地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
<< 博士の学位を頂きました:建築家である僕が、コンピュータ・サイエンス学部でPh.Dを取った理由 | TOP | ガウディの影武者だった男、ジュジョールのメトロポール劇場 >>
イグアラーダ(Igualada)にあるエンリック・ミラージェスの建築:イグアラーダの墓地

バルセロナから電車で2時間ほどの所にある小さな町、イグアラーダ(Igualada)に行ってきました。この町はカタルーニャが「スペインのマンチェスター」と言われていた19世紀末頃に繊維工業で栄え、町の至るところには当時の面影を残す工場跡地が幾つも顔を覗かせています(地中海ブログ:パン屋さんのパン窯は何故残っているのか?という問題は、もしかしたらバルセロナの旧工場跡地再生計画を通した都市再活性化と通ずる所があるのかも、とか思ったりして)。

その割に、歴史的中心地区は意外に小さく、幾つかのミュージアムを除いては特に見るものも無し。。。しかしですね、そんなコレといった観光資源もない町に、毎年海外から数多くの建築家達が押し寄せて来るという摩訶不思議な現象が起きているんですね。

何故ならこの町にはカタルーニャが生んだ今世紀を代表する建築家、エンリック・ミラージェスの傑作の一つ、イグアラーダの墓地があるからです。

実は、、、バルセロナに来た当初、エンリック・ミラージャスの建築にはさっぱり興味がありませんでした。勿論、El Croquisなどを通して知ってはいたのですが、なんかクネクネしてるだけだし、「ほ、本当にこれが良い建築なのか?」とかなり疑心暗鬼だったんですね。

そんな僕の疑念を一気に吹き飛ばしてくれた建築こそ、今回訪れたイグアラーダのお墓だったのです。いま思えば当時の僕は、「建築とは何か、社会文化とは何か、建築家とはその社会にとってどういう存在なのか?」といったことが、これっぽっちも分かっていない若造でした。というか、そんなことを考える=「建築をその地域の社会文化の中で考える」というアイデアすら思い付かないほど、何も知らなかったのです。

←スペインの格言で「無知とは最大のアドバンテージだ(Ia ignorancia es una gran ventaja)」というのがありますが、正にそれにピッタリだったと思います。

そんな僕に、建築と社会の繋がりの大切さを教えてくれたのが、エンリック・ミラージェスの建築であり、Oportoを拠点とする建築家、アルヴァロ・シザだったんですね。

いまから15年前、当初はソウト・デ・モウラの建築に興味があって訪れたポルトガルだったのですが(地中海ブログ:エドゥアルド・ソウト・デ・モウラの建築:ポウザーダ・サンタ・マリア・ド・ボウロその2:必要なくなった建築を壊すのではなく、修復してもう一度蘇らせるという選択肢)、「時間が余ってしまった」という消極的な理由から偶々見に行った美術館が素晴らしすぎて、その3日後には「シザの建築をどうしても理解したい」と思うようになり、即決で1年弱Oportoに住み込むことにしちゃいました。

←若い時だからこそ出来たムチャです(笑)。

←その当時は時間は腐るほどあったし、何よりユーロ通貨が導入されたばかりの頃だったので生活費が尋常じゃ無いほど安かったのです(地中海ブログ:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)のインタビュー記事:シザ建築の特徴は一体何処からきたのか?)。

Oportoに住んでいる間、毎日の様にシザの建築を訪れたり、街のいたる所で行われる建築関連のイベントに参加したりと、「書籍からではなく体験から」、建築と社会文化、そしてその社会の中における建築家の役割ということを肌で学ぶ事が出来たのは本当に幸運だったという他ありません(地中海ブログ:アルヴァロ・シザの建築:セラルヴェス現代美術館:人間の想像力/創造力とは)。また日本では「詩的」と評されるデザインばかりが紹介されがちなのですが、ポルトガルというローカルな地域の中でグローバルな建築家がどう評価され、どう受け止められているのかという別の側面を垣間見ることが出来たのは、建築家としての僕のキャリアを形成する上で掛け替えのない財産となったと思います。

