地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
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サグラダファミリア工事続行か?反対か?を巡るカタラン人建築家達の意見


今やバルセロナ市内の観光名所の一つにまでなってしまった、モンジュイックの丘にある噴水なのですが、その噴水の前に今から約
100年程前(1919年)、プッチ・イ・カダファルク(Josep Puig i Cadafalch)によってデザインされた4本の柱が建っていたと言う事は案外知られていません(地中海ブログ:カイシャ・フォーラム( Caixa Forum)とプッチ・イ・カダファルク( Puig i Cadafalch))。



この柱は
1928年にPrimo de Riveraによって取り壊されてしまったのですが、実はバルセロナでは数年前からこの柱を再建しようと言う動きがあり、つい先日、その4本柱がとうとう市民の前にその姿を現したんですね。



とは言っても、はっきり言って個人的には「ふーん」って感じなんだけど、実はこの柱の再建が結構社会的な論争とかになってて、先日の新聞なんかには、カタラン文化の有識者達が賛成派、反対派に分かれて、意見を闘わせたりしていました。僕的にはそれも「ふーん」って感じだったんだけど、それを見てて思い出したのが、
1ヶ月程前に新聞に掲載されていた、サグラダファミリアの建設続行の是非を巡る論争だったと言う訳です(12 de Noviemtre 2010)



こちらはそれなりに面白かったのですが、一体何故こんな論争が出て来たのかと言うと、実は一ヶ月程前、ローマ法王がサグラダファミリアを訪問した時の事、その様子がカタルーニャ中に生中継されたんだけど、「バルセロナに住んでるのに、今まで一回もサグラダファミリアに行った事が無い!」って人や、「以前何回か入った事はあるけれど、最近の急速な工事の進歩から、まさか、聖堂の中があんなに出来てるとは思わなかった!」と言う人まで、実はローマ法王の訪問と言う事よりも、むしろ、「サグラダファミリアの内部空間の映像が一般市民に引き起こした興味」みたいなモノの方が大きかったんですね(地中海ブログ:
バルセロナの都市戦略:ローマ法王のサグラダファミリア訪問の裏側に見えるもの

翌週の日曜日には、テレビを見て興味を覚えたカタラン人達がサグラダファミリアの前に長―い行列を作るって言う珍現象まで起こった程だったんだけど、実はその事が地元建築家達の間にも激しい論争を引き起こしたと、まあ、そう言う訳です。そんな状況下で、地元の新聞、
La Vanguardia紙が複数の建築家宛に用意した質問がコチラ:

「サグラダファミリアの聖堂内部について、ガウディがこの世を去った時の状態のままにしておく方が良かったと思いますか?それとも、やはり今の様に工事を続行するに値するものだとお考えですか?」


それに対する建築家達の回答がコチラ:


賛成派:


Juli Capella


「ここまで工事を続行する価値はあったと思います。もしも、私が以前、「工事は続行すべきではない」と反対の事を言っていたとしたら、今はその言葉を撤回したいと思っています。言い訳ではありませんが、私はガウディの作品を「継続すべきでは無い」と言った訳ではありません。そうではなくて、「これはガウディの作品だ」と明言しつつ、工事を続行する事に反対だったのです。つまり、この聖堂はもはやガウディの作品ではないと言う事です。何故かと言うと、確かにこの聖堂にはガウディのアイデア、構造についてのヴィジョンなどが残っているとは思うのですが、それと同時に、彼が思いもしなかった様な余計なものが沢山付いている事も事実なんですね。それでも、森林を模した様な構造体と言い、大聖堂のオアシスと言い、ガウディのコンセプトは十分に実現されているとは思うのですが。そして私は、そんな彼の建築に感動した事をはっきりと認めたいと思います。その体験は、ローマ法王の存在よりも強烈ですらありました。そう言う意味において、この聖堂の建設を中止すると言った事は間違っていたと認めざるを得ません。今はこの聖堂を完成させる事に賛成を表明しますが、同時に我々は、これはもはやガウディの作品では無いと言う事を認めなければならないとも思います。この聖堂の建設の始まりにおいて決定的な役割を担ったガウディが、今の聖堂においても何かしらの関連があると言い続ける事はとても嘆かわしい事だと思います。ローマにあるどんな教会も、その長い建設期間においては数々の著者がいたと言う事を公式文書は表しているのですから。」


