地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
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リアル・ドラゴンボールっぽい、ブリュッセル万博(1958年)の置き土産、アトミウム(Atomium)
今週はブリュッセルに来ています。
←バルセロナのスマートシティ政策に関する講演会(レクチャー)を欧州委員会関連で頼まれたので。



EUプロジェクトの関係などから、ボストンへ行く前は毎月一回、ひどい時になると1ヶ月に3回くらい来てたブリュッセルなんだけど(地中海ブログ:EUプロジェクト交通分野説明会2010、地中海ブログ:2010年、今年最初のブリュッセル出張その2:バイリンガルを通り越してトリリンガルになる日本人達:なんちゃってトリリンガルが変えるかもしれないヨーロッパの風景、地中海ブログ:ブリュッセル出張:Infoday 2010:バルセロナ空港管制官の仮病騒動とか)、この街を訪れるのは実に1年ぶりだと言うことが先程判明!まあ、1年も経つと見慣れていた風景が色々と変わっていたり、知らないレストランが続々とオープンしていたりと、久しぶりのブリュッセルの街並の変化を楽しんでいたりします。



今回僕が行ったプレゼンテーションやその内容などについては、また別の機会にゆっくりと書いていこうかなと思ってるんだけど、一言だけコメントしておくと、今回一緒になった登壇者の中で、「ほぉー、これは!」と僕に思われてくれる興味深い取り組みをしていたのは(やはり)横浜市でした。
←知ってる人は知ってるかもしれないけど、「横浜市のスマートシティへの取り組み」って欧州におけるスマートシティ賞を結構受賞してたりするんですね。ちなみにこの分野で主導権を握ろうと、バルセロナが3年程前に作った「スマートシティ国際会議」第一回目のキースピーカーとして招かれたのが(僕がMITで所属しているラボの所長)Carloさん(スマートシティの世界的権威)であり、彼にオープニング・スピーチをしてもらう事でこの会議に権威付けを行うという戦略をバルセロナが敷いていた事は以前のエントリで書いた通りです(地中海ブログ:バルセロナのバス路線変更プロジェクト担当してたけど、何か質問ある?バルセロナの都市形態を最大限活かした都市モビリティ計画、地中海ブログ:スマートシティ国際会議(Smart City Expo: World Congress)に出席して思った事その1:バルセロナ国際見本市会場(Fira Barcelona)の印象)。ちなみに、今年京都で行われたスマートシティ国際会議も全く同じ路線を敷いていて、Carloさんをスピーカーに招いていました←その件でカルロには日本へ行く前に、京都について、はたまた日本のスマートシティに関する取り組みについて散々質問されたりしました(苦笑)。もう1つちなみに、その第一回会議で世界スマートシティ大賞に輝いたのが何を隠そう横浜市の取り組みだったりします。



レクチャーの翌日は、地元ブリュッセルのICT関連の研究者が「どうしても意見交換したいのですが‥‥」とメールを送ってきてくれていたので、朝からお昼までは市内でミーティング三昧。帰りの飛行機が結構遅い時間だったので、ミーティングが終わってから空港へ向かうまでの時間を利用して、ちょっとした観光をしてきました。まあ、とは言っても、ブリュッセルは今までに何十回も来てるし、「主要な観光地は殆ど廻ったからなー」とか思いつつ、地図を見ていたら一カ所行っていない所を発見!な、なんとあろう事か、ブリュッセルで最も観光客を惹き付けているモニュメントの一つ、アトミウムに行っていない事に気が付いてしまったのです!



1958年にブリュッセルで開催された万国博覧会のシンボルとして創られたこのアトミウムは直径18メートルの9個の球体とそれらを繋ぐ12の辺で構成されています。この形状は鉄の結晶構造(体心立方格子構造)を表しているらしく、モニュメントの高さは103メートルにも及び、実際の鉄の結晶構造を1650億倍に拡大したものなんだとか。ヘェー、ヘェー、ヘェー。2004年にリフォームの為に一旦閉館し、再び開館したが2006年。それ以来、小便小僧と並び、ブリュッセルを代表するモニュメントとしての地位を確立しているんですね。「こんな魅力的なモニュメントを訪れて無いとは建築家の恥!」という訳で早速行ってきました。

