地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
僕的には大ニュース!幸福の画家、ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio)の新作発見:価値観の多様性とは
一昨日から各国メディアはどれもコレもギリシャ危機やそれに伴う金融不安の話題ばかりなんだけど、そんな「経済、経済、経済!!」の見出しの脇にチラッと、僕的にはかなり気になる記事が載っていました。

“Los expertos certifican un nuevo cuadro de Rafael”

「専門家達はラファエロの新たな作品を確認した」


そうなんです!何でもイタリアの小都市モデナ(Modena)でラファエロの手による絵画が新たに発見されたそうなんです!!



今回新たに発見された作品: La Perla de Modena



プラド美術館所蔵のSagrada FamiliaLa perla

元々この絵画は現在スペインのプラド美術館に飾られているラファエロ作品、Sagrada Familiaの中のLa Perlaのコピーだと言われていて、長い間、モデナ・エステンセ美術館La galleria Estense de Modena)に収蔵されていたそうなのですが、「コピーにしては額縁が良すぎ」とか疑惑を持った学芸員がフィレンチェのArt Test研究所(Laboratorios de Florencia Art-Test)に絵画を持ち込み、詳しく調べた所、ラファエロの新作だと言う事が判明したそうなんですね。

実は僕はラファエロの大ファンで、ヨーロッパ中でラファエロ巡礼なるものを慣行しているくらいなのですが、と言うのも、5年程前にローマのヴァチカン博物館に行った時に見た、「アテネの学堂」があまりにも素晴らしく、大変な衝撃を受けてしまったからです(地中海ブログ:ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio):アテネの学堂(Scuola d'Atene)。



それ以来、事ある毎にラファエロの作品を探しては旅に出ると言う、結構幸せな日々を送っています(地中海ブログ:ミラノ旅行その6:ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio):アテネの学童下書き(La Scuola di Atene- cartone preparatorio))。

最近見た中ですごく良かったのは、同じくヴァチカン博物館の絵画館所蔵のお宝中のお宝、ラファエロの精神的遺書だと言われている「キリストの変容」ですね。



もう構図といい、色使いといい、その迫力といい、素晴らしいの一言!



彼の作品は本当に優雅で、優しさに満ち溢れていて、見ているだけでコチラの気持ちを幸せにしてくれるかの様です(地中海ブログ:
幸福の画家、ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio):キリストの変容(Trasfigurazione)。日本語で読める数少ないラファエロ関連書籍の内の一つ、フォシェン(Henri Focillon)の訳書のタイトルが、「ラファエッロ−幸福の絵画」って言うのも、彼の人生そのものを表しているかの様で、これ以上は無いと言う程ピッタリの訳だと思います。

さて、そんなラファエロ大好き人間の僕から見たら、今回の発表はものすごい事なんだけど、世間ではどうやらそれ程でも無いらしい。ちなみに今、GoogleYahooで検索したけど、日本語でこの情報を伝えているニュースやブログなどはゼロ。ラファエロってレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロと並ぶ、盛期ルネサンスの三大巨匠の一人で、イタリア・ルネサンスの古典主義様式の完成者って言われてる程なんだけど、どうも日本ではイマイチ知名度&人気が低い様です。


まあ、僕達の社会は多様で、この多様性こそが社会を豊かにしている源泉なんだから、僕みたいに「ラファエロ大好き」って言う人も居れば、「なんだソレ?」って全然気に留めない人が居るのも又然り。つまり、ラファエロの絵画を見るに付け、人生が豊かになる様な気がする人もいれば、ラファエロの絵なんか見たって、特に何も感じないし、そんな事に時間を費やすくらいなら、「ニコ動でも見て癒されるか−」という人もいると、まあ、唯それだけの事です。

そんなラファエロの絵に心底癒されてしまう価値観を持っている僕からしたら、最高に感動するのが何時も引用する彼が残したこの言葉です:

「我らの時代こそ、かつて最も偉大だった古代ギリシャの時代と肩を並べるほ ど素晴らしい時代なのだ」  ラファエロ

自分の生きた時代をこんな風に誇る事の出来る人生。あー、何て素敵な人生なんだろう。何度聞いても感激すると同時に、この言葉を聞く度に僕は何時も自問自答してしまいます:「果たして僕は、今自分が生きているこの時代、そして自分の人生を「最高だ」と言う事が出来るのだろうか?」と。

こんな気持ちを思い出させてくれるラファエロは、やっぱり僕にとっては最高の存在です!!
| スペイン美術 | 20:54 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
スペイン人のちょっとした自慢:ヨーロッパ初の近代小説、ドン・キホーテ(Don Quixote)
実は2005年は世界文学史上の不朽の名作、ドン・キホーテが出版されてから400年記念に当たる年でした。当然のごとくスペイン中で様々なお祭りが行われていたりして、その事について「いつか書こう、書こう」と思っていたのですが、ナカナカ纏まった時間が無く、あれから5年もの月日が経っていた事に、今日、気が付きました(苦笑)。ここまで来ると、「あー、あれから5年も経ったのかー」と感慨深いですけどね。



ドン・キホーテ(Don Quixote)って言うと、日本人の皆さんの中には24時間営業の、「あのドンキホーテ」が最初に頭に浮かぶかも知れませんが、あのお店の名前の由来は元を正せばミゲル・デ・セルバンテス(Miguel de Cervantes)が世に送り出したスペインの革命的な小説、「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ(Don Quijote de la Mancha)」に由来するんですね。Wikiによるとドン・キホーテは世界中の国々で翻訳され、今や聖書に次ぐベストセラーなんだとか。だから「ドン・キホーテ」という名前や、「頭の可笑しくなった騎士が風車に突っ込んでいく場面」なんかは非常に有名でも、実はそれがメイド・イン・スペインだと言う事は案外知られていないのでは?と思います。

さて、このドン・キホーテという小説は文学史上とても重要な位置を占めていると言われているのですが、それは何故なのか?それが今日のテーマなんですけれども、一つにはこの作品がヨーロッパで初めて書かれた「近代小説」であるという点にあるかと思われます。もっと噛み砕いて言うと、この小説はそれまでに書かれていた小説の批評の上に成り立ち、空想の世界ではない、(それまでの文学に比べて)現実に根ざした小説となっているんですね。

ドン・キホーテが書かれた時代というのは中世の時代であり、そんな時代の文学作品と言えばどれもこれも「騎士道の美しさを謳ったもの」とか、全くの空想の世界を想像したものとかばかりでした。つまり「白馬に乗ったカッコイイ王子様がドラゴンをやっつけてかわいいお姫様を助け出す」とか、「勇敢な騎士達の美しき生活、うんぬん」とかそんな感じ。

