地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
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アルヴァロ・シザの建築:マルコ・デ・カナヴェーゼス教会の知られざる地下空間:真っ白な空間と真っ黒な空間
ガリシア地方滞在を利用して、地理的にも文化圏的にも非常に深い関係にあるポルトガル北部の都市、ポルト(Oporto)へ来てみました。



秋口から春先に掛けてまるで梅雨の様に雨が降りまくるポルトガル北部では、その期間中は晴れの日が非常に少なく、ともすれば1ヶ月間太陽がお目見えしない事なんてざらなんですね。更に海から吹き付ける強烈な大西洋風によって、雨が真横から叩き付けられる様に降ってくる為に、傘で防ぐ事はほぼ不可能。結果、毎日の様にズボンや服がビシャビシャになり、それこそ「不快感度数150%」という日々が続きます。



そんな暗黒期間(笑)を経た上で迎えるハイシーズンにおいては、それまでの数ヶ月間に溜まりに溜まった鬱憤を一気に晴らすかの様な素晴らしい風景がこの都市に姿を現します。それはまるで都市全体で夏の到来を喜んでいるかの様な、そんな幸せな光景があちらこちらで垣間見られます。



世界遺産に登録され、魔女の宅急便のモデル都市になったと言われているこの美しい風景こそ、この地に暮らす人々が心の底から誇りにしている財産であり、彼らの生活の質の高さを表しているかの様ですらあります。そしてそんな彼らのもう1つの誇り、子供からお年寄りまで誰もが知っているこの街のヒーロー、その人こそローカルな土地を基盤にしながらグローバルに活動を展開している建築家、アルヴァロ・シザという人なのです。



ポルトガルに着いた初日、世界で最も美しい教会の1つと僕が(勝手に)思ってる真っ白な教会こと、マルコ・デ・カナヴェーゼス教会を見に行ってきました。この教会を見るなら午前中、欲を言うなら気持ちの良いほど空が晴れ渡っている日の10時前くらいがベストかなと、そう思います。何故なら東から昇ってきたお日様の光がこの教会の真っ正面に当たり、青い空を背景に、真っ白なその躯体をより一層美しく見せてくれるからです。



優れた造形力を有する建築家というのは、それまでは美しいと思いもしなかった形や側面を提示する事によって、「あ、あれ、この形って実は結構美しいんじゃないの?」と我々に再発見させてくれる事がしばしばです。



僕が考えるシザ建築の魅力の1つというのは実はそこにあって、例えば上の様な形態なんて、ありがちかもしれないんだけど、シザが提示するまではそれほど魅力的な形だとは思われてなかったと思うんですよね。でも、このヘンテコな形態が朝日に照らされ、真っ青な空に映し出されると、思いもよらなかった魅力を醸し出し始めるから不思議です。そしてこの様なアクロバッティブな形態操作を成り立たせているのがこちら:



ともすれば見落としてしまいがちなんだけど、きちんとデザインされている細部です。これは何も「神は細部に宿る」とか、そういう難しい事を言おうとしているんじゃなくて、こういう基本的なデザインがキチンと処理されている、その上でアクロバッティブなデザインがされていると、そう言いたいだけです。例えば上の例で言うと、この橙色の石を半円形の所でスパッと終わらせるんじゃなくて、正面の長方形の側までホンの少しだけ回りこませる事によって自然にデザインを終わらせています。長さにしてほんの数センチの出っ張り、そんな小さな差が、これ以上は無いという大きな大きなデザインの質の差として機能するのです。同様の事がコチラにも見られます:



正方形のガラス面と先程の橙色の壁が、コレ又大変見事に切り返され且つ連続しているのが見て取れるかと思います。派手じゃないんだけど、こういう所がしっかりと処理されているからこそアクロバッティブなデザインが生きてくるのです。って言うかこういう基礎的な所が無かったら、それは単なる形態遊び、もしくは「ギャー、ギャー騒いでるだけ」のうるさいデザインで終わってしまいますからね。



ここで繰り返す事は敢えてしないけど、僕はシザの建築こそ「能のデザイン」であり「静のデザイン」だと思っています。つまり毎回違う事をやって観客を喜ばせるのではなく、一見同じなんだけどチョットだけ細部を変える事によって観客の見る眼を試す差異化によるデザイン(地中海ブログ:歩いても、歩いても(是枝裕和監督):伝統と革新、慣習と感情の間で:リアリズムを通して鑑賞者の眼が問われています)。



