地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
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とっても素敵な出会いがありました:岡部明子さんとグラシア地区を歩く
バルセロナの大、大、大先輩、岡部明子さんにお会いする事が出来ました。

多分、人っていうのは、その人の人生を決定的に変える「転換期」みたいなのが一生の内に何度かあって、皆それぞれ、重要な選択を迫られる時があると思うのですが、そんな時、何を頼りに決断するのかは人それぞれ。例えばそれは本であったり、人の助言であったり、それまでの経験であったりする訳なんですが、そんな数々の選択と偶然が積み重なって、僕等の人生は構築されていきます。

僕の歩んできた30年そこそこの人生において、最近の、そして最大の転換期は7年前、「バルセロナを後にして建築設計に戻るか?」それとも「バルセロナに残って都市政策・環境政策に従事していくか?」という選択でした。その選択を迫られた時、僕の決断に決定的な影響をもたらし、その著作を通して僕の人生を変えた(変えてくれた)のが岡部明子さんでした。

岡部さんの事を初めて知ったのは多分、「造景」という雑誌に寄稿されていた論文が初めてだったと思います。

あまり深く考えずにヨーロッパに来てしまい(笑)、「何をしようかなー?」と悩んでいた時に出会ったのが彼女の論文だったんですね。ヨーロッパの都市政策や環境政策を詳細に追って行く彼女の論文は、自分が少なからず身を置いているヨーロッパという未知の世界で、「こんな事が起こっているのか?」という新鮮な驚きを僕に与えてくれました。

その当時、僕なりに「EUや地中海という大海原で動き回るバルセロナ」を調査していたのですが、纏めきれずにウヤムヤだった部分を非常にクリアーにしてくれたのが、岡部さんが企画・編集に関わられた、「TN Probe vol.10 シンポジウム・シリーズ:現代都市ドキュメント PROBE 02計画からマネジメントへ」。その後直ぐに出版された「サステイナブルシティ―EUの地域・環境戦略」は、今でも僕のバイブルです。

これら数々の素晴らしい著作とその出会いが無かったら、僕は確実に今の人生を送っていなかったと思います。そして今、僕が辛うじてバルセロナで生活出来ているのも、彼女が道筋をつけてくれたからです。

思えば7年前から、それこそ穴が空くほど見た名前、その名を持つ女性にお会い出来る日がやってこようとは、夢にも思いませんでした。

何時もの事ながら、お会いする前は死ぬ程緊張したけど、本物の彼女はとても気さくな方で、とてもリラックスしてお話させて頂く事が出来ました。

お話してて思ったのですが、岡部さんの思考の核には「人の存在」が先ずは第一にあるのかなー?と思いました。〔また勝手な事言ってゴメンなさい!)それこそ、「公共空間を人の手に取り戻す」じゃないけど。それは多分、彼女自身が至る所で言明されている、「バルセロナ、はたまたラテン文化の影響」なのではないのでしょうか?

ラテン文化の人々は問題解決に「対話」を非常に重視します。何か問題が発生すると、徹底的に話込んで、相手が納得するまで永遠と議論を続けるんですね。多分、北の国の人達が「規則やシステム、フレーム」を重視するとしたら、ラテンの人というのはゆるやかなフレームを用意しつつ、対話で適宜対応していく柔軟さを持っているのでは無いかと感じています。

以前のエントリ(マニュエル・ボルハ・ビジェル(Manuel J. Borja-Villel)の都市戦略:国立ソフィア王妃芸術センター(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia)を通した21世紀の美術館の在り方:地中海ブログ)で書いた北と南の違い、ボルハが言う、目と口の文化の重要性の違いが影響しているのかもしれません:

・・・その時の基盤となっているのが北と南では人々の生活の特徴が違うという、結構当たり前の事実です。ではどう違うのか?彼は北に属する人々の特徴として「目」の優位性とそれに基つく視覚化・視覚性を挙げ、それに対して南に属する人々の特徴を「対話」に求めます。

