2007.12.28 Friday
バルセロナ都市戦略:イベント発展型
今日の新聞にバルセロナ都市戦略の新しい方向性が載っていました。と言ってもそれほど目新しい事は無く、今までと同様にイベントベースで行くという事なのですがオリンピックやフォーラムなどに加えて今後は会議と催事も視野に入れていくということです。
本題に入る前にバルセロナ都市戦略イベント発展型というのを少し説明しようと思います。この言葉は僕が今、勝手に作った造語です。歴史的にバルセロナは都市を発展させるために様々なイベントを活用してきました。1888年の万博では、1714年以来続いていたマドリッドによる占領のシンボルであったシウダデェラ要塞を撤去し「都市の肺」としての公園を作る事に成功しました。続く1929年には2度目の万博がモンジュイックの丘で開催され、この辺り全体を整備したんですね。この中にはミースのバルセロナ・パビリオンやドミニク・イ・モンタネールの傑作の一つであるホテルも含まれていました。更にこの計画には裏プログラムがあって、それはバルセロナ市内にそれまで不十分だった街灯、ガス、下水などのインフラを引く事でした。つまりこのイベントを利用してバルセロナ都市インフラ近代化を図ったんですね。これらの事実を指してイグナシ・デ・ソラ・モラレスは「バルセロナ都市戦略の始まり」と言った訳です。
この流れは近年にも続いておりバルセロナモデルとして名高い1992年のオリンピックや2004年のフォーラム2004へと受け継がれていっています。まあ、オリンピックの場合はちょっと文脈が違ってフランコ政権くらいから始めないと本質には辿り着けないと思うのですが・・・
さて、今日発表された新しい都市戦略も当然この文脈に乗っている訳です。というか「乗せたい」というのがバルセロナの欲望なのでしょうね。故にわざわざ「都市戦略」なる言葉を持ち出して誰にでも判るイコンとしようとしている。ココにはこの新しい都市戦略なるモノを新たなるバルセロナモデルにでっち上げようという陰謀がちらちら見えるのは僕だけでしょうか?とはいっても目の付け所はかなり良いといわざるを得ない。
会議や祭事などのイベントは人が多く集まる上にお金を十分に落としていってくれるから都市にとっては「かなりおいしい」お客さんという事になります。この見解に至るまで実はバルセロナは長い時間をかけて実験をしていました。その一つが1年前のエントリで書いた3GSM会議。これは携帯電話に関する世界会議であり世界中から情報と技術が集まります。2007年に行われた3日間だけで約60,000人を集め経済効果は150億ユーロ。この3日間は市内のホテルはほぼ満杯で宿泊費の過剰な値上がりが見られました。
このような国際会議や催事を巧く使えば都市の大きな収益になる事は間違い無いんですね。これらをオリンピックなどの大型イベントと共存させていくというアイデアは大変に秀逸なものであるといわざるを得ないと思います。そしてこれら2つのタイプは共存関係にある。今後考えられるシナリオとしては、都市のある地域を開発したい時にはオリンピック系の大型イベント誘致を図り、都市に賑わいをもたらしつつ収益を効率的に上げようという時には短期型を誘致する。更に大型イベントで開発・建設した大型施設に継続的にプログラムを与えつつ意味を与えるという役割も果たす訳です。美術館や文化センターのような施設というのは、建設費用を集める事は実はあまり難しくないんですね。それよりも問題なのはどんなプログラムを走らせるかというコンテンツとランニングコストのほうなのです。その点、僕が以前勤めていたバルセロナ現代文化センターは大変巧くやっていると思います。
さて、このようなイベント型都市戦略というアイデアが出てきた背景には我々の時代の大変に大きな社会現象が見え隠れしています。それはココで書ききれるものでもないので大枠しか書きませんが、それは観光に対する欲望です。1990年代前半にジョン・アーリが「観光のまなざし」として、そしてハニガンが「フェスティバルシティ」として提出した概念がこれらの都市戦略が成り立つ際のベースになっているわけです。(イグナシは既にアーリもハニガンも1990年代にバルセロナに呼んでいる)つまりイベント型都市戦略のどれも「観光への眼差し」が希薄な場合には成り立たないんですね。
経済と社会そして風景というのは何時の時代も同時に変化していきます。フォーディズムが経済・社会だけでなく、工場の周りに労働者屋を建設する事によって風景を変えたように、もしくは自社の製品が買えるように賃金を設定する事により車が浸透して郊外風景が形成されたように、今、都市における多くの現象が「観光」の周りに展開しているように思われます。スター建築家による美術館ラッシュ、再開発ラッシュ、都市エコロジカルブーム、それらの一帰結であるジェントリフィケーションなどは全て「観光」の文脈の上で語る事が可能なんですね。
バルセロナ都市戦略、もしくはバルセロナモデルの負の面はこの部分にある。特にジェントリフィケーションのようなマーケットが関わってくる場合、それを完全に解決する事なんて出来ないのは明白なので、それを求める事自体、期待過剰なのかもしれない。だからと言ってその側面を全く見ないというのは賛成出来ないし、ましてやそれを隠してモデルとして他都市へと売り込もうなどというのは首を傾げざるを得ない。それを分かった上で、広告と本質を見極めつつ良い所は積極的に見習う姿勢、それこそが僕等に与えられた課題なのでしょうね。
