地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
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ゾラン・ムジチ展覧会:ダッハウからヴェネチアへ ( Zoran Music: De Dachau a Venecia)
先週末、バルセロナのカサ・ミラ( La Pedrera)で開催されているスロベニア出身の画家、ゾラン・ムジチの展覧会:「ゾラン・ムジチ:ダッハウからヴェネチアへ ( Zoran Music: De Dachau a Venecia)」へ行って来ました。

日本ではさっぱり知られていないこの画家は、20世紀のヨーロッパの歴史をしっかりとそのキャンパスに刻み、「Fragility(もろさ・儚さ)」、「Loneliness(孤独性)」、もしくは「helplessness(無力さ)」といった単語で表し得る、人間の持つ「ある深い一面」を、絵画を通して表象しているような気がします。

そんな彼の作品を特別なものにしているのは、彼が辿った数奇な体験なんですね。

ゾランは1909年に当時オーストリア・ハンガリー帝国(Austro-Hungarian Empire)の支配下にあったイタリア北東の国境に近い村、ゴリツィア(Gorizia)に生まれました。彼が最初に触れた芸術は文学とアートで、グスタフ・クルムト(Gustav Klimt)エゴン・シーレ(Egon Schiele)に大変な影響を受けたようです。その後、1930年にはザグレブの美術アカデミー(Academy of Fine Arts in Zagreb)に入学が許可され、1935年までそこで腕を磨いています。

アカデミー卒業後、グレコとゴヤに惹かれてマドリッドに来ていましたが、1936年のスペイン市民戦争勃発と同時にダルマチア(Dalmatia)に移り住み、そこで最初のグループ展覧会を開いています。その後再び故郷、ゴリツィアに戻った後、ヴェネチアに移り住んで彼のシリーズ作であるDalmatian Motifsやヴェネチアの風景に取り掛かっているんですね。

しかしながらここでレジデンス的活動をしていた為にナチに捕まり、ダッハウ強制収容所(Dachau Concentration Camp)に入れられてしまいました。ここでの苦悩に満ちた生活や恐怖の体験が、その後の彼の作品に決定的な影響を及ぼす事となります。

今回の展覧会はそんな彼の作風がどのように変わって行ったかを辿る事が出来る好企画。強制収容所から出て来たばかりの頃の、「この世の輝き」を描いた初期のものから、人間が生来持つ正にDionysos(ディオニューソス)的な「どろどろとした負の部分」を描いたものまで見通す事が出来ます。


Zoran Music
We are not the last


集団殺戮の恐ろしさを描いた彼の一連の作品からは、「歴史は繰り返される」というメッセージが鋭く伝わってくる。その名の通り「We are not the last(我々が最後ではない)」。

これを見た時、真っ先に僕が思い出したのがゴヤ(Francisco Jose de Goya y Lucientes)だったんですね。ゴヤもフランス戦争の悲劇を扱った「1808年5月3日、プリンシペ・ピオの丘での銃殺(El 3 de Mayo de 1808. Fusilamientos en la montana del Principe Pio)」を描いています。

人間と人間の対立、生と死と、その狭間を描いたこの画は、戦争の悲惨さを伝えると同時に、これは人間の歴史において飽きる事無く繰り返されてきた光景なのだという事を思い出させます。ゾランがまだ若かった頃、(強制収用所に入れられる前、そんな悲劇が起きるとは夢にも思っていなかった頃)彼がゴヤに惹かれてプラド美術館に入り浸ってたという事実には、何か運命的なものを感じずにはいられない。

そんな彼の代表作は間違い無くコレ、シリーズものの「我々が最後ではない(We are not the last)」です。(ちなみに上の絵も同シリーズです。)


Zoran Music
we are not the last, 1970:http://www.tate.org.uk


これらの絵画からは、人間の奥底に潜む誰もが持つ狂気の部分と死の匂いが伝わってきます。人間って本来的にそういう部分を持っていると思うんですね。それを押さえ込むのが理性っていうものだと思うんだけど、深い部分においてそれが存在する事は誰も否定出来ないと思います。

ゾランという画家は、その代表作に見られるように人間の負の部分を表現した事で評価されてきた画家であると言う事が出来ると思うのですが、人間のそういう影の部分を鋭く表象したゾランだからこそ、僕は逆に彼が描いた「生の喜び」の方に惹かれてしまいました。

生と死は勿論コインの表と裏。死に対して嗅覚が鋭いという事は、逆を言えば生に対する感覚も鋭い訳ですよ。特に、彼が死という暗い影を描き始める前、丁度、強制収容所から出て来てこの世の素晴らしさをヴェネチアにおいて堪能している頃の絵には、「喜び」が満ち溢れている。息苦しく、死んだも同然の強制収容所生活から戻ったばかりの頃の心境を、彼はこんな風に書いています。

Por fin una gran luz, por fin el sol, aquel cielo infinito hasta el bajo horizonte de la laguna, todo para mi, donde puedo respirar libremente.
「・・・」
¿Es cierto que nadie me vigila?
¿Es cierto que puedo pintar libremente estas acuarelas sobre las Zattere?
¿Es cierto que no necesito esconderlas doblarlas en cuatro, ni cortarlas en pedazos?


「ついに手に入れた眩い光、太陽、そしてラグーナの水平線下まで広がる限りない空。自由に息をする事が出来る、それらは全て私のものだ。
「・・・」
本当に誰も私を監視していないのか?
本当にザッテレの水彩画を自由に書く事が出来るのか?
本当に絵を折り曲げたり、切り刻んだりして隠す必要は無いのか?」


その言葉の一つ一つに喜びが滲み出ています。そんな彼だからこそ、そんな喜びに満ちた心境だからこそ、描く事が出来た世界の輝き。


http://eddyburg.it


http://eddyburg.it

逆にそんな世界の輝きを知っているからこそ、人間が繰り返し犯している過ち、そしてそれを引き起こしている人間の負の部分を描く事が出来たんだと思いますね。こんなに世界は輝いているのに、人間は愚考を繰り返すと。

僕が興味を持ったのは、そんな彼が描いたのが美しい建造物で溢れている風景だという事です。深い死の影の淵から帰って来た彼が「喜びの象徴」として選んだのが、人間の建てた建造物だったんですね。


Zoran Music
Chiesa di San marco, 1948:http://www.museejenisch.ch


何故か?何故なら建築とは、悲しみよりは喜びを、死よりは生を表すのに適した芸術表象だからです。そしてその喜びは個人というよりは集団の喜びを表すのに適している。この展覧会が開かれているガウディ設計によるカサ・ミラは正にその好例。以前書いたように、カタルーニャ地方でモデルニズモが花開いた理由の裏には、その時期の「国を創っていこう」という社会全体で共有していた雰囲気が、建築という表象に結実した幸せな結婚だったという事情があると思うんですね。

ゾランは人間の奥底に潜む闇に怯えながらも、そんな人間でも、人の心を幸せにする事が出来る構築物を創り出せるんだという希望をそこに見たのではないのでしょうか。

アー、先週からのヴェネチア繋がりで今日も良いものを見せてもらったなー。
| スペイン美術 | 17:35 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
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