地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
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エドゥアルド・ソウト・デ・モウラの建築:ポウザーダ・サンタ・マリア・ド・ボウロ(Pousada de Santa Maria do Bouro)その2:必要なくなった建築を壊すのではなく、修復してもう一度蘇らせるという選択肢
前回のエントリの続きです(地中海ブログ:エドゥアルド・ソウト・デ・モウラの建築:ポウザーダ・サンタ・マリア・ド・ボウロ(Pousada de Santa Maria do Bouro):行き方とレストラン情報)。



バスを降りた目の前に広がっているのは、12世紀に建てられたシトー派の教会と、その横にくっ付いている修道院を改装したという国営の5つ星ホテル、ポウザーダなんですね。石造りの外壁がこの建物を重厚なものにしていると同時に、大変拡張高いものにしているのが分かるかと思います。建築家が補修したというだけあって、保存状態は大変良く、と言うか、逆にこれが12世紀に建てられた建築だとは俄かには信じられない様な、そんな、艶々なお肌をしています(笑)。真ん中にポカンと開いた入り口からは、あちら側に燦燦と輝く中庭空間が:



オレンジ色の土に石壁の色、そして行儀良く並んでいる木々たちが非常に良い雰囲気を醸し出し、あたかもこの空間が、「ポウザーダへようこそ!」と、そう言っているかの様です。さっきまでの力強い石の壁が作り出す冷たい感じと、小さい入り口を通ってきた窮屈感がココで一気に解放され、大変気持ちの良い空間になっています。



左手側にはレセプションへと続く階段が設えてあるんだけど、これ又、石の彫刻なんかが大変丁寧に修復保存されているのが分かります。



ふと見上げると、全面に渡ってコールテン鋼で出来た天井が被せてあります。石のゴツゴツした感じ、塗り壁のクリーム色、天井のコールテン鋼、そして燦燦と降り注ぐ光と木々の緑などが相まって、5つ星ホテルのエントランスに相応しい、非常に質の高い空間を創り出していると思います。さてこの階段を上って行くとレセプションがある空間へと辿り着くんだけど、我々を出迎えてくれる空間がコチラです:



入った瞬間に背筋が「ゾクゾク」とするかの様な緊張感・・・ある種の建築だけが持つ事が出来る空間の質といったものがココにはあります。石で出来たアーチや床、クリーム色に仕上げられている塗り壁、選び抜かれた木の家具、そして青い絨毯と赤い絵画の組み合わせが一連のうねりとなって、この空間に独特な雰囲気を創り出している。言葉で表現するのは非常に難しいんだけど、正に全てが「ビシッ」と決まっている、そんな感じがするんですね。そして振り返るとそこには長い廊下に続く客室空間が見えます:



実は今回この建築を訪れる前に「泊まる予定じゃないんだけど、建築内部を見る事は可能ですか?」みたいな電話を入れておき、「OK」という返事を貰っておいたんだけど、その事をレセプションに伝えたら、普段は見せてもらえない客室を見せてもらえる事になりました。(ちなみにこの建築は、時々結婚式やら会議やらで関係者以外立ち入り禁止になる事があるらしいので、行かれる方は事前に必ずメールか電話で訪問可能かどうか?を確認される事をお勧めします):



一つ一つの部屋はさすが元修道院と言うだけあって、月明かりで読書をする為の石造りの椅子が窓際に備え付けられているって言う大変面白い構造をしています。こんな時、僕が何時も思い出す絵画がコチラです:



ロンドンに行った際に不意に遭遇して心底感動した、ラファエロ前派の代表的な画家、ジョン・エヴァレット・ミレイの描いた一枚です(地中海ブログ:ロンドン旅行その2:Sir John Everett Millais(ジョン・エヴァレット・ミレイ))。部屋の中はシンプルそのものなんだけど、僕が「面白いなー」と思ったのがコチラです:



何と、部屋の雰囲気を壊さないようにと、冷蔵庫が絵画の裏に収納してあったんですね。更にこんなものまでありました:



じゃーん、シザのスケッチ!さすが、この辺は建築家の国、ポルトガルだなー。ちなみに部屋を案内してくれた受付のお姉ちゃんは、この建築が誰によって創られたのか?その建築家がどういう人なのか?アルヴァロ・シザとは一体どういう人なのか?など、一通りの事はキチンと説明出来るくらいの知識は持っていました。彼女曰く、「ソウト・デ・モウラさんの様な素晴らしい建築家によって蘇った、こんな素晴らしいホテルで働く事が出来るなんて夢見たい。本当に幸せです」だって。いやー、自分の仕事に誇りを持って「働ける」、「働いている」って言うのは本当に素晴らしい事だと思います。



さて、この建築は元修道院って言うだけあって、空間的には天井が非常に高く、ゆったりとした空間が広がっているのですが、その一つ一つの空間には、吟味して選ばれたと見られる家具や絵画などが注意深く置かれ、それらがある事によって、空間全体の個性を最大限に引き出す様にデザインされているんですね。



もう一つの回廊型中庭は、一つ一つのアーチや柱に至るまで丁寧に修復・復元されていて、あたかもそれらの残像が、元々ここにあった空間を連想させてくれるかの様です。裏側に回ってみると、大自然に向かって開かれている、静寂だけが支配する中庭空間が展開しています:



石造りと言う特徴を最大限に生かした修復、そして現代的な材料を用いた最小限の付け加えが、この建築の魅力をより一層引き立てています。中に食堂が入っているコチラの部分には、小さな池が創られていて、そこに流れ込む水差の様なものがデザインされていました:



さりげない、本当にさりげない付け加えなんだけど、それが最大の効果を発揮する様に計算されているのが分かるかと思います。



この緑に覆われた建物の手前側に見える石造りの階段と、上の方に見える照明は後から付け加えられたものなんだけど、それがわざとらしくなく、まるで最初からそこに存在したかの様な、非常に自然な感じを醸し出していますね。そこを少し降りていくと、変わった形をしたプライベートなプールがあるんだけど、こちらの形態操作もなかなかニクイ:



形が正円じゃない所がキーですね。そして振り返るとこの風景:



建築が草に覆われ、その存在を消しているかの様なんですね。これはこれで「建築の一つの理想系を表しているのかなー?」とか思わない事もないかな。何より、古いものを使い続ける、壊すのではなく、悪い所を修復してそれを使い続けると言う姿勢には、大変共感を覚えます。前回のエントリで紹介したソウト・デ・モウラのインタビュー記事の中で彼はこんな事を言っていました(地中海ブログ:エドゥアルド・ソウト・デ・モウラ(Eduardo Souto de Moura)のインタビュー記事):

「どんな建物でも又違った使い方、違った生命を与える事が出来ると、私はそう確信しています。もし片足が壊疽に冒されていたとしても、それを取り除く為に足全部を切断する必要はないのです。切り取るのは足の指だけで十分です。 建物も全く同じで、全壊する前に悪い部分を修復する事が必要なのです。そういう意味において、現実主義者になる事は好きですね。建築家は何時も自分の建てた建物は完璧であると思っていて、その一部が機能しないとか、壊れかけてきていると文句を付けてくるクライアントに対して怒り狂っている姿を良く目にしま す。大概の建築家というのは、いつもその様な意見を侮辱だと受け取りますからね。しかし私は常に現実主義者たりえたいと思っています。そして自分の建築に悪い所、機能しない部分があったなら、それらを取り除き、機能する様に修理修繕を好みます。」

さて、これまで見て来た様に、この建築の最大の見所は、石で出来た「地」と言うキャンバスに、現代的な材料であるガラスや鉄、コールテン鋼などをチョコチョコッと用いて、そこに元々存在した空間の魅力を「これでもか!」と高めている所だと思うんですね。逆に言えば、建築の構成などは殆どいじる事が出来なかったと思われる為、空間構成やその裏に流れる「物語り」の様なものには全く見る所はありません。ちょっと意地悪な言い方をすると、「この建築は誰がやってもこうなる」とさえ言えるのかもしれない。何世紀も前に建てられた石造りの下地があって、そこに現代的な材料をミニマルに合わせていけば、それ相応の空間は出来るんじゃないか、と・・・。そんな事を思ってしまうのも、ヴェネチィアに行った際、カルロ・スカルパによる神業的な修復と、家具などを用いた人間の創造性に挑戦するかの様な、そんな仕事を見てしまったからなんですね:



スカルパの、家具を用いた導線操作と視線操作、そしてそれによる物語の創出などには驚きを隠せませんでした(地中海ブログ:カルロ・スカルパ(Carlo Scarpa)の建築その3:カステルヴェッキオ(Castelvecchio):空間の建築家カルロ・スカルパ:ものすごいものを見てしまったパート2)。もっと言っちゃうと、「何故スカルパのディテールが素晴らしいのか?」というとですね、それは、そのディテールを活かす様な物語が、その背後に存在するからなんですね。「スカルパはディテールの人」とか思ってる人がいるかもしれないけど、馬鹿を言っちゃいけない。それは彼の建築の一側面を捉えているに過ぎず、素晴らしい空間構成力があるからこそ、彼のディテールが輝いている訳ですよ。

僕の見る所によると、ソウト・デ・モウラという建築家には、その部分、空間の構成や空間の物語の創出という部分が欠けている様な気がします。確かに一つ一つのディテールや一つ一つの空間は素晴らしいんだけど、それが一つの流れを創り出す様になっていない為、何かしら心に訴えてくるものが浅い様な気がする。



確かに、石造りの基礎とクリーム色の壁に、いきなり緑色の扉を持ってくるって言うトリッキーな事もやってて、それが結構シックリきてたりするって言うデザインセンスの良さはあちらこちらから垣間見える事は見えるんだけど、「それがどうした」、と。



コールテン鋼を斜めに走らせて、そこに銀色のワイヤーを張って創った階段なんて趣味が良いとは思うんだけど、「それがどうした」、と・・・。

その一方で、10年という長い、本当に気が遠くなる様な時間と労力をかけて、よくもまあ、こんなに上手く改修したなと、そちらの方に感動してしまいます。「壊す事に依るのではなく、修復する事で建物を使い続ける」という道、「いらなくなった建物を直ぐに壊すのではなく、改修して蘇らせる事によって新たな命を吹き込む」という選択肢がある事を我々日本人はもっと知るべきだと思います。そういう意味において、この建築は、日本で建築に携わっている人達、そしてこれから建築家を目指そうと考えている日本人の建築家の卵の皆さんに是非見てもらいたい作品だと思いますね。
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