地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
<< カタルーニャ地方(バルセロナ)で最後の闘牛が行われました:日本人の中に流通する闘牛のイメージについて | TOP | スペインの医療システムについて:歯医者の場合 >>
アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)のインタビュー記事:シザ建築の特徴は一体何処からきたのか?
先週日曜日の新聞(特集版)にアルヴァロ・シザのインタビューが載っていました。アルヴァロ・シザと言う建築家についてはこれまで散々書いてきたのですが、やはり何だかんだ言って20世紀を代表する巨匠中の巨匠であり、かの二川幸夫さんが(とあるインタビューの中で)「世界一の建築家」と言われていた事も全く不思議ではありません(シザについてはコチラ:地中海ブログ:ガリシア旅行その7:アルヴァロ・シザの建築:ポルト大学建築学部:外内部空間に展開する遠近法的空間と、その物語について、地中海ブログ:ガリシア旅行その8:アルヴァロ・シザの建築:セラルヴェス現代美術館(Museu de Arte Contemporanes, Fundacao de Serralves):人間の想像力/創造力とは)。



僕自身、シザの建築は現地を訪れるなどしてかなり見て回ってて、シザ関連の書籍や論文にも殆ど目を通してると思うんだけど、今回のインタビューでは彼の知られざる素顔、特に「彼の建築の特徴が一体何処から来たのか?」なんかが明らかにされていて、大変興味深いものになっていると思います。僕の知る限り、日本語でこの様な情報が齎されたのは初めての事なんじゃないのかな?特に、「幼少の頃、病気をしていて、その時に祖父母の家に閉じ込められていた事が、現在のシザ建築スタイルを創り上げた」と言うのは初耳であり、「ガウディ建築が彼の造詣に影響を与えた」って言う情報と同様、彼の建築を理解する為のキーになるとさえ思うくらいです(ガウディ建築がシザに与えた影響についてはコチラ:地中海ブログ:マドリッドの都市戦略その2:アルヴァロ・シザ(Alvaro Siza)について)。まあ、何はともあれ、大変興味深いこのインタビュー、とくと御覧あれ!

以下に訳すのはEl Pais(2 de Octobre 2011)の日曜版に載ったアルヴァロ・シザのインタビュー記事の全訳です。

難しい局面に直面した時こそ、物事の真価が問われる
“El valor de las cosas aflora en los momentos difíciles”

Q=インタビューアーの質問
R=アルヴァロ・シザさんの回答
黒字=訳者メモ

Q: 現在の社会の中において、一体何が建築を高慢で横柄な存在にしているのでしょうか?
Q: ¿Qué la hace arrogante?

R: そうですね、それらの建築が「建っている場所を無視している事」、「周りのコンテクストを全く考慮していない事」ではないでしょうか?人間は一人では生きていけません。我々は常に誰かと繋がり、互いに支え合って生きています。それら人間同士の関係性を繋ぎ合わせ、その様な関係性を維持する事こそ建築の目的なのです。間違って欲しくないのですが、私は何も、それらを達成する為には「建築は慎重であるべきだ」という事を言いたいのではありません。そうではなくて、コンテクストを裏切る様な建築、その場所に相応しく無い様な建築は高慢であると、そう思うだけなのです。
R: Ignorar donde está trabajando. Uno no está solo. Hay tramas de relaciones humanas. Continuarlas es la razón de ser de la arquitectura. Esto no quiere decir que la arquitectura deba ser prudente. Pero lo que traiciona el contexto es arrogante.

Q: ここ最近、社会の中に沢山の「高慢な建築」が建設されてしまったとお考えですか?
Q: ¿Últimamente se ha construido demasiada arquitectura arrogante?

R: そう思います。しかし、「高慢である条件」を高慢な建築家に結び付ける気はありません。つまり「高慢な建築家」は「高慢ではない建築」を創り出すことが出来ると思うし、その逆も又然りだからです。時々、高慢な建築にさえなっていないような、大変無能な建築にも出くわしますけどね。
R: Así ha sido. Pero no ligo la condición de arrogante a la arrogancia de quien la hace. A veces se trata simplemente de incompetencia.

Q: それら高慢な建築や建物に対して、あなたの建築は大変穏やかに、そして謙虚に佇んでいる様に見えます。
Q: Frente a la arrogancia sus edificios quieren ser tranquilos.

R: 「建築とは単に休憩の場を提供すべき存在である」と私が考えていると理解する人がいますが、全く持って不愉快です。勿論建築はシェルターや休憩所を提供すべきなのですが、しかしそれは又、共同の場、共生の場でもあるべきなのです。
R: No me gustaría que se entendiera que creo que la arquitectura debe generar solo lugares de reposo. Debe ofrecer abrigo y reposo, pero también, un lugar de convivencia.

Q: サラザール独裁政権下(1932−1968)では公共の仕事は勿論の事、僅かながらの小さな仕事しか無かったと思うのですが、独裁政権下で生きてきた経験は、あなたの建築に何かしらの影響を与えたのでしょうか?
Q: Trabajar durante la dictadura de Salazar en un segundo plano, sin hacer ruido, ¿marcó su arquitectura?

R: 独裁政権は、建築の仕事はおろか、大学で教鞭をとる事や、教育機関で建築を勉強する事さえも妨げました。その時代、本当に数少ない建築家だけが公共の仕事をする事が出来たのです。
R: Marcó las restricciones en el acceso al trabajo, a la formación y al aprendizaje. Pocos arquitectos podían realizar una obra pública institucional.

Q: 独裁政権下で公共の仕事を得ると言う事は、独裁政権への迎合を意味するのですね?
Q: ¿Debían ser afines al regimen?

R: うーん、というか、当時は旧体制を受け入れなければならなかったのです。当局は伝統的で国民的な建築、つまり彼らにとっての「ポルトガル的な建築」を創りたがっていました。何故ならポルトガルは国としては小さいのですが、とても沢山の建築で満ち溢れていたし、今現在も満ち満ちているからです。国民的建築と言うは彼らの発明品でした。つまり彼らは外部に向かって「ポルトガルには唯一絶対の建築しか存在しない」と、そう宣伝しようと画策していたのです。当時の独裁政権はポルトガルが国として貧乏であり、国民は絶対的に屈従している、そういう国を好んでいましたし、社会的コンフリクトを避ける為に他国への移住を容認してもいました。
R: Bueno… tenías que ser aceptado por el régimen. Querían hacer una arquitectura nacional con referencias a lo que para ellos era la arquitectura portuguesa, como si hubiera una tradición, porque, aunque Portugal es un país pequeño, había y hay muchas arquitecturas. Se pretendía dar al exterior una única mentira. La ideología prefería mantener un país pobre conformado, y así, consentían la emigración para evitar conflictos sociales.

