地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
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ヴェネツィア(Venezia)旅行その1:「奥」のある風景
ヨーロッパは先週末からキリスト教に関する祝日(復活祭)で2週間程のバケーションに入りました。と言う訳で僕はイタリアはヴェネツィア(Venezia)に来ています。8日程の滞在です。目的は勿論、都市と建築。特にスカルパ(Carlo Scarpa)は大変楽しみです。

今回はバルセロナ−フランクフルト経由でヴェネツィアのマルコポーロ空港(Aeroporto Marco Polo)に入りました。ヨーロッパでも僕の大のお気に入りのフランクフルト国際空港(Frankflut International Airport)です。今回はトランジットが2時間30分だった為、大変居心地の良いカフェでパソコンを繋ぎ少し仕事をしました。その後、約1時間のフライトで無事ベネチア到着。

とりあえず毎回恒例の都市アクセッシビリティ評価からいってみたいと思います。といっても、この都市は他都市と簡単に比較は出来ません。何故なら良く知られているようにヴェネツィアは海に浮かんでいるので空港から市内へは主に船(Alilaguna社)でアクセスする事になるからです。(鉄道やバスもあるようですが、今回は利用しませんでした)その船が30分おきに空港と市内を結んでいます。大きな船なのかな?と思っていたらそれ程大きくも無く結構揺れたのにはビックリ。しかし船が島に近付くにつれて街明りが見え、それが次第に大きくなってくる様子は感動的ですらある。これはかなりロマンチックですね。所要時間約60分と、機能性からのみ見た場合、他の都市に比べてアクセッシビリティとしては最悪に近い数値ですが、都市の魅力を高める物語性という要素を考慮した場合、空港から市内へのアプローチとしては必ずしも悪くは無いと思います。

実はこのような物語性こそが他都市に圧倒的に欠けている要素なんですね。何故か?空港というのは大抵の場合、郊外に造られる事がほとんどです。そして都市と空港の間に出来る空間には工場や低所得者の住居といったような、乱雑極まりない風景が広がっています。これは世界中、ほぼどの都市でも言える事だと思います。

僕が日本に帰国する時に使用する中部国際空港は空港機能としては最上級に入る空港だと思います。海に浮いている為に、飛行機はあたかも海の中に入っていくようなアプローチをとります。それを知らない外国人は機内で感動的にその風景を見つめています。そして空港を出た目の前に高速列車が止まっていてスロープを降りてそのまま乗り込むことが出来るという使い勝手の良さ。

ここまでは満点に近い数字です。この後、列車は30分かけて名古屋市内中心部にアプローチするのですが、コレがまずい。空港を出てすぐの所の風景が悪すぎる。汚い看板や日本特有の戸建て住宅が永遠と続く風景ははっきり言って汚い。僕ならこの辺り一体は日本映画村を誘致して、外国人旅行者に「日本は伝説の通り、未だにちょんまげをした侍が街を歩いているのか?」と思わせますね。その後、金山−名古屋に続く超高層ビルを見せ、「おー、日本はやはり伝統とテクノロジーが融合した素晴らしい国だ」とかいう印象を与えて、つかみはOK。その後、昼ごはんには名古屋名物味噌カツで決まりでしょう。

この点、ヴェネツィアは海に浮いているという時点で何もする必要なくロマンチック度満点。なんたって、海からのアプローチですからね。まるでビルゲイツの家のようだ。違うか、ビルゲイツが真似したのか。

さて、ヴェネツィア初日、早速街を歩いてみました。そして直ぐに気が付いた事が車の気配の無い事。そうなんです、この都市には車が存在しません。これはすごい体験です。何故なら普段、当たり前だと思っている環境要素の一つが無いのですから。そしてこの事は僕達に都市というものは五感を通してこそ感じられるものであるという、当たり前の事を思い出させてくれます。車の発する音、路上駐車による視覚、排気ガスによる嗅覚など、普段我々が都市に対して抱いている感受性がこの都市では全く違います。