“Ha merecido la pena llegar hasta aquí. Me retracto si antes dije lo contrario. Que conste que nunca afirme- y no es para excusarme- que no debiera continuarse, sino que no debia continuarse diciendo que era una obra de Gaudi. Esto lo mantengo, porque creo que en la nave central queda una vision estructural de Gaudi, pero tambien hay mucho pegote, mucha idea de pacotilla. Sin embargo, el concepto es lo suficientemente potente como para que esa columnata arborescente, ese oasis de la nave central, este logrado. Reconozco que su arquitectura me impresiona: me parece mas poderosa incluso que la presencia del Papa. Personalmente me equivoque si dije que no habia que seguir con las obras del templo. Ahora estoy a favor de que se acabe, en especial si se precisa que lo que se esta haciendo no es obra de Gaudi. Es deplorable que se siga diciendo que Gaudi, que tuvo un papel decisivo en sus inicios, tiene mucho que ver con lo que se hace hoy. En cualquier iglesia de Roma te documentan los distintos autores que ha tenido a lo largo de los siglos.”


Miquel Espinet


「以前は、この聖堂はロマンチックな廃墟として残すべきだと考えていました。しかしながら、先週末この作品を実際に訪れる事によって、この考えが変わりました。何故なら、今から
40年の内に、人々は「この聖堂は完成させなければいけない」と言う様になるのではと思ったからです。つまり私は、永遠のモニュメントと言うロマンチックな考えと、完成した作品と言う考えの中間にいると言う事なんですけどね。しかしながら、教会を実際に訪れる事によって、そんな私の考えは、後者の方、つまりサグラダファミリアを完成させると言う方に傾き始めています。ゴシックの教会も完成までには幾度もの遅延を経験してきました。私はコンベルソ(ユダヤ教からカトリックへの改宗者の事。ここでは考えを直に変える人と言うメタファーとして使われている)なのでしょうか?そう、確かに私は「実用的な」コンベルソなのかも知れません。何故ならサグラダファミリアは21世紀に完成するであろう、最高の宗教的建築となるやも知れないからです。」

“La idea que yo tenia era dejar el templo intacto, como una ruina romantica. Pero he ido visitando la obra y, ante lo visto el pasado fin de semana, ahora diria que dentro de cuarenta anos la gente opinara que ha sido una gran idea acabarla. Eso es lo que yo pienso. Esoty entre la idea romantica del monumento inacabado y la del edificio terminado. Pero a la vista de lo que hay, me inclino por acabar la Sagrada Familia. Las catedrales goticas tambien se demoraban siglos. Que si soy un converso? Digamos que soy un converso practico. La Sagrada Familia sera, seguramente, el principal edificio religioso completado en el siglo XXI.”


Josep Llinas


「先週末の放送を見ていて、サグラダファミリアを是非ゆっくりと訪れたいと思う様になりました。今は、「この作品を完成させるべきではない」と主張する人達に対して、以前よりも厳しい疑惑の目を向けるかも知れません。前は思わなかったのですが、今はもっとディテールを見てみたいと言う衝動に駆られてすらいます。以前、
Perejaumeが書いた、とある本を読んだのですが、そこには、サグラダファミリアを近代建築の教義からは離れた目で見ると言う大変魅力的な見方が示されていました。それはある意味、この教会を見る事が出来る別の可能性かも知れませんね。」

“A consecuencia de lo visto en la tele, me he propuesto visitar el templo con calma. Quizas ahora hay mas dudas sobre la radicalidad de quienes defendian no terminar la obra. Siento un interes por conocerla al detalle que antes no sentia. He leido un librito de Perejaume muy interesante, que invita a ver la Sagrada Familia con ojos alejados de la ortodoxia del movimiento moderno. Es otra posibilidad.”