それに対してドン・キホーテは、それ以前の文学作品を引用したり批評したりする事によって、自らの立ち位置を歴史の中に位置付けようとしたと言う事が出来るかと思います。そして「文学とは何か?」という事を、その作品を通して意識的に問うている点がそれ以前の作品とは決定的に違う点だと思われます。

この小説はそれ以外にも、物語構造を多重入れ子構造にする事で、何処からが現実で何処からがフィクションなのか分から無い状況(フィクションとリアリティ)を創り出す事に成功したりと、分析すれば色んな見方が出来る、いわば、きらきら光った宝石がぎっしりと詰った宝石箱の様な小説だと言う事が出来ると思うのですが、僕はやはりこの「文学とは何か?」という問いをその作品を通して問うている点こそ、この文学作品がその歴史の中において圧倒的に重要な点ではないのか?と思う訳です。

そしてもっと重要な事に、小説として読んでいて大変面白いという点を挙げる事が出来ますよね。それはもう、発表以来400年もの間、世界各地の人達に読み続けられているという事実が何よりもそれを表しています。そんな革命的な小説がスペインから出てきたという点はスペイン人のちょっとした自慢です。
| スペイン美術 | 22:03 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
バルセロナ・ピカソ美術館の企画展:「秘められたイメージ:ピカソと春画」その2:キュビズムの萌芽は春画にあった?
さて、前回のエントリ、バルセロナ・ピカソ美術館の企画展:「秘められたイメージ:ピカソと春画」その1:ピカソ美術館が好企画展を連発する裏事情の続きです。先ずは現在ピカソ美術館で行われている特別展の内容に触れたいと思うのですが、今回のエントリはその内容上、エロチックな画像などを含みますので一応注意を促しておきます:
警告
エロチックな画像など、「そちらの方はちょっと」という方はココで読むのをストップしましょう。




さて、という訳で、今このエントリを読んでいるあなたは、とっても性に興味のある「好奇心旺盛な方」だと勝手に認定させて頂きます(笑)。まあ、冗談はコレくらいにして、今回の企画が素晴らしい点、それは「ピカソは日本の春画に影響を受けていたのではないのか」という仮説を幾つかの具体的な例を挙げながら検証している点です。

先ずピカソが若い頃に撮った写真の背景に春画が映っている事などから、既に彼が春画の存在を知っていた事実を挙げていたり、友人の日記の中に「ピカソに春画を買ってきてあげた」という記述を発見したりと、様々な角度から、ピカソと春画の関係について迫っているんですね。つまりココで「ピカソは確実に春画を見ていた」と言う事実を突き付けている訳です。そしてその後で、例えばピカソが書いた下の絵は、「実は春画を元にしているのではないのか?」と論を展開する訳です:





確かに構図などそっくり。そしてこんなのまで書いちゃっています:



コレは何を参考にしているかと言うと、葛飾北斎の有名なタコの絵ですね。



これらの絵をバラバラに見せられたら分からないけど、ピカソが春画を見ていたと言う事実と、2つの絵を一緒に見せられると、確かに春画の影響について非常に説得力がありますよね。そして更にこの展覧会の素晴らしい点が、このようなパッと見て分かる影響を遥かに超えた、春画がピカソに与えたであろうもっと深い影響を仮説として提唱している点です。それが:

「春画の特徴というのは書きたい部分だけにフォーカスして、誇張気味に書く点にあり、その為には必ずしも体を身体学的に正確に描写する必要は無い。そしてそれは後年のピカソの作風、つまりキュビズムに通じる所があるのではないのか?」

どう言う事か?



例えば上の春画では、性行為をしている2人の陰部と顔に焦点が当てられています。しかしですね、人間はこんなポーズは絶対に出来ませんよね。これでは首がつってしまいます。この図では明らかにそのような身体学的な論理は無視されています。



上の図も一緒。この男の人は、次の日から2週間はクビワッカをつける羽目になる事間違い無しです。

目の前にある風景(3次元)を2次元のキャンパスの上に忠実に再現する事を第一と考えてきたヨーロッパの画家達には、春画が採用しているこのような描写手法と言うのは、全く考えられない事でした。レオナルド・ダ・ヴィンチなんて、人体解剖して筋の一つ一つまで正確に描いていた程ですから。

では何故、春画絵師はこのような無理な姿勢を敢えて取らせてまで、顔と陰部に焦点を当てたのか?春画の専門家である早川聞多さんによると、顔と陰部というのは、その人の人生や生活の表と裏を表しているそうです。つまり隠す事の出来ない顔がその人の表を表し、何時も隠している陰部が、その人の裏を表していると言う事なんですね。春画というのは、実はそのような人間の表と裏を一枚の紙の上に表現しようとした芸術だと考える事が出来ると言う訳です。

しかしですね、ココが非常に重要且つ、面白い所なんですけど、じゃあ、このような表現はピカソの目にはどう映ったのか?実はピカソの目には、「春画の技法は一つの対象物を様々な視点から見る多視点の技法と写ったのでは無いのか?」と、この展覧会は仮定している訳なんですよ。

ピカソがどのようにキュビズムに到達したのか?と言うテーマには、今まで沢山の研究の蓄積があり、今更言うまでもありませんが、セザンヌの影響があったりして、最終的にアヴィヨンの娘達(Les Demoiselles d Avignon)に辿り着くというのが、良く知られている所だと思います。



ちなみにこのアヴィヨンというのは、南フランスのアヴィヨン市の事ではなくて、バルセロナ旧市街にある古い街路、アヴィヨン通りで、ココに描かれている女の人達は、その当時、ピカソが遊びまくっていた娼婦達なんですね(詳しくはコチラ:地中海ブログ:
バルセロナの中心市街地で新たな現象が起こりつつある予感がするその3:街頭売春が引き起こした公共空間の劣化

ピカソはその長い生涯の間に数々の女性と関係を持ち続けた事からも分かる様に、非常に女好きだった事は容易に想像がつきます。しかしそれだけで、彼がこれ程春画に惹かれていたとは到底思えない。もしかしたら、今回の展覧会が主張している様に、ピカソは春画の中に既にキュビズムの萌芽を読み取っていたのかも知れません。

20世紀最大の巨匠の作品に実は日本の春画が影響していた!」、そんな風に考えると、ちょっとゾクゾクしてきませんか?
| スペイン美術 | 07:01 | comments(4) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
バルセロナ・ピカソ美術館の企画展:「秘められたイメージ:ピカソと春画」その1:ピカソ美術館が好企画展を連発する裏事情
今週の水曜日の事だったのですが、バルセロナのピカソ美術館で行われた「浮世絵−春画の特徴」と題したカンファレンスを聞きに行ってきました。お話しをしてくださったのは国際日本文化研究センターの早川聞多さん。世界でも数少ない浮世絵の専門家の方だそうです。