Q: あなたの建築は、何処までが貴方自身の「伝記」として読めるものなのでしょうか?小さい頃、病気をされたと伺っています。その際、おじいさんの家で一緒に住む事を強制されたそうですね。そこでの生活が、あなたの建築の諸特徴、特に「窓によって風景を切り取る」と言う手法に影響を与えたのでしょうか?
Q: ¿Hasta qué punto su arquitectura es biográfica? Pienso en la enfermedad que tuvo de niño, que lo obligó a vivir con sus abuelos. ¿Allí se acostumbró a enmarcar los paisajes con las ventanas?



R: その通りです。しかし又、別の事も学びましたけどね。小さい時の経験は、住居とその外部との関係性について考えさせてくれたのです。祖父母の家で療養している期間は外に出る事が厳しく禁止されていました。2ヶ月もの間、ずっと家の中に居なくてはならず、その間、殆ど毎日の様に窓から外を眺めていたのです。と言うか、それしかする事が無かったのです。
R: Sí, pero también hay otros aprendizajes. Esa de niño fue una experiencia que me hizo pensar la casa y su relación con el exterior. Yo no estaba autorizado para salir. Tuve que permanecer encerrado dos meses, y eso me obligó a mirar por la ventana.

Q: どんな病気だったのですか?
Q: ¿Qué enfermedad tenía?

R: 当時の子供がみんな患ってた病気でした。結核の前症状の様なものです。当時は未だ効果的な治療薬が無く、最善且つ唯一の治療法と言えば絶対的な安静でした。だから小さな,本当に小さな村に移り住む事になってしまったのです。家の中は窮屈だったので、新鮮な空気を吸う為にベランダへ良く出て行ったものです。そこからは本当に美しい景色が見えました。「開発されていない」という事は、「美しい風景が保持されている」という事と同義語です。その村は小さな農村で、建築が風景を創っていました。だからこそ、風景はキラキラと輝いていたのです。それらは本当に息を呑むほど美しかったのですが、15日間の療養中、四六時中見ていたものですから、何時しかそれらの風景は私の中に入り込み、私の心を一杯にしてしまいました。その時の経験が、後の私の作品に大きなガラス窓を創り出す事を避けさせたり、断片的な開放部を意識的に設けたりする事を好むようにしたのだと思います。
R: Yo tenía, todos teníamos entonces, una “primera infección”, la antesala de la tuberculosis. Todavía no había antibióticos y la única posibilidad de recuperación era el reposo absoluto. Total, que estaba en un pueblo muy pequeño. Y me acercaba a la terraza para tomar aire. Desde allí se veía un paisaje maravilloso. La falta de desarrollo se traducía allí en la falta de deterioro del paisaje. El pueblo era un pueblo agrícola, y es la arquitectura la que hace el paisaje. Por tanto , el paisaje era precioso. Pero, a pesar de eso, tras 15 días de reposo ya no soportaba verlo. Por eso, años después, evité la tentación de crear una gran cristalera con una gran vista y preferí orientar las aberturas de una forma intencionada, pedazo a pedazo.



Q: クライアントは大きな窓を欲しがるのではないのでしょうか?小さな窓を創る事を理解しますか? Q: ¿Los clientes lo entienden?

R: 文句を言う人が多いですね。「美しい風景の前では、それらを見渡す展望台を創るべきだ」と、そう考えているのです。その様な時、私は何時もこう答えます:「それは違う」と。「美しい風景を見続ける事は人間を心から疲れさせるだけだ」と。風景を望む事は「押し付け」になるべきではなく、それを見るかどうかと言う「選択肢」であるべきなのです。
R: Protestan. Frente a un gran paisaje creen que hay que hacer un gran mirador. Y yo les contesto que no, porque cansa. El paisaje no debe ser una imposición permanente, debe ser una elección.

Q: あなたに絵を書く事を教えたのは叔父さんですね?
Q: Fue su tío quien le enseñó a dibujar.

R: 当時、叔父は私達と一緒に暮らしていました。当時におけるポルトガルの一般的な家族と言うのは大変大きなもので、私の家族の場合は、祖母、両親、両親の姉妹、結婚していなかった私の父の兄弟(叔父)、そして我々兄弟が一緒に住んでいました。毎日の生活が営まれる舞台は常に大家族が背景だったのです。夕食や昼食の時などは何時も大きな大きなテーブルを皆で囲んでいたものです。そんな大家族だったのですが、それでも何とかやっていけたのは、当時の母親には今日の母親よりも助けの手が沢山差し伸べられていたと言う事が挙げられると思います。家族の中には必ずと言って良いほど、結婚していない叔母などが居て、彼女達は何時如何なる時も互いに助け合っていたからです。ちなみに私の家族は2人のお手伝いさんを雇っていたのですが、それは別にお金持ちだったとか特別だったと言う事ではなく、当時支払っていた給料と言うのは本質的には食事だけで、それ以外は払っていなかったという事情があるんですね。当時は何処の家もそんな感じだったのです。近隣住民との関係は大変楽しいものでしたし。この様な環境で私は育ち、そして成長していきました。夕食後、女性達は編み物をし、父は次の日の授業の準備をしていました。そして独り者の叔父、(彼は人生において何をするのか目的が無い人だったのですが)、その彼が私を呼び、机に座らせ、そして絵を描かせたのです。
R: Vivía con nosotros. Las familias eran grandes. En nuestro caso estaba la abuela, mis padres, las hermanas y ese hermano de mi padre, que era soltero, además de nosotros. Los escenarios eran los de una gran familia. Las cenas o las comidas eran siempre en mesa grande. Las madres de entonces tenían más recursos que hoy porque había siempre unas tías solteras que ayudaban en todo. Teníamos también dos empleadas, porque por aquella época se pagaban prácticamente con la comida y nada más. La vida era así. Las relaciones vecinales eran muy distraídas, pero limitadas también. Ese fue el ambiente en el que crecí. Y después de cenar, cuando las mujeres se ponían a hacer punto y mi padre preparaba sus clases…, ese tío soltero que vivía con nosotros y que era un negado absoluto no sé por qué me sentaba a dibujar.

Q: お父様はエンジニアだと思っていました。
Q: Creía que su padre era ingeniero.

