地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
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アルヴァロ・シザのセトゥーバル教員養成学校:「ふつう」であることの凄さ
な、なんか先週末くらいから急に40度近い高熱が出てしまい、2日経っても一向に引いていく気配すらなかったので、仕方なく救急センターへ(連休中につき、市内の病院は絶賛お休み中(苦笑))。結論からいうと、疲れ&ストレスによるものだろうということで、「1週間は安静にしていなさい、、、」ということでした。
 
 
 
↑↑↑カタルーニャは先週まで復活祭(イースター)の大型連休で、この地方では伝統的に、豊穣のシンボルである卵の形をしたチョコレートを食べます。
 
正直言って、年度末のこのクソ忙しい時期に休んでる暇などなく、、、「熱下がれ、熱下がれ〜(念)」と内心思いつつも、焦っても熱は一向に下がってはくれないことも分かってはいたので、「こんな時は本でも読むか」と日本から持ってきた書籍をパラパラめくるも、あたまが痛くて全然文章が入ってこず。。。(涙)
 
「じゃあ、溜まってる論文やら原稿でも書くか、、、」と原稿を進めるも、論文って考えながら書かなきゃいけないので、これまたあたまが痛くてなかなか進まず。。。
←「そ、そうだ!京都行こう!
←←いや、違う(笑)。
←←←「そ、そうだ!なにも考えなくていいブログでも書こう」と思い付き(笑)、いまこの原稿を書いています。ほんとブログ記事って、なにも考えなくてもいいから楽ですよねー(笑)。
 
 
(ガリシア美術センター中庭)
という訳で、前回のリスボン滞在記の続きなんだけど(地中海ブログ:タイムアウト(TIMEOUT)誌がリスボンで面白いビジネスを展開している件)、今回のリスボン滞在最大の目玉は、なんと言ってもアルヴァロ・シザの建築訪問にあります。アルヴァロ・シザの建築については当ブログではことある毎に書いてきました(地中海ブログ:ガリシア旅行その8:アルヴァロ・シザの建築:セラルヴェス現代美術館(Museu de Arte Contemporanes, Fundacao de Serralves):人間の想像力/創造力とは、地中海ブログ:ガリシア旅行その6:アルヴァロ・シザの建築:ガリシア美術センター(Centro Gallego de Arte Contemporaneo):複雑な空間構成の中に隠された驚く程シンプルな原理、地中海ブログ:アルヴァロ・シザの建築:ヴィアナ・ド・カステロ図書館(Viana do Castelo)その1:外部空間(アプローチ)について、地中海ブログ:アルヴァロ・シザの建築:アヴェイロ大学図書館(Biblioteca Universidade de Aveiro))。
 
 
(マルコ・デ・カナヴェーゼス教会)
シザ建築について僕がいつも思うことはですね、なんか世間的には彼の代表作って「白い教会(地中海ブログ:アルヴァロ・シザの建築:マルコ・デ・カナヴェーゼス教会の知られざる地下空間:真っ白な空間と真っ黒な空間)」ってことになってるんだけど、僕的にはあれは亜流だと思うんですね。何故なら、シザ建築の3つの特徴が「ダイレクトには見えない」からです。例えば天井操作。
 
 
(マルコ・デ・カナヴェーゼス教会)
シザ建築に欠かせない働きをしているのが天井操作であることはクドイくらい言ってきたことなんだけど、あの教会の天井はツルツル。「特徴がないことが特徴である、、、」と言ってしまえば、まあ、それはそうなのですが、、、
 
では、シザ建築第2の特徴である「パースペクティブ的空間」が見られるかというと、これも「ダイレクトには」見られません。こちらはですね、教壇左右に位置する半円同士が、教壇中央に開いた二つの穴(地階=地獄へと繋がる)へと我々の視線を誘導したり、空間に直接的なパースが付くというよりは寧ろ、左側の壁がこちら側へと迫ってくることなどから、それが「間接的に空間にパースをつけている、、、」と言えなくもない。だから第2の特徴は見えることは見えるんだけど、これも直接的ではありません。
 
 
(セラルヴェス現代美術館エントランス)
というわけで、世間的に言われているように、この教会がシザの代表作か?と言われれば、それは「亜流だけど、、、亜流であるが故に代表作かな、、、と思わないこともないかな、、、」と。
 
、、、いかん、いかん、、、シザを語り出すと熱くなりすぎて、それこそ熱が上がる(苦笑)。
 
そんな中、シザがデザインした「セトゥーバル教員養成学校(Escola Superior de Educacao: Instituto Politecnico de Setubal)」と言われてパッと頭に浮かぶ人、もしくは実際に現地まで見に行った人というのはそう多くはないのではないでしょうか?