そんな魅力溢れるシザのデザインは見れば見るほど新たなる発見があり、それこそ教会の周りをぐるぐる回ってるだけで半日くらいは簡単に過ぎていってしまうんですね。ちなみに今年は20週くらいした所で司教さんとの待ち合わせ時間になってしまったので、向かいにあるコミュニティセンターのベルを押して司教さんを呼び出し、教会の鍵を開けてもらい中へ入らせてもらいました。



側面にそっと備え付けられている小さく控え目な入り口を入ると、そこからは温もりのある木製の椅子達が大変行儀良く並んでいるのが見えます。それを眺めつつ入り口を潜ると眼に飛び込んでくるのがこの風景です:



圧巻の真っ白な空間の登場〜。この10年間、この教会には何十回と来ているのですが、いつ来てもこの空間が醸し出している気持ちの良さに変わりはありません。



「何時までもここに居たい」、心の底からそう思わせてくれる空間がここには在ります。この内部空間の素晴らしさについては以前のエントリで十分に書いたので興味のある人にはそちらを見て頂く事として(地中海ブログ:ガリシア旅行その9:アルヴァロ・シザの建築:マルコ・デ・カナヴェーゼス教会(Igreja de Santa Maria do Marco de Canaveses):世界一美しいと思わせてくれる真っ白な教会)、今日のエントリでは1つだけ強調しておきたい点が。



これも繰り返し書いてきてる事なんだけど、シザ建築には幾つかの共通した特徴があって、それがシザの建築を「シザ足らしめている」と僕は思っています。手短に言うとそれは、1. パースペクティブ的空間、2. 天井操作、そして3. 物語的空間シークエンスの3つなんですね。



パースペクティブ的空間については、実際に彼の建築を訪れてみれば一発で分かると思うのですが、シザが創り出す空間には、見間違う事無いパースが付いています。



良く知られている様に、シザはスケッチを描きながら建築を創作していくのですが、そのスケッチの多くは右肩上がりのパースが付いている事で知られています。実はあのスケッチというのは、2次元という紙媒体に3次元の建築を表現する為に付いているのでは無く、「シザの頭の中では最初からパースが付いた建築が想像されているのでは?」というのが僕の持論です。ちなみに昔のシザは余り絵を描かなかったそうなんだけど、何故かというと、亡くなった奥さんの方が明らかに絵が上手かったので、自分の下手くそな絵を見られるのが恥ずかしかったからなのだとか(詳しくはコチラ:地中海ブログ:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)のインタビュー記事:シザ建築の特徴は一体何処からきたのか?)。

シザ建築2つ目の特徴は天井操作です。



ガリシア美術センターの展示室に取り付けられたテーブルを逆さにしたかの様な造形に始まり(地中海ブログ:ガリシア旅行その6:アルヴァロ・シザの建築:ガリシア美術センター(Centro Gallego de Arte Contemporaneo):複雑な空間構成の中に隠された驚く程シンプルな原理)、初期の銀行で見せた槙さんの風の丘の葬祭場を彷彿とさせる大胆な天井の切り取り方など、シザは空間を創る際、必ず天井操作を伴った構成をしてきました。そして最後の一点が物語的な空間シークエンスの展開なんだけど、こちらは書き出すと長くなり過ぎるので、興味のある方はこちらへどうぞ→(地中海ブログ:ガリシア旅行その7:アルヴァロ・シザの建築:ポルト大学建築学部:外内部空間に展開する遠近法的空間と、その物語について)。



で、ここまで書いてきて鋭い読者の方は気が付いたかも知れないんだけど、こういう観点で見るとマルコ・デ・カナヴェーゼス教会というのはそれら3つの特徴のどれも見られないんですね。



確かにパースは付いてるんだけど、それは前方の祭壇両側の四半円形が中心部に向かって流れ込んでいくという様な、他の建築構成で見せている一直線で分かり易いパースとは明らかに質が違います。



天井に関しては見るからにフラットで天井操作は全く無し。空間シーケンスについても、教会というビルディングタイプが要求している機能という側面もあるだろうけど、「起承転結」という様な一連の物語空間は見られません。



つまりこの建築はシザの代表作に見做される事が多いにも関わらず、実は一連のシザ建築作品の潮流からしたら、異色の存在という事が出来ると思う訳ですよ!

