地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
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オードリー・ヘプバーンの「ティファニーで朝食を」のスペイン語版タイトルは「ダイアモンドを見つめながら朝食を」と言います
あー、先週も忙しかった‥‥。毎年この時期になると欧州プロジェクトの各種締め切り&ミーティングに加え、(大変嬉しい事に)日本からのお客さんがドバッと増えるので、その方々の対応に追われる事となります。先週も何組かのお客さん(欧米+日本から)がバルセロナを訪ねてきてくれて、彼らと一緒に街を練り歩いたり、ディスカッションをしたり、はたまた世界各地で起こっている生の現地情報を聞かせてもらったりと、忙しいながらも大変充実した時間を過ごす事が出来たんだけど、その中でも特に印象に残ったのは、日本から欧州都市調査に来られていた方々+EUと都市の関係を見つめ続けるバルセロナの大先輩、Oさんと持てた時間でした。

今回はご飯をご一緒させて頂いただけなんだけど、短い時間ながらもOさんの言葉の端々には深い洞察が含まれてる様な気がして、何時もながらに大変刺激的な時間を過ごさせてもらう事が出来たんですね。特に政権交代後のバルセロナが進む方向なんかについての彼女の洞察は、非常に示唆に満ちてる気がして、家に帰ってからも「うーん」と唸るほど考えさせられるものでした。

‥‥それにしても膨大な情報量の中から必要なものを見つけ出し、本質へと一気に降りていくその加速度といい、的確な言葉によって周りを巻き込んでいく表現力といい、そこにはまるで日本刀でスパッと切ったかの様な鋭さがあり、切られたコチラ側は「痛さ」を通り越して「清々しさ」さえ感じる程でした(笑)。もう少しお話したかったけど、お互い忙しかったので今回は時間切れ。又次回に持ち越しです。

さて、全く話は変わりますが、最近スペインでは新聞の抱き合わせ販売が盛んになっていて、La Vanguardia紙なんかは毎週日曜日に「タピエスやガウディのマグカップをプレゼント」みたいなキャンペーンをやっていたりします。



それに負けじと応じているのがEL Pais紙。こちらは映画の名作DVDをオマケに付けてるんだけど、一月末から始まったこのオマケシリーズの幕を開けたのは、何を隠そうオードリー・ヘプバーン主演の不朽の名作、「ティファニーで朝食を」のDVDだったんですね。



1961年に創られたこの映画、「未だ見た事無―い」って人でも「名前くらいは聞いた事ある!」っていう人が多いのではないでしょうか?世界的に知られている名作中の名作なんだけど、実はスペイン語版をこの目で見たのは今回が初めて!で、そのタイトルを見てビックリ!



何と、スペイン語版のタイトルには、この映画の代名詞ともなっている「ティファニー(Tiffany)」という言葉が何処にも見当たらないじゃないですかー!

あ、あれ?みたいな(笑)。

もうちょっと詳しく言うと、日本語版のタイトルは皆さんご存知の通り、「ティファニーで朝食を」となっていて、英語版では“Breakfast at Tiffany’s”。その慣例に従うと、スペイン語版では”El desayuno en Tiffany”となるはずなんだけど、そうはなってなくて、“El desayuno con el diamante”となっているんですね。直訳すると「ダイアモンドと共に朝食を」、意訳すると「ダイアモンドを見つめながら朝食を」となります。

む、む、む‥‥これを見た瞬間、「このタイトルには、この映画が創られた当時(1960年代)のスペインという国が置かれていた社会政治的な状況がチラチラ見え隠れしていて興味深いなー」とか思ってしまいました。

どういう事か?

