地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
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人は何故生きるのか?:風の谷のナウシカ
週末、天気も良かったし散歩がてら普段は滅多に行かないような地域を散策していた所、アニメショップを発見。ふらふらと入って見ると、何と「風の谷のナウシカ」マンガ版がセットで売ってるじゃないですか!!!衝動買いしてしまいました。

ネット上ではナウシカの哲学的解説や物語の終わり方に対する批判など様々な意見が飛び交っています。ざっと見た感じ批判の方が多いですね。どうやら皆、終わりの方になるにつれて現れてくる矛盾:(人間対自然という軸が最終的には人間対人間になってしまうとか)、に納得がいかなかった様子。

又、幾つかのページでは宮崎監督がこの作品を通してホントに伝えたかった事は一体なんだったのか?などが熱く議論されています。人間千差万別なので一つの物語に対して一つの回答しかないという事はありえません。逆に何通りにも読めると言うのはその物語が大変に豊富な内容を含んでいる事を意味していると思います。

とりあえず僕はこの物語に大変に感動しました。そして僕なりの解釈をすると、宮崎監督がナウシカを通して言いたかった事、つまりテーマは「人間、生きる為には明日への希望が必要だ」という事だと思っています。

この物語を通して僕が非常に感動した場面が2箇所あります。いずれも最後部なのですが、一つ目はナウシカが蟲使い達を前にしてウソをつく場面です。ナウシカは以前から腐海や蟲たちが人間が汚した環境を浄化する目的で存在している事にうすうす気が付いていました。そしてある時から腐海の尽きる場所があるのではと思うようになっていったのです。そんな時、森の人が現れ、彼女を腐海の尽きる場所へと案内します。

この世の中にもホントにそんな場所があったんだと喜ぶ彼女でしたが、ふとした事から腐海や虫達が世界を浄化する為に人間によって生み出された人工物だという事を知ってしまいます。更にその浄化過程の毒に耐える為に、人間の体さえ何者かによって造り替えられたという事実も知ってしまいます。そしてその造り替えられた体では浄化後の綺麗な空気には耐えられないというショッキングな事実も。

つまり、幾ら何百年か後に世界が浄化されようとも人間はそこでは暮らせないという運命が待っていたのです。その事を悩んだ末、ナウシカは蟲使い達にウソを付く事を決心します。何百年かこの苦しみに耐えた後に人間は再び毒マスク無しで浄化された世界に住む事が出来るようになると。

それがこの場面。(スペイン語だから日本語訳は裏覚え、あしからず)

「セルム様、私はウソを付きました。汚染された環境に適応する為に人間の体を作り変えただなんて。そしてその真実を彼等に伝えたとして一体何になるというのでしょう。
私の中の何かが激しく違うと叫んでいます。あの景色・・・あなたが連れて行ってくれた腐海の尽きる場所で見たあの景色・・・世界は生まれ変わろうとしています・・・たとえ私達の体が浄化された世界に適応出来なくても・・・」

“ Serm, acabo de decirles una mentira y no pienso desdecirme. Eso es por las mutaciones que han sufrido los seres humanos para adaptarse a un medioambiente polucionado. Por eso, si les digo la verdad a esos domadores no les serviria de nada. Algo se resquebraja en mi interior. Ese paisaje… ese paisaje al que me guiaste al fin de la zona contaminada… eso era nuestro mundo a punto de renacer… aunque nuestros cuerpos humanos actuales no pudiesen resistir su pureza…”


我々には生きる希望が必要なんですね。それは世界が破滅するといった様な大きなスケールの事ばかりではなく、日常生活を生きる上にも必要な事です。いや、日常生活を営む上でこそ生きる希望は必要だと言えるのでは無いでしょうか。



もう一つ僕が大変に感動したのが最後にナウシカが言う台詞。

「どんなに苦しくても生きねば・・・」

“ Vamos a caminar juntos, por muy duro que sea el camino…. Tenemos que vivir…”


我々は何故生きるのか?何の為に生きるのか?そのような問いに答えるべく長い間その役割を担ってきたのが、宗教だったり哲学だったりしたわけです。そして今その役割をマンガが担うようになってきたのではないでしょうか?少なくとも僕は人生における「友情の大切さ」や「友達の大切さ」を国語の時間に読んだ「走れメロス」よりも「キン肉マン」から学びました。スーパーフラットじゃないけど、どちらが優れているとか劣っているとか言う問題では無い気がします。問題はその物語が人に与えた感動で測るべきです。

ナウシカという物語は長い長い連載を通して「我々の人生における非常に大切な何か」を我々に訴えかけているような気がします。
| サブカル | 03:33 | comments(3) | trackbacks(5) | このエントリーをはてなブックマークに追加
コメント
はじめまして
スペイン語版のナウシカが出版されているのですね?
日本語訳ですが、原本と微妙にことなるので、下記に引用しておきます。とくに否定句「違う」という単語が用いられていない点は重要かもしれないと思っています。物語の他の箇所では、強い否定句を発言させている場面もありますが、この場面で使っていないのには、それなりの理由があるように思われます。

===
セルム
私は嘘をつきました
これからも
つきつづけます

人間は
汚染にあわせて
身体(からだ)を
つくりかえて
しまった......
でも
それをみんなに伝えて
何になるでしょう
......それに

私の中ではげしく
何かが叫びます
私が見た風景

あなたが案内してくれた
腐海の尽きる所

世界は
よみがえろうと
していました

たとえ
私達の肉体が
その清浄さに
耐えられなくとも
===
| 来生自然 | 2012/07/17 3:02 AM |
来生自然さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
そしてナウシカの訳もどうもありがとうございます。大変参考になります!
| cruasan | 2012/07/22 2:27 AM |
 ナウシカの原作版を知った時に、私はこの物語が現実の私たちの世界を意味していると思いました。セガリア・シッチンの説をご存じでしょうか。それは現在の人類は、アヌンナキという宇宙人によって、遺伝子改造をされて生まれてきた人類であるというお話です。ナウシカを知っているは、恐らくこのナウシカの問題とシュメール文明などの話を結びつけて考察する人はいないと思われてますが、この問題を深く深く考察してゆくと、ナウシカの問題とは、とても大きな問題を扱っているのです。それは現在の私たちが、遺伝子を支配管理する人々の存在を深く追求して全体像が把握できてこそ、その現実の上に、ナウシカの問題が存在していることに気付くのです。
| 異邦人 | 2018/08/19 3:04 PM |
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