そしてもう一点、この教会について今まで全く語られてこなかった点、それがコチラ:



そ、そーなんです!実はこの教会にはその存在さえ全く知られていない、上の真っ白な教会堂と対をなすかの様に存在する、薄暗くひっそりと存在する地下空間があるんですね。



僕がこの空間の存在を知ったのは全くの偶然でした。あれは忘れもしない10年ほど前の事、日課の様に毎週1回この教会に来ていた時期があったのですが(当時は暇だったのです(笑))、その日に限って何やら教会堂の下の方がざわざわしてて、いつもとは雰囲気がちょっと違う‥‥。「な、なんだー?」と不思議に思い下階の方へ回ってみると、普段はしっかりと閉まっている扉が開いてるじゃないですかー!(普段この扉は下の写真の様に閉まっています)。



沢山の人達が出入りしていたので、僕もその人達に交じって恐る恐る中へ入ってみると、そこには思いもしなかった光景が広がっていました。薄暗い空間の中で、悲しみが辺りを包み込みながらお葬式が行われていたんですね。

夢にも思わなかった空間に出会った衝撃と、真っ白な教会堂との計り知れないギャップ、更に「お葬式」という特殊な状況下において、当時は写真を撮る事は勿論の事、あまりジロジロと見て回る事も出来ませんでした。それ以来この教会に来る度に、「もう一度あの空間に入りたい!」と望んではいたんだけど、その度に司教さんに「ダメー!」って断られるという押し問答の繰り返し(苦笑)。で、今回は教会堂を訪れる前日に電話で感触を確認し(笑)、更に訪れた当日に片言のポルトガル語で「とっても素敵な教会ですね。世界一美しい空間じゃないですか!‥‥あ、あのー、下に広がってるこの世のものとは思えない空間にも入りたいんですけど‥‥」とか言ってみたら、「お、君日本人なのにポルトガル語分かるのか?」と、ちょっと良い感触!「じゃあ、しょうがないなー」みたいな感じで入れてもらえる事に!こういう時、「現地の言葉が出来ると本当に得だよな!」と呟きつつガッツポーズ(笑)!



教会堂内部から地下へと続く秘密の扉は、十字架の脇にひっそりと隠れる様にしてありました。そこに備え付けられている階段を降りて行くと、先程までの真っ白な空間から段々と薄暗い空間へ移行していくのが手に取る様に分かります。



その階段を一番下まで降りると、左手側に何やら大きな空間が存在するのが暗示されます。



振り返ると10年前に開いていた扉がそこに!



更に歩を進め、左手側に曲がると目の前に広がるのがこの空間です:



先程までとは全く様相を異にする薄暗い空間が広がっているんですね。10年振りの再会!そう、僕があの時見たのは正にこの空間だった!!今回もう一度良く観察してみると、ここに展開されている空間は、先程上で見た空間とは全ての意味で対になっていると言う事が出来るかと思うんですね。



先ずは言うまでも無い事なんだけど、空間を支配している色が挙げられます。上は真っ白、下は真っ暗(写真では結構明るく写ってるけど、実際はかなり暗い)。



そしてこの空間の高さ。上の教会堂の天井が気持ちの良い程高いのに対して、コチラの空間は低く抑えられ、正にその事によって親密感を醸し出しています。先程見た扉も、上の教会堂に付いている扉とは大きさがまるで違います。



そしてですね、これら全てにおいて対をなしているかの様に見える2つの空間の謎を解く鍵がコチラです:



写真では分かり難いかも知れないんだけど、この写真はこの教会堂の真上から真下まで貫いている「光の井戸」と言っても過言ではない空間を撮った所です。一見「あれ、こんな所あったっけ?」って思うかも知れないけど、実はですね、この空間、外から見るとこの部分に当たるんですね:



そう、4分の1円形が切り取られ、その中央部にくっ付いてる長細い長方形がこの光の井戸の正体だったのです!そしてこの井戸に光を供給しているのが、正面上の方に付いている窓なんですね。この光の井戸、実は僕達が見慣れている教会堂にもその姿がお目見えしていたのですが、それがコチラです:



そう、祭壇中心部に開いている長方形の2つの穴、あそこから見える不思議な淡い光の正体が実はこの光の井戸だったんですよ!(この事は祭壇からこの長方形の穴を覗き込めば直ぐに分かる事なんだけど、祭壇というのは神聖な場所で普段は立ち入り禁止なので、この事を知っている人は少ないと予想されます)。そしてこの光の井戸を真下から見ると先程の風景となると、そういう構造になっていたのです!