「北はもっと図像的であり、鮮やかさが重要であり、体に対して目に特権性が与えられている。その一方で南、特に地中海においては口述の文化、そして体の動きの文化が存在する。」

"El norte es mas icónico, la visualidad es importante, se ha privilegiado el ojo sobre el cuerpo. En el sur, sobre todo en el Mediterráneo, hay una cultura de oralidad, del movimiento del cuerpo.", p42


このような対話を重視する文化だからこそ、それを行う場、人と人が出会う場(公共空間)が都市の中において重要になってくる訳です。地中海都市というのは、そんな仕掛け(パブリックスペース)だけを用意しておいて、その中で行われるアクティビティは各個人個人がルールを決めて勝手にやってくれ、バルセロナの公共空間は、まるでそう囁いているかのように、僕には聞こえます。

多分、そのもっと深い所には「人を信じる」という確固とした信念があるのかなー?とか思っちゃったりもします。3人寄れば文殊の知恵じゃないけど、人と人は話し合う事で分かり合える、そうする事できっと社会は良い方向に向いていくに違いないという信念。

多分、岡部さんも人の力を信じている。信じているからこそ、人が繋がるプラットフォームに多大なる関心を示されているのだと思うんですね。

お別れした後、お話した事を一つ一つ頭の中で思い出し、整理するたびに、その言葉が意味したもの、その主題の裏に隠された意図などが段々と分かってきて、その場で直ぐに理解できなかった自分がとても悔やまれました。彼女はまるで飛行機が急降下するかのように、問題の核心に一気に降りて行き、ダイバーの如く、深い深い海の底からヒトカケラの真実を探り出してくるかのようです。

これからも色々と教えて頂く事が多いかと思いますが、同時に「何時か僕もああなりたい、あそこまで行ってみたい」と、本気で思った夜でした。
| バルセロナ日常 | 22:17 | comments(3) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
コメント
 しばらく前にサイトを見つけ、たまにのぞいて興味深く拝読しております。新聞等からの時事関連の話題、また専門の建築や都市計画に関する話題はとても面白いです。
 さて、今回も少し触れられていた北と南の違い、僕自身はイメージが定着し、「そう信じ込まれている」ことが大半だと思いますが如何でしょうか? スペインの中で南のアンダルシアと北西のカタロニアを比較してカタロニア人はドライだとされますが、そのまた北には南仏があります。ドイツの中でもミュンヘンのあたりと北のハンブルグあたりを比べて違うと言われる事が多いですし、当然実際に雰囲気も違いますが、そのまた北には北欧のイタリアと言われるデンマークがあります。デンマーク人は北ドイツ人よりクールかと言うとそうでもないですし、この手の殆どの話には感覚的なもの以上の根拠が無いと思います。
 あと一点、議論に関して。確かに北欧やドイツ、スイスといった国々では不要なやりとりを必要なくするシステムが作られていて、時にコミュニケーションの少なさにドライだと感じる面もありますが、論理を戦わせるという意味では遥かに教育されていると思います。少なくとも僕も周りのスペイン人は非常に弱いですし、沢山しゃべるものの、結局何を話していたのかわからない事があったり、たとえば役所でクレームをしたい場合にも、論理が全く通らない、もしくは議論の余地がない場面があまりにも多くて驚いています。簡単な作業に難しい工程をつけて結局何をやっているのかわからなくなり、わからないのでとりあえずコミュニケーションをとらざるを得ない場面が多く、しかしとりあえず何かしゃべってくれる割に正確な情報が少ないと感じています。
 すみません、個人的に興味のある話題なので、他人のブログについつい沢山書いてしまいました。僕自身は憧れのスペインに来て一年が経ち、困難もまだ沢山あるもののようやく楽しめる事も出てきたという状況です。またためになるお話を楽しみにしています。

| itchy | 2009/02/26 11:00 AM |
すみません、北西のカタロニアでなくて北東でした。
| itchy | 2009/02/26 11:01 AM |
itchy さん、とっても有意義なコメントありがとうございます。

