地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
幸福の画家、ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio):キリストの変容(Trasfigurazione)
2年前、初めてローマを訪れた際、僕の心に最も響いたものの一つがラファエロの作品でした。特にヴァチカン博物館で見た「アテネの学童」には目を奪われました(ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio):アテネの学堂(Scuola d'Atene):地中海ブログ)。それ以来、ミラノまでアテネの学童の下絵を見に行ったり、プラド美術館(Museo del Prado)に行ったりと、ラファエロにゾッコンだったのですが、今回、ラファエロはヴァチカン博物館の絵画館(Pinacoteca Vaticana)で再び僕の心に大きな感動を運んで来てくれました。それがコレ:



キリストの変容(Trasfigurazione)

「キリストの変容」はラファエロ最後の作品であり、精神的遺書だと言われています。何故ならこの作品には、それまで彼の絵画に登場した全てのタイプの人物像が描かれている上に、彼の初期からの画風である画面を上と下の2段にする画面2分割構成とそれらに伴う2重のストーリー展開やら、ドラマチックな対比など、それまでの彼の画家としての集大成と考えられているからなんですね。

この絵の主題は「救世主が預言者モーゼとエリアスに伴われて、使徒のヤコブ、ペテロおよびヨハネの前で光り輝いて出現する」であり、福音書にある「イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった」という場面だそうです。ヘェーヘェーヘェー。

とりあえず一目見て大変印象的なのが、キリストの姿です。



内股で、ちょっとゲイ入ってるぽいけど(笑)、両手を掲げ天を見つめるその姿は、一度見たら忘れられない印象を我々に残します。

多くの絵画を見ていて思うのですが、人物のポーズって非常に重要な要素ですよね。人間が採り得る無限のポーズの中から、「コレだ!」という一コマを選んで絵画に定着させる。システィーナ礼拝堂(Sistine Chapel)にある超有名なミケランジェロ(Michelangelo)の「最後の審判(Last Judgement)」のキリストは、こんなポーズをしています。



とても力強く劇的なポーズです。こちらも一度見たら忘れられない。ミケランジェロの絵画は、エネルギーに満ち溢れていて、とげとげしい感じを受けます。まるで石を彫るかのように描いている気がする。それはきっと彼が彫刻家出身であり、彼の能力を最大限に引き出すのは、あのゴツゴツとした大理石なのではないか、と言う事と関係しているのかもしれません。



(上記の写真はヴァチカン宮殿にあるミケランジェロ作、ピエタ(Pieta by Michelangelo))
その一方、ラファエロのキリストはとても優雅です。女性的と言ってもいいのかも知れない。

さて、この上方の優雅なキリストに対比するかのように描かれたのが、下方にうごめく人々の群れ。主題は福音書に出てくるエピソードの一つである、「悪魔にとりつかれた少年をキリストが山から降りてきて奇跡を起こす」というもの。



左下に座っているお爺さんが、先ずは画面にがっしりとした基盤を作っています。その上でキリストを指差す赤い服の人と、指の方向性や色などにおいて見事な対比を作っていますね。



その赤い服の人の右側から、少年を取り囲む人の群れが始まるのですが、この群れが真ん中の女の人によって2つに分割されています。





つまりこの3人によって、お爺さんー赤い服の人―膝を付く女の人の間で3角形が形成されています。そう、キリスト教の黄金の三角関係です。さすがにコノ辺りは巧い!

そしてこのうごめく群れと上方のキリストの間に強烈な対比が存在しています。神と人間、静けさと喧騒など、あらゆる部分で対比させられながらも、その両方が互いを高め合い、見事なシナジーを作り出している。見事な傑作です。



ちなみに「キリストの変容」はヴァチカン博物館内の絵画館の一番奥、照明を落とした薄暗がりの部屋に、ラファエロによる他の作品群(聖母の載冠、フォリーニョの聖母など)と一緒に大切に展示されています。

さて、この絵画を描いたのがコノ人:



ラファエロ・サンティオ(Raffaello Sanzio)。上の肖像はラファエロ自身が「アテネの学童」の中に紛れ込ませた自画像です。ラファエロは自分が生きた時代を大変誇りに思い、その新しい時代を創っている共演者の一人である事に大変誇りを持っていたそうです。だから古代の理想(イデア)を描いた「アテネの学童」に自分を登場させたと言われています。

毎回引用しますが、ラファエロはこんな言葉を残しています:

「我らの時代こそ、かつて最も偉大だった古代ギリシャの時代と肩を並べるほど素晴らしい時代なのだ」  ラファエロ


僕が最も好きなフレーズの一つです。この言葉を聞くとき、僕は何時も自問自答します。「果たして僕は、今生きている時代を誇る事が出来るか?」。僕自身の問題に引き寄せて、こう言い換えましょう:「果たして僕は、今生きている都市を誇る事が出来るか?」

フォシェン(Henri Focillon)が自著(ラファエッロー幸福の絵画(平凡社ライブラリー)原章二訳)の中でこれでもか!と述べている様に、ラファエロの人生はとても幸せに満ちたものだったようです。そしてそれを表すかの様に、彼の絵画は喜びに満ち溢れています。そう、ラファエロの作品を貫いている一つの主題は明らかに「幸福」、「喜び」というキーワードだと思うんですね。

その天才と芸術の、壮麗とさえいえる幸福ぶりにおいて、ラファエッロは抜きん出ている。同書p13

僕は自分の一生の職業として建築を選びました。何故なら建築という表象は、悲しみよりは喜びを、個人的な感情というよりは集団の感情(公共)を表す事に適した表象文化だからです。僕はどちらかというと、「影」よりは「光」を、「悲しい事」よりは「楽しい事」に惹かれる傾向にあります。そして僕自身も何らかの形で、都市に生きる人々の心を少しでも幸せに出来たらな、と常々思っています。それが僕が公共部門から「都市の生活の質を上げる事」という仕事に従事している一つの理由でもあるんですね。

メディアや手段は違えど、ラファエロも自身の作品を通して人々を幸せにしたかったのではないのでしょうか?彼の絵を見ているとそんな気になってきます。それが僕がこんなにもコノ画家に惹かれる理由なのかもしれません。
| 旅行記:美術 | 21:42 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ベルニーニ(Bernini)の彫刻その2:ボルゲーゼ美術館(Museo e Galleria Borghese)にあるアポロとダフネ(Apollo e Dafne)の彫刻
ベルニーニ(Bernini)の傑作と名高いアポロとダフネ(Apollo e Dafne)の彫刻を見る為に、ボルゲーゼ美術館(Museo e Galleria Borghese)に行ってきました。



この美術館はちょっと変わっていて完全予約制になっています。電話など幾つか予約方法があるようですが、僕はコチラのサイトからネットを使って予約しました。当日は予約時間の30分前までに予約番号を控えた紙を持って受付に行けば入場券と交換してくれます。1回の予約で2時間の鑑賞時間が与えられていますが、比較的小さな美術館なので十分な時間だと思います。このシステムの良い所はヴァチカン博物館(Musei Vaticani)のように人混みを気にせずにゆっくりと作品を鑑賞出来る所ですね。逆にちょっと残念だったのは、窓からの光が絵画作品に反射してよく見えなかった事です。個人邸宅を美術館に改造したので仕方が無いといえばそれまでなのですが・・・。

さて、今回目指す作品は一階奥の間にあります。それがコレ:



(この美術館は全館撮影禁止だったので写真等はガイドブックなどからスキャンしたものを用いています。一応僕のポリシーとして写真を撮ってはいけないという場所では撮らない事にしているので。まあ、当たり前なのですが、最近この当たり前の事が当たり前では通らなくなってきつつあるように思うので。)

さて、この彫刻はギリシャ神話の物語の中でも最も人気のあるアポロとダフネのお話に基ついてベルニーニが彫り上げたモノだそうです。ではアポロとダフネのお話とは一体何か?ウィキペディアのダフネの項に要約があったので引用します:

ある日アポローンは弓矢で遊んでいたエロースを揶揄する。そのことで激怒したエロースは相手に恋する金の矢をアポローンに、逆に相手を疎む鉛の矢を近くで川遊びをしていたダプネーにそれぞれ放った。

金の矢で射られたアポローンはダプネーを求愛し続ける一方、鉛の矢を射られたダプネーはアポローンを頑なに拒絶した。追うアポローンと逃げるダプ ネー、ついにアポローンはペーネイオス河畔までダプネーを追いつめたが、ダプネーはアポローンの求愛から逃れるために、父である河の神に自らの身を変える 事を強く望んだ。

その望みを聞き届けた父は、ダプネーの体を月桂樹に変えた。あと一歩で手が届くところで月桂樹に変えられてしまったダプネーの姿を見てアポローンはひどく悲しんだ。そしてアポローンは、その愛の永遠の証として月桂樹の枝から月桂冠を作り、永遠に身に着けている。


今回の彫刻でベルニーニが彫ったのは正にアポロがダフネを捕まえようとするその瞬間、ダフネの身体が月桂樹に変わっていくその瞬間を彫刻にしています。



一瞬の「一コマ」を捉える天才、ベルニーニらしい卓越した作品に仕上がっていると思います。そしてこの彫刻ほど、ベルニーニの偉大さを教えてくれる作品は無いんじゃないか?と僕は見ていて思ったんですね。何故か?何故ならこの彫刻は「瞬間の一コマが誘発する物語の連続シーンの発見」を教えてくれるからです。



先ずはココ。追いかけるダフネの左足と右手が軽快に跳ね上がっています。それは全力疾走するというよりも、正に今「捕まえーた」といった瞬間の安堵感とでもいうのでしょうか。ココにはかなり軽やかな時間が流れています。





しかし少し回りこんでダフネの方を見ると状況は一変するんですね。ダフネの方は今正に月桂樹に変わっていこうとしている「焦りや驚き」といった感情に支配されている、そんな感じを受けます。彼女の顔は「捕まってしまった」という気持ちと「樹に変わっていっている」という驚きの気持ちが、丸い口を開け必死な表情によく現れています。右足の先や大きく振り上げた右手の先の方から壊れそうなくらいの繊細な木の枝に変わっていっている部分ですね。

つまりココには先のアポロの部分の時間とは違う時間が流れているかのようなんですね。(彫刻全体として見ると、形のバランスがいいですよね。アポロの右手とダフネの大きく振りかざした右手が斜め方向に一直線を描いている。大変気持ちの良い展開をしています。)



さて、時間の流れ方の相違という感覚は更に回り込む事によって強くなります。こちら側から見た時、ダフネの左足はもう既にその大部分が月桂樹に変わってしまっているのが分かります。つまりアポロが「捕まえーた」と言ったその瞬間から、ダフネの指先が月桂樹に変わっていく中間を通して、こちら側では既に大部分が樹に変わってしまったという時間が流れている訳です。

こんな風に、この彫刻には見る角度によって様々な時間を表象する瞬間が刻み込まれているんですね。その仕掛けから鑑賞者は、それら各瞬間からその前後の物語を心の中で展開させる事が出来る訳なんですよね。更に他のベルニーニ作品と違って、この彫刻では周りを歩き回る事が出来ます。故にソコに流れる物語も他の作品に比べて格段に豊かになっているわけです。
| 旅行記:美術 | 22:02 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ウィーン旅行その8:グスタフ・クリムト(Gustav Klimt)の「ベートーベン・フリーズ (Beethoven Frieze)」に見る絵画と音楽の関係
前回のエントリで書いたように、クリムトの「接吻」にあまりにも衝撃を受けたので、ウィーンで見る事が出来るクリムトの作品はとにかく全て回ろうと決意。で、早速訪れたのがウィーン分離派会館(セセッシオン(Secession))。



ココの地下にクリムト(Gustav Klimt)の傑作の一つに数えられている大型作品「ベートーベン・フリーズ (Beethoven Frieze)」が保存されているんですね。フリーズというのは早い話が壁のかなり上の方、天井に近い部分に部屋をぐるりと取り囲むように設置された横長の壁画の事です。



有名な所ではパルテノン神殿(Parthenon)に設置されているフリーズなどがあります。

クリムトはココにベートーベン(Ludwig van Beethoven)が手掛けた最後の交響曲、第九番(Symphony No.9)を絵画化した作品を残しました。つまり音楽を聴いてそれを視覚化するという絵画と音楽の対話に挑戦したわけです。

全く別の話になりますが、僕がまだ高校生だった頃、水戸芸術館の企画で、坂本龍一がピアノを弾いて、それをメディア・アーティストである岩井俊雄が映像にするという試みがありました。音楽が映像を奏で、映像が音楽を奏でるという、芸術の垣根を取り払った新しい試みに当時の僕は胸を躍らせていたのをよく覚えています。又、数年前の某テレビ局の企画で日本人の女性音楽家がマウリッツハウス美術館(Mauritshuis)にあるフェルメール(Johannes Vermeer)の「真珠の耳飾の少女(Girl with a Pearl Earring)」を見て、曲を書き始めるという音楽→絵画とは逆パターンの絵画→音楽も見た事があります。その時彼女が言っていた言葉が大変印象的で「この絵を見ていると音符が降ってくるようだ」と言っていました。

さて、クリムトはベートーベン・フリーズにおいて3つの場面を描いています。第一場面は「幸福への憧れ・弱き人間の苦悩・武装した強者に対する弱者の哀願」、第二場面は「敵対する勢力」、そして第三場面は「ポエジーに慰めを見出す憧れ(詩)・歓喜(天使たちの歓喜のコーラス)・接吻」がそれです。



それぞれの場面の詳細にはココでは立ち入らない事にします。(ネットで探したら結構詳しく書かれたページがあったので興味のある人はコチラをご覧ください)それよりも僕が大変興味を惹かれたのは、この長い壁画の中に視覚化されたリズム感(構成)なんですね。僕はよく建築の空間を読み解く際に「物語」という言葉を使いますが、その言葉で僕が掴み取りたいのはその建築に流れる一連の空間の強弱であり、空間の「起承転結」な訳です。そのような起承転結は様々な芸術に見出す事が出来ると思うのですが、この「ベートーベン・フリーズ」には、それが大変明確に読み取れます。

ここで注意しなければならないのは、空間のリズムを表す意味で用いている「物語」と絵画の主題としての「物語」とは別物であると言う事です。と言う訳で便宜的に空間のリズムを表す為に用いる「物語」には「物語(リズム)」と表す事にします。