今回のカンファレンスは現在開催中の「秘められたイメージ:ピカソと春画(Imatges secretes. Picasso i lestampa erotica japonesa)」と題された特別展の一環で行われたものなのですが、取り合えず、この展覧会がすごいんです!何がすごいって、日本なら絶対展示不可になるであろう「激しい性行為」をあからさまに描いた春画を、ここぞとばかりに公共の美術館で展示している所。会場にはカップルで来てる人とか、一人でじっくり一点だけを見てる(怪しい)人(笑)とか様々だけど、これは、親と来たら確実にコメントに困る類の展覧会ですね(笑)。親子でバルセロナ観光中の皆様、ピカソ美術館に訪問される場合は、企画展はなるべく避けて、常設展だけ見る事をお勧めします(半分冗談、でも半分本気)。

さて、本題に入る前に一言。

最近のピカソ美術館の企画展の切れ味の良さにはちょっと注目に値するものがあります。今回の展覧会は言うに及ばず(理由は後述します)、去年行われた「ラス・メミーナス、ベラスケスを忘れながら(Olvidando a Velasquez. Las Meninas)」と題された企画展も非常に面白い展覧会でした(地中海ブログ:国際博物館の日(International Museum Day)とピカソ美術館(Museo Pisacco)その2)。



これは、言わずと知れたベラスケスの大作「ラス・メミーナス」が各時代のアーティスト達によってどのように評価されてきたかに焦点を当て分析していたのですが、その裏には勿論、バルセロナのピカソ美術館が所蔵するお宝、58枚のピカソ作によるラス・ミニーナスの連作が基になっていたりします。その辺りの戦略性もナカナカ。

さて、ピカソ美術館がバルセロナに創設された歴史的経緯や美術館を巡る都市戦略、ピカソというイメージを利用したいバルセロナ市の思惑などについては以前書いた通りなのですが(地中海ブログ:国際博物館の日(International Museum Day)とピカソ美術館(Museo Pisacco)その1:ピカソとバルセロナの都市戦略)、ここの所のピカソ美術館の目を見張るようながんばり、それは一重に館長のがんばりに拠る所が大きいのではないのかな?と僕は思います。

今の館長がピカソ美術館に就任したのは2年程前の事だったのですが、その当時、こちらではスペイン中を巻き込んだ大論争がありました。というのも、今の館長はピカソの専門家でもなんでもなく、ピカソに関しては全くの素人、館長経験は勿論無しの若いだけがとりえの一学芸員で、美術関係者の間でさえ、全く知られていない存在だったからなんですね。だからピカソ美術館の新館長がアナウンスされた時には誰もがビックリ。

「誰だ、○○って???」

って事になり、各メディアなどが詳しく調べていく内に、思わぬ裏事情が明らかになりました。実は彼の叔父さんがスペイン人なら誰でも知ってる超大物政治家で・・・ブツブツ、とまあ、はっきり言えば「コネ」という、それだけの理由だったんですね。

笑ったのが、当時、La Vanguardia紙が一面に渡って載せていた彼に対する批判の横に、「応援」みたいな感じで、彼を擁護するインタビュー記事が載っていた事。普通、そういうのって、「○○美術館館長談」とか、「○○教授語る」みたいなそれなりに社会的に認められ、美術館関連のご意見番みたいな人が擁護するのが普通だと思うんだけど、彼の場合は本当に誰にもコンタクトが無かったのか、高校の先生がインタビューされてて、その内容も、「彼はがんばり屋さんだからきっと大丈夫」みたいな、ある意味すごい内容だったのを覚えています。

それから数年。

周りのバッシングや陰口が酷かった事は想像に難くありません。彼もかなり苦労したとは思うのですが、でも、だからこそ、何とか結果を出そうとして、なりふり構わずがんばったんじゃないのかな?そしてその多大なる努力の結果が、近年の、何処の美術館にも負けていない好企画と入場者数に表れているのだと思います。去年のデータによれば、市内で唯一入場者数増加を果たしたのはピカソ美術館だけでした(地中海ブログ:世界の観光動向とカタルーニャの観光動向2008)。

このような彼のがんばりは、我々若い世代にとって非常に励みになります。何故なら僕達には、経験豊富な上の人に勝るものと言ったら「やる気」ぐらいしかないからです。(ちなみに昨日のアムステルダムミーティングではかなり凹みましたし(苦笑))でも、今回のピカソ美術館館長のように、「経験が多少無くても、そこは有り余るエネルギーでカバーできるし、それを結果に繋げる事出来る!」という所を見せてくれる例が増えてくれば、社会的にも「ココは一丁、若者に任せてみるか」という気運が高まってくるかもしれない。

今回のカンファレンスに行って、彼にはものすごい勇気をもらった気がします。
バルセロナ・ピカソ美術館の好企画展:「秘められたイメージ:ピカソと春画」その2:キュビズムの萌芽は春画にあった?に続く。
| スペイン美術 | 18:31 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
カタルーニャ美術館(Museu Nacional d’Art de Catalunya(MNAC))開館75周年記念展覧会:ドラゴンの違いに見るヨーロッパとアジアの違い
昨日はカタルーニャ美術館開館75周年記念という事で、夕方から深夜にかけてモンジュイックの丘にて様々なイベントが行われていました。ヨーロッパでは休日や特別な記念日などに、公共施設が無料になったりコンサートを開いたりする事が結構多いのですが、夜中の0時まで美術館が開館しお祭り騒ぎをしているというのは、地中海都市の特徴なのでは?と思われます。

MNAC

地中海都市の大きな特徴の一つは「公共空間とそこで行われる活動だと思う」という事は、当ブログで散々繰り返してきた所なのですが、そのような活動が発展して来た背景には、やはり「お天気」が関係しているのかなー?とか思っちゃうんですね。「そんな事、もう何十年も前にフェルナン・ブローデル(Fernand Braudel)が言ってるじゃないか!」とかいう声が聞こえてきそうですが、正にその事実を、本からの知識としてでは無く、自分の体験として蓄積し得たという点こそ、地中海に8年近く住み続けた一つの成果なのでは?と思っています。

都市構造に与えるお天気の重要性、そしてその結果としての都市における公共空間の重要性。そんなバルセロナだからこそ、公共空間を軸とした都市活性化政策が功を奏し、他国から見たら都市再生の「モデル」にまでなったというのは、何も偶然じゃ無いのかも知れません。そしてそういう意味において、バルセロナは今まで、特別な事をして来たつもりも無かったんだと思います。それを特別なものとして「発見」したのは、正に外部の視線だった訳で‥‥

あー、又話が脱線してしまった。今日書きたかったのはこの事じゃ無くて、ドラゴンの事なので、この話はまた今度。

さて、上述した様に昨日の夜は様々な催しが美術館で繰り広げられていたのですが、その中でも感心したのがコチラ:

MNAC

20時頃から始まった、美術館所蔵のお宝についてのプチ説明会。何人もの学芸員が厳選された作品の前に立ち、約15分おきに10分程度の説明をするというサービスです。市民は自分の興味のある作品の前に行き、気軽に説明を聞く事が出来ます。コレは嬉しい!

