地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
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中村研一研究室の荒川君、バルセロナ訪問
建築家、中村研一さんの研究室所属の荒川智充君がバルセロナを訪問してくれました。ありがとー。荒川君には夏に一度、中村研一さんの研究室でお会いしたのですが、自分のやりたい事をしっかりと持ち、大学のボランティア・NPOセンターの地域活動リーダーとして活躍するなど、近年の学生とは一味違う大変活発な学生さんです。何でも設計と論文を書きながら某市のお祭りパレードを企画・実行しているとか。素晴らしいです。がんばってください。

さて、数年前に結婚式教会の村瀬君の紹介で知り合った建築家の中村研一さんなのですが、夏に日本に帰った際には何時も時間を取って頂いてお話を聞かせてもらっています。その話の面白い事。博識の上にスーパー謙虚。僕の無茶苦茶いい加減な話とかも「うん、うん」と真摯に聞いて下さいます。

今年もお忙しい中、わざわざ僕の為に時間を取ってくださって沢山の有益な話を聞かせてもらっちゃいました。知らず知らずの内に4時間とか話込んでしまったのですが、今年一番利いたお話は「歴史」に関するものでした。

歴史というのは常に権力者の視点で書かれたものであり、それこそがオフィシャルな歴史として後世に伝えられていきます。裏を返せば大衆の視点から見た歴史はどんなに正しかったとしてもアンオフィシャルな歴史として捏造されるか抹殺されるんですね。

そのような視点から書かれた最高の良書が以前に紹介したジョセップ・フォンターナ(Josep Fontana)の「鏡の中のヨーロッパ( Europa ante el espejo)」であり、テラン・ヴァーグ(terrain vague)という視点で都市の無意識を論じたイグナシ・デ・ソラ・モラレス( Ignasi de Sola-Morales)だったわけです。以前書いた箇所を引用しておきます:

そんな彼が1994年に出版したのがヨーロッパの歴史を網羅しつつ、コレでもかというくらい分かり易く書いてある「鏡の中のヨーロッパ」です。フォンターナの冒頭の言葉がこの本のスケールの大きさを物語っています。

「ヨーロッパはいつ生まれたのだろうか。」

こう問う時、彼の頭の中にあったのは1993年に出版されたポミアン,クシシトフ( Pomian Krzysztof) のL’ Europe et ses nationsであろう事はこの本の訳者である立花さんが指摘されています。

手短に言ってPomian Krzysztofは、ヨーロッパというのは自己と他者を明確に分ける為に外部との境界性を定める事によって形成されてきたと言います。その一方でフォンターナは自己と他者を分ける外部の境界性の存在だけではなくて、その内部にさえも自己と他者を分ける力学が働いてそれがヨーロッパを形成してきたと訴えます。つまり内部の社会システムを保つ為に大衆を野蛮人の地位に押し込める事によってヨーロッパは発展してきたというわけですね。そしてこれこそがゆがんだ鏡に映った自己自身であるというわけです。

このゆがんだ鏡に映った自己自身とは何を隠そう、ヨーロッパの無意識という事だと僕は理解しています。
そしてヨーロッパが歴史的に大衆を野蛮人という地位に押し込める事によって発展してきたという事実は現代都市にも、いや、現代都市にこそ当てはまると思います。特にイグナシが「テラン・ヴァーグ」を発表してから10年余り経った現在では都市の主モーターが変わると同時に、その新たなるモーターの回りに都市の全ての現象が引きずられているように思われる現在ではなお更です。

そんな状況下において、都市は大衆を新たな野蛮人に仕立て上げ、その地位に押し込める事によってグローバル化の中における自身の地位を上げる為にイメージ競争に奔走しているのです。その結果が観光化によるジェントリフィケーションという今我々が直面している大問題なわけです。

その辺の事を考慮に入れて僕が当ブログでシリーズ化したのが「広告都市」論です。詳しくはこちら。この広告都市論は別名、現代都市におけるテラン・ヴァーグと勝手に名付けています。イグナシに是非見せたかった僕の自信作です。


前文はコチラ

さて、今回中村先生にお会いした時にこんな事を言われました:

「Cruasan君、ラテン語で歴史ってなんていうか知ってる?」
「はい、Historiaですよね」
「そう。で、Historiaって「歴史」っていう意味の他にどういう訳がある?」
「歴史、歴史書、物語・・・」
「そう、歴史って物語なんだよ!」

コレです。これこそ僕が長い時間を掛けて長々と幾度かのエントリで説明しようとしてきた事なんですね。それを一言で言われてしまった時のショックと歓喜。しかも僕の説明なんかよりもよっぽど分かり易いし。

色々な人と話していると極稀に日本刀でスパっと斬ったような切れ味鋭い事を言う人に出遭います。故小寺武久先生が正にそんな感じでした。

物事を良く知っている人、その本質を理解している人というのは、難しい事を簡単に説明する事が出来るんですね。逆に表層的な人というのは、簡単な事をわざわざ難しく説明しようとする。僕も常に前者でありたいと思っているのですが、ナカナカそう巧くはいかないものですね。

別れ際に中村先生が最近出版されたコルビジェに関する書籍、

サヴォワ邸/ル・コルビュジエ (ヘヴンリーハウス-20世紀名作住宅をめぐる旅 1) (ヘヴンリーハウス-20世紀名作住宅をめぐる旅 1) 中村 研一、五十嵐 太郎、 後藤 武 (単行本 - 2008/5/21)

を頂いてしまいました。しかもサイン入りで。もうちょっとしたらゆっくりジックリ読んで、是非感想を書きたいと思います。
| 大学・研究 | 18:45 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
コメント
ご無沙汰です。日本の暑い夏はどうでしたか?名古屋はかなり暑かったみたいだけど?日本に もどって、ヨーロッパを考えることは楽しいね。以前も、ヨーロッパの形成についてコメントがあったけど、鏡は実は2枚(もしくは、もっとかな?) あって、我々が目にする鏡はいわゆるヨーロッパであって、それを見せるために作られたいくつ物の見えない鏡の要素が駆け引きを繰りかえしている、それはまさに物語の繰り返しで、それは時の権力者(宗教これも大きな要因)だけが作ることがゆるされる、強者の物語、でもそれは、我々が身にする情緒、豊で幸せなヨーロッパの鏡である事は間違いないんだけど。幸い、現在ではそれが少しづづ大衆(野蛮)からの発信が許される状況が来ていて、その線引きがあいまいに、またより複雑になっていく事は間違いないね。(日本も含めて) 拡大するEUの中でこれから楽しみであるし、その中で生まれる新しい物語に期待ですね。ちなみに、最近は、南米に良く行っています。インカ時代の遺跡のすばらしさに 魅了されています。スペイン人の入植によって、作られた文化との対比がとても面白いですね。ちょっと長くなりましたが、ではでは。

| プルーデンス | 2008/09/08 4:56 PM |
プルーデンスさん、お久しぶりです。名古屋はかなり暑かったですよー。かなり乾燥したバルセロナの夏に慣れてしまった僕にとっては殺人的な暑さでした。南米に旅行してるんですか?南米って何か未知の世界って感じですよね。インカとかマチュピチュとか。スペイン語圏だし、僕も機会があったら是非行ってみたいです。
| cruasan | 2008/09/09 10:26 PM |
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