける集団心理原理が働いている気がしてならないんですね。このような「蛮族」となりえるのは、その時代時代によって異なるのですが、今回の場合は移民がその槍玉に上げられたと言う訳です。


島国で育った我々日本人には全く免疫が無いのですが、スペインにおいては僕達は正しく移民なんですね。多分、お金持ちの国、日本から来た日本人で違法移民という人は少ないとは思いますが、我々が移民である事に変わりはありません。つまりこの問題は他人事では無いと言う事です。スペインに在住しているすべての日本人が心しておくべき問題だと思います。
| バルセロナ日常 | 22:18 | comments(4) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
バルセロナ新空港(T1)とうとうお目見え
ここ数日、バルセロナ空港の話題が各新聞を賑わせています。というのも今週水曜日、カタラン人が首を長ーくして待っていたバルセロナ新空港がお目見えする事になっているからなんですね。



どれくらい待っていたかって、その長さ、およそ10年(驚)!最初に新空港の話が持ち上がったのが1999年の事でした。それからというもの、計画が頓阿しそうになったり、資金調達が上手くいかなかったりと、紆余曲折を経て、ようやく今週開設の運びとなったという経緯があるから各方面がお祭りムードになるのも分からないでも無い。

13億ユーロ(1.258.000.000Euro、1ユーロ120円として約1560億円)が投資された新空港のデザインを担当したのは地元出身の建築家、リカルド・ボフィール(Ricardo Bofill)です。現代建築の世界では、はっきり言って既に忘れられた存在と化したボフィールなのですが、地元バルセロナでは未だに大御所としての存在感を維持しています。つい先日も、バルセロナの海岸線に「ドバイの甘いコピーだ」と非難されている三日月のホテルを完成させたばかり。



はっきり言って彼の建築がそんなに良いとは思わないけど、建築というのは純粋芸術では無く、政治的な側面も持ち合わせているので、そういう意味で言うと、これだけのプロジェクトを取り実現させたという意味においてさすがと言えばさすがか。

さて、今回彼が手がけた新ターミナルは既存のバルセロナ空港(El Prat(プラット空港))の真横に位置しています。当然の事ながら2つの空港はバス、鉄道などで結ばれる事になっているのですが、その工事が未だ終わって無いとか何とか‥‥2012年の完成予定らしいのですが、それまでは臨時バスが両ターミナルを繋ぎ、所要時間は約10分だそうです。

さて、気になるその新空港の規模なのですが、総床面積は52万平米(525.000)。地中海域では随一、ヨーロッパ中を見回してみても、最大規模の空港にランクインする事になります。つまりバルセロナ空港が晴れて、ヨーロッパのハブ空港として認識されるに十分な規模を持つ事になる訳です。

今日の新聞(La Vanguardia, 14 de junio 2009, p2-3)によると、新空港の詳細データはこんな感じ:

旅客数/年:3000万人(プラット空港と合わせると5500万人)
空港の駐車場数1万2000
総床面積:52万平米
フィンガー数(飛行機がターミナルにくっつく所):43
セキュリティカメラの数:1200
ターミナル内のお店の数:73
ターミナル内のレストランとバーの数:43


率直に言ってデカイですね。

先ず旅客数なのですが、5500万人規模という事になると、フランクフルト国際空港やマドリッド・バラハス国際空港の上、シャルル・ド・ゴールの下という事になります。ちなみに下記は2008年の乗客数の上位15空港:

1. Hartsfield-Jackson: Atlanta, U.S.: 84.846.639
2. O'Hare International: chicago, U.S.: 77.028.134
3. London Heathrow: London, U.K.: 67.880.753
4. Tokyo Haneda: Tokyo, Japan: 65.810.672
5. LosAngels: Los Angels, U.S.: 61.041.066
6. Dallas-Forth Worth: Dallas, U.S.: 60.226.138
7. Pari, Charles de Gaulle: Paris, France: 56.849.567
8. Fransfurt: Fransfurt, Germany: 52.810.683
9. Pekin Capital: Pekin, China: 48.654.770
10. Denver: Denver, U.S.: 47.325.016
11. McCarran: Las Vegas, U.S.: 46.193.329
12. Amsterdam Schiphol: Amsterdam, Holanda: 46.065.719
13. Madrid Barajas: Madrid, Spain: 45.501.168
14. Hong Kong: Hong Kong, China: 43.857.908
15. John F.Kennedy: N.Y., U.S.: 43.762.282


まあ以前書いたように、現代社会の中における空港の役割というのは大変複雑化しているので、単純に利用乗客数だけでその空港のインパクトというのは測れないんだけど、一つの参考指標にはなりますよね(地中海ブログ:都市化する空港と効率指標としてのアクセッシビリティ

今日の新聞(La Vanguardia, 14 de Junio 2009, Especiales, P14-15)にはリカルド・ボフィールのインタビューが載っていたのですが、その中で彼はこんな事を言っていました:

“Una miniciudad bajo una gran cubierta”

“大きな屋根の下の小さな都市”


つまり都市の中の都市論ですね。古い所ではイグナシ・デ・ソラ・モラレス(Ignasi de Sola Morales)やジョセフ・ラモネーダ(Josep Ramoneda)もしくはオリオル・ネロ(Oriol Nello)、最近ではマニュエル・ボルハ・ビジェル(Manuel J. Borja-Villel)なんかが良く引き合いに出している話題です。(地中海ブログ:マニュエル・ボルハ・ビジェル(Manuel J. Borja-Villel)の都市戦略:国立ソフィア王妃芸術センター(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia)を通した21世紀の美術館の在り方

彼らの議論は主に、都市を再開発する際にそのエリアに人を集める為の求心核を創り出す必要性がある事を説いたモノなのですが、今回ボフィールが言っている「都市としての空港論」はコールハースなどが90年代初頭から繰り返し議論してきた事で、建築界ではさして目新しい議論でも無いですね。上の詳細データが示しているように、監視カメラが1200台も設置されている所などを見ると、「空港とセキュリティ」のお題にも発展していきそうですね。(地中海ブログ:ウィーン旅行その9:シェーンブルン宮殿(Schloss Schonbrunn)のオーディオガイドに見る最も進んだ観光システム/無意識下による人の流れのコントロール

ちょっと面白かったのは、このインタビューと共に載っていた写真です:



新空港の規模を市民に理解してもらう為に、バルセロナの新市街地との比較写真が載っていました。

新しい施設や外国の諸施設の大きさの比較として良く用いられるものに野球場やサッカー場があるかと思います。「この施設は東京ドーム50個分です」っていう、例のアレです。50個って、かなりデカイという事は分かるのですが、どれくらいデカイのか?というのがまるで分からない。

その反面、セルダの新市街地と比較されたら、「あー、グラアシ通りからサグラダ・ファミリアまでね」って言う具合に、ものすごく良くイメージ出来る。

僕がイメージ出来るという事は、生まれた時からこの街に住んでいるカタラン人にとっては、そんな事雑作も無いと言う事です。つまり市民の頭の中にその大きさがインプットされているんですね。リンチが言った意味における「都市の判り易さ」という点において、バルセロナは抜きん出ています。だからメンタルマップとか書かせるとこんな感じになるんですね:





(Rubio,A. (1995): la imatge mental de lEixample de Barcelona. In Semiotica de lEixample Cerda, Barcelona, Edicions Proa, p33-43)

特徴としては常に山が上(北)で海が下(南)に描かれている事。これは明らかに事実(バルセロナの本当の東西南北)とは違います。

まあ、それはどうでも良いんだけど、空港の話に戻ると、空港のもう一つ忘れては無らない側面が「物流」という観点から見た機能です。つまりシティ・ロジスティックス(City Logistics)の中心になるが故に、都市の経済に多大な影響を及ぼす訳です。見逃してはならないのは、この飛行場が今後、バルセロナ港とどう連結されていくのか?という点。そして、その2つの機能が結ばれた時こそ、本当の意味でバルセロナがアムステルダムと同等のハブとしてヨーロッパに君臨する事になるのですが、それは又今度にしましょう。
| バルセロナ都市 | 20:23 | comments(1) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ミース・ファン・デル・ローエ・パビリオン(Mies van der Rohe Pabillion)/ バルセロナパビリオンBarcelona Pavillion:アントニ・ムンタダス(Antoni Muntadas)のインスタレーションその2
前回のエントリで書いたように、バルセロナパビリオンってものすごく視線操作が充実している且つ、溢れんばかりの透明性故に「視覚の建築」って思われがちなのですが、実は触覚でも大変に楽しませてくれるんですね。(視覚と触覚の関係と言えばアロイス・リーグルが思い起こされます。興味のある人はこちら:ミラノ旅行その5:パヴィア修道院(Certosa di Pavia)その2:アロイス・リーグル(Alois Riegl)に見る視覚・触覚と距離の問題

良く知られているようにパビリオンの建築的質に最も強い影響力を及ぼしているのが4種類の大理石です。



床や外壁を覆っている大きな大きな肌色のトラバーチン。確か槙さんと谷口さんの対談で、「もし予算が許すならばアレくらい大きなサイズの大理石を使ってみたい」みたいな事を言われていたのを思い出します。そう、ミースパビリオンの建築の質の高さの秘密は、一つにはこの均質で大きな単位の大理石パネルが寸分のくるいも無く、表面全体を覆っている事だと思うんですね。

そしてこのトラバーチンに抜群の相性なのがクロムメッキ仕上げの十字柱です。



一昨年、プラハ旅行に行った時に見たミースのチューゲンハット邸の玄関ホールにも同じ組み合わせ+半透明ガラスから降り注ぐ柔らかい光が演出されていましたが、息を呑む程の素晴らしい空間でした。(プラハ旅行:トゥーゲントハット邸(Villa Tugendhat):地中海ブログ)

ミースパビリオンの大理石と柱を見ていて思ったのですが、ミースって結構、装飾的だと思いませんか?一般には究極のミニマリストみたいに言われてるけど、柱は十字架だし・・・。赤大理石の模様、面白いですよね。同じ石をスライスしたのだから当たり前なんだけど、上下で模様が反転してる。



昔読んだ論文で、確かロザリンド・クラウスだったか誰かが、ミースパビリオンが国家を表象する建築でありながら対称軸や正面性を持たず、隠された対称性として上下対象性を持つ見たいな話しをしていました。オリジナルではそれが隠されていたのですが、復元では「無意識的に」その対象性が明らかになってしまった。

多分、コレを読んだイグナシは「一本取られた!」とか思ったのでは無いでしょうか。何故なら「無意識」は彼の十八番ですから。

さて話を戻して、巧いな!と思ったのはココ:



両隅が大理石の塊で、中間はスライスパネルです。このように両隅から厚さが2倍の大理石で中間を挟み込む事によって、コノ壁一枚全部が大理石の塊だと思わせるようなディテールになっている。ちなみに外壁も同じ仕掛けになっていますね。



さて、その他のマテリアルがこれら:



大理石の冷たく硬い感じとは打って変わった、温もりのあるカーテン。



真っ白なバルセロナチェアーは滑々した感じです。



水って透明で冷たいんだなーと言う事に改めて気が付かされます。



コレなんて、人工的に一直線に切られた石の境界をあたかも自然物が侵食しているかのようです。

さて、こんな視覚・触覚感覚溢れるパビリオンにおいて、今回のアントニ・ムンタダスによるインスタレーションは大変意表を付くものでした。というのも、彼の展示は視覚や触覚に訴えるものではなくて、嗅覚に訴えるものだったからです。





彼はバルセロナパビリオンが壊されてから(1929)再構築されるまで(1986)の間、そのプランや写真のみが亡霊のようにずーっと眠っていたアーカイブ(お墓)の匂いをパビリオン内に再現しました。そのおかげでパビリオン内は無茶苦茶カビ臭かったのですが。

これは何をしたのか?というと、死んじゃったんだけど、復活するのを待っている故人(壊され、再構築される事を待っているパビリオン)の記憶、つまり生と死の境にいる曖昧な存在を出現させたんですね。まあ、多分ヨーロッパだったらコレをキリストの復活と絡めて語る事も可能でしょうが、ちょっと深読みし過ぎでしょうか(笑)。でも、深読み出来る、もしくはしたくなるというのは、それがそうする事に値するような優れた作品だからです。

ナカナカ面白い試みだと思いました。
| 建築 | 22:18 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
バルセロナのイベント発展型都市戦略とGSMA(Mobile World Congress 2009)
昨日の新聞(La Vanguardia, 13 de Febrero 2009)に来週から始まるGSMA(Mobile World Congress 2009)の記事が載っていました。

GSMA(Mobile World Congress 2009)とは世界最大の携帯電話関連の祭典で、開催期間の3日間だけで約6万人を集めるという、超大型イベントです。毎年バルセロナで開かれるのですが、この期間中は世界中の携帯関連の情報と人材、資材が集中し、バルセロナが携帯テクノロジーの首都と化します。

人が集まるという事は、そこにお金が集まるという事。去年の経済効果は3日間だけで約1億4000万ユーロ(1ユーロ=120円として日本円で約170億円)に上ったんですね。そんなバルセロナ市にとっては金の卵のような存在なので、昨日の新聞なんかが、まだ始まってもいないのに3ページにも渡って大々的に取り上げちゃったりする訳です。

しかしながら、よくよく記事を読み込んでみると、例年とはちょっと調子が違う事に気が付きます。新聞の見出しにはこんな言葉が踊っています:

「バルセロナ市内のホテルは携帯電話のイベントですら満席には至らなかった (“ los hoteles de Barcelona no logran llenar para la feria de telefonia movil)」

「今年の世界携帯会議には5000人減の入場者が見込まれているが、5万人には至る見通しである (“ El Mobile World Congress tendra 5,000 asistentes menos pero llegara a los 50,000”)」