金曜日の夜にちょっと着飾ってディナーの前後に美術鑑賞。そしてそれをサポートする公共側の仕組み。こう言っちゃなんだけど、やはりコチラの人達は文化の楽しみ方・生活の楽しみ方が分かっている!そこがヨーロッパの奥の深さなのか!

さて現在カタルーニャ美術館ではConvidats d’honor Exposicio commemoratia del 75e aniversari del MNACと題するカタルーニャの歴史にまつわるお宝を集めた展覧会が開かれています。

MNAC

MNAC

ナカナカ面白い企画で、以前紹介したカベスタニーの職人(Maitre de Cabestany)が手がけたと言われているSant Pere de Rodes教会にあるCapitell de la portada occidental de Sant Pere de Rodes(地中海ブログ:ロマネスク美術と地中海:カタルーニャ、トゥールーズ、ピサ、11201180(Romanesque art and the mediterranean, catalonia, Toulouse and Pisa, 1120-1180)や、普段は商工会議所に保存されている Lucreciaによる彫刻作品、Damia Campenyなどが修復を終え、その姿を見せたりしていました。そんな中、僕の目に止まったのがコレ:

MNAC

以前紹介した、アントニ・サドゥルニ(Antoni Sadurni)によってデザインされた「サン・ジョルディ・タピストリー(Sant Jordi Tapestry(1450-1451))」と銀細工(?)の戦士の像(Sant Jordi Dempeus matant el drac(1420−1450))です。両方ともカタルーニャ第1級のお宝として、普段はカタルーニャ州政府庁舎に保存されているのですが、今回は国を挙げての展覧会という事で、こちらに移動されて来たみたいですね。モチーフは言わずと知れたサン・ジョルディの伝説、白馬に乗った王子様がドラゴンをやっつけて、捕われていたお姫様と結ばれると言う、ヨーロッパに古くから伝わる伝説です(地中海ブログ:カサ・バトリョ(Casa Batllo)とサン・ジョルディ(Sant Jordi)、地中海ブログ:サン・ジョルディ(Sant Jordi)とカタルーニャ(Catalunya、地中海ブログ:サン・ジョルディ(Sant Jordi)とカタルーニャ(Catalunya)その2)。

さて、今回どうしてこれらのお宝が僕の目を引いたのかというと、先週の上海訪問で、至る所でドラゴンを見かけた為に、自然と、ヨーロッパと中国、両者のドラゴンの違いに目が行ってしまったという訳なんですね。中国においてはドラゴンというのはとっても神聖な生き物で、ほとんど神様扱いされていました。

dragon

容姿としては、蛇の様な長―い胴体を持ち、角が生え、ヒゲをたくわえ、鋭い爪や牙を持っています。正にドラゴンボールの「神龍」のイメージ。でもそんな龍の中にもどうやら格付けがあるらしいという事が判明したのが先週の事。分かり易いのが爪の数で、数が多い程格が上らしいんだけど(最高5本)、5本爪の龍は皇帝様しか使ったらいけなかったらしいです。例えばこの龍:

dragon

「豫園」を訪れた時に見た、壁と一体となった見事なデザインの龍なのですが、よく見ると確かに爪が3本しか無いんですね。ほら:


上海博物館にあった、見事なお皿とかにも龍が描かれていたけど、どれもこれも爪の数は4本でした。

dragon

逆に皇帝様が座ったとされるこの椅子:

dragon

dragon

この龍の爪は5本。

このような龍の格付けは全く知らなかったので、一つ勉強になりました。

さて、このような中国を起源とする蛇型の龍に対して、ヨーロッパ型の龍はトカゲが二足歩行になった様な恰好をしています。丁度、ドラクエに出てくるドラゴンのイメージですね。

多分、プックリしているお腹に大量の油とかを貯めてて、それで口から火を吐くっぽい。そしてヨーロッパのドラゴンには飛ぶヤツと飛ばないヤツがいる事が分かっています。まあ、あんなにデブっちょだから、飛ぶのも大変なんだろうなー。


で、このドラゴンを、槍を持った王子様が退治する事になってるんだけど、確かにヨーロッパ型のドラゴンなら、何とかすれば勝てる気がしないでもないですよね。大きさもそんなにバカでかくは無いし(王子様が何故、ドラゴンを槍で突き刺してやっつけるのか?剣では無いのか?についてはコチラ:地中海ブログ:サン・ジョルディ(SantJordi)とカタルーニャその2

その一方で、中国系のドラゴンには絶対勝てませんね。先ず何よりデカイし、火とかは吐かなさそうだけど、多分、竜巻や雷とかは呼びますね。戦うにしても、中国系は羽根無しでも飛ぶから、空に逃げられたらもうダメでしょ。まあ、勿論、中国系の龍は神様であって、崇めたりする対象なので、退治したり戦ったりする事はないのだろうけれど。


逆にヨーロッパ系のドラゴンは何時も悪役で登場します。そして絶対にやっつけられる。だから、サイズも御手頃な人間サイズに縮まったのでしょうか?

ここは結構面白い所で、両大陸における自然に対する認識の違いが垣間見られます。つまり東洋においては、「自然」というのは人間社会の一部で、共生していく対象なんですね。

soen

だから建築とかにも、当然のごとく自然の風景を取り入れて、葉っぱの色が変わっていく様や、木々が朽ちていくその情景を時間変化として建築の要素に組み込んでいる。

その一方で、ヨーロッパでは「自然」とは人間が征服し、支配すべき対象であって、そんな論理からドラゴン(自然の表象)は何時も退治されなくてはならない対象という事なのでしょうか?