いつもならここで、この建築へのアクセスの仕方=「建築の歩き方」から始めるんだけど、この建築には市内から地下鉄で簡単にアクセス出来る為、今回は「必要無し」と判断。最寄り駅は地下鉄のHeysel駅。駅を降りて地下鉄構内を出ると広がっているのがこの風景です:



じゃーん!木々の間から垣間見える巨大なボールと、それらを繋ぐ鉄の棒が創り出す風景は、正に「非現実的」という言葉が相応しいかと思います。



このアトミウムは理科室に置いてある模型を巨大化した様な、そんな大変奇妙な感覚を僕に生じさせます。ちなみに、バルセロナの山手側、セルトが手掛けたパリ万博のスペイン館(1937年)の真ん前にマッチ棒を巨大化したアート作品があるんだけど(地中海ブログ:オープンハウス in バルセロナ(48 OPEN HOUSE BCN)その3:ホセ・ルイ・セルト(Josep Lluis Sert)のパリ万博スペイン共和国館)、これはオールデンバーグとバン・ブルッゲンによる彫刻作品で、コンセプトとしては、アメリカのポップアートの一潮流であった「我々が普段見慣れている日常生活品を巨大化する事」によって、我々の意識下に浸透している潜在意識の意味を問うと言う、そんな大層なモノだったりします(笑)。



そんな事を思いつつ、どんどん近づいて行ってみます:



足下まできました。か、かなりデカイ。で、見上げるとこの風景:



うーん、巨大な銀色のボールが9つ。正にリアル・ドラゴンボール(笑)。7つじゃなくて9つだけど‥‥。僕が訪れた時は微妙に空が曇ってて、巨大なボールが空中に浮いているという超非現実的な風景の中、「い、いでよシェンロン!」とか唱えたら、本当に龍が出てきそうな雰囲気でした(笑)。



とまあ、冗談はこれくらいにして、イヨイヨ中に入って行ってみます。ちなみに入場料は11ユーロ!「た、たかい!!」‥‥とブツブツ文句を言いながらも入場料を支払いエントランスを潜ると、ベルギーで絶大な人気を誇る冒険漫画の主人公、タンタン(TINTIN)が出迎えてくれ、彼と一緒に強制的に写真を撮らされるんですね(タンタンについてはコチラ:地中海ブログ:クリスチャン・ド・ポルザンパルク(Christian de Portzamparc)のエルジェ美術館(Musee Herge)はなかなか良かった)。



←後に判明するのですが、この写真、出口で10€くらいで売ってました←結構セコイ商売してるなー(苦笑)。

さて、僕が非常に感心したのがこの建築の巡回方法です。←職業柄、建築や美術館の中で人がどう動くか?という事についつい眼が行ってしまうのです(地中海ブログ:ウィーン旅行その9:シェーンブルン宮殿(Schloss Schonbrunn)のオーディオガイドに見る最も進んだ観光システム/無意識下による人の流れのコントロール)。



エントランスを入った直ぐの所にはエレベーターが設置されていて、先ずは強制的に最上階まで運ばれます。で、このエレベーター、天井がガラス張りになっていて、そこからチューブ内の構造が見えるんだけど、これがカッコイイんだな!



上の写真がエレベーターが止まってる所。当時使われていたチューブ内の構造がありありと見えるんだけど、こんな風景滅多に見えるものじゃあありません。更に更に、エレベーターが動き出すともっと凄いんです!



じゃーん!こんな感じで気分は正に60年代にタイムスリップ!!こんな風景を楽しんでいると30秒ほどで屋上に到着〜。



屋上はブリュッセルが一望出来る展望台になっています。更にそこから階段で上がっていくと(お約束通り)レストランになっているんですね。



こちらも当時の構造体を露出させ、現代的な材料やデザインと上手く組み合わせる事によって大変独特な雰囲気を醸し出しているのが分かります。



更にその上階には特別席(?)みたいなのがあって、まるでスタートレックに登場した船内を思わせるかの様な風景になっています。で、ここを見終わると先程のエレベーターに乗せられ、再び一階へ。



ここからはエスカレーターと階段を使って1つ1つ球体の中を移動していく事になるんだけど、このエスカレーターのデザインがコレ又レトロな感じで最高でした。



1つ1つのボールの中にはそれぞれのテーマが設定されていて、それに関するちょっとした展示が企画されています。例えばこちらはブリュッセル万国博覧会が開かれた当時(1958年)の様子を写真や映像で伝えるコーナー。その当時、科学技術が「如何にバラ色の未来を約束するものだったか?」、「如何に人々に夢と希望を与えるものだったか?」という事がビシビシ伝わってくる内容となっています。そしてまた別の通路へ。



この通路も素晴らしくレトロ・フューチャー!!全ての球体を見終わり下階へ降りて行く時はエスカレーターを使う事になるんだけど、そこが一番凄かった!



