地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
Barcelona Model とLondon, Chicago
今日CNNを聞いていたらロンドンが2012年のオリンピック村を誘致する際にバルセロナが1992年に行ったオリンピック村を都市再開発に利用した手法をバルセロナモデルとして参考にしていると言う事がニュースとして流れていました。

確かにバルセロナはオリンピック村を当時銃殺場にも使用されていて市民が近寄らなかった場所へと誘致するのに成功し、見事にその地区を蘇らせる事に成功したんですね。Jordi Borjaが「オリンピック委員会を納得させる為にわざとヘリコプターに乗せてなるべくその土地に近寄らせないようにした。その上空を通る時はなるべくスピードを出して通りすぎるようにとパイロットに耳打ちした」と言ってました。つまりその当時の状況がむちゃくちゃ酷い状況だった事を想起させます。しかしその時のバルセロナの戦略というのはその敷地が海の目の前でありビーチと一緒に開発すれば必ず市場が生まれるというものだったんですね。又、その時は市場に対する牽制が効いていて都市の形態を重視していたので街区のフォームから材料まで全て役所側が決めた上でコンペが行われ建築が始まったので街の街区間に一体感が生まれています。正にバルセロナ都市計画の黄金時代。

その一方で批判も勿論あるわけです。当時の政府はそのオリンピック村を低所得者層の住居に当てると歌っていました。それにも関わらず結局販売価格は値上がりして買ったのは中の上の市民層。低所得者には手が届かなかったわけですね。でもそんな事は最初から分かってたはず。僕の目から見ると明らかに都市を再生するために市民を売ったというように見えます。しかしですね、1990年代と言うのはヨーロッパが都市再生を始めた初期だったのでとにかく中心市街地の酷い状況をどうにかしようと言う状況の中での苦肉の選択と取れなくも無い。

何が言いたいかというと、ヨーロッパの都市再生計画が第二期に入り、唯再生すれば良いという時期を過ぎその負の効果をも直視しなくてはならない状況下において未だにバルセロナのモデルを真似しようとしていると言う所に問題があると思うわけです。

ロンドンはこの辺の事情をどう分析しているのでしょうか?まさか未だに知らないとは言わせません。ロンドンのバルセロナモデルブームに火をつけたのは1999年にUrban Task Force が出版したtoward a urban renaissance。その中でRichard Rogers がかなり勘違いしてバルセロナをアムステルダムと一緒にコンパクトシティの路線に位置付けちゃったんですね。その後、London school of economy の人達が必死になってバルセロナの解析に勤しんでるんだけど多分思ったような成果は出てないはず。逆にNeil Smithのような人がGentrificationの観点から批判を加えてると言った状況だと思うんですね。

このような状況からも分かるように今は唯再生では無くジェントリフィケーションとどのように斥候を計るかが要求される時代に来ている訳です。にもかかわらず上のような状況。

これは何もロンドンに限りません。今日のEl paisにChicagoの市長の記事が載ってたけど、その中でこれまたシカゴもバルセロナに注目していると言っていました。シカゴと言えばSaskia Sassenなどを擁する優秀なシカゴ派が存在する事で有名なのですが・・・

僕の興味はそれらのインテレクチュアルな権力側が果たしてどの程度まで状況を認識していてどの程度まで計画を実行しどの程度までなら負の効果を許容するのかと言った所にありますね。
| バルセロナ都市計画 | 14:37 | comments(0) | trackbacks(35) | このエントリーをはてなブックマークに追加
バルセロナの活気の秘密
今日は仕事帰りに友達のエレーナちゃんとお茶をする。久しぶりに会うのでバルセロナの中心街で待ち合わせ。開口一番「ちょっと、こんなに人が一杯居る所、来るの久しぶり。私、田舎出身だから」。この言葉には幾つかのバルセロナの本質と世界中の研究者が必死になって探している「バルセロナがどうして他のメトロポリスのように郊外化しないか?」という答えが隠されているような気がする。まず、歴史的に言ってバルセロナという都市は幾つかの村の集まりだという事が出来ます。1859年にCerdaの案が通って壁が壊され始めるのだけど(正確に言うと1854年)もうその前から壁の郊外に村が形成され始めていてセルダの案というのは実はこれらの村々を格子で繋ぐという意味合いもありました。(因みに観光客に人気でカサミラやカサバッリョなどが軒を連ねるパッセイジデグラシアとはグラシア村への道という意味です。)その結果、今見る統一されたバルセロナ市みたいな形態になったのですが、不思議な事に各村ごとのまとまりというのが未だに存続している。それを良く表しているのが町内会の存在。海外研究者は1992年のオリンピックが成功した事の一つにこの町内会を中心とした市民参加を挙げながらそれが今でも十分に機能しているかのような口調で2004年のプロジェクトなどを語るのですがそれは大間違い。しかも1992年の場合はフランコ政権がインフラなどに投資をしなかったので市民がプログラムを書かなければならず、オリンピックの投資はそれをプロジェクトとして実現させるという構図があったはず。それを都合良く忘れる事によって市民参加と大プロジェクトが共生している都市とか訳の分からない事を言うから困る。
それは置いておいたとしても未だに各村が中心性を保持していて小さな店舗が元気が良いというのは注目に値する。それが何故か?という事に答える一つの鍵がエレーナの冒頭の言葉に含まれているような気がする。彼女が住んでいるのはサンアンドレウというれっきとしたバルセロナ市内。でも彼女の中では彼女の村と観光客の街になってしまった中心街とは違う街なのですね。しかもそこへ行くのは何か特別な用事が無いと行かないし日用品などは自分の村で済ませてしまう。これは別に彼女が特別という事では無くて一般的な感情のようです。仕事仲間のジュリア君も同じような事を言ってたし。

