地中海ブログ

地中海都市バルセロナから日本人というフィルターを通したヨーロッパの社会文化をお送りします。
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「ハウルの動く城」の舞台ってカタルーニャだったのか?
昨日家の中を掃除してたら偶々押し入れの奥から「ハウルの動く城」のDVDが出てきた。何を隠そうスペインでも宮崎作品は大人気で、「風の谷のナウシカ」から、「崖の上のポニョ」まで殆どの作品はDVDや書籍、関連グッズなんかがキオスコなんかでも売られてるくらいなんだけど、カタラン人の中には熱狂的なファンとかもいて、毎年バルセロナで開かれる漫画フェスティバルとかに行くと、宮崎関連のコスプレに遭遇しない年は無いって言うくらいの浸透ぶりなんですね。

ちなみに、「崖の上のポニョ」が公開された当時の事、当然の様に近所の映画館に見に行ったんだけど、館内は超が付く程の満員御礼状態。で、やっぱり一番印象に残ったのは、繰り返し流れてくるあの、「ポニョ、ポニョ、ポニョ、魚の子♪」って言う歌なんだけど、「ポニョ」って言う発音が、女性器を意味するスペイン語の「コニョ」って言う発音に似てて、映画館を出た後、そこら辺で、「コニョ、コニョ、コニョ‥‥」って言う歌声が聞こえてきたのにはちょっと笑った(地中海ブログ:崖の上のポニョ(Ponyo en el acantilado)を見る:ポニョ(Ponyo)は男の子か?女の子か?)。更に更に宮崎繋がりなんだけど、昔、iPhoneからナウシカのネタをTweetしようとして、「ナウシカ」って入力したら、「ナウ鹿」って変換されたのにも苦笑い。

実は僕が一緒に働いている交通計画の世界的権威は大の宮崎駿ファン。更に彼の奥さんは日本文学が大好きで、1年程前にスペインで出版された源氏物語を読み込み、僕にかなり鋭い突っ込みを入れる程の強者です。去年のクリスマスには、彼の自宅のホームパーティーに呼ばれた際、「日本の神様について聞きたいんだけど‥‥天照大神ってさあ‥‥」とか言うものすごいディープな質問を受けた時には正直言ってかなり真っ青になりましたけどね。でも、「天照大神って、洞窟から全然出てこなかった、云わば今の言葉で言うと「引きこもり」だよなー(笑)」くらいしか頭の中に浮かばなかった自分にもちょっと真っ青。やっぱもう少し真面目に日本史勉強しようかな(冷汗)。

さて、そんなこんなで今日は金曜日だし、カタラン人達はあんまり働く気もなさそうだったので、「オフィスの同僚を集めてちょっとした上映会でもやろうかな?」と思って声をかけた所、即興にも関わらず数人が集まり、ハウルの動く城の上映会の始まり、始まり〜。で、始まって直ぐの場面、ヒロインのソフィーが働く町の風景が出て来た所で、一緒に見てたカタラン人達が騒ぎ出した:

「あれ、これってカタルーニャの旗じゃない?って事はこの舞台はカタルーニャ?」

「え?」とか思って場面をよーく見てみたら、本当だ!確かに至る所にカタルーニャの旗がなびいてる!!(下の動画の始まってから3:22秒と3:43秒くらいの所):

そしてコレがカタルーニャの国旗。



確かに一緒でしょ?黄色の下地に赤色の線は紛れも無くカタルーニャの旗そのものです。この状況にカタラン人達はもう大興奮!(正確に言うと、カタルーニャの国旗の場合は黄色の下地に4本の赤線で、この映画に出てくる旗には赤線が3本から5本と旗の幅によって変わっているようなのですが、興奮状態のカタラン人にはそんな事はおかまい無し)。

まあ、とは言っても、こんな事くらいで宮崎監督がカタルーニャの風景をモデルにハウルの街なみを描いたと決め付ける程安易な事は絶対に言えないんだけど、でも、こういう観点で宮崎作品を見ると、又違った楽しみ方が出来るのも確かだと思うんですね。



例えば、スウィフトのガリバー旅行記に出てくるラ・ピュータ王国に由来すると言う「天空の城ラピュタ」の風景は、夏前に訪れた南フランスにある、それこそ天空の城を思わせる町、ゴルドを彷彿とさせるし(地中海ブログ:プロヴァンス旅行その7:天空の城、ゴルド(Gordes)の風景)、その町から歩いて40分程の所に忽然と姿を現す、谷の底に密かに存在するセナンク修道院に至っては、人を寄せつけない自然の驚異と共に、正に「風の谷」を彷彿とさせるのに十分だと思います(地中海ブログ:風の谷のセナンク修道院:天空の城の後に見る風の谷:リアル宮崎駿ワールド)。そしてこれら2つの異なる風景、「天と地」と言う全く相反する2つの風景が、徒歩一時間圏内に存在すると言う事実は考えれば考える程興味深い。



更に「魔女の宅急便」のあの風景は、僕にはアルヴァロ・シザのお膝元、ポルトの風景に重ね合わせられるし、はたまた、宮崎監督がロンドン旅行で目にしたラファエル前派(Pre-Raphaelite Brotherhood) に属するジョン・エヴァレット・ミレイ(John Everett Millais) の描いたオフィーリア(Ophelia)を目にするにつけ、「自分達のやりたかった事=コンピュータの力を借りて極限まで緻密な作画を求めると言う事は、もう既に100年前に達成されていたのか!」と衝撃を受け、その後の作品、「崖の上のポニョ」で手書きの可能性に舵を切ったと言う話にも、ものすごい共感を受けてしまいましたけどね(地中海ブログ:ロンドン旅行その2:Sir John Everett Millais(ジョン・エヴァレット・ミレイ))。その時の話で未だに覚えているのが、宮崎さんが語っていたこんな言葉です(地中海ブログ:崖の上のポニョ密着!5人の天才職人その1:宮崎駿と西澤文隆):

「・・・精密にやってみたい、立体感を出したい、空間を出したいというのを突き詰めていって3DCGを使ってみた、いろいろやってみたんです。

(だけど)精密にしていけばいくほど 自分たちの仕事が 神経質なものになるのを感じて

やっぱり何か失われていくんですよね

とことんやったんです (でも)これ以上これを続けることは無理だ やってもおもしろくないと

増殖(CGでコピー)していくと いっぱい描かなくていいだろうと

1つ草が風に揺れているのを描いて それをサイズを変えて置いていくと 確かに全部揺れるけれど 幸せにならないんですよ見ていて ・・・・・

やっぱりエンピツで描いたほうがいい エンピツで描く事がアニメの初源・・・」

これこそ宮崎ワールドの魅力であり、ある意味彼の作品の本質でもあると思います。そしてこの一見単純そうな宮崎さんの問いは、コンピュータが支配するであろう次世紀において、「人間の可能性とは一体何なのか?」、「機械に出来て、人間に出来ない事、そして機械には出来なくて、人間にしか出来ない事とは一体何なのか?」と言う大変深い深い問いを我々人類に問いかけていると思うんですね。

奇しくも昨日は東大で女流王将がコンピュータに敗北すると言う「事件」が起きたばかりでした。こんなコンピュータ全能社会の今だからこそ、このような問いは発せられるべきだし、今我々が真剣に考えるべき問題なのかもしれません。
| サブカル | 01:58 | comments(0) | - | このエントリーをはてなブックマークに追加
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