物語(リズム)は部屋を入った瞬間から始まります。先ず、入り口正面の壁にゴリラを中心とした第二場面が強烈な印象で描かれているのが見えます。この場面が「ベートーベン・フリーズ」における一連の物語(リズム)のクライマックスだと思うのですが、それを先ずは遠くから「どばっ」と見せておく。ココでは「遠くから」というのがミソです。

この一連のフリーズは入り口入って左手の壁から始まるのですが、鑑賞者がそれを見る為には体を壁方向に向けなければならない。つまり敢えてココで鑑賞者を左に旋回させるんですね。そうする事によって壁と体が向かい合い、クライマックスであるゴリラを鑑賞者の目に入れない様にしています。このようにして物語(リズム)が始まっていきます。



先ずは最初の場面。白の下地に女の人が連なって飛んでいます。



しかもかなりの余白を残してほとんど線のように連なっています。とても静かな始まり方ですね。



流れる様に始まったその物語(リズム)の流れを受け止めて、次にその流れを受け渡す役割を担っているのがこの場面。





この場面の前後に「女の人が連なる場面」を連続させる事によって、流れを完璧に留めるのでは無く、受け止めつつも次へ渡すという印象を強くしている。つまり連続感を出している訳ですね。



そしてクライマックス。僕がココでクライマックスと言っているのは「物語」としてのクライマックスではなくて、あくまでも一連の構成(リズム)としてのクライマックスの事です。ゴリラを中心として大変官能的な女性達、そしてこの世の獣達が禍々しい表現で描かれています。

ここでのミソは、壁に沿って(物語りに沿って)歩いてくる事によって、かなり真近でクライマックスと対面する事です。入った瞬間に目にしたのは、かなり遠くからでした。その時の印象と近寄って見る印象とは、まるで違う絵画かのように思われます。そして先ほどまでの白の余白をベースとした構成と対照を成すかのように、ここでは画面一杯に様々な色を用いた精密画が展開されています。



質・量共に迫力満点の絵に満腹になった後は、その余韻を楽しむかのように白地ベースの女の人の連なりが配置されています。そしてそれが金色の楽器を弾く女性で少し流れがせき止められたかな?と思った次の瞬間:



空白。何も無い空白の空間が始まります。
この空白が来た後に物語(リズム)の余韻としての「歓喜の部分」が来るように構成されているんですね。



純粋に物語として見た場合、この場面はゴリラ(獣)から世界が救われた後の幸せが来るクライマックスという位置付けになっていますが、画面構成という物語(リズム)で見た場合にはこの場面は余韻になっています。



この一連のリズムの中で、最後の場面の前に配置された余白がかなり効いている様に思われます。かなり重たいゴリラの場面から女体の連なり場面に移行しながら少し頭を休めます。その流れがハーブを弾く女性によってせき止められたかな?と思ったら突然余白。この余白で「あれっ?」とか思わせつつ、次の瞬間にハッピーエンドを持ってくるという構成。これは巧い。

物語としてはハッピーエンドで完結させつつ、構成としてはあまり重たくならない程度の余韻を作り出している。普通に単体で見たらクライマックスになってもおかしくない程のボリュームですが、全体構成で見たらゴリラの超ボリュームに対して余韻として丁度良いボリュームを保っていますね。
| 旅行記:美術 | 21:59 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ウィーン旅行その7:グスタフ・クリムト(Gustav Klimt)の「接吻(The Kiss)」に見る「愛するという事」
旅行において予定調和的ではない出会い程、感動的なものはありません。ローマ(Rome)で出会ったベルニーニ(Pietro Bernini)の彫刻、ロンドン(London)で発見したミレイ(John Everett Millais)のオフィーリア(Ophelia)・・・ある意味僕はそういう出会いを求めているが故に旅行を続けているのかも知れない。そして今回もそんな素晴らしい出会いがありました。それがウィーン(Vienna)を代表する芸術家、グスタフ・クリムト(Gustav Klimt)です。

ウィーン旅行3日目に訪れたベルヴェデーレ宮殿上宮(Belvedere)をブラブラしていた、正にその時の事でした。出会いは何の前触れもなく、ただ唐突にやって来たんですね。大広間の一番奥、大きなガラスケースに収められたその絵画の題名は「接吻」。見た瞬間に心を奪われました。目が逸らせなかった・・・。「一枚の絵にこんなにも人の心を捉えられる、こんな事がホントにあるのか?」とそう思った。



力強くしっかりと女性を支え包み込む男性。それと対をなすかのような女性の柔らかな身のすくめ方。愛しいものをひたすら優しくすくい上げる男性の手。そして黄金の輝きの中で男性に身を任せる女性の表情には「幸せ」が満ち溢れています。



官能的とは正にこういう事を言うんだよなという極地の表現に至っている。

しかし、まあ、それだけならこの絵は僕の目にそんなに特別だとは映らなかった事でしょう。この絵を特別なものにしているのは、「幸せ」とは全く逆の感覚がそこに共存していると思うからなんですね。「女性の幸せ」とは対照的に、この絵全体を支配しているのは、「幸せ」が永遠に続く事が決して無いと分かっているが故の永遠の一瞬、それをとどめておきたいけれどもそれが無理と分かっているが故の悲しみの表現じゃないのかな?もっとはっきりと言っちゃうと、この悲しみは「死」と言い換えても良いかもしれない。

そう、この絵にはある種の死の香りが漂っているように感じられます。



ココの舞台は崖なのでしょうか?そんな危険な所で2人は「最後のキス」をしているようにすら見受けられるんですね。崖を埋め尽くしている花々も二人を祝福しているというよりは、むしろ二人を悲しげに見守っている様にすら見えます。そして2人を取り巻いている金色に輝く空は「喜びの世界への入り口」というよりは、むしろ「死の世界への入り口」にすら見えてきます。

そう、愛と死。この絵には愛と死という相反する2つのテーマが共存しています。そして人間にとって究極とも言えるこのテーマに、クリムトは自身の芸術をもって答えようとしている。



長方形で埋め尽くされた男性はとても力強く、曲線や円で覆われた女性とは何かしら別の世界を表象している様に見受けられます。つまりこの2人はそれぞれが相反する世界の表象者としてココに存在しているんですね。そしてそれらはお互い分かり合う事も無ければ、決して交わる事も無いような、いわば油と水のような関係。

しかしながら、そんな全く正反対のモノ同士が、キスを介して交じり合うがごとく一つの空間に共存している。そんな対立するものですら、分かり合え打ち解け合う事が出来る日が来るんだ、と言わんばかりに。

つまりここにおいてクリムトのメッセージは明らかだと思うのです。それは相反する2つの事象はコインの裏表であり、死こそが愛に力を与えるのだと。死と隣り合わせに生きているからこそ、激しく愛する事が出来るのだと。

今までどちらかと言うと、ラファエッロの絵画のように喜びに満ち溢れ、この世の輝きを表現している絵画に心惹かれてきました。多分それは僕が建築家出身だからかも知れません。何故なら建築とは悲しみよりは喜びを、死よりは生をその空間をもって表象する芸術行為だからです。

その一方で、このような表現の仕方、つまり悲しみによる喜びの表現というのもあるんだなー、という事を今回強く学んだ気がします。

おまけ:

この絵を眺めていてある事に気が付きました。それはこの夏に日本に帰った時に見たNHKの大河ドラマ「篤姫」のオープニングに似ているなー、と思ったんですね。大河ドラマなんて小さい頃に見た「独眼竜政宗」以来だったんだけど、たまたま見たオープニングが結構良く出来ていたのでちょっと興味を持ち始めたんですね。特に主人公の姫が黄金に包まれて出てくるシーンがあると思うんだけど、その金と着物の暖色系のデザインがすごくマッチしていました。