もしかしたら、「その存在すら知らない、、、」という人が多いのでは?と思われるんですね。
 
しかしですね、僕の見る限り、シザが1986-1993年に掛けてデザインしたこのセトゥーバル教員養成学校はシザ建築の中でも傑作中の傑作だと思います。というか、個人的には、デザインを学んでいる人、デザインに関わっている人には絶対に一度は見に行って欲しい、そんな建築となっているんですね。
 
そんなわけで、とりあえずいつものように「建築の歩き方」から。
 
 
 
行き方は簡単で、リスボン市内の鉄道駅(僕はSete Rios駅から乗りましたが、Roma-Areeiro駅からでも大丈夫です)からセトゥーバル(Setubal)行きの電車に乗ります。
 
 
 
ちなみにこの電車に乗ると、テージョ川(Rio Tejo)に掛かっている425日橋(Ponte 25 de Abril)を渡ることが出来ちゃいます。電車に乗って揺られること約1時間、セトゥーバルに到着〜。セ、セトゥーバルってポルトガル第4の都市だと思ったけど、、、駅、ちっちゃ!!!
←そのあまりの小ささに軽いショックを受けながらも、そこからローカル線のPralas do Sado A行きに乗り換えて終点(Pralas do Sado A)で降ります。そこまで約5分。
 
 
 
(注意)
上の写真のように目指すべき駅は終点なので電車はこの先には行きません。セトゥーバル駅から終点(Pralas do Sado A)の間には1駅(Praca do Quebedo)しかないのですが、その駅と終点との間くらいに地元民が多く働く工場があるため、そこで一旦電車が止まります。が、、、間違えて、そこで降りてはダメです。そこで降りてしまったら、道無き道を20分近く歩かされることになります。僕は間違えてそこで降りちゃったんだけど、運良く車掌さんが「おいおい、ここは労働者しか降りない駅だから、多分君の行きたいところとは違うよ」と教えてくれました。

←ポルトガル人、優しいー。スペイン人だったら絶対無視するところだな(苦笑)!
 
という訳で、終着駅を降りたそのすぐ目の前に建っているのが今回目指すべき建築、セトゥーバル教員養成学校です。
 
 
 
僕がこの建築を初めて訪れたのはいまから約15年程前のこと、ちょうどポルトに住み始めて半年くらい経った時のことでした。「一度、首都リスボンにでも行ってみるか!」と思い立ち、リスボンに来た次いでにセトゥーバルに立ち寄ったのがその始まりだったんですね。
 
 
 
まあ、正直最初は、かなり軽い気持ちで「一応見ておくか」くらいに考えていたのですが、来てみてビックリ!この建築にはシザ建築の特徴がギッシリと詰まってると言っても過言ではなく、それがデザインの本質にまで昇華しているのを目の当たりにしてしまったからです!
 
 
 
シザ建築をいやという程見てきた僕に、そこまで言わせた圧倒的な風景がこちらです:
 
 
 
多分、当ブログの大方の読者の皆さんは、「。。。」という感じでしょうか(笑)。「こ、これのいったい何がそんなに凄いんだ」、、、と。いやね、この建築のいったいなにが凄いってね、この圧倒的な普通っぽさなんですよ。上の写真は真正面から見た全体像なんだけど、なんの変哲も無い、ごくごく普通の建築でしょ?
←「じゃあ、普通ってなんなの?」とかいうメタ議論はいまは無しでお願いします(笑)。
 
 
 
基本的な形態は、コの字型の建物が二層に積み上げられ、芝生で覆われた中庭と庇が突き出た屋根部分とを隔てる列柱群がリズミカルにコの字を描いている、、、というただそれだけの構成です。
 
 
 
ローマとか行くと頻繁に目にしそうな構成なんだけど、この建築とローマのそれ(完璧な調和)とを大きく分け隔てているのがこちら:
 
