地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
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ドメネク・イ・モンタネール( Lluis Domenech i Montaner)とカタルーニャ音楽堂
ちょっと前になりますが2月9日はドメネク・イ・モンタネール(Lluís Domènech i Montaner)設計のカタルーニャ音楽堂(Palau de la Música Catalana)完成100年周年記念日でした。一般公開された8日は無料という事(普段は15ユーロ)と土曜日だったという事も手伝って、多くの人達が長蛇の列を作って公開を楽しみに待っていました。

このカタルーニャ音楽堂はモデルニズモ三銃士の一人、ドメネク・イ・モンタネールの傑作です。小さいながらもそこに凝縮されている空間のパワーにはすさまじいものがあり、空間に喜びが満ち溢れています。

ここに来ると、建築は表象文化であり「悲しみよりは喜びを表すのに適した芸術形式である」という言葉が思い出されます。逆かも知れない。忙しさの中で「建築とは何か」を考える喜びを忘れていく毎日の中において、僕はそれらを確認する為にここに来ているのかもしれません。

この「喜び」こそカタルーニャで華開いたモデルニスモ(Modernismo)を特徴付ける一つのキーワードだと思います。同じ頃ヨーロッパ各地で展開されたアール・ヌーヴォー(Art Nouveau)との違いにおいては様々な事が言われていますが、(例えば、カタルーニャにおけるモデルニスモの始まりはガウディ( Antoni Gaudi)によるカサ・ビセンス(Casa Vicens)だと見なされていますが着工時期は1883年で完成したのが1888年。一方アール・ヌーヴォーの先駆けと見なされているブリュッセルのタッセル邸(Hôtel Tassel)の建設年代は1892年から1893年とカタルーニャの方が10年も早い事が明らかにされています。)アール・ヌーヴォーに見られるような世紀末の廃頽さがモデルニスモには一切見られ無いと言う事こそ注目すべきであり、正にその事がモデルニズモ運動の表象媒体として建築を選ばせ、今でも注目に値する芸術として成功している理由だと思うんですね。

それもそのはずで、その当時カタルーニャは「国創り」に励む、飛ぶ鳥をも落とす勢いがあった時期だったからです。歴史的中心地区を囲っていた城壁が1854年に破壊され、1859年にはセルダの都市拡張計画が承認されています。都市は今や発展と拡張への道のりへと乗り出すばかりの準備が整った所でした。さらにヨーロッパへの同化を計ったバルセロナは1888年に万国博覧会を開催、成功させます。

この頃には既に1898年に最後の植民地であるキューバを失ったマドリッドに対して「さようならスペイン」と言えるほど実力を蓄えていました。

そんな状況下において華開いたのがモデルニスモであり、19世紀後半に蓄積された資本の投資先として建築が選ばれた訳です。こう考えると現在におけるモデルニズモの評価の高さと人気の高さは、当時のポジティブな経済状況や社会的空気など建築の持つ魅力が最も発揮される土壌が整っていたが故に可能だったという視点も可能なのではと思ってしまいます。

槙さんが言われているように、「建築というのはその時代に生きた人々が潜在下で感じていながらもナカナカ形に出来なかったものを一撃の下に表す行為だ」というのはモデルニスモにこそ当てはまるのでは?と思ってしまうほど、その当時の空気を今の時代に伝えていると思います。
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