では一体、この光の井戸は何を表しているのか?

ここからは僕の勝手な想像(と言うか解釈)でしかないんだけど、それは多分、天井から降り注いでくる光は天上界の光、そしてその光を2つの長方形の窓から見ている教会堂は僕達が生きている現世。そしてその光を底から見上げる風景は、正に地獄からの見上げの風景だと言う事は出来ないでしょうか?そんな事を考えていたら、この言葉が僕の心の中に沸き上がってきました:

「初めにみことばがあった。みことばは、神と共にあった。‥‥みことばの内に命があった。この命は人間の光であった。光は闇で輝いている。闇は光に打ち勝たなかった。‥‥すべての人を照らす真の光はこの世に来た」

‥‥と、勝手な想像を膨らませてるんだけど、1つだけ言える事、それは世界中のメディアに取り上げられ、真っ白な教会として知られているこのシザの教会は、実は白い空間だけで存在しているのではなく、その真下にある薄暗い空間と対になる事で「その存在の意味が見えてくる」という事だと思います。この地下空間の存在を知っているか知らないかで、上の教会堂を見る眼が全く変わってきますからね。



もう一度言います。あの真っ白い教会堂はそれだけで存在しているのでは無く、下の薄暗い空間と対になる事によって、この教会は増々その白い輝きを増していく事になるのです。

この教会に通い始めて10数年、回数にして多分50回以上は来たと思うんだけど、今日初めてこの教会の真の意味の片鱗がチラッと見えた気がしました。

シザ建築の奥は深い‥‥。故に僕はこんなにも彼の建築に惹かれるのかも知れない‥‥と思いつつ、今年もこの村を後にしました。
| 旅行記:建築 | 01:09 | comments(5) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
コメント
再度行きたい街の一つにポルトがあります
ただあの坂道はもう上り下りガキツ〜い年齢??

専門的かつ平易な紹介 しかも ヴァリエーションありで
凄いブログを更新中ですね

| shkphappy | 2013/02/17 10:58 AM |
shkphappyさん、こんにちは。コメントありがとうございます。

オポルト!本当にいい街ですよねー。実は10年程前に、「シザの建築を理解する為にはこのポルトガルという地の社会文化を理解しないといけないんじゃないか?」と言う事を直感し、半年間ほど住み着いた事があります。それ以来、毎年夏に訪れている大好きな街になりました。今年も今から夏が待ち遠しいです!

これからも宜しくお願い致します。
| cruasan | 2013/02/21 6:16 AM |
いま主にシザを見て回っている大学3年です

このブログの分析・解説は本当に助かっています。ありがとうございます。

さて、このこの教会の天井操作について質問なのですが、
今日行ってみて、
斜め壁と3つの開口により、壁と天井に陰影の差が生まれていて、
それこそがこの作品でのシザの天井操作なのではないか
と思ったのですが、どう思われますか??
| 木村優作 | 2018/03/18 10:49 PM |
木村優作さん、コメントありがとうございます。

シザ建築を見て回られているとのこと、すっっっごく羨ましいです。ポルトガルからガリシア地方に掛けては、シザの名作が「これでもか!」というくらいに集中しています。是非楽しんでください。

ご質問の件ですが、大変宜しいのではないでしょうか。そのような見方、分析のしかたもあると思います。実際に現場を訪れることによって、各々がそれぞれのイメージを創り上げることができる、それこそこの建築の素晴らしさを表しているのだと思います。
| cruasan | 2018/03/19 11:08 AM |
お返事ありがとうございます!


なるほど、建築の見方って正解のようなもなのが
あると思っていたのですが、そういうものでは無いんですね。

自分なりに色々考えて回ってみます。

引き続きブログ楽しんで拝見させていただきます!
| 木村優作 | 2018/03/20 8:27 PM |
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