「経済危機の為に(ホテルなどは)半額である( “A mitad de precio por la crisis”)」


今まで世界中の人々を惹き付けてきたGSMAと言えども、経済危機の影響は避けられないという訳か!GSMAについては去年の同じ時期にこんなエントリを書きました:「バルセロナの都市戦略と3GSM:地中海ブログ」(ちなみに今年からイベント名がGSMAに変わりました。去年までは3GSM World Congress Barcelonaと呼ばれていました。)

その記事によると、イベントが開かれていた3日間の市内ホテルの占有率は100%。満室だったようです。市内のホテルが100%満室って、そんな事有り得るのかー?とか思うけど、ウソのようなホントの話。それでも市内に泊まりたい人が溢れかえっている状態、(つまり需要が供給を大きく上回った)状態だったので、ホテル側はやりたい放題だったんですね。普段は一晩300ユーロの所を3000ユーロに引き上げるホテルまで出現したりする始末でした。

しかしながら、今年はイベントを控えた今週末でさえ、ホテルには未だに空きがあるとの事。ホテル組合(Gremi d’Hotels)の公式発表によると、市内のホテル占有率は現在95%。少なくとも18のホテルに空き部屋があって、その内9つは歴史的中心地区(Ciutat Vella)とエンサンチェ(Eixample)という市内でも最も人気の高い地区に位置しているそうです。

更にイベントが開かれる2月16日から19日にかけて、市内各所で約60の関連イベントが行われる予定だそうですが、この数も去年とは比べ物にならないほど少ないと報じています。

こんな所にまで、経済危機の余波が及んでいるのか!と、そんな事を考えていたら、追い討ちをかけるように、今日の新聞(La Vanguardia, 14 de Febrero 2009)にも関連記事が載っていました。お題は近年バルセロナが恒例行事として確立した音楽系の祭典について。

今や世界的に有名になったソナー(Sonar)を初め、Primavera Sound, Summercase, Benicassim(FIB)など、年中を通してバルセロナは音楽祭の首都と化しています。ちなみに、2008年度、ソナーは8万人(81,000)、Primavera Soundは6万人(60,000)、Benicassim(FIB)は14万人(148,000)を集客しました。FIBに関してみれば、約一週間という開催期間中の経済効果は実に1400万ユーロだそうです。

更に面白いデータが載っていて、それによると音楽祭に集まる観客の内、約半数(50%−60%)は海外からの来客だという事です。更に詳しく見ると、その内多くを占めるのはイギリス人と言う事。(その後に、フランス人、ドイツ人、イタリア人と続きます)。イギリスの若い人の間では、週末の1日を音楽祭で盛り上がって、次の日はビーチでのんびりするのが流行っているとか何とか。

それもこれも、近年増えてきたローコスト飛行機(EasyJetや Vueling)の発展のおかげですね。ちなみにロンドン発の飛行機が一番多く離着陸しているのはバルセロナだというのは有名な事実。2年程前に、ロシアのリトビエンコ氏がロンドンで暗殺された時、その放射能汚染が一番懸念されたのはバルセロナでした。これこそ、我々が直面しているグローバリゼーションの現実を実に如実に表している事例だと思います。(スペイン高速鉄道(Alta Velocidad Espanola:AVE)に見る社会変化の兆し:地中海ブログ)

今日の記事内ではこんな事が言われていました:

「これらの祭典は、文化観光がもはや美術館や象徴的な建築に限られず、市の経済に強い影響力を行使し得ると言う事を示している。」

“Estos festivales han constatado en los ultimos anos que el turismo cultural ya no se limita a los museos o a los edificios emblematicos y reivindican su peso en la economia de la ciudad”( La Vanguardia 14 de Febrero 2009, p32)


以前のエントリ、「バルセロナ都市戦略:イベント発展型:地中海ブログ」で詳しく書いたのですが、大型イベントを企画したり、都市に引き寄せたりするのは、既にバルセロナが打ち出している都市戦略の一つです。伊東豊雄さんによってデザイン・拡張されたバルセロナ見本市会場は、このようなバルセロナの都市戦略上に乗っています。

3週間程前にバルセロナで行われたブレッド&バター(Bread and Butter Barcelona)の(これまた)盛大なイベントが今季限りで契約を打ち切り、ベルリンに戻るというニュースが流れた時、市長初め、多くの機関が、あの手コノ手を使って契約を更新しようとしたのは記憶に新しい所です。

更に昨日の新聞には別枠でバルセロナが打ち出す新たなるイベント、その名もグローバル・スポーツ・フォーラム・バルセロナ(Global Sports Forum Barcelona)という記事が取り上げられていました。その記事によると、このイベントは社会のモーターであり鏡であるスポーツに関する世界で最初の国際会議だそうです。

まあ、スポーツというのはポリティカル・コレクトネスであって、潔白なイメージを市に与えるので、それはそれで巧い戦略だとは思いますが・・・また、すごい事打ち出しちゃいましたね、バルセロナ!

バルセロナはコレまで様々な大型イベントを誘致してきましたが、その中でも最大級のイベントといえば、やはり1992年のオリンピック、1996年のUIA(ちょっと微妙かな?)、そして2004年の文化フォーラムが挙げられるかと思います。そしてその裏にはそれを引き寄せたキーパーソンの影がチラホラ見えるんですね。オリンピックは言わずもがな、1996年のUIAに関してはイグナシ(Ignasi de Sola Morales)が2004年に関してはフェデリコさん(Federico Mayor Zaragoza)が大変な影響力を及ぼしたと見て間違いないと思います。

普段はかなり自分勝手な事ばっか言ってて、ムチャクチャ腹が立つ事もあるカタラン人だけど、こういう自分達の都市を良くして行こう、活気付けて行こうという時の団結力だけは目を見張るものがあります。

1975年にフランコ政権が倒れた時、その直後から民主主義や各種計画が巧い事動き出したのは、独裁政権の水面下で欧州にコネクションを網羅していた結果だと思うんですね。表面上は独裁政権に抑えられたと見せつつも、その水面下ではしっかりとコネを広げていく。そのしたたかな心構えが今のバルセロナを作ったといえるのかもしれません。
| 都市戦略 | 18:29 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
サン・カルリーノ・アッレ・クアットロ・フォンターネ教会(San Carlino alle Quattro Fontane)から学ぶ歴史の重み:現地へ行ってみて初めて分かる事は山程ある
書こう書こうと思っていながら、今までナカナカ書けずにいたのが、バロック建築の傑作、サン・カルリーノ・アッレ・クアットロ・フォンターネ教会(San Carlino alle Quattro Fontane)についてです。

この建築は言わずと知れたバロックの三大巨匠の一人、ボッロミーニ(Francesco Borromini)によって計画されました。彼の代表作であり、建築関連の書籍には勿論、一般のガイドブックなどにも必ずといってよいほど登場する、バロック建築の代表作です。何と言っても特徴的なのが、その独特のファサード:



その辺の事については以前のエントリで書いたので、そこから引用します:

2層に重ねられた壁面が波打ち、波打たれる事によって、あたかも人をその空間に招いたり拒否したりしているかのようです。更にもっと興味深いのは、建築単体のファサードのデザインが街の空間にも影響を与えている事なんですね。この建築の目の前の空間は、あたかもその波動に伴って波打っているかの様です。バロック都市を歩く喜び:地中海ブログ)

そしてこれに劣らず感動的なのが内部空間です:



特に天井のデザインは驚きの一言。上に行くに従って、8角形と十字架の模様に遠近が付いているので、ものすごい上昇感が生まれています。

この天井のデザインがこの建築の一番のハイライトである事に間違い無いと思うのですが、面白いのはドラマチック性を高めようと、ガイドブックの写真などがかなり加工されている事です。コレを見てください:



この写真は「地球の歩き方07-08のローマ、p127」から取った写真なのですが、こんな風には絶対に見えません(笑)。ちなみに僕は午前、午後、各3時間ずつ、2日程粘りましたが、こんなドラマチックに見える時間帯には遭遇しませんでした。こんな風になる気配すら無かった。運良く、この教会堂の売店で働いているおじいさんと話をする事が出来たのですが、コレは明らかに「イメージの捏造」であって、現実では無いとおっしゃっていました。

まあ、別に建築家にとって「イメージの捏造」なんてのは日常茶飯事なので、取り立てて驚くべき事では無いのですが。ちなみにコルビジェ(Le Corbusier)の写真修正を通してのイメージ構築を暴いたビアトリス・コロミーナ(Beatriz Colomina)はバルセロナのカタルーニャ工科大学(Universidad Politecnica de Catalunya)に学んでいます。イグナシ(Ignasi de Sola Morales)がその後、テラン・ヴァーグ(Terrain Vague)など、都市の表象としての写真に興味を持っていったのは、実はコロミーナとの対話が始まりだったのではないのか?とか、かなり勝手な想像をしています。

あー、又話がズレてしまった。

さて、ファサードや内部空間の素晴らしさも去る事ながら、僕がこの建築で一番感動したのが、実はココ:



教会堂入り口に至る階段部分です。この教会は道路に面している為、教会堂入り口へは大理石で出来た3段の階段がしつらえられているんですね。この階段がすごいんです!





分かるかなー?階段の平面が窪んでるんですよ!まるで、ファサードが波打つように、階段も波打ってる(笑)。

何故、階段がこんなにも波打ってるかというと、明らかに訪れた人の重みで凹んだと思われるんですね。しかし、硬い大理石で出来た階段がこんな、波打つまでに変形するには、長い年月と、それこそ何億回、何十億回と踏み込まなければこうはならないと思います。

これは、これだけコノ建築が人々を呼び集めたという紛れも無い証拠だと思うんですね。

以前のエントリ、(ローマ(Roma)旅行2008その3:サン・ピエトロ大聖堂(Basilica di San Pietro)その2:ベルニーニ(Gian Lorenzo Bernini)の柱のツギハギに見るヴァチカンの真の力)で、「柱のツギハギに見るカトリック信仰の底力」みたいな事を書いたけど、今回のこの階段の歪みも正に人々の思いの強さが生み出した結果だと思います。

僕はこういう所にとても感動してしまいます。人間が創り出したもの(建築など)にも感動するけど、それをその後、人がどう使ったか?使用した痕跡が何処にどう見えるか?などにも、ものすごく興味をそそられてしまうんですね。こういう事は先ず本(専門書を含めて)には載っていません。現地へ実際に足を運んで、自分の目や耳で見たり聴いたりして初めて分かる事です。

何度でも言いますが、こういう生身の体験とその蓄積こそ、グーグルにだって絶対に検索出来ない情報な訳です。そして近い将来、そういう情報が途方も無い価値をもたらす日がきっとやってくると思います。そして、それはきっと僕自身のためだけではなく、日本の将来にとっても役に立つと信じています。だから僕は今、どんなにお金と時間がかかってもヨーロッパの都市を自分の足と目で渡り歩く事を続けようと思っています。
| - | 01:32 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
それでも恋するバルセロナ:ヴィッキー・クリスティーナ・バルセロナ(Vicky Cristina Barcelona)その2:都市のイメージ
前回のエントリ、ヴィッキー・クリスティーナ・バルセロナ(Vicky Cristina Barcelona)その1:何故我々は真の愛に辿り着けないか?/何故人は人を愛する事が出来ないのか?の続きです。
前回はこの映画の主題を論じた訳なんですが、今回は「この映画にとってのバルセロナの意味」、「バルセロナにとってのこの映画の意味」について考えてみたいと思います。

僕が面白いなーと思ったのは以下の2点。1点目は映画の題名です。2人の女性主人公の名前と並列に「バルセロナ」が使われています。内容から言って、ビッキーとクリスティーナの次に重要なのは明らかに彼女達と三角関係になるアントニオであり、その後、四角関係になるペネロペ扮するマリア・エレーナのはず。それらを押し退けて「バルセロナ」が躍り出ている事にこそ注目すべきはずです。つまりココではビッキー、クリスティーナというパーソナリティと同格に「バルセロナ」という「都市」が扱われている。どのように?「地中海都市バルセロナ=ブランド」と言う人格を与えられた都市としてと言えると思います。

コレは結構面白くて、バルセロナという都市はしばしば一個の個人として扱われる事が多い都市なんですね。コレは世界的に見ても極めて稀です。例えば1999年、国立英国建築家協会(RIBA)はその年のゴールドメダルを、始めて個人以外の「バルセロナという都市」に授与しました。そんな事は1960年以来、ずーっと続いてきた長い歴史の中においても唯一の例外です。

さて、都市間競争時代における都市のイメージ創り=ブランド化に関しては当ブログでは散々論じてきた所なのですが、この映画では面白い程そのブランド創りの過程を見る事が出来ます。カサ・ミラ(Casa Mila)などのガウディ(Gaudi)関連、ピカソ(Picasso)やミロ(Miro)そして個人ギャラリーや展覧会と言ったアート関連、地中海都市=中世都市というイメージを喚起する旧市街石畳の細い路地などが「これでもか」というほど強調されています。

こういう都市のブランド化は、無理矢理何でもかんでもブランドにしようとする事から、何処かに必ず綻びが現れます。それを探すのがちょっとした楽しみだったりする。



例えば上の写真はバルセロナ旧市街ゴシック地区(Barri Gotic)に位置するカタルーニャ州政府(Generalitat de Catalunya)の2つの建物を結ぶ渡り廊下(El puente en el Palau de la Generalitat)で、観光客が必ずと言って良い程パシャパシャと写真を撮る、云わば中世のシンボルのような存在。地球の歩き方にはこんな風に紹介されています:

「ふたつの館を結ぶ渡り廊下の優雅な彫刻を眺めていると、ふと時間を忘れ、中世へと導かれる思いがする。」p62、地球の歩き方、バルセロナ05-06

だけど、この橋って中世に作られたんじゃなくて、実は1929年のバルセロナ世界博の為にココに付け加えられた紛れも無いフェイクなんですね。ちなみに設計者はイグナシ・デ・ソラ・モラレス(Ignasi de Sola Morales)のおじいさんにあたる、Joan Rubio i Bellverで1928年の事です。20世紀に付け加えられた装飾を見て、うっとりと中世へ導かれる人達って一体・・・。

同じ様な事で、映画の中でちょっと気になったのは、アントニオの設定です。彼はアーティストでバルセロナで個展とかも開いていて、話の流れから明らかにカタランアーティストかと思っていたら、彼の実家って実はオビエド(Oviedo)。アストゥリアス(Asturias)出身の芸術家です。カタランじゃないじゃん!!!

