地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
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ウィーン旅行(Vienna / Wien)その3:スティーブン・ホール(Steven Holl)の建築:ロイジウム(LOISIUM Kellerwelt):ファサードに見る建築デザインの本質
前回のエントリ、ウィーン旅行(Vienna / Wien)その2:スティーブン・ホール(Steven Holl)の建築:ロイジウム(LOISIUM Kellerwelt):行き方の続きです。

先ずアプローチ。



葡萄畑と田園風景の真っ只中に舞い降りたUFOのごとき、銀色の塊とでも表現しましょうか。遠くからでもはっきり見える、変わった窓の形とブラックジャックの如き縫い目の跡のようなファサードが印象的。



更に近付くとファサードが平坦では無く、ちょっとデコボコしている事に気が付きます。そしてその切り返しに金属と金属を縫い合わせたような処理が施されている。



この縫い目のようなデザインと壁の動きが、様々な形と大きさの溝(窓)を巧く補完しているように思えます。この辺のデザイン処理というのはやはり非常に巧いですね。







更に言っちゃうと、窓の「掘り」を大胆に深くする事によって、銀色の箱の抽象性を高めています。そしてその「掘り」と軽やかな銀色のファサードが醸し出す対比が鮮やかですね。デコボコ(ナミナミ)デザインもスペイン人がやるほど大胆ではなくて、どちらかというと主役(この場合は窓)を際立たせる「塩・コショウ」という感じでしょうか。

このような動きのあるデザイン(デコボコ、もしくはナミナミデザイン)って、エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)の影響かどうか知らないのですが、スペインでは非常に良く見かけます。建築学校へ行って学生の作った模型なんて見てると、デコボコしていないのを見つける方が難しいくらい。

しかしですね、このようなナミナミデザインを巧く使いこなせているスペイン人建築家を、僕は2人しか知りません。一人は勿論、ミラージェス。イカリア通り(Avinguda de Icaria)にあるグニャグニャ系のオブジェクトは、何故にそこにそのグニャグニャが必要なのか?とか何故グニャグニャなのか?とか、そういう疑問をすっ飛ばしてしまうくらいに、その表現に説得力がある。





つまり、あのグニャグニャが「何時までも沈む事の無い太陽や、終わる事の無いお祭り」と言った、バルセロナのエネルギー全体、社会全体を表象していると思わせるくらいの表現に達しているんですね。そのあたりの事について、僕は以前のエントリでこんな風に書きました:


”・・・先ず僕は建築とはその社会文化を表象する芸術行為だと考えています。コレが意味する所というのは、建築を理解する為にはその建築、もしくは建築家が育った地域の社会文化を理解する事から始めなければいけないという事です。僕はその事をポルトガルの文化に深く根ざしたアルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)の建築から学びました。彼の建築の最も優れた所というのは、デザインのセンスや形の面白さでは無く、彼の建築が否応無く表してしまうポルトガルの社会文化だと思うんですね。だからシザの建築を指して「詩的だ」という解釈にはあまり賛成出来ません。「詩的」だという説明は他の言葉で説明出来ない時の逃げに使われている気がするからです。

全く同じ事がミラージェスの建築にも言えて、彼の建築は地中海都市であるバルセロナの社会文化を良く表していると思います。その事に気が付いたのはこちらに住み始めて2年くらい経った時のことでした。

地中海特有の天気、毎日晴れ。明日も晴れ、明後日も晴れ、ずーっと晴れ。ニュースを見るとお天気マークが「これでもか」というくらい続いているし、キャスターは「今年の雨日数は2週間でした」とか言ってるし。こんな毎日天気の良い日が続くと自然と人が公共空間に出て来て、様々なアクティビティがそこで繰り広げられる事となります。更に昼間は暑いから自然と活動は朝方、もしくは夕方から夜にかけてという事になる。すると夕食時間がそれだけズレ込んで夜中1時を過ぎても屋外で夕食会が普通に開かれているという状況が生まれる訳です。

