2011.08.25 Thursday
来生たかお/岡村孝子の「はぐれそうな天使」に見る日本文化の特質
暑い、非常に暑い!って言うか、バルセロナ、先週辺りから急に暑くなってきたんですけど、どういう事ですか?7月、8月と、夜は毛布がいるくらい涼しかったので、「あー、今年は冷夏だ!」とか思ってた所に、大どんでん返し!暑くてやってられません。ってな訳で、夕涼みにYoutubeを見ていたら、こんな動画発見:
岡村孝子の「はぐれそうな天使」です。これが流れてたのって、確か僕が小学校低学年くらいだったので微かに記憶に残ってる程度なんだけど、Wikiとか見ると、「ホンダのイメージソングに使われて当時かなりの話題になった」とかある。そうなんだー。で、この曲を聴いていたらYoutubeのレコメンデーションに現れたのがコチラです:
そう、この曲を創った来生たかおさんが歌ってるヴァージョンです。良く知られている様に、来生たかおさんって楽曲を他のアーティストに提供するだけでなく、自分自身でも歌われてるんですよね。そしてその独特の歌声が創り出す世界観はアイドル達とは又違った雰囲気があって、「歌って、歌い手によってここまで変わるんだー!」って感動してしまう事、しばしばです。マーケティング的に言えば、正に「一粒で二度美味しい」的な、大変上手い売り方であるとさえ言えるかな。
前にも書いたんだけど、現代の歌謡界において、コンサートに行ってまで歌声を聴きたくなる様なアーティストって、そんなにいないと思うんですよね(地中海ブログ:久しぶりにドリカムの「悲しいKiss」とか「二人のDifference」とか聞いて、日本文化の特徴に浸る)。つまりCDを買って家で聴いてればそれで十分ってアーティストが大半って事なんですけど・・・。もっと言っちゃうと、CDの方が音程とか外れてなくて、逆に良い・・・みたいな(苦笑)。
この状況は現代建築界の抱えている問題と非常に似通ってて、現在作られている大半の建築っていうのは、書籍で見てれば良いレベルで、逆に写真の方がフォトショップで補正してあったり、醜い所が隠れる様に撮影されてたりして、現場に行ってみたら「ガッカリ」なんて事が非常に多いって言う、そんな状況な訳ですよ。でもやっぱりアートって言うのは、「そこ、ここにしかない感動を与えてくれるもの」であり、そんな感動を与える事が出来る人の事を「アーティスト」って呼ぶんだと思うんですね。来生たかおさんというアーティストは、正にそんな数少ないアーティストの一人だと思います。
で、今日の話題なんだけど、この「はぐれそうな天使」って歌、聴けば聴くほど「日本語の妙」と言うか、その余りにも巧い言葉の組み合わせの間から、我々日本人や日本文化の特質みたいなのがチラチラ見え隠れしていて面白いなーとか思っちゃったんですね。僕が思ったのは以下の2点。
先ずこの曲の題名なんだけど、「天使」に形容詞の「はぐれそうな」が付いてる。「はぐれる」っていう言葉は、「迷う」とか「方向を見失う」とか、そういう事を意味すると思うんだけど、それが「天使」という言葉と組み合わさる事でどういう感覚を我々に呼び起こすのか?
これは結構重要な問題で、と言うのも、これは単に言葉の問題だけではなく、その言葉が我々に喚起するイメージの問題、そして「その様なイメージが一体何処から来たのか?」と言う諸問題が複雑に絡み合っているからなんですね。
先ず「天使」から行きたいと思うんだけど、一般的な日本人の僕達が「天使」と聞いて思い浮かべるイメージと言うのは多分こんな感じだと思います:
かわいい羽の生えた金髪の赤ちゃん天使。これが典型的なイメージだと思うんだけど、先ずこの天使のイメージが何処から来たのかというとですね、実はこれって、ドレスデン(アルテ・マイスター絵画館(Gemäldegalerie Alte Meister))にあるラファエロの絵画(システィーナの聖母(Madonna Sistina))の一部なんですね(地中海ブログ:幸福の画家、ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio):キリストの変容(Trasfigurazione))。しかも驚愕の事実があるのですが、この絵画、多くの人が思い込んでいる様に、この2人の天使が中心に描かれている様な独立した絵画ではないんですよね。じゃあ、どんなかと言うとですね、その全体像がコチラです:
「あれ、天使居ないじゃん」って思った人多いんじゃないでしょうか?いえ、いえ、よーく見てください、足元あたり。そう、足元にちょこっと上を見上げてる2人の天使、この部分だけがクローズアップされて、あの有名な天使のイメージになっちゃったんですね。(どうでもいいマメ知識終わり)
で、ここからが重要なんだけど、問題は、僕たちが「天使」と言う言葉を聞いてイメージするのが、「この様な天使」だという事なんです(ラファエロの絵画の天使と言う意味ではなく、羽の生えた金髪の赤ちゃん天使と言う意味で)。そもそも天使って言うイメージってキリスト教に由来するものであって、多くの人が無宗教、少なくともキリスト教ではない日本人の多くが「天使」と聞いて、ちゃんと天使をイメージ出来ちゃうって所が凄いと思う訳ですよ!これは日本人の多くの人が「その様な世界観を共有している」という事に他なりません。では「どの様な世界観か?」と言うと、それはキリスト教の世界観なんですね。キリスト教国家じゃないのに(笑)。