ダメ押しはクリスティーナの役柄設定。彼女はマスター論文をカタラン人のアイデンティティをテーマに書いていて、今回それを調べる為に1ヶ月バルセロナに滞在しているという設定です。それだけで、「なんだそりゃ!!」とか、思わず噴出してしまいそうな設定なのですが、そんな事が1ヶ月そこらの滞在で分かるなら苦労しない(笑)とひそかに思ってしまった。でもそこは問題じゃなくて、そんな事がまかり通ってしまうほどに、既にバルセロナやカタランがブランド化しているという事だと思うんですね。

今更言うまでも無い事ですが、映画は「想像の共同体」を創り出す為の強力な道具です(興味のある人はコチラ:想像の共同体、ベネディクト・アンダーソン(Benedict Anderson, Imagined Communities, 1983))。つまり映画というメディアは常にプロパガンダやイメージコントロールを含んでいるという事なんですね。それが分かっているからバルセロナのような、都市のイメージコントロールに大変敏感な都市は映画をどうにかして見方に付けようと必死なわけです。この辺りの事は以前のエントリ、スカーレット・ヨハンソン in バルセロナ with ウディ アレン(地中海ブログ)で書いた通りです。当時バルセロナ市はウディ・アレン監督(Woody Allen)にこの映画を撮ってもらう為に交通規制や建物開放など全面協力を申し出て、更に映画制作費の10%にあたる150万ユーロ(約2億円)を融資したとか。そこまでしても、それ以上に計り知れない影響がある事が分かっているからこそ、喜んで先行投資したんですね。

もう一点気になったのは、バルセロナという都市が醸し出しているもう一つのイメージ、バルセロナ=地中海都市=ビーチ=開放的、みたいな。しかも大抵の場合、その開放的にはセクシー系のイメージが纏わり付いています。例えば、以前紹介したまいっちんぐ・マチコ先生のオープニングに出てくるフラメンコ姿のマチコ先生とか。



今回の映画では、人生の岐路に立っている女性が一夏の恋をするのに夏の開放的な都市の雰囲気が手伝ったとでも言わんばかりの演出がされていました。映画中でヴィッキーがオビエドでアントニオとのゆきずりの一晩を過ごした後、彼女の婚約者がバルセロナを訪れてベットで寛いでいるシーンがあるのですが、婚約者はヴィキーにこう言います:
「今日の君、とっても良かったよ。まるで別人だ。この街の雰囲気がそうさせるのかな?」

これは前回論じたように、理性の塊だったヴィッキーがアントニオにその理性を乱され、少し感情側に針が触れた事による結果、彼女がベットで情熱的になったと考えられると思います。しかし注目すべきは何も知らない婚約者がその理由に「バルセロナという街の雰囲気が彼女にそうさせた」と言わせている所だと思うんですね。そしてそれがヨーロッパで一般に流通しているこの街のイメージです。

バルセロナ在住者としてはそれが真実かどうか?という所は大変微妙なのですが、外から見たバルセロナがそのように見られている事は明らかだと思います。ヨーロッパの大学にはエラスモス(Erasmos)という交換留学制度があって、沢山の学生が毎年バルセロナに留学しに来るのですが、彼らの求めているイメージは正に「終わり無きパーティー生活」。この間、バルセロナ大学(Universidad de Barcelona)に行ったらこんなポスターが貼ってありました。

「エラスモス学生歓迎フィエスタ:ダブリン神学校看護学科との国際コラボレーションパーティー。夜12時から朝7時まで」。

こういう事に関してはものすごくがんばるカタラン人達。仕事はさほど熱心じゃないのに、土曜日にどのレストランに行って、その後何処のバーに行くか、という計画に対しては異常な執念を燃やして火曜日辺りから予約や人集めの為に電話を掛けまくるカタラン人。誰とは言わないけど、僕の席の前のGちゃん、金曜、土曜、日曜とフィエスタに行って、風引いたとか言いながら、実は二日酔いだみたいな事、フェイスブック(Facebook)に書いちゃダメですよ、ばれるって、みんな見てるんだから。

望む、望まずに関わらず、このような都市のイメージが出来上がっている事は確かです。そしてそれがこの都市を他の都市と差別化している。グローバリゼーションが進み、どんどんジェネリックシティが出来てくる中、今、バルセロナが注目されている理由の一つは、このイメージ操作による所が大きいと思います。そんな中、今回のような映画が出てきた事は正に必然だったといえるかもしれませんね。
| 映画批評 | 20:25 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
創造の為の工場転用計画(Fabricas para la creacion):バルセロナ文化政策
昨日の新聞(La Vanguardia, , culturals la Vanguardia, 3, diciembre 2008)にバルセロナ文化政策の一環としての旧工場再利用計画が載っていました。

スペインで最初に産業革命を成し遂げたバルセロナには、当時のスペイン工業の40%が集中していて、(驚くべき事に)カタルーニャの1880年代の綿糸生産量は日本、オランダやベルギーにも優っていたそうです。それは1970年代にピエール・ヴィラール(Pierre Vilar)によって明らかにされています。それを指して「スペインのマンチェスター」、「スペインのなかの小さなイングランド」という呼び名が生まれたほどでした。

カタルーニャ歴史博物館(El Museo de Historia de Catalunya)などに行くと、当時の様子を描いた絵画などがずらりと並べられているのですが、市内には沢山の工場が建設され毎日のように黒い煙を出しながら操業していた様子をよく伝えています。これらの工場は工業の衰退と共に使われなくなって忘れられたかのように都市の中に佇んでいるのですが、それをどうにかこうにか活用出来ないか?というのが今日の記事の内容だったんですね。

(ちょっと余談ですが、かつてイグナシ・デ・ソラ・モラレス(Ignasi de Sola Morales)はこのような忘れられ放置された空間の中にこそ、実は過去の記憶、生々しいリアリティが生きているのではないか?という事を論じ、そのような空間をテラン・ヴァーグ(Terrain Vague)と呼びました。
地中海ブログ:イグナシ・デ・ソラ・モラレス( Ignasi de Sola-Morales)とテラン・ヴァーグ(terrain vague)

さてバルセロナ文化研究所(Institut de Cultura)がイニチアティブを取って進めている工場再利用プログラムの名は"Fabricas para la creacion"。日本語に直訳すると「創造の為の工場」みたいな感じかな。簡単に言うと使われなくなった工場群を文化施設に転用しよう、と、まあこういう事ですね。こんな事はヨーロッパの都市なら何処でもやっている事なのですが、僕が注目したのはその裏にあるコンセプトです。バルセロナ文化研究所長のJordi Martiは、このプログラムを始めるにあたり、こんな事を言っています:

「我々は文化活動に投資するだけではなくて、そのインフラにも投資する必要があったという事に気が付いた

"Nos hemos dado cuenta de que era necesario invertir en infraestructuras, y no solo en actividades" 」


つまり文化活動を促進する為には活動を支援するだけでなく、施設などのフィジカルなインフラが必要なのではないか?」と考えられているという事なんですね。

これを読んでいた時は「あー、そうりゃそうだよね」とか思ったのですが、良く考えてみたら、これって日本の状況とは全く逆なのでは?という事に気が付きました。日本も状況が変わりつつあると思うので、一概には言えませんが、よく聞かれる批判として「箱物政策」というのがあると思います。つまり建築作って終わり。中身無しみたいな。

バルセロナがここで言っている事は箱物とは全く逆ですよね。活動を支援していったけど、それだけでは限界に達してきたのでそれを促進する為に諸活動を入れる箱を作ろうといっている訳です。ちなみに工場のリノベーションには2300万ユーロ、日本円にして27億の予算が付いています。もひとつちなみに、バルセロナ市の年間文化予算が約一億4000万ユーロ。(日本円にして約170億。)これは市の全体予算の約6%にあたります。

ここでは詳しく書きませんが、実はこのような「中身先、箱後」って民主化後、バルセロナがずーっとやってきた十八番だと思うんですよね。例えば何故にオリンピックをテコにした街大改造が成功したかというと、フランコ政権時代に社会的インフラに何も投資がされなかったから、仕方が無く市民が自発的にそれらのプログラムを作り運営していたという経緯があります。それらのプログラムが1986年にオリンピックの権利を勝ち取った瞬間から建築を伴った具体的なものへと変貌して言ったわけです。つまり先に「内容」があって、それに必要な建築がデザインされた訳です。故にその時代の建築とはその社会の表象たり得たし、そうする事を建築家に期待されていた時代だったんですね。これこそ建築の醍醐味!

もう一つの例としてはやはり公共空間ですね。バルセロナが巧かったのは小さな公共空間を作っただけではなくて、そこにカフェなどの諸活動をも促進した事だと思います。

どちらにしろ中身(プログラム)が先にあったという事には変わりがありません。そして今正に文化活動を核としたもう一つの例が生まれようとしています。今後大注目です。
| バルセロナ都市 | 21:32 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
スペイン高速鉄道(Alta Velocidad Espanola:AVE)に見る社会変化の兆し
昨日の新聞(La Vanguardia, 25 Noviembre, 2008)にスペイン高速鉄道:AVEに関する記事が載っていました。去年の2月20日の運行開始以来、着実に利用客数を伸ばし、それまで市場を席巻していた飛行機の市場を約37%ももぎ取る勢いだそうです。これまでの9ヶ月間の総利用者数は約170万人。まだAVEが存在していなかった昨年同時期のマドリッド(Madrid)ーバルセロナ(Barcelona)間の普通電車利用者数(544,951人)に比べると約3倍に伸びているのが分かります。

開通当初からこの高速鉄道には注目していたので、当ブログでもマドリッドの都市戦略と絡めた「マドリッドの都市戦略その1:美術(美術館)を軸とした都市活性化」や初めての高速鉄道体験と絡めた「マドリッド旅行その1:高速鉄道(Alta Velocidad Espanola:AVE)に乗ってきました」などをレポートしたんですね。

上述のように飛行機との市場争いに火花が散っているので、このような詳細なデータがちょくちょく新聞に載るのですが、今日のラ・バンガルディア紙(La Vanguardia)は珍しく(笑)ちょっと切れの良い事を言っていました。

「高速鉄道の効用は、ある利用者層の心を捉えた。以前はピストン空輸路線が最も相応しかったビジネスマンである。その一方で、激安旅客機はバックパッカー達を運んでいる。以前は普通電車に乗っていた者達である。つまり、会社役員はAVE、バックパッカーは飛行機(という逆転現象が起こっているのである。)」

" El impacto de la alta velocidad ha captado a un perfil de usuario- hombre de negocios-que era mas propio del puente aereo, mientras que los vuelos baratos se llevan a los que antes iban en tren. Ejecutivos al AVE, mochileros al avion"(La Vanguardia, p5, 25 de noviembre 2008)


やれば出来るじゃないですか、ラ・バンガルディアさん!!!

さて冗談はこれくらいにして、では何故ビジネスマンにAVEが好まれるのか?ラ・バンダルディア紙はその一番の理由に時間の正確さを挙げていました。これには納得。これは僕自身が体験した事ですが、1時間遅れが当たり前のスペインにおいてAVEは日本の地下鉄並みの正確さで運行されています。

(余談ですが、一昨年日本に帰った時に実家の最寄の地下鉄駅で電車を待っていた時の事、電車が遅れているらしく館内放送が入りました。

「電車が遅れておりまして大変ご迷惑をおかけしております。1分遅れです。」1分かよ!!!さすが日本。)

AVEはこの時間の正確さを一番の売りにしているので、時間の遅れによって返金保証をしています。15分遅れると半額返金で、30分以上遅れると全額返金というかなり太っ腹の保障。それだけ自信があるという事ですね。

それ以外にもキレイ、席が広いなど挙げれば切りが無いくらいの利点があるのですが、一番うれしいのはなんと言っても時間の節約です。それは一番最初にAVEに乗った時の感動が、良く出ている以前のエントリに僕はこのように書いています:

今回実際に高速鉄道を利用してみて初めて分かったのですが、高速鉄道を使う最大の利便性は待ち時間です。飛行機の場合、少なくとも1時間前には空港に居なくてはなりません。更にそこからチケットやセキュリティの列に並び、飛行機に搭乗しても飛行機が飛び立ち安定飛行に入るまではパソコンも開けない状況。

それに対して高速鉄道の場合には、列車発射の15分前までに行けばよく、入場やセキュリティなどの待ち時間はほとんど無し。列車は必ず定刻に発車し、席に着いたと同時にパソコンの電源を入れられます。何より席のスペースが飛行機よりも断然広いし揺れも少なく非常に快適。

加えて言うなら、列車内にあるカフェテリアでコーヒーを頼んだ所、一杯1.4ユーロでした。これは安い。飛行機なら軽く3−4ユーロはいくでしょうね。

高速鉄道のバルセロナ−マドリッド間の所要時間は約2時間40分なのですが、上述の空港までの移動時間や待ち時間などを考えると圧倒的に高速鉄道の方に分があるように思います。何より観光を目的としてマドリッドに行く人にとって、駅を出た直ぐの所がレイナ・ソフィア美術館であり、プラド美術館だというのは非常にうれしい。