 
 
正面から見て左手前側なんだけど、そこに「ガクン」と一段だけ下がっているところがあるんですね。で、そこを支えている柱だけがV字型になっている。これはあたかも2つの柱が「寄り添い合っているかのような」、そんな表現を取っているんですね。
 
 
 
そう、この部分がこの建築の全てです。この部分があるのと無いのとでは大違い。このわずかな差が多大なる差異を生み出しているのです。
 
 
 
僕がこの建築から学んだこと、それは「建築のデザインってこれくらい静かでいいんだ」ということなんですね。で、これを遂行するのは言うほど簡単なことではありません。
 
これくらいの規模の建築を設計出来ることになると、みんな気負ってしまって、「あれもやりたい!」、「これもやりたい!」と色んなものを詰め込み過ぎてしまったり、一つのアイデアに絞ったはいいけど(一つの建築に一つのアイデアは鉄則)、それがいかにも大げさでいやらしく、もしくは生々しく見えてしまったりするものなんですね。
 
しかしですね、アルヴァロ・シザという建築家の凄いところは、彼が創造する建築はどれもが本当に普通なのです。一見、知らなければ通り過ぎてしまうくらい、それくらい普通に存在し、そういう建築がポルトやリスボンの街角を構成している。それが彼の建築の真骨頂なのです。
 
 
(ブラガンサの集合住宅)
その建築の前を通り過ぎようとした時に、「あれ、ちょっと待てよ」と少し振り返ってみる。「あの庇、ちょっと面白いよな」とよく見てみる。そうするとちょっと違うことに気がつく。そのうちだんだん、「あそこも、あそこも」とデザインの物語の連鎖が始まる。いつの間にかデザインを読むことに夢中になっている自分に気が付く(地中海ブログ:三谷幸喜が見せた静のデザイン:cruasanの古畑任三郎論
 
これが僕が思うデザインの本質であり、日本の伝統的な美の意識だと思います。
 
 
(チアド地区改修)
……昔、僕に建築デザインの基礎を教えてくれた先生が、「cruasan君ね、シーランチみたいな建築って解る?」と言われたことがありました。「私はねー、将来はムーアのシーランチみたいな建築が創り出したいと常々思ってるんだよ、ハハハ」とか言われてて、というのも、彼は以前アメリカの大学で教えていた時に(←日本人ですが)、チャールズ・ムーアと同僚だったらしく(←まあ、いろんな意味で日本人離れした人なのです)、シーランチを何度も見に行かれたそうなんですね。で、その彼曰く、「シーランチは非常に静かで、そして普通」だったんだとか。あの時はよくわからなかったけど、いまなら彼が言おうとしていたことも、それなりに理解出来る様な気がします。
 
 
(教会近辺の改修)
さて、上にも少し書いたのですが、シザ建築には3つの特徴があります。天井操作、パースペクティブ的空間、そして物語空間です(知らない人はこちら:地中海ブログ:ガリシア旅行その7:アルヴァロ・シザの建築:ポルト大学建築学部:外内部空間に展開する遠近法的空間と、その物語について)。さらに、シザは幼少期のトラウマから、建築を外に開くのではなく、敢えて内に開く建築を創ることを志してきた、、、とインタビューで語っています(地中海ブログ:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)のインタビュー記事:シザ建築の特徴は一体何処からきたのか?)。そう、このセトゥーバル教員養成学校も、実はそんな内に閉じた建築シリーズの一つ、しかも最初期のものと考えることが出来ると思います。
 
 
(ポルト大学離れ)
確かにこの「内に開くシリーズ」は、ケネス・フランプトンが既に指摘していて(でも彼は、なぜシザがそうする様になったのか?までは明らかにしていません。僕の知る限り、上に訳したインタビューはシザが自身の建築のアイデンティティの在りかを語った非常に貴重なものの一つとなっています。グッジョブ、El Pais紙!)。フランプトンは、それが最初に見られるのは「ポルト大学の離れ」だと主張しています。また確かに、「離れ」の場合には、コの字が少し内側に倒れかかっていて、内向き志向をより鮮明に打ち出していると読み取ることが可能。
 
その反面、セトゥーバル教員養成学校で僕が興味を持ったのがこちらです:
 
 
 
