地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
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バルセロナ・オープンハウス2015:オープンハウスとオープンデータ:今年のテーマはジュジョールでした。
今週末(10月24日、25日)バルセロナでは市内に点在する200近くの建物が一般公開されるイベント、48H OPEN HOUSE BCN2015が行われていました。

←バルセロナで行われた過去のオープンハウスについてはコチラ(地中海ブログ:バルセロナ・オープンハウス2013:その地域に建つ建築(情報)をオープンにしていくということ、地中海ブログ:オープンハウス in バルセロナ(48 OPEN HOUSE BCN)その3:ホセ・ルイ・セルト(Josep Lluis Sert)のパリ万博スペイン共和国館、地中海ブログ:出版界の大手、グスタボ・ジリ(Editorial Gustavo Gili)社屋のオープンハウスその2:カタルーニャにおける近代建築の傑作などなど)。



6年前から始まったこのイベント、もう既にこの時期の風物詩になったと言っても過言ではなく、今年は5万人にも上る参加者が普段は入る事が出来ない個人住宅や、普段は一般入場が制限されている公共建築などを楽しんだということです。



オープンハウスと言えば、シカゴ郊外のオークパーク(フランク・ロイド・ライトのお膝元)で毎年7月に行われる催し(ライトの自邸やスタジオ、更には彼が設計した一般住宅などが無料公開されるイベント)や、毎年9月中旬の週末にロンドン市内全域を巻き込んだロンドン・オープンハウスなどが世界的に知られていると思うのですが、バルセロナのオープンハウスでは毎年テーマが決められ、特定の建築家にフォーカスしつつ数々のイベントが同時並行で開催されるという体制をとっているんですね。



そんな中、今年のオープンハウスのテーマはずばり、ガウディの影武者だった男、ジュジョール!で、出たー!バルセロナの伝家の宝刀、ジュゼップ・マリア・ジュジョール!!(地中海ブログ:オープンハウス in バルセロナ(48 OPEN HOUSE BCN):ジュゼップ・マリア・ジュジョール(Josep Maria Jujol)のプラネイス邸(Casa Planells))。



上述のプラネイス邸に加え、今年はカタランボールトの特徴をふんだんに使ったジュジョール学校(Escola Josep Maria Jujol)や、ジュジョールが改修に関わったとされるピ教会(Santa Maria del Pi)の鐘塔などが公開されるという、ジュジョール・マニアにとっては嬉しい限りのイベントに。



更に更に、ジュジョール作品が数多く残るSant Joan Despi町の全面的な協力で、この町に点在しながらも普段は入る事が出来なくなっている個人邸宅や、教会なども公開されていたんですね。



基本的にケチな僕は、「この機を逃す手はない!」ということで、ちゃっかり複数のツアーに参加(笑)。様々なジュジョール体験をしてきちゃいました。 ←っていうか、このツアーに参加しないと見る事が出来ない教会や個人住宅が多かったのです!



今回見る事が出来たジュジョール作品については、また今度機会を改めて書こうと思っているのですが、今年のオープンハウスで非常に面白かったのがこちらです:



じゃーん!分かる人にはシルエットだけで分かるかもしれませんが、ピカソ美術館の直ぐ裏に建っているSanta Maria del Mar教会の屋上テラスです。



普段は絶対に立ち入る事が出来ない教会の屋上に昇っちゃおうという好企画!この教会のシンボルとも言える大きな大きなステンドグラスが嵌っている部分を真近で見る事が出来るなど、この企画は本当に素晴らしかった!