R: 以前はそうでした。日中は砂糖工場で働き、夜は電気技師の学校で教えていたのです。給料は安く、そして家族は大きかったからです。
R: Lo era. De día trabajaba en una fábrica de azúcar, pero por la tarde-noche daba clases en una escuela de electricistas. Los salarios eran bajos y la familia grande.

Q: ご兄弟も絵を描いていたのでしょうか?
Q: ¿Sus hermanos también dibujaban?

R: 叔父は夕食が終わった後、テーブルクロスを剥ぎ取り、そこに座りました。正確に言うと、叔父は私に絵を書く事を教えてくれたのではなく、私に書く事を勧めていただけだったのです。私は5人兄弟だったのですが・・・一番上の兄は医学を学んでいました。スポーツマンで、バスケットをやっていたのですが、事故に合い、死んでしまいました。医学部を卒業した正にその直後の事だったのですが、彼の死が私の家族にどれ程の衝撃を齎したかについては言うまでもありません。私は上から2番目で、下の弟はエンジニアです。他の2人は妹達で、一人は修道士、もう一人は哲学を勉強しました。
R: Mi tío se sentaba a la mesa en cuanto se terminaba la cena y quitaban el mantel. No me enseñó a dibujar. Pero me animó a hacerlo. Mis cinco hermanos… el mayor se diplomó en Medicina. Era deportista, jugaba al baloncesto, y luego, en un estúpido accidente, murió. Justo había terminado Medicina, y, claro, eso marcó mucho a mi familia. El que va detrás de mí es ingeniero. Y luego van mis hermanas, la que es monja y la que estudió filosofía.

Q: 信仰心の強いご家族だったのでしょうか?
Q: ¿Fue una familia religiosa la suya?

R: その当時は全ての家族が信仰心の強い家族だったのです(笑)・・・しかし実質的な担い手は女性達でした。特に結婚してない女性達。男達と言えば・・・日曜日に女性達に付き添って教会に行っていたくらいです。しかし宣教師の説教の時間になると、男達は皆、外へ出てタバコを吸っていましたけどね。
R: En aquellos tiempos todos éramos religiosos… [se ríe] pero la versión practicante eran las mujeres. Sobre todo las tías solteras. Los hombres… el domingo, para acompañar a la mujer. Pero durante la homilía salían a fumar un cigarro…

Q: 慣習的にミサに行かれていたのですか?
Q: ¿Iban a misa como un ritual?

R: もしミサに行かなかったら、それこそ一大スキャンダルとなる様な時代でした。子供達も行っていましたし、私の年代では15歳まではミサには行っていましたね。15歳を過ぎると、付き添いを外で待っていたり、タバコを吸い始めたりして、そして次第に行かなくなるというのが一般的だったと思います。
R: Hubiera sido un escándalo no ir a misa. Los niños también íbamos. En mi generación fuimos hasta los 15 años. Luego empezamos también a esperar fuera, fumando el cigarrillo, y ahí acababa la cosa.
 


Q: オペラ歌手になりたかったというのは本当でしょうか?
Q: ¿Es cierto que quiso ser cantante de ópera?

R: 誇張し過ぎです。子供達は皆、消防士になりたいと言いますよね。あれと同じですよ・・・。私の父はオペラが大好きでした。好きなだけでなく、歌を習ったり、クリスマスのパーティーの時などには、叔母の一人(ピアノの教師であり、家でピアノ教室を開いていました)がピアノを弾き、そして父がアリア(オペラの独奏)などを歌ったりしたものです。
R: Es una exageración. Sabe que de niños queremos ser bomberos… A mi padre le gustaba mucho la ópera. Incluso estudió canto y durante las fiestas de Navidad, una de las tías –que era profesora de piano y daba lecciones en casa- tocaba el piano. Y con ella mi padre cantaba un aria.

Q: お上手だったのでしょうか?
Q: ¿Lo hacía bien?

R: とても上手かったと思います。父の様に歌いたかったので、最初は彼と一緒に歌い始めました。その後オペラを歌っている事を建築学校でよくからかわれたものです。何でかって、当時オペラと言うのは何かしら冗談の様に捉えられていた時代だったので・・・。知的に正しい音楽と言えばクラッシクだったからなんですね。その後何年かして、オペラをからかっていた友人達が、急にオペラを民主主義の芸術として評価し始めたのにはチョット驚きました。物事と人の評価と言うものは、その時の状況に非常に左右され易いものなのです。
R: Muy bien. Yo empecé a cantar con él porque me gustaba cómo lo hacía. Luego, en la escuela de arquitectura me ridiculizaron, porque la ópera era algo bufo y lo intelectualmente correcto era la música clásica. Pero años después, los mismos amigos pasaron a valorarla como un arte democrático. Las cosas y las opiniones están sujetas a los momentos.

Q: あなたの家族構成には建築家に成る様な要素はさっぱり見当たらないのですが、何故建築家になろうと思ったのですか?
Q: En medio de esa familia, ¿por qué decidió ser arquitecto?

R: バカンスで時々スペインに行っていた事が非常に大きな影響を及ぼしたと思います。私の父はスペインが大好きでした。そして大変重要な事に、当時はエスクード(ポルトガルの通貨)はペセタ(スペインの通貨)の2倍の価値があったのです。だから最も経済的なバカンスの過ごし方というのはスペインに行く事だったのです。私の父は運転はしなかったのですが、車を借りて毎年違う地方を訪れたものです。
R: Porque durante algunos años pasamos las vacaciones en España. A mi padre le gustaba mucho y, no menos importante, un escudo valía dos pesetas. Así, la forma más económica de asegurarse unas vacaciones era venir a España. Mi padre, que nunca condujo, alquilaba un coche y cada año visitábamos una región.

Q: 幼少の頃は毎年そうされていたのでしょうか?
Q: ¿Toda su infancia?

R: スペインが経済成長を始め、スペインでバカンスを過ごす事が経済的でなくなるまではね。父は我々を美術館に連れて行くのが好きでした。とても教養のある人で、古典ポルトガル文学全集を持っていたいました。それに飽き足らず、自分の新聞を創ってしまった程です。新聞の名前はPelicanoと言い、Matosinhos(シザの実家がある都市)で起こった日々の出来事などを主に扱っていました。父が編集長を務め、3人の友達が新聞を刷ったり売ったりしていました。父は全ての事に関心を示す人でしたが、建築にはそれ程関心を持って無かった様に思います。
R: Hasta que España empezó a desarrollarse y ya no pudimos continuar. A mi padre le gustaba llevarnos a los museos. Era culto. Tenía libros de todos los clásicos portugueses. Llegó a tener incluso un periódico, El Pelícano, que informaba sobre la vida en Matosinhos. Él lo dirigía y tres amigos más lo producían y lo vendían. Mi padre fue un tipo interesado por todo, pero tal vez no tanto por la arquitectura.