しかしもしそれが事実だとするとバルセロナモデルとか言って自国へ輸入しようとしている海外研究者は落胆するかも。大体モデルを探しているような人というのは即効薬を期待しているからモデルを探しているはず。それに反してバルセロナの秘密とは市民意識にありそれを輸入する事は不可能だという事とそれを育てる事が如何に難しいかはすぐに分かる事なので。
都市再生機構の皆さん、地道に行きましょう。
| バルセロナ都市計画 | 06:52 | comments(0) | trackbacks(35) | このエントリーをはてなブックマークに追加
22@BCN
今日は再び22@BCNと打ち合わせ。珍しくディレクターが出てきた。彼は都市インフラの専門家で他の計画や会議などでも度々顔を合わせる事があるんだけど、車推進派で頭の中車の事ばっか。歩行者とか環境とかそんな事さっぱり考えてない様子。でも今日の打ち合わせで少しだけ見直した。バス会社の人がバス停を設置可能な場所を次々に言うのに対して僕たちはその交差点を探すのに必死。それに対して彼は22@の広大な敷地の事はすべて頭に入ってる様子。ぱっぱと街路の名前とその位置、進行中の計画や関連事項などが出てくる。さすがディレクター。

今日は話が結構スムーズに進んで、パイロットプロジェクトをやる候補地などが次々に決まった。そんな中貴重な体験をしました。デザインを誰に任せるかを話していた所、コンペにしようという話にまとまり結構短時間に誰と誰と誰とか建築家の名前が飛び交っていたかと思ったらすんなり招待コンペ参加者が決まってしまいました。勿論今までコンペには応募した事があるけどそれを企画する側になったのは初めて。コンペの要綱ってこんな風に決まるんですね。

この計画、もう少し煮詰めないといけない所とかあるけどホントに今から楽しみな計画です。
| バルセロナ都市計画 | 13:36 | comments(0) | trackbacks(34) | このエントリーをはてなブックマークに追加
22@BCNとジェントリフィケーション
今日は午前中22@BCNとプロジェクトの打ち合わせ。22@BCNとはバルセロナがバルセロナモデルとして売り出し中のヨーロッパで最大規模の都市計画です。僕達はこの計画に第一フェーズから関わってて何時の間にか僕が担当になってしまった。今日の議題は公共空間のデザインとバスルートとバス停について。と言うわけで、22@ディレクター始めそれらに関係する部署、私企業などの面々がずらりと並ぶ。言語は勿論カタラン語。きついなー。しかしながらこれらの分野はバルセロナでは僕たちが主導権を握ってて引っ張っていかなきゃならないのでとりあえず一生懸命やってみる。で、何とか終了。その後、グラシア市役所でうちのディレクターが話すと言うので聴きに行く。結構広い会場に100人くらいの市民が集まってた。ここは僕たちが歩行者空間計画を初めて実地した地区と言う事もあり市民の興味も自ずから向くのかたくさんの人が来てた。このグラシアという地区は80年代初頭に始まりその後街中に広がっていった鍼療法・スポンジ化といわれその後バルセロナモデルになった小さな公共空間挿入手法を一番最初に受け入れた地区です。その意味で昔から新しい事を受け入れる土壌があるような気がする。僕たちの計画に対してもたくさんの批判があるけどそれは今の環境が変わると言う事に対する単純な反応なのではないのか。いわゆる人間の持っている二つの矛盾:今の自分を保持しようとする自分と変わっていこうとする自分。歩行者空間・公共空間を増やす事で歩行者トラフィックは当然増加する。それに伴い小売店も繁盛するのは間違いない。まだ計画から1年しか経ってないけどその効果は火をみるより明らか。本質的な問題は実はそこには無い。最も気を付けなきゃならないのはジェントリフィケーションのほうですね。これは3年位前にその道の第一人者であるネイル・スミスがバルセロナに来た時にある小さな集まりの中で直接質問した事があります。その時彼が言った大変印象深かった言葉が「ジェントリフィケーsジョンはコントロール出来ない」と言ってました。うーん、革新を突いてる。歴史的中心地区活性化とかいろいろ話題になってるけど、経験から言ってコレはそんなに難しい事ではない気がします。誤解して欲しくないのはそれを達成するにはたくさんの困難、政治的なとか経済的なとか社会問題とかいろいろあって大変なんだけど、解く事が出来ないほど難問かというとそうではないし、ヨーロッパにはある程度の蓄積から定石のようなものがある。問題はそこではなくてその後に起こるジェントリフィケーションの問題なんですね。そちらのほうが大問題ではるかに難問。故に世界の知は今そちらのほうに全力を注いでいるわけです。日本人や海外の研究者はヨーロッパの中心市街地活性化には2面あるという事、階級制度にもとついていると言う事を知っておいたほうが良いですね。ヨーロッパの戦略は明らかにこの暗い面を見ないようにしてる。
僕たちの今のところこの問題に対しては打つ手なし。今出来ることは土地の価格変動と商店の入れ替わりスピードを定期的に観察する事ぐらいというのが現状です。誰か良い方法など知ってたら教えてください。即採用します。
| バルセロナ都市計画 | 17:24 | comments(0) | trackbacks(36) | このエントリーをはてなブックマークに追加
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