ヨーロッパの北と南の文化社会の特徴、そしてイメージとリアリティの問題には僕も大変関心があります。

例えばアンダルシア地方はスペインの中でも最も働かない地方だと言われていますが、知り合いのアンダルシア出身のスペイン人は猛烈な勢いで働いています。逆に時間にうるさいと言われているドイツから来た友人は待ち合わせの時間にきっかり来た事など今まで一度もありません。

僕達の社会は多様ですから、一つの文化、一つの社会の中にも色んな人が居て当然なんですよね。画一的な人間を作ろうとする方が間違っている。(逆を考えてみれば明らかだと思うのですが、日本人は海外から「真面目、勤勉、働きすぎ」みたいな目で見られています。だけど、勿論、みんながみんなそうだとは限りませんよね。)

その一方で、僕達はアンダルシア地方の人達に、ある種のタイプやモデルのようなものを求めているという事実があります。(ここが曲者なんですね。)

それは例えば、燦燦と降り注ぐ太陽の下で昼はワインを飲み、昼寝をして、夜はフラメンコとギターを奏で、永遠に終わらない宴会を毎晩のようにするというような(笑)。例えば最近だったら、ペネロペがオスカーを獲った映画、「ビッキー・・・」の中で、典型的なスペインの文化をこれでもか!と誇張していた事や、古くは「まいっちんぐマチコ先生」のオープニングでマチコ先生がフラメンコを踊っていて、あたかもフラメンコと「情熱的」、「エロチック」というイメージが結び付く演出がなされている事とか。

それらは全てイメージです。僕らの社会が勝手に作り上げた幻想です。勿論、それらのイメージが全てウソであるとか間違っているとかと言う事は全く無くて、タダ単に誇張されている場合がほとんどで、其の社会文化の一側面を表している事は確かだと思います。

では、何故そのような都市のイメージや幻想が作り出されるのか?そこには、そのようなイメージを見たいという社会(人々)の欲望が潜んでいるのだと思います。何故か?それは自分の存在や地位を確立したいが為に、「分からないもの」や「都合の悪いもの」をある種のカテゴリーに入れて、自分にとって分かり易くする為だと思うんですね。イワユル単純化ですね。

歴史的に見て、これは明らかで、例えばヨーロッパがアジアという都合の良い共同体を作り出したり、中世には蛮族なんてカテゴリーを作り出して、ヨーロッパと非ヨーロッパを作り出してきたりしてきました。もっと直接的な所では「想像の共同体」なんてのもありますよね。

だからアンダルシアは「働かない」、「人間味に溢れている」というイメージが出来上がり、ドイツ人は「時間に正確」とかいう、各地方のイメージが出来上がったのだと思います。

(このようなイメージを作り上げたり、押し付けたりしてきたのは、主に外部の視線だったのですが、最近、新しい現象が起こってきました。最近では内部の視線、つまり当事者である都市自身が自分自身の為にイメージつくりを始めたんですね。これこそ僕らの時代を他の時代と画する大きな特徴だと思います。)

例えば、上述したようにアンダルシアの中には働き者も居るのですが、アンダルシア地方としては、そういうイメージで売るよりも、「何時も昼寝している」というイメージで売った方が、北の都市と差別化出来て、都合がいいわけですよ。何の為にか?ずばり観光の為です。

多分、ヨーロッパ中の各都市で似たりよったりの事がされているのだと思いますが、重要なのは、僕達の世界はこのような「イメージ」が「現実」を作り上げていると言う事です。何故ならそれは僕達自身の欲望とも合致するからです。それらはあくまでもイメージであって、現実には対応していないのかも知れません。しかし、僕達の社会の多くの事がイメージの構築の上に回っている事も又、事実だと思うんですね。つまりどっからが現実で、どっからがイメージなのかが分からない事こそ問題とされるべきだと思うのです。