Q: それから?
Q: ¿Entonces?

R: スペイン各地の都市を訪問した際、どの都市を訪れても最初に父が見ようとしたのは市場でした。「市場の雰囲気は、その都市のトーンを教えてくれる」だからだそうです。当時、私は彫刻を学ぼうと決心していたのですが、そんな時、父は当時の彫刻家が社会的にどう見られているか、そのイメージを話してくれた事がありました:「未来が無い職業だ」と。私の父はとてもチャーミングな人だったのです。そんな父に反対する事はしたくなかったので、平和的な解決をしようと密かに計画したのです。最初は美術学部に入学して、その後、ドサクサに紛れて彫刻の道に戻ると言うのが、当時の私の立てた戦略だったのです。しかしですね、ここで思いもかけない事が起こってしまったんですね。と言うのも、当時の建築学部は大変面白い時期に突入していて、根本的な革新の真っ只中だったのです。
R: Yo le cuento. Cuento visitábamos las ciudades, lo primero que quería ver era el mercado. Decía que la vida del mercado daba el tono a la ciudad. De modo que cuando pensé dedicarme a la escultura, mi padre me habló de la imagen que entonces había de lo que era un escultor: alguien sin futuro. Sucedía que mi padre era una persona encantadora. Así que no era cuestión de hacer la revolución y matar al padre. De modo que decidí hacer las cosas de una forma pacífica. Entré en Bellas Artes con la idea de regresar a la escultura. Solo que el momento en la escuela de arquitectura era muy interesante: un tiempo de profunda renovación.

Q: 何故何時もソーシャルハウジングに関心を持たれているのでしょうか?
Q: ¿Por qué siempre le ha preocupado hacer vivienda social?



R: 1974年の4月にポルトガルで革命が起こり、それが人々の生活に深い影響を齎した事は周知の事実です。建築学部は独裁政権に批判的な態度をとっていました。1968年のパリ革命の前、1962年にはポルトガルにおいてアカデミズムの危機が起こり、沢山の教師達が監獄送りとなりました。そんな折、建築学部はポルト市の中心部に位置していた貧困エリアと大変深い関わりを持っていました。それらは労働者達の住居であり、ブルジョア階級の豪邸の間に位置する庭先に建っていて、孤島(isla)と呼ばれていました。それらは本当に小さく、そして大変状態の悪いものだったのですが、19世紀の終わりにはポルト市の全住人の内、何と50%もの人達がその様な孤島に住んでいたのです。
R: Sucedió en abril de 1974 [la revolución de los claveles], y eso afecta a los intereses de las personas. La escuela de arquitectura era abiertamente crítica con el régimen. Ya en 1962, antes del Mayo del 68, hubo una crisis académica en las universidades y muchos profesores fueron encarcelados. La escuela tenía mucha relación con los barrios pobre del centro de Oporto que la rodeaban. Eran viviendas obreras, levantadas en los jardines burgueses formando filas que se llamaban islas. Eran muy pequeñas, malísimas, pero, al final del siglo XIX, el 50% de la población de Oporto vivía en esas islas.

Q: それはブルジョア階級と労働者階級を一緒に住まわせる為の方策だったのでしょうか?
Q: ¿Era una manera de forzar la convivencia?

R: 違います。それは名前が示す通り、周りからはあらゆる意味で断絶していたのです。そういう意味において、「孤島」と言う名前は非常に良く考えられた、ぴったりの名前だと思います。それらの孤島は革命の前に既に取り壊しが決まっていたのですが、と言うのも状態が非常に悪く、居住条件を十分に満たすものでは無かったからなんですね。しかし、それらの取り壊しが都市の中心に居座っている危険因子達を立ち退かせる為のちょっとした小細工に変換されてしまった所から全ては始まりました。当局などによって、彼らを郊外や辺境、もしくは断絶された地区へと立ち退かせる為のアイデアが探索され始めたのです。それらの事が中心地区のコミュニティを破壊してしまったのです。孤島では労働者の家族に大変厳しい規律(例えば猫を飼ってはいけないとか)が与えられ、何時も覆面警察の監視下に置かれていました。それら全ての事が暴動の引き金となったのです。その様な状況下において、建築学部の学生達が、それら労働者の人達と一緒に仕事を始めました。その事が彼ら(建築学生達)が社会学に興味を持ち始めたキッカケであり、その事件を元に1970年代には社会学はポルトガルにおいて一つの授業へと発展していったのです。それが意味する所はつまり、その何年か後に革命が起こった時、労働者達の計画を推し進める為の種は既に蒔かれていたという事なのです。
R: No. El nombre isla está bien puesto. Ya antes de la revolución se había decidido erradicarlas porque no cumplían condiciones de habitabilidad. Pero eso se convirtió en una hábil operación para retirar a esas masa “peligrosas” del centro de la ciudad. Buscaban llevarlas a la periferia, a barrios separados. Eso destruyó las comunidades del centro. En las islas, las familias obreras tenían un régimen habitacional muy duro. No podían tener gastos, por ejemplo. Tenían siempre a la policía política infiltrada, y todo eso creo una enorme revuelta. De modo que los estudiantes de arquitectura empezaron a trabajar con esa gente. Era el momento del interés por la sociología, que pasó a ser una disciplina universitaria en los años sesenta. Los estudiantes ayudaron y ciando llegó la revolución de los claveles, el terreno estaba abonado.

Q: 学生達によって蒔かれたそれらの種を元にして、住宅局の局長だったヌーノ・ポルタスがそれらの変化の準備をしたのですね。
Q: Tas la revolución, el secretario de Estado de Vivienda, Nuno Portas, organizó los cambios a partir de la semilla de los estudiantes.

R: その政策は「地元援助サービス」と呼ばれ、建築家、法律家、そしてエンジニアなどが参加していました。そのアイデアの発端となったのは、建築家達と言うよりも、寧ろ学生達だったのです。しかしながら、政治的な思惑から、その計画の実行はそれほど簡単ではなかったのです。労働者達を偏狭に追いやり、土地の値段を上げる投機目的の土地の買占め計画が政府により進められていました。
R: Se llamaba Servicio de Apoyo Local y eran brigadas de arquitectos, juristas e ingenieros. El origen estuvo más en las manos de los estudiantes que en las de los arquitectos. Y no fue fácil porque había muchos intereses. La expropiación del suelo del centro había sido organizada para enviar a los obreros a la periferia y para especular con el suelo.