そんな事を思いながら後日グッグってみたらやっぱりありました。それらしい記事が:篤姫とクリムト [世界の美術館&博物館]
| 旅行記:美術 | 22:39 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ミラノ旅行その6:ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio):アテネの学童下書き(La Scuola di Atene- cartone preparatorio)
2年前のローマ旅行の時見た「アテネの学童(Scuola d'Atene)」以来すっかり大ファンになってしまったのがイタリア・ルネサンスの古典主義の完成者、ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio)です。当ブログでも彼の絵画にはしばしば言及してきました。

ロンドン旅行その2:Sir John Everett Millais(ジョン・エヴァレット・ミレイ)ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio):アテネの学童(Scuola d'Atene)など。

先月行ったマドリッド旅行の際訪れたプラド美術館(Museo Nacional del Prado)にも何点かラファエロの作品が展示されていました。(何時か書こうと思っていたのですが忙しくてナカナカまとまった時間が取れなくて結局書かずじまいになってしまった・・・)プラド美術館収蔵のラファエロ作品で僕が興味を魅かれたのが先ずはコレ:



カーディナルの肖像画(Raffaello, Ritratto di cardinale)。真っ黒のバックにものすごく映える赤色が印象的。一度見たら眼に焼きついて忘れられない。多分他の人が同じ色、同じ構図で書いてもきっとこれほど人の心を掴む絵にはならないと思う。これがラファエロの絵力か。もう一枚僕が興味を惹かれたのがコレ:



羊を連れた聖家族(Sacra famiglia con l'agnello)。先ずパッと見た瞬間に「構図が生み出すリズムが良いな」と言う事に気が付きますね。左手に居る赤ちゃんから「物語」が始まるわけだけれど、その赤ちゃんが一番低い所に位置している。そしてお母さん、お爺さんと順に立ち上がっていく構図。そのリズム感は各々の頭の位置を見るとよりはっきりします。円を描きながら上昇していますね。そして色使いも構図を巧く補完している。赤ちゃんが白基調なのに対して、中間のお母さんの左半分が青で右半分が赤。そこからお爺さんの黄色にバトンが渡されている。更にお母さんの足元にちょっとしたアクセントとして赤が置かれている。

このようなリズム感というのは建築を含めたデザイン分野では基本中の基本で、今でも良いデザインにおいてはそれらを見出す事が出来ます。こういう事を古典に発見する時、感覚という奥底においては「人間って変わらないんだなー」と言う事を感じますね。いや、変わって行こうとする力、変わらないとする力、その2つの力が鬩ぎ合っているのが人間という存在か。

前置きはコレくらいにして、今日の主題は先日僕がミラノに行った理由の一つ、「アテネの学童の下書き(La Scuola di Atene- cartone preparatorio)」です。



ヴァチカン市国のヴァチカン宮殿に4部屋ある「ラファエロの間」のうちの一つ、「署名の間」を飾る壁画「アテネの学童(La Scuola di Atene)を描く為の下書きがミラノはアンブロジアーナ絵画館(La Pinacoteca Ambrosiana)に残されています。縦2メートル85センチ、横8メートル4センチという大変に大きなデッサンはこの美術館のお宝とでも言うべく大変丁寧に照明まで暗くして絵を傷めないようにして保存されています。

先ずはその大きさにビックリ。これだけ大きいとそれだけで人を「ギョ」っとさせるものがある。そしてその大きなキャンパスに書き込まれたデッサンの質の高い事。近くによると鉛筆を走らせて影を作ったりといったミクロな作業部分が見えるんですが、そのミクロな部分が寄り集まって一つの大きな絵を構成しているというのは、当たり前の事だけれども不思議な感じがしますね。まるで一つ一つの小さなパブリックスペースの質が寄り集まって街全体の質を決定しているバルセロナのよう。

僕が面白いなと思ったのは絵の左側に描きかけの部分があって、人の頭だけとか、胴体までとかしか書かれていない所です。



そこを見るとまるで人がキャンパスから今正に生まれてきているようなんですね。ラファエロの鉛筆によって生を与えられているその瞬間がそこに垣間見えるわけですよ。こういうのって良く彫刻なんかで、下の台座部分が石を削りだした時のままにしてあったりして、人の上半身が生まれ出てくるみたいな表現をしているのは幾つか見た事がありますが、絵画では初めてなんじゃないかな。

さて、この下絵とヴァチカンにある完成図を比べて見て面白いのは前回も書いたように、ヘラクレイトスに見るラファエロのミケランジェロに対する尊敬の念ですね。前回のエントリで僕はこんな風に書いています:

・・・ミラノはアンブロジアーナ絵画館にある「アテナの学堂」の下絵には当初ヘラクレイトスは描かれていませんでした。つまりこのヘラクレイトスは予定に組み込まれていたのではなく、急遽描きこまれる事になったんですね。更にこのヘラクレイトスだけ他の絵に用いられているタッチとは全く違うタッチで描かれているそうです。どんなタッチかというと明らかにミケランジェロを意識したタッチだとか・・・

このような事からラファエロはミケランジェロによる完成前のシスティーナ礼拝堂を見て大変な感銘を受け、ミケランジェロに対する尊敬の念を現す為に急遽描きこんだという説があるそうです。・・・


そんな事を思いながら下絵を見てみると確かにヘラクレイトスは居ない。更に下絵を見ると分かるのがラファエロは明らかにヘラクレイトス無しの構図で決めていたという事です。つまり下絵の構図は「バチッ」と決まっている。ヴァチカンの絵を見た時は何も感じなかったけど、下絵の構図を見てしまうと、こちらの方が良い構図である事に気が付きます。つまりヘラクレイトスが邪魔なんですね。プラトンとアリストテレスの前の階段が大きく開いている方が気持ちが良い。彼らの手前右側に足を伸ばして座っている青い服を着た哲学者ディオゲネス(Diogenes)が開きすぎたスペースを巧い事埋めているのでそれだけで十分な気がするんですね。



ここからも明らかなようにヘラクレイトスは明らかに後付けですね。この後付けによって構図の質が落ちる事はラファエロだって十分に承知だったはず。逆に言えばそれを承知の上でヘラクレイトス=ミケランジェロを書き加えなければならないほどに、ラファエロはミケランジェロの才能に惚れたという事です。しかもこの人ど真ん中のどまん前に居るし・・・。

ラファエロが言った言葉:

我らの時代こそ、かつて最も偉大だった古代ギリシャの時代と肩を並べるほど素晴らしい時代なのだ」  
           ラファエロ

その素晴らしい時代を共に創っている天才に対する最高の敬意なんでしょうね。それにしても自分の生きた時代を誇れる人生って素敵だなー。僕もコウありたいものです。
| 旅行記:美術 | 19:32 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
ロマネスク美術と地中海:カタルーニャ、トゥールーズ、ピサ、1120−1180(Romanesque art and the mediterranean, catalonia, Toulouse and Pisa, 1120-1180)
今日は午後からカタルーニャ美術館(Museu Nacional d'Art de Catalunya(MNAC))で開かれている「ロマネスク美術と地中海:カタルーニャ、トゥールーズ、ピサ、1120−1180(Romanesque art and the mediterranean, catalonia, Toulouse and Pisa, 1120-1180)」という展覧会に行ってきました。ロマネスク美術に関してカタルーニャ美術館が誇るコレクションは量・質共に世界一である事は間違いありません。その基礎を築いたのはプッチ・イ・カダファルク( Puig i Cadafalch)でありドメネク・イ・モンタネール( Lluis Domenech i Montaner)である事は以前のエントリで書いたとおりです。