それ以来、書籍でしか見たことの無い建築や、自分が住んだことの無い地域の建築を深く語るのはやめることにしました。

建築は社会文化に深く入り込んだ存在であり、その社会文化の表象でもあるので、その建築がその社会の一体何を表しているのか、その文化にとってどんな意味があるのかを理解しないことには、その建築がそこに建っている意味が分からないと思うようになったからです。例えば僕は昔からジャン・ヌーベルの建築が良く分からなくて、結構色んなところで批判もしてきたのですが、「あの「ヌメーとした感覚」は、もしかしたらフランス文化のある側面を表しているのかもしれない、、、」といまはそう思うことが出来るようになりました(地中海ブログ:マドリッド旅行その2:ジャン・ヌーヴェルの建築:国立ソフィア王妃芸術センター)。

そんな僕の眼から見た時、エンリック・ミラージェスの建築は、バルセロナというこの地のもつパワー、ギラギラ照りつける太陽の下、陽気に溢れ返っているこの地の社会文化を的確に表象している、そう断言することが出来ます。彼が意図する・意図しないに関わらず、彼が創る建築はそんな側面を表象してしまう、そんな数少ない建築家の一人なんですね。そう、まさに:

「建築とは、その地域に住んでいる人達が心の中で思い描いていながらも、なかなか形に出来なかったもの、それを一撃のもとに表す行為である」(槇文彦)

注意

このお墓は工業地帯の一角(町の郊外)にあります。駅から歩いて45minくらい、タクシーなら10min程度ですが、人気(ひとけ)があまり無いところなので一人で行くのは絶対に避けましょう。

←スペイン在住16年で、危ない環境に足を踏み入れたら即座に危険センサーが鳴り響く僕ですら、正直ちょっと怖かったです。

←繰り返しますが、出来るだけ大人数で行くことをお勧めします。

さて、タクシーを降りてお墓に到着したら先ず我々を出迎えてくれるのがこの風景:

大自然の中にひっそりと佇むコンクリートの形態達、、、って感じかな。コールテン鋼で創られた軽快なオブジェが、青い空と緑にマッチしています。ダイナミックな形態をしたこのオブジェはミラージェスの十八番。

カタルーニャ内陸部にミラージェス事務所がデザインした小さな図書館があるのですが、その建築に流れる物語のクライマックスに変形可動テーブルを持ってきていることは以前のエントリで詳しく書いた通りです(地中海ブログ:エンリック・ミラージェスとベネデッタ・タリアブーエのパラフォイス図書館:空と大地の狭間にある図書館)。ちなみにスカルパもクエリーニ・スタンパリアで壺による大変特殊な空間体験を持ってきていましたし(地中海ブログ:カルロ・スカルパの建築その2:クエリーニ・スタンパリア:空間の建築家カルロ・スカルパ:ものすごいものを見てしまった)、カステル・ヴェッキオでは、各展示室に置かれた家具が、空間の質を左右する重要な要素として考えられていました(地中海ブログ:カルロ・スカルパの建築その3:カステルヴェッキオ:空間の建築家カルロ・スカルパ:ものすごいものを見てしまったパート2)。

そんなことを思いつつ、いよいよ中へと入っていきます。

これが典型的なヨーロッパのお墓です。我々日本人にとっては非常に印象的な風景だと思います。そう、ヨーロッパのお墓というのは、こんな感じで高層マンションの様になっているんですね。

どうしてこうなっているのかというと、日本では火葬が一般的なのですが、ヨーロッパでは土葬が主流だからです。つまりはそれだけスペースが必要になってくる為、高層化しないと土地が幾らあっても足りなくなってしまうからです。特にカトリック信仰が根強く残っているスペインにおいては、基本的にみんな土葬だったりするんですね。

←なんでかって、カトリックでは「死んだら復活して天国へ行ける」と信じているので、体を焼いちゃったら復活出来ないからです。

←火葬の日本では、死んだ直後に焼いちゃうから、死人はその時点で時間が止まる為、日本の幽霊(お化け)はいつも五体満足で出てきます。

←逆にヨーロッパのお化けは基本的にゾンビです。ヨーロッパでは土の中に体が残っている為、死んでからも時間が経過するので(つまりは腐敗が進む為)、五体満足の状態では出てこれないのです。