Q: あなたはそれら学生の一員だったのでしょうか?
Q: ¿Usted era uno de esos estudiantes?

R: いいえ、私はその時、既に大学で教鞭をとる身でした。教え子の一人にはエドゥワルド・ソウト・デ・モウラがいました。ある時、彼を含む何人かの学生が、彼らの立ち上げた計画にサインする為の建築家を探していて、私の元を尋ねてきたのです。素晴らしい計画で、非常に興奮したのを今でも覚えています。その計画が発表されて以来、元からあるコミュニティを維持するという考えはポルトガル全土に広がる事になります。ここからポルトガルの建築が他国に知られる様になっていったのです。
R: No. Yo ya era profesor y algunos alumnos, como Eduardo Souto de Moura, me vinieron a buscar porque necesitaban un arquitecto para firmar y dirigir el equipo. El proyecto me entusiasmó. Luego, la idea de mantener las comunidades se extendió por todo el país. A partir de ahí se conoció en otros países la arquitectura portuguesa.



Q: 今年のプリツカー受賞者であるソウト・デ・モウラ氏は5年間あなたの事務所で働いていました。そしてあなたは、彼に活を入れる為に事務所を追い出しましたね(エドゥアルド・ソウト・デ・モウラ氏についてはコチラ:地中海ブログ:エドゥアルド・ソウト・デ・モウラの建築:ポウザーダ・サンタ・マリア・ド・ボウロ:必要なくなった建築を壊すのではなく、修復してもう一度蘇らせるという選択肢、地中海ブログ:エドゥアルド・ソウト・デ・モウラのインタビュー記事
Q: El último Pritzker, Souto de Moura, trabajó con usted cinco años, hasta que lo echó para que espabilara.

R: 彼には彼自身の人生が必要だったのです。その上、当時の私の事務所には給料を十分に払う事が出来るだけの仕事が無かったのです。何故仕事が無かったか?と言うと、1974年から1976年の間の行われたそれら孤島の計画に参加した建築家達は、投機目的の計画を推し進めたかった人々(土地所有者、不動産業者、そして技術者)の目の敵にされた為、建築家としてのキャリアに傷が付けられ、ポルトガルの建築市場からは殆ど村八分状態にされてしまったからなんです。だからエドゥアルドは出て行ったのです。と言うか、私が追い出したのです。当時は若い建築家が独立する為の仕事が十分にあったと言う事も、彼を追い出そうと思った事を後押ししました。
R: Necesitaba su propia vida. Además, yo no tenía trabajo como para pagarle bien porque la gente que participó en ese programa de las islas entre 1974 y 1976 quedó marcada, absolutamente marginada, por quienes habían salido perjudicados en su ambición por hacer negocios especulativos: propietarios, inmobiliarias y técnicos. Así que Souto se fue. Había trabajo. Pero a nosotros nos habían sacado del mapa.

Q: その後、ポルトガルではなく他の国々があなたを招き始めました。
Q: Luego le invitaron a trabajar en otros países.



R: スペインとドイツ、そしてオランダで住民参加型のソーシャルハウジングの仕事をしました。そこに住む住民にとって必要なものと、彼らの人生を表象する様なデザイン、そんなアイデアを伴った住宅を依頼されたのです。世間は私の事を何時の間にか社会参加のスペシャリストと見るようになっていました。ハッキリ言ってそれほど不快な事はありませんでしたけどね。
R: En España, en Alemania, en Holanda hice vivienda social participada. Siempre me pedían casas en las el usuario da ideas para el diseño explicando su vida y sus necesidades. Quedé marcado como especialista en participación social, una cosa repugnante.

Q: 不快だったのですか?
Q: ¿Repugnante?

R: ハイ、何故なら「参加のスペシャリスト」とは一体何を意味するのでしょうか?私には皆目検討も付かないのですが・・・。
R: Sí, porque, ¿qué es eso de especialista en participación?

Q: とても英雄的な事の様に思えますけど・・・?例えばオスカー・ニー・マイヤーの様な建築家はソーシャルハウジングの仕事をしていません。彼はコミュニスタなので、ソーシャルハウジングを手掛けなければいけないはずですが・・・。
Q: Parece heroico. Arquitectos como Oscar Niemeyer no hicieron nunca vivienda social. Y eso siendo comunista…

R: そうですね、彼はソーシャル・ハウジングを手掛けていません。しかしですね、都市のデザインと言うのは近代化だけでなく、民主化も控えてなければならないと思うのです。そしてそれこそ社会な事だと思うんですね。都市を構成している多数の細胞の内の一つでしかないソーシャルハウジングを手掛ける事は必ずしも必要では無いのです。「変化」と言うのは都市の建設と共に訪れます。当時は本当に沢山のソーシャルハウジングの仕事が舞い込んできたのですが、ソーシャルハウジングの専門化にはなりたくなかったので、他のビルディングタイプのコンペに沢山応募しなければなりませんでした。他のプログラムを持った建築や違う規模の建物を手掛けたかったし、そうする必要性があったからです。
R: Sí, pero yo creo que es social una ciudad que tiene detrás un programa no solo de modernización, sino también de democratización. No es necesario hacer siempre la vivienda que es solo una célula. Los cambios llegan con la construcción de la ciudad. Tuve que hacer concursos porque no quería ser un especialista en vivienda social. Tenía necesidad de experimentar otros programas, otra escala.

Q: Matosinhosはあなたの生まれ育った街であり、ポルトの一地区といっても良いですよね?
Q: Matosinhos, la ciudad donde creció, es casi un barrio de Oporto.



R: ポルトは現在100万人規模の都市となり、周辺に位置する都市はポルトと共に大都市圏を創り出しています。Matosinhosを発展させたのは建築と漁業でした。何故ならポルト市内を流れる河川の漁港はMatosinhosに造られた人工的な漁港に移されたからです。だから第二次世界大戦中には、前線にいる(東西の区別無く全ての)兵士達に送る為の缶詰工場で大変繁栄したのです。何故敵対している両国に支援を送る事が出来たかと言うと、大戦中、ポルトガルはスイスと同様に中立的な立場をとっていたからなんですね。その後それら同じ漁業の事業者達が、タングステンを採掘し始めました。これらの資源がMatosinhosを豊かにしたのです。
R: Oporto tiene un millón de habitantes y las ciudades se han ido añadiendo formando un continuo urbano. Lo que desarrolló Matosinhos fue la arquitectura y la pesca, porque el puerto fluvial de Oporto se trasladó a un nuevo puerto pesquero artificial allí. Así, durante la II Guerra Mundial, se enriqueció mucho con fábricas de conservas que enviaban latas hacia los dos frentes, porque Portugal se mantuvo neutral, como Suiza. Luego, esos mismos empresarios de la pesca empezaron a explotar el wolframio. Con eso se hicieron las grandes fortunas allí.