さて、この展覧会はカタルーニャがロマネスク美術を発見して100周年記念という事で当時のロマネスク美術の中心地であったカタルーニャ、トゥールーズ(Toulouse)とピサ(Pisa)の全面的協力を得て開催されました。ロマネスク美術が花開いた12世紀前後のバルセロナの状況というのは、Ramon Berenguer IV(1131-1162)の活躍により地中海を中心とした南フランスへと領土を拡大している最中だったんですね。

この時期(12世紀)、地中海各地でロマネスク彫刻を手掛けたカベスタニーの職人(Maitre de Cabestany)と言われる彫刻職人がいました。この職人が一人だったのか、もしくはグループだったのか、もしくはある一連のスクールがあったのか?など数々の議論が巻き起こっているようですが、一つだけ言える事は、その時代には珍しく、この職人が手掛けた彫刻にはしっかりとした特徴が刻まれていて、その彫刻としての質は見事なモノに仕上がっているという事ですね。





今回の展覧会にはカベスタニーの職人が手掛けた幾つかの彫刻が来ていて、中でもSanta Maria de Cabestany(カベスタニー聖母教会)の”Timpa de Cabestany”は必見。服の襞の滑らかさと力強さの対比が素晴らしい。



カベスタニー職人作からもう一つ:”Relleu de labadia de La Grassa”, Abadia de Santa Maria dOrbieu, La Grass(Aude), 1157-1167

これはドラゴンでしょうか?何かの生き物の頭ですね。恐ろしいというよりは優しい感じを受けます。これはロマネスクの一つの特徴だと思います。ロマネスク絵画にはノコギリで斬られている当時の処刑の様子や恐ろしい怪物などの絵が数多く出て来ますが、デフォルメされているので穏やかな感じを受ける場合が大半です。

その良い例がコレ:Felip, Judas, bartolomé, Vic 1140-1160
カタルーニャ北部の小さな町、ビックのカテドラルにある彫刻三部作。







見事なまでにデフォルメが完成されている。やはり眼が特徴的ですね。ロマネスクに特有のアーモンド形の眼。

一方、コレは南フランスのトゥールーズにあるToulouse claustro de la catedral de Saint-Etienneの柱頭:La muerte de San Juan Bautista(1120)と同じくToulouse claustro de la catedral de Saint-Etienneの柱頭:Las virgenes prodentes y las virgenes necias(1120)





同じロマネスクに属していながらも表現が微妙に違う所が大変興味深い。カタルーニャの方がより丸みを帯びていて暖かい感じを与えるのに対して、トゥールーズの方はちょっと表現がシャープになっている。あえて言うなら田舎と都会と言う感じなのかな?もしくは既にゴシックの萌芽を含んでいるとか?この辺りどうなんでしょうかね、結婚式教会の村瀬君???





そして今回の展覧会に来ていた彫刻の中でも最も感銘を受けたのがコレ:Cristo y San Pedro(1140-1160)(ビック教会)

そのデフォルメの完成度といい、服の襞の滑らかさといい、第一級品です。今にも動き出しそうです。ふと思ったのですが、石の材質も関係しているのかも知れません。この石は少し粗めの黄色っぽい石でした。地中海地方では一年を通して陽の光が非常に強いんですね。カタルーニャも例外ではなく、このような光にはゴシックでよく使われる灰色をした冷たい感じの石よりも暖色の方が良く合うと思います。上述したようにロマネスクの主題も冷たいというよりは暖かい感じを与える表現が主なので、教会の中庭などに午後の光が差し込んだ時に黄金に輝き出すのを想像するとどんなにすばらしい事だろうかと想像してしまいます。

今回の展覧会にはロマネスク絵画も結構来ていました。と言っても、カタルーニャ美術館が誇る世界一の常設展示から移動してきただけですけどね。しかし今回の展覧会で写真が撮れた事はブロガーとしてはラッキーでしたね。

これは良く知られたValle de RibesにあるBaldaqui de Ribesです。





デフォルメされたキリストと彼を取り巻く天使達といった構図。ロマネスク絵画って絵と一緒に文字が入っていますよね。そんなに前面に押し出ると言うでもなく、アクセントとして結構利いている気がしますね。あと、周りを取り囲む天使達。天使と言うとドレスデンにあるラファエロによる金髪の赤ちゃんに羽が生えたのが典型的なモデルだと思うのですが、ロマネスクの天使はおじさんかおばさんが多い。天使と言えば勿論、松田聖子の伝説の歌、天使のウインクですが、どうもロマネスクの天使にはウインクは似合いそうに無いなー。
| 旅行記:美術 | 04:58 | comments(1) | trackbacks(4) | このエントリーをはてなブックマークに追加
ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio):アテネの学堂(Scuola d'Atene)
前のエントリ、ジョン・エヴァレット・ミレイ(Sir John Everett Millais)の項でラファエロ前派について触れたので今日はラファエロについて少し書きたいと思います。

ラファエロはレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロと並ぶ盛期ルネサンスを代表する画家・建築家であり、イタリア・ルネサンス古典主義の完成者であると言われています。何故か?何故ならラファエロはダヴィンチやミケランジェロに始まるそれまでの芸術手法を統合・洗練して大変に柔和でバランス感覚に優れた様式を確立したからなんですね。それ故に19世紀までの長きに渡り西欧絵画の美の基準とされ強い影響を与え続けてきました。ミレイが関わっていたラファエロ前派(Pre-Raphaelite Brotherhood)は正にこのラファエロ以前に戻ろうとした運動であった事は以前に書いた通りです。

個人的な感想なんですが、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロが描いた絵画って何処か計算しつくされた正に科学に則った様な感じを受けます。よく知られているようにダ・ヴィンチなどは飛行機の設計図なども残していて科学にも精通していた正に万能人。Wikipediaによるとレオナルド・ダ・ヴィンチの項には:

レオナルド・ダ・ヴィンチ (Leonardo da Vinci, 1452年4月15日 - 1519年5月2日) は今日、イタリアのルネサンス期を代表する万能の天才として知られ、「万能人(uomo universale)(ウォモ・ウニヴェルサーレ)」とも呼ばれている。絵画、彫刻、建築、土木および種々の技術に通じ、極めて広い分野に足跡を残している。『最後の晩餐』や『モナ・リザ』などの精巧な絵画は盛期ルネサンスを代表する作品になっている。膨大な手稿(ノート)を残しており、その中には飛行機についてのアイデアも含まれていた。

ミケランジェロの項には:

ミケランジェロ・ブオナローティ(Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni, 1475年3月6日 - 1564年2月18日)は、イタリアルネサンス期の彫刻家、画家、建築家、詩人。名前はミカエル(Michael)と天使(angelo)を併せたもの。
西洋で最も巨大な絵画の一つとも言われるバチカンのシスティーナ礼拝堂の天井フレスコ画や『最後の審判』、パオリーナ礼拝堂にある『聖ペテロの磔刑』、『パウロの改宗』を描いたことでよく知られている。もともとは彫刻家であり、『ピエタ』や『ダビデ像』等の傑作のほかにも『バッカス』、『モーセ』、『ラケル』、『レア』などが有名である。バチカンの『サン・ピエトロ大聖堂』の設計者でもある。


