地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
<< それでも恋するバルセロナ:ヴィッキー・クリスティーナ・バルセロナ(Vicky Cristina Barcelona)その2:都市のイメージ | TOP | 仕事納めとヨーロッパのクリスマス >>
それでも恋するバルセロナ:ヴィッキー・クリスティーナ・バルセロナ(Vicky Cristina Barcelona)その3:都市での撮影について
前回のエントリ、ヴィッキー・クリスティーナ・バルセロナ(Vicky Cristina Barcelona)その1:何故我々は真の愛に辿り着けないか?/何故人は人を愛する事が出来ないのか?、前々回のエントリ、ヴィッキー・クリスティーナ・バルセロナ(Vicky Cristina Barcelona)その2:都市のイメージの続き、三部作完結編です。

この映画はバルセロナで撮影されている事から、僕の日常生活に関わる様々な舞台が映画に登場します。例えば、ハビエル・バルデム(Javier Bardem)扮するフアン・アントニオ(Juan Antonio)が住んでいるというすごく素敵な家。



映画を見ている最中は「何か見た事あるよなー。でも思い出せないなー」という感じだったのですが、映画館を出た帰り道ではっきりと思い出しました。「あの家、毎週日曜日の僕の散歩道にある家じゃないですか!」

日曜日はいつも、少し遅めのお昼を取った後、ちょっと昼寝、そして散歩というのが日課になっています。僕が住んでいる辺りは緑や公園がとても多くて、すごく静かで過ごし易いエリアです。しかも中心街までは公共交通機関が20−30分足らずで連れて行ってくれる立地の良さなので昔からお金持ちが街の喧騒を離れて暮らしていたエリアなんですね。

今回のアントニオの家もそれらの内の一つ。それがコレ:



ちょっとクネクネした石畳の小道はものすごくロマンチックです。





勿論中へは入った事はありませんが、入り口付近に無造作に転がっている彫刻などを見るからに、住人は本当にアーティストなのかも知れません。

僕はさっぱり知らなかったのですが、家の近くの友達に聞いた所、撮影当時、かなり大掛かりなセットと一緒にウディ・アレン始め、出演者一同が撮影しに来て、その日はこの辺り一体パニックだったと言う事です。「超ミーハーな僕がそんな大事、知らないはずが無いだろ!」とか思ったのですが、どうやら撮影は僕が日本に帰っている夏に行われたらしい。どうりで知らない訳だ!

昨年の夏、この御一行が僕達のオフィスがあるバルセロネータ地区に来た時は、スターを一目見ようとものすごい人垣が出来ていました。(スカーレット・ヨハンソン in バルセロナ with ウディ アレン、地中海ブログ)撮影は丁度僕らのオフィスの目の前で行われたのですが、その付近300メートルは勿論立ち入り禁止。柵が設けられて遠目からでもナカナカ見えないようにされていたんですね。そこへ来て、僕らのオフィスはまん前、しかも3階と言う事もあり、撮影風景は窓から丸見え。(これぞ市当局に勤める者の特権!)その日ばかりはみんな窓にへばりついて写真を取りまくっていました。こんな感じで(中央に見える金髪さんがスカーレット・ヨハンソン):



更に更に、レベッカ・ホール(Rebecca Hall)扮するヴィッキー(Vicky)とスカーレット・ヨハンソン(Scarlett Johansson)扮するクリスティーナ(Cristina)が食事を取っていたレストラン、「なんか見た事あるなー」とか思ってたら、先日クリスマスパーティーに仕事仲間みんなで行ったレストランじゃないですか!!!(バルセロナの食べ歩き方:Restaurant Barceloneta:クリスマスパーティー2008その2、地中海ブログ)きっと、ビーチで撮影したついでに「雰囲気のいい近くのレストランで」とか言う事で選んだんですね、きっと。

追記(14/09/2016):

昨日からツイッターのほうで、「#女性映画が日本に来るとこうなる」というハッシュタグが話題になっています。

洋画が日本に輸入される際、原題やオリジナルの内容とは全く異なる日本語訳になっていたり、宣伝用のポスターのデザインがオリジナルの雰囲気をぶち壊すような映画を批判しているのですが、今回の記事で取り上げた「それでも恋するバルセロナ」もその一つだと思います。原題は「Vicky Cristina Barcelona」なのですが、日本語訳では「それでも恋するバルセロナ」と訳されているんですね。



ウディ・アレン監督作品であるこの映画は、レベッカ・ホール演じるビッキーと、スカーレット・ヨハンソン演じるクリスティーナ、その二人がバルセロナを舞台に様々な出来事に巻き込まれていく様を描いているのですが、ここで重要なのは、「バルセロナ」という固有名詞が、二人の名前と共に並列に記載されている点です。つまりバルセロナという都市があたかも一人の人間として存在しているかのように「擬人化されている」というのがこの映画のミソなのに、日本語訳はその点を全く切り落としているんですね。



もっと言っちゃうと、この映画の重要なメッセージの一つは、「バルセロナという都市の魅力は、サグラダファミリアやガウディに代表される観光スポットにあるのではなく、人間味溢れる下町の雰囲気にあるのだ!」と言うことだと思うのですが、日本語版のポスターには何故かサグラダファミリアが付け加えられています。バルセロナ=サグラダファミリアというあまりにも短絡的な結び付けだですね。

ウディ・アレン監督作品であるこの映画は、そんなに単純な作品ではありません。
深い思考に裏打ちされた非常に素晴らしい作品なので、「この日本語訳とポスターのデザインには幻滅した覚えがある、、、」ということを思い出しました。
| 映画批評 | 18:07 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
コメント
コメントする