そう言えば、龍で思い出したけど、数年前に鈴木保奈美と滝沢君がやってた「ニュースの女」というドラマで、滝沢君の役名が龍だった(どうでも良い豆知識)。歴史に残る名ドラマでした(地中海ブログ:ニュースの女

| スペイン美術 | 21:55 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
もう一つの「アーティストのビジネスモデル」
ネットを見てたらこんな記事を見つけました:

「アーティストのビジネスモデル」

昔どっかで読んだんだけど、オランダではアーティストの育成に大変力を入れていて、年間100人くらいのアーティストに日本円にして100万円くらいの奨学金を与えるそうなんですね。そしてそれを100年続ける。そうすると100万×100人×100年で100億円の赤字なんだけど、その100年の間にゴッホのような天才が1人出ると、彼(もしくは彼女)の絵が400億くらいで売れるから「長期的に見たら黒字」とか本気で考えてるらしい(笑)。

確率的には十分有り得る話だと思うので、北の国らしく論理的思考の帰結っぽいけど、なんか笑える。
| スペイン美術 | 07:09 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
プラド美術館展示作品拡張計画
最近、美術館関係の話題が多いなと思っていたら、どうやらプラド美術館が展示作品を大幅に入れ替える計画が発表されたのだそうです( El Pais, P44, 3 de Marzo 2009)。一昨年の暮れくらいにラファエロ・モネオ(Rafael Moneo)による増築が完成し、既存の建物よりも25%大きくなった展示スペースを最大限生かして、2012年までに現在の展示作品1000点から50%増しの1500点に大幅アップするらしいです。アート好きには嬉しいお知らせですね。

さて、関連記事でとっても面白い情報が載っていました(La Vanguardia, p32, 3 de Marzo 2009)。スペインの主要美術館の収蔵作品数と展示作品数です。美術館って言うのは僕達が余り知らないような色んな機能を結構持っているのですが、その内の一つが作品の収集と保管機能なんですね。僕達が美術館で目にする作品というのは、実は美術館が持っている作品数のホンの数パーセントでしかありません。ちなみに各美術館の作品所蔵数と展示数はこんな感じです:

プラド美術館(El Prado)
収蔵作品数:17.400
展示作品数:1.000

レイナ・ソフィア(Reina Sofia)
収蔵作品数:17.000
展示作品数:650

バルセロナ現代美術館(MACBA)
収蔵作品数:3.520
展示作品数:85

カタルーニャ美術館(MNAC)
収蔵作品数:256.226
展示作品数:4.984

考古学博物館(Museu Arqueologic)
収蔵作品数:40.000
展示作品数:3.900

ビルバオ・グッゲンハイム美術館(Guggenheim Bilbao)
収蔵作品数:102
展示作品数:16

カタルーニャ美術館(MNAC)なんて25万点も持ってるの?って感じなんですが、その内、展示しているのはたったの2%。MNACって行ってみると分かるんだけど、結構広くって展示品数もかなりあるんですよね。え、あれでたったの2%!って、どんだけ持ってるの???

さて、コレ関連の話で思い出すのがトーマス・クレンズ(Thomas Klens)が試みた大博打、それまでの常識を覆すグッゲンハイム美術館再生計画ですね。

実はグッゲンハイムっていうのは当時ものすごい経済危機に陥っていて、もう何とも回らなくなった所に出てきたのがトーマス・クレンズのトンデモナイ提案。彼は一体何をしたかというと、倉庫に眠っていて普段は展示されない作品を売っちゃったんですね。一般の人にとっては、「使わないんだったら別にいいじゃん」とか思う所なのですが、美術関係者にしてみたらコレはえらい事なんです。

というのも、美術館の重要な機能の一つに美術品の価値を安定させるというのがあります。そもそも美術作品と美術館って共犯関係にあって、特に近代美術っていうのはある意味、近代美術館によってその価値が決められてきた所がありますよね。つまり、美術館がコレは良い作品だといって、展示したらそれが価値ある作品と言う事なるという構図。この辺はちょっと複雑だけど面白い所で、近代国家が自らを確立する為に近代美術と近代美術館を利用したという共犯関係です。だから19世紀の終わり、フランス革命の後に美術館がボコボコでき始めたのは何も偶然じゃない訳です。

又コレと絡んでくるのが美術作品の商品化という話です。美術館のスポンサーが王様からブルジョアジーなどに変わった事などによって、美術館が「モノ」に「芸術」という価値を与え始めるという現象とマーケットが結びつき始めました。そして美術館というのはそのような商品をコレクションとして持っているから偉い、うちの美術館はこれだけのコレクションを持っているから偉いんだという構図が出来上がった。それが現在の美術館という制度です。

ちなみに「え、こんな価値基準や制度ってちょっとおかしいんじゃないの?」と疑問を投げ掛けたのがハンス・ハーケ(Hans Haake)であり、彼がキュレートした有名な展覧会、「見解の問題」展(ボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館(Boymons Van Beuningen Museum, Rotterdam))です。彼はこの展覧会で、美術館が持っていて、普段は表に出てこないような膨大な数の所蔵品を全て展示する試みをしました。これは何をしたのかというと、美術館が収蔵しストックしたコレクション=美術館がそれまで築き上げてきた美の価値体系=美の価値基準を内側から崩す試みだったんですね。

さて、話を戻すとトーマス・クレンズはこのような「倉庫に眠っているコレクションを売る」という禁じ手を使って、お金を作り出す事に成功しました。そしてそれを元手に、お金を前借りとかしてビルバオにグッゲンハイム美術館を建て、見事に美術館の運営を復活させたと、こういう訳です。

グッゲンハイムについては都市計画都市戦略などの文脈で色んな事が言われていますが、こういう視点で見ると又違った物語が見えて面白いですね。
| スペイン美術 | 17:06 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
マニュエル・ボルハ・ビジェル(Manuel J. Borja-Villel)の都市戦略:国立ソフィア王妃芸術センター(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia)を通した21世紀の美術館の在り方
以前のエントリ、美術の商品化と公共空間: Manuel J. Borja-Villelで紹介したバルセロナ現代美術館(Museo de Arte Contemporaneo de Barcelona(MACBA))元館長で現在はマドリッドの国立ソフィア王妃芸術センター(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia)の館長に抜擢されたマニュエル・ボルハ・ビジェル(Manuel J. Borja-Villel)の大変に興味深いロングインタビューが先週日曜日の新聞(1/6/2008 El Pais semanal)に載っていたので紹介したいと思います。

前に書いたように彼の主張は都市の中に美術館を通した公共空間を創り出す事と、その空間とアートを用いて行われる教育の重要性です。前回引用した記事の中で彼はこんな風に発言しています。

「私は向こう3年間でレイナソフィア美術館の中に一つの都市を創りたい。」

" Me gustaría crear en tres anos una ciudad dentro del Reina Sofía", Manuel J. Borja-Villel, P26, 10 de febrero del 2008, La Vangurdia


この彼の戦略とオリンピックを契機としたバルセロナ都市戦略との間の同質性については前回のエントリで指摘した通りです。そして彼がこのようなプロジェクトを推進している裏には、彼が近年大変に憂いている美術の商品化と美術館の商業センター化・エンターテイメント化という我々の社会が不可避的に向かっている状況に対する危機感があるんですね。

「美術館は商業センターになってしまった。」
“ Los museo se han pasado a ser como centros comerciales”( Manuel Borja-Villel, p38, 1 de Junio de 2008,El pais semanal)