埋葬の仕方なのですが、基本的に上の写真の穴一つ分が1家族の埋葬スペースになります。で、この高層マンションタイプが一般庶民用なんだけど、お金持ちのお墓っていうのがコチラ:

ゆったりスペースタイプ(笑)。正に「地獄の沙汰も金次第、、、」と言った感じでしょうか。ちなみに下のお墓はバルセロナ市内にあるイルデフォンソ・セルダのお墓です:

バルセロナの新市街地を創った彼のお墓らしく、セルダブロックがデザインされたオシャレな創り(笑)。また律儀にも、現在の過密状態ではなく、彼が理想とした低密度バージョンになってるww

さて、この建築の最初の見所がコチラかなと思います:

エントランス向かって右手側が斜めに大きくせり出し、その力を受けて少し押されるかのように反対側の形状が凹んでいるんですね。これはコルビジェの影響だと思われますが、ミラージェスのもう一つの傑作、バラニャ市民会館がコルビジェの影響を強く受けていることは以前のエントリで書いた通りです(地中海ブログ:エンリック・ミラージェスの建築:バラニャ市民会館:内部空間編)。

ただ、形態的には確かにコルビジェなんだけど、この強いせり出しによる空間構成とここに流れる空気は、アルヴァロ・シザの教会の膨らみに似ている気がします(地中海ブログ:アルヴァロ・シザの建築:マルコ・デ・カナヴェーゼス教会の知られざる地下空間:真っ白な空間と真っ黒な空間)。

1つのユニットとしての箱(1人用のお墓)がこれだけ沢山並んでいると、それだけである種のリズムを創り出していて爽快です。つまりは同じものを反復することによる美、、、という手法ですね。、、、ここで思い出されるのがミース・パビリオンなのですが、実は僕、バルセロナに来たばかりの頃、バルセロナ・パビリオンの良さがさっぱり理解出来なくて、一ヶ月くらい毎日通い続けたことがありました。

←あまりにも毎日来るものだから、係員のお兄さんが不思議がって、「お前は一体誰だ?」みたいな話になり(笑)、それが縁でミース財団と知り合いになり、一年後にミース財団奨学生にしてもらうことが出来たっていう、嘘のような本当の話(笑)。

その当時は時間だけはあったものだから、本当に毎日通ってて、で、一ヶ月くらい経ったある日、ふと気が付いたのです。

「大判で同じサイズのトラバーチンがあれだけ丁寧に、しかも毅然と並んでいる風景は結構美しいかもしれない、、、」と。

ちなみに僕は奨学生という立場を利用して、バルセロナ・パビリオンの地下に入ったことがあります。

←バルセロナ・パビリオンの再建を請け負ったイグナシ・デ・ソラ・モラレスによると、オリジナルと複製で唯一違うのが「地下空間があるかどうか、、、」という点だそうです(地中海ブログ:バルセロナパビリオン:アントニ・ムンタダスのインスタレーションその1)。

←もう一つちなみに、今年(2016年)はミース・パビリオン再建30周年記念だった関係で様々なイベントが行われていたんだけど、再建当時、このパビリオンの大理石を探す為に世界中を駆けずり回っていた石職人のおじいちゃんのインタビュー記事が地元の新聞に載っていました。

こういう記事が新聞の見開きに大々的に載ること自体、市民全体に「建築」が浸透していることの証でもあると思います。

さて、この建築の構成なのですが、左手には先ほどみたお墓が一直線に並んでいるのに対して、その力を受ける反対側のお墓は、あたかもその静寂さを崩すかのような構成をしているのが分かるかと思います:

3つに区切られたブロック、その真ん中の部分だけを敢えて引っ込ませることによって、画一的になりがちな形態に動きを与えることに成功しているんですね。更にその引っ込んだ部分は、左手側の形態に対応している為、二つの形状の間に連続感すらも獲得しているというオマケ付き。この辺は非常に上手いと思います。

