地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
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スペインの田舎で見るペルセウス流星群
先週スペインはアフリカ大陸からの熱波に見舞われ、各地で記録的な猛暑日を観測する程だったんだけど、中でも驚いたのはアンダルシア地方。何と、摂氏51度を観測したらしい(驚)。



現在僕が滞在しているガリシア地方と言うのは、スペインの中では涼しい事で有名なのですが、それでも日中気温が38度近くまで上がり、日向に出ると「フライパン状態!」っていう日が続いていました。まあ、それでも日が落ちると本当に涼しくて、朝方なんて毛布が無いと寒いくらいなんですけどね。

そんな先週末、湖畔を挟んだ向こう側に位置する村の森林公園で、ガリシア地方を代表するワインの生産地、Valdeorrasで作られたワインの試飲販売会が行われました。



この地方に存在する20程のワイン農家が集まったこの販売会、システムは至って簡単で、入り口でワイングラスを購入し(150円)、自分の好きなテントへ行ってワインを注いで貰うだけ。ちなみに試飲は一杯50円。全部のテントを回っても1000円足らず。安過ぎです(笑)。



で、気に入ったワインがあったらその場で即購入出来るって言うシステムになってるんだけど、僕はお土産用に今年最優秀賞を獲得した赤と白、共に2本づつ購入しました。ちなみに「ガリシア、ワイン」とくれば勿論コチラ:



ガリシア風タコ煮!何時見てもガリシア人の鋏さばきには恐れ入ります(笑)。

そんなこんなで昼間っからワインを飲みまくり、ホロ酔い気分で迎えた先週日曜日の夜はオリンピックの閉会式を見ようと意気込んでたんだけど、ネットを検索していたら、どうやら丁度その日の夜はペルセウス流星群が結構奇麗に見える日だという情報が。それから小1時間、オリンピックの閉会式を見るか、それともペルセウス流星群を見に行くかで久しぶりに頭を使ったかな(笑)。

まあ、これは大げさに言うと、「人間の創造力/創造力(イギリスが自国の威信を掛けて創り上げた閉会式)」を見るか、それともペルセウス流星群という「自然が創り上げた神秘」を見るかという選択だったかなと、そう思います(地中海ブログ:ガリシア旅行その8:アルヴァロ・シザの建築:セラルヴェス現代美術館(Museu de Arte Contemporanes, Fundacao de Serralves):人間の想像力/創造力とは)。

で、悩みに悩んだ挙げ句、結局ペルセウス流星群を見に行く事に。普段はペルセウス流星群なんて聞いても「はぁ?」って感じなのですが、人口500人程度のド田舎の夜というのは、それこそ月明かりしか無い為に、辺りは真っ暗な闇に包まれます。どれくらい真っ暗かって言うと、こんな感じ:



何にも見えない(笑)。真ん中右方向に一点だけ灯っている明かりは、村を見下ろす山の中腹に建てられた教会の明かりです。


「瞑想する哲学者(1632)」レンブラント

こんな真っ暗な空間に身を置いていると、闇の中に微かに灯る光の神秘を捉えようとしたレンブラントの想いが良く分かる様な気がします。


「星空(1851)」ジャン・フランソワ・ミレー

そして見上げれば、取り留めも無いほど広大な空間全体に、まるで宝石を鏤めたかの様な、そんな光景が広がっているんですね(流石に今回ばかりは写真ではその美しさを伝える事は不可能なので、夜空をテーマに描かれた絵画を載せる事にします)。

‥‥人類が闇から逃れる為に発明した「明かり」、それが無いが故に浮かび上がる自然の神秘‥‥僕達の頭上には、毎日こんなに沢山の星達が光っていたんですね。全く気が付きませんでした。今から何百年、何千年も前に生きていた人々も全く同じ夜空を見上げ、そして全く同じ星々を見ていたのかと思うと、本当に不思議な気持ちになります。


「ローヌ湖畔の星空(1888)」ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ

こんな取り留めも無い程の星々を見つめ続けていると、それら1つ1つの星を結び付け、「星座やそれに纏わる物語を創り出したい」って言う物語創造の衝動に駆られたのも分かる気がするなー。って言っても、天体の知識なんて全く無い僕が見分けられるのなんて北斗七星くらい。で、一生懸命それを探していたら、見ちゃいけないものを見ちゃいました!