1934年、コルビジェがセルトの招きでバルセロナを訪れた際、この教会のデザインに感銘を受けたという記録が残っているSanta Maria del Mar教会なのですが、中世には「海の教会」とも謳われたほどの名教会の屋上テラスから見る旧市街の風景は別格(地中海ブログ:パリ旅行その6:大小2つの螺旋状空間が展開する見事な住宅建築:サヴォワ邸(Villa Savoye, Le Corbusier)その1:全体の空間構成について)。



ヴォールトの詳細などが「これでもか!」と迫ってくる感じが教会マニアの僕には堪らない(笑)。そしてもう一つ:



ジュジョールが改修に関わったとされているピ教会(Santa Maria del Pi)の屋上テラスです。



Santa Maria del Mar教会に比べ、ピ教会の方が背が高く、またランブラス通りに面していることなどから、バルセロナ現代美術館を始め、旧市街地の細い路地や大聖堂、更にはサグラダファミリアなんかも見通せて、非常に面白い体験でした(地中海ブログ:まるで森林の中に居るかの様な建築:サグラダファミリアの内部空間)。



そしてこれら「上空からの体験」と対になるかのような企画、それが「地の底からの体験」なんですね。それがこちら:

 

じゃーん!バルセロナの観光名所の一つ、七色の水飛沫をあげて観光客を楽しませてくれるスペイン広場にある噴水なのですが、「この噴水がどうやって色を変えるのか、どうやって噴水の水を管理しているのか?」という、その裏側のシステムを「噴水の下から見せてくれる」という企画です。



噴水の直ぐ横にある小さなエントランスを入っていくと、旧式のコンピューターがぎっしりと並んでいるコントロールルームへと導かれます。なんか素晴らしくレトロフューチャーっぽいなー(地中海ブログ:リアル・ドラゴンボールっぽい、ブリュッセル万博(1958年)の置き土産、アトミウム(Atomium))。



そしてこちらが上の噴水の色を自由自在に変えているシステムの正体です。色の付いた巨大な箱が幾つも重なり、それらが回転することによって色を変幻自在に変えているんだそうです。



ガイドの説明によると、水の形と色の組み合わせは7000種類を超えるのだとか。へぇー、へぇー、へぇー!



その他にもセルト設計のミロ美術館に行ったり、その合間にバルセロナで一番美味しいと評判のイタリアン、その姉妹店(モンジュイックの丘)でマルガリータを頬張ったりと、今回も存分に楽しませてもらったオープンハウスなんだけど、それらの建築を訪れるにつけ幾つか思った事がありました。



と言うのもですね、最近僕は日本政府や日本の自治体が進めている「オープンデータ」という潮流に関わる機会があったりして、「公共セクターが持っている各種データをオープンにする」という流れに非常に敏感になっているからです(地中海ブログ:スマートシティとオープンデータ:データ活用によるまちづくりのイノベーション(横浜)シンポジウム大成功!)。



建築というのはその地域に住む人たちの共通の財産であり、後世に残していくべき共同の記憶である為に、それをより良い形でオープンにしていくことは、シビックプライドの形成を通して民主主義を推し進めていく上で非常に重要なプロセスだと思っています。その辺のことについては以前のエントリで書いた通りです(地中海ブログ:バルセロナ・オープンハウス2013:その地域に建つ建築(情報)をオープンにしていくということ)。

オープンデータの文脈におけるオープンハウス、そしてオープンアーキテクチャーの意義については上のリンクを参照してもらうとして、今日は「この様なイベントがどのように運営されているか?」という、マネジメントサイドの観点から少し書いてみようと思います。



当ブログの読者の皆さんにはもう既に馴染み深いことだとは思うのですが、バルセロナという都市は大型イベントを誘致することによって都市を大々的に発展させてきたという歴史があります(地中海ブログ:バルセロナのイベント発展型都市戦略とGSMA2010(Mobile World Congress 2010))。この手法は「(ある種の)バルセロナモデル」と呼ばれていたりして、欧米では最大限の成功事例として頻繁に取り上げられていることも、繰り返し書いてきた通りです(地中海ブログ:バルセロナ都市戦略:イベント発展型、地中海ブログ:バルセロナの新たなる都市戦略:ビルバオから学ぶバルセロナ都市圏再生の曙)。



その一方で、それらオリンピックが一体どうやって運営されていたのか、もっと具体的に言うと、「何故バルセロナオリンピックは成功したのか?」について語られることは今まであまりなかったのでは?と思うんですね(地中海ブログ:何故バルセロナオリンピックは成功したのか?:まとめ)。



