地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
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サン・ジョルディ(Sant Jordi)とカタルーニャ(Catalunya)
4月23日はカタルーニャの守護聖人サン・ジョルディ(Sant Jordi)の祭日です。この日は愛し合う二人がバラと本を互いに贈り合うという、何ともロマンチックなイベントが行われる為、バルセロナ中の街路や公共空間が本とバラを売る屋台で埋め尽くされます。その光景は圧巻。バルセロナの目抜き通り、ランブラス通りなんて観光客と買い物客で元旦の熱田神宮なみ。しかも今年は同じ日にバルサ(Barça)対マンチェスター(Manchester)というサッカーの好カードが組まれている事から警察官を総動員しての非常警戒態勢を敷く模様です。

さて、このサン・ジョルディの日に「本とバラを送る」という習慣はカタルーニャから始まりました。このカタルーニャから始まったという印象があまりに強かった為、サン・ジョルディって、てっきりカタルーニャに固有の聖人かと思っていたら実は違うらしいんですね。その事に気が付いたのが先月のベネチア旅行でした。その際訪れたスクオーラ・ダルマータ・サン・ジョルジョ・デッリ・スキアヴォーニ(Scuola Dálmata San Giorgio degli Schiavoni)教会にVittore Carpaccioによる、その名も「San Giorgio che uccide il drago」という絵画があったからです。



更に、アッカデミア美術館(Galleria dell’Accademia)で行われていたティツィアーノ・ヴェチュッリオ(Tiziano Vecellio)の好企画展、L’ultimo Tiziano e la sensualità della pitturaの展示品の中にもドラゴンに関するもの(Tiziano Vecellio, Santa Margherita e il drago)があったりして、記憶に残っていたんですね。



そこでちょっと調べてみたら、どうやらサン・ジョルディとは4世紀にパレスチナで殉教したとされているオリエントの聖人、ゲオルギウス(Georguis)の事であり、英国、ギリシャやポルトガルなどが守護聖人としているらしいという事が分かってきました。

で、この人、何をしたかというとその昔、村を襲っていた人食いドラゴンからお姫様を救ったらしい。人食いドラゴンって言ってもヨーロッパのドラゴンとアジアのドラゴンって少し違っていて、ドランボールの神龍みたいな長いのはアジア型。それに対して、ドラクエに出てきそうなのやピッコロ大魔王が生みそうな太っちょタイプがヨーロッパ型。

アジア型はどうがんばっても人間じゃ勝てそうにないけど、ヨーロッパ型なら何とかなりそうな気がする。しかもかわいいお姫様の為だったら何とかするでしょ、という事で納得。

そんなサン・ジョルディが竜をやっつけた伝説、「竜の奇跡」として知られる物語はこんな感じ:

カッパドキアのセルビオス(Selbios)王の首府ラシア(Lasia)付近に、毒気は振りまく、人には咬み付く、という巨大な悪竜がいた。人々は、毎日2匹ずつの羊を生け贄にすることで、何とかその災厄から逃れることとなったのだが、それが通用するのはそんなに長い時間のことではなかった。羊を全て捧げてしまった人々は、とうとう、人間を生け贄として差し出すこととなった。そのくじに当たったのは、偶然にも王様の娘であった。王は城中の宝石を差し出すことで逃れようとしたが、もちろんそんなもので誤魔化せるはずはなかった、かわりに8日間の猶予を得た。
そこにゲオルギウスが通りかかった。彼は毒竜の話を聞き「よし、私が助けてあげましょう」と出掛けていった。
ゲオルギウスは生贄の行列の先にたち、竜に対峙した。竜は毒の息を吐いてゲオルギウスを殺そうとしたが開いた口に槍を刺されて倒れた。ゲオルギウスは姫の帯を借り、それを竜の首に付けて犬か馬のように村まで連れてきてしまった。大騒ぎになったところで、ゲオルギウスは言い放った。
「キリスト教徒になると約束しなさい。そうしたら、この竜を殺してあげましょう」
こうして、異教の村はキリスト教の教えを受け入れた。(Wikipedia より)


この物語は国を超え様々に伝えられ、又様々な人達がその場面を描いています。上述したVittore Carpaccioを初め、僕の大好きなラファエロ・サンティ(Raffaello Sanzio)も。