地中海ブログ:マドリッドの都市戦略その1:美術(美術館)を軸とした都市活性化


個人的に一番うれしいのは列車に乗った瞬間からパソコンが開けるの事です。バルセロナからマドリッド到着の2時間半というのは会議やカンファレンスのレジュメを作るのに丁度良い時間です。前回AVEを利用したのは丁度バルセロナコスプレ大会(Salon de Manga en Barcelona)直後、しかも今年の「コスプレ地中海ブログ賞」はフリーザ様だったので、久しぶりにドラゴンボールが見たくなって2時間半、ぶっ通しでYoutube見てました。しかもナメック星の辺り。

まあ、ドラゴンボールはどうでもいいんだけど、こんな事が出来ちゃうという所がミソかな。未来喪失論じゃないけど、21世紀になった今、人間は火星には住めなかったし、空飛ぶ車も発明出来ませんでした。(ウィリアム・ミッチェル(William. J Mitchell)が彼の学生と面白い発明はしていますけど・・・)でも、世界とリアルタイムで繋がるというちっちゃな夢、60年代万博をちょっと賑わしたちっちゃな夢は実現出来ているような気がします。

ラ・バンガルディア紙が指摘しているバックパッカーに関しても一理あると思います。以前の若者のイメージというのはリュックを背負って青春18切符ならぬ、ユーロパス(ヨーロッパ版、青春18切符)を持ちつつ鈍行で15時間くらいかけて各都市を巡るというのが常でした。しかし今そのイメージが変わりつつあります。Ryanairなどの超激安飛行機の登場によって、若者は今、どんどん飛行機を選ぶ様になっているんですね。

1−2年前、ロシアのリトビエンコ氏がロンドンで暗殺された時、その放射線汚染(ポロニウム210)が大きな問題になった事は記憶に新しい所です。しかしその時、一番懸念された地域が実はバルセロナだったというのはあまり知られていないんですね。何故かと言うと、ロンドンが一番多く空の便を結んでいる都市がバルセロナだからです。これは明らかにEasyJetや Vuelingなどの超激安旅客機の影響です。最近ではこれらの傾向(激安ショップ郡)を指して、チープエコノミーという造語まで作られています。

飛行機と言えば昔は未来の代名詞でした。空を飛んでいく海外旅行なんて、一世一代の大仕事だったんですね。しかもそれはそんなに大昔の事ではなくて、つい10年くらい前の話。だから飛行機=高い=金持ち=ビジネスマン、電車=安い=貧乏=学生みたいなイメージがついたんだと思います。しかし今、そのイメージが劇的に変わりつつある。

かつてイグナシ・デ・ソラ・モラレス(Ignasi de Sola Morales)は「社会、経済そしてテリトリー。この3つの要素は同時に変化していく」と言いました。今、(チープ)エコノミーの影響で社会が変わりつつあります。その影響が果たしてテリトリーの何処にどのように現れるのか?それが今、僕の一番関心のあるところです。
| バルセロナ都市 | 23:06 | comments(4) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
中村研一研究室の荒川君、バルセロナ訪問
建築家、中村研一さんの研究室所属の荒川智充君がバルセロナを訪問してくれました。ありがとー。荒川君には夏に一度、中村研一さんの研究室でお会いしたのですが、自分のやりたい事をしっかりと持ち、大学のボランティア・NPOセンターの地域活動リーダーとして活躍するなど、近年の学生とは一味違う大変活発な学生さんです。何でも設計と論文を書きながら某市のお祭りパレードを企画・実行しているとか。素晴らしいです。がんばってください。

さて、数年前に結婚式教会の村瀬君の紹介で知り合った建築家の中村研一さんなのですが、夏に日本に帰った際には何時も時間を取って頂いてお話を聞かせてもらっています。その話の面白い事。博識の上にスーパー謙虚。僕の無茶苦茶いい加減な話とかも「うん、うん」と真摯に聞いて下さいます。

今年もお忙しい中、わざわざ僕の為に時間を取ってくださって沢山の有益な話を聞かせてもらっちゃいました。知らず知らずの内に4時間とか話込んでしまったのですが、今年一番利いたお話は「歴史」に関するものでした。

歴史というのは常に権力者の視点で書かれたものであり、それこそがオフィシャルな歴史として後世に伝えられていきます。裏を返せば大衆の視点から見た歴史はどんなに正しかったとしてもアンオフィシャルな歴史として捏造されるか抹殺されるんですね。

そのような視点から書かれた最高の良書が以前に紹介したジョセップ・フォンターナ(Josep Fontana)の「鏡の中のヨーロッパ( Europa ante el espejo)」であり、テラン・ヴァーグ(terrain vague)という視点で都市の無意識を論じたイグナシ・デ・ソラ・モラレス( Ignasi de Sola-Morales)だったわけです。以前書いた箇所を引用しておきます:

そんな彼が1994年に出版したのがヨーロッパの歴史を網羅しつつ、コレでもかというくらい分かり易く書いてある「鏡の中のヨーロッパ」です。フォンターナの冒頭の言葉がこの本のスケールの大きさを物語っています。

「ヨーロッパはいつ生まれたのだろうか。」

こう問う時、彼の頭の中にあったのは1993年に出版されたポミアン,クシシトフ( Pomian Krzysztof) のL’ Europe et ses nationsであろう事はこの本の訳者である立花さんが指摘されています。

手短に言ってPomian Krzysztofは、ヨーロッパというのは自己と他者を明確に分ける為に外部との境界性を定める事によって形成されてきたと言います。その一方でフォンターナは自己と他者を分ける外部の境界性の存在だけではなくて、その内部にさえも自己と他者を分ける力学が働いてそれがヨーロッパを形成してきたと訴えます。つまり内部の社会システムを保つ為に大衆を野蛮人の地位に押し込める事によってヨーロッパは発展してきたというわけですね。そしてこれこそがゆがんだ鏡に映った自己自身であるというわけです。

このゆがんだ鏡に映った自己自身とは何を隠そう、ヨーロッパの無意識という事だと僕は理解しています。
そしてヨーロッパが歴史的に大衆を野蛮人という地位に押し込める事によって発展してきたという事実は現代都市にも、いや、現代都市にこそ当てはまると思います。特にイグナシが「テラン・ヴァーグ」を発表してから10年余り経った現在では都市の主モーターが変わると同時に、その新たなるモーターの回りに都市の全ての現象が引きずられているように思われる現在ではなお更です。

そんな状況下において、都市は大衆を新たな野蛮人に仕立て上げ、その地位に押し込める事によってグローバル化の中における自身の地位を上げる為にイメージ競争に奔走しているのです。その結果が観光化によるジェントリフィケーションという今我々が直面している大問題なわけです。

その辺の事を考慮に入れて僕が当ブログでシリーズ化したのが「広告都市」論です。詳しくはこちら。この広告都市論は別名、現代都市におけるテラン・ヴァーグと勝手に名付けています。イグナシに是非見せたかった僕の自信作です。


前文はコチラ

さて、今回中村先生にお会いした時にこんな事を言われました:

「Cruasan君、ラテン語で歴史ってなんていうか知ってる?」
「はい、Historiaですよね」
「そう。で、Historiaって「歴史」っていう意味の他にどういう訳がある?」
「歴史、歴史書、物語・・・」
「そう、歴史って物語なんだよ!」

コレです。これこそ僕が長い時間を掛けて長々と幾度かのエントリで説明しようとしてきた事なんですね。それを一言で言われてしまった時のショックと歓喜。しかも僕の説明なんかよりもよっぽど分かり易いし。

色々な人と話していると極稀に日本刀でスパっと斬ったような切れ味鋭い事を言う人に出遭います。故小寺武久先生が正にそんな感じでした。

物事を良く知っている人、その本質を理解している人というのは、難しい事を簡単に説明する事が出来るんですね。逆に表層的な人というのは、簡単な事をわざわざ難しく説明しようとする。僕も常に前者でありたいと思っているのですが、ナカナカそう巧くはいかないものですね。

別れ際に中村先生が最近出版されたコルビジェに関する書籍、

サヴォワ邸/ル・コルビュジエ (ヘヴンリーハウス-20世紀名作住宅をめぐる旅 1) (ヘヴンリーハウス-20世紀名作住宅をめぐる旅 1) 中村 研一、五十嵐 太郎、 後藤 武 (単行本 - 2008/5/21)

を頂いてしまいました。しかもサイン入りで。もうちょっとしたらゆっくりジックリ読んで、是非感想を書きたいと思います。
| 大学・研究 | 18:45 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)の建築その2:バラニャ市民会館(Centro Civico de Hostalets de Balenya)に見る建築の質:社会文化の表象としての建築:ミラージェスの場合
前回のエントリ、エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)の建築その1:バラニャ市民会館(Centro Civico de Hostalets de Balenya):行き方の続きです。

ミラージェスの建築を実際に訪れて僕が感じた事は、彼は建築空間を他の建築家とは全く違う方法で創っているのではないか?という事でした。建築を構想する時、核になるのは空間であり空間同士の繋がり、そしてそれらの空間がどのような「物語」を紡ぎ出しているかという事だと思います。建築家は何か一つやりたい事があって、その一つのアイデアが実現出来ていて、それが明確に見えれば建築というのは僕は十分だと思うんですね。そしてその一つの「かけがえの無いアイデア」をどのようにドラマチックに展開して行くかという所にその建築家の個性と創造力が現れる訳です。

しかしどうもミラージェスの建築を見ていると、彼はまるっきり違った思考をしているような気がする。手短に言うと彼の建築は「アイデア一発勝負」だと言う事が出来ると思います。(と書くと早急な読者の方々からすごい批判が飛んきそうなのですが、決して悪い意味で言っている訳ではありません。最後まで読んでください)何かやりたい事=アイデアがあって、その空間が一つあって終わりみたいな。そこに辿り着くまでの前室だとか、人を回り込ませる空間だとか、そういうものは一切無し。ドラマチックな空間があって終わり。そしてその一つの空間が、大抵の建築が備えている「物語」を持っていない事による損失以上の爆発的な質を醸し出しているので、不思議な説得力がある。

これは彼が手掛けて来た建築の規模やタイプが偶然そうだったのか、今まで比較的空間のシークエンスを必要とするような大規模な建築を手掛けるチャンスに恵まれなかったのか、なんて思ったりもしましたが、45歳という若さでなくなってしまったので、その後彼がどのような展開を見せたのか?は永久に知る事が出来なくなってしまいました。(思えばカタルーニャは実践においても理論においても今世紀の建築を引っ張るリーダーたり得る地域だったのですが、それを期待されていたミラージェスが2000年7月に、イグナシ・デ・ソラ・モラレスが2001年に亡くなってしまった為、見果てぬ夢となってしまいました)

僕は前回のエントリで「日本に居る時は彼の建築の良さが全く分からなかった」と書きました。主な理由は2つ。一つ目は前回も書いたように、彼の建築の質は写真には写らないものだからです。だから日本でエル・クロッキースを「ぼー」っと眺めていた時は、この建築の何処がどう良いのかさっぱり分からなかった。

彼は晩年のインタビューでこう語っています。

・・・これは、私の仕事の進め方のなかで、視覚は一番重要な事柄ではないという事実と関係があると思います。私のプロジェクトは単なる視覚以上のものに大きく依存しています。
Studio Talk, 15人の建築家の物語、インタビュー二川由夫, P641

建築旅行をしていると、写真だけで十分、もしくは写真の方がドラマチックに撮ってあって実際に見たらがっかりしたというのは良くある事ですが、ミラージェスの建築は全く逆だと断言できます。

2つ目は結構重要な事なんですが、どうして彼の建築はこんなにグニャグニャしているのかな?という事なんですね。これは一見馬鹿げた問いのように思えますが、建築の本質を探る重要な問いだと思います。何故ならこの問いは「彼の建築が一体何を表象しているのか?」に関わるものであり、本や写真を眺めていても絶対に分かりっこ無い種類の問いだからです。

先ず僕は建築とはその社会文化を表象する芸術行為だと考えています。コレが意味する所というのは、建築を理解する為にはその建築、もしくは建築家が育った地域の社会文化を理解する事から始めなければいけないという事です。僕はその事をポルトガルの文化に深く根ざしたアルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)の建築から学びました。彼の建築の最も優れた所というのは、デザインのセンスや形の面白さでは無く、彼の建築が否応無く表してしまうポルトガルの社会文化だと思うんですね。だからシザの建築を指して「詩的だ」という解釈にはあまり賛成出来ません。「詩的」だという説明は他の言葉で説明出来ない時の逃げに使われている気がするからです。

全く同じ事がミラージェスの建築にも言えて、彼の建築は地中海都市であるバルセロナの社会文化を良く表していると思います。その事に気が付いたのはこちらに住み始めて2年くらい経った時のことでした。

地中海特有の天気、毎日晴れ。明日も晴れ、明後日も晴れ、ずーっと晴れ。ニュースを見るとお天気マークが「これでもか」というくらい続いているし、キャスターは「今年の雨日数は2週間でした」とか言ってるし。こんな毎日天気の良い日が続くと自然と人が公共空間に出て来て、様々なアクティビティがそこで繰り広げられる事となります。更に昼間は暑いから自然と活動は朝方、もしくは夕方から夜にかけてという事になる。すると夕食時間がそれだけズレ込んで夜中1時を過ぎても屋外で夕食会が普通に開かれているという状況が生まれる訳です。

これが地中海都市でこれほど公共空間が重要視される理由だと思うんですね。そしてそれがこの都市の人々にバイタリティを与えている。燦燦と降り注ぐ太陽の下で育まれる生命力、何時まで経っても終わる事なく続くアクティビティ、絶え間ない笑顔、それに背中を押された社会の楽観主義。これら全てを正に「一撃の下に表している」のがミラージェスの建築であると思う訳です。かの有名なニューヨーク近代美術館(MOMA)での展覧会、「脱構築主義者の建築展」によって形態が似ている他のグニャグニャ建築と一緒にはされていますが、その本質、彼の建築が何を表しているか?という点において他の建築とは明らかに違う。