この事と、「はぐれそうな天使」という歌と何か関係があるのか?っていうと、それが大有りで、「はぐれそうな天使」という歌は、それを聴いた瞬間に、このような天使のイメージと、その「個性」が即座に頭に浮かばなきゃ成り立たない様に出来ているんですね。つまりこの楽曲は、(キリスト教信者じゃないのに)一般的な日本人の頭の中に蔓延っている天使のイメージを利用していると言う点が先ずは注目すべき点だと思います。
そして2点目はですね、ではこの「はぐれそうな天使」と言う言葉は一体何を意味しているのか?と言う点です。
「恋したら、騒がしい風が吹き、はぐれそうな天使が私の周りで慌ててる」
この美しい歌詞がその手掛かりを与えてくれると思うんだけど、つまり、今までは穏やかだった心の状態が、誰かに恋する事によって、その周りがガヤガヤし出した、「恋とはそういうものである」って事が言いたいんだと思います。そしてそれを表す為に、「天使」=普段はおとなしい天使が、というか、そんな穏やかな天使さえも慌て出し、そして「はぐれそうになっている」と、まあ、こういうことだと思うんですね。
ここには非常に高度なイメージを用いた操作みたいな事が行われてて、つまりは上でちょっと書いた「天使の個性」みたいなものが利用されている訳ですよ。何でかって、もし我々が「天使=何時も騒いでる」みたいなイメージを持っていたとしたら、上の歌詞は意味が通りませんからね。上の歌詞が生きてくるのは我々の頭の中に「天使=穏やかである」って言う「天使の個性」がインプットされている事が必要になってくるんですね。
では何故我々の頭の中にはその様なイメージがインプットされているのか?
それこそ日本文化の特質であって、キリスト教国でもないのに結婚式は教会で挙げ、クリスマスと正月を同時に祝い、そして天使や十字架といったキリスト教の世界観を殆どの人が共有しているって言う驚くべき国民性な訳なんですね。
「はぐれそうな天使」という曲は、現代日本最高のアーティスト兄弟が、微妙な感情の揺れを表現する事が出来る稀有な言語を使って書いた曲だからこそ、その行間に、我々日本人の特質、日本の内側に居てはナカナカ見えにくい日本文化の特質みたいなものが垣間見えるんだと思います。
暑い中、夕涼みに懐かしい曲を聴きながら、そんな事を思ってしまいました。
岡村孝子の「はぐれそうな天使」です。これが流れてたのって、確か僕が小学校低学年くらいだったので微かに記憶に残ってる程度なんだけど、Wikiとか見ると、「ホンダのイメージソングに使われて当時かなりの話題になった」とかある。そうなんだー。で、この曲を聴いていたらYoutubeのレコメンデーションに現れたのがコチラです:
そう、この曲を創った来生たかおさんが歌ってるヴァージョンです。良く知られている様に、来生たかおさんって楽曲を他のアーティストに提供するだけでなく、自分自身でも歌われてるんですよね。そしてその独特の歌声が創り出す世界観はアイドル達とは又違った雰囲気があって、「歌って、歌い手によってここまで変わるんだー!」って感動してしまう事、しばしばです。マーケティング的に言えば、正に「一粒で二度美味しい」的な、大変上手い売り方であるとさえ言えるかな。
前にも書いたんだけど、現代の歌謡界において、コンサートに行ってまで歌声を聴きたくなる様なアーティストって、そんなにいないと思うんですよね(地中海ブログ:久しぶりにドリカムの「悲しいKiss」とか「二人のDifference」とか聞いて、日本文化の特徴に浸る)。つまりCDを買って家で聴いてればそれで十分ってアーティストが大半って事なんですけど・・・。もっと言っちゃうと、CDの方が音程とか外れてなくて、逆に良い・・・みたいな(苦笑)。
この状況は現代建築界の抱えている問題と非常に似通ってて、現在作られている大半の建築っていうのは、書籍で見てれば良いレベルで、逆に写真の方がフォトショップで補正してあったり、醜い所が隠れる様に撮影されてたりして、現場に行ってみたら「ガッカリ」なんて事が非常に多いって言う、そんな状況な訳ですよ。でもやっぱりアートって言うのは、「そこ、ここにしかない感動を与えてくれるもの」であり、そんな感動を与える事が出来る人の事を「アーティスト」って呼ぶんだと思うんですね。来生たかおさんというアーティストは、正にそんな数少ないアーティストの一人だと思います。
で、今日の話題なんだけど、この「はぐれそうな天使」って歌、聴けば聴くほど「日本語の妙」と言うか、その余りにも巧い言葉の組み合わせの間から、我々日本人や日本文化の特質みたいなのがチラチラ見え隠れしていて面白いなーとか思っちゃったんですね。僕が思ったのは以下の2点。
先ずこの曲の題名なんだけど、「天使」に形容詞の「はぐれそうな」が付いてる。「はぐれる」っていう言葉は、「迷う」とか「方向を見失う」とか、そういう事を意味すると思うんだけど、それが「天使」という言葉と組み合わさる事でどういう感覚を我々に呼び起こすのか?
