地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
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カルロ・スカルパ(Carlo Scarpa)の建築その1:ブリオン・ヴェガ墓地(Brion Vega Cemetery)パート3
前回まででブリオン・ヴェガに流れる物語空間をざっと見てきました。本来ならココで細部=ディテールに移るわけなんですが、それはいろんな雑誌が出てるし様々な人が多彩な論を展開されているのでココでは書かないことにします。

僕はブログとは自分にしか書き得ない事を、初めて読んだ人にも分かりやすく伝える事だと理解しているので、当ブログでは僕がブリオン・ヴェガで最も感銘を受けた「空間構成」に焦点を絞って書いていきたいと思います。何故ならそれこそが僕にしか書け得ない事だと思うからです。

さて、ブリオン・ヴェガを訪れて教えられた事の一つ、というか思い出させられた事の一つは、建築とは人の為の空間であるという当たり前の事実でした。

一つ目として、僕たちの目は160−170センチくらいの所に付いていて足で動き回る事が出来、建築を体験するという事なんですね。スカルパはその事をよく分かっていたので、逆にそれを大変巧く利用して空間に強弱を付けています。(これは僕の言葉で言うと、コントロール装置としての建築という事です。この話は突き詰めていくとレッシグのコードに行ってしまうので次の機会に譲ります。)

それは既に入った時から見られました。



周りを取り囲んでいる壁は高さが約175センチくらいだと思います。そしてその壁が周りの邪魔な景色を遮断する役割を担っています。日本人が得意としてきた借景というやつですね。更にこの壁と同じ高さの所を黄色のタイルが一直線に右側壁を走っています。



丁度、目の高さ、もしくは少し高いくらいの所をぐるっと回っているんですね。この黄色い線が始まる、内側に倒れ掛かる壁と少し高くなった壁の鬩ぎ合いのデザインが素晴らしい。スケールからすると少し高めのコンクリの壁は、少し間違えば威圧感を与えてしまいかねないけど、この黄色の線が眼の高さにある事によって巧い事その威圧感を避けている。

そしてコレ。





ここは前回の説明で言うとクライマックス的空間の後にくる「奥」のある部分です。この回廊を進んで行くと小さな部屋があるのですが、僕が行った時は閉まっていました。この回廊部分の右手側には縦長のスリットが切られていて、歩く度に外の景色がちらちら見えるようになっています。



今まで何の仕切りも無い広々とした庭に居た人を、暗く閉じた礼拝堂にいきなり入れるのでは無く、徐々に空間を閉じていくというバッファーゾーン的空間ですね。そしてココも入り口と同様に、神聖な空間に入る前段階として心を整える場として機能しています。

極めつけがコレ。



先ず、三角形の屋根型をした塊なのですが、横から見ると丁度壁の高さでスリットが切られているのが分かると思います。コレがあるのと無いのとでは大違い。コレがある事によって、この塊がそれほど重く無い感じを与える事に成功している。そんな事を思いながら中に入ってみると、ココから見える風景がコレ。



視界を上で遮られる事によって、さっきまでとはまるで別世界が眼の前に現れる。同じ世界でも見方によって色んな表情をするんだという事を教えられる瞬間。

こういう事って実は世界中の誰よりも日本人が最も巧く発達させてきたお家芸だったんじゃなかったですかね?狭い庭を120パーセント活用するために編み出された技の数々。今ではほぼ忘れ去られている幻の技等。スカルパが日本に大変興味を持っていたというのはすごく頷ける事だと思います。

何故か?それはベネチアと日本の都市構造が大変よく似ている事に起因すると思うんですね。勿論違う点はたくさんありますが、2都市に共通する重要な点、高密度であるという点が非常に似ている。故に都市空間をどう巧く使うかという思考と実践が非常に発達したと思うんですね。

ベネチア初日に受けた印象を書き留めた前々回のエントリで僕はこう書いています。

地中海都市では居住密度が高いので自分の家を補完するかのように公共空間が存在し使用されます。居間が狭く暗い代わりに自分の家の前に日の良く当たるパブリックスペースがあるといった具合に。ヴェネツィアも例外ではありません。しかしヴェネツィアの街が僕に教えてくれるのは、人はデザインする前提条件が悪くなればなるほど、知恵を絞り、その結果、大変に良いものが出来るという事実です。

僕たちは敷地条件だとか、隣接する家屋のデザインだとかといった、ある程度の縛りがあるからこそデザインを始める事が出来るんですね。そしてそういう中からこそ創造力という人間に与えられた、パソコンなどの機械とは違う能力を使って何かを創り出す事が出来るわけです。もし、何も無い所で白紙から始めろと言われてデザインを発展させる事が出来る人が一体何人いるでしょうか?ヴェネツィアの街は人間の知恵と創造力の奥深さを僕に改めて教えてくれました。


スカルパの建築は正にその集大成。この空間の中に小さな小宇宙が広がっている。そしてそれはベネチアという街を圧縮したような小宇宙を感じました。

さて人間の為の空間、2つ目は、この空間がお墓であるという事です。僕達はスカルパの建築の素晴らしさから、その空間やディテールにのみ話を集中させ、実はこの建築が一体何の為に建てられたのか?という事を忘れがちです。この建築の機能はお墓です。お墓とは何か?それは現世を去った後も安らかな日々を送る事が出来るように静かで平和な空間の事です。僕がこの建築を訪れて一番最初に抱いた印象は「楽園」でした。前回のエントリの関連箇所を引用します。

楽園です。本当に静かで美しい楽園。ただ小鳥のさえずりだけが聞こえ、視覚的には白と青の小さな花々が咲き誇っている。

まるで「天空の城ラピュタ」でパズーとシータが誰も居ない廃墟となった空中庭園に着いた時のような静けさと美しさ。

カルロ・スカルパは建築のディテールや空間構成がどうあれ、先ずはそのようなお墓の機能という面から最も理想に近いお墓を実現した事こそ褒められるべきです。生涯愛した人と一緒にこんな所に葬られ、未来永劫ずーと一緒だなんて、なんて幸せなんだろう。このお墓の主はアーチの下にまるで寄り添うように眠っています。



誰も彼らの眠りを妨げる事無く・・・

そんな人に幸せを与える事の出来る建築家という職能はなんてやりがいのある仕事なんだろうと思ってしまいました。
| 旅行記:建築 | 23:50 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
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