地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
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バルセロナ・オープンハウス2013:その地域に建つ建築(情報)をオープンにしていくということ
先週末(10月19日−20日)、バルセロナでは通常入る事が出来ない150以上にも及ぶ公共建築や私邸、はたまた一般企業の本社屋などを一般公開するイベント、オープンハウス(アーキテクチャー)が行われていました。



オープンハウスなるものを世界に先駆けて始めたのはロンドンだと思われるのですが(1992年)、建築/アーバニズム王国として知られるバルセロナ市がそのイベントに参加し始めたのは意外にもごく最近、3年前のことなんですね(その辺の経緯については以前のエントリで少し書きました(地中海ブログ:オープンハウス in バルセロナ(48 OPEN HOUSE BCN)その1:ジョセップ・リナス(Josep Llinas)のInstitut de Microcirurgia Ocularに見る視覚コントロールの巧みさ)。



バルセロナのオープンハウスで訪れる事が出来た建築の中で特に印象に残っているのは、ガウディ建築の傑作の1つ、サンタ・テレサ学院(地中海ブログ:オープンハウスその4:ガウディのパラボラ空間が堪能出来る、サンタ・テレサ学院(Collegi de les Teresianes))、ガウディの影武者だった男、ジュジョールによるプラネイス邸(地中海ブログ:オープンハウス in バルセロナ(48 OPEN HOUSE BCN):ジュゼップ・マリア・ジュジョール(Josep Maria Jujol)のプラネイス邸(Casa Planells))、そしてカタルーニャが生んだ近代建築の巨匠、セルトによるパリ万博スペイン共和国館(地中海ブログ:オープンハウス in バルセロナ(48 OPEN HOUSE BCN)その3:ホセ・ルイ・セルト(Josep Lluis Sert)のパリ万博スペイン共和国館)などなど。



僕にとって建築というのは表象文化であり、「その地域に住む人達が心の中に思い描いていながらもなかなか形にする事が出来なかったものを一撃の下に表す行為」、それが建築だと考えています。つまり建築とは、地域で共有されている情報の可視化(ビジュアライゼーション)であると捉える事が出来、それが根差している地域社会における記憶であり情報の集積であり、代々受け継がれてきた(もしくは受け継がれていくべき)資産でもあるのです。



この様な「建築=地域の情報」をオープンにしていくという行為は、その地域に住んでいる市民の皆さんに自分達の街についてより良く知ってもらうという行為を通して、「自分達の街の誇り」や「地域固有の問題」などについて深く考えてもらう良い機会になると共に、(この様な情報の共有は)成熟した社会、ひいては民主主義にとって必要不可欠なプロセスだとも思います。



‥‥僕は長い間、「街中のどの様な要素が、その街の人々のアイデンティティ、はたまた市民意識を育むのか?」という事に大変強い関心を払ってきました。何故ならそれこそ都市を創造する/再生する際の基本要素だと思うし、バルセロナの都市戦略/都市計画が成功した理由の1つだとも思うからです(地中海ブログ:何故バルセロナオリンピックは成功したのか?:まとめ)。



とは言っても、僕なんかがそんな大それた問題に答えられる訳もなく、今まで手探りでバルセロナの中心市街地活性化に関わりながら考え続けてきたんだけど、そんな僕の経験から言わせてもらうと、ヨーロッパ、特に集まって住む事を喜びとしてきた地中海都市の人々にとっては、「その町に変わらず存在する街角の風景こそ、そこに住む人々の心の拠り所、はたまたアイデンティティの原点になっているのかなー?」と、漠然と思う様になってきたんですね。

そんな事を思う様になったのは、3年程前から夏のバカンスで訪れているスペイン北部ガリシア地方にある村(人口400人程度)での滞在がキッカケでした(地中海ブログ:ガリシア地方で過ごすバカンス:田舎に滞在する事を通して学ぶ事)。



周りを山に囲まれた大自然の中にあるこの村には、ローマ時代に創られた小さな小さな橋が1つ残っているのですが、この村に暮らす人々にとってこの小さな橋はこの村の誇りでありシンボルであり、親もその親もそのまた親も、ずーっと見てきた変わらない風景なのです。



だからこそ、その村では誰しもがその橋に纏わる思い出の1つや2つ持っていて、「この橋のここの石、私が小さい頃にはね‥‥」みたいな世間話が近隣同士で自然と発生し、その様な記憶を地域全体で共有する事が出来ていたのです。そしてもっと重要な事に、その様な意識が次第に(というか自然に)この橋をこの町のシンボルにまで押し上げ、ひいては「その風景を地域として守っていこう」という共有意識が生まれるに至っているのです。

‥‥「あれ、これってバルセロナでも同じ様な事が行われているよなー」と、僕が気が付いたのはごく最近の事でした。



それにはバルセロナの都市形態が深く関わっているのですが、と言うのも、地中海都市というのは概してコンパクトであり、人々は「密集して住まなければならなかった」が故に、「どの様にしたら楽しく集まって住む事が出来るのか?」、「どうすれば高密度の生活に彩りを与えられるのか?」という事を数百年に渡って考えてきたからです。逆に言えば、地中海人とは「集まって楽しく住むこと」のエキスパートでもあるのです。



そんな歴史的熟考の上に考え出されたのが、公共空間を核とした生活様式だったんだけど、つまりは「自分の家のリビングは狭いけど、家の目の前にはリビングの延長としての日当りの良いパブリックスペースがある」という考え方です。だから、その様な「自分の庭」を何処の馬の骨とも分からない建築家に勝手にいじられようものなら(例えそれが有名建築家であろうがなかろうが)物凄い批判が飛んでくる訳ですよ!



