地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
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エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)の建築その2:バラニャ市民会館(Centro Civico de Hostalets de Balenya)に見る建築の質:社会文化の表象としての建築:ミラージェスの場合
前回のエントリ、エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)の建築その1:バラニャ市民会館(Centro Civico de Hostalets de Balenya):行き方の続きです。

ミラージェスの建築を実際に訪れて僕が感じた事は、彼は建築空間を他の建築家とは全く違う方法で創っているのではないか?という事でした。建築を構想する時、核になるのは空間であり空間同士の繋がり、そしてそれらの空間がどのような「物語」を紡ぎ出しているかという事だと思います。建築家は何か一つやりたい事があって、その一つのアイデアが実現出来ていて、それが明確に見えれば建築というのは僕は十分だと思うんですね。そしてその一つの「かけがえの無いアイデア」をどのようにドラマチックに展開して行くかという所にその建築家の個性と創造力が現れる訳です。

しかしどうもミラージェスの建築を見ていると、彼はまるっきり違った思考をしているような気がする。手短に言うと彼の建築は「アイデア一発勝負」だと言う事が出来ると思います。(と書くと早急な読者の方々からすごい批判が飛んきそうなのですが、決して悪い意味で言っている訳ではありません。最後まで読んでください)何かやりたい事=アイデアがあって、その空間が一つあって終わりみたいな。そこに辿り着くまでの前室だとか、人を回り込ませる空間だとか、そういうものは一切無し。ドラマチックな空間があって終わり。そしてその一つの空間が、大抵の建築が備えている「物語」を持っていない事による損失以上の爆発的な質を醸し出しているので、不思議な説得力がある。

これは彼が手掛けて来た建築の規模やタイプが偶然そうだったのか、今まで比較的空間のシークエンスを必要とするような大規模な建築を手掛けるチャンスに恵まれなかったのか、なんて思ったりもしましたが、45歳という若さでなくなってしまったので、その後彼がどのような展開を見せたのか?は永久に知る事が出来なくなってしまいました。(思えばカタルーニャは実践においても理論においても今世紀の建築を引っ張るリーダーたり得る地域だったのですが、それを期待されていたミラージェスが2000年7月に、イグナシ・デ・ソラ・モラレスが2001年に亡くなってしまった為、見果てぬ夢となってしまいました)

僕は前回のエントリで「日本に居る時は彼の建築の良さが全く分からなかった」と書きました。主な理由は2つ。一つ目は前回も書いたように、彼の建築の質は写真には写らないものだからです。だから日本でエル・クロッキースを「ぼー」っと眺めていた時は、この建築の何処がどう良いのかさっぱり分からなかった。

彼は晩年のインタビューでこう語っています。

・・・これは、私の仕事の進め方のなかで、視覚は一番重要な事柄ではないという事実と関係があると思います。私のプロジェクトは単なる視覚以上のものに大きく依存しています。
Studio Talk, 15人の建築家の物語、インタビュー二川由夫, P641

建築旅行をしていると、写真だけで十分、もしくは写真の方がドラマチックに撮ってあって実際に見たらがっかりしたというのは良くある事ですが、ミラージェスの建築は全く逆だと断言できます。

2つ目は結構重要な事なんですが、どうして彼の建築はこんなにグニャグニャしているのかな?という事なんですね。これは一見馬鹿げた問いのように思えますが、建築の本質を探る重要な問いだと思います。何故ならこの問いは「彼の建築が一体何を表象しているのか?」に関わるものであり、本や写真を眺めていても絶対に分かりっこ無い種類の問いだからです。

先ず僕は建築とはその社会文化を表象する芸術行為だと考えています。コレが意味する所というのは、建築を理解する為にはその建築、もしくは建築家が育った地域の社会文化を理解する事から始めなければいけないという事です。僕はその事をポルトガルの文化に深く根ざしたアルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)の建築から学びました。彼の建築の最も優れた所というのは、デザインのセンスや形の面白さでは無く、彼の建築が否応無く表してしまうポルトガルの社会文化だと思うんですね。だからシザの建築を指して「詩的だ」という解釈にはあまり賛成出来ません。「詩的」だという説明は他の言葉で説明出来ない時の逃げに使われている気がするからです。

全く同じ事がミラージェスの建築にも言えて、彼の建築は地中海都市であるバルセロナの社会文化を良く表していると思います。その事に気が付いたのはこちらに住み始めて2年くらい経った時のことでした。

地中海特有の天気、毎日晴れ。明日も晴れ、明後日も晴れ、ずーっと晴れ。ニュースを見るとお天気マークが「これでもか」というくらい続いているし、キャスターは「今年の雨日数は2週間でした」とか言ってるし。こんな毎日天気の良い日が続くと自然と人が公共空間に出て来て、様々なアクティビティがそこで繰り広げられる事となります。更に昼間は暑いから自然と活動は朝方、もしくは夕方から夜にかけてという事になる。すると夕食時間がそれだけズレ込んで夜中1時を過ぎても屋外で夕食会が普通に開かれているという状況が生まれる訳です。

これが地中海都市でこれほど公共空間が重要視される理由だと思うんですね。そしてそれがこの都市の人々にバイタリティを与えている。燦燦と降り注ぐ太陽の下で育まれる生命力、何時まで経っても終わる事なく続くアクティビティ、絶え間ない笑顔、それに背中を押された社会の楽観主義。これら全てを正に「一撃の下に表している」のがミラージェスの建築であると思う訳です。かの有名なニューヨーク近代美術館(MOMA)での展覧会、「脱構築主義者の建築展」によって形態が似ている他のグニャグニャ建築と一緒にはされていますが、その本質、彼の建築が何を表しているか?という点において他の建築とは明らかに違う。

このような生命の爆発が先の「一発のアイデア」と折り重なった時、物語を必要としないくらいの爆発力を伴った空間が出現するのではないのでしょうか。今回バラニャ市民会館を訪れてそう強く感じました。

エンリック・ミラージェスの建築その3:バラニャ市民会館に見る建築の質:実際に建築を訪れる事の大切さに続く。
| 建築 | 17:53 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
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