このような状況に対しての彼なりの戦略の一つが上述の「都市の中に都市を創る」だったわけですが、今日のインタビューには彼の戦略を形作っている深い所の思想というか、スペイン人である彼が不可避的に受けてしまう影響のようなものが垣間見えています。

僕が注目した彼のマニフェストがコレ:
「レイナソフィアを南のセンターにする」という発言です。

"... Borja-Villel llega al Reina Sofia para convertirlo en el referente del arte contemporaneo del sur", p38, 1 de Junio de 2008,El pais semanal)

一見見落としてしまいがちな発言なのですが、この短い一文の中には沢山の意図や歴史、社会文化から出て来た必然とも言える思考が見え隠れしているんですね。

先ず彼はヨーロッパを北と南に分けた上で彼の美術館戦略を構想しています。その時の基盤となっているのが北と南では人々の生活の特徴が違うという、結構当たり前の事実です。ではどう違うのか?彼は北に属する人々の特徴として「目」の優位性とそれに基つく視覚化・視覚性を挙げ、それに対して南に属する人々の特徴を「対話」に求めます。

「北はもっと図像的であり、鮮やかさが重要であり、体に対して目に特権性が与えられている。その一方で南、特に地中海においては口述の文化、そして体の動きの文化が存在する。」

"El norte es mas icónico, la visualidad es importante, se ha privilegiado el ojo sobre el cuerpo. En el sur, sobre todo en el Mediterráneo, hay una cultura de oralidad, del movimiento del cuerpo.", p42


20世紀が視覚の時代であるというのは誰しも納得する所だと思います。例えばコレとか:

オリジナリティと反復―ロザリンド・クラウス美術評論集: ロザリンド・E. クラウス, (Rosalind E. Krauss, The Originality of the Avant-Garde and Other Modernist Myths. Cambridge, Mass.: MIT Press, 1985)

その一方で南の都市、地中海に属する都市の特徴として「対話」が挙げられるというのはあまり聞かれない事だとは思います。この点についてイタリア都市のスペシャリスト、宗田さんはこう述べられています:

「・・・政治を理念の産物とせず、自己の生活の仕組みから考える現実的且つ合理的な国民でもある。したがって、みずからの経済的な成功と万人に暮らしやすい町という二つの方向を調整することに熱心である。そのための議論を市民同士が延々と続ける能力をもっている。この議論、すなわち延々と続ける対話が、イタリアのまちつくりの最大の特色である。・・・」
P14
にぎわいを呼ぶイタリアのまちつくり、歴史的景観の再生と商業政策、宗田好史


北の視覚性に対する南の対話性、目の優位に対する口と耳の優位。このようなそれぞれの地域によって人々の住まい方や生活の仕方が違う為に、自ずと美術館のモデルも違ってくるという話になるわけです。

ココで彼が非常に巧いのはどちらの文化が優れているとか劣っているとか言わずにそれぞれは補完関係にあるという話に持ち込む所なんですね。

それを具体的にする為に提案されているアイデアが「ネットワークとしての美術館」という概念です。要約するとテート(Tate Modern)やモーマ(MOMA)が世界モデルとして有名コレクションを集め、彼ら独自の道を歩んでいる時に、ワザワザ我々も同じ道を歩む必要は無い。そうではなくて、彼らが提供出来ていない分野に磨きをかけて別の道を歩もう。そうすればお互いに補完関係として尊重し合い、共存繁栄していく事が出来る、とこういうわけです。

彼がこのように主張する時、僕はそこに80年代から90年代にかけて展開されたバルセロナ都市戦略の影を見ずにはいられません。バルセロナ都市戦略の場合は1989年にDATARによって出版されたブルーバナナ(Blue Banana)の分析に基ついて、地中海の弧の中心になる事を目指しその後、バルセロナプロセス(Barcelona Process)などで地中海連携を主導しています。

Brunet,Roger(1989): Les Villes Europeennes, Rapport pour la DATAR, Reclus, La Documentation Francaise.

ジョルディ・ボージャ(Jordi Borja)は当時を回想してこんな風に述べています:

「・・・私たちが「バルセロナ第一次戦略計画」を立てた時、一連の文化施設は絶対に不可欠なものとして盛り込み、ヨーロッパ南部でいちばん魅力的な都市にしようと考えました。・・・われわれの望んでいた文化的なプログラムには、1500万人の人口が必要でした。どう考えてもバルセロナにも、その周辺にも、カタロニア全土を見渡しても、1500万という数字は出てこない。・・・そこで私達は、人口1500万という数字が見込めるところまで範囲を広げていき、最終的にはこの広域圏全体(地中海の弧(Arc Mediterranean))をターゲットにしました。」
p318
ジョルディ・ボージャ、都市はグローバリゼーションにいかに応答するか


余談ですが、ビルバオ(Bilbao)の場合はブルーバナナで示されたもう一つの弧である大西洋の弧(Arc Atlantic)の中心になる事を目指したんですね。

もう一つ注目すべき点が美術館は人々の体験や意見を交換する場所である公共空間になるべきだという提案です。地中海都市における公共空間の重要性というのは様々な論客によって様々に語られています。

例えば岡部さんはこんな風に述べられています:

「単純化して言えば、北が身近な緑を守るためなのに対して、南は高密度でこじんまりとした都市を守るために、既存の都市構造を尊重した都市連携を指向している。南の都市にとってにぎわいのある広場のような公共空間は、観光資源だけでなく、優先すべき公益なのだ。」P208-209

岡部明子「サステイナブルシティ、EUの地域・環境戦略」


公共空間の議論で僕にとって興味深いのは、では一体何故地中海都市において公共空間がこれほどまで重要視されているのか?という事なんですね。僕が考える理由は正に今日マニュエル・ボルハが語っている事の中に多大なるヒントが隠されています。それが目よりも対話を重視するという文化的特長であり、そこから生じた「延々と議論を続ける能力」です。これら人々の特徴と地中海都市の特徴である気候条件が交差するその交点に「公共空間の重要性」という地中海都市の特徴が浮かび上がってくるんだと思います。

延々と議論をする事が出来る能力を持つ人々が他の人々と出会い、激論を交わす場所こそが、毎日のように天気が続き、夜遅くまで日が沈まない気候を最大限に利用し発展してきた都市内の公共空間だからです。

先ほどの岡部さんの文章はこう続きます:

「・・・気候風土と文化的背景の違いにより、北の市民が環境負荷や緑を住環境評価の基準とする傾向があるのに対して、南の市民は都市的な質を重要視する。住環境で自然をとるか、都市的魅力をとるのか―南北で異なるふたつの価値観が、欧州都市の多様性を担保している一面がある。」P208-209

