地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
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幸福の画家、ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio):キリストの変容(Trasfigurazione)
2年前、初めてローマを訪れた際、僕の心に最も響いたものの一つがラファエロの作品でした。特にヴァチカン博物館で見た「アテネの学童」には目を奪われました(ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio):アテネの学堂(Scuola d'Atene):地中海ブログ)。それ以来、ミラノまでアテネの学童の下絵を見に行ったり、プラド美術館(Museo del Prado)に行ったりと、ラファエロにゾッコンだったのですが、今回、ラファエロはヴァチカン博物館の絵画館(Pinacoteca Vaticana)で再び僕の心に大きな感動を運んで来てくれました。それがコレ:



キリストの変容(Trasfigurazione)

「キリストの変容」はラファエロ最後の作品であり、精神的遺書だと言われています。何故ならこの作品には、それまで彼の絵画に登場した全てのタイプの人物像が描かれている上に、彼の初期からの画風である画面を上と下の2段にする画面2分割構成とそれらに伴う2重のストーリー展開やら、ドラマチックな対比など、それまでの彼の画家としての集大成と考えられているからなんですね。

この絵の主題は「救世主が預言者モーゼとエリアスに伴われて、使徒のヤコブ、ペテロおよびヨハネの前で光り輝いて出現する」であり、福音書にある「イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった」という場面だそうです。ヘェーヘェーヘェー。

とりあえず一目見て大変印象的なのが、キリストの姿です。



内股で、ちょっとゲイ入ってるぽいけど(笑)、両手を掲げ天を見つめるその姿は、一度見たら忘れられない印象を我々に残します。

多くの絵画を見ていて思うのですが、人物のポーズって非常に重要な要素ですよね。人間が採り得る無限のポーズの中から、「コレだ!」という一コマを選んで絵画に定着させる。システィーナ礼拝堂(Sistine Chapel)にある超有名なミケランジェロ(Michelangelo)の「最後の審判(Last Judgement)」のキリストは、こんなポーズをしています。



とても力強く劇的なポーズです。こちらも一度見たら忘れられない。ミケランジェロの絵画は、エネルギーに満ち溢れていて、とげとげしい感じを受けます。まるで石を彫るかのように描いている気がする。それはきっと彼が彫刻家出身であり、彼の能力を最大限に引き出すのは、あのゴツゴツとした大理石なのではないか、と言う事と関係しているのかもしれません。



(上記の写真はヴァチカン宮殿にあるミケランジェロ作、ピエタ(Pieta by Michelangelo))
その一方、ラファエロのキリストはとても優雅です。女性的と言ってもいいのかも知れない。

さて、この上方の優雅なキリストに対比するかのように描かれたのが、下方にうごめく人々の群れ。主題は福音書に出てくるエピソードの一つである、「悪魔にとりつかれた少年をキリストが山から降りてきて奇跡を起こす」というもの。



左下に座っているお爺さんが、先ずは画面にがっしりとした基盤を作っています。その上でキリストを指差す赤い服の人と、指の方向性や色などにおいて見事な対比を作っていますね。



その赤い服の人の右側から、少年を取り囲む人の群れが始まるのですが、この群れが真ん中の女の人によって2つに分割されています。





つまりこの3人によって、お爺さんー赤い服の人―膝を付く女の人の間で3角形が形成されています。そう、キリスト教の黄金の三角関係です。さすがにコノ辺りは巧い!

そしてこのうごめく群れと上方のキリストの間に強烈な対比が存在しています。神と人間、静けさと喧騒など、あらゆる部分で対比させられながらも、その両方が互いを高め合い、見事なシナジーを作り出している。見事な傑作です。



ちなみに「キリストの変容」はヴァチカン博物館内の絵画館の一番奥、照明を落とした薄暗がりの部屋に、ラファエロによる他の作品群(聖母の載冠、フォリーニョの聖母など)と一緒に大切に展示されています。

さて、この絵画を描いたのがコノ人:



ラファエロ・サンティオ(Raffaello Sanzio)。上の肖像はラファエロ自身が「アテネの学童」の中に紛れ込ませた自画像です。ラファエロは自分が生きた時代を大変誇りに思い、その新しい時代を創っている共演者の一人である事に大変誇りを持っていたそうです。だから古代の理想(イデア)を描いた「アテネの学童」に自分を登場させたと言われています。

毎回引用しますが、ラファエロはこんな言葉を残しています:

「我らの時代こそ、かつて最も偉大だった古代ギリシャの時代と肩を並べるほど素晴らしい時代なのだ」  ラファエロ


僕が最も好きなフレーズの一つです。この言葉を聞くとき、僕は何時も自問自答します。「果たして僕は、今生きている時代を誇る事が出来るか?」。僕自身の問題に引き寄せて、こう言い換えましょう:「果たして僕は、今生きている都市を誇る事が出来るか?」

フォシェン(Henri Focillon)が自著(ラファエッロー幸福の絵画(平凡社ライブラリー)原章二訳)の中でこれでもか!と述べている様に、ラファエロの人生はとても幸せに満ちたものだったようです。そしてそれを表すかの様に、彼の絵画は喜びに満ち溢れています。そう、ラファエロの作品を貫いている一つの主題は明らかに「幸福」、「喜び」というキーワードだと思うんですね。

その天才と芸術の、壮麗とさえいえる幸福ぶりにおいて、ラファエッロは抜きん出ている。同書p13

僕は自分の一生の職業として建築を選びました。何故なら建築という表象は、悲しみよりは喜びを、個人的な感情というよりは集団の感情(公共)を表す事に適した表象文化だからです。僕はどちらかというと、「影」よりは「光」を、「悲しい事」よりは「楽しい事」に惹かれる傾向にあります。そして僕自身も何らかの形で、都市に生きる人々の心を少しでも幸せに出来たらな、と常々思っています。それが僕が公共部門から「都市の生活の質を上げる事」という仕事に従事している一つの理由でもあるんですね。

メディアや手段は違えど、ラファエロも自身の作品を通して人々を幸せにしたかったのではないのでしょうか?彼の絵を見ているとそんな気になってきます。それが僕がこんなにもコノ画家に惹かれる理由なのかもしれません。
| 旅行記:美術 | 21:42 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
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