とあります。こんな経歴の持ち主なので画風も自然と精確さを目指すようになったのかもしれませんね。反対に見ていて大変に「ほっ」とする印象を与えるのがラファエロの絵画。僕はどちらかというとラファエロのような絵画の方が好きです。どちらが良いとかどちらが優れているとかいう問題ではなくて単に趣味の問題だと思いますけどね。

2年前の秋にローマへ旅行した際、大変に感銘を受けたのがコレ:



言わずと知れたラファエロ作、「アテネの学堂」(Scuola d'Atene)。泣く子もだまるカトリックの総本山、ヴァチカン市国のヴァチカン宮殿に4部屋ある「ラファエロの間」のうちの一つ、「署名の間」を飾る壁画です。この壁画は1508年、教皇ユリウス2世の命を受けて制作したもので、当時ラファエロは20歳代半ばの若さだったそうです。この部屋はユリウス2世が署名や捺印をする為に使用していた部屋であった事から「署名の間」と呼ばれたそうです。ラファエロはこの部屋を囲む4つの壁面に「神学」、「法学」、「詩学」、「哲学」を現すフレスコ画を描きました。「アテネの学堂」はこのうち、「哲学」に対応するものとして制作されました。この「アテネの学堂」は同時期に制作されたミケランジェロの「システィーナ礼拝堂天井画」と共に、盛期ルネサンス古典様式の最高傑作の一つに数えられています。



主題は「人類の英知」っぽいですね。プラトン、アリストテレス、ソクラテスなど古代ギリシャ哲学者・科学者などの偉人を描いています。



「空間恐怖症」じゃないけれど「これでもか」と言わんばかりに余白を許さない膨大な数の芸術品に囲まれたヴァチカン宮の永遠に続く回廊の一角にこの間はありました。宮殿入り口から想像を絶する数の大変に重々しい芸術作品群を見続けてきたせいか、最初にこの絵を見た時、大変に軽くポップな印象を受けたのを覚えています。そしてそれが大変にショックでした。これが500年も前に描かれた絵画なのかと・・・。



中央に描かれているのはプラトンとアリストテレスです。向かって左がプラトンで右側がアリストテレス。ルネサンス芸術が古代ギリシャ時代と比肩するものである事を表現する為に用いたプラトンのモデルは、彼が最も尊敬していたレオナルド・ダ・ヴィンチであると言われています。何故ならプラトンは新しい哲学の先駆者であり、ダヴィンチも美術の歴史を変えた人物だからだそうです。故にこの絵の中心的存在であるプラトンのモデルはダヴィンチ以外には考えられなかったというわけです。



長い間、アリストテレスのモデルはミケランジェロだと考えられていました。しかし最近では画面中央下の方で頬杖をついているヘラクレイトスがミケランジェロとされているようです。

ココには大変に面白い物語が横たわっています。ミラノはアンブロジアーナ絵画館にある「アテナの学堂」の下絵には当初ヘラクレイトスは描かれていませんでした。つまりこのヘラクレイトスは予定に組み込まれていたのではなく、急遽描きこまれる事になったんですね。更にこのヘラクレイトスだけ他の絵に用いられているタッチとは全く違うタッチで描かれているそうです。どんなタッチかというと明らかにミケランジェロを意識したタッチだとか・・・

このような事からラファエロはミケランジェロによる完成前のシスティーナ礼拝堂を見て大変な感銘を受け、ミケランジェロに対する尊敬の念を現す為に急遽描きこんだという説があるそうです。天才と天才の競演。なんてロマンチックなんだろう。

ラファエロは後にこのような言葉を残しています。

「我らの時代こそ、かつて最も偉大だった古代ギリシャの時代と肩を並べるほど素晴らしい時代なのだ」  ラファエロ

自分が生きていた時代をこのように誇る事の出来る人生。そしてそれを表現する事を仕事として生きたラファエロからは人生の教訓のようなものを学んだような気がします。僕も常にこうありたいものです。
| 旅行記:美術 | 19:59 | comments(4) | trackbacks(35) | このエントリーをはてなブックマークに追加
ロンドン旅行その7:大英博物館所蔵パルテノン彫刻群
大英博物館が収蔵する数あるお宝の中でも特に僕の目を惹いたのは「エルギンマーブル」と呼ばれるパルテノン神殿のファサードを飾っていた大理石のレリーフと彫刻群です。(パルテノン神殿については過去のエントリで少し書きました。)

パルテノン神殿の構成は下から基壇、柱、柱の上部に載っている水平材であるエンタブラチェア、その上の破風(ペディメント)、屋根部分の斜めのコーニスで正面が構成されています。



このうちエンタブラチェアは3層構造で下から梁であるアーキトリーヴ、その上に載るフリーズそして軒であるコーニスで成り立っています。更にフリーズは三本の筋が見えるトリグラフとレリーフが施されていたメトープと呼ばれる部分が交互に並んでいます。



これら破風やフリーズなどには各々の情景を刻んだ彫刻が施されていました。東側破風にはアテナ女神の誕生とそれを取り巻くオリンポスの神々を表す彫刻が設置され、西側破風にはアッティカの土地をめぐってポセイドンと争うアテナの彫刻が飾られていました。ポセイドンはアテネ市民に水を提供する事を約束し、アテネはオリーブを提供する事を約束した結果、アテネ市民はオリーブを選択したため、アテネがアテネ市の守護神になったという神話が残っています。

メトープには東西南北92面の浮彫り板がはめ込まれていました。高さ1.34メートル、幅約1.3メートル方形の大理石版です。東側14面にはギガントマキアと呼ばれる神々(オリュンポスの神々)と巨人(ティターン族)の戦いが。西側14面にはアマゾノマキアと呼ばれるギリシャ人とアマゾン族の戦いが。南側32面にはケンタウロマキアと呼ばれるケンタウロス族(半人半馬)とラピタイ族の戦いが。そして北側32面にはトロイア落城の様子を表したレリーフで飾られていました。又、神殿内陣の壁上部にもレリーフが施されておりパンアテナイア祭の行列の様子を描いたものが飾られていました。

前述したように、これらの多くの彫刻群は現在イギリスの大英博物館で「エルギンマーブル」として展示されています。何故これらがエルギンマーブルと呼ばれているかというと、19世紀に駐トルコ英国大使エルギン伯爵がオスマントルコ領だったアテネから持ち帰ったものであるためなんですね。大英博物館では現在これらエルギンマーブルだけの為に展示室がかなりゆったりと取られパルテノン神殿を思わせる環境に近いかたちで展示されています。つまりこれらのお宝は天下の大英博物館にとってもお宝中のお宝だという事です。

僕はこれを見た時に大変に驚きました。何故ならちょうど一年前の冬にアテネに旅行に行き実際にパルテノン神殿とパルテノン博物館に行ってそれらをこの眼で見てきたからです。僕の記憶では破風の彫刻はパルテノン博物館にはほとんど残って無かったと記憶しています。女の人が横になって寄り添っている彫刻とか馬の彫刻とか・・・。