また、この引っ込みによって出来た空間(膨らみ)が、クライマック的空間に到達する一つ手前のクッションとして働き、人の流れに対する「溜まり」を請け負っていることも分かります。そこを抜けると広がっているのがこちら:

じゃーん!大変気持ちの良い、円形広場です。注目すべきはここかな:

空を切り取っていた直線がその端部においてどう終わっているか、、、という点です。そう、建築のデザインにおいて大事なことは、直線そのものではなく、その直線が他の直線とどう交わっているのか、はたまたその直線がその端部でどう終わり、どのように空を切り取っているのか、、、ということなんですね。

それらのことが非常に良く分かる基礎デザインのオンパレード!ミラージェスの建築が輝いているのは、なにもそのグニャグニャ感だからなのではなくて、そのグニャグニャ感を支えている「ちょっとしたデザイン」、その基本をキチンと押さえているからこそ、彼のグニャグニャが活きてくるんですね。そういうデザインの基礎も何も無しにやっているのは、単なる形態遊びでしかありません。

さて、この位置から今辿ってきた道を振り返ってみます:

この位置から見ると明らかなんだけど、エントランス(入り口部分)が狭く、そこから奥に行くに従って末広がりの空間構成になっていることが分かるかと思います。そしてその空間を抜けると広がっているのがこの風景:

一番奥の部分に、人々が溜まることが出来る空間、一番広い空間を持ってきています。この丸い空間を上から見てみます:

床に埋め込まれた木々が非常に良いリズム感を醸し出しています。ここはこのお墓に来た人たちがゆったりと談笑する空間、祖先と向き合う空間として設えられているんですね。ちなみにこのお墓には2000年に急死したミラージェス自身のお墓もあったりするのですが、ミラージェスのお墓の壁には海外から引っ切り無しに訪れる建築ファンのコメントで溢れ返っていました:

それだけこの建築がここを訪れる人達の心を捉えたということだと思います。

一直線に並ぶお墓ブロックの真ん中には上階へと向かう階段が設えられています。

更にもう一段。登りきった所に展開しているのがコチラの風景:

計画されながらも10年以上も放置されている教会堂です。「あー、そうか、、、ここがこの建築のクライマック的空間として計画されたんだな、、、」と、ここまで来て初めて、この建築に流れる物語(ストーリー)の全貌が明らかになりました。

この教会堂には、三つのトップライトから光が存分に降り注ぎ、まるでその光を受け止めるかのように、大きな掌のような形態をした受容器がデザインされています。そしてその表面は意図的にザラザラの装飾が施されているんですね。

これはバロック建築がよくやる手法、真上からの光を受け止め、その光がどのように空間に拡散されていくかを視覚化する装置と一緒です(地中海ブログ:ルイス・カーンのフィリップ・エクセター・アカデミー図書館:もの凄いものを見てしまったパート3:「本を読むとはどういう事か?」と言う根源を考えさせられた空間体験、地中海ブログ:プロヴァンス旅行その5:ル・トロネ修道院の回廊に見る光について)。

この建築を訪れることによって感じること、それは普通のお墓にありがちな辛気臭さだとか、悲壮感などではありません。そうではなく、この空間に溢れているのは喜びであり、楽しさであり、何より心弾む、そんな感覚なんですね。ミラージェスはこのお墓をデザインするにあたり、こんなことを言っています(10以上前に読んだ記事なので一言一句覚えている訳ではありませんが、こんな感じの趣旨だったと思う):

「お墓というのは、故人を悲しく想い偲ぶ場所なのではなく、故人と向き合い再会することによって、みんなで楽しむ場所なのだ」、、、と。

建築は表象文化です。そして建築とは、個人的な感情よりも集団的な価値観を、悲しみよりも喜びを表象するのに大変適した芸術形式です。

このお墓には、この地に生まれ育ちながらも死んでいった人達と再会する喜び、そんな感覚で満ち溢れています。そしてそれこそが、このカタルーニャ、ひいてはスペインという地の社会文化であり、そのことを一撃の元に表しているのがミラージェスという稀代の建築家がデザインした建築だったりするのです。

| 建築 | 01:22 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
コメント
コメントする