この映画が創られた1960年代というのは、スペインでは未だフランコの独裁政権真っ只中で、スペイン国外から入ってくる情報は厳しく検閲されていた時代でした。そんな時代には勿論、国民に対する娯楽なんかも非常に厳しく制限されていた為、当時のスペイン国民の中で「ティファニーとは一体何なのか?」という事を知ってる人は非常に少なかったんですね。



つまり、もしスペイン語版のタイトルを「ティファニーで朝食を」としてしまうと、「ティファニーって一体何だ?クロワッサンの一種か?」とか(笑)、そういう状況に陥る可能性が大だったという訳なんです。そんな状況下において、翻訳家の人達が頭を捻りに捻った末に出してきた渾身のアイデアが、宝石の代名詞と言っても過言ではない「ダイアモンド」という単語であり、結局スペイン語版のタイトルは「ダイアモンドを見つめながら朝食を」となったという訳なんです。

さて、まあ、ここまで書いてきたし、その延長線という事で、今日はこの映画の内容にちょっとだけ触れようかなと思います。「ティファニーで朝食を」という映画において一番重要な場面はズバリ、この映画の冒頭に出てくるこの場面だと思います:

 

過去のセンチメント(感情)を「お金の力」によって忘れ去りたいオードリー・ヘプバーンが、夜遊びの帰り道にティファニーの店頭に飾ってある宝石を覗き込む場面です。この場面では「私を夢の世界(フェイクの世界)へと連れて行ってくれるティファニーちゃん♪」という思いで宝石を見つめているオードリー・ヘプバーンが、ロマンチックなバックミュージックと共に映し出され大変魅力的な場面となっている事などから、多くの人々の心の中に焼き付いている事だろうと思うんですね。

しかしですね、実はこの場面で行われている事というのは一般に理解されているほど単純な事ではありません。つまり、美しい女性(オードリー・ヘプバーン)と美しい宝石の共演‥‥という様な、世の中の女性達が「きゃー、ティファニーよ、何て奇麗なのー。私もオードリー・ヘプバーンみたいに可愛くなりたいわー!」みたいなイメージとは全く逆の事が行われているんですね。

何故か?

何故ならこの映画においてティファニーという宝石は、現実逃避する為の「フェイクの世界の象徴」として描き出されているからです。そしてこの映画の冒頭部分で、ガラスに映り込んでいる主人公自身の姿が、その宝石と重ね合わせられる事によって、「彼女自身の生き方が偽りである」という、大変複雑なんだけど、非常に優れた暗喩が実現されていると言う訳なんです。

故に、もしこの映画を正しく理解するならば、「ティファニーは偽りのシンボルとして扱われている」という事が容易に分かる筈であり、この事はティファニーというブランドにとっては致命的な負の宣伝効果しかないはずなんだけど、世の中の大半の人というのはそんな風には受け取ってなくって、「ティファニー=美の象徴=女性達の憧れ」みたいなイメージだけが世の中に蔓延ってしまったと、そういう訳なんですね。



その様な表面的な解釈をするという事自体が、実は我々の時代そのものを表象し、あのガラスに映ったオードリー・ヘプバーンの姿というのは、実は我々自身の姿なのかなー?とか、そう深読みする事も出来るんだけど、まあ、そんな映画的構造や意図、つまりは「リアルとフィクションの境目」さえも、往年のオードリー・ヘプバーンの美しさの前には霞んで見える事も又確かかな?と思ったりもするかな。

追記:
廊下を歩いていたらこんなポスターを発見!




なんと、ティファニーとMITはコラボしていた!「ティファニーのあの輝きの裏には、実はMITの最新技術が貢献していたのか!」とかなり驚いた。

| サブカル | 05:54 | comments(2) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
コメント
お邪魔します。
フランスでこの映画は

Diamants sur canapé

と付けられていますよ。

| 失礼します | 2012/02/28 1:31 AM |
失礼しますさん、こんにちは、コメントありがとうございます。

ほ、本当だー!フランス語でもダイアモンドという単語が使われているんですね。かなり驚きました。有益な情報、どうもありがとうございました。
| cruasan | 2012/02/29 8:32 AM |
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