それは何も、日本という文脈に即して見た時だけなのではなく、世界的に見てもそこまで突っ込んだ議論をしている論文、論客は非常に稀だと思います。



それでは現地(バルセロナ)ではどうなのか?、、、確かに何人か顔が浮かびますが、うーん、、、という状況かな、、、と。という訳で「何故バルセロナオリンピックは成功したのか?」という論題にフォーカスしたのは、当ブログ記事が初めてだったのでは、、、とか思う訳ですよ(笑)。

僕の見るところによると、バルセロナオリンピックが成功した理由、それはボランティアの力が大きかったのではと思っています。



そう、オリンピックのような大型イベントは、公的資金だけでやりくりするのは非常に難しく、それ以上に重要なのが現地でのサポートや、それらを支える市民意識だったりするんですね。市民にやる気があるのと無いのとでは大違い!そうすると、次の様な疑問が浮かんできます:

「何故バルセロナオリンピックでは市民が一体となってオリンピックを成功させようという気になったのか?」、、、と。



それはバルセロナの置かれた非常に複雑な歴史的な文脈を考慮する必要があって、1975年までフランコ政権にいじめられ続けてきたバルセロナがその呪縛から解放され、ヨーロッパに打って出ようという時に舞い込んできたイベント、それがオリンピックという晴れの舞台だったということが大きいかな。
←まあ、勝手に舞い込んできた訳ではなくて、それを無理やり引き寄せたんですが、、、(地中海ブログ:国際オリンピック委員会(IOC)前会長のフアン・アントニオ・サマランチ(Juan Antonio Samaranch)氏死去)。



と言う訳でバルセロナオリンピック時になぜ沢山のボランティアの手が借りられたのかという答えの一つは、「当時のバルセロナが一つの国として高揚しようとしている時期と重なっていた」ということが挙げられ、「日本の高度経済成長期と同じような空気が蔓延していたから」ということが出来るかと思います。



しかしですね、その一方で、「ここバルセロナには、なにかしらボランティア精神みたいなものが昔から根付いていたんじゃないのか、、、」と、最近そう思うようになってきました。



そう思うようになってきたキッカケの一つが、何を隠そう数年前から毎年参加しているこのオープンハウスというイベントだったりするんですね。



知り合いが主催者なのでバルセロナがオープンハウスを始めた当初から内部事情はよく知っているのですが、このイベントにはなんと2日間で1200人以上のボランティアが参加し、それらボランティアによってこのイベントは成り立っています。



そしてボランティアなので、勿論「無償」です。では、何故ボランティアはこのイベントに参加するのか?



これに答えることは非常に難しいと言わざるを得ないんだけど、何人かのボランティアにインタビューしてみたところ、皆一様に口を揃えて言う事は、「この街の建築が好きだから、この街が好きだから」ということでした。



シンプルかつ単純、、、だけど多分これがキーポイントだと思います。



オープンハウスに限らず、この様な大型イベントを成功させる鍵、それはその街に住む人たちの街への愛着、建築への愛着にあるのだと思います。



そしてそのようなシビックプライドは短期間で育つものではなく、非常に長い年月を掛けて育つものであり、その基礎になるのは生まれた時から変わることの無い風景、自分と共に育ってきた街角や記憶といったものと共に成長するということを、僕はスペイン北部に存在する小さな村から学びました(地中海ブログ:ガリシア地方で過ごすバカンス:田舎に滞在する事を通して学ぶ事、地中海ブログ:レセップス広場改修工事(Remodelacion de la Plaza Lesseps)に見るバルセロナモデル(Barcelona Model)の本質、地中海ブログ:パン屋さんのパン窯は何故残っているのか?という問題は、もしかしたらバルセロナの旧工場跡地再生計画を通した都市再活性化と通ずる所があるのかも、とか思ったりして)。



今回のオープンハウス、そしてそれに伴うマネジメント、さらにはそれを支えるボランティアの存在とその動機は、「2020年にオリンピックを控えている我々日本人にとっても大変示唆的だよなー」とか思いながら、今年も素晴らしい2日間が過ぎていきました。
| 建築 | 17:34 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
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