このような生命の爆発が先の「一発のアイデア」と折り重なった時、物語を必要としないくらいの爆発力を伴った空間が出現するのではないのでしょうか。今回バラニャ市民会館を訪れてそう強く感じました。

エンリック・ミラージェスの建築その3:バラニャ市民会館に見る建築の質:実際に建築を訪れる事の大切さに続く。
| 建築 | 17:53 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ミラノ旅行その7:ミラノの都市戦略その1:都市マーケティング政策
ミラノという都市についてどうしても書いておかなければならない事があります。それがミラノの都市戦略です。今までローマヴェネチアといったイタリアの諸都市を訪れてきたのですが、ミラノには明らかにそれらのどの都市とも違った「都市戦略」がその裏に存在しているのではないのか?という事を今回実際に訪れてみて感じました。

僕なりに整理してみた結果、それらの戦略は大きく2つに大別する事が出来るかと思います。一つ目はミラノのブランディング政策(都市商業政策)について。これは多分イタリアの諸都市で行われている事とかなり近い事が成されていると思いますが、ミラノの特徴はデザイン優先でそれがなされている点が他の都市とは違うかと思われます。もう一つはビッグイベントを利用した都市発展手法について。これはバルセロナが最も得意とする戦術であり、イタリアではミラノという都市コンテクストだけが許した特有のシナリオだと思います。(この事についてはミラノ都市戦略その2で詳しく論じます)

それらの戦略が展開された理由を考えて見た時に真っ先に思い付くのは、ミラノという都市は他のイタリア諸都市と比べると中心市街地といえども歴史的な街並みがあまり残っていないという事が一つ挙げられるのではないかと思うんですね。だから歴史的な遺産に頼らずに都市間競争を勝ち抜く戦略(意識的に観光客を惹き付ける戦略)が要求されたのではないのか?という事が推測されます。

先ずは一点目から。
ミラノと言えば「ファッションの街」というのが思い浮かびますが、これは戦略的に捏造された節があります。それに気が付いたのは世界的に有名なモンテナポレオーネ通り(Via Monte Napoleone)の高級ブティックの集積状況とそこの雰囲気を目の当たりにした時でした。





この通りはヨーロッパの目抜き通りによく見られるような歩行者空間ではなくて、一般車の進入を許しています。しかしこの通りが一般道路と少し違うのは、この街区が醸し出す独特な雰囲気がフェラーリなどの高級車ばかりを呼び寄せている事なんですね。



観光客もそんなモーターショーさながらの様子をカメラに収めようと押しかけて来ていて、ブティックと相乗効果を生んで街区のブランディング化に一層の拍車をかけています。

よく知られているようにイタリアでは伝統的に小さな職人企業が都市の商業を支えてきました。そんな中から世界的なブランドであるフェラガモ(Ferragamo)グッチ(Gucci)といった大変優れたブティックが出てきたのは事実なのですが、それだけでミラノという街がファッションの街としてこれだけ活気を帯びるまでになったとは到底思えない。何よりある特定の街路レベルでこれだけのブティックの集積が見られるのには、明らかにその裏に官の「都市を売っていこう」という都市戦略の影がちらほら見えるわけですよ。

とか思いつつ、以前にも紹介した宗田好史さんの記念碑的作品、「にぎわいを呼ぶイタリアのまちつくり:歴史的景観の再生と商業政策」を紐解いて見るとやはりありました、それらしい記述が。

「・・・この大規模店立地の規制よりも、戦略的な視点から商業集積を誘導する手法にこそイタリアの商業計画の特徴がある。」(p182)

この記述はヨーロッパが直面していた中心市街地の衰退という大問題に対して各都市が小売業の衰退を憂慮して大規模店を立地させる事を規制した政策に対して、イタリアは戦略的に街路レベルで、ある特定の商業を集積させる政策を展開してきたという文脈で語られています。そしてこの街路レベルにおける店舗の戦略的展開こそがイタリアまちつくりの特色であると言われているんですね。

更にこの後具体例としてローマ市の試みが語られていますが、そこではあたかも街全体が一つのスーパーマーケットのように見立てられて商業立地計画がより効果的になるように決められているそうです。
「新戦略を語るこの商業局長が、ローマという大デパートの店長のように、テナント各社に号令する姿」(p189)が見られたそうです。

日本の街並みでは想像しにくいかと思いますが、ヨーロッパの街構造と都市計画に慣れた人ならこの感覚はものすごくよく分かると思います。以前のエントリで書いたように、僕達はバルセロナの都市戦略の一環としてバルセロナ中心性創出プロジェクトやバルセロナの各街区レベルにおける歩行者空間プロジェクトなどを行っています。その時に都市分析の道具となるのがGISであり、GIS上にデータとしてインプットされる街路レベルの商業活動なんですね。このようなデータを日々見ていると、街区や街路を一つのデパートや食料品通路などに見立てるというアイデアはものすごく良く分かる。それに沿って歩行者の誘導や人の流れを呼び込むといった政策を展開したいんですが、そこまでやっている都市はヨーロッパには何処にもありません。何故なら今の段階ではそのレベルの都市分析は不可能だからです。詳しくはココ。

イタリアではこのような都市商業政策は「都市マーケティング」政策と呼ばれているそうです。更に「まちつくりからの取り組み以上に、中心市街地はまず人から活性化するものである。」(p178)というコンセプトの下、「・・・自治体は小売・サービス業を町の基幹産業として位置つけてきた。基幹産業をささえる人材を養成し、サービスの質を競争力にする。・・・」(p178)それこそイタリアのまちつくりの核にある戦略だと言われています。

街の再生を人の再生から考えている所が大変興味深いです。と同時にこれって南欧都市に共通の認識なのかな?ともふと思ってしまうんですね。何故ならバルセロナの場合は正にその「人の再生」を「公共空間の再生」に期待していた訳ですから。

もう一つの共通点としては両都市共にデザインを主なツールとして進めてきたという事が言えるかと思うんですね。1999年に英国で出版された「アーバンルネッサンスに向けて(Toward an Urban Renaissance)」の序文で当時のバルセロナのカリスマ市長だったパスクアル・マラガル(Pasqual Maragall)はこんな風に語っています:
「(パブリックスペースは)先に質、量はその後(Quality first, quantity later) 」

つまりデザインを通した公共空間の質を優先すべきで量が問題なのではない。そしてバルセロナの成功の秘訣は公共空間を量産した所には無くて、質の高い公共空間を提供した所にその秘密があると、こう言っているわけです。

もしくは同じ序文におけるリチャード・ロジャース(Richard Rogers)の言葉:
「我々の(ロンドンの)アーバンデザイン、もしくは都市戦略の質に関しては、多分アムステルダムそしてバルセロナに20年は遅れている(in the quality of our urban design and strategic planning, we are probably 20 years behind places like Amsterdam and Barcelona)」

このようなデザインを中心に据えたバルセロナの活性化手法に対して、ミラノという都市は他のイタリア諸都市が当たり前のように持っている歴史的中心街が無い事をバネとして、その欠点をあたかもデザインの力で埋めようとしているかのように思われます。その結果が良く統一された街路空間となり都市全体の魅力を高めている訳ですね。



かつてイグナシ・デ・ソラ・モラレス(Ignasi de Sola Morales)は「経済、社会、そして風景。これら3つの要素は同時に変わっていく」と語りました。これは1960年代にヨーロッパ各都市を悩ました中心市街地の衰退にも全く当てはまり、それこそがこの問題の根の深さを物語っているんですね。つまりその問題をどうにかしようと思ったら、その内のどれか一つを解決すれば状況が改善するという単純なものではなく、3つ同時に扱っていく必要があるという事です。

このような途方も無く深い問題にイタリア各都市は真摯に向き合い、伝統的な小売業や職人気質といった伝統の上に「都市マーケティング」を重ね合わせながら独自の方式で、スクラップアンドビルトとは全く違う都市活性化手法を提示しました。更にそれがフィジカルな環境だけではなくて、人をも含んでいる所こそ我々日本人が注目すべき点だと思います。
人を育てる事による都市の成熟化。正に「ルネッサンス、情熱ー」
| ヨーロッパ都市政策 | 16:00 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
バルセロナの新たなる都市戦略:ビルバオから学ぶバルセロナ都市圏再生の曙
民主化後バルセロナは明確な都市戦略を持ち、様々なイベントを通して都市を戦略的に開発・発展させてきました。それは今日バルセロナ都市戦略、もしくはバルセロナモデルとして欧米で高い評価を得ています。しかしながら、勿論そこには成功の影に隠れた/隠された急速な発展に付随する負の面がある事も否めません。

その点をかなり手短且つ乱暴に要約すると、1992年(オリンピック時)に都市をグルッと取り囲む高速道路を建設して都市の境界線を定め、投資を集中的にその内側にすると同時に、邪魔なモノや見たくない諸問題をその外側に放り投げ、問題を先送りするという事をしてきたんですね。だから大変よく整備された旧市街や新市街を見て、「バルセロナは各都市が抱えているような問題が解決出来ている」という結論を出すのはあまりにも早急すぎると言わざるを得ません。

そんな事は既に1996年の段階でイグナシ・デ・ソラ・モラレス(Ignasi de Sola Morales)が指摘していました。

「・・・バルセロナの都市問題は境界線を越える傾向を強めている。交通・住宅問題、社会的差別問題や工場施設の問題などはみな、小バルセロナの外に吐き出されている。見かけ上バルセロナは、メトロポリスが例外なく抱える大問題のほとんどから解放されているかのようだ。しかし、この見解は全くの偽りである。小バルセロナを大都市圏の中でとらえた解決策がない。存在しているのは地図上の見せかけの線引きとこのフィクションを維持したほうが好都合だとするカタルーニャ自治政府の思惑のみだ。バルセロナが大規模事業を成し遂げ、美しく再生されたその影で、都市政策が十分でなく、適切な施設を備えていないところに、代償は回ってきている。大都市圏の中心バルセロナが解決せずにたらいまわしにしている問題はみな、弱体な都市基盤のところに飛び火しているだけなのである。・・・」

イグナシ・デ・ソラ・モラレス、キクカワプロフェショナルガイド、バルセロナ、Vol6.1996


その負の面のシンボルともいうべきエリアがバルセロナの北東を貫くベソス川(Rio Besos)周辺エリア(La Mina)に存在します。このエリアにはオリンピック時に旧市街地に住んでいた貧困層の人々やジェントリフィケーションで中心街に住めなくなった人々などが集められ、社会的問題の吹き溜まりのような様相を呈しています。更に川向こうにはゴミ焼却場や浄水プラントなど、都市にとっては無くてはならないんだけど、あまり見せたくない施設が集積している地区でもあるんですね。更に川岸の2軸、東西南北で異なる自治体がひしめき合っているので、川の向こうとこちら(東西軸)の接続性は無いに等しく、川岸の南北軸では自治体間を越えてプロジェクトを創出し、統一された景観を創り出すなんて事は夢の又夢でした。

正確に言うと、川を基軸に据えた自治体間の協力によるプロジェクトの可能性はかなり前から議論されてはいました。しかし異なる自治体間を越えた複雑極まりないそのようなプロジェクトを実現する事は、長い間、非常に困難だと思われていたんですね。何と言っても利害関係の調整がこの上なく難しいので。そのような事態が動いたのはごく最近の事です。

川岸を構成する5つの異なる都市(Barcelona, Sant Adria de Besos, Badalona, Santa coloma de Gramenet, Montcada i Reixac)がその周辺に跨る50を超えるプロジェクトを成功に導く為に共通プラットフォームであるコンソーシアム(Consorcio)を創り出したんですね。この裏にはこのエリアを15年近くかけて競争力のあるエリア(新たなる中心)に育てていこうというバルセロナの思惑が見え隠れしています。その時にこのエリアの核と考えられているのが、サグレラ駅(Estacion de la Sagrera)です。マドリッドやフランスからの高速鉄道(AVE)発着駅に位置付けられている未来の大型駅にはフランク・ゲーリー(Frank O Gehry)設計によるオフィス圏住宅が付与される事が既に決定されています。



ここで注目すべきはゲーリーのド派手な建築デザインではなくて、その裏に存在するであろう都市の戦略です。実はこの新駅は計画当初、現在の市内主要駅であるサンツ駅(Estacion Sants)近辺に建設される事が決まっていました。しかしですね、大型駅の周辺にもう一つ大型駅を持ってきたって、都市全体としてみた時の成長というのはあまり無いわけですよ。それよりは全く諸活動が無いような所へ、起爆剤として駅を建設して都市に対する新たなる中心性を創り出す方がよっぽど生産的である、とこういうわけですね。

何を隠そう、この新駅を用いた中心性創出案を提案、実現したのは現在の僕のボスです。今から約15年前、まだカリスマ市長マラガル(Pasqual Maragall)が現職だった時の事らしいです。その当時はまだ今ほどGIS(Geographical Information System)も発達していなくて、街路ごとのカフェなどの諸活動を調べるのに大変手間取ったそうです。

まあ、とりあえず、僕はこのバルセロナの打ち出した新しい都市戦略を高く評価します。何故ならこの計画はバルセロナが初めて打ち出した、環状線を越え異なる自治体間で協力関係を仰いだ計画であり、今までゴミ捨て場として問題を先送りしていたエリアへの初めてのメス入りだと思われるからです。先のイグナシの言葉で言えば、「大都市圏の中心バルセロナが解決せずにたらいまわしにし」、「弱体な都市基盤のところに飛び火」している問題に対して、バルセロナが初めて直視し始めたという事です。

この計画を聞いた時に、僕が非常に巧いなと思ったのは「川」をキーワードにして協力関係を築いたという点ですね。異なる自治体間で協力関係を築くには何かしら共通する要因が必要となります。考えられるものとして主に2つある気がします。一つは文化的な何かを共有している場合。もう一つは地理的要因を共有している場合です。有名な所では、1989年にフランスのDATARが行ったブルーバナナ分析に基ついて、バルセロナがバルセロナプロセス(Barcelona Process)として発達させた地中海の弧連携。この連携は地中海を共有しているという地理的要因を基盤にして実現しました。

もう一つはネルビオン川(Ria Nervion)というビルバオ大都市圏を貫く川を構成する30を超える自治体から成る、ビルバオ再生の原動力となったビルバオコンソーシウム(Bilbao Metropoli 30)。ビルバオの場合は、グッゲンハイムのインパクトが強くてナカナカ表には出てきませんが、グッゲンハイムという都市再生の主役に、舞台を整えた非常に重要なプロセスだったと思っています。このような、背景に流れるシナリオがしっかりしていたからこそ、ビルバオ都市圏再生が成ったんですね。決してグッゲンハイムが一人で都市を再生した訳では無い事を知るべきです。そして、そのグッゲンハイムが引き起こした大成功の裏に隠れるジェントリフィケーションという負の面の事も。

全く同じ事がバルセロナにも言えて、新エリアが出来た暁にはきっとゲーリーの建築がもてはやされ、あたかもそれだけで都市が活性化したかのような記事が雑誌を賑わす事でしょう。これは建築の元来の機能である、地域や社会の表象という役割を考えてみれば当然なのかもしれません。何故なら建築は正にそのエリアが活性化し、賑わっているぞという事を表象する事こそが仕事であり、それは建築にしか出来ない事なのだから。

しかしそれでも僕はあえて言いたい。その裏にある思考や、建築にそのような舞台を用意した都市の戦略にも目を向けるべきだと。
| バルセロナ都市計画 | 18:34 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
アントニ・ガウディ(Antoni Gaudi)の建築:コロニア・グエル(Colonia Guell)その1:行き方
土曜日の午前中、何気なくテレビを付けたらサグラダ・ファミリア(Sagrada Familia)が写ってた。ぼーっと見てたら無性にガウディ建築が見たくなって、天気も良い事だし、ガウディの最高傑作として名高いコロニア・グエル教会に行ってきました。よく考えたら最後に行ったのが美術手帖関連の時以来だから、実に4年振り?