このような地域による違いが我々の世界を多様にし生活を豊かなものにしているわけです。ヨーロッパに居るとこのような多様性の大切さ、それによる人生の楽しみを実感する事が出来ます。僕もこのような多様性に貢献出来る仕事をする立場に居る事をとても誇りに思っています。
| スペイン美術 | 23:46 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
国際博物館の日(International Museum Day)とピカソ美術館(Museo Pisacco)その2:
前回のエントリ、国際博物館の日(International Museum Day)とピカソ美術館(Museo Pisacco)その1:ピカソとバルセロナの都市戦略の続きです。

現在バルセロナのピカソ美術館では「ラス・メミーナス、ベラスケスを忘れながら(Olvidando a Velásquez. Las Meninas)」と題した企画展示を開催中です。各時代、各分野のアーティストによってどのようにこの傑作が再解釈されてきたかを様々な角度から検証するという好企画。展示作品の核には1968年にピカソによって当美術館に寄贈された58点の「ラス・メミーナス(Las Meninas)」の分析の連作中の15点も含まれています。逆に言うと未だにアーティスト達に分析対象とされるくらいベラスケスという画家の影響力は強いという事ですね。個人的に驚いたのはプラド美術館(Museo Nacional del Prado)からコレが来ていた事:



ベラスケス(Diego Velásquez)の「赤いドレスのマルガリータ王女(La infanta Margarita)」です。さすがにプラド美術館の宝である「ラス・メミーナス」の貸し出しは無かったようですね。

このピカソ美術館の企画に関連してバルセロナの中心街に位置する、ランブラ・デ・カタルーニャ通り(Rambla de Catalunya)では現在、バレンシア出身の彫刻家、マノロ・バルデス(Manolo Valdés)による巨大彫刻の屋外展示が行われています。





ヨーロッパで人気急上昇中?(ブログ情報)の彼の彫刻はベラスケスの「ラス・メミーナス」の主役、マルガリータ王女をモチーフにしたものです。

僕にはこの彫刻が良いのか悪いのかさっぱり分かりませんが、街中にアートがあるというのはそれだけで都市の魅力を高める事は間違い無いと思います。まあ、簡単に言うと「アートを用いた都市活性化」と言った所でしょうか。

この遊歩道屋外彫刻展示は昨年辺りから地元銀行の文化部門であるラ・カイシャ財団(Fundación la Caixa)が企画して「街路にある芸術」(Arte en la calle)と題されてシリーズ化されているんですね。去年はポーランド出身のアーティスト、イゴール・ミトライ(Igor Mitoraj)による人体の一部を巨大化したようなブロンズ像が街中に現れて市民を驚かせていました。


以前のエントリでも書いたのですが、1992年にバルセロナが都市再活性化を計画した時、バルセロナは非常に巧く屋外彫刻を使ったんですね。針でツボを押すように公共空間を展開したのと同様に、そこに巧く彫刻を組み合わせました。元バルセロナ市長であったパスクアル・マラガル(Pasqual Maragall)は英国のアーバン・タスクフォースが出版した「アーバン・ルネッサンスへ向けて(Toward an Urban Renaissance)」の序文においてバルセロナ都市再生の成功の秘密は「市役所と建築学校の幸せな結婚である(the happy marriage between city hall and the school of architecture)」と語りましたが、公共空間のデザインというミクロなレベルにおいては建築家と彫刻家の幸せな結婚が実現していたんですね。こうして「郊外をモニュメント化しよう(monumentalitzar la periferia)」という号令の下に、郊外の要所要所に現代彫刻が置かれ、その地域の活性化に一役買った訳です。その代表的な例がコレ:





クレウエータ・デル・コル公園(Parc de la creueta del coll)です。この公共空間はオリオル・ボイガス(Oriol Bohigas)を筆頭とする建築家集団、MBM(Martorell, Macka i Bohigas)とスペインを代表する彫刻家、エドゥアルド・チリダ(Eduard Chillida)による協同作品です。荒々しい山肌を背景として手前に公園、奥にプールを要するこの空間に強いアイデンティティを与えているのがチリダによる彫刻です。チリダの彫刻に関しては以前に何度か触れましたが、バルセロナ市内で見る事が出来る彼の他の作品には、王の広場(plaça del rei)に置かれたトポス(topos, 1986)と題された作品があります。14世紀に建造された建物と広場を背景にチリダによる斬新なデザインが好対照を成しています。





もう一つはジョセフ・ルイス・セルト(Josep Luís Sert)設計による1937年パリ万国博覧会スペイン館(Pabellón de la Republica Española, Exposición Internacional de Paris, 1937)の再建に組み合わされたオールデンバーグとバン・ブルッゲン(Claes Oldenburg and Coosje van Bruggen)による彫刻です。このスペイン館には当時、ピカソによるゲルニカ(Guernica)が展示されていました。その後取り壊されたのですが、オリンピックを契機に1991年にオリンピック競技上が置かれた地区の一つであるエブロン(el Valle de Hebron)に再建されました。さて、この彫刻なのですが見ての通りマッチです。つまりこの作品はアメリカのポップアートの一潮流であった、我々の意識下に浸透している日常品を巨大化する芸術作品というコンテクストの上に載っているという事です。



もしくはカラトラバ(Santiago Calatrava)の橋もある種の彫刻に含む事が出来るかもしれませんね。



カラトラバの建てたものが建築なのかどうか、もしくはコスト計算を含めたその質には、かなりの人が疑問を抱いていると思いますが、唯一つ言える事は彼の造形物はかなりの人気があるという事です。例えば中世において学問の中心地として栄え、今でも修道院の荘厳なる門にその面影を見る事が出来るリポイ市(Ripoll)といったカタルーニャのど田舎においてさえもカラトラバの橋が存在するといった有様。

僕がこちらに来てまだ右も左も分からなかった頃、バルセロナ現代美術館(Museu d'Art Contemporani de Barcelonaの初代館長であるミケル・モリン(Miquel Molin)に連れられて自転車で1日かけてバルセロナ中の現代彫刻を見回った事がありました。その時は未だバルセロナモデルなんて言葉も知らず、「ふうーん」としか思わなかったけど、今思えばかなり勿体無い事をしたなというのが本音。無知とは恐ろしいものだ。
| スペイン美術 | 21:50 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
国際博物館の日(International Museum Day)とピカソ美術館(Museo Pisacco)その1:ピカソとバルセロナの都市戦略
ちょっと遅れましたが先週の日曜日(5月18日)は国際博物館の日(International Museum Day)という事でバルセロナのほとんどの美術館が土曜日の夜から日曜日にかけて入場無料でした。La Nit dels Museus(美術館の夜)と題されたその期間中、市内の各美術館・博物館ではコンサートやパフォーマンスなどが執り行われ深夜1時まで大いに盛り上がっていました。