本題に入る前にバルセロナ都市戦略イベント発展型というのを少し説明しようと思います。この言葉は僕が今、勝手に作った造語です。歴史的にバルセロナは都市を発展させるために様々なイベントを活用してきました。1888年の万博では、1714年以来続いていたマドリッドによる占領のシンボルであったシウダデェラ要塞を撤去し「都市の肺」としての公園を作る事に成功しました。続く1929年には2度目の万博がモンジュイックの丘で開催され、この辺り全体を整備したんですね。この中にはミースのバルセロナ・パビリオンやドミニク・イ・モンタネールの傑作の一つであるホテルも含まれていました。更にこの計画には裏プログラムがあって、それはバルセロナ市内にそれまで不十分だった街灯、ガス、下水などのインフラを引く事でした。つまりこのイベントを利用してバルセロナ都市インフラ近代化を図ったんですね。これらの事実を指してイグナシ・デ・ソラ・モラレスは「バルセロナ都市戦略の始まり」と言った訳です。
この流れは近年にも続いておりバルセロナモデルとして名高い1992年のオリンピックや2004年のフォーラム2004へと受け継がれていっています。まあ、オリンピックの場合はちょっと文脈が違ってフランコ政権くらいから始めないと本質には辿り着けないと思うのですが・・・
さて、今日発表された新しい都市戦略も当然この文脈に乗っている訳です。というか「乗せたい」というのがバルセロナの欲望なのでしょうね。故にわざわざ「都市戦略」なる言葉を持ち出して誰にでも判るイコンとしようとしている。ココにはこの新しい都市戦略なるモノを新たなるバルセロナモデルにでっち上げようという陰謀がちらちら見えるのは僕だけでしょうか?とはいっても目の付け所はかなり良いといわざるを得ない。
会議や祭事などのイベントは人が多く集まる上にお金を十分に落としていってくれるから都市にとっては「かなりおいしい」お客さんという事になります。この見解に至るまで実はバルセロナは長い時間をかけて実験をしていました。その一つが1年前のエントリで書いた3GSM会議。これは携帯電話に関する世界会議であり世界中から情報と技術が集まります。2007年に行われた3日間だけで約60,000人を集め経済効果は150億ユーロ。この3日間は市内のホテルはほぼ満杯で宿泊費の過剰な値上がりが見られました。
このような国際会議や催事を巧く使えば都市の大きな収益になる事は間違い無いんですね。これらをオリンピックなどの大型イベントと共存させていくというアイデアは大変に秀逸なものであるといわざるを得ないと思います。そしてこれら2つのタイプは共存関係にある。今後考えられるシナリオとしては、都市のある地域を開発したい時にはオリンピック系の大型イベント誘致を図り、都市に賑わいをもたらしつつ収益を効率的に上げようという時には短期型を誘致する。更に大型イベントで開発・建設した大型施設に継続的にプログラムを与えつつ意味を与えるという役割も果たす訳です。美術館や文化センターのような施設というのは、建設費用を集める事は実はあまり難しくないんですね。それよりも問題なのはどんなプログラムを走らせるかというコンテンツとランニングコストのほうなのです。その点、僕が以前勤めていたバルセロナ現代文化センターは大変巧くやっていると思います。
さて、このようなイベント型都市戦略というアイデアが出てきた背景には我々の時代の大変に大きな社会現象が見え隠れしています。それはココで書ききれるものでもないので大枠しか書きませんが、それは観光に対する欲望です。1990年代前半にジョン・アーリが「観光のまなざし」として、そしてハニガンが「フェスティバルシティ」として提出した概念がこれらの都市戦略が成り立つ際のベースになっているわけです。(イグナシは既にアーリもハニガンも1990年代にバルセロナに呼んでいる)つまりイベント型都市戦略のどれも「観光への眼差し」が希薄な場合には成り立たないんですね。
経済と社会そして風景というのは何時の時代も同時に変化していきます。フォーディズムが経済・社会だけでなく、工場の周りに労働者屋を建設する事によって風景を変えたように、もしくは自社の製品が買えるように賃金を設定する事により車が浸透して郊外風景が形成されたように、今、都市における多くの現象が「観光」の周りに展開しているように思われます。スター建築家による美術館ラッシュ、再開発ラッシュ、都市エコロジカルブーム、それらの一帰結であるジェントリフィケーションなどは全て「観光」の文脈の上で語る事が可能なんですね。
バルセロナ都市戦略、もしくはバルセロナモデルの負の面はこの部分にある。特にジェントリフィケーションのようなマーケットが関わってくる場合、それを完全に解決する事なんて出来ないのは明白なので、それを求める事自体、期待過剰なのかもしれない。だからと言ってその側面を全く見ないというのは賛成出来ないし、ましてやそれを隠してモデルとして他都市へと売り込もうなどというのは首を傾げざるを得ない。それを分かった上で、広告と本質を見極めつつ良い所は積極的に見習う姿勢、それこそが僕等に与えられた課題なのでしょうね。