ガウディが1914年まで関わり、ついに完成する事の無かったコロニア・グエル教会はバルセロナから電車で約15分の所にある、その名も「コロニア・グエル」にあります。ここは元々、サンタ・コロマ・デ・セルベジョ(Santa Coloma de cervello)市という名前だったんですが、1890年にバルセロナの大実業家でありガウディのパトロンでもあったグエルさんが、その当時バルセロナ市内で勃発していた紛争を避ける為に、ここに繊維工場を移転させたんですね。その時、その工場と共に労働者の家とか文化施設なども建設しました。

グエルさん(欧米のお金持ちが皆そうであるように)が偉かったのは、自分が特別であり、社会に自分の富を還元しなければならないと自覚していた所でした。市(Colonia Guell,santa Coloma de cervello)が発行している街案内のパンフレットに、こうあります:

「コロニア・グエルとカタルーニャ地方に存在していたその他多くの工業住宅地との違いは、エウセビ・グエルが労働者の生活環境の向上に努め、文化保護の立場をとったことにあります。その結果、コロニア・グエルは文化的、宗教的な施設を備える一方で、モデルニズムの流れを新設の建築物に取り入れるため、様々な建築家が採用されたのです。・・・」

この街の風景を構成している建築物を手掛けた建築家リストを見ると確かに尋常では無い顔ぶれが並んでいます。例えば、モデルニズモの重要な建築家、ジョアン・ルビオー・イ・ベイルベー(Joan Rubio i Bellver)とか。彼は何を隠そう、あのイグナシ・デ・ソラ・モラレス(Ignasi de Sola Morales)マニュエル・デ・ソラ・モラレス(Manuel de Sola Morales)のおじいちゃん。さすが建築一家!

僕にとって何よりも興味深いのは、グエルさんのような人がきちんと、建築とは街の風景を構成するものであり、街の質やそこで生活する人々の生活の質に決定的な影響を与えると言う事を理解していた所ですね。ここで街の質という時、僕が想定しているのは公共空間の質と言う事です。公共空間の質はそれを取り囲む建築のファサードの質に明らかに依っている。そしてそれを背景として行われる人々の祝祭に大きく影響するわけです。

人は人生に彩りを与える為に様々な「祭」を発明してきました。そして地域によって異なるそのような「祭」の違いを我々は文化と呼んでいるわけです。この街にはそんな「祭
の質」を髣髴とさせる雰囲気が今でも残っています。そしてそれが建築に依っていると言う事を発見する時、とても感動してしまいます。

さて、こんな素敵な村コロニア・グエルへの行き方なのですが、先ずはスペイン広場からFGC(Ferrocarrils de la Generalitat de Catalunya)という鉄道に乗ります。Barcelona-Pl.Espanya発車でColonia Guell駅を通過する電車は、S33,S8,S4番ラインですね。これら3つのラインの内どれかが、約10分間隔で出ています。

この電車に乗る事約15分。Colonia Guell駅で降ります。



先ず降りたら電車進行方向に向かって歩き階段を上り、駅を出た直ぐの所に「コロニア・グエルこっち」みたいな標識があります。



この標識に従って車道沿いに歩く3分。





右手側に折れる最初の細い道にグエル工場があるので、そこで右に曲がります。



ここから真っ直ぐ5分程歩くと街中に出ます。
街に着いたら先ずは観光案内所を目指しましょう。



教会に入る為にはチケットが必要で教会では売っていないからです。一人4ユーロ(2008年4月現在)、コロニア・グエル教会と街のモデルニズモ観光パンフレット兼、観光案内所内のちょっとしたコロニア・グエルに関する展覧会入場料込み。

大変嬉しいことにパンフレットも展覧会も日本語訳があります。

アントニ・ガウディ(Antoni Gaudi)の建築:コロニア・グエル(Colonia guell)その2に続く。
| 建築の歩き方 | 20:40 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
グスタボ・ジリ社( La Editorial Gustavo Gili)とFrancesc Munoz: UrBANALizacion: paisajes comunes, lugares globales
昨日は朝から一昨日の続きでEU-practiceに参加。一昨日の夕食も夜中まで付き合わされた上に、今日も遅くまで続くんだろうなーとか思ってたら昼前に終わった。ラッキー。昼食を長々と取った後、6月のEU委員会へのプレゼンで会おうと誓い合って皆とお別れ。てっきり夜まで、下手したら明日もとか思ってた僕にとっては、久しぶりに出来た自由時間。天気も良いし散歩でもしようと思いセルダブロックがあるエンサンチェをぶらつく。

セルダブロックで知られるエンサンチェ(新市街地)の一番左側に位置するエリアをぶらぶらしていると、ふとこの辺りにグスタボ・ジリ社(La Editorial Gustavo Gili)があった事を思い出す。この辺りかなと思って行ってみたらやっぱりあった。約130メートルある辺を隅から隅まで住宅がびっしりと並ぶ中にぽっかりと開いた穴。





この秘密の洞窟っぽい通路がグスタボ・ジリ社屋へのアクセス路です。壁には矢印とシンボルマークのGGがかっこよくデザインされている。



グスタボ・ジリ出版社屋はカタルーニャに残る最良のモダニズム建築の内の一つとされています。前にも書いたように、僕が知っているグスタボ・ジリは創業者グスタボ・ジリの息子です。「親子で同じ名前付けるなよ、ややこしいな」とか思ってしまいますが、こちらではそういうものらしい。現グスタボ・ジリ社を取り仕切っているのはお姉さんであるモニカ・ジリさん。

今でも忘れられないんですが、初めてモニカさんに会った時の事、最近の出版業界の低迷とグスタボ・ジリ社への影響などを話してくれました。その中でバルセロナにある出版業界の新興勢力であるA出版社の勢いと、その出版社に勤める日本人Tさんの事を「小さな巨人」と話されていました。1,2回しかお会いした事はありませんが、僕がスペインで唯一尊敬する日本人Tさん。何時か僕もああなりたいものです。



さて、息子のグスタボ・ジリはカタルーニャで注目の若手建築家としてがんばっています。GG社屋の前にあるアパートは彼の設計によるものだそうです。GG社屋の中は現在、本屋さんになっているので自由に入る事が出来ます。ただ撮影は禁止。というわけで中の写真はありません。(写真を撮ってはいけないという所では写真は撮らないというのが僕のポリシーなので)

中は優しい光が包み込む透明感溢れる空間に仕上がっています。本屋さんで何か無いかなと物色していたら旧友のFrancesc MuñozによるUrBANALizaciónが発売真近とあるじゃないですか!3年前から出版する、出版すると言っていた彼だったのですがとうとう出版にこぎつけたか!何故かというと、プロローグをサスキア・サッセンに頼んだのに全然返事をくれないとの事だったのですが、無事解決したのですね。おめでとー。

彼は何を隠そうあのイグナシ・デ・ソラ・モラレス(Ignasi de Sola Morales)の最後の弟子です。地理学者である彼は元々マニュエル・カステル( Manuel Castells)やサスキア・サッセン( Saskia Sassen)などのネットワーキングシティに関心を持っていました。アンダルシアから出てきた彼はその主題と論文を持って当時カタルーニャに帰郷したばかりのマニュエル・カステルに近付こうとしたんだろうと思います。その間に居たのがイグナシ。フランセスクの類まれな才能に気が付いたイグナシは彼の耳元でこうささやきました。

「これからはサステイナブルシティという名の下に、コンパクトシティのモデル都市としてバルセロナモデルが輸出される事になるだろう。一見正しく見えるこのモデルにも弱点がある。何故なら伝統的にコンパクトな集住を可能にしてきた地中海都市においてさえもアーバニゼーションの力に抵抗する事は出来ないからだ。現にバルセロナはこの10年間でコンパクトどころか、反対にどんどんと拡散が進んでいる。バルセロナがコンパクトに見えるのはエンサンチェの活気が与える幻想に過ぎない。もし将来バルセロナがコンパクトシティという地位を守りたいんだったら、逆にどれだけの都市化が進んだかという定量的なデータと共に批判的な立場からモデルを擁護する必要があるだろう。」

こんな事言ったかどうか知りませんが(多分言ってないかな(笑))、彼の主題はカタルーニャにおけるアーバニゼーションに決まりました。更に、そのような低密度居住が現代文化とどう関係しているかという視点を盛り込み、英語の「表層的な」という意味のBanalと合わせてUrBANALizacionとなったと言うわけです。この時彼の頭にあったのはSharon ZukinのLandscape of Powerだったと思いますね。彼はかなり早くからZukinに注目していたし。

ここには明らかにイグナシの影響が見られます。彼は「経済、社会、風景、この3つの要素は何時も一緒に変化していく」と言っています。逆に言えば、これら3要素を一緒に分析しなければどのような都市現象も正しく理解する事は出来ないと言っているんですね。

フォーディズムが到来した時、その核心にあったのは「労働者が自社の製品を買ってくれる消費者にも成り得る」という視点でした。だからフォードは当時としては法外な賃金を労働者に払ったわけです。こうして先ずは工場の周りに労働者の住居が出来ました。そこで豊かになった人達は自分達が生産した車を購入し、郊外へと引っ越していきました。こうして社会と共に経済、風景も変わっていったのです。

このような基本的な考えをベースにSharon Zukinの理論などを巧みに利用しながらカタルーニャにおける低密度地域の再生産のプロセスを解き明かしたのがUrBANALizacionです。3年前に行われた彼の博士論文公開審査にイグナシは来る事が出来ませんでしたが、彼のお兄さんであるマニュエル・デ・ソラ・モラレス(Manuel de Sola Morales)がジュリーとして出席し、最大の賛辞を送っていた事が、昨日の事のように思い出されます。
| バルセロナ歴史 | 15:19 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
イグナシ・デ・ソラ・モラレス( Ignasi de Sola-Morales)とテラン・ヴァーグ(terrain vague)
前回、イグナシ・デ・ソラ・モラレスに言及したので今日は少し昔の事を思い出してみようと思います。

イグナシ・デ・ソラ・モラレスは建築史家・思想家として「メトロポリスとは何か」に多大な関心を寄せていました。彼は様々な分野を横断しありとあらゆる領域でありとあらゆる論文を発表していますが、その根底にあったのは「我々の時代における都市、メトロポリスとは一体何か?」、という大変に大きな設問だったと思います。だからその周りに「都市とは何か」を思考するジョセプ・ラモネーダ、「都市とは公共空間である」を謳うジョルディ・ボージャ、後に「UrBANALizacion」で一世を風靡するフランセスクムニョスなどバルセロナの頭脳が集まって来たんですね。

そんな彼の幅広い論考をまとめた書籍がグスタボ・ジリ出版社( Editorial Gustavo Gili,SA)からイグナシ・シリーズとして出版されています。

Ignasi de Sola Morales:Territorios: Barcelona, GG, 2002
Ignasi de Sola Morales:Inscripciones: Barcelona, GG, 2003
Ignasi de Sola Morales:Diferencias: topografia de la arquitectura
contemporanes: Barcelona, GG, 2003
Ignasi de Sola Morales:Eclecticismo y vanguardia y otros escritos:
Barcelona, GG, 2004

その中の一巻、Territoriosに収められているのがAnyplace会議で初披露され世界的に話題になった論文、「テラン・ヴァーグ」です。(この論文は田中純さんによって大変に読みやすい日本語に訳されています。)

「テラン・ヴァーグ( Terrain Vague)」とは、「曖昧さ」、「空虚な」、もしくは「波」といった多様な意味が含まれているフランス語だそうです。(僕はフランス語は知らないので)。この言葉によってイグナシは、都市において諸活動が行われた後に放棄された「空虚な場所」、「見捨てられた場所」ながら、何かしらの気配が濃厚に立ち込めている「空き地」や、曖昧で不安定な「都市空間」を表そうとしました。

“ Son lugares obsoletos en los que solo ciertos valores residuales parecen mantenerse a pesar de su completa desafección de la actividad de la ciudad. Son, en definitiva, lugares externos, extraños, que quedan fuera de los circuitos, de las estructuras productivas. Desde un punto de vista económico, áreas industriales, estaciones de ferrocarril, puertos, áreas residenciales inseguras, lugares contaminados, se han convertido en área de las que puede decirse que la ciudad ya no se encuentra allí.

