地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
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スペインのコンペ事情と欧州文化都市決定の裏に見え隠れするもの
あー、今週も忙しかった。そして何より暑かった!!もう何時の間にか、本格的な夏到来って感じなんですけどー。

昨日のお昼は交通計画の世界的権威、Jさんと市内のレストランでランチしてたら、偶然にもカタルーニャ工科大学の学長とバッタリ!「よー、久しぶり、元気〜?一杯飲む〜」みたいな、何時会っても、全くもって学長とは思えない軽いノリなんだよな、この人!



夜は夜で、友達の日本人建築家の家でタイ風カレーを御馳走になったんだけど、最近バスク地方の美術館コンペに勝利した彼らの気になる話題と言えば、やはりスペインのコンペ事情らしい。特につい先日発表になった2016年の欧州文化都市開催決定の影響は大きいらしく、下馬評では当選が確実視されていたにも関わらず落選してしまったコルドバ市で、決定していた文化施設のプロジェクトなんかが次々にオジャンになっているんだとか何とか。

日本では全く報じられていないので、知らない人多しの事だとは思うのですが、「欧州文化都市と一体何か?」と言うとですね、欧州委員会が選定した都市で、一年間に渡り、集中的に各種の文化行事を展開するって言う、その名の通り、「欧州の文化の首都」になると言うイベントの事なんですね。このイベントが設立された当初、はっきり言って「そんなの面倒くさーい」みたいな感じで、どこの都市も敬遠しがちだったのですが、イザ行事が始まってみると、その集客効果と観光客が落としていってくれる経済効果の凄まじさ、そして何より都市のマーケティング効果に気が付いた欧州中の都市が、今では競ってその地位を奪い合うと言う激烈な競争へと変貌を遂げたと言う背景があります。

そんな状況の中、先週水曜日に5年後(2016年)の欧州文化都市開催都市の発表が欧州委員会の方からあったばかりだったんだけど、実は今回は最後の最後で大どんでん返しがあり、当選が確実視されていたコルドバ市が負けて、全く予想されていなかったサンセバスチャン市が当選すると言う結果に終っちゃった訳ですよ!

では何故、サンセバスチャンが勝ったのか?

うーん、ここからは僕の勝手な予想なんだけど、多分、現在のスペインの経済危機を考慮するならば、文化にお金を回す余裕が全く無い中で、果たして本当にコルドバと言う小さい街に、欧州文化都市を開催出来るだけの余力があるのだろうか?と言う懸念が欧州委員会の中にあったからじゃないのかな?



コルドバと言う都市は人口30万人程度の小さな町で、確かに世界的に有名なメスキータがある事はあるんだけど、言ってみればそれだけ。ホテルの数だってたかが知れています。何よりアンダルシア地方と言うのは、スペインの中でも最も経済的疲弊が激しい地域として、スペインは勿論、欧州中にその悪名が響き渡る所となっているんですね。



その一方で、サンセバスチャンと言う都市は、王族やブルジョア階級の避暑地として知られていて、云わ場スペインの高級リゾーチ地な訳ですよ。つまり資金的には最も豊富なエリアの一つであり、サンセバスチャンを開催都市にしておけば、直前になって「やっぱり出来ませんでした!」みたいな事は起こりにくい、と、まあ、こういう安全パイを欧州委員会が取ったと言う事なんじゃないのかな?

もう一つ気になる点が、ETAとの関連が指摘されているBilduと言う政党が先々月の選挙で史上初めてバスク地方の政権を握ると言う画期的な出来事が起きたばかりだったんだけど、この政治的な動きと今回の欧州委員会の決定には何かしらの関連があるのでは?と言うのが大勢の見方となっています。ちなみにこの決定に怒り心頭のZaragoza市の市長は「欧州委員会の判定には疑念を感じる。再検討を要請する為に法的手段に訴える覚悟だ」と裁判に持ち込む事をも示唆してたりもするんですね。

そんな大どんでん返しを食らって堪らないのがコルドバ市なんだけど、実はスペインではここ数年、経済危機の影響を受けて建築コンペの数が激減してたりして、文化施設のコンペなんか殆ど無いに等しいくらいだったのに、コルドバでは、それが結構開催されていたんですね。理由は勿論、2016年の欧州文化都市に通ると言う前提の下、市役所始め、政府なんかもバックアップ体制を敷いてたんだけど、それが崩されちゃって、今までのコンペはみんなオジャン!

もう一つ次いでだから言っちゃうと、実は先日、スペインのガリシア地方の都市、ア・コルーニャ市において、鉄道駅周辺の開発を含む大々的な国際コンペの結果が発表されました。伊東豊雄、MVRDV、ラフェエロ・モネオなど、なみいるスター建築家を押しのけて1等に輝いたのは地元出身の建築家で、それがちょっとしたニュースにもなったんだけど、そのコンペの経緯を見ていてちょっとした昔話を思い出しちゃいました。

あれは今から丁度5年くらい前の事、僕が未だバルセロナ市役所のとある機関に勤めていた時の事だったのですが、当時から既にかなりの有名人だったジョアン・ブスケッツと言う都市計画家が突然訪ねてきて、なんか急にミーティングをするからと言う事で僕もその席に呼ばると言う事がありました。ジョアン・ブスケッツと言うのはバルセロナの都市計画に深―く関わっている人で、今ではハーバード大学の教授に就任している程、世界的に名の通った都市計画家です。彼の手がけた作品として有名なのは、トレド市の保存と再開発計画なんかがあります(地中海ブログ:マドリッド旅行その4:ラペーニャ&エリアス・トーレス(Jose Antonio Martinez Lapena and Elias Torres)の建築その1、地中海ブログ:あまり知られていないバルセロナ近郊にある名建築:ラペーニャ&エリアス・トーレスによるCastelldefels城へと続くアプローチ空間)。

で、その時彼が持ってきたのが、何を隠そう、ア・コルーニャ市の都市戦略と再開発の基本構想だったんですよね。それから1年ちょっとの間、色々とやり取りをしながらも案を練っていったんだけど、今回のコンペはその時の基本構想が下地になっていると思われます(それ以来、僕は関わっていないので確定的ではないのですが)。

あれから5年・・・あの時、全く何の案も無い白紙の状態だった再開発地区に、今では世界中から沢山の応募が寄せられ、段々と形になっていってるのかと思うとちょっと感慨深いものがありますね。

昨日の夜は、暑い中、辛くて美味しいカレーを食べながらも、そんな昔話を思い出しちゃいました。
| 都市戦略 | 21:32 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
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