ぎゃー、死兆星だー!し、死ぬー!(笑)。死兆星、俗に言うアルコル星というのは北斗七星の柄杓の柄の方から2番目の星の脇にそっと光っている恒星の事で、目の良い人なら見えて当たり前。別に死ぬ訳じゃありません(笑)。

ちなみに世紀末の覇者ラオウの余りにも有名な台詞、「お前は死兆星を見た事があるか?」、で、「見てない」と答えると、「そうか、お前は未だ俺と闘う時ではない様だ」と戦いを回避し、「見た」と答えると、「そうか、お前は俺と闘う運命だった様だ」と言って闘うラオウ。でもあれって良く考えたら、実は死ぬって分かってる相手としか闘わないって言う、ラオウの選別だったんじゃないのかな?だって死兆星見てないって事は死なないって事で、という事は自分が死ぬって事ですからね。さ、流石ラオウ(笑)。無敵な訳だ!(どうでも良いアニメ話終わり)

以前MISIAはペルセウス流星群を前にこんな風に歌いました。

 

「‥‥星降る丘に立っていた。去年君と見たペルセウスの流星群、こぼれ落ちてくる。手を伸ばしたら届きそうなほど、鮮やかに1つ1つ光を放つ、眩しく‥‥」

このド田舎では、それこそ手を伸ばしたら本当に手が届きそうな程、きらきらと光り輝く星々を見る事が出来るんだけど、ペルセウス流星群が見えるこの期間に限っては、そこからまるで頭上に向かって落ちてくるかの様な、そんな勢いで星が降って来るんですね。「ハウルの動く城」で、若き日のハウルが満天の星空の下、流星の如く降ってくるカリスファーを受け止める場面があったんだけど、正にあんな感じかな。

 

ハウルの声を担当した木村拓哉さんが宮崎駿監督に「ハウルってどういうキャラなんですか?」って聞いたら、

「星にぶつかった少年」

って答えたらしいけど、「なかなか良いイメージだなー」とか思う。ちなみにハウルの動く城は映画として非常に良く出来ていて、個人的には傑作だと思うので、何時か暇を見付けて映画評を書こうと思っています(映画評についてはコチラ:地中海ブログ:映画:愛を読む人(The Reader):恥と罪悪感、感情と公平さについて)。


「失恋(1860)」John Everett Millais(地中海ブログ:ロンドン旅行その2:Sir John Everett Millais(ジョン・エヴァレット・ミレイ)

‥‥本当に真っ暗な空間。そこに鏤められた宝石達。聞こえてくるのはさざ波と、スズムシ達が醸し出すハーモニー、ただそれだけ‥‥。

こんな、何処までも無限に広がっていくかの様な空間に身を置いていると、まるで自分が世界の中心であり、世界=空間とは、自分の周りに同心円状に広がっている、あたかもそんな錯覚に陥るかの様ですらあります。と同時に、こんな偉大な自然の前では、人間なんて何時消えても不思議ではない、「何て儚い存在なんだろう」とも感じるんですね。

こんな拠り所の無い私、こんなに弱く今にも消え入りそうな私を世界に繋ぎ止めておきたい衝動。それこそ、我々の皮膚や、その上を覆う衣服の延長線上に創造された建築の起源なのかな?、と、この暗闇の中に浮かび上がる満天の星空を見上げていたら、そんな事を思ってしまいました。

2012年の夏、イベリア半島の端っこで見たこの風景を僕は一生忘れる事は無いでしょう。
| 旅行記:都市 | 05:25 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
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