僕にとって大変に興味深いのは、このような一つの物語が地方の文化を吸収しながら形を変え伝承されていった事です。その一つが我らがカタルーニャ地方に伝わる伝説です。そしてカタルーニャ地方においては、この伝説が生み出された当初から政治的な意味を含んでいたと見なす事が出来ます。

時は国土回復運動の最中、南へと退却していくイスラム教徒が、逃げ去る際にカタルーニャ地方に放った竜がキリスト教徒の乙女を食い尽くすという伝説。どんな腕自慢が戦っても勝ち目すらなかった状況下に現れたのが、白馬に乗った超美形のサン・ジョルディ。見事槍で一突きして乙女を救ったそうです。この時流した竜の赤い血が赤いバラに変わったという逸話まであるからすごい。

これが何故政治的な意味を含んでいるかというと、当時イスラム教徒の侵攻を受けていたカタルーニャにとって、イスラムを追い払ってくれた騎士は正に独立のシンボルと見なされていたからなんですね。

こんな風に、各国・地域で同じ伝説がディテールを変えて何百年も伝わっている。それこそ現在のヨーロッパを支える「多様性」の面白い所!!!

(ちょっと話が違うかもしれませんが、日本の歴史において登場する悪者の代表といえば鬼。鬼伝説は各地で残っているんですが、その伝説が生まれたのは当時の重要機密だった「鉄」を製造していた所だったという事を読んだ記憶があります。つまりそこに寄せ付けない為にそのような都市伝説を創造したんですね。ヨーロッパにおいてドラゴンという悪者が創り出された背景には何かあるのでしょうか?興味深い所です。)

さて、こんなサン・ジョルディ伝説はカタルーニャにおいては大変特別な意味を持っていると言いましたが、それが確立されたのがフランコ政権下のカタルーニャにおいてでした。フランコの独裁政権がドラゴンでカタルーニャがお姫様。つまり中央政府に言語や文化の抑圧を通して痛い目に遭わされているお姫様を助け出してくれる守護神と見なされているから、皆この伝説が大好き。

更に2つの偶然がこの祭日をカタルーニャにとって特別なものとしました。一つ目は、この日がユネスコ(UNESCO)により「世界本の日(World Book Days)」に制定されたという偶然です。それはこの日が偶然にもセルバンテス(Miquel de Cervantes)シェイクスピア(William Shakespeare)という歴史的巨人の命日だからなんですね。そんな偶然がサン・ジョルディの伝説と重なってバラと本を贈り合うという習慣へと姿を変えました。

もう一つの偶然は第一回目の「本の日記念日宣言」が出されたのが1931年だったという事です。この年はカタルーニャにとっては大変特別な年で、カタルーニャ共和国宣言が出された年でした(4月14日でした)。

この「独立のシンボルとしてのサン・ジョルディ」、「本の日(言語)」そして「カタルーニャ共和国宣言」という3つの偶然が重なった結果、当初は「スペイン語の本の日」として始まった記念日が何時の間にかナショナリズムと共に盛り上がって、「カタルーニャ語の本」とすり替えられたんですね。勿論そこには、「想像の共同体」を可能にする飛び道具の一つ、言語の促進という意味合いが多分に含まれています。

異国に暮らしていると、言語の選択というのは政治的選択だという事を思い知らされます。それは何も州議会とかそういう大きな話ではなくて、日常生活の中でもそうなんですね。逆に日常生活の中に根付いているからこそ、すごいと思う訳です。何故ならそれは人々の意識下にまで影響が及んでいる事を示しているからです。

これは日本のように日本語しか話さない、正に「パラダイス鎖国」化された環境に居ては気が付かない・身に付かない感覚だと思います。小さい頃から多言語が当たり前な環境で育ったヨーロッパ人は、言語が政治だという事をごく自然に受け入れています。そしてそれが彼らの強さなのかもしれないと思う事もあります。何故ならそんな環境が彼らの多様性の感覚を養い、そんな幅広い選択肢の中から己の進む道を選ばせるからです。これは一つの世界しか知らず、受動的に選択させられるのとは大違いです。

海外に暮らし始めて早5年。最近ようやく学生の頃読んだ、ベネディクト・アンダーソン(Benedict Anderson)の言う「想像の共同体(Imagined Communities)」という意味が少し分かってきたような気がします。
| バルセロナ歴史 | 04:14 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
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