これらアテネに残っている彫刻は複製が創られてパルテノンの元の位置に置かれていました。





しかしですね、大英博物館にはこんなにもたくさんの彫刻が残っているんですね。



てっきりこれら彫刻の大半は戦争で大破したものだとばかり思っていました。まさか全て持ってかれていたとは・・・



特に東側の破風部分の彫刻は見事に三角破風に沿う形がはっきりと見えるぐらいの量が残っているのが見えると思います。
そしてその質なのですがレースの彫刻部分に堆積した塵や汚れなどが2500年の歴史の重さをどっしりと感じさせます。これらを見ていると悠久の時代から美に対する人の態度は変わらないものなのだなと思いますね。
| 旅行記:美術 | 21:10 | comments(0) | trackbacks(37) | このエントリーをはてなブックマークに追加
ロンドン旅行その6:ツタンカーメン展in Millennium Dome
ツタンカーメン展が開催中という事をツーリストインフォメーションで小耳に挟みモーレツに行きたい衝動に駆られる。



詳しく話を聞くと今回の展覧会には金の王冠や臓器が入れられていた棺などツタンカーメンやその家族に関する品々130点あまりが展示されるとの事。同展覧会は2005年に米国でも開催され400万人が訪れ大成功だったとか。欧州で唯一の開催となるロンドン展では2008年8月30日の閉展までに1000万ドルの売り上げが見込まれているそうです。又お土産販売店の売り上げの75%はエジプトへ送られ同国の遺産保護に使用される計画だという。

そんなこんなで2007年11月15日から始まった「ツタンカーメンと古代エジプト王の黄金時代展(Tutankhamun and the Golden Age of the Pharaohs)」は連日大人気らしくチケットがナカナカ取れないのだとか。すぐさま隣のデスクで予約するもその日のチケットは完売で3日後まで待たなくてはならなかった。まあ時間もあるし「いっか」という事で3日後まで待つ事とする。

当日、開催場所を確認したらドックランドにあるThe O2というドームらしいという事に気が付く。地図を見たら2000年にリチャード・ロジャースがデザインしたミレニアムドームの位置にピッタリ。そうじゃないのかな−とか思いつつ行ってみたらやっぱりそうだった。



駅の改札を出てすぐに緩やかにカーブする屋根付き通路に導かれる事3分、ミレニアムドームに着きました。これはデカイ。かなりの大きさ。12本の黄色い角に吊られた水平に広がるドームは、形・デザインとしては酷評されるほど悪くない気がします。



内部は一大エンターテイメント空間に様変わりしていました。黄色い角が構造として機能しつつそこから自然光と空気を取り入れるというアイデア。



穴が大変に小さいので実際に太陽光や空気が取り込めるかどうかは疑問ですが、アイデアとしては仙台メディアテイクと通じるものがある。





ジョイント部分にキーカラーの黄色を取り入れ白色の下地にアクセントを付けている。ナカナカ趣味が良い。



さてそんな事を思いながらも展覧会場へと近付いて行く。眼の前に長蛇の列。前売り券を買ったのに受付で本券と交換してもらう必要があり30分刻みの入場可能時刻の入った本券を受け取りいざ会場へ。一度入ってしまえば何時間居ても良いという事だったが再入場は不可。写真撮影も不可。これはブロガーには痛い。という訳で以下に掲載する写真等は僕が撮ったものではなく主にネットから取ってきたものですのでご了承を。

展示はツタンカーメンのお父さんから始まっていました。彼のお父さんアメンホテップ4世は古代エジプト第18王朝の王であり改革者だったらしいです。特に古代エジプトの神々を否定し、多神教だった伝統を一神教にする宗教改革:アマルナ革命を推し進め、その影響は芸術にまで及んだとか。ただ追随者は少なく一代で終焉したらしい。

アメンホテップ4世の両親がアメンホテップ3世とTiya女王。その母がTjuyaといいます。今回の展覧会にはこのTjuya女王の棺や埋葬品が展示されていました。中でもすごかったのが彼女の人型棺。(下記写真)





その棺の威厳と品位の高さ、重厚感には驚きました。大英博物館には幾つもの棺が飾られていますがそれらとは明らかに違う質を備えている。(下記写真)



近寄る事すらためらわせるくらいの高貴さ。ふっくらとした棺の全体が金メッキで覆われて余すところ無く文字や絵といった装飾が刻まれている。足のつま先が真上を向いていて一番高い所で人の胸のあたりまである。その足の裏一面には文字や装飾が一面にぎっしりと描かれている。棺なので勿論半分で開ける事が出来るのですがその切れ目の上下でぴったりと合うように装飾が施されていた事が大変印象的。これが王族の棺であるというのには納得の格を感じました。

さて、このアメンホテップ4世の後を継いだのがツタンカーメン王です。当時9歳だったそうです。ところでなんでエジプトのミイラと言えばツタンカーメンという程彼は有名なのかというと、歴代のファラオの墓の中でほとんど盗掘の被害に遭っていない状態で発見されたのはツタンカーメンだけだかららしいんですね。これは幾つかの偶然が折り重なって出来た幸運だと考えられているらしいです。先ずツタンカーメンは19歳前後で謎の死を遂げています。自然死説・他殺説様々あるようですが、とにかく自明な事には彼の死は全く予想されていなかったと言う事が挙げられるそうです。それはツタンカーメンの墓地や内臓を入れて保管する入れ物が実は他の王族の為に用意されていたものを急遽ツタンカーメン用に転用した形跡がある事などに見られるそうです。

又もう一つの悲劇が彼の墓を盗賊から守ったらしいです。アマルナ革命を推進したアメンホテップ4世と共にツタンカーメンは異端の王として歴史から抹殺されたんですって。彼の名前は歴代王族の中から抹消され存在しなかった事になってしまいました。後年のラムセス6世が墓を作る時、その労働者達が労働小屋を作ったのがツタンカーメンの墓の上だったそうです。つまり当時既にツタンカーメンの存在は忘れ去られていた事になります。彼の墓は小さくラムセス6世の墓の作業で土砂などが高く積み上げられた事などから盗掘を逃れたらしいんですね。そんな悲劇が皮肉にも彼の墓の盗掘を妨げる事になるなんて人生何が幸いするか分かりませんね。

このような偶然の下、ツタンカーメンの墓はカーターの努力により発見されるに至りました。発掘された当時の映像が残っています。

墓に入った時の彼の言葉が印象的です。
"At first I could see nothing....but presently, as my eyes grew accustomed to the light, details of the room within emerged slowly from the mist, strange animals, statues and gold - everywhere the glint of gold."