僕はヨーロッパでは一応、歩行者空間計画エキスパートなので、この都市は僕たちにとっての理想都市だという事になります。僕達が実現したバルセロナのグラシア地区歩行者天国空間22@BCNで現在実現されつつある歩行者空間などでは、居住者の自家用車や救急車両などは通行を許可していますので、完全歩行者空間ではありません。それが実現出来るとも思ってませんし、そこまでやる必要は無いと思います。第一、ヴェネツィアはあまりに特殊解過ぎる。ここでは市民の足は市内を組まなく網羅する運河を流れる舟です。それがあるからこそ車を排除出来た訳ですし。

しかしヴェネツィアを、都市の環境という視点から見たその快適性は圧倒的なのでは無いでしょうか?車の騒音や路上駐車が無い環境がこんなにも気持ちの良いものだとは思っても見ませんでした。そしてこの事は僕たちが目指す方向がそれなりに間違ってはいないものであると言う事を後押ししてくれているような気がします。

そんなこんなで、ヴェネツィア市民の足である公共交通機関である船に乗ってみました。興味深い事にこれらの船は幾つかの種類に分かれていて、それぞれバスやタクシーなど地上の公共交通機関に対応しています。これは2つの事を指し示していると思います。

一つ目はヴェネツィアの人々にとって運河が他都市における道路や街路と同じ機能を持っているという事。つまり生活におけるインフラという事ですね。もう一つはあまりにも浸透してしまった交通という隠喩です。つまりこれらの船に別に「バス」だとか「タクシー」だとかという地上交通系と同じ名前を付けなくても、高速船とか大型船と呼んだ方が自然なような気がする訳です。それにも関わらず、バスやタクシーという隠喩を使うのは、それだけ我々の意識の中にそれらのシステムが刷り込まれている証拠です。

さて、よく知られているようにヴェネツィアのど真ん中には逆S字型に大運河が流れています。この運河に沿って水上バスが運行しているんですが、今朝一番に端から端まで乗ってみて気が付いた事があります。それはこの運河がうねっている為に、いい具合で「奥」が発生している事です。

例えばコレ。



前方に向かって右側に曲がっていこうとする運河は、勿論その先が見えません。自然と想像力を掻き立てられます。一体この先に何があるのかと。

この写真は有名なリアルト橋(Ponte di Rialto)にアプローチしている所の写真です。













同じく右側に曲がっていく為に橋の左側から少しずつ見え始めてきます。段々と近付くにつれて全体像が見え、最後は橋を通して向こうの景色が広がり、更にその向こうの景色の先も曲がっている為に想像力を又掻き立てられるという物語が発生しています。

これは何も大運河に限った事ではなくて、小さな路地や小運河で構成されているヴェネツィアの都市全体が「奥」を生み出す装置になっているのです。そしてこれがこの都市に劇的な豊かさを生み出していると思います。道を歩いていて、もしくは船に乗っていて、こんなにわくわくする都市は珍しい。

そしてもう一つこの都市を豊かにしているのは、曲がりくねった先にある小さな楽園とでもいうべき緑あふれた庭園や中庭空間。





前にも書いたように、地中海都市では居住密度が高いので自分の家を補完するかのように公共空間が存在し使用されます。居間が狭く暗い代わりに自分の家の前に日の良く当たるパブリックスペースがあるといった具合に。ヴェネツィアも例外ではありません。しかしヴェネツィアの街が僕に教えてくれるのは、人はデザインする前提条件が悪くなればなるほど、知恵を絞り、その結果、大変に良いものが出来るという事実です。

僕たちは敷地条件だとか、隣接する家屋のデザインだとかといった、ある程度の縛りがあるからこそデザインを始める事が出来るんですね。そしてそういう中からこそ創造力という人間に与えられた、パソコンなどの機械とは違う能力を使って何かを創り出す事が出来るわけです。もし、何も無い所で白紙から始めろと言われてデザインを発展させる事が出来る人が一体何人いるでしょうか?ヴェネツィアの街は人間の知恵と創造力の奥深さを僕に改めて教えてくれました。
| 都市アクセッシビリティ | 23:37 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
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