さて、そのような各地方にてイメージが現実よりも先行し、表面的に見える差異は実は捏造であって、現実はどうか分からない、と言う事を認めた上で言わせて頂ければ、それでもやはり僕は各地方、各社会には何かしらの特徴があると思っています。そしてそのような社会の特徴はその地方や都市に長い事住んで、その文化に浸る事でしか分かりえないのではないか?と考えています。何故なら、表面的には上述のような非常に強いイメージが全てを多い尽くしているので、そのベールを剥ぎ取るにはそれなりの時間が掛かると思うからです。

僕はネット社会にも大変に興味があって、グーグルの戦略とか感心して見ているのですが、そのような生身の体験、イメージではなく現実に基ついた観察の蓄積こそ、グーグルにすら検索出来ない、とても貴重な情報足りえるのではないのか?と思っているんですね。だから僕は今、膨大な時間とお金をつぎ込んでも、ヨーロッパに身をおいて、自分の目と耳で出来るだけ現実を見ようと思っています。

さて、2番目の点に関しても僕は結構興味を持って観察しています。

スペイン人はよく議論をします。それこそ平気で5時間とか議論を続けるんですね。それはそれで一つの能力です。じゃあ、その長ーい議論に内容が伴っているか?というと、おっしゃる通り、内容は全く無い議論が大半です(笑)。コミュニケーションの為のコミュニケーションというか・・・。

多分、北の人たちはそんな事はしない、いや、出来ないと思います。何故ならそういう風には教育されていないからなんですね。教育といっても、学校などのシステムの事ではなくて、(日本が忘れたしまった)近隣社会から学ぶ教育、慣習の事です。街中で普段何気なく行われるそのような慣習には、地中海気候が創った都市構造が深く影響を及ぼしているのではないのか?とか勝手に思っています。

地中海で日がナカナカ落ちないのは明らかな事実です。そして年中を通して暖かい気候が続くのも事実です。それらの環境の特徴を生かして、公共空間が都市の中に多く創られたのも事実だと思います。そしてそのような公共空間で永遠とペチャクチャおしゃべりする事が子供の頃からの慣例で身に付いてしまっているんですね。

建築家の槙文彦さんという方が何処かで書いていらっしゃいましたが、ある時、イタリアのボローニャかどっかで会議があったそうです。会議場は街の中心広場からちょっと離れた所にあって、昼前の行きがけに其の広場を通ったら4人の若者が立ち話をしていたとかなんとか。で、会議が終わったのが夕方だったんだけど、其の広場を通ったら同じ四人組が同じ場所で未だ話しているのを見て仰天したんだそうです。

でも、こういう風景って地中海都市に住んでいると日常的に見られる風景であって、そんなに特別な事ではありませんよね。小さな頃からそんな社会で育っていると、自然と長々と議論する事が当たり前になってくるのかもしれません。そして長々と議論をする為に、回りくどい言い方をしてみたり、反復してみたりの連続で、実は体力のある人が一番偉いみたいな結果になったりするのも常です。

でも、それも一つの長所であり文化だと思うんですよね。「一気に問題の核心に降りていく」、「素早い対応が出来るのが優れた社会だ」、「建設的な受け答えが出来る人が優れている」、というのは、実は僕達の物差しで測った現実でしかないのかもしれません。多分、世界の大半はそのような物差しで測っているし、動いている。でも、其の物差しを使用していない社会だって存在するし、違う時間が流れている社会だってあると思います。そして実は、そういう所にこそ案外面白い物が転がっていたりするのかなー?とか思ちゃったりする訳です。

スイマセン、ものすごく長々と書いてしまいました。僕も興味があったのでつい・・・しかもあまり纏まってなくて、ご質問にはあまり巧く答える事が出来ていないかもしれません。

コレに懲りず、宜しければこれからもコメントを頂ければと思っています。
どうもありがとうございました。
これからもヨロシクお願いします。
| cruasan | 2009/02/27 1:00 AM |
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