Q: それら蓄えられた富を一体どの様に浪費してしまったのでしょうか?
Q: ¿Y cómo las gastaron?

R: それらの財産は大変短い間に蓄えられたのですが、その財産を創り出した時間よりもよっぽど早く消費してしまったのです。その富のおかげでMatosinhosは大変成長し、人口は増え、イワシに関しては世界一の水揚げ量を誇っていた程だったのですが、その後、モロッコと言う強力なライバルが現れ衰退期が訪れる事となります。今では缶詰工場は一つしか残ってはいませんが、当時は一つの街路が全て工場で埋まる程繁栄していました。
R: Las hicieron en poco tiempo y las gastaron en menos. La ciudad creció mucho. Aumentó la población y el puerto se convirtió en el primero en pesca de sardina hasta que comenzó la decadencia por la competencia con Marruecos. Hoy solo queda una fábrica de conservas, pero había una calle entera…

Q: ノスタルジーを感じていらっしゃるのでしょうか?それとも、それらの変化を憂いていらっしゃるのでしょうか?
Q: ¿Siente nostalgia? ¿Le preocupan los cambios?

R: 我々は近代化を信じてきたのですが、その近代化は車とバスに空間を譲る為に、路面電車をゴミ箱に捨てるという選択肢を選んでしまいました。それは明らかに間違いだったと思います。今、路面電車は少しずつですが復活してきています。今日において路面電車はクリーンな交通手段、自家用車に代わるオルタナティブな交通手段として見直されているからです。
R: Sí. Nos creímos modernos porque tiramos el tranvía a la basura para dejar pasar a coches y autobuses. Fue un error. El tranvía regresó tímidamente. Pero hoy es una alternativa limpia.

Q: あなたが子供だった頃の「都市と人間の関係」と、あなたの子供達が体験した都市との関係、どちらがより良い関係だと思われますか?
Q: ¿Su relación con la ciudad era mejor cuando era niño que la han tenido luego sus hijos?

R: 幾つかの側面においては、我々は何かしらを失ってしまったと思います。その一方で、現在の我々は昔に比べ遥かに良い生活をおくっているとも言えるのではないでしょうか。現代都市のサービスやインフラは比べ物にならないほど発達しましたからね。一つ例を挙げるなら、ヨーロッパの学生の為に創られたエラスムスと言う交換留学制度が挙げられるかと思います。あのプログラムは欧州委員会が欧州市民の為に実現した数少ない有益なサービスだと思います(地中海ブログ:ちょっと気になる広告:エラスムス(ヨーロッパの大学間交換留学プログラム:The European Community Action Scheme for the Mobility of University Students : ERASMUS)の実態???)。
R: En ciertos aspectos hemos perdido. En otros, vivimos mejor. Hay más equipamientos. Para los estudiantes existe ese programa Erasmus, que es de las pocas cosas buenas que hizo la Comunidad Europea.

Q: 欧州に対して批判的なのでしょうか?
Q: ¿Es crítico con Europa?

R: 難しい局面に直面した時こそ、物事の真価が問われます。今日においては近隣や街路を通した人と人との関係性というのは失われてしまいました。今、近隣関係は移行期にあり、我々は閉じられた建物の中に、まるで地域に背を向けるかの様に住むようになってしまったのです。それら個別的で都市に背を向けている住居郡は、まるでイナゴの大発生が田畑を壊滅させるのと同じ様に、都市、人間、そして我々の子供達をも駄目にしているのです。そんな状況が続いている限り、未だ都市の希望について話す事は出来ません。
R: El valor de las cosas aflora en los momentos difíciles. Hoy, las relaciones de vecindad y de la calle se han perdido. Están en fase de transición y vivimos de manera primaria, en condominios cerrados al barrio que son una plaga para las ciudades, para las personas y para los niños también. Por eso no es posible todavía hablar con esperanza de las ciudades.

Q: あなたのご子息であるAlvaroさんも建築家ですよね。一緒にお仕事はされないのでしょうか?
Q: Su hijo Álvaro es arquitecto. ¿No trabaja con usted?

R: 息子は独立してやりたいんだそうです。分かりますよ、その気持ち。もしあなたが有名な建築家の息子だったら、多かれ少なかれ何かしらの問題に纏わり付かれると思います。彼は才能に恵まれた建築家だと思うのですが、今日的な社会経済状況はそう簡単に仕事を獲得させてはくれないようです。だから時々こう言いたくなるのです:「一緒にやらないか」と。しかし彼はそうしたくないのです。Alvaroはいくつかの計画に非常に満足し、ロシアで2つの賞を獲得しました。
R: Quiso ser independiente. Y lo entendí. Si eres hijo de un arquitecto conocido, con razón o sin razón, tienes problemas. Tiene talento y hoy es difícil acceder a trabajos. Así que a veces me gustaría decirle: “vente”. Pero no quiere. Aun así, ha quedado contento con algunos proyectos y le dieron dos premios en Rusia.

Q: 1973年に奥様を亡くされましたね。建築に従事されていたのは、彼女を忘れる為だったのでしょうか?
Q: Usted perdió a su mujer, Maria Antónia Marinho Leite, en 1973. ¿La dedicación a la arquitectura ha sido un refugio?

R: 違うと思います。彼女の死が私にとって大変大きなトラウマとなった事は事実であり、その事が時に私の集中力を極限まで高めたのかもしれませんが・・・分かりません。分析したくは無いですね。妻が死んだ時、子供達は未だ幼くて、母親が付き添っていなければならない時期だったのですが、多分私は十分に彼らの世話が出来なかったのでは?と思っています。子供達は何時も私と共に生活していましたけどね。
R: No lo creo. Pero claro que fue un trauma muy grande y tal vez eso me empujara hacia una mayor concentración. No sé. Prefiero no analizarlo. Mis hijos eran pequeños cuando mi mujer murió y es posible que no los haya acompañado con la intensidad que sería necesaria. Pero estuvieron viviendo siempre conmigo.