「最初は何も見えなかった。しかし目が慣れるにつれ、部屋の細部が浮かび上がってきた。不思議な動物達、像、そして黄金。どこもかしこも、黄金だった。」
カーター


更に印象的なのがツタンカーメン王の棺の上にのせられたヤグルマソウのからからに枯れた花束を見つけた時、このように語っています:

「墓の中はどこも黄金で包まれていましたが、しかしどの輝きよりも、その枯れた花の方が美しいと、私は思いました。」
カーター


ロマンです。

個人的にかなり驚きだったのがツタンカーメン王のミイラと棺について。ミイラ本体に至るまでに何重にも棺やら箱やらで覆われていたんですね。ミイラの上に黄金のマスク。それを人型棺3つでくるみ、更に箱6つが入れ子状になっていた様子。会場にはそれを説明するナショナルジオグラフィック社が作ったアニメーションがありました。映像はやはり分かり易い。
黄金のマスクは一つだと思っていましたが、人型棺が3つもあるとは・・・相当丁寧に埋葬されていたんですね。
| 旅行記:美術 | 19:27 | comments(0) | trackbacks(37) | このエントリーをはてなブックマークに追加
ロンドン旅行その2:Sir John Everett Millais(ジョン・エヴァレット・ミレイ)
2日目は朝からテート・ブリテンへ行く。運よくラファエル前派の中心人物の一人Sir John Everett Millais(ジョン・エヴァレット・ミレイ)の回顧展Millaisが開催中でした。ターナーの作品群を見るのが主目的だったんだけど壁に掲げられたMillais展の広告を見てそちらを先に見る事にしました。



はっきり言ってノーマークだった作家ですが大変な衝撃を受けました。誰でもピンとくる作家や芸術家が心の中に一人はいるものだと思いますが、ミレイの作品はカタルーニャの作家であるMariano Fortuny(マリアノ・フォルトゥーニ)に受けた時以来の大きな感動を僕にもたらしてくれました。これこそ旅行の醍醐味。予定調和的ではない出会いほど感動的なものは無い。という訳で少し調べてみました。

とりあえず彼が結成し属したとされるラファエル前派から。ラファエル前派(Pre-Raphaelite Brotherhood)というのは19世紀の中ごろにイギリスで活動した美術家・批評家から成るグループで、その頃にメインストリームだった古典偏重教育に異を唱えるべく結成されたそうです。「ラファエル」とは勿論、イタリア・ルネサンスの古典主義の完成者であるあのラファエロです。去年ローマに旅行した時にバチカンで見まくりました。古典にも関わらず重々しくなく逆にものすごくポップな感じを受けたのを良く覚えています。特にその色使いは現代に通じるものがあると思います。つまり今見ても新しいし、ある意味今よりも新しい。これが永遠と言う事か・・・・



当時の美術教育がラファエロの完全な影響下にあった事は想像に難く無いですね。つまり当時の指導的立場にあったアカデミーがルネサンス期のラファエロの絵画を模範としていたという事です。そんな状況下において何時の時代も同じように、保守的でアカデミックな状況を覆そうとする若い運動が出てくるのも又自然な事のように思われます。それがラファエル前派という運動だったというわけです。

彼等が目指したのはラファエロ以前の芸術で「率直にものを見る態度」とアカデミック様式からの開放による素朴な絵画表現でした。見たものをありのままに描くという彼等の態度は自然の細密描写と神秘的な芸術表現による美に至らしめます。これは「自然をありのままに再現すべき」というジョン・ラスキンの影響であり、又ラスキンも彼等を後押ししていたようです。ラスキンといえば建築家なら誰しも読んでいる「建築の七燈」、「近代画家論」などの著者でありウイリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフトにも多大なる影響を与えた一人。彼の影響は色んな意味で大変大きかったらしいです。



さて作品ですが彼の最も有名な作品といえば22歳の時に描かれた「オフィーリア(ophelia)」でしょうね。この絵はシェイクスピアの「ハムレット」の一場面から主題を借りてきています。



小川のふちに柳の木が、白い葉裏を流にうつして、斜めにひっそりと立っている。オフィーリアはその細枝に、きんぽうげ、いらくさ、ひな菊などを巻きつけ、それに、口さがない羊飼いたちがいやらしい名で呼んでいる紫蘭を、無垢な娘たちのあいだでは死人の指と呼びならわしているあの紫蘭もそえて。そうして、オフィーリアはきれいな花環をつくり、その花の冠を、しだれた枝にかけようとして、よじのぼった折も折、意地悪く枝はぽきりと折れ、花環もろとも流のうえに。すそがひろがり、まるで人魚のように川面をただよいながら、祈りの歌を口ずさんでいたという、死の迫るのも知らぬげに、水に生い水になづんだ生物さながら。
                                    (シェイクスピアの『ハムレット』)


この絵は強烈に僕の心を捉えました。一度見たら忘れる事が出来ない風景。大変細密な自然描写の中に少女が浮かんでいる。生きているのか死んでいるのか分からないその表情。その独特のポーズ。とても言葉では表す事が出来ないそこに漂っている空気。圧倒的です。宮崎駿が大きなショックを受けて自らの方向性を変えざるを得ないと決断させたというのにも納得。当時イギリスに留学していた夏目漱石もこの絵に影響を受けていたようです。後に「草枕」の中で以下のように述べています。

なるほどこの調子で考えると、土左衛門(どざえもん)は風流である。スウィンバーンの何とか云う詩に、女が水の底で往生して嬉しがっている感じを書いてあったと思う。余が平生から苦にしていた、ミレーのオフェリヤも、こう観察するとだいぶ美しくなる。何であんな不愉快な所を択んだものかと今まで不審に思っていたが、あれはやはり画(え)になるのだ。水に浮んだまま、あるいは水に沈んだまま、あるいは沈んだり浮んだりしたまま、ただそのままの姿で苦なしに流れる有様は美的に相違ない。それで両岸にいろいろな草花をあしらって、水の色と流れて行く人の顔の色と、衣服の色に、落ちついた調和をとったなら、きっと画になるに相違ない。しかし流れて行く人の表情が、まるで平和ではほとんど神話か比喩になってしまう。痙攣的な苦悶はもとより、全幅の精神をうち壊わすが、全然色気のない平気な顔では人情が写らない。どんな顔をかいたら成功するだろう。ミレーのオフェリヤは成功かも知れないが、彼の精神は余と同じところに存するか疑わしい。ミレーはミレー、余は余であるから、余は余の興味を以て、一つ風流な土左衛門をかいて見たい。しかし思うような顔はそうたやすく心に浮んで来そうもない。
                                   (夏目漱石『草枕』)


さて次の作品「マリアナ(Mariana)」にも目を奪われました。



その独特の色使い。深いブルーのドレスとそれと対になるように輝くオレンジ色の椅子の調和。少し苦悩を表すようなその表情。状況設定としてはフィアンセに振られながらも未だに忘れる事が出来ず、何することも無く暇を持て余している婦人が昼下がり織物をしているという設定。何時間か織物に集中し、休憩がてら腰を上げたその時、忘れかけていた心配事が頭をよぎったのだろうか。その苦悩がその表情によく表れている。



この作品も良かった。大変に小さい作品で水彩画なのですが題名は「失恋(A lost love)」。月夜の晩に恋人のことを思いながら遥か彼方を見つめる少女。彼女の顔とドレスに反射した月夜の明かりが何処となく切なさを醸し出しています。まるで「夜がため息」をしているかのようです。



ミレイは沢山の肖像画を描いています。その中において特に「Fancy Pictures」と呼ばれているジャンルがあります。その中の一つ「Bright Eyes」という作品に目が留まりました。
真っ直ぐ前を見据えた綺麗な瞳に赤いコート服という大変にシンプルな構成。少し微笑みを含んだ表情からは気品が漂っています。



このジャンルからもう一つ。「Cherry Ripe」。この作品なんとなく日本的じゃないですか?

ミレイの代表作品をほぼ網羅しているこの展覧会には大満足でした。
| 旅行記:美術 | 07:50 | comments(4) | trackbacks(35) | このエントリーをはてなブックマークに追加
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