これが地中海都市でこれほど公共空間が重要視される理由だと思うんですね。そしてそれがこの都市の人々にバイタリティを与えている。燦燦と降り注ぐ太陽の下で育まれる生命力、何時まで経っても終わる事なく続くアクティビティ、絶え間ない笑顔、それに背中を押された社会の楽観主義。これら全てを正に「一撃の下に表している」のがミラージェスの建築であると思う訳です。・・・”

(詳しくはココ:エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)の建築その2:バラニャ市民会館(Centro Civico de Hostalets de Balenya)に見る建築の質:社会文化の表象としての建築:ミラージェスの場合






又、ナミナミデザインとは少し違うかも知れないけど、バラニャ市民会館(Centro Civico de Hostalets de Balenya)では螺旋状に回転しながら上昇する内部空間と、その内部空間がまるで内側から膨らんできてファサードになったかのような、内外一致の見事な建築を展開していました。(詳しくはココ:エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)の建築その3:バラニャ市民会館(Centro Civico de Hostalets de Balenya)に見る建築の質:実際に建築を訪れる事の大切さ

もう一人はラペーニャ&エリアス・トーレス(Jose Antonio Martinez Lapena and Elias Torres)。彼がトレドに完成させたエスカレータは僕が今までに見た建築の中でも指折りの傑作。



物語の展開方法といい、エレベータという普通のモノを、少しずつ角度を変える事によって差異化しつつ、見事なナミナミデザインを完成させています。(詳しくはココ:マドリッド旅行その4:ラペーニャ&エリアス・トーレス(Jose Antonio Martinez Lapena and Elias Torres)の建築その1

又、2004年にバルセロナに完成させた巨大ソーラーパネルでも、ほんの少しだけ角度を付ける事によって、見事なダイナミクスを達成している。



(詳しくはココ:マドリッド旅行その4:ラペーニャ&エリアス・トーレス(Jose Antonio Martinez Lapena and Elias Torres)の建築その2:ソーラーパネル

デザインってこういうモノだと思うんですね。パッと見、普通なんだけど、良く見るとちょっと違う。つまり普通のモノを差異化する事。ここから生まれる静かなデザイン。そもそもDesignって否定語の「DE」と「SIGN」がくっついて出来ています。つまりサインを消す行為だと見る事も出来るわけですよ。以前書いた「歌舞伎と能」の比較で言うと、「能」的なデザインという事です。

そう考えると、グローバリゼーションの中において都市間競争がますます激しくなり、それに伴って都市が派手な建築を「都市の広告」として必要としている現在は、デザインの本質とは全く反対方向へ向かっているなー、という気がします。

実はこの辺の事については僕は本当に悩んでいます。簡単な例で言うと、建築的に見て世界最高峰の質を持つ、正に「能」的デザインの極地、谷口さんのやられたニューヨーク近代美術館と、一見、歌舞伎的に見えるけど、全くそのレベルにすら到達していないバカトラバ、失敬、カラトラバ(Santiago Calatrava)のデザインした橋。建築的に見て賞賛されるべきは当然前者なんだけど、都市という観点から見た時、人を惹き付けているのは明らかに後者なんですね。後者の派手なデザインが大衆の心を捉えているとすれば、前者の良さが分かる人なんて全人口のホンの数パーセントしか居ません。

そうすると、公共のお金を使って都市を発展させる為には果たして谷口さんのような優れた建築で良いのか?言い方を変えれば、カラトラバのようなデザインが求められているのではないのか?というお話になってくるわけですよ。

コレは難しい。中村研一さんが言われていたように、最終的には評価軸の違いという事になるのだろうけれど、未だ僕は決定的な評価軸を自分の中に確立する事が出来ずにいます。

あー、又脱線してしまった。

まあ、とにかくナミナミデザインは見掛けほど簡単ではなくて、すさまじいデザイン力が無いとそのデザインが説得力を持つにはナカナカ至りません。そんな中、このスティーブン・ホールのナミナミファサードはナカナカに成功していると思います。