僕もここぞとばかりに土曜日の夜はピカソ美術館(Museo Picasso)に行ってきました。バルセロナにあるピカソ美術館の創設はパリのそれよりも22年早く1963年。ピカソの生涯の親友でありパーソナル・セクレタリーを勤めたサバルテス(Jamie Sabartés)のコレクション574点を基に創設されたんですね。その後1968年にサバルテスが亡くなると、ピカソは親友への哀悼の意から「ラス・メニーナス(Las Meninas)」の連作58点をバルセロナ市へ寄贈しています。又1970年には母親の元に長い事預けられていて、彼女の死後は妹ローラの家に預けられていた初期の作品1700点がやはりピカソの意向で美術館に寄贈されています。

このような歴史的事実を見返してみた時に僕が思う事は2つ。

先ず一点目はピカソのバルセロナへの思い入れについてです。サバルテスは当初彼の所蔵する絵画を基に世界初となるピカソ美術館をピカソ生誕の地であるマラガ(Malaga)に創設する事を考えていたようです。しかしながらピカソ自身が、「美術館を創設するならバルセロナの方が適切だ」とサバルテスに示唆し現在の美術館が実現したそうです。

バルセロナを中心とするカタルーニャ地方はピカソの人格形成に大きな影響を与えた事は確かなようです。ピカソが初めてバルセロナの地を踏んだのは1895年9月の事で、マドリッドへと修行に赴く1897年までの2年間を過ごしています。この時期ピカソは父親の勤務先でもあったラ・リョッジャ美術アカデミー(la Escuela de Bellas Artes de La Lonja)に入学を許可されアカデミズム修行に専念しています。

後年ピカソは「音楽家に神童はいるが、画家にはありえない」と語っています。つまり幾ら才能があってもアカデミックな修練、つまり絵画の世界に存在する「お約束」を身に付けない事には画家にはなれないと、こう言っている訳です。そして彼曰く、「自分はそれを克服するのが非常に早かったと」。

そういう意味で言うと、ピカソ最初のバルセロナ滞在は美術学校を入り口として正に画家の第一歩を踏み出した時期と言えると思います。そしてその2年後にはこのアカデミック修行にきっちりと区切りをつけたと思われる作品を提出しています。それが現在バルセロナピカソ美術館に展示されている、ピカソ初期の重要作品:
初聖体拝領(1896)」と「科学と慈愛(1897)」です。

その後、マドリッド(Madrid)へと修行に出ますが病気の為半年足らずでバルセロナへと帰還します。その時に療養の為に訪れたのが友人マニュエル・パリャレス(Manuel Pallares)の故郷であるオルタ・ダ・サン・ジョアン(Horta de Sant Joan)でした。バルセロナから南西へ約200キロ入った所にあるトルトサ(Tortosa)から更に40キロ程の距離にあるこの小さな村には先ず観光客は行きませんね。カタラン人だって一体何人の人が知っているのか?というくらいマニアックな村です。しかしこの村がピカソの人格形成に果たした役割は決定的だったようです。

後年ピカソは「僕の知っていることはすべて、親友パリャレスの村で習ったものだ」と語っています。

その後この村での療養を終えバルセロナに戻ったのが1899年2月の事でした。この時から1904年までピカソのバルセロナ滞在第二期が始まります。

注目すべき事はピカソが過ごしたこの時期のバルセロナの社会文化状況です。以前にも何度か取り上げましたが、この時期のバルセロナはカタルーニャ・モデルニズモの全盛期でした。ヨーロッパ各国が植民地を拡大していたこの時期に、それとは対照的に最後の植民地を失ったマドリッドに対して「さらばスペイン」と言えるほどの経済文化的な繁栄を謳歌していたのがバルセロナの社会文化状況であり、その雰囲気を総合的に表象していたのがアントニ・ガウディやドメネク・イ・モンタネールなどのモデルニズモ建築郡だったんですね。よく比較される同時期にヨーロッパ中で起こったアールヌーボーとの違いはアールヌーボーが悲観的な表現を採っているのに対して、モデルニズモは概して明るいという事が挙げられます。

そしてそんな自由な雰囲気、何か新しいものを生み出そうという社会的な雰囲気の真っ只中に居たのが少年時代のピカソでした。そんな中から出てきたのが「青の時代」だったんですね。

それにしてもどうして青なんでしょうか?憂鬱という事で青なのかな?描かれた人物像を見ると何となくロマネスク(Romanesque)に登場する人物に似ているかな?とも思います。特にゆったりとした衣服とか裸足の所とか。有り得ない事では無いんですね。何故なら丁度この頃、ドメネク・イ・モンタネール(Lluís Domènech i Montaner)によってロマネスク再評価の礎が置かれ、その後プッチ・イ・カダファルク(Josep Puig i Cadafalch)によって決定的な著書が書かれる時期なのですから。

さて、ピカソとバルセロナ市の関係の面白い点、第二点目は芸術家ピカソを中心に据えたバルセロナの都市戦略です。それはピカソが自身のコレクションの寄贈を申し出た時からバルセロナ市は既に今日に続く観光戦略をも視野に入れていたのでは無いのか?と思わされる節が見られる所が非常に興味深いんですね。美術館の礎ともなったサバルテスのコレクションはともかく、1968年に寄贈された「ラス・メニーナス」の連作はキュビズム時代の作品です。と言う事はこの時点で美術館の方向性をキュビズムに焦点を当てた方向に舵を切る事も出来たと思われるんですね。

しかしそれではキュビズムを膨大に所有するであろうと思われていたパリやゲルニカを擁していたマドリッドと差異化出来ない。そこで考え出したのがキュビズム以前のピカソ、つまり青の時代、バラ色の時代そして少年期の作品を軸にコレクションを収集し「ピカソ以前のピカソ」というコンセプトを打ち出すという戦略。更にピカソ縁の伝説のカフェ、「4匹の猫」を復活させる事で「ピカソをピカソにした街、バルセロナ」という印象をモデルニズモの周りに構築する事が出来る。この辺の戦略性と宣伝性の巧妙さには舌を巻きます。

もう一つはこの美術館が置かれた場所性も注目に値します。旧市街地であるこの辺りは昔から疲弊が酷く、バルセロナではS級に危険な地域として有名だったんですね。多分当時の市当局はこの美術館を通した活性化策の青写真を既に想定していたのではないのか?そう思わせる程の絶好のロケーションに美術館は位置しています。そしてその思惑通り、2008年現在のピカソ美術館周辺はバルセロナでも指折りのお洒落な地域に見事に変貌しました。

国際博物館の日(International Museum Day)とピカソ美術館(Museo Pisacco)その2:ピカソとベラスケスに続く。
| スペイン美術 | 04:48 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加