地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
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美術の商品化と公共空間: Manuel J. Borja-Villel
約一ヶ月前、バルセロナ現代美術館(Museo de Arte Contemporáneo de Barcelona (MACBA))の館長であるManuel J.Borja-Villelがマドリッドのレイナ・ソフィア美術館( Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofía)の館長に就任するというニュースが流れました。それに伴ったロングインタビューが雑誌に載っていたのでちょっと解説したいと思います。

インタビュー表紙に彼の写真と共に先ずは大きな文字でこうあります。

「私は向こう3年間でレイナソフィア美術館の中に一つの都市を創りたい。」

" Me gustaría crear en tres anos una ciudad dentro del Reina Sofía", Manuel J. Borja-Villel


これを見た時、僕の頭の中に即座に浮かんだのが初期バルセロナ都市戦略の要になった合言葉であり、バルセロナ公共空間プロジェクトの背後にあった思想:「都市の中に都市を創る ( crear la ciudad de ciudades)」でした。

それの意味する所は、都市とは全ての人に開かれるべき場であるという事と、都市を通して人は教育され言論が形成され、一人前の人たりえるというアイデアだったと思います。そしてそれを可能にするのが都市であり、都市の中にある公共空間だというわけです。

啓蒙主義の時代におけるパブリックスペース、つまりハンナ・アーレント( Hannah Arendt)が言った私的でも無く公的でも無い社会的なものが勃興してくる空間。啓蒙主義者であったブルジョア知識階級の家族空間である親密圏から生まれてきた文芸的公共圏と後に新聞によって発達していく事になる政治的公共圏です。

それがサロンでありカフェである事はユルゲン・ハーバーマス( Jurgen Habermas)によって指摘された通りです。バルセロナが「都市の中に都市を創る」と言う時、単なるフィジカルな場としての公共空間を創るというだけでは無く、それを通して「人を創る」と言っているのだと僕は理解しています。

しかしながら近年ハーバーマスも批判しているようにそのような討議的空間である公共空間は商業化と消費社会化に伴って衰退しつつあります。そんな背景もあり、全てが消費対象になり得てしまう現代社会においては、教育こそが唯一の歯止めであるという認識がバルセロナに公共空間の重要性を意識させたのだと思います。

Manuel J. Borja-Villelも同様の問題意識とそれに対する危機感を持っているんですね。彼は現在の美術がナイキなどのブランド品と同じ様に消費の対象に成り下がってしまっている事を嘆いています。そこで引用されているのが何を隠そう日本人。

「今まで見た中で最悪だったのは、日本人のグループがルーブルのモナリザを見る為に10分で美術館をさった姿だった」。

"... el record lo tenia un grupo japonés que entro en el Louvre, vio la Gioconda y a los diez minutos estaba en la calle."


日本が経験した80年代のバブルは一般庶民に海外旅行を身近なものにしました。外国語が出来ない日本人はその勤勉な国民性も手伝って、時間内に効率良く観光をする為にツアーを雇ってグループで行動する事が多いんですね。更に80年代というのは国外では今ほど各家庭に電化製品が出回っておらず、カメラなどは一部の人しか持つ事が出来ない高級品の類でした。一転して日本国内では各家庭に一台は当たり前の時代。飛行機に乗って行く海外旅行ともなればなおの事。カメラを持って行かないという方がおかしいという空気だったと思います。

そんな日本人グループが所かまわずカメラでパシャパシャやる風景はさぞ異様だったろうと想像出来ます。更にその時代、カメラが買えなかった嫉妬も手伝って日本人=カメラを持ったグループ観光=礼儀知らずというネガティブなイメージが付いてしまいました。(最近のデジタルカメラの普及によって分かった事は、あれだけ日本人のカメラ行儀の悪さを批判していたヨーロッパ人だってカメラを持てば同じ事をする、もしくはそれ以下だという事。その批判は嫉妬から来ていたのが証明されてしまったんですね。)

このカメラの存在は美術の商品化に一層拍車をかけているように思えます。美術の商品化と美術館の存在というのは切っても切り離せない関係だと思うんですが、「観光」という新たな産業が勃興し、全ての都市現象がその周りに起こっているように思われるわれわれの時代には、今一度都市の中における美術館の存在を再考する必要があると思います。これがManuel J. Borja-Villelの立ち位置だと思います。

現在、美術館は都市にとって最も集客を期待できる一大エンターテイメント産業に発達しました。そして今、多くの人が美術館を訪れる理由は「そこに行ったという経験が欲しいから」に思えて仕方がありません。そしてそれを証明する為に写真が存在するのです。