Son sus bordes faltos de una incorporación eficaz, son islas interiores vaciadas de actividad, son olvidos y restos que permanecen fuera de la dinámica urbana. Convirtiéndose en áreas simplemente des-habitadas, in-seguras, im-productivas. En definitiva, lugares extraños al sistema urbano, exteriores mentales en el interior físico de la ciudad que aparecen como contraimagen de la misma, tanto en el sentido de su critica como en el sentido de su posible alternativa”. ( Sola-Morales, 2002).


「忘れ去られたかのようなこのような場所においては、過去の記憶が現在よりも優勢であるように見える。都市の活動から完全に離反してしまっているにもかかわらず、ここにはほんのわずかに残された価値ばかりが生き残っている。こうした奇妙な場所は都市の効率的な回路や生産構造の外部に存在する。経済的観点からすれば、この工業地帯、鉄道駅、港、危険な住宅地区、そして汚染された場所はもはや都市ではないのだ。」(田中純訳)

例えば、今まで使われていた鉄道駅が新駅に取って代わられる為に廃駅になる事によって取り壊されるのでもなく、そこに依然建っているような状況。そのような放棄された駅はもはや都市のシステムとしては機能していないのだけれども、今までに蓄えられた記憶やソコに違法に入り込む占拠者の活動にこそ、着飾ったのではない本当の都市のリアリティが横たわっているように見える、というわけですね。そんな所にこそ、新しく立て替えられたビルや大きなモニュメントなんかよりも格段に都市の記憶やリアリティを強く感じるというのは誰しも共感出来る事なんじゃないかと思います。例えば郊外のロードサイドショップや広告看板、ホテル郡などが無秩序に広がっている風景なんかですね。

都市の内部にありながらも、都市の日常的活動である生産や消費を行わないという意味においては都市の外部であり、都市のシステムとは異質な存在がテラン・ヴァーグだというわけです。彼はそれを「都市の物理的内部における、精神的に外部的な ( la condicion interna a la ciudad de estos espacios, pero al mismo tiempo externa a su utilización cotidiana, pp 187)」と現しています。

つまりテラン・ヴァーグとは自己内部に潜む他者であり都市の無意識であり、「自己の内なる「他者性」の空間化されたイメージ」なのです。(田中純:ミース・ファン・デル・ローエの戦場)

イグナシが都市の無意識と他者性、そして都市のイメージとリアリティをテーマにした「テラン・ヴァーグ」を発表するのと前後してバルセロナではもう一冊の大変に重要な本が歴史学の分野から出版されました。

ジョセップ・フォンターナ( Josep Fontana)の「鏡の中のヨーロッパ ( Europa ante el espejo)」です。彼はヨーロッパでは最高に評価されている歴史学の重鎮中の重鎮。フランスのアナール学派の影響をいち早く受け、スペインに近代歴史学をもたらしたジャウマ・ビセンス・ビベス( Jaume Vicens i Vives)の弟子であり、今ではビベスの名を冠したポンペウ・ファブラ大学ビセンス・ビベス歴史研究所 ( Institut Universitari d´Historia Jaume Vicens i Vives)の所長を務めています。

そんな彼が1994年に出版したのがヨーロッパの歴史を網羅しつつ、コレでもかというくらい分かり易く書いてある「鏡の中のヨーロッパ」です。フォンターナの冒頭の言葉がこの本のスケールの大きさを物語っています。

ヨーロッパはいつ生まれたのだろうか。

こう問う時、彼の頭の中にあったのは1993年に出版されたポミアン,クシシトフ( Pomian Krzysztof) のL’ Europe et ses nationsであろう事はこの本の訳者である立花さんが指摘されています。

手短に言ってPomian Krzysztofは、ヨーロッパというのは自己と他者を明確に分ける為に外部との境界性を定める事によって形成されてきたと言います。その一方でフォンターナは自己と他者を分ける外部の境界性の存在だけではなくて、その内部にさえも自己と他者を分ける力学が働いてそれがヨーロッパを形成してきたと訴えます。つまり内部の社会システムを保つ為に大衆を野蛮人の地位に押し込める事によってヨーロッパは発展してきたというわけですね。そしてこれこそがゆがんだ鏡に映った自己自身であるというわけです。

このゆがんだ鏡に映った自己自身とは何を隠そう、ヨーロッパの無意識という事だと僕は理解しています。
そしてヨーロッパが歴史的に大衆を野蛮人という地位に押し込める事によって発展してきたという事実は現代都市にも、いや、現代都市にこそ当てはまると思います。特にイグナシが「テラン・ヴァーグ」を発表してから10年余り経った現在では都市の主モーターが変わると同時に、その新たなるモーターの回りに都市の全ての現象が引きずられているように思われる現在ではなお更です。

そんな状況下において、都市は大衆を新たな野蛮人に仕立て上げ、その地位に押し込める事によってグローバル化の中における自身の地位を上げる為にイメージ競争に奔走しているのです。その結果が観光化によるジェントリフィケーションという今我々が直面している大問題なわけです。

その辺の事を考慮に入れて僕が当ブログでシリーズ化したのが「広告都市」論です。詳しくはこちら。この広告都市論は別名、現代都市におけるテラン・ヴァーグと勝手に名付けています。イグナシに是非見せたかった僕の自信作です。
| 大学・研究 | 19:46 | comments(3) | trackbacks(4) | このエントリーをはてなブックマークに追加
イグナシ・デ・ソラ・モラレス(Ignasi de Sola Morales)とマスター・メトロポリス・プログラム(Master Metropolis)
毎年この時期になるとマスター・メトロポリスから今年のプログラムのお知らせが届きます。マスター・メトロポリスとは何かというと、建築と都市文化を横断する事によって現代都市現象を捉えようとする目的で1992年にイグナシ・デ・ソラ・モラレスにより創設されたマスタープログラムです。

何を隠そう何故僕がバルセロナに来たのかというと、当初このプログラムに参加するのが目的だったんですね。あまり大々的に宣伝していないこのプログラムの存在は知人の紹介を経て知りました。とは言っても、イグナシの影響力からヨーロッパでは、ロッテルダムのベルラーヘ、バルセロナのメトロポリスとかなり知られていたのですが。

僕はこのプログラムに2001年から数年間関わってきました。2001年というのがミソで実はこの年の冬にイグナシは亡くなっています。僕が始めてバルセロナに来た2001年春には既に彼の姿は見えませんでした。それでも幸運だったのは、彼が組み立てたプログラムがその春学期に実行されていたという事です。言うなれば僕は彼の創設した真のメトロポリスプログラムの最後の受講者という事になります。

当時の様子は昨日の事のようにはっきりと覚えています。何故ならそのホンの数ヶ月間が僕のバルセロナ滞在の最もエキサイティングな瞬間の連続だったからです。突然のイグナシの死去により内部はかなり混乱していましたが、彼の知性に惹かれて集まって来た世界各国からの学生や研究者などの情熱は生きていました。

プログラム開始初日、最初に壇上に立ったのはバルセロナ現代文化センター所長(Centre de Cultura Contemporània de Barcelona)でありヨーロッパの頭脳、ジョセプ・ラモネーダ( Joseph Ramoneda)でした。元々、このプログラムが現代文化センターで開かれているのはイグナシとジョセプの大変高い志である、現代都市の解明という共通の目標があったからだと思うんですね。だから1993年にAnywayがバルセロナで開かれた時には会場はCCCBだった訳です。(少し脱線しますが、僕は後に現代文化センターに勤める事になったのですが、その時、書庫を漁っていたら当時Any会議の為に用意された磯崎さんと浅田さんの生原稿が出てきて、なんかお宝を見つけた気分になったのを覚えています。)メトロポリスプログラムでジョセプを見かけたのはコレが最初で最後。イグナシの死と共に彼はメトロポリスからは一切手を引きました。

その後の懇親会で英語があまり話せなかった僕の前を興味深深で行ったり来たりを繰り返すお爺さんがいました。ホントに行ったり来たりを10分くらい繰り返した後、やっと一言、「何処から来たの」。「日本から」。「そう」。その後、又行ったり来たりを10分ほど繰り返した後、「名前なんていうの」「Yです」。「そう」。・・・・・。なんか変わったお爺さんだなと思っていたんですが、彼こそがバルセロナ現代美術館初代館長(Museu d'Art Contemporani de Barcelona)だったミケル・モリン(Miquel Molin)さん。典型的なカタラン人にありがちなものすごい人見知りタイプです。ただ、このタイプは一度仲良くなってしまうと、ものすごく仲良くしてくれるという面も持っているのですが。

彼との思い出は尽きないのですが、何と言っても印象に残っているのは彼の授業の一環で行ったバルセロナサイクリングツアー。バルセロナは都市活性化の為に屋外彫刻を大変に巧く使いました。それを核にして回りにアクティビティを発生させるという事を行っていたのですね。そのアイデアの中心人物が実はミケルだったわけです。バルセロナサイクリングツアーでは一日かけてバルセロナ市内中の彫刻を見て回りました。その時は未だ「バルセロナモデル」なんて言葉知らなかったけど、都市活性化にアートを利用するその斬新さに心を打たれたのを覚えています。

その年、最もスキャンダラスだったのが何と言ってもバーバラ・クルーガー(Barbara Kruger)の講義でした。彼女は授業の冒頭で「私は自分の作品や自身については何も話さない」と宣言し、各生徒からの体験談を求めたのです。彼女の作品についての解説や思想を求めてやってきた生徒は猛抗議。しかし彼女はその姿勢を崩そうとはしませんでした。結局、生徒の3分の2が授業を放棄するという事態になりました。ヨーロッパに来て間も無い事もあり、生徒がこのような行動をするのには大変なショックを覚えました。

このような事件は更にありました。ブラジルから来た一人の生徒が論文のプレゼンをビデオプレゼンですると言い出したのです。それに大反発したのが、ラファエロ・モネオの元秘書で建築理論家だったエリゼンダ教授。「論文は遊びじゃないのよ!!!」みたいな感じで大激怒。しかし、結局彼は最終プレゼンをビデオで大成功させ、会場はスタンディング・オーベーションの嵐。そんな中、教授陣のコメント合戦が始まり、マイクは自然とエリゼンダ教授の下へ。彼女は「あなたのプレゼンは素晴らしかったけれど、認める事は出来ない」というような趣旨の事を述べ会場を後にしました。

授業が行われた3ヶ月の間、ここでは書ききれない程のドラマが起こり、その一つ一つが僕の胸の中に鮮明に生き続けています。一つだけ確かな事は「その年のメトロポリスプログラムは活気に溢れていた」という事です。

そんな最高のプログラムはイグナシの死を堺に激変していく事になります。年々、招待教授の数と質が落ち、集まる生徒の質さえも変化していきました。それに反比例するように授業費はうなぎのぼりに。当時の授業料は1年間で日本円にして15万円しなかったと思います。今では80万を超えます。

はっきり言って今のメトロポリスプログラムはイグナシの創ったメトロポリスとは全く別物。質は最低だと思います。このプログラムに参加した者として非常に悲しい事ですが事実だから仕方がありません。

更にコレだけは日本人の皆さんに声を大にして言いたいのですが、スペインで言う「マスター」というのは日本でいう「修士」ではありません。スペインのマスターは学位を取った後に少し勉強する「専門」みたいな感じで扱われます。だから幾らスペインでマスター学位を取ったからといってそれが日本で「修士」学位になるかというとそうはなりません。日本の修士に値するのはドクターコースの中に組み込まれているDEA(Diploma De Estudios Avanzados)という学位です。僕は去年の9月に取りましたが、かなり苦労しました。

今、スペインでは教育課程が見直されていて、基準を全てヨーロッパ規準に合わせようという動きがありますが、そこで認定されたマスターコースには「マスター・オフィシャル」という名前が付く事になっています。それがあると、何処の国に言っても通用する「修士」になるわけですが、そのコースはまだ数が少ないのが実情です。

僕がこの事実を知ったのはスペインに来てマスターを始めて数年たった後でした。僕の場合は別にタイトルに拘るという事は無かったのですが、日本人の中には大変に悔しい思いをした人も居ると聞きます。

もし修士獲得を目指してスペインでマスターコースをしたいという人が居れば、くれぐれも上記の違いに気を付けてください。
| 大学・研究 | 20:01 | comments(0) | trackbacks(37) | このエントリーをはてなブックマークに追加
バルセロナ都市戦略:イベント発展型
今日の新聞にバルセロナ都市戦略の新しい方向性が載っていました。と言ってもそれほど目新しい事は無く、今までと同様にイベントベースで行くという事なのですがオリンピックやフォーラムなどに加えて今後は会議と催事も視野に入れていくということです。

本題に入る前にバルセロナ都市戦略イベント発展型というのを少し説明しようと思います。この言葉は僕が今、勝手に作った造語です。歴史的にバルセロナは都市を発展させるために様々なイベントを活用してきました。1888年の万博では、1714年以来続いていたマドリッドによる占領のシンボルであったシウダデェラ要塞を撤去し「都市の肺」としての公園を作る事に成功しました。続く1929年には2度目の万博がモンジュイックの丘で開催され、この辺り全体を整備したんですね。この中にはミースのバルセロナ・パビリオンやドミニク・イ・モンタネールの傑作の一つであるホテルも含まれていました。更にこの計画には裏プログラムがあって、それはバルセロナ市内にそれまで不十分だった街灯、ガス、下水などのインフラを引く事でした。つまりこのイベントを利用してバルセロナ都市インフラ近代化を図ったんですね。これらの事実を指してイグナシ・デ・ソラ・モラレスは「バルセロナ都市戦略の始まり」と言った訳です。