Q: どうやって育てられたのでしょうか?
Q: ¿Cómo hizo para criarlos?

R: 祖母達のサポートがありました。
R: Tenía ayuda de las abuelas.

Q: 大家族のメリットですね。
Q: Otra vez la familia grande.

R: そうですね。しかし、昔とは事情が随分違っていました。祖父母達は子供達とは年代的に相当な隔たりがあり、彼らは彼らの人生を生きてきたので、彼らの自身の経験を、年代も育ってきた環境も全く違う若い子供達に当て嵌める事は出来なかったのです。しかし本当に良く助けてくれました。仕事で外に出て行かなくてはならない時など、祖父母達が代わる代わる面倒を見てくれたのです。しかし、子供達の教育と、彼らと一緒に居る事が出来た時間などに関しては本当に悪い事をしたなと何時も思っています。違うやり方もあった事はあったのですが・・・それは難しい選択でした。
R: Sí, pero no es lo mismo que en otras épocas porque, en determinado momento, los abuelos tienen una experiencia de vida que ya no puede ser traducida a otra generación. Pero ayudaron mucho. Si me tenía que ir fuera, los niños se quedaban con una u otra abuela. Pero, claro, yo tengo la sensación de que no me desempeñé bien respecto a su educación y su compañía. Que otra opción hubiera podido ser mejor, pero… era difícil.

Q: 多分、どんな親でも子供の前では「もっと良く出来たかもしれない」という後悔の念に近い感覚を持つのではないのでしょうか?
Q: Tal vez uno siempre tiene esa sensación ante los hijos, la de no haber hecho lo suficiente.

R: そうかもしれませんね・・・。ところで、絵を描く事は人生を通して何時も私を虜にしてきたのですが、その一方で、絵を描く事にそれ程従事してきた訳ではありません。何故かと言うと、妻が非常に絵が巧かったからなんです。彼女は稀に見る描き手で、彼女の前で絵を描く事など無駄な事にさえ思えたほどだったのです。若くして死んでしまったので、その技術を成熟させる事は出来なかったのですが、彼女は幾つかの素晴らしい作品を残していってくれました。当時、彼女が好んで描いていたのはフィギュラティブ・アートでした。しかもフィギュラティブ・アートが危機に陥ってる時代に、それを描いていたのです。彼女の類まれな才能に何人かの教授は気が付いていたのですが、大学内でさえ、彼女はサポートを得る事が出来なかったのです。理由は簡単で、当時においてフィギュラティブ・アートは流行ではなかったからなんですね。彼女は何時も時代の流れに逆らうような所があり、芸術においてもその姿勢を崩す事はありませんでした。だから彼女の偉大なる才能は、彼女の死後だいぶ経ってからフィギュラティブ・アートの時代が来るまで知られる事は無かったのです。
R: Sí, sí. Voy a intentar fumar ahora –dice disculpándose-. Creo que yo dejé un poco abandonado el dibujo, que siempre me apasionó, porque mi mujer dibujaba tan bien… Era una dibujante extraordinaria y pensé que era inútil ponerse a dibujar a su lado. Por edad, no tuvo tiempo de madurar en el aspecto de la pintura. Tiene algunas magníficas, pero poquísimas. Tiene sobre todo dibujo figurativo, y realizado en una época en la que lo figurativo estaba en crisis. Incluso dentro de la escuela, donde era reconocida por los maestros por su talento, no fue muy apoyada. Ella siempre iba a contracorriente y también en el arte actuó contracorriente. Por eso su gran talento no fue reconocido hasta años más tarde, póstumamente, cuando regresó el movimiento figurativo.

Q: 今もお一人なのですか?
Q: ¿Sigue siendo viudo?

R: はい。再婚しなかった事は間違いだったのかもしれません。きっと子供達にとっても新しい母親が来た方が良かった事だろうと思いますし。まあ、でも再婚なんかしたら、最悪の事態になっていたかもしれませんしね(笑)。一人身でいる事はとても辛い体験でした。
R: Sí. Probablemente fue un error. Tal vez para la ecuación de los hijos hubiera sido mejor no serlo. Pero también podría haber sido peor [se ríe]. Fue una experiencia muy dolorosa.

Q: 中国やドバイで仕事をされようとしませんよね。政治的な理由なのでしょうか?
Q: No ha querido construir en China ni en Dubai. ¿Razones políticas?

R: 違います。建築家と言うのは何時如何なる時でも、自身の政治的信念からはある程度の距離を保ち活動する必要があります。だから質問に対する答えはノーです。中国やドバイで仕事をしない理由は、条件があまり魅力的ではなかったからなのです。
R: No. Casi siempre, un arquitecto necesita tener en su actividad un distanciamiento de sus opciones políticas, con límites, para poder ejercer su actividad. No fue por eso. Las condiciones no eran atractivas.

Q: マドリッドの人々の間では、Prado-Recoletosの計画や、Congresoの前に創られた広場に関して「かなり硬い」と評判です。どうしてあんなにも沢山のコンクリートを使われたのでしょうか?
Q: Entre los madrileños, sus proyectos como el eje Prado-Recoletos o la finalizada plaza frente al Congreso tienen la fama de duros. ¿Por qué tanto hormigón?

R: 建築家が都市に介入する際、何時も何かしらの部分が不完全なものとして残されます。その部分はどんな建築家でも完成させる事が出来る類のものではなく、時間だけが完成させる事が出来るものなのです。「時」とは偉大なる建築家でもあるのです。新しい計画がよく組織された構造を持つ時にのみ、過去の都市が保持している複雑さの中において、新しい計画は未来の介入を吸収する事が出来るのです。反対に、一つの計画が完全にそこで終わっているように見える時なんかは大抵の場合、悪い計画になっていると思います。時間を計算に入れない建築家は何時も敗北するんですよ。
R: Cuando uno interviene en la ciudad siempre queda inacabado porque hay algo que hace el tiempo que ningún arquitecto puede hacer. El tiempo es un gran arquitecto. Solo si tiene una buena estructura organizativa, el proyecto nuevo podrá absorber las futuras intervenciones, en la complejidad que tienen las ciudades antiguas. En cambio, si un proyecto, de entrada, parece muy acabado, normalmente está mal. Quien no cuenta con el tiempo se pierde.

Q: ブラジルのポルト・アレグレに完成された新しい美術館は禁欲的で謙虚な佇まいをしています。しかし同時に、官能的で陽気でさえあります。あれを見た時、あなたには何かしら未だ使っていない新しいカードが隠されていたかのように見えたのですが。
Q: El nuevo Museo Iberé Camargo en Porto Alegre (Brasil) es austero, pero, a la vez, sensual y alegre. Parece como si se hubiera guardado una carta por jugar.

