地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
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バルセロナの新たなる都市戦略:ビルバオから学ぶバルセロナ都市圏再生の曙
民主化後バルセロナは明確な都市戦略を持ち、様々なイベントを通して都市を戦略的に開発・発展させてきました。それは今日バルセロナ都市戦略、もしくはバルセロナモデルとして欧米で高い評価を得ています。しかしながら、勿論そこには成功の影に隠れた/隠された急速な発展に付随する負の面がある事も否めません。

その点をかなり手短且つ乱暴に要約すると、1992年(オリンピック時)に都市をグルッと取り囲む高速道路を建設して都市の境界線を定め、投資を集中的にその内側にすると同時に、邪魔なモノや見たくない諸問題をその外側に放り投げ、問題を先送りするという事をしてきたんですね。だから大変よく整備された旧市街や新市街を見て、「バルセロナは各都市が抱えているような問題が解決出来ている」という結論を出すのはあまりにも早急すぎると言わざるを得ません。

そんな事は既に1996年の段階でイグナシ・デ・ソラ・モラレス(Ignasi de Sola Morales)が指摘していました。

「・・・バルセロナの都市問題は境界線を越える傾向を強めている。交通・住宅問題、社会的差別問題や工場施設の問題などはみな、小バルセロナの外に吐き出されている。見かけ上バルセロナは、メトロポリスが例外なく抱える大問題のほとんどから解放されているかのようだ。しかし、この見解は全くの偽りである。小バルセロナを大都市圏の中でとらえた解決策がない。存在しているのは地図上の見せかけの線引きとこのフィクションを維持したほうが好都合だとするカタルーニャ自治政府の思惑のみだ。バルセロナが大規模事業を成し遂げ、美しく再生されたその影で、都市政策が十分でなく、適切な施設を備えていないところに、代償は回ってきている。大都市圏の中心バルセロナが解決せずにたらいまわしにしている問題はみな、弱体な都市基盤のところに飛び火しているだけなのである。・・・」

イグナシ・デ・ソラ・モラレス、キクカワプロフェショナルガイド、バルセロナ、Vol6.1996


その負の面のシンボルともいうべきエリアがバルセロナの北東を貫くベソス川(Rio Besos)周辺エリア(La Mina)に存在します。このエリアにはオリンピック時に旧市街地に住んでいた貧困層の人々やジェントリフィケーションで中心街に住めなくなった人々などが集められ、社会的問題の吹き溜まりのような様相を呈しています。更に川向こうにはゴミ焼却場や浄水プラントなど、都市にとっては無くてはならないんだけど、あまり見せたくない施設が集積している地区でもあるんですね。更に川岸の2軸、東西南北で異なる自治体がひしめき合っているので、川の向こうとこちら(東西軸)の接続性は無いに等しく、川岸の南北軸では自治体間を越えてプロジェクトを創出し、統一された景観を創り出すなんて事は夢の又夢でした。

正確に言うと、川を基軸に据えた自治体間の協力によるプロジェクトの可能性はかなり前から議論されてはいました。しかし異なる自治体間を越えた複雑極まりないそのようなプロジェクトを実現する事は、長い間、非常に困難だと思われていたんですね。何と言っても利害関係の調整がこの上なく難しいので。そのような事態が動いたのはごく最近の事です。

川岸を構成する5つの異なる都市(Barcelona, Sant Adria de Besos, Badalona, Santa coloma de Gramenet, Montcada i Reixac)がその周辺に跨る50を超えるプロジェクトを成功に導く為に共通プラットフォームであるコンソーシアム(Consorcio)を創り出したんですね。この裏にはこのエリアを15年近くかけて競争力のあるエリア(新たなる中心)に育てていこうというバルセロナの思惑が見え隠れしています。その時にこのエリアの核と考えられているのが、サグレラ駅(Estacion de la Sagrera)です。マドリッドやフランスからの高速鉄道(AVE)発着駅に位置付けられている未来の大型駅にはフランク・ゲーリー(Frank O Gehry)設計によるオフィス圏住宅が付与される事が既に決定されています。



ここで注目すべきはゲーリーのド派手な建築デザインではなくて、その裏に存在するであろう都市の戦略です。実はこの新駅は計画当初、現在の市内主要駅であるサンツ駅(Estacion Sants)近辺に建設される事が決まっていました。しかしですね、大型駅の周辺にもう一つ大型駅を持ってきたって、都市全体としてみた時の成長というのはあまり無いわけですよ。それよりは全く諸活動が無いような所へ、起爆剤として駅を建設して都市に対する新たなる中心性を創り出す方がよっぽど生産的である、とこういうわけですね。

何を隠そう、この新駅を用いた中心性創出案を提案、実現したのは現在の僕のボスです。今から約15年前、まだカリスマ市長マラガル(Pasqual Maragall)が現職だった時の事らしいです。その当時はまだ今ほどGIS(Geographical Information System)も発達していなくて、街路ごとのカフェなどの諸活動を調べるのに大変手間取ったそうです。

まあ、とりあえず、僕はこのバルセロナの打ち出した新しい都市戦略を高く評価します。何故ならこの計画はバルセロナが初めて打ち出した、環状線を越え異なる自治体間で協力関係を仰いだ計画であり、今までゴミ捨て場として問題を先送りしていたエリアへの初めてのメス入りだと思われるからです。先のイグナシの言葉で言えば、「大都市圏の中心バルセロナが解決せずにたらいまわしにし」、「弱体な都市基盤のところに飛び火」している問題に対して、バルセロナが初めて直視し始めたという事です。

この計画を聞いた時に、僕が非常に巧いなと思ったのは「川」をキーワードにして協力関係を築いたという点ですね。異なる自治体間で協力関係を築くには何かしら共通する要因が必要となります。考えられるものとして主に2つある気がします。一つは文化的な何かを共有している場合。もう一つは地理的要因を共有している場合です。有名な所では、1989年にフランスのDATARが行ったブルーバナナ分析に基ついて、バルセロナがバルセロナプロセス(Barcelona Process)として発達させた地中海の弧連携。この連携は地中海を共有しているという地理的要因を基盤にして実現しました。

もう一つはネルビオン川(Ria Nervion)というビルバオ大都市圏を貫く川を構成する30を超える自治体から成る、ビルバオ再生の原動力となったビルバオコンソーシウム(Bilbao Metropoli 30)。ビルバオの場合は、グッゲンハイムのインパクトが強くてナカナカ表には出てきませんが、グッゲンハイムという都市再生の主役に、舞台を整えた非常に重要なプロセスだったと思っています。このような、背景に流れるシナリオがしっかりしていたからこそ、ビルバオ都市圏再生が成ったんですね。決してグッゲンハイムが一人で都市を再生した訳では無い事を知るべきです。そして、そのグッゲンハイムが引き起こした大成功の裏に隠れるジェントリフィケーションという負の面の事も。

全く同じ事がバルセロナにも言えて、新エリアが出来た暁にはきっとゲーリーの建築がもてはやされ、あたかもそれだけで都市が活性化したかのような記事が雑誌を賑わす事でしょう。これは建築の元来の機能である、地域や社会の表象という役割を考えてみれば当然なのかもしれません。何故なら建築は正にそのエリアが活性化し、賑わっているぞという事を表象する事こそが仕事であり、それは建築にしか出来ない事なのだから。

しかしそれでも僕はあえて言いたい。その裏にある思考や、建築にそのような舞台を用意した都市の戦略にも目を向けるべきだと。
| バルセロナ都市計画 | 18:34 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
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