この流れは近年にも続いておりバルセロナモデルとして名高い1992年のオリンピックや2004年のフォーラム2004へと受け継がれていっています。まあ、オリンピックの場合はちょっと文脈が違ってフランコ政権くらいから始めないと本質には辿り着けないと思うのですが・・・

さて、今日発表された新しい都市戦略も当然この文脈に乗っている訳です。というか「乗せたい」というのがバルセロナの欲望なのでしょうね。故にわざわざ「都市戦略」なる言葉を持ち出して誰にでも判るイコンとしようとしている。ココにはこの新しい都市戦略なるモノを新たなるバルセロナモデルにでっち上げようという陰謀がちらちら見えるのは僕だけでしょうか?とはいっても目の付け所はかなり良いといわざるを得ない。

会議や祭事などのイベントは人が多く集まる上にお金を十分に落としていってくれるから都市にとっては「かなりおいしい」お客さんという事になります。この見解に至るまで実はバルセロナは長い時間をかけて実験をしていました。その一つが1年前のエントリで書いた3GSM会議。これは携帯電話に関する世界会議であり世界中から情報と技術が集まります。2007年に行われた3日間だけで約60,000人を集め経済効果は150億ユーロ。この3日間は市内のホテルはほぼ満杯で宿泊費の過剰な値上がりが見られました。

このような国際会議や催事を巧く使えば都市の大きな収益になる事は間違い無いんですね。これらをオリンピックなどの大型イベントと共存させていくというアイデアは大変に秀逸なものであるといわざるを得ないと思います。そしてこれら2つのタイプは共存関係にある。今後考えられるシナリオとしては、都市のある地域を開発したい時にはオリンピック系の大型イベント誘致を図り、都市に賑わいをもたらしつつ収益を効率的に上げようという時には短期型を誘致する。更に大型イベントで開発・建設した大型施設に継続的にプログラムを与えつつ意味を与えるという役割も果たす訳です。美術館や文化センターのような施設というのは、建設費用を集める事は実はあまり難しくないんですね。それよりも問題なのはどんなプログラムを走らせるかというコンテンツとランニングコストのほうなのです。その点、僕が以前勤めていたバルセロナ現代文化センターは大変巧くやっていると思います。

さて、このようなイベント型都市戦略というアイデアが出てきた背景には我々の時代の大変に大きな社会現象が見え隠れしています。それはココで書ききれるものでもないので大枠しか書きませんが、それは観光に対する欲望です。1990年代前半にジョン・アーリが「観光のまなざし」として、そしてハニガンが「フェスティバルシティ」として提出した概念がこれらの都市戦略が成り立つ際のベースになっているわけです。(イグナシは既にアーリもハニガンも1990年代にバルセロナに呼んでいる)つまりイベント型都市戦略のどれも「観光への眼差し」が希薄な場合には成り立たないんですね。

経済と社会そして風景というのは何時の時代も同時に変化していきます。フォーディズムが経済・社会だけでなく、工場の周りに労働者屋を建設する事によって風景を変えたように、もしくは自社の製品が買えるように賃金を設定する事により車が浸透して郊外風景が形成されたように、今、都市における多くの現象が「観光」の周りに展開しているように思われます。スター建築家による美術館ラッシュ、再開発ラッシュ、都市エコロジカルブーム、それらの一帰結であるジェントリフィケーションなどは全て「観光」の文脈の上で語る事が可能なんですね。

バルセロナ都市戦略、もしくはバルセロナモデルの負の面はこの部分にある。特にジェントリフィケーションのようなマーケットが関わってくる場合、それを完全に解決する事なんて出来ないのは明白なので、それを求める事自体、期待過剰なのかもしれない。だからと言ってその側面を全く見ないというのは賛成出来ないし、ましてやそれを隠してモデルとして他都市へと売り込もうなどというのは首を傾げざるを得ない。それを分かった上で、広告と本質を見極めつつ良い所は積極的に見習う姿勢、それこそが僕等に与えられた課題なのでしょうね。
| バルセロナ都市 | 19:55 | comments(0) | trackbacks(34) | このエントリーをはてなブックマークに追加
典型的な週末
同僚のメルセちゃんが職場を移ると言う事で皆でお別れ会。うちには4年間居たそうで来週から居なくなるとちょっと寂しいかも。
土曜日の夜はスペインのNTTことテレフォニカに勤める友達の家で夕食会。日本食パーティーというのでてっきり僕が作るのかな?と思っていたらおおはりきりで彼が作っていた。しかもすごいマグロとか買って来てるし。僕は味噌汁担当と言う事で中国人店にて超高級豆腐を購入。コレホントにおいしいのか?とか思ってたら結構おいしかった。

夕食会は結局3時まで続きました。皆の体力もすごいけど、ドンちゃん騒ぎに何も文句を言わない隣近所もすごい。週末だからと言う事で大目に見ているのか?

今週の日曜日はクリスマスが近いと言う事で殆どのお店が営業中。モネオとイグナシのお兄ちゃんであるマニュエルが設計したIllaにショッピングに行く。

今週木曜日はICINGプロジェクトの締め切りなので忙しくなりそうな予感。
| バルセロナ日常 | 06:34 | comments(0) | trackbacks(0) | このエントリーをはてなブックマークに追加
建築家という職能について:その2
昨日はバルセロナのとある公共施設である大物建築家を祝う会のようなものがあった。彼はかの有名なバルセロナの公共空間政策である鍼療法・スポンジ政策を生み出した張本人で1975年の独裁政権後より今日までバルセロナの都市を背負ってきた存在だと言っても過言ではないと思います。故に参加者もカタルーニャ政府大統領マラガルから甥っ子や息子、嫁さんまで、ずらーっとお偉い所が揃いもそろって昔話を披露していました。

この会は何か賞を授与するとか講演会でパブリックに開かれているとかという事は全く無く参加者は招待客だけで彼のこれまでの軌跡を辿るとか言うコンセプトの会の様子。注目すべきはこのかなり家族的な会、いわゆるプライベートな会が公共的な施設で公共のお金を使って行われているという事。そしてそれを公共メディアが堂々と報道しているという事だと思うんですね。つまりこの建築家はバルセロナという街では既にヒーロー的な存在で誰でも知ってるし何をやったか・やってるかも知ってる。だからそんな彼に公共のお金が使われるというのはごく自然な発想と皆捉えているんだと思う。

もう一点は彼の家族や親類がバルセロナの街の重要な機関のポストに就いててあたかもバルセロナの建築・デザイン界は彼の家族経営のような様相を呈しているという事。例えば昨日の会が開かれた公共施設のディレクターは彼の奥さんだし息子は現在若手ナンバーワンの建築家。政治家・財界人は皆、親戚のような友人達という具合に。コレを取り仕切る建築家は勿論、各々と話をしなければならないので自ずと各方面の知識が深くなる。そして各分野の利益を総括してビジュアライズしてくれる職能こそ建築家でありこの意味において建築家とはある種のプラットフォームのような存在であると言えると思うんですね。

他の都市はどうなのか分かりませんがヨーロッパの都市にはこのようなヒーローとしての建築家が存在してその建築家がその都市の文化を背負っているという構図なのではないでしょうか?

これはある程度市民社会みたいなのが機能している所ではそんなに悪い事じゃ無い気がします。とりあえずトップの顔が見えるというのは分かり易くて良い。何かやりたいプロジェクトがあった時に「とりあえずこの人に話を通しておくか」というのが明確なので。故に全体像が見渡し易く都市に一貫性が出てくるのかもしれない。つまり各々の小さな計画だけではなくて街を全体として見た時にこの辺りに緑が少ないから公園を持ってくるかとか中心性を持ってくるかとか言う、正に都市分析が機能する大枠が整っているのかもしれない。建築はそれらの浮き彫りになった問題を具体的に解決する道具なんですね。

昔話を語った一人にイグナシのお兄さんで建築家のManuel de Sola Moralesが居ました。彼曰く、「80年代に比べて最近の建築というのは社会的な問題を解決する機能を失って久しくそして悲しい」と言っていました。

このような建築の使い方とその背後にある分析手法こそ僕たちが学ぶべきなのではないでしょうか。



| 建築家という職能 | 11:06 | comments(0) | trackbacks(35) | このエントリーをはてなブックマークに追加
バルセロナ現代文化センター(CCCB)
今日の新聞にバルセロナ現代文化センターの新しい組織化についての記事が載ってた。すごく小さくて見落としそうだったけどCCCBに関する事はやはり気になる。僕がこの機関に出会ったのは偶然だったんですね。理由はイグナシ・デ・ソラ・モラレスがココの館長と大変仲の良い友人だったからという単純な理由。文化人は文化人を知るみたいな。僕は2003年から2004年までココのドキュメンテーションセンターに勤めていました。日本ではこのような文化機関は全然知られていませんが将来的な事を考えると注目に値する機関だと思います。出来たのは1994年、モデルはパリのポンピドゥーセンター。故に設立時の監査役にポンピデゥーの役員も入ってる。ポンピデゥーって日本では有名だけど実際何をやってるかって知ってる人少ないんじゃないでしょうか?これらの機関は中心市街地に新たな息吹を吹き込むために設立され市民を巻き込んだ会議やカンファレンス、文化事業などを毎週のように企画し美術館にありがちな倦怠に陥らずに常に市民の関心を引く事に成功しています。加えて企画展に都市の未来とか歴史的変遷とかを取り入れる事によって市民意識を煽り、興味を持たせようともしている。ちなみにバルセロナに言及する事の多い某日本人有名女性建築家が良く引用する公共空間のネタも実は98年にCCCBで開かれた展覧会から持ってきてる。コレやったの例のアルベルトさんなんですよね。アルベルトさんはこの時からすでにかなり先を見ててこの展覧会を礎にバルセロナを公共空間プロジェクトの中心にしようとし、それ以降ヨーロッパ公共空間賞を設立しました。(今この賞を担当してるのはモニカちゃんです。)やっぱりすごい。当時一緒に働いてたアナちゃんって言うかわいい子が居たんだけど、アルベルトさんが彼女のお父さんだと知ったときはホントにビックリした。
まあ良いや。こういう都市を活性化する仕掛け、市民意識を高める仕掛け。これこそ今日本がやらなきゃいけない事なんじゃないでしょうか?と言っても口で言うほど簡単じゃないのは近くで見てたから良く分かるんですが。CCCBの場合に限って言えば明らかにディレクターが優れてて彼の力に拠る所が大きい。彼は元々哲学者でジャーナリスト。El pais、La vanguardiaに勤めその後公的な機関に移ってきたという経歴。守備範囲はむちゃくちゃ広くて政治・経済、芸術、建築、都市、歴史、・・・と何でもこなす。だからすごく優秀なのが集まってくる。多分CCCBが目指してる所ってヨーロッパの文化を背負おうとしてるんじゃないのかな?例えば開催中のチェルノブイリを扱ったドキュメンタリスティックな展覧会とかはっきり言って収益とか絶対追いついていかないと思うような事でも平気でやってしまうのはそういう確固たる目標があるからなのでは?又、それくらいの懐の深さも持ってるしそれを実現するだけの人材も揃ってる。何よりカタルーニャという国がこのような文化事業にバックアップをする。今日の記事はその事が書いてありました。毎年この時期にフランクフルトで本の大展覧会があるのですが、来年の展覧会のために2億近い投資を行いその企画を全面的にCCCBがするとの事。勿論そこには国として売り出す為の広告という側面があるのですがそれを差し引いても文化にこれだけのお金を出し、市民生活の質を上げるというのはすばらしいことだと思います。日本も是非がんばりましょう。
| 仕事 | 06:08 | comments(0) | trackbacks(35) | このエントリーをはてなブックマークに追加
バルセロナパビリオンの秘密
今日は久しぶりに所用でバルセロナパビリオンへ行く。
何回来ても良い空間。これほど小さな中に驚くべきほどの物語が情景の変化として展開している。アプローチをわざわざ前方斜め方向にしておいて先ずは全体を見せる。そこから少し階段をのぼる事によって「入っていくぞ」という心構えを整えさせる。前面に池。そこからわざわざ振り返り様にエントランスを設けて左手に進行方向を指示する緑の大理石と共に進んでいくと対角線に女人像が見える。その後、後方へ回り長い壁伝いに離れに導かれる。これは本体部分と物語としての余韻部分である離れを巧く繋ぎ且つ、その後現れる池をドラマチックに見せる為に視線を遮るような役割を果たしている。で、最後にもう一度その池を見る。まあ、なんとも巧く構成された空間です。
初めて見た時に外側を構成している肌色のトラバーチンの積み方が大変綺麗だなと思った事を覚えています。あれだけ大きな石を三段ずつ、しかもその石の表面が均一というのはなかなか無いんじゃないでしょうか。そのような石が恐ろしい精度で何の狂いもなく積み上げられている風景はちょっと見た事が無いです。あれって多分一つの石が占める表面積が大きいから良いのでしょうね。

このパビリオンってバルセロナが1929年にモンジュイックを改造するという強い意図を持って開催した万博の時に建てられたんだけどそれをイグナシが再建したんですね。(この辺の詳しい話は僕の元指導教官のX.Cが編集したGG出版から出てるイグナシ本シリーズのIntervencionesに載ってます。)
で忠実に再建したと言う事になってるんだけど違う点が幾つかあってその一つが実は地下室があると言う事が挙げられます。僕入った事あるんですよ。
勿論部外者立ち入り禁止なんだけど、その当時ミース財団の奨学生だったんですよ。ウソっぽいでしょ?実はホントなんですね。中は広大な空間になっていて一種の倉庫として使用されています。入り口何処にあるかって言うとお店が入ってる小さい離れの一番奥の左隅にあります。


| 建築 | 17:01 | comments(2) | trackbacks(37) | このエントリーをはてなブックマークに追加