その事を実際に目にする機会を得たのは今から数年前、バルセロナのグラシア地区に新しく建った公共図書館とその為に整備されたパブリックスペースを巡って引き起こされてしまった大変衝撃的な事件を通してでした。



スペインでは巨匠の部類に入る建築家が公共空間をデザインしたのですが、そのデザインを見た市民からモーレツなダメ出しをくらってしまい、その事を全国紙が大々的に報じて社会問題にまで発展してしまったんですね(地中海ブログ:レセップス広場改修工事(Remodelacion de la Plaza Lesseps)に見るバルセロナモデル(Barcelona Model)の本質)。



どんなデザインだったのかというと、まあ、建築家が大好きな「記号」や「引用」を使いまくった大変奇抜なものだったんだけど、市民の間からは「何?あれ!意味分かんない」みたいな意見が続々と寄せられ大バッシングの嵐、嵐、嵐!!



この事件が僕にとって大変衝撃的だったのは、都市の変化に対して市民が大変鋭い目を光らせているということ、そしてその目からは幾ら巨匠建築家であろうと逃れられないという事実でした。



逆に言えば、その様な市民の目が機能しているからこそ、建築家も本気で風景を考えなければならないし、この様な正のフィードバックが働いているからこそ、地中海都市の風景は保持されてきた訳で、バルセロナでは公共空間が昔から重要視されてきた所以でもあるのだと思います。何故ならその様な議論というのは、いつ如何なる時も公共空間から沸き上がってくるものだからです(地中海ブログ:東さんの「SNS直接民主制」とかマニュエル・カステル(Manuel Castells)のMovilizacionとか)。



その一方で、「この様な事が何故可能になったのか?」を解明し説明するのは決して簡単な事ではありません。そこには幾つものレイヤーが入り込んでいて、それらが様々なフィードバックを起こしながら1つの現象を形作っているからです。



しかしですね、その様な市民意識、はたまた地域への愛着の様なものが生まれ、それが市民の間に共有される様になった1つのキッカケは、そこに変わらず存在する風景や建築が「情報として」、その地域に住む人々に共有されていたという事が挙げられるのでは?‥‥と思います。



そしてもっと重要な事に、「自分達が住んでいる街についてより良く知ってもらおう」という意欲を、市民側だけでなく行政側も良く理解し、市民と一体となりながら様々なイベントを通して、正に市民の為に、ひいては自分達の街の為に情報を公開する事に惜しみない努力を注ぎ込んでいる‥‥、そしてその様な1つ1つの小さな積み上げこそが「現在のバルセロナのかたち」を創り上げたと言っても過言ではないのです。

‥‥と、そんな事を思いつつ、今年もオープンアーキテクチャーにレッツゴー!

追記: 今年(2013年)のオープンハウスは例年とは違い、ちょっとビックリする様な試みが為されていました。それがコチラ:



50ユーロ払うと列に並ばなくても直ぐ建物に入れるという「ビジネスクラス」みたいなチケットを販売していたんですね。「む、む、む‥‥50ユーロか‥‥ちょっと高いけど、一度経験するのも悪く無いかも‥‥」とか思いつつも購入する事に。そしてこれが大成功!

と言うのも、このイベントで大変悩まされてきた事の1つに、「何処に行っても人、人、人」という混雑が挙げられるからです。そうすると、どういう事になるかと言うと、1つの建物に入るのに1時間待ち、他の建物に行ったら行ったで、人気の建物は予約が必要で結局入れず(悲)‥‥という様なストレス満載の状況が多々発生する訳ですよ!

今回の試みはこの様な混雑を少しでも解消しようと実験的に導入されたらしいんだけど、これが大当たり!何処に行っても直ぐに入れて、おかげで今年は見たいものを全て見る事が出来ちゃいました。大満足です!!!

JUGEMテーマ:アート・デザイン
| バルセロナ都市 | 05:10 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
コメント
こんにちは。いつもブログ楽しみにしています。
ちょっと気になることがあります。スペインの街を歩いたとき、plaza〜 という標識をたくさん見かけ、スペインには広場が多いんだなと思いました。また、バルセロナのアシャンプラ地区にあるパティオも広場のようだという印象を受けました。
日本には、○○広場という空間はあまりありませんが、それに代わる役割を果たしている空間はあるのでしょうか?
| かんな | 2013/10/25 4:19 PM |
かんなさん、こんにちは。コメントありがとうございます。

地中海都市における広場とは人と人とが出会う事が出来て、更にはそこで議論する事が出来るという意味でのパブリックスペースを意味します。その様にして地中海都市というのは成り立っているのですが、その様なものが日本にあるのか?というと‥‥うーん、という所でしょうか。で、その様なものは日本にある必要は無いと思うし、無いのが普通だとも思います。何故なら都市の発展の仕方が地中海とは明らかに違うからです。

その反対に、日本にあって地中海都市にないものは沢山あって、例えばコンビニとか、都市のインフラとしては多大なる可能性を持っていると思うのですが。。

という所でしょうか。

今後とも宜しくお願い致します。
| cruasan | 2013/11/10 4:06 AM |
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