さて、ファサードについてもう一つだけどうしても書いておかねばならない事があります。それがホールが採用するに至ったあの特徴的な窓の事です。

僕は建築を訪れると先ずはその建築家が一体何をやりたかったのか?を模索する所から始めます。建築を設計する立場から言うと、一つの建築を計画・デザインするにあたり、必ず何かしらやりたい事があるはずなんですね。僕は基本的に一つの建築の中に建築家がやりたかった事が一つ達成されていれば良い建築だと評価します。逆に言うと、一つの建築の中に一つで良いんです。

建築家というのはやりたい事が沢山あります。しかしそれらをやり過ぎない勇気というのも必要だと思うんですね。何かしらカケガエノ無い一つのアイデアをサポートする為に全てのデザインが展開している時、僕はその建築にとても感動します。

そんな風に考えると、今回の建築でホールがやりたかった事は唯一つ。様々な形と大きさの窓から入ってくる光のハーモニーによる内部空間の構成です。彼はとにかく「光のハーモニー」を創り出したかった。それを実現する為には色んな形の窓が要る。そこで彼が引っ張り出してきたのが、この葡萄畑の地下に眠っているワイン貯蔵庫ラビリンスの古地図だったんですね。

そうなんです。この地には何百年も前からワインの地下貯蔵庫がラビリンスのように存在していて、今回ホールがデザインしたのはラビリンスを用いた観光用のワイン物語空間の始まりとクライマックス空間だったんですね。そして、これは後日知ったのですが、あの特殊な窓の形は地下のワイン貯蔵庫の地図を変形して抽象化した形だそうです。

”この場所での特別な体験の焦点である地下貯蔵庫のジオメトリーを取り出して変形し、抽象化して、キューブ(ワインセンター・パビリオン)の内部に陽射しを送り込む開口をかたちつくる・・・”(GA Document, p76)

このように、どんなものでも自分のデザインに利用してしまえる思考の強さ、そしてどんなものでもデザインしてしまえるデザイン力。コレがスティーブン・ホールという建築家の強さです。

ウィーン旅行(Vienna / Wien)その4:スティーブン・ホール(Steven Holl)の建築:ロイジウム(LOISIUM Kellerwelt):歴史的遺構という物語空間に接続された現代建築に続く。
| 旅行記:建築 | 20:15 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
コメント
>>cruasan様、大学の講義のような内容と思われるのですが、専門家ではないので、私の場合、建築物に近づいた時に感じる何かがあり、それが心地、否、一瞬の一見で良さ、好みが決まります。近代建築は少しの時の経過があり、現代建築はまさに今から少なくても近い将来に渡り、存在感をその場所からいかに発揮出来るかによると考えられる。最近の公共建築の素晴らしい作品は誰がどのように決定して、まして経済的に建築費、設計額の高低などの予算を計上するのが難しいだろう。スティーブン・ホールの設計を選んだクライアントの出会いはどうだったのでしょう。ウィーンは4年前に訪れgasometer,unocity,
あとはotto wagnerの作品を相方と二人でまたロブマイヤーで建築家の
ガラスの作品をゲットしたのを思い出します。また、行きたい所です。バルセロナのナミナミデザインもなつかしいです。タピエスの
美術館も再度行きたいです。楽しい講義をお待ちしています。
| mory's | 2008/09/20 3:12 AM |
mory`sさん、コメントありがとうございます。
いやー、僕を含めて建築家なんて難しい事ばかり言いますが、一番大事なのは理屈じゃ無くて感覚ですよね。百聞は一見にしかずじゃ無いけど、幾ら素晴らしい御託を並べたって空間が素晴らしくなければ良い建築だとは到底言えないと思います。そしてその空間に感動出来るかどうか?が最も重要なファクターだと僕は思っています。mory`sさんのコメントを読んで、その辺の建築の原点を思い出しました。

僕もオットー・ワグナーの建築は行きました。素晴らしかったです。ちょくちょくその辺りの建築の事もアップして行きたいと思います。あと、予想外に良かったのが食べ物。カフェとケーキは最高でした。今回のエントリで書いた町はワインが大変に有名らしいのですが、そこで飲んだワインの美味しかった事。あの味は忘れられません。
| cruasan | 2008/09/21 7:38 PM |
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