R: 別に今までそのカードを隠していたわけではなく、唯単にそのカードを使う場面が無かっただけなのです。そのカードを切った事は、ブラジルにおいて最高の状態で仕事をするコンディションを私に与えてくれました。潤沢な資金を持った大変優秀で人柄が良いプロモーターが、友人であり画家であるIbere Camargoの美術館実行委員会を組織していたのです。これら友人達による委員会は、この画家と残された婦人に対する友情の気持ちから、建築の質に大変高い関心を払っていました。この美術館のパトロンはポルトアレグレの企業家兼エンジニアで、彼はこの美術館の建設現場を組織するのに情熱を注いでいました。ただですね、この仕事は一つだけ問題を抱えていました。それはこの美術館の影響力の強さです。この美術館の後では、どの仕事もその影響を免れる事が出来ないのです。
R: La carta por jugar es porque no había tenido acceso a esa carta. El acceso me lo dio trabajar en Brasil en unas condiciones fantásticas. Un promotor inteligente, bueno, rico y buena persona formó una comisión de amigos del pintor Iberé Camargo. Estaban muy interesados en la calidad del edificio por amistad con el pintor y con la viuda, que todavía vive. El principal mecenas es un industrial de Porto Alegre, un ingeniero muy entusiasta que organizó la construcción. Ese trabajo, para mí, solo tiene un problema, y es que con los que he hecho después me ha quedado su recuerdo.

Q: 最近、韓国に作品を建てられましたね。しかし、エドゥワルド・ソウト・デ・モウラ氏が、「あなたは良く旅をし、そして他国で沢山の建築を建てられているが、あなたの建築はどれもポルトガルのアイデンティティを保持している」と、そうおっしゃっていますが。
Q: Últimamente ha construido también en Corea, pero Souto de Moura dice que aunque usted viaje mucho, sus proyectos son siempre portugueses.

R: 建築家としての教育、つまり何処の国でどんな教育を受けたかと言う事は、その建築家の作品に必ず爪あとを残します。しかし、その建築が建てられる土地との関係性を保持するという、ある種、建築家に課せられた責任を回避したいとは思いません。それは必要な事なのです。何故なら韓国で動いている工事現場の機械や、そこで働いている人々、更には仕事の仕方といった事はドイツやスペインでやられている事とは全く違うからです。ケネディ大統領が以前こんな事を言っていました:「(外国人が)ベルリンに到着し、その都市を取り巻いている雰囲気や、その都市が本質的に持っている力などを目の当たりにした時、その人はベルリンの人になる」。
R: Es natural porque la formación deja sus marcas. Pero no quisiera eludir esa responsabilidad: trato de mantener una relación con el lugar. Es una necesidad. Porque las máquinas y las manos que trabajan en Corea no son las mismas que las que trabajan en Alemania o España. El ambiente también es muy distinto. Como decía Kennedy, uno que llega a Berlín y ve la fuerza que tiene la ciudad, pasa a ser un berlinés.
| インタビュー集 | 05:42 | comments(6) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
コメント
シザの記事おもしろかったです。こんな長いインタビューの翻訳を無料でやるなんてえらすぎる!(でも、助かる人多数でしょう)
シザの言葉のなかで、特に、大自然をずっと見ていると人間は萎えてしまう・・・という箇所は興味深いし、本当に的を得ている気がします。ポルトリガットのダリのアトリエもうまくそのへんを調整しているような。
シザは、まさしく建築家に尊敬される建築家ですね。
| Kyoko | 2011/10/18 7:13 PM |
kyokoさん、こんにちは。コメントありがとうございます。

このインタビュー、本当に興味深いもので、是非日本の人達にも知って欲しかったので、がんばって訳してみました。いやー、シザの建築の特徴が何処から来たのかっていうのは長い間、謎だったのですが、少しここで明らかになった気がします。

個人的にシザ関連の書籍や論文は殆ど読んでるのですが、このような発言をしているのは今回が初めてだと思います。大変価値あるインタビューでした。さすが、El Pais!って所でしょうか。
| cruasan | 2011/10/19 1:14 AM |
素晴らしい記事です。アルヴァロ・シザさんは現代建築家のなかでも稀有の存在で、哲学的で思慮深く、質素でエレガントな建築を作られていますから、こういったインタビュー記事を読ませていただいて合点がいきました。
| 森山高至 | 2013/05/04 10:42 AM |
森山高至さん、こんにちは。コメントありがとうございます。

スペインの新聞では毎週日曜日にちょっとした小冊子が付いてきて、その中に世界の第一線で活躍する人達へのインタビュー記事が載っているのですが、それらインタビュー記事が無茶苦茶面白くて、今回のシザの記事はそこから取って来たものです(ちなみに同じ様な感じで、サスキア・サッセンのグローバリゼーションというアイデアが何処から来たのか?を解き明かしたインタビュー記事とか、村上春樹が爆弾発言をした記事などがあったりします)。

個人的にシザには大変興味があり、「彼の建築の本質を知りたい!」との思いから、10年程前にオポルトに1年弱住みこんだのを始め、それ以来、彼関連の論文などは英語、スペイン語、ポルトガル語を含め、殆ど読んでいるのですが、今回の様な大変パーソナルな部分を含んだ記事は見た事がありませんでした。

「シザ建築の謎を解く一端が垣間見えるのでは?」という思いから訳してみました。

これを機に、これからもどうぞ宜しくお願い致します。
| cruasan | 2013/05/12 10:26 AM |
なんとも魅了されるお話で、引き込まれて読みました。プライベートな人生の、様々な人の記憶が織り込まれ、なにか懐かしい感じがしました。作品にもこのような気分が反映されているのでしょう。また、「時」が偉大な建築家となる、というところで、色々な建築を思い返して納得してしまいました。ご紹介していただきましてありがとうございました。
| Marie | 2013/09/24 10:25 AM |
Marieさん、こんにちは。コメントありがとうございます。

シザの一言一言はとても深く、正に彼の長きに渡る建築人生から紡ぎ出されてきたものなんだと思います。この様な興味深いインタビューはヨーロッパには結構溢れているにも関わらず、日本にはナカナカ紹介されないので、今後も紹介し行けたらと思っています。

今後とも、宜しくお願いします。
| cruasan | 2013/10/09 6:54 PM |
コメントする