これは結構重要な問題で、と言うのも、これは単に言葉の問題だけではなく、その言葉が我々に喚起するイメージの問題、そして「その様なイメージが一体何処から来たのか?」と言う諸問題が複雑に絡み合っているからなんですね。
先ず「天使」から行きたいと思うんだけど、一般的な日本人の僕達が「天使」と聞いて思い浮かべるイメージと言うのは多分こんな感じだと思います:
かわいい羽の生えた金髪の赤ちゃん天使。これが典型的なイメージだと思うんだけど、先ずこの天使のイメージが何処から来たのかというとですね、実はこれって、ドレスデン(アルテ・マイスター絵画館(Gemäldegalerie Alte Meister))にあるラファエロの絵画(システィーナの聖母(Madonna Sistina))の一部なんですね(地中海ブログ:幸福の画家、ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio):キリストの変容(Trasfigurazione))。しかも驚愕の事実があるのですが、この絵画、多くの人が思い込んでいる様に、この2人の天使が中心に描かれている様な独立した絵画ではないんですよね。じゃあ、どんなかと言うとですね、その全体像がコチラです:
「あれ、天使居ないじゃん」って思った人多いんじゃないでしょうか?いえ、いえ、よーく見てください、足元あたり。そう、足元にちょこっと上を見上げてる2人の天使、この部分だけがクローズアップされて、あの有名な天使のイメージになっちゃったんですね。(どうでもいいマメ知識終わり)
で、ここからが重要なんだけど、問題は、僕たちが「天使」と言う言葉を聞いてイメージするのが、「この様な天使」だという事なんです(ラファエロの絵画の天使と言う意味ではなく、羽の生えた金髪の赤ちゃん天使と言う意味で)。そもそも天使って言うイメージってキリスト教に由来するものであって、多くの人が無宗教、少なくともキリスト教ではない日本人の多くが「天使」と聞いて、ちゃんと天使をイメージ出来ちゃうって所が凄いと思う訳ですよ!これは日本人の多くの人が「その様な世界観を共有している」という事に他なりません。では「どの様な世界観か?」と言うと、それはキリスト教の世界観なんですね。キリスト教国家じゃないのに(笑)。
この事と、「はぐれそうな天使」という歌と何か関係があるのか?っていうと、それが大有りで、「はぐれそうな天使」という歌は、それを聴いた瞬間に、このような天使のイメージと、その「個性」が即座に頭に浮かばなきゃ成り立たない様に出来ているんですね。つまりこの楽曲は、(キリスト教信者じゃないのに)一般的な日本人の頭の中に蔓延っている天使のイメージを利用していると言う点が先ずは注目すべき点だと思います。
そして2点目はですね、ではこの「はぐれそうな天使」と言う言葉は一体何を意味しているのか?と言う点です。
「恋したら、騒がしい風が吹き、はぐれそうな天使が私の周りで慌ててる」
この美しい歌詞がその手掛かりを与えてくれると思うんだけど、つまり、今までは穏やかだった心の状態が、誰かに恋する事によって、その周りがガヤガヤし出した、「恋とはそういうものである」って事が言いたいんだと思います。そしてそれを表す為に、「天使」=普段はおとなしい天使が、というか、そんな穏やかな天使さえも慌て出し、そして「はぐれそうになっている」と、まあ、こういうことだと思うんですね。
ここには非常に高度なイメージを用いた操作みたいな事が行われてて、つまりは上でちょっと書いた「天使の個性」みたいなものが利用されている訳ですよ。何でかって、もし我々が「天使=何時も騒いでる」みたいなイメージを持っていたとしたら、上の歌詞は意味が通りませんからね。上の歌詞が生きてくるのは我々の頭の中に「天使=穏やかである」って言う「天使の個性」がインプットされている事が必要になってくるんですね。
では何故我々の頭の中にはその様なイメージがインプットされているのか?
それこそ日本文化の特質であって、キリスト教国でもないのに結婚式は教会で挙げ、クリスマスと正月を同時に祝い、そして天使や十字架といったキリスト教の世界観を殆どの人が共有しているって言う驚くべき国民性な訳なんですね。
「はぐれそうな天使」という曲は、現代日本最高のアーティスト兄弟が、微妙な感情の揺れを表現する事が出来る稀有な言語を使って書いた曲だからこそ、その行間に、我々日本人の特質、日本の内側に居てはナカナカ見えにくい日本文化の特質みたいなものが垣間見えるんだと思います。
暑い中、夕涼みに懐かしい曲を聴きながら、そんな事を思ってしまいました。