地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
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三谷幸喜が見せた静のデザイン:cruasanの古畑任三郎論
週末の夜、いつもの様にYoutubeを見てたら越路吹雪がカバーしていた「ラストダンスは私に」の動画を偶然発見!で、全く知らなかったんだけど、中森明菜が同曲をカバーしている事も発見しちゃって、その瞬間、僕の心の中でずっーと燻っていた「何か」が一本の糸でピーンと繋がった‥‥そんな感じを受けてしまいました。

 

僕は昔からテレビドラマが大好きで、80年代後半から2000年代前半くらいまでならほぼ全てのドラマを網羅しているという、(自慢なのか自慢じゃないのか)良く分からない自信を持ってるんだけど(笑)、そんな数多あるドラマの中でも特にお気に入りだったのが「古畑任三郎」なんですね。



古畑任三郎がテレビで放送され始めたのが1994年のこと、第二シーズンが1996年で、第三シーズンが1999年、最終回のファイナルに至っては2006年、その間なんと12年という超長寿ドラマ(驚)。で、このドラマの記念すべき最終回、しかもそのクライマックスで使われていた曲が、何を隠そう冒頭で紹介した「ラストダンスは私に」という曲だったのです。

繰り返し繰り返し、それこそ「画面に穴が空くんじゃないの?」って思うほど見たこのドラマなんだけど、第一話から順に見ていくにつれ、いつも僕の心に引っ掛かっていたことがありました。殺人トリックの解明と犯人逮捕に焦点が当てられている毎回話の中において、明らかに第一話と最終回だけは脚色が違っているのです。

とは言っても、「それが何故なのか?」、「どうしてそう思うのか?」を今まで上手く言葉で説明する事が出来なかったんだけど、今回たまたま「中森明菜が「ラストダンスは私に」をカバーしている」という事を発見するにつれ、古畑任三郎に纏わる1つの謎、ひいては三谷幸喜という人の類希なるデザインセンスに驚かされる事になってしまったのです。

と言う訳で(今回も)僕の独断と偏見を十二分に発揮して、至極勝手な「古畑任三郎論」を書いてみようと思うんだけど(地中海ブログ:映画:愛を読む人(The Reader):恥と罪悪感、感情と公平さについて)、その前に一言:

警告:ネタバレになる危険があるので、このドラマを未だ見てない人はここで読むのをストップしましょう。



結論から書いちゃうと、毎回難事件を巧妙な推理で解いていくこのドラマは(一見)刑事/推理モノの様に見えるんだけど、僕の見方によるとこのドラマは、古畑の恋愛物語で始まり、彼の恋愛物語で終わるという大変巧妙な構造をとっていると思います。そしてその組み立て方が非常に巧妙であり、日本的であり、ひいては建築的であるとさえ思ってしまうのです。

どういうことか?

先ず僕が注目したのは記念すべきこのドラマの第一回目の放送です。と言うのもこのドラマは三谷幸喜が昔から大好きだったという中森明菜演じる漫画家の殺人事件で幕を開けるからです。



中森明菜が第一回目のゲストとして登場しているという所が先ずはポイントなんだけど、と言うのも、古畑は第一話で出逢った女性(中森明菜)に好意をよせているということが、約12年後の最終回、それも犯人(松嶋菜々子)を自白に追い込むクライマックス・シーンにおいて明らかにされるからです。



ちなみに最終回のストーリーはどうなっているか?と言うと、松嶋菜々子演じる超売れっ子の脚本家の双子の姉妹(明るく社交的でマーケティングを主に担当する妹(楓さん)、そして実際に本を書いている姉(引き蘢りがちで人見知りタイプの姉(紅葉さん))が主人公となり物語が進んでいきます。「自分はいつも妹の陰に隠れて生きてきた」、「私だって表の舞台に立ちたい!」‥‥「でも妹がいるといつも比較されて」‥‥という状況、そして長年積み重ねられた妹への嫉妬が姉を殺害へと駆り立てるのです。



この最終回が他の回と明らかに異なっている点、それは物語の至る所で古畑が妹(楓)に好意を抱いている事が暗喩されている点です。「暗喩されている」と言う所がポイント。

楓は「次の作品が刑事モノであり、現役の刑事のプライベートが知りたい」という理由から古畑にこんな質問をします:

「刑事さんのプライベートについて知りたいのよ。例えば恋愛とか。犯人を好きになったりする事ってあるんですか?」

この質問にたじたじになってしまう古畑はいつもの様に誤摩化します。そして楓は更に突っ込んで:

「古畑さん、何で結婚しないんですか?」

この質問も古畑は上手く誤摩化そうとするんだけど、ここで重要なのは、三谷幸喜がこの様な伏線を物語の中にちりばめているという事なのです。更に言っちゃうと、三谷幸喜は現在のドラマが置かれた現実、そしてそれに対する批判を主人公の口を借りて語っているんですね:

「マスコミは駄目ね」



そんな中、大変鮮やかな手法で姉が妹を殺害したという事を突き止めた古畑は、そのことを彼女の口から自白させる事に成功します。そしてこの物語の最終的なクライマックスは、その直後に訪れます:

 
(上の動画で45:40秒くらいの所)

古畑:随分昔になりますが、あなたにとても良く似た女性と会った事があります。
松嶋:私に?
古畑:やはりものを書く仕事をしていました?
松嶋:作家さん?
古畑:漫画家です。才能に満ち溢れていて、若くして地位も名誉も手に入れた‥‥しかし彼女自身はとても控えめで、そして‥‥孤独でした。
松嶋:その人も誰か殺したの?
古畑:‥‥自分を捨てた恋人を‥‥。別荘の地下に閉じ込めて殺害しました。
松嶋:古畑さんが逮捕したんですか?
古畑:ハイ。
松嶋:彼女は‥‥今どうしてるんですか?
古畑:‥‥色々ありましたが、アメリカに渡って幸せな結婚生活を送っています。
松嶋:意外ね‥‥
古畑:‥‥私が言いたかったのは、人は生まれ変われる‥‥という事です。
松嶋:‥‥行きましょう。
古畑:その前に‥‥一曲、踊って頂けませんか?