映像と音を駆使して、我々を過去へとタイムスリップさせてくれるんですね。



‥‥万国博覧会というのは元々ヨーロッパ帝国主義のプロパガンダ装置、つまりは「国家の広告」として発明され発展してきたが故に、会場に設置されたモニュメントや展示物を通して常にその時代時代の国家、産業、そして大衆との関係を表し続けてきたという歴史があります。史上初の万博であった1851年のロンドン万博では、その当時の技術の粋をつぎ込んだクリスタルパレスが生まれ、1899年のパリ万博ではエッフェル塔が発明され、更に1967年のモントリオール万博ではフライ・オットーのネット構造物が生まれたりしています。

つまり万博というのはその構造物と、その構造物の「物理的なサイズ」によって、その国家の技術と経済力の一大プレゼンテーションとして機能してきた訳なのです。

この様な状況(つまりは万博の為に建設されたモニュメントが担う機能)に変化が現れ初めたのが1964年のニューヨーク万博。この万博では、会場構成を担当したのがディズー社であり、その会場や風景は「技術が生み出すバラ色の世界」というよりは寧ろ、遊園地やテーマパークと言った様相を呈していたのです。その後、1968年にパリ革命が起こり権威の失墜が始まります。更には1970年の大阪万博では、国家のアンチである筈の前衛芸術家が国家に利用され始めるという逆転現象が起こり始め‥‥という様に続いていくんだけど、この話をし出すと長くなるので又今度。

簡単に要約すると、ある時期までは万博というのはその国における最新テクノロジーとその国の威信を掛けた世界最先端のものを展示する祭典だったんだけど、ある時期を境に巨大なテーマパークの様なものに変わっていきました。その背景にあるのは、我々が以前の様には「科学の進歩の力を信じられなくなった」という事が挙げられると思います。つまりは「21世紀になったら車は空を飛んだり透明チューブの中を走ったり、はたまた宇宙旅行が当たり前で、人類は宇宙ステーションに住んで地球の人口増加は解決されたり‥‥」と言った様な「科学技術がもたらしてくれる夢の未来、明るいバラ色の未来は来ない」という事をいつの間にか悟ってしまった訳なんですね。



それらを背景として近年起こってきている事‥‥それは現代の世の中に希望を見い出せなくなった世代が「バラ色の未来を夢見ていた過去に強い憧れを見い出す」という逆転現象なのです。もっと簡単に言っちゃうと、「明るい未来を想像し、夢を見ていた過去は良かったよなー」みたいな、そんな感覚なのです。

近年日本の社会で起こっている諸現象は、この様な「ロストフューチャー論」で結構説明出来て、例えば去年大旋風を引き起こした「あまちゃん」なんかは、日本が圧倒的に輝いていた80年代のアイドル映像などを取り混ぜながら、それらを大変巧妙に物語に組み込んだ事によって成功した事例だと、僕は思っています(地中海ブログ:多度大社から歩いて3分の所にある皇室御用達の鯉料理の老舗、大黒屋)。



ブリュッセル万博(1958年)のシンボルとして建設された今回のアトミウムは、明らかにこの路線上に乗っているモニュメントです。故にその当時の社会に充満していた科学技術に対する信頼、科学技術が切り開くバラ色の未来、その様な雰囲気をこのモニュメントは「建築として」表象しているのです。だからこそ、この建築を訪れた我々はこれ程までに過去の雰囲気を「体験として」感じることが出来るのであり、この建築はこれ程までに我々の心を過去へとタイムスリップさせてくれるのだと思います。

一風変わってたけど、面白い建築体験でした。
| 旅行記:建築 | 02:06 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
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