この2本の柱がV字になって寄り添う様に建っているところなんですね。さっき見た右手側の柱から始まって、全てが均等にまっすぐに並んでいるのに、ここだけ、そして最後だけガクンと落ちた上に、その柱が2本寄り添っている、、、物語的に言えば、ここが明らかにクライマックス的空間ということになります。
 
 
 
建築のデザインにおいてリズミカルというのは非常に重要なキーワードだったりします。このことを理解するのに一番良いのはキン肉マンのオープニングかなー(笑)。
 
 
 
サビの部分に注目:
わたしは、ドジで、強い、つもり、キン肉マン〜♪♪♪
走る、すべる、みごとに転ぶ〜♪♪♪
 
最初のクール(前半部分)で「わたしは、ドジで、強い、つもり、キン肉マン〜」とあった後、「走る、すべる、、、」と同じリズムで繰り返されることから、我々の脳は「あ、これは前回と同じリズム(4つの部分)で来るんだな!」と思わされるのですが、後半部分では「見事に転ぶ」と、二つの部分が一つになっていることから、後半には3部分しかなくなっていて、その部分がクライマックスになるようにリズムを付けている訳ですよ。
 
 
 
シザがここで行っていることも基本的にはキン肉マンのオープニングと全く一緒。
 
右手側から始まった列柱のリズムが建物のコの字と共にグルッと一周するにつれてリズミカルに発展していきます。で、ルネサンス建築のように完璧な調和を保ちつつ最後までいくのかな、、、と思いきや、最後の最後だけ列柱のリズムを少し変えてやることによって、見事にこの部分にクライマック的な役割を担わせているのです。
 
 
 
しかもそれが大げさではなく、非常にさりげなく、そして爽やかに行われている。シザの差異化の巧さのなせる業です。
 
 
(ボア・ノヴァのティーハウス&レストラン)
、、、また昔話しになってしまうのですが、以前、僕の先生と話していた時、東京体育館のデザインの話になり、「あのデザインの発端は、あたかも二枚の葉っぱが寄り添う様に、重なり合う様に、そんなところから始めたんだよ」と言われていました。この2本の柱を見ていたら、そんな昔話を思い出しちゃったなー(地中海ブログ:エンリック・ミラージェス(Enric Miralles)の建築その3:バラニャ市民会館(Centro Civico de Hostalets de Balenya)に見る建築の質:実際に建築を訪れる事の大切さ)。
 

(レサのスイミングプール)
何度も言いますが、やっぱりこのアルヴァロ・シザという建築家は他の建築家とは明らかに違うものを目指している気がします。なにか、こう、人間のもっと奥深くにある、我々の生の本質というか、そういう大きなものを建築を通して表現しているんじゃないか、、、とそう思わずにはいられません。
 
もしくは彼はそんなことは全く考えていないのかもしれない。しかし、知らず知らずのうちに、そのような「共同体の内なる心の声」を可視化してしまう行為、それが具現化出来てしまう人のことを我々は建築家と呼んできたはずです。そう、まさに:
 
「建築とは、その地域に住んでいる人達が心の中で思い描いていながらも、なかなか形に出来なかったもの、それを一撃のもとに表す行為である」(槇文彦)
 
今回も素晴らしい建築体験でした。
| 旅行記:建築 | 16:57 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
コメント
しばらくぶりです、このセトゥーバルの学校、僕は行けてないんですよー!何たる不覚!ポルトガルは今まで3回も行っているのに!このブログを読んでめっちゃ行きたくなったので、次回は必ずいきます。
| もりかず | 2016/04/09 12:42 AM |
もりかずさん、こんにちは。コメントありがとうございます。

セトゥーバルは、シザ建築の中でも僕は大好きな作品の一つです。ポルトに住んでる時(20代前半)に初めて見に行ったのですが、建築家としての多感な時期に見ることが出来たという幸運と共に、その頃のノスタルジックな思いが蘇ってきたりして、個人的にはかなり感慨深いです。

ただ、リスボンから若干離れていること、行き方が結構複雑で、ある場所もちょっと郊外の、どちらかというと「危険なエリア」に位置しているので、行かれる際は十分に気を付けて訪れてください。でも、きっと感動されること間違いなしです!
| cruasan | 2016/04/09 5:56 PM |
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