このような現象は社会が成熟し、人々が豊かになれば避けられない事なのかもしれません。デヴィッド・ハーヴェイ( David Harvey)はこう言っています。

「文化とアートはエンターテイメント型発展を示す基本的なテーマになった。」その結果、「文化が商品化するのは避けられない」。

" culture and the arts have become a fundamental theme which distinguishes entertainment-enhanced developments". " That culture has become a commodity of some sort is undeniable". David Havey


建築の世界にもそれは押し寄せてきています。

「目立つ建築と文化のアトラクション=観光客増加」Wiltold Rybczynski

" Eye-popping architecture plus cultural attractions equal more tourists". Wiltold Rybczynski


そして都市も自身の発展の為にそれらを利用しているのです。オリオル・ボイガス(Oriol Bohigas)はそんな状況に警鐘を鳴らしています。

「ボイガスは美術館は教育よりもエンターテイメントに従事していると非難している・・・」

"... Oriol Bohigas acusa a los museos de preocuparse mas por distraer que por formar..."


この警告にManuel J. Borja-Villelは大まかに同意を表しています。彼は、美術館は全ての人に開かれるべきであると同時に、美術教育を通しての活発な議論や言論が巻き起こるべきであると考えています。そしてそのような動きは美術館を通してこそ起こるべきだと考えているんですね。

前述したように、都市の中に人々が議論する事が出来る為の公共空間を創り出すというのは初期のバルセロナ再生の中心に置かれた戦略だったんですね。そこで合言葉のように言われていたのが「都市の中に都市を創る」であり、それを実践に移したのがバルセロナ現代文化センターという文化施設だったわけです。

今、Manuel J. Borja-Villelは同じ事を美術館を用いて行おうとしています。それが冒頭で引用した彼の言葉、「美術館の中の都市」だったという訳です。あー、なんて高尚な目標なのだろう。しかも彼が20年勤め社会文化を知り尽くしたバルセロナではなくて、マドリッドで。
| スペイン美術 | 21:25 | comments(2) | trackbacks(2) | このエントリーをはてなブックマークに追加
コメント
連日の登場です。都市の中に都市を作る。すばらしいフレーズだと思う。ただ、僕は都市が都市を生んでいると考えています。そう在るほうが自然だと思う。大きな規範があって、それはあくまでも、目安であって絶対ではなく、いつも振れていて良いと思う。ある意味フレキシブルで、全体の破綻さえ起こさなければ、発展と衰退を許容するような。もしくは、どこか不完全であったり、断片的な種を蒔いて、それをどうするかは、そこに住む住民にまかせたりとか。そうすれば、きっとそこで起こる日常は、脂ぎった、ギトギトとしたリアルな都市となっていく気がする。破綻もするかもしれないけど。予定調和では、つまらなすぎる。
美術館の話だけど、現代においてアートの概念は多様化していて、あえて教育という土台で考えることは、意味をなさいと思う。すでにアートは消費社会の一部で、実際に投資の対象だし。ただ、アートを体系化することは必要だと思う。そう考えれば、それを分かりやすく伝える場所としての美術館は必要だし、ニュートラルな空間を提供してインターフェイスとしての美術館の存在はアーティストならびに観客にとっては、必要不可欠だと思う。それ以外は、美術館は要らないじゃないかな。まあ、大きな使命をもっての活動は、より活発な議論や作品に発展するから良いとは思うけど。そうした、状況を計画的に考えているならもっと素晴らしい。
コメント宜しく!
| プルーデンス | 2008/02/12 11:26 AM |
プルーデンスさん、連日の大変に有意義なコメントありがとうございます。

「ただ、アートを体系化することは必要だと思う。そう考えれば、それを分かりやすく伝える場所としての美術館は必要だし・・・」

Manuel がやろうとしている事は正にコレだと思いますね。今日本を含め世界各地で起こっている問題の一つが何かしらの対象に対して「見る人(眼)の欠如」だと思うんですね。例えば歌舞伎や能などの伝統芸能など。こういうのって、ある程度の知識が無いと全く理解出来ないと思います。そういう知識や物の見方というのは昔は地域社会が教えていた事だったと思います。それが崩れてしまった今、一体誰が教えるのか?どうやって保持していくのか?はその地域の存続に関わる重大な危機だと思うんですね。特に伝統的に地域社会が大きな力を持ってきたヨーロッパにおいてはその危機感は必死だと思います。

それが分野に関わらず、少しでも「都市的なもの」を創り出していこうとしている原動力なのでは無いのか?と思っています。プルーデンスさんが言われているように、それは大きなフレームワークを創り出してそれを基に市民が色を付けていくという方向が一番良いと思うし、バルセロナは実際その方向で進んでいると思います。まだ、それくらいの底力は市民の間で生きている訳ですね。そしてそれを権力側(役所側)も認識し期待もしていると思います。
| cruasan | 2008/02/12 9:57 PM |
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