松嶋菜々子が「意外ね‥‥」と言ったその後、少しの間があり、そして古畑が「私が言いたかったのは、人は生まれ変われる‥‥という事です。」と答える場面があるんだけど、この「意外ね」という言葉‥‥これがキーです。

一体何が「意外」なのか?
逆に言うと、「どうあったら意外じゃ無かったのか?」

松嶋菜々子が心に描いていたのはこの様な展開だと推測されます:

古畑はその女性に恋をしていた。だから彼女(中森明菜)が刑務所から出てくるのを待っていて、そして結婚した‥‥と思った。‥‥しかしそうじゃ無かった。彼女は「色々あったあと」、他の男性と結婚して遠くの国(アメリカ)で幸せに暮らしている‥‥。だから「意外ね」と言ったのではないのか?

そして実はこの発言こそ、前半部分で古畑が恋をした楓(松嶋菜々子演じる妹)が古畑に問うた質問:

「古畑さんって何故結婚しないのですか?」

に対する答えとなっているのです。

古畑は中森明菜が出所するのを待っていた‥‥。でも好きだとは言えず、結婚してくれとも言えず、ただただ彼女の幸せを見守るしかなかった‥‥。

更にその伏線として、「今度新しい小説を書くから」という名目で、楓は古畑に刑事の日常生活について質問する場面があるんだけど、その中で:

「‥‥刑事さんの恋愛とか‥‥。例えば犯人を好きになっちゃう事ってあるんですか?」

という発言が見事な伏線となっているのです。

僕が大変感銘を受けるのは、「古畑の恋愛感情」ひいては、この最終回のテーマが古畑の恋愛ドラマであるという事実、そのことがひた隠しにされ、物凄く控えめな表現をとりつつ進行していくという点なんですね。そう、ここには「何かしらの恥じらい」さえ感じるのです。この様な「これだ、これだ」と主張するのではなく、「控えめに感じさせる手法」、これこそ日本文化が最も得意としてきたお家芸であり、それこそ三谷幸喜の真骨頂だとも思うのです。その点を明らかにする為に、彼の代表作である王様のレストランから引用します:


千石:あー、私の理想の店の話、しましたっけ?
山口智子:ううん、聞いてないよ。
千石:トロアクロの様に、こう、広々とした調理場があって、そこには良く磨き込まれた鍋やフライパンが整然と並んでるんです。
山口智子:ねえ、私のこと口説いてるの?
千石:あー、天井は一面のガラス張りで、清潔で明るくって、まるで洗いざらしのハンカチの様に白く温かい。
山口智子:男が夢の話する時って口説いてるんじゃないの?
千石:流しは、窓に沿ってぐるりと調理場を囲む様になっている。何処に立っていても直ぐに水が使える様に‥‥
山口智子:うん、便利ね。
千石:全てが機能的で一切の無駄が無い。
山口智子:素晴らしいー。
千石:私は朝6時に出勤する。香ばしい匂いが調理場を囲んでいる。目映い朝の光の中で、早めに出て来たコックがクロワッサンを焼いているんです。
山口智子:アハハ
千石:私は先ず、コーヒーを入れる。廊下の向かい側に小さな部屋があり、そこが私の仕事場です。古い家具に囲まれ、その上には、古い思い出が一杯詰まった写真立てが並んでいる‥‥その内、朝一番で材料を仕入れて来たシェフが姿を表す。私は彼女を部屋に招いて、そしてコーヒーを御ちそうする。そしてあれやこれや、相談しながらその日のメニューを決めて行くんです。


 (山口智子にカメラが近寄りアップになる)。

 一体このやりとりの中で何が行われているのか?

「シェフ」と言われて我々が思い浮かべるのは男性では無いでしょうか?しかし千石はここで敢えて「彼女」と言う代名詞を使う事によって、暗に「私の隣にいて欲しいシェフ=山口智子」という事を指しているのです。




ここまで書いてきた僕の推論が合っているのか間違っているのか?‥‥もっと言っちゃうと、三谷幸喜が本当にこの様に考えていたのか?どうなのか?ということは僕にとってはあまり重要ではありません。

そうではなく、僕にとって大変重要な事は、ある週末の夜にたまたま僕が中森明菜のカバー曲を発見し、正にその事を通して、あるドラマの創り方/構造を推察し、それがとても建築的だと感動した‥‥、その様に解釈出来た事こそが重要なのです。

人間は忘却の生き物です。毎日起こる全ての事柄を全て覚えていたら、とてもじゃ無いけど恥ずかしくて生きていられません。そう、僕達は忘れる事によって生きていけるのです。そんな、自分の人生に起こった殆どの事を忘れている状況の中において大切な事は、「何を覚えているのか?」、「何が自分の実になっているのか?」、「何を覚えていられるのか?」という事なんですね。何をどう理解し、どう自分の問題に引き付けて考える事が出来、それをどう自分なりに昇華する事が出来たのか?

情報過多の現代社会において、このことこそ、いま真剣に問われるべき問題なのです。
| サブカル | 12:35 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
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