反対派:

Oriol Bohigas


「サグラダファミリアの工事を続行するのは間違いです。現在の見てくれが何よりの証拠だと思います。彼らが達成した事、それはガウディのまがい物を作ったと言う事であり、原作者と言う観点から、この聖堂には完全に議論の余地があります。今となってはどうしようもない事なのですが、ガウディの建築(アイデア)には触らない方が良かったのです。その点については既に我々は散々議論をしたのですが、大勢の人達が集まる事が出来る様に、(ガウディがデザインした様に)聖堂の周りには空間を設けておくべきだったのです。先週末のセレモニーでは、沢山の椅子やモニターを設置する為に、周りの街路を遮断しなければなりませんでした。しかしながら、都市内に開かれた空間がある場合、都市は街路に溢れる人々やその流れを最大限に包容する事が出来るのです。」


“La continuación de la Sagrada Familia es unn error la prueba esta a la vista: lo que se ha logrado es un falso Gaudi, totalmente discutible en terminos de autoria. Hubiera sido mejor no comprometer la arquitectura de Gaudi, ahora desvirtuada. Ya dijimos en su dia que hubiera sido preferible hallar un gran espacio exterior para reniones multitudinarias. En la ceremonia del fin de semana se lleno el templo y hubo que cortar calles para colocar sillas y pantallas. En un espacio abierto, la ciudad habria absorbido mejor el flujo de asistentes.”


Josep Lluis Mateo


「サグラダファミリアが得たものは、ものすごく大きな空間です。しかしそれを作る為に払われた努力には価値があるとは到底思えません。それは映画の為に拵えられたセットの様にすら見えてしまうからです。テレビ中継が我々に届けていたものは、「映画」であって、「現実」ではありませんでした。何が言いたいかと言うと、同じくガウディが設計に携わったパルマの聖堂は「リアル」な空間が実現されているのに対して、サグラダファミリアの方は、張り子か何かの様に見えると、まあ、そういう事です。」


“Se ha logrado un espacio grande, espectacular. Pero no me atrevo a decir que el esfuerzo haya valido la pena. Me parece un gran decorado de pelicula la retransmisión televisiva le daba ese toque cinematografico, de irrealidad. Quiero decir que un espacio como el de la catedral de Palma, en el que tambien intervino Gaudi, me parece real, mientras que el de la Sagrada Familia me parece mas de carton piedra.”
| バルセロナ都市 | 09:44 | comments(3) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
コメント
ご無沙汰しています。あけましておめでとうございます。今はバカンス中でしょうか、たまたまブログを読んでいたところサグラダ・ファミリアの記事が気になりました。Cruasanの考えとしては、賛成、反対どちらか理由も含めお聞きしたいなと思います。私は10年ぐらい見てないので現状がよく分からないですが、どんな風になってるのか興味があります。 
| IKURA | 2011/01/02 5:01 PM |
IKURAさん、コチラこそご無沙汰しています。あけましておめでとうございます。今年もヨロシクお願いします。

ハイ、つい先日までバカンスでした。今年は何と、10年振りの日本の年末年始を満喫していました。寒い中の温泉って良いですねー。

ご質問の件なのですが、大変難しい所だと思います。

実は僕もローマ法王の訪問を生中継で見ていて、「サグラダファミリアってあんなに出来てたんだ!」って驚いた一人だったのですが、今回の内部空間の中継を見て、かなり行きたくなりました、と言うか、コレは一度自分の目で見てみねばと思わせるくらいの質を持っているのでは?と言うのが、僕の率直な意見です。

まあ、実際に見てみないと何とも言えないのですが、僕の個人的な意見としては、ガウディの意図を現代的に解釈して工事を続行する事にもそれなりに意義があるのでは?と思っています。

その一方で、デュクから連綿と続いている、建築保存(日本では名古屋の僕の実家のご近所に住まわれている、ゴシックの神様、飯田大先生のご専門である建築保存側)からの意見も勿論良く分かります。

バルセロナでサグラダファミリアに関わっている方々はこの辺の事を良く分かった上で信念を持って仕事をされていると思うので、軽々しい事は絶対に言えないと思うのですが、まあ、どちらにしろ、何かしらのブレ無い信念を持つと言う事は大事で、それがあれば、何かしらよい結果になるのでは?と思っています。
| cruasan | 2011/01/05 4:18 AM |
あ、Cruasanさんに、「さん」付けするの忘れていました。Cruaさんではないですもんね(笑)  回答ありがとうございました。やっぱり見てみたくなりますね。昔は4本の塔だけでかっこいいと思っていて、新しい石の白っぽい感じに違和感がありましたが、どんどん作業が進んでいってまた違う顔が見れるんでしょうね 
| IKURA | 2011/01/06 12:16 AM |
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