地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
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ミラノ旅行その6:ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio):アテネの学童下書き(La Scuola di Atene- cartone preparatorio)
2年前のローマ旅行の時見た「アテネの学童(Scuola d'Atene)」以来すっかり大ファンになってしまったのがイタリア・ルネサンスの古典主義の完成者、ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio)です。当ブログでも彼の絵画にはしばしば言及してきました。

ロンドン旅行その2:Sir John Everett Millais(ジョン・エヴァレット・ミレイ)ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio):アテネの学童(Scuola d'Atene)など。

先月行ったマドリッド旅行の際訪れたプラド美術館(Museo Nacional del Prado)にも何点かラファエロの作品が展示されていました。(何時か書こうと思っていたのですが忙しくてナカナカまとまった時間が取れなくて結局書かずじまいになってしまった・・・)プラド美術館収蔵のラファエロ作品で僕が興味を魅かれたのが先ずはコレ:



カーディナルの肖像画(Raffaello, Ritratto di cardinale)。真っ黒のバックにものすごく映える赤色が印象的。一度見たら眼に焼きついて忘れられない。多分他の人が同じ色、同じ構図で書いてもきっとこれほど人の心を掴む絵にはならないと思う。これがラファエロの絵力か。もう一枚僕が興味を惹かれたのがコレ:



羊を連れた聖家族(Sacra famiglia con l'agnello)。先ずパッと見た瞬間に「構図が生み出すリズムが良いな」と言う事に気が付きますね。左手に居る赤ちゃんから「物語」が始まるわけだけれど、その赤ちゃんが一番低い所に位置している。そしてお母さん、お爺さんと順に立ち上がっていく構図。そのリズム感は各々の頭の位置を見るとよりはっきりします。円を描きながら上昇していますね。そして色使いも構図を巧く補完している。赤ちゃんが白基調なのに対して、中間のお母さんの左半分が青で右半分が赤。そこからお爺さんの黄色にバトンが渡されている。更にお母さんの足元にちょっとしたアクセントとして赤が置かれている。

このようなリズム感というのは建築を含めたデザイン分野では基本中の基本で、今でも良いデザインにおいてはそれらを見出す事が出来ます。こういう事を古典に発見する時、感覚という奥底においては「人間って変わらないんだなー」と言う事を感じますね。いや、変わって行こうとする力、変わらないとする力、その2つの力が鬩ぎ合っているのが人間という存在か。

前置きはコレくらいにして、今日の主題は先日僕がミラノに行った理由の一つ、「アテネの学童の下書き(La Scuola di Atene- cartone preparatorio)」です。



ヴァチカン市国のヴァチカン宮殿に4部屋ある「ラファエロの間」のうちの一つ、「署名の間」を飾る壁画「アテネの学童(La Scuola di Atene)を描く為の下書きがミラノはアンブロジアーナ絵画館(La Pinacoteca Ambrosiana)に残されています。縦2メートル85センチ、横8メートル4センチという大変に大きなデッサンはこの美術館のお宝とでも言うべく大変丁寧に照明まで暗くして絵を傷めないようにして保存されています。

先ずはその大きさにビックリ。これだけ大きいとそれだけで人を「ギョ」っとさせるものがある。そしてその大きなキャンパスに書き込まれたデッサンの質の高い事。近くによると鉛筆を走らせて影を作ったりといったミクロな作業部分が見えるんですが、そのミクロな部分が寄り集まって一つの大きな絵を構成しているというのは、当たり前の事だけれども不思議な感じがしますね。まるで一つ一つの小さなパブリックスペースの質が寄り集まって街全体の質を決定しているバルセロナのよう。

僕が面白いなと思ったのは絵の左側に描きかけの部分があって、人の頭だけとか、胴体までとかしか書かれていない所です。



そこを見るとまるで人がキャンパスから今正に生まれてきているようなんですね。ラファエロの鉛筆によって生を与えられているその瞬間がそこに垣間見えるわけですよ。こういうのって良く彫刻なんかで、下の台座部分が石を削りだした時のままにしてあったりして、人の上半身が生まれ出てくるみたいな表現をしているのは幾つか見た事がありますが、絵画では初めてなんじゃないかな。

さて、この下絵とヴァチカンにある完成図を比べて見て面白いのは前回も書いたように、ヘラクレイトスに見るラファエロのミケランジェロに対する尊敬の念ですね。前回のエントリで僕はこんな風に書いています:

・・・ミラノはアンブロジアーナ絵画館にある「アテナの学堂」の下絵には当初ヘラクレイトスは描かれていませんでした。つまりこのヘラクレイトスは予定に組み込まれていたのではなく、急遽描きこまれる事になったんですね。更にこのヘラクレイトスだけ他の絵に用いられているタッチとは全く違うタッチで描かれているそうです。どんなタッチかというと明らかにミケランジェロを意識したタッチだとか・・・

このような事からラファエロはミケランジェロによる完成前のシスティーナ礼拝堂を見て大変な感銘を受け、ミケランジェロに対する尊敬の念を現す為に急遽描きこんだという説があるそうです。・・・


そんな事を思いながら下絵を見てみると確かにヘラクレイトスは居ない。更に下絵を見ると分かるのがラファエロは明らかにヘラクレイトス無しの構図で決めていたという事です。つまり下絵の構図は「バチッ」と決まっている。ヴァチカンの絵を見た時は何も感じなかったけど、下絵の構図を見てしまうと、こちらの方が良い構図である事に気が付きます。つまりヘラクレイトスが邪魔なんですね。プラトンとアリストテレスの前の階段が大きく開いている方が気持ちが良い。彼らの手前右側に足を伸ばして座っている青い服を着た哲学者ディオゲネス(Diogenes)が開きすぎたスペースを巧い事埋めているのでそれだけで十分な気がするんですね。



ここからも明らかなようにヘラクレイトスは明らかに後付けですね。この後付けによって構図の質が落ちる事はラファエロだって十分に承知だったはず。逆に言えばそれを承知の上でヘラクレイトス=ミケランジェロを書き加えなければならないほどに、ラファエロはミケランジェロの才能に惚れたという事です。しかもこの人ど真ん中のどまん前に居るし・・・。

ラファエロが言った言葉:

我らの時代こそ、かつて最も偉大だった古代ギリシャの時代と肩を並べるほど素晴らしい時代なのだ」  
           ラファエロ

その素晴らしい時代を共に創っている天才に対する最高の敬意なんでしょうね。それにしても自分の生きた時代を誇れる人生って素敵だなー。僕もコウありたいものです。
| 旅行記:美術 | 19:32 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
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